『幻獣とモンスター』
神話と幻想世界の動物たち
タム・オマリー 創元社 2021/4/19
<翼のライオンが嵐の神の侍獣とされた>
・しかし神話に登場する生き物は、単なる想像の産物としては扱えない存在感をもつものもいる。その姿は力強いシンボルとなり、その生き物にまつわる謎は永遠に解かれることはない。古代メソポタミアでは、有翼のライオンが嵐の神の侍獣とされ、彼らが荒々しい気象現象を引き起こし人間社会に影響を与えると考えられた。また古代エジプトでは美しい火の鳥を、死後の復活の象徴としていた。そして現代においても、妖精の存在を信じる人々が世界中にいる。
<バンシー 運命を告げるもの>
・陰鬱で超自然的な存在であるバンシーの声を聞いた者はいても、姿を見た者はほとんどいない。「女の妖精」であり、アイルランドの田舎の冷たい霧のなかに出没し、夜陰に紛れて死すべき運命の者を探す。通常は醜い老婆のような姿をしていて、何かの影に溶け込んで幽霊よりも見えにくくなっている。ただし、真っ赤に泣きはらした目をもつ、悲しみに満ちた若い女性の姿になることもある。
・ギリシア語のバシレウス(王の意)から名付けられたバジリスクは、蛇の王の姿以外にもさまざまな形をとる。蛇かヒキガエルの卵を雄鶏が温めて孵化すると、小さな毒蛇が生まれ、やがて翼が8本の脚をもつ蛇に成長する。逆に雄鶏が生んだ卵をヒキガエルが「シリウスが高い位置にあるときに」孵化させると、コカトリスが生まれる。しかし、両者は同じ怪物の別名だとされることもある。不思議なことに雄鶏の鳴き声はバジリスクを殺してしまうという。
<ブレムミュアエとスキアポデス 頭がないか脚がないか>
・ブレムミュアエは頭がない古代の人類で、エチオピア、エジプトとヌビアに居住し、肉が甘いため食料とされた。ブレムミュアエは一般に性格は従順で、頭部がないため目と口は胸についていた。
・ブレムミュアエと深いつながりがあるスキアポデス(モノコリ)は、体の中心に巨大な脚を1本だけもつ。この脚で日陰をつくり、エチオピアの灼熱の日差しから身を守った。
・誇り高く不屈のケンタウロスは、人間の上半身と馬の胴体という姿をしており、古代のテッサリアの山中の森に住んでいた。最初のケンタウロスといわれるケイロンは医術、占星術、神託に優れていることで有名だったが、ケンタウロスの多くは、酒好きで粗暴な傾向があった。
・近縁のサテュロスは、ギリシア時代の芸術作品では、馬の耳と尾をもつ人間として描かれ、その後、馬や山羊の脚をもつようになり、海の精霊ニュンベと戯れる姿が描かれることが多くなった。さらに後の時代には、子どもにやさしいファウヌスへと変化した。
<キマイラ 畏怖すべき存在>
・キマイラ(キメラ、雌山羊の意)は、複数の動物が合体した怪物。ホメロス作『イリアス』(前850年頃)の第6歌で初めて言及され、アナトリアのリキュア生まれといわれている。ホメロスは、このテュポンのひねくれた娘キマイラを神の種族だと述べ、体の前部はライオン、胴は山羊、後部は蛇と描写した。
<キュクロプス 単眼の巨人>
・詩人ヘシオドスが著した『神統記』には、3人のキュクロプスが登場する。キュクロプスは、ギリシア神話の原初の神々ウラノスとガイアのあいだに生まれた単眼の巨人である。3人の名はブロンテス(雷鳴)、ステロペス(雷光)、アルゲス(落雷)で、力強い巨神ティタン族とは兄弟である。
・また、前1500年頃に建てられたと思われるミケーネ遺跡の巨石建造物は、キュクロプスによってつくられたといわれている。人間が移動させるには重すぎる巨石も、キュクロプスなら容易に動かせたのであろう。
<ドラゴン 翼をもつ4本脚の蛇>
・ドラゴンは、高い知性、翼、4本の脚をもち、炎の息を吐く巨大な怪物として描かれることが多い。忠誠といつくしみの心にあふれると同時に、無慈悲で徹底的な破壊をもたらす存在である。
ドラゴンは世界中の民間伝承に現れる。100の頭をもつ不死身のラドンは、ニンフのスペリデスの園にある女神ヘラのリンゴの木を守っていた。
・中世になると、ワームと呼ばれる脚をもたない大蛇のようなドラゴンが紋章に使われるようになった。古代ケルトやウェールズでは、財宝の守護者ドラゴンは、伝統的に勇気や戦場での強さの象徴とされ、ペンドラゴン(戦いの指揮をとる者)という言葉が生まれた。
<妖精 エルフ、ゴブリン、ピクシー、ノーム>
