『月刊ムー 2019年2月号』とネットから引用。
【好評連載中】月刊ムー「松原照子の大世見」今月のテーマは「新型インフルエンザが発生し、パンデミックが宣言される!?」
『月刊ムー 2019年2月号』とネットから引用。
「月刊「ムー」で、松原照子が「不思議な世界の方々」から得た情報を編集部が調査していく〈松原照子の大世見〉を連載中です。
2月号(2019年1月9日発売)のテーマは、「新型インフルエンザが発生し、パンデミックが宣言される!?」です。
原稿用紙に向かうと、自然に鉛筆が動いていくという松原氏。サラサラと書いた文章は「この数十年間、私たちが経験したことのなかったようなウイルスが発生し、人から人へと感染して大流行する」。「フェーズ6」という数字も見えたとのこと。
これらが意味するものとは? パンデミックは発生するのか? 詳しくは、ぜひ2月号をご一読ください。
<松原照子の大世見>
<松原照子が中国を発症とする新型ウイルスと2020年のパンデミックを予言>
<「フェーズ6」この数字が見える‼ >
・鳥から豚へ、そして人間へと感染する新型インフルエンザ。スペイン風邪のウイルスを発端として、鳥や豚が持つウイルスが幾重にも絡みあい、新種のウイルスが誕生するのに、それほど時間はかからないような気がしています。
それは大気が大きく変化しているからです。とくに中国の大気汚染は、都市部のなかでもネズミが出やすいような環境下において、深刻なウイルスをつくりあげていくでしょう。そうした環境の中で暮らす人々は病院にも行けず、新型ウイルスと戦う免疫力もないために、ひとたび広がりはじめたら驚くようなスピードで感染が拡大していきそうです。
「フェーズ6」この数字が見えています。
それほど遠くない未来、パンデミック宣言が出されて、世界中を震撼させるでしょう。
皆様を怖がらせたいわけではありません。これが現実の世界であり、人間の生活環境が変化していくのに合わせて、ウイルスもまた、生き残りをかけて進化しつづけているのです。豚由来のウイルスが変質するだけではなく、その他の生物に由来するウイルスも、進化しようとしているように思います。
ぜひとも大成功を収めてほしい東京オリンピックが2020年に迫っています。夏に発生しやすいように思えるこうした新型ウイルスが、2020年に発生しないことを願います。
私たちは、この地球を人間が独占していると錯覚していますが、もしかしたらそういう傲慢さが、ウイルスを元気づけているのかもしれません。その証拠に、5000万人もの死者を出したスペイン風邪がはやったのは、第1次世界大戦のまっただなかでした。
――スぺイン風邪とは、アメリカを発端に、1918年3月から翌年にかけて世界中で大流行したインフルエンザ。当時の地球人口は20億人未満だが、感染者数5億人、死亡者数は5000万以上とされている。流行の当初は軽症だったものの、夏ごろから致死性が高くなった。日本でも国民の4割に相当する2300万人が感染し、39万人の死亡者が出た。スぺイン風邪のために第1次世界大戦の終結が早まったともいわれる。
・2018年の夏は酷暑つづきだったので、体をクーラーで冷やしすぎています。どうか皆様も、ご自分の体に気をつけてくださいね。帰宅した時に、うがいと手洗いをする習慣をつけておくのは、予防としてもよいことです。
『100歳まで読書』
「死ぬまで本を読む」知的生活のヒント
轡田隆史 三笠書房 2019/11/8
<年を取ると、たしかに「読書はちょっと大変だ」。>
・文字は読みにくくなるし、集中力も長くはつづかない。
時間だって、意外と思うように取れないことも多い。
だから、ちょっとした工夫や発想転換が必要だ。
<なぜ「100歳まで本を読む」のか?>
・カンタンにいうなら、ちゃんと死にたいからだ。
「ちゃんと死ぬ」とは、どう死ぬことなのか?
