日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

2027年、日本がウクライナのようになる――。これは決して、脅しではありません。私が本気で心配している「迫りつつある危機」です。総理や国会議員、周囲の人々にも必死にそれを伝えています。(1)

 

 

(2023/6/21)

 

 

 

 

『知らないと後悔する日本が侵攻される日』

佐藤正久  幻冬舎新書  2022/8/24   

 

 

 

すでに戦争は始まった。日本侵攻は2027年か

平和主義は大いに結構。でも敵はかまわず攻めてくる

2027年、日本がウクライナのようになる――。

 これは決して、脅しではありません。私が本気で心配している「迫りつつある危機」です。総理や国会議員、周囲の人々にも必死にそれを伝えています。

えっ、日本が侵略されるの? 日本で戦争が始まるの?「絶対にそうなる」とは言いません。でも、その可能性は高いと言えます。

 そうならないように、私は働いています。私たちの祖国、日本を守るために。

 

ロシアだけではない。北朝鮮、そしてどこよりも強大な中国

・2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。

 

・日本はプーチン大統領やその家族の個人資産も凍結したので、アジアの他の国々よりも強い態度に出たと言えるでしょう。

 プーチン大統領からすれば「日本は俺に喧嘩を売った敵国」と映るわけです。

 つまり、日本はもう戦争に加わってしまったのです。

 

ヒゲの隊長から政治の現場に。私にしか言えない戦闘の真実

・事実、狙撃の情報は1日に5~6回は入ってきました。とても悔しいですが、親しい同志だった外務省の参事官・奥克彦さんが命を落としました。日本のメディア関係者が亡くなる事件も起きました。

 

日本がなぜ狙われるのか。地図を見たら一目でわかる

・しかしながら今、日本が抱える領土問題の多くは、相手の一方的な主張によるものです。

 

中国が尖閣諸島を欲しがる理由。沖縄の獲得も視野に

・中国からすれば、太平洋に出るためには沖縄を抜けていきたい。ところが、沖縄や南西諸島が点在し、横長に蓋をしている。日本を丸ごと手に入れるのは無理だとしても「せめて尖閣は欲しい」とか「本当は琉球諸島も欲しい」と思っている訳です。

 

逆さ地図で一目瞭然。ロシアが北方領土を返さない理由

プーチン大統領の本音は「北方領土を返すどころか、北海道も欲しい。あわよくば青森も獲ろう」なのです。

 

「戦争なんて起きない」。何の根拠もなく安心していていいのか?

・ここからわかるのは、彼らは欲しいと思った地域は奪い獲りにくるということ。侵略の屁理屈などは、いくらでもつけられるという事実です。

 

ロシアはなぜあれほどウクライナに苦戦しているのか

ウクライナの意外な強さ。過去の失敗に学び、兵力を増強

・2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。攻め込んだロシアはおそらく「短期決戦」を想定していたはずです。

 世界中がそう思っていたことでしょう。

 

キーウは簡単に落とせる ⁉ なめ切ったプーチン大統領の誤算

・そういう過去を知っているため、ロシア、というよりプーチン大統領は「ウクライナは簡単に落とせる」と踏んだのでしょう。つまり、慢心していた。なめ切っていたのです。彼は「首都キーウは早ければ数時間、長くても3日くらいで陥落できる」という腹づもりでいたようです。

 

戦力の集中と分散。戦い方の基本を無視したロシア軍

・ロシアがウクライナをなめ切っていたことは、当初の攻め方を見ればすぐにわかります。

 

・ロシア軍の攻め方は、愚の骨頂でした。なぜなら、戦いにおける最も大事なセオリーである「戦力の集中と分散」を無視していたからです。

 

・今回のロシアの攻め方を見て、多くの軍事専門家は、首を傾げたと思います。私も同じです。「今回は我々の知っているロシアではない」と。

 首都キーウの郊外にある町・ブチャで虐殺が起こったことも、我々からすれば信じられない暴挙です。計画性がまったく感じられないのです。

 

ブチャの民間人虐殺。日本と対峙する極東部隊の所業か

・実は、ブチャの虐殺を行い、街を破壊し尽くした部隊は、いつもは日本の目の前にいる極東部隊と思われます。

 

・私も自衛官時代、零下10~20度の酷寒地で訓練をしたことがありますが、外にいるのは地獄です。戦車も装備も鉄製のため氷のように冷たい。

 

混乱する戦場。大虐殺はFSBの指示なのか?

・もちろん、私はロシア軍の行為を正当化したり、兵士たちに同情したりしているのではありません。むしろ逆です。過酷な戦場では、めちゃくちゃなことが起こり得る、と言いたいのです

 

・でも、裏を返すとこうなります。有事の際には、そういう練度の低い、めちゃくちゃなことをする“ならず者部隊”が日本に乗り込んでくる、と。

 

・しかし、ウクライナ軍は想像以上に手ごわく、目論見通りにはいかなかったという訳です。

 ブチャの虐殺は、そういうロシアの焦りの現れなのかもしれません。FSB(ロシア連邦保安庁)が乗り込み、部隊に虐殺を指示したという話もあるからです。

 

SNS時代の戦争。市民も兵士の一人になる

・市民がブチャで停滞するロシア軍の動きを撮影し、SNSで通報する恐れがある。ロシアとすれば、それは許せない。苦戦や戦争犯罪を世界中に知られたら、大国の威信は揺らぎます。スマホをもつ市民は「通信兵」のような存在で明らかな敵なのです。「面倒だ。抹殺すべきだ」という判断が働いたことは、想像に難くありません。

 

ウクライナの幸運。過去の戦い方で臨んだロシア軍

・やはり、過信と慢心と言えるでしょう。過去のチェチェンやシリアの戦いでは、空爆が主で、地上軍を壊滅させた後で掃討部隊が乗り込んでいった。しかし時代は変わったのです。新たな戦い方への準備が明らかに不足していました

 

ロシアの混乱と苦戦。中国はそれを教訓にする

・いずれにしても、ロシアは現段階では、その「新たな戦い方」の導入に失敗しました。

 

習近平の目論見。戦いの火蓋はすでに切られた

・大事なのは情報をどう活用するか? そして情報をどのように流すかもインテリジェンスです。

 

ロシアは体力が低下。中国はロシアと北朝鮮を利用する

・このように、相手の側に立って考えることは戦いの基本です。中国から見れば尖閣諸島は台湾の一部。日本はすでに「有事」と言えるのです。

 

平和があたり前 ⁉ 日本の壁。ウクライナ侵攻の三つの教訓

ウクライナは今回、身をもって、三つの大切なことを教えてくれました。

 一つ目は、自分の国は自分で守らなければならない、ということ。

 世界は常に危険に満ちています。いつ何時、誰が攻めてくるかわかりません。「いざ有事」となった時には、自分で自分の身を守るしかないのです。

 

・二つ目は、同盟を強化し、盤石なものにしておかねばならない、ということ。

 

・三つ目は、自分の国を自分で守る国でなければ、他国は応援しない、ということ。

 

・すべてを撃ち落とすのは不可能です。また、軌道を変えながら飛んでくるミサイルを撃ち落とすのは容易ではありません。

 

・なぜ、彼らは他国に攻め入るのでしょう?それは自分の国を広げたいからです。自らの影響力を拡大したいからです。自分の力が及ぶ範囲を広げれば、経済も政治も有利になるからです。これを「覇権主義」と言います。

 

ロシアは北方領土を返すつもりはない

ロシアははるか遠い国。なんて思っていませんか?

択捉島国後島色丹島歯舞群島北方四島は、歴史的な事実からも国際法に照らしても、明白な日本の領土なのです。

 

「たかが北方四島」などと言うなかれ。甘い顔を見せてはいけない。>

・1956年には「日ソ共同宣言」がなされ、カタチの上では国交は回復しましたが「平和条約」は成立していません。つまり戦後75年以上が経過した今も、ロシアとの間の戦争は終わっていないのです。

 

ロシアが北方領土を手放さない理由。米海軍の進出を防ぎたい

・そんな要所でもある北方四島を、あの強欲なプーチンが簡単に明け渡すはずがないのです。

 

冬でも凍らない北方四島の海。太平洋に出てアメリカと戦いたい

・「オホーツク海の蓋」はとても長く、自由に出入りができそうなのですが、実は、千島列島の海は、冬には凍ってしまいます。つまり、自由に出入りできるのは北方四島の海だけなのです。こんな大事な島を、ロシアが返すはずがありません。

 

北海道にはなぜ米軍の基地が置かれなかったのか?

・一つ不思議なのは、北海道に米軍基地がないことです。ロシアを牽制するには、北海道に米軍基地は不可欠と思えます。なぜ、それをしなかったのか?

 ひと言で言うと、ソ連との間合いを取るためです。

 

北海道での日米共同訓練。ロシアが猛反発

・訓練は「その日に備える」だけではありません。「力がある」と見せつけることは、相手の暴走、暴挙を牽制することにもなるのです。

 

ロシアが日本に侵攻する日。どこから来る、国民はどうする?

・でも、今はこうした威嚇が精一杯だと思います。もちろん一瞬の油断も見せてはなりませんが、ウクライナで苦戦が続き、日本に侵攻するほどの体力は残っていないと思われます。

 

・今回のウクライナ侵攻では、極東部隊がベラルーシに移動し、そこからキーウに入っていきました。ブチャでは虐殺も行ったこの“悪名高き”極東部隊が、日本侵攻の主力になることは間違いありません。

 

ロシアの腹づもり。北方領土を返すつもりはない

ロシアに対する備え。今、国民一人ひとりが考えるべきこと

・ロシアはやはり、私たちとは考えが違う国なのです。そういう国が隣にある。だからこそ「いつ戦争が起きてもおかしくない」という思考で備えないといけないのだと私は思っています。

 ウクライナの二の舞になってはいけない。悲惨な思いを日本国民には、絶対にさせてはいけないのです。

 

相次ぐミサイル発射。北朝鮮の本当の狙いは何か?

・「世界の目が離せません。ウクライナに向いている隙に撃ってしまおう」という考えもあったかもしれません。しかし北朝鮮の本当の狙いは、アメリカの関心を引くことです。

 

北朝鮮核武装。体制を維持するには核にも頼る

北朝鮮はすでに核兵器の実験にも成功しています。そして「攻撃対象はアメリカ、韓国、日本だ」と法律でも定めています。恐ろしくないですか?

 

抑止力とは何か。力をもたなければ相手は抑えられない

・日本は「反撃力」をすべてアメリカに頼っています。本当にそれでいいのでしょうか?「日本にも反撃力が必要」という昨今の議論は、こういう話をしているのです。

 

北朝鮮のミサイルが、日本の本土を焼き払う。そんな悪夢はあり得るのか?

・意外に思うでしょうが、日本政府には、北朝鮮に対する省庁横断的な専任部署がありません。大きな危険をはらむ国がすぐそこにあるのに、なおざりです。

 

今この瞬間にも、日本は射程内。150~200発が狙っている

・「在日米軍」と「在韓米軍」は、それぞれ違う役割をもっています。実はこの二つは「併せて一つ」のユニットなのです。

 

なぜ韓国に米軍が置かれたのか?そこから見えてくる脅威

・「フィリピン-台湾-韓国-日本-アリューシャン列島」がアメリカの新たな防衛ラインとなり、韓国がその最前線になったのです。

 

朝鮮半島の二面性。刀にもなれば守りにもなる

・ちなみに、アメリカはなぜ、海軍や海兵隊を日本に置いたのか?

 それは朝鮮半島に置いたら、動きを察知されてしまうからです。

 

ミサイルは防御できない ⁉ マッハ5以上で飛ぶ極超音速ミサイル

新たな防衛システムの構築に出遅れないために

・しかし安全保障は待ったなしなのです。早急に課題を解決しながら防衛力を高めていかねばなりません。本書でお伝えしているような現状を、みなさんが理解するのと、何も知らないのとでは、物事の進展は大きく変わってくると私は思っています。

 

レーザー兵器の実用化。実弾を必要としない画期的兵器

・いずれにせよ「待ったなし」の状況下にある日本が、どのように自分を守るのか?それは政治家だけではなく、私たち一人ひとりに突き付けられた喫緊の課題なのです。

 

北朝鮮弾道ミサイルが日本を直撃。ロシア・中国が連動する ⁉

・私は予言者ではありませんから“その日がいつか?”という問いには答えられません。しかし私は政治家ですから、国民を守らなければなりません。危険なものに対しては「危険だ」と強く訴えることが私の務めです。

 

北朝鮮が単独で日本に侵攻してくることは、現状では考えにくいと思います。ただし、日本人を拉致した国であることを忘れてはなりません。工作員は日々入ってきており、何らかの諜報活動をしていると考えるのが自然です。

 

中国は台湾の次に尖閣を狙う。その時、日本は!

中国のミサイルの現実。沖縄・嘉手納基地への仮想攻撃

・「8:250」という数字があります。これは2020年に行われたと判明している限りのミサイル発射弾数です。「8」は北朝鮮。「250」は中国。中国の異様な多さがわかるでしょう。

 

専守防衛のためのミサイル配備。中国の一人勝ちを許さない

・中国には今、地上発射式のミサイルが2000発以上あります。

 

・日本にできることはないのか?今考えられるのは「スタンドオフミサイル」です。

 

・無論移動式なので、北海道から西日本に移動すれば中国内陸のミサイル基地にも届きますし、北海道からでも北京は射程圏内に入ります。

 

海が陸地化している2022年の世界。島国日本はどうやって国を守るのか?

・それに加え「QUAD」や「TPP」、「IPEF」などが多角的に結びつきます。

 

台湾有事とは何か。なぜ中国は台湾を護りにいくのか?

・台湾も含めての「東シナ海の蓋」は、軍事的にも経済的にも、非常に大きな意味をもつからです。中国が、尖閣諸島や台湾を強引な論理で「自国のもの」と主張するのはこのためです。

 

・このように、海をもつことは“戦略上”とても有利なのです。

 

台湾有事になれば、日本には石油が入ってこない!

・日本は石油の9割以上を中東から輸入しています。

 

・台湾有事、つまり中国が台湾に侵略戦争をしかけたら、どうなりますか?

 

台湾有事はいつ起こる? 2027年に緊張はマックスになる

・「台湾有事」という言葉を耳にする機会が増えました。でも多くの日本人はピンとこなかったでしょう。しかし前項で話したように「台湾有事は日本有事」なのです。さらに直接、攻撃を受ける可能性もありますが、それについては後述します。

 

ずばり“その時”はいつか?早ければ2027年、というのが私の“読み”です。

 

しかし「最悪のシナリオ」を想定して、リスク回避に備えておくことも、私の仕事だと思っているのです

 

中国の覇権主義。油断したら根こそぎ奪い取られる

・しかし中国の欲望は、今に始まったことではなかったのです。

 ざっくり話します。例えば1953年。中国は南シナ海に「九段線」と呼ばれる破線を引き「ここは2000年前から中国のものだ」と主張。馬鹿げているので、周辺国が相手にしないでいると、中国は実力行使に出ました。

 

世論を味方にしながらの横暴。世界が中国に振り回されている

・まさに、今回のロシアがウクライナにしたようなことを、中国は南シナ海で行っているのです。

 

・中国は、こうして各国との結びつきを深め、「親中」の国を増やしています。国際社会の“世論”を味方にしながら“横暴”もしているのです。

 

南シナ海を護った理由。核ミサイル搭載の潜水艦が隠れている

・しかしそれ以上に、南シナ海を「潜水艦の聖域」にしたかったのです。

 

昨日の南シナ海は明日の東シナ海尖閣諸島は完全にターゲットになる

2027年有事危機。なぜ習近平は、この年に動くのか?

・台湾有事があるとしたら2027年の可能性が高い――。

 私がそう言うのは、2027年が習近平国家主席の4期目を決める年だからです

 

中国は短期決戦を挑む。用意周到にしかけてくる罠“三戦”に注意

・中国が台湾統一に動くとしたら、短期決戦を挑む――。今回のロシアのウクライナ侵攻を見て、習近平国家主席も改めてそう決意したはずです。

 

・さらに中国は、用意周到に「三戦」もしかけてくると思います。三戦とは「世論戦」「心理戦」「法律戦」の三つで、中国が戦いで重要と考えている要素です。

 

中国は台湾をどう攻めるのか? 宮古八重山も戦場と化す

・外交や防衛、安全保障は「相手の立場になって考える」ことが基本です。もし私が習近平国家主席だったら、台湾をどう攻めるか、考えてみました。

 

台湾有事はまさに日本有事。なぜ沖縄にミサイルが飛んでくるのか?

・どうやって沖縄基地を叩くのか?ミサイルを飛ばすのが手っ取り早い。つまり、台湾有事は沖縄有事、さらには日本有事なのです

 

・ちなみに、沖縄には在日米軍のおよそ70%が集中しています。米軍基地は沖縄各地にあり、その面積は沖縄本島の15%を占めています。

 

台湾有事の避難経路を確保。先島諸島の人々を逃がす際の大問題

・また、国民の保護、台湾にいる法人や外国人保護のための法整備にも動いています。

 

戦争に常識はない。台湾からの避難をどうするか

・台湾には約2万5000人の日本人が住んでいます。コロナ禍以前には、旅行者は年間190万人、1日換算5000人ほど。日本人だけで3万人以上です。

 台湾有事になれば、この人たちの救助と避難を行わねばなりません。

 

・有事には、想定外のことが次々と起こります。平時の常識は通用しないのです。

 

まったく新しい戦争と人間

戦争は新たな時代に突入。ハイブリッド戦とは何か?

・そして今、戦争はさらに新たな時代に突入しました。今回のロシアとウクライナの戦いでは“新しい戦争のカタチ”がはっきり見えたと思っています。

「軍事」と「非軍事」を組み合わせた“ハイブリッド戦”です

 

・非軍事戦とは、ひと言で表現すると「情報」を使った戦いです。

 

兵士の損耗率ゼロでしかも安価。ドローンが戦争を変えた

・もう一つ“ハイブリッド戦”のリアルな話をします。2020年、アゼルバイジャンアルメニアの間の実例です。両国ではナゴルノ・カラバフ地域を巡り、30年以上も紛争が続いていましたが、この時はハイブリッド戦を駆使したアゼルバイジャンの圧勝に終わりました。ドローンやスマホを巧みに使い“電波戦”で勝ったのです。

 

ハイブリッド戦をなめたツケ。功を焦ったロシア軍の失敗

・今回、ロシアが短期決戦に失敗した大きな理由の一つ。それは、侵攻した最初の段階でウクライナの対空火器を叩かなかったことです。

 

・また、電波塔などを叩かなかったことも失敗でした。

 

中国の殺人AIドローン。自ら目標を発見、攻撃する

・2020年、中国が公開した「小型自爆ドローン」の映像は、とてもショッキングなものでした。

 

・中国の小型ドローンはAIを使った“自律型”です。

 

半導体が国の興亡を分ける。人体を破壊するナノ兵器

アメリカは今回、ウクライナに「スイッチブレード300」という小型ドローンを提供しています。

 

・そして台湾のメーカーではすでに、3ナノメートル集積回路が開発されています。

 

・中国が台湾を統一したい理由には、半導体やICの技術欲しさもあるのです。

 

統制・専制国家が強い理由。AIの分野での軍民融合

・軍民融合が“統制・専制国家”ほど行われやすいのは当然です。

 

機械と機械の戦いの先に。簡単に戦争が始まる未来

・そして、人間を無視した「機械と機械」の戦いは、今後、さらに恐ろしい世界をつくる可能性があります。ロボットが人類を征服する世界です。規制をしたくても難しい現実がそこにあります。

 

情報戦の新たな可能性。ウクライナを救ったスターリンク

・“情報戦”は新しい戦争のカタチですが、いい意味で大きな可能性を示してくれました。情報を利用すれば、1か国ではなくて、国境を越え、軍・民の枠をも超えて世界中が相手になるのです。

 逆に言うと、情報戦は大きな「抑止力」にもなり得るということです。

 

統制・専制国家の優位。民主主義では情報統制ができない

・片や中国では「データセキュリティ法」が2021年に成立し、民間が保有するデータを政府が吸い上げることが可能になりました。

 

相手の脳を攻撃する。認知領域での激しい情報戦

・人間は情報に左右される生き物と言えるでしょう。今回のロシアとウクライナの戦争でも、相手の脳に訴えかける“認知領域での情報戦”がくり広げられています。

 

偽情報、偽旗への対応。VPN回線を使って情報を守る

・中国やロシアでは、それだけ情報の統制を重視しているということです。友人に送った個人動画が盗まれ、悪用される危険もある。これは恐ろしいことですよね。

 

日本の近海と原子力潜水艦。長期潜航によって島国は陸も同然

・とはいえ、やはり原子力潜水艦をもてば、安全保障上の大きな力になることは間違いありません。

 

世界平和実現を絵空事にしないために

日本小さな国ではない。世界が日本を大国と見る理由

日本の大きさは、世界で61番目です

 

・「領海」や「排他的経済水域」(EEZ)まで含めたら、日本は世界で何番目?領海とは「その国の海」と認められた範囲、EEZは「権益」が及ぶ海域。つまり他国に邪魔されず、自由に行動できる海域のことです。

 ここまで含めると、なんと日本は「世界で6番目」の大国になるのです。

 

国同士の“陣地争い”。海に囲まれた日本も巻き込まれている

竹島なんて譲っていい ⁉ 中途半端な考えが日本侵略の第一歩になる>

・小さい島だから、無人島だから譲ってもいい、などと思うのは大間違いなのです。

 

ウクライナ危機の嬉しい誤算。欧米は危機を自覚してまとまった

自国を守る科学技術を育てる。総合安全保障という考え方

・最後にもう一つだけ「総合安全保障」という言葉を覚えておいてほしいと思います。防衛や外交だけでなく、経済安全保障、エネルギー安全保障、食料安全保障など、トータルで考えるのが総合安全保障です。

 

あとがき

北朝鮮に限りません。日本を取り巻く状況は、日増しに緊張を高めているのです。2月24日のロシアのウクライナ侵攻以来、危機感の高まりが加速しているのは確かです。

 

ロシアのウクライナ侵攻により、実質的には、第三次世界大戦の幕が開いたと言えるかもしれません。残念ながら日本はすでに、その渦中に放り込まれてしまったのです

 

 

 

 

 

(2022/3/5)

 

 

 

『「反核」愚問』

日本人への遺言  最終章

日下公人    徳間書店   2018/2/28

 

 

 

渡部昇一氏を悼む」

・周知のように、渡部先生はみずからの信じるところを誰に遠慮することもなく素直にお話しになる。周囲の雑音などはまったく気にしない。左派リベラルからの批判など歯牙にもかけない。そうした意味でも、渡部先生はわれら保守派のシンボル的存在であった。

 ところが、その渡部昇一先生が2017年4月17日、思いがけず急逝されたのである。満86歳であった。

 

・先生の方が少し年長と分かったので、これからはずっと弟と思ってください……死ぬまで……と申しあげたのが始まりで、それから今日まで約40年、先生の波瀾万丈の人生をおそばで拝見させていただいたのは望外の幸せだった。

 

米朝緊迫は「チキンレース」と心せよ

メディアは危機を煽りすぎていないか?

