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他の多くの蒐集された民間説話に現れた幽霊には足もあり全く普通の人間のようであるのを見ると、琉球で幽霊の足の無くなったのは、極最近の事ではないかと思われる。(1)

 

 

『妖怪』

怪異の民俗学 2

小松和彦  責任編集  河出書房新社   2000/7/1

 

 

 

金城朝永琉球妖怪変化種目――附民間説話及俗信――

 

  • マジムン(虫物?) 妖怪変化の総称。
  • ユーリー(幽霊) マジムンと同義語。但し田舎ではそうでもないが、那覇では、単に人間の死霊のみに使用されている。これに反してマジムンは人間、動植物、器物の化物にも用う。
  • ハーメー・マジムン 老婆のお化。
  • ジュリグワー・マジムン ズリ(遊女)の化物。これは琉球の各地で最も有名なお化けの一つで、ただ都会地那覇のみに限らず田舎にも流布している。

人間の幽霊には女が多く、そして大抵型の如く皆アレーガミ(洗洒の髪)を垂れている琉球の幽霊は日本本土の幽霊画や歌舞伎等に見えるような形装の凄味はなく、大方生前の姿の儘であるが、精々青白い着物を着て髪を振り乱しているとか、舌を出している位が関の山である。今では日本本土のように幽霊には足が無いと云うが、他の多くの蒐集された民間説話に現れた幽霊には足もあり全く普通の人間のようであるのを見ると、琉球で幽霊の足の無くなったのは、極最近の事ではないかと思われる。

然し身体の一部、例えば足とか手だけとか顔だけとかの化物の話は相当ある

  • アカングワー・マジムン 赤坊の死霊。四ツ匍いになって人間の股間を潜ろうとする。これに股間を潜られた人は、マブイ(魂)を取られて死んでしまう。
  • ミミチリ・ポージ(耳切坊主) 大村御殿に誅された琉球の伝説中の怪僧「黒金座主」の化けたものと云う。
  • カニシ(仲西) 人の姓。晩方、那覇と泊の間にある塩田潟原の「潮渡橋」の附近で「仲西ヘーイ」と呼ぶと出て来ると云う。
  • タチッチュ(嶽人) 山原地方の怪物で、夕方山から杖をついて下りて来て、子供を攫って行く。非常に力が強くて村の強い若者でもこれと角力をとって勝つ者はないと云う。
  • ユナバル・ヤージー(与那原屋宜) 与那原(地名)屋宜(姓)。男性の怪物。
  • ユナーメー 髪の毛のぼうぼう生えた怪物。
  • ワーウー 面相の怖ろしい怪物。現今鬼面を刻んだワーウー石敢当や魔除けに屋根の上に置く素焼の唐獅子「シーサー・ワーウー」等の熟語あり。単に醜男、醜女にも使用されている。
  • マー 形態は漠としているが、牛の啼声をすると云う。
  • シチ 真黒で、山路を歩くと前に立ち塞がって人の邪魔をする。クルク山のシチ・マジムンは山原地方で有名だそうだ。
  • ムヌ 漠然として形を現わさないようである。妖怪のことを「ヤナ・ムヌ」(悪物)とも云われる。人が神隠しにあったように突然行方不明になる時は「ムヌ・ニ・ムタリユン」(ムヌに持たれる)―日本の天狐に攫われるーと云い、又迷子になる事を「ムヌ・マイー」(物迷い)と云う。「ムヌ」に「ムタレ」た人を発見したら最初左足で三度臀部を蹴ると「ムヌ」は去ってしまう。
  • キジムン 琉球の民間説話中で一番活躍している怪物である。多くの説話を通して其形態性質を箇条書にして見よう。
  • アカガンターワラバー(赤い髪をお河童にした小人)。
  • 古い木に住んでいるが海の事に詳しく、水上を自由に歩く事が出来る。
  • 怪力で角力が上手である。
  • 大変に悪戯好きである。
  • よく人を魘(うな)らせる。(その時は「キジムン」に「ウスラリユン」(襲われる)と云い、頭ははっきりしているが、手や足を動かす事も、又声を立てる事も出来ない)。
  • 屁が大変嫌いである(キジムンに連れられて水上を歩いていて屁をひった為に水に溺れかかった人の話等がある)。また蛸も好きでない。
  • 線香の火が好きである。
  • 魚を食べる時は片目しか食べない。