最後のさいごまで知的に、豊かに、静かに自分を保ちつづけ、自分はこの世界のなかの、どこに位置していて、どのように生きてきたか――を、それなりに納得して、死ぬことではないだろうか。
そのためには、だれに相談するよりも、書物に相談するのがいちばんだろう。
・本を読んでいるとき、人は孤独である。孤独にならなければ、本は読めない。
それは、自分のこころの奥を静かにのぞきこむ、貴重なときであるからだ。
そうやって人と人の、孤独の魂は結びついてゆく。そこに孤独というものの楽しさがある。ただはしゃいでいるだけの精神は長つづきしない。孤立してゆく。
そもそも、だれだって「あの世」に行く時は、お経だとか聖書だとかいった「書物」の朗読によって送り出されるのである。どんなに読書の嫌いな人だって、最後まで書物の世話になるのだから。
<だから、ぼくは死ぬまで本を読む>
- 本は最後まで、人生のよき相談相手になってくれる
- 老いると、たしかに読書はちょっと大変だ
- 一日の読書は、新聞記事を読むことからはじめたい
- 読むたびに、何度でも感動できる本がある
- あなたには、死ぬまで読んでいられる本があるか?
<「100歳まで読書」の基本ルール>
- 「書評」を読むのだって立派な読書だ
- 本の「拾い詠み」こそ、極上の「暇つぶし」
- 本は「ちゃんとした死に方」まで考えさせてくれる
- 三たび、「本に出合う喜びを知る」
- 「それでもこれまでと違う世界の本を読もう」
<こんな読み方、楽しみ方もある!>
- 好きな「詩歌」を一つくらいは持ちたい
- 図書館ならではの本の読み方、活かし方がある
- お酒を飲みながら――こんな読書会もあり
<本が人生に与えてくれるもの>
- 「笑う読書」に福きたる
- まことに愉快な「無知の自覚」
- 「書く」ことで、読書はもっと面白くなる
- 古本屋台――ぼくの“妄想的”蔵書の処分法
- 「読書」は「希望」への道筋を示してくれる
- だから、100歳まで本を読もう
<本は最後まで、人生のよき相談相手になってくれる>
・死ぬまで本を読む。
なんだかすごい覚悟だなあ、と笑われそうだが、老いたるジャーナリストのいうことだから、妄想と持ってくださってもけっこうだ。
ただし、なぜそんなにも「読む」ことに執着するのか?
そう問われれば、それなりの答えは持っているつもりだ。
一つには、ぼくは知能指数が低いからだ。
・国語や歴史などはなかなかの成績だったから、ぼくとしては本をいわば「相談役」として、もっぱら本に教えられるという道をヨロヨロと歩くようになった。
・新聞記者という職業を選んでから、「一を聞いて十を知る」のは危険であり、「十を聞いて一を知る」と心得ているべきだと信じるようになった。
十を質問しても、やっと一、二がわかればいいほうだ。一を聞いて十を知ったような気持ちになるのは、ただの思い込みだ、と。
<死ぬまで読むとは、死ぬまで質問しつづけること>
・とはいえ、人に質問する機会も時間も限られている。時と場所を選ばず、いつだって読むときに質問することのできる「相手」こそ書物であることも知った。
だから、「死ぬまで本を読む」というのは「死ぬまで質問しつづける」というに等しいのである。
それこそ無数にある質問のなかで最も普遍的で、最も難しい質問はなんだろう?
