日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

繰り返すが、スパイ防止法のような法律があれば、ここまで見てきたような日本における外国人スパイの活動の被害は、避けられたケースも少なくない。(1)

 

 

(2024/2/17)

 

 

『諜無法地帯』

暗躍するスパイたち

勝丸円覚  山田敏弘  実業之日本社  2023/11/22

 

 

 

日本では数万人規模の中国スパイが活動している

 

はじめに

スパイは、あなたのすぐそばにいる

 

・私は警視庁公安部外事課(通称:外事警察)に2000年代から所属していた。外事警察ではスパイテロ対策に従事し、スパイを追跡する「スパイハンター」として、街の中に溶け込んで活動を続けてきた。日本でスパイ対策をしている公的機関はいくつかあるが、外事警察は、逮捕権・捜査権をもつ法執行機関として最前線でスパイと戦っている。

 

加えて、「スパイハンター」として活動している際に、それぞれの場面で共通して思うことがあった。それは、スパイハンターの人手があまりにも不足していることだ

 

・もう、スパイがやりたい放題に動いている現実から、日本人は目をそらしてはいけないのである。

 

実録!私の外事警察物語

大手ショッピングモールにスパイあり

・大きなショッピングモ-ルはスパイに好まれる場所であり、首都圏にある米大手倉庫型店でスパイが協力者に接触を行っていたこともあった。郊外の店舗ゆえ、スパイや協力者が密会する穴場だと見られている。

 

犯罪だらけのアフリカ某国で大使館の警備

・もともとその国の日本大使館では、アフリカ某国の国家警察に所属していた元警察官が警備担当のローカルスタッフとして雇われていた。そして、その元警察官に、現地の治安状況や情勢について簡単な英語で報告書を作成させていた。

 

麻薬カルテル情報でネタを吸い上げる

日本には対外情報機関は存在しない。CIAやMI6のような国外でスパイ活動をする組織がない。

 それでも私は、大使館のみならず日本の安全のために、アフリカ某国で独自に情報活動をして、日本に報告を行うようになった。

 

事前にイスラム過激派のテロを把握

・警備対策官は、日本や日本人に対するこうした脅威情報を得るために情報取集をしているのだ。ただ日本には対外情報機関がないために、いち警察官である私は、それを個人の裁量で行わざるを得なかった。

 

命を懸けた海外での接触

・私が管轄していたいくつかのアフリカ諸国でも、お土産やプレゼントによるお礼の文化が普通にあった。

 情報のレベルにもよるが、謝礼は、高級な万年筆が買えるくらいのレベルから、高くても良質なスーツを買えるくらいが最高額だった。

 

世界から遅れている日本の情報機関

お互いに情報を隠し合う日本の情報機関

・こうした私の対外情報活動は、あくまでも個人として動いていたものである。再三述べたように、日本には対外諜報機関が存在しないからだ。

 

・内閣情報官は常に警察出身ということになっている。そこに警察庁公安調査庁からの職員と、国際情報統括官組織ならびに防衛省の情報本部からも職員が出向している。問題は、それぞれの組織から来ている職員が、お互いに情報を共有することはなく、隠し合っていることである。

 

自衛隊の秘密組織「別班」は実在する

防衛省は情報本部以外に非公然組織を抱えているといわれている。その名も「別班」。私が公安監修をしていたTBS系日曜劇場「VIVANT」に登場し、話題になっていた。

 防衛省では、軍事活動をする上で海外の裏情報を知ることが重要だとされているため、陸軍の軍人だった藤原岩市が、普通の情報機関員では手に入れることができない危険度の高い情報を集めることを期待して創設したのが始まりである。

 別班のメンバーは主に防衛省から外務省に出向して、外交官として在外公館に勤務しながら情報収集をしている。

 

・ちなみに政府は別班の存在を否定しているが、別班が集めた情報は内閣官房長官と内閣情報官に上がるので、把握しているはずだ。

 別班の創設にあたり、旧日本軍の陸軍中野学校というスパイ養成機関に所属していた人々が関与していたといわれる。彼らは日本を守るという任務のためには、時に邪魔者を排除することも辞さなかったといわれている。

 

金正男の来日情報を一番掴めなかった公安

・国際的に見れば、CIAやMI6といった対外情報機関の日本側のカウンターパート、つまり、日本側の同等の組織は、公安警察、内調、公安調査庁のどれなのかがはっきりとしない。そんなことから、海外の情報機関から日本に絡んだ重大な情報がもたらされても、それをうまく活かしきれずに失態がおきることもある。

 その象徴的な例が、2001年5月の金正男の来日事件だ。

 

・私はこのケースについて、いまだに惜しいことをしたと考えている。もし最初に情報が公安警察にもたらされていたとしたら、おそらく金正男を泳がせて、どこに立ち寄るのかなど行動を調べて、日本側の関係者を特定しようとしたはずだ。さらには、毛髪からDNA情報も確保できたかもしれない。金正男からいろいろな情報が収集できたはずだったが、結果的に、そのまま帰国させてしまうというあり得ない失態をさらした。

 この金正男のケースに限らず、海外で私が属していた外事警察はあくまで「法執行機関」であるために、アフリカ某国に赴任中に各国の情報機関関係者があつまるブリーフィング(説明会)にも呼ばれないこともあった。

 

・つまり、普段から日本の情報機関として接触をしていないと、相手にしてもらえないのである。これもまた、日本にきちんとした情報機関を作るべきだと考える所以である

 

・情報機関全般にいえることだが、基本的には自国の国益あるいは自分の国に対する脅威についての情報を求めている。それこそが帰結するところである。よって、自国について悪く言っている団体や評論家、政治家などがいれば、その団体や人物の背後関係を調べるのは当然のことだ。

 

・彼らも人に会う際には、プレゼントを渡したり、少額の現金を渡しているが、それらは外交機密費から出ている。警察庁出身だろうが、公安調査庁だろうが、外務省に身分を置き換えてから外国に赴任するので、活動の費用は外国機密費から出ることになる。どれだけの金銭を使えるかについては、その在外公館の大使が決済する。

 

日本を食い荒らすスパイたち

スパイが入国する際は申告制

・スパイは本当に日本各地で活動している。スパイは基本的に、人目につかないように動き、隠密に仕事をする。これはあまり知られていないことだが、日本政府は、日本に暮らす外国人スパイの存在をある程度、把握している。その理由は、国際的なインテリジェンスコミュニティ(諜報分野)には、通告のルール(外交儀礼)というものが存在するからだ。そのルールでは、日本に大使館などを置いて情報機関員を派遣している国々が余計なトラブルに巻き込まれないよう、日本に赴任している情報機関職員を外務省に伝えることになっている。外国人の情報機関員は、外交官の肩書で大使館に属しながらスパイ活動をすることが多い。

 外務省の中でも、この情報の管理を担当しているのは「儀典官室」(プロトコール・オフィス)だけである。

 

・外務省以外でこの情報を知ることができるのは、警察庁と、日本にある150カ国以上の大使館の連絡を担当する警視庁の担当部署だけだ。私はそこの班長だったので、それを知る立場にあった。

 

・意外に思うかもしれないが、実はロシアですら、この通告を行っている。もちろん、逆に日本もロシア政府にロシア大使館や領事館にいる警察庁公安調査庁の職員の名前や所属などを通告している。

 

外務省が把握できないスパイは大量にいる

・国外の担当者は、国外でさまざまな情報収集を行い、自分の国にとって有害な活動をする組織や個人を調査する。さらには、自国が有利になるような影響工作や世論操作、国によっては破壊・暗殺工作も行う。彼らは対外情報機関と呼ばれる。

 一方で、国内の担当者は、国内に入ってくるスパイの情報を収集し、取り締まりをする「防諜」活動を行う。日本では公安関係の組織が担うが、多くの国でも捜査権や逮捕権を持つ法執行機関である警察やその他の機関が主導的に行っている。

 

・情報機関員たちは、さらに日本国内でスパイ活動を行うための協力者をリクルートする。そうした協力者も、いわゆるスパイということになる。

 

・ところがある日、このS国人はいつもと違う動きを見せた。「点検」である。点検とは、スパイや防諜担当者から尾行されていないかを確認する作業のことを指す。点検によって尾行されているかもしれないと察した場合は「消毒」をするのである。消毒とは、尾行を撒くことだ。

 

CIA支部長が断言「日本はスパイが活動しやすい国」

外事警察だった私としてはあまり認めたくはないが、やはり日本はスパイ天国だと言わざるを得ない

 

・中国の北京や上海では、スパイは自由に動きにくい。なぜなら、中国で監視対象になってしまえば、公安機関を動員して、入国情報から宿泊先、予約したレストランなどすべての情報がチェックされ、丸裸になってしまう。

 

繰り返し述べてきたことだが、日本には国内でのスパイ活動を防止する法律がない

 

・カナダもスパイに対して緩い国だ。カナダは、アメリカやイギリス、オーストラリア、ニュージーランドと情報共有のためのスパイ同盟「ファイブ・アイズ(UKUSA協定)」のメンバーである。しかしながら、その5カ国の中でも最もスパイに対して甘い。

 

尾行・盗聴・ハッキング………スパイ活動の実態

・では、どんな情報を集めているのか。世界第3位の経済大国である日本を例にとると、日本の半導体や通信などの最先端のハイテク技術や、それ以外で日本が他国よりも先を行く分野の技術だったりする。

 

アジア諸国でも、在日大使館に情報機関員を置いている国はある。彼らは日本を敵対的には見ていないが、彼らが注視しているのは、日本に暮らす自国民の動向や自国民が集まるコミュニティの情報だ。自国で反政府活動をしているグループや人が、日本にいる仲間に日本からもSNSを使ってメッセージを投稿させたりしていれば、その在日の同国人を監視する。

 

・中国や韓国といった国々は、北朝鮮とは違って、外交に影響が大きい日本の政治情報をターゲットにして、情報収集や影響工作をしている。

 

・国によっては、情報収集以上の工作に力を入れている場合もある。その典型的な例は、北朝鮮だ。北朝鮮は1970年代から80年代には、最高指導者だった金日成がいざ革命の指令を出した時に、日本で一気に蜂起するような体制を作っておくという目的があった。現在では、日本の技術を盗んだり、お金を稼ぐことにかなり力を入れている。日本を通して外貨を稼ごうと目論んで活動している。

 

集めた情報は秘密の通信手段で自国に送る

・さまざまに集められた情報は、自国に伝えるためにまとめられる。情報収集や工作を行うだけがスパイの仕事ではない。集まった情報をリポートとしてまとめていくデスクワークもスパイの重要な仕事のひとつなのである。まとめられた情報は、自国の安全保障対策や政治決定の材料として活かされることとなる。

 各国の情報機関は、独自の通信手段を持っている。

 

中華料理屋の店主・クリーニング屋…スパイの協力者たち

・日本におけるスパイたちの活動は情報収集や工作活動など多岐にわたるが、その中でもスパイたちがまずする大事な仕事は協力者の獲得と維持だ。

 例えば中国なら、情報機関から派遣されているスパイは、メッセンジャー(伝達相当)やリエゾン(連絡担当)のような役割の人を抱えており、そうした人たちを動かしながら活動している。

 

・中国は、江東区にある教育処と呼ばれる大使館の関連施設で、莫大なデータベースを作っているとされる。そこには、現役の留学生だけでなく、これまで日本に留学した人たちの個人データが記録されている。

 

・中国スパイなら、ある大手電子機器会社の技術が欲しいとなれば、ターゲットの企業に中国人がいないかを調べる。

 

日本でも起きる暗殺事件

・いうまでもないが、日本の情報機関が殺しをすることは絶対にない。警察ではそもそも違法はしないことを前提に捜査活動をしている。

 

・2006年、ロシア人のアレクサンドル・リトビネンコが、イギリスで放射性物質ポロニウム210で暗殺された。

 

ロシアは、ウクライナ侵攻後も、現在進行形で暗殺工作を行っているといわれている。では世界で最も有名な情報機関のCIAも、暗殺は行うのか。私の見方では地域や、時と場合によっては実行する可能性もあるだろう。

 

恵比寿駅と大塚駅で尾行を撒くロシアスパイ

・日本に情報機関員を送り込んでいる国で、在日スパイ数が多い国といえばロシアが挙げられる。ロシアは3つの情報機関からスパイを送り込んでいる。大使館のみならず、総領事館にもいる。さらに民間に紛れているスパイを入れれば、総勢は120人ほどと分析されている。

 

・逆を言うと、ロシアの場合はきちんと訓練を受けたスパイが、自らスパイ活動をしていることがわかる。他の国ならば、自ら動くことはなく、協力者を使って隠密に動くので、消毒をする必要もない。

 

G7広島サミット開催前はスパイが激増

・もちろん、日本のイスラム国家の大使たちとも普段から接触していたので、テロリストやテロに関する不審情報がその時点ではないことは確信していた。

 そうして恩を売ることで、私はシークレット・サービスに貸しを作ることができたわけだ。シークレット・サービスは面白い組織で、そもそも米財務省内の組織であり、歴史的に偽札の情報を収集している。日本では偽札を扱うのは警察庁刑事局だが、偽札造りで知られている北朝鮮も絡んでくるので、外事警察も情報収集活動を行う。

 

CIA/MI6の日本活動

アメリカ】

<住宅ローンのため手当ほしさに危険国に赴任する情報機関員

・世界で最も有名な情報組織といえば、アメリカのCIA(中央情報局)で間違いないだろう。

 

・CIAは、予算の額も職員の数も機密事項であり、公開はされていない。ところが、元CIA職員で内部文書を暴露したスノーデンが明らかにした書類によれば、CIAの予算は約150億ドル(約2兆円)だ。職員の数も2万人を超える大所帯である。

 

・そういう活動は普段から幅広くやっておく必要がある。それが後々、自国の利益となるものだ。例えば、2013年にアルジェリアイスラム系過激派組織が天然ガス精製プラントを占拠して日本人を含む37人が殺害された事件を記憶している人も多いだろう。

 

・この事件では、現地の日本の在外公館がテロ情勢の情報を把握できていなかったと批判された。

 

CIAに協力している日本人は多くいる ⁉

・実際に現場で感じていたCIAのイメージは、とにかくいろいろな情報を大量に持っていることだった。

 

・CIAが求めている情報は、「アメリカに関することならなんでも」である。

 

・日本では、CIAとのやりとりは公式に警察庁が取り仕切っている。

 

CIA幹部は日本政府中枢の人間と会っている

・CIAは日本で、情報収集以外の工作活動もひっそりと行っている。

 

持ち出し不可、目で覚えることしか許されないテロ情報

・米情報機関の機密情報には、トップシークレット(機密)、シークレット(極秘)、コンフィデンシャル(秘)と3段階に分かれている。そうした機密文書のなかには、コピーやメモ、持ち出しができず、見ることしかできない「EyesOnly(アイズ・オンリー)」と指定された書類がある。

 

CIA vs. 北朝鮮サイバー攻撃部隊

・聞くと、ステガノグラフィ北朝鮮スパイが使う通信手口で、パソコン上の画像のなかに情報を埋め込む技術だという。

 

・恐ろしいのは、最初の段階で、CIAは北朝鮮スパイのそんな通信手口も把握しており、それを使って通信していた人物も、日本である程度絞り込んでいたことだ。

 

【イギリス】

リアル007「MI6」

・イギリスの対外情報機関といえば、MI6(SIS=秘密情報部)である。

 

・実は、イギリス政府は1993年まで、MI6の存在そのものを公に認めてこなかった。

 

・MI6の職員数はそう多くない。イギリス政府の発表では、その数は約3600人。

 

・私がアフリカ某国に赴任していた時に見たMI6は活発に活動しているという印象だった。

 

・MI6の日本側の窓口になっているのは、内調と公安調査庁、そして警察庁警備局外事情報部の3つだ。

 

北朝鮮が絡んでいるかもしれない核情報

・アフリカ某国で勤務している際に、MI6やCIAの「情報収集合戦」を垣間見たことがある。十数年前のことだが、アフリカ某国で、原子力施設に絡んだ問題が発生したことがあった。

かつてその国では核開発が行われていた。

 

・日本人としては、何が盗まれたのかということと、日本の懸念国で核開発を行っている北朝鮮がその事件に絡んでいないかどうかを知る必要があった。

 

MI6が一番日本に協力者を忍ばせている ⁉

・私の印象では、MI6は、日本で古い歴史のあるイギリス大使館で、長い時間をかけて培ってきた基盤があるように思えた。日本には戦前から、イギリス関係の企業やイギリス人大学教授がいたので、そこから人脈を広げて協力者との関係も築いている印象だった。日本に長く住んでいる学者や研究者など日本語が堪能なイギリス人を使って情報収集をしていると見ている

 

・イギリスは、昔から世界各地で植民地をたくさん持っていた強みもある。アメリカのように金と人に物を言わせて情報収集活動するのとは違い、歴史的に構築してきた人脈で根づいているという印象を持っている。

 

日本にとって最大の脅威国家 中国・ロシア・北朝鮮

【中国】

日本では数万人規模の中国スパイが活動している

・「スパイ」の数を正確にはじき出すのは無理だ。

 なぜなら、スパイというのは、スパイ行為をしている人のことを指すのか、あるいは、知らず知らず協力している人を指すのか、またそのすべてのことをいうのかによって定義が変わってくるからだ。

 中国スパイは人海戦術を使っていると各国の情報機関から分析されている。つまり、スパイ行為に関わっている人がかなり幅広くいて、その境界も曖昧である。

 

・オーストラリアには2500万人の人口がいて、そこに数千人の中国系スパイがいるという。一方で、日本の人口はオーストラリアの5倍以上になるので、単純計算すると、数万人規模で日本に中国スパイがいることになる。

 中国には、情報機関である国家安全部(MSS)と、国内の公安組織である公安部がある。人民解放軍にも、ヒューミントシギントを担当する部隊がいくつも存在している。

 

在日ウイグル人を密かに弾圧しようとしている

・数年前、私は、日本ウイグル協会の幹部から相談を受けた。新疆ウイグル自治区から逃れてきた協会の会員の親族が、中国に帰国した際に中国当局に身柄を拘束されてしまったという。

 

・中国政府は、ウイグル人の反共的な立場やイスラム教の信仰を理由に、彼らを弾圧してきた。

 

・この事件では、中国政府がウイグル人コミュニティに対する圧力を一層強化していることが浮き彫りになった。そして中国当局は、日本ウイグル協会の会員に接触し、協力を持ちかけた。会員に対して「友達になって協力してくれないか」と提案。

 

中国人留学生にスパイ行為をさせることがある

・中国の情報機関の大きな特徴として、留学生を活用する手法が挙げられる。

 

中国がスパイを潜入させている日本企業は多数ある

・中国がいま、日本で最も欲しい情報は、日本が持つ最先端技術だ。

 

日本の有名女優似の留学生がハニートラップを仕掛ける

・中国は、世論工作を行っている。その最たる例は、政界への工作だ。日本ではかつて、橋本龍太郎元首相が中国人女性のハニートラップに見事に掛かってしまったことがよく知られている。ハニートラップとは、色仕掛けで行う情報活動のことだ。橋本元総理のケースでは、中華人民共和国衛生部の通訳を名乗った女性に橋本氏は篭絡された。それ以外でも、最近になって中国人女性との関係を週刊誌に書かれている自民党参議院議員もいるので、ハニートラップは今も行われていると考えられる

 

・こんな例もある。2007年から営業していた京都の祇園にあった中国人クラブは、中国スパイ活動の拠点となっていた。

 

・日本には、全国各地に、中国人女性によるハニートラップの拠点になっているところがある。

 

秋葉原にある在日中国人を違法に取り締まる「海外警察」

・こうしたスパイ行為に加えて、中国は世界中に「海外警察」を設置して、国外に暮らす中国人に、中国共産党のルールを当てはめ、監視や「摘発行為」を行っている。

 

・中国政府は少なくとも世界30カ国の54カ所に海外警察を作っていると告発されている。日本国内では、秋葉原にあることが確認されている。他に可能性があるのは、福岡、名古屋、神戸、大阪、銀座だといわれている。

 彼らが監視対象にしていたのは、海外で中国人相手に商売をするなどして中国国内の法律を破っているような人たちだ。「自主的に」と言いながら半ば強制的に中国に連れ戻して、罪を償わせるのである。全世界的に直近3年間で数十万人ほどの中国人が帰国させられていることが判明している

 

通信傍受するスパイ拠点が恵比寿にある

・そもそも恵比寿別館は、外交施設として登録されていないため、別館という看板を掲げることは許されていない。

 

・実はこれまでも建物の存在は確認されていたが、管轄警察署である渋谷警察署の外事担当がその施設の関係者にアポを取ろうとしても、いつも担当者が不在で、接触はすべて拒否されてきた。

 

・2012年5月に発覚した「李春光(りしゅんこう)事件」では、在日中国大使館の一等書記官・李春光氏が日本でスパイ活動を行っていたことが明らかになった。

 

中国企業には情報を抜かれている ⁉

アメリカ政府は、2019年に中国のハイテク機器メーカー数社をエンティティリスト(米国商務省が指定した取引制限リスト)に入れ、その後も米政府や企業とビジネスができないように規制強化をしてきた。その理由は、中国製品が個人情報をスパイ行為で吸い上げる恐れがあるからだ。

 

【ロシア】

日本人と見分けがつかないロシアスパイがいる

・現在、ロシアには、KGBの後継組織として3つの情報機関がある。まずはFSB(連邦保安庁)、FSBはKGBの国内情報活動を引き継いだ組織だが、現在ロシアが侵攻しているウクライナなど旧ソ連独立国家共同体(CIS)の監視も引き続き担当している。

 

・ロシアで、アメリカCIAのカウンターパートとなる対外情報機関は、KGBの国外担当部門から引き継いだSVR(対外情報庁)だ。そして軍のスパイ組織として情報活動を担当しているのは、GRU(軍参謀本部情報総局)である。

これらFSB、SVR、GRUは、いずれも日本総局を持っている。

 

・ロシアスパイを把握する際に難しいのは、外交官の身分を持たない事務技術職員がそれぞれの組織に混じっていることだ。

 

・ロシアのスパイというと、東アジア系とは見た目が違うのですぐに外国人であると見分けがつくと思いがちだ。しかし、実は白人系だけではなく、朝鮮系やグルジア系、カザフスタンなどの中央アジア系の血が入ったロシア人もいる。そうなると、見た目では日本人と大差がない人もいるため、一見してロシア人とはわからない。

 

金品を渡して協力者を作っていく

・日本人は、日本国内で暗躍するロシアスパイの実態をほとんど知らない。

 

・そして公安側でも、企業に対するスパイ活動を把握できれば、早い段階で企業に伝えるようになってきている。私の知る限りでも、ロシアのオペレーションは、年間で2つ3つは潰してきた。

 

・2021年、神奈川県警は座間市の元会社社長を逮捕した。過去30年ほど、ロシアスパイに軍事や科学技術関係の資料を渡していた。その対価として受け取った総額は、1000万円以上。

 

・2020年には、40歳代のソフトバンクの元社員がロシア人に営業秘密を渡して報酬を受け取っていた事件が発覚している。

 

狙われた東芝の子会社社員

・さらにこんな話もある。現在、ロシアがウクライナで使用しているミサイル誘導システムには、元をたどれば2005年に日本で発覚したスパイ事件で盗まれた技術が使われている可能性がある。

 

もうひとつ、ロシアスパイの手口として忘れてはいけないのが、人の身分を奪う「背乗(はいの)り」だ。

 

・1995年に発覚した黒羽・ウドヴィン事件だ。1965年頃に福島県で歯科技工士だった黒羽一郎という日本人が失踪した。しかしその後、ロシアスパイが黒羽になりすまして、30年以上にわたって情報収集活動を行っていたことが判明した。

 

・このロシアスパイは、在日米軍の情報をはじめ、日本の半導体技術やカメラのレンズ技術などハイテク知的財産の情報を盗み、手に入れた情報をマイクロフィルム化して空き缶のなかに入れ、人の目につきにくい神社や公園に置いていた。それをウドヴィンが回収していたとされる。スパイが使うこの手法は「デッド・ドロップ・コンタクト」と呼ばれている。

 

・また世間を賑わしたケースでは、2000年に、ロシア大使館のボガチョンコ海軍大佐に内部資料を渡していた海上自衛隊の三佐が自衛隊法違反で逮捕された事件がある。

 

日本のドラマに出演していたロシア人俳優がスパイだった

・ロシアスパイは、実は訓練を受けた外交官の身分を持っているような人たちばかりではない。一般人の身分で、外交官の肩書を持たずに活動しているスパイも少なくない。

 

世界に目を向けると、民間スパイには画家を装っている者もいる

 

・またこれは意外な事実かもしれないが、ロシアンパブにスパイはあまりいない。

 

ロシア大使館は、外国人の要員も置かない。大使館ではよくある公用車のドライバーに現地人を雇うようなこともせず、すべて自国民で固めている。

 

・さらにロシアは、領事もスパイ活動をすることがある。

 

神経剤や放射性物質で暗殺するのが常套手段

ロシアによるウクライナ侵攻では、反ロシア派のロシア人の不審死が相次いでいるが、ロシアが裏切り者を暗殺するのはいまに始まったことではない

 

・海外では、もともとプーチンの仲間だったオリガルヒ(新興財閥)がプーチンを裏切ったことで殺されるケースも多い。

 

・これもニュースにならなかったが、民間企業に勤める中央アジア系ロシア人が撲殺された事件があり、このケースでは警察は、SVRの息がかかった何者かによる犯行かもしれないと一部の捜査員は見ていた。

 

北方領土・夢の国…プーチンは日本にこだわる

ウクライナ侵攻を受けて、スパイ界隈でも驚くような情報が漏れている。侵攻直後の2022年、ウクライナ国防省が、ヨーロッパで活動するFSB所属のスパイ620人のリストを公開したのである。

 

プーチン政権になる前から、ロシアスパイは日本から先端技術を奪おうとしてきた。

 

・日本との国家的な関係でいえば、領土問題がある。北方領土については、プーチン大統領は島を返すつもりはないだろう。

 