 

  • カムロー カー(井戸)に住んでいて、小児等が井戸をのぞくと引入れてしまう。
  • フィー・ダマ(火玉) 鬼火・人魂の類。琉球では、人の死ぬ時は、そのマブイ(霊魂)がフィー・ダマに成って、墓場に行くと信ぜられ、フィー・ダマの上った近所には近々に人死があると云う。
  • イニン・ビー(遺念火) フィー・ダマに同じ。変死人のあった所や墓に現れる。
  • トジ・マチヤー・ビー 刀自(妻)待火。最初に一つの提灯大の火が現れ、他方から今一つの火玉が来て二つ合してゆらゆらと立ち上って消えたかと思うと、又現れる。
  • ウワーグワー・マジムン 豚のお化。
  • ウシ・マジムン 牛の化物。
  • アフイラー・マジムン 家鴨のお化。
  • ミシゲー・マジムン
  • ナビケー・マジムン 前者は、飯笥(めしげ)(しゃもじ)、後者は鍋笥(なべげ)(杓子)のお化。琉球では古い食器物は化けると信じられている。

 

 

<俗言一束>

  • 妖怪を見る能力のある特殊な人を、マジムン・ンジャー(幽霊を見る人)と那覇辺では云う。
  • 夜間石垣に向って立っているのは幽霊であるから話しかけてはいかない。
  • ハン(家紋)のない提灯を持っているのは幽霊である。
  • 夜間自身の名を呼ばれても三度聞かない中は返事してはいけない。二度までは幽霊でも呼ぶ力がある。
  • 夜口笛を吹くと幽霊が出る。
  • 妖怪に股間を潜られると、マブイを取られて死んでしまう。
  • 妖怪は鶏の鳴き声を恐れる。
  • 戸外で妖怪に会ったら、豚小屋の豚の臀を三度蹴って鳴かせると魔除けになる。
  • 妖怪のよく出る場所を通る時、男はサナジ(褌)、女はハカマ(猿股の大きいもの)をはずして、男は肩に、女は頭に被ると魔除けになる。
  • 幽霊は多く四ツ辻に出現する。犬が其処でタチナチ(立って吠える)するのは幽霊を見るからである。又犬の向って鳴いた方向には必ず近々に不幸がある。
  • 妖怪は門に張ったミンヌフダ(梵字を書いた護札)を恐れる。石敢当も魔除けになる。
  • 夜子供が外出せねばならぬ時は、其母が鍋の尻の墨を指に付けて三度子供の額に黒子を付けてから出すと魔除けになる。
  • 食物を親類や近所の人に配る時はその上にサン(藁又はグシチ(薄の一種)で結んだもの)を載せる。サンをして置かないと、食物の精を魔物に取られるからで、其を食べても何の滋養にもならない。

 

 追記。琉球には天狗の話は無いが、鬼の話は相当ある。しかし最早伝説中の怪物に属して現今では話されていないので略した。前記の妖怪変化は段々その影が薄らぎつつあるが、総て現在彼等の信仰の中に生存しているものである。

 

収録論文解題    香川雅信

江馬務「妖怪変化の沿革」1923年

江馬務は、風俗研究会を組織し、雑誌『風俗研究』を主宰して、日本風俗史学の確立に努めた人物である。彼は民間の風俗として妖怪信仰についてもいち早く注目し、大正12年に『日本妖怪変化史』を刊行した。これは「妖怪博士」と呼ばれた哲学者・井上円了の一連の著作と並んで、柳田國男以前の妖怪研究において重要な位置を占めるものとなっている。江馬は、啓蒙主義的立場から妖怪を迷信として否定して、人間との交渉が古来どうであったか、換言すれば、われわれの祖先は妖怪変化をいかに見たか、いかに解したか、いかようにこれに対したかということを当面の問題として論」じようとした。これは、「化け物の話を一つ、できるだけきまじめにまた存分にしてみたい」と述べた柳田國男と同様の立場である。

 