それは人それぞれだろうが、ぼくの場合は「なぜぼくはこの世に生まれてきたのだろうか?」「死とはなんだろう? 死ぬとどうなるのだろう?」といったあたりだ。
どちらも「答え」の出にくい質問だ。ことに「死」については、死んでもわからないのである。
・「死後の世界は未知の国だ。旅立ったものは一人としてもどったためしがない」
どちらの質問もじつは人類の文化・文明の歴史がはじまってから、無数の人びとが考えつづけ、答えを求めてきた質問である。
唯一の正解というものはない。ただし、多くの人びとをそれなりに納得させる「力」を持った答えはある。宗教である。
・われわれは、お経や聖書という書物の記述と、その朗読によって「あの世」に送られるわけだ。
つまり「死ぬまで本を読む」どころか、「死んでも本を読んでいる」のである。「読み聞かされている」のである。
人びとがあまり本を読まなくなったという「本離れ」が進んでいるらしいけれど、人間は死んでも本を読むことから離れられないのである。
だって、動物で書物を読むのは人間だけである。
<老いると、たしかに読書はちょっと大変だ>
・「人生100年時代」のいま、「100歳まで読書」について、学者や作家や評論家など、読書が仕事そのものである人びとが、すでにいろいろ書いている。
・ぼくがこのような人たちと決定的に違うのは、ぼくは格別の読書家でもなければ評論家でもなく、いわばサラリーマンとして新聞記者をやってきただけの人物であることだ。という意味では、ごくふつうの「読書人」である。
<まことに愉快な「無知の自覚」>
・「馬齢」とは、年齢のわりにはこれといった成果を上げなかった自分の年齢をへり下って表現する言葉だ。
馬にはいささか申し訳ないことだけれど、まあ勘弁してもらうとして、ぼく自身をふり返ると、まさに「馬齢」としかいいようがないことを知るのだ。
他人との会話によって知ることもあるけれど、本を読めば読むほど、知らなかったことに次から次へとぶつかって、思わずウームとうなってしまう。
83歳にもなったくせに、まあなんと無知なことよと、われながら感心するほど。
・なぜならば、「知らない」ことを自覚した瞬間とは、それまで知らなかったことを知った瞬間でもあるわけだから。
「無知の自覚」といえば、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「私の知っているただ一つのことは、私は何も知らないということだ」と語ったという。
<世の中は「知らにないこと」だらけである>
・梅原さんの『人類哲学序説』のなかで、ぼくの大好きな宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』と、かつて山形県内を旅したときに心に刻みつけた「草木国土悉皆成仏」という古い言葉が、とても大切にされているのはうれしかった。
・年を取れば、いろいろ学んで「無知」の世界は狭まるはずなのに、ぼくは広がっていくばかり。まことに愉快である。
<「書く」ことで、読書はもっと面白くなる>
・「僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してしかものを考えることのできないタイプの人間なので(抽象的に観念的に思索することが生来不得手なのだ)……」
大作家の例を引き合いにして語るのはムチャかもしれないけれど、多くの人びとも程度の差はいろいろあるにしても、「抽象的に観念的に思索することは生来不得手」だろうと勝手に思う。もちろんぼくも。
だから、ちょっとメモしながら考えると、考えをまとめやすいことを経験しているはずである。
・読書とはそのように、文字をたどることによって次から次へと、さまざまな場面を思い起こしていく作業である。
それをメモしてみれば、「考え」は次第にカタチあるものになり、まとまっていくのである。
こうして書物は「読む人」を「書く」行為に誘っていく。
<読んだ本の内容をこんなふうに要約できたらすばらしい>
・「生きる」とは、日々、さまざまな事物を自分なりに「要約」しながら暮らしていくこと、というのがぼくの考えの基本的な出発点だった。
だから、読書感想文を書こうとするなら、まず感想は抜きにして、読んだ本の要約を書いてみることをおすすめする。
