日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

別に身内をかばっているわけではありません。現実問題として、野党が決めつけているような類の働きかけをする議員は、少なくとも自民党には1回生でさえ、まずいないからです。(1)

 

『政策至上主義』

石破茂  新潮社   2018/7/14

 

 

 

<2つの学園問題>

まったくレベルの異なる話ではありますが、そうした心配が杞憂に終わらなかったのが、「森友」「加計」2つの学園問題であったように思います。

 森友学園問題とは、突き詰めれば、行政は公平だったのか、ということでしょう。約8億円の値引きは合理的なものだったのか、買うのが他の法人だったとしても同様の処理が行われたのか、特別扱いはあったのか、あったとしたらそれはなぜなのか。

 こうした疑問に丁寧に説明すればいいだけだ。疑惑が指摘された当初から、私はそう考えていましたし、そう繰り返し言ってきました。

ところがまず官僚が「書類がない」「記憶がない」と繰り返す。

 

・「岩盤規制」と言われるような既存の規制を見直すことで、新しいビジネスや新規の研究開発が促進されるような環境を作るのは、政治の重要な役割の一つです。しかしそれを進めるにあたっては、透明性の高いプロセスと丁寧な説明が不可欠ではないでしょうか。

 

<丁寧に説明するしかない>

・ただ、誤解のないように申し上げておけば、私はいずれの問題でも、安倍総理自身が何か働きかけをしたといったことは一切ないと考えていますし、そのように公言もしてきました。

 別に身内をかばっているわけではありません。現実問題として、野党が決めつけているような類の働きかけをする議員は、少なくとも自民党には1回生でさえ、まずいないからです。累次にわたる公職選挙法政治資金規正法の改正で、この手の話で政治家ができることはほとんどありません。そんなバカなことをしたら、最悪の場合には公民権停止となり、落選どころか立候補すらできなくなることくらい、わかっています。

 ましてや安倍総理ほどの練達の政治家が、この基本中の基本をご存じないはずがありません。常識的に考えて、「口利き」などありえないのです。

 

・たしかに私たち国会議員のところには、さまざまな方がいらっしゃって、陳情をなさいます。それに耳を傾けるのも私たちの大切な仕事です。しかし、それは個の利益を実現させるためでなく、そういった具体的な問題で困っている方々がどれだけおられるのか、それはシステムの問題なのか、それを改善するにはどのような方策が考えられるかを考えるためのものであって、個別の要望への対応はお受けできません。

 こういうスタンスなのです。これは私たちにとって常識です。

 

<論理的な説明は通じる>

・しかし、派遣は国連の方針に沿ったものであり、その内容は人道主義的見地からのイラクの復興支援です。我が国は自由で平和な世界と貿易をすることで豊かになっている国であり、国際社会の責任ある一員としての責務を果たさなくてはならない。国連中心主義を掲げる以上、当然のことです。

 もちろん自衛隊員の命が失われるようなことになってはならない。この難しい問題をどうクリアするか、考えた末に生まれたのがイラク特措法でした。

 

<消費税賛成で当選>

・しかし私は、これから増大する福祉需要のために消費税は必要だと考えていました。そして、それを隠して選挙を戦うことは間違っている、とも。そのため選挙公報でも政見放送でも、「消費税は絶対に必要です」という立場を明確にして訴えました。

 後援会幹部の人たちに反対されても、その立場を貫き続けました。その人たちの気持ちもよくわかります。なにせ前回の選挙で私は最下位当選だったのですから。

 しかし、結局、この選挙で私はトップ当選を果たします。選挙戦の最中から、「あなただけがなぜ消費税が必要なのかを正面から訴えている」という激励の声をいただいていました。

 

<マスコミのせいにしない>

・確かにマスコミが正確な情報を伝えてくれるとは限りません。私自身、腹立たしい思いをしたことは、一度や二度ではありません。政権を取った当時の民主党マニフェストの非現実性など、多くのマスコミはわかっていながら口をつぐんでいたのに、自民党のこととなると殊更厳しい論調になるメディアも確実に存在しています。

 だから「マスコミが悪い」と言いたくなる気持ちは本当によくわかりますし、マスコミ自身が批判されるべき場合には、きっぱりとした抗議や申し入れも必要だと思います。しかし、私は自分の経験から、それだけでは理解が広がらないとも思っています。商業ジャーナリズムには、やはり一定の限界があると考えた方がいいのです。

