日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

本書は、これまでの「UFOはUFO出没スポットなどで見る」という既存の概念から、「部屋の中でETガイドに会う」という意識へと転換していただくための本でもあります。(1)

 

 

(2023/8/19)

 

 

『スターファミリーと出逢う  完全ナビBOOK』

ETガイドと交流すると宇宙的人生がはじまる!

ETコンタクティ   グレゴリー・サリバン

 ビオ・マガジン      2022/8/20

 

 

 

ETガイドとは、あなたをサポートし、導いてくれる銀河のファミリーたちのことアセンションを迎えるこの時期だからこそ、スターシードのあなたとの再会を彼らも待ち望んでいます!

 

これまでにJCETIとして、CE-5のイベントは計500回以上行い、5千人以上が実際にETコンタクトを体験することになりました。また、野外におけるCE-8のワークだけでなく、室内においてETガイドとつながる「高次元テーブルワーク」のセッションも、すでに数百人に対して行っています。

 

・その他、2020年からのコロナ禍の時期を除けば、年に2回、UFOとETの情報に関しては、世界的に有名なジェームズ・ギリランドさんが運営するアメリカの「ECETI」に日本から参加者を募ってツアーを行い、参加者の皆さんに高次元の存在たちのとのコンタクトも体験していただいています。

でも、宇宙存在との交信はあなたの自宅の部屋からだって可能なのです!

 

本書は、これまでの「UFOはUFO出没スポットなどで見る」という既存の概念から、「部屋の中でETガイドに会う」という意識へと転換していただくための本でもあります。

 アセンションのためには、UFOという乗り物自体を見るのではなく、その中で操縦している存在たちとコンタクトをする必要があるのです。

 

・さあ、あなたもこれから、あなたをずっと見守ってくれていたETガイドとの出会いを果たしていきましょう。

 

ETガイドとは、どのような存在?

・「ETガイド」とは、ひと言で表現するなら、「宇宙存在としての守護霊」と呼べるような存在のことです。

 

・そんなETガイドは、かつてあなたの家族だった存在たちでもあるのです。

 高次元のETガイドたちには、地球の黎明期から現在まで関わってくれている数々のグループが存在します。

 具体的な例を挙げれば、天の川銀河に属するグループ、アルクトゥルス人やオリオンの光の評議会、リラ、シリウスなど地球創世記から人類誕生のプロセスに関わってきた存在など、さまざまな銀河の宇宙ファミリーたちのことです。

 

・過去に宇宙での前世を持つスターシードであるあなたは、縁のあるスターファミリーとは、宇宙の転生において親子、兄弟姉妹など血縁関係にあったり、師弟関係にあったりした間柄でした。

 そして、あなたはそんな宇宙の家族とも呼べる存在と、自分では憶えていないかもしれませんが、「いつか、もう一度、どこかで再会しましょう!」という約束を交わしていたのです。

 

・さらには、そんなあなたの陰のサポーターであるETガイドと実際にコミュニケーションができたら、さらにもっと素敵なことだと思いませんか?

 実は、それがこの本の狙いでもあります。

 

ガイドの種類と各々の役割――地球系ガイドは「ご先祖様」などのスピリットガイド

・前項では、“ガイド”という言葉からが、「守護霊やご先祖様、ハイアーセルフ、天使などを思いう浮かべる人も多い」とお伝えしました。

 

・ETガイドは、「宇宙存在としての守護霊」であるとお伝えしましたが、ガイドは大きく分けると、地球に由来する存在と宇宙に由来する存在の2つに分けられます。もっと正確にいえば、①地球系スピリットガイド、②マスター系ガイド、そして③宇宙系ガイドという3つの種類に分けられると言えるでしょう。

 

・まずは、私たちにとって最も身近なガイドといえば、自分と血縁関係のある「ご先祖様」や縁のある人などを見守る形として働くケースです。

 

・たとえば、シャーマンやメディスンマン、メディスンウーマンとして生きていた人がスピリットになると、そのスピリットは、生前に縁があったコミュニティや自身が所属していた文化圏全体の守り神のような存在になることもあります。

 

「自然霊」もいるスピリットガイド

・また、地球系のスピリットガイドには、妖精や精霊など、自然霊としての存在たちも含まれます。

 妖精や精霊たちは、私が「4次元ヘルパー」と呼ぶ存在たちで、スピリットガイドの中でも上層部に位置しています。

 この自然霊としてのスピリットガイドたちは、主に自分たちのいる場所やスペースで活動するため、自分たちの領域を離れて活動することは、あまりありません。

 

・けれども、精霊たちの中でも、神様にあたる「パン(ギリシア神話に登場する神)」という存在は、一つの場所に留まらずに移動が可能な存在といわれています。

 また、日本でもおなじみのスピリチュアルな存在である「龍」や「天狗」なども、このカテゴリーに入ります。

 

・ただし、龍の中には、南米のマヤ文明に出てくる「ケツァルコアトル(宇宙蛇)」や「宇宙龍」と呼ばれる宇宙系のスピリットも存在します。

 

マスター系ガイドは、アセンデッドマスターたち

・マスター系ガイドとは、スピリチュアルの世界では、「アセンデッドマスター」と呼ばれている存在たちです。

 このアセンデッドマスターたちは、地球系ガイドと宇宙系ガイドの両方の要素を満たしている存在だと言えるでしょう。

 アセンデッドマスターは、かつて地上で肉体を持ち転生をしながら生きた後、魂が「アセンデッド(上昇した)」を遂げたことにより、現在では人間の霊的成長を導きながら、人間のサポートをしている存在たちです。

 

・その存在たちの例を挙げるなら、イエス・キリストマグダラのマリア聖母マリア仏陀観音菩薩、クフミ、エルモリア、ヒラリオン、レディナダ、セラピスベイなどです。

 彼らは、いわゆる一般的には“聖人”と呼ばれている存在たちであり、霊格が高く、霊界の上層や高次元に存在しています

 

宇宙系ガイドとしてのETガイド

・さまざまな星にルーツを持つETガイドたちは、時間も空間も自由自在に移動が可能であり、高度なテクノロジーを駆使しながら、私たち人間をサポートしてくれています。

 

・というのも、彼らは人間の魂の転生における長いタイムライン全体を見通すことも可能なので、地球系ガイドよりも大きな視点から時空を超えて、常に私たちを見守ってくれているからです。

 

・たとえば、あなたがアーティストやクリエイティブ系の仕事に就いている場合、アルクトゥリアンからのサポートを受けているかもしれません。

 また、あなたが教師やジャーナリスト、リサーチなど知識や記憶力を必要とする仕事に就いている場合、シリウスからのサポートを得ていることが多いはずです。

 

・このように、ETガイドからのサポートを得ていることを認識できると、あなたは、彼らの俯瞰した視点を自分のものにできるだけでなく、自分に必要なヒントを受け取ることで、人間界で生きていく上でぶつかるさまざまな壁や苦労も瞬時に乗り越えられるでしょう。

 

今、どうしてETガイドとつながることが大事なの?

・それは、今の時代を生きる私たちスターシードは、アセンションを迎えているこの時期だからこそ、最もレベルの高い情報にアクセスする必要があるからです。

 そしてその上で、一人ひとりが最高最善、かつ、ニュートラルなガイダンスを得るためです。

 

・ETガイドは、ソースからの真正な情報をダイレクトに届けてくれる存在でもあるのです。

 

ETガイドとつながると人生は好転する

・ETガイドとつながると、確実に人生は好転します。アセンション目的のサポートというと抽象的な感じがしますが、ETガイドとつながるメリットとして、何よりもまず、地球での暮らしがラクになることが挙げられます。

 

運命は変えられるの?

・まず、結論から申し上げると、運命の一部は定まっていて変えられません。

 その定まっている運命のことを、「宿命」と呼ぶ人もいるでしょう。

 

・つまり、出発地点と着陸地点を除く自由に操縦できるプロセスが、ETガイドにナビゲーター役をお願いして導いてもらえる部分でもある、ということです。

 

ETガイドとハイアーセルフの違い

・ETガイドとハイアーセルフは、まったく違う存在です。

 基本的に、ハイアーセルフはあなたの一部としての存在であり、あなたという存在とそこまで変わらないので、あえてつながろうとする必要はないのです。

 

ハイアーセルフは、高次元からのさまざまな情報をダウンロードしてあなたに提供する立場にあります。

 その情報の発信元が高次元のETガイドたちであることが、実はとても多いのです。

 

ETガイドとつながるメリットは、ハイアーセルフから情報をもらわなくても、すぐに自分にとって大切なことを決断し、決定できるようになるということでもあります。

 これこそが、この本で私が一番お伝えしたいことなのです。

 

ETガイドとつながるリスクはないの?

・ひと言でお答えするなら、「リスクはない」と言えるでしょう。

 逆に、ETガイドとつながらないことが、これからの時代を生きる上でリスクかもしれません。

 

・強いて言うなら、あなたがガイドとのコンタクトを後一歩、というところであきらめてしまうことが、リスクといえばリスクになるかもしれません。

 

ガイドからの“テスト”があることも

・ETガイドとのコンタクトを試みる上で、ETガイドではない存在との接触や、彼らからあなたを成長させるための「お試し期間」のような試練がやってくることもあります。

 

・すべての前提として、あなたの波動が愛と感謝、ワクワクした気持ちでいることが、ETガイドとのコンタクトを可能にします。

 コンタクトとは、あなたの波動とETガイドとの波動の同調作業なのですから。

 とはいえ、皆さんの不安を払拭するために、この実践ガイドブックでは、あなたのETガイドと正しくつながるために「インボケーション(祈り・歎願)」を唱えることをステップに加えています。

 

・このインボケーションを唱えることで、あなたは他の誰でもない、自分のETガイドとピンポイントでつながることが可能になります。

 

私のETガイドとの邂逅

・それではここで、私とETガイドとの出会いについてお話ししてみたいと思います。

 多くの方がそうであるように、この私も最初は、ETガイドとの出会いの前には、野外における宇宙船を目撃するという体験からはじまりました。

 

・さて、私とETガイドとの出会いは、今をさかのぼる約10年前からはじまりました。

 誰もがそうであるように、まだ若い頃の私は、毎日を生きるのに精いっぱいで、ETガイドから届いていたであろうサインを無視しているような状態の日々でした。

 

・けれども、JCETIの活動をはじめた2010年頃からUFOを目撃することが次第に多くなり、コンタクト体験が徐々に増えてきはじめました。

 

・ところが、ジェームズ・ギリランドさんが運営するアメリカにあるアダムス山のECETIを訪問した際、ジェームズさんから高次元テーブルワークで個人セッションを受ける機会がありました。

 そこで初めて、私のメインガイドの1人である「バギート」という存在とつながり、自分のパーソナルガイドとエネルギーワークを行うという人生初の衝撃的な体験をしたのです

 ちなみに、バギートはシリウスの猫族の存在です。

 

・現在、バギートは私のメインガイドの1人として働いてくれていますが、私1人をサポートしているわけではなく、同じようにシリウスに由来のある人々に対してもサポートを行っています。

 

続いて、2018年のアダムス山のセッションにおいて、アセンションガイドとしてアヌンナキ(ニビル星人の一族)の「エンハー」という存在が私のことをサポートしてくれるようになりました

 バギートが私にとってはパーソナルトレーナーのような役割だとすると、エンハーは私の公の活動部分をサポートしてくれる存在だと言えるでしょう。

 

聖地アダムス山の麓にあるECETIは、宇宙とコンタクトできる世界随一のスピリチュアル・リトリート・センター。

 

アセンションと高次元存在たちとの関係

ETガイドはアセンションガイド

・現在、地球は「アセンション(次元上昇)」の真っただ中にいます。

 まず、これは私の考え方でもあるのですが、スピリチュアルの世界でアセンションガイドと呼べるのは、ETガイドです。

 だからこそ、ETガイドにコンタクトをすること自体がアセンションへの道を歩むことでもあるのです。

 

・人類はアセンデッドマスターからも多くのことを学んできましたが、次元上昇のタイミングを迎えている今は、さまざまなETグループが地球に集まって来ています。

 今のこの時期は、人類へのサポートに関しては、アセンデッドマスターからETガイドへとバトンタッチの時期を迎えていると言えるでしょう。

 

・ではここで、改めて「アセンション」の意味について考えてみましょう。

 アセンションについては、いろいろな解釈や定義がありますが、私にとってのアセンションとは、「これまでの古い支配社会のシステムが崩壊し、地球の波動が上がることで4次元の開放が起きている」ことを指します。

 

・また、宇宙には知的生命体(ET)たちが存在しているということもすでに知られつつあり、彼らがどんなアジェンダで動いているのか、などの情報もネットを中心にどんどん開示されてきています。

 

今こそ、2つのハードルを越えて

・これまで、ETガイドと再会するためには、2つの大きなハードルがありました。

 1つは、これまでは次元間の密度の遠い=波動の違いが途方もなく大きかったのです。この波動のギャップが、地球と高次元のコネクションを困難にしていました。

 けれども、地球の次元上昇に伴い、地球も波動を上げてきていることで、次元と次元の間の壁が薄くなってきています。

 

・2つ目のハードルは、人間社会の中にありました。

 長年、ひた隠しにされてきた、地球外知的生命体に関する情報を公開する「ディスクロージャー」の運動を阻止する工作が、ずっと続いていたのです。

 アメリカの情報機関や、いわゆる闇の権力である「ディープ・ステート」と呼ばれる存在にとって、スターファミリーは人類にとって危険な存在であり、人類の敵であるという印象操作やマインドコントロールが、メディアを通して行われてきました

 そのような操作のせいで、私たちは宇宙の存在たちを「人類とは関係のない存在」であり、「エイリアンは非常に危険な存在である」と認識してしまったのです。

 

・誰もがアセンションという大きな波の中にいる今、ETガイドとつながることで、あなたは大きな時代の変化という波に呑み込まれて溺れるのではなく、自らがサーファーとなってその波を自由自在に乗りこなしていけるでしょう。

 

アセンション時代のワナ

・けれども、チャネリングを行う本人が気づかないうちに、4次元アストラル界の低級存在とのつながりを持ってしまい、その影響で間違った情報が人々に伝わってしまっているケースもよくあります。

 これこそが、アセンション時代におけるワナでもあるのです。

 

実際に4次元アストラル界は、中間層、上層の3層に分かれていて、人間の波動が最もつながりやすいのが低層ストラルの次元であり、そこは迷子霊や地縛霊などがさまよっている世界でもあるのです

 

・やっかいなことに、チャネリングなどでつながりやすい4次元アストラルの世界は、私たち人間が「神の領域」だと勘違いする巧妙なトリックが仕掛けられています

 それこそが、ニセモノの光の世界である「フォルス・ライト(偽物の光)」という世界であり、一見、光の世界に見えながら実はそうではない、という次元です

 

・グルとなったリーダーの中には、セミナーの参加者たちには「ずっと自分についてきてほしい」という思いから、いつのまにか、「お金を払い続けてほしい」という商売目的にすり替わってしまっている人たちがたくさんいます。

 

・初めは純粋な動機だった人や、役目を持って天界から派遣された人であっても、資本主義の垢にまみれてダークサイドに落ち、アストラル界にいるニセモノの“トワイライトマスター(偽光のマスター)”に操られてしまっているリーダーたちも少なくありません。

 

アセンションは、自力の「セルフマスタリー」であるべき

・ちなみに、波動の種類として、4次元アストラルのエネルギーは「霊気」であり、低波動のエネルギーはこの3次元にある波動に近いために「人気(じんき)」と呼ばれています

 そして、5次元以上の高次元のエネルギーは、「神気」と呼ばれています。ETガイドなどを通じて、この本物の「神気」を一度体験すると、4次元アストラルのエネルギーとは似ても似つかぬものだということがわかるはずです。

 

・実際に、フォルス・ライトの波動は地球の波動と似ているために、私たち人間が感じ取りやすい波動でもあり、すぐに効果として現れてくるものが多いのもこのためです。

 そして、このフォルス・ライトのまばゆい光に一度ハマってしまうと、そのエネルギーが心地よすぎて、そこから上の次元には進めなくなってしまうのです。

 

・私は常々、私たちがアセンションを迎えるにあたって、「セルフマスタリーによるアセンション(自立できるアセンション」でなければならない、とお伝えしています。

 

地球から高次元ガイドへと進化を遂げている存在たち

・現在、アセンションのタイミングを迎える中、1つの新たな現象が起こっています。

 それは、地球で亡くなる人のうち、意識レベルの高い魂の場合、4次元のアストラル界をスルーして、直接、高次元へと行く人が増えてきているということです。

 

・数年前、あるクライアントさんに個人セッションを行っていた最中の出来事です。セッションを受けていたある女性の亡くなった旦那さんが、なんと5次元のプレアディアンとして転生して登場してきたのです。

 

ETガイドのサポートの種類

・サポートの種類は大きく4つに分けられます。それは、①ヒーリング系、②クリアリング系、③ガイダンス系、そして④アセンション系の4つのサポートです。

 

さあ、ETガイドとつながろう!

ETガイドとつながる準備 コンタクトに必要な6つのワーク

1、空間をクリアリングするための瞑想

2、高次元にアクセスするための「プラチナ光の卵のエクササイズ」

3、セッション・フィールドを開き・閉じる

4、つながることを意図する――ガイドへの呼びかけ

5、「ユニティ宣言」としてのインボケーション

6、空間のエネルギーの変化を感じてみる

 

4つの「ETトランスコム」エクササイズ

1、「ガイドからのタッチ」で、自分だけのシグナルを決めるエクササイズ

2、「シャドウ・プレイ」のエクササイズ

3、「高次元のスポットライト」エクササイズ

4、高次元のエネルギーと融合する「ブレンド」エクササイズ

 

日常の気づきを深める3つのワーク

1,感謝の気持ちを伝える

2,ガイドからのサインを受け取る

3シンクロニシティはこちらから起こす

 

あなたのETガイドは何星人?

つながろうとする意志が大切

最も大切なのは、ETガイドとつながろうという意志を持ち、エクササイズを日々、トライし続けることです

 

・ぜひ、数回のトライアルであきらめずに、エクササイズを続けるようにしましょう!

 

・とにかく、日常生活の中においても、意識的に宇宙のETガイドに向けてチャンネルを合わせようとすることで、彼らからのフィードバックが来やすくなります。

 

代表的なETアンバサダーたち

・そして、「ETガイドとつながることができた!」という人へ。

 コンタクト時にやってきてくれるあなたのスターファミリーのETガイドには、個人を受け持つパーソナルガイドに対して、「アンバサダー(大使・使節・代表者)」として大勢の人をサポートしている存在たちがいます。

 

アンドロメダ

・天使が羽根をひろげているようなイメージ(歴史の中で天使・大天使とされるものはアンドロメダ由来の存在が多い)。

 

シリウス

アカシックレコードゲートキーパー(管理者)。

 

オリオン人

地震や地球のプレート、レイラインの調整などガイアの安定のサポート、惑星レベルのチューニング。

 

・「オリオン光の評議会」として過去の傷を癒し、光と闇を統合して、危機に直面する惑星をサポート。

 

神なる宇宙存在「ゴッドビーイング

・創造主であるクリエーターとして、独自の宇宙に存在し、他のETグループには直接関係がない次元の存在。

 

・肉体のないライトボディ(光)のエネルギー、磁気的な光のエネルギー。

 

・「祝福の神」とも呼ばれ、つながると笑いが止まらない現象が起きることがある。

 

アルクトゥリアン

・地球のクリエイションや美、芸術に大きく関与してきた。

 

・高度なヒーリング能力、医療面の進化で人類をサポート。

 

インナーアース(地底人)

・地球の別のタイムラインの存在たちなので、より親近感があり、より人類にとっては身近な存在。

 

・非物質のエネルギーを細胞レベルまで物質化できる。

 

<ビッグフット>

・5&6次元(4次元も含む)

 

・地球の別のタイムラインの存在たちなので、より親近感があり、より人類にとっては身近な存在。

 

・非物質のエネルギーを細胞レベルまで物質化できる。

 

プレアディアン

・人類にとって身近な存在なのでつながりやすい。未来の地球人のような存在。

 

・無邪気で人間味にあふれ、ポジティブなエネルギーで明るいので、プレアデス系とのつながると心が明るくなる。

 

・古代の地球に「テラフォーミング(地球で生命体が居住できるように環境や地形、生態系などを整えること)」や、人類の遺伝子情報のひな型をつくるエンジニア的な役割を果たしていた。

 

・人物像は金髪で青い目の北欧型が多い。

 

ETガイドと行う共同エネルギーワーク

・ガイドとのつながりや交流が確実なものになってくると、ETガイドと共にワークができるようになります。

 

ETガイドとつながった人たち

・ここでは、これまでのワークショップやセッション、アダムス山へのツアーを通じて、ジェームズさんや私をきっかけに、ETガイドとの出会いをした人たちの体験談をお届けします。

 

<(体験談1)5次元に上がった曾祖父から家族へのサポートを知り感動!

・すると、エスパーじいさんとは、実在していた主人の父方のご先祖様(曾祖父)であることがわかり、彼はこの世を去った後、すぐに5次元に上がられた霊格の高い方であることがわかりました。

 

<(体験談2)ETガイドのように誰かを励ます存在になりたい!

・私はETガイドとコンタクトする「高次元テーブルワーク」が大好きです。

 なぜなら、地球外に存在しているETガイドが目の前にやってきて、彼らの存在を体感するという素晴らしい体験ができるからです。

 

<(体験談3)7次元の存在カジキエルから人類へのメッセージを受け取る

・私は、これまで5回ほどグレッグさんのアダムス山ツアーに参加していますが、これは、初めてグループワークに参加した時のエピソードです。

 

・その日、参加者からカジキエルと縁のある人の番号が呼ばれたのですが、私もそのうちの1人でした。後でジャームズさんに、私とカジキエルの縁について聞いてみると、「カジキエルはよく笑う人が好きなんだよ!」とのことでした。

 それ以来、カジキエルは私の横にいてくれているようです。

 

<(体験談4)ガイドの愛に導かれて自然の中で暮らしはじめる

・2015年9月にグレッグさんのツアーで、念願のECETIを訪問しました。

 ずっと行きたかったアダムス山が遠くに見えてきた時からワクワクしてきました。

 

・滞在時には、ジャームズさんによる高次元テーブルワークで、私のガイドに会うこともできたのです!