それも、長さをはじめから「400字で」とか「800字で」というように、字数を制限しておく。「書く」という作業は、「要約」する作業なのである。
<考える力とは「なぜ?」を突きとめること>
・重要なのは、「なぜ?」という問いかけである。
「読む」のも「書く」のも「考える」行為であり、「考える」行為とは「なぜ?」と問いかける行為なのである。
・その本は、世界文学の祖ともいうべきイギリスの詩人・劇作家、シェイクスピアの「ハムレット」のセリフを巻頭に掲げている。
「考える心というやつ、もともと4分の1は知恵で、残りの4分の3は憶病にすぎないのだ」
・人類はいまだって、「なぜであるか、まだ知らない」ことに囲まれているのである。「100歳まで読書」すれば、ああ、こんなことも知らずに生きてきたのだ、という思いにとらわれるだろう。
すでに語ったように、「世の中は知らないことだらけである」ことを、いまこそ知ったのだという喜びにひたれるだろう。
だからいまもこうして読書をつづけているのである。
<古本屋台――ぼくの“妄想的”蔵書の処分法>
・ぼくみたいなあやしい蔵書と違って、立派な蔵書家の場合、内容が立派だから、学校などで引き取ることもあるだろう。
しかし量や内容はともかく、ある程度の蔵書があれば、どう処分したらいいのか、だれだって大いに困惑する問題である。
ある年齢に達したら、もう購入しない、と決心する。必要なものは図書館を利用するというのが、一つの方法だろう。
もちろん、図書館は老人のためにある、ぐらいの気分で大いに利用すべきであるし、どこでも利用者の便を大いに図ってくれている。
本に囲まれていれば「孤独」もまた楽し、の心境に安住できる。
・そのときふと手にしたのはマンガだった。『古本屋台』という題名が気になったせいである。原作・久住昌之、画・久住卓也で集英社刊である。
表紙には、おでんやラーメンの屋台そっくりの屋台が描かれて、男が二人立っていて、ソフト帽の男は一杯やっており、もう一人は本を読んでいる。
・帯には「この漫画、渋い…渋すぎる……!」とあり、さらに「本の雑誌が選ぶ2018年度ベスト10・第1位」とも記されているではないか。
『孤独のグルメ』の原作者による、本好きに贈る異色コミック――であり、「屋台で古本を売っているこの店は、オヤジが一人で切り盛りしている。珍本奇本がそろう、マニアにはたまらない店だ」とも書かれている。
「『100歳まで読書』のルール」みたいに、こちらにも「古本屋台のルール」というのがあるらしい。
「1、 白波お湯割り一杯100円。お一人様一杯限り。2、ヘベレケの客に
酒は出さない。3、騒がしい客には帰ってもらう。ウチは飲み屋じゃない。本屋だ」というのだ。「白波」というのは有名な焼酎である。本と酒の好きなサラリーマンがどっぷりと漬かっていく。
<「読書」は「希望」への道筋を示してくれる>
・大石とぼくは昔からの友人だ。
ぼくはベトナム戦争などをヨロヨロと取材していただけなのに、彼女はベトナム戦争も、中東などの戦争も流血も、その渦中にあった子どもたちや女性の姿、現実も、確固たる足取りで取材して回っていた。
その結果は、何冊もの写真集や文章に結晶している。ヨロヨロのぼくは、その書物を手にするたびに叱られている気分になる。
<「絶望の物語」が私たちに教えてくれること>
・村上が世に出た最初の作品、『風の歌を聴け』にあった、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」というくだりである。
読書は循環する。あるいは、木霊(こだま)し合う、といってもいい。
・書物は「絶望」という名前の現実を記録して、だれでもその気になれば読むことを可能にしてくれる存在である。
「絶望」の物語を「読む」ことによって、人間は「希望」への道を模索することができるのである。
「読書」は「希望」への道筋を示してくれる灯火なのである。
<だから、100歳まで本を読もう>
・佐々木さんは、ニュース映画製作の草分け「日映新社」に参加したりしたあとブラジルに渡り、9年間、飲食店を営んだあと、1988年、日本人移民の最も多いサンパウロで私設図書館を創立した。
1993年に帰国して今日に至る歴史は興味深いけれど、異国に「私設図書館」を創立したというのは、すごい!
