『防災福祉先進国・スイス』」
災害列島・日本の歩むべき道
川村匡由 旬報社 2020/6/29
・この狭い日本で1993年以降、地震や津波、火山噴火、さらには史上初めての原子力災害まで発生し、改めて世界にまれにみる災害大国であることを痛感させられたが、じつは、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などではこれら以上の大規模災害や「広域災害」の発生が懸念されている。それも今後、30年以内に70-80%の確率でマグニチュード(M)7-9クラス、震度6弱以上といわれているが、これに新型コロナウイルス・ショックが加われば日本の政治や経済、社会ともども危機的な状況となり、“日本崩壊”のおそれさえある。
・ところが、肝心の政府と国と地方の債務残高が2019年度末現在、約1120兆円にのぼり、世界最悪の借金大国となっているにもかかわらず、財政の再建による社会保障や災害対策の強化よりも日米軍事同盟の強化にともなう防衛費の増額や原発の再稼働、東京五輪の再度の開催、新幹線の延伸など土建型の公共事業を強行、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三大原則とする日本国憲法に反した政権運営に邁進している。また、このような権力の横暴をチェックすべきメディアは政権の言論の自由への干渉に反発せず、むしろ忖度した報道に終始しており、国際社会から危ぶまれている有様である。
・このようななか、防災福祉先進国として注目されているのがスイス連邦(スイス)である。なぜなら、外国軍の武力攻撃や大規模なテロリズム(テロ)などの有事や災害時に備え、官公庁や駅、空港、学校、病院、社会福祉施設などの公共施設はもとより、民家やホテル、劇場、商店街、スーパーマーケット(スーパー)などに核シェルターを整備したり、食料・飲料水などを長期に備蓄したりして防災および減災に努める一方、「永世中立国」として専守防衛と人道援助による平和外交、また、諸外国の被災地への共助に努めているからである。
・そこで、このようなスイスにおける有事および災害時に備えた防災福祉の最新事情を紹介し、災害大国・日本における防災福祉コミュニティを形成すべく上梓したのが本書である。その意味で、本書がより多くの人たちに少しでも参考になり、日本がスイス並み、否、スイス以上の防災福祉コミュニティの形成、ひいては防災福祉国家を建設し、かつ国際貢献すべき方途となれば筆者としてこれにまさる喜びはない。
なお、1スイスフランは110円で換算している。また、文中の写真は過去、約20年余りスイスや国内各地の被災地などで調査・研究した折、すべて筆者が撮影したものである。
<「エネルギー戦略2050」>
・そこで、連邦政府は2016年に決定した「エネルギー戦略2050」に従い、予定どおり、現在ある5基も段階的に廃炉するとともに、今後、原発の新設をいっさい認めず、再生可能エネルギーに転換することになった。
具体的には、2050年に向け、アルプス山脈の豊富な水に恵まれている立地を生かし、ノルウェー、オーストリア、アイスランドに次いで盛んな水力をはじめ、風力や太陽光、グリーン・テクノロジーなどの再生可能エネルギーに転換し、環境の保全に取り組むことになった。このような官民一体となった取り組みは隣国・ドイツとともに国際社会から高く評価されている。
<国民生活>
<税金などの負担>
・ところで、スイスの国民はどのような生活を送っているのだろうか。
前述のように、スイスは分権国家で、かつ連邦政府や州政府、基礎自治体がそれぞれ独自の税制にもとづく税率を設定している。また、物価が世界一高いため、さぞ税金などの負担も高いだろうと思いきや、一時40%だった平均税率は2018年1月、追加徴税措置の終了にともない、付加価値税(消費税のような間接税)が2018年1月、8%から7.7%に引き下げられた結果、11.5-17.85%となり、アイルランドに次ぐ世界第2位の低さとなった。
・また、所得税や住民税、資産税、事業所得税などからなる総合税率も30.1%とルクセンブルク、アイスランドに次いで3番目に低い。近年、相続税と贈与税は課せられるようになったが、税率は州によって異なる。夫婦間の相続や贈与には課税されない。
