<――揺さぶられる女の魂>
・行列が野里住吉神社の社殿に入っていく。「人見御供神事」が始まる。神官による祝詞の後、巫女たちが舞いを舞う。
・(杉)さっきも言ったように、この地域は淀川の河口にあり、近くに多くの支流が流れている。太古に、人々が洪水に苦しめられ、それを鎮めるために、人間を人柱にしたということはありうるだろうね。さっき、旅人が狒々を成敗したと言ったけど、戦前までは「蛇」を成敗したと言われていたんだよね。蛇は、しばしば大河の象徴と見なされることがある。それと、もう一つの解釈がある。
(担)どんな解釈ですか?
(杉)蛇は、男性器の象徴だという解釈だ。実はこの祭りは、江戸時代には「一時上臈」とも呼ばれていたんだ。「上臈」というのは「遊女」という意味もあるんだよね。かつて、日本のいくつかの地域では、村に迷い込んできた旅人(マレビト)に、一夜妻として女を差し出す風習があった。数少ない村人たちだけで交わり続けると、血が濃くなってしまうから、外部から新しい血を入れる必要があっあんだ。マレビトはしばしば「神」として扱われたから、この祭りは、一夜妻の風習の痕跡を留めたと見ることもできるんじゃないかと思うんだけど。
<性の祭り――かなまら祭り 女装者たちがピンクの男性器の神輿を担ぐ 神奈川県・金山神社>
<――これは公然猥褻か?>
(担)私、この駅で降りるの初めてですよ。すごく外国の方の多い街ですね~。
(杉)いや、ここは普段は普通の街だよ。祭りの日だけ、世界中から外国人が押し寄せるのさ。
(担)そんなに世界的なお祭りなんですか?
<二人、若宮八幡宮の境内に入っていく。>
(担)すごい人出ですね!ラッシュ時の新宿駅なみです!半分くらいは外国の方だし、何やら露店も無数に出てて、訳がわからないですね…。あ、あれは ⁉
(杉)これが、今日見に来た「かなまら祭り」のエリザベス神輿さ。
(担)こんなの表に出していいんですか?モロにあれの形ですよね?しかも色はショッキングピンクに光り輝いている……。
・(杉)そう、東京の浅草橋に「エリザベス会館」という女装クラブがあってね、あの神輿はそこが神社に寄進したものなんだよ。神輿を担ぐのも、エリザベス会館の女装愛好家ばかりなのさ。
(担)なんなんですか、この掛け声は ⁉ほとんど放送禁止じゃないですか!
<巫女が神前で優雅な舞いを舞い、神主が神輿の前で祝詞を唱える。>
<――全世界から注目の奇祭>
・エリザベス神輿、街を練り歩き始める。相変わらず女装者は「でっかいまら、かなまら!」と叫んでいる。男性器の神輿はほかにも二基ある。杉岡と鈴木はその後を付いていく。
(担)それにしても、すごい観客ですねえ。半分くらい外国人ですよね?みんなカメラやビデオで撮影しながら、大騒ぎ、それにしても、ものすごい人で…………ううっ、どんどんもみくちゃに……。
・杉岡、踊りの様子を撮影しながらスイスイと人混みをかき分けて行く。
・(杉)この祭りは、海外で“Utamaro Festival”として有名でね。毎年BBC、ロイター、フランスの国営テレビなど、世界中のメディアが取材に来るんだよ。世界でも珍しい祭りなんだろうね。
・(杉)まず、若山八幡宮の中にある金山神社の祭神は、ふいごの神でもあるんだ。ふいごの動きが男女のセックスを連想させるという理由から、性の神でもあるんだよ。江戸時代、この辺りに東海道五十三次の川崎宿があってね。そこには「飯盛り女」という名の娼婦がいたんだ。彼女たちは、劣悪な環境の中で働かされていた。だから、桜の咲く季節に、梅毒などの性病除けと商売繁盛を祈願して、神社の境内にゴザを敷き、神社にあった男性器の奉納物を持ち出し、卑猥なしぐさをして遊んだ。これが、かなまら祭りの起源とされている。その後、祭りは忘れ去られていたが、1970年代に女装クラブの「エリザベス会館」が、あのピンクの神輿を寄進して、現在の祭りが始まったのさ、今でも性病除けの祭りとされている。
<昔は男が女装、女が男装する祭りは結構あった>
(杉)今でも女装する祭りは、神奈川県のお札まき、山梨県のおみゆきさんなど、ちらほら残っている。
<――虐げられた者に桜の降りかかる>