そのことでわかるように、佐々木さんの歴史の出発点は、書物であり読書なのだ。
<人間に死はあっても、読書に死はない>
・「書物は人間が創り出したさまざまな道具類の中でもっとも驚嘆すべきものです。ほかの道具はいずれも人間の体の一部が拡大延長されたものでしかありません。たとえば、望遠鏡や顕微鏡は人間の眼が拡大されたものですし、電話や声が、鋤や剣は腕が延長されたものです。しかし、書物は記憶と想像力が拡大延長されたもの」
・佐々木さんがかつてサンパウロに創設した図書館もニューヨーク公共図書館も、わが家の近くにある小さな公立図書館も、みんな記憶と想像力の広がりの広場であり、多くの孤独な魂が結びついていく広場なのだ。
<ぼくの読書は、まだまだつづいていく>
・『吾輩は猫である』を中学、高校、大学時代にも読んだ。70歳のころにも読んだ。読むたびに、年齢に応じて「猫」は違うものになっていった。それぞれが「別の本」になっていったと思っている。
85歳になったら、また読もう。90歳になったら、100歳になっても「ぼくは死ぬまで本を読む」。
人間に死はあっても、読書に「死」はないのである。だから、死んでも読書は続けられるのである。
ぼくの読書は、内容は貧しいかもしれないけれど、量だけは、まあ300歳ぐらいまで読みつづけられるほどはあるはず。
このように、読書をめぐる83歳の妄想は限りなく楽しい。
「さらば読者よ、何歳になったって元気でいこう。絶望するな。では、失敬」
<本は雄弁である>
・いい書物は死なない。ぼくが生まれた年に死去した英国の詩人・ジャーナリストのチェスタトンも、ぼくが新聞記者になった年に世を去った永井荷風も、さらにいえば大昔の藤原定家もシェイクスピアも、ぼくのまわりに生きている。
従軍記者として戦場を歩いた父は、敗戦についても「8.15」以前に知っていたに違いないと、ぼくは確信しているが、父は無言だった。
しかし残された蔵書に、たとえば『高見順日記』などがあることに、ぼくは父の無言の意思を感じる。これは太平洋戦争の敗北の日記なのだから(その要約版に文春文庫の『敗戦日記』がある)。
このような本による無言の意思がぼくを元気づけてくれる。本は雄弁である。
『ニッポン 未来年表 』 AIとITで今後どうなる ⁉
洋泉社MOOK 2019/5/13
<なくなるかもしれない仕事>
■AIだけで完結する仕事 ■高度な知識が必要なもの ■長時間、継続的な監視が必要なもの
経理、コールセンターのオペレーター、タクシー運転手、上級公務員
飲食店の皿洗いや掃除係、秘書、レジ打ちやチケット販売員
箱詰めや積み下ろしなどの作業員
<生き残る可能性が高い仕事>
■何もないところからモノを生み出す仕事 ■専門ではなく複合的な業務
スポーツ選手、エンジニア、医師、建築家・インテリアコーディネーター
芸術関係の仕事、交通機関の管理者、動物園・遊園地、マスコミ関係
<AIの発展で仕事がこう変わる ⁉>
・(AIはこれが得意!)データの中から最適なものを選び出す。データの処理と正確性。データを照らし合わせて共通点を見つけること。
・(AIはこれが苦手)新しいものを生み出す創造的な作業。文章を解釈して問題解決すること。「なんとなく」というような「あいまい」なものに答えを出すこと。
(AIの発展によって期待すること)
・ヒューマンエラーの解消
・難易度の高い手術が手軽にできる
・自分が今いる場所に宅配便の荷物が届く
・適材適所の職場が実現できる
・AI家電製品の進化で、家事負担が減る
・省力化・省人化が進む
・労働時間が減り、生活にゆとりができる
・自動運転によって、移動がより安全で便利になる
(AIの発展によって不安に思うもの)
・設備投資にお金が掛かる
・人間が退化する
・仕事全体の量が減る
・失業者が増え、経済が悪化する
・システムエラーによる事故や混乱が生じる
・いつかAIに支配される?