ウクライナ侵攻後、日本で見せたロシアスパイの不穏な動き

・従来、ロシアスパイたちは、日本にいるウクライナ人には興味を持っていなかったが、ウクライナ侵攻後はかなり注目している。

 

・また、日本人で人権派活動家や反ロシアのデモに参加するような人はロシアスパイの調査対象になっているので気をつけたほうがいいだろう。

 

北朝鮮

将軍様の命令を待つ部隊「スリーパー」が日本に潜伏している

かつては30万人ほどいたといわれた在日北朝鮮人も、いまでは数万人弱ほどになってしまっている。減ったといっても北朝鮮に帰ったわけではなく、韓国に国籍を変えたり、日本に帰化した人たちが増えたのである。朝鮮総連の運営も苦しくなり、資金だけでなく人材も不足、高齢化も問題で、若者の減少は深刻だとも聞く。

 

・以前なら、在日北朝鮮人は、北朝鮮にいる将軍様のために、日本や韓国で活発なスパイ活動を行った。そういう人たちを「スリーパー」と呼ぶ。

 

・当時、北朝鮮スパイが、同胞の在日北朝鮮人を撲殺するような事件も関西で起きていた。

 

北朝鮮スパイが使ってきた連絡手段として、一定時間に数字だけが流れるラジオ放送がある。

 

日本人のビットコインを盗む北朝鮮ハッカー

北朝鮮スパイはいま、日本をどうみているのか。やはり日本は金を調達する場所であり、脱北者や反体制派の同胞の動向を監視する場所として見ている。

 

北朝鮮にとって、日本での世論作りも重要な工作であることには変わりないが、欧米からの経済制裁で経済は疲弊しており、台所は火の車で、金がとにかく必要なのだろう。

 

・いま、朝鮮学校や大学の関係者も、給料の遅配で副業をしないと食べていけないというくらい、お金は枯渇していると聞く。金の切れ目が縁の切れ目で、在日北朝鮮人は北朝鮮から距離を置こうとしているというが実情である。

 

北朝鮮は以前から、世界でも最も貧しい国のひとつである。もちろん北朝鮮の外交官たちも金は持っていない。そんな事情もあって、ウィーン条約で禁じられている外交官の経済活動を赴任先の国で行うのである。私は、かつて勤務したアフリカ某国で、地元警察から聞いた話によると、同国に大使館を置く北朝鮮の外交官らが、他国に移動する際に使える外交公嚢(こうのう)(外交官用の荷物入れで、機密文書を誰にも見られずに運ぶことができる)を悪用しているという。外交公嚢は入管でチェックされることがないため、酒やタバコ、食材、日用品を運んでアフリカ某国で売り捌き、それで稼いだ金を外交官の生活費に充てたり、平壌に送金したりしていた。アフリカのみならず、東南アジアや南米などでは、拳銃や麻薬など禁制品にまで手を出して荒稼ぎをしていたというから目も当てられない。

 

・また北朝鮮は偽札作りにも関与している。

 

・情報機関の世界では、情報はギブアンドテイク。恩を売っておけば、後でこちらが欲しい情報として返ってくるものだ。結局、その一等書記官は偽札を流通させた張本人だと判明したとFBIから連絡があった。

 

蓮池薫さんを拉致したのは、ある日本人の戸籍を奪った北朝鮮人だった

・日本における北朝鮮の活動といえば、背乗りを思い出す。

日本の外事警察は、潜入捜査はもうやっていない。以前なら、完全に民間人になりきるために、警察をやめて身分偽装をすることはあった。

 

北朝鮮の背乗りで思い出すのは、日本人拉致事件にからむ話だ。1972年に石川県能登半島の羽根海岸から日本に密入国していた北朝鮮スパイのチェ・スンチョルは、東京の台東区山谷で、病気で死にかけていた福島県の小熊和也さんと知り合った。チェは小熊さんに入院費を払うと持ちかけて入院させて、そこで戸籍を奪うことに成功していた。チェは「小熊和也」を名乗って欧州でスパイ工作に従事していたという。そして1978年7月、チェは他の工作員2人と共謀して、新潟県柏崎市蓮池薫さん・祐木子さんのカップルを拉致して、北朝鮮に運んだ。チェは他にも日本人を拉致した可能性が指摘されている。また、チェは別の日本人にも背乗り工作をして、スパイ活動をしていたと見られている。

 

北朝鮮についてもうひとつ触れておきたい。それは欧米による制裁下の不正輸出である。産業スパイと並んで、武器転用が可能な日本の技術が北朝鮮にわたっているとして時々、日本企業が摘発される。

 

日本、スパイ天国からの脱却

日本企業を狙うスパイ退治のため外事警察が本格的に動き出した

・いま日本は対外情報機関を持たず、国内での外国によるスパイ行為を摘発するためのスパイ活動防止法のような法律もない。そんな状況の中でも、少しずつではあるが、変化を見せ始めている。

 

・そのひとつが、2019年から本格的に動き出した経済安全保障である。経済安保の目的は日本の最先端技術が外国で軍事転用されないように防止することである。この流れでスパイ防止法も検討されるだろう。

 

これまで日本は、産業スパイ行為の無法地帯になっていた。その最前線で戦ってきたのが、日本の防諜部隊である外事警察である

 

・だからこそ警察庁は47都道府県の外事警察に指示して、すでに触れたように、アウトリ―チ活動でスパイ事案を紹介して啓蒙することも始めたのである。

 

世界の情報機関との正式窓口が日本にはない

繰り返すが、スパイ防止法のような法律があれば、ここまで見てきたような日本における外国人スパイの活動の被害は、避けられたケースも少なくない。やはりすぐにでも法整備は必要であると、現場で外事警察として働いてきた者として、何度でも言いたい

 だが日本の防諜における問題点はそれ以外にもある。

 例えば、連絡体制の不備だ。日本で諸外国の情報機関とやりとりをする公式な窓口は、警察庁にある。ただこれがうまく機能していない。

 

・大使館や情報関係者ときちんとやりとりをして対応しておくことで、逆に日本の国益につながるような協力が得られることもあるし、情報が得られることもある。

 

・問題は警察庁だけではない。内閣情報調査室セクト主義になり過ぎている印象で、縄張り意識が強い。

 

1990年代~2000年代にイスラム過激派が日本に潜伏していた

・ここで紹介した2つの例は、最悪のシナリオを招く可能性があったケースだ。こうした国家を揺るがしかねない脅威が、常に日本にもあることを忘れてはならない。どちらも、鍵となるのは情報、つまりインテリジェンスである。普段から国内外で情報収集をしておかないと、とんでもない損害を国民が被ることになる。

 インテリジェンスの世界で、日本はどんどん取り残されていくといってもいいかもしれない。

 

日本の諜報レベルを上げるためには、まずは、対外情報機関を設立することから始めないといけない。そのための法整備が必要になる。

 ただそれには相当な時間がかかるだろう

 

そしてそれと並行して、日本で暗躍するスパイを摘発できるような法律も作る必要がある。日本もそろそろ本気になって「スパイ」について考える時ではないだろうか。

 

解説  山田敏弘

・内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)のケースも、背後にはスパイ工作をする中国政府系ハッカー集団がいると、FBIが結論づけている。

 日本にいるスパイをめぐって、事態は深刻度を増しているといえる。しかも本書でも言及がある通り、スパイ活動防止法の制定も対外情報機関の設立も議論にすら至っていない。経済安保対策のみならず、国を挙げたスパイ対策はもはや待ったなしのところまで来ているにもかかわらずである。

 



自衛隊の闇組織』 秘密情報部隊「別班」の正体

石井暁   講談社   2018/10/17

 

 

 

自衛隊の“陽”と“陰”

・度重なる災害派遣での献身的ともいえる活動などにより、東日本大震災翌年の内閣府世論調査自衛隊に対する好感は91.7パーセントに達し、調査を始めた1969年以来最高となった。(中略)しかし、災害派遣自衛隊の一面に過ぎず、その本質があくまでも軍事組織にあることは論を俟たない。さらに言うと、非公然の秘密情報部隊「別班」は、首相、防衛相にも知らせずに海外展開し情報収集活動を行うという、帝国陸軍の“負の遺伝子”を受け継いでいる武力組織なのだ自衛隊には災害派遣に象徴される“陽”の面と、「別班」に象徴される“陰”の面があることを、私たちは忘れてはいけないと思う。

 

おもな任務はスパイ活動

・別班は、中国やヨーロッパなどにダミーの民会会社をつくって別班員を民間人として派遣し、ヒューミントをさせている。有り体に言えば、スパイ活動だ。

 日本国内でも、在日朝鮮人を買収して抱き込み、北朝鮮に入国させて情報を送らせるいっぽう、在日本朝鮮人総聯合会朝鮮総聯)にも情報提供者をつくり、内部で工作活動をさせているという。また、米軍の情報部隊や米中央情報局(CIA)とは、頻繁に情報交換するなど緊密な関係を築き、自ら収集、交換して得た情報は、陸上自衛隊のトップの陸上幕僚長と、防衛省の情報本部長(情報収集・分析分野の責任者)に上げている。

 ではいったい、どのような人物が別班の仕事に従事しているのかというと――陸上自衛隊の調査部(現・指揮通信システム・情報部)や調査隊(現・情報保全隊)、中央地理隊(現・中央情報隊地理情報隊)、中央資料隊(現・中央情報隊基礎情報隊)など情報部門の関係者の中で、突然、連絡が取れなくなる者がいる――それが別班員だというのだ。

 

・「はじめに」でも紹介したように、別班員になると、一切の公的な場には行かないように指示される。表の部分からすべて身を引く事が強制されるわけだ。さらには「年賀状を出すな」「防衛大学校の同期会に行くな」「自宅に表札を出すな」「通勤ルートは毎日変えろ」などと細かく指示される。

 ただし、活動資金は豊富だ。陸上幕僚監部の運用支援・情報部長の指揮下の部隊だが、一切の支出には決裁が不必要。「領収書を要求されたことはない」という。情報提供名目で1回300万円までは自由に使え、資金が不足した場合は、情報本部から提供してもらう。「カネが余ったら、自分たちで飲み食いもした。天国だった」という。

 シビリアン・コントロールとは無縁な存在ともいえる「別班」のメンバーは、前述の通り、全員が陸上自衛隊小平学校の心理戦防護課程の修了者。同課程の同級生は、数人から十数人おり、その首席修了者だけが別班員になれるということを聞いて、すとんと胸に落ちるものがあった(後から、首席でも一定の基準に達していないと採用されないも聞いた)。

 同課程こそ、旧陸軍中野学校の流れをくむ、“スパイ養成所”だからである。

 

中野学校の亡霊

中野学校は1938年7月、旧陸軍の「後方勤務要員養成所」として、東京・九段の愛国婦人会別棟に開校した。謀略、諜報、防諜、宣伝といった、いわゆる「秘密戦」の教育訓練機関として、日露戦争を勝利に導いたとされる伝説の情報将校・明石元二郎大佐の工作活動を目標に“秘密戦士”の養成が行われた。1940年8月に中野学校と正式に改称し、1945年の敗戦で閉校するまでに約2000人の卒業生を輩出したとされる。

 

影の軍隊

・<私は嘘と偽の充満した自衛隊の内幕を報告して先生の力で政治的に解決して頂きたいのでこの手紙を書きます>との書き出しで始まり、<自衛隊にJCIA(筆者註・CIAの日本版)はないと内局の者供がいっていますが、それは嘘です。陸幕二部別班はJCIAです>と暴露。さらに<内島二佐が別班長で、私達24名がその部下になっています。私達はアメリカの陸軍500部隊(情報部隊)と一緒に座間キャンプの中で仕事をしています。全員私服で仕事をしています。仕事の内容は、共産圏諸国の情報を取ること、共産党を始め野党の情報をとることの2つです>という内容だった。

 共産党機関紙「赤旗」はこの手紙の情報に基づき、チームを組んで取材を開始。その連載はのちに『影の軍隊「日本の黒幕」自衛隊秘密グループの巻』としてまとめられた。同書によると、手紙には次のような文章も記されていたという。

<外国の情報は旅行者や外国からの来日者に近づいて金で買収します。日本からの旅行者には事前に金を渡して写真やききたい事を頼みます。(中略)一部は500部隊からも貰います>

 二部班員は官舎にも入れて貰えず、進級や特昇も他の者より不利です。仕事の内容は家族にも言えず毎日が暗い日々です。私達の本部は座間ですが、仕事の事務所は、東京に6ヵ所、大阪に3ヵ所、札幌2ヵ所、福岡1ヵ所です。興信所や法律事務所などの看板を出しています>

金大中事件の元自衛官達も私達と一緒に仕事をしていた連中です>

<私達が国民の税金を多額に使って、国民にかくれてコソコソと仕事をしているのに高級幹部はヤンキーとパーティーで騒いでいます。本当に腹が立ちます。自衛隊を粛清して下さい。私達がここで仕事をしていることは一般の自衛官は幹部でも知りません。長官も陸幕長も知らないと思います。代々の二部長がやっている事でしょう>

 

謎の興信所

・「赤旗」がその存在を炙り出した「影の軍隊」は、いまも存続しているのか。さらには、海外展開と情報収集活動について追及したい――こうした思いを私と共有してくれたのが、勤務する共同通信社会部の防衛庁(当時)担当の後任記者・中村毅だった。

 

・端緒の情報を入手直後、その中村と最初に向かったのが、前述の金大中事件に関与したとされる元3等陸佐・坪山晃三の事務所だった。JR東京駅の八重洲口にほど近い、古びた雑居ビルの一室が、元3等陸佐が所長を務める興信所「ミリオン資料サービスだ」。

 

・取材の準備作業としては完璧だったが、結果的には完敗だった。「さすが元別班員。一筋縄ではいかない」と思った。2時間以上におよぶ長時間インタビューの間、元3等陸佐・坪山はずっと温厚そうな表情を保って冷静に話してくれたが、私たちが本当に聞きたいこと、さらには記事にできそうなことは一切話さなかった。それはそうだろう。初対面の新聞記者の取材にベラベラ口を開くようでは、別班員になれるはずもなかったし、もしなれたとしても途中でクビになってしまうだろう――中村と二人でそう納得するしかなかった。

 

キャンプ座間の看板と小平学校の石碑

・さらに、赤旗取材班が迫った元別班長で元2等陸佐・内島洋が週に5日も通勤していたという米陸軍キャンプ座間の第500部隊について調べると、部隊はその後、米ハワイ州に移駐し、隷下部隊の第441軍事情報部隊が座間に駐留している、とのことだった。

 ところが、2013年3月26日、陸上自衛隊中央即応集団が朝霞駐屯地から、キャンプ座間に移転した際の取材で、新たな発見があった。キャンプ座間内をバスで見学した際、敷地内に「500 MI BRIGADE(第500軍事情報旅団)」と入口に掲げたビルを見つけた。第500部隊の後継部隊が、在日米陸軍司令部のあるキャンプ座間に今も存在していたのだ。それは、米軍と自衛隊の情報をめぐる極めて密接な関係を示していた。

 

・また、陸上自衛隊調査学校(現・小平学校)の対心理情報課程(現・心理戦防護課程)修了者たちのグループで、非常事態に招集され、ゲリラ戦、遊撃戦を戦うことが使命とされる「青桐グループ」について、新たに確認できたことがあった。前述したように、別班とは兄弟のような同じ“影の軍隊”だが、防衛庁防衛省)は一貫して、その存在を否定してきた。

 しかし、私が新聞記事として出稿する直前の2013年春、小平学校関係者に依頼して同校敷地内に「青桐」と書かれた同グループの象徴的な石碑が現存していることを確認、写真撮影してもらった。

 

別班と三島由紀夫の接点

・別班と青桐グループは、金大中事件の約3年前に起きた「三島事件」にも大きく関わっていた。1970年11月25日午前11時ごろ、当時ノーベル文学賞の有力候補とも言われていた三島由紀夫が、民間防衛を目的とした私兵組織「盾の会」の森田必勝らメンバー4人と市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に車で乗り付け、総監の益田兼利に面会後拘束し、幕僚らを斬りつけた上で、三島がバルコニーで演説。自衛官にクーデターを呼びかけた後、三島と森田は割腹自殺した。

 

・三島が1967年4月に初めて自衛隊体験入隊し、翌年10月には「盾の会」メンバーらとともに再び体験入隊してさまざまな訓練を受けていたことは、一部で知られていた。体験入隊先は陸上自衛隊幹部候補生学校、富士学校、第1空挺団、航空自衛隊百里基地などで、精神教育、服務、基本教育、武器訓練、野外勤務、戦術、通信、体育などの一般的な教育訓練を受けた。

 

・しかし実は、三島らは訓練を通じて自衛隊の“最も深い影の部分”も垣間見ていた。前述の旧陸軍中野学校教官から陸上自衛隊に入隊し、当時陸上自衛隊調査学校情報教育課長を務めていた山本舜勝(後に調査学校副校長)は、中野学校元教官で調査学校長などを歴任した藤原岩市の紹介で、三島と面会。山本は調査学校の対心理情報課程と同じような諜報、防諜、謀略の教育訓練を指導するなど、三島と「盾の会」にとって、“主任教官”と言える存在になっていったのだ。

 訓練は、きわめて実戦的な内容だった。有名作家だと誰にもバレないように変装して東京都台東区の山谷地区に潜行する訓練、厳戒態勢の陸上自衛隊東部方面総監部への潜入訓練、チームプレーによる尾行訓練……。調査学校対心理情報課程学生との対抗訓練では、一定の時間内に相手部隊の規模、装備の状況、周辺の環境などを把握する競争をしており、三島および「盾の会」と、別班、青桐グループとの深い関係がうかがえる。

 

・山本は2001年6月に著した『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した事実の告白』の中で、青桐グループについてこう評価している。

<私は、「青桐グループ」であれ、三島の「盾の会」であれ、世界の主要な国家が自らを守り、世界平和を実現するために持っているような不正規軍として確立され、十分にその役割を果たすことになったとしたら、それはむしろ望ましいことであり、日本という国家に安寧をもたらすものであると考えている>

<正規軍に対して、情報活動を担い、暗黙裡の活動をも行うこの部隊が、仮に「影の部隊」と呼ばれたとしても、私はそのことに格別抵抗を感じはしない。今はその状態にはほど遠いが、「いずれそうなるだろう」と言われることを悪いこととは思わない>

 

・三島と「盾の会」の訓練を指導したことについては、次のように書いている。

<三島はある時期から私の指導の下での訓練を受けた。私は三島の考えを知ったときから、その考えに共感し、できればその実現に手を貸したい、と言うより、ともにやっていきたいと考えていた>

<祖国防衛軍の構想が不正規軍の考え方に基づいている以上、私は三島らに調査学校対心理情報課程の学生に対するのと同じ訓練を課さねばならなかった>

 

・別班、青桐グループと同じ内容の教育訓練を受け、民間防衛組織、不正規軍として憲法改正を目指す自衛隊のクーデターに参加することを夢見た三島は、1969年10月21日の「10・21」ベトナム戦争反対国際反戦デーに治安出動が発令され、それを契機に自衛隊がクーデターを起こすことを念願していた。しかし、最後まで治安出動が命令されなかったことに深い絶望を感じた三島は、「三島事件」への道を走り始めていった。

 

非公然組織になった経緯

・「秘密は墓場まで持って行く」ことが、自衛隊情報幹部の鉄則と仄聞していたが、山本舜勝が『自衛隊「影の部隊」』を著して以降、別班の関係者たちが、堰を切ったように次々と自らの経験を語り始めた。

 2008年10月、陸上幕僚監部第2部長(情報部長)で“朝鮮半島問題のエキスパート”と称された塚本勝一は、在ソウル日本大使館で初代の防衛駐在官を務めていた時に発生した「よど号事件」について、自著『自衛隊の情報戦 陸幕第二部長の回想』でその内幕を詳述している。

 

・<調査学校で情報の基本を学び、この分野に興味を示した十数名の要員を陸幕二部の統制下にある部隊に臨時の派遣勤務とし、盲点となっていた情報の穴を埋める業務の訓練にあたらせることとなった。(中略)陸幕第二部は直接、情報資料の収集には当たらないが、情報のサイクルの第三段階、情報資料の処理、その評価と判定をするためには、それに必要な情報資料の収集も行なう。陸幕第二部の要員が部外の人と付き合って話を聞いても、職務から逸脱したことにならない>

<後ろめたいこともなく、ごく当然な施策なのだから、部外の人を相手にする部署を陸幕第二部の正規の班の一つとするべきだったと思う。しかし、教育訓練の一環ということで、予算措置の面から陸幕内の班にできなかったようである。私が陸幕第二部長であったときも、このヒューミントは教育訓練費によっていた。そのためもあり、都内を歩く交通費にもこと欠くありさまであった>(筆者註:私が直接取材した元別班員たちの証言によれば「活動資金は潤沢だった」とのことだが、草創期資金難だったようだ)

 

・松本は著書の中で調査学校の対心理情報課程の創設について次のように説明している。

<調査学校の研究員として情報部隊の構築と教育体系を組み立てていた時代に、同僚の池田二郎は調査学校のカリキュラムの一つに「対心理課程」という名称をつけた。「対心理課程」というのは、実は米軍のグリーンベレーに相当する特殊部隊を育成することを想定した教育課程だった。初期の私たちのイメージでは、自衛隊の中でも精鋭を集めたレンジャー部隊の中から選別し、さらに独立した部隊として、情報収集から特殊工作活動を行うこともできる特殊部隊を養成しようという目的だった>

<彼らは知的ゲームのような「心理戦」を期待していたが、実際に山野や市中に入り込むような特殊部隊の訓練に戸惑っていた>

 

ムサシ機関=小金井機関

・阿尾の著書でムサシ機関長(別班長)だったことを暴露され、(多くのマスコミから電話や手紙による取材攻勢を受け、その対応に苦慮した)平城弘通は、別班の元トップとして(いまさら当時の情報活動のことを機密にしても、かえって誤った事実が歴史に残るのではないか)と考え、2010年9月に『日米秘密情報機関「影の軍隊」ムサシ機関長の告白』を出版した。

 同署には阿尾への強烈な批判も含まれているが、さすがに元トップが著した内容は、別班の創設の経緯や当時の組織構成、所属要員、経理処理、自身の別班長就任のいきさつなどが詳細に書かれており、ここまで紹介してきた他の刊行物に比べても、史料的価値は高い。

 

別班と米軍の関係

そもそも、旧帝国陸軍の“負の遺伝子”を引き継ぐ別班は戦後、なぜ“復活”したのか――。一連の告白本が刊行されるまで、その誕生の経緯は長い間、謎とされてきた。

 しかし、元別班長の平城によれば、1954年ごろ、在日米軍の大規模な撤退後の情報収集活動に危機感を抱いた米軍極東軍司令官のジョン・ハル大将が、自衛隊による秘密情報工作員養成の必要性を訴える書簡を、当時の吉田茂首相に送ったのが、別班設立の発端だという。

 その後、日米間で軍事情報特別訓練(MIST)の協定が締結され、1956年から朝霞の米軍キャンプ・ドレイクで訓練を開始。1961年、日米の合同工作に関する新協定が締結されると、「MIST」から日米合同機関「ムサシ機関」となり、秘密情報員養成訓練から、情報収集組織に生まれ変わった。

 

・ムサシ機関の情報収集活動のターゲットは、おもに共産圏のソ連(当時)、中国、北朝鮮ベトナムなどで、当時はタイ、インドネシアも対象となっていた。平城によると(その後、初歩的活動から逐次、活動を深化させていったが、活動は内地に限定され、国外に直接活動を拡大することはできなかった)という。

 それでは、いつから海外へ展開するようになったのだろうか。

 

ヒューミント部隊一元化>

・幹部経験者の話をもとに取材を進めていくと、情報本部の動きが徐々に掴めてきた。そもそも、情報本部が陸海空3自衛隊ヒューミント活動を見直す契機となったのは、政府が2015年に「国際テロ情報収集ユニット」を発足させたことだった。同ユニットは首相官邸が司令塔となり、テロを未然に防ぐべく情報を集約することを目的としていた。防衛省も要員を出向させているが、活動の実体は情報収集のプロである警察庁と在外公館を抱える外務省が主導する。

 

 

(2021/2/19)

 

『世界のスパイから喰いモノにされる日本』

あなたの生活データを奪うのはこいつらだ!