・エリザベス神輿、街を元気にピストンした後、若山八幡宮の境内に還っていく。
(担)桜が輝いてますねえ。さっきはよくわからなかったけど、ものすごく露店が出てますね!しかも、ほとんどがエッチなグッズじゃないですか!男性器の形をしたチョコやキャンディ、オブジェ、「万古」「金玉」という名前のお酒、四十八手を描いた手拭いとか……。変な被り物をした人もいます。まるで出張秘宝館のようですね。
・ゴザの上に、先ほどの女装者たちが集まってくる。そして酒を飲み、料理を食べ始める。
<奇妙かつ不可解な祭り>
<――まさかいきなり青森の奥地で十字架に遭遇するとは>
<――キリストは日本で死んでいた>
・担;先生がこのあいだ「キリストの墓が日本にある」なんて仰るから、頭ごなしに「ありえない」と言ったのは謝りますよ。でも、まさか本当に青森まで来ることになるとは………!
・杉;それは聖書に書かれている物語だよね。だが、本当は違うんだ。十字架に架けられて死んだのは弟のイスキリであり、キリストは実は生き延びていたんだ。イエスはその後、世界を放浪し、今の青森県八戸港から日本に上陸した。そして「八戸太郎天空」と名を改め、戸来村(現・新郷村)に居を定めた。彼は山に住み、「天狗」と呼ばれて恐れられた。ユミ子という妻を娶り、三人の娘を残した。そして、西暦81年に118歳でこの世を去り、村に葬られた。それが、僕らが今見ている「キリストの墓」なのさ。
・杉;今の話は、高名な超古代文書『竹内文書』に書かれているんだよ。歴史にはいろいろな見方ができることはわかるよね?さらに、こんなことも言われている。戸来とは「ヘブライ」の訛ったものだ。この村では、生まれた子供を初めて外に出すとき、額に墨で十字架を描く習慣がある。足が痺れたとき、人差し指に唾をつけて十字架を3回描くと治ると村では言い伝えられている。また、この地の沢口家の人々はキリストの子孫と言われ、代々赤ら顔で彫りが深い。そして沢口家の家紋は、ダビデの星にそっくりなんだ。これら全てがこの村とユダヤとの深い結びつきを示しているのさ。
・(竹内文書)竹内巨麿が祖父より譲り受けたという、世界の歴史や太古の天皇家を記した古文献。原本は焼失。これによると、古代の天皇は天空浮船(あめのうきふね)という乗り物で世界中を飛び回り、キリスト、マホメット、モーゼ、釈迦、孔子などはみな日本に留学に来たという。
<――ヘブライ語で盆踊り>
<キリストの墓の前で、祭壇が作られ始める>
<浴衣を着た女性たちがキリストの墓の周りに集まり、唄い、踊り始める。>
<♪ナニャドヤラ、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラ……>
・担;盆踊りの唄でしょうか。でも、何を言っているのか意味がわからないですね……。
・杉;わからないでしょう。実は、この歌は、現地の人にも意味不明なんだよ。だから、ヘブライ語の歌だという説があるんだ。
・担;は⁈ヘブライ語の盆踊り唄が青森に⁈
・杉;そう。川守田英二という神学者が、この唄をヘブライ語として解釈している。「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」という意味らしい。
・杉;実は、この唄はこの村だけで唄われたものではなくてね、南部地方で広く唄われているものなんだ。民俗学者の柳田國男は、この唄は方言の崩れたものだとして、「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」という、祭の日に女が男に呼びかけた恋の唄だと解釈している。もともと盆踊りとは死者を供養するほかに性的乱交の場という機能もあったんだよ。だから、こちらの解釈のほうが当たっているかもしれないね。
・担;なんと、盆踊りにそんな意味が⁈
<ナニャドヤラの踊りが終わり、女性たちが解散し始める>
・杉;この近くに、「エジプトのピラミッドより古いピラミッド」が存在するんだよ。大石神ピラミッドと言ってね。そもそも、日本にはエジプトのものより古い、数万年に造られたピラミッドが7基もあるという説があるんだ。その1つが、うまい具合に近くにあるから、ぜひ見に行こう!