 名前はエーラという存在で、どうやら、私が生まれた時からガイドをしてくれていたようで、そのことを知った私は感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 他にも滞在中には毎晩、アダムス山でピカピカ光る物体を見ることができて、大興奮でした。

 

<(体験談5)自分の成長段階に合わせてガイドが変わっていくのを実感

・私は、ジャームズ・ギリランド氏の運営するECETIに、3回ほど訪れたことがあります。

 

・その時のガイドの名前はバギートで、2回目のセッションではバコール、3回目は名前を失念しましたが、シリウスの獅子族からの存在でした。

 

<(体験談6)地球に転生してきた理由がわかった!

・2013年からJCETIのサポートをしていますが、念願叶って、2018年にECETIを訪問した際の体験です。

 ECETIでは、毎晩ETV(地球外輸送機)とコンタクトしながら、昼間はメディスンサークルなどを行い、とてもスピリチュアルな体験をしていました。

 

・セッションの中でわかったことは、私の魂の故郷はプレアデスで、守護してくれている存在は、プレアデス星団の中の1つの星のエーラという存在でした。

 

スターファミリーの一員として生きる

宇宙の“地上クルー”として生きる

・これまで本書を通して、ETガイドとつながりサポートを受けることの大切さとその方法についてお話ししてきました。

 

・つまり、あえてこの地球で人間として生きながら、スターファミリーのETガイドとつながり、高次元の周波数を自分から地球全体へと浸透させていく、という役割を担っているのです。

 

ライトワーカーになると、人生が加速する

・ライトワーカーになると、人生が加速しますが、これはつまり、それぞれがキャスティングされた役割を演じていくということです。

 光の存在になりすました「トワイライトマスター(偽光の存在)」などは、人の上に立ちたがり、自分を崇めさせるような関係性をつくっていますが、これは古い時代の在り方です。

 

・また、あなたがスターシードであり、ライトワーカーとして「地球に光を放つ存在でありたい!」と意識することで、より新たなミッションや人生において出会うべき人との出会いも加速していくはずです。

 

アセンションワーカーとしてのトレーニングもはじまる

・今、さまざまな立場や経歴、背景を持つ人々が、ETコンタクトの世界に関心を持ちはじめています。

 ETガイドとの出会いを体験する人が増えることは喜ばしいことでもあるのですが、一つだけ覚えておきたい大事なポイントがあります。

 それは、高次元のETガイドたちは、あなただけでなく、すべての地球人や地球そのものをサポートしている、ということです。

 

・またETガイドは、コンタクトを通して、ライトワーカーやアセンションワーカーを育てるトレーニングも行っています。

 

この本でご紹介したエクササイズを習慣的に行うことは、アセンションのための重要なプロセスの一つです。

 

 

 

『エイリアンの夜明け』

コリン・ウィルソン  角川春樹事務所  1999/3/1

 

 

 

<多すぎる解>

・ハーブ・シャーマーなる警官のケースを伝え聞いてはいたから、まったく無知だったわけではない。この警官はネブラスカ州アッシュランドの十字路でUFOに出くわし、その後離陸するところも目撃したが、署にもどると思ったより遅い時間なのに気づいた。20分ほどの時間が消えてしまったようなのだ。催眠術師の逆行催眠にかかると、エイリアンにUFOに連れこまれ、人類にかかわるなんらかの播種計画をおこなっているところだと告げられたことを思い出した。そして記憶を消されたのちに解放されたという。

 

 しかしそれは1967年のことで、あれからもう30年近くにもなる。1970年代に巻き起こったアブダクション体験談の一大ブームについて、私は知らずじまいだった。

 

 しかし、ジョン・マックの本のおかげでようやく得心がいった。最初の一段落を読んだだけで、自分の無知を恥じることはないとわかったのだ。1989年にマックは、バッド・ホプキンズに会ってみる気はないかと知り合いの心理学者にもちかけられ、「そりゃあ誰だい?」と聞き返した。ホプキンズはニューヨーク在住の芸術家で、宇宙船に連れこまれたと信じている人々を助けようとしているのだと聞かされたが、そのマック自身、その男もその連中も気がふれているにちがいないと最初は答えているのだ。

 

 ただ、マックはもののわかった開けた心の持ち主だったので、数か月後にホプキンズに会うことに同意する。そこでわかった事実にマックは驚愕した。グレイの皮膚で巨大な目をしたエイリアンにベッドから連れだされてUFOに運びこまれ、医学的検査をなされたと主張する人々がアメリカ中いたるところに存在したのだ。

 

・ボストン一帯の事例にも触れておくべきだというホプキンズの提案に、マックも同意した。1990年から『アブダクション』出版にいたるまでの4年間に、マックは100人以上の“アブダクティー”に会っている。年齢は、下は2歳から上は57歳までにおよぶ。

 

・それに当然ながら、キャサリンのような人々は催眠がひき起こした“偽の記憶”症候群にかかっているのではないかという疑念もあった。

そうだとしても、この問題が不可解なままであることもまた明らかだ。ギャラップとならぶ世論調査機関ローパー・センターが1991年に3か月かけておこなった調査では、数十万人ものアメリカ人がアブダクションを体験したと信じているという結果が出ている。これがすべて偽の記憶だったとしても、ただ問題がすりかわっただけにしかすぎない。これほど多くの人間がアブダクション体験の妄想に取り憑かれるのはなぜかという問題になるのだから。

 

・女医とのカウンセリング中にポールは、3歳のころのアブダクション体験を思い出していた。エイリアンは部屋に入ってくると、ポールの手を取って“船”に引き入れた。そこでなにかを足に注射されたような感じがして、それからなにも感じなくなった。

 

 ポールはまた、6歳半のころ、夜「頭のなかで聞き覚えのある声」がして、外へ出るように言われたのを思い出した。ポーチに出ると頭上に“船”が見えた。巨大で丸く、眩しい光を放っていた。すると6歳くらいの背丈のエイリアン(一人はもっと背が高かったが)数人やってきて、そのときポールは自分がくつろぐのを感じた。UFO内でポールは長椅子に裸で寝かせられ、身体を調べられた。そののち、エイリアンの一人が制御装置を見せて「君はここの出身だ」と説明した。“浮かんだ”ベッドに連れていかれ、これはポールのものだとも言われた。たしかにその部屋は妙になじみがあり、何度も来たことがあるような気がした。

 

ポールはさらに、エイリアンは何千万年も昔、いちばん高度な生物といえば爬虫類だったころの地球にやってきて、生物相に影響をおよぼす初期の試みをおこなったともつけ加えた。

 

・こうした説明はいかにももっともらしい印象を与えはするものの、どちらも疑念を完全に払拭しきれるものではない――とくにほかの同様な事例を考慮に入れた場合には。私は多重人格について多数の書を執筆しており、最初のうちは、“もう一つの自我”とは完全な人格から乖離した断片なのだという通りいっぺんの説明を鵜呑みにしていた。しかし、アダム・クラブトゥリーやラルフ・エリソン、そして(もっと最近では)デヴィッド・コーエンなどの精神科医が記している症例中にはこのパターンに当てはまらないものがあり、“霊憑依”説の可能性を考慮しなくてはならないという結論をしぶしぶ認めなくてはならなくなっていた。ポールに関しては、自分は一部分エイリアンであり、自分の属するのはこの地球ではないと感じているアブダクティーがいかに多いかという覚え書きを、マック自身も残している。

 

 この本を買った動機は、ジョン・マックがUFOについてどういう意見なのかを知りたいがためだった。だが読み終えたときには、妄想であろうとなかろうと、アブダクション体験は真面目に考慮しなくてはならない現象なのだと納得させられていた。

 

 ここで認めておかなくてはならないが、マックの本に出会うまで、私は未確認飛行物体に対する深い興味を自分のなかにかき立てることがどうにもできなかった。UFO目撃が最初に広く公表されたのは、私が16歳の誕生日を迎える2日前のことである。1947年6月24日、ケネス・アーノルドという事業家がワシントン州レーニア山のそばを飛行中のことだった。

 

・これだけの事件が起きながら、私はまったく興味を持てなかった。数日後には卒業を控え、また家族は私が職について家計を助けるものと期待していた。インペリアル・ケミカル社へ就職して科学者を目指すというのが私の希望だったのが、数学の単位を取り損なったおかげで採用される見込みはなくなってしまっていた。それはつまり、工場労働などのきつい仕事につくしかないということだった。

 

・その数年後、空飛ぶ円盤で金星に連れていかれたというジョージ・アダムスキーの証言を読んだときも、空飛ぶ円盤を信じたりするのは脳味噌の足りない連中にちがいないという思いを強くしたものだった。

 

 やがて、ひょんなことからわたしは視野を広げることとなる。1960年代に、超常現象についての執筆を依頼されたのだ。テレパシー、予知、千里眼、対外離脱体験などといった事柄に首を突っ込んだとたん、世迷い言として片づけることなどできるものではないと気づいた。

 

・拙著『オカルト』の最後のほうで、完璧を期すためという理由からではあったものの、一章を空飛ぶ円盤に割かなくてはならないと思った。私はケネス・アーノルドの目撃談とトーマス・マンテル機長のUFO追跡墜落事件について触れた。そのあとで触れた事例は、今にして思えば、当時思っていたよりはるかに重要な事例だったのである。

 

・数年後、シュワルツは自分の“使命”に関するテレパシーのメッセージを受け取りはじめた。ある女性患者は金属的な声でシュワルツに話しかけ、お前は冥王星の出身で、自分――声の主――は金星人だと告げた。この金星人はリヌスと名乗り、金星に棲息する“ガス状”生物についての専門的な話を並べたてたが、それはこの女性患者の知的能力をはるかに超える事柄だった。その二か月後、また別の患者の口を借りてリヌスはシュワルツに話しかけた。さらにヴァンクーヴァーの心霊少女が、前夜アストラル体となって金星へおもむき、そこでリヌスと会ったとシュワルツに語ったりもした。

 

 さてここまでが、私が『オカルト』を執筆した当時のこの一件の進展状況である。

 

・この時点で、アンドリア・プハリックの『ユリ――ユリ・ゲラーの謎の日記』を読んで以来私を悩ませつづけていた疑問を本人にぶつけてみた。多くの人々と同じく私も、あの本は読み終えるのが極端に難しいと思っていたのだ。問題はじつに単純で、まるで信じられなかったからである。プハリックがとほうもない嘘つきだと思っているわけではない――たんにどうがんばっても私には内容を本気にできなかったのだ。

 

 私は、あの本に書かれていることがすべて本当にあったのかどうか知りたかった。そのときのゲラーがすでにプハリックと袂を分かっており、しかもゲラーがなんらかの反感を抱いていることも知っていたので、本当のことを答えてくれない理由もないはずだった。

 

 ところがゲラーはじつにきっぱりと、「何から何までアンドリアの書いたとおりだった」と答えたのだ。

 

・ゲラーは次に、1949年、3歳の誕生日のすぐあとで、テルアビブの庭でお椀型の光が空に見えたときの様子を話した。そして目の前に光る人影が現れた。頭の上にあげた両手には、なにか太陽のように輝く物体を頭の上に捧げもっていた。

 

 プハリックの本がおよそ信じられなくなりだしたのは、この部分からだった。というのも、それにつづけてプハリックは、催眠面接の途中でゲラーが口をつぐむと、空中から奇妙な、金属的な声が聞こえはじめたと書いているからだ。声は「3歳のとき庭でユリを見つけたのはわれわれだ」と言った。“彼ら”は目的遂行のためにユリをプログラムしたが、接触時の記憶は消しておいたという。目的とは世界戦争を回避することで、エジプトとイスラエルのあいだに起きることになっている。ゲラーはその目的のための、なんらかの道具となるはずなのだという。

 

“彼ら”とは、のちに明らかになるのだが、“ナイン”と呼ばれる超人グループだった。プハリックがはじめて“ナイン”を知ったのは、ヴィノド博士というヒンドゥー教の超能力者を研究中のことだった。ヴィノドはだしぬけにまったく別人のような声で、しかも訛りのない完璧な英語を話しはじめた。その存在は言語明瞭にして高度の知性をそなえ、自分は“九つの原理と力”のメンバーであり、人類進化の一助となることがその使命だと説明した。

 

・その4年後の1956年、プハリックは知り合いになったチャールズ・ラフェッド博士夫妻というアメリカ人から、“九つの原理と力”からの長文のメッセージを受けとったが、そこにはヴィノド博士を介して伝えたメッセージの内容が言及されていた。二番目のメッセージがなんらかのトリックでもないかぎり、“ナイン”、あるいは少なくともその代弁者とは一種の肉体をもたない知性であるようだった(しかし、のちにラフェッド博士自身が、“チャネリング”によるメッセージに惑わされる危険を、身をもって示すことになる。ある特定の日に世界の終末がくると公言したものの当日なにも起こらず、けっきょくミシガン州立大を辞職する憂き目にあったのだ)。

 

 こうした出来事すべてが、テルアビブで金属的な声を聞いたプハリックがまたもや“ナイン”が現れたと早合点した説明になる。

 

・その日、のちほどゲラーが催眠状態にあったっとき、ふたたび金属的な声が話しかけてきて、いま「スペクトラ」という宇宙船で「5万3069光年の彼方にいる」と説明した。

 

・無理もないことだが、こうした出来事のおかげでプハリックは自分が相手にしているのは地球外の知的生命体にまちがいなく、町ほどの大きさの宇宙船で地球を800年間見守ってきたというその言葉もおそらくは本当だろうと思いこんでしまった。不可思議な出来事をたてつづけに目のあたりにして、ゲラーのトリックではないかという疑念はすべて吹き飛んでしまったのだ。

 

・誰しも納得するところだろうが、こうした状況下では大半の人々が、この“超自然的”(あるいは地球外の)力は本物であり、幻覚やトリックなどではないと思うことだろう。日ごとに自然法則が否定され、目前でさまざまな現象を“声”の能力を証明されては、どんな頑固な懐疑論者も信じこんでしまうはずだ。

 

 目撃できるのは当事者にかぎられている場合が多い。砂漠を走行中にゲラー、プハリックともう一人が巨大な宇宙船を目撃するが、フロントシートにいた三人の軍人には見えなかった。宇宙の知性は明らかに、人心を操る不思議な能力を有しているのだ。

 

<不思議度の高い話>

・パスカグーラのアブダクションとほぼ同じころ、ジムという名の元空軍警備士官が、ジョンという会社役員とその妻バーバラ、それに夫妻の十代の子供たちとともに、コロラド州の牧場で隠居生活を送ることに決めた。

 

さて、彼らはコロラドに選んだ牧場が奇怪な現象に絶えずつきまとわれているのに、移ってすぐ気づいた。電気が消えたり、家の外を誰かが歩いている足音が聞こえたり、森に“ビッグフット”タイプの生き物を見たりしたのだ。

 

 1975年10月16日、牛が急に鳴いて騒ぎ出し、番犬が家の中に入ろうと必死になった。そこでジョンがライフル銃を持って外へ出ると、大きな光る物体が空中に止まっているのを見た。ジョンは急いで家の中に戻ることにした。ジムはこのころすでに、高額の賞金がかかっていた家畜の解体殺害者を“狩りに”行こうと決心して、12口径のショットガンを用意していたのだが、なぜかソファーから立ち上がれない自分に気づいた。まるで身体が麻痺してしまったようで、麻薬を飲まされたかのようだった。

 

・その後しばらくして、雪の降る日、家の近くで雄牛がばらばらに殺害されていた。18インチの巨大な足跡が、雪面と牛小屋の中にも残されていた。

 

 雌牛の乳房が外科的な精密さで切除されていたうえ、片目と片耳もなくなっていた。血もすっかり抜かれていた。

 

 事件は最寄りの隣り町の警官に報告された。この警官は調査すると約束したが、一度もやって来なかった。

 

・しかし、数日後、ジムは本当にそうだろうかと疑うようになった。家に遊びに来ていた友人たちが水貯めのほうでしていた物音を調べに行って、大きな黒い人影が有刺鉄線の柵を超えてこちらに向かってきたと青くなって逃げて帰ってきたのだ。ジムは長い毛の束を見つけ、それをデンヴァー遺伝子工学者に見せると、毛はこれまで知られているどの生物種のものとも一致しないとのことだった。

 

 それでもまだジムは、どこかの不動産屋が彼らをこの土地から追い出し、誰かほかの買い手に売りさばこうとしているのだと思おうとした。そして、ショットガンを持ってドアのそばで寝ることにした。ある日、ブーンという音がして目が覚め、急いで外へ出てみると、円盤形の物体が飛び去るのを目撃した。またある夜には、目にした毛むくじゃらの生き物めがけて発砲し、相手がひるむのを見たが、血痕は残っていなかった。

 

・ある日の夕方、家から見える距離に9機もの円盤が着陸した。ジムはそちらに向かって歩いていった。そのときバーバラが窓から見ていると、いきなり額に衝撃を受け、倒れて無意識状態に陥った。ほかの家人が周りに集まっているあいだに、円盤は消えうせていた。

 

その直後、ジムはまた別の光を見て、そちらに向かって歩いていった。すると、ぴったり身体にフィットした服を着た二人の金髪の男が待っていて、そのうちの一人が言った。「ようこそおいで下さいました」(それはまるで、外国語慣用句集からでも英語を学んだかのようだった。「ようこそおいで下さいました」などというのは、こんな状況にはまるで相応しくないお笑いぐさの言い方だ)。丘の下に円盤があった。光はどこからともなく射してきているようだった。そしてそこにはビッグフットもいた。

 

 男たちはまったく普通の話し方で、自分たちが引き起こしている不都合を詫び、“もっと公平な契約”をしようと言った。彼らはジムが黒い箱に近寄らなかったのは分別のある行動だったと言い、ビッグフットに箱に近づくよう命令して、その意味を示した。近づいていくと、ブンブンという音の調子が変わり、ビッグフットは倒れてしまった。「ご覧のとおり、致命的なものなのだ」

 

 ジムは心に浮かんだいくつもの質問を、一つも発しなかった。まだエイリアンたちと話をしているという気がせず、どこかの政府筋が関係しているのだろうと思った。5分後、“行かなければ”という気がして、なぜか“とても安心した気分で”そこを去りながら、彼らはなぜ自分と話したがったのだろうと不思議に思った。

 

 研究者たちと話をした三人は、真実を語っているという印象を相手に与えたのだが、三人ともこの奇怪な話全体に困惑を感じたと語った。ジムなど、自分は幻覚を見ていたのではないかとさえ思った。何かが故意に彼らに幻覚を見させている疑いがあるという意味でだ。これは確かにあり得ることである。

 

 この話全体が、ティモシー・グッドの『エイリアン・コンタクト』の中に詳しく述べられているが、あまりにも奇想天外(そのもっとも正確な意味で)なので、ジムとその友人たちは嘘つきか狂人だと考えるのが、いちばん簡単な扱い方だろう。しかし、心理学者と人類学者、地震学者がそろったAPROの研究者たちは、ジムら三人が真実を言っている。あるいは目撃したことが真実だということにすこしも疑いを持たなかったし、また近隣の空軍基地も“ビッグフット”の目撃報告があまりにも多いので、証言を記録するための正式な調査機関を設けていたほどなどである。

 

・アニマル・ミューティレーションの目的に関して言えば、ティモシー・グッドはある研究者の言葉を引用している。「……酵素やホルモン分泌物の抽出が関与しているミューティレーションは、エイリアンたちの生命維持に欠かせないと言われている」

 

・そして1979年、アニマル・ミューティレーションに関する番組の制作を検討しはじめた。奇妙なことに、一般の人々は事件がいまだに引き続き起こっていることをほとんど知らなかった。以前の報道もしだいに風化してほとんど完全に消え去っており、事件について一度も耳にしたことのない者さえいた。

 

 そのつい2年前に知ったことだが、コロラド州スターリングの住民は、空に巨大な白い発光体が一つと、そこに出たり入ったりする小さな光体がいくつかあるのをあまりしょっちゅう目撃するため、それを“ビッグ・ママとベビーUFO”と呼ぶようになっていた。ビル・ジャクソンという現地のレポーターはあるとき、今にも平原に着陸しようとしている異様にばかでかい飛行機のようなものを見て、車を道路わきに寄せた。そして彼の真上を音もなく飛んでいったのは、フットボールの競技場ほどもある巨大なマシンで、そこに何百という緑、白、オレンジに赤のライトが並んでついていた。郡保安官テックス・グレイヴスはその物体を飛行機で追跡しようとしたが、5マイル以内に近づくことができなかった。

 現地の住民と家畜ミューティレーションやUFO目撃について話しているうち、リンダ・ハウはすぐに両者はつながりがあるのではないかと思いはじめ、その後おこなった調査がこの考えをますます強めることとなった。

 

・それから5年たって、ジュディはあのときいったい何があったのか思い出そうと催眠治療を受ける決心をした。そして、一頭の子牛が一条の光の中をUFOへ吸い寄せられていくのを見たことを思い出した。

 

・“不思議度”は次の話で突然アップする。1983年7月、ミズーリ州マウント・ヴァーソンに住むロンとポーラ・ワトソン夫妻は、道路の向かいの牧草地に、明るい銀色の光が閃くのを見た。双眼鏡で覗くと、一頭の黒い雌牛が腹を横にして倒れており、二人の銀色のスーツを着た生き物がそれに手を触れていた。見ていると、牛は草地から浮かび上がり、円盤型の宇宙船へと吸い込まれていった。宇宙船は鏡のような表面が木々の葉や草地、それに空を映していたために、ほとんど見えない存在のようになっていた。

 

 宇宙船の中へと続いているタラップのところに立っていたのは、人間とトカゲの交雑種のような生き物で、緑色の皮膚をしており、さらにその宇宙船の反対側には毛むくじゃらの“ビッグフット”がいた。全員がUFOに乗り込むと、宇宙船は消え去った。ポーラは目にしたことの不思議さはともかく、すべてがあまりにも不安をかき立てるできごとに思えたので、夫にどうか関わらないでくれと頼んだ。

 

ジーン・ロビンソンの“メッセージ”によると、“グレイ”たちは“大規模に製造された複製”あるいはロボットのようなものだという。しかし、それ以外の“カマキリ”タイプとときおり描写される種類のエイリアンは“古代種”で、“多くの種を生んだ大母神”だ。彼らは今では繁殖できなくなったため、合いの子を作り出すことによってしか祖先の遺伝子を伝えていくことができない。

 

 “爬虫人”は、ジーンを通して“交信してくる者”たちによれば召使いであり、身体力が非常に強く、「もし今でも生き残っていたとしたら、ちょうど地球の恐竜がこれに相当するだろう」。

 

 またこのほかにも、何千年も地上に存在してきた金髪の“北欧人種”タイプがいる。「彼らはあなたたちの古代の祖先だ」という。“カマキリ”タイプが繁殖に人間の遺伝子を必要としているのに対し、ノルディックたちは今でも正常に生殖をおこなうことができる。「彼らはあなたたちの精神進化により大きな関心を持っている」感情が豊かでより優しい人種であり、その性格は人間が起こす暴力と同様、“古代種”の連中を困惑させるものだ。