一方、国民の約3割はパートタイム労働者のため、共働き世帯が大半だが、国民所得に対する国民全体の税金と社会保障の負担の合計額である国民負担率は税金が10.7%、社会保険料が6.2%の計16.9%と低い。
・もっとも、スイス人は持ち家にこだわらず、国民の約7割は賃貸住宅に住んでいるため、収入の4分の1から3分の1は家賃に消えている。
いずれにしても、物価がスウェーデンやデンマーク、ノルウェーなどの北欧諸国、あるいはそれ以上のスイスとはいえ、世界一高い給与のほか、税率が意外と低く、かつ交通が至便で治安もよいとあって世界的な国際金融都市・チューリヒは世界の富裕層や資産家、医師、弁護士、研究者に交じり、最近、高額所得者の世界のトップ・アスリートの移住が急増している。
<消費生活>
・スイスは物価が世界一高いため、ドイツやフランス、イタリアなどの国境近くに在住している住民はパスポートを持参、物価の安い国境にあるドイツやフランスなどのスーパーへ越境し、買い物に出かけているものの、2018年1月、消費税が8.0%から7.7%に引き下げられ、かつ書籍・食品代は2.5%の軽減税率、消費者物価の上昇率は0.2%にとどまっている。また、IMFの2017年調査によると、スイスの国民1人当たりの名目GDPは8万591ドル(約886万円)で、10万5803ドル(同1163万円)のルクセンブルクに次いで世界第2位にランキングしている。
・これに関連し、スイスは州政府、基礎自治体ごとに税率が設定できるため、最低賃金制が導入されていない。このため、貧困や少子化対策、社会保障の縮減の代替策として、成人に毎月2500スイスフラン(約30万円)、子どもに同625スイスフラン(同7万5000円)を連邦政府が無条件に支給するベーシックインカム(最低所得保障)の導入の是非をめぐる国民投票が2016年に行われた。
結果は反対多数で否決されたが、ベーシックインカムが導入した暁には公的年金と失業保険(雇用保険)を撤廃する代替措置まで議論されたほどだった。ちなみに、チューリヒ近郊の基礎自治体、ライナウ(人口1300人)に至っては2019年1-12月、住民全員に毎月2500スイスフラン(約27万5000円)を支給する社会試験を行うことになったが、スイスの給与の高さはそれほど世界一というわけである。
・参考まで、OECD(経済協力開発機構)の「世界貧困率ランキングマップ調査:2020年」結果をみると、総人口に対する貧困層の割合を示す貧困率は9.10%と世界162ヵ国中31位で、世界平均の11.0%である。このため、消費生活は比較的安定しているといえる。失業率も2.60%とまずまずである。
余談だが、スイスは「ノーチップの国」のため、外国人がスイスで買い物や食事をした際、チップを渡す必要はない。タクシーを利用したときに料金の10%を支払う程度である。もっとも、そのタクシーも交通インフラが充実しているため、よほど急いでいるときぐらいしか利用することもない。それだけ生活しやすく、かつ治安もよいというわけである。
<ボランティア活動>
・たとえば、中世以来、キリスト教徒は今なお毎月、地元の協会に教会税を納め、その宗教倫理である「隣人愛」にもとづく住民どうしの見守りや安否確認、日曜礼拝後の歓談を通じ、互いにコミュニケーションを図っている。また、国民の4人に1人がボランティア団体に属し、無報酬の各種地域活動に参加している。
なお、上述したように、スイスではベーシックインカムの導入の是非が国をあげて議論されるほど、いずれの職業でも高収入が保障されているため、大学に進学する人は国民全体の2-3割にとどまり、残りの8-7割は中学や高校、職業学校などを卒業し、社会人となっている。それというのも、日本のように大学に進学しなくても努力次第でサラリーマンになることができるほか、農林や観光などの自営業であれば大学卒でなくても安定した生活が保障されているからである。
・しかも、いずれも国立だけで公立や私立はなく、授業料は連邦政府が全額支給するため、無料である。このため、卒業後、政治家や官僚、一流企業の幹部になっても世話になった社会に還元しなければならないと考え、ボランティア活動に努める者がほとんどである。また、企業・事業所も社会貢献活動を社員に奨励している。まさにスイス古来の国民の自治と連帯による証左の一端がみてとれる。
<スイスの社会保障と有事対策>
<年金>
<公的年金>