 

・「部数、購読者数、視聴者数を増やしたい」「騒ぎを大きくしたい」といった性質をマスコミは持っているものだ。そう覚悟したうえで、付き合っていかなければならないのです。

 

<勇気と真心をもって真実を語る>

・「本当のことを勇気をもって国民に語るために、政治家はいるのだ。勇気と真心をもって真実を語るのが、その使命だ」この渡辺美智雄先生の言葉こそが、私の政治家としての原点です。

 

<本気で国民の命を守るための議論が求められている>

<Jアラートを向上させる>

実は自民党本部でも、国会議員会館でも、ミサイルに備えた避難訓練はしたことがありません。それで国民に「避難して下さい」というのは、いかにも説得力がない話です。そうした姿勢は国民に見透かされるでしょう。

 真剣に考えなくてはいけないのは「いったいどうすればいいというのか」という不安に対する答えを用意することではないでしょうか日本における核シェルター(避難所)の普及率は0.02%と言われています。スイス、イスラエルでは100%、ノルウェーでは98%で、アジアを見ても、シンガポールで54%、韓国でもソウルあたりは100%以上とされています。いかに日本が突出して低いかということです。

 今さら言うまでもありませんが、現在、世界で最もミサイルの脅威にさらされている国の一つが日本です。それなのにこのような状況ではいいとは、とても思えません。

 

<防災省の必要性>

このような確実性の高い避難体制などを、防衛の観点からは「拒否的抑止」といいます。「ミサイルに対してはミサイル」という体制によって、相手に攻撃を思いとどまらせることを「懲罰的抑止」といいますが、これに対して「攻撃しても意図したような被害は出ない」という体制をつくることで相手に攻撃を思いとどまらせるというものです。

 実は、このような拒否的抑止を構築するための方策と、防災の対策というのはかなりの部分が重なっています。

 

・これでは「いかにしてミサイルから国民と国土を守るか」という本質的な議論を先延ばしにしているように思われても仕方ありません。

 

<核についても本質的な議論を>

・また、少し考えてみればわかることですが、核兵器保有に必要な核実験をする場所など日本のどこにもありません。原発の再稼働ですら容易ではない日本で、核実験を許容する場所があるはずもなく、この点も極めて非現実的と言わざるを得ません。

 

非核三原則ニュークリア・シェアリング

・そして日本型の「ニュークリア・シェアリング」の可能性を検討すべきだ、と私はテレビ番組などで発言しました。

 

<現実的な対策が急務である>

・ところが、このような実務的な、具体的な話は、全然受けないのです。報道もされないし、国会でも質問されない。「まずは憲法9条を改正すべきだ」「憲法自衛隊を書かないのは失礼だ」といった話ばかりが取り上げられます。

 

国会で本質的な議論をするためには与党の努力が必要である

与党はすきを見せてはいけない

そもそも野党の仕事は、突き詰めて言えば時の政権を倒すこと。内閣総辞職に追い込むか、衆議院を解散させることです。

 自民党は野党時代にそのように明確に目標を定めていたからこそ、不適格な大臣や非常識な政策、一つ一つを戦略的に狙い撃ちして、閣僚を辞任に追いこんだり、法案を廃案に追い込んだりできたのです。

 

<大臣は多忙すぎる>

・さて、3時や4時にできた答弁資料ですが、私のように先に目を通したい場合は午前5時ごろに宿舎に届けてもらうことになります。そして、だいたい午前7時から大臣と官僚とで答弁打ち合わせをし、直すべきところを直して、原稿が最終的に完成するのは午前9時の委員会開会直前というのが通例です。

 ですから国会開会中は、大臣たちには全く時間的、心理的余裕がありません。そして当然ながら、この間、省庁での仕事はほとんどできません。

 

<選挙で勝つ体制が長期ビジョンを支える>

田中派からスタートした政治家人生

水月会をつくるにあたって、「石破は派閥否定論者だったはずじゃないか」といったご指摘をいただくこともありましたが、それはちょっと事実とは異なります。もともと私は決して派閥否定論者ではありません。そもそも田中派に育ててもらい、渡辺派で初当選したのですから。

 