 

 メッセージはこう説明する。「われわれは自分たちが生き残るために欠くことのできない生化学的処理に、雌牛から採った物質を使用している。家畜から入手する材料には生化学的吸収に必要なタンパク質が適量含まれているのだ………われわれとてあらゆる生命を尊重するが、ときには犠牲も必要なのだ………」

 

 またアニマル・ミューティレーションは、どうやら“光子エネルギーの濃縮ビーム”によっておこなわれているらしい。

 

・『かいま見る別の現実』の第二巻『不思議度の高い事象』で、リンダ・ハウはシアトルの造船所作業員でスティーヴ・ビズマークという仮名を希望する一人の男の体験を語っている。1977年のイースター前の土曜日、スティーヴはエヴァレット近郊の父親の農場でツタカエデの根を抜き取っていて、森からビッグフット、あるいは別名サスクワッチが出てくるのを見た。背の高さはおよそ8フィート、円錐型の頭をしていて長く黒い毛に覆われていた。彼はとっさにかがみ込み、その生き物が自分に気づかないでくれるように祈っていると、相手は木々の中に消えてしまった。慌てて家に帰ると、父親に詰問された。「この野郎、今までお前どこに行っていやがった?」ほんの15分ほど出ていただけだろうと言い返すと、父親は外はもうすっかり暗いじゃないか、数時間いなくなっていたんだぞと指摘した。

 

 スティーヴは仕事場の友人にこの話をしたが笑われてしまった。だがその後、記憶の断片がちらちら戻りはじめた。小さな生き物たちと一種のUFOの記憶だった。郡保安官事務所に連絡をとると、そこの研究者が催眠術師に紹介してくれた。

 

 催眠状態で、彼はその体験がまず、“きらきらする青いメタリックスーツ”を着た身長4フィートほどの小さな男を見たときから始まったことを思い出した。この生き物は、最上部にヘリコプターの羽根のような装置のついた透明な卵形の乗り物の中に入っていった。もう一人、同じような生き物が森から出てきて、二人してこの一人用ヘリコプターで上空に飛び立った。それから一機の大きなUFOが舞い降りてきたのだが、そのスピードがあまりにも速くて、一瞬墜落するのではないかと思った。が、それは森の上空でぴたりと止まり、そのおかげで下には旋風が巻き起こった。それから、古い白黒のテレビが現れる“ちらつき”のような“ぼつぼつとした点”が空中に現れるのに気づいた。その点が突然一か所に集まってきて一匹のオオカミのような形になり、それがすばやく自分のほうに向かってきて、ぶつかると電気ショックを受けた。それでオオカミと見えたのは目の錯覚であることに気づいた。同じことが何度か起きた。そのあとで宇宙船からケーブルを伝ってサスクワッチが降りてくのを見た。おそらく自分を脅かすためなのだろう(何百という目撃証言が、UFO乗員たちが人間に対して神経質になっていることを明らかにしている)。

 

・その後、彼は宇宙船に乗せられ、弱い電流のようなもので身体を麻痺させられたことを、ぼんやりとだが思い出した。そこにはラジオがあって、英語やロシア語を含むたくさんの言語が聞こえていた。それから頭を剃った一人の男がスティーヴの眼球を取り出して検査した。次にはっきり覚えていたのは、自分は地上に戻っていて、サスクワッチが木々のあいだから出てくるところである。明らかに、ほかのすべての記憶は消されていたようだ。

 

・確かに『不思議度の高い事象』は、UFO問題に関連して書かれた本の中でもっとも異常な部類の本である。その驚きあきれさせる主張のいくつかは、冒頭の章「軍の発言」の中ですでに予感される。この第一章は、エイリアンに遭遇したと主張し、軍情報部からもしばしば報告を要求された軍関係者とのインタビューを含んでいる。そのうちの一人は、1980年のクリスマスに起こったある有名な“接近遭遇”事件のさい、イギリスの旧サセックス州レンドルシャム・フォレストにあるベントウォーターズ空軍基地にいた特務軍曹だ。このときUFOが間近に目撃されたということは、基地副司令官のチャールズ・ホールト中佐により公に認められている。

 

 特務軍曹ジョームズ・ペニトンはUFOを間近に目撃したばかりでなく、機体表面の浮き彫りになったシンボルに触わってまでいて、そのシンボルから、ある種の情報を得ていた。これはテレパシー的に受け取られたようだ。ペニトンは催眠状態で、UFO搭乗者たちが調査に従事していることを思い出した。「何に役立てるためだ?」と聞かれて、ペニストンはこう答えた。「彼ら自身にです。彼らはタイムトラベラーなのです。彼らはわれわれ自身なのです……未来から来た」。ペニストンによると、彼らは主に胃から染色体を採取するためにここにやって来ているのだという。なぜかとの問いに、「問題が起きているんです」

 

 UFO搭乗者たちが未来からのタイムトラベラーだという考えは、『不思議度の高い事象』の中で何度も現れる。

 

・リンダ・ポーターによると、ETたちの言語はわれわれのものよりずっと正確でコンパクトであり、“感情を生み出す記号文字”から成り立っている。このシンボルは三次元のホログラフィー彫刻のように見える。宇宙自体は「音型的にできていて、そのために同一空間にこれほど多くの異世界や異次元が存在できるのだ。それぞれが異なった周波数で存在していて………同じ空間を占める異世界や異次元は数えきれないほどあるのだが、それぞれが固有のオクターブを持っているために、お互いに気づかないでいる」。

 

・多くのアブダクティーやコンタクティーと同じく、リンダ・ポーターもエイリアンたち自身や彼らが話す目的を完全には信じはしなかった。「それでもまだ、どうもうさん臭いものを感じるのです。私たちは知ってほしくない何かがあるって」

 

 また、ミステリーサークルはサブリミナルなメッセージだと“本能的に感じる”とも語った。

 

 アブダクションの目的の一つは、恐怖を通してアブダクティーを情緒的に成熟させることではないか彼女は考えている。

 

・家族の他の者はこのことをすっかり忘れてしまいたがったが、ワンナと娘はヒューマノイドたちに生体検査をされたというぼんやりした記憶があった。二人は催眠治療を受け、ワンナはガラス容器にヒューマノイドの身体がたくさん並んでいる大きな部屋を思い出した。リンダ・ポーターもこれと同様なことを描写している。

 

・その目的には人類により高次の種の“種を播く”事業が伴っているらしく、そのためにワンナのような、実際にはエイリアンである特定の人間たちを一種の生まれ変わりの形で何度も地上に戻しているのだ。彼女の言う“人間の監視者たち、人間の創造者たち”の目的は“下位生物を使って、人類を(彼らの)レベルにまで進化させる”ことだ。ただ目下遭遇している一つの問題は、“人間たちの中には非常に邪悪で、私たち「エイリアン」をほとんど近づけさせない者がいる”ことだという。

 

・ワンナ・ローソンに出会った直後のUFO会議で、リンダ・ハウはアブダクティーたちとのインタビューの中で遭遇した生き物の種々のタイプに関して、講義をおこなった。それはカマキリ型、トカゲ型、ビッグフット、ブロンド、グレイなどであるが、会議に出席していた人々のじつに多くが、自分もそのうちのどれかに出会ったと主張していることに驚いた。

 

リンダがケン・ローズという仮名を当てて身元を伏せたある男性は、宇宙船に乗せられ、ガラス・ケースの中に収められた三人の女性の人体を目撃したが、その身体には胃のあたりに穴が開いていたと言った。人体はバクテリアから守るために金色の粉で覆われており、どうやら製造過程にあったようだった。

 

スパークスが「なぜ私なのだ?」とエイリアンたちに聞くと、彼らは自分たちが教えた書き方で質問を書き出させた。言うとおりにすると、ホログラフィーによって再生された第ニ次世界大戦中とおぼしきある場面を見せられた。ドイツ人とイタリア人の将校たちがなにかのクーデターを企てており、そのイタリア人のうちの一人が前世の自分であることに気づいた(スパークスはイタリア人だ)。この場面を見て、彼はなぜか人類をとても恥ずかしく思った。

 

 次に見せられたシーンは、19世紀後半か20世紀初期のようだった。ある工場の建物の前に一頭立ての軽装二輪馬車が止まっており、その馬車の中に自分がいて、黒いスーツにシルクハットをかぶっていた。自分はこの工場のオーナーなのだと感じた。

 

 それから、おそらく15、6世紀ごろだろうと思われる場面を見た。一人の男と一人の女が海を見下ろす高台の土地で、作物を耕していた。男は自分を思わせた。このあと中世の宿屋が現れ、粗末な木のテーブルを数人の男女が囲んでおり、白目製のマグでビールを飲んでいた。またしても、スパークスには男たちのうちの一人が自分と思われた。

 

 次のシーンでは、古代ローマ元老院を目にしており、ある重要な討論でほかの連中が話すのを、“まるで自分が全権力を握っているかのような”感じで耳を傾けていた。

 

 自分の家系をどこまで追っているのかと尋ねると、点々とする木々やサルのような生き物がいるアフリカのサヴァンナシーンを見せられた。このことからスパークスは、エイリアンたちが人類の創造に手を貸してきたと言っていることを理解した。これはリンダ・ハウが前述の書の第一巻の冒頭ですでに持ち出していたテーマだった。

 

スパークスはまた、彼の見たところ、アメリカ政府には三つのレベルがあると説明した。第一は通常の合衆国政府、第二はロズウェルの宇宙船回収のような機密を包み隠すレベル、第三はスパークスが“ブラック・バジェット委員会”(略してBBB)と呼ぶ“秘密クラブ”で、その存在はほかの二つのレベルにも知られていないという。

 

 スパークスは、エイリアンたちがすでに何千年ものあいだ人類の中にまぎれ込んでおり、“われわれを耕してきた”のだと信じている

 

・ジム・スパークスは1996年から2006年までの10年が、人類が生き延びられるかどうかの問題にとって重大な期間であると感じている。UFO現象の表出そのものである現在のエイリアンと人間の相互作用が、彼の信じるところでは、この破局を防ごうとするエイエイアン側の試みなのだ。

 

 スパークスの見解は、比較的に言って楽観的だ。ほかのアブダクティーたちは何ものも破局を防ぐことはできず、地球の一部は破壊されるだろうと言っている。人類は生き延びるだろうが、ずっと小さな規模になるという。スパークスには、状況はまだそれほどにはひどくはなく、何かができるはずだが、現在のように危険に気づかずにいる自己満足から脱し、目覚めることが急務だと強く感じている。

 

・リンダ・ハウの著作には、この時点まで私がわざと触れないできた別の面がある。それは彼女が、エイリアンとアメリカ政府とのあいだには

 

これまでにすでに接触があったのに、“ブラック・バジェット委員会”はその事実を大衆から故意に隠していると確信していることだ。

 

『不思議度の高い事象』の冒頭で、彼女はドアンルド・キーホー少佐の1960年の著作『空飛ぶ円盤トップシークレット』から長い一節を引用してる。同書は、軍がUFOの実在に完全に気づいており、慎重な事実隠しに従事しているということを非常に明確に打ち出した本である。

 

・番組はまた、軍関係者と国防省その他の省庁の職員全員に、UFOの話題に関して、罰金や禁固刑の脅しを後ろ盾に口止めする公式の命令があったことも認めていた。

 

 驚くまでもなく、この番組はキャンセルとなった。このような番組が放送までこぎ着けることができるなどと、どうしてこのディレクターが思いこんだのか察しがたい。しかし、その空軍の台本はキーホーが長々と引用しているのだから、この話は疑いなく真実なのだ。

 

 1983年、『奇妙な収穫』の放送から3年後、リンダ・ハウにUFOと地球外生命体の関与についての番組を作らないかとの声がかかった。当時二つのUFO団体が<情報の自由法>に基づいてUFOに関する情報を取得するためにアメリカ政府相手に訴訟を起こそうとしたものの、最高裁判所はこれを棄却していた。

 

 後日の情報によると、次に起こったのは、空軍が偽情報を流す一連の作戦に打って出ることで相手に手の内を出させようとする対策だったようだ。

 

・ドーティはガーステンに、アメリカ政府はエイリアンたちと接触を続けており、ある協定を結んでいて、それによるとエイリアンたちにはラスベガス近郊のグルーム湖の(エリア51として知られる)基地が与えられ、家畜解体と人間誘拐が許可されており、その代わりにエイリアンのテクノロジーアメリカの専門家に教えることになっているのだと語った。

 

 これは確かに決定的な情報に聞こえる。それとも、ドーティは陰謀説論者たちの過激な説の一部を蒸し返すことによって、わざと混乱を広げようとしたのだろうか?

 

・車で戻る道すがら、彼は話を進めて、リンダが最近聞いた別の話の信憑性を請け合った。ニューメキシコ州のホロマン空軍基地にUFOが実際に着陸したという話だった。

 

・事務所に着くと、ドーティは彼女の番組『奇妙な収穫』は「われわれが大衆に知ってほしくないと思っていることにかなり近いところまで迫り過ぎていた」と語った。それから、“合衆国大統領宛て概要説明書”と題されたある書類を見せたのだが、それは1946年に始まる数々のUFO墜落事件を認める文章で始まっており、それにはロズウェル(の二件とも)やニューメキシコ州アズテック、アリゾナ州キングマンの事件なども含まれていた。(有名な1947年のほうではなく)1949年にロズウェル付近で起きた後日のほうの墜落事件では、エイリアンの遺体と円盤が回収されており、分析のためにロスアラモスへ持ち込まれた。

 

・本書の執筆準備にとりかかったころの、私のUFOに関する知識と言えば、大半の新聞購読者よりは多少くわしかったものの、それにしてもたいして変わりはなかった。UFOに関するつつましいペーパーブックを1冊書いてはいた。だからといって、200冊あまりのUFO関係の書籍を読破する覚悟ができていたわけではない。

 

「円盤の秘密」(オルフェオ・アンジェルッチ)

・アンジェルッチは、コンタクティ(宇宙人会見者)で、自ら虚弱体質に悩む神経質な人間と語り、突如として、“空飛ぶ円盤ビジョン”の福音伝道者となった人物だ。

 

・アンジェルッチは、1952年5月23日、夜勤明けに車で、帰宅途中、意識がぼうっとなって夢を見ているような感覚に陥り、そのあと地平線上に赤い楕円形の物体を見た。その物体は、突然上昇し、二つの緑の光球を放ったが、そこから声が聞こえてきて、アンジェルッチに恐れることはないと告げた。車を止めると、声は、今お前と話をしているのは別世界から来た友人だと言った。アンジェルッチが急に喉が激しく渇くのを感じると、声がフェンダーの上にあるクリスタルグラスの中身を飲むように言った。美味しい飲み物だった。それから、二つの円盤のあいだの空間が白く光りだしてまるでテレビ画面のようになり、そこに超自然的な美しさの一人の男と一人の女の姿を見た。なぜかその二人をよく知っているように見えた。

 

・突然、画面が消えてなくなり、もう一度声がして(テレパシーだったようだ)。人間は何世紀も前から観察下におかれており、我々にとってはお前たち一人一人が貴重だ、なぜなら、「お前たちは、自分という存在の本当の神秘に気づいていないからだ」と教えた。

 

声の説明によると、このUFOは一隻の母船からやって来ているのだが、実を言うと彼らには空飛ぶ円盤は必要ない、“エーテル”的存在だからだ。UFOはただ人間の前に形として現れるために用いているにすぎない。“宇宙法”によって、地球に着陸し、人間の運命に干渉することはできない。しかし、地球は今、大きな危険にさらされている。

 

・二ヵ月後の1952年7月23日、またもや同じことが起こったー夢のような感覚。そして巨大な半球体のシャボン玉のようなものの出現。

 

・アンジェルッチは伝道者となり、UFOの福音を説いて回ったが、人々は彼の努力をひどく嘲笑した。あるときUFOを見たあと、再びあのエーテル体の友人が現れて、自分の名前はネプチューンだと告げ、地球の問題と未来の救済についてさらなる洞察を加えた。

 

ユングが、アンジェルッチは真実を語っていると認めたのは明らかだ。しかし、アンジェルッチの話は、結局は“自然発生的な空想イメージ、夢、積極的想像力の産物”だとも感じていた。ユングは、夢のような現実感をおびる空想を指してそう呼んだのである。

 

 

 

 

 

 

(2021/12/28)

 

 

『スターシードThe バイブル あなたは宇宙から来た魂』

スターシードに目覚める時 全ての謎は解き明かされる

Akiko 著 市村よしのり 監修  ヒカルランド    2020/6/3

 

 

 

スターシード

・あなたが、宇宙由来の魂を持つ存在であると気づく時、あなたは「スターシード」となります。

 スターシードとして地球的な枠をこえた生き方をする時、あなたは最高に輝き、多くの人を照らしていくことでしょう。

 あなたは紛れもなくスターシードです。

 

それはあるセッションからはじまった

私が「スターシード」だと気づいたきっかけ

アルクトゥルス。私は2年ぐらい前に急に『アルクトゥルス』というワードが気になって気になってしょうがなくなっていた。

 調べて行くうちにアルクトゥルス人と自分自身がとてもリンクしていて、共通点がある事を知った。私ももしかしたらアルクトゥルスとつながっているのかな?そう思うと心が躍った。

 そんなときに面白いセッションがあるよ、と知人に教えてもらい、とんとん拍子にそのセッションを受けることになった。なにも考えてなくて期待もしていなかったのでテンションの低いまま当日セッションを受けることに……

 

・「では始めます。まずあなたのガイドは2m50~3mぐらいのアンドロメダ人です」

 えっ?今なんて言った? アルクトゥルスとかじゃないの? アンドロメダ人なのね、しかもでかい!………ちょっと意外でショックかも。アンドロメダってなんだって?? まあ、いいや。それでそれで??

 

・「あなたは、アンドロメダからアルクトゥルス、ベガ、シリウス、プレアデスで地球のことを学んで、金星を経由して地球に来ました。宇宙ではそのほかの星にもたくさん生まれていて地球でも同じようにレムリア、アトランティス、エジプト、マヤ……など自分が体験したいところにピンポイントで体験しに行ってぱっと終わってまた次の体験をする……といった感じでいろんな体験をしている方です」

 

調べて行くと地球以外の星から来た人のことを「スターシード」というらしい。スターシードの特徴を調べたらまさに自分にぴったりで腑に落ちることばかり。

 私、スターシードなんだ。地球のこのアセンションを経験しに宇宙から来たんだ……。

 

「スターシード」あなたは宇宙から来た魂

ついにスターシードの時代が来た!

・もしあなたが宇宙から来た魂だとしたらどうですか? ビックリしますか? 驚きますか? 信じられませんか?

 私も最初のうちは半信半疑でした。でもスターシードのことを調べれば調べるほど、自分に当てはまり確信するようになって行きました。スターシードと気が付いてから本当に楽に生きられるようになったので、周りの人たちにも「スターシードって気が付くといいよ~面白いよ~」と伝えていたら周りもどんどん楽になって行き、変化していくので本当に驚きました。こんなにたくさんスターシードがいたなんて!

 

★スターシードとは

 地球に住む95%が宇宙由来の魂

 スターシードは、地球以外の宇宙の星や銀河を出身とする魂を持つ人のことをいいます。地球にいる95%以上の人たちが宇宙由来の魂と言われているのですが、地球での生まれ変わりを何度も繰り返している魂にとっては、ほかの星から来たことなどすっかり忘れてしまっています。

 

多くのスターシードは宇宙でアシュタールと交流を持っていたと言われています。アシュタールとは11次元の宇宙意識で金星からのアセンディットマスターです。意識体として存在していて巨大な宇宙船の指揮官でもあります。アシュタールが高次の星や銀河から勇敢な魂を集め、地球のアセンション情報を伝え、その情報を知り地球に自ら転生してきたスターシードたちも数多く存在しています。

 

・スターシードはそのお手本や手助けをするために存在しています。その表現の仕方やアプローチは様々ですが、すべてに共通することはスターシードたちが自分らしく表現するものはどれも愛であふれ人の意識が覚醒することを促し、地球の波動レベルを向上させることに直結しています。またスターシードはスターチャイルドやスターピープルとも呼ばれることがありますが、同じ宇宙由来の魂のことを指します。

 

・(スターピープル);スターピープルとは、宇宙由来の魂が地球に人間として転生してきている人を指す言葉で、人間の魂と宇宙存在が入れ替わるウォークインとして地球に存在している魂とも考えられています。

 

アセンションとは

・(地球のアセンション

 アセンションとは、次元上昇を指す言葉です。地球は長い間3次元の星でしたが、今この次元上昇で3次元から5次元へとゆっくり次元上昇がはじまっています。その次元を上げるためにたくさんのスターシードが生まれています。またこの地球のアセンションは他の星や宇宙にも影響するため、たくさんの星や宇宙存在たちが関わっています。

 

・そんな波動の高いところから地球のような不便さや苦しさをあえて学ぶ星に来たスターシード。スターシードには共通して地球での生きづらさを感じながら生きてきた人が多くいます。

 

★地球は生きづらさや不便さを学ぶ星だった

・地球は今までほかの星では体験できない「うまくいかない」ことや「不便さ」「苦しさ」を学ぶ修行のようなところがあり、あえてネガティブなことを体験していた星ともいえ、魂の経験や成長の場としては最高の場所でした。

 

★スターシードの特徴

・(スターシードはとても個性的で宇宙愛にあふれる存在である

 

・(スターシードの外見的特徴め

①  男性も女性も超えたような内面からあふれる美しさをもっている

②  精神年齢が高いので小さなころは実年齢よりも上に見られる

③  大人になってからは、年を増す毎に実年齢よりも若く見られる

④  どこを見ているかわからない目ですべてを見通すような美しい目をしている

⑤  とても独特で変わっていて特別な雰囲気を持っている

⑥  細身で手足が長くすらっとしている人が比較的多い

 

★スターシードは大きく分けて3種類

1 新型のスターシード;地球での転生回数がほとんどないスターシード

2 一般型スターシード;何度も地球での生まれ変わりを経験しているスターシード

3 オールドソウル型スターシード;宇宙でも地球でも何度も生まれ変わりを経験している古い魂のスターシード

 

ものすごく能力の高いスターシードの子供たち

・宇宙での経験豊富なスターシードの子供たちがたくさん生まれている

 

スターチャイルド);高い能力と異次元との強いつながりをもつ魂です。宇宙で使っていた特殊な能力をそのままもっている子も多いです。スターチャイルドは細かく分析するとインディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、レインボウチルドレンになります。

 