・具体的には、年金は国民皆年金のもと、公的年金(基礎年金)、職場積立金(企業年金)、個人貯蓄(個人年金)の3階建てで、職業や居住地を問わず、すべての国民に適用される。
・これに対し、職場積立金(企業年金)は老齢・遺族基礎年金を上乗せし、定年退職後、これらの公的年金では足りない老後の生活費を補うもので、被用者は一定額を超える給与がある場合、その額に応じて掛金、企業・事務所はそれよりも少ない程度で資金を毎月、ともに企業基金に拠出する。
<医療>
<医療保険>
・スイスでも基本的に国民皆保険が導入されているため、すべての国民はもとより、スイスに在住する外国人も毎月、所定の医療保険の保険料を支払えば医療保険の対象になる。
<保健医療と救急医療>
・保健医療で受診する場合、まず州営保険会社が指定する地域の診療所のファミリードクター(主治医)に受診し、診察の結果、必要に応じて専門医が紹介される。
・また、スイスでは自殺幇助が合法化されている。なぜなら、本人の意思とは別に延命治療が施され、医療費の増大によって医療保険財政が圧迫されることを避けるとともに、何よりも本人が自分の死を選ぶ権利を選択する自由は保障されるべきだと考えているからである。このため、本人や家族の希望であれば病院やフレーゲハイム(特別養護老人ホーム)、アルタースハイム(養護老人ホーム)、有料老人ホームで主治医がその対応に当たる。この場合、主治医は点滴を開始後、臨終に至るまでの模様をビデオで撮影し、検視に訪れた警察官に殺人でない旨を証拠として提示する。安楽死とは別物と考える尊厳死を重視しているため、連邦政府は組織的な自殺幇助を法的に規制しようという意図を放棄し、現在に至っているのである。
・一方、スイスは国民皆兵性を敷いており、兵営を終えたのち、有事の際、
民兵として出動を要請するため、連邦政府は希望者には兵役後、使用したライフル銃や自動小銃を自宅に保管することを認めている。このため、このライフル銃や自動小銃を使って自殺したり、一家無理心中をしたりする者が年間約400人の自殺者のうち、半数にのぼっているが、20年前に比べれば3分の1に減少、また、WHOの2019年調査によれば「世界の自殺率ランキングで第10位にとどまっている。アメリカのように一般の国民や観光客、旅行者に乱射するような事件も起きていない。ちなみに日本の自殺率は第7位である。
なお、公衆衛生に関していえば、下水道の普及率は都市部はもとより、山岳部も100%完備している。
いずれにしても、スイスの医療保険は国民が州営保険会社と医療保険を自由に選べるが、近年、医療技術の高度化や国民の長寿化を受け、医療費はGDPの全体の1-2割近くを占め、ドイツやフランス並みに増えている。それでも、医療の技術や水準が世界トップクラスとあって国民の満足度は高い。
<介護>
<施設介護>
・高齢者や障害児者の介護は健康保険の介護給付として現物給付(介護給付)と現金給付(介護手当)に分かれており、介護施設には基礎自治体や地域の教会、NPOが運営する特別養護老人ホーム、養護老人ホームのほか、企業・事務所などが運営する有料老人ホームがある。
<在宅介護>
・在宅介護は訪問介護・看護事業所の訪問介護・看護、あるいは地域の特別養護老人ホーム、養護老人ホームへのデイサービス(通所介護)、あるいはショートステイ(短期入所生活療養・介護)である。
<子育てなど>
<子育て>
・子育ての施設は公営の幼稚園、または保育園が主だが、都市部、山間部を問わず、共働きの世帯が多い割にはいずれも不足しているため、十分整備されているとはいえない。また、前述したように、いまだに育児休業を保障する法律がないため、企業・事務所が1-2週間、給与を80%保証する独自の育児休業制度を導入して対応している。
<地域福祉>
・一方、スイス連邦統計局の2016年の「貧困の動学分析」によると、総人口の7.5%に当たる約61万5000人のうち、14万人は就業しているにもかかわらず、貧困である。その意味で、世界一高給与の国とはいえ、総人口の約1%は長期の貧困状態に陥っており、格差が広がりつつあることもたしかである。
<有事対策>
<専守防衛と人道援助>
・「蜂蜜は、いつも流れ出ているわけではない」――。スイスの有事での政策はズバリ、永世中立国としての専守防衛と人道援助による平和外交に徹している。