・杉;ここではね、乞食が「神」なんだよ。この祭りは、乞食を崇拝する祭りなのさ。
・杉;それにはね、聞くも涙の物語があるんだよ……。昔、この土地を恐ろしい旱魃が襲った。雨が全く降らなくなり、作物が育たなくなり、村人は飢えに苦しんだ。そんな時、一人のみすぼらしい乞食が忽然と村に現れ、神社の縁の下に住み着き始めた。この村人たちは貧しいながらも親切な人々だったので、食うや食わずの生活を送りながらも、乞食に施しを与えた。するとそのうち、雨が降り始め、田畑は潤い、作物が育ち始めた。村人たちは飢餓から救われた。そして誰ともなしに言い始めたんだ。「ひょっとして、あの乞食は神の使いじゃなかろうか。あの乞食のおかげで雨が降り始め、わしらは救われたんじゃなかろうか」村人たちは乞食にお礼を言いに行こうとしたが、その時すでに乞食の姿はなかった。その後、二度とこの乞食の姿を見たものはなかった。それ以来、村人たちは乞食を神の化身と信じ、乞食を崇め奉る祭りを始めたというわけさ。
・杉;祭り自体は江戸時代の中期に始まったと言われているから、その頃の出来事じゃないかな。
・杉;「マレビト信仰」は国文学者の折口信夫が提唱した概念でね。日本には昔から「外部からやってくる異人が幸福をもたらしてくれる」という考え方があったんだよ。男鹿半島のナマハゲなんかがそうだよね。だから共同体から外れた乞食という存在が神としても崇められても、必ずしも不思議ではない。
・杉;ただ聖と賤は表裏一体でね。愛と憎しみがコインの裏表であるようにね。こういう「マレビト」たちは、尊敬され、崇められると同時に、軽蔑され、憎まれる対象でもあったんだ。旅人なんかが村に迷いこんできたりしたら、崇拝されるどころか、捕まって殺されてしまうこともままあったのさ。
<3年に1度行われる奇祭。ミノムシ男がひたすら転ぶ>
・上半身裸の男たちが、ミノムシ男の周りを固める。ミノムシ男はもみくちゃにされながら境内を疾走する。
<――「小糠三合持ったら婿に行くな」>
・杉;昔は「小糠三合持ったら婿に行くな」と言われてね、入り婿は凄まじい苛めにあったんだよ。かつての日本の村では、「女は村の男の共有財産」という考え方があっから、外部から来て、村の女を奪ってしまう男は、壮絶な嫉妬と苛めに晒されたんだ。例えば、1926(大正15)年に、栃木県芳賀郡清原村で、ある事件が起こってね。その村に入り婿に来た男が、「裸揉み」と称する祭りで、殴る蹴るの暴行を受け、人事不省の重体に陥り、暴力を振るった村人たちは逮捕され、実刑を受けているんだよね。
・杉;ただ、これはたまたま刑事事件になった稀有な例だよね。ほとんどが、誰にも訴えることができず、泣き寝入りだったと見ていい。ほかにも、例えば、雨乞いの祭りで、雨乞地蔵を川の中に放り込む。それを入り婿一人に取りに行かせるんだ。婿が必死になって、思い地蔵を抱えて川から上がってこようとすると、村の男たちが水や泥をかけたり、石を投げつけたりして邪魔をする。当然、婿が大怪我をすることもある。今でも、新潟県の松之山温泉には「むこ投げ・すみ塗り」という行事が残っている。これは、その地区の娘を嫁にもらった外部の婿が、崖の上から放り投げられるというものなんだ。まあ、雪が積もっているから怪我をすることもないし、今は「結婚祝いの夫婦の絆を強くするための祭り」ということになっているが、かつては、村の娘を取られた男たちが腹いせにやったとされているんだよね。
<『泥まみれの怪物の襲撃 パーントゥ 沖縄県宮古島市島尻』>
<――輝く島のタブー>
<タクシーはUターンし、今来た道を戻り始める。>
・杉;今回見に来た祭りは、「パーントゥ」と言ってね。パーントゥというのはこの島のことばで「妖怪・化け物」という意味なんだが、そのパーントゥが誕生する井戸、ンマリガー(生まれ井)という場所を目指していたんだ。しかし、ンナリガーでパーントゥが誕生する瞬間は、現地の人以外は見ることが許されないんだ。だから車の通行を拒否され、引き返したというわけさ。
鈴木さん、さっき君は「南の島は開放的だ」と言っていたけど、実は沖縄のような南の島ほど、タブーが多いんだよ。だいたいtabooという言葉自体、元は南洋のポリネシアの言葉だからね。「アカマタ・クロマタ」って聞いたことある?