・結果がひとつになるため、何もかも同じになる
・自分が使いこなせるかわからない
<新しくできる仕事>
財務アドバイザー、データクリエィター、ゲノム・リサーチャー、
AI環境エンジニア、遠隔医療技師、AI事業開発責任者、
ドローンパイロット、コミュニケーター、ノスタルジスト、
3D再現エンジニア
<ニッポン未来予測 2020-2040>
<2020 農業 AIとIT化で収穫高アップと完全自動化を目指す>
・AIが管理する農場では、育成から農薬散布、収穫までを自動化できる
<2021 投資 人の判断力のスピードではAIと対峙することは不可能に>
・一瞬の判断力が求められるヘッジファンドではAIのひとり勝ち
・2016年の夏に刊行された『人工知能が金融を支配する日』(東洋経済新報社)という本のなかに、AIやロボットを駆使して成功できるのは、そのようなアプローチに本当に長けている一部のスーパーヘッジファンドに限られることが説明されている。そして、市場はそうしたファンドに独占されるおそれがあることが懸念される。例えばブリッジウォーター、ルネッサンステクノロジー、ツーシグマなどである。それから3年を経過して現在、残念ながら、シナリオ通りの展開になってきている。ヘッジファンド全体は落ち目になっているが、AIやロボットの使い方を熟知する彼らだけは元気である。
<2022 コミュニケーション AIが人の知能を超え感情を持つとそこに恋愛感情が生まれる?>
・現在はビッグデータからの選択で回答しているAIだが、未来には感情に似たものが生まれるかもしれない
<2025 スポーツ AIとITのタッグで予測データは『楽しむため』から『勝つため』のものに>
・AIが選手の怪我や選手の素質、成長までを予測
<2025 流通 GPSとドローンが連動して個々のいる場所に荷物が届く>
・AIとGPSの連動による無人配送が実現、人手不足も解消される
<2026 教育 家庭教師のような役割を果たすAIが教師を凌駕する可能性>
・AI教師の出現は子どもたちの個性を伸ばし、それぞれにあった未来を生む
<2027 介護 ビックデータを司るAIが管理するロボットで自立生活へ>
・見守りロボットとセンサーの普及で、健康管理から不慮の事態までを予測
<2020 住宅 AIとセンサーの連動で実現されるスマートホーム>
・IoT住宅が、人の健康管理もカバーする
<2029 建設 新3Kを掲げた労働環境の改善とICTの全面活用で効率化が実現>
・I-Constructionの導入後の建設業界では人材不足の解消だけではなく、安全性も確保される
<2030 人事 時間と場所を選ばず、性格分析を済ませたデータから人材を選ぶ>
・個人情報をビッグデータ化することで実現する真の適材適所
<ニッポン 未来予測 2040-2050>
<2040 自動車 自動運転の完全自由化で、空飛ぶクルマが実現?>
・自動運転とエアロカーの未来はセンサー技術とIoTが切り拓く
<2040 医療 ICTと思考する頭脳コンピュータが医療の現場に変革をもたらすか?>
・医療の未来は医師をAIとロボットが補助し、より高度な治療をいつでもどこでも受けられる
<2040 放送メディア ライフスタイルとハードの変化でテレビの価値はどうなる?>
・TVとネットが融合し視聴者が好む番組企画をAIが製作
<2041 モビリティ 人や物の輸送手段が劇的に変わる!IoTとAIによるモビリティ革命>
・AIが管理する交通網によって時間ロスや混雑が減少。快適な通勤や移動が実現する
<2041 生活 生活スタイルをサポートする統合型家事ロボットが登場>
・AIが家電や設備を統合制御し、家族のライフスタイルを支える
<2042 軍事 ハイテク兵器の普及によって、軍拡競争・地域紛争・テロはどうなる?>
・戦争やテロはAIによって人間の手を離れ、より悲惨な状況を生み出しかねない
<2045 芸術 AIが創造性を刺激し芸術に新しいジャンルを生む?>
・AI自体が芸術作品を創り出すと同時に人間の想像力を刺激し、新しい芸術を生み出す原動力となる
<2050 漁業 AIによる天然魚管理がなし得る漁業と養殖業の融合化>
・ベテランと同等のキャリアがあるAI漁師が誕生し、漁場や漁獲管理もまかなう
<10分でわかる ニッポンの業界未来予測>
<I-Construction>
2020年 人手不足に悩む日々
2030年 ICT健康での作業が増える
2040年 職人とAIの工事担当割合が同程度になる
2050年 計画以外はAIが家やビルを建てる ⁉
<投資>
2020年 トレーダーが手腕を振るう日々
2035年 人の判断力のスピードではAIについていけない
2040年 トレーディングはAIが独占する
2050年 市場では大変動がなくなるが、小さな幅の動きでAIが利益を生み出す⁉
<医療>
2020年 人の手では時間のかかる手術が多い
2042年 AIとVR、3Dスキャナーの発展で再生治療が活発になる
2050年 AIとICT(情報通信技術)が医療の未来を変えていく!
