日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

多くの小さなアクエリアス星人たちが他の異星人たちとともに、地球の地殻、特に日本の地殻変動を避けるために色々な仕事をされていることに確信を深めました。(1)

 

 

 

(2022/6/7)

 

 

 

『今、世界が注目する「日本の霊性」の真価』

小坂武司  コスモス21 2019/6/3

 

 

 

・宇宙レベルの壮大なスケールの話です。これをまとめるというのは、きっと小坂さんが一生をかけるにふさわしいものだと思います。

 

谷響きを惜しまず、明星来影す

空海三教指帰(さんごうしき)で述べている「谷響きを惜しまず、明星来影す」は、入唐前に、高知県室戸岬御厨人窟(みくろど)で虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行じている過程で、空海が経験した一大神秘体験の内容を端的に述べたものといわれています。このとき空海はおそらく、これから歩んで行こうとする未知の人生に対し、大宇宙を味方とする強い確信を得たのではないでしょうか。

 

私もその後の人生観を一変させる“一大神秘現象”を経験したことがあります。

 それは、2004年3月、熊本・宇土市の五色山で、空海の禊の儀式に絡んで、私たち12人が揃って見せていただいた宇宙空間での現象です。まさに人類史上始まって以来の重大な神秘的瑞祥であったといえるでしょう。

一言でいえば、宇宙に遍満する高貴な存在の方々、つまり神仏、龍神、宇宙人の方々が空海の禊の儀式を祝って、空海と共に演出して私どもに見せてくれた想像を絶する瑞祥でした。それは、その後の人生観を根本的に変えてしまうほどのものだったです。その瑞祥は、東京在住の中山良子さんというスピリチュアリストが天から受けるメッセージに従って行動を続けてきた結果として見せていただいた現象でした。

 私たちの祈りの旅は、2005年7月、富士山五合目にある小御嶽神社の摂社、日本武尊社での最後のお祈りで終わりました。

 

・つまり、ビジネスマンである小坂さんの身に起こったこと、受けとった啓示、中山さんの能力といったものを表現していくことを、天は期待しているのではないでしょうか。

 

私は小田原氏の言葉に励まされて書き始めました。日本語で書き終わるのに3年の年月を要しました。書き終えてからすでにかなりの歳月が過ぎています。しかし、この空白の歳月の間にも、空海の深い思いやりを受けて、多くの不思議な体験をさせていただいています。

 この書は、空海が私に白羽の矢を立てて演出された「不思議の世界への旅」の物語です。

 60歳で地元企業を退社後、一人になった私が、海外企業との仕事をしながら、在京の女性のスピリチュアリストである中山良子さんに降りてくるメッセージを通して、スピリチュアルな世界に誘導され、稀有の不思議な世界を訪ねていく実体験です。

 

・私は、この祈りの旅を通して、私たち一人ひとりが神仏、、龍神、宇宙人、先祖など、宇宙に遍満する工事の存在と精妙に繋がって生かされている霊体であることを知らされました。

 特に平安初期の空海と同時代の文徳帝の側近で品性高潔の文官であった私の先祖の紀夏井(きのなつい)、それにアクエリアス星人など目に見えない高次の存在が、私を誘導して数々の稀有な体験をさせ、霊的な世界に目覚めさせてくれました。

 

新たなる人生のステージへ

占星学のふしぎな予言と誓願

木星は、その状況を通して、自由な精神が維持されるようにあなたを

助けていくでしょう。新しい友人たちが現われ、新しい契約ができるでしょう。すべてが新しい調和の世界にあなたを導いていくでしょう。これは良い兆候です。新しい場所で、あなたのキャリアが発揮されるでしょう。そのように探し求めていきなさい。新しい人生を確立するのに良い時です。そのような申し出を受け入れていきなさい。

 天王星は、私に告げています。あなたは今、物事を柔軟に考えなければならないと、今までより、もっとです。変化のために柔軟になりなさい。

 もしあなたが、あなた自身を変化と新しい考えに対して柔軟に対応するならば、新しい世界のドアがあなたに開かれるでしょう。はるかにエキサイティングで意義深い世界が開かれるでしょう。

 

・特に私が深く感じたのは、ルター夫人が占星学を通して私の未来を見ているだけでなく、天王星という遠い宇宙の存在が「今までよりももっとエキサイティングで意義のある世界が待っていますよ」と告げているとルター夫人の手紙に書かれていたことです。そのことは、私に勇気と希望を与えてくれましたが、同時に、これからの人生を生きる上で一種の使命感を抱かせるものでした。

 

・60歳になってからの再出発ですので、ストレスのかからない気楽な仕事がいいと話し合いました。結局、商品の売買をしたり、人を雇ったりはせず、極力負担のかからない方法で始めることにしました。

 

清らかな高次の意識につながる予感

・心の中の平安な世界の比重が少しずつ増幅されていき、感謝と豊かさを感じる度合いが増してきました。さらにそれを深めていくことが、今まで感じていなかった何か清らかな高次の意識につながるものであることも徐々にわかってきました。

 

目に見えない世界と出会う

・その右隣の小さな部屋で森さんと机を挟んでお話をいたします。森さんの後ろには、大日如来薬師如来不動明王空海などの像が置かれています。森さんとお話をするとき、森さんはよく対面する私たちの後ろ右斜め上の方を向いてお答えになります。お聞きすると、弘法大師空海がそこにおられて、空海からのお言葉を来訪者に告げられるそうです。

 森さんは私に、

私が答えているのではありません。空海様が言われることを、私が単にお伝えさせていただいているにすぎません」と言われます。森さんが来訪者にいつも大変謙虚にお答えになるのは、常に空海からいただいた言葉をそのまま伝達されるからだと思います。そのような意味で、私は、森心浄さんはいつも高いところにおられる霊能者のおひとりであると尊敬し、お言葉をお聞きしています。

 

・私が森心浄さんのところに行く目的は、単に仕事のことを聞くためだけではありません。森さんと相対してお話をしていると、話の内容に応じて、私に関連する色々なお方のお姿が現われ、ときには、その方々と森さんを通してお話をすることができるからです。

 その方々の姿は私には見えませんが、森さんはそのお姿を具体的に教えてくれます。日によって違いますが、その方々は、仏、空海龍神、宇宙人、さまざまなご先祖などです。ときには、生きている知人たちまで出てこられます。

 

 後で述べますが、ご先祖で神武東征の頃、神武天皇に随伴された天道根命(あまのみちねのみこと)や、平安初期の紀夏井(きのなつい)や、戦国時代の小坂越中守宇などもよく出てこられます時空次元を超えて、その方々と霊的につながっていることを確信させられ、大きな喜びを感じさせられます。

 人間はこの世にひとりで生きているのではない、家族や友人たちだけではなく、多くの霊的な関係の中で生きていることを確信させられます。読者の方々がこの書物を読み進めていくなかで、そのような世界を感じていただけるなら、とてもうれしく思います。

 

日本人として深い喜びを味わう

皇室と日本

・世界でもっとも古い歴史と伝統のあるこの日本という国家で生まれ、生かされていることに、私は無上の喜びを覚えます。皇室の存在に誇りをもち、感謝の気持ちでこの節を綴ることにしたいと思います。

 

ある気功師との出会い

・「一般にいわれる気功師は、気功師自身が自分の気を相手に出すので、何人もの人に長時間にわたって気功を施すことはできません。自分の気を外に出せば疲弊してしまって続けられなくなるのです。藤谷さんの気功は、まったく違うのです。自分から気を出すのではなくて、相手の悪い気を引き受けるのです

 

ビジネスの世界とは次元の異なる世界

・それにしても、朝倉氏は古代のいわば神の世界の技術によって発明に取り組んでいるし、気功師の藤谷氏の気功も目に見えない神の手の世界に属しているのではないだろうか。それは、私がそれまで従事してきたビジネスの世界とは次元の異なる世界のことのようだが、二人が深いところで通じ合えば何か新しい動きが生まれるかもしれない、「二人を会わせてみよう」と思ったのです。そのことが、その後の私を人智を越えた思わぬ方向に誘導していくことになろうとは夢にも思いませんでいた。

 

鋭い霊的感性を備えた人々

・朝倉氏が5日の午後2時頃、新宿のホテルの藤谷氏の部屋に入ると、30代半ばくらいの中山良子さんという女性が藤谷氏の気功を受けていました。中山さんは、ある雑誌で藤谷氏のことを知り、その日が初めての訪問でした。朝倉氏が部屋に入ったときには、中山さんはベッドの上でのたうちまわりながら、藤谷氏の気功を受けていました。中山さんは気功を受ける前に、藤谷氏に真剣に言われたそうです。

私の身体にはたくさんの恐ろしい魔物が取りついています。それらを取り除いてもらうために、今まで世界中の霊能者の治療を受けてきました。その人たちは全部で15人にのぼりますが、私を施療した後、みな命を落としています。藤谷先生は私にとって16人目の施療者ですが、私を施療したら死ぬかもしれませんよ。先生は死んでもよいですか」と有名無名の霊能者の名前をあげる中山さんに、藤谷氏は、「ああ、死んでもよいですよ。私は自分の信じる気功で死ぬなら気功師として本望です」と言って、どんどん引き受け気功を始められたそうです。

 2時間もの長時間の気功施療の結果、中山さんに憑依していたと思われる数限りない邪悪霊を藤谷氏は引き受け気功で吸い切ってしまったのことでした。さすがの中山さんも楽になって、本来の体調に戻ってきて身体を休めていたというのです。

 

メッセンジャー中山良子さんとの出会い

・皆は中山さんを囲むように座りました。藤谷氏の気功を受けて七転八倒の後、ようやく正常さを取り戻されたと聞いていましたので、その日の中山さんのはきはきとした様子には、私はむしろ意外な驚きさえ覚えました。

 

・私には初めての経験でよくわかりませんでしたが、中山さんは、「小坂さんは、アクエリアス水瓶座に関連した人ですね。水を治めるお仕事に深い関わりがありますね」と言われ、しばらくすると自分も納得したように顔を縦に軽く振るようにして、「小坂さんは、アトランティスの時代に祈りの司祭をされていましたね」と言われました。私には初めて聞く言葉でした。

 

・中山さんは、瀧の下、池の中央、左側と指さしながら、赤、金、緑の三色の龍神が神々しい光を放って泳いでいると言うのです。私には何にも見えませんし、エネルギーも波動も感じません。いつも通り、色とりどりの美しい鯉たちと泡が見えるだけでした。

 

・「幣立神宮から来られた宇宙神三大龍王様方にご挨拶をいたしましょう。私たちは、メッセージを受けて、今日ここにご挨拶にきたのです」と、ようやく堕ちついてきた中山さんは私たちに言います。そして他の4人を誘うように、と言ってから、独り言のように、「東京、関東地方の地震、富士山の噴火など天変地異から日本が守られますようにお祈りしましょう。それに、三大龍王様が安んじられますようにお祈りしましょう」と告げました。

 

聖イグナチオ教会へのゲートを入り、瑞々しい芝生の淵を通って、教会の右奥にある小さなザビエル聖堂の扉に向かおうとしたときです。

中山さんの仲間の女性が急にばったりと芝生の上に倒れこみました。中山さんが支えるようにその女性を上向きに抱きかかえました。

 私たちは驚いて二人のまわりを取り囲みましたが、彼女は意識を失ったような状態で、突然まったく不明の言葉を喋りだしたのです。とても初めてとはいえない明確な発生でリズミカルな美しい言葉を喋りだしたのです。

 中山さんの腕の中でしばらく喋っていましたが、やがてぐったりとして静かな息になりました。私は驚くというより、怖ろしさで身が震えるようでした。「どこの言葉なんでしょうか」と私が独り言のようにつぶやきますと、中山さんは、「ラテン語ですよ」とささやくように答えました。

 

・ザビエル聖堂を出た私たちは、前の芝生のそばで陶酔に似た心持ちで立ち話をしました。すると中山さんが、空を見上げて叫びました。

UFOがたくさん来ていますよ。予言された通りに私たちの儀式を祝福してくれているのです

 

アクエリアス星人との出会い

・そのようなことがあってから、朝倉氏の提案で、一度中山さんからリーディングを受けてみようということになり、その年の12月6日に都内のホテルで朝倉氏、浜田氏と私の三人が中山さんからリーディングを受けました。最初に私と向かい合わせに座った中山さんは、いきなり私の大学ノートに山の絵を描きました。さらにその山の上空に、5ミリ位の小さな二つの楕円の輪を左右並べるように描き加えました。

これはロッキー山脈です。今この山の五百メートル上空にアクエリアスのUFOが2機浮かんでいます。それぞれ10メートルぐらいのUFOです

 そう言って、その山の絵の下に、これらのUFOだと思われる大きさ直径5センチ位の円を描き、その中に二重の絵を描くように小さな円を描きました。そして、「このUFOの外側の第7オーラにはダウザーさんという宇宙人がおります。こちらのUFOの内側の第1オーラにはラリガーさんという宇宙人がおります。ダウザーさんはヒーリング・プロテクトの担当で、ラリガーさんは開発・発明の担当といわれています。

 この二人はアクエリアス星人の方々で、いつの小坂さんを護ってくれています。今ここに来てもらいますよ。小坂さん、ラウワー、ラウワー、と言ってください」と。私は、先日四谷の喫茶店で初めて会ったときに、中山さんから、私はアクエリアスに関係あると言われていましたが、アクエリアス星人が見護ってくれていると聞いて、さらに驚きました。

 

・私が言い終わるやいなや、中山さんは、「ほーら、お二人が来られました」と、私のそばに来ている二人を歓迎するようなしぐさで微笑んで対応されていました。私には何も見えません。中山さんだけは、二人の宇宙人とまるで親しい友人のように楽しげに対しています。中山さんのしぐさから、二人の宇宙人の身長は3、40センチ程度のようだと思いました。

「お二人は、大変喜んでおられますよ。ようやく小坂さんに知らせることができたと、とても喜んでおられますよ。これからは色々な面で小坂さんをサポートされるでしょう。私にはアンドロメダのお方がついてくれています。宇宙人は瞬時にトランスポートされます。エネルギー体と言おうか、光体とも言える存在です。

 これからは、ダウザーさん、ラリガーさんに何かをお願いしたいときには、ラウワー、ラウワーと唱えて、小坂さんのところに来ていただきなさい」

 

・中山さんが私の遠い過去のことを話しだされました。私のノートに殴り書きするように色々な絵やマークを書きながら話されますが、とても早口でした。後でそのノートのコピーを見ますと、アトランティスシリウス、プレアデス、エジプト、ピラミッド、スフィンクスエーゲ海、ミノス、クレタ、ミュー、反重力、アンモナイト、キリスト、仏陀などの単語や、六芒星のマークなどが多くの絵とともに、乱雑に書かれています。数頁にわたって書かれていて、おそらく朝倉氏と浜田氏二人に関することも含まれているようでした。

 

貴嶺宮での儀式と二機のUFO

・境内の由緒書きによりますと、貴嶺宮は山蔭神道の本宮であり、天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)の造化三神主祭神として天照大神大己貴神少彦名神が祀られています。

 

・中山さんのメッセージにあったように、その神殿の御前で宇宙神三大龍王九頭龍大神を通して藤谷氏にご褒美を与えられる。そのために、宇宙神三大龍王の使者として九頭龍大神が貴嶺宮の神殿に飛来するといいます。朝倉氏がその儀式の進行役を務めるようでした。

 

・朝倉氏の朗々とした大祝詞が響きました。実は、朝倉氏は発明家であると同時に、由緒ある神社の神職の家柄であり、天児屋命(あまのこやねのみこと)がご先祖に当たると聞いています。

 

宇宙人の愛

宇宙の星々と宇宙人

地球と人類の誕生

NASAの研究によると、宇宙の誕生は137億年前であり、地球の誕生は45億年前だそうです。人類の最古の土器の一つといわれる縄文土器が焼かれたのが約1万5千年前のことであり、人類最古のシュメール文明は約6千年前に始まっています。地球上での人類の文明の歴史はたかだかその程度のものです。そして人類が宇宙への進出を始めたのが20世紀後半です。

 ということは、人類の知恵の発展は現代に近いほど猛烈なスピ―ドで進んでいることになると思います。地球45億年の歴史の中で、わずか数千年間に、原始社会を生きていた人類が宇宙進出の技術を持ちえたという進化のスピ―ドに驚きを禁じ得ません。

 

神話が物語るもの

・世界には多くの宇宙人に関わる伝説や神話があります。シュメール王国の神話や、旧約聖書エゼキエル書などは良い例でしょう。人類は早くから、優れた文明をもつ宇宙人との接触を続けてきたと考えられます。当時の人類の科学レベルから見て、宇宙人たちはあまりにもかけ離れた高次の存在であったので、神話では神と崇めて記録されたのでしょう。

 

見えない宇宙人

私は普通の肉眼しか持っていないので、宇宙人を見ることはできません。宇宙人が私に自分の姿を見せようとしないかぎり、私は、彼らが私のそばにいても感知できないのです。しかし、私の複数人の友人たちには宇宙人が見えるようです。そのなかの一人である中山さんは、宇宙人が見え、宇宙人と話をし、宇宙人と私の間に入って通訳をし、宇宙人に関係する数々の事象を教えてくれました。ときには、私たちが宇宙人を見えるようにガイドしてくれました。

 

宇宙人が見せてくれたもの

ダウザーさん、ラリガーさんの役割

・中山さんは、ダウザーさん、ラリガーさんという二人のアクエリアス星人について教えてくれました。それによれば、ダウザーさんはヒーリング・プロテクトの担当として、ラリガーさんは発明・開発の担当として、絶えず私を見守ってくれています。私が「ラウワー、ラウワー」と呼べば、二人が私のところに来てくれます。彼らは、私たち地球人に比べはるかに高い知的能力と文明を持ち、地球を守ろうとしてくれています。

 

宇宙人(ダウザーさんたち)が写真を撮らせてくれる

・2005年1月のことです。中山さんからメールが送らてきました。「上智大で小坂さんたちと撮っていただいたときの写真に、宇宙人(ダウザーさん)が浮き出てきましたので送ります」と3枚の写真が添付されていました。

 

宇宙人は地球を守ってくれている

宇宙人との交流

・また、ある日はこう言われました。

ダウザーさんは地球の火山活動やプレートを守るためにずっと地下に潜りっぱなしでした。また、原子力発電の事故で大災害を受けるところを守ってくれましたが、三大龍王様やワッシイ様(龍神)も一緒に守ってくださいました

また、別の日には、

「今、釈迦の霊泉に来ておられる宇宙人地球地殻補強チームへのお礼とお祈りをしておりました。すごい多くの宇宙人の方々が、地上部隊、地下部隊、海底部隊、マントル部隊に分かれて、地球の地殻構造を強化されています。地球がSOSを発すると、宇宙から神々が、宇宙人が、龍神が群馬の釈迦の霊泉に降りてこられます」

 

