日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

2018年になって、米国のジョンズ・ホプキンズ大学は、「パンデミック病原体の特徴」と題する報告書を発表し、呼吸器感染の危険性を指摘し、抗ウイルス薬やワクチンの開発を勧告した。(1)

 

 

『コロナの衝撃』

感染爆発で世界はどうなる?

小原雅博   ディスカヴァー携書  2020/5/23

 

 

 

必要な意識改革と具体的な行動

新型コロナウイルスとの闘いを通じて、私たちは多くのことを学ぶはずだ。重要なことは、それを社会で共有し、そう遠くない将来に出現するであろう新たな感染症の流行に備え、必要な意識改革と具体的な行動を起こすことである。それこそが、感染症克服に近づく道である。

 

・2019年12月に中国武漢で確認された原因不明の新型肺炎は、春節旧正月)前の帰省ラッシュによって一気に中国全土に広がり、翌年の3月には世界的に大流行するパンデミックとなった。

 

この感染症は「COVID-19」と名付けられ、「SARS-corona Virus 3」という新型コロナウイルスによって感染することがわかった。ウイルスは、ヒトの細胞に侵入してコピーを作らせ、細胞を破裂させることで多くのウイルスを拡散させ、他の細胞に入り込んで増殖する。感染経路は主として飛沫感染接触感染である。新型コロナウイルスに対するワクチンや独自の抗ウイルス剤はまだ確立しておらず(2020年5月時点)、開発・製造・販売には12~18か月かかると言われている。それまでは、他の感染症様に開発された薬(アビガンなど)を流用・転用するか、もしくは発熱や咳などの症状を緩和する目的の治療(対症療法)としての解熱剤や鎮咳薬の投与及び点滴等で対処するしかない。こうした対症療法によって全身状態をサポートする間にウイルスに対する抗体が作られ、ウイルスが排除されて治癒に至ると考えられる。感染を相互に防ぐには、「三つの密(密閉・密集・密接)」の回避、マスクの着用、石鹸による手洗いや手指消毒用アルコールによる消毒の励行が求められる。

 

感染症との闘い――新型コロナウイルスがもたらす複合危機

感染症との闘い

・それ以前には知られていなかった新たな感染症が出現したり、かつて流行した後は鳴りを潜めていた感染症が再び活動的になったりするなど、感染症は勢いを盛り返した。近年では、1981年のエイズ、1997年の高病原性鳥インフルエンザ、2002年のSARS、2009年の新型インフルエンザなどがある。

 その中で最も猛威を振るうのが、2020年にパンデミックとなった新型コロナウイルスである。

 

カミュの予言

・今日、ペスト菌の恐怖は過去のものとなった。しかし、カミュが予言した感染症は形を変えて、現代の私たちにも襲い掛かっている。2020年に武漢から広がった新型コロナウイルスがそれだ。そして、それは100年前に起きたスペイン・インフルエンザの大流行を想起させる。

 

スペイン・インフルエンザの猛威

・俗に「スペインかぜ」とも呼ばれるが、インフルエンザであり、HINIというウイルスによって感染する。スペイン・インフルエンザ(以下、「スペイン・フル」と呼ぶ)は、第一次世界大戦中の1918年から1919年にかけて世界で大流行し世界の人口の約3分の1が感染し、1700万人から1億人が死亡したとされる。感染や死亡の正確で全面的な記録が残っていないため、特に死亡者数については大きな幅のある数字となる。感染者が5億人だとすれば、一般によく言われる死亡者数5000万人で致死率は10%、死亡者数が1700万人なら致死率は3.4%となる。

 

新型コロナウイルスの致死率は、国家や地域によって異なり、また年齢によっても異なるが、米国のジョンズ・ホプキンズ大学がまとめた世界各国・地域の感染者数と死亡者数(5月4日時点)から計算すれば、7%となる。これは通常のインフルエンザの致死率(0.1%程度)よりはるかに高く、スペイン・フルに匹敵する

 しかし、この致死率は、報告された症例のみに基づく数値である。無症状や軽い症状のために検査や治療を受けていない感染者は公式の発表数字に含まれていないこうした「隠れ感染者」が多数存在することを考慮すれば、致死率は低くなるだろう。米国のある医学雑誌では、0.66%という研究結果が発表された。