MI6、CIAの厳秘インテリジェンス

山田敏弘    講談社    2020/1/21

 

 

 

あまりに脆弱な日本のインテリジェンス――なぜ日本にMI6が必要なのか

ロシアは北方領土にファーウェイを

・「国際的に活動するテロリストの動向は、もちろんMI6も注視している。日本での破壊活動がその視野に入ってくることもある。ただ、それ以上に私たちが危惧するのは、中国からのスパイ工作やサイバー攻撃が常に日本を狙っていることだ。さまざまなレベルや広範囲な分野で、中国は欧米や日本と対抗しようとしている

 

・ロシアとも北方領土の問題はくすぶり続けていて、その面当てとしてか、ロシア側はアメリカが同盟国の日本などに排除を申し入れている中国の通信機器大手「華為技術(ファーウェイ)」のインタ―ネットの通信インフラを、わざと北方領土に設置しているとされる。

 このように日本の周辺には、日本国民の生命と財産を脅かす、安全保障の懸案がいくつも存在している。信頼できる対外情報機関がないことで日本が世界から遅れをとっているだけでなく、インテリジェンスによって自国を守るのには弱い体制にあることがわかるだろう。

 

他国は「日本のために」助けてはくれない

・生き馬の目を抜く世界情勢の中で「自国第一主義」が当たり前の各国が、他国から惑わされないように、基本的には独自にリスクを背負って情報を集め、分析しているのである。他力本願では、相手の思うように情報操作されるのが関の山だ。

 

・とはいっても、CIAやMI6といった機関はどれほどのインテリジェンスを持っているというのか。CIAなどは、そこまでいろいろとわかっているのなら、世界中でアメリカの関係するテロ事件があちらこちらで起きているのはなぜなのか。

 率直な筆者のそんな問いに、この元スパイは、「計画を阻止」「テロリストを事前に拘束」といった事実は表に出てこないのがほとんどだと言う。要は食い止めているものが多い、と。

 

歴史的警戒とMI6との親和性

・2016年には、安倍首相の提唱で始まった外交・安全保障の情報機能強化を目指す政府の「情報機能強化検討会議」で「対外情報庁」(日本版CIA)設立案が浮上するも、立ち消えになっている。

 

ところで、日本版CIAの設立が謳われてきた歴史の中で、これまで提案者たちが設立の参考にすべきだと名指ししてきたのは、MI6だった。これまで日本で対外諜報機関を作る志を抱いていた人たちは、なぜMI6を目指そうとしたのか。

 最大の理由は、日本とイギリスにある類似性だ。どちらも島国で皇室(イギリスでは王室)があり、政府のシステム的にも、アメリカのような大統領制よりも、日本と同じ議院内閣制であるイギリスの体制がなじみやすいと考えられているからだ。

 

外務省と警察の綱引き

・ちなみにこうしたインテリジェンスをめぐる日本の動きには、中国や韓国が異常な関心を示す。MI6やCIAを参考にした対外諜報機関の設立を目指していた自民党のインテリジェンス・秘密保全等検討プロジェクトチームの座長だった町村信孝が、講演で対外のスパイ機関の必要性を主張した際も、中国のメディアは極めて敏感に反応している。

 

コンサバで公務員的なスパイたち

・MI6では、9時~5時という仕事のスタイルは存在しない。24時間、任務にあるという感覚だ。

 何があろうが関係ない。プロジェクトを担当しているときは、家に帰ってどうこうって時間はないと言っていい。そのプロジェクトが終わるまで、任務を続けなければならない。休むことはない。日本の情報機関は、思想的にも、守りに入っている感じがする。考え方自体が、公務員的、コンサバティブ。もう一度言うが、それは別に悪いことではない。文化の違いだろう。

 ポジティブな面では、日本国内における情報収集のスキルは高い。それは間違いない。

 

・「本当に国として自立していくのに、諜報機関は不可欠ではないか。本当の使命とは何かということから考えたほうがいいかもしれない

 

・「対外諜報機関がなければ国を守れない。それをしっかりと認識して、CIAのように国民は監視しない、といった法規制を作ればいい。イギリスは、7つの海を制覇し、インテリジェンスで植民地統治をこなしていた。日本もそろそろ自立を考えるべきでしょう。日本が独自のインテリジェンスを駆使できるために、ぜひ日本版MI6を実現してほしい」

 

MI6と日本の交わりと、日本での活動と実態

サイバー嫌がらせにはサイバー嫌がらせ

・国家に何らかの悪影響を与えるものは見逃さない。それがMI6の流儀だ。

「MI6の関係者などに危害を加えるような動きは潰されてしまうだろう。あまりにたちが悪い場合は、『消してしまう』ことだってある。MI6とはそういう組織だ」

 そう、ことによって脅威を物理的に「消し去る」のである。

 

人命軽視のCIA、一見穏やかなMI6

・内調の元関係者は、「私たちはCIAをアメリカの『A』、MI6をブリテンの『B』と呼んで、情報のやりとりをしている。Aは人命を軽く見ている印象です。Bの関係者は日本にはあまりいないと思いますが、いい人が多いですね」と話す。

 

韓国の内情に深く食い込む米英

・「CIAなどもまさにそうだろうが、いろいろな重要情報を日本の情報当局と共有しているというのはあり得ない。北朝鮮、韓国、ロシア、中国、こうした国で起きていることを、CIAはほとんどすべて把握していると言える。それらを日本と情報共有するのは考えられないし、していないだろう」

 

たしかに存在する協力者

・「イギリスは、インテリジェンス活動という意味でアメリカやロシアと競合しており、これらの国ではMI6が超えるインプラントやモール(スパイ)の数は数百人規模になる。MI6が利害を鑑みて、重点的に注意をはらっている国だからだ。

 

ゼロトラスト(けっして信用しない)

・「MI6は外国人にレベル1の信用を与えることはない。レベル1のクリアランス(機密情報にアクセスできる権限)は、外国人には与えられないので、どれだけ頑張ってもレベル2だ。つまり、システム的にも、限られた情報しか外国人には提供しないし、できないことになっている」

 MI6の任務においては、このゼロトラスト・モデルが鍵になっているようだ

 

中朝韓への諜報活動

・喫緊の問題が日本との間にはないからと言って、MI6が日本について情報収集をしないわけではない。この元スパイがいたころは、「香港を拠点にしているスタッフも、中国の政府関係者らや、東京の政府関係者などの会話も傍受していた」という。

 中国やロシア、北朝鮮と韓国など東アジアとその周辺は、世界情勢に影響を及ぼしかねない地域である。そんなことから、MI6も日本を含むこの地域で強い関心を持って情報収集をしている。

 

・最近では日韓関係の情報取集を強化する。東アジアにおいては、北朝鮮という世界を揺さぶる可能性がある国を中心に、隣の韓国国内の動向も注視している。

 

反日傾向が強まる中でスパイ活動が活発に

MI6はさらに、韓国が日本の軍事産業などにかかわる民間企業などに、サイバー攻撃を仕掛けていることもわかっているという。

 

・MI6の元スパイのもとにも、日韓関係については、MI6から最新情報がもたらされていた。

「最近は、日本にいる在日韓国人が、韓国にいろいろな情報をまるでスパイのように送っていることを把握している。以前も多少はあったが、今のようなレベルではなかったと分析されており、最近、日韓関係の悪化にともなって、そうしたスパイのような行為が増えているようだ」

 

・「レーダー照射の事件後、日本の軍事関連の大手企業にはサイバー攻撃がとくに増えている。私たちは、その中に、韓国からの攻撃も含まれていることを把握している」

 

あふれる中国の民間スパイ

・「中国は、旧正月には毎年、年に一度のスパイキャンペーンを行う。旧正月が近くなると、中国の当局者や政府につながっている人たちが、日本など国外に暮らす中国人ビジネスパーソンなどに『帰国の手助けをします』と接触する。旅費を援助するなどと誘惑し、それで国に帰国させたら慎重に情報機関に協力するよう話を持ちかける。国外でのビジネスもうまくいくようにしてやるから、と金銭的にも協力する。しかも悪びれることもなく、大々的にやっている」

 

世界最古の諜報機関

・MI6による日本での活動は歴史的にも記録に残されている。

 そもそも、MI6が設立されたのは1909年。世界で最も古い諜報機関は、ドイツ帝国の台頭という脅威から生まれた。

 

大戦時の日本とのせめぎ合い

・戦時中は、日本の進撃により、香港やシンガポールが陥落した。その際、日本軍はSIS(秘密情報部)のスパイたちも拘禁している。

 一方でこの時期は、日本も国外でのスパイ工作を実施している。

 

対ソ諜報から独自の世界的インテリジェンスに

・戦後は冷戦構造の中、敵はドイツからソ連や東側陣営にシフトして、MI6はそうした国々にからむ情報を集めた。その後MI6はソ連アフガニスタン侵攻、フォークランド紛争などでも暗躍。経済規模が大きくなっていく日本に対しても、MI6の経済部門が日本の産業界についての情報も収集するようになっていった。

 

知られざるMI6の実力と秘密の掟

敵国スパイを「消した」とき

・「もちろん人を殺めることもある。それはエージェンシー(MI6)でも明確な権利として定められている。国を守るためであれば、自分の命を犠牲にしたり、誰かの命を奪ったりということは仕方のないことだ。インテリジェンス・コミュニティでは、そんなことは常識だと言える

 

・MI6スパイには情報機関法に基づいて、国家の利害のためには「違法な活動」が許されているとし、それには「殺傷」も含まれると認めている。

 

イギリス情報局の組織図

・設立から100年以上、歴史の裏舞台で暗躍し、現代でも活躍する最古の諜報機関であるMI6は、いったいどんな組織なのか。基本的にMI6の活動は機密であり、その内情を簡単に知ることはできない。だが内部にいた元スパイなどの証言から、その実像を窺い知ることはできるはずだ。

 

潰された民間スパイ会社

・その転機になった問題のひとつが、2009年に起きたカリブ海に浮かぶイギリス領ケイマン諸島での事件だ。この話は公には知られていないものである。

 当時、MI6のスパイが何人も組織を離れて独立した。しかも3人が中心となって、一緒にケイマン諸島で、民間の諜報組織を作るという。ケイマン諸島といえばタックスヘイブンで知られ、不透明な資金が流入することが国際的にも問題視されている。元スパイたちには、外国の情報機関から多額の資金が提供されており、しかも世界の名だたる諜報機関からも何人もが、その会社に合流していた。

 

・結局、その企業はMI6によって「潰される」という結末になった。超えてはいけないラインを越えて、ビジネスを展開していたからだ。

 

「007」はトップスパイではなかった

・そもそも、MI6ではどれほどの人が働いているのか。MI6には現在、2500人以上が勤務している。

 

相互監視と現地協力者

・特筆すべきは、エージェントの権力が絶大だということだ。彼らはエリザベス女王にもアクセスできる。工作のためなら資金も使い放題だという。

 

・ただ、MI6には、独特のシステムである「ツー・アイド・シーイング」という仕組みがある。エージェントを中心に工作チームを編成する場合、サポートするスタッフの中に必ずエージェントの動きを監視する「ツー・アイド・シーイング」という役割のスタッフが、密かに任命される。「ツー・アイド・シーイング」によって、エージェントの「暴走」や「不穏な動き」を察知しようというのだ。

 

・現地では、インプラント(協力者)がいて、それぞれいろいろなかたちで私たちをサポートしてくれる。

 

恋人との旅行は消されるもとに

・「常に私たちの活動の基盤にあるのは、MI6の職員が共有する、ゼロトラストという考え方だ。つまり、すべて疑ってかかり、誰も信用しないということだ。それが国際情勢の裏にある世界の常識なのだ。インプラントも信用しないし、同僚も信用しないし、そのほかの職員も信用しない。信用はゼロ。それが原則の姿勢だ

 

・でも実態は妻も子供もダメ、特定の恋人も作ってはいけないということになっている。

 

・それでもどうしても結婚したいスパイがいる。ただ、結婚をすれば、エージェントの仕事からは外され、サポートスタッフに回ることになるのだが、その後にエージェントに復帰することは決してない。定義されていないが、そんな原則が存在しているのである。

 

その謎めいたリクルーティング

・エージェントになったとしても、なぜこんな仕事をしているのか、と冷静に自分を見つめなおしてしまう人もいる。そうなると、あっさり辞めてしまうこともある。最初は国のために働く、エキサイティングだと感じていても、しばらくするとそうでもなくなってくる……それはどんな仕事にも当てはまるかもしれないが。

 

なりすましのトレーニン

・「映画などでは、みんなでMI6の美しいオフィスに集まっているというシーンなどがあるが、ありえない。私がいたころは、イギリス国内だけでも100近い『アジト』があった。表向きは大工の店舗だったり、旅行会社のオフィスということもある」

 

・もっともいくらMI6のスパイが優秀であっても、そんなに簡単には、肩書から経歴までも別の人間になりすますことはできないものである。準備不足なら、すぐにボロが出てしまい、工作どころではなくなってしまう。

 そんな間抜けなことが起きないよう、スパイたちは何ヵ月もかけて訓練を行う。

 

ただひたすら待つ

・以前筆者が取材をしたCIAの元幹部も、CIA局員の仕事は、リポートや書類の作成といった作業がかなりのウェイトを占めると述べていた。情報は集めるだけでは意味がない。それを集約して、インテリジェンスとしてまとめてはじめて、価値を持つ。

 リサーチもそうだが、スパイの仕事には忍耐力が必要になると、この元スパイは主張する。

この仕事は忍耐が重要だ。待つことも多いし、監視で、ターゲットを根気よく見ていることも多い。我慢が必要だ

 

サイバー・ウォーフェア

・1996年には、MI6がフランスの高度な原子力潜水艦追跡技術を盗んだことが、1998年には過去10年以上にわたり、ドイツ連邦銀行の幹部をスパイとして運用し、コードネーム「ジェットストリーム」という工作で、ドイツの金融政策から欧州経済の動向を探っていたことが表面化した。

 身辺調査などをする場合でも、平均すると少なくとも2~4ヵ月、長いと2年もかかってしまうこともあるという。

 

ニートラップ

・GCHQ(政府通信本部)の関連組織はMI6とも協力しながら、インターネットのデート系サイトなどを駆使してターゲットと「性的な接触」をし、その後にゆすりや脅しをかけていたという。または「性的な接触」をチラつかせながら、ターゲットの男性を陥れるというケースが多く使われている。いわゆる、「ハニートラップ」である。

 

・ハニートラップとは、女性のスパイなどが色仕掛けで諜報や工作活動を行うことを指す。有名なところでは、イスラエルが進めていた核兵器開発について1986年にイギリスの新聞に暴露した、核技術者のモルデハイ・バヌヌのケースがある。バヌヌは、イギリスでモサドイスラエル諜報特務庁)の女性工作員によるハニートラップに引っかかり、イタリアのローマで逢瀬するという女性の誘いに乗り、同地で拉致された。まさかその女性がモサド工作員だったとは思いもよらなかったことだろう。結局、イスラエルに送られ、裁判の末に反逆罪で有罪となって独房に投獄された。

 おそらく、いまだに判明していないだけで、日本でもイギリスでも数多くのハニートラップのケースがあると考えられる。事実、ライバル国のハニートラップに引っかかり、今もその国に好意的な発言を繰り返している日本人の要人も存在している。

MI6も、そうした色仕掛けの工作は行っている

 

親友の非業の死

・ここまで、MI6の実態を見てきたが、彼らの業務内容は人を相手にした諜報活動であり、いわゆる「ヒューミント」である。

 

退職後の待遇と誘惑

・「CIAなら、辞めた翌日から民間企業で働くことができる。局に報告さえすれば自分が勤めていたことも公にもできるし、履歴書にも自信をもって書くことが可能だ。だがMI6ではそういうわけにはいかない。もちろん履歴書にも、諜報機関にいたことは書いてはいけないことになっている」

 

実在する「Q」

・「Q」は、技術テクノロジー部門のトップのことで、「007」にもよく登場する。このトップは、実際にQと呼ばれているという。

 

世界には多くの諜報機関が存在する。ほぼすべての国が、国外の脅威から自国を守るために、諜報機関を保持している

 

CIAの力と脆さ

年間800億ドルを費やす

・「朝の5時に目を覚ました大統領が新聞・テレビで流れる重要な情報を知らされていないということがないように、と意識しながら情報をまとめている」

 

アメリカには、CIAをはじめ17のインテリジェンス機関が存在する。これらの機関が少なくとも年間800億ドルの予算で、国内外で情報活動を行い、大統領などの政策決定に判断材料を提供する。

 

隠された予算と巨大利

・CIAの予算額や職員の数は、機密事項として公開されてはいない。ただ、元CIAの職員だった内部告発者のスノーデンは、2013年当時のCIAの予算を機密文書から明らかにしている。それによれば、年間の予算は約150億ドルで、職員数は約2万1500人だ。

 

国民の監視が暴走を防ぐ

・「一度この世界に入ったら、けっして後戻りはできない極秘の世界であり、非常に閉鎖された世界だ。そして、一度足を踏み入れたら、まったく違う視点で世界を見ることになる」

 

・CIAのようなスパイ機関は、情報を集め工作を実施するのが任務である。それゆえに、その能力は諸刃の剣でもあり、自国内で「暴走」しかねない。民主主義システムは、その暴走を止める役割を担っているとする。

 

本当の敵は内部監査という矛盾

・「閉鎖された秘密主義の世界での活動とはいえ、欧米の情報機関では、すべてはルールと規制によって管理されている」

 

・「私にとっては敵との闘いではなかったですね。それよりも、内部監査とのやりとりが大変でした。いつも監査部とはやりあっていたのでね。彼らはいろいろと守るべきチェック項目などをこちらに求めてくる」

 

虚々実々の駆け引き

・「表向き、メディアなどでは、アメリカとイギリスはいい関係で、ファイブ・アイズで情報をいつも交換していて仲がいい、と言われている。だが、実態を明かせば、それは完全に嘘だ。諜報機関にはルールがある。非常にシンプルなルールだ」

 

・「それでも基本的にCIAなどにこちらの大事な機密情報を与えることはなかった。CIAももちろん、私たちに対して同じことをしている。情報は共有しない」

 

MI6の痛恨事

・そこでイギリスが送り込んだのが、MI6のエースで「目もくらむばかりの功績を上げて勲章ももらった情報活動の英雄」のフィルビーというわけだが、その彼がソ連の二重スパイだったのである。アメリカ側のMI6に対する不信感が高まったのは当然だ。

 

アメリカとイギリスの間ですら、こうした微妙な関係性が横たわる世界のインテリジェンス・コミュニティの中で、日本がどんな位置付けにあるのか。

ギブ・アンド・テイク」が常識であるインテリジェンスの世界で、日本のようにこちらから提供できる情報が少ない国には、国外の諜報機関からはいったいどんな有益な情報が提供されるのか、はなはだ疑問ではある。

 

暗躍する恐るべき国際スパイ――モサドそして中露へ

強くなる以外選択肢がなかった

・「モサドは、軍事的なインテリジェンスが得意だ。現場からのインテリジェンスを入手するのが非常にうまい。現場に強い。ベストな諜報組織のひとつと認めてもいいだろう」

 

・「強くなる以外、私たちには選択肢がなかった。それに尽きる。壁際に追い詰められ、何らかの対処をしなければならない。そういう状況下では、クリエイティブになって、解決策を見つける必要がある」

 モサドという組織は、わかりやすいほどに目的がはっきりしており、自国の利害のために妥協なく活動してきたスパイ集団だと言える

 

影響力を強めるモサド

・そして、モサドにはモットーとしている聖書の一節がある。

賢明な方向性がないなら、人は倒れる。だが助言者たちがいればそこには安全がある

 国家としてどのように国民を導くのか、また、どのように国民の生命と財産を守るのか。政策を立案したり、国家の方向性を決定するには、物事の本質を知るためのインテリジェンスが欠かせないのである。それが世界の常識である。

 

徴兵制とリクルート

イスラエル軍の人事部門は、すべての若者を入隊前にスクリ―ニングして、チェックする。その際に、秀でた才能のある人材は青田買いをして、軍が学費を負担して専門的な分野で学ばせる。徴兵の時期を変更するようなケースもある。

 そんなかたちで毎年1000人ほどの高校生が選抜されて、軍に入る前に軍の意向で大学などに送られている。

 

徹底した秘密主義

・「モサドを裏切って二重スパイになるという話はあまり聞かない。MI6やCIAなどではそういう事件もあるのだが、モサドのエージェントは忠誠心が強いということだろう」

 

他者の評価は気にしない

・当然ながら、他の機関と同様に、スパイであることはモサドの職員も他言できない。ただ少し前から、モサドOBは、自分が元スパイだったことを話しても許されるようになってきているようだ。

 

サイバーインテリジェンスをリードする中国

・現在、国際的スパイ活動も過渡期にある。デジタル技術の普及により、従来のスパイ工作もかたちを変えつつあるからだ。リスクを伴う尾行といった手段も、サイバー攻撃やハッキングなら相手にばれることなくできてしまう。

 

・中国のMSSは、イギリスで言うなら、国外担当のMI6と、国内担当のMI5、そしてシギント相当のGCHQが一つになった組織である。アメリカなら、CIAと国内を担当するFBIシギントを担当するNSAとが一緒になったようなものである。

 

手玉に取られるトランプ

習近平国家主席は、2015年に国家安全法を制定し、国内の統制を強めたが、そこで実働部隊となるのがこのMSSといった機関ということになっている。政府の機関はすべてMSSに協力することが求められている。

 

世界に浸透する中国スパイ

・さらにここ最近も、中国のスパイ工作が世界中で取り沙汰されている。2018年にはMSSのスパイが、ベルギーで米航空会社から機密情報を盗もうとして逮捕され、アメリカに送致されて起訴されている。

 

2010年ごろから、中国いるCIAの協力者たちが次々と拘束または処刑されていることが問題視されつつある。その背景には、中国側に機密情報を渡していた元CIAの職員がいたことや、CIAが協力者たちとの連絡に使っていた通信システムがハッキングされた件があるという。これにより、CIAの中国における諜報活動が大打撃を受けたとされる。

 

大手メーカーの家電に盗聴器が内蔵

・MSSには外部の協力者も多数いると見られ、その規模など、実態は判明していない。

 MSSはさらに、中国の大手企業とも密な関係を持っているとされる。そんなことから、中国が誇る国際企業を、アメリカ政府は次々と「ブラックリスト」に加えてアメリカや同盟国とビジネスをできないように動いている。その背景にあるのも、中国が民間企業を使ってスパイ行為をしているとの懸念だ。

 

米中スパイ戦争が本格化

・2015年までに、中国のサイバー分野を中心的に担っていた人民解放軍のサイバー部門で、組織の再編がはじまった。政府は人民解放軍戦略支援部隊(SSF)を創設し、サイバースパイ工作から対外プロパガンダ、破壊工作まで、中国のサイバー戦略を包括的に取りまとめることになっている。その組織の規模は数百万人に及ぶともされる。当然、MSSなどとも密に関与していると見られている。

 とてつもなく大きな組織を構築し、中国はさらに機能的に諜報活動やサイバー工作を繰り広げている。しして、そのレベルはMI6やCIAすらも凌駕するものになる懸念がある。

 

日本を襲うデジタル時代のサイバーインテリジェンス

天気予報アプリで機密情報を送信

・ライクルは、週に一度、CIAに情報を送信していたという。驚くのは、その送信方法だった。

 このスパイは、自分のパソコンに暗号化できるプログラムをわからないように入れていた。そして天気予報のアプリを起動し、ニューヨークの天候を検索すると、その暗号化プログラムが起動して、データを送信できるようになっていたという。その対価として、2年間で数回オーストリアに赴いて9万5000ドルの現金を受け取っていた。

 

すべての生活情報がデータ化

・「すべての諜報機関がインターネットを駆使し、サイバー攻撃などを自在に扱いながら、情報活動を行っている。情報収集には非常に効果的な道具だ。情報を集めたり、ターゲットとして監視したり、行動を妨害するなど、すべてがサイバー空間でできる時代になっているからだ」

 

ウェラブルデバイスの罠

・だが、すべてが接続される便利な世界には、当然のように危険性もついてくる。そうしたデータが悪用されるリスクだ。強盗も、空き巣をするよりも、デジタルデバイスにハッキングしたり、サイバー攻撃を仕掛けるほうがリスクは低いし、効率がいいということになる。タンスよりも、スマホにカネはある。

 そしてそうした情報を使いたいのは、犯罪者だけではない。諜報機関も同じだ

 

・世界がデジタル化・ネットワーク化されることで、スパイの活動の幅が広がっている。以前よりスパイ活動が摘発されるリスクは減るが、一方で、デジタルツールで監視される危険が増している。つまり、スパイ活動は新たな次元に入っているのである。

 

標的はアメリカ、日本、台湾

・「諜報機関にとって、サイバー工作やサイバー攻撃は、ターゲットに対する情報収集やスパイ行為、監視など、最高度に重要な要素となりつつある。

 とくに中国はここ3年で、日本の当局の動きや、国の政策などに非常に興味を持って動いている。それだけではない。交通やエネルギー、テクノロジー、工場など、そうしたインフラの情報を手にしようと激しい諜報活動を仕掛けている。ビジネスや金融、通商情報をも手に入れようとしており、ローカルな地方の中小零細企業にもその手を伸ばしている。日本企業は中国から常に狙われている。この認識は、欧米の諜報機関はみな共有していることだ」

 

・情報機関がサイバースパイ勢力として最注目しているのは、中国のスパイ活動だ。そのサイバー攻撃で中心的な役割を担っているのが、人民解放軍戦略支援部隊(SSF)に属するサイバー・コー(サイバー攻撃部隊)である。彼らは、国家安全部(MSS)ともつながっている

 

・「日本は今、中国からの攻撃では、世界でもトップに入るターゲット国です。非常にリスクの高い国と見ています。しっかりとそれを認識しておく必要がありますね」

 

・「2020年の東京五輪は、中国にとっても重要なイベントとなるでしょう。そこでもおそらく、日本の失態を促すような動きをする可能性が高いと見ていいです。国としての日本の信用度を落とすまたとない機会ですから

 

「中国はハッキングさせるためのインフラをかなり十分に、国に仕えるハッカーらに与えている。人も育成している。だからこそ、彼らのサイバー攻撃能力は高くなっており、サイバー空間での情報戦をよく理解している。私から見れば、中国は今、世界でもトップクラスのサイバー・ウォーフェア(戦争)能力を持つ国だ。彼らはアメリカとも渡り歩いている」

 

韓国系アプリの罠

実は、韓国も同様の攻撃を日本に仕掛けていることはあまり知られていない。日韓関係が今のように悪化する前から、韓国系ハッカーらによる、日本企業を狙ったサイバー工作は起きていた。

 

・「韓国がらみのハッカーが日本の化粧品会社をターゲットにしている。日本の化粧品はアジアを中心に高い人気を誇っており、その製造方法などを盗みだすなどして模倣し、安価に別ブランドにして売るのだ。これは未確認だが、中国のハッカーも日本の美容業界をターゲットにしているとの話も聞く」

 

・もうひとつ不穏な動きは、韓国政府や、韓国の情報機関である国家情報院の関係者たちが、スマートフォンで使われる韓国系アプリなどを使っている日本人や企業の情報をかなりつかんでいるとうそぶいていることだ。

 

キャッシュレス決済に潜む謀略

・最近あまりにメッセージングアプリなどが普及し、私たちの生活に深く入り込んでいるために、そこを狙う人がいるのは想像に難くない。

 

・日本ではコンビニ最大手セブンーイレブンが、モバイル決済サービスを開始してすぐにサイバー攻撃を受け、あっという間に撤退を発表することになったが、こうした金融取引に絡んだ個人情報が集まるサービスは、どうしてもサイバー工作の対象になりやすいと欧米では見られている