アクエリアスの宇宙人の役割

・あるとき、中山さんからこんな電話がありました。

ものすごい多くの小さなアクエリアスの宇宙人たちが、大きな宇宙船に乗って来られました。自分たちを『地球治療チーム』と呼んでおられます。この方たちは、地中に入って地殻の整備をされています。大きな地震を避けるために来られているのです

「小さな宇宙人と言われていますが、どのくらい小さな方々ですか」

10センチか、20センチくらいの方々です

 

・森さんは、挨拶を交わすとすぐに私に、こう言われました。

「先週、紀尾井町ホテルニューオータニの部屋で寝ていましたら、ふと肩を叩かれて目が覚めました。周囲をよく見ると、たくさんの小さな宇宙人たちが一生懸命地底の割れ目のような場所を補強されているようでした。『何をされているのですか』と聞きますと、『東京の地盤を補強しています』と言うのです

 その話をお聞きしたとき、私は、それらの宇宙人は中山さんが言っていた地球医療チームの宇宙人と同じ方々であり、森さんにも姿を見せておられるのだと直感しました。

 

私を取り囲むさまざまな顔や形の宇宙人

・それから数週間して私が宝樹院を訪ね、いつも森さんの居られる拝殿の襖を開けますと、森さんは驚いたように、

小坂さん、今日は多くの小さな宇宙人が宇宙船から出てこられましたよ。小坂さんと一緒ですよ。小坂さんはその方々に囲まれていますよ」と言われました。そのようなことがあって、私はダウザーさんやラリガーさんだけでなく、多くの小さなアクエリアス星人たちが他の異星人たちとともに、地球の地殻、特に日本の地殻変動を避けるために色々な仕事をされていることに確信を深めました。

 

・「今、たくさんの宇宙人の方々がここに来られていますよ。本当に多くの宇宙人の方々です」

ダウザーさんですか、ラリガーさんですか。それとも、地球治療チームの小さな多くの方々ですか

「いいえ、そのお方々だけではありません。この部屋一杯に、三角のお顔の人、四角いお顔の人、長細いお顔の人、大きな方、小さな方など、本当に色々な宇宙人の方々でいっぱいです」

 森さんは、自分の顔を多種多彩の宇宙人の顔のように手でゆがめて説明されました。

今までは、小坂さんのところにくる宇宙人は、一人か二人、あるいは小さな方々だけでしたが、今日は違います。本当に多くの色々な宇宙人の方々が揃って集まってこられています。この方々が小坂さんを応援すると言っておられますよ」

 私が驚いて、

「森さん、その方々にお伝えください。私は毎朝、ご神仏と一緒に宇宙人の方々を崇拝し、心から感謝の祈りを捧げています。その祈りは聞いてくださっているですね」と尋ねると、「そうです。皆様方はかしこまって、ありがとうと頭を下げておられますよ」と言われます。

 そのような多くの宇宙人も、私が森さんのころから帰るとき、揃って大きな宇宙船に乗り、その場を立ち去って行かれるようです。

 

私の健康を気遣う宇宙人

私の使命の重さを気づかされる

・ある日、この書物の原稿をプリントアウトし、3冊にまとめて宝樹院に持参したことがあります。3冊の分厚い原稿を森さんと私の間に置きますと、「今日は宇宙人がお一人来られていますよ」と森さんに言われます。「それはダウザーさんですか。それともラリガーさんですか」「ラリガーさんとおっしゃっていますよ。今、ラリガーさんが本を手に取って見ておられますよ

 

宇宙人(ダウザーさん)に体内検査をしてもらう

・私は、毎年熊本の胃腸科病院で内視鏡の検査を受けていましたが、しばらく行かない年が続きました。中山さんと話をしているときに、ふと「明日胃腸の内視鏡検査を受けようと思っています。久しぶりですので、ちょっと不安です」と言うと、中山さんは、

「小坂さん、大丈夫ですよ。先日ダウザーさんが小坂さんの口から体内に入って、全部検査をされていましたから」と言うのです。ダウザーさんはヒーリングの担当として、おそらく私が検査を受ける前に、前もって私の体調を見せてくれていたのだと思いました。検査の結果は、小さな良性のポリープがあっただけでした。

 

大坂大空襲では疎開熊本地震では不在

・2016年4月14日と16日に震度7を超す激震が熊本を襲いました。その数日前、ドイツの顧問会社の副社長が急遽来日することになり、私は4月13日に熊本を出て大阪に宿泊し、本震の16日にはドイツ人と伊勢の宿屋に宿泊していました。

 本震の際には息子から電話でたたき起こされました。家族をはじめ、熊本の人々にすまないという気持ちが溢れました。そのとき、ふと思い出しました。1945年6月の大阪大空襲の際、家族が雨あられのごとく落下してくる焼夷弾の中を逃げまどっているときに、私は何も知らずに集団疎開で四国にいました。1991年9月16日の台風19号が熊本を襲ったときも出張で大阪にいました。私はなぜそこにいなかったのかと考えざるを得ませんでした。

 

捻挫骨折のヒーリングを宇宙人(ダウザーさん)から受ける

森さんとお話するときは、私には見えませんが、いつもどなたかが私の横に来られていますので、いつも私の方からお尋ねします。

今日は、どなたが来ておられるのですか

「宇宙人のお方が一人で来ておられますよ」

ヒーリング担当のダウザーさんでしょう

「そうだと言われています。今回の怪我を心配されています。今回は回復がとても早かったでしょう。ダウザーさんがとても心配して、痛みも和らげてくださっているようですよ」

 私も医者が驚くほど早く良くなっていますので、きっとどなたか見守っていてくださっているに違いないと思っていました。それで、すぐにお礼を言いました。

 

宇宙人からのメッセージ

・ある年には、ひと月ぐらいにわたって「ダウザーさんからのメッセージです」と、中山さんから多くのメッセージが文章で毎日、私の携帯電話に送られてきました。

 

◉旅路は、さまざまな助けがなければ、あなたは進むことができなかったであろう。この先多くの人の心に触れ、温かさを知る。自分の存在意義は他人によりつくられる。そして、あなたの旅は続く。

 

◉愛や歓びや幸せなどの積極的なエネルギーに集中しなさい。そして、あなたが想い浮かべる人々を守るために、あなたのハートが放出する温かさを感じなさい。

 

◉目の前のものに囚われてはいけない。あなたが望むものは近くにはない。もっと先にある。目の前にあるのは幻想。見えているものだけが真実ではない。心の目を開きなさい。物事の本質を捉える第三の目で、すべてを見通すのだ。すべてのしがらみから、あなた方は解き放たれるだろう。

 

◉神はすべてのものを天秤にかけるだろう。選ばれた人間は自分の価値を知り、存在意義を見出す。エネルギーは神から分配され、あなたの下に人間はいなく、また、あなたの上にも人間はいない。あなたは神のフィールドと繋がっている。

 

◉あなたはやがてたどり着くだろう。栄光に満ち溢れた大地に。何が正しくて何が間違っているのか、真偽を知り、物事の本質を見つめるようになるだろう。肉体に力が漲り、あなたはやがてたどり着く。すべての障害を乗り越えていけるようになるだろう。

 

宇宙人の述べる私の過去世と今世の使命

私が欲して私の両親を選んで生まれてきた

・私の過去世の遍歴をここに具体的に記述することはできませんが、先述しましたように、私の魂は今世で定められたある家系に生まれてくることを自分で断って、一般の人間の生き様や心を学ぼうと決め、両親を選んで小坂家に生まれてきたとのことです。ダウザーさん、ラリガーさんたちは、あえて一般の人間として生き方を学ぶことを選択して生まれてきた私の勇気を讃え、私を守ってくれているとのことでした。

 

神とは何か、宗教とは何か

・ダウザーさん、ラリガーさんが中山さんを通して、数年にわたって私に諭すように語りかけてきたことがあります。それは、人間の作り上げた宗教のことです。神とは何か、宗教とは何かについてです。重複を顧みず、ここではそのまま記述いたします。

 

・「五色山での釈迦の祭典での瑞祥の中にあって、小坂さんは覚醒されたはずです。現在人間を支配している宗教やその神々とは違う存在を。人間が作りあげた神々の上を越えて、神々のリーダーシップをとってください。さまざまな国の人々に伝えてください

 

「知識で神を知ることはできません。神を見、知った人しか神とは何かを語る権限はありません。小坂さんは、人類始まって以来初めて神を見た生き証人です。ですから、語る権限があります。神から認められたのですから。その真実を純粋に縁のある方々に広めていかねばなりません。宗教という洗脳や支配から解放され、本当の神は人間によって作られた概念の神ではないということを教えてあげてください

 

「小坂さんは、人間と言うカテゴリーの概念をなくしてください。動植物も一緒の生命体だと、魂には人間も動植物も変わりがないと、人類は霊長類の最高ではないと知ってください。魂のレベルには差がありませんが、今人間は落ちて最低になっています。人間も地球も宇宙も忘れて、初元の光だけ思ってください。きっと変わりはじめますから

 

現在の人間は作られた神に支配されています

 太古の人類は、地球ではない故郷の生命体と通じ合いながら感性で真の知識を得ていました。最初の神々を感性で見た古代の人々が伝えた神々の姿を、人類の意識や思考や言語が発達していくなかで、人間は切り離し、見失ってしまい、イマジネーションで神々を思うようになりました

 

・「私たちの本来のミッションは明るく天真爛漫に生きることです。そうして地上では太陽の役目をいたします。発信は心ですが、明るい心と精神の周波数は、いつしか人々や地球や地球以外にも影響を与えます。それは波紋のように宇宙に広がっていきます。人類の可能性を信じて生きていきたいと思います。

 

宇宙人との楽しい遊び

・ある日、中山さんが電話で「ダウザーさんに赤ちゃんが生まれました。ダウザーさんはお父さんになって、とても赤ちゃんを可愛がっておられますよ」と新しいダウザーさんの家庭を説明しはじめました。その後も人間と比べて、とても成長の早い赤ちゃんの状態を知らせてくれるのでした。さらに赤ちゃんの誕生に関連して、

ダウザーさんらの宇宙人のセックスはとてもきれいですよ。セックスをされると、パァッと美しく光るのです。私たち人間とはちがうのです」と、まるでダウザーさん方が暗い空間に居住しているかのように、宇宙人のなりわいを語ったことがあります。

 

宇宙人の写真を撮らせてくれる

・「写っていますよ。たくさんの宇宙人が、龍神様と一緒に写っています。宇宙人の写真を撮らせていただくなんて凄いことです。何処におられるのかを絵に書いて送り返しますから、後で見てください」

 

宇宙神サナトクマラとの因縁

・中山さんの勧めで、福岡の女性にリーディングを受けたことがありました。両国のスピコンの会場で紹介された方です。

「小坂さん、鞍馬寺でお祈りをされましたね。鞍馬にはサナト・クマラが祀られていることはご存知でしょう。護法魔王尊として祀られています。小坂さんは昔、何度もサナト・クマラと金星に行かれましたね

 彼女は私が鞍馬寺で大切なお祈りをさせられたことを言い当てて、宇宙神サナト・クマラとの因縁を話されたのです。

 

・宇宙には、そして地球にも多くの宇宙人がいると思います。たとえば、ダウザーさん、ラリガーさん、地球治療チームなどのアクエリアスの宇宙人の皆さん……私が気づいていなくて私を応援してくれている宇宙人もいると思います。

 ホテルニューオータニのガーデンレストランで中山さんたちと一緒に見せていただいた2機のUFOの美しい飛翔の姿、五色山で見せていただいたアンドロメダアクエリアスの何千何万の宇宙人の方々のUFOのオンパレード、ホテルニューオータニの日本庭園で写真を撮らせてくれた小さな宇宙人の方々、そしてザビエル聖堂で撮った中山さんの写真に浮かび上がった宇宙人の姿。これらの方々は極めて崇高で、ご神仏、龍神、ご先祖の方々と共に、大宇宙に遍満する高貴で精妙なエネルギー体として存在され、私たちをいつも守護されています。そう思うと、深い感謝の念が湧き出てまいります。

 

太陽の写真に映るUFOの母船らしき姿

・その後、あちこちへ出張したときに、その場所、その場所で太陽を撮るようになりました。驚いたことは、その棒状の光体が上下二本に重なっていることがあります。色々な人に見てもらいましたが、宇宙船だとか、宇宙母艦と言う人もいます。いずれにせよ、その不思議な美しさ、神々しさを否定する人はいないようですので、いつかそれらの写真集を出してみたいと思っています。

 

宇宙人たちが手を差し伸べてくれている

人類は昔から戦争の歴史を歩んできました。宗教、イデオロギー民族意識、国家意識、人種差別、あるいは戦争策略者の陰謀などの理由により、いかに多くの戦争がなされ、不幸な歴史がくり返されてきたことでしょう。人類の悲しい性ともいえるでしょう。しかし、ようやく人類はそのことに気づき始めてきたように思えます

 私は、宇宙人たちが、そのような人類の性に思いをいたし、地球人類の平和達成のために、一つの例として、五色山での人類始まって以来の宇宙規模の瑞祥を私たちに見せてくれたのだと思っています。それによって、宗教の縄張りを越えて達成された日本の神仏習合の意義がいかに大切であるかを示してくれたのだとも考えています。

 今こそ、地球人類の悲劇を避け、地球再生のために、多くの宇宙人たちが手を差し伸べてくれていることを知るべきであると思います。世界のあちこちで騒がれているような物理的な形ののUFOの出現を追い求めるだけでなく、人類よりはるかに崇高な高次の知識を持ち、地球を救おうとしている多くの宇宙人たちと手を携えるべきではないでしょうか。

 

紀夏井(きのなつい)のこと

最終節を書き終えて

「衣履、疎幣」の人、紀夏井

・夏井は、儒学の教養はもとより、仏理にも詳しく、律令にも明るい能吏として名声を高めていました。読書に優れ、小野篁と並ぶ書聖と呼ばれ、囲碁筮竹などの雑芸までも人並みはずれた才能を示す、いわば万能の人であったようです。文徳天皇のそばで、清爽な文人官僚としてその才能を豊かに開花し、色々な重責を兼任させられました。

 

藤原氏と紀氏をめぐる政争

・しかるに、858年8月、長年にわたって、きわめて親しい御関係にあった文徳天皇が突然発病し、4日目に32歳で冷然院で崩ぜられました。謎の多い死であったともいわれています。

 世継ぎを誰にするかということで、藤原家と紀家との間で東宮争いが熾烈を極めました。

 

宇宙人の愛

・最後の頁を書き終えた日の夜、自分の体内に愉悦の神秘現象が起こりました。調べてみましたら、愉悦の祝福を与えてくれたのは、菅原道真とも親交が深く、三大実録に日本史上最高の品性高潔な文人官僚と記されている平安初期の紀夏井であることがわかりました紀夏井であることがわかりました。紀夏井は私の先祖にあたり、弟であった行教、益信も時代を代表する律僧で、三兄弟がそろって平安初期時代の安寧のために尽力されました。

 

この物語は、神仏、龍神、宇宙人、紀夏井の同時代の空海が、中山良子さんというスピリチュアリストを通して降ろしてくるメッセージを、私たちが実行していく物語として綴られています

 総じて、日本人民族が、二千年という長い年月を、万世一系天皇家の権威と加護のもとで平和に歩んで来られたことは、国民としてこの上ない栄誉なことです。この歴史的事実は、日本国と日本人の霊性の高さを証明していると思います。歴代天皇のこの上ない清浄な祈りのもとに、高い知性の民たちが寄り添い、多くの目に見えない高次の存在の方々のまもりのもとに、今の日本が創りあげられてきていると思います。世界の歴史で、このような民族と国家は他に存在していません。

 

私はあえて宇宙人と言いましたが、「宇宙人」は、これから人類が真剣に関わっていかなければならない対象であると思います。彼らは人間とは生きる次元が違うので、普段の交流は難しいと思われますが、人間に対して、彼らについての正しい認識を持ってほしいと希望していると思います。本書の「宇宙人の愛」で書いていますように、宇宙人たちが私たち地球人に与えてくれるメッセージの何と高貴なことか、私たちは襟を正して拝聴するべきと思います。

 

・「祈りについて」で述べていますように、私たち一人ひとりの命は、過去、現在、未来の三世にわたって高邁なる存在と繋がっており、私たちの命から発信される祈りの波動は、宇宙に輪を広げていき、目に見えない高次の存在の意識を響き合って、目に見える世界の事象として顕われてくるのではないでしょうか。私たちの祈りの波動が高くて浄らかであればあるほど、返ってくる波動も浄らかなものであるのではないでしょうか。

 

 普通の人生を歩んできた私が、中年期を過ぎて、突然、白羽の矢が立てられて、目に見えない力にいざなわれながら不思議な体験をさせられ、その体験記を世の人々に知らせる役目を与えられました。この作品を世に出すことによって、その任務に応えられることを望みます。

 

 

 

(2021/12/28)

 

 

『スターシードThe バイブル あなたは宇宙から来た魂』

スターシードに目覚める時 全ての謎は解き明かされる

Akiko 著 市村よしのり 監修  ヒカルランド    2020/6/3

 

 

 

スターシード

・あなたが、宇宙由来の魂を持つ存在であると気づく時、あなたは「スターシード」となります。

 スターシードとして地球的な枠をこえた生き方をする時、あなたは最高に輝き、多くの人を照らしていくことでしょう。

 あなたは紛れもなくスターシードです。

 

それはあるセッションからはじまった

私が「スターシード」だと気づいたきっかけ

アルクトゥルス。私は2年ぐらい前に急に『アルクトゥルス』というワードが気になって気になってしょうがなくなっていた。

 調べて行くうちにアルクトゥルス人と自分自身がとてもリンクしていて、共通点がある事を知った。私ももしかしたらアルクトゥルスとつながっているのかな?そう思うと心が躍った。

 そんなときに面白いセッションがあるよ、と知人に教えてもらい、とんとん拍子にそのセッションを受けることになった。なにも考えてなくて期待もしていなかったのでテンションの低いまま当日セッションを受けることに……

 

・「では始めます。まずあなたのガイドは2m50~3mぐらいのアンドロメダ人です」

 えっ?今なんて言った? アルクトゥルスとかじゃないの? アンドロメダ人なのね、しかもでかい!………ちょっと意外でショックかも。アンドロメダってなんだって?? まあ、いいや。それでそれで??

 

・「あなたは、アンドロメダからアルクトゥルス、ベガ、シリウス、プレアデスで地球のことを学んで、金星を経由して地球に来ました。宇宙ではそのほかの星にもたくさん生まれていて地球でも同じようにレムリア、アトランティス、エジプト、マヤ……など自分が体験したいところにピンポイントで体験しに行ってぱっと終わってまた次の体験をする……といった感じでいろんな体験をしている方です」

 

調べて行くと地球以外の星から来た人のことを「スターシード」というらしい。スターシードの特徴を調べたらまさに自分にぴったりで腑に落ちることばかり。

 私、スターシードなんだ。地球のこのアセンションを経験しに宇宙から来たんだ……。

 

「スターシード」あなたは宇宙から来た魂

ついにスターシードの時代が来た!