 

「三つの山」

・スペイン・フルは次ページ、上の図の通り、三つの山(ピーク)を伴って1918年の春先から1919年の夏まで続いた。

 第一波は、米国のカンザス州の米軍基地で発症した兵士が欧州西部戦線に送られる途上で感染を広げていったとされる(諸説の中で有力)。

 

・しかし、戦時下の検閲によって兵士の士気を下げる感染のニュースは伝えられず、当時中立国で検閲が緩やかだったスペインで感染が報じられたため、スペインだけで起きていると誤解され、「スペイン・フル」と呼ばれるようになったのである(その起源は今も論争の中にある)

 第一波は、感染力は強かったものの、致死性は強くなかったため、山が小さくなっている。

 

・第二波(9~12月)は、北半球の晩秋からフランス、シェラレオネ、米国で同時に始まった。一説には、1918年11月11日に休戦協定が結ばれ、多くの市民がこれを祝うため集まったことから感染が拡大したとも言われる。致死率は10倍となり、右ページの図が示す通り、一番大きな山となった。特に15~35歳の健康な若年者層が死亡者数で最多を占めた。これは、過去にも、またそれ以降にも例のない特徴であった。

 第三波(1~4月)は、北半球の冬である1919年の始めに起きた。このときには、多くの人々に抗体ができていたと見られている。

 このスペイン・フルから何が見えてくるのだろうか?

 二つの興味深い点を指摘したい。

 一つは、抵抗力の有無であり、もう一つは感染流行の「第二の波」である。

 

感染症のジレンマと不確実性

スペイン・フルが4~5000万人の犠牲者を出したとすれば、それは第一次世界大戦での戦死者1900万人をはるかに上回る。日本では、40万人が死んだと言われる。

 死亡者の数の多さに驚くが、その一つの原因として、当時ウイルスが発見されておらず(発見は1933年)、抗ウイルス薬もなかった(できたのは1963年)ことが指摘されてきた。

 ここで興味深いのは、抵抗力の強いはずの15~35歳の世代の死亡者数が非常に多いことである。その原因としては、CDC(米国疾病予防管理センター)が疑問を提起しつつ取り上げたのが、1989年に流行したインフルエンザH1との関係である。それを経験した世代(1989年以前に生まれた人)がH1N1にも抵抗力を持っていた可能性は排除できない。

 

ウイルスは不確実性ももたらす。それは、「第二の波」への恐怖から生まれる

 スペイン・フル大流行のパターンが示した「三つの波」は、他の主要なインフルエンザ大流行においても観察された。前記1889年のH1、1957年のアジア・インフルエンザ、1968年の香港インフルエンザは、すべて「三つの波」を伴って大流行した。そして、これらすべての大流行において共通しているパターンとして、第一の波は比較的穏やかであるが、その数か月後に現れた第二の波はそれよりはるかに破壊的となったことが指摘できる。

 

・こうしたパンデミックのパターンは、コロナウイルスによるSARSや中東呼吸器症候群(MERS)には見られなかったが、ウイルスの変異などの不確実性に鑑みれば、第二の波の可能性を排除することはできない。出口の見えない不確実な状況が続けば、経済は立ち直れないほどの打撃を受けることにもなりかねない。

 こうしたジレンマや不確実性が各国の政策担当者や感染症専門家を 

悩まし、健康危機と経済危機という「複合危機」となって世界を揺るがす。

 

複合危機が世界を襲う

第一に、ウイルス感染による健康の危機である

 21世紀に入って、2002年から2003年に流行した「SARS」や2012年以降の{MERS}、など、コロナウイルスによる感染流行は起きており、新型コロナウイルスによるパンデミックの予兆はあった。それに警鐘を鳴らした研究機関もあった(例えば、2018年に米国のジョンズ・ホプキンズ大学がまとめた報告書)。

 しかし、政府も人々も目の前の利益や脅威にしか目を向けなかった。そして、中国はSARSの教訓を活かせず、再び初動で大失態を犯した情報隠蔽は勢いを増す権威主義体制への懸念を再燃させることにもなった。一方、民主主義のリーダーである米国では、感染症の早期警戒・対応の核とすべくオバマ前政権が設けた感染症対策チームがトランプ大統領によって解散させられていたこともあって、初動対応が遅れ、感染拡大を許してしまった。

