日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

普通の電池くらいの大きさの原子力電池があった。近未来には照明も、電気自動車も、冷蔵庫も、すべてに原子力電池が使われていた。大きなものを動かすには、もう少し大きな原子力電池が使われている。(1)

 

 

 

 

『神様とつながった電話』

保江邦夫 風雲舎  2014/7/28

 

サムハラ龍王、次いでマリア様の愛が入ってきた

神のお出ましは何を示唆しているのか。――時代は急を告げている!

 

 

 

間もなくだよ………

ドッグイヤーに加えてそれを感じさせられたのが、神様のたびたびのお出ましだった。

 合気での神降ろしの体験をはじめ、サムハラ神社の奥の院からの帰路、僕の中にサムハラ龍王が入ってきた。さらに神様に電話がつながった。マリア様からの伝言も受け取った。伝言の中味は驚くようなことだった。こうして神様の出現頻度がどんどん増えた。神がしきりとお出ましになるのはどういうことかと不思議だったが、何かが迫って急を告げている、時代が急展開している――とわかった。旧世界と新世界がはっきり分かれ、さてお前はどこに行くのかと問われていると僕には感じられた

 もうじき、新世界にいる僕の目から旧世界に残る人たちが消えてしまう。それはものすごく寂しい、せっかく同じ時代に、同じ世界で苦楽を共にした仲間だから、できることなら全員が新世界へと飛び移ってくれることを望んでいる。

 連鎖調和の鐘が鳴り響く新世界の住人になるためには、旧世界の常識やその枠組みに縛られる生き方を完全に破棄しなければならない。ものごとの捉え方や考え方を根本からあらためる必要がある。それが条件らしい。まあ5、6年も費やせば、多くの人がそうなるのではないかと能天気に考えていたのだが、あと6ヶ月しかないというのだから、僕の考えは甘かった。もう無理かもしれない。旧かった。もう無理かもしれない。旧い友人知人の何人かとは今生の別れとなるかもしれない。それもやむをえないことか………。

 

時間がない、本当に時間が足りない。

 だからといって投げ出してしまうのは最低だ。人間として、最後の最後まで最大限の努力をするべきではないか。岡山弁でいう「かっこつけし!」、見栄っ張りを自負して、その上、人一倍のへそ曲がりとくれば、他の連中ならいざ知らず、ここはもう無鉄砲にがむしゃらにやるしかない。そう腹をくくった僕は、時代の裂け目にとどまっている6ヶ月の間に5冊の本を矢継ぎ早に世に問うことにした。

 

神降ろし

植芝盛平先生に憧れて

・僕は植芝盛平に憧れて合気道の世界に入った。

 高校3年生のとき、NHKテレビで植芝盛平の特別番組をやっていた。番組の中で植芝盛平は弟子たちをバンバン投げ飛ばしていた。すごいシーンだった。小柄な老人がちょっと動くと、大きな男が空を飛んだ。すごい、こんなすごい技があるのか。大学では絶対これをやろう!小学校以来、自分のひ弱さを意識していた僕は、「武道を、いや、あの植芝盛平先生の合気をマスターしよう」と決心した。

 

初めての神降ろし

・神降ろしを12人全員に説明して、一人一人に神様を降ろしてみた。神様を降ろすと、降ろされた人はいとも簡単に相手を投げ倒した。段位序列に関係なく、おもしろいように相手が倒れる。誰もが仰天した。神降ろしを受けて、誰もが奇声を発しながら夢中になった。そのとき気がついた。いったん僕に降りた神様が、その後彼らに移ったのだと。

 

神の視野になった

黄金と化した植芝盛平

植芝盛平大本教出口王仁三郎と親交を結んだあと、九鬼隆治と昵懇になり、祝詞を奏上し、行水をし、ある日神様が降りて、植芝合気道を確立した。その途上ですべてのものが金色に輝いているのを見たという。これこそが神降ろしだったに違いない。

 

畑田天真如さんの神降ろし

超能力者とか霊能者と呼ばれる人たちの仕事は、一つには神降ろしである。

 神様に降りていただくことで、狐狸や犬猫などの動物霊、悪霊、浮かばれない先祖霊、あるいは成仏しない霊に対してお祓いをし、成仏を祈り、無事にあの世へ帰るように説得する、つまり戦い清めるためである。神降ろしの行は概して神道家と呼ばれる人の力が及ばないことが多く、代わりに超能力者や霊能者に依頼して、神様に降りてきてもらうケースがある。僕が親しみを込めて「安倍山のばあさん」と呼ばせてもらっている畑田天真如さんは超能力者、霊能者の中でも、異才を放つ経歴と霊力の女性である。