今野圓輔「妖怪」1959年

民俗学の対象となる妖怪を「常民の生活経験、民間における伝承」の中の妖怪に限定し、それらを神霊に対する信仰の衰退したものとして捉えるという、民俗学の妖怪研究のあり方を端的に示している。とりわけここでは、魔風や通り神・ミサキを例として、神から妖怪への変化を論証しようとしている。このように妖怪を「神の零落した姿」として捉える視点は、柳田國男によって打ち出されたものであり、長く民俗学の妖怪観を支配してきた。

 

井之口章次「妖怪と信仰」1964年

・本論文は、柳田の妖怪研究を前提として、妖怪と信仰とのかかわりについて論じたものである。「個々の妖怪種目に関しても、河童・一つ目小僧・天狗・座敷童子などは、妖怪としての段階では、ほとんど解決されてしまったといっても、おそらく言い過ぎではあるまい」といったように、柳田の説を無批判に受け入れているところに難があるが、普遍的・超歴史的に存在する「妖怪現象」と具体的な「妖怪種目」とを区別する必要を説いたり、「綜合日本民俗語彙」の中の妖怪種目を統計的手法を用いて分析するなど、見るべきところが多い。

 

澁澤龍彦付喪神」1977年

幻想文学、オカルティズムなどに造詣の深い博覧強記のエッセイスト澁澤龍彦が、器物の妖怪である「付喪神」について述べたエッセイである。付喪神」というこの特異な妖怪を、「物」に対する両義的な感情であるフェティシズムの表現として捉えようとしている。論考とは呼べないかも知れないが、多くの刺激的な発想に満ちた魅力的な文章である。

 

中沢新一「妖怪画と博物学」1988年

・筆者は、ポスト構造主義的理論を駆使して刺激的な文化論を世に問い続けている宗教学者である。本論考では、江戸期に大量に作られた妖怪画が、この時代に生まれつつあった「博物学的理性」に基づいて生み出されたものであった、というきわめて興味深い指摘がなされている。妖怪を「自然」と「意識」の境界面上に生まれるものと捉えるあたりには、フランスの精神分析学者ジャック・ラカンの思想の影響がかいま見えるが、著者は後に同様の分析枠組を用いて、人気ゲーム「ポケットモンスター」について論じている。

 

野口武彦「髪切りの怪」1986年

・著者は江戸時代の文化に関して多くの論考のある文芸評論家である。本論考では、江戸時代にたびたび起こった「髪切り」という怪現象をはじめとして、髪にまつわるさまざまなエピソードが紹介され、江戸時代における髪のシンボリズムが論じられている。小文であるが、鋭い視点に裏打ちされた、示唆に富む内容である。

 

橋爪紳也「日本における『化物屋敷』観」1994年

・著者は近代建築史を専門とする研究者であるが、殊に見世物小屋や博覧会のパビリオンなど、仮設建築に大きな関心を寄せている。本論考は、娯楽施設としての化物屋敷(お化け屋敷)について著された著作の一章をなすものである。著者はまず娯楽施設としての化物屋敷が、西洋では屋敷そのものが妖怪化したものとなっているのに対し、日本では「屋敷」とはいいながら内部は屋外を表現したものとなっている、という点に注目し、その違いを生み出した背景として、日本における「化物」と「屋敷」との関係性について考察している。日本においては建物そのものは妖怪とはならないという結論は、妖怪観・建築観を考える上で非常に重要な示唆を与えるものとなるだろう。

 

武田正「百物語――その成立とひろがり――」1996年

・本論考は、昔話を主な研究領域としている著者が、百物語という特異な語りの形式の成立と広がりについて考察したものである。まず「語りの座」としての百物語が生まれる前提として、江戸期の文人たちによる怪談集の成立について述べ、次いで民俗としての百物語がどのようなものであったかを、聞き取り調査によって得られた事例などを元にして述べている。

 

横山泰子「芝居と俗信・怪猫物の世界――『獨道中五十三驛』試論――」1996年

・著者は近世の怪談演劇に大きな関心を寄せている研究者である。ここでは、『獨道中五十三驛といういわゆる「怪猫物」の怪談狂言について、当時の猫にまつわる俗信や文学的伝統などとの関連性を探っている。このように大衆演劇を民俗的背景と照らし合わせながら読み解いていく研究は、今後さらに進められるべきものであろう。