 

・事実、日本のキャッシュレス決済サービスのアプリなどが、中国系のハッカーに狙われているとの情報も筆者には入っている。しかもそれは、犯罪者がカネや商品を騙し取ろうとする行為ではなく、日本のキャッシュレス決済の信用度に傷をつけるためのスパイ工作だというのである。

 

東京五輪を狙っているのはどの国か

・さらに注視すべき国がもう一つある。北朝鮮だ。国連によれば、北朝鮮ハッカーたちはここ3年間で最大20億ドルを、世界各地の金融機関や仮想通貨交換所から違法に盗み出している。

 

北朝鮮のスパイ工作は金銭的な動機が背景にあることが多い。前出の英語圏の元ハッカーは、北朝鮮の次の大きなターゲットのひとつに東京五輪があると指摘する。東京五輪を狙っているのは中国だけではないということだ。

 

あろうことか、とあるクレジットカードのサービスなどを提供する日本企業では、サービスに使われるプログラムのソースコード北朝鮮ハッカーにまるまる盗まれてしまっていることも指摘されている。このように、サイバー空間では、スパイ工作から破壊工作、産業スパイ行為などが繰り広げられているのである。

 

東京五輪といえば、こんな懸念もある。ロシアの諜報機関であるSVRやGRUが世界でサイバースパイ工作を繰り広げているのはすでに説明した。彼らはスポーツの国際的なイベントでもサイバー工作を実施していることが確認されており、2018年の韓国・平昌冬季五輪ではロシアはドーピング問題で国として出場できなかったことの報復として、五輪の公式サイトやアプリにサイバー工作を実施し、チケット発給やWi-Fi設備などに不具合を起こした。また、五輪でITシステムを担当した企業にも、大会前からサイバー工作が行われていたという。

 

・ロシアのスパイ機関が報復として東京五輪に対する工作を実施する可能性は高くなっている。いや、攻撃されることを前提に警戒すべきところまで事態はひっ迫しているのである。

 

消防車を持たない消防庁

日本には対外情報機関がないばかりか、国内外で情報活動をできるサイバー工作組織も存在しない。今、日本では、内閣官房の内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)がサイバーセキュリティ対策を仕切っている。ただこの組織には実働部隊がなく、省庁間や業界団体にサイバーセキュリティ関連の情報を提供することが主な業務であり、専門家の中には、「消防車を持たない消防庁」と揶揄する向きもある。

 

結局、民間企業や個人は自分たちで、中国のように巧妙な国家的サイバー攻撃を仕掛けてくる国家に、対応しなければいけないという状況にある。警察当局はといえば、サイバー攻撃を受ければ捜査はしてくれるが、守ってはくれない。

 

・日本の在日米空軍横田基地で働いていたスノーデンが、日本のインフラにマルウェア悪意ある不正プログラム)を埋め込んだと暴露しているように、アメリカは日本相手でも、有事に備えてサイバー攻撃の準備をしているのである。

 

これからの国際諜報戦におけるサイバー工作の重要度は、世界中でさらに増していくことだろう。中国のMSSにつながるSSF、アメリカのCIAと凄腕ハッカーを抱えるNSA、イギリスのMI6とGCHQ、イスラエルモサドと軍の8200部隊、そしてロシアのSVRとFSB、GRU、こうした組織が、世界の裏側で暗躍し、諜報工作やサイバー攻撃を繰り広げている。

 

・選挙だろうがテロだろうが、世界的なスポーツイベントだろうが、各国はサイバー工作を駆使しながら、自分たちの利害を追求している。それこそが、現在の、もう一つの世界情勢の姿である。

 対外情報機関も、国境を越えて動けるサイバー部隊も持たない日本は、これからの時代に本当に世界と伍していけるのだろうか。一刻も早く、その問いについて真剣に検討し、何をすべきかを議論すべきなのである。性善説は通用しない。

 

・「MI6の職員が共有する、ゼロトラストという考え方がある。つまり、すべて疑ってかかり、誰も信用しないということだ。それが国際情勢の裏にある世界の常識なのだ

 

 

 

『核拡散時代に日本が生き延びる道』

独自の核抑止力の必要性

元陸将補 矢野義昭    勉誠出版   2020/3/31

 

 

 

日米などが配備しているMD(ミサイル防衛)システムも万全ではなくなってきている

保有は最も安く確実な抑止力

反日中朝の核脅威は高まり、米国の核の傘は破れ傘になった。

祈りや願いだけでは独裁国に屈するしかない。独裁に屈すれば、悲惨なウイグルの二の舞になる。日本には核保有能力が十分ある。核に代替手段はなく、米国も黙認するだろう。

護るか、屈するか、決めるのは国民だ!

 

・最終的に日本独自の核抑止力の必要性と可能性、その保有のあり方について論じている。

 

核恫喝の脅威

核恫喝は何度も使われてきた

国際司法裁判所は、1996年に「核兵器による威嚇または使用の合法性に関する勧告的意見」において、「核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の規則(中略)に一般的には違反するであろう」としながらも、「国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況における、核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて裁判所は最終的な結論を下すことができない」としている。

 

・しかし現実には、以下のような、核恫喝が使用されてきた歴史的な事例がある。その意味では、核兵器は使い道のない兵器ではない。相手国にギリギリの対決の場で、政治的要求を受け入れさせるための効果的な手段として活用されてきたことは、史実が立証している。

 

①  米国のトルーマン大統領は朝鮮戦争中に記者会見で、「何か特別な物を注意深く扱う」と表明し、核使用を示唆して恫喝を加えている。

 

②  米国は1954年、ベトナムディエンビエンフーでの戦いで敗れた仏軍の撤退を掩護するため、ベトミン軍に対し、核恫喝を加えようとした。

 

③  米国のアイゼンハワー大統領とダレス国務長官は、1955年の台湾海峡危機に際して、金門・馬祖を奪取するために上陸作戦を準備していた中国に対し警告するため、戦術核兵器の使用について議論し、「言葉の上でのあいまいな威嚇を加える」ことを決定した。

 

④  ソ連は、1969年の中ソ国境紛争時、中国に休戦交渉を強要するために、核恫喝を加えた。この時には、中ソの核戦争を恐れ、米国が仲介に動いた。

 

⑤  イスラエルは、1973年の第4次中東戦争時に、エジプト軍によるイスラエル国内への奇襲侵攻を許し、国家存亡の危機に直面した。その際に、イスラエル国防相は、進出したエジプト軍により国家の存続が危うくなることがあれば、いつでも指定された目標に核兵器を使用できるように、核爆弾を搭載した戦闘機と核弾頭を搭載したジェリコ・ミサイルを準備せよとの命令を発したと、外国の報道機関により報じられている。ただし、イスラエルは公式には、核兵器保有しているとも、保有していないとも表明しない、あいまいな戦略をとっている。

 

⑥  中国は、1995~96年の台湾海峡危機時に、96年の中華民国総統選挙での李登輝選出阻止のために、台湾と与那国島の近海に弾道ミサイルを打込み、軍事的威嚇を加えた。

 

⑦  パキスタンは、1999年の印パ間のカーギルでの紛争時に、インド軍の侵攻を阻止するために、パキスタン陸軍のパルヴェーズ・ムシャラフ陸軍参謀総長統合参謀本部議長がシビリアンの指導者にほとんど知らせることもなく、核兵器使用の計画を進めていた。

 

⑧  ロシアは、ジョージアとの紛争、クリミア半島併合やウクライナ危機時にNATO軍を牽制するために、長射程の空対艦核巡航ミサイルを搭載可能な爆撃機や地対地弾道ミサイルの活動を活発化させ、あるいは近傍に進出させるなど、核威嚇を加えている。

 

・以上の史実から見ても、今後も核恫喝が行われる可能性は高い。恫喝に屈することなく国益を守り抜くためには、信頼のできる核抑止力を保持しておかなければならないことは明らかである。

 日本の場合は、自ら相手国に侵攻することは考えられないので、敵対的な核保有国による恫喝を受ける可能性が高い。特に核大国となった中国の挑発や攻撃的行動には注意が必要である。また今後は、北朝鮮や統一朝鮮から核恫喝を受ける可能性にも備えておかねばならないであろう。

 その場合、日米安保体制下では、米国の本格的な軍事介入前に、日本に対して、すでに達成された侵略目的を既成事実として受け入れさせ、日本に対する政治的要求を強要するために、核恫喝が使用される可能性が高い。

 

核恫喝に屈すればどうなるか?――チベットの事例

・核恫喝に屈すれば、相手国の政治的要求(戦争目的)をそのまま受け入れざるを得なくなる。恫喝を加える側から見れば、まさに、『孫子』の言う「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」を地で行くように、最も効率良く、無傷で勝利を得ることになる。

 中国共産党の恫喝に屈して戦争目的あるいは政治目的を達成されるとどうなるかについては、例えば、いまチベット、新疆ウイグル、香港などで起きている事例から推察できる。

 

・結局、約120万人のチベット人が虐殺されたことを、国際司法裁判所は認めており、中国も反論していない。

 

核恫喝に屈すればどうなるか? ――ウィグルの事例

ウイグルでは、ウイグル人の実数は約2千万人と見積もられるが、中国は2015年には1130万人と発表していた。しかし、3年後の2018年には6~7百万人と発表している。その減少した人口4百万人のうち3百万人は強制収容されたとみられる。

 

日本が核恫喝に屈すればどうなるか?

・ひとたび、主権と独立を失い、独裁に屈すれば、警察権さらには軍事権まで失われることになる。

 

・力で反抗を抑圧されれば、結局は、孫子に至るまで主権も独立も民主主義も取り戻すことはできなくなる。固有の文化や伝統、一般住民の権利も失われ、数世代経つと民族としてのアイデンティティは亡くなり同化されるであろう。それが歴史と現在の世界の情勢が示している教訓である。

 

・核を保有した独裁体制の隣国による核恫喝に屈しないためには、確実な核抑止力の保持が必要不可欠である。

 

迫られる日本の自力防衛

・この間、日本は自ら独力で地上戦を数カ月、最小限1カ月半程度は戦い抜かねばならないことになる。このような状況下で、中朝から核恫喝を受けた場合に、上記の米国の核の傘の信頼性低下を踏まえるならば、日本は自らの核抑止力を持たなければ、恫喝に屈するしかなくなる。

 また、核恫喝に屈することが無くても、数カ月に及ぶ長期の国土の地上戦を戦わねばならないとすれば、それに耐えられるマンパワーと装備、それを支える予備役制度が必要不可欠なことも明白である

 そのためには、早期に憲法を改正し、国民に防衛協力義務を課し、世界標準並みの防衛費を配分して、長期持久戦に耐える国防体制を構築しなければならない。それとともに、日本自らの核抑止力保有が必要不可欠になる。

 核抑止力と自力で日本有事を戦い抜く戦力、特に残存力と継戦能力のいずれがなくても、日本の防衛は全うできない。

 

外国人による日本核保有賛成論

北朝鮮は国際制裁や米軍の軍事圧力にもかかわらず、核ミサイルの開発を続けている。

 

・もともと核の傘など存在しないとみるリアリストは、欧米には広く存在する。「自国を守るため以外に、核ミサイルの応酬を決断する指導者はいない」、まして、核戦力バランスが不利な場合は、同盟国のために核報復をすることはありえないと、彼らはみている。

 

日本核保有賛成論――アーサー・ウォロドロンの主張

・日韓の核保有については、欧米の識者からも賛成論が日本国内で報道されるようになった。

 オバマ政権時代から、米国内では日本の核保有については、その是非を巡り議論が出ていた。

 日本の核武装に拒否反応を見せるのは、CSIS(米戦略国際問題研究所)のジェナ・サントロ氏らが主張する「日韓は速やかに核武装する科学的能力を持つ。日韓両国が核武装した場合は同盟を破棄すべき」との強硬論である。もとよりこのような主張は米民主党に多い。

 

・一方、米国では伝統的に、日本の核武装を「奨励」する声も少なくない。ジョン・ボルトン国連大使国際政治学者のケネス・ウォリツ氏らは、「国際秩序安定のために日本は核武装すべきだ」と説く。

 

・米国の最も古い同盟国であり、米国を最もよく知る英国とフランスもこうした考え方を共有している。いずれも核攻撃を受けた際に米国が守ってくれるとは考えていない。

 

・その問題に対する答えは困難だが、極めて明確だ。中国は脅威であり、米国が抑止力を提供するというのは神話で、ミサイル防衛システムだけでは十分でない。日本が安全を守りたいのであれば、英国やフランス、その他の国が保有するような最小限の核抑止力を含む包括的かつ独立した軍事力を開発すべきだ。

 

・以上が、ウォルドロンの主張である。その要点は、中朝の核戦力が高まり、米国が核報復を受ける恐れがあるときに、米国が他国のために核兵器を使うという約束は当てにできないという点にある。

 すでに述べた、現実の核戦力バランスの変化を踏まえるならば、このウォルドロンの主張は、合理的な判断に基づく、日本の立場に立った誠実な勧告ととるべきだろう。

 

日本核保有賛成論――パット・ブキャナンの主張

・「日本と韓国は北朝鮮に対する核抑止力を確保するため、独自に核武装をすることを検討すべきだと主張した」と報じている。

 

・交渉の結果、在韓米軍が削減されるような事態となった場合に備え、日本と韓国は北朝鮮の短・中距離ミサイルの脅威に各自で対抗するため「自前の核抑止力(の整備)を検討すべきだ」と語っている。

 

日本核保有賛成論――エマニュエル・トッドの主張

・「日本は核を持つべきだ」との論文。

「米国はエリートとトランプを支持している大衆に分断され、その影響力は低下している。米朝は互いを信用しておらず交渉は茶番劇であり、米国の核の傘は存在しない」。

「東アジアでも、南シナ海にみられるように米国の影響力は後退している。核の不均衡はそれ自体が国際関係の不安定化を招く」。

「このままいけば、東アジアにおいて、既存の核保有国である中国に加えて、北朝鮮までが核保有国になってしまう。これはあまりにもおかしい」。

「日本の核は東アジア世界に、均衡と平和と安定をもたらすのではないか」。

「こう考えると、もはや日本が核保有を検討しないと言うことはあり得ない」。

核とは戦争の終わりであり、戦争を不可能にするものなのであり、日本を鎖国時代のあり方に近づける」。

 

・このように、トッドは欧州の立場から、米国の国益を離れて客観的に日本が核保有すべき理由を示している。特に「核は例外的な兵器で、これを使用する場合のリスクは極大」であり、ゆえに、「自国防衛以外の目的で使うことはあり得ない。中国や北朝鮮に米国本土を攻撃する能力があるかぎりは、米国が、自国の核を使って日本を護ることは絶対にあり得ない」と断言している点は注目される。

 

・その主張の要点は、核は使用のリスクがあまりに高いため、自国の自衛にしか使えない、核の傘には実体はなく、独自の核抑止力を持つべきだという点にある。

 言い換えれば、生存という死活的国益を守り抜くために、能力があるのなら、どのような国も核保有を目指そうとするのは当然であるという立場を、率直に表明したものと言える。現在の核不拡散を建前とするNPT体制そのものを核保有国の識者自らが否定した発言ともいえる。

 

日本核保有賛成論者の共通点と日本への教訓

・以上の日本核保有賛成論に共通しているのは、以下の諸点である。①米国の力が低下しており、日本に提供しているとされてきた核の傘の信頼性がなくなってきていること、②他方で米国は、北朝鮮や中国の核戦力の向上に対し力により放棄させたり阻止することができなくなっており、交渉では日本に対する北朝鮮や中国の核脅威は解消できないこと、③そうであれば、日本は中朝の核脅威に対し独立を守り地域の安定化をもたらすために、独自の核抑止力を持つべきであるとする、戦略的に合理的な対応策を提唱している点である。

 日本の核保有については、日本人だけの問題ではなく、東アジア引いては世界全体の安定化のためにも、必要とされる状況になっている。日本は既存のNPTの枠組みにとらわれて思考停止するのではなく、どのような核保有のあり方が望ましいかを真剣に考えるべき時に来ている。

 

日本の核保有は可能か?

『成功していた日本の原爆実験』の出版

・その内容の概要は、以下の通りである。

日本は第2次大戦末の1945年8月12日に、北朝鮮興南沖合の小島において、原爆実験に成功していた

 

・米国のジャーナリスト、ロバート・K・ウイルコックスが40年間追求した成果であり、2006年以降、米政府内の機密文書が元CIAや元空軍の分析官によりウイルコックスにもたらされた。

 

・関係者へのインタビュー、日本軍機密暗号電報解読文書など米政府の機密情報に基づき検証した史実を、1次資料の情報源とともに実証的に記述している。

 

理化学研究所仁科芳雄を中心とする日本陸軍のニ計画の成果は、京都帝国大学の荒勝文策を中心とする日本海軍のF計画に継承され終戦まで継続された。

 

大陸を含め約1億円の資金が投入され、海軍は大和級戦艦2隻分の資材を投入した

 

北朝鮮満州には豊富なウラン鉱石と電力源があった。北朝鮮興南には野口遵の大規模な産業基盤が戦前から所在し、核爆弾製造に必要なインフラは終戦直前の興南にはあった。

 

・日本は濃縮ウラン製造用熱拡散分離塔、遠心分離機などの製造に成功していた。

(細部については、ロバート・K・ウィルコックス著、矢野義昭訳『成功していた日本の原爆実験』勉誠出版、2019年を参照)

 

・上記のウイルコックスの書に記された、1945年8月12日の北朝鮮興南沖合の小島で日本が原爆実験に成功していたという事実の信ぴょう性は、本書で立証されているように、極めて高い。もし日本が原爆実験に成功していたのであれば、NPT(核兵器不拡散条約)の規定に基づき、日本は同条約で規定する「核兵器国」としての資格を有することになる。

 すなわち、日本は「1967年1月1日以前に核兵器その他の核爆発装置を製造しかつ爆発させた国」となり、日本は核保有をしても、NPT違反を理由とする国際非難や制裁を受ける国際法上の根拠はなくなるということを意味している。

 

・また、以下の事実も機密資料に基づき立証されている。

 ソ連は大戦末に日本の興南を占領し、日本の各インフラと科学者を奪い核開発を早めた。また、中共朝鮮戦争介入の目的も興南の核インフラ奪取にあった北朝鮮の核インフラも人材を含め日本が戦時中に基盤を創った。蒋介石は1946年から日本人科学者を雇い秘密裏に核開発を始めていた。

 特に史実であることを裏付ける決定的事実は、米軍が朝鮮戦争中、興南に数週間留まっていたことである。米軍はその間に、徹底した現地調査を行い、日本が核爆弾を最終的に組み立てたとする興南の北の山中、古土里の洞窟とその周辺施設を確認している。その調査結果は、本書に記されている。

 その調査の間に、米国は興南沖合の小島とされる爆心地の残留放射能などの確実な核実験の証拠を直接確認できたはずである。その米政府のCIA、米軍の秘密資料に基づき検証された結論が、この書に明記されている。

 例えば、日本の原爆がトリウムとプルトニウムの「混合殻」を使った可能性に言及している。このような、戦後も長らく機密とされてきた特殊な核爆弾の構造にまで言及しているということは、何らかの確証を米側が持っていることを示唆している。

 

現在の日本の核兵器保有能力

・技術的には、米専門家は、現在の日本なら数日で核爆弾の製造が可能と評価している。また、日本の専門家も、技術的には数週から数カ月で可能とみている。その理由については、「費用対効果の面から見た検討」で分析したとおりだが、さらに付言すれば、以下の通り。

①  日本は特に世界で唯一、NPT加盟国の非核国でウラン濃縮とプルトニウム抽出を認められている国であり、濃縮ウランもプルトニウム239も一定量を国内に保有している。

②  核実験なしでもコンピューター・シミュレーションにより核爆弾の設計が可能なコンピューター技術を保有している。

③  核爆弾の原理は周知の知識であり、概念設計はできており、日本の技術力を前提とすれば、詳細設計を行えば部品構造から組み立てまで数週から数カ月で可能とみられる。

④  弾道ミサイルについては、HⅡ-A、HⅡ-Bロケットの補助ブースターをICBMに転用可能であり、核弾頭を搭載し投射する能力もある。

⑤  ミサイルの誘導技術、弾頭の再突入技術は「はやぶさ」などで実証済み。

⑥  通常動力型潜水艦の水準は世界一であり、原潜用小型原子炉の国産技術も保有している。SSBNは、数年で建造できる。

⑦  日本の中小企業を含めた生産技術は世界一であり、設計通りの部品を製造するのは容易。

これらの諸要因を考慮すれば、日本なら数日でもできるとの米国の専門家の見方は、過大評価とは言えず、遅くとも数週間から数カ月以内には、核爆弾の製造は可能とみられる。

 

コスト面と技術的問題は?

・第3章で分析したように、費用対効果の面から見ても、優位性はあり、コスト的にも十分に財政負担にも耐えられる範囲内である。操作要員も少なくて済み、マンパワーも問題はない。ただし、開発に協力し秘密を厳守できる科学技術者とメーカーの確保に制約があるとみられる。

 コストについては、一般的に、放射性物質以外の核爆弾製造のみなら、数千万円とみられる。最も高価なのは、米国の例でも明らかなように、核分裂物質の製造であり、日本の場合はすでに国内に保管されている。

 核弾頭の概念設計は容易であり、さらに詳細設計から製品製造に至るまでの総コストも、以上の条件を前提とすれば、約1億円以内に収まるとみられる。

 また英仏並みのSSBN(弾道ミサイル搭載原潜)4隻の製造・維持運用に必要なコストは、英国の例から見ても、米国の例に基づく分析から見ても、年間約1~2兆円程度とみられる。この程度の増額分なら、財政的にも可能であろう。

 

米国の同盟国日本への期待

・トランプ政権は「米国第一主義」を唱え、NATOや日韓など豊かな同盟国に対しては、自力防衛を期待し、駐留兵力の削減または駐留費の分担増、武器輸入の増大などを要求している。

 また大量の死傷者が出る地上戦については、極力避けて、同盟国の自らの負担とし、米軍はそれを「支援しあるいは補完」することが、イラクやアフガンの作戦でも基本的な方針となっている。

 

・しかし核戦力バランス上、中露との核戦争に発展しかねない直接交戦ができないとすれば、自国を核戦争のリスクにさらして日本に核の傘を提供することはできなくなり、米国としては、日本に独自の核抑止力を持たせることを容認するのが合理的な戦略になるであろう。

 そうすることにより、米軍は日本を盾に、安全にアウトレンジから中露の海空戦力を東シナ海南シナ海で制圧可能になり、オフショアバランシング戦略が遂行できることになる。結果的に、米国地上軍の直接介入は避けられる。

 

日本の核軍縮・不拡散への取り組みは無にしないか?

・こうした軍備拡張競争や兵器の拡散は、国際の平和と安全を損なうことにつながりかねない。無制限に増大した軍備や兵器は、たとえ侵略や武力による威嚇の意図がなくても、他の国の不信感や脅威意識を高め、国際関係を不安定にし、不必要な武力紛争を引き起こすことになりかねない。国連憲章が、第11条で、軍備縮小及び軍備規制を国際の平和と安全に関連する問題として位置付けている理由は主としてここにあろう。

 

・日本の周辺国では核軍備増強が進み、日本が依存していた核大国、米国の核の傘の信頼性が低下していることは、すでに述べたとおりである。

 現在の日本が置かれている状況は、日本が核保有国である「他国からの侵略や武力による威嚇などから、自国を防衛するために、軍備を必要」と感じる「厳然とした事実」がある状況下にあると言える。

 そうであれば、現在の日本の「軍縮・不拡散の取り組み」のもとにおいても、「日本自らが核保有する」ことは、国家安全保障上の合理的な理由があるのであれば、可能であると言える。

 

・従って、核兵器に対する軍縮と徹底した削減を求める運動についても、「とりわけ米露両核超大国の核軍縮の進展を求める声が高い」として、米露の核戦力削減に運動の矛先を向けさせるとともに、米露を後追いする立場の中国自らは制約を受けることなく核軍縮を進めるのを正当化することを企図している。

 

日本は世界中から経済制裁を受けないか?

・これまでの史実から判断すれば、核保有国相互間にも利害の対立があり、日本の核保有にメリットを見出す国が出てくる可能性が高く、日本が核保有したとしても、全面的な制裁や禁輸には至らないとみられる

 中国、イスラエル、インドが核保有を試みていた段階では、フランスが支援をしている。パキスタンに対しては中国が支援している。このように、すべての核保有国が制裁に一様に加わるわけではなく、自国の利益になるとみて支援する国が現れるのが通例である。

 

核拡散によるリスクをどう考えるか?