<「君は政治家になるんだ」>

・そんなことがあり、その年、私は三井銀行(当時)に入行し、日本橋本町支店に配属されます。入った当初は、お札の勘定すらおぼつかず、仕事を身につけるために朝7時半に職場に入り、夜は残業につぐ残業という日々でした。午後11時よりも早く帰った記憶がありません。

 それが当時の日本企業ではよくある風景でした。私も疑問を持たずにしゃかりきになって働き続けました。いや、むしろ入行してから1983年まで、「ホッピー」を愛飲していたあの頃が、人生で一番楽しかった時だったかも知れません。

 

・時は安定成長期、初任給は8万円弱、週休1日(土曜は半休)、千葉県松戸の社員寮を朝6時半に出て、ほとんど終電で帰る。終電前の1時間ほど、毎晩のように先輩に連れられて神田の「一番鶏」という焼鳥屋で飲んでいました。

 

このまま銀行でのキャリアを積んでいくものだとばかり思っていた人生が一変したきっかけは父の死でした。1980年、父は2回目の当選を果たした後に自治大臣国家公安委員会委員長に就任します。ところがその直後に膵臓癌であることがわかり、翌年の夏に亡くなってしまいました。73歳でした。

 

・父の葬儀は鳥取では県民葬として行なわれ、続いて東京で前代未聞の「派閥葬」が行なわれました。病床の父が田中先生に「葬儀委員長になってくれ」と頼んだ約束を果たすため、自民党葬ではなく「田中派葬」を執り行なって下さったのです。場所は青山斎場。たいへん大きなものでした。

 

・その数日後に、田中先生にお礼のあいさつに行った時に、私は突然、選挙に出ろと言われます。

「君が衆院選に出るんだ」

 出てみないか、ではなく、「出るんだ」です。もう決まっているのです。私は銀行に勤め続けたいと言ったものの、まったく聞いてはいただけません。

「何が銀行だ!君は代議士になるんだ。お父さんがこれまで築いてきたものがどうなってもいいのか。君のお父さんは、これまで鳥取県民のお世話になってきたじゃないか。知事を15年やり、参議院7年、さらに大臣も務めた。君は自分さえ良ければいいのか。そんなことで君ねえ、石破二朗の倅とは言えないよ」

 

木曜クラブの選挙術>

・総理の座から降りていたとはいえ、この頃の田中先生の力には絶大なものがありました。国会議員だって逆らえないのに、20代のただのあんちゃんだった私が逆らえるはずもありません。その後、紆余曲折を経ながら、私は田中先生の下で政治家を目指すことになりました。

 銀行を辞めて、すぐに立候補できたわけではありません。まずは、木曜クラブ田中派)の事務局員になりました。当時の田中派の選対本部でもありました。

 

田中派は選挙に強いと言われていたゆえんは、こうしたシステムの存在にありました。事務局がシステマチックに選挙に取り組むのです。

 

・まだ今ほど情報網が発達していない時代でした。それでもかき集めた地元紙の選挙区情勢などをもとに分析をして対策を練っていくのです。そのための下調べの作業が、新入りの私の仕事でした。

 田中派のすごいのは、こうした作業を日常的に行なっていたということです。つまり、選挙が近づいてから慌てて対策を練ったり、人を派遣したりしていたわけではない。その年の3月くらいからすでに、いつどこで集会を開くか、どこに誰が行くか、といったことを決めて、選挙に備えていたのです。

 ここで資料作りからコピーまであらゆる下働きを経験しました。

 

<渡辺派へ移籍>

選挙は候補者本人がやるものだ、という考えも徹底して教え込まれました。日頃から小さな会合などを候補者本人が行う。その地道な蓄積があってこそ、その後の選挙を戦えるのだという考え方です。

 

政界に入りたての私にとって、この時の選挙体験は強烈でした。そして、これが田中派独自の文化、伝統だったのだということもすぐに理解する機会を得ました。

 というのも、1984年、翌々年の選挙に出馬する前に、私は田中派を離れることになったのです。きっかけは、前年に鳥取全県区でトップ当選した議員が急逝したことでした。その後継として出馬してはどうか、という話が持ち上がったのです。

 