 

アダム・カバット「化物尽の黄表紙の考察――化物の概念をめぐって――」1997年

黄表紙とは、見聞きの絵の中に文章を書き込むという絵本風の体裁をとった、近世における一種のパロディ文学である江戸時代のマンガとでもいえばよかろうか。この黄表紙の中には、妖怪を主要なキャラクターとした「化物尽」のものが多くみられる。アメリカ人の日本文学研究者である著者が、そのような「化物尽」の黄表紙に注目し、そこに登場する「化物」について分析したのが本論文である。「化物」が人間と逆転した存在として描かれることによって、鋭い風刺性とユーモアを生み出している、という指摘は、服部幸雄の『さかさまの幽霊』(1989年)と並んで、文化人類学における「象徴的逆転」の問題へとつながる興味深いものである。

 

宮田登「女と妖怪」1987年

・著者にはいくつかの妖怪や怪異伝承に関する論文・著作があるが、それらの輪のキーワードとして、「境界」「都市」「女性」などを挙げることができる。本論考では、そのうち「女性」と妖怪の問題が論じられている。ここでは特に女性の「産む性」としての側面と怪異との関連性への注目がなされている。

 

岩堀貴美子「ミカワリバアサンと八日ゾ」1971年

・本論文は、著者が東京女子大学に提出した卒業論文の要旨である。神奈川県において、12月8日と2月8日の「八日ゾ」に家々を来訪するとされる妖怪であるミカワリ婆さんと一ツ目小僧についての伝承を比較検討した上で、それらが本来は全く別のものであったという仮説を提出している。結論としては、ミカワリ婆さんの伝承は八日ゾという行事の本来的な要素ではなく、この時に行われる物忌みの意義を強調するために付加されたものであるとしている。

 

酒井薫美「七尋女房――山陰の妖怪考➀――」1990年

・本論考は、「山陰の妖怪考」の第一弾として発表されたものである。島根県鳥取県の一部にのみ伝承されている「七尋女房」という妖怪について紹介し、考察を加えている。結論としては、妖怪は神の零落した姿であるという古典的な民俗学の仮説を抜け出ていないのが残念であるが、ある地域に特有の妖怪に注目し、他の「背の高い妖怪」との比較を試みている点は興味深い。このような研究が、今後さらに進められることを期待したい。

 

佐々木高弘「伝説と共同体のメンタルマップ――徳島県美馬郡脇町の『首切れ馬』伝説を事例に――」1992年

・本論文は、徳島県美馬郡脇町の「首切れ馬」という妖怪にまつわる伝説を事例に、メンタルマップ(認知地図)研究の資料としての伝説の可能性を探ったものである。伝説の構造分析と伝承地の歴史地理的背景とを結びつけながら、共同体どうしの対立関係がメンタルマップの中に反映されていることを明らかにしている。

 

この論文の中では、「首切れ馬」が徘徊する「縄筋」などと呼ばれる道が古代の条里地割の境界線に当たっていることから、「首切れ馬」伝説が境界線の記憶装置としての意味をもっていた、という興味深い指摘もなされている。

 

柳田國男「狸とデモノロジー」1963年

・デモノロジーとは「悪魔学」の意味だが、ここでは「妖怪観」とでも訳せばよかろうか。柳田はここで、妖怪としての狸の性質について述べながら、妖怪に対する観念の変遷について説いている。すなわちデモノロジー(妖怪観)は文明の進歩に逆比例して、第一期《人に憑く》、第二期《人を誑す》、第三期《人を驚かす》という具合に退歩していくとする。そして妖怪としての狸は《憑く》よりも《誑す》《驚かす》といった性質が濃厚であるため、「お化党中の最も新党なるもの」であるとしている。また狸の化け方として、「目を欺く」よりももっぱら「耳を欺く」傾向が強いことを指摘しているが、その中で、狸が汽車、蒸気船、自動車、飛行機などの近代の交通機関の音響をまねるという事例が挙げられていることに注目すべきであろう。

 