 

・2013年の12月14日、東京浜松町で「全国宇宙人大会」(にんげんクラブ主催)があった。名前からしてあやしい人たちの集会だ。そのあやしい人たちに交じってなぜか僕も招きをうけ、朝10時から「UFOに乗ってどうのこうの」というこれまたあやしい講演をすることになった。

 

・天真如さんは若い頃、岡山県西部の阿部山の麓にあった普通の農家に嫁いだが、不幸の連続で、生まれたばかりの赤ん坊を抱えて家を出た。気がつくと真夜中、京都・鞍馬山の山中を徘徊していた。首を吊るためのいい枝ぶりの木を探した。いい木があった。首を吊る前に子供の首に手をかけた。その瞬間、真夜中なのに突如辺りが明るくなり、「やめろ」という声が響いた。驚いて周りを見回しても何者か姿は見えない。すると「余はサナート・クマラじゃ」とまた声がして、「死ぬな、帰れ」と続けて言う。

 

・サナート・クマラは鞍馬寺に祀られている神様。魔王尊である。サナート・クマラは金星から到来したという。

 

・天真如さんは鞍馬寺に走って門を叩き、紙と筆を貸してくださいと叫んだ。深夜2時頃。小坊主から紙と筆を借り受けると山中に戻り、サナート・クマラが言うことを彼女は書き留めた。白々と夜が明け、死ぬどころではなくなって、再び岡山に帰った。すると物事すべてが好転していた。あれほど自分をいじめ抜いた姑、親戚縁者の態度が一変し、土地の問題、収入の問題、すべてが改善していた。彼女は自分が紙に書き留めたサナート・クマラの言葉のことを完全に忘れてしまった。

 

・さらには「すごい人が岡山の奥にいるらしい。坊さんも宮司さんも密かに行っている。我々も徳を分けてもらおう」と寺や神社の関係者など大勢の人が来るようになった。体の具合の悪い人も来たので、病んでいる人の背中をさすってやると、みんな治った。

 自分にはこんな力があったのかと驚いて、彼女はそこで初めて紙に書き留めたサナート・クマラの教えをひもといた。するとそこには、人間を本来の姿にする方法、生き生きさせる秘訣すべてが書かれてあった。大勢の人が来るのはこれだったのかと気がつく。やがて鞍馬寺から偉いお坊さんが訪ねてきた。彼女が鞍馬山であったこと、サナート・クマラのことを話すと、鞍馬山で修行することを薦められ、入山した。2年間の修行で彼女は女性の阿闍梨第一号になった。

 そういう話が『命をつなぐ』(畑田天真如著 桃青社、2007/10/2)という本に書かれてある。

 

手乞いという神降ろし

・実はこのとき、彼女は神降ろしをしたのだった。

 神道のもともとも形を天真如さんは行なっていたのだ。神々のパワーを乞い願い、人を慈しみ、愛することが古代神道の理想だった。僕も頭の中の知識としては知っていたが、まさかこれがそうとは思い至らなかった。あの相談セミナーの最中に、天真如さんは僕に神様を降ろしていたのだ。それが古神道で神様を降ろす作法を示す「手乞い」というものだった。それは日本武道の原型である相撲の源流に当たるとされる作法で、神様を降ろし、そのパワーと混じり合うことで、人を癒すことができるとされたものだった。

 

ロシア正教の武術「システマ」の神降ろし

・僕が道場で教えている冠光寺眞法は、キリストが残してくれた活人術だ。その基本は愛魂、すなわち「汝の敵を愛せよ」の一言に尽きる。

 カトリックにはこの法灯が消えずにかろうじて残っていて、スペインにあるモンセラート修道院の修道士たちが、荒行と称して修行をしていた。近代になってその活人術を受け継ぐ修道士が少なくなり、モンセラート修道院では修道士としての必須活動として、二つの活動の中からどれか一つを選択しなければならなくなった。一つはグレゴリオ聖歌を歌うこと。グレゴリオ聖歌は独特の雰囲気のある聖歌で、修道士たちはとても甲高い声で天上の歌声を披露する。もう一つは荒行と称する一種の武術を修行すること、このどちらかを求められた。キリスト活人術の流れを汲むのは荒行のほうだった。