・理論的には、リアリズムの立場から、核拡散それ自体を是認する、ケネス・ウォルツのような見解もある。すなわち、弱国であっても、残存性のある報復可能な核兵器保有すれば、潜在的な侵略国は物理的にも心理的にも抑止されるという見解である。

 事実、印パ関係を見ても、1998年の印パの核保有以降、翌年にカーギル紛争があったものの、それ以降大規模な紛争は起きていない。

 中東でも第4次中東戦争で、イスラエル、エジプトともに、核戦力を潜在的保有し互いに恫喝を加えたが、それ以降、大規模な通常戦争は起きていない。

 

オフェンシブ・リアリズム

・本書の目的は、日本が「核時代をどう生き延びるか」という視点から、「日本独自の核抑止力の必要性と可能性」を論じることにあった。しかし、独自の核抑止力があれば、それで日本の安全保障、防衛は盤石になるのかと言えば、そうではない。

 

・本書のテーマは、核の脅威や核戦力を背景とする恫喝にどう対処するかという点にあった。その手法としてオフェンシブ・リアリズムの観点から、独自の核抑止力を保持し、相手に報復の脅威を与えることが最も確実でかつ安価な手法であり、日本もその選択を採るべきだというのが、本書の結論である。

 しかし、抑止力の効力には限界がある。余りにも低い烈度の脅威に対して、行使した場合に戦いの烈度が一気に上がることが予想される核による抑止手段は、抑止される側からみた抑止力行使のもっともらしさは低くなる。その結果、核抑止力の効力が機能しにくくなる。

 

そのためには、少なくとも世界標準並みのGDP2%程度の防衛予算を配当し、有事には国民の1%程度が戦える正規軍と予備役からなる通常戦力も必要になる。また、すでにその動きはあるが、サイバー、電磁波、宇宙人などの新空間での戦いへの備えも早急に固めなければならない。情報戦、心理戦などのソフトパワーの戦いや総合国力の戦いについても、国家レベルの対応が必要である。

 ただし、各種の抑止力の中でも、核抑止力の信頼性の問題は、国家安全保障の根幹をなす課題であり、その信頼性を維持することなしには、他の施策をとっても深刻な国家間の国益対立の局面では、相手の要求に屈するしかないという現実は、今後とも変化はない。

 重要性が高まっている、上記の新領域での戦いや平時の戦いも、結局は核戦争まで想定した各段階の抑止力と、その前提となる打撃力、残存報復力を、いかに温存し最大限に発揮するかを狙いとして構築されていると言える。

 

・また、新しいMDシステムも確実に核ミサイルを撃墜できるわけではない。核は1発炸裂しても数十万人以上の被害が出る依然として核の絶大な破壊力に対する確実な抑止手段は、相手に恐怖を抱かせるに足る、核戦力の保持しかないというべきであろう。

 日本には独自の核戦力を保有する必要性があり、その可能性もある。唯一の被爆国として、被爆者の無念の思いに報い、その思いを繰り返させないためにも、独裁国の核恫喝に屈することなく独立と主権を守るためにも、独自の核抑止力保持が必要となっている。それを実現するか否かは、一に日本国民自らの決断にかかっている。

 

 

 

『軍事のリアル』

 冨澤暉    新潮社   2017/11/16

 

 

 

米国安全保障戦略の揺らぎ

・米戦略国際問題研究所(CSIS)シニアアドバイザーのエドワード・ルトワックは、(1)財務省ウォール街は「親中」である、(2)国務省は「親中」と「反中」の間をゆれる、(3)国防総省は「反中」である、と言っている。

 彼は、財務省が「金融」にしか関心を持たず、そのため米製造業が凋落したと非難しつつも「財務省ウォール街と中国は利害共同体になっている」と述べたうえで、国務長官ヒラリー・クリントンはやや「反中」だったが続くケリー長官は「より親中」で、その意味で国務省は「反中」と「親中」を右往左往している、としている。しかし、米海・空軍にとって、中国は少なくとも計画・調達の目的の上では、明らかに将来の「主敵」になっている、と述べている。

 

・では、米国の軍事戦略とは何なのか。考え方はいろいろある。主要なものを以下に列挙してみよう。

  1. 「(1)北朝鮮が残存性のある核能力を持つ可能性を踏まえ抑止力と即応体制を構築すべきである、(2)同盟国・友好国の軍事能力向上を推進すべきである、(3)中国との摩擦低減に努力すべきである」との3つの提言をしている。つまり「米国のアジア・リバランスは北朝鮮対応が主目的であり、全体としては米軍自身ではなく同盟国、友好国に期待し、しかも中国とは敵対しないように」と言っている訳である。
  2. 2010年の米国のQDR(4年毎の戦略見直し)にエア・シー・バトル(ASB)という言葉が現出して以来、日本では「これが米国の新戦略だ」と誤解する人々が増えた。彼らは、その直後にクリントン国務長官が「アジア・リバランス」という言葉を用いたこともあり「これからの米国戦略は対中戦略が全てであり、それが海・空戦略である」と早合点してしまったようである。

 

・あれだけの陸軍軍拡をし、海空軍軍縮をすれば、海空軍の不満が高じるのは当然である。そこで「海空軍には将来に備えて欲しい」と予算のつかない約束として提示されたのが「エア・シー・バトル」だったのである。

 

  1. 「中国が接近阻止・領域拒否(A2AD)をやっているのだから、それに対し日本も中国に対しA2ADをやれば良い、そうすれば日本を隘路の門番にして中国軍を分散させ、米軍はもっと効率的・攻撃的な作戦に集中できる」といい、これを受けて日本でも、南西諸島周辺に自衛隊を配備してそのA2ADを準備しよう、という動きが盛り上がり、既にその一部の準備が進められている。

 

  1. 「オフショア・コントロール戦略」は「同盟国と協力しつつ中国による第1列島線以東、以南の海洋使用を拒否して島嶼を防衛し、その領域を支配しつつ遠くから中国のシーレーンを封鎖して経済消耗戦にもち込む」というものであり、当初から日米韓など南シナ海経由シーレーンを放棄したものであった。

 

・ザック・クーパー研究員は、もっと積極的に日米海軍(自衛隊)が共同して南シナ海での警戒活動をすべきだと提案した。

 

  1. 2つの面白い情報が入ってきた。1つは米国の国家安全保障会議国防総省に対して「大国間の競争」や「中国との競争」という言葉を使用しないようにという指示を出したというものであり、2つ目は米海軍トップの海軍作戦部長が「今後米海軍においてA2ADという用語を使用しないと発表した」というものである。・主なものでも、米軍事戦略にはこれほどのバリエーションがある。何れにせよ、生煮えの米戦略案を追いかけ、それに合った日本の戦略を論ずることは禁物である。

 

オフショア・バランシング戦略とトランプ大統領

・数年前に、米国に潜在する幾つかの軍事戦略案を少し勉強していた。その中に、これまでに述べてきたものとは趣を異にする「オフショア・バランシング」という戦略があった。それは、

 

 

  1. 米国経済発展のため、米国は中国との軍事対立を避け良好な関係を保つ、
  2. しかし、中国軍事力が米国以上のものになるのも困る、
  3. このため、中国に対しては、北のロシア、西のインド、東の日本から、軍事的に牽制させる、
  4. そのため日本にも核兵器を持たせる、
  5. オフ・ショア(沖合)に退いてはいるが所要に応じて戦力投射できる準備はしておく、

 というものであった。

 

・それから数カ月を経て、トランプという米大統領候補が、彼らと概ね同様のことを言っていることを知った。今度は、このネオリアリストたちがトランプ大統領のスタッフたちに、どういう影響を与えるのかを見守って行きたい。

 

・戦後70年の世界は、国際協調(グローバル化)という不可逆な流れの中にあると考えられてきたが、実は今、100年周期の「世界分裂」という、より大きいうねりを迎えられたのかもしれない。

 この状況の中から如何に新しい国際協調を生み出すのか、それとも本当にまたブロック化の時代が来るのならどのブロックに属して生きのびていくのか。国民1人1人が真剣に考えるべき秋(とき)を迎えたようである。

 

ミサイル防衛の限界と民間防衛

北朝鮮による核弾頭ミサイル攻撃に対して、日本のミサイル防衛システムでは対応できないことは、第5章で述べたとおりである。

 そこで日本も、艦艇搭載の非核巡航ミサイルなどにより敵基地を攻撃できるようにしては、という意見が20年も前からある。

 

・ということになれば、本当に核攻撃から身を守るのであれば、日本でも「核シェルター」を準備して国民を守るしかない。「核シェルター」は1次放射線や爆風を避けるだけでなく「核の灰(フォールアウト)」やそこから発せられる2次放射線による被曝を避けるものとして有効である。スイス、イスラエルノルウェーアメリカ、ロシア、イギリス、シンガポールなどでは、50~100%の高率でシェルターが準備されていると聞く。日本では0.02%である。「日本は核兵器を認めていないからシェルターも認めていないのだ」という言い訳は、全く理屈になっていない。

 

・せめて、各都市にある地下街に空気清浄機(濾過器)を設置し、そこに避難した人々が2週間程度暮らせる備蓄食料と上下水道を完備することぐらいは実行して貰いたいのだが、この「民防」を進んで担当する役所は、いまのところ国にも地方自治体にもない。無論、警察も防衛省もそれを担当する余力を持っていない。こうした準備は国民1人1人の意志とその要求によって初めて実現するものである。

 

専守防衛」は軍事的に成り立たない

理念は良いけど、対策は?

・何よりもまず、この戦略の基本理念を「国際協調主義に基づく積極的平和主義」としているところを筆者は高く評価している。

 

・本来、テロ・ゲリラ対策には人手を必要とする。1996年に韓国の江陵というところに北朝鮮特殊部隊員26人が上陸した時、49日間延べ150万人を投入して漸くこれを駆逐したという記録がある。そんなゲリラが日本国内で数チームも出現したら、街のお巡りさんを含む全国29万の警察と14万の陸上自衛隊では如何ともしがたい。特に、全国50数カ所にある原子力発電所の幾つかが同時にゲリラ部隊に襲われたらどうするのか。現職自衛隊員たちは「それは警察の任務で我々のものではありません」と言うしかないが、警察は「十分に対応できます」と言えるのだろうか。

 中国は220万の軍隊の他に150万の武装警察と800万の民兵を持っている。日本のスケールが中国の10分の1だとすれば、15万の武装警察と80万の民兵が要ることになる。しかし、そんな話をする人はどこにもいない。

 つまり、国家安全保障戦略は、看板はよく出来ているが中身は看板に相応しくないものだ、と言わざるを得ないのだ。

 

そもそも専守防衛は成り立つのか

・そもそも「専守防衛」というものは軍事的に成り立たないものである。如何にガードとジャブが上手くても、相手を倒すストレートかフックのパンチを持たないボクサーが勝てないのと同じことである。或いは、一定時間を稼いで全体に寄与する城や要塞はあり得ても、日本のように広正面の国をハリネズミのように守る技術はなく、あったとしても天文学的な金額がかかるのでそれは不可能だということでもある。

 日本が「専守防衛」で何とかやれるのは「自衛隊は盾の役割を担当し、米軍が矛(槍)の役割を果たす」という「日米ガイドライン」による約束があるからである。米国がその約束をとり消した場合には、自衛隊の予算をいくら増やしたところで「専守防衛」の国防はなりたたない、ということを、国民は良く承知しなければならない。

 

世界秩序を支える核兵器

・20世紀前半(1945年まで)には第1次世界大戦と第2次世界大戦という戦争があり、その戦争で5000万~6000万の人が亡くなった。それ以降、ソ連が崩壊する91年までの約45年間は冷戦時代で、米ソ間の国家観決戦はなかったが、朝鮮・ベトナム戦争に代表される代理・局地・制限戦が行われ、結局2000万人強の戦死者を出した(中国文化大革命での犠牲者数は除く)。

 20世紀前半の世界人口は約25億人で後半の人口は約50億人だから、戦死者の比率は前半に比べ後半は約5分の1に減少したといえる。ということは、前半より後半の方がはるかに平和になったということである。

 

・91年以降の約25年間にも各種民族紛争が続いたが、人口の多い国同士の国家間決戦は殆どなく、戦死者総数は前2期に比べ明かに減っている。たとえば戦死者数について、朝鮮戦争での米軍3万4000、中国義勇軍90万、北朝鮮52万、ベトナム戦争での米軍4万6000、韓国5000、ベトナム・ベトコン90万、イラク戦争での米軍など4800、イラク(民間人を含み)15万~65万(65万は誇張と言われているが)という概略数が報告されている。

 

恐ろしい兵器だからこそ平和に資する

・日本では特に「核廃絶」を主張する人々が多いが、本当に世界から核がなくなっても世界に平和は訪れないであろう。なぜなら在来型(通常型)兵器が残るからである。

 在来型兵器はその使用者に「相手を絶滅させても、自分は生き残れる」という可能性を与える。核兵器に比べ在来兵器には「軍事的相互脆弱性」がない。

 

NPTは不平等な秩序ではあるけれど

・インドとパキスタンの核は、両国間の戦争抑止を目的とし、それなりに成果を上げてはいるが、世界秩序(平和)の維持にはそれほど関係がないともいえる。

 北朝鮮の核弾頭の数は定かではないが、金正恩朝鮮労働党委員長が「ミサイルの目標は在日米軍基地だ」と明言したことにより、日本・世界の秩序(平和)破壊に関わるものとなった。

 

日本は核武装すべきではないけれど

・NPT加盟国たる日本が核武装することは、できないしすべきではない、というのが筆者の考えである。軍事は外交の背景として存在するものだから、日本が孤立化し、その外交が成り立たなくなるような軍事措置をとってはいけない。

 しかし、外交が核武装を求める事態になった場合は別である。最大の同盟国たる米国自身が日本核武装を求める事態になった場合は別である。最大の同盟国たる米国自身が日本核武装を公式に要求してきたような時には、国際情勢を良く分析し、国家戦略を再構築し、それに沿った軍事措置をとらねばならない。例えば韓国が核武装した場合などには、諸外国の態度も変わり、国民感情も変わるかもしれない。その時のことは考えておかなければならない。

 

・最大の難問は国民の反対が多く残る中で、核兵器装備化へのロードマップを描ける政治家・学者・官僚が全くいないことだ。仮に米国が豹変し、日本核武装を押し付けようと各種の米国人たちがやってきたとしても、これに協力できる有力な日本人はどこにもいないだろう。

 そうなると核兵器の借用、すなわち「ニュークリアー・シェアリング」はどうか、という話が出てくる。しかし、これはかつてソ連の大戦車軍団が欧州を襲う時、核兵器で止めるしかなく、その場合、投射手段が不足し猫の手も借りたい米軍が欧州各国の航空機などに核弾頭を載せてもらおうという趣旨のものであり、弾薬庫の鍵を米軍が持つこともあり、各国の自主的な核兵器とはいえない。大戦車軍団の侵攻は現在では考えられず、欧州における「ニュークリアー・シェアリング」は今や形骸化していると聞く。同様の施策を日本が取ったとして何の意味があるのか、と議論する必要がある。

 

それでも大事なのは「本腰」

・トランプ米大統領は日本に対し、NATO北大西洋条約機構)並みのGDP2%の軍事支出を求めている。その当否はおくも、それが実現した場合には米国製対空ミサイルを買うことより、陸上自衛隊の足腰を強化することの方がより大切であると筆者は考えている。

 

「徴兵制」と「志願制」

・現在、G7の中に徴兵制をとっている国は1カ国もない。このG7にロシアとEU、更に新興経済国11カ国を加えてG20と称するが、これらの中でなお徴兵制をとっている国は、ロシア、中国、韓国、トルコ、ブラジル、メキシコの6カ国だけである。

 

・ロシアは10年以上も前から志願制に変更したいと言っているが、領土が広いのでなお100万人の軍人定数を維持している。

 

・中国は選抜徴兵制をとっている。13億の人口に対して220万の軍隊だから、1億3000万弱の人口で24万の自衛官を持つ日本と、軍人/人口比はほぼ同じである。中国人は、日本人以上に兵隊になることを嫌っている。「好鉄不打釘、好人不当兵(良い鉄は釘にならない、良い人は兵にならない)」という古い言葉があり、今でも多くの人たちがそう言っているらしい。

 

・「それじゃ、兵隊が集まらなくて困るね」というと、「大丈夫です。貧乏な農村地帯の青年たちが軍隊に入りたがってますから、兵隊が足りなくなることはありません。兵隊は共産党員になる近道で、党員になれれば田舎に帰って郷長(村長)にもなれるから人気があるんです」という、どこまで本当かは分からないが、如何にもありそうな話であった。別の人に聞いたら志願兵を希望するものが多く、その志願兵に合格できなかった者が徴兵枠で採用されるというシステムになっているとのことであった。

 

・韓国は北朝鮮と休戦状態を続けているため、徴兵制を止められずにいる。しかし、大学進学率の向上など若者世代の変化があり、良心的兵役拒否が認められないといった特殊事情も加わって、徴兵上の様々な問題が生起している。

 

・スイスは1648年のウェストファリア条約で独立した小国(現人口842万人)であるが、独立以来永世中立国であり、その中立政策を守るため370年間、徴兵制を続けている。

 

・西ドイツは1955年に志願制のドイツ連邦軍を編成したが、募集に応じる者が少なかったので、やむを得ず1956年に徴兵制を復活させた。

 

・2002年から、ドイツ連邦軍兵士の兵役期間は10カ月から9カ月へと更に短縮された。兵役拒否者の奉仕期間は兵役より長いことが原則だったが、2004年からは兵役期間と同じ9カ月になった。そして2011年6月末をもって、ドイツの徴兵制は終った。

 

イタリア軍1860代から徴兵制度を続けてきたが、2000年に徴兵制廃止を決定、2005年から完全志願制の軍隊となった。

 

・徴兵制は廃止されたが「国家の防衛は共和国市民の神聖な義務である」とする憲法条項は、そのまま残されている。

 

自衛隊は「苦役」なのか

・「日本の徴兵制復活は?」という質問に対し、歴代政府はいつも憲法第18条の「何人も、(中略)犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」を理由に、「憲法違反の徴兵制復活はありえない」と説明する。「苦役」の意味を、囚人たちでも理解しないというこの時代に、何たる言葉を使うのであろうか。自衛官をして「苦役を自ら志願する変わり者」とするこの表現は差別であり許せない。「日本の防衛政策は、徴兵制よりも志願制を求めている」と理路整然と説明するのが政府の責務である。

 

・勿論、「国家間決戦なき時代」が永遠に続くとは言い切れないから、徴兵・志願という政策は固定化すべきものではない。それよりも憲法に固定化すべきは、イタリアのように「国家の防衛は国民の義務である」ということではないか。日本は国民主権の民主主義国家なのだから。

 

 

 

『逆説の軍事論』   平和を支える論理

陸上幕僚長  富澤暉   バジリコ  2015/6/19

    

 

 

<敵地攻撃の難しさ>

・敵地を攻撃するといっても、軍事的な観点から考えると、これは至難の業です。アメリカですら、目標情報が掴めないと嘆いている現状で、日本がどのように独自に目標情報を得るのか。北朝鮮を24時間監視するためには、どれだけの偵察衛星が必要なのか。

 

・さらに攻撃兵器の問題もあります。日本が核兵器保有していれば、敵ミサイル陣地にでも、あるいは平壌のような都市でも効果的な攻撃ができるでしょうが、核はないのだから、攻撃のためには空爆であろうとトマホークのような巡航ミサイルであろうと天文学的な弾量を整備する必要があります。そのための予算をどこまで投入するのでしょうか。しかも、その効果は未知数です。

 

・ここで、従来型の「個別的安全保障」ではなく、「集団(的)安全保障」の枠組みの中で対応を考えることが重要になってくるのです。複雑な民族感情を越えて協力していくためにも、国連軍または多国籍軍という枠組みを活用することが重要になるわけです。

 

<日本の核武装

・政治家の中には、北朝鮮の核実験に対抗して、日本も核武装の議論をすべきだという人がいます。

 

・重要なのは、ただ核兵器の議論をすることではなく、関連するすべての政治・軍事問題を広く、かつ、もれなく検討し、核を持った場合、あるいは持たない場合の外交の在り方や在来兵器による防衛力整備の在り方を議論することなのです。

 

・政治的にいえば、核武装論の裏側には、「中国の軍備増強への対応」や「アメリカに対する日本の自主性確立」という問題が潜んでいます。

 

・一連のシナリオを想定し、それぞれについてシュミュレーションし、備えておく必要があります。

 

<戦車の再評価>

・日本でも、このテロ・ゲリラ対策のため歩兵を増やす必要があるのですが、人件費が高く隊員募集に苦しむ陸上自衛隊の兵員数を増やすことは困難だといわれています。だとすれば、各地方に防災・消防を兼ね情報・警備を担当するかつての「消防団」のような「郷土防衛隊」が必要となりますが、これを組織するのは防衛省自衛隊の仕事ではなく、総務省と各自治体の役割でしょう。

 ともあれ、防衛省自衛隊としては歩兵の戦いを少しでも効率的にするための砲兵・戦車の数を確保する必要があろうかと思われます。

 

・現在、日本へのテロ・ゲリラ攻撃はありません。しかし、仮に朝鮮半島で動乱が起きた場合、日本全国でテロ・ゲリラ攻撃が多発する恐れは十分に考えられます。

 

<その破壊が直接国民生活を脅かす無数の脆弱施設が全国に存在>

・難民を担当するのは入国管理局でしょうが、何万、何十万になるかもしれない難民を日本はどう受け入れるつもりなのでしょうか。まさか、戦時の朝鮮半島に送り返すわけにはいかないでしょう。この人々への対応が悪ければ、混乱も起きるでしょう。収容施設、給食など生活環境の支援、さらには治安維持のために警察、自衛隊は何ができるのか。そうした有事への準備が既にできているとは寡聞にして聞きません。

 

・さらにいえば、こうした事態は全国で分散同時発生するので、とても現在の陸上自衛隊の歩兵では数が足りません。実は、そのわずかな歩兵を支援する兵器として戦車ほど有効な兵器はないのです。

 

<軍事というパラドックス

・さて、軍事とは人間社会固有の概念です。したがって、軍事について考える際には、私たち人間の本質をまずは押さえておかなければなりません。すなわち、「闘争本能」と「闘争回避本能」という人間固有の矛盾した特性です。

 

・一部の例外を除き、人は誰しも死にたくない、殺したくないと思っているはずです。にも関わらず、有史以来人間は日々、せっせと殺し合いをしてきたという現実があります。

 19世紀ロシアの文豪トルストイの代表作に『戦争と平和』という大長編小説がありますが、人類の歴史はまさしく戦争と平和の繰り返しだったといえましょう。どうした天の配剤か、人間はほとんど本能のように闘争を繰り返す一方で、争いを回避し平和な生活を維持するための方法を模索してもきました。

 人は一般に他者からの支配、干渉を好まず、誰しも独立(自立)して自由に生きたいと考えているはずですが、自由とは欲望(利害)と切り離せない概念でもあります。

 そして、そうした人間同士が集まり集団(社会)を形成すると必ず争いが起こり、往々にして生命のやりとりにまで至ることになります。それは、民族や国家といった特定の集団内でもそうだし、集団と集団の間においてもしかりです。

 ただ、人間は他の動物と峻別される高度な知恵を有しています。そして、その地位を使い、自分たちが構成する社会の中に法律、ルール、道徳などによって一定の秩序を設計し、争いを回避する工夫をしてきました。

 

・要するに、21世紀の現在においても、「世界の秩序」と「個々の国家の自由・独立」の関係は、「国家」と「個人」の関係よりはるかに未成熟であり、極めて不安定な状態にあるという他ありません。

 軍事について考えるとき、私たちは好むと好まざるとに関わらず、こうした世界に生きているということを認識することから始めるべきでしょう。

 

・ところで、国内の秩序を維持するための「力」を付与されている組織は一般に警察ですが、国際秩序を維持するための「力」とは100年前までほぼ軍事力のことでした。

 現代世界では、経済力、文化力、あるいはそれらを含めた「渉外機能としての外交力」の比重が高まり、脚光も浴びています。しかし、だからといって軍事力の重要性が低下したわけではありません。

 軍事の在り方は戦前と戦後では異なるし、戦後も米ソ冷戦時代とソ連崩壊後、アメリカにおける9・11同時多発テロ後ではかなり変化しています。ある意味で、世界秩序における軍事の重要度は、以前よりもむしろ高まっているといえます。

 

<「世界中から軍事力を排除すれば平和になるのだ」という単純な論理>

・ひとつ、例をあげてみましょう。つい20年ほど前、ルワンダで10万人以上の人々が鉈や棍棒で殺戮されるという悲惨な民族紛争が起きました。私たちは、この事実をどう理解すればよいのでしょうか。

 

・現実には軍事力こそ戦争の抑止に大きな役割を果たしているというのが私たち人間の世界の実相です。

 

・周知の通り、20世紀は「戦争の世紀」といわれています。世界の人口が25億~30億人であった20世紀前半、2度の世界大戦における死者数は5000万人~6000万人にのぼりました。一方、20世紀後半の戦争、すなわち朝鮮戦争ベトナム戦争をはじめとする「代理・限定・局地戦」と呼ばれる戦争での死者数は3000万人以下とされています。また、その間に世界の人口が60億~70億人に増加したことを考え合わせると、20世紀の前半より後半の方が、はるかに平和になった、ともいえます。

 

・米ソ2極時代、互いが消滅するような核戦争を起こすことは、現実には不可能でした。また、核兵器保有しない国同士による戦争が世界戦争に発展しないよう、米ソ2大軍事大国が、通常兵器の威力をもって抑え込んだことも一定の抑止となりました。

 まことに皮肉なことながら、大量破壊兵器である核兵器の存在が20世紀後半の世界に相対的平和をもたらした要因であることは事実なのです。

 

<いずれにせよ、歴史が教える通り、最も危険なことは無知であることなのです>

・その間、日本政府が宣言した非核三原則にも関わらず、核兵器が持ち込まれていたことも、アメリカの外交文書が公開されたことから明らかになっています。

 以上のような事実から導かれるのは「憲法第9条により軍隊を保有しなかったために日本は平和を享受できた」という説がフィクションだということです。

 

・以上述べてきたことからわかるように、人間の世界において軍事とは平和と不即不離の壮大なパラドックスということができるのではないでしょうか。

 

<軍隊とは、武力の行使と準備により、任務を達成する国家の組織である>

・現実に武力を行使するかどうかではなく、悲惨な歴史的教訓がその背景にあるわけです。現実に武力を行使するかどうかではなく、武力を行使する準備があると相手に理解させることが大切だと考えているのです。

 

<安全保障を成立させる4つの方法>

・脅威に対して価値を守る手段として次にあげるような4つの方法があるように思えます。

  1. 失って困るような価値は最初から持たない
  2. 脅威(敵)をなくす。または敵の力、意志を弱める
  3. 被害を被っても、その被害を最小限に食い止め、回復するための準備をしておく
  4. 脅威(敵)をつくらない。あるいは敵を味方にする

 

・以上、4つの手段を紹介しましたが、これらを見ても、安全保障の設計には外交と軍事両面が重要だとおわかりいただけるはずです。軍事なくして安全保障は成立しませんし、軍事だけでも安全は確保できません。安全保障においては、軍事と外交が両輪となって機能していくということをここでは理解してください。