・具体的には、1914-1918年の第一次世界大戦までに、ドイツやイタリア、オーストリアとの国境や谷、断崖、峠などの山岳部に農家の作業小屋や穀物倉庫などに見立てたコンクリート製の要塞やトーチカ、兵舎、弾薬庫を建設、弾薬や爆撃個、兵器を格納、国境警備隊、さらに国際河川のライン川や湖に船舶部隊を常駐、警備に当たっている。
・その後、1962年、侵略者に対しては官民をあげ、焦土も辞さない覚悟で臨む「民間防衛」を連邦法で定め、有事に備えることにした。また、翌1963年、民間防衛関係法の一つとして避難所建設法を制定、官公庁や学校、駅、博物館など1000人以上の不特定者が自由に出入りする公共施設やホテル、レストラン、レジャー施設、さらに50人以上が入居可能なアパートやマンションなどの集合住宅、および民家の全世帯に鉄筋コンクリートの核シェルターを地下に整備することを義務づけた。
・核シェルターは厚さ20-30センチで、かつ避難ハッチ(非常脱出口)付きという堅牢なもので、全費用の75%を連邦政府が補助する。そして、官公庁や学校、駅、博物館などの公共施設やホテル、レストラン、レジャー施設は1年、アパートや全世帯は6ヶ月、スーパーは1年以上、小麦のほか、国民食のレシュティ(ロスティ)やチーズ、ソーセジ、パンなどの食料や飲料水は原則として2ヶ月以上、食器や調理器具、ガスコンロ、冷蔵庫とともに備蓄するほか、簡易シャワー・トイレやベッド、空気清浄器、自家発電機、卓球場、ジム、軍服、軍事車両も保管し、少なくとも半年間、避難生活を送ることができるように指示している。
・また、国民1人当たりの軍事費は世界159か国中、65位と少ない割には、その実力はかつてオーストリアのハプスブルグ軍と交戦して「スイス軍の不敗」を証明したほか、第ニ次世界大戦、ユダヤ人難民の受け入れを拒否し、ヒトラーにスイスへの侵攻を断念させたことからもわかるように、スイスの核シェルターの堅牢さ、およびスイス人の自治と連帯にもとづく結束はそれほど強いのである。
<民間防衛>
・一方、連邦政府国民保護庁は1962年に定めた「民間防衛」の具体化のため、1969年、『民間防衛』を260万部発行、全世帯に無償で配布し、基礎自治体の各教区、または地区ごとに攻撃、消防、救護、搬送、焼き出し、連絡、広報、道路の復旧、社会秩序の維持などの任務を平常時から国民が分担し、訓練を重ねておくように指示した。
・具体的には、固定式サイレンは4200ヶ所、移動式サイレンは3000台整備するなど世界一の普及率を誇っている。
・さらに、東西冷戦が終わった1989年以後、平和外交の一環として各地の扮装の仲裁役を買って出る半面、自国が有事の際、6時間以内に約4000人の連邦軍のほか、21万人の予備役、民兵も含め、計約50万人が武装、自宅に所持するライフル銃や自動小銃を持って出動し、敵国軍の侵略に反撃する体制を敷いている。
これらの人材の確保のため、2003年まで20-52歳の男子は兵役に就くとともに、健康や身体的な理由なので兵役に就けない者、および早期除隊者が「民間防衛」に従事し、州政府指揮下の消防団は軍、または「民間防衛」に付加的に就業、以後、各自の自由意思で参集することを課したが、翌2004年以降、兵役は30歳まで、保護支援ユニットは40歳までに短縮した。その後、20-32未満の男子に最低1年の兵役および有事に備えることを義務づけ、現在に至っている。
・しかし、スイスは、第一次世界大戦はもとより、第ニ次世界大戦後、今日まで連邦軍や予備役、民兵などが外国の軍隊の戦火を交えることはなかった。また、1996年に北大西洋条約機構(NATO)に参加したものの、核兵器は持たず、先制攻撃のための武器は絶対に使用しないことを国是としていることは今も変わりはない。
それだけではない。日本が1945年8月、第ニ次世界大戦での敗戦を認め、連合国軍に「ポツダム宣言」を受託する際、その仲介をしたのはじつはスイスだった。
<災害対策との連携>
・なお、1955年、従来の国民に対する「民間防衛」の義務に新たに防災のための目的を加え、翌1956年以降、兵役の代わりに防災訓練への参加を選択できる代替制度を発足した。そして、2004年、各州政府の指揮における消防、警察、医療、電気・ガス・水道などのテクニカル(ライフライン)、連邦政府の指揮における保護支援の5つのサービスに組織を再編、連邦政府と各州政府の指揮・命令系統を連携した「市民保護」とした。