 

新型コロナウイルスは、感染力が強く、潜伏期間が長いため、気づかないうちに社会に蔓延し、国境を越えた。治療薬やワクチンがない中で、各国政府は対応に苦慮した。

 

健康危機から経済危機へ

・健康危機は経済危機にもつながった。それは需要の急減とサプライ・チェーンの分断という画面で起きている。外出禁止で消費需要を失った小売りやレストランや旅館は廃業・倒産に追い込まれている。手元資金が枯渇し、ローン返済や賃金支払いが困難となる流動性不足は深刻だ原油価格が暴落し、株価も急落した。企業倒産や失業者の増加が経済の悪循環を加速させる。

 国際通貨基金IMF)は、4月の「世界経済見通し」において、「(1930年代の)大恐慌以来最悪の景気後退を経験する可能性がきわめて高い」との予想を発表した。

 

今回の危機への対応が難しいのは、健康危機が絡んでいるために、感染が終息しなければ、経済刺激策を取る余地がないという点にある。政府が取るべき措置は、中小企業の資金繰りを助け、雇用環境の不安定な人々を支援する「弱者救済策」である。この戦いは、弱者の痛みを和らげながら感染終息を待つ持久戦に他ならない。

 健康危機と経済危機はコインの表裏のように深く関係している

 

経済と感染症のジレンマ

・地球環境と経済の関係同様、感染症と経済の関係も二者択一で捉えるべきではない。新型コロナウイルスによる重症化のリスクが高いのは高齢者であり、経済の停止による雇用不安や収入減に直面するのは貧困層や弱者である。貧困が蔓延する途上国で感染阻止のために経済を止めれば、それもまた深刻な事態を招くだろう感染症対策と経済政策の両立が求められるが、それは容易なことではない。

 

IMF報告書の提言と四つのシナリオ

その帰趨は、このウイルスの感染がいつ終息するかにかかる

IMF報告書では、四つのシナリオを提示した。

基本シナリオ:2020年後半に経済活動が再開する。

シナリオ2:2020年中に感染拡大封じ込めに失敗し、パンデミックが長期化する(ベースライン比で50%長期化)。

シナリオ3:2020年中の封じ込めには成功したが、2021年にやや軽度な第二波の流行が起きる(ベースライン比で3分の2の流行)。

シナリオ4:上記シナリオ2と3が同時に起きる。

 

・仮に、基本シナリオ以外のシナリオとなる場合には、経済はさらなる下振れにより、失業や倒産が増大する。最悪のケースはシナリオ4で、1930年前後の大恐慌に近い状況も覚悟しなければならない。

 外出自粛を要請しつつ、そのことで倒産や失業に直面する企業や個人を支援することによって雇用や所得の崩壊を食い止め、感染終息後の消費リバウンドにつなげることも期待できるが、感染終息が遅れれば遅れるほど、「兵糧」支援は増大し、財政赤字の問題も深刻化する。

 1~2年と言う中期においては、第二波があるのかないのか、そして、5~10年という長期においては、新たな感染症パンデミックがいつ起きるのか、が世界経済を見通す上での大きな要因となろう。

 

複合危機後の世界は?

今、起きている危機は、90年前の大恐慌以来の大惨事となり得る複合危機である。危機は、健康から経済へ、そして国際政治にも広がる。その

影響は長く続くだろう。大恐慌は経済回復に10~12年かかった。14世紀のペスト大流行は優に1世紀かかったと言われる。その結果、大恐慌は第ニ次世界大戦につながり、ペスト大流行はヨーロッパ中世を根底から揺るがし、ルネサンスを生んだ。

 2020年に起きたパンデミックは、グローバルな問題への国際協調の契機となるのか、それとも、経済ナショナリズムや「自国第一」が広がり、「カップリング:分断」と経済のブロック化が進み、大国間の対立と競争が激化する動因となるのだろうか。悲観論が広がりを見せる中で、危機後も見据えつつ議論を深めてみたい。

 感染症複合危機は、「想定外」のパレードとなった。

 