・もしあなたが宇宙から来た魂だとしたらどうですか? ビックリしますか? 驚きますか? 信じられませんか?

 私も最初のうちは半信半疑でした。でもスターシードのことを調べれば調べるほど、自分に当てはまり確信するようになって行きました。スターシードと気が付いてから本当に楽に生きられるようになったので、周りの人たちにも「スターシードって気が付くといいよ~面白いよ~」と伝えていたら周りもどんどん楽になって行き、変化していくので本当に驚きました。こんなにたくさんスターシードがいたなんて!

 

★スターシードとは

 地球に住む95%が宇宙由来の魂

 スターシードは、地球以外の宇宙の星や銀河を出身とする魂を持つ人のことをいいます。地球にいる95%以上の人たちが宇宙由来の魂と言われているのですが、地球での生まれ変わりを何度も繰り返している魂にとっては、ほかの星から来たことなどすっかり忘れてしまっています。

 

多くのスターシードは宇宙でアシュタールと交流を持っていたと言われています。アシュタールとは11次元の宇宙意識で金星からのアセンディットマスターです。意識体として存在していて巨大な宇宙船の指揮官でもあります。アシュタールが高次の星や銀河から勇敢な魂を集め、地球のアセンション情報を伝え、その情報を知り地球に自ら転生してきたスターシードたちも数多く存在しています。

 

・スターシードはそのお手本や手助けをするために存在しています。その表現の仕方やアプローチは様々ですが、すべてに共通することはスターシードたちが自分らしく表現するものはどれも愛であふれ人の意識が覚醒することを促し、地球の波動レベルを向上させることに直結しています。またスターシードはスターチャイルドやスターピープルとも呼ばれることがありますが、同じ宇宙由来の魂のことを指します。

 

・(スターピープル);スターピープルとは、宇宙由来の魂が地球に人間として転生してきている人を指す言葉で、人間の魂と宇宙存在が入れ替わるウォークインとして地球に存在している魂とも考えられています。

 

アセンションとは

・(地球のアセンション

 アセンションとは、次元上昇を指す言葉です。地球は長い間3次元の星でしたが、今この次元上昇で3次元から5次元へとゆっくり次元上昇がはじまっています。その次元を上げるためにたくさんのスターシードが生まれています。またこの地球のアセンションは他の星や宇宙にも影響するため、たくさんの星や宇宙存在たちが関わっています。

 

・そんな波動の高いところから地球のような不便さや苦しさをあえて学ぶ星に来たスターシード。スターシードには共通して地球での生きづらさを感じながら生きてきた人が多くいます。

 

★地球は生きづらさや不便さを学ぶ星だった

・地球は今までほかの星では体験できない「うまくいかない」ことや「不便さ」「苦しさ」を学ぶ修行のようなところがあり、あえてネガティブなことを体験していた星ともいえ、魂の経験や成長の場としては最高の場所でした。

 

★スターシードの特徴

・(スターシードはとても個性的で宇宙愛にあふれる存在である

 

・(スターシードの外見的特徴め

①  男性も女性も超えたような内面からあふれる美しさをもっている

②  精神年齢が高いので小さなころは実年齢よりも上に見られる

③  大人になってからは、年を増す毎に実年齢よりも若く見られる

④  どこを見ているかわからない目ですべてを見通すような美しい目をしている

⑤  とても独特で変わっていて特別な雰囲気を持っている

⑥  細身で手足が長くすらっとしている人が比較的多い

 

★スターシードは大きく分けて3種類

1 新型のスターシード;地球での転生回数がほとんどないスターシード

2 一般型スターシード;何度も地球での生まれ変わりを経験しているスターシード

3 オールドソウル型スターシード;宇宙でも地球でも何度も生まれ変わりを経験している古い魂のスターシード

 

ものすごく能力の高いスターシードの子供たち

・宇宙での経験豊富なスターシードの子供たちがたくさん生まれている

 

スターチャイルド);高い能力と異次元との強いつながりをもつ魂です。宇宙で使っていた特殊な能力をそのままもっている子も多いです。スターチャイルドは細かく分析するとインディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、レインボウチルドレンになります。

 

・(インディゴチルドレン);エネルギーが強く戦士や開拓者・経営者的な気質を持つスターシード

 

・(クリスタルチルドレン);愛と調和の光を放つ純粋なスターシード

 

(レインボウチルドレン);悟りの境地に達していてすでに覚醒しているスターシード

 

・このような流れで、インディゴチルドレンからクリスタルチルドレン、レインボウチルドレンのスターシードが地球に転生してきてサポートをしています。高波動の子供たちがなぜこんなに生まれているかといえば、今まで当たり前のようになっていた地球のネガティブエネルギーからできているルールや集合意識を変容させるため覚醒のために、たのもしい宇宙の実力者たちが子供となって生まれてきてくれているからなのです。

 

★あなたは紛れもなく「スターシード」です

意外と少ない? 日本と世界のスターシードの人数

・スターシードは、世界で約100万人いると言われています。そのうち、日本には24万4千人のスターシードが存在しているといわれていて、すでに多くのスターシードたちの覚醒が進んでいます。

 

この本を読んでいる人は全員スターシード

・しかしながら、スターシードという言葉にピンと来る人は、紛れもなくスターシードです。あなたのハイヤーセルフがこのタイミングで、あなたにこの本に出会うように導いたのかもしれません。

 

宇宙的に観ると、みんなスターシード

・今までお話ししたように、ほぼ全員が、宇宙由来の魂なのです。宇宙由来のあなたは、ある時、ある星(スター)で、このタイミングの地球へ転生しようという種(シード)をやどし、地球に生まれたのです。

 スターシードであるか、ないかではなく、スターシードであることに気づく時、あなたはスターシードとなります。

 あなたが宇宙由来の魂であるスターシードであることに気づく時、あなたはスターシードとなります。

 あなたが宇宙由来の魂であるスターシードである事に気づき、地球的な枠をこえた生き方をする時に、あなたは最高に輝き、多くの人を照らしていくことでしょう。あなたは紛れもなくスターシードです。

 

アトランティス文明を経験したスターシードたち

アトランティス文明を生きたスターシードの魂は、現在アメリカやヨーロッパに多く転生して生まれてきています。

 

「スターシード」はこんなにたくさんの星から地球に来ている

宇宙はこんなにユニークで個性的

・宇宙にはたくさんの星や銀河が存在し、それはどれも多種多様でバラエティーに富んでいます。破天荒な女王様・王様や美しすぎるお姫様や女神。上半身が人間で下半身が馬のような存在、妖精のような存在、とても大きな巨人のような存在。昆虫のような姿の宇宙人、顔が鳥で体が人間、エネルギー体で形がなかった存在、ペガサスやイルカのような存在など………そのバリエーションや宇宙での経歴を聞くたびに本当にワクワクしてきます。多種多様のスターシードの仲間たちと今世地球で再会しているんだな~とおもうと本当に面白いです。

 

オリオン星人

・とても知的で精神性が高く、物事を冷静に判断する性質を持つオリオン星人。

 

・主にオリオン星人の見た目は、猫に似た姿や、ギリシャ神話の神々のようなパワフルで美しいヒューマノイドタイプ。吸い込まれそうな澄んだ青い目が特徴で、ちょっと憂いを帯びた印象もあります。

 

HISTORY

・オリオン星人は元は、リラ、ベガ、シリウスの子孫です。

 ベガとシリウスの間で起きたネガティブな波動の余波が、争いのエネルギーとしてオリオン星を戦場の地としました。本来は平和で愛情深いオリオン星人ですが、自分たちの惑星を守るために止むを得ず武力を持って対抗するしかありませんでした。やがて、陰と陽の二極化にまで発展し、オリオン大戦と呼ばれる長く凄惨な戦いが繰り広げられました。

 一方、戦いから逃れたポジティブ派のオリオン星人は、魂を癒すために地球を訪れました。地球ではエネルギーワークや瞑想によって精神世界を深く追求した結果、愛による覚醒が起こり、やがて統合のエネルギーと転換させていきました。その意識は銀河全体へも広がり、癒しと浄化が起こっています。

 

アルクトゥルス星人

・牛飼い座に集まった、肉体を持たず奉仕する意識が高い存在たちがアルクトゥルス星人です。銀河系の中でも最も進化した種族で、高い知性を持ちとても博識。魂を癒すヒーラーとして、宇宙全体に影響を与えています。

 

 虹色のオーラを持ち、常にグループ意識で行動しますが、物質界には天使の姿やエーテル体として現れます。テレパシーや透視能力を使ってコミュニケーションをし、高度なテクノロジー・量子物理学・錬金術天文学が得意。

 

 アルクトゥルス星人の魂を持つ人は、子供の頃から自分の人生には何か目的があることを感じています。しかし、ただその目的が何なのか人生の後半まで分からない人もいますが、自然にスピリチュアル的な人生を歩むようになります。

 

HISTORY

肉体を持たず存在することを選択したのが、アルクトゥルス星人です。リラ星で最初に意識が存在したとき、他の宇宙種族は肉体を持つことを選びましたが、アルクトゥルス星人は非物質的存在でいることを選択しました。

 はるか昔から地球を見守り続け、無条件の愛で地球を大災害から免れるよう守護をしてきました。レムリア・アトランティス・エジプトのほか、ローマ帝国古代ギリシャにもグループが訪れ、地球上でのプロトタイプとなる社会を築いています。

 存在の状態を変えたり時空間を移動するのに神聖幾何学を使用し、地球人にも影響を与えました。ミステリーサークルや、イースター島のモアイ像に、アルクトゥルス星人との関わりを見ることができます

 

アンドロメダ星人

・何よりも自由と平和をこよなく愛し、ユーモラスで優しい雰囲気をまとっているアンドロメダ星人。ヒーリングとコミュニケーション能力が高いので、幼い頃から人懐っこく、一緒にいて安心感があります。

 

アンドロメダ星は地球より重力が軽いので、アンドロメダ星人の体は地球人より大きいヒューマノイドタイプ。外見はいくつかの種類がありますが、主に北欧人のような白い肌にブロンド・青い目のタイプ、地中海人の褐色のタイプ、東洋人のような黒髪のタイプがいます。

 

HISTORY

私たちの惑星の多くは、アンドロメダ銀河を起源としています。銀河の隣人であるアンドロメダ銀河は、地球から肉眼で見える最も遠い天体で、その1兆以上ある星の惑星の1つに、アンドロメダ星人は住んでいます。

 アンドロメダは、天の川銀河の玄関口の役割をしているので、外宇宙からの侵略や攻撃を防いだり、別の銀河系宇宙との橋渡をサポートしています。

 地球とは、早い時代から関わりを持ち、地球の進化に貢献してきました。地球の守護天使からの要請を受け、神話の中にも神として登場しています。シュメール壁画に描かれている翼のある絵は、アンドロメダ星人だと言われています。新しい銀河のエネルギーの道すじを照らし、人々の意識拡大とアセンションに導く役割をしています。

 

シリウス星人

シリウス星人は実に多種多様で、いろいろな容姿の人がいます。青や緑色の肌の人、猫やライオンのような顔をした宇宙種族など……。ユニコーンやペガサス、グリフィンなど神話上の生き物もシリウスに属します。とても豊かで美しい自然に囲まれた環境で暮らし、高い知性とスピリチュアルな能力を持っています。

 

・器用に何でもこなしてしまうので、5次元から来たシリウス星人は3次元の地球人の気持ちが分からなかったりします。シリウスでは非物質のレベルだったので地球の生活を不自由に思うことが多く、物事を管理したり掃除することが苦手です。

 

シリウスは、大きく分類すると地球から見える最も明るい星であるシリウスA、肉眼では見ることのできないシリウスBがあります。主にシリウスAは、テクノロジーマーケティングに優れ、社交的で周りとの関係を友好に保ちながら、切磋琢磨していくのが好きです。シリウスBは、一人でとことん突き詰めて研究するのを好み、空想を好んだり哲学的な考えを持ちます。そして、シリウスBの三番目の惑星は、イルカやクジラ、人魚・龍などの高いバイブレーションを持った水生生物が住まう青い惑星です。この動物たちは地球に移り住み、非常に高い無条件の愛の振動をふりまきながら、喜びと遊び心を体現し、人々のソースとの繋がりや喜びの感覚を取り戻すサポートをしています。

 

・奉仕する意識がとても強いので、古代から地球のアセンションのために関わってきました。レムリアやアトランティスの時代にも訪れており、古代のエジプトやシュメール文化の時代の神話や遺跡に、シリウス星人が神として描かれています。消えたり現れたりするので、古代人はシリウス星人を神として崇めたのです。高度な技術と創造エネルギーを使って、ピラミッドの建設やマヤ歴を地球人に教え、宇宙意識に目覚めるサポートをしています。

 

HISTORY

リラとベガを起源に持つ多種多様な種族のうち、気高くポジティブな意識を持つものたちが集まって作り上げたコミュニティがシリウスです。

 争いや支配・分離を好まず、高い精神性を持った純粋な魂たちのコミュニティを作ることで、統合した平和な世界を目指しました。アルクトゥルスやリラの次に誕生した存在たちで、太陽系に近いいくつかの惑星に住み、バラエティー豊かな姿で存在していますシリウス星人は多種多様な種族の融合を目的としていたので、遺伝子工学の技術に優れています。そして、古代の神々へと姿を変えて、地球人の目覚めと統合のため地球へ降り立っています。

 シリウス星人は、すでにアセンションした存在です。奉仕する喜びから、アルクトゥルスと結束し、癒しのエネルギーを宇宙全体に広げています。

 

ゼータレチクル星人

地球で最もポピュラーな宇宙人として知られるゼータレチクル星人。ほとんどの存在が灰色をしているので、「グレイ」といった方が馴染み深いでしょう。その姿形からネガティブな印象を受けますが、地球人とは友好的な協力体制にあります。エササニ星のバシャールも。ゼータレチクル星人の子孫であることから、地球の未来に手を差し伸べサポートしています。

 

・しかし、これは、ゼータレチクル星人の歩んできた歴史の影響によるものなのです。ゼータレチクル星人は過去に自分たちの故郷を滅ぼし、長い間閉鎖的な地下で生き延びてきました。生き延びるためにあらゆる感情を排除し、優れた遺伝子工学とクローン技術を開発して子供を増やしてきたのです。

 

・ゼータレチクル星人は主に身長100センチ前後の小柄な体系で、イルカのような肌質をしています。肌の色は青から灰色、ベージュや茶、白など、多くの色のバリエーションがあります。

 

HISTORY

・ゼータレチクル星人は、かつてはベガ文明の一部でした。ベガのエイペックスという惑星に住み、高度な技術で、原子力や化学物質を扱っていました。

 しかしその技術の進歩がゼータレチクル星人の霊的成長より上回り、誤った使い方をしてしまったため、争いや汚染された環境を作り出してしまいました。核戦争が起こり有害物質が蔓延したため、地表に住むことができなくなったゼータレチクル星人は、長期間地下に潜って生き延びます。

 自滅を回避するため、彼らは急速に知性を発達させる必要がありました。そのため脳がとても大きくなり、今のようなグレイと呼ばれる宇宙人の姿になります。頭が大きくなったので、自然な出産が困難になってしまいました。そこでクローン技術を使い仲間を増やしたため、皆同じような姿をしています。

 

プレアデス星人

・レムリアの時代からプレアデス星人は地球に転生し、地球の進化のためサポートしてきました。内側から溢れ出るような慈悲深いエネルギーを放ち、平和と静寂さを好み争いや戦うことをしません。

 

・プレアデス星人は、地球人の遺伝子を体内に持つので地球人に最も近い姿形をしています。性別は主に女性の方が多く、長い手足をしたすらりとした体型で、背も高いのが特徴です。容姿はとても美しく、透き通るような白い肌でブロンドに輝く明るい髪色をしています。瞳の色は、青や緑色です。

 プレアデス星人は、地球人の意識の拡大と無条件の愛へ目覚め、魂の成長を共にサポートしながら近い将来にコンタクトを取るべき存在です。

 

HISTORY

・もともとはリラ文明から発生し、リラ星とベガ星との戦いから逃れてきた人々が、新たに築いたのがプレアデス。おうし座の近くにあるプレアデス星団に移住して、独自の社会やシステムを生み出したもっとも若い文明です。

 青く美しい惑星である地球を発見し、その豊かな自然と資源を備えた北欧に移住しました。地球の環境に適応できるようにするため、地球の遺伝子を体内に取り入れていくことで徐々に地球に対応し、今の地球人に最も近いヒューマノイド形をしています。

 プレアデスは、近未来の地球の姿でもあるので、プレアデス星人は地球人のガイドとして行動しています。地球人の制限やブロックを取り除き、5次元へアセンションするサポートを担っています。

 

ベガ星人

・琴座のリラ星人から派生した宇宙種族で、高い精神性を持ちます。リラ星人が外側のエネルギーを司るとすれば、内なる宇宙を探求するエネルギーを作り上げました。

 

・ベガ星人の見た目は多種多様ですが、主に体は小さく細身で、褐色の肌をしていて黒髪です。インドのヨギや聖者、アボリジニーのような感じです。また、ヒンドゥー教の神々のような青や赤の肌のグループもいます。目の色は暗い茶色で、内宇宙を探求するかのように輝いています。

 ベガ星のマスターたちは、地球人が神の愛の意識につながることをサポートしています。物質的な制限を超越し深いエネルギーと意識のレベルにつながり、聖者や神のようにして生きることを伝え、愛情深く見守っています。

 

HISTORY

リラ星人の考えと反し、独自の思想と霊性を探求するために生まれた文明がベガです。より内なる宇宙を探究し独自の哲学を表現するために、リラから分離しました。リラ星人とは分かちあえず、統合へ向かうことなく平行線のままだったので、自然な成り行きで別れていきました。

 やがて、ベガ星人は他の惑星にも旅をし、膨大な年月をかけて様々な文化と交流し成長してゆきました。地球に最初に訪れたのは、ベガ星人です。平和的・友好的に暮らすためでした。地球には、工芸や医学・高度なテクノロジーなどのほか、瞑想や哲学といった多くのスピリチュアルな実践方法などが伝えられました。

 ベガの神秘主義は、地球人の目覚めのため、日本の神道アイヌチベットアボリジニーアメリカの先住民、ヒンドゥー教などに深く根付いています。

 

リラ星人

・銀河系のヒューマノイドの原型であるリラ星人は、宇宙人の祖先にあたります。ほとんどの宇宙種族は、琴座のリラ星人から派生しました。魂年齢が高く非常に経験豊富なため、物事に対しては恐れることなく勇敢に突き進む男性的なエネルギーの持ち主です。

 

リラ星人の外見は多様ですが、人間に似たヒューマノイドタイプは、しっかりした骨格で背が高く白い髭や肌の美しい顔立ちをしています。また、猫のような目鼻立ち、鳥のような風貌、ライオンに似た風格の風格のようなものがいます。一般に猫系のヒューマノイドは、長い髪やタテガミのようなものを持ち、装飾的な服を着るのが好きです。非常にテレパシックで、猫の原型は、やがてシリウスやプレアデスなど他の星々にも散らばりました。