・一方、多くの国民は2006年以降、自宅に限り任意とされた核シェルターをその後も自費で自宅の地下に設け、食料や飲料水、調理器具、空気清浄機などとともに兵役時代に使用したライフル銃や自動小銃を保管、有事に備えており、その普及率は約650万の全世帯に及ぶ。また、全国の病院などにも計約10万ベッド分がある。これらの建設基準はアメリカが広島、長崎両市に投下した原子爆弾クラスが平均約660m以内で投下されても爆死はもとより、重傷も負わない堅牢さとされ、1基当たり23万スイスフラン(2530万円)前後の代物で、東日本大震災および東京電力福島第一原発事故以来、日本の住宅機器メーカーが開発、販売している50万-840万円ほどの家庭用核シェルターとはその設計や設備、規模、強度などの点で雲泥の差がある。
・ちなみに、日本における普及率は政府の補助も認識もないとあって、2018年現在、わずか0.02%にすぎず、かつ内部の備蓄用品や機器、さらには地域における災害、また、有事への取り組みも行政や消防署、警察署、消防団、自衛隊、それに町内会や自治会、集合住宅の団地自治会や管理組合など一部の住民有志による組織で、かつセオリー的な防災訓練などの取り組みにとどまっていることを考えれば家庭用核シェルターがあるに越したことはないが、気休めにすぎないおそれもある。
・このため、国際社会では「将来、万一、核戦争になっても生き残ることができるのはアメリカ人とスイス人だけ」といわれている。だが、有事でも災害時でも自国の国土が維持され、市民保護さえ果たせられればよいと考えているわけではない。
<災害の危険度>
<自然災害>
・実際、過去約700年間、地震らしい地震が発生したのはフランスとの国境にあるバーゼルだけで、1356年、M6.5を記録、中世の古城や教会、塔などが倒壊した程度である。そのせいか、住宅などの建築の耐震基準が定められているのは全26の州のうち、このバーゼルとローヌ川沿いのワインの山地、ヴァレーの2州だけである。
<スイスと日本>
・スイスはドイツやフランス、イタリア、オーストリアの列強に接する小国でありながら、多言語・多文化共生の国である。また、ゲルマン民族を中心に湖畔や断崖、渓谷、丘陵地、高原、平原・平地に集落を形成、キリスト教の宗教倫理である「隣人愛」、「コープ・スイス」・「ミグロ生協」の二大生協および国民の「REGA(航空救助隊)」などへの加入にみられるように国民の自立と連帯が強い。
<防災福祉コミュニティの形成>
<災害保障の概念化>
・スイスに学び、日本における防災福祉コミュニティを形成するために必要なことの第1は、災害保障を新たに概念化することである。
・しかし、2065年の本格的な少子高齢社会および人口減少のピークを前に、2018年、「全世代型社会保障」と銘打ち、年金や医療、介護、子育てを拡充すべきとしながらも消費税収入のほとんどは2019年度末現在、総額約1120兆円と膨れ上がっている長期債務残高の補填に大半を充てている。また、毎年、自民党へ多額の政治献金をしている日本医師会や製薬会社などに関わる医療へのメスは棚上げしたまま社会保障給付費を抑制する傍ら、防衛費や宇宙開発費の増強や東京五輪、新幹線、高速道路の延伸など土建型公共事業を推進しており、「1億総活躍社会」や「全世代型社会保障」、「働き方改革」、「地域共生社会の実現」などいずれもかけ声だけでその検証はされず、かつ災害対策は二の次、三の次である。
<公助・自助・互助・共助のベストミックス>
・第2は、公助・自助・互助・共助をベストミックスとすることである。
具体的には、政府はここ数年、介護保険における地域包括ケアシステムの推進にあたり、本来、政府や自治体による公的責任としての公助であるべき介護保険など、社会保険は国民が消費税など税金や社会保険料、利用料を負担する共助であることを強調している。
<有事と災害対策の再編>
・第3は、有事と災害対策を再編することである。
・一方、自治体、とりわけ、市町村は政府の主導のもと、過去の災害の有無や地形などの検証をふまえ、地域防災計画や地区防災計画、ハザードマップ、国民保護計画の改定はもとより、おにぎり、パン、各種レトルト食品、缶詰などの食料や飲料水の備蓄、避難経路、避難場所、一時避難所、福祉避難所、医療救護所、避難協力ビル、自主防災組織や消防団の拡充、防災教育の徹底、避難訓練の参加への広報、災害ボランティアの普及啓発に努める。
<地域防災・地域福祉と国民保護の融合>