・杉;そうだろうな。あまりにも強烈なタブーだからね。これは西表島などで行われる祭祀なんだけどね。いまだ実態がよくわかっていないんだ。「アカマタ・クロマタ」という神が出現するとされているのだが、よそ者は、まずこの祭りを見せてもらえない。仮に見せてもらえたとしても、写真を撮ることは許されない。メモを取ることも、録音することも許されない。しかも、そこで見たことを一切、外部に漏らしてはならないんだ。ここで密かに写真を隠し撮りした者が、大変な目に遭わされたとも言われているんだよね。
太陽の光が眩くなればなるほど、影もそれだけ瞑さを増す。明るい南の島だからこそ、隠された何かがあると思っておいたほうがいいよ。
<――襲いかかる怪物>
・担;き、来たって言ってますよ、先生!あっ、不気味な仮面をかぶった化け物が三匹、向こうから近づいてきています。全身ぐちゃぐちゃの泥まみれです!
<――闇に蠢く妖怪>
・闇が濃くなってくる。パーントゥ、野外での男たちの酒宴に招かれ、酒を飲んだ後、男たちを泥まみれにする。また、道行く人にも手当たり次第に襲いかかる。
・担;小さな子供たちは、本気でパーントゥを怖がってますねえ。泣き叫んで逃げ回ってますよ。男鹿半島のナマハゲみたい。
・杉;伝説では、パーントゥの仮面が、クバの葉に包まれて海岸に流れ着いたことに始まるといわれている。かつては、この地域は街灯もなく、闇も今より深かった。だから、暗闇の中で疾走するパーントゥは、本当に恐怖の対象だったというよ。いつ、どこからパーントゥが襲いかかってくるのか、わからないんだからね。そして、かつては、村の掟を守らない者を襲撃していたというんだ。パーントゥは、地域の秩序や規律を維持する役割を担っていたんだろうね。
<ヨッカブイ 怪物が子供を袋に放りこんで脅す 鹿児島県・玉手神社>
・杉;ヨッカブイとは「夜具をかぶる」という意味でね、夜具の綿を抜いて着ているんだ。さらに棕櫚の皮をかぶって顔を隠しているのさ。
・二人も幼稚園の中に侵入する。大きな袋を持ったヨッカブイが、泣き叫びながら逃げる子供たちを追い回している。
<――ヨッカブイと子供、決死の相撲!>
<ヨッカブイ、子供や女性を襲いながら、神社の中に入っていく。>
・杉;河童が相撲好きだという話は聞いたことあるでしょ?ここでヨッカブイと子供が相撲を取るさ。
・杉;これを高橋十八番踊りといってね、これが本来の祭りのメインイベントなんだよ。水難事故から守ってくれる水神(ヒッチドン)を祭る踊りなんだ。歌は変わったけれど、踊り自体は300年ほど前から踊られているそうだよ。
不気味と言えばね、ヨゥカブイには妙な言い伝えがあってね。祭りの終わった日、夜中にこっそりこの神社に来るとね…。河童たちが密かに相撲を取り続けているという………。
<日本三大奇祭の謎>
・何しろ、私の知る限り、「日本三大奇祭の一つ」を自称する祭りは、全国で百近くあるからである。
三大奇祭というものは、別に文科省やユネスコが認定するわけではない。言ったらもの勝ちなのだ。
・古来から「日本三大奇祭」と呼ばれていたのは、鍋冠祭り、縣祭り、鵜坂の尻叩き祭りである。これら三つは、どれも性の薫りが濃厚なものばかりだ。
・それから時代が下がり、割と最近まで言われてきた「三大奇祭」には、吉田の火祭り、島田の帯祭り、国府宮はだか祭りなどがある。
・私なら、現代の日本三大奇祭としては、キリスト祭り、笑い祭り、かなまら祭りをそれぞれ知性、ユーモア、エロスの奇祭の頂点として挙げる。だが、これも近い将来、大きく変動するかもしれない。世界は今、激動の時代に突入しているのである。