・ケルトの寓話と伝説にはスプライト、レプラコーン、エルフ、ゴブリン、ピクシー、ノームなど多数の妖精が登場する。妖精(フェアリー)という名称は、ラテン語のファトゥム(運命の意)に由来する。ほとんどの妖精は小さな人間の姿をし、超自然的な強い力をもっている。よく知られているようにいたずら好きで、自らの力で人間を助けたりいたずらをしかけたりして楽しんでいる。
妖精は天上や異世界に住んでいるという説もあれば、人間と同じ世界に住んでいるという説もある。古代のヨーロッパの民間伝承には、妖精がこの世界の最初の住人だとするものが多い。
・ギリシア神話ではニュンペ、ケルト神話ではプーカ、インドの民間伝承ではヴィディエーシュヴァラと呼ばれ、アメリカ先住民やエスキモーの文化に伝わる愛と冒険の物語にも登場する。
<グール 肉食のゾンビ>
・身の毛のよだつグールはペルシアやイスラム化するアラビアの民間伝承にルーツをもつ。グールの神話は、アフリカの部族やアメリカ先住民などに影響を与えたが、いまや、ハロウィンの仮装などを通じて世界中に及んでいる。アラビアを旅した19世紀の探検家リチャード・フランシス・バートン卿は、以下のように記している。
「グールは人食い鬼であり、非常に恐ろしい存在だ。生きるためにのみ人間を捕食しているとは考えにくい。グールの食欲は飽くなきものである」
・グールは墓地や無人となった場所に潜み、死体に舌鼓を打つと信じられていた。また死者の霊を捕らえ、霊が天国にたどりつけないように拘束する。血を飲んだり、コインを盗んだりもするし、犠牲者の外見に姿をかえる能力ももっていた。
<ゴルゴン メデューサとペガソスの誕生>
・ゴルゴンという名前は、古代ギリシア語のゴウゴス(恐ろしいの意)からとられたものだが、サンスクリット語のガルジャナ(うなるの意)に由来するともいわれる。ゴルゴンには、恐ろしい顔の女性というニュアンスもある。ギリシア神話に出てくる最も悪名高いゴルゴンは、翼があり、髪の毛の代わりに多数の毒蛇が頭に生えているステンノ、エウリュアレ、メデューサという3姉妹の怪物である。
・ローマ時代の詩人オウィディウスによれば、メデューサはもともと美しい少女で、自らの髪を自慢していた。しかしミネルヴァ(アテナと同一視されているローマの女神)の神殿の階段でネプチューン(ギリシア神話ではポセイドン)と交わったため、ミネルヴァの怒りを買い、髪を蛇に変えられてしまう。
・ペルセウスは神々から与えられた鏡の盾を使ってメデューサを討った。切られたメデューサの首からは、ペガソス(ペガサス、飛び跳ねるものの意)とクリュサオル(黄金の剣の意)が飛び出してきた。どちらもポセイドンとメデューサの子どもである。
<グリフィン 勇気と寛大さの象徴>
・トーマス・ブラウン卿は1646年に、「グリフィンは、野の獣で最も高貴なライオンと、空の獣で最も高貴な鷲を合体させた動物である」と記した。ブラウンによれば、グリフィンは鷲の頭部、羽毛のある翼、鳥の爪に加え、ライオンのたくましい胴体をもつという。サソリや蛇の尾をもつものもいる。
・グリフィンに似た存在には、エジプトの神ホルス(頭部が鷲)、ヒッポグリフ(胴体が馬)、アッシリアのラマックス(胴体が雄牛またはライオン、翼が鷲、頭部が人間)、ルポグリフィン(胴体が犬)、アケク(爪のある脚をもつ蛇)などがいる。
<ハルピュイアとセイレン 不吉な出会い>
・不気味な老婆のような容姿で、不快な性質をもつハルピュイアは、破壊的な恐ろしい怪物だった。人間の女性の頭部と胸部に、ハゲワシまたは鷲の胴をつなげた姿をしていた。
・ハルピュイアの姿は、フューリズやセイレンに似ている。セイレンは孤島に住む危険な怪物で、翼をもち、上半身は人間の女性の姿をしている。魅惑的なハーブ、竪琴、歌声を駆使して船乗りを惑わせて難破させていた。
・ヒュドラは悪意に満ちた恐ろしい怪物で、湖を取り巻く蒸し暑い沼地に住んでいた。頭が9つあり、それぞれの頭は長く曲がりくねった蛇の首で支えられていた。
・ケルベロスは獰猛な犬の頭を3つもち、背中にはあらゆる種類の蛇の頭が生え、ドラゴンの尾をもっていた。ヘラクレスはケルベロスを服従させてエウリュステウスの前に引きずっていった。ところが、エウリュステウスがそれを恐れたため、ヘラクレスはケルベロスを冥府に戻した。
<ジン 不可視の存在>
・悪霊のひとつ、ジンは下級の神として崇められていたこともある。その名前は、アラビア語の「隠す」という意味の言葉が語源になっている。アラビアの伝承では、ジンは廃墟となった建物のなかに住み、不浄な場所や、荒涼とした土地に出没し徘徊するという。この点は、同類だがより下級の存在であるグールと似ている。