 リラ星人の長老たちは、とても高いテクノロジーと高い精神性の融合において、地球の地質に対しサポートしています。地球のアセンションに連動した地質の影響を守護しています。

 

HISTORY

・リラは琴座に属した惑星で、地球の歴史が始まる遥か前から存在していました。宇宙人のルーツである存在がリラ星人です

 リラでの文明が始まったばかりの頃は、とても平和で暮らしが続きました。やがて人口も増えて文明も発達していき、宇宙中を冒険して飛び回り、様々な惑星に移住しました。中には琴座のベガに移住した存在も含まれていました。

 他の惑星との交流が盛んになるにつれ、文明や技術・思想などが発達しましたが、陰と陽の二極化した力学が発生しました。リラと相反する思想を持つ存在たちは、ベガ文明を築き、それぞれの文明を発達させていきました。

 リラ星人は太古の昔、地球のアトランティスにも訪れたことがあります。そこで火の要素を提供し、地球人に知恵や才能を授けました。

 

金星人

・愛と豊かさのエネルギーに溢れている金星。金星人は、容姿がとても美しく美的センスや才能に溢れ、芸術や文化・美を司ります。男性性と女性性のエネルギーが統合された存在で、とてもクリエイティブ全体的に高身長で、肌の色が白く金色の髪をしていて、美しく均整のとれた顔立ちをしています。

 

・その魅力的な美しさが原因で、妬まれたり、羨ましがられたりと攻撃の対象になることもしばしばあります。

 

・地球では、自由に愛や豊かさを謳歌し日々喜びに溢れた人生を純粋に追い求める、ありのままの自分を愛する姿で地球のサポートをします。喜びと愛があふれる金星の女神のエネルギーはポジティブな奇跡を生み出し、ライトワーカーや、ヒーラーとして人々や地球の魂を愛や光に導きます。

 

HISTORY

・かつては豊かな緑と、芸術的建造物が共存していた金星。

 しかし、テクノロジーがとても発達した影響で環境破壊が起こりました。金星は太陽の近くにあったため、破壊された大気圏から太陽の熱が直接降り注ぎ、人々が住みにくい星となってしまいました。

 そこで、アシュタールをはじめとする金星人たちは自分たちの星を出て、宇宙船で暮らすようになりました。アシュタールは宇宙連合の司令官として、宇宙中を旅をして回りましたが、やがて金星と同じような環境破壊の危機にある地球に出会いました。

 金星のような過ちに陥らないよう、地球意識の拡大と愛と平和に満ちたアセンションへと導くために、金星人はサポートに関わっています。

 

 

 

 

(2020/9/11)

 

 

『災厄と信仰』

大島建彦 三弥井書店   2016/10/4

 

 

 

福神としての猩々(しょうじょう)>  (当ブログ:本文修正

・一般に七福神というと、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人があてられているが、かならずしもそれらの諸神に限られるものではなかったようである。享保二年刊行の『増補合類大節用集』は、『書言字考節用集』として知られるものであるが、その第十三冊の「数量」の部には、

 七福神 辨財天。毘沙門天。大黒天。恵比酒。福禄壽。布袋和尚。猩々

という項目が収められている。そこで、『民族と歴史』の三巻一号における、喜田貞吉氏の「七福神の成立」では、

 彼の元禄十一年の日本七福神伝には、福禄寿・寿老人を合して南極老人一体とし、此の吉祥天を加へて、一福人の欠を補ふ方の選択によって居るのである

 につづけて、

 然るに同じ元禄の合類節用には、寿老人の代りに猩々を加へている。動物を福神とする事は、狐神・蛇神の例もあって敢て不思議でもない様ではあるけれども、それ等はいずれも稲荷神とか宇賀神とかに習合せられたもので、猩々の場合とはやや其の趣を異にしている。然るに特にここに動物其のままの猩々をしかも之に加えたのは、室町時代の俗信に基づいて、彼が人体を有し、福を人間に授けるものとして信ぜられた為であろうと論じられている。

 

・実際に、『日本伝説大系』の第八巻には、田中民子氏の「採集稿」によって、兵庫県南あわじ市沼島における、酒手畑の伝説が取りあげられて、

 猩猩ちゅうのは七福神の一つに数えられるん、沼島りゃったら、恵比須さんや大黒さんや弁天さんや福禄寿なんかといっしょに猩猩ちゅうのが入るんねんのう

 

という伝承が引かれている。さらに、『西郊民俗』の百八十一号における、山田厳子氏の「福神としての猩々――沼島の『酒手畑』伝承考――」にも、井津尾由二氏の談話が掲げられ、「七福神に猩々が入る」ことにふれられるのである。そのほかに、備後福山藩主の阿部家に伝えられた、刷物の宝船の絵にも、それらの七福神とともに、二童子と猩々のようなものが、描かれている。

 この猩々というものは、今日では東南アジアのオランウータンにあてられているが、本来は空想上の怪獣であって、きわめて古い時代から、さまざまな漢籍の中にあらわれてくる。

 すなわち、最古の字書にあたる『爾雅』の「釈獣」には、

  猩々小而好啼

としてあげられており、五経の一経に属する、『礼記』の「曲札」にも、

 猩々能言。不離禽獣

としるされている。

 

それだけではなく、この猩々という獣の名は、思いのほかに早い時期から、日本の文献にもとりあげられている。すなわち、平安時代の『和名類聚抄』には、

 猩猩 爾雅註云、猩猩(音星、此間云象掌) 能言獣也。孫愐曰、獣身人面、好飲酒也

としるされ、また、室町時代の『下学集』にも、

 猩猩 人面、身以猿能言、古語云、猩猩能言不離走獣云。尤好酒屐者也

としるされるのであった。いずれにしても、室町以降の文献には、いくつもの猩々の記事があげられるが、特に能の曲中には、多くの猩々の登場が認められるのである。『帝塚山学術論集』の六号に掲げられた、王冬蘭氏の「『猩々』イメージの変遷――中国の怪獣から日本の霊獣へ――」には、現存の謡本などによって、二十七曲の猩々物があげられているが、それらの猩々物の中でも、現行の能の曲としては、五流の『猩々』のほかに、観世流の『大瓶猩々』があげられるにすぎない。それにもかかわらず、現行の『猩々』というのは、きわめて多くの機会に演じられて、猩々のイメージの固定化にあずかったものと思われる。

 

・そのような『猩々』という曲は、五番目の切能に属するが、祝言の風流能として演じられるものである。そのおおまかな筋書は、揚子の里の高風邪という孝子が、市で酒を売って富貴の身となったが、猩々と名のる酒好きな童子と約束して、潯陽の江のほとりで待っていると、月の出とともにその猩々があらわれて、酒を飲んで舞いたわむれ、汲めども尽きぬ酒壺をあたえたというものである。この『猩々』の重要な観点として、第一には、猩々が赤面に赤頭で、赤地の上着と袴をつけて、赤ずくめのすがたによそおい、このんで酒を飲むこと第二には、猩々が潯陽の江という、水の中からあらわれること、第三には、猩々が汲めども尽きぬ酒壺という、福徳のシンボルを授けたことが注目されるであろう。そこで、それらの三つの要点が、民間の猩々の観念にも、そのままうけ継がれていったかということについて考えてみたい。

 

そのような猩々に関する民俗としては、何よりも各地の祭礼や藝能などに、猩々をかたどったものがもちだされ、あるいは猩々に扮したものがあらわれることに注目しなければならない。ここには、日本全国の事例をあげつくすことはできないが、伊藤、小西両氏の論文では、愛知県内の祭礼を通じて、猩々のだしもののすくなくないことが示されており、その顕著な事例としては、津島市津島神社の天王祭りで、朝祭りの車楽船の上に、能人形の猩々をのせることがあげられるであろう。また、名古屋市東照宮の名古屋祭りでは、本町から猩々車を出し、半田市神前神社亀崎潮干祭りでは、中切組から力神車を出すというように、からくりの人形の猩々もすくなからず認めることができる。さらに、小西恒典氏の論文にまとめられたように、名古屋市南区からその周辺にわたって、三十余ヶ所の神社の祭礼には、張子の大人形の猩々が出てきて、おもに行列の先導の役をつとめるのである。

 

・そのほかの地域でも、同じような猩々の登場がみられるのであって、滋賀県下の祭礼の中には、大津市天孫神社の曳山祭りに、南保町から猩々山を出し、長浜市の長浜八幡宮の曳山祭りでは、船町組から猩々丸を出すというように、いくつかの人形の猩々を認めることができる。さらに、西日本の事例としては、野津龍氏の『因幡の獅子舞研究』などに示されたように、鳥取県因幡の各地には、麒麟獅子舞として知られる、二人立ちの獅子舞が伝えられており、その先頭には猩々が立って、朱塗りの棒をもって舞うことがおこなわれるまた、香川県の神楽や獅子舞にも、やはり猩々が出て舞うものが認められるのである。

 

・それに対して、東日本の方面においても、神奈川県横須賀市浦賀町では、八雲神社の祭りのだしものに、猩々坊という大人形を台車にのせて、町内を引きまわしているのは注目される。さらに、東京都千代田区神田神社神田祭りでは、塗師町から猩々の山車を出しており、千葉県佐倉市麻賀多神社の佐倉祭りでは、間之町から猩々の山車を出していて、まったく猩々のだしものがなかったとはいえないが、それほど多くの事例は思いうかばない。さらに、千葉雄市氏のご教示によると、宮城県登米市中田町浅水における、浅部の七福神舞には、翁、大黒、布袋、恵比寿、寿老人、毘沙門天の舞とともに、月の輪の柄杓を肩にかつぎ、黄金の盃に酒を汲むさまが演じられているという。そのほかに、山伏神楽や番楽のたぐいにも、やはり猩々の演目がとり入れられており、山形県飽海郡遊佐町における、杉沢のひやま番楽では、この猩々という荒舞が、散楽風の要素を加えて演じられている。そういうわけで、地域によっていくらか異なるかもしれないが、いずれにしても、この猩々という霊獣が、ひろくめでたいものとしてとりあげられてきたことは認められるであろう。それにつけても、大戦中の西暦千九百四十年には、皇紀二千六百年の祝賀のために、当時の東京市路面電車が、何台かの花電車を走らせた中で、猩々が扇をかざしてまわっていたさまが思いだされる。

 

・ところで、そのような祭礼や藝能のほかには、これに関する在地の民俗は、それほど多く伝えられているとはいえない。『松屋筆記』の巻九十八には、「猩々といえる異名の者猩々瓶」と題して、越後と豊前と石見という、三ヶ国の例をとりあげているが、猩々のような人が、見世物に出されたといううわさをかきつけたにすぎない。わずかに、雑賀貞次郎氏の『牟婁口碑集』には、「猩々の話」が掲げられており、和歌山県田辺市元町に属する、天神崎の立戸の浜で、一人の若者が笛を吹くと、海から猩々の女があらわれて、思いのままに魚が釣れる道具をさずけたといい、また同県西牟婁郡白浜町に属する、西富田の細野の猩々小屋では、海から猩々があがるというので、酒をおいてこれを酔わせてとらえたとしるされている。

 そういう意味では、さきの山田氏の論文で示された、兵庫県南あわじ市の沼島における、猩々倍や酒手畑のいわれは、きわめて貴重な伝承であったといってもよい。

 

・それでは、さきにあげた猩々の特色が、さまざまな各地の民俗を通じて、どのようにうけ継がれてきたのであろうか、ここに改めて検討を加えてみたい。いうまでもなく、第一の観点として、猩々が赤面に赤頭で、赤ずくめによそおうことは、かなり多くの伝承を通じて、まったく変りなくうけ継がれている。それだけではなく、第二の観点として、猩々が水の中からあらわれることも、やはり思いがけないことに、かなりひろい範囲に伝えられるのである。能の『猩々』や『大瓶猩々』などでは、潯陽の江からあらわれるのであるが、廃曲の猩々物の中には、『阿濃猩々』では伊勢の阿濃郡に、『泉猩々』では和泉の海辺に、『因幡猩々』では因幡の福井の浜に、『岩戸猩々』では薩摩の岩戸の浜に、『金沢猩々』では武蔵の金沢の海辺に、『駒形猩々』では尾張国または三河国に、『須磨猩々』では摂津の須磨の浦に、『玉崎猩々』では筑前の玉崎に、『難波猩々』では摂津の難波に、『龍宮猩々』では伊豆の三崎の浜に、『山崎猩々』では摂津の山崎にというように、それぞれ日本のどこかの地で、水のほとりにあらわれたようにつくられたものがすくなくない。伊藤氏の論文にも引かれているように、鳴海や笠寺の海辺には、それぞれ猩々があらわれたために、その近在の祭礼には、いずれもその人形を出すようになったことが伝えられている。また、『牟婁口碑集』や『淡国通記』などにも、それぞれの海辺に猩々があらわれたと伝えられることは、ここに改めてくり返すまでもない

 さらに、第三の観点としては、何らかの福徳を授けることであるが、この部面については、かならずしも明確に言いきることはむずかしい名古屋市の南部における、大人形の猩々については、災厄をはらうものと考えられ、たようで、これにたたかれると厄をまぬかれ、また病気にかからないなどと伝えられる。寛政九年の『疱瘡心得草』には、「疱瘡神祭る図」が掲げられており、疱瘡のこどもの枕もとに、猩々の人形をおいたさまがえがかれていた。実際に、疱瘡よけのまじないのために、疱瘡絵や赤物の玩具がつくられているが、木菟や達磨などとともに、猩々のすがたをかたどったものがすくなくない。滋賀県草津市守山市では、そのようなまじないの玩具として、張子の猩々の人形が、達磨と一対でつくられているが、赤い髪に赤い衣で、右手に木の柄杓をもち、左手に厚紙の盃をもっており、素焼のかわらけと赤い折紙とがそえられたものである。

 

そのような赤ずくめの猩々は、たしかに災厄をしりぞけると信じられているが、そのまま福徳をもたらすものとはきめられない。たしかに、拙著の『疫神とその周辺』や『疫神と福神』では、疫神から福神につながることを説いてきたが、それだからといって、この猩々というものが、ただちに福神として認められるとはいえない。和歌山県の田辺では、思いのままに魚が釣れる道具をさずけ、淡路国の沼島でも、どれだけ使っても減らない銭をさずけたというのは、あきらかに何らかの福をもたらしたといってもよいが、それほど多くの類例をあげることはできない。また、阿部家の宝船の絵に加えて、宮城県の浅部の七福神舞で、翁、大黒、布袋、恵比須、寿老人、毘沙門天とともに、猩々がわらわれて舞うのは、あきらかに福神の仲間に加えられたものとみられるが、それだからといって、すべての猩々に関する伝承が、そのまま福神の性格を示しているとはいいきれないむしろ、恵比須や大黒などと同じレベルで、福徳をもたらす神としてまつられるわけではないようであるそういうわけで、福神としての猩々については、いっそう慎重な検討を加えなければならないのであろう

 

疫神の鎮送と食物

<はじめに>

人生におけるもろもろの災厄、特におそろしい疫病の背後には、何らかの神霊の存在が考えられてきた。それらの神霊というのは、どこかよその世界から家におとずれてきて、そのような疫病などの災厄をもたらすものと信じられており、おおむね疫神や厄神などといいあらわされるのである。そこで、この疫神のおとずれにむかって、どのような対応のしかたをとってきたのか、家の門口と村の境という、二つの大事な場面を中心にさぐるとともに、そのような儀礼と食物との関係についても考えてみよう。

 

団子と粽

第一に、家の軒先や門口には、疫神や悪霊をしりぞけるために、さまざまな呪物を掲げるならわしが知られている。たとえば、立春の前日の筋分には、豆をもって鬼を打つのはいうまでもないが、また柊の葉に鰯の頭をさして、とげのあるものやわるいにおいのするもので、疫神のたぐいをおいはらおうとしたものとみられる。

 

・ひろく東日本の各地では、一般にコト八日として知られる、二月および十二月の八日にも、何かおそろしいものがおとずれると伝えられる。関東の各都県にわたって、一つ目小僧や目一つ小僧などがくるといい、川崎市多摩区横浜市港北区を中心に、ミカワリバアサンやミカリバアサンなどがくるというのである。それらの怪物のおとずれに対して、ただ家の中にこもっているだけではなく、 家の軒先や門口などに、日籠や笊を掲げたり、柊やニンニクをさしたり、団子や餅を出したりするなど、かなり念入りな工夫がこらされていた。特にミカワリバアサンのおとずれには、やはり日籠や笊をかけておくとともに、わざわざ屑米や粃米などで、ツジョウ団子というものをつくってさすこともおこなわれた。このツジョウ団子というのは、土穂団子という文字をあてられるもので、もともと人の食物としては、もっとも粗末なものに属するが、ミカワリバアサンにこれを供えると、病気や火事からのがれられるなどというのであった。

 

・また五月五日の節供には、粽や柏餅をそなえることが知られているが、菖蒲や蓬などをもちいるのと同じように、悪霊や疫神をしりぞけるためであったと認められる。五月節供の粽のいわれについては、中国の『続斎諧記』などに、非業の死をとげた屈原の霊をまつるのに、竹の筒に米をつめたうえに、楝の葉でつつんで色の糸でまいたものを、水の中に投げいれたなどと伝えられる。チマキということばに示されるように、もともと茅の葉でまいたのであろうが、奥羽などの各地では、笹巻や笹餅などといって、特に笹の葉でつつんだものも知られている。

 

・中国の『荊楚歳時記』などには、五月節供の供物ではなく、夏至の食物として、同じ粽というものをあげているが、日本の夏の祭りとしても、六月や七月の時節における、祇園祭りや天王祭りなどに、厄除けのまじないとして、粽や笹団子を受けるならわしを認めることができる。京都の八坂神社の祇園祭りは、もともと疫病の退散のためにいとなまれるものであったが、七月十七日の山鉾の巡行にさきだつ、その前夜の十六日の宵山に、町内ごとに飾られる山鉾の下で、浴衣がけの女の子の仲間が、「粽買うてんかあ」などとよびかけて、厄除けの粽を売っているのが思いおこされる。この祇園祭りの粽を受けてきて、家の門口などにかけておくことは、かならずしも京都の市中だけに限らないで、かなりかけはなれた遠方にまでゆきわたっている。

 

軒先の多様な呪物

特定の行事とはかかわりなく、日常の生活の中でも、家の軒先や門口に、さまざまな呪物を掲げることがすくなくない。そのような門守りの中では、魚の尾、鮑の貝、蜂の巣、万年茸、ニンニク、トウガラシなどが、もっともよく知られているが、ただそれだけにとどまるものではない。