『もののけの正体』 怪談はこうして生まれた
原田実 新潮社 2010/8
<アカマタ――魔物の子を宿す>
・ある日のこと、乙女が畑に出て芋を掘っていた。乙女が一休みして、また畑に戻ろうとしたところ、岩のうしろから赤い鉢巻をした若者が顔を出してはまたひっこめたのに気づいた。歩こうとすればまた顔を出し、立ち止まればまた隠れる。乙女がその若者の顔に見入って動けなくなっていた時、乙女の様子がおかしいことに気付いた農民たちがかけつけて乙女を畑に引き戻した。
乙女が見ていた若者の正体は、アカマタという蛇だった。アカマタは誘惑した乙女と情を通じ、自分の子供を産ませようとしていたのだ・・・。このパターンの民話は、沖縄の各地に伝わっている。
・石垣島の宮良では7月の豊年祭にアカマタ・クロマタという神が現れ、一軒一軒の家を回り祝福していくという(なお、この祭りは秘祭とされ撮影が一切禁じられている)。
沖縄では同じアカマタという名で、若い女性にとりつく蛇のもののけと、豊作を予視する来訪神の二通りの異界の者が現れる、というわけである。
・さて、蛇ににらまれた女性が動けなくなるという話は、本土の古典でも、たとえば『今昔物語集』などに見ることができる。また、蛇身の神が女性の元を訪れて交わるという話は古くは記紀にも見られ、さらに日本各地の伝説・民話などに見ることができる。ちなみに記紀ではその説話の舞台が大和の三輪山(現・奈良県桜井市)の麓とされているため、神話・民話研究者の間ではそのタイプの説話はその三輪山型神婚説話と呼ばれている。沖縄のアカマタの話はその三輪山型神婚説話に発展する可能性を秘めながら中断させられた話とみなすこともできよう。
実は、沖縄にも三輪山型神婚説話に属する類型の話が残されている。
・これは江戸時代の琉球王府が正史『球陽』の外伝として、琉球各地の口碑伝承を集めた『遺老説伝』に記された宮古島の始祖伝承の一部である。
この話に登場する大蛇には、娘が魅入られるという点からすれば憑き物的側面があり、夜に訪れるという点からすれば来訪神的側面もある。この話は、憑き物としてのアカマタと来訪神としてのアカマタの関係を考える上で暗示的だ。
ところで私はかつて、三輪山型神婚説話の起源について、異なる共同体に属する男女間の婚姻がその背景にある可能性を指摘したことがある。
<キムジナー 日本のエクソシスト>
・沖縄ではその昔、樹木に住む精霊の存在が信じられていた(あるいは今でも信じられている)。
・沖縄では古木の精をキムジナー(木に憑く物、の意味)という。また地域や木の種類によってはキムジン、キムナー、ブナガヤー、ハンダンミーなどの別名もある。赤い顔の子供のような姿とも全身が毛に覆われた姿ともいわれ、水辺に好んでよりつくことから、本土でいうところの河童の一種とみなす論者もいる。
・『遺老説伝』の話の全般に見られるように、キムジナーは友だちになれば魚をわけてくれたり、仕事を手伝ってくれたりするという。また、他愛ないいたずらを好む、ともされ、たとえば、夜、寝ていて急に重いものにのしかかられたように感じたり、夜道を歩いている時に手元の明かりが急に消えたりするのはキムジナーのしわざだという。
キムジナーが出没するという話は現在でも沖縄ではよく語られる。ただし、最近では、観光客のおみやげなどでキャラクター化されたかわいいキムジナーが流布する一方、人に憑いて苦しめるような悪霊めいたキムジナーの話が広まる、という形でのイメージが二極化する傾向があるようだ。