・「ジンは透明な体をもち浮遊する生き物で、さまざまな形態をとれる」と記した。ジンは食べ、繁殖し、死をまぬかれない存在であり、ときには人間、怪物、動物の姿をまねることがある。
ジンは雲のような物質から固体化すると考えられている。その「雲のような物質を構成する粒子を急激に拡大したり希薄にしたりする」ことで、自由に姿を半透明化し、さらには完全に見えなくさせられる。エジプトでは、砂漠の嵐によって砂の壁がつくられると、宙を飛ぶジンが通りすぎたのだという。
イスラムでは、アッラーが煙の出ない炎からジンをつくり出したと言われる。ジンは、強大な順にマリード(神への反逆者)、イフリート(堕天使)、シャイターン、ジン、ジャーンと区別されることがある。このうちジンは最も平和的で人間と共存しているが、シャイターンはよく悪巧みをし、悪しき父親であるイブリースのために行動する。イブリースは天使だったが、アッラーがつくった人間にひれ伏すのを拒み、アッラーに背くことになった。
<ラマッスとマンティコア ライオンの体をもつもの>
・ラマッスはシュメールを起源とし、人間の男性の頭部、鷲の翼、ライオンまたは雄牛の胴体を合体させた神話上の動物である。アッシリア時代には巨大なラマックス像が2体1組で制作され、都市の正門に配置された。雄牛、ライオン、鷲、人間は十二宮のおうし座、しし座、さそり座、みずがめ座を表し、後にキリスト教が広まるとルカ、マルコ、ヨハネ、マタイという4人の福音書記者を表すシンボルとなった。スピンクス(スフィンクス)は雌のラマックスといってよいが、次に触れるマンティコアのような翼をもたない姿で描かれることもある。古代世界では体の一部がライオンになっている怪物が広く見られ、古くはエジプトの女神セクメトもそうである。
・前450年頃 、ギリシアの医師クテシアスは、人間の頭部とライオンの胴体をもつペルシアの恐ろしいマンティコアについて報告している。
<レビヤタン および海の怪物たち>
・神話では、カオス(混沌)を蛇やドラゴンのような姿の怪物として表現することが多い。「ねじれた」という意味の言葉が語源になっている。海の怪物レビヤタン(リヴァイアサン)もその一例である。聖書のヨブ記第41章23節には「レビヤタンは淵を鍋のように沸き立たせ」と記されている。レビヤタンは貪欲に世界に巻きついたが、最後は神(ヤハウェ)によって倒された。
・このような巨大な怪物は古代中近東やインド・ヨーロッパ語の伝承にも登場する。13世紀に北欧で記された『散文のエッダ』は、伝説的な大蛇ヨルムンガンド(巨大な精霊の意)と雷神トールの戦いに触れている。ヨルムンガンドはミッドガルド蛇(世界蛇)とも呼ばれる。前1250年頃のウガリット語の文書によると、7つの頭をもつロタンというセム語圏の深海の神が、偉大な嵐の神ハタド・バアルによって倒されたという。前1700年頃のシリアの印影には、古代の蛇の怪物であるテムトゥムが描かれている。凶暴な8本脚のクラーケンは、グリーンランド沖に生息する巨大な海の怪物だった。
<マンドレイクとドリュアス および植物の怪物たち>
・マンドレイクは地中海地域でよく見られる背丈の低い多年生植物で、美しい小さな赤い実をつける。かわいく控えめな植物だが、実際には「悪魔のリンゴ」などとも呼ばれるナス科の有毒植物である。精神錯乱の原因にもなるアルカロイドを含有するため、幻覚作用や局所的な麻酔効果をもつ。変わった形の根は1mを超す長さまで育つこともあり、不気味なほど人間に似ることもある。マンドレイクは動物のように命をもち、意識もあると信じられていた。
・植物の怪物には、ギリシア神話に登場するドリュアスのようなものもいる。語源はギリシア語のドゥリスで、ギリシア神話では長命な木の精霊であり、超自然的な存在とされている。またハマドリュアスは、ドリュアスの仲間で、1本の木と一体になっている精霊である。両者とも古代西ヨーロッパの秘教、ドルイド伝承の中心的存在になっている。現代においても木の精霊はファンタジー作品でよく取り上げられている。
<人魚と半魚人 および魚の怪物たち>
・人魚(マーメイド)は、上半身は裸の女性、下半身は魚の尾をもつ美しく、そして非情な怪物である。透き通った歌声と美しい姿で船乗りを魅了し、船を岩礁に誘い込んで難破させる。そして、恐怖におびえる船乗りを深海へ引きずり込むのである。ギリシア神話に登場するセイレンと深いつながりがある。