 桂井和雄氏の『土佐民俗記』には、特に高知県の範囲における、家の軒下の呪物として、シャチホコ、魚の尾びれ、アメゴ、ウマウオ、蟹、貝殻、猪の脚首、猿の手首、蜂とその巣、蛇の抜け殻、八ツ手、太ニンニク、南天、辛子、茄子、鉈豆、七夕さまの笹、石鎚山の猿、戸分さまのイヌマキ、杓子、わらじ、草履、蓑、鎌、志那ネさまの松明、正月や節分の注連縄、木炭、貼紙というように、かなり多様なものがあげられていた。

 

疫神ゆかりの人物

・家の軒先や門口などには、さきにあげたようなもののほかに、社寺のお札やお守りをも掲げたのであるが、また「蘇民将来来子孫也」というのをはじめ、「釣船清次宿」「佐々良三八宿」「鎮西八郎為朝御宿」などというように、疫神をもてなしたりこらしめたりした人の名を書きつけることもおこなわれるそこにしるされた人物との約束にもとづいて、おそろしい疫病の侵入をまぬかれようとしたものである。

 

 

 

『怪異伝承譚』 ――やま・かわぬま・うみ・つなみ

大島廣志 編  アーツアンドクラフツ   2017/10/1

 

 

 

隠れ里に行った人の話

・昔鬼柳村(岩手県北上市)に扇田甚内という人があった。ある朝早く起きて南羽端の上を見ると、そこに若い女が立っていて甚内を手招きした。甚内は不審しく思って見ぬふりをして過ごしていたが、そんなことが二三朝続いたので、なんだか様子を見たいと思って、ある朝その沼のほとりに行ってみると、齢二十ばかりの容顔佳き若い女が、私はあなたと夫婦になる約束があるから、これから私の家へ来てくれ、というて笑いかける態、実にこの世に類のないようなあであやかさであった。

 甚内もそう言われると思わぬ空に心を惹かれて、われともなく女のあとについて二三十歩がほど歩むと思うと、早や見たこともない世界に行って、山のたなびき、川の流れ、草木のありさま、常と異なり景色がめっぽうよろしい。そのうちにここは吾家だというについてみれば男などは見えぬが、美しい女達があまたいて、今のお帰りかとみな喜び吾を主のように尊敬する。甚内も初めのうちは変でならなかったが、ついには打解けてその女と妹背(いもせ)の契りも結んだりなんかして大切の月日を送っていた。だが月日がたつに随って、どうも故里の妻子のことがとかくに胸に浮かんで仕方なく、そのことを女にいうと女はいたく嘆いて、私はお前がおらぬ間をば有徳富貴にしておいたから家をば案じてくださるな、いつまでもここにいて給われと掻口説いて困る。

 

・わが家に帰って見ると、ただの一ヵ月ばかりと思っていたのが三年の月日が経っていたとて、親類一族が集って村の正覚寺の和尚まで招んで自分の法事をしている真最中に上った。そしてほんにあの女がいった通りに自分のいぬうちに前よりはずっと身代もよくなっていた。

 

後に女房にうんと恨まれてついに実を吐くと、その言葉を言い終わるやいなや甚内の腰が折れて気絶した。その後は不具廃人となって、その上に以前の貧乏になり返って、つまらぬ一生を送った。

・その当時、其内の隣家に関合の隼人という男が住んでいて、このことを聞き、甚内こそ愚かで口惜しいことをしたものだ。己なら一生帰らずその美しいのと睦まじく暮すがと言って、又そう心中に思って、毎朝羽端の方を眺める癖をつけた。するとある朝、羽端山の蔭から女が手招きしているのを見つけたので、思うこと叶ったと喜んで飛んで行ったが、狐に騙され、馬の糞を食わされて家に帰った。   (岩手県

 

地獄谷の山姥

・大野郡荘川村六厩の奥に地獄谷という深い山があり、昔、大勢の杣(そま)が入って木を伐り出していた。

 その地獄谷の下流に女滝という幅の広い滝があって、その近くに杣小屋があった。

 ある年の暮れ、杣の一人、徳助は越中生まれで身寄りがなかったので、仲間の者が帰り支度をしているのに、ひとり寂しそうにしていた。杣頭が一緒に正月をするようにとすすめたが、残って小屋番をするといって断る。

 徳助はみなが残していった少しばかりの米で、ごへいもちをつくって御神酒とともに、山の神と氏神様へ供え、正月を過ごそうとしていた。

 

・その時、凄い顔をした痩せた女が入ってきて、徳助が呑みかけていた酒の徳利をとりあげて、ぐいぐいと呑んだ。飯も汁もひとりでたいらげてしまって、「これだけか」といった。徳助は口もきけず、ただ、がたがたふるえるばかりであった。

 女はあたりを見まわし、神棚の御神酒を見つけて、これをおろして呑もうとした。その時、外から一人の老人が入ってきて、御神酒の徳利をとりあげ、「これはおれの分じゃ」といった。するとまた一人の若者が入ってきて、もう一本の徳利を、「これはおれの分じゃ」といってひったくる。

 女は、にわかに壁をバリバリッと打ち破って、姿を消した。

 二人の男に、「年越しにひとり、小屋にいるものではない。送ってやるから里へ帰れ」といわれて、徳助は荷物をまとめ、松明をともして六厩へ帰った。

 その女が地獄谷の山姥であるという。月の美しい晩に、よく女滝の下の渕で髪を洗っていたという。    (岐阜県

 

檜原村(ひのはらむら)の天狗

・よくあるのよ。すごく上の方から大きな岩がガラガラガラーって回ってきたと思ってね、そうすると何でもないの。

 それから大きなものがパッと飛び出したかと思うと、上へ飛んで、バサッと下へ落ちたかと思うと、何でもない。そういうのがあるのね。

 それ、お父さんに聞くと、「ん、そりゃ天狗だわ」って。

 そういうふうに上の方からすごい岩が回ってくるから、どうしよう、どっちに逃げようなんて思っていると、パタッって止まっちゃうことがあるのね。大きなゴーゴーとすごい風が吹いているかと思うと、全然吹いてないこともあるしね。

 山の家だから、色んなそういう幻みたいのが起きるんじゃないのかな。

 天狗はいたずらをするけど、悪いことはしない。

だから木を一生懸命切って、カラカラカラカラ回して、木を落とす音がすると、よほど大きな木が落ちてくるじゃないかと思えば、途中で何でもなくなるし。

 

・天狗は大きいのよ。向こうの山とこっちの山をひとまたぎしたり、岩と岩の間に手をついてビューンと跳び上ったりして、手についている砂を振り払った。それがパラパラ落ちてきたって。

 天狗は大きくなったり小さくなったり。大人が山へ踏み込んで迷うでしょ。そうすると一緒に大きな岩をひとまたぎにしたり、川の広いところをすっとんで歩いたっていうから、よほど大きかったんでしょう。

 で、山だってひとまたぎにして宙を歩いたから、「おれは見てて面白かった。もう一度天狗さまに連れてってもらいたい」なんていう人がいて、本当に嘘をつく人だと思ったけどね。父親から聞いたからもっと面白いんだけど。「あの人だぜ、行ってきたのは」って。

 そうすると、そのおじさんがね、また凄いホラ吹いて教えるから、ほんとに信じちゃうのよ。

「天狗様がな、うどんをくれたら、うまくて、あんまりうまいからな、ポケットに入れて持ってきて、よーく見たらそれがなあ、みんなミミズだったんだよ」って言うの。

 

・「どんなかっこうしてた?」って訊くとね、大きなうちわを持っててね、そうして少しうちわを扇ぐと、ポーンと上へ飛び上がって、上へポーンと跳べたんだって。そのうちわで。         (東京都)

 

天狗にさらわれた爺

・林右衛門という人が、もの凄い信仰心の篤い人なの。けど、黙りでね、「うん」と言うだけの無口でね。ちょっともしゃべらんの。

 お婆がね、盲目だったの。それが何でもやったの。お勝手から掃除から何からね。目が見えんのにね。

 

・それがね、話はそれだけですまずにね。こんどは炭焼きしとるもんで、炭山へ行ったんじゃと、お爺がね。しゃべらんお爺が。そうすると、帰ってこんのやと。ほいで探しに行っても、いつもの炭焼きの所におらんのやと。みな心配して村の衆にも言って、「どうしたもんやろ、小屋におらんが」って。

 

・松明をつけて、鉦や太鼓でみんな寄って、そのお爺を隠したに違いないで返せって。天狗に言わなあかんってな。みんなで、トーントーンと、「林右衛門を返せ、林右衛門を返せ」って、みんな行列して行ったんやと。松明つけて。

 ほしたら寝とったんやと、小屋にね。前には、おらなんだのに。ほんで天狗が返してくれたんやと。

 昔の人やで、今の人やとそんなこと思わんやろけどね。天狗が返してくれたので、いっぺん天狗が、どうして返してくれたか聞きたいなあと思って、みんな言っても話さずに終わったんじゃけどね。

 無口やで言わんし、天狗に口止めされているんだろうし。お寺の役もやって若いときから法名までもらって、ちゃんとしておった人、賢い人じゃけど。しゃべらん人で「うん」と言うだけで。

 そんな話を、母親が話してくれた。

 

・この話のあとに、まだ続きがある。昭和17(1943)年に女の子、きよ子という子がいなくなって、それを真似してね。赤提灯を灯して、「きよ子を返せ。きよ子を返せ」ドンドコドン、ドンドコドンと太鼓をたたいて探した。出てこなかった。

 後から聞いた話やけど、橋のもと、谷にはまって死んどったらしい。あんまり不思議なので、女の子が出てこないので昔の真似をしたんやけどね。                     (岐阜県

 

天狗にさらわれた話

・村(旧静岡県田方郡中郷村)のある子供が急に見えなくなったので、親は勿論、近所の人も騒ぎ一所懸命探したが判らない。親達は泣く泣くその霊を弔った。

 四十九日に親戚一同が集って、お婆さん達と念仏の供養をした。その時なかでも非常に血縁の濃い者が、子供の小用をしてやるために田舎によく見る如くに、縁側で子供に小用を足さしていたのであった。その時ふと裏山に目をやると、紛失した子供が木の枝を飛び歩いている。それを見た親戚の者は喜びというか、恐怖というか、何しろあわてて座敷にいる者にすぐに知らせた。一同はすぐに例の縁側に出て来たが、不思議にも誰も再び彼の子供を見ることは出来なかった。一同は前の人が見たのは幻であるといって取り合わなくなってしまった。

 するとそれから幾日かの後に今度は家の者が見たのである。木の枝を軽々と飛び歩いている姿を。これが村中にぱっと拡がってしまった。皆はきっと天狗の業であると評判した。そこで毎日々々裏山へ子供を捜しに村の人も加わって出掛けたのである。が何故かどうしても見当らない。で村の人は匙を投げてしまい、後に残るのは労力の報いられなかったことに対する憤慨で、非難の声が高まっていった。

 

・が、親は決して子供を探すことを止めずに根気よく探した。その心に天狗も心をほだされたのか、ある日のこと、朝目をさますと、そこに明けても暮れても探していた我子がいるではないか。親の喜び方といったら大したものだった。しかし当の子供は昏々と眠り続けている。約三日程経て子供が眼を開くと、母親の顔の枕元にあるのを見て、お母さんとばかり抱きつき、母親はその子を強く抱きしめて長い間二人で泣いた。

 

後で子供も泣き止んで語るによると、毎日馬糞をお饅頭だといって食べさせられており、木の枝を飛び歩く術も教えて貰った、といったので、まあ馬糞を食べさせたりして、と親の子に対する愛情で、母親はまた泣いてしまった。でもまあ子供が見つかったのでと、何もかも忘れてお祝をしたという。これは実際にあった、といって聞かされた話である。天狗にさらわれるということは決して嘘ではないようだ。     (静岡県

 

山師の佐吉が、古峰が原で荒沢の天狗にあい気絶をすること

・明治のはじめに、荒沢(山形県鶴岡市)の杉林が切られることになり、狩川の佐吉という山師がこれを買いとって、大もうけした。

 その手斧いれの日に、最初に斧を打ち込んだ木から、血のような真っ赤な液体が流れ出した。

 その後も、搬出の人夫が何人も怪我をしたり、トロッコが転覆したりするようなことが続いて、難儀なことが多かったけれども、どうやら山じまいになった。

 その後二、三年経ってから、代参のくじに当たった佐吉は、同行の人たちと連れ立って村をたち、古峰ヶ原にたどり着いた。

 その夜、参籠所で風呂に入っていると、寺男がやってきて、火加減をみながら、「佐吉、暫くぶりだったのう」と言った。言葉はまぎれもない庄内弁だが、その顔には、さっぱり見覚えがない。

「おめは誰だか。さっぽり、分からないけれども」と、尋ねると、「俺のこと、忘れたかで、荒沢の天狗だでば」と言いながら、佐吉の方を向いた。

 その顔はべんがら色で、眼はぎょろりと光り、鼻は高く、絵で見る天狗と寸分違わなかった。

 

・やがて、意識を取り戻した彼は、同行のものから、「おまえが、いつまでも上がってこないので覗いてみたら、すえふろの縁にしがみついたまま、“許してけれ、許してけれ”と怒鳴っていたので驚いた。一体どうしたのだ」と訊かれた。

 彼は、それに対して一言の説明もしなかったが、それから後は、どんなことがあっても、神社や寺の木は、一切買わなかったということである。

                        (山形県

 

<おもいの魔物>

・富士山麓の大和田山山梨県西八代郡上九一色村)の森林中に、おもいという魔物が棲んでいた。

 この魔物は、およそ人間が心に思うことは、どんなことでも知っているという不思議な力を持っていて、だからこの魔物に出逢った人間は、全く進退が出来んようになり、ついついそれに取って喰われてしまうのである。それで、大和田山へ出入りする樵夫(きこり)や炭焼きは、何よりもこのおもいを恐れていた。

 ある時一人の樵夫が大和田山の森林の中で木を割っていると、ふいにそのおもいが現れて来た。その男は思わずゾッとして、ああ怖いなァと思った。するとそのおもいはゲラゲラ笑いながら、今お前は、ああ怖いなァと思ったな、といった。男は真っ蒼になって、こりゃァグズグズしていると取って食われてしまうぞとビクビクしていると、おもいは、今お前は、グズグズしていると取って喰われてしまうと思ったな、という。男はいよいよ堪らなくなって、どうなるものか逃げられるだけ逃げてやれと思うと、おもいは又もや、今お前は、逃げられるだけ逃げてやれと思ったな、という。それから男も困り切って、こりゃァどう仕様もない。どうなろうと諦めろと思うと、おもいは又しても、今お前は、どうなろうと諦めろと思ったな、という始末である。

 こう何から何まで見透かされてしまってはもうどうすることも出来ず、仕方がないから男は、ビクビクしながらもそのまま木割りの仕事を続けていた。おもいの魔物は、いよいよ男が負けたのを見ると、だんだん近寄って来て、隙さえあれば男を取って喰おうと狙っていた。

 ところがその時、男が割っていた木に節っ瘤があって、今男がハッシと打ち下ろした鉞がその瘤へ当たると、不意にそれが砕け、木の破片が勢いよく飛んで、魔物の眼へ酷くぶっつかり、その眼を潰してしまった。これは樵夫も魔物も、全く思いもよらぬことであったので、さすがの魔物も参ってしまって、思うことよりも思わぬことの方が恐い、といいながらどんどん向こうへ逃げて行ってしまった。     (山梨県

 

山の霊の話

・山には不思議なことがあるんですよ。山にはね、霊というものがあるがね。その霊に出会うとね、動きがとれないんですよ。金縛りになるでしょ。その話をしますよ。

 こっちから向こうへ行くと元屋(島根県隠岐隠岐の島町)というとこあるでしょ。今は道が下について、いいですよ。ところが、昔はあの上を通りよったんですよ。

 後ろに誰かがいるんですが、振り返れないんですよ。ナタを木の切り株に打ち込むんですが、ところが逃げないんですよ。30分も1時間近くも、自分の後ろに誰かがいる。それを振り向くこともできない。それも1時間ほどしてから、この言葉にね、こういうものを払いのける言葉、おまじないがあるんですよ。それは、父がそう言ってたんです。

「お前な、夜歩くということはいいけど、まじないの言葉をしらなきゃいけない」ってね。“アブラオンケン ソワカ”という言葉があるんですよ。 

 ということはね、八百万の神様、お願いしますという言葉らしいんですよ。父が言ってました。この言葉を三回、繰り返したら、スーッと軽くなった。後ろの何かがいなくなってしまった。    (島根県

 

酒買いに出る山姥

・千国(長野県北安曇郡小谷村)の暮れ市は旧十二月の十九、二十日の両日で、二十五日は魚市であったといった人もある。この暮れ市に山姥が買物に出たという話がある。

 山姥は市日の早朝に上手(わで)酒屋へ来て、酒をくれという。これへ五升注いでくれといって瓢箪を出す。これじゃ三合ばかりしか入らぬじゃないかというと、何大丈夫だとすましこんでいるので、試して入れて見ると五升はおろか、らくらくと入ってしまう。店の者は不思議に思って、お前はいったい誰だときけば、

「俺はこの山奥に住む山姥だが、もし俺が来られぬ時には誰を代わりに寄こしても酒を売ってくれ」といって帰って行く。

 山姥が出ると市の相場が下がるという。

「どら、山姥が出たので、今年は安いぞ、明日は買い出しに行けるといったものです」          (長野県)

 

山女郎の祟り

四万十川上流地方は農耕地が狭く、昔は農業より木材、薪炭、紙すきを本業とした百姓が多かった。

 

・山で泊まることもしばしばであった。ある朝早く山から帰った義吉が、女房の空けた寝床へもぐり込むので、驚いた女房が、「お前さんは何時もと違うようですね」と布団を持ち上げ顔を覗くと、顔は真青でブルブル慄えている。やっと昼近くに起きて、義吉は女房に語ったという。

「昨日の朝早くから炭を出して、その跡へ木を入れ始めたが遅くなり、やむなく炭窯の入口に菰(こも)を吊るして中で寝た。

 夜更けに小便を催して目が醒め外へ出ようとすると、入口の菰を上げて女の顔が覗き、紅い舌を出している。それが奇妙な声でケタケタ笑う。

 笑うたびに長い舌が、おらの顔に届きそうで恐くて寝るどころじゃなかった。小便も着物へたれてしまった

 それ以後、義吉は床を離れることはできず、間もなく死んだそうだが、村の人達は義吉のことを山女郎に肝を吸われたのだと伝えている。四万十川の上流には女郎山と称する山が所々にある。   (高知県

 

山女郎を女房にした男

・昔、奥屋内村に定次という醜い男がいた。猟師で、無口で、稼ぎも定まらず、娘達も嫌って寄りつかず、今年で歳は41になったが、いまだに女房がない。家は岩窟の傍らに木と竹と茅で、へいを立てかけてあるくらいの粗末なものであった。

 ある夕方、帰って見ると見知らぬ女がいて、夕飯の仕度をして待っていた、無口な定次は、その女の整えた食事をことわりもせず食って食い終えると、そのまま横になって寝た。朝早く目をさますと、昨夜の女はいなかったが、朝飯の用意と弁当は出来ていた。定次は女の作ってあった食事をして、作ってあった弁当を持って猟に出かけた。その夕方も夜になって帰ると、女が夜の食事を作って待つこと昨夜と同じであった。