・私がいま、ちょっと辟易しているのは「トランプは先制攻撃を仕掛けるか?」「核戦争は始まるか?」「日本は核武装すべきか?」……といった議論が日本のマスメディアに溢れかえっていることです。北朝鮮が東アジアの“台風の目”になっていることは事実ですが、少し騒ぎすぎではないかと思います。あるいは、危機の煽りすぎではないかと見ています。

 

北の「核ミサイル開発」vs.米韓の「斬首作戦」

戦争を「道徳」で考える平和主義者たちへの危惧

・ここで私なりの考察を加えておけば、日本という国は世界のなかで少々異質なところがあるように思います。どういうことかというと、日本人は「平和」がノーマルな状態で、「戦争」はアブノーマルな状態だと思っているけれども、欧米人はそれとは逆に考えているということです。彼らは「戦争」こそがノーマルな状態で、「平和」はアブノーマルだと感じています。

 

・ところが、ヨーロッパ大陸に目を向けると、16、7世紀に形成され始めた主権国家同士が領土争いや宗教的対立からしきりに戦争をしています。戦争と内戦はほぼ日常化し、16世紀のヨーロッパでは戦争がなかった時期はわずか10年。17世紀になると、平和な時期はたったの4年(!)でした宗教戦争、内乱、農民一揆……と、戦乱が相次ぎ、1618年から48年まで続いた「30年戦争」では、いまのドイツが悲惨な状態に陥っています。

 30年戦争というのは、ヨーロッパで覇権を確立しようとするハプスブルグ家とそれを阻止しようとする勢力との権力争いであると同時に、カトリックプロテスタント宗教戦争でもあったため、憎悪の炎がいっそう燃え盛り、もうむちゃくちゃな殺し合いとなりました。30年間も戦乱が続いたので、1648年に平和条約が締結されたとき、ドイツの人口は30年前の3分の1以下になっていました。60%以上の人口が消えた(!)のです。なくなってしまった町や村の数は100以上、ともいわれています。

 

・たとえば、ヴェルテンベルクだけでも1634年から1641年までに34万5000人が殺され、チューリンゲン地方の19ヵ村1773世帯があったところでは、たった316世帯しか残らなかった。これはほんの1、2例にすぎず、数百という村落がまったく地図から姿を消したのである。

 

・30年戦争はそれほど凄惨な戦いでした。そして、そんな戦争が日常化していたのがヨーロッパ大陸です。そういう歴史を有しているから、欧米人は「戦争」がノーマルで、「平和」はアブノーマルだと捉えているのです(もちろん口ではそんなことは申しません)

 

それに対して欧米人の暮らすヨーロッパ大陸は地続きですから、いつ国境の向こうから敵が攻めて来るか分からない。そうなれば、ただちに戦争が始まる前述したように、16世紀に戦争がなかった時期はわずか10年、17世紀に入ると平和な時期はたったの4年でした。したがって、彼らは平和が長く続くとは考えない。そうしたDNAが彼らの体にも、社会にも沁みついている。「戦争」の状態がノーマルなのだから、欧米人は戦争になっても日本人のように逆上することは少ないのです。

 

米朝対立は究極のチキンレース

・私に言わせれば、いま世界では4か国がすくみ合っている状態です。言い方を変えるなら、4か国がチキンレースを行っている。それゆえ、どこの国も動けなくなっている。チキンレース」というのは、ご承知のように、度胸のよさを競い合うゲームです。

 

付け焼刃の「日本核武装論」を嗤う

・しかし、長谷川さんや私のような冷静な意見は少数派です。現在の米朝対峙はチキンレースであるから大事に至ることはないという意見はほとんど見当たりません。テレビや月刊誌を見ると、明日にも“第二次朝鮮戦争”が勃発するかのような報道や見出しが躍り、いろんな方々が急ごしらえの「日本核武装論」を打ち上げています。

 

四輪がイビツだった「戦後日本」という車

・ただし、ここへきてアメリカで「日本核武装論」の声が高まっているのはそう悪い傾向ではありません。なんとなれば、米朝緊迫という東アジア情勢を別にしても、「自主防衛」は国家の基本だからです。その自主防衛のなかに「核武装」というオプションが入ってくるのはなんら例外的な話ではありません。

 振り返れば、日本が自主防衛に立ち遅れたのは戦後日本の青写真を描いた宰相・吉田茂が「経済復興第一主義」を貫いたからです。流行の言葉を使えば、「経済フォースト」だった。国家という車には、政治、経済、外交、国防という4つの車輪が必要ですが、戦後日本は「国防」という車輪がきわめて小さかった。そのままでは真っ直ぐ走行できないはずでしたが、アメリカが日米安保条約で「国防」という車輪に下駄を履かせてくれたので、どうにか走り続けることができたのです。

 

・今回の北朝鮮問題でも同じようなことがいえます。自分の頭でチキンレースの実態を分析しないから、メディアが右往左往したり、世の不安を煽ったりすることになるのです。

 メディアだけではありません。「ポスト安倍」を狙っていると見られる石破茂・元地方創生相もここへきて、しきりに「ニュークリア・シェアリング」を唱えています。

 

ニュークリア・シェアリングというのは、NATO内で核を保有していないドイツ、ベルギー、イタリア、オランダがアメリカの核兵器を共有するシステムです。アメリカと核兵器を共有し、軍備を提供し、核兵器を自国内に備蓄する国を「ホスト国」と呼び、以前はカナダ、ギリシャ、トルコがこのホスト国に入っていましたが、現在は上記4か国だけです。

 ホスト国は自国の基地内にアメリカの核兵器を配備しますが、平時において核をコントロールする「キー」を握っているのは米軍です。

 

アメリカで台頭する「日本核武装論」

田中宇(さかい)さんという国際ジャーナリストのニュース・レター「国際ニュース解説」9月10日号によれば、多くの識者がいろんなかたちで「日本核武装論」を展開しています。

――タカ派国際政治学者のウォルター・ラッセル・ミードは、ウォール・ストリート・ジャーナルの9月4日付に「トランプは日本の核武装を望んでいるか」という論考を載せています。

《日本の核武装に対する米政府内の意見は分裂している。日本の核武装を阻止したほうが米国の覇権を維持できると考える人と、日本が核武装し、つられて韓国や台湾も核武装したほうが中国の台頭を抑止できるし、日韓から米軍が撤退できて防衛費を節約できるので好ましいと考える人がいる。トランプ自身は後者だ

 

――米海軍のジョ・ンバード元中将の主張は次のとおりです。

《トランプは、北の核の脅威に対抗するため、日韓に「核武装を許す」と公言すべきだ。日韓に核武装させたくない中国は、本気で北に圧力をかけるようになり、北の核問題を解決できる》

 

――右派の論客パット・ブキャナンも日韓の核武装に関して肯定的な立場をとっているようです。

《米本土が北から核攻撃される可能性が出てきた今、米国は朝鮮半島政策を再検討すべきだ。(中略)米国は日韓に、自立した防衛と、独自の核兵器を持つことを計画させるべきだ。核武装は日韓両国を台頭させることになり、アジアでの中国の一強体制が崩れて均衡する良い効果もある》

 

・いずれも北朝鮮の核開発・核武装と関連させての議論ですが、そうした情勢論を抜きにしての「日本核武装論」は「自主防衛」という観点からもなされてしかるべきでしょう。じっさい、私はいまのように識者たちが騒ぎ出すよりももっと前、すなわち10年前、いや、それ以上前から「日本核武装論」を展開していました。

 

私は十年以上前から「日本核武装」を説いてきた

早かった私の「日本核武装論」

・私がいつごろから「日本核武装論」を言い始めたか、自分でもはっきりとは覚えてはいませんが、21世紀に入ったころからだったような記憶があります。

 

・その安くする方法とは、読者の皆さんは驚かれるかもしれないが、原子爆弾を持つことなのである。最近パキスタンが原爆を持ちたがっているのも、かつてソ連が持っていたのも、実は「安上がり」というのが理由だった。

 

・そもそも核というのは使うための兵器ではないのです。

相互確証破壊」という言葉があるように、核戦略観点からすると――核兵器保有して対立する二か国のどちらか一方が相手国に対して核を使用した場合、先制核攻撃を受けたもう一方の国は必ずや残った核兵器を使用して報復を行うでしょう。このため、一方が核兵器で先制攻撃を行えば、最終的には、双方が必ず核兵器によって完全に破壊し合うことになる。これを「相互確証破壊」と呼んでいるのです

 早い話、核兵器は使える兵器ではないということ。

 

日本という国家の「意志」の表明を!

世界のトップ水準にある「力」を自覚すべし

日本は再び、自分で自分の体格に合った服をつくり、着こなすようにならなければいけない。他者がつくった服を無理に着る必要はない。日本は、自らに合う服をつくるセンスも、技術も、経済力も十二分に持っている。軍事力さえも、日本人にその自覚が薄いだけで、ポテンシャルは世界のトップ水準である。

 

・これを「日本社会が右傾化している」「いつか来た危険な道」などと喧伝するのは、今そこにある危機を糊塗する、現実を見ようとしない為にする議論にすぎない。日本は自ら変わることを恐れる必要はないし、むしろそれによって世界の日本を見る目が変わるということを自覚すべきである。

 

ロシアにおける北方四島返還論登場の背景

「日本は原子力潜水艦原子爆弾を持つ」と宣言せよ

・実力を自覚した日本は多様な選択肢を持つ。その選択の一つが、「非核三原則」を廃棄することである。

 非核三原則は、1968年の佐藤栄作首相の国会発言「核兵器はつくらず、持たず、持ち込ませず」とその後の政府の答弁にすぎず、国際条約ではない。国内において法制化されたものでもない。アメリカに自国の安全を委ね続けた戦後の固定観念や従来発想、収縮思考から離れて、「日本は原子力潜水艦原子爆弾を持つ」とここで宣言すれば、日本を取り巻く環境は劇的に変わる。

 

インドの選択が日本に問いかけること

アメリカがインドにそうした“地位”を認めたのは、インドが民主主義国家で、核拡散の懸念が小さいとしたからで、この要件はすでに日本は十二分に満たしている。しかも、わが国はアメリカの最有力同盟国である。今後、インドを日本に置き換えてのアメリカ大統領の発言があり得ないとどうして言えようか。NPTの枠組みもまた、核保有を選択しようとする国の「意志」と「実力」によるのである。

 インドの選択が日本に何を問いかけているかを、われわれは真摯に考えねばなるまい。

 日本人としての気概――何よりそれが大切だから、私は気概を養うことになる日本の核武装を説き続けてきたのです

 昨今、雨後のタケノコのように出てきた「日本核武装論」とは性質が異なります。そこは一緒にしないでいただきたいと、読者の皆さまにはお願いしておきます

 

孤立しても「核保有」を実現したインドの胆力に学べ

・日本がいますぐ「核武装する」と言うと、抵抗は大きすぎる。世界各国から批判を浴びることになるでしょう。しかし、核の議論ははじめなければいけない。その時期にきていることは確実です。

 

・インドが核保有国となった後、私はインドへ行くと会う人ごとに「どういうステップで核保有の階段を一歩ずつ上がっていったのですか」と、聞いて回りました。彼らが口々に言うのは――「途中の段階は本当に苦しかった。世界中から孤立して、アメリカには猛反対され、ぶん殴られそうになった。どこも応援してくれる国は出なかった。しかし、一流国に仲間入りするにはどうしても核の保有が必要だった。だから、われわれは歯を食いしばって核開発に邁進したのです。

 

<「核武装への15のステップ」~前編

・このように、私の説いてきた「日本核武装論」は日本国内に対しては「刺激」であり、海外に向かっては「揺さぶり」でした。先に「相互確証破壊」という用語を説明しましたが、核兵器というのは元来、使用するものではないからです。

 では、私がこれまで行ってきた核の議論は空理空論だったのかといえば、けっしてそんなことはありません。具体的に、入念に輪を進めてきました。

 その一つが「核武装への15のステップ」です。

 

<(1)日本の首相には靖国神社の4月例大祭に参拝してもらう

・いきなり「核武装」というのではなく、まず日本国の首相に靖国神社へ行っていただきます。そのときは首相だけでなく国民も参拝する。みんなが靖国神社へ行くわけにはいきませんから、各県には必ず一つはある、地元出身の戦死者を祀った護国神社へ行く護国神社も遠い場合は産土の神様のある地元の神社でもいいでしょう。そこには忠魂碑が建っていて、郷土からの戦死者の名前が書いてありますから、それにお参りするのです。首相が靖国神社に参拝するとき国民もそれらに参拝すれば、世界に向かって日本人の姿勢を示すことができます。

 

<(2)非核三原則を廃止する

・現実に、非核三原則が有名無実であることは誰もが知っていることですから、一言、「もう、や~めた」と言えばよい。日本が勝手につくった原則なのですから、「今後は、非核三原則はなかったことにする」と宣言すれば、それで済みます。勝手に止めても何の問題もありません。

 

<(3)集団的自衛権の行使を肯定する

集団的自衛権とはいうまでもなく、同盟国に対する攻撃を自国への攻撃とみなし、共同で反撃する権利のことです。

これまで、集団的自衛権については内閣法制局長官が「集団的自衛権保有するが、行使できない」と、まことに矛盾した解釈を行ってきましたが、15年9月、安倍内閣によって「平和安全法制」関連二法案が成立。それが公布・施行されたため、集団的自衛権の行使は可能になりました】

 

<(4)武器輸出を認める

・「武器輸出をしない」というのも日本が勝手に言い出したことですから前言撤回すれば済む話です。世界の他の国はいくらでも武器を輸出しているのだから、わが国も輸出することにすればいい。それだけの話です。

 

・【これも私の提言どおり、安倍首相は14年4月、「防衛装備移転三原則」を閣議決定し、日本の武器輸出を解禁しました。その1年後の15年10月、新政策に基づいて武器の輸出や他国との共同開発を行うため、防衛省の外局として「防衛装備庁」がスタートしました。慶賀すべき出来事でした】

 

<(5)いわゆる「村山談話」を否定する

村山談話というのは、「先の戦争の『植民地支配と侵略』を痛切に反省しお詫びをする」という、とんでもないものですから、これを否定する。といっても、特別に面倒なことをする必要はありません。首相が交代したとき、記者たちから「村山談話を踏襲しますか?」と聞かれたら、「よく知らないから、これから勉強します」と答えれば、ペンディングになります。効力停止にするのは簡単なのです。

 

<(6)アメリカのCIAに相当するような情報機関を新設する

・15年12月、「日本版CIA」という触れ込みで、首相官邸の直轄組織「国際テロ情報収集ユニット」が発足しましたが、その実態・実力はまだまだ不十分です。アメリカにはCIAの他にも国土安全保障省、DIA、陸軍情報部、海軍情報部など、諜報機関は計16もあります。日本も本格的な情報機関の新設や充実を急がなくてはなりません。

 

<(7)北朝鮮テロ支援国家に指定する

アメリカに頼らず、日本がみずから指定するのです。

 

<(8)京都議定書を脱退する

京都議定書は日本だけが損するようにできています。国民の税金を無駄づかいするだけの京都議定書からは一日も早く脱退すべきです。

 

<(9)6か国協議を離脱する

・【これはもはや機能していませんので、問題外とします。】

 

核武装への15のステップ」~後編

・いよいよ核心に入っていきます。ここまでくれば、世界が日本を見る目が変わるし、日本人自身の気持ちも変わってきます。そうなれば、後は下り坂を歩いて行くようなものですから、ラクチンです。

 

(10)核拡散防止条約(NPT)から脱退する

・1968年に締結されたNPTは、非核保有国の核武装を禁止するとともに、核保有国が核兵器の廃絶を約束する条約です。しかし、東アジア地域においてはNPTがまったく機能していないことは誰の目にも明らかです。米中露朝がNPTに違反して、好きなだけ核兵器を増産してきたからです。そんな無意味な条約からは一刻も早く抜けるべきです。

 日本もインドを見ならって核武装に踏み切ってしまえばいい。日本が思い切って決断すればアメリカも変わるはずです。

【前述したように、アメリカでは保守派の論客の間で「日本核武装論」が盛んになっていますから、そうむずかしい話ではなくなっています】

 

(11)歴史認識問題をクリアにする

・国連の場で「歴史認識問題には時効を設ける」という提案をする。「いつまでも昔のことをほじくり返していても世界は平和にならない。殺人事件でも時効があるのだから、歴史認識問題にも時効を設けようではないか」と、国連総会で提案するのです。悪いことをしていない国はみな賛成するはずです。

 

(12)アメリカのサブプライム・ローン問題に端を発した金融不況については「それぞれの国が自分の責任で処理する」という提案をする

・【これはリーマン・ショック当時の提案ですから、ずいぶん前の話です。いまは論じなくていいでしょう】

 

<(13)アメリカの財政危機や経済危機の対策には条件付きで協力する

アメリカはこれからも米国債の引き受けを日本に要請せざるをえません。それに対して日本はなかなか「ノー」とは言いづらい。だから先手を打って、米国債の引き受けに条件をつけてしまうのです。

 たとえば、「日本が引き受ける米国債は円建てにする」と提案する。そうすれば、いくらドルが暴落しても円で返ってきますから、何の問題もない。

 

<(14)国連から脱退する

・いまの国連は核を所有する国が安全保障理事会常任理事国で拒否権を持っていますから、その拒否権を濫用することによって自国の侵略行為や戦争犯罪行為は安保理の議題に載せません。したがって何をやっても処罰されない。これが現状です。そんなバカバカしい組織に入っていても仕方がないから、脱退する。

 

(15)最後に「日本の道」を宣言する

・ここまでくれば、日本はもう押しもおされもせぬ自主独立国となります。自主防衛をしようと、核武装をしようと、どこからも文句が出るはずはありません。それどころか、世界の国々から「日本はぜひ核武装して世界に睨みをきかせてください」と言ってくるようになります。

 

その気になれば日本は1年で核武装できる

・日本人が「優位戦思考」に頭のスイッチを切り替えれば、核武装など、あっという間にできます。

 

・やろうと思えば、すぐにでも核兵器をつくり出せる。というのも、いま国策で進められている「核燃料サイクル」(プルサーマル計画)の工程で使われている「再処理」や「ウラン凝縮」の技術が核兵器製造に直結しているからです。

 

・日本はいま、そのプルトニウムを46.9トン保有しています。大型爆弾か小型爆弾かによりますが、プルトニウムが約8キロあれば核兵器を一発でつくれますから、6千発以上の原爆をたちまちのうちに製造できます。やる気になれば1年で原爆は開発できます。

 それを搭載して飛ばすミサイル技術もすでに有しています。

 

アメリカが日本を怖れている理由

・日本のそういた「能力」を警戒しているのは中国だけではありません。じつは、アメリカもひそかにそれを怖れています。

 

ハーバード大学国際政治学者も「小規模な自主的核抑止力を所有する国は、同盟国による軍事的保護に依存しなくてもよい国になる」と喝破しています。

 

国際政治アナリスト・伊藤貫氏の「日本核武装論」

日本にとって必要な「ミニマム・ディテランス」(minimum deterrence、必要最小限の自主的な核抑止力)」とは、潜水艦に搭載しておく2百基程度の巡航核ミサイルだけです。

現在、16隻ある海上自衛隊の潜水艦をもう少し増やして、それらの潜水艦にそれぞれ少量の核ミサイルを搭載しておけば、それで日本の核抑止力として十分に機能します。複数の潜水艦に搭載された核ミサイルを一挙に破壊してしまうことは不可能だからです。アメリカ海軍だって、そんな能力を持っていません。

 このミニマム・ディテランスを構築するために必要な費用は、毎年のGDPの0.1パーセントか0.2パーセント程度です、核抑止力って安いですねぇ。安くて、しかも抜群の戦争抑止力がある。複数の潜水艦に核ミサイルを搭載している日本を攻撃するなんて、そんな危険なことをやる国は地球上に存在しません。

 

<核抑止体制はフランスに学ぶべし!

・この伊藤貫さんと似たような自主防衛論は、私の友人でもあった元外務次官・村田良平さんも展開されています。『村田良平回想録下巻』(ミネルヴァ書房)で、次のようにお書きになっています。

 

 私は、日本が英国あるいはフランスと類似の、潜水艦による極めて限られた自前の核抑止力を保有するのが最も正しい途であり、米国の核の傘への信頼は、北朝鮮問題の処理によってすでに地に落ちている以上、独自の核抑止力を持つとの日本の要請を米国も拒否できない日が、それ程遠くない将来到来すると思っている。極言すれば、米国がこれをあくまで拒否するのなら、在日米軍基地の全廃を求め、併せて全く日本の独力によって通常兵器の抑止力に加え、フランスの如く限定した核戦力を潜水艦で用いて保持するというのが論理的な帰結であろう。

 

日本が核保有国になれば、周辺国もわが国に対してこれまでのような無礼を働かなくなります。おまけに、核武装すれば経済の安全保障にもなりますから、日本の株価が上がるでしょう。全世界を股にかけて資金を投下し続けている資本家たちに、「なぜ日本に来て投資しないのか」と聞くと、「自主防衛の欠如と家族向けの娯楽と教育が不足しているからだ」という答えが返ってきます。ならば、そこを改め、彼らを日本に引き込むことを成長戦略に組み入れないといけません。

 

・日本がみずからの手で自主防衛を決意したら欧米の優良企業やユダヤ系の資本がたくさん入ってくることは、私が請け負います。

 

チャーチルを彷彿させる安倍首相の実績

・歴史を振り返ってみると、「大宰相」といわれたイギリスのウィンストン・チャーチルも貴族の出身でした。それも、マールバラ公爵というイギリス最高の大貴族です。母親はアメリカ人投機家の次女。生まれたのは「ブレナム宮殿」と呼ばれる大邸宅で、ここが自邸だったいうのですから桁外れです。

 ただし、子供のころは落ちこぼれでした。成績は全教科で最下位。体力もなく、スポーツも得意なわけではなく、校長からはよく鞭で打たれていたそうです。そこで10歳のとき、名もない寄宿学校に転校し、そのころから徐々に成績もアップしてきたと伝えられています。

 その後は王立陸軍士官学校へ進み、優秀な成績で卒業すると、20歳で軽騎兵第4連隊に配属されています。しかし、我々政治家の家系という血が騒いだのか、25歳で政界入りを目指します。そのときは惜しくも落選してしまいますが、翌年、26歳で初当選を果たしています。

 

・大局観に立った、大貴族出身のチャーチルのこうした改革を見ていると、私には安倍首相の一連の成果が思い浮かんできます。

 普通は「一内閣一仕事」といわれているのに、安倍さんは第一次内閣のときにすでに教育基本法の改正、国民投票法の成立、あるいは防衛庁防衛省への昇格など、国家の土台や安全保障に関する重要法案をいくつも成立させました。

 

・さらに、安倍内閣自衛隊憲法第9条に明記する憲法改正まで視野に入れているわけですから、安倍さんもチャーチルのような「大宰相」への道を歩んでいると評しても過言ではありません。多分それ以上の大物になるでしょう。

 

21世紀を乗り切るには「アイデアの泉」と化せ

目からウロコのアイデアはこうして生まれる

・私はよく「日下さんは突飛なアイデアを考える。それはどうして出てくるのですか」と聞かれます。それは私が少々“つむじ曲がり”だからでしょうが、もう少し真面目に答えれば――「固定観念を捨てれば物事の真実が見えてくる」ということだと思っています。あるいは、「物事の真実を一所懸命に考えれば、自然に新しい発想が生まれるので、おのずから固定観念を捨てることができる」と言ってもいいでしょう。

 それができたときは、目からウロコが落ちたような気がします。つまり、新しい自分に生まれ変わった思いがする。

 

「優位戦思考」を磨け

・これを見ても分かるように、これまでの日本は「劣位戦思考」にどっぷり浸かってきました。日本の外交官、学者、進歩的言論人、政治家はほとんどすべてが「劣位戦思考」の持ち主でした。決められた枠のなかでベストを尽くす達人、というより、もうそれしかできなかった人たちだったというべきでしょう。――日本は戦争に負けたのだから、歴史認識戦勝国の押しつけてきた物語に従わなければならない。そのなかで日本は生存を図っていかなければならない、という自己検閲の意識に呪縛されていた。

 しかし、世界安定の要石となったいまは、そうした「劣位戦思考」の轍を抜け出さないといけない。そのためには「優位戦思考」を磨くことです。

 

・いまの日本の必要なのはそうした「優位戦思考」で行動することです。その第一歩は、他に先んじてみずから計画をつくること。他人のつくったルールに従うのではなく、みずからルールをつくることです。それができる人はルーラー(統治者)と言われます。

 

安倍首相は「優位戦思考」に長けている

・昔もいまも国際政治はある種のゲームです。そうしたゲーム感覚が、劣位戦の経験しかない人には分からない。ですから、そういう人たちには教科書に載っていないような戦争や紛争処理のためのゲームプラン(設計図)はつくれません。

 逆にいえば、そういうことをしっかり見抜いている安倍さんは日本人には珍しく「優位戦思考」に長けた政治家なのです。

 

相手の“土俵”に乗ってはいけない

・私の体験からも「優位戦思考」の一例をご紹介しておきましょう。

 もう10年以上前のことですが、中国のシンクタンクのような官庁から私のところに「新しい日本についてお話をおうかがいしたい」という申し入れがありました。

 

・「日下先生はよく台湾に行かれますね」「はい、台湾には多くの友人がいますから」すると、彼らは驚くべきことを口にしたのです。

「日本および日本人がこれ以上台湾に接近するなら、われわれの核攻撃を覚悟すべきです」言うことに欠いて「核攻撃」まで持ち出すとは、なんたる外交センスか?そう思いましたが、彼らが台湾問題に敏感になっている背景は十分想像できました。

 