世界の不況と分断

<「中国終息、世界爆発」

新型コロナウイルスは、3月には世界に広がり、11日には、WHOがパンデミックを宣言した。感染者数・死亡者数の上位には、米国、スペイン、イタリア、フランス、ドイツ、英国など欧米先進諸国が並ぶようになった。

 これとは対照的に、中国では徹底した隔離や封鎖が功を奏して、新規感染者数はゼロに近づいていた。3月10日には習近平国家主席が満を持して武漢に入った。そして、4月9日、ついに武漢封鎖は解除された。中国経済も正常化に向けて動き始めた。

 

恐怖が支配する市場

・恐怖心は、人間の社会的反応を変える。見えない疫病は見えるミサイルより人々を不安にする。戦場も敵も見えない「煙のない戦争」は経済学者も投資家も計算ができない。

 

米国資産バブル崩壊という悪夢

非常事態との認識があらゆる政策の総動員を正当化する。市場も迅速な財政刺激策を求める。しかし、そこに落とし穴はないのだろうか。

 米国株式市場は11年間上昇基調を続けてきた。そろそろ調整局面に入る時期ではないかとの心理がじわじわと広がりを見せていた。それでも、米国政府はドルを刷り続けてきた。

 いつのまにか、米国の繁栄は、株式相場で決められる砂上の楼閣になっていたのではないか。米国経済を支えるのは、その3分の2を占める消費であるが、それを可能にしているのが株や債券が生み出す不労所得である。今や、米国経済は株価の上昇に過度に依存する体質となってしまった。

 

・米国経済は、デジタル化と金融工学によって過剰に仮想化されていく。

 その最大の産物が、金融自由化と債権流動化の流れの中で生まれ、急拡大したデリバティブである。

 金融市場のグローバル化に伴う金融取引の激増と多様化の中で、その総額は640兆ドルというとてつもない額に膨れあがった。

 デリバティブは、先物取引、オプション、スワップ、及びこれらの複雑な組み合わせからなる。ヘッジとリスク管理において重要な役割を果たすが、金融市場の安定、さらには経済全体を危機に晒しもしてきた。2008年のリーマン・ショックに始まる世界金融危機は、巨大なデリバティブ市場の財の価値を支えるために引き起こされたとも言える。

 著名投資家 ウォーレン・バフェット氏はデリバティブを「金融大量破壊兵器」と呼び、膨張するデリバティブ取引による「超大災害のリスク」に警鐘を鳴らした。

 

このところ、1929年の大恐慌がしきりに私の念頭をよぎる。それが、ワースト・シナリオを想定する習性の悲観的国際政治学者の杞憂であればよいが。

 

二つの危機と「厄介な問題」

新型コロナウイルスの世界的大流行は、公衆衛生の危機であるが、同時に経済の危機でもある。この二つの危機にどう対処するか、各国政府は大きなジレンマに直面することになった、その核心は、「社会的距離」を置く措置の中身と期間にある。

 

「失敗国家」アメリ

・4月下旬、米国の失業者数は2640万人に達した。失業率は24%にまで急上昇するとの見方も出た。年初に1桁代前半であったことを考えると、桁外れの大幅上昇である。それも、3月末に成立した2兆2000億ドル規模の「コロナウイルス支援・救済・経済保障法」の緊急実施後の数字であり、これがなければ失業者ははるかに大きな数字となっていただろう。

 

消費大国米国の経済成長を支えてきた原動力の一つは、低い失業率と労働者の給与増による消費の拡大である。しかし、そうした成長モデルは、コロナ危機のずっと前から崩れてしまっていた。特に、21世紀に入ってからは、低中層の所得が伸びなくなり、中間層から貧困層に転落する者も多く、中間層は少数派に転じ、所得格差が広がった。

 

人口3億3000万人の国家で、(非正規の)時給労働者が8000万人に達し、2800万人が医療保険に加入していない米国で職を失えば悲惨の極みだ。それは、生活を失い、生存さえ失いかねない危機を意味する。国の将来を支える若者たちは大学進学で多額の借金を抱える。学生ローンを借りている米国人は4400万人を超え、その総額は1兆5600億ドル(約170兆円)にも達している。国民皆保険や学生ローン債務の帳消しを約束したサンダース氏が大統領選挙民主党予備選で多くの支持を集めた理由がここにある。