・第4は、地域防災および地域福祉と国民保護を融合することである。
具体的には、まず地域防災と地域福祉を連携すべく市町村の地域福祉計画および地域防災計画と市町村社協の地域福祉活動計画を連携、または一体化して防災福祉計画とする。
<防災福祉文化の醸成>
・そして、第5は、防災福祉文化を醸成することである。
具体的には、政府や自治体はもとより、企業・事務所、国民も自宅や学校、職場など周辺の地形や立地、地盤、建物の耐震状況、通勤・通学・通院・通所などの避難経路、商店街や老朽化したオフィスビル、タワーマンションおよびその周辺の危険個所、さらには郷土史やウェブサイト、防災アプリで過去の災害の有無をチェックすべきである。
<防災福祉国家・防災福祉世界への地平>
<防災福祉教育の推進>
・最後に、この国の防災福祉国家への地平を拓くため、政府や自治体、企業・事務所、国民はどのような取り組みが必要か、提起して結びとしたい。
第1は、関係者が一丸となって防災福祉教育を推進すべきである。なぜなら、いくら政府や自治体がその気になっても、国民が各家庭や学校、地域、企業・事務所において防災教育を学び、防災福祉文化を醸成して防災・減殺に努めなければ「絵にかいた餅」に終わってしまうからである。
<防災福祉コミュニティの広域化>
・第2は、防災福祉コミュニティの広域化を図ることである。なぜなら、大規模で広域な災害が発生した場合、避難所が満員となって収容できなくなるからである。
<防災福祉先進国との共生>
・第3は、防災福祉先進国との共生を推進することである。なぜなら、スイスは有事を想定した総合安全保障、あるいは「民間防衛」にもとづき「永世中立国」として専守防衛と人道援助による平和外交をベースに災害対策を連邦政府の主導および官民一体で取り組んでおり、参考にすべき点が山ほどあるからである。
<防災福祉国家の建設>
・第4は、防災福祉国家を樹立することである。なぜなら、当該地域における防災福祉コミュニティの広域化にとどまるのであれば、国家としての有事、災害時における国土の維持や防衛、減災に拡充されないからである。
<防災福祉世界への貢献>
・そして、最後に第5は、防災福祉世界に貢献することである。なぜなら、スイスに倣い、日本も有事、災害時における防災福祉コミュニティの形成、ひいては防災福祉国家の建設に努め、かつ防災福祉世界へと普遍化しなければ有事および複数の国や地域に及ぶ大規模災害に対応できず、災害危険度の高い国や地域は旧態依然として有事、災害時における国土の維持や防衛、防災・減災とはならないからである。
<日本人が移住したい国>
・世界の関係機関の様々な調査によると、日本人が移住したい国としてスイスは必ずといっていいほどベスト10に入る。その理由として治安がよく、景観がすばらしいことが挙げられている。
しかし、スイスは北欧諸国並みに物価が高く、ゲルマン民族の血を引くだけに、大和民族などを主とする日本人が単にアルプス山脈や中世の家並みなどの景観へのあこがれなどだけでスイスへ移住することは困難である。この20年以上にわたる現地の調査を機に知り合ったスイス人と国際結婚した日本人女性のほとんどは、夫を見送ったあと日本に帰国して老後を過ごしたいと異口同音に話している。
・この点、日本は第ニ次世界大戦後、約75年にわたり一貫して対米従属および大地主と大企業の利益誘導の政治・経済体制のもと、有史以来、各地で頻繁に繰り返される自然災害に対し、旧態依然とした対処療法であるばかりか、東京電力福島第一原発事故後、9年経ったにもかかわらず、被災者の賠償や補償、汚染物質の処分も責任者の追及もされないままである。
・日本にとって、政府の主導および自治体も含めた公的責任としての公助をベースに、国民の自助と公助、さらには被災地以外の災害ボランティアや企業・事業所の共助のベストミックスによる防災福祉コミュニティの形成および広域化、さらには防災福祉国家を建設する意味で、単にスイスのプラス面にだけ注目するのではなく、このようなマイナス面も学び、窮極的には有事および災害対策はスイス、社会保障・社会福祉は北欧諸国、また、国際社会における立場は非武装中立のオーストリアに学ぶことが最善である。
『世界一豊かなスイスとそっくりな国 ニッポン』
川口マーン恵美 講談社 2016/11/1/
「幸福度世界1位」の条件は全て日本にも揃っている!!