・その後、派閥によってこんなに選挙のやり方が違うのか、ということを痛感しました。渡辺派の選挙への向き合い方は、田中派ほどシステマチックなものではありませんでした。田中派の選挙戦は「総合病院」のようだと喩えられるほど、メンバーに対して行き届いたものでしたが、「地鶏集団」渡辺派のそれはまったく異なるものでした。

 派閥の重鎮である江藤隆美先生が、「石破君、田中派と違って、わしらはみんな地鶏じゃけえ。エサは自分で探して歩かなければいかんのじゃ」と仰っていたことがあります。つまり派閥の力に頼るのではなく、各議員が自力で戦う文化だったのです。

 

・誤解のないように補足しておけば、田中派は選挙のことばかりを考えて政策をおざなりにしていたわけでは決してありません。新総合政策研究会という政策の勉強会も月1回、行なわれていました。私の仕事は、そこでテープを回して、録音をもとに文章化することでした。速記者にもお願いしていたのですが、代金が高いので、登場したばかりのワープロで自分でもやっていました。これが政策を勉強するうえでは非常に役に立ちました。

 

自民党田中派計画>

・2012年、安倍総裁の下で自民党幹事長になった際、考えたのは、自民党全体をあのころの田中派のようにしたい、ということでした。より正確に言えば、選挙に強い田中派の文化を自民党の文化として浸透、定着させたいと考えたのです。

 

・しかし選挙制度改革等により、派閥の力は低下していきました。もちろん、すでに田中派の文化もほとんど廃れていました。

 

<風頼みからの脱却>

小選挙区制度は、「風」次第で大きく情勢が変わる制度だとされています。2009年にはその風が民主党(当時)に、2012年には自民党に吹いたことで、政権交代が起こりました。

 小選挙区とはそういうものだから仕方がない、という考え方もあるのでしょう。

 しかし、政党として目指すべきは、少々の風ではびくともしない体制のはずです。

 

<選挙必勝塾>

・彼らには初当選の直後から私はこう繰り返していました。

「当選のバンザイをした瞬間から、次の選挙は始まっているのだ。決して浮かれてはいけないし、勝ち誇ったような顔を見せてもいけない。初登院までは東京に来なくてもいいから、公職選挙法の許す範囲でお世話になった方々にお礼のあいさつをし、暇を見つけては選挙区に帰れ。握った手の数、歩いた家の数しか票は出ないのだ

 これもまた私が旧・田中派で叩き込まれた教えでした。

 

<不利益な分配を脱し自由な選択で幸せを実現する>

<果実の分配が政治の仕事だった>

・しかし、これらすべての前提はもはや存在しません。冷戦も、高度経済成長も終わりました。少子化と高齢化が進み、ついに人口は急激な減少を始めています。

 これからどうするか。国民の賛成を得て前に進めていくためにも、中・長期的な「国家ビジョン」が求められるようになりました。

 

<地方政治家の疲弊>

・実際には地方の首長で、「辞めたい」という人に対して周りから「頼むからもう一期やってくれ」と説き伏せられてやむなく続けているケースも珍しくありません。

 やがてこの動きが国政に広がる可能性は十分あります。つまり国会議員も、このままだとどんどん成り手がいなくなるのではないか。そんな危惧を私は抱いています。

 

アベノミクスの先を>

・一方で、経済構造改革は進まず、潜在成長率が期待通りに伸びていないことも事実です。

 

いつまでもカンフル剤に頼ることなく、持続的に発展する経済を実現するために、残された時間を最大限有効に活用し、我が国の経済・財政が抱える根本的な問題ときちんと向き合い、それに対する処方箋を考えることが必要です。

 

<日本の根本的な問題>

・85歳以上人口は18.8万人が488.7万人と26倍に。また100歳以上は144人が61763人と428.9倍になっています。

 平均寿命は男性が15歳、女性が17歳伸びました。日本が世界に冠たる長寿国になったことは誇るべきことです。

 この間、国の予算は1.6兆円から96.3兆円、つまり約60倍になりました。一方で社会保障制度の支出は0.7兆円が114.9兆円になっています。164.1倍です。

 そして、現在のペースが仮にこのまま続けば、日本の人口は2100年に5200万人、200年後には1391万人、300年後には423万人になる、と予想されています。

 