 しかし、そうした政策を掲げたサンダース氏をトランプ大統領は「社会主義者」「共産主義者」と指弾した。

 

米国は北欧諸国のような福祉国家ではなく、レッセ・フェールを基本理念とする。米国の市場経済においては、人工呼吸器も労働者も価格(賃金)や需要によって調整される。しかし、労働者は生身の人間であり、人工呼吸器は貧富の差別なく利用されるべきだ。食料供給が低下し、何時間も列に並んだ結果、何も手に入らなかったとの市民の声が報じられる一方で、一部の富裕層は特別なルートで何でも手に入るとの書き込みがネットで広がった。これでは中国の「権貴資本主義」(権力とカネが癒着した中国経済の批判的呼称)と変わらない。米国の政治が大企業や富裕層に偏る限り、超大国の未来は暗い。最低限の医療や教育も受けられない国家は、ある種の「失敗国家」である。

 

・「貯蓄せず、住宅ローン・自動車ローン・クレジットカードなどの負債に依存して、ぎりぎりの生活を維持してきた米国人の家計はガラス玉のように脆弱になり、実体経済が再起動するとしても、失業率・消費水準を新型コロナウイルス感染症前に復元することは容易ではない。………今後、米国人は食べ物以外は何も消費しない状況になるだろうが、それはまさに第二の大恐慌。」

 このコロナ危機が終わるときは、米国は世界最大の経済・軍事大国でありながら、「失敗国家」となって、歴史に名を残すのかもしれない。

 

経済と安全保障が絡みあう米中経済関係

・米中両国の対立と競争が様々な分野で激しさを増す中で、国際政治は不安定で不確実な様相を深めている。米中間の経済相互依存は米ソの冷戦時にはなかった関係であり、「トゥキディデスの罠」に陥ることはないとの議論は、防疫戦争や技術覇権をめぐる闘争によって説得力を失った。相互依存は両刃の剣である。習近平氏もトランプ氏も、経済力を威嚇の手段として平然と利用する。政治や安全保障が経済の領域を侵食し、複雑にしている。

 その複雑さの一つが、安全保障と経済の境界が曖昧になっていることである。それはいくつかの事象によって説明できる。

第一に、技術革新がサイバー空間や宇宙を「新たな戦場」に変えつつある。

第二に、サイバー、人工知能、ロボット、ドローン、自動運転、生物兵器となり得るバイオなどが軍民両用技術として存在感を急速に高めている。

 このように、近年、安全保障は経済の領域にも急速に広がっている。

 

国家のガバナンスをめぐる競争の行方

・近年、欧米の学者からは権威主義の広がりを懸念する声が少なくない。欧米の民主主義がポピュリズムに堕してしまったとの悲観論も耳にする。

 確かに、米国のリベラル民主主義は、空前の機能不全を起こしている

「自国第一」の大統領の下、行政府は外交や開発援助や感染症などのグローバルな問題に関する予算の削減や幹部ポストの空席に喘ぎ、議会は南北戦争以後最も激しい党派対立に陥り、最高裁は国民の信頼感が歴史的低迷状態にある。

 米国資本主義も異様だ。新自由主義の暴走によって、豊かな層がより豊かになり、その他の層がより貧しくなる。富は所得階層ピラミッドの頂点に集中し、中間層はやせ細って、格差が拡大し続けている。

 

・そうした疑問が、トランプ政権下で深まった。コロナによる経済危機は、1929年の大恐慌を想起させるかのような倒産と失業を引き起こし、貧困層と中間層を打ちのめしている。この危機は米国社会に大きな爪痕を残すとともに、国家のガバナンスをめぐる攻防にも影響を与えるであろう。

 

・一方、中国の権威主義モデルが世界での支持を広げているかと言えば、必ずしもそうとも言えない。

 新疆やチベットの人権抑圧から香港の「一国二制度」の形骸化、南シナ海での力による現状変更、台湾の武力統一の威嚇まで、政治や外交はよりナショナリスティックで強硬なものとなっている。中国台頭を象徴する「一帯一路」構想にも、「債務の罠」などへの警戒感が高まる