 

<情報>

<なぜいま「情報」なのか>

大東亜戦争時の帝国陸海軍は「情報」を軽視しそれ故に敗れた、ということがよくいわれます。私もその意見に同意します。確かに、作戦畑しか経験しなかった元帝国陸軍将校の一部に、自衛隊員になってからも「あの情報屋たちの書く情報見積もりなど、30分もあれば俺がひとりで書いてみせる」と言う勇ましい人がいたことは事実です。ですが、このような情報軽視の根本的原因は、このような作戦将校たちにあったのではなく、情報将校をも含む陸海軍全体に、さらにはその背景をなす日本国民全体の中にこそあった、と知らなければなりません。

 

・民主主義世界ではすべての情報を互いに公開すべきだという意見がありますが、「闘いの世界」では秘密保全は極めて重要なことです。それは民主主義世界においても皆さんの個人情報が保全される必要があるということと実は同義なのです。

 正しく説得力のある情報は、作戦担当者の決断を促し、時にはその決断を強要するものでなければなりません。情報は学問の世界における「知識ならぬ知(智)」です。日本では「水と情報は無料」だという誤解がありますが、これらは本来極めて価値ある(高価な)ものであると認識する必要があります。自衛隊が、そして国中が情報の価値を認識した時、情報軽視(蔑視)という悪弊は消え去り、国民もより強靭になることでしょう。

 

機械的情報と人間情報>

・そして、最も上質の人間情報とは、相手の意図を戦わずして我が意図に同化させることなのです。その意味では今、政治的にも「首脳外交」が、そして軍事的には「防衛交流」が、ますます重要になってきているといえるでしょう。

 

<「三戦」時代の情報>

・既に述べたことですが、中国は「今や三戦(心理戦、広報宣伝戦、法律戦)の時代である」と自ら宣言してその「戦い」を推進しています。彼らは、その三戦の背景を為すものとして軍事力を極めて有効に使用します。

 我が国の安全保障分野に従事する者は、その中国の三戦の背景にある軍事力がどのようなものであるかを見抜く情報能力を持たなければなりません。

 

・逆に、自衛隊の軍事力が日本の三戦の背景の一部としてどれだけ効果的なものであるか、それを増強するにはどうすべきか、について国家安全保障局、外務省、財務省に進言しなければなりません。

 すなわち、現代の軍事情報そのものが三戦(心理戦、広報宣伝戦、法律戦)を含んだ戦略分野に移行しつつあるということなのです。

 

<作戦>

<戦略と戦術>

・軍事における作戦は、将校(幹部自衛官)の本業(主特技)だといわれています。しかし、情報を軽視した作戦はあり得ないし、後述する教育・訓練や兵站を無視した作戦もあり得ません。

 

アメリカの存在感の相対的低下、中国の経済力・軍事力の爆発的拡大と覇権的野望、北朝鮮の核保有、韓国の国家レベルでの反日キャンペーン。冷戦後、ほぼ同時期に起こったこうした変化は、当然のことながら日本の安全保障に大きな影響を及ぼさざるを得ません。

 加えて、戦後長らく続いた日本の経済中心戦略は綻びを顕にします。バブル崩はじめとする壊を経て、肝心の経済力の凋落は覆うべくもありません。経済紙誌をはじめとするメディアが日本の状況を「第二の敗戦」と表現してから久しく時が流れました。

 

・いずれにせよ、戦略とは自衛官(軍人)の問題ではなく、政治家、そしてその政治家を選ぶ国民1人ひとりの問題であるということをここでは指摘しておきます。

 

<戦術における基本原則>

・「専守防衛」という言葉は、かつての自衛隊では「戦略守勢」といっていたのですが、1970年頃に中曽根防衛庁長官がつくった『日本の防衛』において「専守防衛」に換えられました。もっとも、この「専守防衛」という言葉をはじめに発明した人は中曽根長官ではなく、意外にも航空自衛隊幹部(一空佐)であったという話です。

 国策を変えるということは戦略を変えるということなので、現職自衛官からは言い出しにくい問題です。しかし、私ども自衛官OBは、「攻撃は一切しない」と誤解されやすく、自衛官という専門家の手足を必要以上に縛りかねないこの「専守防衛」を「専守守勢」という本来の言葉に戻してほしい、と考えています。

 

<日本の戦略>

・日本の戦略は、外交・経済・文化・軍事等の専門家の意見を聞いて、国民の代表たる政治家が決定すべきものです。その意味で、2013年の秋に新組織・国家安全保障会議によって、日本初の「国家安全保障戦略」ができたことは、評価されてもよいと私は考えています。

 

・確かに、現代の日本の脅威は「大量破壊兵器の拡大」と「国際テロ・ゲリラ」なのです。

 

<PKO等海外勤務の増加>

・「後方部隊は後方にいるので安全である」というのは正に神話です。後方兵站部隊は防御力が弱いので、敵方からすれば格好の攻撃目標となります。また後方兵站部隊が叩かれれば戦闘部隊の士気は下がり、戦闘力も確実に落ちます。

 

<装備>

<オールラウンドな装備体系を>

・これらの兵器(装備)は、互いにそれを使わないようにするために存在するのですが、どんな兵器がどこで、いつどのようにつかわれるかは不明です。数量の問題については別途検討する必要がありますが、装備の質はオールラウンド、すべて整えておくというのが正道なのです。

 なお、核兵器による抑止という面についていえば、現実に保有しなくても保有できる能力を持ち続けるということで日本は対応すべきだと私は考えます。

 

<これからの自衛隊

<変化する自衛隊の役割>

・世界情勢の変化に対応して、自衛隊に求められる役割も大きく変化してきています。

繰り返しになりますが、現在の自衛隊が求められている任務は次の3点です。

  1. アメリカ主導の一極秩序を維持するためのバランスウェイト(重石)、あるいはバランサー(釣り合いを取る機能)となること
  2. 各国との共同による世界秩序を崩す勢力の排除
  3. 世界秩序が崩壊した時への準備

 

・しかし、いつの日か最悪の状況下で個別的自衛だけで生き延びなければならなくなった時、最期の頼りとなるのは自衛隊です。そう考えると、何よりも人材の育成と技術開発が重要になります。具体的な兵器を揃えるとか、部隊の編成をどうするかという話よりも、どのような状況にも対応できる人と技術を備えておくことが、防衛力の基礎となるのです。

 日本の防衛力整備を考えると、現在はハードよりもソフトが重要になっています。人材や情報ももちろんそうですが、自衛隊が行動する上での法律や運用規則の整備も必要です。

 

<「自衛」を越えて>

憲法改正をめぐる議論の中で、自衛隊の名称を変更すべきだとする話があります。自民党憲法改正案では「国防軍」となっています。長い間務めた組織ですから、自衛隊の名前には愛着がありますが、私も改称する時期に来ていると思います。

 

陸上自衛隊への期待>

・そして外国からの援助が期待できなくなった時、最も頼りになるのは国産装備です。すべての装備というわけにはいきませんが、本当に基幹となる装備だけは、自前で生産とメンテナンスができる体制をつくっておかなければなりません。こればかりは事態が迫ってから準備を始めても間に合わないので、30年後、50年後を見据え、今から基礎を打っておくことが必要です。

 最後に、すべてを通じて最も重要な事は、第一も第二も第三の役割も、どれをとっても自衛隊だけでは果たし得ないということです。国民・地元民・友軍・ボランティア団体等の絶大な信頼と支援がなければ、自衛隊は何をすることもできないのです。

 

自衛隊は強いのか>

・そこで、「艦艇の総トン数にして海上自衛隊は世界5~7位の海軍、作戦機の機数でいうと航空自衛隊は世界で20位ぐらいの空軍、兵員の総数からし陸上自衛隊は世界で30位前後の陸軍、というのが静的・客観的な評価基準です。真の実力はその基準よりも上とも下ともいえるわけで、想定する戦いの場によって変わってきます」と答えることにしています。

 

・現実に、隊員たちは極めて厳しい訓練に参加しており、安全管理に徹しつつも、残念ながら自衛隊発足時から60年間に1500人(年平均25人)を超える訓練死者(殉職者)を出しています。殉職した隊員たちは、この訓練は危険な厳しい訓練だと承知した上でこれに臨み、亡くなった方々です。

 

・「自衛隊は強いのか」という質問は、実は「国民は強いのか」と言い換えて、国民1人ひとりが自問自答すべきものなのではないか、私はそう考えています。その意味で徴兵制の有無に関わらず、「国民の国防義務」を明記した多くの諸外国憲法は参考になると思います。

 

 

 

自衛隊の情報戦』  陸幕第二部長の回想

塚本勝一  草思社  2008/9

 

 

 

<情報担当>

陸上幕僚監部(陸幕)の第二部(情報担当)長をつとめ、朝鮮半島の問題のエキスパートとして知られる元高級幹部が、ベールに覆われていた活動の実相を初めて明らかにする。

 

・「よど号」ハイジャック事件と「金大中拉致事件」が多くのスぺ―スを占めているが、これは前者は、私が直接体験した事件であり、これを刻銘に追って記録としてとどめ、後者はなんの根拠もなく陸幕第二部が中傷されたことがあり、これまで適切な反論がなかったのでやや詳細に事実を記述した。

 

<これからの防衛省に何が必要か>

<国防力の狙いは「抑止力」>

・国防力の最大の狙いは「抑止力」なのである。だから防衛省などと言わずに「国防省」とし、日本の強い意志を内外に示したほうがよかったであろう。強い意志を示すことが一つの抑止なのである。この自主国防への意識の改革が、まず重要な課題である。

 

イラク派遣の無形の収穫>

・一方でイラクへの自衛隊派遣は、自衛隊自身にとって大きな収穫があった。それは、自衛官一人ひとりが統率の緊要性に目覚めたことであった。平和な状態に馴れた自衛隊は、物質万能の世相を受けて、ややもすれば物品を管理する曹(下士官)が幹部(将校)より力を持つことになった。イラクへの派遣は、この傾向を霧散させた。指揮系統の重要性を体得して、軍(部隊)の統率の本来あるべき姿に帰ったのである。この無形の収穫は、はかり知れないほど大きい。

 

武装集団にとって、士気は重要な要素である>

・私の体験からも、自衛隊は永年にわたって下積みの苦労を味わってきた。当初は「税金泥棒」とすら言われ、その後も日陰の扱いが続いた。それに耐えて黙々と訓練にはげみ、災害派遣では最も厳しい場で任務を果たしてきた。

 

<老兵からのメッセージ>

・当時の日本軍は、第1次世界大戦か日露戦争の頃とあまり変わらない歩兵が主体の軍隊であった。いわゆる「75センチ、114歩」、すなわち歩幅は75センチ、1分間に114歩で行動するしかないということだ。戦後になって米軍がジープという小型の全輪駆動車を、ごく普通に使っているのを見て驚いたものである。

 

・その後、内地の陸軍通信学校に入校し、すでに米英軍ではレーダーが実用化されていることを知った。科学技術の遅れを痛感させられたが、われわれ軍人だけではどうしようもなかった。また陸軍大学校の最後の卒業生の一人として、ほんの少しだけにしろ、終戦当時の大本営の緊迫した空気にも接した。戦後、旧軍人に対する公職追放の解除とともに、警察予備隊に入隊し、創隊当初の苦労も味わった。

 警察予備隊では米軍人が顧問で、最初は旧軍人を完全に排除していたため、米軍のマニュアル(教範)を日系二世が翻訳して訓練していたから、珍談にはこと欠かない。

 

・自分で経験し、または見聞したことを、断片的ながら取り上げ、なんらかの参考になればと記述したものが本書である。「針の穴から天井をのぞく」「九牛の一毛」の謗りは免れないが、あえて世に問うものである。

 

<リーダーシップ。長幼の序、軍紀、科学技術>

終戦間近の陸軍大学校でも科学教育はなされており、われわれは仁科研究所の所員から核兵器の講話を聞いたことがある。原子爆弾についての机上の研究は終わり、製造の予算を請求したが却下されたとのことであった。この戦局ではそんな予算がないし、間に合わないであろうという理由だったそうである。

 そこで仁科研究所は原子爆弾の開発を中止し、殺人光線の研究に切り替えたと語っていた。今に言うレーザー光線のことであろうが、大きな設備で至近距離の小動物を殺傷するのが限界だったようである。またこの研究所には、優秀な朝鮮系の研究者がおり、そのうちの3人が戦後に北朝鮮に渡り、北朝鮮核兵器開発の中堅となったことは、時世の運命としか言いようがない。

 

<「ときすでに遅し」の陸軍中野学校

明治維新における西郷隆盛も、謀略を駆使して無益な戦闘を避けつつ、徳川幕府を倒した。また日露戦争中における明石元二郎大佐(のち大将)の対露工作も著名であった。明石大佐はストックホルムを拠点とし、ロシアの反政府組織を支援し、日露戦争を側面から支えた。この工作資金として百万円支給されたと言われるが、当時の陸軍予算が四千二百万円であったことを思えば、その巨額さには驚かされる。

 

山本五十六連合艦隊司令長官は、開戦に先立ち「1年は暴れて見せる」との言葉を残したが、その後については、「2年、3年となれば、まったく確信が持てない」と率直に述べている。

 

・人の発言の裏を読むことを訓練されている情報屋が山本五十六の発言を耳にすれば、2年目からは自信がない、戦争終結の方策を考えよと言っていることに気がつく。それが情報担当者の習性であり、かつ責務である。ところが当時の情報屋の発言力は弱く、そこまで読んだ人が表に出られなかった。そして、純粋培養された中堅の幕僚のほとんどは、当面の作戦のほかに考えが及ばなかった。これが国を大きく誤らせたと言える。

 

<「南京事件」と宣伝戦の巧拙>

<2年後の南京に「戦場のにおい」なし>

<間違えてはならない住民対策>

・この沖縄戦の例は、軍と国民のあいだに密接な協力関係があっても、なお国内戦では住民対策がむずかしいことを示している。わが国では地上戦がきわめて困難であり、ほとんど不可能であることを実証している。

 専守防衛を攻略するわが国では地上戦ができないとなると、防衛の策はただ一つ、強力な海、空戦力とミサイルによる抑止力に頼らざるを得ないことになる。洋上や領海で侵攻してくる敵をことごとく撃滅する力を誇示するほかはないのである。

 

<つくり出された従軍慰安婦問題>

<旧日本軍に「従軍慰安婦」はない>

<部隊と慰安所の本当の関係>

<広報・宣伝に6割、戦闘に4割>

・以上述べた「南京事件」と慰安婦問題から得られる教訓は、広報の重要性と、もう一つ、軽々しく謝罪してはいけないということであろう。

 

・紛争を引き起こす勢力は、戦闘で勝とうとは思っていない。正面から正規軍とぶつかって勝てるような力を持っていないことが多い。世間を騒がせたり、民衆に恐怖心を抱かせたりするのが目的であり、あるいは相手国のイメージダウンを図ったり、内部で暴動を起こさせたりする。目的を達したり、追えば手を引き、隠れてしまう。

 このような敵に勝つためには、個々の戦闘に対処するだけでなく、広報や宣伝で圧倒してしまうことが重要となる。われに同調する国、民衆を多くして、厄介な敵を孤立させるのである。そのために広報は重要な戦力なのである。

 

<非難を覚悟で「河野談話」の取り消しを>

・広報・宣伝とともに留意しなければならないのは、国際関係では絶対に謝ってはならないことである。謝るにしても、最大は「遺憾に思う」が限度である。

 

・まさか慰安婦問題で、国交断絶までする国はないであろう。しかし、ODA(政府開発援助)を取られ、日本の安保理常任理事国入りをさえぎられた。日本のような人権無視の国に常任理事国の資格はないと言う。これは「河野談話」など出して、こちらが最初に謝ったのが間違いだったのである。

 国際関係では、曖昧な表現がなされれば自分の有利なように解釈する。陳謝すれば、そこで終わりとなり、あらゆる不利な話を押しつけられる。「河野談話」を取り消さないかぎり、日本にとって不利なことばかりが続く。取り消すとなれば、これまた大きな非難を覚悟しなければならないであろう。

 

<「専守防衛」の政略に縛られる>

・現在の自衛隊には、中野学校のような教育機関はないし、謀略、諜報の機能をもつ組織もない。自衛隊は、憲法に基礎がある「専守防衛」との政治戦略の拘束を受けるので、謀略、諜報にはなじまないところがある。

 

<あるべき防衛省の“情報”>

<「人事と予算」二つのネック>

・情報重視と叫ばれて久しい。専守防衛の国だから、ウサギのような大きな耳を持つべきであると語られてきた。ところが、あまり実効はあがっていない。私の経験からすれば、人事と予算という大きなネックがある。

 

<東アジアの情報に弱いアメリカ>

<CIAも万能な情報機関ではなく、弱点もある>

・CIAは、ブリック・システムをとっている。煉瓦の積み上げ方式と言われるもので、個々の要因は多数の煉瓦の一つで、それを積み立てて情報組織を構成している。私が陸幕第二部長であった1970年代初期におけるCIAの活動の重点は、当然ながらソ連と中東であった。そのためのアジア正面での煉瓦の壁は薄かった。薄い壁だから、一ヵ所が崩れれば、全体が瓦解する。それが弱点であった。

 情報面での自衛隊のカウンターパートは、米国防総省のDIA(国防情報局)であり、これはピラミッド状の部隊組織をとっている。これも強力な情報機関であり、主として軍事情報を扱っている。CIAは政治や経済が主な対象であるから、そこに自ずから努力の指向が異なってくる。また東アジアに強いのはDIAで、CIAは弱い。極東正面では、DIAがCIAを補完するという関係があったように見受けられた。

 

<「非核三原則」を見直すべきときが来た>

北朝鮮は国際世論や取り決めなど、まったく眼中になく実験を強行したのだから、いったん核兵器を手中にすれば、なんの躊躇もなくこれを使うと見なければなるまい。北朝鮮は、十分日本に届く弾道ミサイルの実験をして、すでに配備を終えている。この核実験は日本にとって衝撃的な出来事であった。

 そこで日本国内に核兵器対抗論が沛然として起こるかと思ったが、「持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核三原則」にすっかり溺れているのか、世論はほとんど反応しなかったように見受けられた。有力な閣僚が核政策について議論すべきときが来ていると至極当然の発言をしたことに対して、野党の幹部をはじめマスコミ、媚中媚朝派の学識者らが反発して、議論の芽を完全に閉じ込めてしまった。

 

・もし広島型核兵器が東京を直撃したならば、死者50万人、負傷者3百~5百万人という慄然とする予測を、これらの人たちはどう考えているのだろうか。おそらく、「そのような問題はわれわれの世代には起こらない」「後世の者が考えて苦労すればよい」といった程度に思っているのだろう。西郷隆盛座右の銘の一つにしていた「先憂後楽」とは

ほど遠い。

 核兵器をめぐる事態は、より早く進んでいる。今すぐ対処の方法をたてなくてはならないほど切迫しているのである。

 

核兵器に関しては、日本はアメリカの核の傘に頼らざるを得ないのである。アメリカも核の傘を日本に提供すると言明している。ところが、日本は非核三原則を政策の重要な柱と位置づけている。

 核兵器は「抑止の兵器」だから、平時には非核三原則も有効と考えてもよいであろう。ところが、日本が核攻撃を受けるのではないかというほどの事態が緊迫すれば、アメリカの核政策と非核三原則と矛盾する点が浮上してくる。日本はアメリカの核政策を享受しながら、それに制限を加えている。非核三原則の第三、「持ち込ませず」である。アメリカの立場から見れば、「(アメリカは)日本を核兵器で守れ、しかしそれは持ち込むな」ということになり、これでは身勝手すぎる。

 そこで、日本に核兵器の危機が迫るような情勢になれば、アメリカと調整して、「持ち込ませず」の原則の撤廃を宣言することが緊要である。この宣言をするだけでも大きな抑止力となる。抑止力とは、形而上の問題である。だから、あらゆる手段を最大限に活用しなければならない。いたずらにきれいごとにこだわり、いつまでも非核三原則にしがみついていれば、核兵器の抑止力は破れ傘となる。

 

・「持ち込ませず」の原則を撤廃するとともに、領空や領海を含む日本の国内に配備されたアメリカの核兵器使用権限の半分を日本が持てるように協定することも考慮すべきであろう。

そうすれば、核抑止力の信頼性はより確実なものになる。繰り返しになるが、核抑止も結局は形而上の問題であるから、抑止効果のある施設を研究して、積極的に採り入れることが重要である。

 

・現在の迎撃方式が完璧でないとなれば、弾道ミサイル防衛と並行して、相手のミサイル基地を叩くミサイル報復攻撃の整備も必要になってくる。日本は専守防衛の政略によって拘束されているので、反撃のためのプラットホームは国内か領空内に限られる。軍事的合理性を追求できないことになるが、それでも核攻撃を受ければ、その発射基地、発進基地を徹底的に叩く報復攻撃の準備は必須である。

 

<前防衛事務次官汚職による逮捕>

・日本防衛の最高責任者は首相であり、次いで防衛大臣であることは周知のことだが、実質平常業務の最高責任者は事務次官であると聞けば多くの人は驚くだろう。

 だが、そうなっている。事務次官はほかの9人の参事官(内局の局長等)の補佐を得て、大臣の指揮下にある統合幕僚長、陸海空幕僚長、情報本部長等を束ねて防衛省の意思を決定し大臣に報告する。補佐官のない大臣は「よかろう」と言って防衛省の行動方針を決める。つまり、平常の業務はシビリアンコントロール(政治統制)ではなく、官僚統制となっているのである。

 平時と有事との限界ははっきりしないから、官僚統制の状態はずるずると有事にまで及ぶ危険性がある。本書はシビリアンコントロールの実を発揮するため、まず軍政と軍令を分離し、軍令は統合幕僚長が、軍政は事務次官が、同等の立場で大臣を補佐することを提唱した。それが本当のシビリアンコントロールなのだが、その方向に進むことを期待している。もしそうなれば、前事務次官の逮捕という災いが転じて福をなすことにもなると思う。

 

 

 

自衛隊秘密諜報機関』   青桐(あおぎり)の戦士と呼ばれて

阿尾博政  講談社    2009/6/5

 

 

 

<胸に刻まれた諜報任務の重み>

・数週間の教育が終わり、やがて、私が兄貴と呼ぶことになる内島洋班長のもとで仕事をすることになった。内島班は、内島班長、班員の根本、伊藤の3名で構成されていて、当時は、新宿区大久保の住宅地にあった2Kのアパートの一室を事務所としていた。

 こうした諜報の拠点は、存在を隠すために、約2、3年ごとに転出をくり返すのだが、ここに私が新米諜報員として加わったのだ。

 最初の担当地域は極東ロシアであった。このため、ロシア語を勉強しなければならず、夜間は御茶ノ水にあったニコライ学院に通った。

 また、調査の縄張りに新宿区が入っていたことから、暇を見つけては、当時、四谷にあった伊藤忠の子会社であるロシア貿易専門商社「進展貿易」にもよく通ったものだった。

 

伊藤忠は、元関東軍参謀の瀬島隆三が戦後に勤務した会社で、この瀬島とソ連(現・ロシア)との関係に疑問符がつけられていたことから、私も内偵をしたことがあるのだが、結局、これといった確証は得られなかった。

 

・秘密諜報員という任務の厳しさを思い知らされたのも、この時期である。

 極東ロシアの軍事拠点であるナホトカとハバロフスク白地図を、詳細な地図に作り直す仕事を私が担当することになった。今ならスパイ衛星などのハイテク機器を使うのだろうが、そんな代物などなかった時代だ。地道に見たこと、聞いたことを地図に書き込み、国防に役立てるしかなかったのだ。

 

・私は、まずナホトカの地図作りから取り掛かった。ナホトカと日本を行き来する木材積み取り船があったので、私は搭乗していた通訳を買収した。そして、通訳が現地へ行こうとするたびにカネを渡し、知りたい情報を仕入れてきてもらった。こうしてナホトカの地図は、ほぼ完璧に仕上がった。

 

<秘密諜報機関の誕生>

・諜報活動はいわば放任主義で、工作資金についても自由裁量でいくらでも使うことができた。私も湯水のごとく工作資金を使ったが、班長も先輩たちも一言の文句もいわなければ、何の注文をつけずに、ただ部下の行動を静かに見守るといった態度だった。

 そこで昔のコネを思い出して、経団連副会長だった植村甲午郎実弟である植村泰二が所長をつとめる「植村経済研究所」の人間として活動を開始した。だが、諜報員として成果を挙げて、先輩に負けてなるものかと努力すればするほど、ある疑問が心のなかで大きく育っていった。それはムサシ機関が得た成果を、米国側がすぐに知るという点だった。

 

<怪傑ハリマオのモデルと藤原岩市>

・この藤原岩市と山本舜勝は、ともに戦前の陸軍中野学校で教官をつとめ、藤原のほうは太平洋戦争の初期にF機関の機関長として、マレー半島で大活躍をした。戦後、テレビで大人気だった『怪傑ハリマオ』のモデルであり、マレーの虎「ハリマオ」と呼ばれた谷豊を諜報員として育成したのが、この藤原岩市である。

 

・また、後に調査学校の副校長に就任する山本舜勝のほうだが、彼は私の調査学校時代の教官で、青桐会の先輩と後輩として、友情は長く続い

た。山本は藤原とは対照的な、行動派だった。三島由紀夫と山本舜勝とのことは、『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した真実の告白』(山本舜勝著 講談社)に詳しいので、興味のある方は一読してみるといいだろう。

 藤原と山本は、私にとって人生の恩師といえる存在だった。

 

<秘密諜報員の日常>

・諜報は国防や国益に関わる重要な仕事だが、その内容は案外地味なものだ。上層部から「これをやれ」と命じられたら、「分かりました」と返事をし、任務遂行のため黙々と課題をクリアしていくだけである。ときには命に関わる危険な仕事もあるが、「007」のジェームズ・ボンドのように、さっと銃を抜いて敵を撃ち、危機を脱するようなことなどないのだ。