小松和彦「妖怪と現代文化」1994年

「近代の科学文明の発達・浸透とともに人間世界から妖怪は消滅するはずであった」という多くの人々の予想に反して、「口裂け女」など、現代の都市空間の中にも妖怪は出没しつづけている。著者はこうした事実をふまえ、不安や恐怖心など、人間の心のなかの「闇」が妖怪を生み出すとし、「人間がいるかぎり妖怪は存在しつづける」と述べる。

 

野村純一「話の行方世河童疎遠『口裂け女』その他――」1984

・著者は、昔話・伝説・世間話などの口承文芸を主な関心領域としている研究者である。ここで考察の対象とされているのは「珍しい話」あるいは「噂」であるが、これらを民俗学では「世間話」の語でとらえている。

 

常光徹「子どもと妖怪――学校のトイレ空間と怪異現象――」1989年

著者は『学校の怪談』(1993年)によってその後の「学校の怪談」ブームの火つけ役となった研究者で、本論文はその著作の元になったものである。現代の妖怪譚として「学校の怪談」を取り上げ、その「伝承母体」となった学校という社会空間に特有な心性について考察している。とりわけここでは、トイレという空間の非日常性・境界性に焦点があてられている。現代における妖怪の問題について考える場合、「学校の怪談」は間違いなく中心的な話題となるはずである。

 

清水時顕(中山太郎)「小豆洗い」1916年

大野芳宜(柳田國男)「小豆洗いに就て」1916年

大藤時彦「小豆とぎ」1943年

・地名から「起源」を説明してしまおうとする中山に対し、狸や鼬などの仕業である可能性は否定できないとしながらも、一元的な説明を避け、比較研究による解明を説く(ある意味で構造主義的な)柳田の議論の方が説得力があるが、結局のところ、「猶同種の話を多く集めた上で講究を続けたい」という柳田の展望は、その後明確な結論にたどり着くことはなかったようである。いずれにしても、中山・柳田・大藤という大物民俗学者たちが「小豆洗い」という妖怪をめぐって論を展開していること自体、非常に興味深いことである。

 

山崎里雨「影わに・犬神・牛鬼・河童――石見邇摩郡温泉津――1933年

岡田建文「石見牛鬼譚」1933年

・いずれも『郷土研究』誌上に寄せられた石見地方の妖怪についての報告であるが、とりわけ牛鬼が代表的な妖怪として取り上げられている。これらによると、石見地方の牛鬼は海の妖怪であり、また椿の化したものであるとか、濡女という妖怪と二匹一組になって人間を襲うなどの特異な伝承をもっている。牛鬼という名のついた妖怪の伝承は多くの地方で聞かれるが、それぞれに異なる属性をもっているようであり、それらを比較検討してみるのも面白いだろう。

 

桂井和雄「土佐の山村の『妖物と怪異』」

金城朝永琉球妖怪変化種目――附民間説話及俗信――

・土佐および琉球の妖怪に関する伝承を行目的に紹介した報告である。妖怪の博物誌として興味深くかつ慎重な資料である。

 

桜田勝徳「船幽霊など」1932年

花部英雄「船幽霊の型」1983年

・いずれも海の妖怪である船幽霊について書かれたものであるが、桜田のものが中国地方西部から九州地方北部にかけての船幽霊の伝承に関する報告にとどまるのに対し、花部のものは表題にあらわれているように船幽霊の伝承を類型として整理・分類し、かつ考察を加えたものとなっている。さまざまな事例の報告はもちろん貴重であるが、それらの事例を整理し分析する試みが、妖怪研究の進展にとって今後さらに重要になってくるであろう

 

三浦秀宥「中国地方のミサキ」1972年

・ミサキ信仰は日本に広く分布する民間信仰で、柳田國男もこれについて「みさき神考」という論考を著している。ミサキは本来、神の示現に先立つ「先駆者」や神使を指すものであったが、それに対する禁忌の厳しさや祟りの厳しさから「祟る神霊」を指すようになったと考えられている。中国地方は特にミサキ信仰が顕著にみられる地域であり、さまざまな性格をもったミサキが伝承されているが、その中には怨霊や祟り神・憑きものとしての性格をもつものもみられる。一種の妖怪の伝承として、ここに紹介することにした。

 