 近年ではほとんどの修道士がグレゴリオ聖歌のほうを選択している。

 

・だが、運のよいことにはロシア正教のほうにはミカエル・リャブコ師のロシア武術、「システマ」が残っている。ロシア正教ロシア革命の時代にはほとんど根絶やしにされた。ロシア正教に残っていた荒行である活人術が格闘技として強力な効果があることに革命後のソビエト陸軍が着目し、幸い、その部分だけはソビエト陸軍の特殊部隊・スベッナツの格闘技として取り入れ、特殊部隊の兵隊向けに修道士たちによる指導を継続させていた。それがずっと残ってソビエト崩壊後ロシアとなった今も、ロシア軍の特殊部隊でいまだにそれを使っている。指導していたリャブコ師が退官後、一般向けに「システマ」という名前で広げ、ロシア武術として世界的に知られるようになった。

 

医者たちの神降ろし

・それでも僕は気に興味を持っていて、実際に気功治療を何度か受けたことがある。すでに30人くらいの気功家から気を用いた施療を受けたが、その中で僕自身が「うわぁ、これは何だ!」と思ったのは、一人か二人。それ以外はよくわからなかった。「どうですか、これは感じませんか?」あるいは「体の奥から何かを感じてきませんか?」とささやかれたが、「先生、すみません。僕は鈍いものですから」といつも謝っていた。

 岐阜の土屋靖子先生はすごかった。年配の女性気功家で、うつむきになってくださいと言われ、そうしていたら、断わりもなしにいきなり電極をビビッと当ててきた。かなりの電流が流れて、とっさに僕は「なにをするんですか、やめてください!」と叫んでいた。振り返ってよく見たら、遠くから手をかざしているだけ、電極などは当てていない。これは本物だと思った。

 

神降ろしをする医師たち

・別の脳外科の女医さんは、「私はカトリック信者なので、『アベマリア』を唱えています。すると確かにうまくいきます」と話してくれた。

 

植芝盛平の新しいイメージ

植芝盛平は若い頃、大東流合気柔術中興の祖として知られている武田惣角に出会い、その指導を受け、さらに大本教出口王仁三郎に出会うことで開眼し、合気道を創始した。

 

大先生のパワーの根源はサムハラ龍王だった

・北海道の原野で農地の開拓に取り組んでいた植芝盛平は、大火によって開拓地とその家屋一切を失った。開拓団員数百人が被った大災害だった。折しも父の病のため帰郷する途中、京都府下・綾部に立ち寄り、大本教教祖出口王仁三郎に出会う。父の死後、心機一転、わが身を信仰生活に求め、一家挙げて磯部の大本教へ移住した

 出口王仁三郎の絶大な信頼を受け、「お前の武術は大東流ではなく、合気道と名乗れ」と告げられる。以来8年間、師の片腕となり、大本教の鎮魂帰神その他の幽斎修行、顕斎修行に務める。

 

・九鬼神流の免状をもらって創った合気道の正確な名前は、「九鬼武産(さむはら)合気道」だった。これが植芝盛平合気道の最初の名前だ。

 

神様につながった電話

サムハラ神社の歴史

植芝盛平の守護神となったサムハラ龍王は、江戸時代から弾除け、刀除け、災害除けの神様として知られていた。サムハラ神社の根本神社の根本神社は岡山にあったが、祭神のサムハラ龍王は宇宙根源の神である造化三神天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高皇産霊神タカミムスビノカミ)、神皇産霊神(カムムスビノカミ)の総称であるという。僕は心を込めて拝礼し、お守りを一つ授かって財布にしまった。

 

サムハラの威力

・大阪のサムハラ神社は戦後になって田中富三郎という岡山出身の人物が興した。もともとサムハラ神社の根本社は岡山の津山市の加茂という田舎にあったが、それを勧請するかたちで現在地に祀った

 明治元年、賀茂村に生まれた田中富三郎は、13歳のとき大阪で丁稚奉公に入った。

 

・昭和26(1951)年、田中は加茂にではなく、自分が拠点にしていた大阪で許可を受け、サムハラ神社を興した。今日では、めったに訪れる人はいないが、加茂の根本神社もちゃんと整備されて「奥の院」として祀られている。

 