・古代メソポタミアのシュメールでは、前3500年頃、水と創造の神エンキを人間と魚が合わさった姿で描いていた。後の時代にアッシリアとバビロニアの守護神となったダゴンも同様である。このような半魚人の神を、後にギリシア人はオアンネスと呼んだ。ギリシア人が信仰したのは、海を司るポセイドンである。
かつては、陸上に生息する動物に対応するものが、海にも生息しているという考え方が一般的だった。例として、馬に対応するタツノオトシゴ、ライオンにミノカサゴ、また、犬にはツボザメがあげられる。大プリニウスは『博物誌』のなかで、ヨッペ(現代のテルアビブ)で発掘されたトリトン(巨大な人魚)の化石について触れ、その背丈が12mにおよんだと記している。
<ミノタウロス 迷宮の住人>
・クレタ島の王妃パシパエと、海の神ポセイドンから贈られた見目麗しい白い雄牛の間に生まれたミノタウロスは、たくましい人間の男性の体と雄牛の頭をもち、見た目通りの頑強さを備えていた。クレタ島のミノス王は、妻がこのような怪物を生んだことを秘密にしておくため、熟練職人のダイダロスとその息子イカロスに複雑な迷宮をつくるよう命じた。そして迷宮にミノタウロスを閉じ込めたのである。ミノタウロスは人間の肉が大好物だったため、7年または9年ごとに男女それぞれ7人の若者がアテナイから献上され、ミノタウロスの生け贄にされた。
しかしミノタウロスは、アテナのアイゲネス王の息子テセウスによって打ち取られた。
・ミノタウロスが誕生したとき、ミノス王の養父と同じアステリオス(星の意)という名前がつけられており、おうし座(タウルス)の伝説とミノタウロスの物語の関係を示している。ミノタウロスという名前は、ギリシア語のミノスとタウロス(雄牛の意)に由来するもので、2つあわせて「ミノスの雄牛」という意味になる。
<ナーガとナイアス 蛇の怪物たち>
・ナーガ(サンスクリット語でコブラの意)はヒンドゥー教の神話に登場する精霊で、上半身が人間、下半身が蛇という姿で描かれることが多い。インド神話のプラーナ世界の7つの下界(地底世界)の最下層である第7層の水中深くに、宝物を積み上げた宮殿をもっているといわれる。ナーガは完全な人間の姿をとることもでき、女性のナーガ(ナギまたはナーギニと呼ぶ)には人間の男性と結婚しているものもいる。ナーガの子孫だと代々、主張しているヒンドゥー教徒の家系も存在する。
初期のヒンドゥー教の信仰では、アナンダ竜王(千の頭をもつ原初の偉大なナーガ)の支配下にあるナーガが、人間の創造で大きな働きをしたとされていた。アナンタはシェーシャとも呼ばれ、聖仙カシュヤパの妻カドゥールが生んだ千個の卵の1つからかえったナーガである。またインド神話と仏教説話に登場するヴァースキという蛇王は、仏教が中国や日本にも伝わるなかで他のナーガ族とともに「八大竜王」の一員になった。
・蛇は世界各地の神話に姿を現す。中国神話では伏羲と女媧という、上半身が人間で下半身が蛇の男女の神が人間をつくったとされている。オーストラリアのアポリジの神話によれば、創造神である虹蛇が窪地に水を満たして泉にしたという。
・もっと遊び好きな水の精霊もいる。ギリシア神話に出てくるナイアスは泉、井戸、噴水、川の精霊であり、ネイレスは海の精霊である。
<フェニックス 火を好むサラマンダー>
・フェニックスは500年近く生き続けた後、木の枝、松脂、香料を使って巣をつくり、太陽の正面に立ち、自らの体を炎で包む。そして色鮮やかな翼で炎をあおる。インド神話によれば、灰のなかから小さな虫が現れて日ごとに成長し、3日後には成鳥のフェニックスになるという。古代エジプトの火の鳥(ベンヌ)は、親鳥の遺体を没薬でできた容器に入れ、ヘリオポリスの太陽神殿に運んで葬った。
中国の朱雀や、スラヴの民間伝承に登場する火の鳥など、フェニックス(火の鳥)は数多くの神話に登場し、信仰の対象にもなってきた。
大プリニウスはフェニックスについて次のように記している。
「フェニックスは……鷲くらいの大きさで、首のまわりは金色に輝き、他のところはすべて紫だが、尾は青くてばら色の毛が点々と混じっている」
<スピンクス ギリシア・ローマ時代の怪物>
・スピンクス(スフィンクス)は座っているライオンの体に人間の頭をつけた姿をしていて、前1500年頃のエジプトで頻繁に描かれた。スピンクスたちは古代の墓や神殿の守護者であり、参道に列をなして置かれた。