<キンマモン――海からの来訪神>
・その昔、屋部邑(現・沖縄県うるま市与那城屋慶名)は幾度となく火災に遭い、多くの家が失われていた。ある日、その村に君真物(キンマモン)と名乗る神様が現れて村人たちに仰せられた。
「ここに火事が起こるのは屋部という村の名が悪いからです。屋慶名と改名すれば火事が起きることはない」
村人たちがそのお告げにしたがったところ、その後は火事が起きることはなくなった(『遺老説伝』より)
・キンマモンに関する記録は、江戸時代初期の僧・袋中(1552~1639)の『琉球神道記』にすでに見ることができる。それによるとキンマモンは琉球開闢以来の守護神とされる。キンマモンは、ふだんは海底の宮に住んでいて、毎月、人間の世界に現れて遊んでは宣託を与えていくのだという。
・また、曲亭馬琴の『椿説弓張月』(1807~1811年)は保元の乱に破れて伊豆に流された源為朝が流刑地から脱出して琉球にたどりつき琉球最初の王朝である舜天王統の祖になったという伝説を読本にしたてたものだが、その中でキンマモンは「きんまんもん」と呼ばれ琉球を守護する神だとされている。ちなみにこの読本に挿絵を付したのは葛飾北斎だが、北斎は「きんまんもん」を、魚の胴体に人間の顔、鱗だらけの手足
があって直立するという異形の姿に描いた。
キンマモン=君真物で、「君」は君主もしくは神女は君主もしくは神女への尊称、「真」は真実、本物という意味の尊称、「物」は精霊の意味とみなせば、キンマモンは、精霊の真の君主ともいうべき偉大な精霊といった意味になる。「物」はまた本土の言葉で言う「もののけ」にも通じている。
・キンマモンは海から人里にやってくる宣託神であり、典型的な来訪神である。最近の沖縄では、この神について、単に沖縄の守護神というだけではなく、世界の救世神だとして主神に祭る新興宗教も出現している。
沖縄の習俗伝承には、憑き物系のもののけや来訪神に関わるものが多い。これは沖縄の社会事情とも深く関連している。後述するように、沖縄では、ノロやユタといった神女たちがさまざまな祭祀をとりおこない、庶民の生活に深く関わる存在となっている。
そして、彼女たちの職掌というのはつまるところ来訪する神を迎え、憑き物を払うことなのである。彼女たちが人々の生活に深く関わっている以上、来訪神や憑き物は社会的・文化的に認知された存在であり続けるし、またそうしたものたちが認知されている以上、神女たちの職掌も必要とされ続けるのである。
<メリマツノカワラ――神女と異神>
・沖縄には各地に御嶽と呼ばれる聖域がある。それらは神がかつて降臨した(あるいは今も降臨する)とされる聖地である。本土でいえば神社の本殿に相当するといえようが、御嶽は神社のような建築物ではなく自然の岩や洞窟をそのまま聖域と見なすものである。
その御嶽の由来の中には、異形の神の降臨について伝えるものもある。
・13か月が過ぎ、真嘉那志は一人の男の子を生んだ。いや、それを男の子と言っていいものかどうか・・・生まれた子供は頭に2本の角を生やし、両目は輪のように丸く、手足は鳥に似て細長く、奇妙な顔立ちで少しも人間らしいところはなかったからだ。
目利真角嘉和良(メリマツノカワラ)と名付けられたその子供は14歳になった時、母と祖母とに連れられて雲に乗り、空へと去って行ってしまった。
しかし、その後、メリマツノカワラは彼らがかつて住んでいた近くの目利真山にたびたび現れ、その度に人々を助けるような霊験を示した。人々は目利真山を御嶽として崇めるようになったという。
この話は『遺老説伝』や『宮古史伝』に出てくる。