雷と黒雲に追いかけられたサムハラ神社・奥の院> 

・村に入ると、なんとなく村人がつれない。迷惑そうな表情だ。

 昔の事件が関わっていた。軍当局がお社を燃やしたのでサムハラの神様が怒って祟りがあったと、いまだに語り継がれている。「津山事件」といわれる日本の犯罪史上いちばん凄惨なもので、犯人は斧、改造猟銃、日本刀で村人30人をつぎつぎに殺して最後に自らの心臓を猟銃で打ち抜いて自殺したので、合計31人に死者となった。横溝正史はそれをネタにしてあの『八墓村』が生まれた。犯人が自決したので真相は誰にもわからない。これが祟りだということになって、村びとは聞かれても外部の人間には教えない。だからサムハラ神社の奥の院の場所をよそ者には教えてくれない。

 

マリア様からの伝言

・初めてサムハラ神社の奥の院に行き、僕らが雷や黒雲に追いかけられた一部始終をすっかりご存じの方がいた。奥の院から帰った翌日、九州の宮崎県からわざわざ、「マリア様からの伝言です」と、それを伝えに訪ねてこられた人がいた。大学内にある書店に勤めている女性のお姉さんだった。ご主人を伴って夫婦で岡山まで僕を訪ねてこられたのだ。

 

・宮崎から来たその女性はあるときふいに声を聞くようになった。いわゆるチャネリングだ。彼女には、はた迷惑だった。チャネリングは自分が望んだことではない。ただ、そういう声がふいに聞こえるようになった。イヤなのだが勝手にくるので仕方がない。信心や神様に興味があるわけでもない。でもやってくるから仕方がない。ご主人もすっかり諦めている。

 

保江邦夫の役目は終わった

・マリア様からの伝言の内容がなんともすごい。

 ただ、その内容の中核について他言無用だと念を押された。だから、ここでも内容は公表できない。まあ、中核そのものではない部分だけをご紹介しておくが、それでも僕にとっては驚くべきものだった。

マリア様は今まではヤスエクニオを守ってきてくださったのだが、これからもずっと守り続ける」という。

 

・「92歳?」僕がオウム返しに尋ねたのは寿命のことだった。92歳!

 ということは62歳以降のヤスエクニオにはマリア様の愛で本来の魂がよみがえるということだろうか。

 それで忙しくなる、今までの百倍忙しくなる。マリア様がアレンジして、マリア様が無条件の愛で僕を守る。本来の魂がなすべきだったことを、これからはヤスエクニオの体で実際に行なう。それを承知してほしい――それが伝言のポイントだった。

 

金色の柱が立っている?

・それ以来、会う人みんなが、「若くなったんですか?」と言いはじめる。「そんなことないよ」と返すのだが、本当にそう言われることが増えた。

「え、なにがあったんですか?」「金色の柱が立っています」「渦が巻いて、まるで龍が登っているみたいです」などと言う。

 

サムハラ神社の奥の院に行ってきたことで、ひょっとして植芝盛平と同じ状況になっているのかなと思った。植芝盛平も神様が降りてきてわが身が金色に光り輝いたと自ら語っている

 好奇心もあって、稽古の途中でちょっと神降ろしを試してみた。サムハラ神社の奥の院でサムハラ龍王が憑いたとしたら、何も考えなくても、何もしなくてもそれができるだろうと思ってやってみた。本当にできてしまった。これは神降ろしそのものではないか。相手をしてくれたのは矢頭さんという体格のよい師範で、後で彼に聞くと、「今まででいちばん激しかった。“愛する”技は柔らかくて気持ちがいいけれど、これは本当にぶっ飛ばされて怖いほどの威力だった」と言う。どうも、植芝盛平に憑いた神様と同じサムハラ龍王が憑いたようだ。

 

サムハラさんのお守り

・人混みや満席を避けたい僕はそんなことを考えながら、大阪で降りて、そうだ、もう一度大阪のサムハラ神社に行くのがなぜかいいと思ったのだ。その日は木曜日。せっかくだから木曜の午後が仕事休みになっているガイド役だった卒業生に「大阪のサムハラ神社に行く?」と尋ねると、ぜひ行きたいと返事があった。新大阪駅で待ち合わせ、御堂筋線本町駅で降りてサムハラ神社に向かった。

おや、また黒雲が出てきて、突風が吹いてきた。

 