<大切なのは国民一人一人の幸せ>

・有効求人倍率も上がりましたが、これも団塊の世代の方々が大量に退職する年代を迎えたことによる構造的な人手不足が背景にあると考えたほうがいいでしょう。そうであればなおのこと、ビジネスモデルの構造改革に手を付けることが容易な環境にあるはずです。

 

<賃金が上がらない理由>

・就業構造も大まかにいうと、製造業からサービス業へ、男性から女性へ、正規から非正規へ、若者から高齢者へとシフトしています。これらはみな、賃金を押し下げる要因となりえます。日本の場合、60歳を過ぎると同じような仕事をしていても賃金が下がるという慣習があるので、60歳以上の就労が増えることでも平均賃金は下がります。

 

<地方創生は経済政策でもある>

・「地方の時代」などと口では言うものの、多くの政治家、またメディアが注目するのは、いまだに大企業の動向です。しかし、日本のGDPの7割、雇用の8割を占めているのは、ローカルの中小零細企業なのです。

 上場企業の数は日本に約4千社です。これは日本におよそ4百万社ある企業の1千分の1です。つまり、上場企業以外で働く人たちこそが日本人の大多数だと考えるべきであり、ここにダイレクトに効くような政策を考えなければ、国民一人一人の実感につながらないということです。

 

<官僚も企業も地方を目指せ>

・企業に対しても、本社機能の一部を地方移転した場合には減税というインセンティブを用意しました。そもそもこれだけITが進んでいる時代に、全員が都市部にいる必要はないのではないでしょうか。

 

<東京以外でも済めば都>

・関連して取り組んでいくべき施策として、中古住宅の流通を活性化させることも挙げられます。東京に建ててしまった家を手放せないということが、東京に住み続ける消極的な理由となっている人も多いのです。

 

<東京だけが憧れだった時代は終わった>

・私は、この先の日本に明るい未来をもたらすのは、こうした地に足の着いた取り組みであると確信しています。そして、その積み重ねによって国全体が良い方向に向くと思っています。

 

長期的ビジョンで議論を

・さらに問題なのは、過度の人口集中により災害に対してきわめて脆弱で、世界一危険な大都市とさえ言われていることです。ドイツの保険会社(ミュンヘン再保険会社)が、自然災害のリスクを世界主要都市で算出したところ、東京(・横浜)がダントツで危険だという結果が出ました。2位はサンフランシスコ、3位はロサンゼルスで、4位は大阪(・京都)です。首都直下型地震のリスクが高く、さらに木造住宅が密集しており、地下鉄がたくさん走っている。

 

<人材抜擢のシステムを>

・与党に戻り、幹事長を務めていた時には、大臣未経験者全員に、どのような役職に就きたいか、希望票を提出してもらいました。希望票には第3希望まで記入可能としました。

 

水月会とはどんな集団か>

・しかし、今まで縷々申し上げてきたように、「安倍一強」と言われる状況に自民党全体があぐらをかいてしまうようなことがあったとしたら、それは国民にとって決して良いことではない、とも考えていました。常に「次」に備える政策集団は必要ではないか。何かあった時になって「どうしよう」では無責任ではないか。

 

ベンチャー政策集団

<勉強会での研鑽>

・2018年、水月会は『石破茂水月會の日本創世』(新講社)という本を出版しました。これは私も含めて、会の会員が月2回開催される勉強会で発表したことをまとめたものです。

 

<共有すべき認識とは>

・だからといって国債を無制限に発行することはできませんし、国債依存度を下げていくべきだ、というのも多くの政党のコンセンサスであろうと思います。

 

国債発行も財政健全化も手段であって目的ではない>

・それは言い換えれば、総体としてのGDPだけではなく、1人当たりのGDPを増やすことを目標の1つに掲げることでもあります。

 

社会保障をもっと多様に>

・しかし同時に、欧州においてはむしろ直接税の増税よりも付加価値税増税の方が国民に受け入れられているという大前提もあったのです。現在の日本のように、消費増税自体が大変な政治的イシュー(論点)となり、下手をすれば政権の存続自体がそれに賭けられるような状況とはまったく違います。

 

<ここまで広がる「地方創生」の可能性>

・先ほど触れた社会保障にしても、第2・第3の人生を地方でのびのびと過ごす日本版CCRC(「生涯活躍のまち」)や、生活圏を徒歩圏内とすることで自然に健康長寿を実現できるまちづくりなど、地方に場を設けることであらたな活躍の場が広がります。