・(インディゴチルドレン);エネルギーが強く戦士や開拓者・経営者的な気質を持つスターシード

 

・(クリスタルチルドレン);愛と調和の光を放つ純粋なスターシード

 

(レインボウチルドレン);悟りの境地に達していてすでに覚醒しているスターシード

 

・このような流れで、インディゴチルドレンからクリスタルチルドレン、レインボウチルドレンのスターシードが地球に転生してきてサポートをしています。高波動の子供たちがなぜこんなに生まれているかといえば、今まで当たり前のようになっていた地球のネガティブエネルギーからできているルールや集合意識を変容させるため覚醒のために、たのもしい宇宙の実力者たちが子供となって生まれてきてくれているからなのです。

 

★あなたは紛れもなく「スターシード」です

意外と少ない? 日本と世界のスターシードの人数

・スターシードは、世界で約100万人いると言われています。そのうち、日本には24万4千人のスターシードが存在しているといわれていて、すでに多くのスターシードたちの覚醒が進んでいます。

 

この本を読んでいる人は全員スターシード

・しかしながら、スターシードという言葉にピンと来る人は、紛れもなくスターシードです。あなたのハイヤーセルフがこのタイミングで、あなたにこの本に出会うように導いたのかもしれません。

 

宇宙的に観ると、みんなスターシード

・今までお話ししたように、ほぼ全員が、宇宙由来の魂なのです。宇宙由来のあなたは、ある時、ある星(スター)で、このタイミングの地球へ転生しようという種(シード)をやどし、地球に生まれたのです。

 スターシードであるか、ないかではなく、スターシードであることに気づく時、あなたはスターシードとなります。

 あなたが宇宙由来の魂であるスターシードであることに気づく時、あなたはスターシードとなります。

 あなたが宇宙由来の魂であるスターシードである事に気づき、地球的な枠をこえた生き方をする時に、あなたは最高に輝き、多くの人を照らしていくことでしょう。あなたは紛れもなくスターシードです。

 

アトランティス文明を経験したスターシードたち

アトランティス文明を生きたスターシードの魂は、現在アメリカやヨーロッパに多く転生して生まれてきています。

 

「スターシード」はこんなにたくさんの星から地球に来ている

宇宙はこんなにユニークで個性的

・宇宙にはたくさんの星や銀河が存在し、それはどれも多種多様でバラエティーに富んでいます。破天荒な女王様・王様や美しすぎるお姫様や女神。上半身が人間で下半身が馬のような存在、妖精のような存在、とても大きな巨人のような存在。昆虫のような姿の宇宙人、顔が鳥で体が人間、エネルギー体で形がなかった存在、ペガサスやイルカのような存在など………そのバリエーションや宇宙での経歴を聞くたびに本当にワクワクしてきます。多種多様のスターシードの仲間たちと今世地球で再会しているんだな~とおもうと本当に面白いです。

 

オリオン星人

・とても知的で精神性が高く、物事を冷静に判断する性質を持つオリオン星人。

 

・主にオリオン星人の見た目は、猫に似た姿や、ギリシャ神話の神々のようなパワフルで美しいヒューマノイドタイプ。吸い込まれそうな澄んだ青い目が特徴で、ちょっと憂いを帯びた印象もあります。

 

HISTORY

・オリオン星人は元は、リラ、ベガ、シリウスの子孫です。

 ベガとシリウスの間で起きたネガティブな波動の余波が、争いのエネルギーとしてオリオン星を戦場の地としました。本来は平和で愛情深いオリオン星人ですが、自分たちの惑星を守るために止むを得ず武力を持って対抗するしかありませんでした。やがて、陰と陽の二極化にまで発展し、オリオン大戦と呼ばれる長く凄惨な戦いが繰り広げられました。

 一方、戦いから逃れたポジティブ派のオリオン星人は、魂を癒すために地球を訪れました。地球ではエネルギーワークや瞑想によって精神世界を深く追求した結果、愛による覚醒が起こり、やがて統合のエネルギーと転換させていきました。その意識は銀河全体へも広がり、癒しと浄化が起こっています。

 

アルクトゥルス星人

・牛飼い座に集まった、肉体を持たず奉仕する意識が高い存在たちがアルクトゥルス星人です。銀河系の中でも最も進化した種族で、高い知性を持ちとても博識。魂を癒すヒーラーとして、宇宙全体に影響を与えています。

 

 虹色のオーラを持ち、常にグループ意識で行動しますが、物質界には天使の姿やエーテル体として現れます。テレパシーや透視能力を使ってコミュニケーションをし、高度なテクノロジー・量子物理学・錬金術天文学が得意。

 

 アルクトゥルス星人の魂を持つ人は、子供の頃から自分の人生には何か目的があることを感じています。しかし、ただその目的が何なのか人生の後半まで分からない人もいますが、自然にスピリチュアル的な人生を歩むようになります。

 

HISTORY

肉体を持たず存在することを選択したのが、アルクトゥルス星人です。リラ星で最初に意識が存在したとき、他の宇宙種族は肉体を持つことを選びましたが、アルクトゥルス星人は非物質的存在でいることを選択しました。

 はるか昔から地球を見守り続け、無条件の愛で地球を大災害から免れるよう守護をしてきました。レムリア・アトランティス・エジプトのほか、ローマ帝国古代ギリシャにもグループが訪れ、地球上でのプロトタイプとなる社会を築いています。

 存在の状態を変えたり時空間を移動するのに神聖幾何学を使用し、地球人にも影響を与えました。ミステリーサークルや、イースター島のモアイ像に、アルクトゥルス星人との関わりを見ることができます

 

アンドロメダ星人

・何よりも自由と平和をこよなく愛し、ユーモラスで優しい雰囲気をまとっているアンドロメダ星人。ヒーリングとコミュニケーション能力が高いので、幼い頃から人懐っこく、一緒にいて安心感があります。

 

アンドロメダ星は地球より重力が軽いので、アンドロメダ星人の体は地球人より大きいヒューマノイドタイプ。外見はいくつかの種類がありますが、主に北欧人のような白い肌にブロンド・青い目のタイプ、地中海人の褐色のタイプ、東洋人のような黒髪のタイプがいます。

 

HISTORY

私たちの惑星の多くは、アンドロメダ銀河を起源としています。銀河の隣人であるアンドロメダ銀河は、地球から肉眼で見える最も遠い天体で、その1兆以上ある星の惑星の1つに、アンドロメダ星人は住んでいます。

 アンドロメダは、天の川銀河の玄関口の役割をしているので、外宇宙からの侵略や攻撃を防いだり、別の銀河系宇宙との橋渡をサポートしています。

 地球とは、早い時代から関わりを持ち、地球の進化に貢献してきました。地球の守護天使からの要請を受け、神話の中にも神として登場しています。シュメール壁画に描かれている翼のある絵は、アンドロメダ星人だと言われています。新しい銀河のエネルギーの道すじを照らし、人々の意識拡大とアセンションに導く役割をしています。

 

シリウス星人

シリウス星人は実に多種多様で、いろいろな容姿の人がいます。青や緑色の肌の人、猫やライオンのような顔をした宇宙種族など……。ユニコーンやペガサス、グリフィンなど神話上の生き物もシリウスに属します。とても豊かで美しい自然に囲まれた環境で暮らし、高い知性とスピリチュアルな能力を持っています。

 

・器用に何でもこなしてしまうので、5次元から来たシリウス星人は3次元の地球人の気持ちが分からなかったりします。シリウスでは非物質のレベルだったので地球の生活を不自由に思うことが多く、物事を管理したり掃除することが苦手です。

 

シリウスは、大きく分類すると地球から見える最も明るい星であるシリウスA、肉眼では見ることのできないシリウスBがあります。主にシリウスAは、テクノロジーマーケティングに優れ、社交的で周りとの関係を友好に保ちながら、切磋琢磨していくのが好きです。シリウスBは、一人でとことん突き詰めて研究するのを好み、空想を好んだり哲学的な考えを持ちます。そして、シリウスBの三番目の惑星は、イルカやクジラ、人魚・龍などの高いバイブレーションを持った水生生物が住まう青い惑星です。この動物たちは地球に移り住み、非常に高い無条件の愛の振動をふりまきながら、喜びと遊び心を体現し、人々のソースとの繋がりや喜びの感覚を取り戻すサポートをしています。

 

・奉仕する意識がとても強いので、古代から地球のアセンションのために関わってきました。レムリアやアトランティスの時代にも訪れており、古代のエジプトやシュメール文化の時代の神話や遺跡に、シリウス星人が神として描かれています。消えたり現れたりするので、古代人はシリウス星人を神として崇めたのです。高度な技術と創造エネルギーを使って、ピラミッドの建設やマヤ歴を地球人に教え、宇宙意識に目覚めるサポートをしています。

 

HISTORY

リラとベガを起源に持つ多種多様な種族のうち、気高くポジティブな意識を持つものたちが集まって作り上げたコミュニティがシリウスです。

 争いや支配・分離を好まず、高い精神性を持った純粋な魂たちのコミュニティを作ることで、統合した平和な世界を目指しました。アルクトゥルスやリラの次に誕生した存在たちで、太陽系に近いいくつかの惑星に住み、バラエティー豊かな姿で存在していますシリウス星人は多種多様な種族の融合を目的としていたので、遺伝子工学の技術に優れています。そして、古代の神々へと姿を変えて、地球人の目覚めと統合のため地球へ降り立っています。

 シリウス星人は、すでにアセンションした存在です。奉仕する喜びから、アルクトゥルスと結束し、癒しのエネルギーを宇宙全体に広げています。

 

ゼータレチクル星人

地球で最もポピュラーな宇宙人として知られるゼータレチクル星人。ほとんどの存在が灰色をしているので、「グレイ」といった方が馴染み深いでしょう。その姿形からネガティブな印象を受けますが、地球人とは友好的な協力体制にあります。エササニ星のバシャールも。ゼータレチクル星人の子孫であることから、地球の未来に手を差し伸べサポートしています。

 

・しかし、これは、ゼータレチクル星人の歩んできた歴史の影響によるものなのです。ゼータレチクル星人は過去に自分たちの故郷を滅ぼし、長い間閉鎖的な地下で生き延びてきました。生き延びるためにあらゆる感情を排除し、優れた遺伝子工学とクローン技術を開発して子供を増やしてきたのです。

 

・ゼータレチクル星人は主に身長100センチ前後の小柄な体系で、イルカのような肌質をしています。肌の色は青から灰色、ベージュや茶、白など、多くの色のバリエーションがあります。

 

HISTORY

・ゼータレチクル星人は、かつてはベガ文明の一部でした。ベガのエイペックスという惑星に住み、高度な技術で、原子力や化学物質を扱っていました。

 しかしその技術の進歩がゼータレチクル星人の霊的成長より上回り、誤った使い方をしてしまったため、争いや汚染された環境を作り出してしまいました。核戦争が起こり有害物質が蔓延したため、地表に住むことができなくなったゼータレチクル星人は、長期間地下に潜って生き延びます。

 自滅を回避するため、彼らは急速に知性を発達させる必要がありました。そのため脳がとても大きくなり、今のようなグレイと呼ばれる宇宙人の姿になります。頭が大きくなったので、自然な出産が困難になってしまいました。そこでクローン技術を使い仲間を増やしたため、皆同じような姿をしています。

 

プレアデス星人

・レムリアの時代からプレアデス星人は地球に転生し、地球の進化のためサポートしてきました。内側から溢れ出るような慈悲深いエネルギーを放ち、平和と静寂さを好み争いや戦うことをしません。

 

・プレアデス星人は、地球人の遺伝子を体内に持つので地球人に最も近い姿形をしています。性別は主に女性の方が多く、長い手足をしたすらりとした体型で、背も高いのが特徴です。容姿はとても美しく、透き通るような白い肌でブロンドに輝く明るい髪色をしています。瞳の色は、青や緑色です。

 プレアデス星人は、地球人の意識の拡大と無条件の愛へ目覚め、魂の成長を共にサポートしながら近い将来にコンタクトを取るべき存在です。

 

HISTORY

・もともとはリラ文明から発生し、リラ星とベガ星との戦いから逃れてきた人々が、新たに築いたのがプレアデス。おうし座の近くにあるプレアデス星団に移住して、独自の社会やシステムを生み出したもっとも若い文明です。

 青く美しい惑星である地球を発見し、その豊かな自然と資源を備えた北欧に移住しました。地球の環境に適応できるようにするため、地球の遺伝子を体内に取り入れていくことで徐々に地球に対応し、今の地球人に最も近いヒューマノイド形をしています。

 プレアデスは、近未来の地球の姿でもあるので、プレアデス星人は地球人のガイドとして行動しています。地球人の制限やブロックを取り除き、5次元へアセンションするサポートを担っています。

 

ベガ星人

・琴座のリラ星人から派生した宇宙種族で、高い精神性を持ちます。リラ星人が外側のエネルギーを司るとすれば、内なる宇宙を探求するエネルギーを作り上げました。

 

・ベガ星人の見た目は多種多様ですが、主に体は小さく細身で、褐色の肌をしていて黒髪です。インドのヨギや聖者、アボリジニーのような感じです。また、ヒンドゥー教の神々のような青や赤の肌のグループもいます。目の色は暗い茶色で、内宇宙を探求するかのように輝いています。

 ベガ星のマスターたちは、地球人が神の愛の意識につながることをサポートしています。物質的な制限を超越し深いエネルギーと意識のレベルにつながり、聖者や神のようにして生きることを伝え、愛情深く見守っています。

 

HISTORY

リラ星人の考えと反し、独自の思想と霊性を探求するために生まれた文明がベガです。より内なる宇宙を探究し独自の哲学を表現するために、リラから分離しました。リラ星人とは分かちあえず、統合へ向かうことなく平行線のままだったので、自然な成り行きで別れていきました。

 やがて、ベガ星人は他の惑星にも旅をし、膨大な年月をかけて様々な文化と交流し成長してゆきました。地球に最初に訪れたのは、ベガ星人です。平和的・友好的に暮らすためでした。地球には、工芸や医学・高度なテクノロジーなどのほか、瞑想や哲学といった多くのスピリチュアルな実践方法などが伝えられました。

 ベガの神秘主義は、地球人の目覚めのため、日本の神道アイヌチベットアボリジニーアメリカの先住民、ヒンドゥー教などに深く根付いています。

 

リラ星人

・銀河系のヒューマノイドの原型であるリラ星人は、宇宙人の祖先にあたります。ほとんどの宇宙種族は、琴座のリラ星人から派生しました。魂年齢が高く非常に経験豊富なため、物事に対しては恐れることなく勇敢に突き進む男性的なエネルギーの持ち主です。

 

リラ星人の外見は多様ですが、人間に似たヒューマノイドタイプは、しっかりした骨格で背が高く白い髭や肌の美しい顔立ちをしています。また、猫のような目鼻立ち、鳥のような風貌、ライオンに似た風格の風格のようなものがいます。一般に猫系のヒューマノイドは、長い髪やタテガミのようなものを持ち、装飾的な服を着るのが好きです。非常にテレパシックで、猫の原型は、やがてシリウスやプレアデスなど他の星々にも散らばりました。

 リラ星人の長老たちは、とても高いテクノロジーと高い精神性の融合において、地球の地質に対しサポートしています。地球のアセンションに連動した地質の影響を守護しています。

 

HISTORY

・リラは琴座に属した惑星で、地球の歴史が始まる遥か前から存在していました。宇宙人のルーツである存在がリラ星人です

 リラでの文明が始まったばかりの頃は、とても平和で暮らしが続きました。やがて人口も増えて文明も発達していき、宇宙中を冒険して飛び回り、様々な惑星に移住しました。中には琴座のベガに移住した存在も含まれていました。

 他の惑星との交流が盛んになるにつれ、文明や技術・思想などが発達しましたが、陰と陽の二極化した力学が発生しました。リラと相反する思想を持つ存在たちは、ベガ文明を築き、それぞれの文明を発達させていきました。

 リラ星人は太古の昔、地球のアトランティスにも訪れたことがあります。そこで火の要素を提供し、地球人に知恵や才能を授けました。

 

金星人

・愛と豊かさのエネルギーに溢れている金星。金星人は、容姿がとても美しく美的センスや才能に溢れ、芸術や文化・美を司ります。男性性と女性性のエネルギーが統合された存在で、とてもクリエイティブ全体的に高身長で、肌の色が白く金色の髪をしていて、美しく均整のとれた顔立ちをしています。

 

・その魅力的な美しさが原因で、妬まれたり、羨ましがられたりと攻撃の対象になることもしばしばあります。

 

・地球では、自由に愛や豊かさを謳歌し日々喜びに溢れた人生を純粋に追い求める、ありのままの自分を愛する姿で地球のサポートをします。喜びと愛があふれる金星の女神のエネルギーはポジティブな奇跡を生み出し、ライトワーカーや、ヒーラーとして人々や地球の魂を愛や光に導きます。

 

HISTORY

・かつては豊かな緑と、芸術的建造物が共存していた金星。

 しかし、テクノロジーがとても発達した影響で環境破壊が起こりました。金星は太陽の近くにあったため、破壊された大気圏から太陽の熱が直接降り注ぎ、人々が住みにくい星となってしまいました。

 そこで、アシュタールをはじめとする金星人たちは自分たちの星を出て、宇宙船で暮らすようになりました。アシュタールは宇宙連合の司令官として、宇宙中を旅をして回りましたが、やがて金星と同じような環境破壊の危機にある地球に出会いました。

 金星のような過ちに陥らないよう、地球意識の拡大と愛と平和に満ちたアセンションへと導くために、金星人はサポートに関わっています。

 

 

 

 

 

(2020/9/11)

 

 

『災厄と信仰』

大島建彦 三弥井書店   2016/10/4

 

 

 

福神としての猩々(しょうじょう)>  (当ブログ:本文修正

・一般に七福神というと、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人があてられているが、かならずしもそれらの諸神に限られるものではなかったようである。享保二年刊行の『増補合類大節用集』は、『書言字考節用集』として知られるものであるが、その第十三冊の「数量」の部には、

 七福神 辨財天。毘沙門天。大黒天。恵比酒。福禄壽。布袋和尚。猩々

という項目が収められている。そこで、『民族と歴史』の三巻一号における、喜田貞吉氏の「七福神の成立」では、

 彼の元禄十一年の日本七福神伝には、福禄寿・寿老人を合して南極老人一体とし、此の吉祥天を加へて、一福人の欠を補ふ方の選択によって居るのである

 につづけて、

 然るに同じ元禄の合類節用には、寿老人の代りに猩々を加へている。動物を福神とする事は、狐神・蛇神の例もあって敢て不思議でもない様ではあるけれども、それ等はいずれも稲荷神とか宇賀神とかに習合せられたもので、猩々の場合とはやや其の趣を異にしている。然るに特にここに動物其のままの猩々をしかも之に加えたのは、室町時代の俗信に基づいて、彼が人体を有し、福を人間に授けるものとして信ぜられた為であろうと論じられている。

 

・実際に、『日本伝説大系』の第八巻には、田中民子氏の「採集稿」によって、兵庫県南あわじ市沼島における、酒手畑の伝説が取りあげられて、

 猩猩ちゅうのは七福神の一つに数えられるん、沼島りゃったら、恵比須さんや大黒さんや弁天さんや福禄寿なんかといっしょに猩猩ちゅうのが入るんねんのう

 

という伝承が引かれている。さらに、『西郊民俗』の百八十一号における、山田厳子氏の「福神としての猩々――沼島の『酒手畑』伝承考――」にも、井津尾由二氏の談話が掲げられ、「七福神に猩々が入る」ことにふれられるのである。そのほかに、備後福山藩主の阿部家に伝えられた、刷物の宝船の絵にも、それらの七福神とともに、二童子と猩々のようなものが、描かれている。

 この猩々というものは、今日では東南アジアのオランウータンにあてられているが、本来は空想上の怪獣であって、きわめて古い時代から、さまざまな漢籍の中にあらわれてくる。

 すなわち、最古の字書にあたる『爾雅』の「釈獣」には、

  猩々小而好啼

としてあげられており、五経の一経に属する、『礼記』の「曲札」にも、

 猩々能言。不離禽獣

としるされている。

 

それだけではなく、この猩々という獣の名は、思いのほかに早い時期から、日本の文献にもとりあげられている。すなわち、平安時代の『和名類聚抄』には、

 猩猩 爾雅註云、猩猩(音星、此間云象掌) 能言獣也。孫愐曰、獣身人面、好飲酒也

としるされ、また、室町時代の『下学集』にも、

 猩猩 人面、身以猿能言、古語云、猩猩能言不離走獣云。尤好酒屐者也

としるされるのであった。いずれにしても、室町以降の文献には、いくつもの猩々の記事があげられるが、特に能の曲中には、多くの猩々の登場が認められるのである。『帝塚山学術論集』の六号に掲げられた、王冬蘭氏の「『猩々』イメージの変遷――中国の怪獣から日本の霊獣へ――」には、現存の謡本などによって、二十七曲の猩々物があげられているが、それらの猩々物の中でも、現行の能の曲としては、五流の『猩々』のほかに、観世流の『大瓶猩々』があげられるにすぎない。それにもかかわらず、現行の『猩々』というのは、きわめて多くの機会に演じられて、猩々のイメージの固定化にあずかったものと思われる。

 

・そのような『猩々』という曲は、五番目の切能に属するが、祝言の風流能として演じられるものである。そのおおまかな筋書は、揚子の里の高風邪という孝子が、市で酒を売って富貴の身となったが、猩々と名のる酒好きな童子と約束して、潯陽の江のほとりで待っていると、月の出とともにその猩々があらわれて、酒を飲んで舞いたわむれ、汲めども尽きぬ酒壺をあたえたというものである。この『猩々』の重要な観点として、第一には、猩々が赤面に赤頭で、赤地の上着と袴をつけて、赤ずくめのすがたによそおい、このんで酒を飲むこと第二には、猩々が潯陽の江という、水の中からあらわれること、第三には、猩々が汲めども尽きぬ酒壺という、福徳のシンボルを授けたことが注目されるであろう。そこで、それらの三つの要点が、民間の猩々の観念にも、そのままうけ継がれていったかということについて考えてみたい。

 

そのような猩々に関する民俗としては、何よりも各地の祭礼や藝能などに、猩々をかたどったものがもちだされ、あるいは猩々に扮したものがあらわれることに注目しなければならない。ここには、日本全国の事例をあげつくすことはできないが、伊藤、小西両氏の論文では、愛知県内の祭礼を通じて、猩々のだしもののすくなくないことが示されており、その顕著な事例としては、津島市津島神社の天王祭りで、朝祭りの車楽船の上に、能人形の猩々をのせることがあげられるであろう。また、名古屋市東照宮の名古屋祭りでは、本町から猩々車を出し、半田市神前神社亀崎潮干祭りでは、中切組から力神車を出すというように、からくりの人形の猩々もすくなからず認めることができる。さらに、小西恒典氏の論文にまとめられたように、名古屋市南区からその周辺にわたって、三十余ヶ所の神社の祭礼には、張子の大人形の猩々が出てきて、おもに行列の先導の役をつとめるのである。