 国内においても大きな緊張を抱える。法の支配の欠如、権貴資本主義、汚職不敗と所得格差、環境汚染など中国が抱える問題は依然深刻だ。一党独裁の正統性の要である経済成長の鈍化も顕著だ。社会の流動化・不安定化を防止すべく、習近平政権は共産党指導を徹底し、言論・思想の統制を強め、人権弁護士や作家方方を圧迫する。

 

債務危機から金融危機

コロナ危機という「黒い白鳥」が国家の行動を正当化する。米国や日本をはじめ多くの国が空前の金融緩和と財政出動に動いた。その規模は、7兆8000億ドル(約830兆円)に上り、2020年の各国政府債務の対GDP 比は大幅に増加し、世界のGDPとほぼ同規模にまで膨張する。

 債務残高が250%を突破する見通しの日本の状況も深刻だ。税収減・歳入減で財政赤字はさらに拡大する。

 4月末、日銀は事実上無制限の国債購入に踏み切った。日銀総裁は否定するが、これでは紙幣を刷って政府予算をまかなう「財政ファイナンス」ではないかとの悲観的な見方は決して小さくはない。日銀の債務超過と円暴落への懸念も漂う。

 

新たな感染症危機への備えと国家の責任

・政治家も経営者も学者も「想定外」を口にする。しかし、実はそれは「黒い白鳥」などではなかったのではないか。

 ヒトーヒト感染するコロナウイルスはSARS(2003)やMERS(2012年)としてすでに出現していた。2020年4月7日の英国科学雑誌『ネイチャー』は、COVID―19ウイルス遺伝子はSARSウイルスの配列と80%共通していると指摘している。

 SARS後に、EUは共同研究を立ち上げたが、世界金融危機による資金難などで打ち切られてしまった。2018年になって、米国のジョンズ・ホプキンズ大学は、「パンデミック病原体の特徴」と題する報告書を発表し、呼吸器感染の危険性を指摘し、抗ウイルス薬やワクチンの開発を勧告した。

 

・しかし、SARSやMERSの発生やその後の科学者の警鐘にも国家は動かなかった。もしSARS発生当時から治療薬の開発や法律の整備やマニュアル策定などを続けていれば、2020年の世界はずいぶん違った展開になったであろう。目の前の問題にしか関心のない政治の責任は重い。

 

途上国支援と国際社会の結束

感染症との闘いにおいては、開発された治療薬やワクチンが、先進諸国(もちろん中国も)や国際機関からの援助として、あるいはNGOや企業などを通じて途上国の人々の手に届くようにする必要がある。

 

国際機関のガバナンス

・それこそが、現在の危機のみならず、将来の危機への備えにもつながる道である。そして、国際機関を政治闘争の場から科学に基づく協力の場へと改革していく道である。

 日本には、国際機関「性善説」が存在してきた。国際連盟を脱退して戦争に突き進んでいったことへの苦い反省もあるだろう。しかし、国際機関といえども、未成熟な国際社会における「権力政治」から逃れることはできない。そのことを認識した上で、米国や中国とは一線を画した多国間外交を展開することが日本に期待される役割である。

 

問われる私たち一人一人の行動

・そんな日本において、私たち一人一人がやるべきことは、「自由」社会での「責任」を自覚し、「安全」のために行動することだ。それが、自分と周囲の人々の命を救い、「自由」を守ることにもつながる。

 

感染症の歴史小話

戦争以上に人口を減少させた感染症

スペイン・フルでは最大1億人が死んだとも言われるが、その数字は二つの世界大戦の戦死者を上回る。感染症は戦争以上に人々の命を奪い、それは人口減少にもつながるほどの規模であった。

 

・16~17世紀にかけての明末清初期には、華北地域で発生したペストが人口動態に影響を与えるほどの犠牲者を出した。

 1917年から1921年にかけて、ロシアは8500万の人口のうちの1000万人を失った。この膨大な数の死者は、戦場で起きたものではなく、飢餓と疾病によるものである。そのうち、少なくとも300万人がチフスに感染して死んでいる。

 

・1981年から2011年にかけて、そして今も感染が続いているエイズは、世界で累計2500万人以上の命を奪った。2018年の時点で、世界には約3900万人の感染者がおり、約77万人が死亡している。これらの数字は、その背後にある悲劇への想像力を圧しつぶすほどの大きさだ。