 

<教育にも革命的な選択肢を>

また女性や高齢者の活躍、あるいはテレワークなどの推進のためにも、人生の各段階におけるキャリア教育の体制が欠かせません。

 

<自立精神旺盛で持続的に発展する国づくり>

アベノミクスの金融緩和と財政出動で生まれた時間的猶予の間に、産業構造の転換と、地方・女性・人生のベテランが持つ潜在力を最大限に引き出す必要があります

 

 

 

『だから政治家は嫌われる』

自民党参議院議員会長  村上正邦  小学館  2014/2/6

  

政治家が嫌われる理由

なぜ政治家は嫌われるのかというと、選挙の時はペコペコしているのに、当選したとたんにふんぞり返って威張りだすから、という理由もあるかもしれないが、まあ、ちょっとそういう問題は脇においておこう。

 政治家が嫌われるのは、「決断するのが仕事だから」なんだ。嫌われるのは構造的な問題なの。

 

しかし、誰かがしなければならない決断をするのが政治家であり、泥をかぶるのが政治家の仕事なんです。

だからこそ、政治家になるには、人に嫌われる覚悟が必要なんだ。

 ・しかし、いまの政治家は、昔とは異なる理由で嫌われているように思えてならないんだ。ここが大問題で、この本の主題でもあるんだけど、嫌われているというより、「まったく尊敬されていない」「期待されていない」、もっとはっきり言えば「バカにされている」わけですよ、国民から。

 それも当然で、小泉チルドレンだの、小沢ガールズだの、政治家の仕事が何たるかも理解していない連中が、風に吹かれて国会にわらわらと押し寄せてくるのを見れば、バカにされても仕方がない。

 じゃあ、既存の政治家は立派かと言えば、そうでもない。最近の国会を見渡せば、世襲議員ばかりだ世襲議員がすべてダメだとは言わないが、やっぱり、政治家としての覚悟に乏しいのが多いんだよ。親の地盤や看板を引き継ぎ、何も苦労せず、一家の稼業を継ぐように政治家になって、結局、何がしたいのかわからないのばっかりだ。

 <嫌われる理由7箇条>

 ここでちょっと箇条書きにしてみよう。なんでいまの政治家は嫌われるのか、バカにされるのか、その理由を。

その1.政治家としての信念も覚悟もない人間が、風任せで国会に押し寄せる。

その2.風向きが変わると、またわらわらと当選できそうな方へ移動する。

その3.ちょっとでも気に入らないと、すぐに党を飛び出して新党を結成する。

その4.政治家としての情がなく、欲と嫉妬と恨みに支配されている。

その5.稼業として政治家を引き継いだ世襲議員がどんどん増えている

その6.建前ばかりで、本音を語ろうとしない。語る言葉もない。

その7.本当に大事なことから逃げ続ける。

 

・最後の項目に集約されているけど、こういった政治家の特徴は、“逃げること”なんだ。

 肝心なこと、本当に大事なことほど、国民の間では議論が二分することが多いわけだ。こういった問題に何の覚悟もなくうかつに手をだせば、国民の半分を敵に回すかもしれない。だから、逃げる。

 肝心なことから逃げる代わりに、誰も反対しないこと、簡単にできて自分の手柄にしやすいことばかり手をつけて、点数稼ぎをする。

 ・だけど、安倍さんのやっていることは、過去の日本は良かったねと言いながら、「いつか来た道」を歩いてるような気がする。特定秘密保護法に、武器輸出3原則に、集団的自衛権でしょう。

 彼はいま、国会というものを蔑ろにしてるんじゃないか。しかし、国会議員というのは国民から選ばれてるんだ。首相自ら国会を軽んじては、国民からなんも尊敬や期待なんかされませんよ。

 <新人議員が屋久杉を守った>

・私が政治の世界に足を踏み入れたのは、50年以上も前だ。大学を出て会社勤めをしていた頃に、政治家を目指していた玉置和郎という野心に溢れた男に出会い、「ムーさん(私のこと)、オレと一緒にやろうよ」と誘われて、彼の秘書となった。玉置の秘書を14年間務めたのち、昭和55年の参議院選挙で、私自身も宗教団体の「成長の家」から推薦を受けて初当選したわけだ。