あとはスイスに見習うだけ
<貴族の金儲けのための傭兵>
・ただ、スイス人がその能力を存分に発揮できるようになったのは、いってみれば、つい最近の話だ。それまでの彼らの歴史は残酷なほど暗い。『アルプスの少女ハイジ』の作者であるヨハンナ・シュピリ(1827-1901年)は、スイスを舞台に多くの小説を残したが、どの作品もあまりにも絶望的だ。
父親が医者で、本人はチューリッヒの学校まで出た。「上流階級」でありながら、作品に登場する彼女が育った土地の貧しさや閉塞感は凄まじい。外へ一歩出ると、孤児が餓鬼のようにさまよい、どこの家庭でも婦女の虐待は日常茶飯事だった。山奥の貧困はさらに激しく、一度も洗ったことも梳いたこともないような髪の毛を頭の上に帽子のように乗せた人間が暮らし、近親相姦が常態となっているような孤立した村もあったという。
・山がちな国土では、人口が増えればたちまち食料が不足した。輸出するものは人間しかなかった。それゆえ、スイスは中世以来、ヨーロッパのあらゆる戦線での戦士の供給国となっていったのだが、そのスイス傭兵の歴史は、あまり知られていない。
ヨーロッパの戦争は、常に傭兵の戦力で行われてきた。イタリアで傭兵が活躍し出したのは、13世紀末だ。
・さて、中世のスイス誓約同盟の3州では、州の支配者である貴族たちが、金儲けのためにヨーロッパの各国と傭兵契約を結んだ。つまりスイスの傭兵というのは、各人が自分の才覚で雇用契約を結んだわけではなく、いわば国家の斡旋によるもの。州政庁が安くかき集めた傭兵を、諸外国に高く輸出したのである。
支配者であった貴族たちが、その利ざやで懐を肥やしたことはいうまでもない。15世紀、すでにスイス人が、ヨーロッパの傭兵の主流を占めていた。
<傭兵ではなく植民地人や黒人を>
・書き始めるとキリがないが、アメリカ軍における日系移民で構成された442連隊は、ヨーロッパ戦線のいちばん危険なところに投入され、めざましい活躍と、最悪の死傷率を残した。しかし、当時、442連隊の勇敢な功績は無視され、凱旋パレードには、日系兵士の姿はついぞなかった。
一方、サイパン島の攻略では、上陸してきたアメリカ兵は全部黒人だったし、朝鮮戦争が勃発すると、日本に駐屯していた兵士のうち、黒人兵だけが最前線に送り出された。これは松本清張の『黒地の絵』に描かれているが、このときの黒人兵は、ほとんど戻ってきていない。
<永世中立国だからこそ強い軍隊を>
・現在、スイスが輸出しているのは、ハイテク武器だけでなく、軍事ノウハウも含まれる。軍隊の規模は人口の2%近く、男女平等を期するため、女子にも徴兵制を作るべきではないかという議論さえあるという。
成人男子には、最初の兵役が終わったあとも予備役があるということはすでに書いたが、興味深いのは、そのため各自が銃を自宅に保管できることだ。2011年、これを見直すべきかどうかという国民投票が行われたが、反対多数で否決された。
つまりスイスでは、兵役を終えた男性のいる家庭には、その男性が予備役に行く年齢(20歳から34歳)であるあいだ、ずっと銃がある。現在は、銃弾は有事のときにのみ支給されることになったが、少し前までは、銃弾も各自が保管していた。
・いずれにしても、スイス人の国防意識は高い。永世中立国であるから、集団的自衛権は持たず、NATOにも加わらず(平和のためのパートナーシップのみ)、自分の国は自分で守るというスタンスを貫いている。
彼らは、中立を宣言したからといって攻撃されない保証などないということを、ちゃんと知っている。自国の国土と国民を守るためには、強い軍隊を持たなくてはならず、その結果、ようやく得られるものが平和だと考える。
<日本の核シェルター普及率の衝撃>
・また、つい最近までは、スイスの家は必ず地下に核シェルターを備えなければならないという法律もあった。ドイツではどこの家にも地下室があるので、そのようなものを少し強化した防空壕かと思ったら、そうではなく、本当にコンクリートと金属でできた頑丈な核シェルターが各戸に設置されていた。
しかも、非常食、衛生設備、酸素ボンベなどを完備し、2週間は暮らせるものでなくてはならないなどと決められている。自治体の担当の部署から、抜かりはないか見回りに来ることもある、という話だった。
そこまで設置を徹底していた核シェルターだったが、2012年、ついに法律が改正され、自治体に1500スイスフランを払って最寄りの公共シェルターに家族分のスペースを確保すれば、自宅には設けなくても済むことになった。1960年より続いていきた国防対策の一つが、ようやく緩和されたのである。
公共シェルターは、全国に5000基あまり。病院や学校といった公共の建物の地下にあるシェルターと合わせると、その数は30万基にも上るという。全人口の114%の収容が可能だ。