 

ペストの恐怖

そんな冷酷非情な感染症の中で、歴史的に特に悪名高いのがペストである。

 ペストは、古代からヨーロッパ社会を中心に世界を揺るがしてきた

 現代の分類では「腺ペスト」と推定されている疫病が6世紀半ばの東ローマ帝国で大流行した。これが歴史上記録に残る最初の大流行となった疫病である。

 首都ビザンチウムでは、流行のピークにおいて毎日5000人から1万人が死亡した。埋葬する場所もなくなり、死体が広場に積み上げられるほどであった。終息するまでに、東地中海の人口の4分の1が失われた。ペストは、東はペルシャ、西は南ヨーロッパまで広がり、世界人口の33~40%が死んだと言われている

 

・ペストは14世紀のヨーロッパで再び猛威を振るった。それはかつてない感染力と毒性をもって人々をなぎ倒し、「黒死病」と恐れられた。

 

ヨーロッパだけで全人口の4分の1に当たる2500万人が死亡したと推定されている。聖職者を失った教会は混乱し、人出不足による賃金の急騰、ヨーロッパでの戦争の停止など、黒死病の影響は多岐にわたった。

 また、「黒死病」への恐怖は人々の理性を奪い去った。ユダヤ人がペストの毒をばらまいたとして襲撃され、集団狂気が悲惨な魔女狩りを引き起こしもした。

 

ペストは、17世紀にもロンドンで大流行を見せている

 ペストはアジアも襲った。1894年に中国から香港を経て世界に広がったペストは世界で1000万人以上を死に追い込んだ。当時、細菌学の祖と言われるドイツ人医学者ロベルト・コッホに師事していた北里柴三郎は日本政府により香港に調査派遣され、腺ペストの病原菌を共同発見している。1902年には、東京や横浜でも発生し、役所がネズミ1匹を5銭(のち3銭)で買い上げるという措置を講じている。

 

感染症グローバル化

こうした疫病は陸を通じ、あるいは海を越えて世界に伝播した。

 古くは西暦165年、ギリシャの医師が記録したところでは、現代の天然痘であると思われる疫病によってローマ軍がメソポタミアから退却せざるを得なくなったとある。この疫病は、感染して死んだ二人の皇帝のうちの一人の名を取って「アントニウスの疫病」と呼ばれた。流行のピークでは、ローマで毎日5000人が死に、疫病が15年ほど続く間に計500万人が死んだ。ローマ帝国で流行したペストは、帝国内の巨大な倉庫に貯蔵された穀物に巣くったネズミやシラミが船や馬車によって広がったと見られる。

 

文明を滅ぼしたウイルス

・わずかな数のコルテスの軍がアステカ帝国に勝利し、ピサロに率いられた数百人のスペイン人が広大な領土と数百万の人口を持つインカ帝国を支配した。なぜだろうか?

 説得力のある一つの答えは、南米のインディオが初めて遭遇した天然痘やはしかといった感染症によって身も心も打倒されたからである

 

医療・衛生の進歩と病原菌の進化

抗生物質を使い続けていると、細菌の薬に対する抵抗力が高くなり、薬が効かなくなることがある。細菌が薬への耐性を持ったからだ。こうした細菌を薬剤耐性菌と呼ぶ。ウイルスに対しても抗ウイルス剤が開発されているが、これが効かない薬剤耐性ウイルスも現れている

 

戦争と感染症――敵はいずこに?

医学行政が飛躍的進歩を遂げた20世紀に入るまで、戦争には感染症が付きまとった。敵は、戦場の敵軍のみならず、自軍で広がる病原体でもあった。そして、犠牲になった多くは大抵戦闘行為ではなく、感染症によるものであった。

 太陽の没するところのない大英帝国も敵兵よりも感染症に苦しんだクリミア戦争(1853~1856年)では、疫痢による死亡者が戦死者の10倍に達した。ボーア(南アフリカ)戦争(1880~1881年、1899~1902年)でも、戦死者数(死亡者総数の35%)を病死者数(65%)が大きく上回り、その多くは赤痢や腸チフスという感染症であった

 