 そして任務が完了したら、せっせと報告書を仕上げ、上司に提出する。ときには、部下数名と徹夜で報告書を書き上げたこともある。基本は、普通のサラリーマンと何ら変わらないのだ。

 

<国家の秘密は書にあり>

・何もジョームズ・ボンドの真似をしなくても、その国の正規の出版物をよく整理し、比較研究すれば、国の動きは読み取れるのだ。

 とくに軍の機関紙である『解放軍報』には、表面的には隠していても、やはり書き手も軍の人間だから、軍人としてのプライドや思いといったものが滲み出た表現の文章がある。その裏を読んでいけば、かなり正確な情報がつかめるものなのだ。

 

 

 

『日米秘密情報機関』

影の軍隊」ムサシ機関長の告白

平城弘通   講談社   2010/9/17

 

 

 

<日米秘密情報機関は生きている>

・「ムサシ機関」とは、陸幕第二部別班、通称「別班」のことを指す。昭和47~48年ごろ、共産党の機関紙「赤旗」によって、秘密謀略組織「影の軍隊」であると大きく宣伝をされ、国会でも追及を受けた組織だ。昭和48年(1973年)に金大中拉致事件が起きたときには、これも「別班」の仕事ではないかということで、また騒がれた。

 

・私は陸軍士官学校出身の職業軍人として中国大陸で転戦し、昭和26年(1951年)、警察予備隊自衛隊の前身)に入隊した。22年間の自衛官生活のうち、中隊長(第8連隊第3大隊の第12中隊長)、大隊長(第7師団第7戦車大隊長)、連隊長(第7師団第23普通科連隊長)を務めた一時期以外は、大部分を情報将校として仕事にあたってきた。

 

・そのころは、米ソ冷戦時代で、両陣営の衝突は日本国内に甚大な影響をもたらすことは火を見るより明らかだった。自衛隊で早くからソ連情報を担当した私は、共産主義とは何か、その歴史的事実等に興味を持ち、研究を進めるうち、その非人道的な残酷な史実を突きつけられ、反共の思想を持つに至った。

 

・今日、非常の事態、たとえば大規模・同時多発テロ北朝鮮の核攻撃、中国軍の南西諸島侵略など、現実の脅威に備えるため、政治家や国民が真剣に考えているのかどうか、誠に心許ない。しかし、情報機関は存在そのものが「秘」であり、いわんや活動の実態については極秘でなければならぬと信じている。

 

・さらに、三島由紀夫に影響を与えたとされている山本舜勝元陸将補(元自衛隊調査学校副校長)は、平成13年に出版した『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』で、自衛隊の諜報活動の存在を明らかにしている。

 加えて近年、「自衛隊 影の部隊」に関する本が、塚本勝一元陸幕ニ部長(『自衛隊の情報戦陸幕第二部長の回想』)や松本重夫調査隊第一科長(『自衛隊「影の部隊」情報戦 秘録』)らによって相次いで出版され、さらに先述の阿尾が『自衛隊秘密諜報機関』を出して、そのなかで本人が別班に所属していたことを公表した。そして、「ムサシ機関」という秘密機関は実在し、機関長は平城一佐だったと暴露してしまったのだ…………。そのため私は、多くのマスコミから電話や手紙による取材攻勢を受け、その対応に苦慮した。

 

・とくに、その是非は別として、現在は専守防衛を国是とする日本では、情報こそが国家の浮沈を握る。その中心部分を担う「日米秘密情報機関」、いってみれば「自衛隊最強の部隊」が、その後、消滅したとは思えない。私は、現在でも、この「影の軍隊」が日本のどこかに存在し、日々、情報の収集に当たっていると確信している。

 

明石元二郎大佐は日露戦争全般を通して、ロシア国内の政情不安を画策、日本の勝利に貢献した。そのため、彼の働きを見たドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果をあげた」と賞讃した。また、陸軍参謀本部参謀次長の長岡外史は、「明石の活躍は陸軍10個師団にも相当する」と評している。

 明石のDNAを、自衛隊は、いや日本人は受け継いでいるのだ—―。

 

<東方二部特別調査班の活躍>

・私が力を入れた東方二部特別調査班(調査隊所属)は、昭和44年3月、編制を完了し、大阪釜ヶ崎を経て山谷に入り訓練を重ね、同年6月から本格的行動に移った。一部を横浜方面に派遣し、主力は山谷を拠点として、さまざまな集会、とくに過激派の集会には必ず潜入させ、各種の貴重な情報を入手させた。ただ、攪乱工作をやるような力はなく、もっぱら情報収集を秘密裡に行う活動だった。

 私は武装闘争をいちばん警戒していたから、武器を持っているか、どのくらいの勢力か、リーダーは何をいっているのか、そのようなところに重点を置いて情報を収集した。

 

三島由紀夫との出会い>

三島事件は、自衛隊史上、最大の汚辱事件>

・私の二部長時代には、文壇では既にノーベル文学賞作家に擬せられる大家であったが、文人としては珍しく防衛に関心のある人物として、三島に好意を持っていた。

 

・その後、事件の詳細を知るにつけ、私が痛感したことがある。それは、三島の憂国の至情はわかるとしても、あのような内外情勢、とくに警察力で完全に左翼過激勢力を制圧している状況下で、自衛隊が治安出動する大義がない、ということだ。それを、事もあろうに、いままで恩義を受けた自衛隊のなかで総監を監禁し、隊員にクーデターを煽動するとは……。

 

<二将軍は果たして裏切ったのか>

・だが私は、三島がそれにあきたらず、自ら立案したクーデター計画の実行にのめり込んでいく様子に気づいていた。(中略)武士道、自己犠牲、潔い死という、彼の美学に結びついた理念、概念に正面切って立ち向かうことが私にはできなかった。(中略)

 三島のクーデター計画が結局闇に葬られることになったのは、初夏に入ったころだった。私はその経緯を詳しくは知らない。(中略)

 いずれにせよ二人のジェネラルは、自らの立場を危うくされることを恐れ、一度は認めた構想を握りつぶしてしまったのであろう。(『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝、講談社

 

<三島には大局観を教えなかったがために>

・以上のような山本舜勝氏の回想記を読んだ私の所感は次のようなものだった。

 まず、山本一佐の教育は兵隊ごっこといわれても文句のいえないもの。情報活動の実務、技術は教えているが、情勢判断、大局観を教えていない。とくに、三島の檄文を除いて、この著書のどこにも警察力のことが書かれていない。三島のクーデター計画でも、警察力には触れず、いきなり自衛隊の治安出動を考えているが、自衛隊の出動事態に対する

研究がまったく不足している。

 

 

 

自衛隊「影の部隊」情報戦 秘録』

松本重夫  アスペクト     2008/11

 

 

 

<影の部隊>

・かつてマスコミや革新政党から「影の部隊」あるいは「影の軍隊」と呼ばれ、警戒された組織があった。自衛隊にあって情報収集と分析を専門に行う「調査隊」だ。私は調査隊の編成からかかわった、生みの親の一人である。

 

・私は陸軍の兵団参謀の一人として、終戦を迎えた。戦後たまたま米国陸軍情報部(CIC)と接点を持ったことから、彼らの「情報理論」の一端に触れることになった。

 

 それはかつて陸軍士官学校の教育にも存在していなかった、優れて緻密な理論体系だった。それを研究すればするほど、私は日本の敗戦の理由の1つは、陸軍のみならず日本の国家すべてが「情報理論」の重要さを軽視したことにあると確信した。残念ながら戦後半世紀以上たった現在も、その状況は変わっていない。

 

<「葉隠」の真意>

・1945(昭和20)年8月5日、私は宮中に参内して天皇陛下に拝謁を賜り、茶菓と煙草を戴いて、翌6日、陸軍大学の卒業式を迎えた。卒業式終了後、記念写真を撮り昼食の会食となる。そのころに、学生の仲間内で広島に大型爆弾の投下があったという噂を聞いた。その大きさは6トンまたは10トン爆弾かというような情報が流れ、「原爆」という表現は伝わらなかったが、しばらくして、「原子爆弾」という情報が不確定的ながら耳に入り、大変なものが投下されたなと思いつつも、各自、それぞれの任地に向かった。

 

三島由紀夫事件の隠れた責任者>

・1970(昭和45)年11月25日、作家の三島由紀夫が「盾の会」会員とともに市ヶ谷自衛隊駐屯地、東部方面総監室に立てこもり、割腹自殺を遂げた。私は当時、既に自衛隊を退職し、情報理論と独自の情報人脈を駆使して、民間人の立場で「影の戦争」を闘っていた。

 

三島事件の陰には調査隊および調査学校関係者がかかわっていたことは、山本舜勝元陸将補が『自衛隊「影の部隊」・三島由紀夫を殺した真実の告白』(講談社刊)という著書で明らかにしている。

 

 私は、山本氏が三島由紀夫を訓練しているということは、それとなく聞いていた。

そのとき私は、「ビール瓶を切るのに、ダイヤの指輪を使うようなことはやめた方がいい」と話した覚えがある。私は、山本氏らの動きは、三島のような芸術家に対してその使いどころを間違えていると思っていた。

 

・山本氏は、私が幹部学校の研究員(国土戦・戦略情報研究主任)だったときに、調査学校長だった藤原岩市に呼ばれて、調査学校に研究部員として着任してきた。研究テーマは私と同じ、専守防衛を前提としての国土戦つまり遊撃戦(ゲリラ戦)であった。私はその当時、韓国の予備役軍人や一般国民で組織される「郷土予備軍設置法」なども参考にしながら「国土戦論」を練り上げていた。

 

・山本氏らが調査学校の教官となり、「対心理過程」などの特殊部隊の養成を担当することになった。それが前述したように当初の私の構想とは異なった方向に進んでいたことは気づいていた。結局そのズレが「青桐事件」となり、三島由紀夫に「スパイごっこ」をさせてしまうような事態を招いてしまうことになったのだといわざるを得ない。

 

・山本氏に三島を紹介したのは藤原岩市である。山本氏によって通常では一般人が触れることのできない「情報部隊の教育」を受けさせ、三島の意識を高揚させることに成功するが、三島がコントロールできなくなると、藤原らは一斉に手を引き、山本氏と三島を孤立させていく。そのあたりの経緯を山本氏の著書から引用してみよう。

 

 《文学界の頂点に立つ人気作家三島由紀夫の存在は、自衛隊にとって願ってもない知的な広告塔であり、利用価値は十分あった》

《しかし三島は、彼らの言いなりになる手駒ではなかった。藤原らジュネラルたちは、『三島が自衛隊の地位を引き上げるために、何も言わずにおとなしく死んでくれる』というだけではすまなくなりそうだということに気づき始めた》

 

《藤原は三島の構想に耳を傾けながら、参議院選挙立候補の準備を進めていた。今にして考えてみれば、参議院議員をめざすということは、部隊を動かす立場を自ら外れることになる。仮にクーデター計画が実行されたとしても、その責を免れる立場に逃げ込んだとも言えるのではないか》

 

 この山本氏の遺作は、三島由紀夫の死に対して自らのかかわりと責任の所在を明らかにすると同時に、三島を利用しようとした藤原岩市らかつての上官たちの責任を示し、歴史に記録しておきたいという意志が感じられる。

 

<田中軍団の情報員>

・かつてマスコミが竹下派七奉行として、金丸信元副総理を中心に自民党内で権勢を振るった人物を挙げていた。梶山静六小渕恵三橋本龍太郎羽田孜渡部恒三小沢一郎奥田敬和。この格付けには異論がある。

 

・この「七奉行」の表現から抜けていて、忘れられている人物に亀岡高夫がいる。彼は金丸のように目立って権力を行使しなかったが、「創政会…経世会」の設立時に、田中角栄の密命を受けて竹下を総裁・総理にする工作を、築地の料亭「桂」において計画推進した主導者の一人である。

 

・この亀岡高夫と私が陸士53期の同期生でしかも「寝台戦友」であることは既に述べた。しかもGHQCICと協力して活動した「山賊会」のメンバーであり、自衛隊時代そして除隊してから、彼が昭和天皇の葬儀のときに倒れて亡くなるまで、私の戦後の「情報活動」は亀岡とともにあった。

 

・私は亀岡と顔を見合わせた。「福田は来ていないな……」

 福田は都議までしか挨拶に行っていない。下を固めろ。本部に戻ってその情報をもとに、方針を決めた。

 

「区議会議員と村長、市町村、これを全部やれ。県議は相手にするな」

 電話で全国の田中軍団に指令を出した。県議も区議、村長も同じ1票。福田派は県議のところに行って、その下の国民に一番密着している人のところに行っていなかった。県議に行けば下は押さえることができるという、古い考え方だった。それを田中軍団が、ごっそりとさらっていった。

 

 そのように密かに票固めを行っている最中に、福田の方から、国会での本選挙はやめようという申し出があった。田中は「しめた!」とばかりにその申し出を受け、劇的な勝利につながっていった。

 

 この総裁選がいわゆる「田中軍団」のローラー型選挙の嚆矢といわれている。そのきっかけは私と亀岡の地道な調査活動にあったことはあまり知られていない。

 

<中国情報部の対日情報活動>

・やや古いが、その当時私が入手していた、中国の情報機関に関する情報をもとにこの問題を整理すると、次のような背景がわかった。

 1974年当時、中国では国家安全省は誕生してなく、北京市公安局が国内外の情報を収集する機関としては中国最大の組織であり、約1万人ほどいたといわれる。当時の北京市公安局は13の部門に分かれていた。

 

・それぞれの科の中には、さらに最高レベルの秘密扱いにされていた外国大使館担当班が存在していた。第3処 尾行・視察調査 第4処 海外から送られてくる手紙などの開封作業を担当 (略) 第7処 不穏分子や海外からのスパイ容疑者の尋問  

こうした北京市・公安局の活動に対して、日本大使館の防諜意識は信じがたいほど低かったとの情報もある。

 29名いたとされる日本大使館に対する盗聴チームのもとには、常に新鮮なデータが集まっていたという(例:ある大使館幹部と、大使館員の妻とのダブル不倫関係まで把握していたほどであるという)。

 

O-157サリン事件の背景で>

・「対情報」の研究というのは今風にいえば対テロリズムの研究もそこに含まれる。そこではかつての大戦中の各国が行った生物・化学兵器の使用データの分析も行っている。

 

・資料が特ダネ式に入手されたとすれば、警視庁内の秘密保全のルーズさを示す“恥”となろう。しかし、これはどちらかといえば公安関係者からの意図的なリークに等しい。公安委員長(国務大臣)の責任・罷免に発展してもおかしくないのだが、ほとんどの国民は、この問題に関心を示すことはなかった。現実にはこの国では、こうした問題は機密漏洩対策の向上に役立てられることもなく、いわば政争の道具に利用されただけだ。「スパイ天国日本」という世界の防諜関係者からの汚名の返上は当分できそうにないようだ。

 

 <●●インターネット情報から●●>

(CNN)( 2014/10/16)米紙ニューヨーク・タイムズは16日までに、イラクに駐留している米軍が化学兵器を発見し、一部の米兵がそれにより負傷していたにもかかわらず、米政府が情報を隠ぺいしていたと報じた。

 

記事によれば2003年以降、マスタードガスや神経ガスとの接触により、米兵17人とイラク人警官7人が負傷。彼らは適切な治療を受けられなかったばかりか、化学兵器で負傷したことを口外しないよう命じられたという。

 

「2004~11年に、米軍や米軍による訓練を受けたイラク軍部隊は、フセイン政権時代から残る化学兵器に何度も遭遇し、少なくとも6回、負傷者が出た」と同紙は伝えている。

 

同紙によれば、米軍が発見した化学兵器の数は合わせて5000個ほどに上るという。

 

「米国は、イラクには大量破壊兵器計画があるに違いないとして戦争を始めた。だが米軍が徐々に見つけ、最終的に被害を受けたものは、欧米との緊密な協力によって築き上げられ、ずっと昔に放棄された大量破壊兵器計画の遺物だった」と同紙は伝えている。

 

国防総省のカービー報道官は、この報道に関連し、詳細は把握していないと述べる一方で、2000年代半ばから10年もしくは11年までの間に、化学兵器を浴びた米兵は約20人に上ることを認めた。

 

ニューヨーク・タイムズは政府が情報を隠ぺいしようとした理由について、事故を起こした化学兵器の設計・製造に欧米企業が関与している可能性があったことや、製造時期が1991年以前と古く、フセイン政権末期に大量破壊兵器計画があったとする米政府の説を裏付けるものではなかったからではないかとみている。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

イラク化学兵器あった~NYタイムズ紙

 

< 2014年10月16日 6:48 >

 15日付のアメリカ・ニューヨークタイムズ紙は、イラクフセイン政権時代の化学兵器が見つかっていたと報じた。

 それによると、イラク戦争後の2004年から11年にかけて、首都・バグダッド周辺でフセイン政権時代のマスタードガスやサリンなど化学兵器の弾頭5000発以上が見つかったという。弾頭は腐食していたものの、有毒ガスにさらされたアメリカ兵などがケガをしたとしている。アメリカ政府はこれまで、イラク戦争開戦の根拠とした化学兵器を含む大量破壊兵器は見つからなかったとしている。発見を公表しなかった理由について、ニューヨークタイムズは、化学兵器が欧米製だとみられたことなどを挙げている。

 これについて国防総省は15日、イラク化学兵器が発見されアメリカ兵約20人が有毒ガスにさらされたことは認めたが、公表しなかった理由については明らかにしなかった。

 

 

 

『メディアと知識人』  清水幾太郎の覇権と忘却

竹内洋  中央公論新社  2012/7/9

 

 

 

<東京が滅茶苦茶になる>

・そのような状況のなか、1970(昭和45)年を迎えることになった。清水は、満を持し、狙いをすましたように「見落とされた変数―1970年代について」を『中央公論』(1970年3月号)に発表する。

 

・世は未来学が流行っていたが、未来論はインダストリアリズムの反復と延長で、芸がなさすぎる。明るい未来学の潮流に反する問題提起こそ警世の言論となる。未来論に反する問題提起といえば、公害も社会問題となっていたが、これは猫も杓子もいっている。60年安保を闘った者がいまや公害問題に乗り換えている。目新しさはないし、そんな仲間と同じ船にまた乗っても仕方がない。そこで飛びついたのが地震である。アラーミスト(騒々しく警鐘を乱打する人)としての清水がはじまった。意地悪くいってしまえば、そういう見方もできるかもしれない。

 

 地震こそ清水の十八番である。清水は、16歳のとき関東大震災(1923年9月1日)で被災する。死者・行方不明者10万人余。2学期の始業式を終えて、自宅で昼食をとっているときである。激しい振動で二階がつぶれた。落ちた天井を夢中で壊して這いあがった。

 

・技術革新や経済成長によって自然の馴致がすすんだが、他方で自然の反逆がはじまったことを公害と地震を題材に論じている。清水は「私たち日本人は、遠い昔から今日までー恐らく、遠い未来に至るまでー大地震によって脅かされる民族なのであります」とし、論文の最後に、私たちにできることをつぎのように言っている。

 

・それは、東京を中心とする関東地方において、道路、河川、工場、交通、住宅、と諸方面に及ぶ公害の除去および防止に必要な根本的諸政策を即時徹底的に実施するということです。(中略)それは、或る意味において一つの革命であります。この革命が達成されなければ、1970年代に、東京は何も彼も滅茶苦茶になり、元も子も失ってしまうでしょう。

 

<「文春に書くわけがないだろうが!」>

・「見落とされた変数」は、来るべき大地震という警世論の頭出しだったが、翌年、『諸君!』1971(昭和46)年1月号には、「関東大震災がやってくる」というそのものずばりの題名の文章を書く。

 

<「関東大震災がやってくる」>

・清水は、地震学者河角広(元東大地震研究所長)の関東南部大地震の69年周期説――69±13年――をもとにこういう。関東大震災から69年は1991年である。13年の幅を考えると、1978(昭和53)年もその範囲内ということになる。とすれば、1970年代は関東大震災並の大地震が東京に起こりうるということになる。たしかに、東京都はいろいろな対策を考えているようだが、構想の段階で手をつけていない。そんなことで間に合うか、というものである。しかし、この論文には何の反響もなかった。「関東大震災がやってくる」を書いて2年8ヶ月のちの新しい論文では、これまで地震の危険を指摘した論文を書いたが、反響がなかったことを問題にし、こういう。

 

 ・・・私は、右肩上がりでの文章(「関東大震災がやってくる」論文――引用者)のゼロックス・コピーを作り、多くの国会議員に読んで貰おうとしました。けれども、私が会った国会議員たちの態度は、多くの編集者の態度より、もっと冷たいものでした。「地震は票になりませんよ。」

 

・1975(昭和50)年には、関東大震災の被災者の手記を集めた『手記 関東大震災』(新評論)の監修もおこなっている。清水の東京大震災の予言ははずれたが、「関東大震災がやってくる」から24年後、阪神淡路大震災が起きる。さらにその16年後の東日本大震災。清水は、地震は「遠い昔から今日まで――恐らく、遠い未来に至るまで」の日本の運命と言い添えていた。日本のような豊かな国が大地震のための「革命的」方策をとらないで大地震の到来を黙って待っているのか、といまから40年も前に警鐘を鳴らしていたのだ。

 

 <論壇への愛想づかしと「核の選択」>

・「核の選択――日本よ 国家たれ」の内容はつぎのようなものである。第一部「日本よ 国家たれ」では、こういう。日本国憲法第九条で軍隊を放棄したことは日本が国家でないことを宣言したに等しい。しかし、国際社会は法律や道徳がない状態で、軍事力がなければ立ちゆかない。共産主義イデオロギーを掲げ、核兵器によって脅威をあたえるソ連膨張主義がいちじるしくなった反面、アメリカの軍事力が相対的に低下している。したがって、いまこそ日本が軍事力によって海上輸送路の安全をはからなければ、日本の存続は危うくなる。最初の被爆国日本こそ「真先に核兵器を製造し所有する特権を有している」と主張し、核兵器保有を日本の経済力にみあう軍事力として採用することが強調されている。

 

・第二部「日本が持つべき防衛力」は、軍事科学研究会の名で、日本は独自に核戦略を立てるべきだとして、日本が攻撃される場合のいくつかのシナリオが提起され、空母部隊の新設など具体的な提言がなされている。最後に国防費をGNP(国民総生産)の0.9%(1980年)から3%にする(世界各国の平均は6%)ことなどが提言されている。この論文は、主題と副題を入れ替え、1980年9月に『日本よ国家たれ――核の選択』(文藝春秋)として出版される。

 

 論文が掲載されると、『諸君!』編集部に寄せ有られて賛否両論の投書数は記録破りになり、翌月号に投書特集が組まれるほどだった。

 

 

 

『未来を透視する』(ジョー・マクモニーグル) FBI超能力捜査官

ソフトバンク・クリエイティブ)2006/12/21

 

 

 

<気象変動>

・来るべき気象変動により、2008年からこの台風の発生回数は増えていくと私は、予想している。とくに2011年は過去に例を見ない台風ラッシュとなり、大規模な暴風雨が吹き荒れる深刻な年になるとの透視結果が出ている。この台風ラッシュは、2012年にずれこむかもしれないが、可能性は低い。嵐の増加を促す地球の温暖化は、現在も急速に進行中だからである。

 

・2010年から2014年にかけて、また、2026年から2035年にかけて、平均降雨量は年々560~710ミリメートルずつ増加する。現在から2010年にかけて、また、2015年から2025年にかけては、380~530ミリメートルずつ減少する。現在から2010年にかけて、また、2015年から2025年にかけて、平均降雪量は300~550ミリメートルずつ増加する。

 

<日本の自然災害>

<2010年、長野で大きな地震が起きる>

透視結果を見てもうろたえず、注意程度にとらえてほしい。ただし、最悪の事態に備えておいて、何も起こらないことを願おう。こと天災に関しては、透視は間違っているほうがありがたい

 

<今後、日本で発生する大地震

 

2007年  高槻市  震度6弱

2008年  伊勢崎市 震度6弱

2010年  長野市  震度7

2012年  伊丹市  震度6弱

2018年  東京都  震度6弱

2020年  市川市  震度6弱

2037年  鈴鹿市  震度7

 

・噴火や地震にともなって海底では地盤の隆起や沈降が起きる。そして、膨大な量の海水が突然動きだし、衝撃波となって陸地の海外線へと進行する。

 

・遠洋ではあまり目立つ動きではないが、浅瀬に入ると、衝撃波は巨大な津波となって陸地を襲い、都市部などを徹底的に破壊してしまう(波の高さはときには30メートル以上になることもある)。

 

・内陸へと押し寄せる力がピークに達すると、今度は海に戻り始め、残された街の残骸を一切合財引きずりこんでいく。警告もなしに、突然襲ってくれば被害はとりわけ甚大となる。

 

・幸い日本には、優良な早期警戒システムがあるのだが、海底地震が発生して警報が発令されてから、津波が押し寄せる時間は、残念ながらどんどん短くなっている。

 

<日本を襲う津波

2008年夏   11メートル

2010年晩夏  13メートル

2018年秋   11メートル

2025年夏   17メートル

2038年初夏  15メートル

2067年夏   21メートル

 

日本は津波による大きな被害を受けるだろう(なお、波の高さが10メートル以上に及ぶものだけに限定している)。北海道の北部沿岸の都市部は特に津波に弱い。徳島市和歌山市浜松市鈴鹿市新潟市石巻市も同様である。このほかにも津波に無防備な小都市は数多くある。

 

<土地>

・気象変動とともに、日本の土地問題は悪化しはじめる。沿岸部での海面上昇と、暴風雨の際に発生する大波によって、低地の村落と小都市の生活が脅かされるようになる。堤防や防壁といった手段は効力を発揮しないため、2012年から2015年のあたりまでに多くの人が転居を余儀なくされるだろう。

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

「人文研究見聞録」から引用

五重塔の塑像の謎>

法隆寺五重塔には、仏教における説話をテーマにした塑像が安置されています。

 

その中の「釈迦入滅のシーン」があります。これはガンダーラの釈迦涅槃図と比較しても大分異なる、日本独自のものとなっています。

そして、法隆寺の塑像群の中にいる「トカゲのような容姿をした人物」が混じっており、近年 ネット上で注目を浴びています。

 

 問題の像は、塑像の○の部分にいます(実物では見にくいので、法隆寺の塑像のポストカードで検証しました)。

 

これらの像は侍者像(じしゃぞう)と呼ばれ、それぞれ馬頭形(ばとうぎょう)、鳥頭形(ちょうとうぎょう)、鼠頭形(そとうぎょう)と名付けられています。しかし、どう見ても「トカゲ」ですよね?