・「日下先生、あなたはじつに面白い人です。ぜひ先生を北京にご招待したい」

 この日の訪問団のなかでいちばん実力を持っていたのは、じつはこの通訳氏だったことがこの一言で分かりました。シンクタンクのトップの人より彼のほうが共産党内での序列が高かったのです。

 このように、絶対に相手の“土俵”には乗らない。対話のルールはこちらで決める。それが「優位戦思考」の要諦です。

 

私は“高齢化先進国”の前途を悲観していない

・「優位戦思考」は前向きな考え方をもたらしますから、日本の将来についても明るい見通しを与えてくれます。

 たとえば、「超」がつくほどの高齢化時代に突入したわが国は“高齢化先進国”といえます。「これからいったいどうなってしまうのか」という声も聞かれますが、私はなんの心配もしていません。

 

・日本の65歳以上の人口比率は2016年時点で約27%、それに対してアメリカは16%前後ですから、まだ開きはありますが、アメリカでは毎年1%ぐらいのスピ―ドで高齢者人口が上がっているそうですから、あと10年もすれば現在の日本と同じような超高齢化社会に突入することになるでしょう。

 そのときに高齢者は何を求めるか? 何を買うか?ということです。

 

参議院議員選挙大選挙区に変更せよ

・私の提言を討づければ、かねてから参議院議員の選挙は大選挙区制に変更すべきだと唱えてきました。小選挙区制は参議院の本質に合っていないと思っているからです。

 

「瀬戸内文化圏」とは何か

・母は民俗学の泰斗・柳田国男にかわいがられて、そこらじゅうの昔話を集めて歩いていましたから、なおさらでした。「一口に讃岐といっても、西と東でまるで違うのよ」とも言っていました。海岸沿いの地方にはどうもそういうところがある。一言でいえば、多様性があるということです。

 

<「西日本国」と「東日本国」の分離・競争を勧奨する

・以上のような「瀬戸内文化圏」体験からどんな発想が生まれるかというと、たとえば日本を「西日本国」と「東日本国」の二つに分離したらどうかと、私は考えています。

 

・もちろん、「西日本国」と「東日本国」とした場合でも、国家の基軸となる外交と国防は統一します。しかし、それ以外は分離するのです。

 

国際社会は「常在戦場」と心得よ

核弾頭は有り余っている。拾ってくればいい ⁉

・また、核兵器が“使えない武器”であることは「相互確証破壊」という概念で説明してきました。それに、核兵器を持とうとすれば日本は1年もあればつくれるのだから、慌てたり騒ぎ立てたりする必要はこれっぽっちもありません。ここまでは説明してきたつもりです。

 

・核弾頭は現在、地球上に約1万5000発あると推定されています。いかに掃いて捨てるほどあることか。保有数の少ない国のほうからコメントしながら、核兵器の現状を整理しておきましょう。

 

(第9位)北朝鮮 約10発 核弾頭の小型化などが進んでいることは確かです。

(第8位)イスラエル 約80発 公式には、「核兵器保有している」とも「保有していない」」とも明言していません。

(第7位)インド 100発~120発 隣国パキスタンと緊張関係にありますから、国民はいまなお自国の核開発を支持しています。

 

(第6位)パキスタン 110~130発 げんに、北朝鮮で「核開発の父」と呼ばれているカーン博士はパキスタンの技術者です。

(第5位)イギリス 約215発 近年では「核兵器の維持管理と更新に費用がかかりすぎる」という議論が高まっています。

(第4位)中国 約260発 共産党一党独裁の中国は秘密主義。

 

(第3位)フランス 約300発 原子力発電ではわが国のパートナーとなっています。

(第2位)アメリカ 約7000発 米ソ冷戦下ではソ連との間で熾烈な核軍拡競争を続けました。

(第1位)ロシア 約7500発 北朝鮮の核開発に手を貸しているのはロシアだという疑惑は消えていません。

 

核弾頭は4、5年に一度メンテナンスが必要>

・意外と知られていないのは、核兵器には寿命があるということです。核ミサイルの寿命はだいたい20年ぐらい、といわれています。

 寿命があるだけでなく、核兵器には維持費もかかります。だいたい4、5年に一度、保守点検をしなければならないというのが常識です。そうしないと、いざというとき発射できなかったり、爆発しなかったりする。役立たずになってしまうのです。

 アメリカやロシアは毎年、配備している核兵器の10パーセント前後を弾頭製造施設へ戻し、解体し、試験した後、再び組み立てて現場へ戻しています。10パーセントというと、アメリカの場合であれば約700発、ロシアであれば約750発。それだけの核弾頭をメンテナンスしなければなりませんから、莫大なコストがかかっています。

 

「戦争は何でもあり」と肚を据えていた昭和天皇

・広島、長崎と、二発も原爆を落とされた人類唯一の国民であるせいか、日本人は「原爆」とか「核兵器」と聞くと過剰に反応してしまいます。そのせいで、“核アレルギー”が異常に強い。私たちが10年、20年前に「日本核武装論」を説くと、「核武装なんてとんでもない」と、ずいぶん拒否反応を示されました。

 

武器に使える悪魔的な“白い粉”>

・こうして、周囲の各国が核を保有しているなら、なおさら日本は核を持たなくてもいいのではないか。何度もいうように、核は「抜くぞ、抜くぞ」といいながら、結局、抜くことのない「相互確証破壊」の兵器だからです。しかも、メンテナンスに手がかかり、カネもかかる。

 そうだとすれば、いま日本が研究すべきは、たとえば“白い粉”を撒くような作戦の策定です。“白い粉”とは、いうまでもなくプルトニウムの粉です。それを撒いて相手をクサらせる。そういう武器ならすぐにつくれます。

 

・そうした“白い粉”の「悪魔性」を知ると、アメリカ議会の技術評価局は間髪容れず次のようなレポートを出しています。

 晴れた夜、大都市の30平方キロメートル地域に炭疽菌10キロを散布すれば、最高90万人を殺傷できる。100キロの乾燥炭疽菌の粉を撒けば、被害は最大1メガトンの水素爆弾に匹敵する。

 

・前述したプルトニウムの“白い粉”とは異なりますが、炭疽菌の「悪魔性」を知るや、アメリカ議会はただちに警告を発したのです。当然、プルトニウムの粉の「悪魔性」にも気づいているに相違ありません。

 

電磁パルス弾のような武器の開発も推進せよ

・17年9月、金正恩は「電磁パルス弾」の開発に言及しました。電磁パルスは、略称「EMP」といって、宇宙空間から地表に降り注ぐ電磁波です。落雷で電子機器が故障するのと同じ仕組みで、強烈な電磁パルスは電気を通すケーブル内に強い電流を発生させることによって電子機器をショートさせ、破壊します。

 

「1回の爆発で数千キロメートルに及ぶ電力と通信網を破壊する」

・CNNテレビは3日、北朝鮮がEMP攻撃能力を獲得したと宣言したことを受け、米エネルギー省が1月に公表した報告書を引用して警鐘を鳴らした。

 EMP弾は、最高400キロメートル程度の高高度での核爆発によって生じる電磁パルスにより、人を直接殺傷したり建物を崩壊させたりせずに電気、通信、交通など社会インフラ全体を壊滅させる核攻撃だ。たった1発で甚大な被害を与え、高度に電化された先進国ほど影響を受けやすい。

 2004年に米議会に提出された専門家委員会の報告書によると、米国本土で社会インフラが崩壊し、復旧に数年を要した場合、食糧や燃料、医薬品などの物資の不足と衛生状態の悪化が起こると指摘。深刻な疫病と飢餓が生じる結果として「1年後には米国人の90%が死亡」という衝撃的な結末を予測した。

 このようにEMP弾も悪魔的な威力を発揮します。

 

北朝鮮がEMP弾をどれだけ開発できているのか、その実態は明らかではありませんが、わが国もこのEMP弾のような電磁波攻撃を研究する必要があります。あるいは、すでに行われているかもしれませんが、この方面の武器の開発はどんどん推進していくべきでしょう。

 

戦争は武力戦だけに限らない

・最後に強く指摘しておきたいのは、平和に馴れた日本人はなかなか気づかないけれど、国家間における「戦争」はなにも武力戦だけではないということです。経済戦、情報戦、文明戦、思想戦……と、どれもが戦争なのです。それが世界の常識です。

 

・その他にも、文化戦、文明戦、思想戦……がありますが、「とてもかなわない」と相手に思わせるためには情報戦も欠かせません。

 

・とにかく、世界各国はつねに「わが国がいちばんよくて、あなたがたの国はまだダメだ」という宣伝戦をやっているのです。ところが、日本はそうしたPRをほとんどしません。

 

・政治家も官僚も、外交の場では「日本の思想は世界最高である」と発信し続けるべきです。そうしたメッセージが世界中に浸透すれば、それは日本核武装より遥かに大きな力を発揮するはずです。

 

 

 

(2020/8/21)

 

  

『核拡散時代に日本が生き延びる道』

独自の核抑止力の必要性

元陸将補 矢野義昭    勉誠出版   2020/3/31

 

 

 

日米などが配備しているMD(ミサイル防衛)システムも万全ではなくなってきている

保有は最も安く確実な抑止力

反日中朝の核脅威は高まり、米国の核の傘は破れ傘になった。

祈りや願いだけでは独裁国に屈するしかない。独裁に屈すれば、悲惨なウイグルの二の舞になる。日本には核保有能力が十分ある。核に代替手段はなく、米国も黙認するだろう。

護るか、屈するか、決めるのは国民だ!

 

・最終的に日本独自の核抑止力の必要性と可能性、その保有のあり方について論じている。

 

核恫喝の脅威

核恫喝は何度も使われてきた

国際司法裁判所は、1996年に「核兵器による威嚇または使用の合法性に関する勧告的意見」において、「核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の規則(中略)に一般的には違反するであろう」としながらも、「国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況における、核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて裁判所は最終的な結論を下すことができない」としている。

 

・しかし現実には、以下のような、核恫喝が使用されてきた歴史的な事例がある。その意味では、核兵器は使い道のない兵器ではない。相手国にギリギリの対決の場で、政治的要求を受け入れさせるための効果的な手段として活用されてきたことは、史実が立証している。

 

①  米国のトルーマン大統領は朝鮮戦争中に記者会見で、「何か特別な物を注意深く扱う」と表明し、核使用を示唆して恫喝を加えている。

 

②  米国は1954年、ベトナムディエンビエンフーでの戦いで敗れた仏軍の撤退を掩護するため、ベトミン軍に対し、核恫喝を加えようとした。

 

③  米国のアイゼンハワー大統領とダレス国務長官は、1955年の台湾海峡危機に際して、金門・馬祖を奪取するために上陸作戦を準備していた中国に対し警告するため、戦術核兵器の使用について議論し、「言葉の上でのあいまいな威嚇を加える」ことを決定した。

 

④  ソ連は、1969年の中ソ国境紛争時、中国に休戦交渉を強要するために、核恫喝を加えた。この時には、中ソの核戦争を恐れ、米国が仲介に動いた。

 

⑤  イスラエルは、1973年の第4次中東戦争時に、エジプト軍によるイスラエル国内への奇襲侵攻を許し、国家存亡の危機に直面した。その際に、イスラエル国防相は、進出したエジプト軍により国家の存続が危うくなることがあれば、いつでも指定された目標に核兵器を使用できるように、核爆弾を搭載した戦闘機と核弾頭を搭載したジェリコ・ミサイルを準備せよとの命令を発したと、外国の報道機関により報じられている。ただし、イスラエルは公式には、核兵器保有しているとも、保有していないとも表明しない、あいまいな戦略をとっている。

 

⑥  中国は、1995~96年の台湾海峡危機時に、96年の中華民国総統選挙での李登輝選出阻止のために、台湾と与那国島の近海に弾道ミサイルを打込み、軍事的威嚇を加えた。

 

⑦  パキスタンは、1999年の印パ間のカーギルでの紛争時に、インド軍の侵攻を阻止するために、パキスタン陸軍のパルヴェーズ・ムシャラフ陸軍参謀総長統合参謀本部議長がシビリアンの指導者にほとんど知らせることもなく、核兵器使用の計画を進めていた。

 

⑧  ロシアは、ジョージアとの紛争、クリミア半島併合やウクライナ危機時にNATO軍を牽制するために、長射程の空対艦核巡航ミサイルを搭載可能な爆撃機や地対地弾道ミサイルの活動を活発化させ、あるいは近傍に進出させるなど、核威嚇を加えている。

 

・以上の史実から見ても、今後も核恫喝が行われる可能性は高い。恫喝に屈することなく国益を守り抜くためには、信頼のできる核抑止力を保持しておかなければならないことは明らかである。

 日本の場合は、自ら相手国に侵攻することは考えられないので、敵対的な核保有国による恫喝を受ける可能性が高い。特に核大国となった中国の挑発や攻撃的行動には注意が必要である。また今後は、北朝鮮や統一朝鮮から核恫喝を受ける可能性にも備えておかねばならないであろう。

 その場合、日米安保体制下では、米国の本格的な軍事介入前に、日本に対して、すでに達成された侵略目的を既成事実として受け入れさせ、日本に対する政治的要求を強要するために、核恫喝が使用される可能性が高い。

 

核恫喝に屈すればどうなるか?――チベットの事例

・核恫喝に屈すれば、相手国の政治的要求(戦争目的)をそのまま受け入れざるを得なくなる。恫喝を加える側から見れば、まさに、『孫子』の言う「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」を地で行くように、最も効率良く、無傷で勝利を得ることになる。

 中国共産党の恫喝に屈して戦争目的あるいは政治目的を達成されるとどうなるかについては、例えば、いまチベット、新疆ウイグル、香港などで起きている事例から推察できる。

 

・結局、約120万人のチベット人が虐殺されたことを、国際司法裁判所は認めており、中国も反論していない。

 

核恫喝に屈すればどうなるか? ――ウィグルの事例

ウイグルでは、ウイグル人の実数は約2千万人と見積もられるが、中国は2015年には1130万人と発表していた。しかし、3年後の2018年には6~7百万人と発表している。その減少した人口4百万人のうち3百万人は強制収容されたとみられる。

 

日本が核恫喝に屈すればどうなるか?

・ひとたび、主権と独立を失い、独裁に屈すれば、警察権さらには軍事権まで失われることになる。

 

・力で反抗を抑圧されれば、結局は、孫子に至るまで主権も独立も民主主義も取り戻すことはできなくなる。固有の文化や伝統、一般住民の権利も失われ、数世代経つと民族としてのアイデンティティは亡くなり同化されるであろう。それが歴史と現在の世界の情勢が示している教訓である。

 

・核を保有した独裁体制の隣国による核恫喝に屈しないためには、確実な核抑止力の保持が必要不可欠である。

 

迫られる日本の自力防衛

・この間、日本は自ら独力で地上戦を数カ月、最小限1カ月半程度は戦い抜かねばならないことになる。このような状況下で、中朝から核恫喝を受けた場合に、上記の米国の核の傘の信頼性低下を踏まえるならば、日本は自らの核抑止力を持たなければ、恫喝に屈するしかなくなる。

 また、核恫喝に屈することが無くても、数カ月に及ぶ長期の国土の地上戦を戦わねばならないとすれば、それに耐えられるマンパワーと装備、それを支える予備役制度が必要不可欠なことも明白である

 そのためには、早期に憲法を改正し、国民に防衛協力義務を課し、世界標準並みの防衛費を配分して、長期持久戦に耐える国防体制を構築しなければならない。それとともに、日本自らの核抑止力保有が必要不可欠になる。

 核抑止力と自力で日本有事を戦い抜く戦力、特に残存力と継戦能力のいずれがなくても、日本の防衛は全うできない。

 

外国人による日本核保有賛成論

北朝鮮は国際制裁や米軍の軍事圧力にもかかわらず、核ミサイルの開発を続けている。

 

・もともと核の傘など存在しないとみるリアリストは、欧米には広く存在する。「自国を守るため以外に、核ミサイルの応酬を決断する指導者はいない」、まして、核戦力バランスが不利な場合は、同盟国のために核報復をすることはありえないと、彼らはみている。

 

日本核保有賛成論――アーサー・ウォロドロンの主張

・日韓の核保有については、欧米の識者からも賛成論が日本国内で報道されるようになった。

 オバマ政権時代から、米国内では日本の核保有については、その是非を巡り議論が出ていた。

 日本の核武装に拒否反応を見せるのは、CSIS(米戦略国際問題研究所)のジェナ・サントロ氏らが主張する「日韓は速やかに核武装する科学的能力を持つ。日韓両国が核武装した場合は同盟を破棄すべき」との強硬論である。もとよりこのような主張は米民主党に多い。

 

・一方、米国では伝統的に、日本の核武装を「奨励」する声も少なくない。ジョン・ボルトン国連大使国際政治学者のケネス・ウォリツ氏らは、「国際秩序安定のために日本は核武装すべきだ」と説く。

 

・米国の最も古い同盟国であり、米国を最もよく知る英国とフランスもこうした考え方を共有している。いずれも核攻撃を受けた際に米国が守ってくれるとは考えていない。

 

・その問題に対する答えは困難だが、極めて明確だ。中国は脅威であり、米国が抑止力を提供するというのは神話で、ミサイル防衛システムだけでは十分でない。日本が安全を守りたいのであれば、英国やフランス、その他の国が保有するような最小限の核抑止力を含む包括的かつ独立した軍事力を開発すべきだ。

 

・以上が、ウォルドロンの主張である。その要点は、中朝の核戦力が高まり、米国が核報復を受ける恐れがあるときに、米国が他国のために核兵器を使うという約束は当てにできないという点にある。

 すでに述べた、現実の核戦力バランスの変化を踏まえるならば、このウォルドロンの主張は、合理的な判断に基づく、日本の立場に立った誠実な勧告ととるべきだろう。

 

日本核保有賛成論――パット・ブキャナンの主張

・「日本と韓国は北朝鮮に対する核抑止力を確保するため、独自に核武装をすることを検討すべきだと主張した」と報じている。

 

・交渉の結果、在韓米軍が削減されるような事態となった場合に備え、日本と韓国は北朝鮮の短・中距離ミサイルの脅威に各自で対抗するため「自前の核抑止力(の整備)を検討すべきだ」と語っている。

 

日本核保有賛成論――エマニュエル・トッドの主張

・「日本は核を持つべきだ」との論文。

「米国はエリートとトランプを支持している大衆に分断され、その影響力は低下している。米朝は互いを信用しておらず交渉は茶番劇であり、米国の核の傘は存在しない」。

「東アジアでも、南シナ海にみられるように米国の影響力は後退している。核の不均衡はそれ自体が国際関係の不安定化を招く」。

「このままいけば、東アジアにおいて、既存の核保有国である中国に加えて、北朝鮮までが核保有国になってしまう。これはあまりにもおかしい」。

「日本の核は東アジア世界に、均衡と平和と安定をもたらすのではないか」。

「こう考えると、もはや日本が核保有を検討しないと言うことはあり得ない」。

核とは戦争の終わりであり、戦争を不可能にするものなのであり、日本を鎖国時代のあり方に近づける」。

 

・このように、トッドは欧州の立場から、米国の国益を離れて客観的に日本が核保有すべき理由を示している。特に「核は例外的な兵器で、これを使用する場合のリスクは極大」であり、ゆえに、「自国防衛以外の目的で使うことはあり得ない。中国や北朝鮮に米国本土を攻撃する能力があるかぎりは、米国が、自国の核を使って日本を護ることは絶対にあり得ない」と断言している点は注目される。

 

・その主張の要点は、核は使用のリスクがあまりに高いため、自国の自衛にしか使えない、核の傘には実体はなく、独自の核抑止力を持つべきだという点にある。

 言い換えれば、生存という死活的国益を守り抜くために、能力があるのなら、どのような国も核保有を目指そうとするのは当然であるという立場を、率直に表明したものと言える。現在の核不拡散を建前とするNPT体制そのものを核保有国の識者自らが否定した発言ともいえる。

 

日本核保有賛成論者の共通点と日本への教訓

・以上の日本核保有賛成論に共通しているのは、以下の諸点である。①米国の力が低下しており、日本に提供しているとされてきた核の傘の信頼性がなくなってきていること、②他方で米国は、北朝鮮や中国の核戦力の向上に対し力により放棄させたり阻止することができなくなっており、交渉では日本に対する北朝鮮や中国の核脅威は解消できないこと、③そうであれば、日本は中朝の核脅威に対し独立を守り地域の安定化をもたらすために、独自の核抑止力を持つべきであるとする、戦略的に合理的な対応策を提唱している点である。

 日本の核保有については、日本人だけの問題ではなく、東アジア引いては世界全体の安定化のためにも、必要とされる状況になっている。日本は既存のNPTの枠組みにとらわれて思考停止するのではなく、どのような核保有のあり方が望ましいかを真剣に考えるべき時に来ている。

 

日本の核保有は可能か?

『成功していた日本の原爆実験』の出版

・その内容の概要は、以下の通りである。

日本は第2次大戦末の1945年8月12日に、北朝鮮興南沖合の小島において、原爆実験に成功していた

 

・米国のジャーナリスト、ロバート・K・ウイルコックスが40年間追求した成果であり、2006年以降、米政府内の機密文書が元CIAや元空軍の分析官によりウイルコックスにもたらされた。

 

・関係者へのインタビュー、日本軍機密暗号電報解読文書など米政府の機密情報に基づき検証した史実を、1次資料の情報源とともに実証的に記述している。

 

理化学研究所仁科芳雄を中心とする日本陸軍のニ計画の成果は、京都帝国大学の荒勝文策を中心とする日本海軍のF計画に継承され終戦まで継続された。

 

大陸を含め約1億円の資金が投入され、海軍は大和級戦艦2隻分の資材を投入した

 

北朝鮮満州には豊富なウラン鉱石と電力源があった。北朝鮮興南には野口遵の大規模な産業基盤が戦前から所在し、核爆弾製造に必要なインフラは終戦直前の興南にはあった。

 

・日本は濃縮ウラン製造用熱拡散分離塔、遠心分離機などの製造に成功していた。

(細部については、ロバート・K・ウィルコックス著、矢野義昭訳『成功していた日本の原爆実験』勉誠出版、2019年を参照)

 

・上記のウイルコックスの書に記された、1945年8月12日の北朝鮮興南沖合の小島で日本が原爆実験に成功していたという事実の信ぴょう性は、本書で立証されているように、極めて高い。もし日本が原爆実験に成功していたのであれば、NPT(核兵器不拡散条約)の規定に基づき、日本は同条約で規定する「核兵器国」としての資格を有することになる。

 すなわち、日本は「1967年1月1日以前に核兵器その他の核爆発装置を製造しかつ爆発させた国」となり、日本は核保有をしても、NPT違反を理由とする国際非難や制裁を受ける国際法上の根拠はなくなるということを意味している。

 

・また、以下の事実も機密資料に基づき立証されている。

 ソ連は大戦末に日本の興南を占領し、日本の各インフラと科学者を奪い核開発を早めた。また、中共朝鮮戦争介入の目的も興南の核インフラ奪取にあった北朝鮮の核インフラも人材を含め日本が戦時中に基盤を創った。蒋介石は1946年から日本人科学者を雇い秘密裏に核開発を始めていた。

 特に史実であることを裏付ける決定的事実は、米軍が朝鮮戦争中、興南に数週間留まっていたことである。米軍はその間に、徹底した現地調査を行い、日本が核爆弾を最終的に組み立てたとする興南の北の山中、古土里の洞窟とその周辺施設を確認している。その調査結果は、本書に記されている。

 その調査の間に、米国は興南沖合の小島とされる爆心地の残留放射能などの確実な核実験の証拠を直接確認できたはずである。その米政府のCIA、米軍の秘密資料に基づき検証された結論が、この書に明記されている。

 例えば、日本の原爆がトリウムとプルトニウムの「混合殻」を使った可能性に言及している。このような、戦後も長らく機密とされてきた特殊な核爆弾の構造にまで言及しているということは、何らかの確証を米側が持っていることを示唆している。

 

現在の日本の核兵器保有能力

・技術的には、米専門家は、現在の日本なら数日で核爆弾の製造が可能と評価している。また、日本の専門家も、技術的には数週から数カ月で可能とみている。その理由については、「費用対効果の面から見た検討」で分析したとおりだが、さらに付言すれば、以下の通り。

①  日本は特に世界で唯一、NPT加盟国の非核国でウラン濃縮とプルトニウム抽出を認められている国であり、濃縮ウランもプルトニウム239も一定量を国内に保有している。

②  核実験なしでもコンピューター・シミュレーションにより核爆弾の設計が可能なコンピューター技術を保有している。

③  核爆弾の原理は周知の知識であり、概念設計はできており、日本の技術力を前提とすれば、詳細設計を行えば部品構造から組み立てまで数週から数カ月で可能とみられる。

④  弾道ミサイルについては、HⅡ-A、HⅡ-Bロケットの補助ブースターをICBMに転用可能であり、核弾頭を搭載し投射する能力もある。

⑤  ミサイルの誘導技術、弾頭の再突入技術は「はやぶさ」などで実証済み。

⑥  通常動力型潜水艦の水準は世界一であり、原潜用小型原子炉の国産技術も保有している。SSBNは、数年で建造できる。

⑦  日本の中小企業を含めた生産技術は世界一であり、設計通りの部品を製造するのは容易。

これらの諸要因を考慮すれば、日本なら数日でもできるとの米国の専門家の見方は、過大評価とは言えず、遅くとも数週間から数カ月以内には、核爆弾の製造は可能とみられる。

 

コスト面と技術的問題は?