 

・そのほかの地域でも、同じような猩々の登場がみられるのであって、滋賀県下の祭礼の中には、大津市天孫神社の曳山祭りに、南保町から猩々山を出し、長浜市の長浜八幡宮の曳山祭りでは、船町組から猩々丸を出すというように、いくつかの人形の猩々を認めることができる。さらに、西日本の事例としては、野津龍氏の『因幡の獅子舞研究』などに示されたように、鳥取県因幡の各地には、麒麟獅子舞として知られる、二人立ちの獅子舞が伝えられており、その先頭には猩々が立って、朱塗りの棒をもって舞うことがおこなわれるまた、香川県の神楽や獅子舞にも、やはり猩々が出て舞うものが認められるのである。

 

・それに対して、東日本の方面においても、神奈川県横須賀市浦賀町では、八雲神社の祭りのだしものに、猩々坊という大人形を台車にのせて、町内を引きまわしているのは注目される。さらに、東京都千代田区神田神社神田祭りでは、塗師町から猩々の山車を出しており、千葉県佐倉市麻賀多神社の佐倉祭りでは、間之町から猩々の山車を出していて、まったく猩々のだしものがなかったとはいえないが、それほど多くの事例は思いうかばない。さらに、千葉雄市氏のご教示によると、宮城県登米市中田町浅水における、浅部の七福神舞には、翁、大黒、布袋、恵比寿、寿老人、毘沙門天の舞とともに、月の輪の柄杓を肩にかつぎ、黄金の盃に酒を汲むさまが演じられているという。そのほかに、山伏神楽や番楽のたぐいにも、やはり猩々の演目がとり入れられており、山形県飽海郡遊佐町における、杉沢のひやま番楽では、この猩々という荒舞が、散楽風の要素を加えて演じられている。そういうわけで、地域によっていくらか異なるかもしれないが、いずれにしても、この猩々という霊獣が、ひろくめでたいものとしてとりあげられてきたことは認められるであろう。それにつけても、大戦中の西暦千九百四十年には、皇紀二千六百年の祝賀のために、当時の東京市路面電車が、何台かの花電車を走らせた中で、猩々が扇をかざしてまわっていたさまが思いだされる。

 

・ところで、そのような祭礼や藝能のほかには、これに関する在地の民俗は、それほど多く伝えられているとはいえない。『松屋筆記』の巻九十八には、「猩々といえる異名の者猩々瓶」と題して、越後と豊前と石見という、三ヶ国の例をとりあげているが、猩々のような人が、見世物に出されたといううわさをかきつけたにすぎない。わずかに、雑賀貞次郎氏の『牟婁口碑集』には、「猩々の話」が掲げられており、和歌山県田辺市元町に属する、天神崎の立戸の浜で、一人の若者が笛を吹くと、海から猩々の女があらわれて、思いのままに魚が釣れる道具をさずけたといい、また同県西牟婁郡白浜町に属する、西富田の細野の猩々小屋では、海から猩々があがるというので、酒をおいてこれを酔わせてとらえたとしるされている。

 そういう意味では、さきの山田氏の論文で示された、兵庫県南あわじ市の沼島における、猩々倍や酒手畑のいわれは、きわめて貴重な伝承であったといってもよい。

 

・それでは、さきにあげた猩々の特色が、さまざまな各地の民俗を通じて、どのようにうけ継がれてきたのであろうか、ここに改めて検討を加えてみたい。いうまでもなく、第一の観点として、猩々が赤面に赤頭で、赤ずくめによそおうことは、かなり多くの伝承を通じて、まったく変りなくうけ継がれている。それだけではなく、第二の観点として、猩々が水の中からあらわれることも、やはり思いがけないことに、かなりひろい範囲に伝えられるのである。能の『猩々』や『大瓶猩々』などでは、潯陽の江からあらわれるのであるが、廃曲の猩々物の中には、『阿濃猩々』では伊勢の阿濃郡に、『泉猩々』では和泉の海辺に、『因幡猩々』では因幡の福井の浜に、『岩戸猩々』では薩摩の岩戸の浜に、『金沢猩々』では武蔵の金沢の海辺に、『駒形猩々』では尾張国または三河国に、『須磨猩々』では摂津の須磨の浦に、『玉崎猩々』では筑前の玉崎に、『難波猩々』では摂津の難波に、『龍宮猩々』では伊豆の三崎の浜に、『山崎猩々』では摂津の山崎にというように、それぞれ日本のどこかの地で、水のほとりにあらわれたようにつくられたものがすくなくない。伊藤氏の論文にも引かれているように、鳴海や笠寺の海辺には、それぞれ猩々があらわれたために、その近在の祭礼には、いずれもその人形を出すようになったことが伝えられている。また、『牟婁口碑集』や『淡国通記』などにも、それぞれの海辺に猩々があらわれたと伝えられることは、ここに改めてくり返すまでもない

 さらに、第三の観点としては、何らかの福徳を授けることであるが、この部面については、かならずしも明確に言いきることはむずかしい名古屋市の南部における、大人形の猩々については、災厄をはらうものと考えられ、たようで、これにたたかれると厄をまぬかれ、また病気にかからないなどと伝えられる。寛政九年の『疱瘡心得草』には、「疱瘡神祭る図」が掲げられており、疱瘡のこどもの枕もとに、猩々の人形をおいたさまがえがかれていた。実際に、疱瘡よけのまじないのために、疱瘡絵や赤物の玩具がつくられているが、木菟や達磨などとともに、猩々のすがたをかたどったものがすくなくない。滋賀県草津市守山市では、そのようなまじないの玩具として、張子の猩々の人形が、達磨と一対でつくられているが、赤い髪に赤い衣で、右手に木の柄杓をもち、左手に厚紙の盃をもっており、素焼のかわらけと赤い折紙とがそえられたものである。

 

そのような赤ずくめの猩々は、たしかに災厄をしりぞけると信じられているが、そのまま福徳をもたらすものとはきめられない。たしかに、拙著の『疫神とその周辺』や『疫神と福神』では、疫神から福神につながることを説いてきたが、それだからといって、この猩々というものが、ただちに福神として認められるとはいえない。和歌山県の田辺では、思いのままに魚が釣れる道具をさずけ、淡路国の沼島でも、どれだけ使っても減らない銭をさずけたというのは、あきらかに何らかの福をもたらしたといってもよいが、それほど多くの類例をあげることはできない。また、阿部家の宝船の絵に加えて、宮城県の浅部の七福神舞で、翁、大黒、布袋、恵比須、寿老人、毘沙門天とともに、猩々がわらわれて舞うのは、あきらかに福神の仲間に加えられたものとみられるが、それだからといって、すべての猩々に関する伝承が、そのまま福神の性格を示しているとはいいきれないむしろ、恵比須や大黒などと同じレベルで、福徳をもたらす神としてまつられるわけではないようであるそういうわけで、福神としての猩々については、いっそう慎重な検討を加えなければならないのであろう

 

疫神の鎮送と食物

<はじめに>

人生におけるもろもろの災厄、特におそろしい疫病の背後には、何らかの神霊の存在が考えられてきた。それらの神霊というのは、どこかよその世界から家におとずれてきて、そのような疫病などの災厄をもたらすものと信じられており、おおむね疫神や厄神などといいあらわされるのである。そこで、この疫神のおとずれにむかって、どのような対応のしかたをとってきたのか、家の門口と村の境という、二つの大事な場面を中心にさぐるとともに、そのような儀礼と食物との関係についても考えてみよう。

 

団子と粽

第一に、家の軒先や門口には、疫神や悪霊をしりぞけるために、さまざまな呪物を掲げるならわしが知られている。たとえば、立春の前日の筋分には、豆をもって鬼を打つのはいうまでもないが、また柊の葉に鰯の頭をさして、とげのあるものやわるいにおいのするもので、疫神のたぐいをおいはらおうとしたものとみられる。

 

・ひろく東日本の各地では、一般にコト八日として知られる、二月および十二月の八日にも、何かおそろしいものがおとずれると伝えられる。関東の各都県にわたって、一つ目小僧や目一つ小僧などがくるといい、川崎市多摩区横浜市港北区を中心に、ミカワリバアサンやミカリバアサンなどがくるというのである。それらの怪物のおとずれに対して、ただ家の中にこもっているだけではなく、 家の軒先や門口などに、日籠や笊を掲げたり、柊やニンニクをさしたり、団子や餅を出したりするなど、かなり念入りな工夫がこらされていた。特にミカワリバアサンのおとずれには、やはり日籠や笊をかけておくとともに、わざわざ屑米や粃米などで、ツジョウ団子というものをつくってさすこともおこなわれた。このツジョウ団子というのは、土穂団子という文字をあてられるもので、もともと人の食物としては、もっとも粗末なものに属するが、ミカワリバアサンにこれを供えると、病気や火事からのがれられるなどというのであった。

 

・また五月五日の節供には、粽や柏餅をそなえることが知られているが、菖蒲や蓬などをもちいるのと同じように、悪霊や疫神をしりぞけるためであったと認められる。五月節供の粽のいわれについては、中国の『続斎諧記』などに、非業の死をとげた屈原の霊をまつるのに、竹の筒に米をつめたうえに、楝の葉でつつんで色の糸でまいたものを、水の中に投げいれたなどと伝えられる。チマキということばに示されるように、もともと茅の葉でまいたのであろうが、奥羽などの各地では、笹巻や笹餅などといって、特に笹の葉でつつんだものも知られている。

 

・中国の『荊楚歳時記』などには、五月節供の供物ではなく、夏至の食物として、同じ粽というものをあげているが、日本の夏の祭りとしても、六月や七月の時節における、祇園祭りや天王祭りなどに、厄除けのまじないとして、粽や笹団子を受けるならわしを認めることができる。京都の八坂神社の祇園祭りは、もともと疫病の退散のためにいとなまれるものであったが、七月十七日の山鉾の巡行にさきだつ、その前夜の十六日の宵山に、町内ごとに飾られる山鉾の下で、浴衣がけの女の子の仲間が、「粽買うてんかあ」などとよびかけて、厄除けの粽を売っているのが思いおこされる。この祇園祭りの粽を受けてきて、家の門口などにかけておくことは、かならずしも京都の市中だけに限らないで、かなりかけはなれた遠方にまでゆきわたっている。

 

軒先の多様な呪物

特定の行事とはかかわりなく、日常の生活の中でも、家の軒先や門口に、さまざまな呪物を掲げることがすくなくない。そのような門守りの中では、魚の尾、鮑の貝、蜂の巣、万年茸、ニンニク、トウガラシなどが、もっともよく知られているが、ただそれだけにとどまるものではない。

 桂井和雄氏の『土佐民俗記』には、特に高知県の範囲における、家の軒下の呪物として、シャチホコ、魚の尾びれ、アメゴ、ウマウオ、蟹、貝殻、猪の脚首、猿の手首、蜂とその巣、蛇の抜け殻、八ツ手、太ニンニク、南天、辛子、茄子、鉈豆、七夕さまの笹、石鎚山の猿、戸分さまのイヌマキ、杓子、わらじ、草履、蓑、鎌、志那ネさまの松明、正月や節分の注連縄、木炭、貼紙というように、かなり多様なものがあげられていた。

 

疫神ゆかりの人物

・家の軒先や門口などには、さきにあげたようなもののほかに、社寺のお札やお守りをも掲げたのであるが、また「蘇民将来来子孫也」というのをはじめ、「釣船清次宿」「佐々良三八宿」「鎮西八郎為朝御宿」などというように、疫神をもてなしたりこらしめたりした人の名を書きつけることもおこなわれるそこにしるされた人物との約束にもとづいて、おそろしい疫病の侵入をまぬかれようとしたものである。

 

 

 

『怪異伝承譚』 ――やま・かわぬま・うみ・つなみ

大島廣志 編  アーツアンドクラフツ   2017/10/1

 

 

 

隠れ里に行った人の話

・昔鬼柳村(岩手県北上市)に扇田甚内という人があった。ある朝早く起きて南羽端の上を見ると、そこに若い女が立っていて甚内を手招きした。甚内は不審しく思って見ぬふりをして過ごしていたが、そんなことが二三朝続いたので、なんだか様子を見たいと思って、ある朝その沼のほとりに行ってみると、齢二十ばかりの容顔佳き若い女が、私はあなたと夫婦になる約束があるから、これから私の家へ来てくれ、というて笑いかける態、実にこの世に類のないようなあであやかさであった。

 甚内もそう言われると思わぬ空に心を惹かれて、われともなく女のあとについて二三十歩がほど歩むと思うと、早や見たこともない世界に行って、山のたなびき、川の流れ、草木のありさま、常と異なり景色がめっぽうよろしい。そのうちにここは吾家だというについてみれば男などは見えぬが、美しい女達があまたいて、今のお帰りかとみな喜び吾を主のように尊敬する。甚内も初めのうちは変でならなかったが、ついには打解けてその女と妹背(いもせ)の契りも結んだりなんかして大切の月日を送っていた。だが月日がたつに随って、どうも故里の妻子のことがとかくに胸に浮かんで仕方なく、そのことを女にいうと女はいたく嘆いて、私はお前がおらぬ間をば有徳富貴にしておいたから家をば案じてくださるな、いつまでもここにいて給われと掻口説いて困る。

 

・わが家に帰って見ると、ただの一ヵ月ばかりと思っていたのが三年の月日が経っていたとて、親類一族が集って村の正覚寺の和尚まで招んで自分の法事をしている真最中に上った。そしてほんにあの女がいった通りに自分のいぬうちに前よりはずっと身代もよくなっていた。

 

後に女房にうんと恨まれてついに実を吐くと、その言葉を言い終わるやいなや甚内の腰が折れて気絶した。その後は不具廃人となって、その上に以前の貧乏になり返って、つまらぬ一生を送った。

・その当時、其内の隣家に関合の隼人という男が住んでいて、このことを聞き、甚内こそ愚かで口惜しいことをしたものだ。己なら一生帰らずその美しいのと睦まじく暮すがと言って、又そう心中に思って、毎朝羽端の方を眺める癖をつけた。するとある朝、羽端山の蔭から女が手招きしているのを見つけたので、思うこと叶ったと喜んで飛んで行ったが、狐に騙され、馬の糞を食わされて家に帰った。   (岩手県

 

地獄谷の山姥

・大野郡荘川村六厩の奥に地獄谷という深い山があり、昔、大勢の杣(そま)が入って木を伐り出していた。

 その地獄谷の下流に女滝という幅の広い滝があって、その近くに杣小屋があった。

 ある年の暮れ、杣の一人、徳助は越中生まれで身寄りがなかったので、仲間の者が帰り支度をしているのに、ひとり寂しそうにしていた。杣頭が一緒に正月をするようにとすすめたが、残って小屋番をするといって断る。

 徳助はみなが残していった少しばかりの米で、ごへいもちをつくって御神酒とともに、山の神と氏神様へ供え、正月を過ごそうとしていた。

 

・その時、凄い顔をした痩せた女が入ってきて、徳助が呑みかけていた酒の徳利をとりあげて、ぐいぐいと呑んだ。飯も汁もひとりでたいらげてしまって、「これだけか」といった。徳助は口もきけず、ただ、がたがたふるえるばかりであった。

 女はあたりを見まわし、神棚の御神酒を見つけて、これをおろして呑もうとした。その時、外から一人の老人が入ってきて、御神酒の徳利をとりあげ、「これはおれの分じゃ」といった。するとまた一人の若者が入ってきて、もう一本の徳利を、「これはおれの分じゃ」といってひったくる。

 女は、にわかに壁をバリバリッと打ち破って、姿を消した。

 二人の男に、「年越しにひとり、小屋にいるものではない。送ってやるから里へ帰れ」といわれて、徳助は荷物をまとめ、松明をともして六厩へ帰った。

 その女が地獄谷の山姥であるという。月の美しい晩に、よく女滝の下の渕で髪を洗っていたという。    (岐阜県

 

檜原村(ひのはらむら)の天狗

・よくあるのよ。すごく上の方から大きな岩がガラガラガラーって回ってきたと思ってね、そうすると何でもないの。

 それから大きなものがパッと飛び出したかと思うと、上へ飛んで、バサッと下へ落ちたかと思うと、何でもない。そういうのがあるのね。

 それ、お父さんに聞くと、「ん、そりゃ天狗だわ」って。

 そういうふうに上の方からすごい岩が回ってくるから、どうしよう、どっちに逃げようなんて思っていると、パタッって止まっちゃうことがあるのね。大きなゴーゴーとすごい風が吹いているかと思うと、全然吹いてないこともあるしね。

 山の家だから、色んなそういう幻みたいのが起きるんじゃないのかな。

 天狗はいたずらをするけど、悪いことはしない。

だから木を一生懸命切って、カラカラカラカラ回して、木を落とす音がすると、よほど大きな木が落ちてくるじゃないかと思えば、途中で何でもなくなるし。

 

・天狗は大きいのよ。向こうの山とこっちの山をひとまたぎしたり、岩と岩の間に手をついてビューンと跳び上ったりして、手についている砂を振り払った。それがパラパラ落ちてきたって。

 天狗は大きくなったり小さくなったり。大人が山へ踏み込んで迷うでしょ。そうすると一緒に大きな岩をひとまたぎにしたり、川の広いところをすっとんで歩いたっていうから、よほど大きかったんでしょう。

 で、山だってひとまたぎにして宙を歩いたから、「おれは見てて面白かった。もう一度天狗さまに連れてってもらいたい」なんていう人がいて、本当に嘘をつく人だと思ったけどね。父親から聞いたからもっと面白いんだけど。「あの人だぜ、行ってきたのは」って。

 そうすると、そのおじさんがね、また凄いホラ吹いて教えるから、ほんとに信じちゃうのよ。

「天狗様がな、うどんをくれたら、うまくて、あんまりうまいからな、ポケットに入れて持ってきて、よーく見たらそれがなあ、みんなミミズだったんだよ」って言うの。

 

・「どんなかっこうしてた?」って訊くとね、大きなうちわを持っててね、そうして少しうちわを扇ぐと、ポーンと上へ飛び上がって、上へポーンと跳べたんだって。そのうちわで。         (東京都)

 

天狗にさらわれた爺

・林右衛門という人が、もの凄い信仰心の篤い人なの。けど、黙りでね、「うん」と言うだけの無口でね。ちょっともしゃべらんの。

 お婆がね、盲目だったの。それが何でもやったの。お勝手から掃除から何からね。目が見えんのにね。

 

・それがね、話はそれだけですまずにね。こんどは炭焼きしとるもんで、炭山へ行ったんじゃと、お爺がね。しゃべらんお爺が。そうすると、帰ってこんのやと。ほいで探しに行っても、いつもの炭焼きの所におらんのやと。みな心配して村の衆にも言って、「どうしたもんやろ、小屋におらんが」って。

 

・松明をつけて、鉦や太鼓でみんな寄って、そのお爺を隠したに違いないで返せって。天狗に言わなあかんってな。みんなで、トーントーンと、「林右衛門を返せ、林右衛門を返せ」って、みんな行列して行ったんやと。松明つけて。

 ほしたら寝とったんやと、小屋にね。前には、おらなんだのに。ほんで天狗が返してくれたんやと。

 昔の人やで、今の人やとそんなこと思わんやろけどね。天狗が返してくれたので、いっぺん天狗が、どうして返してくれたか聞きたいなあと思って、みんな言っても話さずに終わったんじゃけどね。

 無口やで言わんし、天狗に口止めされているんだろうし。お寺の役もやって若いときから法名までもらって、ちゃんとしておった人、賢い人じゃけど。しゃべらん人で「うん」と言うだけで。

 そんな話を、母親が話してくれた。

 

・この話のあとに、まだ続きがある。昭和17(1943)年に女の子、きよ子という子がいなくなって、それを真似してね。赤提灯を灯して、「きよ子を返せ。きよ子を返せ」ドンドコドン、ドンドコドンと太鼓をたたいて探した。出てこなかった。

 後から聞いた話やけど、橋のもと、谷にはまって死んどったらしい。あんまり不思議なので、女の子が出てこないので昔の真似をしたんやけどね。                     (岐阜県

 

天狗にさらわれた話

・村(旧静岡県田方郡中郷村)のある子供が急に見えなくなったので、親は勿論、近所の人も騒ぎ一所懸命探したが判らない。親達は泣く泣くその霊を弔った。

 四十九日に親戚一同が集って、お婆さん達と念仏の供養をした。その時なかでも非常に血縁の濃い者が、子供の小用をしてやるために田舎によく見る如くに、縁側で子供に小用を足さしていたのであった。その時ふと裏山に目をやると、紛失した子供が木の枝を飛び歩いている。それを見た親戚の者は喜びというか、恐怖というか、何しろあわてて座敷にいる者にすぐに知らせた。一同はすぐに例の縁側に出て来たが、不思議にも誰も再び彼の子供を見ることは出来なかった。一同は前の人が見たのは幻であるといって取り合わなくなってしまった。

 するとそれから幾日かの後に今度は家の者が見たのである。木の枝を軽々と飛び歩いている姿を。これが村中にぱっと拡がってしまった。皆はきっと天狗の業であると評判した。そこで毎日々々裏山へ子供を捜しに村の人も加わって出掛けたのである。が何故かどうしても見当らない。で村の人は匙を投げてしまい、後に残るのは労力の報いられなかったことに対する憤慨で、非難の声が高まっていった。

 

・が、親は決して子供を探すことを止めずに根気よく探した。その心に天狗も心をほだされたのか、ある日のこと、朝目をさますと、そこに明けても暮れても探していた我子がいるではないか。親の喜び方といったら大したものだった。しかし当の子供は昏々と眠り続けている。約三日程経て子供が眼を開くと、母親の顔の枕元にあるのを見て、お母さんとばかり抱きつき、母親はその子を強く抱きしめて長い間二人で泣いた。

 

後で子供も泣き止んで語るによると、毎日馬糞をお饅頭だといって食べさせられており、木の枝を飛び歩く術も教えて貰った、といったので、まあ馬糞を食べさせたりして、と親の子に対する愛情で、母親はまた泣いてしまった。でもまあ子供が見つかったのでと、何もかも忘れてお祝をしたという。これは実際にあった、といって聞かされた話である。天狗にさらわれるということは決して嘘ではないようだ。     (静岡県

 