ペロポネソス戦争の勝敗を左右した感染症

古代ギリシャ都市国家(ポリス)のアテナイとスパルタが覇権を争ったペロポネソス戦争(前431~404年)では、アテナイの33~66%を占める市民3万人が疫病で死んだ。紀元前429年、アテナイは籠城戦によってスパルタ軍と対峙していたが、アテナイの城壁の中で感染症が流行した。「アテナイのペスト」と呼ばれたこともあったが、今日では天然痘発疹チフス、あるいはその両者と考えられている。

 

・ここには、マラリア原虫が夏に活動する湿地帯に野営したアテナイ軍をマラリアが襲った様子が描かれている。アテナイ軍は、感染症に敗れたのであった。しかし、後に医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、当時すでにマラリアについての記述を残しているアテナイ軍の無知が大敗とその後のアテナイの衰退につながったと言える。

 

ナポレオン軍の強さの秘密

・天才軍事戦略家のクラウゼビッツは、ナポレオン軍の強さを全人民の強さに基づくと指摘している。

 ナポレオンが国民軍を維持する上で、特に気を配ったのが、専門化された軍医団の創設と積極的な医学的知見の採用であった。ナポレオン軍は当時としては画期的な新兵への種痘接種も取り入れている。

 それでも、感染症には苦しんだ。1812年ロシア遠征においては、赤痢発疹チフスにより数千人の兵士が死亡し、遠征失敗の一因となったとも言われている。

 ナポレオンがセントヘレナに幽閉された後、フランスでは軍の種痘接種の慣行を廃止している。一方、ナポレオン軍に学んだプロシア軍は種痘接種を続けた。その結果、普仏戦争(1870~1871年)では、天然痘により2万人のフランス軍が戦闘不能に陥ったが、プロシア兵は免疫があって無事であった。種痘が戦争の行方に影響した。

 

クリミアの「白衣の天使」

クリミア戦争(1853~1856年)では、コレラ赤痢が蔓延した。戦地に赴いたナイチンゲールが目にしたのは、2000人の兵士が赤痢を患いながら不衛生な病院に押し込まれて死を待つばかりになっていた状況であった。彼女は、看護婦の地位が確立していない時代に、感染症が蔓延する野戦病院の衛生環境を改善すべく看護団を指揮して尽力した。その結果、化膿性疾患による死者は激減した。

 

日露戦争での日本の衛生管理を採り入れた欧米列強

近代戦争において、戦場での感染症患者を減らすことは、戦争遂行において大きな課題であった。戦死者数を上回る病死者数を逆転させたのが日露戦争の日本軍である。当時の日本軍は組織的な予防接種と厳重な衛生管理を徹底した。その結果、病死者は戦闘での死者の4分の1以下に止まった。

 世界の主要国は、日本に倣って、軍での予防接種の義務化などを進めた。こうした措置によって、軍隊内でのチフス天然痘破傷風の発生は激減した。

 ちなみに、日露戦争後の1910~1911年、満州ではペストが流行し、44万3942人が感染し、その全員が死亡した。

 

西部戦線異状なし

第一次世界大戦が始まる前の1910年、チュニスパスツール研究所で、発疹チフスを広げるシラミの役割が突き止められた。これは戦争の帰趨にも影響を与えた。一つは、塹壕戦を可能にしたことである。西部戦線では、前線との間にシラミ駆除用の施設を設置して、発疹チフスの流行を抑えようとした。一方、そうではなかった東部戦線では猛威を振るった。セルビアでは、戦争開始後半年で15万人が命を落とし、革命で成立したソ連や東ヨーロッパでは、3000万人が感染し、300万人が死亡した。

 

第ニ次世界大戦と感染症

・第ニ次世界大戦中には、連合軍がシチリアに侵入した1943年に、マラリアが蔓延した。野戦病院は6361人の患者で溢れかえったが、死者は13人だけだった。防疫部隊による殺虫剤DDTの散布が功を奏したのである。DDTを直接人の体に吹きかけることも行われた。

 

・その翌年、アンネ・フランクは、屋根裏に隠れていたが、ナチスに見つかり、収容所に送られた。そこでアンネは、ガスではなく、発疹チフスによって姉とともに命を落とした。