ところで世界での核シェルターの普及率は、イスラエルが100%、ノルウェーが98%、アメリカが82%、ロシアが78%、イギリスが67%、シンガポールが54%、そして日本は0.02%だそうだ。
もっとも、広島の原爆投下時の状況について様々な知識のある日本人にしてみれば、核シェルターと聞いても、あまりピンと来ない。いつ駆け込むのか、いつ出るのかなど、様々な疑問が湧いてくる。しかし、それはさておくとしても、やはりいちばん衝撃的なのは、日本人には危機感が完全に欠落しているという事実に気づかされることではないか。
<スイス人の危機感から学ぶ国是>
・いま大都市の地下道を核シェルターとして利用可能にするという話があるらしいが、考えてみれば、核攻撃にしろ、災害にしろ、スイスよりも格段に危ういのが日本だ。北朝鮮が飛ばしてくるミサイルは、現在、日本近海に落ちているが、手に入れた物は使ってみたくなるのが人情だ。近い将来「偉大なる指導者」が、そのミサイルに、ようやく完成した核を搭載しないとも限らない。また尖閣諸島周辺では、中国の公船や戦闘機が、自由に日本の領海や領空を侵犯し続けている。
・しかし、平和憲法を拝んで、私たちは戦争を放棄しましたと唱えても、戦争が私たちを放棄してくれたわけではない。しかも、いま私たちの置かれている状況においては、攻撃される可能性は間違いなく大きくなってきている。
日本もスイスを見習って、各自が危険を察知するアンテナを、しっかりと立てたほうがよい。攻撃されないためには、抑止力としての武装が必要であるという事実も、そろそろ冷静に認めるべきではないか。
武装は戦争を始めるためにするものだという考えは短絡的で、しかも間違っている。それはスイスを見れば、一目瞭然だ。
・スイス人の危機感と、現実的な視点を、日本人は真剣に学んだほうがよい。「備えあれば憂いなし」を国是とするべきだ。
<1970年まで続いた奴隷市場>
・2016年4月27日、スイスの下院は、かつて国家が強制労働させた子供たちに対して補償金を支払うことを決めた。
この強制労働は、戦時下に外国人の子供をこき使ったという話ではない。被害者はれっきとしたスイス国民で、スイスは1800年から1970年ごろまで、なんと160年以上も、貧困家庭や離婚家庭の子供たちを教育という名目で強制的に「保護」し、孤児院に入れたり、「里子」として斡旋したりしていた。
これはもっと侮蔑的な「Verdingkind=子供召し使い(?)」という言葉で呼ばれていたのだが、この差別的雰囲気をうまく日本語に訳せないので、ここでは「里子」としておく。「里子」の引き取り手は、主に安い労働力を欲していた農家などだったが、ときに炭鉱で働かされたり、薬物実験に回されたりする子供もいたという。
いくつかの州においては、「里子」を取引する市場が定期的に開かれた。そこで子供たちは家畜のように吟味されたというから、まさに奴隷市場だった。
ただし、本当の奴隷市場とは違い、引き取り手はお金を支払うのではなく、「里親」として国から養育費をもらった。競売とはちょうど反対で、養育費を少なく要求した人から順に、子供をもらえたのだという。そして子供の人権は一切剥奪され、実質的には、「里親」となった人間に生殺与奪の権利が与えられた。
こうなると、子供たちの運命は「里親」によって決まる。多くの子供たちは4、5歳ぐいから、賃金も小遣いももらえないまま、ただ、働かされた。戦後は、最低限の義務教育は受けさせてもらったが、それより以前は学校などとは縁がなかった。
虐待は日常茶飯事で、さらに運の悪い子供たちは、飢えや寒さや性的虐待にも見舞われた。妊娠すれば堕胎させられ、断種や強制避妊も行われた。しかし、虐待がわかっても、警察や行政はほとんど介入することはなかった。
要するに、子供たちは社会のクズのような扱いを受け、お金がないのでいつまでたっても自立できず、農奴の状態を抜け出せないまま一生を終えることも稀ではなかった。
1910年には、スイス全土で14歳未満の子供たちの4%もが、「里子」に堕されていた。歴史家マルコ・ロイエンベルガーによれば、児童労働は国家の政策として、組織的に行われていたという。
<子供の強制収容が中止された年は>
・驚くべきことに、この「里親」制度が正式に中止されたのは1981年である。この年、ようやくスイスは、これまで行ってきた子供の強制的な収容や「里親」への引き渡し、避妊手術や堕胎、強制的な養子縁組などを停止した。
そのあと2005年には、法務省の指示で過去の「里親」制度にメスが入れられ、下院が法改正を提案したが、いつの間にかうやむやになり、6年後には立ち消えになってしまった。