・第3章で分析したように、費用対効果の面から見ても、優位性はあり、コスト的にも十分に財政負担にも耐えられる範囲内である。操作要員も少なくて済み、マンパワーも問題はない。ただし、開発に協力し秘密を厳守できる科学技術者とメーカーの確保に制約があるとみられる。

 コストについては、一般的に、放射性物質以外の核爆弾製造のみなら、数千万円とみられる。最も高価なのは、米国の例でも明らかなように、核分裂物質の製造であり、日本の場合はすでに国内に保管されている。

 核弾頭の概念設計は容易であり、さらに詳細設計から製品製造に至るまでの総コストも、以上の条件を前提とすれば、約1億円以内に収まるとみられる。

 また英仏並みのSSBN(弾道ミサイル搭載原潜)4隻の製造・維持運用に必要なコストは、英国の例から見ても、米国の例に基づく分析から見ても、年間約1~2兆円程度とみられる。この程度の増額分なら、財政的にも可能であろう。

 

米国の同盟国日本への期待

・トランプ政権は「米国第一主義」を唱え、NATOや日韓など豊かな同盟国に対しては、自力防衛を期待し、駐留兵力の削減または駐留費の分担増、武器輸入の増大などを要求している。

 また大量の死傷者が出る地上戦については、極力避けて、同盟国の自らの負担とし、米軍はそれを「支援しあるいは補完」することが、イラクやアフガンの作戦でも基本的な方針となっている。

 

・しかし核戦力バランス上、中露との核戦争に発展しかねない直接交戦ができないとすれば、自国を核戦争のリスクにさらして日本に核の傘を提供することはできなくなり、米国としては、日本に独自の核抑止力を持たせることを容認するのが合理的な戦略になるであろう。

 そうすることにより、米軍は日本を盾に、安全にアウトレンジから中露の海空戦力を東シナ海南シナ海で制圧可能になり、オフショアバランシング戦略が遂行できることになる。結果的に、米国地上軍の直接介入は避けられる。

 

日本の核軍縮・不拡散への取り組みは無にしないか?

・こうした軍備拡張競争や兵器の拡散は、国際の平和と安全を損なうことにつながりかねない。無制限に増大した軍備や兵器は、たとえ侵略や武力による威嚇の意図がなくても、他の国の不信感や脅威意識を高め、国際関係を不安定にし、不必要な武力紛争を引き起こすことになりかねない。国連憲章が、第11条で、軍備縮小及び軍備規制を国際の平和と安全に関連する問題として位置付けている理由は主としてここにあろう。

 

・日本の周辺国では核軍備増強が進み、日本が依存していた核大国、米国の核の傘の信頼性が低下していることは、すでに述べたとおりである。

 現在の日本が置かれている状況は、日本が核保有国である「他国からの侵略や武力による威嚇などから、自国を防衛するために、軍備を必要」と感じる「厳然とした事実」がある状況下にあると言える。

 そうであれば、現在の日本の「軍縮・不拡散の取り組み」のもとにおいても、「日本自らが核保有する」ことは、国家安全保障上の合理的な理由があるのであれば、可能であると言える。

 

・従って、核兵器に対する軍縮と徹底した削減を求める運動についても、「とりわけ米露両核超大国の核軍縮の進展を求める声が高い」として、米露の核戦力削減に運動の矛先を向けさせるとともに、米露を後追いする立場の中国自らは制約を受けることなく核軍縮を進めるのを正当化することを企図している。

 

日本は世界中から経済制裁を受けないか?

・これまでの史実から判断すれば、核保有国相互間にも利害の対立があり、日本の核保有にメリットを見出す国が出てくる可能性が高く、日本が核保有したとしても、全面的な制裁や禁輸には至らないとみられる

 中国、イスラエル、インドが核保有を試みていた段階では、フランスが支援をしている。パキスタンに対しては中国が支援している。このように、すべての核保有国が制裁に一様に加わるわけではなく、自国の利益になるとみて支援する国が現れるのが通例である。

 

核拡散によるリスクをどう考えるか?

・理論的には、リアリズムの立場から、核拡散それ自体を是認する、ケネス・ウォルツのような見解もある。すなわち、弱国であっても、残存性のある報復可能な核兵器保有すれば、潜在的な侵略国は物理的にも心理的にも抑止されるという見解である。

 事実、印パ関係を見ても、1998年の印パの核保有以降、翌年にカーギル紛争があったものの、それ以降大規模な紛争は起きていない。

 中東でも第4次中東戦争で、イスラエル、エジプトともに、核戦力を潜在的保有し互いに恫喝を加えたが、それ以降、大規模な通常戦争は起きていない。

 

オフェンシブ・リアリズム

・本書の目的は、日本が「核時代をどう生き延びるか」という視点から、「日本独自の核抑止力の必要性と可能性」を論じることにあった。しかし、独自の核抑止力があれば、それで日本の安全保障、防衛は盤石になるのかと言えば、そうではない。

 

・本書のテーマは、核の脅威や核戦力を背景とする恫喝にどう対処するかという点にあった。その手法としてオフェンシブ・リアリズムの観点から、独自の核抑止力を保持し、相手に報復の脅威を与えることが最も確実でかつ安価な手法であり、日本もその選択を採るべきだというのが、本書の結論である。

 しかし、抑止力の効力には限界がある。余りにも低い烈度の脅威に対して、行使した場合に戦いの烈度が一気に上がることが予想される核による抑止手段は、抑止される側からみた抑止力行使のもっともらしさは低くなる。その結果、核抑止力の効力が機能しにくくなる。

 

そのためには、少なくとも世界標準並みのGDP2%程度の防衛予算を配当し、有事には国民の1%程度が戦える正規軍と予備役からなる通常戦力も必要になる。また、すでにその動きはあるが、サイバー、電磁波、宇宙人などの新空間での戦いへの備えも早急に固めなければならない。情報戦、心理戦などのソフトパワーの戦いや総合国力の戦いについても、国家レベルの対応が必要である。

 ただし、各種の抑止力の中でも、核抑止力の信頼性の問題は、国家安全保障の根幹をなす課題であり、その信頼性を維持することなしには、他の施策をとっても深刻な国家間の国益対立の局面では、相手の要求に屈するしかないという現実は、今後とも変化はない。

 重要性が高まっている、上記の新領域での戦いや平時の戦いも、結局は核戦争まで想定した各段階の抑止力と、その前提となる打撃力、残存報復力を、いかに温存し最大限に発揮するかを狙いとして構築されていると言える。

 

・また、新しいMDシステムも確実に核ミサイルを撃墜できるわけではない。核は1発炸裂しても数十万人以上の被害が出る依然として核の絶大な破壊力に対する確実な抑止手段は、相手に恐怖を抱かせるに足る、核戦力の保持しかないというべきであろう。

 日本には独自の核戦力を保有する必要性があり、その可能性もある。唯一の被爆国として、被爆者の無念の思いに報い、その思いを繰り返させないためにも、独裁国の核恫喝に屈することなく独立と主権を守るためにも、独自の核抑止力保持が必要となっている。それを実現するか否かは、一に日本国民自らの決断にかかっている。

 

 

 

『逆説の軍事論』   平和を支える論理

陸上幕僚長  富澤暉   バジリコ  2015/6/19

    

 

 

<敵地攻撃の難しさ>

・敵地を攻撃するといっても、軍事的な観点から考えると、これは至難の業です。アメリカですら、目標情報が掴めないと嘆いている現状で、日本がどのように独自に目標情報を得るのか。北朝鮮を24時間監視するためには、どれだけの偵察衛星が必要なのか。

 

・さらに攻撃兵器の問題もあります。日本が核兵器保有していれば、敵ミサイル陣地にでも、あるいは平壌のような都市でも効果的な攻撃ができるでしょうが、核はないのだから、攻撃のためには空爆であろうとトマホークのような巡航ミサイルであろうと天文学的な弾量を整備する必要があります。そのための予算をどこまで投入するのでしょうか。しかも、その効果は未知数です。

 

・ここで、従来型の「個別的安全保障」ではなく、「集団(的)安全保障」の枠組みの中で対応を考えることが重要になってくるのです。複雑な民族感情を越えて協力していくためにも、国連軍または多国籍軍という枠組みを活用することが重要になるわけです。

 

<日本の核武装

・政治家の中には、北朝鮮の核実験に対抗して、日本も核武装の議論をすべきだという人がいます。

 

・重要なのは、ただ核兵器の議論をすることではなく、関連するすべての政治・軍事問題を広く、かつ、もれなく検討し、核を持った場合、あるいは持たない場合の外交の在り方や在来兵器による防衛力整備の在り方を議論することなのです。

 

・政治的にいえば、核武装論の裏側には、「中国の軍備増強への対応」や「アメリカに対する日本の自主性確立」という問題が潜んでいます。

 

・一連のシナリオを想定し、それぞれについてシュミュレーションし、備えておく必要があります。

 

<戦車の再評価>

・日本でも、このテロ・ゲリラ対策のため歩兵を増やす必要があるのですが、人件費が高く隊員募集に苦しむ陸上自衛隊の兵員数を増やすことは困難だといわれています。だとすれば、各地方に防災・消防を兼ね情報・警備を担当するかつての「消防団」のような「郷土防衛隊」が必要となりますが、これを組織するのは防衛省自衛隊の仕事ではなく、総務省と各自治体の役割でしょう。

 ともあれ、防衛省自衛隊としては歩兵の戦いを少しでも効率的にするための砲兵・戦車の数を確保する必要があろうかと思われます。

 

・現在、日本へのテロ・ゲリラ攻撃はありません。しかし、仮に朝鮮半島で動乱が起きた場合、日本全国でテロ・ゲリラ攻撃が多発する恐れは十分に考えられます。

 

<その破壊が直接国民生活を脅かす無数の脆弱施設が全国に存在>

・難民を担当するのは入国管理局でしょうが、何万、何十万になるかもしれない難民を日本はどう受け入れるつもりなのでしょうか。まさか、戦時の朝鮮半島に送り返すわけにはいかないでしょう。この人々への対応が悪ければ、混乱も起きるでしょう。収容施設、給食など生活環境の支援、さらには治安維持のために警察、自衛隊は何ができるのか。そうした有事への準備が既にできているとは寡聞にして聞きません。

 

・さらにいえば、こうした事態は全国で分散同時発生するので、とても現在の陸上自衛隊の歩兵では数が足りません。実は、そのわずかな歩兵を支援する兵器として戦車ほど有効な兵器はないのです。

 

<軍事というパラドックス

・さて、軍事とは人間社会固有の概念です。したがって、軍事について考える際には、私たち人間の本質をまずは押さえておかなければなりません。すなわち、「闘争本能」と「闘争回避本能」という人間固有の矛盾した特性です。

 

・一部の例外を除き、人は誰しも死にたくない、殺したくないと思っているはずです。にも関わらず、有史以来人間は日々、せっせと殺し合いをしてきたという現実があります。

 19世紀ロシアの文豪トルストイの代表作に『戦争と平和』という大長編小説がありますが、人類の歴史はまさしく戦争と平和の繰り返しだったといえましょう。どうした天の配剤か、人間はほとんど本能のように闘争を繰り返す一方で、争いを回避し平和な生活を維持するための方法を模索してもきました。

 人は一般に他者からの支配、干渉を好まず、誰しも独立(自立)して自由に生きたいと考えているはずですが、自由とは欲望(利害)と切り離せない概念でもあります。

 そして、そうした人間同士が集まり集団(社会)を形成すると必ず争いが起こり、往々にして生命のやりとりにまで至ることになります。それは、民族や国家といった特定の集団内でもそうだし、集団と集団の間においてもしかりです。

 ただ、人間は他の動物と峻別される高度な知恵を有しています。そして、その地位を使い、自分たちが構成する社会の中に法律、ルール、道徳などによって一定の秩序を設計し、争いを回避する工夫をしてきました。

 

・要するに、21世紀の現在においても、「世界の秩序」と「個々の国家の自由・独立」の関係は、「国家」と「個人」の関係よりはるかに未成熟であり、極めて不安定な状態にあるという他ありません。

 軍事について考えるとき、私たちは好むと好まざるとに関わらず、こうした世界に生きているということを認識することから始めるべきでしょう。

 

・ところで、国内の秩序を維持するための「力」を付与されている組織は一般に警察ですが、国際秩序を維持するための「力」とは100年前までほぼ軍事力のことでした。

 現代世界では、経済力、文化力、あるいはそれらを含めた「渉外機能としての外交力」の比重が高まり、脚光も浴びています。しかし、だからといって軍事力の重要性が低下したわけではありません。

 軍事の在り方は戦前と戦後では異なるし、戦後も米ソ冷戦時代とソ連崩壊後、アメリカにおける9・11同時多発テロ後ではかなり変化しています。ある意味で、世界秩序における軍事の重要度は、以前よりもむしろ高まっているといえます。

 

<「世界中から軍事力を排除すれば平和になるのだ」という単純な論理>

・ひとつ、例をあげてみましょう。つい20年ほど前、ルワンダで10万人以上の人々が鉈や棍棒で殺戮されるという悲惨な民族紛争が起きました。私たちは、この事実をどう理解すればよいのでしょうか。

 

・現実には軍事力こそ戦争の抑止に大きな役割を果たしているというのが私たち人間の世界の実相です。

 

・周知の通り、20世紀は「戦争の世紀」といわれています。世界の人口が25億~30億人であった20世紀前半、2度の世界大戦における死者数は5000万人~6000万人にのぼりました。一方、20世紀後半の戦争、すなわち朝鮮戦争ベトナム戦争をはじめとする「代理・限定・局地戦」と呼ばれる戦争での死者数は3000万人以下とされています。また、その間に世界の人口が60億~70億人に増加したことを考え合わせると、20世紀の前半より後半の方が、はるかに平和になった、ともいえます。

 

・米ソ2極時代、互いが消滅するような核戦争を起こすことは、現実には不可能でした。また、核兵器保有しない国同士による戦争が世界戦争に発展しないよう、米ソ2大軍事大国が、通常兵器の威力をもって抑え込んだことも一定の抑止となりました。

 まことに皮肉なことながら、大量破壊兵器である核兵器の存在が20世紀後半の世界に相対的平和をもたらした要因であることは事実なのです。

 

<いずれにせよ、歴史が教える通り、最も危険なことは無知であることなのです>

・その間、日本政府が宣言した非核三原則にも関わらず、核兵器が持ち込まれていたことも、アメリカの外交文書が公開されたことから明らかになっています。

 以上のような事実から導かれるのは「憲法第9条により軍隊を保有しなかったために日本は平和を享受できた」という説がフィクションだということです。

 

・以上述べてきたことからわかるように、人間の世界において軍事とは平和と不即不離の壮大なパラドックスということができるのではないでしょうか。

 

<軍隊とは、武力の行使と準備により、任務を達成する国家の組織である>

・現実に武力を行使するかどうかではなく、悲惨な歴史的教訓がその背景にあるわけです。現実に武力を行使するかどうかではなく、武力を行使する準備があると相手に理解させることが大切だと考えているのです。

 

<安全保障を成立させる4つの方法>

・脅威に対して価値を守る手段として次にあげるような4つの方法があるように思えます。

  1. 失って困るような価値は最初から持たない
  2. 脅威(敵)をなくす。または敵の力、意志を弱める
  3. 被害を被っても、その被害を最小限に食い止め、回復するための準備をしておく
  4. 脅威(敵)をつくらない。あるいは敵を味方にする

 

・以上、4つの手段を紹介しましたが、これらを見ても、安全保障の設計には外交と軍事両面が重要だとおわかりいただけるはずです。軍事なくして安全保障は成立しませんし、軍事だけでも安全は確保できません。安全保障においては、軍事と外交が両輪となって機能していくということをここでは理解してください。

 

<情報>

<なぜいま「情報」なのか>

大東亜戦争時の帝国陸海軍は「情報」を軽視しそれ故に敗れた、ということがよくいわれます。私もその意見に同意します。確かに、作戦畑しか経験しなかった元帝国陸軍将校の一部に、自衛隊員になってからも「あの情報屋たちの書く情報見積もりなど、30分もあれば俺がひとりで書いてみせる」と言う勇ましい人がいたことは事実です。ですが、このような情報軽視の根本的原因は、このような作戦将校たちにあったのではなく、情報将校をも含む陸海軍全体に、さらにはその背景をなす日本国民全体の中にこそあった、と知らなければなりません。

 

・民主主義世界ではすべての情報を互いに公開すべきだという意見がありますが、「闘いの世界」では秘密保全は極めて重要なことです。それは民主主義世界においても皆さんの個人情報が保全される必要があるということと実は同義なのです。

 正しく説得力のある情報は、作戦担当者の決断を促し、時にはその決断を強要するものでなければなりません。情報は学問の世界における「知識ならぬ知(智)」です。日本では「水と情報は無料」だという誤解がありますが、これらは本来極めて価値ある(高価な)ものであると認識する必要があります。自衛隊が、そして国中が情報の価値を認識した時、情報軽視(蔑視)という悪弊は消え去り、国民もより強靭になることでしょう。

 

機械的情報と人間情報>

・そして、最も上質の人間情報とは、相手の意図を戦わずして我が意図に同化させることなのです。その意味では今、政治的にも「首脳外交」が、そして軍事的には「防衛交流」が、ますます重要になってきているといえるでしょう。

 

<「三戦」時代の情報>

・既に述べたことですが、中国は「今や三戦(心理戦、広報宣伝戦、法律戦)の時代である」と自ら宣言してその「戦い」を推進しています。彼らは、その三戦の背景を為すものとして軍事力を極めて有効に使用します。

 我が国の安全保障分野に従事する者は、その中国の三戦の背景にある軍事力がどのようなものであるかを見抜く情報能力を持たなければなりません。

 

・逆に、自衛隊の軍事力が日本の三戦の背景の一部としてどれだけ効果的なものであるか、それを増強するにはどうすべきか、について国家安全保障局、外務省、財務省に進言しなければなりません。

 すなわち、現代の軍事情報そのものが三戦(心理戦、広報宣伝戦、法律戦)を含んだ戦略分野に移行しつつあるということなのです。

 

<作戦>

<戦略と戦術>

・軍事における作戦は、将校(幹部自衛官)の本業(主特技)だといわれています。しかし、情報を軽視した作戦はあり得ないし、後述する教育・訓練や兵站を無視した作戦もあり得ません。

 

アメリカの存在感の相対的低下、中国の経済力・軍事力の爆発的拡大と覇権的野望、北朝鮮の核保有、韓国の国家レベルでの反日キャンペーン。冷戦後、ほぼ同時期に起こったこうした変化は、当然のことながら日本の安全保障に大きな影響を及ぼさざるを得ません。

 加えて、戦後長らく続いた日本の経済中心戦略は綻びを顕にします。バブル崩はじめとする壊を経て、肝心の経済力の凋落は覆うべくもありません。経済紙誌をはじめとするメディアが日本の状況を「第二の敗戦」と表現してから久しく時が流れました。

 

・いずれにせよ、戦略とは自衛官(軍人)の問題ではなく、政治家、そしてその政治家を選ぶ国民1人ひとりの問題であるということをここでは指摘しておきます。

 

<戦術における基本原則>

・「専守防衛」という言葉は、かつての自衛隊では「戦略守勢」といっていたのですが、1970年頃に中曽根防衛庁長官がつくった『日本の防衛』において「専守防衛」に換えられました。もっとも、この「専守防衛」という言葉をはじめに発明した人は中曽根長官ではなく、意外にも航空自衛隊幹部(一空佐)であったという話です。

 国策を変えるということは戦略を変えるということなので、現職自衛官からは言い出しにくい問題です。しかし、私ども自衛官OBは、「攻撃は一切しない」と誤解されやすく、自衛官という専門家の手足を必要以上に縛りかねないこの「専守防衛」を「専守守勢」という本来の言葉に戻してほしい、と考えています。

 

<日本の戦略>

・日本の戦略は、外交・経済・文化・軍事等の専門家の意見を聞いて、国民の代表たる政治家が決定すべきものです。その意味で、2013年の秋に新組織・国家安全保障会議によって、日本初の「国家安全保障戦略」ができたことは、評価されてもよいと私は考えています。

 

・確かに、現代の日本の脅威は「大量破壊兵器の拡大」と「国際テロ・ゲリラ」なのです。

 

<PKO等海外勤務の増加>

・「後方部隊は後方にいるので安全である」というのは正に神話です。後方兵站部隊は防御力が弱いので、敵方からすれば格好の攻撃目標となります。また後方兵站部隊が叩かれれば戦闘部隊の士気は下がり、戦闘力も確実に落ちます。

 

<装備>

<オールラウンドな装備体系を>

・これらの兵器(装備)は、互いにそれを使わないようにするために存在するのですが、どんな兵器がどこで、いつどのようにつかわれるかは不明です。数量の問題については別途検討する必要がありますが、装備の質はオールラウンド、すべて整えておくというのが正道なのです。

 なお、核兵器による抑止という面についていえば、現実に保有しなくても保有できる能力を持ち続けるということで日本は対応すべきだと私は考えます。

 

<これからの自衛隊

<変化する自衛隊の役割>

・世界情勢の変化に対応して、自衛隊に求められる役割も大きく変化してきています。

繰り返しになりますが、現在の自衛隊が求められている任務は次の3点です。

  1. アメリカ主導の一極秩序を維持するためのバランスウェイト(重石)、あるいはバランサー(釣り合いを取る機能)となること
  2. 各国との共同による世界秩序を崩す勢力の排除
  3. 世界秩序が崩壊した時への準備

 

・しかし、いつの日か最悪の状況下で個別的自衛だけで生き延びなければならなくなった時、最期の頼りとなるのは自衛隊です。そう考えると、何よりも人材の育成と技術開発が重要になります。具体的な兵器を揃えるとか、部隊の編成をどうするかという話よりも、どのような状況にも対応できる人と技術を備えておくことが、防衛力の基礎となるのです。

 日本の防衛力整備を考えると、現在はハードよりもソフトが重要になっています。人材や情報ももちろんそうですが、自衛隊が行動する上での法律や運用規則の整備も必要です。

 

<「自衛」を越えて>

憲法改正をめぐる議論の中で、自衛隊の名称を変更すべきだとする話があります。自民党憲法改正案では「国防軍」となっています。長い間務めた組織ですから、自衛隊の名前には愛着がありますが、私も改称する時期に来ていると思います。

 

陸上自衛隊への期待>

・そして外国からの援助が期待できなくなった時、最も頼りになるのは国産装備です。すべての装備というわけにはいきませんが、本当に基幹となる装備だけは、自前で生産とメンテナンスができる体制をつくっておかなければなりません。こればかりは事態が迫ってから準備を始めても間に合わないので、30年後、50年後を見据え、今から基礎を打っておくことが必要です。

 最後に、すべてを通じて最も重要な事は、第一も第二も第三の役割も、どれをとっても自衛隊だけでは果たし得ないということです。国民・地元民・友軍・ボランティア団体等の絶大な信頼と支援がなければ、自衛隊は何をすることもできないのです。

 

自衛隊は強いのか>

・そこで、「艦艇の総トン数にして海上自衛隊は世界5~7位の海軍、作戦機の機数でいうと航空自衛隊は世界で20位ぐらいの空軍、兵員の総数からし陸上自衛隊は世界で30位前後の陸軍、というのが静的・客観的な評価基準です。真の実力はその基準よりも上とも下ともいえるわけで、想定する戦いの場によって変わってきます」と答えることにしています。