大竹信雄「かまいたち談義」1998年

・カマイタチは、妖怪としてはかなり名の知られた部類に入るだろう。しかし、カマイタチに関する報告は意外に少ない。本論考では、実際にカマイタチに遭ったとする人々の体験談なども含む貴重な事例が報告されている。

 

関口武「一目連のこと」1975年

・一目連とは竜巻を神格化した風の神で、三重および愛知などで信仰されている。妖怪とはいえないかも知れないが、カマイタチとの関連もあってここに紹介することにした。現代の電力会社や水道局もこの一連目を信仰しているという報告はきわめて興味深い。

 従来、妖怪を研究対象として主に扱ってきたのは民俗学であると一般には考えられてきた。そして近年の妖怪ブームの中で、民俗学の妖怪研究に対する期待はさらに高まりつつある。

 

妖怪  解説  小松和彦

「妖怪」とはなにか

・もう長いこと、静かな妖怪ブームが続いている。しかし、このブームは主として水木しげるの妖怪画やその先人たちの妖怪画への関心によって引き起こされたものであって、妖怪研究はこのブームに刺激されてやっと少し活性化してきたというのが実状である。したがって、現在はまだ、妖怪に関心をもつ研究者がそれぞれの関心から個別研究を蓄積しつつある段階に留まっているように思われる。

 

・妖怪を定義するのはむずかしい。しかし、あれこれ考えるよりも、ここはまず文字通りに理解して、「あやしいもの」や「あやしいこと」、つまり「怪異」というふうに理解しておくのが無難である。

 

「妖怪」という語のもう一つのやっかいな点は、「妖怪」と同義と思われているいくつかの語があることである。しばしば、「妖怪」と「化物」とは同じものなのかとか、「お化け」と「幽霊」とはどこが違うのか、というたぐいの質問を受ける。言葉は生き物であるので、時代とともに意味が変化する。したがって、厳密に区別しえないのだが、ここで若干の説明をしておくのは無駄ではないであろう。

 

・まだはっきりしたことはわからないのだが、明治時代になって、妖怪現象・存在に興味を抱き、その研究に従事した人たちが「学術用語」として「妖怪」という語を意識的に用いたようである。そうした意味での最大の功労者が、後に述べる妖怪博士との異名をとった哲学者の井上円了であった。つまり、学術用語として作られた「妖怪」が、研究者の枠を超えて次第に世間にも広まっていったのである。そしていまではすっかり現代人の日常生活に入り込んだ語彙となったわけである。

 

・「妖怪」が学術用語として作り出されたものであるとすると、それでは明治時代や江戸時代の庶民の間には、「妖怪」に相当するような民俗語彙は存在していたのだろうか。民俗語彙のなかに適切な語がなかったがために、研究者が「妖怪」という用語を意図的に使いだしたのだから、この語の概念にぴったりと一致する語があるわけではない。しかし、もっとも近い民俗語彙は「化物」あるいはその幼児語である「お化け」であろう。

 

・「化物」とほぼ同じ意味で流通していた語に「百鬼夜行」という語もあった。これは平安時代の貴族社会から生まれてきた語で、当時は、都大路を群をなして徘徊する「鬼」を意味していたが、中世になると、鬼とはいえない異形の者もそのなかに混じり出し、江戸時代には「たくさんの化物」を意味するようになっていた。この他にも、「物の怪」「変化」「妖物」「魔」「魔性の者」などさまざまな語彙が存在するが、それらはいずれも、学術用語としての「妖怪」に含めることができるものである。

 

・すでに述べたように、近年の妖怪への関心の高まりのきっかけになったのが、水木しげるの妖怪画の人気であった。

 

妖怪研究の黎明期

・さて、20年ほど前から現在に至る長い妖怪ブームがあるにもかかわらず、じつは妖怪を学術的に研究する人はきわめて少ない。妖怪は、絵画のみでなく、民俗学や文学、芝居、遊戯などさまざまな分野に登場している。

 

・そうした学問的状況のなかで、妖怪研究を許す雰囲気をもった唯一ともいえる学問が、民俗学であった。

 