・一部の古代史研究家は、メリマツノカワラの容貌が鳥に似ていたとされるところから、中国の長江流域にいた鳥トーテムの部族が漢民族に追われて海に逃れ、沖縄に渡来して鳥崇拝を伝えたのではないか、と考察している。
<神女が重んじられる文化>
・明治政府の廃藩置県によって王政が廃止された後も聞得大君(きこえおおぎみ)を頂点とする神女制度は存続し、現在は聞得大君こそ空位だが、各地のノロ(祝女、各地域の神を祭る女司祭)は祭祀によってそれぞれの地元の人の精神的なよりどころとなっている。
・一方、正規の神女制度に属さないユタという人々もいる。彼女らは庶民の祖先祭祀について指導したり、憑き物落としをしたりする民間の神女であり、その存在は沖縄の人々の生活に深く根付いている。ユタは祖先崇拝を通して庶民生活における伝統を伝えようとする存在ともいえよう。
・ノロやユタが沖縄の人々の精神生活に深く関わっていることを思えば、沖縄の民俗伝承に来訪神や憑き物系のもののけが多い理由も改めてよくわかる。
ノロの大きな職掌は来訪神を迎えることであり、ユタの仕事の一環には憑き物落としが含まれているからだ。沖縄の異神やもののけは、神女たちの存在意義を支えてきた。
そして、彼女らが沖縄の人々の生活に深く関わっているということは、とりもなおざず、彼女らに関わる異神やもののけが沖縄の人々の生活と密着しているということでもあるのだ。
<蝦夷地の妖怪や異神>
<コロポックル――妖精はどこにいる?>
・アイヌの伝説で本土の人にもよく知られているものと言えば、筆頭に挙げられるべきは、コロポックル(蕗の下に住む人)という小人族に関する伝説である。彼らはまた、トイチセウンクル(土の家に住む人)、トンチなどとも呼ばれる。この小人族たちは、伝承上、あくまで「人間」とされており、カムイ(神)でもカミムンでもないが、西欧の伝承における妖精などとよく似たところがあることも否めない。
・また、十勝地方の伝説では、コロポックルはアイヌに迫害されてその地を去ったが、その時、川に「トカップチ」(水よ、枯れろ)という呪いをかけた。これがトカチという地名の由来だという。
この伝説に基づき、コロポックルを北海道におけるアイヌ以前の先住民族とする説を唱える論者も多い。明治20年(1887)には人類学者・坪井正五郎がコロポックルは北海道のみならず日本列島全域の先住民族で、日本民族に追われてかろうじて北海道に残っていたものが、そこからさらにアイヌに追われた、という説をたてた。
<魔女ウエソヨマ――北国の天孫降臨>
・アイヌの伝説を論じる場合に避けて通れないのはユーカラといわれる口承叙事詩だ。その中には、もののけと戦って人間の世界に平和をもたらした英雄たちの物語も含まれている。
<水の精ミンツチ――半人半獣の謎>
・ところでアイヌの信仰で、和人のカミ(神)にあたる霊的存在を「カムイ」ということはよく知られている。
・ミンツチは半人半獣のもののけで小さい子供くらいの背格好をしているという。肌は海亀のようで色は紫とも赤とも言われる。
川辺に来る人を襲って水の中に引きずり込むとして恐れられる一方で、山や川で働く人を苦難から救うこともあると言われる。
・ミンツチの行動パターンには和人の伝承における河童に似たところがある。さらに言えば、ミンツチは和人との接触でアイヌの伝承にとりこまれた河童とみなした方がいいだろう。ミンツチの語源「みずち」は、水の神を意味する日本の古語(「蛟」という漢字を当てられる)だが、一方で青森県における河童の呼称「メドチ」と同語源でもあるのだ。