 

・現実に、隊員たちは極めて厳しい訓練に参加しており、安全管理に徹しつつも、残念ながら自衛隊発足時から60年間に1500人(年平均25人)を超える訓練死者(殉職者)を出しています。殉職した隊員たちは、この訓練は危険な厳しい訓練だと承知した上でこれに臨み、亡くなった方々です。

 

・「自衛隊は強いのか」という質問は、実は「国民は強いのか」と言い換えて、国民1人ひとりが自問自答すべきものなのではないか、私はそう考えています。その意味で徴兵制の有無に関わらず、「国民の国防義務」を明記した多くの諸外国憲法は参考になると思います。

 

 

 

自衛隊の情報戦』  陸幕第二部長の回想

塚本勝一  草思社  2008/9

 

 

 

<情報担当>

陸上幕僚監部(陸幕)の第二部(情報担当)長をつとめ、朝鮮半島の問題のエキスパートとして知られる元高級幹部が、ベールに覆われていた活動の実相を初めて明らかにする。

 

・「よど号」ハイジャック事件と「金大中拉致事件」が多くのスぺ―スを占めているが、これは前者は、私が直接体験した事件であり、これを刻銘に追って記録としてとどめ、後者はなんの根拠もなく陸幕第二部が中傷されたことがあり、これまで適切な反論がなかったのでやや詳細に事実を記述した。

 

<これからの防衛省に何が必要か>

<国防力の狙いは「抑止力」>

・国防力の最大の狙いは「抑止力」なのである。だから防衛省などと言わずに「国防省」とし、日本の強い意志を内外に示したほうがよかったであろう。強い意志を示すことが一つの抑止なのである。この自主国防への意識の改革が、まず重要な課題である。

 

イラク派遣の無形の収穫>

・一方でイラクへの自衛隊派遣は、自衛隊自身にとって大きな収穫があった。それは、自衛官一人ひとりが統率の緊要性に目覚めたことであった。平和な状態に馴れた自衛隊は、物質万能の世相を受けて、ややもすれば物品を管理する曹(下士官)が幹部(将校)より力を持つことになった。イラクへの派遣は、この傾向を霧散させた。指揮系統の重要性を体得して、軍(部隊)の統率の本来あるべき姿に帰ったのである。この無形の収穫は、はかり知れないほど大きい。

 

武装集団にとって、士気は重要な要素である>

・私の体験からも、自衛隊は永年にわたって下積みの苦労を味わってきた。当初は「税金泥棒」とすら言われ、その後も日陰の扱いが続いた。それに耐えて黙々と訓練にはげみ、災害派遣では最も厳しい場で任務を果たしてきた。

 

<老兵からのメッセージ>

・当時の日本軍は、第1次世界大戦か日露戦争の頃とあまり変わらない歩兵が主体の軍隊であった。いわゆる「75センチ、114歩」、すなわち歩幅は75センチ、1分間に114歩で行動するしかないということだ。戦後になって米軍がジープという小型の全輪駆動車を、ごく普通に使っているのを見て驚いたものである。

 

・その後、内地の陸軍通信学校に入校し、すでに米英軍ではレーダーが実用化されていることを知った。科学技術の遅れを痛感させられたが、われわれ軍人だけではどうしようもなかった。また陸軍大学校の最後の卒業生の一人として、ほんの少しだけにしろ、終戦当時の大本営の緊迫した空気にも接した。戦後、旧軍人に対する公職追放の解除とともに、警察予備隊に入隊し、創隊当初の苦労も味わった。

 警察予備隊では米軍人が顧問で、最初は旧軍人を完全に排除していたため、米軍のマニュアル(教範)を日系二世が翻訳して訓練していたから、珍談にはこと欠かない。

 

・自分で経験し、または見聞したことを、断片的ながら取り上げ、なんらかの参考になればと記述したものが本書である。「針の穴から天井をのぞく」「九牛の一毛」の謗りは免れないが、あえて世に問うものである。

 

<リーダーシップ。長幼の序、軍紀、科学技術>

終戦間近の陸軍大学校でも科学教育はなされており、われわれは仁科研究所の所員から核兵器の講話を聞いたことがある。原子爆弾についての机上の研究は終わり、製造の予算を請求したが却下されたとのことであった。この戦局ではそんな予算がないし、間に合わないであろうという理由だったそうである。

 そこで仁科研究所は原子爆弾の開発を中止し、殺人光線の研究に切り替えたと語っていた。今に言うレーザー光線のことであろうが、大きな設備で至近距離の小動物を殺傷するのが限界だったようである。またこの研究所には、優秀な朝鮮系の研究者がおり、そのうちの3人が戦後に北朝鮮に渡り、北朝鮮核兵器開発の中堅となったことは、時世の運命としか言いようがない。

 

<「ときすでに遅し」の陸軍中野学校

明治維新における西郷隆盛も、謀略を駆使して無益な戦闘を避けつつ、徳川幕府を倒した。また日露戦争中における明石元二郎大佐(のち大将)の対露工作も著名であった。明石大佐はストックホルムを拠点とし、ロシアの反政府組織を支援し、日露戦争を側面から支えた。この工作資金として百万円支給されたと言われるが、当時の陸軍予算が四千二百万円であったことを思えば、その巨額さには驚かされる。

 

山本五十六連合艦隊司令長官は、開戦に先立ち「1年は暴れて見せる」との言葉を残したが、その後については、「2年、3年となれば、まったく確信が持てない」と率直に述べている。

 

・人の発言の裏を読むことを訓練されている情報屋が山本五十六の発言を耳にすれば、2年目からは自信がない、戦争終結の方策を考えよと言っていることに気がつく。それが情報担当者の習性であり、かつ責務である。ところが当時の情報屋の発言力は弱く、そこまで読んだ人が表に出られなかった。そして、純粋培養された中堅の幕僚のほとんどは、当面の作戦のほかに考えが及ばなかった。これが国を大きく誤らせたと言える。

 

<「南京事件」と宣伝戦の巧拙>

<2年後の南京に「戦場のにおい」なし>

<間違えてはならない住民対策>

・この沖縄戦の例は、軍と国民のあいだに密接な協力関係があっても、なお国内戦では住民対策がむずかしいことを示している。わが国では地上戦がきわめて困難であり、ほとんど不可能であることを実証している。

 専守防衛を攻略するわが国では地上戦ができないとなると、防衛の策はただ一つ、強力な海、空戦力とミサイルによる抑止力に頼らざるを得ないことになる。洋上や領海で侵攻してくる敵をことごとく撃滅する力を誇示するほかはないのである。

 

<つくり出された従軍慰安婦問題>

<旧日本軍に「従軍慰安婦」はない>

<部隊と慰安所の本当の関係>

<広報・宣伝に6割、戦闘に4割>

・以上述べた「南京事件」と慰安婦問題から得られる教訓は、広報の重要性と、もう一つ、軽々しく謝罪してはいけないということであろう。

 

・紛争を引き起こす勢力は、戦闘で勝とうとは思っていない。正面から正規軍とぶつかって勝てるような力を持っていないことが多い。世間を騒がせたり、民衆に恐怖心を抱かせたりするのが目的であり、あるいは相手国のイメージダウンを図ったり、内部で暴動を起こさせたりする。目的を達したり、追えば手を引き、隠れてしまう。

 このような敵に勝つためには、個々の戦闘に対処するだけでなく、広報や宣伝で圧倒してしまうことが重要となる。われに同調する国、民衆を多くして、厄介な敵を孤立させるのである。そのために広報は重要な戦力なのである。

 

<非難を覚悟で「河野談話」の取り消しを>

・広報・宣伝とともに留意しなければならないのは、国際関係では絶対に謝ってはならないことである。謝るにしても、最大は「遺憾に思う」が限度である。

 

・まさか慰安婦問題で、国交断絶までする国はないであろう。しかし、ODA(政府開発援助)を取られ、日本の安保理常任理事国入りをさえぎられた。日本のような人権無視の国に常任理事国の資格はないと言う。これは「河野談話」など出して、こちらが最初に謝ったのが間違いだったのである。

 国際関係では、曖昧な表現がなされれば自分の有利なように解釈する。陳謝すれば、そこで終わりとなり、あらゆる不利な話を押しつけられる。「河野談話」を取り消さないかぎり、日本にとって不利なことばかりが続く。取り消すとなれば、これまた大きな非難を覚悟しなければならないであろう。

 

<「専守防衛」の政略に縛られる>

・現在の自衛隊には、中野学校のような教育機関はないし、謀略、諜報の機能をもつ組織もない。自衛隊は、憲法に基礎がある「専守防衛」との政治戦略の拘束を受けるので、謀略、諜報にはなじまないところがある。

 

<あるべき防衛省の“情報”>

<「人事と予算」二つのネック>

・情報重視と叫ばれて久しい。専守防衛の国だから、ウサギのような大きな耳を持つべきであると語られてきた。ところが、あまり実効はあがっていない。私の経験からすれば、人事と予算という大きなネックがある。

 

<東アジアの情報に弱いアメリカ>

<CIAも万能な情報機関ではなく、弱点もある>

・CIAは、ブリック・システムをとっている。煉瓦の積み上げ方式と言われるもので、個々の要因は多数の煉瓦の一つで、それを積み立てて情報組織を構成している。私が陸幕第二部長であった1970年代初期におけるCIAの活動の重点は、当然ながらソ連と中東であった。そのためのアジア正面での煉瓦の壁は薄かった。薄い壁だから、一ヵ所が崩れれば、全体が瓦解する。それが弱点であった。

 情報面での自衛隊のカウンターパートは、米国防総省のDIA(国防情報局)であり、これはピラミッド状の部隊組織をとっている。これも強力な情報機関であり、主として軍事情報を扱っている。CIAは政治や経済が主な対象であるから、そこに自ずから努力の指向が異なってくる。また東アジアに強いのはDIAで、CIAは弱い。極東正面では、DIAがCIAを補完するという関係があったように見受けられた。

 

<「非核三原則」を見直すべきときが来た>

北朝鮮は国際世論や取り決めなど、まったく眼中になく実験を強行したのだから、いったん核兵器を手中にすれば、なんの躊躇もなくこれを使うと見なければなるまい。北朝鮮は、十分日本に届く弾道ミサイルの実験をして、すでに配備を終えている。この核実験は日本にとって衝撃的な出来事であった。

 そこで日本国内に核兵器対抗論が沛然として起こるかと思ったが、「持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核三原則」にすっかり溺れているのか、世論はほとんど反応しなかったように見受けられた。有力な閣僚が核政策について議論すべきときが来ていると至極当然の発言をしたことに対して、野党の幹部をはじめマスコミ、媚中媚朝派の学識者らが反発して、議論の芽を完全に閉じ込めてしまった。

 

・もし広島型核兵器が東京を直撃したならば、死者50万人、負傷者3百~5百万人という慄然とする予測を、これらの人たちはどう考えているのだろうか。おそらく、「そのような問題はわれわれの世代には起こらない」「後世の者が考えて苦労すればよい」といった程度に思っているのだろう。西郷隆盛座右の銘の一つにしていた「先憂後楽」とは

ほど遠い。

 核兵器をめぐる事態は、より早く進んでいる。今すぐ対処の方法をたてなくてはならないほど切迫しているのである。

 

核兵器に関しては、日本はアメリカの核の傘に頼らざるを得ないのである。アメリカも核の傘を日本に提供すると言明している。ところが、日本は非核三原則を政策の重要な柱と位置づけている。

 核兵器は「抑止の兵器」だから、平時には非核三原則も有効と考えてもよいであろう。ところが、日本が核攻撃を受けるのではないかというほどの事態が緊迫すれば、アメリカの核政策と非核三原則と矛盾する点が浮上してくる。日本はアメリカの核政策を享受しながら、それに制限を加えている。非核三原則の第三、「持ち込ませず」である。アメリカの立場から見れば、「(アメリカは)日本を核兵器で守れ、しかしそれは持ち込むな」ということになり、これでは身勝手すぎる。

 そこで、日本に核兵器の危機が迫るような情勢になれば、アメリカと調整して、「持ち込ませず」の原則の撤廃を宣言することが緊要である。この宣言をするだけでも大きな抑止力となる。抑止力とは、形而上の問題である。だから、あらゆる手段を最大限に活用しなければならない。いたずらにきれいごとにこだわり、いつまでも非核三原則にしがみついていれば、核兵器の抑止力は破れ傘となる。

 

・「持ち込ませず」の原則を撤廃するとともに、領空や領海を含む日本の国内に配備されたアメリカの核兵器使用権限の半分を日本が持てるように協定することも考慮すべきであろう。

そうすれば、核抑止力の信頼性はより確実なものになる。繰り返しになるが、核抑止も結局は形而上の問題であるから、抑止効果のある施設を研究して、積極的に採り入れることが重要である。

 

・現在の迎撃方式が完璧でないとなれば、弾道ミサイル防衛と並行して、相手のミサイル基地を叩くミサイル報復攻撃の整備も必要になってくる。日本は専守防衛の政略によって拘束されているので、反撃のためのプラットホームは国内か領空内に限られる。軍事的合理性を追求できないことになるが、それでも核攻撃を受ければ、その発射基地、発進基地を徹底的に叩く報復攻撃の準備は必須である。

 

<前防衛事務次官汚職による逮捕>

・日本防衛の最高責任者は首相であり、次いで防衛大臣であることは周知のことだが、実質平常業務の最高責任者は事務次官であると聞けば多くの人は驚くだろう。

 だが、そうなっている。事務次官はほかの9人の参事官(内局の局長等)の補佐を得て、大臣の指揮下にある統合幕僚長、陸海空幕僚長、情報本部長等を束ねて防衛省の意思を決定し大臣に報告する。補佐官のない大臣は「よかろう」と言って防衛省の行動方針を決める。つまり、平常の業務はシビリアンコントロール(政治統制)ではなく、官僚統制となっているのである。

 平時と有事との限界ははっきりしないから、官僚統制の状態はずるずると有事にまで及ぶ危険性がある。本書はシビリアンコントロールの実を発揮するため、まず軍政と軍令を分離し、軍令は統合幕僚長が、軍政は事務次官が、同等の立場で大臣を補佐することを提唱した。それが本当のシビリアンコントロールなのだが、その方向に進むことを期待している。もしそうなれば、前事務次官の逮捕という災いが転じて福をなすことにもなると思う。

 

 

 

自衛隊秘密諜報機関』   青桐(あおぎり)の戦士と呼ばれて

阿尾博政  講談社    2009/6/5

 

 

 

<胸に刻まれた諜報任務の重み>

・数週間の教育が終わり、やがて、私が兄貴と呼ぶことになる内島洋班長のもとで仕事をすることになった。内島班は、内島班長、班員の根本、伊藤の3名で構成されていて、当時は、新宿区大久保の住宅地にあった2Kのアパートの一室を事務所としていた。

 こうした諜報の拠点は、存在を隠すために、約2、3年ごとに転出をくり返すのだが、ここに私が新米諜報員として加わったのだ。

 最初の担当地域は極東ロシアであった。このため、ロシア語を勉強しなければならず、夜間は御茶ノ水にあったニコライ学院に通った。

 また、調査の縄張りに新宿区が入っていたことから、暇を見つけては、当時、四谷にあった伊藤忠の子会社であるロシア貿易専門商社「進展貿易」にもよく通ったものだった。

 

伊藤忠は、元関東軍参謀の瀬島隆三が戦後に勤務した会社で、この瀬島とソ連(現・ロシア)との関係に疑問符がつけられていたことから、私も内偵をしたことがあるのだが、結局、これといった確証は得られなかった。

 

・秘密諜報員という任務の厳しさを思い知らされたのも、この時期である。

 極東ロシアの軍事拠点であるナホトカとハバロフスク白地図を、詳細な地図に作り直す仕事を私が担当することになった。今ならスパイ衛星などのハイテク機器を使うのだろうが、そんな代物などなかった時代だ。地道に見たこと、聞いたことを地図に書き込み、国防に役立てるしかなかったのだ。

 

・私は、まずナホトカの地図作りから取り掛かった。ナホトカと日本を行き来する木材積み取り船があったので、私は搭乗していた通訳を買収した。そして、通訳が現地へ行こうとするたびにカネを渡し、知りたい情報を仕入れてきてもらった。こうしてナホトカの地図は、ほぼ完璧に仕上がった。

 

<秘密諜報機関の誕生>

・諜報活動はいわば放任主義で、工作資金についても自由裁量でいくらでも使うことができた。私も湯水のごとく工作資金を使ったが、班長も先輩たちも一言の文句もいわなければ、何の注文をつけずに、ただ部下の行動を静かに見守るといった態度だった。

 そこで昔のコネを思い出して、経団連副会長だった植村甲午郎実弟である植村泰二が所長をつとめる「植村経済研究所」の人間として活動を開始した。だが、諜報員として成果を挙げて、先輩に負けてなるものかと努力すればするほど、ある疑問が心のなかで大きく育っていった。それはムサシ機関が得た成果を、米国側がすぐに知るという点だった。

 

<怪傑ハリマオのモデルと藤原岩市>

・この藤原岩市と山本舜勝は、ともに戦前の陸軍中野学校で教官をつとめ、藤原のほうは太平洋戦争の初期にF機関の機関長として、マレー半島で大活躍をした。戦後、テレビで大人気だった『怪傑ハリマオ』のモデルであり、マレーの虎「ハリマオ」と呼ばれた谷豊を諜報員として育成したのが、この藤原岩市である。

 

・また、後に調査学校の副校長に就任する山本舜勝のほうだが、彼は私の調査学校時代の教官で、青桐会の先輩と後輩として、友情は長く続い

た。山本は藤原とは対照的な、行動派だった。三島由紀夫と山本舜勝とのことは、『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した真実の告白』(山本舜勝著 講談社)に詳しいので、興味のある方は一読してみるといいだろう。

 藤原と山本は、私にとって人生の恩師といえる存在だった。

 

<秘密諜報員の日常>

・諜報は国防や国益に関わる重要な仕事だが、その内容は案外地味なものだ。上層部から「これをやれ」と命じられたら、「分かりました」と返事をし、任務遂行のため黙々と課題をクリアしていくだけである。ときには命に関わる危険な仕事もあるが、「007」のジェームズ・ボンドのように、さっと銃を抜いて敵を撃ち、危機を脱するようなことなどないのだ。

 そして任務が完了したら、せっせと報告書を仕上げ、上司に提出する。ときには、部下数名と徹夜で報告書を書き上げたこともある。基本は、普通のサラリーマンと何ら変わらないのだ。

 

<国家の秘密は書にあり>

・何もジョームズ・ボンドの真似をしなくても、その国の正規の出版物をよく整理し、比較研究すれば、国の動きは読み取れるのだ。

 とくに軍の機関紙である『解放軍報』には、表面的には隠していても、やはり書き手も軍の人間だから、軍人としてのプライドや思いといったものが滲み出た表現の文章がある。その裏を読んでいけば、かなり正確な情報がつかめるものなのだ。

 

 

 

『日米秘密情報機関』

影の軍隊」ムサシ機関長の告白

平城弘通   講談社   2010/9/17

 

 

 

<日米秘密情報機関は生きている>

・「ムサシ機関」とは、陸幕第二部別班、通称「別班」のことを指す。昭和47~48年ごろ、共産党の機関紙「赤旗」によって、秘密謀略組織「影の軍隊」であると大きく宣伝をされ、国会でも追及を受けた組織だ。昭和48年(1973年)に金大中拉致事件が起きたときには、これも「別班」の仕事ではないかということで、また騒がれた。

 

・私は陸軍士官学校出身の職業軍人として中国大陸で転戦し、昭和26年(1951年)、警察予備隊自衛隊の前身)に入隊した。22年間の自衛官生活のうち、中隊長(第8連隊第3大隊の第12中隊長)、大隊長(第7師団第7戦車大隊長)、連隊長(第7師団第23普通科連隊長)を務めた一時期以外は、大部分を情報将校として仕事にあたってきた。

 

・そのころは、米ソ冷戦時代で、両陣営の衝突は日本国内に甚大な影響をもたらすことは火を見るより明らかだった。自衛隊で早くからソ連情報を担当した私は、共産主義とは何か、その歴史的事実等に興味を持ち、研究を進めるうち、その非人道的な残酷な史実を突きつけられ、反共の思想を持つに至った。

 

・今日、非常の事態、たとえば大規模・同時多発テロ北朝鮮の核攻撃、中国軍の南西諸島侵略など、現実の脅威に備えるため、政治家や国民が真剣に考えているのかどうか、誠に心許ない。しかし、情報機関は存在そのものが「秘」であり、いわんや活動の実態については極秘でなければならぬと信じている。

 

・さらに、三島由紀夫に影響を与えたとされている山本舜勝元陸将補(元自衛隊調査学校副校長)は、平成13年に出版した『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』で、自衛隊の諜報活動の存在を明らかにしている。

 加えて近年、「自衛隊 影の部隊」に関する本が、塚本勝一元陸幕ニ部長(『自衛隊の情報戦陸幕第二部長の回想』)や松本重夫調査隊第一科長(『自衛隊「影の部隊」情報戦 秘録』)らによって相次いで出版され、さらに先述の阿尾が『自衛隊秘密諜報機関』を出して、そのなかで本人が別班に所属していたことを公表した。そして、「ムサシ機関」という秘密機関は実在し、機関長は平城一佐だったと暴露してしまったのだ…………。そのため私は、多くのマスコミから電話や手紙による取材攻勢を受け、その対応に苦慮した。

 

・とくに、その是非は別として、現在は専守防衛を国是とする日本では、情報こそが国家の浮沈を握る。その中心部分を担う「日米秘密情報機関」、いってみれば「自衛隊最強の部隊」が、その後、消滅したとは思えない。私は、現在でも、この「影の軍隊」が日本のどこかに存在し、日々、情報の収集に当たっていると確信している。

 

明石元二郎大佐は日露戦争全般を通して、ロシア国内の政情不安を画策、日本の勝利に貢献した。そのため、彼の働きを見たドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果をあげた」と賞讃した。また、陸軍参謀本部参謀次長の長岡外史は、「明石の活躍は陸軍10個師団にも相当する」と評している。

 明石のDNAを、自衛隊は、いや日本人は受け継いでいるのだ—―。

 

<東方二部特別調査班の活躍>

・私が力を入れた東方二部特別調査班(調査隊所属)は、昭和44年3月、編制を完了し、大阪釜ヶ崎を経て山谷に入り訓練を重ね、同年6月から本格的行動に移った。一部を横浜方面に派遣し、主力は山谷を拠点として、さまざまな集会、とくに過激派の集会には必ず潜入させ、各種の貴重な情報を入手させた。ただ、攪乱工作をやるような力はなく、もっぱら情報収集を秘密裡に行う活動だった。

 私は武装闘争をいちばん警戒していたから、武器を持っているか、どのくらいの勢力か、リーダーは何をいっているのか、そのようなところに重点を置いて情報を収集した。

 

三島由紀夫との出会い>

三島事件は、自衛隊史上、最大の汚辱事件>

・私の二部長時代には、文壇では既にノーベル文学賞作家に擬せられる大家であったが、文人としては珍しく防衛に関心のある人物として、三島に好意を持っていた。

 

・その後、事件の詳細を知るにつけ、私が痛感したことがある。それは、三島の憂国の至情はわかるとしても、あのような内外情勢、とくに警察力で完全に左翼過激勢力を制圧している状況下で、自衛隊が治安出動する大義がない、ということだ。それを、事もあろうに、いままで恩義を受けた自衛隊のなかで総監を監禁し、隊員にクーデターを煽動するとは……。

 

<二将軍は果たして裏切ったのか>

・だが私は、三島がそれにあきたらず、自ら立案したクーデター計画の実行にのめり込んでいく様子に気づいていた。(中略)武士道、自己犠牲、潔い死という、彼の美学に結びついた理念、概念に正面切って立ち向かうことが私にはできなかった。(中略)

 三島のクーデター計画が結局闇に葬られることになったのは、初夏に入ったころだった。私はその経緯を詳しくは知らない。(中略)

 いずれにせよ二人のジェネラルは、自らの立場を危うくされることを恐れ、一度は認めた構想を握りつぶしてしまったのであろう。(『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝、講談社

 

<三島には大局観を教えなかったがために>

・以上のような山本舜勝氏の回想記を読んだ私の所感は次のようなものだった。

 まず、山本一佐の教育は兵隊ごっこといわれても文句のいえないもの。情報活動の実務、技術は教えているが、情勢判断、大局観を教えていない。とくに、三島の檄文を除いて、この著書のどこにも警察力のことが書かれていない。三島のクーデター計画でも、警察力には触れず、いきなり自衛隊の治安出動を考えているが、自衛隊の出動事態に対する