 

・そして三日目、無口な定次もやはり男であったのか、暗黙の内に女との交りをした。翌朝は、定次も特に疲れて寝過ごし、目を醒まして見ると、女はおらず作った食事は冷たくなっていた。定次は口こそ出さないが、心の内では、朝早くからまめまめしく働く女房と思い込み、自分でも以前より働くようになった。そして夫婦のような暮らしが五カ月ほど続いた

 女は定次の胤を宿したようであった。定次の交りの誘いにも応じなくなり、日が経つほどに、ある夜中、怪しいあか児の泣き声がした。定次は夢うつつの中で、その声の遠ざかってゆくのを覚えているが、どうしても起きることが出来なかった。朝になって目醒めた時には、女も、あか児もいなかった。無口で変わり者の定次も、この怪しさに耐えかねて、土地の寺を訪ねて僧に一切を打ち明けた。

 お寺の僧は、定次の家へ来て見て驚いた。寝床には野猿の毛がうず高くつもっていたが、定次は、それに気付かなかったらしい。

 定次と野猿との間に生まれた幼猿は、山女郎となり育って、周辺の里人を弄らかした時もしばしばあったという。奥女郎、口女郎等の字名の山が所々にあるのは、この民話の名残でもある。    (高知県

 

 

猩々ヶ池

・昔、八幡の町(宮城県多賀城市)は、「上千軒、下千軒」と呼ばれ、大いに繁盛していたが、そのころのことである。

 一軒の酒屋があり、こさじという下女がいた。この酒屋へ顔が赤く、全身に毛が生えた猩々(しょうじょう)が来て、酒を飲ませよと仕草をし、酒を出すと飲みほし、盃に血を遺して立ち去った。

 猩々の血は高価なものであった(または、遺した血が銭になった)。強欲な酒屋の主は猩々を殺して血を採り、大金を得ようとした。

 それを知ったこさじは猩々を憐れみ、次に訪れたときそのことを告げた。猩々はそれでも酒が欲しい、もし殺されたら三日もたたないうちに津波がおしよせるから、そのときは末の松山に登って難を避けよという。

 猩々が酒屋を訪れると、主夫婦は大酒をすすめ、酔いつぶれた猩々を殺し、全身の血を抜き採り、屍を町の東にある池の中に投げ棄てた。

 その翌日、空は黒雲に覆われてただならぬ様子になったので、こさじは猩々が語ったことに従い、末の松山に登って難を避けた。

 この津波で繁盛していた八幡の町は、家も人もすべて流されてしまった。猩々の屍を捨てた池はのち「猩々ヶ池」と呼ばれるようになった。

猩々 海から出てくる妖怪。酒好きで、能、歌舞伎に出てくる

宮城県)   

 

 

 

『全国妖怪事典』

千葉幹夫 編集     講談社  2014/12/11

 

 

 

青森県

・(アカテコ) 道の怪。八戸町。小学校前のサイカチの古木から赤い小児の手のようなものが下がった。この木の下に17、8歳の美しい娘が振り袖姿で立つことがあり、この娘を見た者は熱病にかかるという。

 

・(カッパ) 水の怪。河童。五所川原では、人の命を取るというので八幡社に祀っている。藤崎では、河童には踵がないのでそれを粘土で補って子供を誘う。だから薄闇で見知らぬ人に声をかけられたら踵をたしかめよといましめる。

 

・(カワオンナ) 道の怪。河女。土堤に現れ、美女となって男に話しかける。ほかの人にはこの河女は見えない。

 

・(カワタロウ) 水の怪。河童。岩木川で腕を切られた河太郎は、5歳ばかりの童子で、髪をおどろに被っていた。腕は4、5歳の小児のようで、指は4本、根元に水掻きを持ち、爪は鋭く、肌は銭苔のような斑紋があり、色は淡青く黒みを帯びていた。

 

・(ザシキワラシ) 家にいる怪。旧家にいる一種の精霊。ザシキボッコ、クラワラシ、クラボッコ、コメツキワラシ、ウスツキコ、ホソデ、ナガテなどともよばれる。赤顔、垂髪の小童で旧家の奥座敷などにいる。これがいる家は繁盛するが、いなくなると衰亡する。ザシキワラシのいる家の座敷に寝ると枕返しをされたり押さえつけられたりするが、人を害することはない。野辺地町の富者の家運が傾きかけたある夜、ザシキワラシが奥座敷で帳面を調べていたという。

 

・(ニンギョ) 海の怪。津軽の海に流れついた。唐紅の鶏冠があり、顔は美女の如く、四足は瑠璃をのべたようで鱗は金色に光り香り深く、声はヒバリ笛のように静かな音だった。

 

・(メドチ) 水の怪。河童のこと。十和田―猿のような顔で身体が黒く、髪をさらっと被った10歳くらいの子供という。女の子に化けて水中に誘う。人間に子を生ませる。紫色の尻を好む、相撲が好きだが腕を下に引くと抜ける。

 

・しかし一旦見込まれると逃れられず、友達や親戚に化けてきて必ず川に連れ込む。生まれつきの運命だという。津軽藩若党町の子が川で溺れた。水を吐かせようと手を尽くすと、腹のうちがグウグウとなり、たちまち肛門から長さ1尺6、7寸で体が平たく頭の大きなものが走り出て四辺をはね回った。打ち殺そうとしたが、川に飛び込まれた。

 

・(ヤマオンナ) 山の怪。山女。南津軽郡井筒村。農夫が羽州田代嶽で会った。丈6尺、肌が非常に白く裸体で、滝壺の傍らに座って長い髪を水中に浸して梳っていた。

 

岩手県

・(アンモ) 家にくる怪。北上山系。姿を見た者はいないが、正月15日の月夜の晩に太平洋から飛んでくる。

 

・(オクナイサマ) 家にいる怪。上閉伊郡土淵村。14、5歳の子供姿で、近所が火事のとき火を消してまわったという。

 

・(カッパ) 水の怪。河童。真っ赤な顔で、足跡は猿に似ており、長さ3寸、親指が離れている。松崎村で二代にわたり河童の子を産んだ家があり、子は醜怪な形だった。栗橋村橋野の大家には駒引きに失敗した河童の詫び証文がある。岩手県紫波郡煙山村赤林でも河童の子を産んだ女がいた。女は産屋に誰も入れなかったが、中からクシャクシャと小声の話が聞こえたという。

 

宮古に伝わる証文は筆でぬりたくってあるだけで、とても文字のように見えない。栗橋村栗林には、駒引きに失敗した河童が左の腕を噛み切って指で書いた詫び証文がある。この河童は、川から上がって許された家に入りザシキワラシになった。主家思いであったという。詫び証文は釜石にもある。下閉伊郡田野畑村の証文には「又千、又千」とあった。

 紫尻を好むという。上閉伊郡宮守村では、駒引きに失敗した河童が喉のはれをひかせる薬の調合を教えた。上閉伊郡大槌村赤浜でも河童はザシキワラシであるように信じている。嬰児のようで赤く、ジイジイジイと鳴く。相撲を好み、子供と相撲をとった。陸前高田市横田では河童は直接骨接ぎをするといい伝える。

 

・(カブキレワラシ) 木の怪。土淵村。マダの木に住み、時に童形になって座敷に忍び込み、家の娘に悪戯をする。また胡桃の木の三又で遊ぶ赤い顔がこれだという。

 

・(カワタロウ) 水の怪。川太郎。下太田村。日ごろ子供と遊んでいた。親には決して語るなと戒めていたが、ある子が禁をやぶり、村の若者が鎌を持ってさんざんに追い回した。翌朝、川太郎は子供らに、もう一度非道をすれば北上川はじめ処々の川から、仲間を数百集めて報復するといった。一説にはこの家の姫に夜な夜な通ったともいう。

 

・(ザシキワラシ) 家にいる怪。座敷童子童女だともいう。上閉伊郡――布団を渡り、頭にまたがる。釜石・遠野――笛太鼓で囃しながら来る。枕返しをする。赤い友禅を着た17、9歳の娘であるという。土淵村――赤い頭巾を被った赤顔で、足音は3、4歳くらいの子供のもの。土淵村栃内――神檀の前に掛けてあった鐘を家人の留守中ガンガン叩いた。土淵村田尻――夜半、懐に入ってくすぐり、たまらず起きて襟を合わせると、今度は袖口から手をいれてくすぐった。土淵村本宿――運動場に見知らぬ子供が一人おり、体操の時などどうしても一つ余計な番号が出た。尋常小学校1年生にしか見えなかった。

 

・江刺村――ザシキワラシのなかでも最も色白く綺麗なものをチョウピラコという。附馬牛村――土蔵の中で終夜、喧嘩でもしているような荒びた音がして、翌朝、極めて美しい一人の子供が死んでいた。3、4歳くらいで顔が透き通るように白かった。隣家のザシキワラシと喧嘩して殺されたとか、ザシキワラシの夫婦の喧嘩だとかいった。

 

・(カラコワラシ) 家にいる怪。夜の子の刻になると、座敷の床の間から黒い半衣物を着て現れ、杓を持って水をくだされといった。ザシキワラシの一種。

 

・(サルノフッタチ) 動物の怪。猿の経立。人によく似る。女色を好み里の婦人を盗み去ることが多い

 

(ショウジョウ) 動物の怪。猩々。人面獣身で人語を解し酒色を愛すという。

 

・(チョーメンコ) 山の怪。和賀川がつくる深い渓谷に住む。姿形は不明だが、夕暮れ時、遊びほうけているワラシたちがいると必ず出てくる。

 

・(テング) 山の怪。天狗。早池峯山。木の実ばかり食っていたが、穀物を食いたくなったといって、遠野の万吉という湯治場で会った男を尋ねてきた。一日に一羽、鳥を捕えて焼いて食ったという。

 

・(ノリコシ) 道の怪。遠野地方。影法師のようなもので、最初は小さい坊主頭で現れるが、はっきりしないのでよく見ようとすると、そのたびにメキメキと大きくなる。

 

・(マヨイガ) 山の怪。迷い家。遠野地方で山の中にあるという不思議な家。この家に行き当たった人は必ず家の中の什器、家畜などなんでも持ってこなければいけない。それはその人に授けるために、その家を見せたのだからという。

 

・(ヤマオンナ) 山の怪。山女。栃内村和野の猟師が、背が高く髪がそれよりも長い女を鉄砲で撃った。のちの証拠にと髪を切り取って下山したが、途中ひどい眠気に襲われた。夢うつつに丈の高い男が現れて懐中からその髪を取り去った。

 

沖縄県

・(アカガンター) 家にいる怪。赤い髪で赤ん坊のようなもの。古い家の広間に出て、枕返しをし、押さえつける。

 

・(アカマター) 動物の怪。斑蛇。中頭郡西原村我謝、名護町、那覇泉崎、羽地村田井等、多くの所で聞く。美青年に化けて女を誘惑し、命を取ったり多数の子を一度に生ませたりした。アカマターは尾で文字を書くが、この字は人を惑わすという。羽地村仲尾次では蛇婿に類似した話を伝える。

 

・(アカングワーマジムン) 赤ん坊の死霊。四つん這いになって人の股間をくぐろうとする。これに股間を潜られた人はマブイ(魂)を取られて死んでしまう。

 

・(アフイラーマジムン) 動物の怪。家鴨の変化。ある農夫が野中、道でしきりに股をくぐろうとすると怪しい家鴨にあった。くぐられては大変だと石をぶつけるとたくさんのジンジン(蛍)になって農夫の周りを飛び回ったが、鶏の声とともに消え去った。

 

・(イネンビ) 火の怪。遺念火。沖縄では亡霊を遺念といい、遺念火の話は多い。たいていは定まった土地に結びつき、そう遠くへは飛んでいかない。

 

・(ウシマジムン) 動物の怪。牛の変化。真っ黒い牛のように大きいマジムンで、牛が往々連れ立って出る。

 

・(ウヮーグヮーマジムン) 動物の怪。豚の変化。豚の形をして現れ、しきりに人の股をくぐろうとする。くぐられるとマブイ(魂)を取られて死ぬ。

 

・(カイギョ) 動物の怪。怪魚。美里間切古謝村。塩焚きが、海に浮かんだ一尾の魚を捕らえて帰ると、笊の中から「一波寄せるか、二波寄せるか、三波寄せるか」と微かな声がした。

 

・(カムロ) 道の怪。那覇と与那原の間にある一日橋。よく踊りの音がする。近づいて引きこまれることがある。これは「マ」の仕業という。

 

・(カワカムロウ) 水の怪。以前はよく池などで人を引き入れた。

 

・(キジムン) 木に宿る怪。水の怪。古木を住処としている。ガジュマル、アコウなどの木が歳経るとキジムンになるという。海の魚を捕るのが上手だが、左または左右の目のみ抜き取って食うだけだから、これと親しくなると魚運に恵まれる。屁がなによりも嫌いという。セーマ、

セーマグ、ブナガイ、ブナガー、ミチバタ、ハンダンミーなどともいう。各地とも形はほぼ一定で、髪が長く身体は全部毛で被われている。ところによっては赤ん坊の大きさで、毛髪は赤いともいい、また底辺大きな真っ黒いモノで睾丸が大きいともいう。蛸が嫌いで、古木から生じるから古木の股に釘を打ち込めばよいという。水面を駆けることが巧みで、人を連れたままでも水面に立てるという。よく火を出す。旧暦の8月10日は妖怪日といい、この日にキジムナー火を見ようという人が多い。キジムンの火は色が違う。時々海上を渡ってくる。とても速い。側に来ても声をかえない。かけると霊魂(マブイ)を取られる。

 

・山で出会い、谷川の石を動かしているのを見ると、怒ってマブイを取る。国頭村の山小屋に来た。追い払うと悪さをするので、生竹をそっとくべて、爆ぜる音を聞かせると驚いて逃げた。キジムンのいる家は富み、よそへ越すと衰える。枕返しに遭った、寝ていて押さえつけられたという話は多い。大宜見村ではブナガヤアという。ぶながるは髪をふり乱す意味で、腋あたりまで垂らした様をいう。人語を聞きわけられる。怪力で、これを利用して成り上がった者がいる。のち、離れようと蛸(ぢやさめ=手八つ)を柱に掛けておいたら、二度とこなかった。木のうろにいる。うっかりとその木を伐ると、酷い目に遭わされる。つきまとって、いつまでも悪さをする。髪は総角で、山で人間の炊いた火に当たりに来る。追い払うには青竹を燃やして爆音を出すに限る。本土の火取魔のように提灯の火を取って逃げる。これを防ぐには出かける前に提灯を跨いでおけばよい。夜にうなされるのはキジムナーが戸の隙穴から入って押さえるためである。これを防ぐにはススキのサン(輪結び)を胸に載せておくとよい。

 

・羽地村源地の老婆が、川端の老木の上で、枝を枕に睾丸の大きな子供が寝ているのを見た。老婆が竹竿で睾丸をつつくと子供は飛び上がってどこかへ消えた。老婆はその夜、床につくやいなや先の子供に襲われて身動きできず、終夜苦しめられた。大宜味村喜如嘉の某家に毎年旧暦の8月8日に来て、豚小屋の豚を綱で縊り、火で所構わず焼いたという。屋敷にあるヒンギの老大木にキジムナーが住み、その家の翁と親しくなって、魚取りに誘って翁を裕福にしていたが、毎晩なので翁のほうがつらくなって木に火をつけると、キジムナーは他家に移り、その家は潰れた。同じようにキジムナーと関係を絶とうとして嫌いなものを聞き出し、門口に蛸を吊るし、蓑を着て鶏の真似をして追い出したが、3日後に死んだ翁の話なども伝えている。

 

・(キーヌシー) 木の精。大木に宿る。キジムナー(キジムン)と違い、木から飛び出すことはない。

 

・(ギルマナア) 家に来る怪。体が赤く身長1尺くらい。木の腐ったうろの下におり、夜になると人を押さえに来る。

 

・(ザン) 動物の怪。人魚。夜遅く波をわたって海の上から美しい女の声が聞こえてきた。翌日、この声の主を確かめようと3人の若者が船を出した。網にかかったのは半人半魚の生き物。

 

・(シイノキノセイ) 木の変化。椎の木の精。椎の木は必ずスジヤ(人間)を守ってくれるという。大宜味村喜如嘉で椎の実を拾いに山へ入り、道に迷った少女が夜中に、緑の衣装を着て踊る大勢のものに会った。このとき大きな猪に襲われたが、白い髭をはやした翁に抱き上げられて救われた。翌朝、目が覚めると椎の木の大木の下におり、実が枝もたわわに実っていた。

 

・(シチ) 山の怪。真っ黒で山路を歩くと立ち塞がって人の邪魔をする。

 

・(ジュリワーマジムン) ズリ(遊女)の化け物。沖縄各地で最も有名な化け物の一つ。

 

・(タチッシュ) 山の怪。山原地方。夕方、山から杖をついて下りてきて、子供をさらっていく。非常に力が強くて、村の若者でもこれと相撲をとって勝てる者はいない。

 

・(タマガイ) 火の怪。子供が生まれるときはタマガイといって、火の玉が上がるという。

 

・(チーウノヤ) 童墓(ワラビバカ)にいる霊怪。極めて優しい顔の女で、黒髪を長く洗髪したように垂らし、乳が特別に大きいものという。

 

・(ツボノマジムン) 器物の怪。壺の変化。山羊に化けて、通る人を悩ませ、数えきれないほど人の命を取った。

 

・(トウィマジムン) 動物の怪。鳥の変化。鶏のマジムン。家畜のマジムンの現れ方は人の前をさっと横切るのだという。

 

・(トジマチャービー) 火の怪。最初に一つ、提灯大の火玉が現れ、他方からもう一つの火玉が来て二つに合わさってユラユラと立ち上がって消え、また現れる。

 

・(ナカニシ) 人の姓。仲西。晩方、那覇と泊の間にある塩田温泉の塩田温泉の潮渡橋付近で「仲西ヘーイ」と呼ぶと出てくる。

 

・(ナビケーマジムン)器物の怪。鍋笥(杓子)の変化。為すところはミシゲーマジムンに似る。

 

・(ネコノカイ) 動物の怪。猫の怪。猫はマジムンにはならないが、13年経つと化けて人を害するという。

 

・(ハーメーマジムン) 老婆の怪をいう。

 

・(ヒチマジブン) 海の怪。国頭地方でいう。単にヒチともいい、夜道に筵を持っていくとヒチに連れられる、夜、櫛を挿していくとヒチに惑わされるなどといった。

 

・(ヒツギノマジムン) 器物の怪。棺の変化。今帰仁村で美しい女に化けて青年を誘惑した。

 

・(フイーダマ) 火の怪。火玉。鬼火、人魂の類。

 