一方、ギリシア神話のスピンクスは、ライオンの胴体と脚、人間の女生の頭と胸、鷲の翼をもち、ときにはドラゴンの尾がついていることもある。インドやエチオピアでも信仰の対象になっていた。ヘシオドスによれば、スピンクスはエキドナの娘だという。エキドナの息子である双頭の犬オルトロスか、下半身が蛇のテュポンが、父だといわれている。
<トロール 大小さまざま>
・古代スカンジナビアで女性たちが語り継いできた伝承には、2種類のトロールが出てくる。巨人のヨツンと小さな妖精フルドラである。トロールという名は中高ドイツ語のトロール(鬼)トロレリ(自然に働きかける魔法を使い、人間にいたずらする生き物)に由来する。スカンジナビアの鬱蒼とした原生林や、暗くじめじめした洞窟に暮らすトロールは、素朴とはいえ残忍な性格であったため、人が出会わないよう気をつける必要があった。
太古のトロールは機会があれば人間を狩っていた。村から女性や子どもを誘拐し、歩いて移動中の旅行者を路上で襲い、略奪と殺害の対象にした。旅行者を襲って食べるという行為は、後世の伝説的な殺人鬼、スコットランドのソニー・ビーンとその家族が受け継いでいる(ソニー・ビーンは15世紀に多数の旅人を襲って食べたといわれる人物だが、実在したかどうかはわかっていない)。
<テュポン 最も恐ろしい怪物>
・あらゆる神話のなかで、最も恐ろしい怪物がテュポンである。その名を耳にした者や、月光をさえぎるほど巨大なコウモリのような翼を目にした者を恐怖におとしいれた。ヘシオドスはテュポンの恐ろしい姿について次のように述べている。
「彼の肩からは、蛇すなわち怖るべき竜の百の首がぶら下がり、首は黒い舌をのぞかせ、その不思議な首の両眼は、眉の下で火をひらめかせた。睨(ね)めまわすすべての首から火が燃え立つのだ」。
ヘシオドスによると、テュポンはガイアとタルタロス(奈落)のあいだに生まれたという。
・テュポンはエキドナを妻として、古代神話に登場する数多くの怪物を生ませた。ヒュドラ、ケルベロス、ゴルゴン、ハルピュイア、キマイラ、コルキスのドラゴンなどである。遅くとも前550年頃からは、テュポンはエジプトの混沌と嵐の神セトと同一視されるようになった。
<ユニコーン およびヒッポキャンパス>
・純粋さの象徴とされるユニコーンは、角を1本もつ白馬である。アラブの伝承によれば、エチオピアのユニコーンは「獰猛な獣」で、若い処女をおとりにする以外に「捕まえることなどできない」という。処女を見たユニコーンは、走り寄ってその足元にひざまずき従順になる。この無防備な状態なら容易に捕獲できる。またユニコーンはキリストの象徴にもなった。
・中国の神話にも1本の角をもつ架空の動物、麒麟が出てくる。性格は温厚で、他の瑞獣とともに「四霊」と呼ばれる。瑞獣とは古代中国で特別視された動物で、特別なことが起こる前兆として姿を見せると考えられていた。麒麟が現れると、孔子や黄帝のような偉人が誕生するか死ぬといわれた。
・チベットでは1700年代にユニコーンが多数目撃された。また1820年代にはイギリスのラッタ少佐が家族に宛てた手紙で、チベットで1頭の麒麟を目撃したことがり、地元の人々はツォポと呼ぶと記している。皇帝チンギス・カンは麒麟の忠告にしたがい、インド制服をあきらめたといわれる。またアレクサンドロス大王は麒麟に乗ったことがあると述べている。
・馬の怪物には他にも、翼をもつペガソスやヒッポキャンパス(海の馬)がいる。ヒッポキャンパスは体の前半分が馬、後半分が魚になっており、前脚に水かきがついている。フェニキア、エトルリア、ピクト、ギリシア、ローマの神話に登場する。
<吸血鬼 血を吸うこうもり男>
・吸血鬼のルーツはスラヴの伝承にある。処刑された犯罪者や異端者の幽霊が、眠っている犠牲者の頸静脈から血を吸うと、犠牲者も吸血鬼になってしまう。
ニンニクのかけらや、聖水、十字架などの宗教的な品々が吸血鬼から身を守るために利用された。ときにはダンピールを雇うこともあった。ダンピールは吸血鬼と人間の間に生まれ、不可視の吸血鬼を見ることができた。
・1700年代にはバルカン半島と、現在のポートランドとチェコ共和国にあたる地域で、大規模な吸血鬼狩りが発生し多数が殺害された。犠牲になった者は心臓付近を杭で突き刺され、死亡するか瀕死の状態で棺桶に投げ入れられた。
・騒動の原因はコレラだったかもしれない。衰弱したコレラ患者は、顔色が悪くなりコレラ特有の顔貌になる。