山師の佐吉が、古峰が原で荒沢の天狗にあい気絶をすること

・明治のはじめに、荒沢(山形県鶴岡市)の杉林が切られることになり、狩川の佐吉という山師がこれを買いとって、大もうけした。

 その手斧いれの日に、最初に斧を打ち込んだ木から、血のような真っ赤な液体が流れ出した。

 その後も、搬出の人夫が何人も怪我をしたり、トロッコが転覆したりするようなことが続いて、難儀なことが多かったけれども、どうやら山じまいになった。

 その後二、三年経ってから、代参のくじに当たった佐吉は、同行の人たちと連れ立って村をたち、古峰ヶ原にたどり着いた。

 その夜、参籠所で風呂に入っていると、寺男がやってきて、火加減をみながら、「佐吉、暫くぶりだったのう」と言った。言葉はまぎれもない庄内弁だが、その顔には、さっぱり見覚えがない。

「おめは誰だか。さっぽり、分からないけれども」と、尋ねると、「俺のこと、忘れたかで、荒沢の天狗だでば」と言いながら、佐吉の方を向いた。

 その顔はべんがら色で、眼はぎょろりと光り、鼻は高く、絵で見る天狗と寸分違わなかった。

 

・やがて、意識を取り戻した彼は、同行のものから、「おまえが、いつまでも上がってこないので覗いてみたら、すえふろの縁にしがみついたまま、“許してけれ、許してけれ”と怒鳴っていたので驚いた。一体どうしたのだ」と訊かれた。

 彼は、それに対して一言の説明もしなかったが、それから後は、どんなことがあっても、神社や寺の木は、一切買わなかったということである。

                        (山形県

 

<おもいの魔物>

・富士山麓の大和田山山梨県西八代郡上九一色村)の森林中に、おもいという魔物が棲んでいた。

 この魔物は、およそ人間が心に思うことは、どんなことでも知っているという不思議な力を持っていて、だからこの魔物に出逢った人間は、全く進退が出来んようになり、ついついそれに取って喰われてしまうのである。それで、大和田山へ出入りする樵夫(きこり)や炭焼きは、何よりもこのおもいを恐れていた。

 ある時一人の樵夫が大和田山の森林の中で木を割っていると、ふいにそのおもいが現れて来た。その男は思わずゾッとして、ああ怖いなァと思った。するとそのおもいはゲラゲラ笑いながら、今お前は、ああ怖いなァと思ったな、といった。男は真っ蒼になって、こりゃァグズグズしていると取って食われてしまうぞとビクビクしていると、おもいは、今お前は、グズグズしていると取って喰われてしまうと思ったな、という。男はいよいよ堪らなくなって、どうなるものか逃げられるだけ逃げてやれと思うと、おもいは又もや、今お前は、逃げられるだけ逃げてやれと思ったな、という。それから男も困り切って、こりゃァどう仕様もない。どうなろうと諦めろと思うと、おもいは又しても、今お前は、どうなろうと諦めろと思ったな、という始末である。

 こう何から何まで見透かされてしまってはもうどうすることも出来ず、仕方がないから男は、ビクビクしながらもそのまま木割りの仕事を続けていた。おもいの魔物は、いよいよ男が負けたのを見ると、だんだん近寄って来て、隙さえあれば男を取って喰おうと狙っていた。

 ところがその時、男が割っていた木に節っ瘤があって、今男がハッシと打ち下ろした鉞がその瘤へ当たると、不意にそれが砕け、木の破片が勢いよく飛んで、魔物の眼へ酷くぶっつかり、その眼を潰してしまった。これは樵夫も魔物も、全く思いもよらぬことであったので、さすがの魔物も参ってしまって、思うことよりも思わぬことの方が恐い、といいながらどんどん向こうへ逃げて行ってしまった。     (山梨県

 

山の霊の話

・山には不思議なことがあるんですよ。山にはね、霊というものがあるがね。その霊に出会うとね、動きがとれないんですよ。金縛りになるでしょ。その話をしますよ。

 こっちから向こうへ行くと元屋(島根県隠岐隠岐の島町)というとこあるでしょ。今は道が下について、いいですよ。ところが、昔はあの上を通りよったんですよ。

 後ろに誰かがいるんですが、振り返れないんですよ。ナタを木の切り株に打ち込むんですが、ところが逃げないんですよ。30分も1時間近くも、自分の後ろに誰かがいる。それを振り向くこともできない。それも1時間ほどしてから、この言葉にね、こういうものを払いのける言葉、おまじないがあるんですよ。それは、父がそう言ってたんです。

「お前な、夜歩くということはいいけど、まじないの言葉をしらなきゃいけない」ってね。“アブラオンケン ソワカ”という言葉があるんですよ。 

 ということはね、八百万の神様、お願いしますという言葉らしいんですよ。父が言ってました。この言葉を三回、繰り返したら、スーッと軽くなった。後ろの何かがいなくなってしまった。    (島根県

 

酒買いに出る山姥

・千国(長野県北安曇郡小谷村)の暮れ市は旧十二月の十九、二十日の両日で、二十五日は魚市であったといった人もある。この暮れ市に山姥が買物に出たという話がある。

 山姥は市日の早朝に上手(わで)酒屋へ来て、酒をくれという。これへ五升注いでくれといって瓢箪を出す。これじゃ三合ばかりしか入らぬじゃないかというと、何大丈夫だとすましこんでいるので、試して入れて見ると五升はおろか、らくらくと入ってしまう。店の者は不思議に思って、お前はいったい誰だときけば、

「俺はこの山奥に住む山姥だが、もし俺が来られぬ時には誰を代わりに寄こしても酒を売ってくれ」といって帰って行く。

 山姥が出ると市の相場が下がるという。

「どら、山姥が出たので、今年は安いぞ、明日は買い出しに行けるといったものです」          (長野県)

 

山女郎の祟り

四万十川上流地方は農耕地が狭く、昔は農業より木材、薪炭、紙すきを本業とした百姓が多かった。

 

・山で泊まることもしばしばであった。ある朝早く山から帰った義吉が、女房の空けた寝床へもぐり込むので、驚いた女房が、「お前さんは何時もと違うようですね」と布団を持ち上げ顔を覗くと、顔は真青でブルブル慄えている。やっと昼近くに起きて、義吉は女房に語ったという。

「昨日の朝早くから炭を出して、その跡へ木を入れ始めたが遅くなり、やむなく炭窯の入口に菰(こも)を吊るして中で寝た。

 夜更けに小便を催して目が醒め外へ出ようとすると、入口の菰を上げて女の顔が覗き、紅い舌を出している。それが奇妙な声でケタケタ笑う。

 笑うたびに長い舌が、おらの顔に届きそうで恐くて寝るどころじゃなかった。小便も着物へたれてしまった

 それ以後、義吉は床を離れることはできず、間もなく死んだそうだが、村の人達は義吉のことを山女郎に肝を吸われたのだと伝えている。四万十川の上流には女郎山と称する山が所々にある。   (高知県

 

山女郎を女房にした男

・昔、奥屋内村に定次という醜い男がいた。猟師で、無口で、稼ぎも定まらず、娘達も嫌って寄りつかず、今年で歳は41になったが、いまだに女房がない。家は岩窟の傍らに木と竹と茅で、へいを立てかけてあるくらいの粗末なものであった。

 ある夕方、帰って見ると見知らぬ女がいて、夕飯の仕度をして待っていた、無口な定次は、その女の整えた食事をことわりもせず食って食い終えると、そのまま横になって寝た。朝早く目をさますと、昨夜の女はいなかったが、朝飯の用意と弁当は出来ていた。定次は女の作ってあった食事をして、作ってあった弁当を持って猟に出かけた。その夕方も夜になって帰ると、女が夜の食事を作って待つこと昨夜と同じであった。

 

・そして三日目、無口な定次もやはり男であったのか、暗黙の内に女との交りをした。翌朝は、定次も特に疲れて寝過ごし、目を醒まして見ると、女はおらず作った食事は冷たくなっていた。定次は口こそ出さないが、心の内では、朝早くからまめまめしく働く女房と思い込み、自分でも以前より働くようになった。そして夫婦のような暮らしが五カ月ほど続いた

 女は定次の胤を宿したようであった。定次の交りの誘いにも応じなくなり、日が経つほどに、ある夜中、怪しいあか児の泣き声がした。定次は夢うつつの中で、その声の遠ざかってゆくのを覚えているが、どうしても起きることが出来なかった。朝になって目醒めた時には、女も、あか児もいなかった。無口で変わり者の定次も、この怪しさに耐えかねて、土地の寺を訪ねて僧に一切を打ち明けた。

 お寺の僧は、定次の家へ来て見て驚いた。寝床には野猿の毛がうず高くつもっていたが、定次は、それに気付かなかったらしい。

 定次と野猿との間に生まれた幼猿は、山女郎となり育って、周辺の里人を弄らかした時もしばしばあったという。奥女郎、口女郎等の字名の山が所々にあるのは、この民話の名残でもある。    (高知県

 

 

猩々ヶ池

・昔、八幡の町(宮城県多賀城市)は、「上千軒、下千軒」と呼ばれ、大いに繁盛していたが、そのころのことである。

 一軒の酒屋があり、こさじという下女がいた。この酒屋へ顔が赤く、全身に毛が生えた猩々(しょうじょう)が来て、酒を飲ませよと仕草をし、酒を出すと飲みほし、盃に血を遺して立ち去った。

 猩々の血は高価なものであった(または、遺した血が銭になった)。強欲な酒屋の主は猩々を殺して血を採り、大金を得ようとした。

 それを知ったこさじは猩々を憐れみ、次に訪れたときそのことを告げた。猩々はそれでも酒が欲しい、もし殺されたら三日もたたないうちに津波がおしよせるから、そのときは末の松山に登って難を避けよという。

 猩々が酒屋を訪れると、主夫婦は大酒をすすめ、酔いつぶれた猩々を殺し、全身の血を抜き採り、屍を町の東にある池の中に投げ棄てた。

 その翌日、空は黒雲に覆われてただならぬ様子になったので、こさじは猩々が語ったことに従い、末の松山に登って難を避けた。

 この津波で繁盛していた八幡の町は、家も人もすべて流されてしまった。猩々の屍を捨てた池はのち「猩々ヶ池」と呼ばれるようになった。

猩々 海から出てくる妖怪。酒好きで、能、歌舞伎に出てくる

宮城県)   

 

 

 

『全国妖怪事典』

千葉幹夫 編集     講談社  2014/12/11

 

 

 

青森県

・(アカテコ) 道の怪。八戸町。小学校前のサイカチの古木から赤い小児の手のようなものが下がった。この木の下に17、8歳の美しい娘が振り袖姿で立つことがあり、この娘を見た者は熱病にかかるという。

 

・(カッパ) 水の怪。河童。五所川原では、人の命を取るというので八幡社に祀っている。藤崎では、河童には踵がないのでそれを粘土で補って子供を誘う。だから薄闇で見知らぬ人に声をかけられたら踵をたしかめよといましめる。

 

・(カワオンナ) 道の怪。河女。土堤に現れ、美女となって男に話しかける。ほかの人にはこの河女は見えない。

 

・(カワタロウ) 水の怪。河童。岩木川で腕を切られた河太郎は、5歳ばかりの童子で、髪をおどろに被っていた。腕は4、5歳の小児のようで、指は4本、根元に水掻きを持ち、爪は鋭く、肌は銭苔のような斑紋があり、色は淡青く黒みを帯びていた。

 

・(ザシキワラシ) 家にいる怪。旧家にいる一種の精霊。ザシキボッコ、クラワラシ、クラボッコ、コメツキワラシ、ウスツキコ、ホソデ、ナガテなどともよばれる。赤顔、垂髪の小童で旧家の奥座敷などにいる。これがいる家は繁盛するが、いなくなると衰亡する。ザシキワラシのいる家の座敷に寝ると枕返しをされたり押さえつけられたりするが、人を害することはない。野辺地町の富者の家運が傾きかけたある夜、ザシキワラシが奥座敷で帳面を調べていたという。

 

・(ニンギョ) 海の怪。津軽の海に流れついた。唐紅の鶏冠があり、顔は美女の如く、四足は瑠璃をのべたようで鱗は金色に光り香り深く、声はヒバリ笛のように静かな音だった。

 

・(メドチ) 水の怪。河童のこと。十和田―猿のような顔で身体が黒く、髪をさらっと被った10歳くらいの子供という。女の子に化けて水中に誘う。人間に子を生ませる。紫色の尻を好む、相撲が好きだが腕を下に引くと抜ける。

 

・しかし一旦見込まれると逃れられず、友達や親戚に化けてきて必ず川に連れ込む。生まれつきの運命だという。津軽藩若党町の子が川で溺れた。水を吐かせようと手を尽くすと、腹のうちがグウグウとなり、たちまち肛門から長さ1尺6、7寸で体が平たく頭の大きなものが走り出て四辺をはね回った。打ち殺そうとしたが、川に飛び込まれた。

 

・(ヤマオンナ) 山の怪。山女。南津軽郡井筒村。農夫が羽州田代嶽で会った。丈6尺、肌が非常に白く裸体で、滝壺の傍らに座って長い髪を水中に浸して梳っていた。

 

岩手県

・(アンモ) 家にくる怪。北上山系。姿を見た者はいないが、正月15日の月夜の晩に太平洋から飛んでくる。

 

・(オクナイサマ) 家にいる怪。上閉伊郡土淵村。14、5歳の子供姿で、近所が火事のとき火を消してまわったという。

 

・(カッパ) 水の怪。河童。真っ赤な顔で、足跡は猿に似ており、長さ3寸、親指が離れている。松崎村で二代にわたり河童の子を産んだ家があり、子は醜怪な形だった。栗橋村橋野の大家には駒引きに失敗した河童の詫び証文がある。岩手県紫波郡煙山村赤林でも河童の子を産んだ女がいた。女は産屋に誰も入れなかったが、中からクシャクシャと小声の話が聞こえたという。

 

宮古に伝わる証文は筆でぬりたくってあるだけで、とても文字のように見えない。栗橋村栗林には、駒引きに失敗した河童が左の腕を噛み切って指で書いた詫び証文がある。この河童は、川から上がって許された家に入りザシキワラシになった。主家思いであったという。詫び証文は釜石にもある。下閉伊郡田野畑村の証文には「又千、又千」とあった。

 紫尻を好むという。上閉伊郡宮守村では、駒引きに失敗した河童が喉のはれをひかせる薬の調合を教えた。上閉伊郡大槌村赤浜でも河童はザシキワラシであるように信じている。嬰児のようで赤く、ジイジイジイと鳴く。相撲を好み、子供と相撲をとった。陸前高田市横田では河童は直接骨接ぎをするといい伝える。

 

・(カブキレワラシ) 木の怪。土淵村。マダの木に住み、時に童形になって座敷に忍び込み、家の娘に悪戯をする。また胡桃の木の三又で遊ぶ赤い顔がこれだという。

 

・(カワタロウ) 水の怪。川太郎。下太田村。日ごろ子供と遊んでいた。親には決して語るなと戒めていたが、ある子が禁をやぶり、村の若者が鎌を持ってさんざんに追い回した。翌朝、川太郎は子供らに、もう一度非道をすれば北上川はじめ処々の川から、仲間を数百集めて報復するといった。一説にはこの家の姫に夜な夜な通ったともいう。

 

・(ザシキワラシ) 家にいる怪。座敷童子童女だともいう。上閉伊郡――布団を渡り、頭にまたがる。釜石・遠野――笛太鼓で囃しながら来る。枕返しをする。赤い友禅を着た17、9歳の娘であるという。土淵村――赤い頭巾を被った赤顔で、足音は3、4歳くらいの子供のもの。土淵村栃内――神檀の前に掛けてあった鐘を家人の留守中ガンガン叩いた。土淵村田尻――夜半、懐に入ってくすぐり、たまらず起きて襟を合わせると、今度は袖口から手をいれてくすぐった。土淵村本宿――運動場に見知らぬ子供が一人おり、体操の時などどうしても一つ余計な番号が出た。尋常小学校1年生にしか見えなかった。

 

・江刺村――ザシキワラシのなかでも最も色白く綺麗なものをチョウピラコという。附馬牛村――土蔵の中で終夜、喧嘩でもしているような荒びた音がして、翌朝、極めて美しい一人の子供が死んでいた。3、4歳くらいで顔が透き通るように白かった。隣家のザシキワラシと喧嘩して殺されたとか、ザシキワラシの夫婦の喧嘩だとかいった。

 

・(カラコワラシ) 家にいる怪。夜の子の刻になると、座敷の床の間から黒い半衣物を着て現れ、杓を持って水をくだされといった。ザシキワラシの一種。

 

・(サルノフッタチ) 動物の怪。猿の経立。人によく似る。女色を好み里の婦人を盗み去ることが多い

 

(ショウジョウ) 動物の怪。猩々。人面獣身で人語を解し酒色を愛すという。

 

・(チョーメンコ) 山の怪。和賀川がつくる深い渓谷に住む。姿形は不明だが、夕暮れ時、遊びほうけているワラシたちがいると必ず出てくる。

 

・(テング) 山の怪。天狗。早池峯山。木の実ばかり食っていたが、穀物を食いたくなったといって、遠野の万吉という湯治場で会った男を尋ねてきた。一日に一羽、鳥を捕えて焼いて食ったという。

 

・(ノリコシ) 道の怪。遠野地方。影法師のようなもので、最初は小さい坊主頭で現れるが、はっきりしないのでよく見ようとすると、そのたびにメキメキと大きくなる。

 

・(マヨイガ) 山の怪。迷い家。遠野地方で山の中にあるという不思議な家。この家に行き当たった人は必ず家の中の什器、家畜などなんでも持ってこなければいけない。それはその人に授けるために、その家を見せたのだからという。

 

・(ヤマオンナ) 山の怪。山女。栃内村和野の猟師が、背が高く髪がそれよりも長い女を鉄砲で撃った。のちの証拠にと髪を切り取って下山したが、途中ひどい眠気に襲われた。夢うつつに丈の高い男が現れて懐中からその髪を取り去った。

 

沖縄県

・(アカガンター) 家にいる怪。赤い髪で赤ん坊のようなもの。古い家の広間に出て、枕返しをし、押さえつける。

 

・(アカマター) 動物の怪。斑蛇。中頭郡西原村我謝、名護町、那覇泉崎、羽地村田井等、多くの所で聞く。美青年に化けて女を誘惑し、命を取ったり多数の子を一度に生ませたりした。アカマターは尾で文字を書くが、この字は人を惑わすという。羽地村仲尾次では蛇婿に類似した話を伝える。

 

・(アカングワーマジムン) 赤ん坊の死霊。四つん這いになって人の股間をくぐろうとする。これに股間を潜られた人はマブイ(魂)を取られて死んでしまう。

 

・(アフイラーマジムン) 動物の怪。家鴨の変化。ある農夫が野中、道でしきりに股をくぐろうとすると怪しい家鴨にあった。くぐられては大変だと石をぶつけるとたくさんのジンジン(蛍)になって農夫の周りを飛び回ったが、鶏の声とともに消え去った。

 

・(イネンビ) 火の怪。遺念火。沖縄では亡霊を遺念といい、遺念火の話は多い。たいていは定まった土地に結びつき、そう遠くへは飛んでいかない。

 

・(ウシマジムン) 動物の怪。牛の変化。真っ黒い牛のように大きいマジムンで、牛が往々連れ立って出る。

 

・(ウヮーグヮーマジムン) 動物の怪。豚の変化。豚の形をして現れ、しきりに人の股をくぐろうとする。くぐられるとマブイ(魂)を取られて死ぬ。

 

・(カイギョ) 動物の怪。怪魚。美里間切古謝村。塩焚きが、海に浮かんだ一尾の魚を捕らえて帰ると、笊の中から「一波寄せるか、二波寄せるか、三波寄せるか」と微かな声がした。

 

・(カムロ) 道の怪。那覇と与那原の間にある一日橋。よく踊りの音がする。近づいて引きこまれることがある。これは「マ」の仕業という。

 

・(カワカムロウ) 水の怪。以前はよく池などで人を引き入れた。

 

・(キジムン) 木に宿る怪。水の怪。古木を住処としている。ガジュマル、アコウなどの木が歳経るとキジムンになるという。海の魚を捕るのが上手だが、左または左右の目のみ抜き取って食うだけだから、これと親しくなると魚運に恵まれる。屁がなによりも嫌いという。セーマ、

セーマグ、ブナガイ、ブナガー、ミチバタ、ハンダンミーなどともいう。各地とも形はほぼ一定で、髪が長く身体は全部毛で被われている。ところによっては赤ん坊の大きさで、毛髪は赤いともいい、また底辺大きな真っ黒いモノで睾丸が大きいともいう。蛸が嫌いで、古木から生じるから古木の股に釘を打ち込めばよいという。水面を駆けることが巧みで、人を連れたままでも水面に立てるという。よく火を出す。旧暦の8月10日は妖怪日といい、この日にキジムナー火を見ようという人が多い。キジムンの火は色が違う。時々海上を渡ってくる。とても速い。側に来ても声をかえない。かけると霊魂(マブイ)を取られる。

 

・山で出会い、谷川の石を動かしているのを見ると、怒ってマブイを取る。国頭村の山小屋に来た。追い払うと悪さをするので、生竹をそっとくべて、爆ぜる音を聞かせると驚いて逃げた。キジムンのいる家は富み、よそへ越すと衰える。枕返しに遭った、寝ていて押さえつけられたという話は多い。大宜見村ではブナガヤアという。ぶながるは髪をふり乱す意味で、腋あたりまで垂らした様をいう。人語を聞きわけられる。怪力で、これを利用して成り上がった者がいる。のち、離れようと蛸(ぢやさめ=手八つ)を柱に掛けておいたら、二度とこなかった。木のうろにいる。うっかりとその木を伐ると、酷い目に遭わされる。つきまとって、いつまでも悪さをする。髪は総角で、山で人間の炊いた火に当たりに来る。追い払うには青竹を燃やして爆音を出すに限る。本土の火取魔のように提灯の火を取って逃げる。これを防ぐには出かける前に提灯を跨いでおけばよい。夜にうなされるのはキジムナーが戸の隙穴から入って押さえるためである。これを防ぐにはススキのサン(輪結び)を胸に載せておくとよい。

 