・ところで、これまで述べてきた井上円了の妖怪撲滅学としての妖怪学の隆盛を苦々しく思う一方、江馬務の妖怪変化の歴史学に拍手を送ったと思われるのが、近代日本が立ち上ってくる過程で排除・放棄され撲滅されていった「日本文化」を「民俗」として括り出そうとしていた柳田國男であった。柳田は、昭和11(1936)年に発表した『妖怪談義』において、「無いにも有るにもそんな事は実はもう問題で無い。我々はオバケはどうでも居るものと思った人が、昔は大いに有り、今でも少しはある理由が、判らないで困って居るだけである」と述べるように、井上円了のような科学的合理主義に基づく妖怪否定論者とは異なる、妖怪の存在を信じていた人びとの思考構造=心性にそった「妖怪の宇宙論」とでもいうべき研究の必要性を説いた。

 

・柳田は妖怪研究において、次の三点を強調した。第一に、全国各地の妖怪種目(種類)の採集をする、第二に、妖怪は場所に出るのに対して、幽霊は人を目指して出ると言った区別がある第三に、妖怪は神の零落したものである。実際、民俗学的妖怪研究は長くこの指針にそってなされてきたのであった。

 

・しかし、こうした、妖怪を前代の神信仰の残存、神の抜け殻としてしかみなさない妖怪研究では、すでに述べた妖怪の意味論や妖怪の機能論といった研究がどうしても欠落してしまいがちであった。

 

妖怪研究の新しい展開

・こうした民俗学的妖怪研究の不毛な時代に、わたしは人類学・民俗学の立場から妖怪研究に取り組みだした。わたしの妖怪研究は従来の民俗学的妖怪研究の枠を大幅に変更する視点からのもので、妖怪を俗言とみない、妖怪を神信仰の零落とみない、したがって妖怪を前代の神信仰の復元のための素材とみない、妖怪資料を民間伝承に限定しない、妖怪伝承を前近代の遺物とか撲滅すべき対象とみない等々の視点に立って考察することに心がけた。

 

・わたしの妖怪研究がどの程度刺激になったのかはわからないが、幸いにも、最近の妖怪ブームの一躍を担ったことはたしかである。「幸いにも」という意味は、ブームのおかげで、滅多に見ることができないような妖怪画を存分に見ることができるチャンスを得たということである。ここではこれ以上自分の仕事に言及するのはやめたいと思う。

 民俗学的妖怪研究が停滞しているなかで、わたしが大いに刺激を受けた研究は、文学や絵画の分野からの妖怪研究であった

 

・ところで、長い停滞期を経て、近年、ようやく民俗学でも新たな妖怪研究の胎動がおこってきた。近代以前あるいは伝統的な妖怪の研究も少しずつ復活しつつあるが、それにもまして活気づいているのが、現代都市にうごめく妖怪たちについての口頭伝承の研究である。そのきっかけになったのが、岐阜県の山の中から発生して瞬く間に全国を駆けめぐり、子どもたちを恐怖のどん底に陥れた「口裂け女」騒動や民俗学の外部で生じた妖怪ブームであった。撲滅されたかに見えた妖怪が現代社会のなかによみがえったのである。このような事態は、井上円了柳田國男とその弟子たちにも想像しえないような事態であったといえるのではなかろうか。

 

・この問題に取り組みだした先駆者が境界論の立場から都市妖怪を論じた『妖怪の民俗学』(1985年)を著した宮田登であり、口承伝承・世間話の視点から口裂け女騒動の行方を追った野村純一であり、「学校の怪談」ブームの火付け役になった常光徹の『学校の怪談』である。

 

・最後に、中沢新一の「妖怪画と博物学」について触れておこう。中沢が論じた妖怪論は江戸の博物学的理性と妖怪の関係であった。しかし、その延長上にある現代の妖怪ブーム現象にもほぼそのまま適用できる、興味深い考察に満ちている。「自然」「意識」の境界に出没する「妖怪」は、また「第二の自然」や「第三の自然」(パソコン)と「意識」の境界に発生する「妖怪」の登場を暗示しているように思われる

 妖怪研究は、人間研究である。それはまだ胎児の状態にすぎないが、おそらくは新世紀にあっては、関連諸分野とも連携しつつ、人間の「心」の救済に深くかかわる学問となっているはずである。妖怪研究は、これから開拓されるべき将来性のある研究領域なのである。