研究がまったく不足している。

 

 

 

自衛隊「影の部隊」情報戦 秘録』

松本重夫  アスペクト     2008/11

 

 

 

<影の部隊>

・かつてマスコミや革新政党から「影の部隊」あるいは「影の軍隊」と呼ばれ、警戒された組織があった。自衛隊にあって情報収集と分析を専門に行う「調査隊」だ。私は調査隊の編成からかかわった、生みの親の一人である。

 

・私は陸軍の兵団参謀の一人として、終戦を迎えた。戦後たまたま米国陸軍情報部(CIC)と接点を持ったことから、彼らの「情報理論」の一端に触れることになった。

 

 それはかつて陸軍士官学校の教育にも存在していなかった、優れて緻密な理論体系だった。それを研究すればするほど、私は日本の敗戦の理由の1つは、陸軍のみならず日本の国家すべてが「情報理論」の重要さを軽視したことにあると確信した。残念ながら戦後半世紀以上たった現在も、その状況は変わっていない。

 

<「葉隠」の真意>

・1945(昭和20)年8月5日、私は宮中に参内して天皇陛下に拝謁を賜り、茶菓と煙草を戴いて、翌6日、陸軍大学の卒業式を迎えた。卒業式終了後、記念写真を撮り昼食の会食となる。そのころに、学生の仲間内で広島に大型爆弾の投下があったという噂を聞いた。その大きさは6トンまたは10トン爆弾かというような情報が流れ、「原爆」という表現は伝わらなかったが、しばらくして、「原子爆弾」という情報が不確定的ながら耳に入り、大変なものが投下されたなと思いつつも、各自、それぞれの任地に向かった。

 

三島由紀夫事件の隠れた責任者>

・1970(昭和45)年11月25日、作家の三島由紀夫が「盾の会」会員とともに市ヶ谷自衛隊駐屯地、東部方面総監室に立てこもり、割腹自殺を遂げた。私は当時、既に自衛隊を退職し、情報理論と独自の情報人脈を駆使して、民間人の立場で「影の戦争」を闘っていた。

 

三島事件の陰には調査隊および調査学校関係者がかかわっていたことは、山本舜勝元陸将補が『自衛隊「影の部隊」・三島由紀夫を殺した真実の告白』(講談社刊)という著書で明らかにしている。

 

 私は、山本氏が三島由紀夫を訓練しているということは、それとなく聞いていた。

そのとき私は、「ビール瓶を切るのに、ダイヤの指輪を使うようなことはやめた方がいい」と話した覚えがある。私は、山本氏らの動きは、三島のような芸術家に対してその使いどころを間違えていると思っていた。

 

・山本氏は、私が幹部学校の研究員(国土戦・戦略情報研究主任)だったときに、調査学校長だった藤原岩市に呼ばれて、調査学校に研究部員として着任してきた。研究テーマは私と同じ、専守防衛を前提としての国土戦つまり遊撃戦(ゲリラ戦)であった。私はその当時、韓国の予備役軍人や一般国民で組織される「郷土予備軍設置法」なども参考にしながら「国土戦論」を練り上げていた。

 

・山本氏らが調査学校の教官となり、「対心理過程」などの特殊部隊の養成を担当することになった。それが前述したように当初の私の構想とは異なった方向に進んでいたことは気づいていた。結局そのズレが「青桐事件」となり、三島由紀夫に「スパイごっこ」をさせてしまうような事態を招いてしまうことになったのだといわざるを得ない。

 

・山本氏に三島を紹介したのは藤原岩市である。山本氏によって通常では一般人が触れることのできない「情報部隊の教育」を受けさせ、三島の意識を高揚させることに成功するが、三島がコントロールできなくなると、藤原らは一斉に手を引き、山本氏と三島を孤立させていく。そのあたりの経緯を山本氏の著書から引用してみよう。

 

 《文学界の頂点に立つ人気作家三島由紀夫の存在は、自衛隊にとって願ってもない知的な広告塔であり、利用価値は十分あった》

《しかし三島は、彼らの言いなりになる手駒ではなかった。藤原らジュネラルたちは、『三島が自衛隊の地位を引き上げるために、何も言わずにおとなしく死んでくれる』というだけではすまなくなりそうだということに気づき始めた》

 

《藤原は三島の構想に耳を傾けながら、参議院選挙立候補の準備を進めていた。今にして考えてみれば、参議院議員をめざすということは、部隊を動かす立場を自ら外れることになる。仮にクーデター計画が実行されたとしても、その責を免れる立場に逃げ込んだとも言えるのではないか》

 

 この山本氏の遺作は、三島由紀夫の死に対して自らのかかわりと責任の所在を明らかにすると同時に、三島を利用しようとした藤原岩市らかつての上官たちの責任を示し、歴史に記録しておきたいという意志が感じられる。

 

<田中軍団の情報員>

・かつてマスコミが竹下派七奉行として、金丸信元副総理を中心に自民党内で権勢を振るった人物を挙げていた。梶山静六小渕恵三橋本龍太郎羽田孜渡部恒三小沢一郎奥田敬和。この格付けには異論がある。

 

・この「七奉行」の表現から抜けていて、忘れられている人物に亀岡高夫がいる。彼は金丸のように目立って権力を行使しなかったが、「創政会…経世会」の設立時に、田中角栄の密命を受けて竹下を総裁・総理にする工作を、築地の料亭「桂」において計画推進した主導者の一人である。

 

・この亀岡高夫と私が陸士53期の同期生でしかも「寝台戦友」であることは既に述べた。しかもGHQCICと協力して活動した「山賊会」のメンバーであり、自衛隊時代そして除隊してから、彼が昭和天皇の葬儀のときに倒れて亡くなるまで、私の戦後の「情報活動」は亀岡とともにあった。

 

・私は亀岡と顔を見合わせた。「福田は来ていないな……」

 福田は都議までしか挨拶に行っていない。下を固めろ。本部に戻ってその情報をもとに、方針を決めた。

 

「区議会議員と村長、市町村、これを全部やれ。県議は相手にするな」

 電話で全国の田中軍団に指令を出した。県議も区議、村長も同じ1票。福田派は県議のところに行って、その下の国民に一番密着している人のところに行っていなかった。県議に行けば下は押さえることができるという、古い考え方だった。それを田中軍団が、ごっそりとさらっていった。

 

 そのように密かに票固めを行っている最中に、福田の方から、国会での本選挙はやめようという申し出があった。田中は「しめた!」とばかりにその申し出を受け、劇的な勝利につながっていった。

 

 この総裁選がいわゆる「田中軍団」のローラー型選挙の嚆矢といわれている。そのきっかけは私と亀岡の地道な調査活動にあったことはあまり知られていない。

 

<中国情報部の対日情報活動>

・やや古いが、その当時私が入手していた、中国の情報機関に関する情報をもとにこの問題を整理すると、次のような背景がわかった。

 1974年当時、中国では国家安全省は誕生してなく、北京市公安局が国内外の情報を収集する機関としては中国最大の組織であり、約1万人ほどいたといわれる。当時の北京市公安局は13の部門に分かれていた。

 

・それぞれの科の中には、さらに最高レベルの秘密扱いにされていた外国大使館担当班が存在していた。第3処 尾行・視察調査 第4処 海外から送られてくる手紙などの開封作業を担当 (略) 第7処 不穏分子や海外からのスパイ容疑者の尋問  

こうした北京市・公安局の活動に対して、日本大使館の防諜意識は信じがたいほど低かったとの情報もある。

 29名いたとされる日本大使館に対する盗聴チームのもとには、常に新鮮なデータが集まっていたという(例:ある大使館幹部と、大使館員の妻とのダブル不倫関係まで把握していたほどであるという)。

 

O-157サリン事件の背景で>

・「対情報」の研究というのは今風にいえば対テロリズムの研究もそこに含まれる。そこではかつての大戦中の各国が行った生物・化学兵器の使用データの分析も行っている。

 

・資料が特ダネ式に入手されたとすれば、警視庁内の秘密保全のルーズさを示す“恥”となろう。しかし、これはどちらかといえば公安関係者からの意図的なリークに等しい。公安委員長(国務大臣)の責任・罷免に発展してもおかしくないのだが、ほとんどの国民は、この問題に関心を示すことはなかった。現実にはこの国では、こうした問題は機密漏洩対策の向上に役立てられることもなく、いわば政争の道具に利用されただけだ。「スパイ天国日本」という世界の防諜関係者からの汚名の返上は当分できそうにないようだ。

 

 <●●インターネット情報から●●>

(CNN)( 2014/10/16)米紙ニューヨーク・タイムズは16日までに、イラクに駐留している米軍が化学兵器を発見し、一部の米兵がそれにより負傷していたにもかかわらず、米政府が情報を隠ぺいしていたと報じた。

 

記事によれば2003年以降、マスタードガスや神経ガスとの接触により、米兵17人とイラク人警官7人が負傷。彼らは適切な治療を受けられなかったばかりか、化学兵器で負傷したことを口外しないよう命じられたという。

 

「2004~11年に、米軍や米軍による訓練を受けたイラク軍部隊は、フセイン政権時代から残る化学兵器に何度も遭遇し、少なくとも6回、負傷者が出た」と同紙は伝えている。

 

同紙によれば、米軍が発見した化学兵器の数は合わせて5000個ほどに上るという。

 

「米国は、イラクには大量破壊兵器計画があるに違いないとして戦争を始めた。だが米軍が徐々に見つけ、最終的に被害を受けたものは、欧米との緊密な協力によって築き上げられ、ずっと昔に放棄された大量破壊兵器計画の遺物だった」と同紙は伝えている。

 

国防総省のカービー報道官は、この報道に関連し、詳細は把握していないと述べる一方で、2000年代半ばから10年もしくは11年までの間に、化学兵器を浴びた米兵は約20人に上ることを認めた。

 

ニューヨーク・タイムズは政府が情報を隠ぺいしようとした理由について、事故を起こした化学兵器の設計・製造に欧米企業が関与している可能性があったことや、製造時期が1991年以前と古く、フセイン政権末期に大量破壊兵器計画があったとする米政府の説を裏付けるものではなかったからではないかとみている。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

イラク化学兵器あった~NYタイムズ紙

 

< 2014年10月16日 6:48 >

 15日付のアメリカ・ニューヨークタイムズ紙は、イラクフセイン政権時代の化学兵器が見つかっていたと報じた。

 それによると、イラク戦争後の2004年から11年にかけて、首都・バグダッド周辺でフセイン政権時代のマスタードガスやサリンなど化学兵器の弾頭5000発以上が見つかったという。弾頭は腐食していたものの、有毒ガスにさらされたアメリカ兵などがケガをしたとしている。アメリカ政府はこれまで、イラク戦争開戦の根拠とした化学兵器を含む大量破壊兵器は見つからなかったとしている。発見を公表しなかった理由について、ニューヨークタイムズは、化学兵器が欧米製だとみられたことなどを挙げている。

 これについて国防総省は15日、イラク化学兵器が発見されアメリカ兵約20人が有毒ガスにさらされたことは認めたが、公表しなかった理由については明らかにしなかった。

 

 

 

『メディアと知識人』  清水幾太郎の覇権と忘却

竹内洋  中央公論新社  2012/7/9

 

 

 

<東京が滅茶苦茶になる>

・そのような状況のなか、1970(昭和45)年を迎えることになった。清水は、満を持し、狙いをすましたように「見落とされた変数―1970年代について」を『中央公論』(1970年3月号)に発表する。

 

・世は未来学が流行っていたが、未来論はインダストリアリズムの反復と延長で、芸がなさすぎる。明るい未来学の潮流に反する問題提起こそ警世の言論となる。未来論に反する問題提起といえば、公害も社会問題となっていたが、これは猫も杓子もいっている。60年安保を闘った者がいまや公害問題に乗り換えている。目新しさはないし、そんな仲間と同じ船にまた乗っても仕方がない。そこで飛びついたのが地震である。アラーミスト(騒々しく警鐘を乱打する人)としての清水がはじまった。意地悪くいってしまえば、そういう見方もできるかもしれない。

 

 地震こそ清水の十八番である。清水は、16歳のとき関東大震災(1923年9月1日)で被災する。死者・行方不明者10万人余。2学期の始業式を終えて、自宅で昼食をとっているときである。激しい振動で二階がつぶれた。落ちた天井を夢中で壊して這いあがった。

 

・技術革新や経済成長によって自然の馴致がすすんだが、他方で自然の反逆がはじまったことを公害と地震を題材に論じている。清水は「私たち日本人は、遠い昔から今日までー恐らく、遠い未来に至るまでー大地震によって脅かされる民族なのであります」とし、論文の最後に、私たちにできることをつぎのように言っている。

 

・それは、東京を中心とする関東地方において、道路、河川、工場、交通、住宅、と諸方面に及ぶ公害の除去および防止に必要な根本的諸政策を即時徹底的に実施するということです。(中略)それは、或る意味において一つの革命であります。この革命が達成されなければ、1970年代に、東京は何も彼も滅茶苦茶になり、元も子も失ってしまうでしょう。

 

<「文春に書くわけがないだろうが!」>

・「見落とされた変数」は、来るべき大地震という警世論の頭出しだったが、翌年、『諸君!』1971(昭和46)年1月号には、「関東大震災がやってくる」というそのものずばりの題名の文章を書く。

 

<「関東大震災がやってくる」>

・清水は、地震学者河角広(元東大地震研究所長)の関東南部大地震の69年周期説――69±13年――をもとにこういう。関東大震災から69年は1991年である。13年の幅を考えると、1978(昭和53)年もその範囲内ということになる。とすれば、1970年代は関東大震災並の大地震が東京に起こりうるということになる。たしかに、東京都はいろいろな対策を考えているようだが、構想の段階で手をつけていない。そんなことで間に合うか、というものである。しかし、この論文には何の反響もなかった。「関東大震災がやってくる」を書いて2年8ヶ月のちの新しい論文では、これまで地震の危険を指摘した論文を書いたが、反響がなかったことを問題にし、こういう。

 

 ・・・私は、右肩上がりでの文章(「関東大震災がやってくる」論文――引用者)のゼロックス・コピーを作り、多くの国会議員に読んで貰おうとしました。けれども、私が会った国会議員たちの態度は、多くの編集者の態度より、もっと冷たいものでした。「地震は票になりませんよ。」

 

・1975(昭和50)年には、関東大震災の被災者の手記を集めた『手記 関東大震災』(新評論)の監修もおこなっている。清水の東京大震災の予言ははずれたが、「関東大震災がやってくる」から24年後、阪神淡路大震災が起きる。さらにその16年後の東日本大震災。清水は、地震は「遠い昔から今日まで――恐らく、遠い未来に至るまで」の日本の運命と言い添えていた。日本のような豊かな国が大地震のための「革命的」方策をとらないで大地震の到来を黙って待っているのか、といまから40年も前に警鐘を鳴らしていたのだ。

 

 <論壇への愛想づかしと「核の選択」>

・「核の選択――日本よ 国家たれ」の内容はつぎのようなものである。第一部「日本よ 国家たれ」では、こういう。日本国憲法第九条で軍隊を放棄したことは日本が国家でないことを宣言したに等しい。しかし、国際社会は法律や道徳がない状態で、軍事力がなければ立ちゆかない。共産主義イデオロギーを掲げ、核兵器によって脅威をあたえるソ連膨張主義がいちじるしくなった反面、アメリカの軍事力が相対的に低下している。したがって、いまこそ日本が軍事力によって海上輸送路の安全をはからなければ、日本の存続は危うくなる。最初の被爆国日本こそ「真先に核兵器を製造し所有する特権を有している」と主張し、核兵器保有を日本の経済力にみあう軍事力として採用することが強調されている。

 

・第二部「日本が持つべき防衛力」は、軍事科学研究会の名で、日本は独自に核戦略を立てるべきだとして、日本が攻撃される場合のいくつかのシナリオが提起され、空母部隊の新設など具体的な提言がなされている。最後に国防費をGNP(国民総生産)の0.9%(1980年)から3%にする(世界各国の平均は6%)ことなどが提言されている。この論文は、主題と副題を入れ替え、1980年9月に『日本よ国家たれ――核の選択』(文藝春秋)として出版される。

 

 論文が掲載されると、『諸君!』編集部に寄せ有られて賛否両論の投書数は記録破りになり、翌月号に投書特集が組まれるほどだった。

 

 

 

『未来を透視する』(ジョー・マクモニーグル

 FBI超能力捜査官

ソフトバンク・クリエイティブ)2006/12/21

 

 

 

<気象変動>

・来るべき気象変動により、2008年からこの台風の発生回数は増えていくと私は、予想している。とくに2011年は過去に例を見ない台風ラッシュとなり、大規模な暴風雨が吹き荒れる深刻な年になるとの透視結果が出ている。この台風ラッシュは、2012年にずれこむかもしれないが、可能性は低い。嵐の増加を促す地球の温暖化は、現在も急速に進行中だからである。

 

・2010年から2014年にかけて、また、2026年から2035年にかけて、平均降雨量は年々560~710ミリメートルずつ増加する。現在から2010年にかけて、また、2015年から2025年にかけては、380~530ミリメートルずつ減少する。現在から2010年にかけて、また、2015年から2025年にかけて、平均降雪量は300~550ミリメートルずつ増加する。

 

<日本の自然災害>

<2010年、長野で大きな地震が起きる>

・透視結果を見てもうろたえず、注意程度にとらえてほしい。ただし、最悪の事態に備えておいて、何も起こらないことを願おう。こと天災に関しては、透視は間違っているほうがありがたい。

 

<今後、日本で発生する大地震

 

2007年  高槻市  震度6弱

2008年  伊勢崎市 震度6弱

2010年  長野市  震度7

2012年  伊丹市  震度6弱

2018年  東京都  震度6弱

2020年  市川市  震度6弱

2037年  鈴鹿市  震度7

 

・噴火や地震にともなって海底では地盤の隆起や沈降が起きる。そして、膨大な量の海水が突然動きだし、衝撃波となって陸地の海外線へと進行する。

 

・遠洋ではあまり目立つ動きではないが、浅瀬に入ると、衝撃波は巨大な津波となって陸地を襲い、都市部などを徹底的に破壊してしまう(波の高さはときには30メートル以上になることもある)。

 

・内陸へと押し寄せる力がピークに達すると、今度は海に戻り始め、残された街の残骸を一切合財引きずりこんでいく。警告もなしに、突然襲ってくれば被害はとりわけ甚大となる。

 

・幸い日本には、優良な早期警戒システムがあるのだが、海底地震が発生して警報が発令されてから、津波が押し寄せる時間は、残念ながらどんどん短くなっている。

 

<日本を襲う津波

2008年夏   11メートル

2010年晩夏  13メートル

2018年秋   11メートル

2025年夏   17メートル

2038年初夏  15メートル

2067年夏   21メートル

 

日本は津波による大きな被害を受けるだろう(なお、波の高さが10メートル以上に及ぶものだけに限定している)。北海道の北部沿岸の都市部は特に津波に弱い。徳島市和歌山市浜松市鈴鹿市新潟市石巻市も同様である。このほかにも津波に無防備な小都市は数多くある。

 

<土地>

・気象変動とともに、日本の土地問題は悪化しはじめる。沿岸部での海面上昇と、暴風雨の際に発生する大波によって、低地の村落と小都市の生活が脅かされるようになる。堤防や防壁といった手段は効力を発揮しないため、2012年から2015年のあたりまでに多くの人が転居を余儀なくされるだろう。

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

「人文研究見聞録」から引用

五重塔の塑像の謎>

法隆寺五重塔には、仏教における説話をテーマにした塑像が安置されています。

 

その中の「釈迦入滅のシーン」があります。これはガンダーラの釈迦涅槃図と比較しても大分異なる、日本独自のものとなっています。

そして、法隆寺の塑像群の中にいる「トカゲのような容姿をした人物」が混じっており、近年 ネット上で注目を浴びています。

 

 問題の像は、塑像の○の部分にいます(実物では見にくいので、法隆寺の塑像のポストカードで検証しました)。

 

これらの像は侍者像(じしゃぞう)と呼ばれ、それぞれ馬頭形(ばとうぎょう)、鳥頭形(ちょうとうぎょう)、鼠頭形(そとうぎょう)と名付けられています。しかし、どう見ても「トカゲ」ですよね?

 

なお、この像がネットで注目を浴びている理由は、イラクのウバイド遺跡から発見された「爬虫類人レプティリアン)の像」と酷似しているためなのです。

爬虫類人レプティリアン)」とは、世界中の神話や伝承などに登場するヒト型の爬虫類のことであり、最近ではデイビット・アイク氏の著書を中心に、様々な陰謀論に登場する「人ならざる者」のことです。

 

もちろん「日本神話」の中にも それとなく登場しています(龍や蛇に変身する神や人物が数多く登場する)。

 

また、この像は、飛鳥の石造物の一つである「猿石(女)」や、同じ明日香村の飛鳥坐神社にある「塞の神」に形が酷似しています(トカゲに似たの奇妙な像は奈良県に多いみたいです)。

 

また、この「トカゲ人間」以外にも、以下の通りの「人ならざる者」が含まれていることが挙げられます。

 

  1. は「多肢多面を持つ人物の像」です。これは、いわゆる「阿修羅」を彷彿とさせる像ですが、実は『日本書紀』に「両面宿儺(りょうめんすくな)」という名の「人ならざる者」が登場しています。『日本書紀』には挿絵はありませんが、この像は そこに記される特徴と著しく一致します。

<両面宿儺(りょうめんすくな)>

仁徳天皇65年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺(すくな)という。

 

 一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵(かかと)が無かった。

 

 力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。

 

  1. 尻尾が蛇となっている人物の像

②は「尻尾が蛇となっている人物の像」です。日本には尻尾が蛇となっている「鵺(ぬえ)」という妖怪が存在します。これは古くは『古事記』に登場しており、『平家物語』にて その特徴が詳しく描かれています。その鵺の特徴は、この像の人物と一致しています。

 

  1. 顔が龍となっている人物の像
  2. は「顔が龍となっている人物の像」です。「日本神話」には「和爾(わに)」と呼ばれる人々が数多く登場し、かつ、海幸山幸に登場する山幸彦(ホオリ)に嫁いだトヨタマビメの正体も、実は「八尋和爾」もしくは「龍」だったとされています。また、仏教の経典である「法華経」の中にも「八大竜王」という龍族が登場しており、仏法の守護神とされています。③の仏像は、これらにちなむ人物なのでしょうか?

 

このように法隆寺五重塔に安置される塑像には「人ならざる者」が複数含まれています。なお、これらは奈良時代のものとされているため、飛鳥時代に亡くなっている太子との関係は不明です。

 

また、オリジナルと思われるガンダーラの釈迦涅槃図とは著しく異なっており、どのような意図を以って上記の「人ならざる者」を追加したのかはわかりません。なぜ作者はこのような仏像を参列させたのでしょうか?