 

なお、この像がネットで注目を浴びている理由は、イラクのウバイド遺跡から発見された「爬虫類人レプティリアン)の像」と酷似しているためなのです。

爬虫類人レプティリアン)」とは、世界中の神話や伝承などに登場するヒト型の爬虫類のことであり、最近ではデイビット・アイク氏の著書を中心に、様々な陰謀論に登場する「人ならざる者」のことです。

 

もちろん「日本神話」の中にも それとなく登場しています(龍や蛇に変身する神や人物が数多く登場する)。

 

また、この像は、飛鳥の石造物の一つである「猿石(女)」や、同じ明日香村の飛鳥坐神社にある「塞の神」に形が酷似しています(トカゲに似たの奇妙な像は奈良県に多いみたいです)。

 

また、この「トカゲ人間」以外にも、以下の通りの「人ならざる者」が含まれていることが挙げられます。

 

  1. は「多肢多面を持つ人物の像」です。これは、いわゆる「阿修羅」を彷彿とさせる像ですが、実は『日本書紀』に「両面宿儺(りょうめんすくな)」という名の「人ならざる者」が登場しています。『日本書紀』には挿絵はありませんが、この像は そこに記される特徴と著しく一致します。

<両面宿儺(りょうめんすくな)>

仁徳天皇65年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺(すくな)という。

 

 一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵(かかと)が無かった。

 

 力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。

 

  1. 尻尾が蛇となっている人物の像

②は「尻尾が蛇となっている人物の像」です。日本には尻尾が蛇となっている「鵺(ぬえ)」という妖怪が存在します。これは古くは『古事記』に登場しており、『平家物語』にて その特徴が詳しく描かれています。その鵺の特徴は、この像の人物と一致しています。

 

  1. 顔が龍となっている人物の像
  2. は「顔が龍となっている人物の像」です。「日本神話」には「和爾(わに)」と呼ばれる人々が数多く登場し、かつ、海幸山幸に登場する山幸彦(ホオリ)に嫁いだトヨタマビメの正体も、実は「八尋和爾」もしくは「龍」だったとされています。また、仏教の経典である「法華経」の中にも「八大竜王」という龍族が登場しており、仏法の守護神とされています。③の仏像は、これらにちなむ人物なのでしょうか?

 

このように法隆寺五重塔に安置される塑像には「人ならざる者」が複数含まれています。なお、これらは奈良時代のものとされているため、飛鳥時代に亡くなっている太子との関係は不明です。

 

また、オリジナルと思われるガンダーラの釈迦涅槃図とは著しく異なっており、どのような意図を以って上記の「人ならざる者」を追加したのかはわかりません。なぜ作者はこのような仏像を参列させたのでしょうか?

 

もしかすると、これらの像は釈迦入滅の際に人間に混じって「人ならざる者」も参列していた、つまり「人ならざる者は存在している」ということを示唆しているのかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第です。

 

  

 

『成功していた日本の原爆実験』――隠蔽された核開発史

ロバート・ウィルコックス(著)、 矢野義昭(翻訳) 勉誠出版  2019/8/1

 

 

 

CIA機密調査が、日本の核開発はとん挫したという定説を覆す

1945年8月12日早朝、北朝鮮興南沖にて海上爆発に成功していた

海上核爆発特有の雲の発生を日本人仕官が証言、傍証多々

・資源は主に北朝鮮で採掘精錬、興南(コウナン)はアジア最大の軍需工場

・爆発数時間後、ソ連軍侵攻占領、科学技術者たちを拉致拷問

・戦後、ソ連、中国、北朝鮮の核開発の拠点になった興南

・占領下の尋問・調査での日本人科学者たちの証言は事実を隠蔽

 

原子爆弾」を第2次世界大戦中に日本が製造し、「核実験」にさえ成功していた

本書によれば、日本の核爆弾の開発は、これまで言われてきた水準よりも、はるかに前進しており、大戦終結直前の8月12日に、北朝鮮興南で核実験にも成功していたとしている。

 

・国際社会で平和を守るには、まず力のバランスを維持し回復しなければならない。力のバランスが失われたときに、いったん領土が奪われれば、外交交渉では奪還できないのが現実である。北方領土返還交渉、竹島問題などは、その好例である。

 このような現実を直視するならば、核の惨害を招かないための、最も確実な道は日本自らの核抑止力の強化に他ならないことは明らかである。

 

訳者による本書の新しい知見の要約

<1 日本の大戦中の核開発をめぐる従来の定説とウィルコックスの新説

・日本は第2次世界大戦核開発に取り組んではいたが、理化学研究所仁科芳雄博士を中心とする陸軍の「ニ」号計画がとん挫し、1945年2月(本書では同年5月とみている)で終結したとするのが、従来の定説である。

 

・その背景には、当時の我が国の、技術的困難、原材料の不足、空襲による施設装備の被害、資金の不足などの諸事情があったとみられている。

 しかし、本当にそうだったか疑問を呈する新説を裏付ける、米国の機密資料が近年、続々と公開されるようになっている。

 新説をまとめた代表的な書物が、ロバート・K・ウィルコックスによる『日本の秘密戦争』である。

 本書執筆のきっかけとなったのは、ウィルコックスが、スネルという著名なジャーナリストが書き残した、「ワカバヤシ」と称する元海軍士官のインタビュー記事の内容であった。

 スネルは、日本人士官から1946年夏以前に聞き取ったとする、以下の証言から「1945年8月12日に北朝鮮興南で日本が核爆発実験に成功していた」と主張した。

 その主張を、米国公文書館などの秘密解除された文書や関係者へのインタビューなどの、自らの調査結果に基づき、裏付けたのがロバート・K・ウィルコックスであった。

 調査結果をまとめた1978年に、ロバート・K・ウィルコックスの『日本の秘密戦争』の初版が出版された。しかし、以下のスネルの記事と同様に長年、「作り話」とされ、米国でも日本でも本格的な追跡調査はされてこなかった。

 

・その内容は実に驚くべきものである。翻訳者である私自身、翻訳を始める前は半信半疑だった。しかしほぼ翻訳を終えた現在では、日本が大戦末期の1945年8月12日に核実験に成功していたことは、ほぼ間違いのない歴史的事実と言えるのではないかとの見方に立つに至った。

 

2 スネルが主張した、日本による1945年8月12日の核実験の成功を示す証言

・日本人が、降伏する直前に、原子爆弾を開発し成功裏に爆破試験を行っていたというものであった。その計画は朝鮮半島の北部の興南「コウナン」と朝鮮名「フンナム」の日本名で呼ばれた)か、その近くで進められていた。その兵器が使用されるかもしれなかった、その前に戦争は終わったが、造られた工場設備はソ連の手に落ちた。

 

・スネルが記述している、士官の語った内容とは、以下のようなものであった。

興南の山中の洞くつで人々は、時間と競争しながら、日本側が原爆につけた名前である「原子爆弾」の最終的な組み立て作業を行った。それは日本時間で1945年8月10日のことであり、広島で原爆の閃光が光ったわずか4日後、日本の降伏の5日前であった。

 北方では、ロシア人の群れが満州になだれ込んでいた。その日の真夜中過ぎ、日本のトラックの車列が洞窟の入口の歩哨線を通過した。トラックは谷を越えて眠りについている村を過ぎていった。冷え込んだ夜明け前に、日本人の科学者と技術者たちは、興南の船に「原子爆弾」を搭載した。

 

・日本がある、東の方が明るくなり、ますます輝きを増した。その瞬間、海の向こうに太陽はのぞかせていたものの、爆発的閃光が投錨地に照り輝き、溶接工用の眼鏡をかけていた観測者が盲目になった。火球の直径は1000ヤードと見積もられた。様々の色をした蒸気雲が天空に立ち上り、成層圏にまで達するきのこ雲になった。

 

・「原子爆弾」のその瞬間の輝きは、東に昇ってきた太陽と同じ程度だった。日本は、広島や長崎も褪せるほどの大異変である、原爆の完璧かつ成功裏の実験を成し遂げていたのだ」。

 爆弾は日本海軍によりカミカゼ機に使うために開発されたと、士官は通訳を通じて、スネルに語った。米軍が日本の海岸に上陸したら米軍に対して特攻機から投下する予定だった。

「しかし、時間切れになった」とスネルは報告し、以下のように付加している。「観測者たちは急いで水上から興南に戻った。ロシア陸軍の部隊は数時間の距離に迫り、『神々の黄昏』が最終的な意味合いで始まった。技術者と科学者たちは機械を壊し書類を燃やし、完成した「原子爆弾」を破壊した。ロシア軍の1隊が興南に来るのがあまりに速かったため、科学者たちは逃げのびることができなかった」。

 

3 ウィルコックスの著書第3版を主とする、スネル証言を実証する確認事項

  1. 初版での情報

・独潜水艦U-234による1120ポンドの酸化ウランの日本輸送が試みられたが、ドイツの敗戦に伴い同艦は米国に投稿し、失敗した。酸化ウランは行方不明になった。

 

・戦前から野口遵の努力により、北朝鮮東岸の産業複合地帯建設がすすめられ、朝鮮の水力発電量は350万KWに達し、中心地興南では戦時中、豊富な電力を使いジェット燃料の製造が行われた。

 

1945年11月末に興南近くの咸興平原で日ソ両軍が激戦した。しかし、その細部は北進できなかった米軍には確認できなかった。

 

・1947年6月の米軍報告によれば、興南で日本の新兵器開発計画NZ計画に関連し、ソ連人と田村という日本人科学者が秘密施設で高電圧アークを使い活動していた。その生産物はソ連の潜水艦で密かにソ連に定期的に輸送された。

 

(2)第2版と第3版の神器情報

・1950年11月『ニューズ・ウィーク』:興南ソ連占領地域で、厳重に警護されたウラニウム鉱石処理プラントを確認した。朝鮮戦争時の米軍の爆撃を免れ、ロシアの原爆にそれまで核燃料を供給していた。ただし、在朝鮮第10軍団司令部は否定している。

 

GHQ司令部のOSS(CIAの前身)将校から、「日本人たちは彼らの持っていたウランの品位が悪かったため、ドイツから良質のウランが到着するのを待っていた」と聞いた。

 

・1953年2月、興南にある元の日本の産業地帯の拠点へのB29による偵察飛行任務に就いていた大佐の証言:「日本人たちは興南の拠点で原子爆弾を開発し、ある種の装置を造り、それを爆発させたとの情報を得た」。

 

・百科事典『第2次世界大戦』:日本陸軍は「800㎏の酸化ウランを上海に保有していた。朝鮮にも保有し、1944年に独の潜水艦により配送を受けた」。

 

・ラモナ報告:日本の核研究の中心地は広島だった。そのことが核攻撃の第1目標として広島を選んだ、トルーマンの決定要因だったかもしれない。

 

(3)元CIA分析官トニー・トルバの証言

北朝鮮は中露が日本の核努力から利益を得ていたことを知っている。中露は戦争末期に、日本人が採掘したウランやトリウムの鉱石を押収し、日本人が破壊に失敗した核計画の拠点から核の秘密や機械設備を略奪した。中露とも自力で核開発をしたと称しているため、それが暴露されるのは不都合だった。

 

・トルバが上下院議員宛に出した調査結果の要約・日本人たちは大戦中に核計画を進めていた。大半は興南で進められていた興南を占領していたソ連人たちは、日本人やドイツ人の科学者たちを使い、それらの施設を運営していた。

 

(4)ドワイト・R・ライダーの証言

・スネルの報告について、ヘールは「日本人たちは爆弾を製造し、それを実験したと思う」と肯定した。

 

・「日本人たちの第2次世界大戦中の核兵器計画が、小規模で失敗に終わったとされている公式的な説明は、全くの見当違いだ」、「理研はウランの精錬に深くかかわり、興南水力発電はウラン変換装置を稼働させるに十分だったし、興南にはウラン、トリウムなどの資源が豊富にあった

 

・荒勝文策により1942年にウラン濃縮について提案がされ、遠心分離機は1944年に日本で製造された。遠心分離機では米国より進んでいた

 

清津だけでも、ウラン濃縮、精錬、原子炉建設などに必要な電力。資源、設備と能力を持っていた。清津には日本本土で開発製造された、ウランの分離塔5基が送られたが、そのうち1基でも届いていれば、それを量産し清津の能力はさらに高められただろう。

 

・ライダーは、中国人が1950年の終わりに参戦し、米軍を攻撃し始めた主な理由は、日本人たちが朝鮮半島北東部に残した核計画とその他の資産を獲得するためだったと確信するようになった。それが、中共軍が、6000名の犠牲を出しながら長津貯水湖全域で米軍と激闘を繰り広げ、そこを制圧するまで興南に進撃しなかった理由だった。

 

・1950年10月に韓国軍が調査を命じられた、古土里の地下洞窟内の地下武器庫についての報告によれば、興南から内陸に約8マイル入った丘陵地帯にその洞窟がある。

 撮られた写真には「4エーカーの地下武器工場」との表題が付けられ、武器、弾薬、爆薬と地下の道具店がある「巨大な隠し場所」だった。

 

・日本人は核施設の破壊に成功せず、ソ連に占領され、核開発に利用された。その理由は、ソ連が日本の興南での核実験を含む、核開発について事前に情報を得ていて、それを利用するために急襲し破壊直前に奪取したからであろう。

 

4 検証結果の意義(以下は訳者の見解)

〇日本が第2次大戦中に核開発を進め、興南の沖合の小島で1945年8月12日に核実験にも成功していたことは、各種資料、特に米政府内部で秘密文書に基づき調査していたトルバとライダーの発言からも明らかであり、信ぴょう性は高いと判断される。

 

・日本の科学者、学会は、国内では戦時協力者として非難され、占領軍に戦犯として逮捕されることを恐れたとみられるが、核協力の過去を隠ぺいしようとした。しかし科学技術者が戦時に協力するのは当然のことであり、むしろ他国では誇るべきこととされる。

 

・激しい空襲と物資の欠乏する中、これだけの研究開発努力を続け、実績を上げた日本の科学者、技術者、産業界は再評価されるべきである。特に、坂彦の黒鉛減速型原子炉が稼働していれば、短期間にプルトニウム139を抽出し核爆弾の燃料にできたであろう。

 

容共主義者ルーズベルトソ連への対日参戦要請には、ソ連による日本の北朝鮮での核実験阻止への期待もあったのではないかとみられる。その代償として、ルーズベルト北方四島に米軍を進駐させずソ連北方四島侵略を黙認した可能性がある。

 ソ連は8月9日の長崎への原爆投下前日に対日宣戦を布告し、投下と同時に対日侵略を開始し、興南に向け一挙に急進撃したソ連は、核実験阻止には失敗したが破壊前の核インフラの奪取には成功した。

 

・なお、日本海軍は核開発力を持ち、終戦直前でも海軍首脳は抗戦継続論だったと米軍機密文書では報告されている。核実験がもし成功していたなら、緊急電で東京に打電されていたはずである。

 

・日本の核開発の潜在能力は現在でも高い。2004年に米国科学者連盟は、日本なら核実験なしでも、「1年以内に」核兵器保有できるとの見積を出している。最新の米国の専門家の見解では、「日本なら数日で可能」とも言われている。

 日本には、核恫喝を受けても、それに屈することなく「対応策」がとれる潜在力がある

 

・中ソ朝の核開発は日本が北朝鮮に残した遺産と日独の科学技術者の協力の成果だった。彼らはその事実を公開したくはなかった。もし公開すれば、自国独裁政権の威信低下を招いたであろう。

 

いま米政府の秘密が解除されるのは、日本の核開発黙認のシグナルかもしれない

 1990年代以降の中期の核戦力増強により、2006年頃には米国の核戦力バランスの圧倒的優位が失われたとの認識が表れている。

 例えば2006年の全米科学者連盟と米国国家資源防衛会議による共同報告では、中国が対米先制核攻撃に成功すれば、米国の被害は4千万人に上り、それに対する米国の核報復による中国の被害は2600万人にとどまるとの被害見積りが公表されている。

 

・日本に対し核の傘の提供を保証することは、米国の望まない対中朝核戦争に米国が巻き込まれるおそれを高めることになった。

 そのリスクを回避するには、体制と価値観を共有する日本の核保有を黙認し、独自の核抑止力を持たせ中朝に対する対日侵攻への抑止力を強化するのが、米国の国益上有利と、米国指導層は2006年頃に判断したのではないかとみられる。

 圧倒的な人口格差のあるアラブ諸国イスラエルの間の中東戦争の再燃を抑止するため、1970年代に米国がイスラエルの核保有を黙認した背景に、類似している。

 

野口による興南の産業基盤建設

・すでに産業複合地帯を「ウラニウム爆弾」製造支援のために使うことについても、日本として必要があるとの話が出ていた。

 

・連合国の奇襲部隊はその後すぐに、原子爆弾製造を助けるために使われることを恐れて、ナチの重水素製造を死力を尽くして阻止することになった。いまやドイツの戦争中の同盟国だった日本も、アジアでそれを製造していた。しかも連合国はそのことを知らなかった

 

アルカサール・デ・ベラスコのスパイ活動をめぐる回想

・伝言は簡素なものであった。「カレーに来い。議論したい重要なことがある。」それは真珠湾の直後であり、受け手は、ロンドン駐在スペイン大使館の大使館付き報道官であり、英国における最良のスパイの1人であった。アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコであった。

 

・彼はスペインの枢軸国寄りのファランヘ党の結党時からの党員で、アブベール・ベルリン情報学校の卒業生であり、マドリードから1940年の秋にロンドンに送られた。それはいわゆる中立のスペインが、英国に対してドイツを助けるとの秘密協定が結ばれた後であった。

 

・彼は白人至上主義者であり、計算づくの反ユダヤ主義者であり、占星術信者でもあった。彼は、世界は彼自身もその一員である、転生で再生した超人というエリートによる支配を、運命づけられていると決めつけていた。彼らにとり主な障害となるのは、ユダヤ人であった(奇妙なことだが、彼の信ずるところによれば、一部のユダヤ人たちは、転生を通じて解脱しあるいは罪業に対する懲罰を経て超人の仲間となる。それが、ユダヤ人たちが常に権力を得ているかのように見える理由だと、彼は説明している)。全知の神の示すところによれば、惑星は闘争に向かっていた。アーリア人の救世主である土星と黒魔術は、彼の信仰の標語となっていた。

 

・1934年に彼は、ファランヘ党のために活動していたが、ウィルヘルム・オーバービールという名のドイツ人と会った。彼は、ナチ党の青少年組織であるヒットラー・ユーゲントの指導者であり、アブベールの公式の要員でもあった。オーバービールは、総統の内々の仲間の一員であり、心底からのオカルト主義者であった。「ウィリアムの中に、私は必要としていた知識のすべてを見出した」と、アルカサール・デ・ベラスコは書いている。「我々は、エデンの園の蛇のように邪悪な者たち(ユダヤ人たち)、彼らがどのようにして世界を隷従させようとしているかについて語り合った」。

 

本格化し始めた日本海軍と荒勝研究室の爆弾計画

理研の計画に資金を提供していた陸軍だけが、ウラニウム爆弾に関心を持っていた軍種ではなかった。日本海軍は、陸軍よりもむしろ長期にわたり、核物理学の発展を追跡していた。

 

・1939年に、カリフォルニアで原子力によりタービンが動いているとのうわさが流れた。その噂は本当ではなかったが、大騒ぎを巻き起こした。海軍は核燃料に関心を持った。海軍の艦艇は核燃料により、無限に航行できるようになるかもしれなかった。その後、1940年か1941年の初めに、村田勉海軍中尉は、米国の「超爆弾」に対する警告を発しているドイツの技術雑誌の記事を翻訳した。その翻訳は広く回覧された。米国によるウラニウムの輸出停止と突然の核研究に関する沈黙を受けて、海軍は遂に行動することを余儀なくされた。1941年の夏か秋に海軍は、浅田が講義をしていた研究所の、海軍大尉であり科学者でもあった。伊藤庸二に対し、爆弾と燃料の実現の可能性について調査するように命じた。

 レーダーについてドイツで学んでいて帰国したばかりだった電子工学の専門家の伊藤は、大変な敬意を払われていた。

 

・嵯峨根は伊藤に、ウラニウム資源を探し始めるように忠告しているようにすら思われた。「日本は、予備報告とは反対に、本土では1発分の爆弾や燃料として必要な量すら得ることができないが、米国はおそらくできるであろう」。伊藤は次に、もう1人の東京大学教授の日野壽一に相談したが、彼も本質的には同じことを答えた。海軍少佐の佐々木清恭は、電気研究部門の長だったが、彼は核爆弾と燃料の調査に送り込まれた。

 

・彼らはその報告書では爆弾については言及しなかったが、伊藤の言によれば、それは彼の上司の提督たちが、彼らの主な関心事項を秘密にすることを望んだためであった。もちろん、それは爆弾のことだったと伊藤は書いている。

 

・浅田は、米国がおそらくウラニウム爆弾を製造できるとみられる以上、日本も他ならぬ自衛という目的のためにそれを試みるべきであると述べた。

 

・爆弾の製造に伴う問題について議論された。菊池は十分なウラニウムが得られるかどうかが困難な問題だと指摘した中性子核分裂生成物とどのようにして原子核が分裂するかについて研究していた菊池は、十分なウラニウムを見つけ出すのが困難だろうと指摘した。仁科は、(疑いもなく飯盛が朝鮮から持ち帰った)5~6(several)トンのウラニウム鉱石を自分は理研に持っており、他にも確保の可能性もあると述べた。

 

ドイツについては、西欧の核物理学では秀でていた「ユダヤ人の科学者たち」をすべて駆逐していたため、おそらく爆弾を製造することはできないだろうという点では、意見は一致していたしかし彼ら科学者たちの大半は米国に行ってしまったため、米国は原子爆弾開発にとり最善の立場にあった。

 

・委員会の結論を要約して伊藤は次のように述べている。「明らかに原子爆弾を製造することは可能であるに違いなかった。問題は、米国や英国が本当にこの戦争に間に合うように核爆弾の製造ができるのか、日本が彼らに先んじて核爆弾の製造ができるのか否かという点であった。………審議の全般的な見解は、米国にとってすら、戦争の間に原子力の利用を実現するのは、おそらく困難であろうというものであった」。

 

・委員会でさえ慎重に選ばれていたが、海軍の中でも最も力のあった艦政本部は、物理学会の一員ではなく、仁科にも劣らない資格を持つある科学者に、ウラニウム爆弾計画のための秘密資金を振り向けていた。

 その科学者とは、荒勝文策だった。荒勝は、原子の莫大なエネルギーについて理論化したアルバート・アインシュタインの個人的友人であり、その生徒でもあったアインシュタインのフランクリン・D・ルーズベルトに対する書簡により、ルーズベルト大統領は米国の計画を開始することを決心した。荒勝は仁科と同様に、日本の原子爆弾計画にとり重要な人物となっていた。事実、荒勝は、戦争末期には、仁科に替わり原子爆弾製造の中心的役割を担うようになり、彼は日本にとり、戦争間にその後は仁科よりも重要になっていった。

 1890年に生まれ1918年に京都大学を卒業した荒勝は、1926年にベルリン大学に物理学を学ぶため赴き、そこでアインシュタインの下で学んだ。

 

アルカサール・デ・ベラスコによる対英米スパイ活動

・彼は、スペイン国境から100キロメートルほどのモン・ド・マルサンという町の近くにある、南仏のナチの飛行場から飛んできた。彼は最初に、旧友と会い指令を受けるために、アブベールの司令部に立ち寄った。彼の上司は次いで、日本大使館に、ある高級幹部と合わせるために彼を送った。

 

1904~05年の日露戦争以来、日本はスパイ活動への努力を強化していた。1935年までには日本は世界で最も広範なスパイ網を持っていた。

 

1944年の始まりの直後、フランコは、明らかに戦争の流れが連合国側に有利になってきたことから、枢軸国側のスペイン内外における活動に対して締め付けを強め始めた

 

・アルカサール・デ・ベラスコは突然姿をくらました。「私(ベラスコ)はそれ以来、どこでも、スパイの指導者として責められるようになった。彼らは今でも私についてのファイルを持っている。それは彼らにスペインで私を攻撃する材料を与えた」。

「TO」の残党、まだ発見されていない数人の外交官たちは、アルゼンチンに移転しホアン・ペロンのアルゼンチンでの輪になった。「ペロンは日本人に良くし、彼らのために大金を与えた」。金銭は戦後私(ベラスコ)が権力を得る上で助けになった。

 弱小化したスぺインのスパイの輪は、それ以降何の成果も生まなかった

 

・1944年7月4日にベラスコはドイツに向けて去った。いくつかの彼に関するFBI文書が、情報公開法に基づいて私に解除されたが、その文書によると、彼はロシア戦線でドイツ側に立ちスぺイン軍の部隊として戦っていたとのことである。1960年にベラスコは本を書き、その中で、戦後すぐに彼はナチの戦犯、マーチン・ボルマンを潜水艦でアルゼンチンまで案内したと書いている。彼の本『余燼(aftermath)』では、最近の情報専門ラディスタス・ファラーゴは、ベラスコとボルマンの話は本当だと信じていると書いている。

 1945年が近づく頃には、アルカサール・デ・ベラスコと「TO」は活動しなくなり、日本はおそらく、マンハッタン計画の末期段階と、広島と長崎を壊滅させることになる米国の原子爆弾開発の情報は、何も得られなくなった。