<コミュニケーション>
2020年 AIとは機械的な会話しか成立していない
2040年 AIに感情や知性のようなものが芽生える?
2050年 AIと感情のある対話が可能に
<教育>
2020年 AIはデータ処理のみに活用されている
2030年 AI教師が登場し、子どもたちの個性が伸びる
2050年 人とAIがタッグを組んだ教育界が生み出されている
<介護>
2020年 人の手による介護で家族も疲弊する
2040年 地域包括ケア体制の環境が整い、AIとの連携がはじまる
2050年 AIが健康管理をすることで介護負担が著しく減る
<住宅>
2020年 スマートスピーカーが普及しはじめる
2042年 IoT住宅の普及がスタンダードになる
2050年 総括的に人を守るAI住宅が誕生する ⁉
<農業>
2020年 後継者問題など深刻な人手不足
2028年 生産の各工程で自動化が進む
2035年 生産管理をAIでまかなうようになりはじめる
2050年 農業就業者はシステム管理者へ移行する ⁉
<漁業>
2020年 海の環境と水産資源の解明に着手
2030年 魚種ごとの回避データが揃いはじめる
2040年 遠洋漁業で獲っていた魚が沿岸部で獲れるようになる
2050年 生け簀となった大洋の魚を計画的に水揚げ!
<自動車>
2020年 運転ミスなど人的事故が絶えない
2030年 自動運転の法整備が進む
2040年 交通機関で自動運転が使用開始
2050年 自動運転が生活時間のさらなる効率化を加速
<放送メディア>
2020年 ユーチューブなどメデァの形に変化が現れる
2035年 インタ―ネット放送が地上波を追い抜く勢い
2050年 番組内容や視聴者対象を細分化し、多チャンネル放送でTVは生き残る
<モビリティ>
2020年 自動車による交通事故や渋滞が絶えない
2030年 環境汚染とは無縁な自動車が誕生する
2040年 先進国以外でも自動運転導入
2050年 電動・自動運転車によって人間の移動手段が大きく変わる?
<アート>
2020年 感性と経験、技術が芸術を生み出す
2035年 AIが個人に特化した芸術を簡単に制作
2050年 芸術はより身近な存在になり、AIを超える新たな芸術が誕生する?
<スポーツ>
2020年 選手は故障やスランプに苦しんでいる
2030年 AIの分析による練習メニューで怪我を予防
2040年 AI分析によってチームの勝敗が左右される
2050年 AIの分析データがスーパースターを見つけ出す
<2045年、AIに何かが起こる SF映画の世界は空想ではない ⁉>
<実際にシンギュラリティが引き起こされる可能性はあるのか>
<人知を超えたAIが生まれる可能性はあるのか>
・シンギュラリティ(2045年問題)と呼ばれるこの問題は、「技術的特異点」を意味する。
・近年で似たような問題として記憶に新しいのは2000年問題だろう。西暦でカウントされてきた西洋文化では、0化されることでシステムが誤作動するのではないかと警戒されていたものだが、実際には何も引き起こされなかったに等しい。
<シンギュラリティを迎えてAIが脳を超越する可能性>
・この仕組みを模倣したのが、ニューロコンピュータなのだ。人の脳は、約140億もの神経細胞の集合体だが、仮にこれと同じ数のニューロンを持つコンピュータが実現すれば、知性のあるコンピュータが出来ても不思議ではない。遺伝的に神経細胞の数に限界がある人と比べて、一度これに並ぶニューロンを備えたコンピュータが出来てしまえば、10倍の数を持つものが生まれるまで時間の問題と考えることができるだろう。
ただし、未来に絶対はあり得ない。