・血を吸う怪物は他にもいる。プエルトリコの大変危険な怪物チュパカブラ(山羊の血を吸うものの意)、マヤの神話に伝わる巨大なコウモリの神カマソッソなど。実在の血を吸う動物に南米の吸血コウモリ(チスイコウモリ)がいる。
<人狼とアヌビス 狼とジャッカルの怪物>
・古英語のwerwolfは狼だけでなく、ジャガー、クマ、さらにはワニなど幅広い動物に変身する能力を表している。満月の夜になると、人狼は狼に変身する。魔法をかけられたり、人狼が使っている水飲み場で水を飲んだり、人狼にかまれたりすると、人は人狼になる。人狼は狡猾で獲物に飢え、あたりを徘徊しては死体を掘り起こし、ときには幼児をさらいむさぼり食う。人狼を倒せる武器は、銀の矢が特別に祝福された銃弾だけである。
・獣人化のさらに古い例として、ギリシア神話のリュカオンがあげられる。ゼウスを怒らせたアルカディア王リュカオンは、狼に姿を変えられてしまった。さらに古い時代の例では、死後の世界に死者の魂を導くとともに、その墓を守った古代エジプトの神アヌビスがいる。アヌビスの頭部はジャッカルである。
中国とスラヴの神話にも狼憑きの話がある。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、ウクライナのネウロイ人が魔法で1年に一度狼に変身する話を聞いたと記している。また大プリニウスは、アントゥスという氏族から毎年1人の男が選ばれ、その男は狼に変身して9年間をすごすと述べている。「その期間中、自制して人間と接触せずにいるならば……元の形を取り戻す。ただ前の容姿に9年の年齢が加わるだけだ」。
アステカの伝説では、犬に似た肉食の怪物アウィツォトルの話が伝えられている。尾の部分から人間の手が生えており、とある村の漁師を食べたという。
<未確認の動物たち 未確認動物学が取り組む謎>
・神話の動物が、現実に生息している可能性はある。例えば、背丈が高く人間とサル両方の特徴をあわせもつ動物は、世界中の民間伝承にしっかりと根を下ろしている。ネパールには、ヒマラヤの山麓の広大な丘陵地帯を歩き回るイエティ(雪男)を目撃したシェルパたちがいる。また北米では、サスクワッチ(ビッグフットとも呼ぶ)が目撃されている。このように世界中で目撃されている動物には、非常に似た特徴がある。人の形をしていて赤味がかった黒い毛に覆われ、身長は最大3mに達し、体重は最大で360㎏を超える。さらに目撃者の多くが、攻撃的な性格、大きく鳴り響く声を出す、強い体臭を放つという特徴を報告している。
先史時代から生き残っているとされるのが、スコットランドのネス湖に出没する怪物である。首長竜と思われるこの怪物を最初に目撃したのは、6世紀のアイルランド出身の修道僧聖コルンバである。
オーストラリアに目を転じると、最後の氷河期から生き抜いてきたとされるバニップが、沼地、小川、よどみ、滝つぼなどに潜んでいるのだ。
<現代の神話 ファンタジーの隆盛>
・メアリー・シェリーが1818年に『フランケンシュタイン』を発表して以来、「現代の神話」に登場する怪物たちが想像の世界に次々と姿を現してきた。ニューヨークの新聞「ザ・サン」に1815年に掲載されたグレート・ムーン捏造記事では、当時の最も高名な天文学者ジョン・ハーシェルが月に生息する生命体を発見したという偽情報が流された。その後もH.G.ウェルズ『宇宙戦争』、ホブ・ケイン『バットマン』、ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』、J.R.R.トルーキン『指輪物語』、J.K.ローリング『ハリーポッター』など、多数のSFとファンタジーの作品が発表されている。
『わたしの中の阿修羅』
<古代インド神話>
・古代のインド神話の二大神は、
――アスラとインドラ――
であった。アスラは「正義」の神であり、インドラは「力」の神であった。彼らは互いに相手を尊敬しつつ、天界に君臨していた。
ところで、アスラに美貌の娘がいた。名をスジャーといい、またシャチーとも呼ばれる。神々の世界で美人コンクールがあれば、間違いなく彼女は栄冠に輝くであろう。それほどの美人、いや美神であった。
父親のアスラは、この娘をインドラの妃にしたいと考えていた。「力」の神のインドラと「正義」の神のアスラの娘とが結婚すれば、理想のカップルになるに違いない、と信じて。