・充分な時間をかけて祝詞を上げてくださった。終わって本殿を出ると、神主さんが片付けはじめていたが、神社の全体を見ようと後ろを振り向いた。するとまた卒業生の目が潤んでいる。またうるうるの目だ。祝詞を上げてもらったせいか、また彼女にサムハラの神様が降りてきたのだ。

「早く、早く」と卒業生にせかされて、真っ昼間から二人は神社の前で手を握り合う。参拝している人たちの目が気になったが、神様を僕にした卒業生は、「あ、よかった」とケロッとしている。そういえば彼女は道場でもいちばん早く「愛魂」ができるようになった門人だった。神様のお通りを感受しやすい人なのかもしれない

 

・そういえば最近、僕の目はうるうるしているらしい。門人の吉野太さんが、僕の目がいつもと違うと言う。彼の判断では、純愛状態の少年の目だということだった。なるほど当たっているなと思った。純愛、これこそ神様の視野の目なのだ。

 

霊験あらたかな神社

合気道の開祖植芝盛平にはサムハラ神社のサムハラ龍王が降りてきた事実が潜んでいるのだという話を少林寺武道専門学校での教え子にあたる横田和典君に伝えた。彼は若くして少林寺拳法六段を取り、他の武術にも秀でて、業捨(ごうしゃ)もすぐできるようになった。横田君に「少林寺の稽古をするとき、お守りの指輪をはめてするといいよ」と言うと、彼は興味津々で、早速奥さんと子供さんの四人で、大阪のサムハラ神社で正式参拝してお祓いをしてもらい、お守りの指輪を手に入れた。

 

神様につながった電話

・僕は神様に会ったことはない。だから本当に神様を信じているのかというと、実は頼りない話になる。僕は物理学者だし、いちばん信じられるのはなんといっても方程式。神様と方程式、どちらを信じるかと聞かれたら、当然方程式と答えてしまうだろう。その方程式をこの額の裏側に映してくれたのは神様なのに、やはり方程式を信じる。そんな僕が神様と電話でつながってしまった。

 

絶対調和の世界――木内鶴彦さんに教わったこと

あの世から見たこの世

・そのキーになるのがあの世なのだ。あの世からこの世を見たら、どうなるのだろう。あの世にいたことのない我々には直接知りようがない。だけど、あの世からこの世を見てきた人がいる。木内鶴彦さんという彗星研究者だ。

 

・たとえばピラミッド。あれがどのようにして造られたのか、以前からずっと真実を知りたいと思っていた。だからこのチャンスとばかり、木内さんは定説どおりの4千年前のエジプトに行ってみた。でもすでに工事は完了していた。そうか、もっと古い時代の建造なんだと思って、工事をやっている最中とおぼしき6千年前のエジプトに飛んだ。そこで、巨大なあのピラミッドがどういうふうに造られたのかをつぶさに見て、彼は納得した。

何百トンもある巨石を、当時、反重力エネルギーという技術があったとしか思えないほど、簡単に持ち上げ積み上げていた。また巨大な岩石は、鑿やカッターで切り出されたものではなく、岩を細かく砕いて粒子状にして、それを立方体の枠型にいれ、特殊な薬剤を加え結晶化させるという方法で造られたものだった。だからきわめて正確なサイズとしてでき上がり、カミソリの刃が入る隙間もないほど密に重ね合わせることができた。

 

・さらに彼は中国で劇症肝炎になり、二回目の臨死体験をした(都合三回、彼は死んでいる)。二回目のときはもう慣れていた。いったん死んでしまうと、あちこちに行けるとわかっていたので、もう不安はない。いままで科学者としてもっと知りたかったことを、このチャンスのうちにやってみようと、ありとあらゆるところへ行った。

 

生命誕生の瞬間を見た人

・いちばん感動したのは、生命が誕生した瞬間を見たことだった。

 

そこで近未来に行ってみた。見ると、あった。普通の電池くらいの大きさの原子力電池があった。

 近未来には照明も、電気自動車も、冷蔵庫も、すべてに原子力電池が使われていた。大きなものを動かすには、もう少し大きな原子力電池が使われているだけで、電線などはすっかり消えていた発電所も見当らなかった福島の放射能残土のような固まりで作った原子力電池だけですべてが動いていた。照明装置などは少なくとも10年間入れ替えなしだった。何もかもが電池だけで動き、車は5年に一度電池を替えるだけですむ。近未来がそういう世界に変わっていることを確認して、木内さんは再びこの世に戻ってきた

 