 

もしかすると、これらの像は釈迦入滅の際に人間に混じって「人ならざる者」も参列していた、つまり「人ならざる者は存在している」ということを示唆しているのかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第です。

 

  

 

『成功していた日本の原爆実験』――隠蔽された核開発史

ロバート・ウィルコックス(著)、 矢野義昭(翻訳) 勉誠出版  2019/8/1

 

 

 

CIA機密調査が、日本の核開発はとん挫したという定説を覆す

1945年8月12日早朝、北朝鮮興南沖にて海上爆発に成功していた

海上核爆発特有の雲の発生を日本人仕官が証言、傍証多々

・資源は主に北朝鮮で採掘精錬、興南(コウナン)はアジア最大の軍需工場

・爆発数時間後、ソ連軍侵攻占領、科学技術者たちを拉致拷問

・戦後、ソ連、中国、北朝鮮の核開発の拠点になった興南

・占領下の尋問・調査での日本人科学者たちの証言は事実を隠蔽

 

原子爆弾」を第2次世界大戦中に日本が製造し、「核実験」にさえ成功していた

本書によれば、日本の核爆弾の開発は、これまで言われてきた水準よりも、はるかに前進しており、大戦終結直前の8月12日に、北朝鮮興南で核実験にも成功していたとしている。

 

・国際社会で平和を守るには、まず力のバランスを維持し回復しなければならない。力のバランスが失われたときに、いったん領土が奪われれば、外交交渉では奪還できないのが現実である。北方領土返還交渉、竹島問題などは、その好例である。

 このような現実を直視するならば、核の惨害を招かないための、最も確実な道は日本自らの核抑止力の強化に他ならないことは明らかである。

 

訳者による本書の新しい知見の要約

<1 日本の大戦中の核開発をめぐる従来の定説とウィルコックスの新説

・日本は第2次世界大戦核開発に取り組んではいたが、理化学研究所仁科芳雄博士を中心とする陸軍の「ニ」号計画がとん挫し、1945年2月(本書では同年5月とみている)で終結したとするのが、従来の定説である。

 

・その背景には、当時の我が国の、技術的困難、原材料の不足、空襲による施設装備の被害、資金の不足などの諸事情があったとみられている。

 しかし、本当にそうだったか疑問を呈する新説を裏付ける、米国の機密資料が近年、続々と公開されるようになっている。

 新説をまとめた代表的な書物が、ロバート・K・ウィルコックスによる『日本の秘密戦争』である。

 本書執筆のきっかけとなったのは、ウィルコックスが、スネルという著名なジャーナリストが書き残した、「ワカバヤシ」と称する元海軍士官のインタビュー記事の内容であった。

 スネルは、日本人士官から1946年夏以前に聞き取ったとする、以下の証言から「1945年8月12日に北朝鮮興南で日本が核爆発実験に成功していた」と主張した。

 その主張を、米国公文書館などの秘密解除された文書や関係者へのインタビューなどの、自らの調査結果に基づき、裏付けたのがロバート・K・ウィルコックスであった。

 調査結果をまとめた1978年に、ロバート・K・ウィルコックスの『日本の秘密戦争』の初版が出版された。しかし、以下のスネルの記事と同様に長年、「作り話」とされ、米国でも日本でも本格的な追跡調査はされてこなかった。

 

・その内容は実に驚くべきものである。翻訳者である私自身、翻訳を始める前は半信半疑だった。しかしほぼ翻訳を終えた現在では、日本が大戦末期の1945年8月12日に核実験に成功していたことは、ほぼ間違いのない歴史的事実と言えるのではないかとの見方に立つに至った。

 

2 スネルが主張した、日本による1945年8月12日の核実験の成功を示す証言

・日本人が、降伏する直前に、原子爆弾を開発し成功裏に爆破試験を行っていたというものであった。その計画は朝鮮半島の北部の興南「コウナン」と朝鮮名「フンナム」の日本名で呼ばれた)か、その近くで進められていた。その兵器が使用されるかもしれなかった、その前に戦争は終わったが、造られた工場設備はソ連の手に落ちた。

 

・スネルが記述している、士官の語った内容とは、以下のようなものであった。

興南の山中の洞くつで人々は、時間と競争しながら、日本側が原爆につけた名前である「原子爆弾」の最終的な組み立て作業を行った。それは日本時間で1945年8月10日のことであり、広島で原爆の閃光が光ったわずか4日後、日本の降伏の5日前であった。

 北方では、ロシア人の群れが満州になだれ込んでいた。その日の真夜中過ぎ、日本のトラックの車列が洞窟の入口の歩哨線を通過した。トラックは谷を越えて眠りについている村を過ぎていった。冷え込んだ夜明け前に、日本人の科学者と技術者たちは、興南の船に「原子爆弾」を搭載した。

 

・日本がある、東の方が明るくなり、ますます輝きを増した。その瞬間、海の向こうに太陽はのぞかせていたものの、爆発的閃光が投錨地に照り輝き、溶接工用の眼鏡をかけていた観測者が盲目になった。火球の直径は1000ヤードと見積もられた。様々の色をした蒸気雲が天空に立ち上り、成層圏にまで達するきのこ雲になった。

 

・「原子爆弾」のその瞬間の輝きは、東に昇ってきた太陽と同じ程度だった。日本は、広島や長崎も褪せるほどの大異変である、原爆の完璧かつ成功裏の実験を成し遂げていたのだ」。

 爆弾は日本海軍によりカミカゼ機に使うために開発されたと、士官は通訳を通じて、スネルに語った。米軍が日本の海岸に上陸したら米軍に対して特攻機から投下する予定だった。

「しかし、時間切れになった」とスネルは報告し、以下のように付加している。「観測者たちは急いで水上から興南に戻った。ロシア陸軍の部隊は数時間の距離に迫り、『神々の黄昏』が最終的な意味合いで始まった。技術者と科学者たちは機械を壊し書類を燃やし、完成した「原子爆弾」を破壊した。ロシア軍の1隊が興南に来るのがあまりに速かったため、科学者たちは逃げのびることができなかった」。

 

3 ウィルコックスの著書第3版を主とする、スネル証言を実証する確認事項

  1. 初版での情報

・独潜水艦U-234による1120ポンドの酸化ウランの日本輸送が試みられたが、ドイツの敗戦に伴い同艦は米国に投稿し、失敗した。酸化ウランは行方不明になった。

 

・戦前から野口遵の努力により、北朝鮮東岸の産業複合地帯建設がすすめられ、朝鮮の水力発電量は350万KWに達し、中心地興南では戦時中、豊富な電力を使いジェット燃料の製造が行われた。

 

1945年11月末に興南近くの咸興平原で日ソ両軍が激戦した。しかし、その細部は北進できなかった米軍には確認できなかった。

 

・1947年6月の米軍報告によれば、興南で日本の新兵器開発計画NZ計画に関連し、ソ連人と田村という日本人科学者が秘密施設で高電圧アークを使い活動していた。その生産物はソ連の潜水艦で密かにソ連に定期的に輸送された。

 

(2)第2版と第3版の神器情報

・1950年11月『ニューズ・ウィーク』:興南ソ連占領地域で、厳重に警護されたウラニウム鉱石処理プラントを確認した。朝鮮戦争時の米軍の爆撃を免れ、ロシアの原爆にそれまで核燃料を供給していた。ただし、在朝鮮第10軍団司令部は否定している。

 

GHQ司令部のOSS(CIAの前身)将校から、「日本人たちは彼らの持っていたウランの品位が悪かったため、ドイツから良質のウランが到着するのを待っていた」と聞いた。

 

・1953年2月、興南にある元の日本の産業地帯の拠点へのB29による偵察飛行任務に就いていた大佐の証言:「日本人たちは興南の拠点で原子爆弾を開発し、ある種の装置を造り、それを爆発させたとの情報を得た」。

 

・百科事典『第2次世界大戦』:日本陸軍は「800㎏の酸化ウランを上海に保有していた。朝鮮にも保有し、1944年に独の潜水艦により配送を受けた」。

 

・ラモナ報告:日本の核研究の中心地は広島だった。そのことが核攻撃の第1目標として広島を選んだ、トルーマンの決定要因だったかもしれない。

 

(3)元CIA分析官トニー・トルバの証言

北朝鮮は中露が日本の核努力から利益を得ていたことを知っている。中露は戦争末期に、日本人が採掘したウランやトリウムの鉱石を押収し、日本人が破壊に失敗した核計画の拠点から核の秘密や機械設備を略奪した。中露とも自力で核開発をしたと称しているため、それが暴露されるのは不都合だった。

 

・トルバが上下院議員宛に出した調査結果の要約・日本人たちは大戦中に核計画を進めていた。大半は興南で進められていた興南を占領していたソ連人たちは、日本人やドイツ人の科学者たちを使い、それらの施設を運営していた。

 

(4)ドワイト・R・ライダーの証言

・スネルの報告について、ヘールは「日本人たちは爆弾を製造し、それを実験したと思う」と肯定した。

 

・「日本人たちの第2次世界大戦中の核兵器計画が、小規模で失敗に終わったとされている公式的な説明は、全くの見当違いだ」、「理研はウランの精錬に深くかかわり、興南水力発電はウラン変換装置を稼働させるに十分だったし、興南にはウラン、トリウムなどの資源が豊富にあった

 

・荒勝文策により1942年にウラン濃縮について提案がされ、遠心分離機は1944年に日本で製造された。遠心分離機では米国より進んでいた

 

清津だけでも、ウラン濃縮、精錬、原子炉建設などに必要な電力。資源、設備と能力を持っていた。清津には日本本土で開発製造された、ウランの分離塔5基が送られたが、そのうち1基でも届いていれば、それを量産し清津の能力はさらに高められただろう。

 

・ライダーは、中国人が1950年の終わりに参戦し、米軍を攻撃し始めた主な理由は、日本人たちが朝鮮半島北東部に残した核計画とその他の資産を獲得するためだったと確信するようになった。それが、中共軍が、6000名の犠牲を出しながら長津貯水湖全域で米軍と激闘を繰り広げ、そこを制圧するまで興南に進撃しなかった理由だった。

 

・1950年10月に韓国軍が調査を命じられた、古土里の地下洞窟内の地下武器庫についての報告によれば、興南から内陸に約8マイル入った丘陵地帯にその洞窟がある。

 撮られた写真には「4エーカーの地下武器工場」との表題が付けられ、武器、弾薬、爆薬と地下の道具店がある「巨大な隠し場所」だった。

 

・日本人は核施設の破壊に成功せず、ソ連に占領され、核開発に利用された。その理由は、ソ連が日本の興南での核実験を含む、核開発について事前に情報を得ていて、それを利用するために急襲し破壊直前に奪取したからであろう。

 

4 検証結果の意義(以下は訳者の見解)

〇日本が第2次大戦中に核開発を進め、興南の沖合の小島で1945年8月12日に核実験にも成功していたことは、各種資料、特に米政府内部で秘密文書に基づき調査していたトルバとライダーの発言からも明らかであり、信ぴょう性は高いと判断される。

 

・日本の科学者、学会は、国内では戦時協力者として非難され、占領軍に戦犯として逮捕されることを恐れたとみられるが、核協力の過去を隠ぺいしようとした。しかし科学技術者が戦時に協力するのは当然のことであり、むしろ他国では誇るべきこととされる。

 

・激しい空襲と物資の欠乏する中、これだけの研究開発努力を続け、実績を上げた日本の科学者、技術者、産業界は再評価されるべきである。特に、坂彦の黒鉛減速型原子炉が稼働していれば、短期間にプルトニウム139を抽出し核爆弾の燃料にできたであろう。

 

容共主義者ルーズベルトソ連への対日参戦要請には、ソ連による日本の北朝鮮での核実験阻止への期待もあったのではないかとみられる。その代償として、ルーズベルト北方四島に米軍を進駐させずソ連北方四島侵略を黙認した可能性がある。

 ソ連は8月9日の長崎への原爆投下前日に対日宣戦を布告し、投下と同時に対日侵略を開始し、興南に向け一挙に急進撃したソ連は、核実験阻止には失敗したが破壊前の核インフラの奪取には成功した。

 

・なお、日本海軍は核開発力を持ち、終戦直前でも海軍首脳は抗戦継続論だったと米軍機密文書では報告されている。核実験がもし成功していたなら、緊急電で東京に打電されていたはずである。

 

・日本の核開発の潜在能力は現在でも高い。2004年に米国科学者連盟は、日本なら核実験なしでも、「1年以内に」核兵器保有できるとの見積を出している。最新の米国の専門家の見解では、「日本なら数日で可能」とも言われている。

 日本には、核恫喝を受けても、それに屈することなく「対応策」がとれる潜在力がある

 

・中ソ朝の核開発は日本が北朝鮮に残した遺産と日独の科学技術者の協力の成果だった。彼らはその事実を公開したくはなかった。もし公開すれば、自国独裁政権の威信低下を招いたであろう。

 

いま米政府の秘密が解除されるのは、日本の核開発黙認のシグナルかもしれない

 1990年代以降の中期の核戦力増強により、2006年頃には米国の核戦力バランスの圧倒的優位が失われたとの認識が表れている。

 例えば2006年の全米科学者連盟と米国国家資源防衛会議による共同報告では、中国が対米先制核攻撃に成功すれば、米国の被害は4千万人に上り、それに対する米国の核報復による中国の被害は2600万人にとどまるとの被害見積りが公表されている。

 

・日本に対し核の傘の提供を保証することは、米国の望まない対中朝核戦争に米国が巻き込まれるおそれを高めることになった。

 そのリスクを回避するには、体制と価値観を共有する日本の核保有を黙認し、独自の核抑止力を持たせ中朝に対する対日侵攻への抑止力を強化するのが、米国の国益上有利と、米国指導層は2006年頃に判断したのではないかとみられる。

 圧倒的な人口格差のあるアラブ諸国イスラエルの間の中東戦争の再燃を抑止するため、1970年代に米国がイスラエルの核保有を黙認した背景に、類似している。

 

野口による興南の産業基盤建設

・すでに産業複合地帯を「ウラニウム爆弾」製造支援のために使うことについても、日本として必要があるとの話が出ていた。

 

・連合国の奇襲部隊はその後すぐに、原子爆弾製造を助けるために使われることを恐れて、ナチの重水素製造を死力を尽くして阻止することになった。いまやドイツの戦争中の同盟国だった日本も、アジアでそれを製造していた。しかも連合国はそのことを知らなかった

 

アルカサール・デ・ベラスコのスパイ活動をめぐる回想

・伝言は簡素なものであった。「カレーに来い。議論したい重要なことがある。」それは真珠湾の直後であり、受け手は、ロンドン駐在スペイン大使館の大使館付き報道官であり、英国における最良のスパイの1人であった。アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコであった。

 

・彼はスペインの枢軸国寄りのファランヘ党の結党時からの党員で、アブベール・ベルリン情報学校の卒業生であり、マドリードから1940年の秋にロンドンに送られた。それはいわゆる中立のスペインが、英国に対してドイツを助けるとの秘密協定が結ばれた後であった。

 

・彼は白人至上主義者であり、計算づくの反ユダヤ主義者であり、占星術信者でもあった。彼は、世界は彼自身もその一員である、転生で再生した超人というエリートによる支配を、運命づけられていると決めつけていた。彼らにとり主な障害となるのは、ユダヤ人であった(奇妙なことだが、彼の信ずるところによれば、一部のユダヤ人たちは、転生を通じて解脱しあるいは罪業に対する懲罰を経て超人の仲間となる。それが、ユダヤ人たちが常に権力を得ているかのように見える理由だと、彼は説明している)。全知の神の示すところによれば、惑星は闘争に向かっていた。アーリア人の救世主である土星と黒魔術は、彼の信仰の標語となっていた。

 

・1934年に彼は、ファランヘ党のために活動していたが、ウィルヘルム・オーバービールという名のドイツ人と会った。彼は、ナチ党の青少年組織であるヒットラー・ユーゲントの指導者であり、アブベールの公式の要員でもあった。オーバービールは、総統の内々の仲間の一員であり、心底からのオカルト主義者であった。「ウィリアムの中に、私は必要としていた知識のすべてを見出した」と、アルカサール・デ・ベラスコは書いている。「我々は、エデンの園の蛇のように邪悪な者たち(ユダヤ人たち)、彼らがどのようにして世界を隷従させようとしているかについて語り合った」。

 

本格化し始めた日本海軍と荒勝研究室の爆弾計画

理研の計画に資金を提供していた陸軍だけが、ウラニウム爆弾に関心を持っていた軍種ではなかった。日本海軍は、陸軍よりもむしろ長期にわたり、核物理学の発展を追跡していた。

 

・1939年に、カリフォルニアで原子力によりタービンが動いているとのうわさが流れた。その噂は本当ではなかったが、大騒ぎを巻き起こした。海軍は核燃料に関心を持った。海軍の艦艇は核燃料により、無限に航行できるようになるかもしれなかった。その後、1940年か1941年の初めに、村田勉海軍中尉は、米国の「超爆弾」に対する警告を発しているドイツの技術雑誌の記事を翻訳した。その翻訳は広く回覧された。米国によるウラニウムの輸出停止と突然の核研究に関する沈黙を受けて、海軍は遂に行動することを余儀なくされた。1941年の夏か秋に海軍は、浅田が講義をしていた研究所の、海軍大尉であり科学者でもあった。伊藤庸二に対し、爆弾と燃料の実現の可能性について調査するように命じた。

 レーダーについてドイツで学んでいて帰国したばかりだった電子工学の専門家の伊藤は、大変な敬意を払われていた。

 

・嵯峨根は伊藤に、ウラニウム資源を探し始めるように忠告しているようにすら思われた。「日本は、予備報告とは反対に、本土では1発分の爆弾や燃料として必要な量すら得ることができないが、米国はおそらくできるであろう」。伊藤は次に、もう1人の東京大学教授の日野壽一に相談したが、彼も本質的には同じことを答えた。海軍少佐の佐々木清恭は、電気研究部門の長だったが、彼は核爆弾と燃料の調査に送り込まれた。

 

・彼らはその報告書では爆弾については言及しなかったが、伊藤の言によれば、それは彼の上司の提督たちが、彼らの主な関心事項を秘密にすることを望んだためであった。もちろん、それは爆弾のことだったと伊藤は書いている。

 

・浅田は、米国がおそらくウラニウム爆弾を製造できるとみられる以上、日本も他ならぬ自衛という目的のためにそれを試みるべきであると述べた。

 

・爆弾の製造に伴う問題について議論された。菊池は十分なウラニウムが得られるかどうかが困難な問題だと指摘した中性子核分裂生成物とどのようにして原子核が分裂するかについて研究していた菊池は、十分なウラニウムを見つけ出すのが困難だろうと指摘した。仁科は、(疑いもなく飯盛が朝鮮から持ち帰った)5~6(several)トンのウラニウム鉱石を自分は理研に持っており、他にも確保の可能性もあると述べた。

 

ドイツについては、西欧の核物理学では秀でていた「ユダヤ人の科学者たち」をすべて駆逐していたため、おそらく爆弾を製造することはできないだろうという点では、意見は一致していたしかし彼ら科学者たちの大半は米国に行ってしまったため、米国は原子爆弾開発にとり最善の立場にあった。

 

・委員会の結論を要約して伊藤は次のように述べている。「明らかに原子爆弾を製造することは可能であるに違いなかった。問題は、米国や英国が本当にこの戦争に間に合うように核爆弾の製造ができるのか、日本が彼らに先んじて核爆弾の製造ができるのか否かという点であった。………審議の全般的な見解は、米国にとってすら、戦争の間に原子力の利用を実現するのは、おそらく困難であろうというものであった」。

 

・委員会でさえ慎重に選ばれていたが、海軍の中でも最も力のあった艦政本部は、物理学会の一員ではなく、仁科にも劣らない資格を持つある科学者に、ウラニウム爆弾計画のための秘密資金を振り向けていた。

 その科学者とは、荒勝文策だった。荒勝は、原子の莫大なエネルギーについて理論化したアルバート・アインシュタインの個人的友人であり、その生徒でもあったアインシュタインのフランクリン・D・ルーズベルトに対する書簡により、ルーズベルト大統領は米国の計画を開始することを決心した。荒勝は仁科と同様に、日本の原子爆弾計画にとり重要な人物となっていた。事実、荒勝は、戦争末期には、仁科に替わり原子爆弾製造の中心的役割を担うようになり、彼は日本にとり、戦争間にその後は仁科よりも重要になっていった。

 1890年に生まれ1918年に京都大学を卒業した荒勝は、1926年にベルリン大学に物理学を学ぶため赴き、そこでアインシュタインの下で学んだ。

 

アルカサール・デ・ベラスコによる対英米スパイ活動

・彼は、スペイン国境から100キロメートルほどのモン・ド・マルサンという町の近くにある、南仏のナチの飛行場から飛んできた。彼は最初に、旧友と会い指令を受けるために、アブベールの司令部に立ち寄った。彼の上司は次いで、日本大使館に、ある高級幹部と合わせるために彼を送った。

 

1904~05年の日露戦争以来、日本はスパイ活動への努力を強化していた。1935年までには日本は世界で最も広範なスパイ網を持っていた。

 

1944年の始まりの直後、フランコは、明らかに戦争の流れが連合国側に有利になってきたことから、枢軸国側のスペイン内外における活動に対して締め付けを強め始めた

 

・アルカサール・デ・ベラスコは突然姿をくらました。「私(ベラスコ)はそれ以来、どこでも、スパイの指導者として責められるようになった。彼らは今でも私についてのファイルを持っている。それは彼らにスペインで私を攻撃する材料を与えた」。

「TO」の残党、まだ発見されていない数人の外交官たちは、アルゼンチンに移転しホアン・ペロンのアルゼンチンでの輪になった。「ペロンは日本人に良くし、彼らのために大金を与えた」。金銭は戦後私(ベラスコ)が権力を得る上で助けになった。

 弱小化したスぺインのスパイの輪は、それ以降何の成果も生まなかった

 

・1944年7月4日にベラスコはドイツに向けて去った。いくつかの彼に関するFBI文書が、情報公開法に基づいて私に解除されたが、その文書によると、彼はロシア戦線でドイツ側に立ちスぺイン軍の部隊として戦っていたとのことである。1960年にベラスコは本を書き、その中で、戦後すぐに彼はナチの戦犯、マーチン・ボルマンを潜水艦でアルゼンチンまで案内したと書いている。彼の本『余燼(aftermath)』では、最近の情報専門k直ラディスタス・ファラーゴは、ベラスコとボルマンの話は本当だと信じていると書いている。

 1945年が近づく頃には、アルカサール・デ・ベラスコと「TO」は活動しなくなり、日本はおそらく、マンハッタン計画の末期段階と、広島と長崎を壊滅させることになる米国の原子爆弾開発の情報は、何も得られなくなった。

 

 

 

『スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体』

嵌められた日本と世界を支配する見えざる帝国

高橋五郎     学研   2006/7

 

 

 

ウラン型原子爆弾

・1945年8月6日、日本の広島上空で、人類史上初めてのウラン型原子爆弾が炸裂した。アメリカが第2次世界大戦を終結させるため、極秘マンハッタン・プロジェクトによって開発したとされる原爆だが、はたして、それは歴史的「真実」なのか、第2次世界大戦中、旧日本のスパイ組織TO機関に属しながら、ナチス・ドイツやイタリア、イギリスなど、欧米各国の2重、3重スパイとして工作をしてきた男、アンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコはいう。広島原爆はナチス・ドイツが開発したものだ、と!!