ところが、「力」の神であるインドラは傍若無人の性格で、直情径行タイプの神格である。彼はある日、街でシャチーを見るや否や、<これはいい女だ――>と思い、彼女を拉致して自分の宮殿に連れ込み、暴力でもって犯し、自分の「女」にしてしまった。
さ、怒ったのは父親のアスラである。<絶対に許せぬ――>アスラはそう考え、武器を持って立ち上がり、インドラに挑む。
だが、悲しいことに、アスラは「正義」の神であり、インドラは「力」の神だ。「正義」が「力」に勝てるわけがなく、アスラは敗北する。
しかし、アスラの怒りは激しい。たった一度の敗北でもって、彼はインドラを赦すことはできない。再度の挑戦。
その再度の挑戦にもアスラは敗北するが、彼は三度、四度……と、執拗にインドラに挑みかかる。アスラは執念の鬼となる。
・それゆえ、わたしは大学は印度哲学科に籍を置いたが、印度哲学科は主として仏教を学ぶ学科であったのであるが、仏教が嫌いなわたしは仏教を忌避して現代インドの研究をテーマに選んだ。大学・大学院時代のわたしの研究テーマは、――植民地解放の哲学――
・ところが、三十代の半ばになって、わたしは仏教を勉強せざるを得なくなった。詳しい経緯は省くが、仏教嫌いの人間が仏教の勉強を始めて、たちまちその魅力の擒となった。仏教が大好きになったのだ。
・そういう状況で、わたしが直面した疑問が阿修羅であった。
――なぜ、正義の神である阿修羅が、仏教において魔類とされたのか?――この問いに答えることによって、わたしは仏教者になれるのだ。三十数年前のわたしはそう思った。
<原初のアスラ>
・阿修羅は、インド神話における特異な神である。阿修羅は、数奇なる運命を辿った存在である。
じつは、かつて阿修羅は、栄光に輝ける神であった。魔神でも悪神でもない。正真正銘の神であった。それが時間の経過とともに転落を始め、ついに神的資格を剥奪されて地に堕とされたのであった。阿修羅はそんな悲しみの存在である。
・アーリア人と言えば、広義にはインド・ヨーロッパ語族、つまりインド人と西洋人をひとつにした人種であるが、ふつうにはこのヨーロッパ語族の一支派で、インドとイランに定住した民族をさす。その原住地はカスピ海北西地域と推定され、紀元前17世紀のころ、人口の増加か飢饉か、なにかの理由によって彼らは原住地を離れ移住を開始した。
このうち、西へ向かって移動した部族はヨーロッパに定住し、これがのちのヨーロッパ諸民族となったが、東へ移住した部族は、西トルキスタンの草原地帯に数世紀間定住していた。後者の部族、すなわち西トルキスタンに定住した部族を総称してインド・イラン人と呼ぶ。
・インド・イラン人は数世紀ののちに再び移動を開始し、一部は西南に進んでイランの地に入ってアーリヤ系イラン人となり、また一部は東南に進んでヒンドゥークシュ山脈を越えて西北インドに入り、パンジャーブ地方を占拠した。これがインド・アーリヤ人と呼ばれる種族で、インド侵入の時期は紀元前13世紀の末ごろと推定されている。
・西トルキスタンの草原地帯に定着していた狭義のアーリア人(インド・イラン人)が分裂して移住し、一方はインドに入ってそこでヴェーダの宗教(バラモン教)を生み出した。それが紀元前十世紀から前八世紀のころであり、このバラモン教に反発して仏教が成立したのは紀元前六世紀から前五世紀のころである。そして他方、イランの地に進んだイラン系アーリア人は、そこで伝統的な宗教を維持していたが、紀元前六世紀のころ、伝統宗教の純化運動としてゾロアスター教が誕生した。そのゾロアスター教の聖典が『アヴェスター』である。
・ところで、バラモン教の聖典『ヴェーダ』とゾロアスター教の聖典『アヴェスター』とでは、その成立は前者が古く、後者が新しい。前者は紀元前十世紀から前八世紀。後者は紀元前六世紀というから、少なくとも三百年の差がある。にもかかわらず、奇妙なことに、ゾロアスター教のほうがバラモン教よりも古い信仰形態を残しているのである。
・なぜなら、バラモン教には、アーリア的な信仰形態のほかに、インド原住民の信仰と風習がかなりの程度に採り入れられているからである。それに比べるなら、ゾロアスター教のほうがより純粋なのである。
かくて、ゾロアスター教とバラモン教とを比較検討することによって、われわれはある一つの宗教信仰がどのように変化し、展開していったかを知ることができるのである。これはなんともありがたいことではいないか。というのも、われわれの阿修羅が、このゾロアスター教に起源を持っているからである。