 <生活そのものが政治なんだ>

・私の話に戻ると、初当選のあと、4期にわたって参院議員として働いてきた。その間、労働大臣をやり、参議院国対委員長や幹事長、議員会長もやり、それなりに要職を務めたと思ってる。議員生活の終盤では、「参議院のドン」「村上天皇」などと呼ばれたりもしたけど、それは私が是が非でも成し遂げたいと考えていた政策を実現するには、つぶされないだけの力が必要だったから。

 しかし、平成13年のKSD事件(財団法人KSD中小企業経営者福祉事業団がものつくり大学の設立のために政界工作を行なったとする事件)で、世間を騒がせたことを理由に自ら議員を辞職した。これは冤罪以外の何物でもなく、いまも再審請求を続けています。

 元議員の身となり、80歳を超えたいまも、私は政治にかかわる活動をしている。

 私が拘置所にいるときに検事が、「あなたは、もう、将来、政治はおやりになりませんよね」と、こういうことを言われて、「はい、やりません」って私も答えたんだけどさ。

 しかし、考えてみたら何も国会議員であることが政治じゃないからね。生活そのものが政治だから、政治と一線を画することはできないんですよ、人間は。人間と生まれた以上は、おぎゃあと生まれたときから政治との垣根はないんです。

 ということになれば、なんとバカなことを検事は聞いたんだろうと思うね。私は私で、なんでそんなことを考えなしに、長い間、政治で飯を食った人間が、「はい、やりません」なんて答えるとは、なんとバカな答えをしたんだろうと、あとから思った。

 無責任。税金で飯食った人間の言うことじゃないよね。

 だから私は、死ぬまで政治にかかわり続けると決めた。

 ・秘書時代から通算して、およそ50年にわたって日本の政界のなかに身を置き、私はさまざまな政治家の姿を見てきた。

 <なぜいまの政治家は逃げ続けるのか>

アベノミクスというのは、天から降ってきたような、コペルニクス的に経済を転換していくような、そういう原動力ではない。実際には当たり前のことなんだ。

 <安倍首相には憲法改正なんてできっこない>

・そもそも、もし本当に憲法改正をしようとするのなら、まず公明党を切らなきゃ、連立を解消しなきゃ。そのくらいの覚悟がなければ憲法改正はできませんね。

 <麻生副総理の「ナチス発言」は失言じゃない>

・衆参のねじれは解消された。そのねじれがあったから、政治が停滞していたと。しかし、じゃあ、いまの体制はどうなのかというと、官邸が知識人や経済人を集めて、産業競争力会議とか経済財政諮問会議とかの有識者会議で法案の骨格をつくってしまって、その法案をろくに審議もせずに、衆議院を通して、参議院を通して。だから、まったく粗悪な法案しかでき上がってこないわけです。官僚の思うツボですよ。

 靖国問題から逃げている>

靖国問題ですくんではいけない

・というのも、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」をつくったのは、実は私なんだ。初当選した翌年だから昭和56年のことです。

 成長の家は靖国神社の国家護持を主張していたから、総理は参拝すべきだという立場だった。ところが、他の宗教団体、立正佼成会、PL教団、キリスト教会、これらはみんな反対なんだ。だから、政治家たちもみんなすくんじゃって、靖国問題になってくると、全然、前進がないわけだよ。

 歴史認識から逃げている>

村山内閣50年決議で騙された

・騙されたとわかって私は頭に来て、「参議院じゃ、私は絶対に決議させない」と言ってね。実際に参議院では徹底的に抵抗して、決議案を本会議に提出させなかった。その頃には、参議院ではそれなりの力を持っていたからね、私は。だから、参議院では決議されなかった。

 それがいまはどうだろう。安倍さんは新しい談話の発表や決議を先送りしている。またしても先送りだ。いまだにこの村山決議や河野談話が生きているんだよ。安倍さんはこの問題からも逃げている。

 <外交からも逃げている>

ワインバーガーに来日交渉

・だから私は、この前、安倍さんに会ったとき、「中国と軍拡を競争したって、負けるに決まってるじゃないか」と言ったんです。ただ、彼はやっぱり、反発しましたね、負けないと。私は「日本には金がないじゃないか」って言ったんだ、すると彼は「軍事費は1.8%増やしただけで」とか、数字を並べて言ってたけどね。