・(ブナガ) 木に宿る怪。本島で木に宿る怪をいう。国頭地方でいうキジムンと似たモノ。

 

・(マー) 形は漠然としているが、牛の鳴き声をするという怪。

 

・(マジムン) 魔の物。ユーリーは背が高く顔だけが真っ赤で、木にぶらさがっていて、足のないのを見た人がいる。また、歩くのに足音も足跡もないという人もいる。

 

・(マズムヌ) 宮古島でいう化け物。人の死霊もあれば動物の怪もある。

 

・(ミシゲーマジムン) 器物の怪。古い食器が化けたもの。

 

・(ミミチリボージ) 耳切坊主。大村御殿に誅された琉球伝説中の怪僧、黒金座主の化けたものと伝える。

 

・(ムヌ) 形は漠然としている。妖怪をヤナムヌ(嫌なもの)ともいう。

 

・(モノマヨイ) 物迷い。夕方に子供をさらっていく怪。

 

・(ヤギノマジムン)  動物の怪。山羊の変化。

 

・(ユナバルヤージー) 男性の怪物という。

 

・(ユナーメー) 髪の毛のぼうぼう生えた妖怪。

 

・(ワーウー) 面相の恐ろしい怪。

 

石川県

・(アオオニ) 家の怪。青鬼。金沢。加賀中納言死去のとき、加賀越中能登の武士が残らず詰めかけている広間を、夕方、背丈二丈ばかりの青鬼が奥から出て玄関の門を出ていった。三国の武士はあっとばかり見送るだけであったという

 

・(イマノヒト) 山の怪。能登島で天狗をいう。オオシトとも。今のは「例の」の意。

 

・(オシロイババ)道の怪。白粉婆。能登。雪の夜に酒を買いにいく。

 

・(ガメ)水の怪。河童のこと。能美郡中海村遊泉寺――ある老人が堰淵のそばで立っていると水中から出て、この中に入ってごらん、いい気持ちだからと誘った。断るとガメも諦めて淵の中に飛びこんだ。

 

・(マクラガエシ) 家にいる怪。枕返し。ある家の座敷に寝ると、隣室に引き出されてしまうという。

 

 

 

『「伝説」はなぜ生まれたか』

小松和彦   角川学芸出版    2013/3/23

 

 

 

「生贄」と「異人」、身代わりの論理

二つの生贄祭祀

・ところで、右の事例は、村落共同体とその幻想的な異界(自然)との関係を描いたものである。村落の存亡は作物の出来・不出来であり、それを左右する天からの水を支配しているのは、天界の大蛇(龍神・水神)である。長い日照りが続いたために共同体が危機に瀕している。長者はこれを救うために天竺の大蛇のところまででかけ、「生贄」を求められることになる。

 

・水を支配する大蛇(異界)が「生贄」を好むならば、日照りが襲ってこないように、定期的に「生贄」を差し出そう。それを提供し続けることで作物の豊穣を確保できる――こうした思想に基づいて行われるようになったのが、「生贄」祭祀である。いいかえれば、これは異界との「富」の交換の物語ということができるだろう。しかも、この異界との交換は、両者ともに満足のゆく結果をもたらす限り、安定した関係といえるだろう。

 

ところで、共同体の「長」が共同体内の誰かを生贄として差し出す祭祀を、共同体の外部(=異界)から訪れた者(=異人)が廃止するという説話も伝えられている。『今昔物語集』巻26の第7話と第8話は、その種の物語のなかでももっとも有名な話である。この話はまた、生贄の

祭祀の状況をリアルに描いている点でも興味深い。

 

・この二つの生贄話は、一見した限りでは、上述の事例と同様の話にみえる。しかし、まことに対照的な構造となっている。すなわち、一方は異界と共同体の間の直接的な交換であるのに対し、他方は、第3項としての「異人」が介在する物語だからである。しかも、二つの話の内容には微妙な差異も見出せる。第8の話は、村落共同体自体が共同体内部からの「生贄」の調達を厭いだし、共同体の外部の者(回国の僧)を「身代わり」に立てる方法で対処しようとしているのに対し、第7の話は、共同体の外部(東国)からやってきた者(猟師)が、「生贄」祭祀のことを耳にし、自分から進んで「身代わり」に立っているのである。

 

身代わりに立てられた僧

・まず、第8の方の話から検討してみよう。この話の概略は、次のようなものである。

 飛騨国の山中で道に迷った回国の僧が、たまたま出会った男に山里に案内され、郡殿(大領)の決定に従って、ある男の家で世話をしてもらうことになり、しかも一人娘を妻としてあてがわれる。8ヵ月ほど経った頃から、家の者が「男は肥えた方が良い」といってご馳走攻めにする。不審に思った僧が妻にわけを詰問すると、妻は「じつは、この郷の者が祀る猿神は、年に一度生贄を求める。この私が次の生贄になることになっていたが、その身代わりとしてあなたを出そうとしているのだ」と教える。

 

 祭礼の当日になり、村人たちは僧を裸にして俎(まないた)の上に載せ山中の祠の前に運び、神楽を奉納したあと、一人残らず郷に帰っていった。やがて猿神が現れるが、僧はこの猿神を捕縛し村に連れ帰る。そして人びとの前で、二度とこのようなことはしない、という約束をさせて追い払った。その後、この男はたくさんの人を使う「長者」となった。

 

・この話で興味深いのは、この村落の人びとが村落の外部に「身代わり」を探し求めていたのであって、その外部からやってきた僧は、自分が身代わりの生贄とされるためにもてなしを受けているのだということを知らなかった、ということである。僧の妻となった娘が事前に真相を明かさなければ、僧は生贄として猿神に差し出されて食べられていたのである。さらに推測すれば、この僧が猿神を退治するまで、たくさんの旅の者が身代わりの生贄として猿神に差し出されていたにちがいない。

 

・いま一つ留意したい点は、この僧は猿神を退治した後、この里に住み着いて「長者」になった、と語られていることである。この「長者」が「郡殿」(大領)をしのぐほどの存在、つまり「首長」であったかどうかはわからないが、共同体の「外部」からやってきた者が土地の女性と結婚してその「王」となるという、人類学で言う「外来王」的な性格をもっている。

 

自ら身代わりに立った猟師

・第7の話の概略を紹介しよう。

 

美作国に中参・高野という神がいた。中参は猿、高野は蛇であった。土地の者は、毎年一度の祭りには人間の生贄を差し出すことが決まりになっていて、ある家の、年の頃16、7歳の美しい娘が次の年の生贄に指名された。たまたま東国からやってきた猟師がこの話を耳にし、娘を妻にくれるなら自分が娘に代わって生贄となろう、と申し出る。娘の命が助かるならばと、親は娘を人知れず男に娶らせる。男は飼っている猟犬から二匹を選び出して特別な訓練を行ない、刀をしっかり磨きあげた。

 

・やがて、祭りの当日がきた。「宮司」(神主もしくは祭司)を筆頭にたくさんの人がやってきて生贄を入れる長櫃を寝屋に差し込んだ。男がこの長櫃のなかに犬とともに入ると、親たちはそのなかに娘が入っているかのようなそぶりをしながら、一行に長櫃を差し出す。祭礼の行列が社に到着し、「祝」が祝詞を唱え、瑞垣の戸を開けて長櫃を差し入れたあと、その戸を閉じ、その外で宮司たちは並んで待機する。

 

・男が長櫃を少し開けて覗き見ると、丈七、八尺もあるかと思われる猿を中心にたくさんの猿が居並び、俎と刀も用意されていた。この大猿が長櫃を開けると同時に、男と犬がそこから飛び出し、大猿を捕えて俎の上にすえて刀を当て、頸を切って犬にやろうか、と迫った。このとき、一人の「宮司」に神(大猿の霊)が憑いて、「もう生贄を求めない、この男や娘の親にも復讐したりしない。だから助けてくれ」と助けを求めた。これを聞いた宮司たちが社のなかに入ってきて、「神様がこのように申されているのだから、どうか赦してください」と頼んだが、男が「この者と一緒に死ぬのだ」と少しも赦そうとしないでいると、「祝」(つまり大猿の霊)は言葉に窮し、誓いの言葉を何度も述べたので、赦してやると、猿は山に逃げ去る。家に戻った男は末永くその娘と夫婦となって暮らした。

 

能登半島の猿鬼退治伝説

発掘された猿鬼伝説

・ここで、その具体的な例として、第1章で詳細な検討を加えた能登半島輪島市と能都町旧柳田村に伝わる「猿鬼退治」伝説を、「天皇」と「村落」との接続のプロセスを物語る事例として取り上げ直してみよう。

 繰り返しになるが、地元に伝わる「猿鬼伝記書」によって、この伝説の概略を改めて紹介しておこう。

 

・昔、当目(能登町旧柳田村)という集落に岩井戸という洞窟があって、そこに「猿鬼」と呼ばれる恐ろしい鬼の一党が潜んでいた。当目の村の家々は、次から次へと猿鬼に襲われ、この噂が神々の耳にも入り、日本中の神たちが「出雲の国」に集まって猿鬼退治を相談をし、能登での出来事は能登の神が解決すべきだということになり、気多大明神(大穴持命)と三井の女神の神杉姫という神に、猿鬼退治の命が下される。神軍が猿鬼一党を攻撃したが、猿鬼は不思議の術を使う化生の者なので、なかなか征伐することができないでいたが、神杉姫の策にはまって鬼たちが酒宴を開いていた隙を狙って急襲し、ついに猿鬼の首を切り落とす。

 その後、猿鬼の魂魄が祟りをなしたので、神杉姫が僧に身をやつしてやってきて、その魂魄を鎮めた。

 

猿鬼を退治した神は誰か?

 この猿鬼退治に関する記録が現れた最初は、安永六年(1777)の『能登名跡志』記載の記事である。この記録は、いわば現代の民俗学者や地誌学者が地方を訪問して、地元に伝わる文書や聞き取りから制作した地誌・民俗誌のたぐいである。それには、次のように記されている。

 

・この当目村方々へ散村になりて蓮華坊いふが往来也。千毒といふ川中に、岩井戸といふ不思議の洞あり。海辺より三四里の山奥なれども、汐のさしひきあり、烏賊など吹き出せしことあり。昔この洞に猿鬼といふもの住みて人を取る。これを大穴持命退治ありて、その霊を祭て今猿鬼の宮とてあり。案ずるにこれは狒々(ひひ)の類なるべし、そのほかこの猿鬼退治ありし時の旧跡色々あり。

 

  

 

『世界不思議大全  増補版』

泉保也     Gakken   2012/8

 

 

 

ジョージ・アダムスキー  史上最大のUFOコンタクティ

驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船

アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。

 1953年2月18日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。

 夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。

 しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。

 

・ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。

 車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。

 アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。

 

・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上1万2000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。

 

アダムスキー宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。

 

土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30~200歳以上にも達するという。

 

コンタクティ  異星人からのメッセージを伝える人々

・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。

 

ハワード・メンジャー

アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。

 

・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。

  

安井清

・日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960年4月23日の夜、満月の2、3倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。

 

・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。

 

・同じ年の10月30日、「富山県黒部市宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5~6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30~40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。

 

・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。

 

ステファン・デナルデ

・オランダ人実業家。1967年7月、オランダ南西部ウースタ―シェルトの沖合をヨットで航行中、海面に浮かんでいた異星人の宇宙船(水上艇)に乗り上げて異星人と遭遇し、乗船を許された。

 

身長150センチほどの異星人はヒューマノイド型ではなく、顔の真ん中に窪みがあり、手は鉤状で、全身が薄褐色の毛で覆われ、獣じみて見えた。

 会話はテレパシーでなされた。彼らの母星は、地球から10光年彼方にある惑星イアルガで、自転速度は地球よりも遅く、重力は地球の約3倍。窒素やアンモニアからなる大気は濃密で、大気圏の雲が視界をさえぎっており、太陽光は見えない。

 

・そのイアルガ星へ、小型の円盤から高空に滞空する大型円盤に乗り継いで案内された。イアルガ星は海が大部分を占め、陸地は島だけで、それらは鉄橋で結ばれていた。石油タンクのような形状をした集合住宅が立ち並び、ひとつの建物の直径は約300メートル、高さは約135メートルで、約1万人が居住できる。

 ほかに自動機械化された農園、恒星間飛行用の大型円盤の建造工場なども見学してから、再び円盤に乗って地球へ帰還した

 

R・N・フェルナンデス

・メキシコ大学教授。原子力委員会のメンバーも務める科学者。1972年11月14日、大学構内で異星人女性とすれ違った。身長190センチの長身で、瞳は緑色、黒髪の美女である。それより先、教授は女性の声で何かを訴えようとするテレパシー通信を受けており、異星人であると直感したのだった。

 

・その後、2度遭遇したものの、会話を交わすことなく迎えた1974年12月22日、彼女が「テレパシーでは通じないようなので、直接話にきました」と教授を尋ねてきた。彼女はアンドロメダ銀河からやってきたリアと名乗り、知的生命体の調査のために地球を訪れていると説明、近いうちに宇宙船へ招待すると約束した。

 

・それが実現したのは翌1975年4月22日だった。宇宙船は直径5メートルほどのドーム状円盤で、乗船するや、超高速で大気圏外に飛び出した。リアは宇宙空間に浮かぶ青い地球を見ながら、地球環境の脅威、遺伝子工学反物質などについて語った。

 

リアはその後、近い将来凶悪な異星人が地球に来襲する、という警告を残してアンドロメダ銀河へ帰っていった。

 

宇宙飛行士が認めたコンタクトの事実

・ならば、彼らの主張はすべて虚言や妄想の産物かというと、必ずしもそうではない。宇宙探査によってコンタクティたちの話が真実と判明したケースもあるからだ。

 

・かつてのアポロ計画にも注目したい。宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から、「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」などが月面に存在するらしいことが指摘されたからだ。それらはおそらくUFOの基地だろう。

 

・アポロ14号で月面に降り立ったエドガー・ミッチェルが2008年7月、「アメリカ政府は過去60年近くにわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言したことも、コンタクティに有利に働く。地球へ飛来している異星人が人類との接触を試みないとは考えられないからであり、すべてのコンタクト・ストーリーを荒唐無稽と斬って捨てるわけにはいかないのである。

 

 

 

『女神イシスの降臨』

古代エジプト神話の謎に迫る

大川隆法   幸福の科学出版   2011/8/9

 

 

 

女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある

・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。

 

・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。

 

夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス

オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した

天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>

天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。

 

天照大神とイシスは「ベガの女王」。

 

・プレアデスは“顕教”ベガは“密教”を担当している。

 

ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。

 

 

 

『妖怪文化入門』

  小松和彦      角川学芸出版   2012/6/22

 

 

 

異人・生贄

「異人」とはなにか

・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。

 ところで、「こちら側」の人びとが想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。

 

① ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

 

② ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

 

③ ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

 

④ 空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

 

・こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

 

異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。

 折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

 

異人・生贄・村落共同体

・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。

 

・旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

 

「異人」と「家」の盛衰

・その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これを私は「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承である。

 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売り)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りをうける。

 

 

 

『山神を見た人びと』

 高橋貞子   岩田書院   2009/3

 

 

 

東北文化史の古層へ

・今では有名になった『遠野物語』ですが、当時これを評価したのは泉鏡花と芥川竜之助くらいで、多くの人は趣味本位の書物にすぎないと見ていました。しかし、この発刊が機縁になって、地方に埋もれた文化への見直しが始まり、やがて民俗学が生まれました。人々の語る伝承の比較によって日本人の歴史がわかるというのは、まったく新しい学問の誕生でした。

 

・遠野で、『遠野物語』が再発見されたのは新しく、昭和45年(1970)ごろからでした。岩手国体の実施に当たって、地域の文化を観光資源として活用することが図られましたが、その年はちょうど発刊60年にあたっていました。その後、遠野では民俗学資料に重点を置いた博物館、佐々木記念館を核にした伝承園、柳翁宿と柳田の隠居所を含むとおの昔話村、南部の曲がり家を移築した遠野のふるさと村といった施設を整備しました。

 

・『昔なむし』の巻末にある「岩泉地方の昔ばなしとわたくし」には、幼少時に昔話を聞いた思い出から、家業と子育てをしながら採集と執筆を行った様子が書かれています。店先や汽車の中が聞き書きの場であり、夜中や早朝が原稿用紙に向かう時間だったのです。書くことへの執念と信頼が、こうした貴重な資料集を生みだしたのです。

 

山の神に出遭った人

・岩泉の向町の佐々木亥之松(いのまつ)さん(明治生)は、20歳だったある日、山仕事で山中に入りました。奥山まで行ったとき、いきなり樹の間から顔の真っ赤な大柄の人が出て、ずいと顔を合わせました。「あ、あー」とおどろいた亥之松さんは、後退りました。ところが、相手は亥之松さん以上におどろいた様子で、うろたえながら樹の蔭に隠れました。

 

・さあ、亥之松さんは転がるようになって家に戻ると、

「その顔はらんらんとして燃える火のようだった」

と家の人に話したきり、40度の高熱を出して寝込んでしまいました。

 高熱はなかなか下がりません。亥之松さんは重態でした。あまりのことに家の人は、神子さまに、ご祈祷を頼んでお宣託を聞きました。

 お宣託は、

山中で出遭った顔の赤い人は、山の神だったのです

山の神は<木調べ>のために山中を歩いておられたのです。人間に見られてはならない姿を見られて、山の神もおどろかれたのでしょう。亥之松さんの病は、40日間病床に臥せば恢ります」

と、告げました。

 そのご、ほんとうに亥之松さんは40日間でもと通りの健康体にもどって、そのあと長生きをして生涯を終えました。

 

山男にさらわれた娘

田野畑村田代の南という家に、名をハツエと呼ぶ美しい娘がおりました。ある日、ハツエは、手籠を持って春菜を摘みに出かけたまま、突然、姿を消しました。

 家族はもちろんのこと、村中が総出となって探しましたが、ついにハツエを見付ける「ことはできませんでした。ところが、その日から十数年たったある日、村のまたぎ(狩人)が山中でハツエを見ました。

 

 ハツエは、ごつごつとした岩の上に座って、長い髪を櫛でとかしていました。またぎはおどろいて、「ハツエではないか」と、声を掛けました。

 

 ハツエもまたぎを見ると、おどろいた様子で、なつかしそうに涙をはらはらと流しました。やがて、

あの日、山男にさらわれて山女になった。あのころのハツエではない。今は山女なれば、おいらに出会ったことをだれにもしゃべるな。もし、しゃべったら、われの命は無いと思え

 こう言うと、さいごは恐ろしい形相となって威しつけました。

またぎは、

「だれにも一切しゃべらない」

と、約束をしました。ハツエは、

「約束を破れば、3年のうちにお前は死ぬぞ」と、更に威しました。

またぎは秘密を抱えて山を下りましたが、心の中は平らではありませんでした。だんだん体の調子まで悪くなるようでした。こらえかねたまたぎは、ついにある日、ハツエと出会った一部始終を、村のだれかに話しました。