そう、阿修羅は、かつてゾロアスター教における輝ける神であったのだ。
・だとすれば、アスラの原初形態はゾロアスター教においてアフラと呼ばれる存在、すなわちアフラ・マズダーにある。これがアスラの原型である。
アフラ・マズダーはゾロアスター教の最高神である。「至賢なる神」を意味し、宇宙の創造者であるとともに世界の審判者でもあり、光明と火によって象徴される。人間世界を遠く離れた天の最高所にいますアフラ・マズダーは、にもかかわらず地上の出来事についてはすべて知悉し、表面に表われた些細なる罪行のほか、人間心理の奥底に潜在する邪念、よこしまなる思い、ねじけたる想念もきびしく摘発し、たちまちにして峻厳なる罰を下す。アフラ・マズダーはそんな畏怖すべき神であった。
だとすれば、この「至賢なる神」を意味する“アフラ・マズダー”の名称は、案外この神の渾名であって、本命は“ヴァルナ”であったかもしれない。
・ゾロアスター教の教説によると、アフラ・マズダーに双子の息子があった。スペンタ・マイニュとアングラ・マイニュとである。
二人は万物の創造に先立って造られたが、そこで彼らは善と悪との選択を行なった。前者は秩序を選び、後者は虚偽を選択した。それで前者は善霊、後者は悪霊となり、相対立したが、後世の教義では、善霊のスペンタ・マイニュはアフラ・マズダーに仕える大天使となり、悪霊=アングラ・マイニュは悪神=アーリマンとされている。つまり、当初は善神=スペンタ・マイニュと悪霊=アングラ・マイニュの対立であったものが、のちには光明神=アフラ・マズダーと悪神=アーリマンとの対立に転化したわけである。
・そして、悪と闘うこのアフラ・マズダーの姿に、われわれはわれわれの阿修羅を垣間見るのである。
<神々の栄枯盛衰>
・インド人は徐々にヴァルナ神を忘れていった。蒼空のはるけき高みにましますこの神を敬し遠ざけ、その存在を無視するに至ったのである。
ヴァルナ神は「天則」と「掟」の神であり、厳粛なる神である。人間界のあらゆる悪事を摘発し、微細なる罪を暴き出し、これに神罰を下す。そんな神が、どうして人々から敬愛されるであろうか……。
――触らぬ神に祟りなし――
人々の気持ちは、この神から遠ざかる。それはあまりにも当然の成り行きではなかったか。
・その代わりに、インドラ神がいる。
その代わりに――というのは、変な言い方である。けれども、インド人はどうやらヴァルナ神を天空のはるけき彼方へ追いやった代償として、身近な神、親しみ深い神をつくりだし、これを崇めてたてまつったらしい。それがインドラ神である。
インドラは雷霆神である。一瞬の閃光でもって天空と地上を結びつける雷。
・結果は言わずと知れたこと。インドラ神は神々の帝王であり、これに勝てる神ははじめから存在しない。スーリヤ(太陽神)は敗れ、インドラはこの太陽神の御す馬車の車輪を戦利品として奪い取ったという。インドラ神は粗暴なる神である。
あるときインドラは、奥方の目を盗んで、道ならぬ恋の深間にはまり込んだ。相手は猿のヴリシャーカビ、猿猴と神々の三角関係は行き着くところまで行き、夫の浮気を知ったインドラ夫人は、自己の保持する権力と嫉妬の情とを結びつけて、ヴリシャーカビを追放してしまった。
・それと、もう一つ。じつはインドラが浮気をした相手の猿は男性なのである。
・それはともかく、インドラ神とは、そういった神である。磊落で、豪放でで、そしてときたま愚行を演じる神。インドラはそうした神であり、そうであるからこそ、『リグ・ヴェーダ』の詩人たちはこの神に無限の親しみを感じたようである。インドラは『リグ・ヴェーダ』賛歌全体の約四分の一を独占している。ヴァルナ神は、百分の一にもおよばない。この数字を比較するとき、インドラの人気とヴァルナ神の凋落ぶりがくっきりと浮かび出てくる。神々の世界にも、栄枯盛衰は厳としてあるのだ。
なお、すでに明らかにしてあるが、インドラ神とは、のちに仏教において「帝釈天」と呼ばれる存在である。梵天と帝釈天とは、仏教の二大護法神である。そしてアスラは、いうまでもなく阿修羅である。
・インドラ神とアスラは、のちに仏教においてそのように姿を変えてしまった。本来は、両者とも正真正銘の神であったにもかかわらず………。
・インド人はそう解釈した。そう解釈するとき、“ア”は否定詞になる。“スラ”は神または天の意である。したがって、“ア・スラ”は「神(天)でないもの」、すなわち「非神」「非天」とされた。ここでアスラの没落が決定的となったのである。