・羽地村源地の老婆が、川端の老木の上で、枝を枕に睾丸の大きな子供が寝ているのを見た。老婆が竹竿で睾丸をつつくと子供は飛び上がってどこかへ消えた。老婆はその夜、床につくやいなや先の子供に襲われて身動きできず、終夜苦しめられた。大宜味村喜如嘉の某家に毎年旧暦の8月8日に来て、豚小屋の豚を綱で縊り、火で所構わず焼いたという。屋敷にあるヒンギの老大木にキジムナーが住み、その家の翁と親しくなって、魚取りに誘って翁を裕福にしていたが、毎晩なので翁のほうがつらくなって木に火をつけると、キジムナーは他家に移り、その家は潰れた。同じようにキジムナーと関係を絶とうとして嫌いなものを聞き出し、門口に蛸を吊るし、蓑を着て鶏の真似をして追い出したが、3日後に死んだ翁の話なども伝えている。

 

・(キーヌシー) 木の精。大木に宿る。キジムナー(キジムン)と違い、木から飛び出すことはない。

 

・(ギルマナア) 家に来る怪。体が赤く身長1尺くらい。木の腐ったうろの下におり、夜になると人を押さえに来る。

 

・(ザン) 動物の怪。人魚。夜遅く波をわたって海の上から美しい女の声が聞こえてきた。翌日、この声の主を確かめようと3人の若者が船を出した。網にかかったのは半人半魚の生き物。

 

・(シイノキノセイ) 木の変化。椎の木の精。椎の木は必ずスジヤ(人間)を守ってくれるという。大宜味村喜如嘉で椎の実を拾いに山へ入り、道に迷った少女が夜中に、緑の衣装を着て踊る大勢のものに会った。このとき大きな猪に襲われたが、白い髭をはやした翁に抱き上げられて救われた。翌朝、目が覚めると椎の木の大木の下におり、実が枝もたわわに実っていた。

 

・(シチ) 山の怪。真っ黒で山路を歩くと立ち塞がって人の邪魔をする。

 

・(ジュリワーマジムン) ズリ(遊女)の化け物。沖縄各地で最も有名な化け物の一つ。

 

・(タチッシュ) 山の怪。山原地方。夕方、山から杖をついて下りてきて、子供をさらっていく。非常に力が強くて、村の若者でもこれと相撲をとって勝てる者はいない。

 

・(タマガイ) 火の怪。子供が生まれるときはタマガイといって、火の玉が上がるという。

 

・(チーウノヤ) 童墓(ワラビバカ)にいる霊怪。極めて優しい顔の女で、黒髪を長く洗髪したように垂らし、乳が特別に大きいものという。

 

・(ツボノマジムン) 器物の怪。壺の変化。山羊に化けて、通る人を悩ませ、数えきれないほど人の命を取った。

 

・(トウィマジムン) 動物の怪。鳥の変化。鶏のマジムン。家畜のマジムンの現れ方は人の前をさっと横切るのだという。

 

・(トジマチャービー) 火の怪。最初に一つ、提灯大の火玉が現れ、他方からもう一つの火玉が来て二つに合わさってユラユラと立ち上がって消え、また現れる。

 

・(ナカニシ) 人の姓。仲西。晩方、那覇と泊の間にある塩田温泉の塩田温泉の潮渡橋付近で「仲西ヘーイ」と呼ぶと出てくる。

 

・(ナビケーマジムン)器物の怪。鍋笥(杓子)の変化。為すところはミシゲーマジムンに似る。

 

・(ネコノカイ) 動物の怪。猫の怪。猫はマジムンにはならないが、13年経つと化けて人を害するという。

 

・(ハーメーマジムン) 老婆の怪をいう。

 

・(ヒチマジブン) 海の怪。国頭地方でいう。単にヒチともいい、夜道に筵を持っていくとヒチに連れられる、夜、櫛を挿していくとヒチに惑わされるなどといった。

 

・(ヒツギノマジムン) 器物の怪。棺の変化。今帰仁村で美しい女に化けて青年を誘惑した。

 

・(フイーダマ) 火の怪。火玉。鬼火、人魂の類。

 

・(ブナガ) 木に宿る怪。本島で木に宿る怪をいう。国頭地方でいうキジムンと似たモノ。

 

・(マー) 形は漠然としているが、牛の鳴き声をするという怪。

 

・(マジムン) 魔の物。ユーリーは背が高く顔だけが真っ赤で、木にぶらさがっていて、足のないのを見た人がいる。また、歩くのに足音も足跡もないという人もいる。

 

・(マズムヌ) 宮古島でいう化け物。人の死霊もあれば動物の怪もある。

 

・(ミシゲーマジムン) 器物の怪。古い食器が化けたもの。

 

・(ミミチリボージ) 耳切坊主。大村御殿に誅された琉球伝説中の怪僧、黒金座主の化けたものと伝える。

 

・(ムヌ) 形は漠然としている。妖怪をヤナムヌ(嫌なもの)ともいう。

 

・(モノマヨイ) 物迷い。夕方に子供をさらっていく怪。

 

・(ヤギノマジムン)  動物の怪。山羊の変化。

 

・(ユナバルヤージー) 男性の怪物という。

 

・(ユナーメー) 髪の毛のぼうぼう生えた妖怪。

 

・(ワーウー) 面相の恐ろしい怪。

 

石川県

・(アオオニ) 家の怪。青鬼。金沢。加賀中納言死去のとき、加賀越中能登の武士が残らず詰めかけている広間を、夕方、背丈二丈ばかりの青鬼が奥から出て玄関の門を出ていった。三国の武士はあっとばかり見送るだけであったという

 

・(イマノヒト) 山の怪。能登島で天狗をいう。オオシトとも。今のは「例の」の意。

 

・(オシロイババ)道の怪。白粉婆。能登。雪の夜に酒を買いにいく。

 

・(ガメ)水の怪。河童のこと。能美郡中海村遊泉寺――ある老人が堰淵のそばで立っていると水中から出て、この中に入ってごらん、いい気持ちだからと誘った。断るとガメも諦めて淵の中に飛びこんだ。

 

・(マクラガエシ) 家にいる怪。枕返し。ある家の座敷に寝ると、隣室に引き出されてしまうという。

 

 

 

『「伝説」はなぜ生まれたか』

小松和彦   角川学芸出版    2013/3/23

 

 

 

「生贄」と「異人」、身代わりの論理

二つの生贄祭祀

・ところで、右の事例は、村落共同体とその幻想的な異界(自然)との関係を描いたものである。村落の存亡は作物の出来・不出来であり、それを左右する天からの水を支配しているのは、天界の大蛇(龍神・水神)である。長い日照りが続いたために共同体が危機に瀕している。長者はこれを救うために天竺の大蛇のところまででかけ、「生贄」を求められることになる。

 

・水を支配する大蛇(異界)が「生贄」を好むならば、日照りが襲ってこないように、定期的に「生贄」を差し出そう。それを提供し続けることで作物の豊穣を確保できる――こうした思想に基づいて行われるようになったのが、「生贄」祭祀である。いいかえれば、これは異界との「富」の交換の物語ということができるだろう。しかも、この異界との交換は、両者ともに満足のゆく結果をもたらす限り、安定した関係といえるだろう。

 

ところで、共同体の「長」が共同体内の誰かを生贄として差し出す祭祀を、共同体の外部(=異界)から訪れた者(=異人)が廃止するという説話も伝えられている。『今昔物語集』巻26の第7話と第8話は、その種の物語のなかでももっとも有名な話である。この話はまた、生贄の

祭祀の状況をリアルに描いている点でも興味深い。

 

・この二つの生贄話は、一見した限りでは、上述の事例と同様の話にみえる。しかし、まことに対照的な構造となっている。すなわち、一方は異界と共同体の間の直接的な交換であるのに対し、他方は、第3項としての「異人」が介在する物語だからである。しかも、二つの話の内容には微妙な差異も見出せる。第8の話は、村落共同体自体が共同体内部からの「生贄」の調達を厭いだし、共同体の外部の者(回国の僧)を「身代わり」に立てる方法で対処しようとしているのに対し、第7の話は、共同体の外部(東国)からやってきた者(猟師)が、「生贄」祭祀のことを耳にし、自分から進んで「身代わり」に立っているのである。

 

身代わりに立てられた僧

・まず、第8の方の話から検討してみよう。この話の概略は、次のようなものである。

 飛騨国の山中で道に迷った回国の僧が、たまたま出会った男に山里に案内され、郡殿(大領)の決定に従って、ある男の家で世話をしてもらうことになり、しかも一人娘を妻としてあてがわれる。8ヵ月ほど経った頃から、家の者が「男は肥えた方が良い」といってご馳走攻めにする。不審に思った僧が妻にわけを詰問すると、妻は「じつは、この郷の者が祀る猿神は、年に一度生贄を求める。この私が次の生贄になることになっていたが、その身代わりとしてあなたを出そうとしているのだ」と教える。

 

 祭礼の当日になり、村人たちは僧を裸にして俎(まないた)の上に載せ山中の祠の前に運び、神楽を奉納したあと、一人残らず郷に帰っていった。やがて猿神が現れるが、僧はこの猿神を捕縛し村に連れ帰る。そして人びとの前で、二度とこのようなことはしない、という約束をさせて追い払った。その後、この男はたくさんの人を使う「長者」となった。

 

・この話で興味深いのは、この村落の人びとが村落の外部に「身代わり」を探し求めていたのであって、その外部からやってきた僧は、自分が身代わりの生贄とされるためにもてなしを受けているのだということを知らなかった、ということである。僧の妻となった娘が事前に真相を明かさなければ、僧は生贄として猿神に差し出されて食べられていたのである。さらに推測すれば、この僧が猿神を退治するまで、たくさんの旅の者が身代わりの生贄として猿神に差し出されていたにちがいない。

 

・いま一つ留意したい点は、この僧は猿神を退治した後、この里に住み着いて「長者」になった、と語られていることである。この「長者」が「郡殿」(大領)をしのぐほどの存在、つまり「首長」であったかどうかはわからないが、共同体の「外部」からやってきた者が土地の女性と結婚してその「王」となるという、人類学で言う「外来王」的な性格をもっている。

 

自ら身代わりに立った猟師

・第7の話の概略を紹介しよう。

 

美作国に中参・高野という神がいた。中参は猿、高野は蛇であった。土地の者は、毎年一度の祭りには人間の生贄を差し出すことが決まりになっていて、ある家の、年の頃16、7歳の美しい娘が次の年の生贄に指名された。たまたま東国からやってきた猟師がこの話を耳にし、娘を妻にくれるなら自分が娘に代わって生贄となろう、と申し出る。娘の命が助かるならばと、親は娘を人知れず男に娶らせる。男は飼っている猟犬から二匹を選び出して特別な訓練を行ない、刀をしっかり磨きあげた。

 

・やがて、祭りの当日がきた。「宮司」(神主もしくは祭司)を筆頭にたくさんの人がやってきて生贄を入れる長櫃を寝屋に差し込んだ。男がこの長櫃のなかに犬とともに入ると、親たちはそのなかに娘が入っているかのようなそぶりをしながら、一行に長櫃を差し出す。祭礼の行列が社に到着し、「祝」が祝詞を唱え、瑞垣の戸を開けて長櫃を差し入れたあと、その戸を閉じ、その外で宮司たちは並んで待機する。

 

・男が長櫃を少し開けて覗き見ると、丈七、八尺もあるかと思われる猿を中心にたくさんの猿が居並び、俎と刀も用意されていた。この大猿が長櫃を開けると同時に、男と犬がそこから飛び出し、大猿を捕えて俎の上にすえて刀を当て、頸を切って犬にやろうか、と迫った。このとき、一人の「宮司」に神(大猿の霊)が憑いて、「もう生贄を求めない、この男や娘の親にも復讐したりしない。だから助けてくれ」と助けを求めた。これを聞いた宮司たちが社のなかに入ってきて、「神様がこのように申されているのだから、どうか赦してください」と頼んだが、男が「この者と一緒に死ぬのだ」と少しも赦そうとしないでいると、「祝」(つまり大猿の霊)は言葉に窮し、誓いの言葉を何度も述べたので、赦してやると、猿は山に逃げ去る。家に戻った男は末永くその娘と夫婦となって暮らした。

 

能登半島の猿鬼退治伝説

発掘された猿鬼伝説

・ここで、その具体的な例として、第1章で詳細な検討を加えた能登半島輪島市と能都町旧柳田村に伝わる「猿鬼退治」伝説を、「天皇」と「村落」との接続のプロセスを物語る事例として取り上げ直してみよう。

 繰り返しになるが、地元に伝わる「猿鬼伝記書」によって、この伝説の概略を改めて紹介しておこう。

 

・昔、当目(能登町旧柳田村)という集落に岩井戸という洞窟があって、そこに「猿鬼」と呼ばれる恐ろしい鬼の一党が潜んでいた。当目の村の家々は、次から次へと猿鬼に襲われ、この噂が神々の耳にも入り、日本中の神たちが「出雲の国」に集まって猿鬼退治を相談をし、能登での出来事は能登の神が解決すべきだということになり、気多大明神(大穴持命)と三井の女神の神杉姫という神に、猿鬼退治の命が下される。神軍が猿鬼一党を攻撃したが、猿鬼は不思議の術を使う化生の者なので、なかなか征伐することができないでいたが、神杉姫の策にはまって鬼たちが酒宴を開いていた隙を狙って急襲し、ついに猿鬼の首を切り落とす。

 その後、猿鬼の魂魄が祟りをなしたので、神杉姫が僧に身をやつしてやってきて、その魂魄を鎮めた。

 

猿鬼を退治した神は誰か?

 この猿鬼退治に関する記録が現れた最初は、安永六年(1777)の『能登名跡志』記載の記事である。この記録は、いわば現代の民俗学者や地誌学者が地方を訪問して、地元に伝わる文書や聞き取りから制作した地誌・民俗誌のたぐいである。それには、次のように記されている。

 

・この当目村方々へ散村になりて蓮華坊いふが往来也。千毒といふ川中に、岩井戸といふ不思議の洞あり。海辺より三四里の山奥なれども、汐のさしひきあり、烏賊など吹き出せしことあり。昔この洞に猿鬼といふもの住みて人を取る。これを大穴持命退治ありて、その霊を祭て今猿鬼の宮とてあり。案ずるにこれは狒々(ひひ)の類なるべし、そのほかこの猿鬼退治ありし時の旧跡色々あり。

 

  

 

『世界不思議大全  増補版』

泉保也     Gakken   2012/8

 

 

 

ジョージ・アダムスキー  史上最大のUFOコンタクティ

驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船

アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。

 1953年2月18日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。

 夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。

 しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。

 

・ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。

 車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。

 アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。

 

・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上1万2000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。

 

アダムスキー宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。

 

土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30~200歳以上にも達するという。

 

コンタクティ  異星人からのメッセージを伝える人々

・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。

 

ハワード・メンジャー

アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。

 

・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。

  

安井清

・日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960年4月23日の夜、満月の2、3倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。

 

・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。

 

・同じ年の10月30日、「富山県黒部市宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5~6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30~40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。

 

・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。

 

ステファン・デナルデ

・オランダ人実業家。1967年7月、オランダ南西部ウースタ―シェルトの沖合をヨットで航行中、海面に浮かんでいた異星人の宇宙船(水上艇)に乗り上げて異星人と遭遇し、乗船を許された。

 

身長150センチほどの異星人はヒューマノイド型ではなく、顔の真ん中に窪みがあり、手は鉤状で、全身が薄褐色の毛で覆われ、獣じみて見えた。

 会話はテレパシーでなされた。彼らの母星は、地球から10光年彼方にある惑星イアルガで、自転速度は地球よりも遅く、重力は地球の約3倍。窒素やアンモニアからなる大気は濃密で、大気圏の雲が視界をさえぎっており、太陽光は見えない。

 

・そのイアルガ星へ、小型の円盤から高空に滞空する大型円盤に乗り継いで案内された。イアルガ星は海が大部分を占め、陸地は島だけで、それらは鉄橋で結ばれていた。石油タンクのような形状をした集合住宅が立ち並び、ひとつの建物の直径は約300メートル、高さは約135メートルで、約1万人が居住できる。

 ほかに自動機械化された農園、恒星間飛行用の大型円盤の建造工場なども見学してから、再び円盤に乗って地球へ帰還した

 

R・N・フェルナンデス

・メキシコ大学教授。原子力委員会のメンバーも務める科学者。1972年11月14日、大学構内で異星人女性とすれ違った。身長190センチの長身で、瞳は緑色、黒髪の美女である。それより先、教授は女性の声で何かを訴えようとするテレパシー通信を受けており、異星人であると直感したのだった。

 

・その後、2度遭遇したものの、会話を交わすことなく迎えた1974年12月22日、彼女が「テレパシーでは通じないようなので、直接話にきました」と教授を尋ねてきた。彼女はアンドロメダ銀河からやってきたリアと名乗り、知的生命体の調査のために地球を訪れていると説明、近いうちに宇宙船へ招待すると約束した。

 

・それが実現したのは翌1975年4月22日だった。宇宙船は直径5メートルほどのドーム状円盤で、乗船するや、超高速で大気圏外に飛び出した。リアは宇宙空間に浮かぶ青い地球を見ながら、地球環境の脅威、遺伝子工学反物質などについて語った。

 

リアはその後、近い将来凶悪な異星人が地球に来襲する、という警告を残してアンドロメダ銀河へ帰っていった。

 

宇宙飛行士が認めたコンタクトの事実

・ならば、彼らの主張はすべて虚言や妄想の産物かというと、必ずしもそうではない。宇宙探査によってコンタクティたちの話が真実と判明したケースもあるからだ。

 

・かつてのアポロ計画にも注目したい。宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から、「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」などが月面に存在するらしいことが指摘されたからだ。それらはおそらくUFOの基地だろう。

 

・アポロ14号で月面に降り立ったエドガー・ミッチェルが2008年7月、「アメリカ政府は過去60年近くにわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言したことも、コンタクティに有利に働く。地球へ飛来している異星人が人類との接触を試みないとは考えられないからであり、すべてのコンタクト・ストーリーを荒唐無稽と斬って捨てるわけにはいかないのである。

 

 

 

『女神イシスの降臨』

古代エジプト神話の謎に迫る

大川隆法   幸福の科学出版   2011/8/9

 

 

 

女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある

・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。

 

・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。

 

夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス

オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した

天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>

天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。

 

天照大神とイシスは「ベガの女王」。

 

・プレアデスは“顕教”ベガは“密教”を担当している。

 

ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。

 

 

 

『妖怪文化入門』

  小松和彦      角川学芸出版   2012/6/22

 

 

 

異人・生贄

「異人」とはなにか

・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。

 ところで、「こちら側」の人びとが想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。

 

① ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

 

② ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

 

③ ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

 

④ 空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

 

・こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

 

異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。

 折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

 

異人・生贄・村落共同体

・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。

 

・旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

 

「異人」と「家」の盛衰

・その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これを私は「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承である。

 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売り)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りをうける。

 

 

 

『山神を見た人びと』

 高橋貞子   岩田書院   2009/3

 

 

 

東北文化史の古層へ

・今では有名になった『遠野物語』ですが、当時これを評価したのは泉鏡花と芥川竜之助くらいで、多くの人は趣味本位の書物にすぎないと見ていました。しかし、この発刊が機縁になって、地方に埋もれた文化への見直しが始まり、やがて民俗学が生まれました。人々の語る伝承の比較によって日本人の歴史がわかるというのは、まったく新しい学問の誕生でした。

 

・遠野で、『遠野物語』が再発見されたのは新しく、昭和45年(1970)ごろからでした。岩手国体の実施に当たって、地域の文化を観光資源として活用することが図られましたが、その年はちょうど発刊60年にあたっていました。その後、遠野では民俗学資料に重点を置いた博物館、佐々木記念館を核にした伝承園、柳翁宿と柳田の隠居所を含むとおの昔話村、南部の曲がり家を移築した遠野のふるさと村といった施設を整備しました。

 

・『昔なむし』の巻末にある「岩泉地方の昔ばなしとわたくし」には、幼少時に昔話を聞いた思い出から、家業と子育てをしながら採集と執筆を行った様子が書かれています。店先や汽車の中が聞き書きの場であり、夜中や早朝が原稿用紙に向かう時間だったのです。書くことへの執念と信頼が、こうした貴重な資料集を生みだしたのです。

 

山の神に出遭った人

・岩泉の向町の佐々木亥之松(いのまつ)さん(明治生)は、20歳だったある日、山仕事で山中に入りました。奥山まで行ったとき、いきなり樹の間から顔の真っ赤な大柄の人が出て、ずいと顔を合わせました。「あ、あー」とおどろいた亥之松さんは、後退りました。ところが、相手は亥之松さん以上におどろいた様子で、うろたえながら樹の蔭に隠れました。

 

・さあ、亥之松さんは転がるようになって家に戻ると、

「その顔はらんらんとして燃える火のようだった」

と家の人に話したきり、40度の高熱を出して寝込んでしまいました。

 高熱はなかなか下がりません。亥之松さんは重態でした。あまりのことに家の人は、神子さまに、ご祈祷を頼んでお宣託を聞きました。

 お宣託は、

山中で出遭った顔の赤い人は、山の神だったのです

山の神は<木調べ>のために山中を歩いておられたのです。人間に見られてはならない姿を見られて、山の神もおどろかれたのでしょう。亥之松さんの病は、40日間病床に臥せば恢ります」

と、告げました。

 そのご、ほんとうに亥之松さんは40日間でもと通りの健康体にもどって、そのあと長生きをして生涯を終えました。

 

山男にさらわれた娘

田野畑村田代の南という家に、名をハツエと呼ぶ美しい娘がおりました。ある日、ハツエは、手籠を持って春菜を摘みに出かけたまま、突然、姿を消しました。

 家族はもちろんのこと、村中が総出となって探しましたが、ついにハツエを見付ける「ことはできませんでした。ところが、その日から十数年たったある日、村のまたぎ(狩人)が山中でハツエを見ました。

 

 ハツエは、ごつごつとした岩の上に座って、長い髪を櫛でとかしていました。またぎはおどろいて、「ハツエではないか」と、声を掛けました。

 

 ハツエもまたぎを見ると、おどろいた様子で、なつかしそうに涙をはらはらと流しました。やがて、

あの日、山男にさらわれて山女になった。あのころのハツエではない。今は山女なれば、おいらに出会ったことをだれにもしゃべるな。もし、しゃべったら、われの命は無いと思え

 こう言うと、さいごは恐ろしい形相となって威しつけました。

またぎは、

「だれにも一切しゃべらない」

と、約束をしました。ハツエは、

「約束を破れば、3年のうちにお前は死ぬぞ」と、更に威しました。

またぎは秘密を抱えて山を下りましたが、心の中は平らではありませんでした。だんだん体の調子まで悪くなるようでした。こらえかねたまたぎは、ついにある日、ハツエと出会った一部始終を、村のだれかに話しました。

 またぎはだんだんやつれてきて、青白くなって死にました。山女に出会って3年以内のことでした。

 