 

日本は沖縄を天皇の財宝「金の百合」で買い取った

ここにふたつの情報がある。

 ひとつは、ベルリン発ニューヨーク経由広島行き――ナチスの原爆が投下された。この奇妙な情報の発信人はナチスの元スパイ。発信は1982年。

 そしてもうひとつは、フィリピン発ワシントン経由沖縄行き――日本は沖縄を天皇の財宝「金の百合」で買い取った。情報の発信人はアメリカの報道作家たち。発信は2003年。

 このふたつの情報をさらに確かめたい方はさておき、時間を節約したい方は、この本を閉じるようにお勧めする。もちろん、これらは偽情報ではない。突飛で愚劣きわまる情報にも思えるが、無視はできない。発信の時期は20年の差があるが、その意図に関していえば、差はまったくない。

 

世界的秘密結社フリーメーソン

・「フリーメーソンディアーナ(ダイアナ)、ミネルバ、イシス(セミラミス)を崇拝する古代神秘主義から派生したものだ。中世の石工組合から始まったというのは俗説であり、十字軍時代の聖地エルサレム(マルタ)に生まれた聖堂騎士団こそが、その真の起源である。わが聖堂騎士団は、エルサレム聖ヨハネ騎士団とともに、新たに秘儀参入者の組織を作り上げた。以来、われわれのロッジは、聖ヨハネ・ロッジと呼ばれるようになった

 

・結社にはなんでもある。思想、宗教、学術そして政治もある。だが経済はない。なぜなら、世界経済の仕組みそのものが結社の発明品だからだ。結社は発明の秘密部品を除く応用編のみを世界中に解放している、それが 市場原理などと呼ばれるマネーのカラクリだ。

 聡明な結社はその経済原理つまり、両建て作成による戦争事業(ゲーム)の発明者であることを世界の人々に知らせてはいない。結社の社是でいう「知識はむやみに語るべからず」だからだ。

 

・結社のメンバーには、だれもがよく知る歴史上の人物たちが山ほどいる。たとえば、コロンブスの航海支援者でヴェネチアの貴族メディチ家から資金援助を受けて活動したレオナルド・ダ・ヴィンチがいる。スコットランドイングランドの両国王ジェームズ1世(メーソン)のために、欽定英訳聖書を翻訳監修したフランシスコ派の修道士で、科学者フランシス・ベーコンもメーソンだ。薔薇十字会のグランドマスターで、後にルネ・デカルトの世界観を補強したアイザック・ニュートンもメンバーである。

 

・彼らは、秘教信仰(古代の太陽崇拝カルト)とその儀式をエネルギー源にしている。

 また、悪魔主義結社とも呼ばれる「地獄の業火クラブ」の中心人物であり、イギリスからの独立を勝ち取ったアメリカ建国の父として、100ドル紙幣の顔でも知られるベンジャミン・フランクリンもメーソンだ。「自然淘汰による適者保存説」のチャールズ・ダーウィンの祖父エラスムスダーウィンとその一族で、優れた血液を理想として人種の純粋性を提唱したトーマス・マルサス。秘教的知識を授けるイエズス会修道士院で教育を受けた哲学者ルネ・デカルト。空想科学小説家として『地底探検』でも知られるジュール・ベルヌキリスト教カソリックプロテスタントに分派化させたマルティン・ルターなどなど、後に「人種差別の提唱者」とか「近代科学や哲学の父」などと呼ばれる「知の探究者たち」の多くが、結社を支えたメンバーたちなのである。

 

古代ギリシア神秘主義結社「ピュタゴラス派」の流れを汲み、アドルフ・ヒトラーが全身全霊でのめり込んだ「神智学協会」もそうだ。手を掲げて「ハイル・ヒトラー」と叫ぶ、あの動作の元祖で古代ドルイド教信者には悪魔主義者といわれる英国首相ウィンストン・チャーチル卿や詩人イェイツがいる)を分派として支配する団体「黄金の夜明け」もそうだ。

これらの団体に連なる一派で、古代エジプトの女神イシスを崇拝する「マグダラのマリア物見の塔の聖マリアと呼ばれる)」は、フリーメーソンを語るうえでは欠かせない一派とされている。

 

・結社に連なる騎士団の数は数えきれない。各団体の多くは、古代フェニキアアーリア人の太陽の象徴スワティカを祭祀に活用した。パワーを得るために性的儀式を催す魔術師が設立した「東方騎士団」。プロテスタント系の「聖ヨハネ騎士団」と金融組織を介して結ばれているカソリック系の「マルタ騎士団」。「テュートン騎士団」に連なる「黒騎士団」や「プロシア女王騎士団」。秘教黒魔術儀式を基本にしたオカルト教の「コンコルド団」や性的秘儀を共有する「第1、第2徳義団」などがある。

 こうした多くの騎士団が、フリーメーソン結社の分派または中枢として連なっている。徳義団は、後年、ナチス党を誕生させる諸団体の一翼を担ったことで知られている。

 

・近代の物理学者アルバート・アインシュタイン博士や、アフリカの鉱山を支配するオッペンハイマー一族も結社員だ。彼らは民主党ウッドロー・ウィルソン米大統領の地位に担ぎ上げたメンバーでもある。ケンブリッジやオクスフォード大のエリート学生たちや貴族の血流を備えた青年たちをリクルートして、「007」に育てあげた英国情報機関の生みの親、ジョン・ディー博士一家もメンバーとして知られている。

 シェークスピア作品の真の作者と噂されるフランシス・ベーコンらが所属したのが「薔薇十字会」だ。後にアドルフ・ヒトラーの名前で知られることとなるドイツ労働党員、シックルグリュバー青年を支援して反ユダヤ、反マルクス主義、ゲルマン支配を教義に打ちだした「トゥーレ協会」や「ブリル・ソサイエティ」などは、実はこのナチス原爆の背景を語るうえで欠かせない組織であり、人物たちである。

 結社ファミリーには離合集散もある。メンバーたちは永久的断絶も意に介さない厳しい掟に縛られている結社の目的に反旗を翻して滅亡させられた国家や一族と結社メンバーだったナポレオン一族があげられる。

 

同じように、薔薇十字会のメンバーで300年間ロシアを支配したロマノフ王朝も、結社の手で破滅させられた一族である。イタリアのハプスブルグ家も、ドイツのホーヘンシュタフェン一族も、みな結社の目的遂行に逆らって滅亡の憂き目にあったとされている。

 

結社のルールは、その目的・理想の原理に反するメンバーの行動を許さない。なぜならそれは神のルールであり、悪魔の掟だからである。

 現代イタリアの結社「P2」やベラスコの次男フェルナンドが仕えるスペインの結社「オプスディ=神の仕業」も欧州メーソン結社に連なる下部組織だ。エリザベス2世女王を冠に掲げる、“大英帝国”の基盤も結社が支えている。同時にイギリス王室も結社を支えている。そして、欧州全域の王室(かつての王室も含む)と貴族の大半が、伝統的に結社のメンバーに連なっている。当然、欧米以外の諸国の王侯貴族たちも例外ではない。

 

広島原爆はナチス聖戦だった!!

完成前から決まっていた日本への原爆投下

・これから記すのは、1982年のとある日の午後、スペインはマドリード旧市街にあるマヨール広場のカフェテラスでベラスコと交わした、ナチス原爆に関する対話のすべてである。会話の流れを重視する意味で、以下、問答形式で表記し、その都度、細かい部分を説明していくことにしたい。

Q:「広島に落とされた原爆は、本当にナチス製なのか。アメリカ軍がナチス製の原爆を転用した、ということか」

A:「そういうことだ。実際のところ、アメリカの原爆は未完成だったのだ。それで、ドイツ軍の原爆を使って日本に投下したのだ

 

 いきなり、核心を突く内容で始まったが、この荒唐無稽な話をどう受け止めて、どう解釈すればいいのか。その糸口として、以下の実話を紹介しておこう。この実話からは原爆開発に関わる歴史定説の謎めいた部分が透けて見えてくるからだ。

 戦後のある時期、アメリカ政府は第2次世界大戦の資料の一部を公開した。戦時下の大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトが、原爆の投下先を日本に決めた暫定委員会の会議資料だ。

 

秘密結社の戦争事業

Q:「ドイツの原爆をアメリカに渡したのか

A:「そのとおりだ」

 原爆の投下先を決めたフランクリン・ルーズベルト大統領は、任期中(1945年4月)に生涯の幕を閉じた。後任のトルーマン大統領はその4か月後、日本で原爆を炸裂させて核時代の幕を開けた。これにより、日本人は自国政府の「正義」よりも遥かに大きな「正義」の存在を、身をもって知らされたのである。

 核時代の幕開けを行ったアメリカ大統領たちの行動は、もちろん結社の意向に基づいたものだ。しかし、結社の世界に住むベラスコ親子から見たアメリカ大統領の実像は、国を代表してはいても絶対的な権力者ではない。

 大統領はさらに上位に位置する結社のために奉仕する僕にすぎない。結社は功罪半ばする欧米史の背景でありつづけ、今もその構図に変わりはない。大統領は結社の舞台で踊る、いわば操り人形にすぎないのである。

 かつてイギリスから北米大陸に移住、アメリカ独立宣言に署名した56人のうち50名はこの秘密結社社員たちだった。大統領は結社員たちが選んで世界に掲げる「表看板」、すなわちアメリカ大統領のみならず、イギリスの首相もまた、秘密結社メンバーたちが選んだ単なる代理人のひとりなのである。

 

秘密結社の行動原理

・では、秘密結社の行動原理とはどんなものなのか。

 ひと言でいえば、それは戦争である。戦争は、現状を打破して理想とする社会と富を手にする、最適の方法だと結社は信じてきた。結社は第三者間に対立関係を作りだし、争う両者に戦費を融資する。戦争で荒廃した両国に復興資金を融資して面倒をみる。融資を受けた国々は借金漬け、つまり債務国になる。結社は融資主の権限から債権国をイメージどおりに仕立てあげて、民族の方向性を指図する。

 

・こうした議会の批判にも結社は動ぜず、反論もしない。世界をたったひとつの「国家」にまとめ上げる成果は口先からは生まれない、と結社は固く信じているからだ。世界は強く優れて選ばれた民族の血脈のみを重んじる、選民たちのためにのみある、と発想することこそが結社の鉄則だからだ。結社には議会からの中傷や批判に傾ける暇はない、と考えている。

 結社メンバーの頭の中には、高度な科学知識がたっぷり溜め込まれている。その根底はユダヤキリスト教を中心とした古代からの神話に拠っている。結社員たちは神学世界につきものの神秘主義的秘儀に通じているが、結社が施す秘教の伝授や錬金術の類いは、常に世間の興味と批判を集め、瑕疵を伴ってしまう。

 だが、「魔女狩り」「オカルティスト」といった、世間の批判や罵声など、所詮、結社員の耳には届かない。人々の平和と安寧を祈念する結社は、人の棲むところに何が起きようとも、いつもスマートにそうした難題を乗り越えてきた、とする自負があるからだ。

 

民主主義を金科玉条に掲げる結社は、まず投票で選ばれ、かつ結社の理想に従う個人政治家や政党勢力にのみ資金援助する。その逆に、秘密結社の意に反する人物に対しては独裁者の烙印を押し、金欠病と混乱を進呈する。最後には内戦や戦争に追い込み、独裁者国家の戦費を枯渇させてしまう。こうした手法こそ、結社が古くから磨き上げてきた絶対的な手法、つまり古典的な行動原理なのである。

 

・結社は分割闘争管理方式で、第2次世界大戦時のヒトラールーズベルトの双方を投票箱から選び、双方を敵対させて両国に戦費支援を続けた。というわけだから、核兵器ナチス原爆)の開発製造国がドイツであれアメリカであれ、その所有権など、戦う両国に戦争資金を融資する結社にとっては、どうでもいいことだ。つまり原爆は戦争事業主である結社の私物なのだ。

 結社メンバーたちが、ナチス原爆を連合軍に渡して、投下させても不思議はないのである。戦争という名の敵対関係は、結社が描いたシナリオで演じられている。ベラスコはこうした事実を指して「そういうことだ」と断言しているのである。もはや、一般常識や戦争観、それに敵対関係の認識からでは、とてもナチス原爆を理解するのは不可能だ、というのは以上のような理由なのである。

 

想像を絶する“新型兵器”の開発

・ベラスコに対する日本側の任命権者は外相の東郷茂徳。新設の「内閣情報部」の設置発案者は海軍次官山本五十六、ならびに山本の忠実な部下の光延東洋中佐、外務省の須磨弥吉郎。陸海の既存情報機関とは別途の対連合軍スパイ機関として内閣情報部と「TO」を結びつけ、その情報機関長をベラスコに委嘱。日本国内は海軍大将野村吉三郎。ドイツ国内では、駐ドイツ大使の大島浩大将。スペインの窓口は、在スペイン公使の須磨弥吉郎(連絡役は一等書記官・三浦文夫)がベラスコからの情報受け取り人として発足した。

 

利口な生き物たち

・「国家とは、抽象概念が作りだした記号のひとつにすぎない。つかみどころのない形而上のその国家を、戦争の真犯人呼ばわりしてどうする。世間にはもっと、利口な生き物がいる。彼らは国家と呼ばれる架空世界を隠れ蓑に、その架空国家と国民の頭の中にある微妙な隙間を巧みに利用し、戦争を勃発させる。私益を国益だと人々に思い込ませることに長けた生き物たちこそが、戦争の真犯人なのだ

 ベラスコのこの口癖は、自身が利口な生き物たちの一員であることを問わず語りしている。たとえばこれまで、世界の高名な知識人たちが著した戦争分析論や、歴史研究家たちが作り上げた「定説」を、世間は信じてきた。歴史観や世界観などと呼ばれるそうした「神話」の大半は、ベラスコの仲間である利口な生き物たちが、意図して投げ込んだ腐肉を食した知識人の成果にすぎないというわけだ。

 

日本の対米情報機関TOの本当の掌握者は結社だった!

・その夜、イギリス情報部MI-6に追われたベラスコは、スペイン北部ガリシア地方の漁村からUボートに乗船、ドイツのハンブルク港に逃亡、翌年の1945年3月上旬から、ヒトラーの側近として地下官邸付き情報員ドクトール・ゴメスの名で、官邸勤務を1か月間続けている。そして、ベルリン陥落2週間前の4月21日に地下官邸を脱出、スイスの難民収容所に逃げ込んだ、とベラスコはいう。

 

・地下官邸でヒトラー総統に付き添った側近たちは、厳選された上級情報将校、衛兵、通信係、女性秘書たちだった。彼ら官邸要員を選んだ(ヒトラーの最期を目撃させる人々を選抜した)のはマルティン・ボルマン副官だ。ボルマンはドイツ第三帝国最後の地下官邸をヒトラーに代わって仕切った人物だ。彼は「4月30日のヒトラー自殺」を細工して官邸を去っている。

 ソ連軍に占領されて、官邸がもぬけの殻になってからほぼ3か月後の7月16日、アメリカの原爆実験(トリニティ原爆)が成功。その情報とテニアン島ナチス原爆が運ばれた情報を、ベラスコは在米TOの情報網から受け取っていたのである。

 

ベラスコによれば、愛人エヴァ・ブラウンとともに見つかったヒトラーの遺体は、ヒトラーとよく似た従兄弟だったという。

 

度忘れではない詭弁は、過去の企みを隠すためだ。ベラスコが44年7月以降のアメリカ原爆動向を把握できたのは、TO機関(の在米情報員たち)のお陰だった。しかも、その活動資金は日本が賄っていた。

TO機関の在米情報活動は、日本と提携する以前から続いていた。その既存の組織を、日本政府はTOを自前の情報組織と錯覚して“買わされた”のである。稼働中の中古品を新品だとして投資させられたようなものだ。

 ところが、日本の投資は同時に、日本の情報を結社に逆流させることにもなる。金を払わせて情報を奪いとる。日本を手玉にとったその“いかさま”を、過去のこととはいえ日本人の筆者に知られたくない。それがベラスコに詭弁を弄させた理由なのだろう。

 だが、詭弁でかわそうとするのも無理はない。日本政府はTOが結社の情報機関だと知ってか知らずか、TOの活動に巨額の資金を投じていたからだ。

 

・むしろ、問題なのは内閣情報部を設けた日本政府だ。いってしまえば、日本政府(内閣情報部)は、国民の巨額の税金と日本の命運を左右する戦争政策上の秘密情報を、TOを窓口に、まさに“のし”をつけて敵側に進呈していたも同然だったからだ。

 

トルーマンにもスターリンにもなかった決定権

・ドイツでは5月7日の無条件降伏を待たず、新ナチス復興計画が始まっていた。ベラスコはドイツが降伏したその年の暮れから、新復興計画に動員されている。ナチスは潜水艦(Uボート)で、ドイツの優れた頭脳と血統を続々と南米に移動させていた。ドイツ海軍は終戦時に、百数十隻のUボートと25万人の乗員の消息を見失ったとされている。

 これは戦後ドイツ政府の戸籍調査が算出した数字だそうだが、復興計画のために欧州から南米大陸へと、頻繁にUボートで往復輸送が繰り返されている規模からも、役所の発表した数字は絵空事ではなさそうだ。新ナチス復興計画の主はいうまでもない。ヒトラーを世に送りだした結社だ。

 欧州沿岸から南米沿岸までのおよそ3000マイル、往復18日間の航海に要する潜水艦の輸送コストは膨大。

 

ベラスコは1946年5月7日午前5時、ヒトラーの「後見人」であるボルマンを南米に送り届けるために、その潜水艦で南米に出向いている。

 その2年前の1944年、ノルマンディー作戦が開始されたその日の深夜に、スペイン北西部ガリシア地方の漁村の沖合から、潜水艦でドイツのハンブルグ港に向かって脱出して以来の長い航海だ。南米アルゼンチンのラ・プラタ河口付近で、ボルマンとベラスコは下船。ボルマンと別れたベラスコは、単身空路マドリードに戻っている。ヒトラー・ドイツの敗戦後を見据えて、戦時中から着々と進められてきていた計画である。

 

・新ナチス復興の足がかりとして南米が選ばれた理由は、南極に近いからだ。南極には学術世界が知らない、古代からの特殊な空間がある、とする結社の歴史観と深い想像力が関係している。

 ここで、前述のフリーメーソンの由来とメンバーの顔ぶれを思い起こしていただきたい。いわば、空想SF科学世界に造詣の深い賢人たちの間では、南極と北極には巨大な未知の地下空間世界が存在すると語られてきている。

 

・空想作品の大家ジュール・ベルヌは、先述したようにフリーメーソンの高位階者だった人物だ。ベルヌはヒトラーナチスの神智学協会「黄金の夜明け」東方騎士団にも深く関わった人物とされている。その代表的作品『地底探検』は、地球の空洞に住む高度な文明をもつ人々の世界を、SF形式で紹介したものだ。

 そうしたことから考えると、新ナチス復興の本拠地として、南極を選んだ理由がわからないでもない。

 

・第2次世界大戦直後の1947年、南極探検に臨んだ米海軍の伝説的人物、海軍准将リチャード・バードはいう。

「われわれは苦い現実を認めなくてはならない。次の戦争では恐るべき飛行体から攻撃を受けるだろう。南極には進んだ文明と優れた先端技術をもつ人々が存在する。彼らはナチスSSとともに活動している」

 

・バードの発言は、空母と4000名の兵士を率いて南極に向かい、8週間の航海の後、多くの犠牲者を出して帰還した際のものなのだが、南極でバードたちに何が起こったのかは、第2次世界大戦が残した謎のひとつとされている。バード准将のいう飛行物体とは、連合軍が呼んでいた「フー・ファイター」、つまり、あの「ヴリル型戦闘機(俗にいうUFO)」のことだろう。

 バードが南極探査に臨んだそのほぼ9年間の1938年、ドイツの南極探検隊が山や湖があり、氷に覆われていない60万平方キロメートルの土地を発見、その地をドイツ領土としてヒトラーが宣言していた。そしてニュー・スワビアと名づけ、そこに巨大なナチスの軍事基地を建設したといわれる。

 バード准将の探査任務は、その巨大基地を偵察(攻撃)するためだったのだ。偵察時期が戦時下でもあったことから、旧ナチス軍と交戦、そのあげく、バードのアメリカ海軍は新型兵器で反撃されて惨憺たる敗北を喫した。その苦い戦闘探検をバードが報告したのである。

 

ベラスコは1952年10月10日、新ナチスの手配で南極のこの巨大基地を単身訪れている。訪問目的はヒトラー(総統に似た別人だったとベラスコはいう)に届け物をするためだった。

 

その訪問前の1946年には、地下官邸で別れたボルマンと再会してマドリードの自宅に匿った後、潜水艦で南米へ送り届けている。そして翌年6月6日には、これも自宅に匿っていたアイヒマンをスペイン、バラハス空港から南米に逃亡させている

 

・「そのソファで、ふたりとも寝起きしていました。とても静かな人々でした」

 ベラスコ夫人のコンチータは、ボルマンとアイヒマンがそれぞれベラスコの自宅で過ごしたときの印象を、そう語った。

 ナチスの大物戦犯を、追跡中のユダヤ人グループの追尾をかわし、あるいは追跡グループから意図的に見逃がされて、ボルマンは潜水艦で、アイヒマンマドリード空港から、ベラスコはそれぞれ逃亡させている。その後、彼らは南極の巨大基地に向かったが、そのときも彼はCIA(OSSが改組された)の支援、つまり南米大陸内までの安全確保を取りつけている。それが、ベラスコの背後にいる結社の力なのである。

 ベラスコが背負ってきた危なく重い役割は、そのまま結社のベラスコに対する信任の厚さを物語るのだろう。

 

・戦後、ボルマンと同じようにベラスコに匿われて、南米に逃亡したナチスの高官アドルフ・アイヒマン。だが、1960年5月、アルゼンチン内でモサドイスラエルの情報機関)に捕らえられ、イスラエルで裁判を受けた。イスラエルでただひとり、死刑になった人物である。

 

結社は最終目標を達成するまで決して諦めない!

Q:「ナチス原爆説を証明する人物は、だれかほかにいるか」

A:「ノーだ」

 

・そこで、再び結社の歴史を大まかに振り返りながら、ベラスコのNOの背後に隠れている人々を探ってみよう。

 イギリスの結社メンバーはかつて植民地支配に着手、でき上がった植民地のひとつが現在のアメリカ合衆国。先述したが、北米大陸は13世紀のイギリス王室とバチカンを握手させた、結社メンバーたちの会社が経営を始めた植民地である。

 その後、植民地経営会社は500年余りの歳月を経て、北米大陸の各地に次々とコミュニティを誕生させ、単独の行政区分で運営されていた各州を統合して、合衆国として独立させた。会社は植民地経営の方式を、さらに北米大陸以外の大陸や島嶼にももち込んだ。そのうえで、それらの植民地をまとめて、ひとつの世界政府を樹立させる最終目的が結社にはある。

 結社の最終目的は至福千年王国を目指している。つまりワン・ワールド=世界連邦政府の実現を悲願としていることで知られているのである。そのために世界に「秩序」を呼びかけ、国連創設に苦心してきた。そうした結社に対抗する、知識力と資金力とリーダー・シップを発揮する勢力は、現世界のどこにもない。21世紀の現在も、結社の理想は失われていないのだ。

 

・加えて、結社と価値観で対立する勢力を、力づくで屈服させようとする手法も歓迎されにくい。何しろ、結社の手法は相手国の内部に対立抗争の火種を投げ込んだり、潜在的な敵対国同士の抗争を顕在化させて争わせる両建て闘争管理方式だから、そのやり方が結社の哲学を台なしにしてしまう。つまり、結社の過度の“思いやり”が、皮肉にもそれまで眠っている相手を、抵抗勢力として目覚めさせてしまうのである。

 それでも知力と腕力こそが人類を至福に招く、と信じる結社はひるまない。20世紀初頭、結社の理想に反発したわけでもないドイツ、イタリアそして日本を相手に、結社は闘争管理方式をもち込んだ。いや、戦争を勃発させたといい換えよう。

 目的は、ソ連共産主義諸国との架空対決を演出するためだ。その仕掛けはひとまず成功して、第2次世界大戦の勃発につながった。この戦争で、ソ連をあたかも米英に比肩するかのような大国にのし上げた。むろん、架空にすぎない見せかけの大国なのだ。

 

・第2次世界大戦の終結を踏み台にして、結社は幻の超大国ソ連と米英西側同盟国軍団との間に、「冷戦対決」の構造を作り上げた。つまり、対決による闘争管理方式で、世界を東西2分割してまとめる戦略を成功させたのである。

 米ソ両大国と東西両陣営の納税者は、互いに手強い相手国の攻撃に備える必要性から、政府の軍事支出に異義を唱えることをやめた。結社は狙いどおり、東西対決の仕組みを提供して国民に税金を吐きださせ、軍需産業に利益をもたらす結社得意のバビロニア錬金術を遺憾なく発揮したが、好事魔多しで結社の錬金術を非難する国々をも、また多く生みだしたのである。

 米ソ対決の闘争管理方式で大儲けした結社は、今度は米ソの対立関係を終焉させ、用ずみの仇役ソ連共産主義体制を崩壊させ、今度は民主主義国ロシアに改造した。日本政府の指導者たちは明治維新の遥か以前から、自国の運命を結社の西欧世界に委ねてきた。その錯覚ぶりを浮上させたのが、第2次世界大戦だった。

 

「金の百合」を巡って交わされた日米の秘密同盟

・彼らの忠誠心を米英戦勝国に捧げさせるため、結社は1946年、戦争犯罪人を裁くという建前で東京裁判を形式的に用意した。表向きには戦犯を積極的、かつ公正に裁く場に見せかけ、その舞台裏を「金の百合」の一部で裁判費用を賄った。

 

・だが、結社は天皇に戦争の罪を問うつもりなど最初からなかったのである。「金の百合」の持ち主には利用価値がある。裁判では、結社の対共産主義対策に非協力的な人物を選びだし、戦争遂行責任者に罪ありとして軍人25人に有罪判決を下し、うち7人を死刑にしたスケープゴートである。海軍関係では、指導者ふたりが死刑を免れ、終身禁固刑ですんだ(TO情報と連携した功績が大きかったからである)。本来なら、処罰対象になる他の軍人とその協力者たちを、刑務所から解放して形の執行を猶予し、共産主義者と対決させるために再活用したのである。結社、つまり占領軍は東京裁判を通して、昨日の敵である日本の戦争指導者を活用した。その舞台として裁判は設定されたのだ

 

これ以上、話すことはない………

Q:「私は自身の常識を疑わざるを得なくなるが?」

A:「それはお前の勝手だ。私は世界連邦政府主義者だ。どこの民族も愛するし、疑いもする。文句はあるまい

 ここで録音テープは切れた。対話はもうこれで十分だろう。