実は、原子力電池はすでに実用化されている

 アメリカが1960年代に打ち上げた、ボイジャーやパイオニアなど宇宙探査機のエネルギー源がそれだ。普通の人工衛星や宇宙探査機は太陽電池パネルを搭載している。しかし太陽からどんどん遠ざかる宇宙探査機にはそんなものを積んでも意味がない。原子力電池は、放射性同位元素から出る放射能としてのベータ線、つまり電子を一方向に集めて電流にしてしまう装置だ。打ち上げから60年たった今でも、ボイジャーやパイオニアは地球に向かって電波を送っている。

 

・そういえば岡山県のサムハラ神社・奥の院の先にある人形峠には、日本で唯一のウラン鉱床があり、「日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センター」という組織が営まれている。僕も興味があって、二、三度行ったことがある。

 

生死を判別する方法

・そんなことを話している間に、僕の頭にアイディアがどんどん出てきて、そうかと閃いたのが、絶対調和だった。

 神様が絶対調和の一部を自ら崩して、その崩れた状態を元に復旧するプロセスを楽しむ――それがこの宇宙の動きだとする。その過程を楽しむために、神様がこの絶対調和の一部を崩したとする。崩された部分も絶対調和の一部分だから、その崩された部分から見ている視点もあるに違いない。あたかもその崩された部分の当事者として、その部分から見たり感じたりする、その部分のありのままを見ている神様がいる。

 そういう存在とは何だろう?そうなのだ。それが僕たちの魂だ。魂は絶対調和そのものだと思った。

 

・調和を崩され、混沌から復旧する動きが始まる。

 物質や動物はひとまずおくとして、少なくとも僕らはこの崩された世界の中で存在している。そこにはAという人、Bという人、僕つまり保江邦夫という人間もいる。そこからこの崩された絶対調和が復旧していくさまを、リアルタイムに見ている視点がある。まるで「現場からお伝えします」と叫ぶアナウンサーのように。

 崩された絶対調和が復旧していくさまを、Aから見ている世界。Bから見ている世界。僕である保江邦夫が見ている世界、がある。その世界からも同じように認識されているように思えるが、本当のところはわからない。僕が見ているこの世界と、Aが見ている世界と同じかどうか、それはわからない。たぶん似ているのだろうが、そのものズバリではない。

 

木内さんのこのストーリーを元に、僕はあの世から見たこの世の構造を示す理論を組み立てた。それを数字でいえば、「多様体」という構造だ。数字をやっていたらわかるだろうが、ある一点から見た世界と、隣の点から見た世界は違う――というもの。そういう数学上の空間構造がある。あ、そうか、これは多様体なのだと気がついた。

 

・宇宙というのは木内さんが言ったとおり絶対調和の世界で、人間に魂というのは、絶対調和の一部が崩された現場から中継している。これもすなわち絶対調和なのだと気がついた。つまりキリストが言ったように、神様が個々の魂の中にいる。それぞれに神がいらっしゃるのだ。それこそ絶対調和だ――そうかそうかと僕は嬉しくなって、そんな連鎖思考を続けていた。

 

あの世で、この世が生まれる

木内さんは「あの世でこの世が生まれる」と言った。

 その意味を僕なりに数学の枠組で理論づけしたのが、先ほどの多様体という構造。つまり、この世は僕なりに数学の枠組みで理論づけしたのが、先ほど多様体という構造。つまり、この世はあの世の中に埋め込まれた多様体として説明できるのだ。あの世の中でこの世の生まれ方をよく考えていくと、我々はいったい何なのか、これからどうなるのか――ということが、論理的に、思考を組み合わせることによってわかる。木内さんが見てきた見聞録を元に、今の世界を再現する理屈が作れるのだ。

 

ポアンカレというフランスの数学者・物理学者もそうだ。彼は衛兵勤務から帰って兵舎で休んでいたときに、ある難解な定理が忽然と閃いたのだった。

 なぜそんな、異常な精神状態の人間の心の中に浮かんだもので、宇宙の形、宇宙の成り立ち、宇宙の中の物質の動きが記述できるのか。

 この世の成り立ちが、本当に純粋に、単なる物質的な反応のみで成り立っているなら、そんなことは絶対に起きるはずがない。偶然にだって起きない。ところが実際は、そんなことが頻繁に起きている。シュレーディンガーにも、僕にも、ガウスにも、ポアンカレにも起きている。人間の精神活動、心の中で生み出された、しかもなんの根拠もない閃いたそんなものが、なぜ世界の成り立ちやその構造すべてを解明できる方程式だったり定理だったりするのだろうか。