人身御供とヒヒ

・遠い昔のことです。小本海岸の波鼓が舞のあたりに巨大な松の古木があって、その枝に強そうなヒヒ(マントヒヒの異称)が腰掛けていました。そこは浜通りとして人びとの往来するところでした。

ところが、よく人隠しがあって、突然、人が見えなくなってしまう騒ぎがありました。

なんでもあのヒヒが人を食うらしい」と、人びとは恐れました。

 村人たちは相談の結果、若い娘を人身御供にヒヒに差し出して、ご祈祷をすることになりました。

若い娘は毎年一人ずつ、裸にされてヒヒに供えられました。のちにその娘たちの魂を鎮めるために「人殺神社」が建立されましたが。明治以前に廃社になったということです。

 

天狗山から鼓の音

・小川の国境峠に天狗山があります。海抜654メートル。昔から天狗の隠れ住む山と伝えてきました。

今でも国境集落の人びとは、

「トン、トン、トン、トン」

と、天狗山から鳴り出す鼓の音を聞いています。

 やがて鼓の音は、集落を囲んで立つ峰から峰をわたり歩いて、

「トン、トン、トン、トン」

と、鼓の音を聞かせるといいます。

 鼓の音は、四季も時刻も関わりがなく、いつ、どうともなく聞こえ出すようだと、国境の人びとは気付きました。

「きっと、天狗様は、ご自分の所在を知らせたくて、鼓を打つのだろう」と言い合って、鼓の音を聞くと、どんな仕事をしていても手を休めて戸外に集まり、天狗山を眺めるということです。

 

天狗に殺された12人の神楽団体

・天狗森は、猿沢の奥にあって、昔は天狗が隠れ棲んでいた深い森でした。近くの与一屋敷では、あるとき神楽宿をしたのですが、朝には、12人の神楽団体全員が死んでいました。与一屋敷の人は全員無事でしたが、この一大事に気付きませんでした。

 

・その夜、真夜中の与一屋敷に天狗が舞いおりて、神楽衆の一人ひとりの口に息を吹き込んで殺したのでした。人間は天狗に息を吹き込まれると、即、死ぬといいます。その方法は、天狗は鼻が高いので、人間の頬に頬を近寄せて息を吹き込むと伝えていました。

 猿沢の武田博さん(昭和4年生)は、少年時代に与一屋敷跡に行ってみました。そのときの与一屋敷跡には、土台石や腐った建築材が見えたので、そんなに遠い出来事ではないと思ったそうです。

 

ツチグモと呼ばれた種族

・遠い昔、この地方をはじめて開拓したころ、われわれと別にアイヌとツチグモがいました。アイヌは狩猟をして山で暮らしていましたが、ツチグモは極端に小さい体で、山野に穴を掘ってその中に隠れ住んでいました。

 穴の入口に木の葉や草を被せていましたが、とても獰猛でアイヌや村人が通ると、いきなり襲って穴の中に引きずり込んで、猟物や食料を奪い、衣類を剥ぎ取りました。ツチグモはとても怖かったということです。

結局、ツチグモは絶滅したのですが、ツチグモを退治したのはアイヌでした。

 

 

 

『プレアデス星訪問記』 

上平剛史  たま出版   2009/3

 

 

 

宇宙太子との再会

・それは、私が故郷である岩手県に住んでいた16歳のときのことである。

 

葉巻型巨大宇宙船へ

・「葉巻型母船は長さ4キロメートル以上で、太さは一番太いところで、直径7、8百メートル以上あります」

 

・「この母船はひとつの都市機能を持っており、ありとあらゆるものが備わっています。生き物のような船であると言っても過言ではないでしょう」

 

・なんと、これでも中規模程度の母船らしい。10キロメートル、20キロメートル、さらにそれ以上の大きさの地球人類には想像もできないほどの巨大な母船も存在するという。この母船では縦横およそ50メートルおきに道路が設けられ、階層は最も厚いところで40~50層になっているそうである。母船の中に公園や山河まであるらしい。この母船で生まれ育ち、一生を過ごす者もいるそうである。

 

・宇宙人にはそれぞれ母星があるが、母船には母星の都市機能が備わっており、母星の社会がそのまま存在している。母船の惑星としての役目を果たすため母船が故郷となる者もいて、そういった者は、ある意味で、母星で暮らしている人間よりも精神的に進化しているらしい。

 

 ・「この母船には我々プレアデス星人だけでなく、様々な星人が協力のために同乗しています。地球人類がグレイと呼んでいる宇宙人もいます。もっともグレイは我々が遺伝子工学、バイオ化学、宇宙科学を駆使して造ったロボットでしたが、今では宇宙や特定の星の調査など、さまざまな分野で活躍しています。他にも爬虫類、鳥類、魚類、昆虫、植物などの生態から進化した人間もいます

 

・「この母船は、最大収容能力は5千人ですが、現在は4千人くらいでしょう。ただ、乗せるだけならば、1万人は乗せられるでしょうが、常時生活して長く滞在するとなると5千人が限度です。食料やその他の問題がありますからね。この母船には、ここで生まれた子供たちを教育する係もちゃんといるのですよ。子供達が大きくなれば、母星の学校や他の進んだ星へ留学する場合もあります」

 

・UFO研究家で有名な韮澤潤一郎氏も「微に入り細に入る教訓的宇宙オデッセイであり、近頃には珍しい詳細な本物の体験記であると思う」と記している。

 

・だれしも、ある時夢での宇宙をさまよったこともあるのだろうが、本書によって、しばし宇宙旅行を楽しまれることをおすすめする。

 

 

 

遠野物語事典』 

(石井正巳) (岩田書院)2003/7

 

 

 

山の神

・背丈は「丈高き」「背高く」。顔色は、「顔は非常に赤く」「顔は赤く」「顔はすてきに赤く」「面朱のような」とある。眼の光は、「眼は輝き」「眼の光かがやける」背が高く、顔が赤く、眼が輝くという点でパターン化している。

  

「山男」

・遠野郷の民家の子女にさらわれる者が多く、特に女に多いという。「女は、恐ろしい人にさらわれたが、その人は、背が高く、眼の色は凄く。生んだ子供を持ち去ってしまうものの、仲間と連れ立って食物を持って来てくれるという」。「山里で髪の長い美しい女を撃つ」証拠として、黒髪を持ってきたが途中で眠くなり、背丈の高い男が取り返して立ち去ったと見ると眼が覚める。その男は山男だろうという。

 

「山女」

・「山女は、ぼろぼろの着物を着ているが、色白で長身、長い黒髪を持ち、あでやかである。幼児のいる母親でもある。飛ぶように走ったり、記憶をなくさせたりする特異な力を持つが、銃弾には倒れる。人恋しいかのように里人の前に現れるが、その特異な力や叫び声、大きな笑い声のため、里人にとっては、非常に恐ろしく、恐怖で病死する者もいる。

山女が現れる場所は、遠野地方の東にある六角牛山。白望(白見)山などの山中である。六角牛山は、女神が住んだと信じられた遠野三山の一つである。

 

 

 

『日本人はなぜ狐を信仰するのか』

松村潔     講談社   2006/2/20

 

 

 

日本中にいる稲荷狐

・稲荷神社は、日本全国で十数万社あるとされる神社の中で、そのおよそ3分の1を占めると言われているから、膨大なシェアである。無格社さらに個人的に設置された屋内の社などもいれると、国内で一千万を超えているという話もある。江戸時代の「伊勢屋、稲荷に犬の糞」ということばは稲荷神社があまりにも多いことを示したものだが、いまでも各家庭に稲荷神社が残っている地方もある。誰でも身近なところを歩くと、必ず稲荷神社を見つけることができる。有名な稲荷神社の門前には稲荷神社を作るための大小さまざまのキットを販売している店が必ずあるので、予算と好みにあわせて、家内に稲荷神社を作ることもできる。稲荷の勧請は許可が不要なのが特徴でもあるので、今日からでも稲荷神社を設営できるのである。

 

子どもの頃見た狐の嫁入り

狐の姿をまねる

・昔から西欧人は、日本人の稲荷に対する姿勢に違和感を抱くようだ。キリスト教国からきた外国人たちには、キツネを尊敬したり“崇拝”したりできるなどと考えることを、頑として拒絶することである。彼らにとって、宗教という言葉は、唯一の、人間の形を具有した神の崇拝にしか、あてはめることができない。それは、キリスト教の全能的支配によって“原始的”と言われるあらゆる形の自然力崇拝が、ほとんど完全に滅ぼされてしまったからである。

 

母と狐は一体化したもの

・狐はたいてい女性的。この中でとくに有名なものの一つが、陰陽師安倍晴明の母狐であったという話である。

 

・英雄的な人物の母は異界の存在という神話の類型がここに生きているのだが、この話が長く残る背景として、日本人にとっての普遍的な母は、現世には存在せず、自然界の背後に深く埋もれているという構造になっていることがあげられる。倫理学者の菅野覚明は、しのだづまのような「他界妻」のモチーフが日本の民族文学の基本主題をなしているという折口信夫説に付け加える形で、日本人の心の構造には日本神話の伊邪那岐イザナギ)・伊邪那美イザナミ)の物語の元型が根づいていることを強調する。

 

動物は母なる自然からの使者

安倍晴明の母、葛の葉狐と、日本人全員の母イザナミが重ねられて、イザナミに会いたいと毎日泣いているスサノオと、母に会いたいと泣く幼少の安倍晴明がそのまま同一の構造で語られることになるのだが、こうした日本古来の集団的な精神構造は、当然日本人全員に訴えかけるものがある。狐はこうした日本の集団的な心の構造にすでに組み込まれた特別な意義を持つ記号であると考えられる。

 

イザナギオルフェウスの類似性

弓月君に引き連れられた秦氏が、新羅経由で日本に大量移民をしたという経緯もある。秦氏と行動範囲が近く、シルクロードを縦横に移動していたソグド人の絨毯も広隆寺に残されている。ギリシャ・ローマの神話が持ち込まれ、そのまま日本に伝わっても不思議ではない。

 

秦氏とは何者か

秦氏は、巨丹(新疆ウイグル自治区ホータン)の生まれであると言われる弓月君が引き連れて3世紀に日本に渡来した氏族集団である。

 

1県を1千人として、総計12万人という膨大な人数が、日本側の援助もあって、3年間かけてやっと渡航し、はじめは九州北部に至った後、全国に広がっていったと伝えられる。大規模な移動だったので、歴史的にも資料はかなり残っており、とくに九州北部の宇佐地区や、京都の山城地方に多く関係資料が残されている。

  秦氏はさまざまな技術をもたらしたと言われている。たとえば九州北部・近畿の銅山と関係していると見られていることから、新羅系統の青銅技術、養蚕とセットになった絹織物の生産技術、芸術・算術・建築などである。

 

全国の神社総数十数万社のうち、秦氏の神を祀る神社は八幡系4万社、稲荷系4万社、松尾、出石等その他加えて9万社。つまりは日本の神社とその信仰は大多数を秦氏が作ったと考えてもいい面がある。とくに京都の松尾大社秦氏の氏社である。

 

秦氏と稲荷の関係

肥後和男は、農耕民族の神である稲荷を秦氏が商売用のトレードマークとして利用したのではないかと述べている。たとえば、今日でも、動物のシルエットを企業のマークにしているものは多数ある。

 

なぜサルタヒコは醜いのか

稲荷大明神は、荷田氏の御神体である竜頭太やサルタヒコなどの混合であるが、歴史的に後でとってつけたようにサルタヒコを入れたことにその根拠を疑う人もいる。

 

・サルタヒコは現実に想像しにくい風体をしている。容貌は魁偉で鼻の長さは七咫。長い口髭をはやし、目は八咫の鏡のように爛々と輝き、身長七尺余の神通力のある神様である。咫というのは上代の長さの単位で、手のひらの下の端から中指の先端までの長さを言うのだから異様に大きい。一方竜頭太も、竜のような顔をして頭上に灯りを持つというから、これもなかなか想像のつきにくい姿をしている。

 

辻の神様

・辻の神様と言われているサルタヒコは、道ばたの地蔵菩薩とよく結び付けられる。ギリシャでは旅人の道案内の神様、あるいは越境の神はヘルメスである。商人merchantという言葉は、ヘルメスのラテン名メルクリウス(マーキュリー)からきていて、惑星の水星の作用とも結びつけられるが、ヘルメスはエジプトでは猿神のトートであった。サルタヒコ、猿丸、猿女など、この越境あるいは物質的、精神的両面での道案内的な役割の存在に、猿のイメージを使うというのは日本だけではないということである。ヘルメスの支配する商業というものも、基本的にはそれぞれの地域、あるいは専門分野を越境し、価値の置き換えをする流通産業をあらわしているので、秦氏が積極的に発展させていった。伏見稲荷の商売繁盛というテーマは、辻の神様としてのサルタヒコとかなり親和性が高いということも気にとめておきたい。

 

管狐

・土地神様のお使いとしての狐と関わるのにどういうことが行なわれていたのか。もちろんいまでも多くの人が行っているお供えを置くという方法もある。しかしこんなおとなしい手段でなく、もっと積極的に関わる方法として、わざと狐憑きになるという風習が長く続いた。また狐を使役するという考えも存在していたようだ。比較的よく知られているものに「管狐」というものがある。

 

・管狐は、毛皮を脱いで人の腹の中に住むと言われている。管狐に腹の中へ侵入された人は、腹の中から声が聞こえる。また腹に入った管狐は宿主が病になり死にかけると、腹を食い破って、次の宿主を見つけ出す。まさに映画の『エイリアン』そのものだ。

 ハワイの伝統宗教フナを参考にして現代版にリニューアルされた技法では、低自我は腹にいるので、それにジョージなどという名前をつけてコミュニケーションするというワークショップをしていたようだが、管狐が低自我なのか、あるいは低自我に、ブースターとして取り憑いた装置が管狐なのかはよくわからない。

 

・イギリスなどでは腹がすいたという時に、ブラックエンジェルが騒いでいると言い、胃あるいは腹はブラックエンジェルという象徴があてはめられている。

 

霊狐

・大正時代に活躍した心霊家、西村大観は、たいていの狐憑きは迷信であり、心霊的な「幻映」のあらわれに過ぎないというが、それでも霊狐そのものは存在すると主張している。霊狐というのは、実在の動物の狐とは違い、文字通り心霊的な狐であり、神様の代理として、人の夢の中にあらわれたりする。霊狐は管狐のように生々しい現世的な欲望を刺激するものではなく、伏見稲荷大社の狐のように知恵を授けたりするし、そもそもそのふさふさした尻尾が宝珠とみなされてもいた。

 

・管狐は、地域によってイヅナとも言う。長野県の飯綱山が発生地だからである。飯綱というと、「飯綱の法」という呪術などを思い浮かべる人もいるのかもしれない。というのも戦国武将の上杉謙信武田信玄などは飯綱信仰で有名だからだ。

 

現代では憑き物はこっくりさんに変換

・問題なのはこのこっくりさんに熱中した小学生や中学生に、時々何かに取り憑かれたような現象が起きることだ。精神科の雑誌などでも、このこっくりさんに関する論文が掲載されることがあるという。

 神奈川の中学で起きた事件では、放課後のクラブ活動でこっくりさんをした後、ある女子が、「背中が重い、何かが乗っかってくる」と泣き出し、「霊が呼んでいる」と叫んだ後、部屋を飛び出して走り去る。もうひとりはコンクリートの壁に女性の影を見て、次に体が重くなり、「地獄へおいで」という女性の声を聞く。この二人目の女子は、4階にある教室の窓を開けて窓枠に登ろうとしていたところを、ようやく追いついた別の生徒に押さえつけられて部屋に戻された。一年後ほかのクラスで、やはりこっくりさんと同類のエンジェルさん占いをしたところ、狐の霊が取り憑いて普段とは違う声で喋り出すという女子が出てきたり、また憑依現象が続発して、精神科を受診したが、受信時は多重人格状態に陥り、症状が消えるまでは一ヵ月半の入院が必要だったらしい。

 

仲介者的な存在

・『ポイマンドレース』が語るもうひとつの重要な項目は、世界は神が作ったのではなく、神の作り出した「造物主」が創造したという項目だ。神は直接世界創造に手を染めていないが、神はアントローポスすなわち人と、そして造物主を作った。人は造物主の作り出した世界を覗きにやってくる。つまり人は世界を作らない。人が世界とかかわるには、その間に造物主が関与しなくてはならない。また反対に人が埋もれてしまって自力で脱出できなくなってしまった世界から、人が救済されるには、救済の仲介者としてのソフィアの助けが必要になる。しかしソフィアは人が本来戻ってゆく場所までついていくことは許されていない。

 こうした思想の中に、人と神以外の、神の代理人としての第三の役割というものが想定される。それは造物主であり、人を救済するソフィアである。これまで述べてきた、神と人の間には、必ず仲介者として狐などが関与しなくてはならないというものも、類似した話である。

 

世界卵と蚕

伏見稲荷大社の祖である秦氏はそもそも蚕産業で財を成した氏族であり、富士山近辺の秦氏の痕跡を見るまでもなく、秦氏の足跡のあるところ蚕産業が拡がっている。京都の太秦はもともと秦族の本拠地ということで名づけられたわけだが、そこには秦氏の中でもっとも著名な秦河勝が直接関与した広隆寺がある。

 

狐の本性

・アヌビスに通底する動きを持った日本の稲荷狐は、基本的には、人とそうでないもののつなぎ、あるいは門の機能だが、かなり多層的な性質があるといわざるを得ない。本書では次のような内容を説明してきた。

 

1、狐は自然界=母の国への導きである。安倍晴明の母、葛の葉狐の伝承。

 

2、狐は死の領域への道案内である。中沢新一によると、稲荷のあるところ、たいてい墓所でもあった。

 

3神道系では、穀物神であり、富をもたらす。秦氏の展開した商売の繁栄においての護り神である。

 

4、宝珠をくわえた霊狐は、修行者へ知恵をもたらす。

 

5稲荷神社に祀られたサルタヒコの関連で、異なる領域のものを持ち込む越境の神。わたりをつける。

 

6、巫女と一体化して、妖術や呪術、性的な神儀に関与する。

 

7、通常の女性的なアイドルのような扱いも受けている。

 

8、原始宗教的稲荷においては、土地の力ゲニウス・ロキあるいは土地神のブースターとして活用され、たいていこれは万能な役割を与えられている。

 

9狐憑きは、神様との仲介者として、預言をする。

 

10、管狐は、人を惑わすが、また物質的な御利益ももたらす。

 

11、仏教系稲荷では、女性力としてのシャクティが昇華され、女神として働くダキニの力を運んでくる。

 

12カバラの図式で推理すると、生命力のリミッターをはずして、強力な推進力や達成力を与える。

 

13、エジプトのアヌビスと共通している狐は、死後の世界への導きとなる。

 

14、精神と物質の間の接続をする。狐あるいはアヌビスは、思いを形にし、また形に縛られた心を開放する方向の橋渡しをする。

 

15玉藻前の伝説のように、この精神と物質の行き来が行き過ぎると、欲望にとらわれ、悪念に幽閉される。しかし極端に行けば行くほど、逆転も起きやすい。

 

16、狐とアヌビス、ガブリエルという関連では、過去に忘れた罪なども思い出させる。因果を明確にする。

 

17秦氏の稲荷縁起から考えると、自分を世界に結びつけ、その環境の中で生きる道を作る。

 

18、猿女やエジプトのアヌビスの神官たちの関連で、魔除けなどにも関わる。衣服ということに、大きな関わりがある。

 

・そのうえで、全部をまとめて一言で言うならば稲荷狐とは「異界との接点」ということになるだろう。穀霊としての生産性というのは、異なる領域からわたしたちの領域に力が持ち込まれることで、創造を果たすのだから、これもまた異界との接点ということであり、死はこちらから向うへという創造のベクトルの逆回しだ。だから、生産性と死の門というのは表裏一体なものである。

 

 

 

『お稲荷様って、神様?仏様?』

支倉清 + 伊藤時彦       築地書館  2010/10/14

 

 

 

狐は神の使い

・狐は稲荷の使いであると古くから信じられてきた。

 

・春先に山から里に下りてきて秋の終わりにまた山に帰るという狐の習性が、田の神が春先に山から下りてきて秋の収穫後に山に帰るという動きとぴったり一致すること。

 

・つまり、狐は単なる稲荷の使いという以上の存在なのである。人々は狐そのものに霊力があると信じたのである。

 

狐憑きと流行り稲荷

・狐はなみなみならぬ霊力の持ち主であり、人間にのり移ることがあると、古来より広く信じられてきた。江戸時代に書き残されたものを見ると、狐に取り憑かれ、のり移られるのは、若い女性か年季奉公人の小僧であることが多い。

 

・「江戸本所に住む旗本の下女に狐が憑いた。しばらく苦しみが続いたが、狐が落ちて本心に返った後、屋敷の隅に小さな祠を建てた。その後、下女は人の吉凶などを祠に伺った。その語る様子はまるで神のようであった」

 

狐憑きをきっかけにして創建された稲荷は「流行り神」的に繁盛することが多かった。

 

・もっとも狐に憑かれるのは、一般的にいいことではない。人格が変わったりおかしな言動をしたり錯乱状態に陥ったりするので、狐に取り憑かれたときは、なんとかして狐を落とそうとした。

 

東の稲荷、西の地蔵

日本中に8万を超す神社がある。その中で圧倒的に多いのが稲荷社である。その数、実に3万2千社。次いで多いのが八幡宮で2万5千社。この2社で神社総数の6割に達する。ところが、稲荷社が多いのは関東を中心とする東日本で、西日本は少ない。とりわけ江戸のまちは稲荷が多かった。

 

あらゆる願いに応えるお稲荷さま

・稲荷は、もともとは稲の豊作をもたらす農耕神であった。ところが、室町時代になると都会では商売繁盛の神として信仰されるようになり、漁村では漁業の神として信仰されるようになった。

 

・幕末近くになると、江戸では「太郎稲荷」「お岩稲荷」「お玉稲荷」「定吉稲荷」など憑きものと関係する流行り神的な稲荷が次々と誕生する。

 

三囲神社(墨田区向島

・江戸の数ある稲荷社の中でも最も名の知られた稲荷社の一つである。

 

・神社の伝える言い伝えによると、弘法大師空海)の創建であるという。

 

豪商三井の守護神

・「(其角の雨乞いの俳句が詠まれた)後に京都の豪商三井氏が江戸に進出するとその霊験に感じ、江戸における三井の守護神と崇めて社地の拡張、社殿の造営を行った。今も年三回は三井関連会社による祭典が執行され、また三越の本支店にも当神社の分霊を祀っている