 

あの世は何でできているのか

・木内さんは、あの世は意識でできていると言った。あの世を作っているものは、意識。

 僕は魂と呼びたいが、ここは彼に従おう

 意識というものがある。これはライプニッツモナド理論、量子論に近い。とにかく意識というものがある。意識があるから、意識できる。個別の意識という意味ではなく、普遍意識とか神の意識、絶対調和、そのような表現に近い。その意識が、「退屈」になる。

 木内さんも三度死んでいるからわかったどうだが、死んだら退屈。なんでも思いどおりにできる、それではつまらないそうだ。あの世の実体である意識が、つまらないからつまるようにしようとして、その意識の中に、ディスターバンス、つまり擾乱、グチャグチャに崩れた部分を創る。

 あまりにもあの世が平々凡々で、シーンとしていて、普通で、どこに行っても同じで、おもしろくない。そこであの世の存在、つまり意識が、意識の自分自身を一部分グチャグチャにした。グチャっとした意識が平々凡々な意識に戻ろうとする、その戻る動きの部分、それがこの世。「あの世」の中のグチャグチャに散らかった部分、それが自然に整頓された方向に戻っていく。その動きが、我々がこの世と認識しているものだという。

 グチャグチャっとなったものが、素粒子になり、それが組み合わさって原子核になり、電磁場になり、光になる。そのグチャグチャが元に戻る動きの中に、この世、この宇宙の成り立ちのすべてがある。

 そのグチャグチャした部分がどう戻っていくか、あの世の意識はわかっている。だがおもしろくするためにせっかくグチャグチャにしたのだから、おもしろくしなければならないので、グチャグチャになった意識に集中していく。それが我々個々の意識

 だからもともと同じ、あの世の均一な意識。

 だから本当はみんなつながっている。

 昔はみんなつながっていることがわかっていた。だんだんつながっていないと思い込むようになって、僕らは他者や他の物とは離れた独立な存在であるかのように感じはじめ、やがて今日のような乖離が生まれてしまった。

 

結局は、僕が僕だと思っているこの意識も、あなたがあなただと思っている意識も実は同じもので、それはあの世そのものなのだ。あの世の一部でもなく、あの世そのもの。僕の意識も、あなたの意識も、実は同じものだ。脳が自我、アイデンティティを勝手に生み出して、自己防御本能で納得させて、自分というものを作り上げて、他人と自分とは別物だと思い込ませているから、わからなくなっているだけなのだ。

 僕やシュレーディンガーの体験のように、極限状態までいくと、本当に、そこは遥かかなたにある「あの世」なのだ。あの世そのものだから、「この世」の中でグチャグチャになった僕らがどのように動いていくのかわかるのは当然だ――と僕は木内鶴彦さんからそんなすごい真実を教わったのだ。

 

我をなくすと神様が降りてくる

普通に生きる――秘伝中の秘伝

・結局は普通に生きる。それが僕の目指すところだと思うようになった。

 

・普通の人生、普通の暮らし、普通の収入、普通の交友、普通に生きて普通に死ぬ――つまらないけれど、きっとこれが生き方の極上の秘伝なのだ。「普通」は秘伝だった。これが正解だった。だから目指すべきは、普通の人間。

 

だから僕は岡山を見直しつつある。近くはサムハラ神社の奥の院桃太郎伝説吉備真備、和気清麿も出た。それもすごいには違いないが、その文化の中に堂々と「普通」を賛美して、「普通がいちばんええんじゃ」というスピリットがもっとすごいと思う。開成高校や灘高、ラ・サールの目標に「普通」はないと思う。

 岡山に生まれたものの僕は岡山人の普通の人生を歩んでいない。

 

・元に戻ろう、絶対調和に戻ろうとする自分に気づく、絶対調和こそ「普通」なのだ。秀でてて優れていることではない。普通はなるほど退屈だが、その退屈な普通に戻ろうとする自分にあらためて気づく。

 

美保神伝合気の誕生

・2014年6月16日。僕は東京道場で指導している「愛魂」の名前を、普通に「合気」の名称を使って「美保神伝合気」と呼ぶことにすると宣言した。

 出雲の神様、美保神社で素晴らしい恩恵を授かったからだ。