 またぎはだんだんやつれてきて、青白くなって死にました。山女に出会って3年以内のことでした。

 

人身御供とヒヒ

・遠い昔のことです。小本海岸の波鼓が舞のあたりに巨大な松の古木があって、その枝に強そうなヒヒ(マントヒヒの異称)が腰掛けていました。そこは浜通りとして人びとの往来するところでした。

ところが、よく人隠しがあって、突然、人が見えなくなってしまう騒ぎがありました。

「なんでもあのヒヒが人を食うらしい」と、人びとは恐れました。

 村人たちは相談の結果、若い娘を人身御供にヒヒに差し出して、ご祈祷をすることになりました。

若い娘は毎年一人ずつ、裸にされてヒヒに供えられました。のちにその娘たちの魂を鎮めるために「人殺神社」が建立されましたが。明治以前に廃社になったということです。

 

天狗山から鼓の音

・小川の国境峠に天狗山があります。海抜654メートル。昔から天狗の隠れ住む山と伝えてきました。

今でも国境集落の人びとは、

「トン、トン、トン、トン」

と、天狗山から鳴り出す鼓の音を聞いています。

 やがて鼓の音は、集落を囲んで立つ峰から峰をわたり歩いて、

「トン、トン、トン、トン」

と、鼓の音を聞かせるといいます。

 鼓の音は、四季も時刻も関わりがなく、いつ、どうともなく聞こえ出すようだと、国境の人びとは気付きました。

「きっと、天狗様は、ご自分の所在を知らせたくて、鼓を打つのだろう」と言い合って、鼓の音を聞くと、どんな仕事をしていても手を休めて戸外に集まり、天狗山を眺めるということです。

 

天狗に殺された12人の神楽団体

・天狗森は、猿沢の奥にあって、昔は天狗が隠れ棲んでいた深い森でした。近くの与一屋敷では、あるとき神楽宿をしたのですが、朝には、12人の神楽団体全員が死んでいました。与一屋敷の人は全員無事でしたが、この一大事に気付きませんでした。

 

・その夜、真夜中の与一屋敷に天狗が舞いおりて、神楽衆の一人ひとりの口に息を吹き込んで殺したのでした。人間は天狗に息を吹き込まれると、即、死ぬといいます。その方法は、天狗は鼻が高いので、人間の頬に頬を近寄せて息を吹き込むと伝えていました。

 猿沢の武田博さん(昭和4年生)は、少年時代に与一屋敷跡に行ってみました。そのときの与一屋敷跡には、土台石や腐った建築材が見えたので、そんなに遠い出来事ではないと思ったそうです。

 

ツチグモと呼ばれた種族

・遠い昔、この地方をはじめて開拓したころ、われわれと別にアイヌとツチグモがいました。アイヌは狩猟をして山で暮らしていましたが、ツチグモは極端に小さい体で、山野に穴を掘ってその中に隠れ住んでいました。

 穴の入口に木の葉や草を被せていましたが、とても獰猛でアイヌや村人が通ると、いきなり襲って穴の中に引きずり込んで、猟物や食料を奪い、衣類を剥ぎ取りました。ツチグモはとても怖かったということです。

結局、ツチグモは絶滅したのですが、ツチグモを退治したのはアイヌでした。

 

 

 

『プレアデス星訪問記』 

上平剛史  たま出版   2009/3

 

 

 

宇宙太子との再会

・それは、私が故郷である岩手県に住んでいた16歳のときのことである。

 

葉巻型巨大宇宙船へ

・「葉巻型母船は長さ4キロメートル以上で、太さは一番太いところで、直径7、8百メートル以上あります」

 

・「この母船はひとつの都市機能を持っており、ありとあらゆるものが備わっています。生き物のような船であると言っても過言ではないでしょう」

 

・なんと、これでも中規模程度の母船らしい。10キロメートル、20キロメートル、さらにそれ以上の大きさの地球人類には想像もできないほどの巨大な母船も存在するという。この母船では縦横およそ50メートルおきに道路が設けられ、階層は最も厚いところで40~50層になっているそうである。母船の中に公園や山河まであるらしい。この母船で生まれ育ち、一生を過ごす者もいるそうである。

 

・宇宙人にはそれぞれ母星があるが、母船には母星の都市機能が備わっており、母星の社会がそのまま存在している。母船の惑星としての役目を果たすため母船が故郷となる者もいて、そういった者は、ある意味で、母星で暮らしている人間よりも精神的に進化しているらしい。

 

 ・「この母船には我々プレアデス星人だけでなく、様々な星人が協力のために同乗しています。地球人類がグレイと呼んでいる宇宙人もいます。もっともグレイは我々が遺伝子工学、バイオ化学、宇宙科学を駆使して造ったロボットでしたが、今では宇宙や特定の星の調査など、さまざまな分野で活躍しています。他にも爬虫類、鳥類、魚類、昆虫、植物などの生態から進化した人間もいます

 

・「この母船は、最大収容能力は5千人ですが、現在は4千人くらいでしょう。ただ、乗せるだけならば、1万人は乗せられるでしょうが、常時生活して長く滞在するとなると5千人が限度です。食料やその他の問題がありますからね。この母船には、ここで生まれた子供たちを教育する係もちゃんといるのですよ。子供達が大きくなれば、母星の学校や他の進んだ星へ留学する場合もあります」

 

・UFO研究家で有名な韮澤潤一郎氏も「微に入り細に入る教訓的宇宙オデッセイであり、近頃には珍しい詳細な本物の体験記であると思う」と記している。

 

・だれしも、ある時夢での宇宙をさまよったこともあるのだろうが、本書によって、しばし宇宙旅行を楽しまれることをおすすめする。

 

 

 

遠野物語事典』 

(石井正巳) (岩田書院)2003/7

 

 

 

山の神

・背丈は「丈高き」「背高く」。顔色は、「顔は非常に赤く」「顔は赤く」「顔はすてきに赤く」「面朱のような」とある。眼の光は、「眼は輝き」「眼の光かがやける」背が高く、顔が赤く、眼が輝くという点でパターン化している。

  

「山男」

・遠野郷の民家の子女にさらわれる者が多く、特に女に多いという。「女は、恐ろしい人にさらわれたが、その人は、背が高く、眼の色は凄く。生んだ子供を持ち去ってしまうものの、仲間と連れ立って食物を持って来てくれるという」。「山里で髪の長い美しい女を撃つ」証拠として、黒髪を持ってきたが途中で眠くなり、背丈の高い男が取り返して立ち去ったと見ると眼が覚める。その男は山男だろうという。

 

「山女」

・「山女は、ぼろぼろの着物を着ているが、色白で長身、長い黒髪を持ち、あでやかである。幼児のいる母親でもある。飛ぶように走ったり、記憶をなくさせたりする特異な力を持つが、銃弾には倒れる。人恋しいかのように里人の前に現れるが、その特異な力や叫び声、大きな笑い声のため、里人にとっては、非常に恐ろしく、恐怖で病死する者もいる。

山女が現れる場所は、遠野地方の東にある六角牛山。白望(白見)山などの山中である。六角牛山は、女神が住んだと信じられた遠野三山の一つである。

 

 

 

『日本人はなぜ狐を信仰するのか』

松村潔     講談社   2006/2/20

 

 

 

日本中にいる稲荷狐

・稲荷神社は、日本全国で十数万社あるとされる神社の中で、そのおよそ3分の1を占めると言われているから、膨大なシェアである。無格社さらに個人的に設置された屋内の社などもいれると、国内で一千万を超えているという話もある。江戸時代の「伊勢屋、稲荷に犬の糞」ということばは稲荷神社があまりにも多いことを示したものだが、いまでも各家庭に稲荷神社が残っている地方もある。誰でも身近なところを歩くと、必ず稲荷神社を見つけることができる。有名な稲荷神社の門前には稲荷神社を作るための大小さまざまのキットを販売している店が必ずあるので、予算と好みにあわせて、家内に稲荷神社を作ることもできる。稲荷の勧請は許可が不要なのが特徴でもあるので、今日からでも稲荷神社を設営できるのである。

 

子どもの頃見た狐の嫁入り

狐の姿をまねる

・昔から西欧人は、日本人の稲荷に対する姿勢に違和感を抱くようだ。キリスト教国からきた外国人たちには、キツネを尊敬したり“崇拝”したりできるなどと考えることを、頑として拒絶することである。彼らにとって、宗教という言葉は、唯一の、人間の形を具有した神の崇拝にしか、あてはめることができない。それは、キリスト教の全能的支配によって“原始的”と言われるあらゆる形の自然力崇拝が、ほとんど完全に滅ぼされてしまったからである。

 

母と狐は一体化したもの

・狐はたいてい女性的。この中でとくに有名なものの一つが、陰陽師安倍晴明の母狐であったという話である。

 

・英雄的な人物の母は異界の存在という神話の類型がここに生きているのだが、この話が長く残る背景として、日本人にとっての普遍的な母は、現世には存在せず、自然界の背後に深く埋もれているという構造になっていることがあげられる。倫理学者の菅野覚明は、しのだづまのような「他界妻」のモチーフが日本の民族文学の基本主題をなしているという折口信夫説に付け加える形で、日本人の心の構造には日本神話の伊邪那岐イザナギ)・伊邪那美イザナミ)の物語の元型が根づいていることを強調する。

 

動物は母なる自然からの使者

安倍晴明の母、葛の葉狐と、日本人全員の母イザナミが重ねられて、イザナミに会いたいと毎日泣いているスサノオと、母に会いたいと泣く幼少の安倍晴明がそのまま同一の構造で語られることになるのだが、こうした日本古来の集団的な精神構造は、当然日本人全員に訴えかけるものがある。狐はこうした日本の集団的な心の構造にすでに組み込まれた特別な意義を持つ記号であると考えられる。

 

イザナギオルフェウスの類似性

弓月君に引き連れられた秦氏が、新羅経由で日本に大量移民をしたという経緯もある。秦氏と行動範囲が近く、シルクロードを縦横に移動していたソグド人の絨毯も広隆寺に残されている。ギリシャ・ローマの神話が持ち込まれ、そのまま日本に伝わっても不思議ではない。

 

秦氏とは何者か

秦氏は、巨丹(新疆ウイグル自治区ホータン)の生まれであると言われる弓月君が引き連れて3世紀に日本に渡来した氏族集団である。

 

1県を1千人として、総計12万人という膨大な人数が、日本側の援助もあって、3年間かけてやっと渡航し、はじめは九州北部に至った後、全国に広がっていったと伝えられる。大規模な移動だったので、歴史的にも資料はかなり残っており、とくに九州北部の宇佐地区や、京都の山城地方に多く関係資料が残されている。

  秦氏はさまざまな技術をもたらしたと言われている。たとえば九州北部・近畿の銅山と関係していると見られていることから、新羅系統の青銅技術、養蚕とセットになった絹織物の生産技術、芸術・算術・建築などである。

 

全国の神社総数十数万社のうち、秦氏の神を祀る神社は八幡系4万社、稲荷系4万社、松尾、出石等その他加えて9万社。つまりは日本の神社とその信仰は大多数を秦氏が作ったと考えてもいい面がある。とくに京都の松尾大社秦氏の氏社である。

 

秦氏と稲荷の関係

肥後和男は、農耕民族の神である稲荷を秦氏が商売用のトレードマークとして利用したのではないかと述べている。たとえば、今日でも、動物のシルエットを企業のマークにしているものは多数ある。

 

なぜサルタヒコは醜いのか

稲荷大明神は、荷田氏の御神体である竜頭太やサルタヒコなどの混合であるが、歴史的に後でとってつけたようにサルタヒコを入れたことにその根拠を疑う人もいる。

 

・サルタヒコは現実に想像しにくい風体をしている。容貌は魁偉で鼻の長さは七咫。長い口髭をはやし、目は八咫の鏡のように爛々と輝き、身長七尺余の神通力のある神様である。咫というのは上代の長さの単位で、手のひらの下の端から中指の先端までの長さを言うのだから異様に大きい。一方竜頭太も、竜のような顔をして頭上に灯りを持つというから、これもなかなか想像のつきにくい姿をしている。

 

辻の神様

・辻の神様と言われているサルタヒコは、道ばたの地蔵菩薩とよく結び付けられる。ギリシャでは旅人の道案内の神様、あるいは越境の神はヘルメスである。商人merchantという言葉は、ヘルメスのラテン名メルクリウス(マーキュリー)からきていて、惑星の水星の作用とも結びつけられるが、ヘルメスはエジプトでは猿神のトートであった。サルタヒコ、猿丸、猿女など、この越境あるいは物質的、精神的両面での道案内的な役割の存在に、猿のイメージを使うというのは日本だけではないということである。ヘルメスの支配する商業というものも、基本的にはそれぞれの地域、あるいは専門分野を越境し、価値の置き換えをする流通産業をあらわしているので、秦氏が積極的に発展させていった。伏見稲荷の商売繁盛というテーマは、辻の神様としてのサルタヒコとかなり親和性が高いということも気にとめておきたい。

 

管狐

・土地神様のお使いとしての狐と関わるのにどういうことが行なわれていたのか。もちろんいまでも多くの人が行っているお供えを置くという方法もある。しかしこんなおとなしい手段でなく、もっと積極的に関わる方法として、わざと狐憑きになるという風習が長く続いた。また狐を使役するという考えも存在していたようだ。比較的よく知られているものに「管狐」というものがある。

 

・管狐は、毛皮を脱いで人の腹の中に住むと言われている。管狐に腹の中へ侵入された人は、腹の中から声が聞こえる。また腹に入った管狐は宿主が病になり死にかけると、腹を食い破って、次の宿主を見つけ出す。まさに映画の『エイリアン』そのものだ。

 ハワイの伝統宗教フナを参考にして現代版にリニューアルされた技法では、低自我は腹にいるので、それにジョージなどという名前をつけてコミュニケーションするというワークショップをしていたようだが、管狐が低自我なのか、あるいは低自我に、ブースターとして取り憑いた装置が管狐なのかはよくわからない。

 

・イギリスなどでは腹がすいたという時に、ブラックエンジェルが騒いでいると言い、胃あるいは腹はブラックエンジェルという象徴があてはめられている。

 

霊狐

・大正時代に活躍した心霊家、西村大観は、たいていの狐憑きは迷信であり、心霊的な「幻映」のあらわれに過ぎないというが、それでも霊狐そのものは存在すると主張している。霊狐というのは、実在の動物の狐とは違い、文字通り心霊的な狐であり、神様の代理として、人の夢の中にあらわれたりする。霊狐は管狐のように生々しい現世的な欲望を刺激するものではなく、伏見稲荷大社の狐のように知恵を授けたりするし、そもそもそのふさふさした尻尾が宝珠とみなされてもいた。

 

・管狐は、地域によってイヅナとも言う。長野県の飯綱山が発生地だからである。飯綱というと、「飯綱の法」という呪術などを思い浮かべる人もいるのかもしれない。というのも戦国武将の上杉謙信武田信玄などは飯綱信仰で有名だからだ。

 

現代では憑き物はこっくりさんに変換

・問題なのはこのこっくりさんに熱中した小学生や中学生に、時々何かに取り憑かれたような現象が起きることだ。精神科の雑誌などでも、このこっくりさんに関する論文が掲載されることがあるという。

 神奈川の中学で起きた事件では、放課後のクラブ活動でこっくりさんをした後、ある女子が、「背中が重い、何かが乗っかってくる」と泣き出し、「霊が呼んでいる」と叫んだ後、部屋を飛び出して走り去る。もうひとりはコンクリートの壁に女性の影を見て、次に体が重くなり、「地獄へおいで」という女性の声を聞く。この二人目の女子は、4階にある教室の窓を開けて窓枠に登ろうとしていたところを、ようやく追いついた別の生徒に押さえつけられて部屋に戻された。一年後ほかのクラスで、やはりこっくりさんと同類のエンジェルさん占いをしたところ、狐の霊が取り憑いて普段とは違う声で喋り出すという女子が出てきたり、また憑依現象が続発して、精神科を受診したが、受信時は多重人格状態に陥り、症状が消えるまでは一ヵ月半の入院が必要だったらしい。

 

仲介者的な存在

・『ポイマンドレース』が語るもうひとつの重要な項目は、世界は神が作ったのではなく、神の作り出した「造物主」が創造したという項目だ。神は直接世界創造に手を染めていないが、神はアントローポスすなわち人と、そして造物主を作った。人は造物主の作り出した世界を覗きにやってくる。つまり人は世界を作らない。人が世界とかかわるには、その間に造物主が関与しなくてはならない。また反対に人が埋もれてしまって自力で脱出できなくなってしまった世界から、人が救済されるには、救済の仲介者としてのソフィアの助けが必要になる。しかしソフィアは人が本来戻ってゆく場所までついていくことは許されていない。

 こうした思想の中に、人と神以外の、神の代理人としての第三の役割というものが想定される。それは造物主であり、人を救済するソフィアである。これまで述べてきた、神と人の間には、必ず仲介者として狐などが関与しなくてはならないというものも、類似した話である。

 

世界卵と蚕

伏見稲荷大社の祖である秦氏はそもそも蚕産業で財を成した氏族であり、富士山近辺の秦氏の痕跡を見るまでもなく、秦氏の足跡のあるところ蚕産業が拡がっている。京都の太秦はもともと秦族の本拠地ということで名づけられたわけだが、そこには秦氏の中でもっとも著名な秦河勝が直接関与した広隆寺がある。

 

狐の本性

・アヌビスに通底する動きを持った日本の稲荷狐は、基本的には、人とそうでないもののつなぎ、あるいは門の機能だが、かなり多層的な性質があるといわざるを得ない。本書では次のような内容を説明してきた。

 

1、狐は自然界=母の国への導きである。安倍晴明の母、葛の葉狐の伝承。

 

2、狐は死の領域への道案内である。中沢新一によると、稲荷のあるところ、たいてい墓所でもあった。

 

3神道系では、穀物神であり、富をもたらす。秦氏の展開した商売の繁栄においての護り神である。

 

4、宝珠をくわえた霊狐は、修行者へ知恵をもたらす。

 

5稲荷神社に祀られたサルタヒコの関連で、異なる領域のものを持ち込む越境の神。わたりをつける。

 

6、巫女と一体化して、妖術や呪術、性的な神儀に関与する。

 

7、通常の女性的なアイドルのような扱いも受けている。

 

8、原始宗教的稲荷においては、土地の力ゲニウス・ロキあるいは土地神のブースターとして活用され、たいていこれは万能な役割を与えられている。

 

9狐憑きは、神様との仲介者として、預言をする。

 

10、管狐は、人を惑わすが、また物質的な御利益ももたらす。

 

11、仏教系稲荷では、女性力としてのシャクティが昇華され、女神として働くダキニの力を運んでくる。

 

12カバラの図式で推理すると、生命力のリミッターをはずして、強力な推進力や達成力を与える。

 

13、エジプトのアヌビスと共通している狐は、死後の世界への導きとなる。

 

14、精神と物質の間の接続をする。狐あるいはアヌビスは、思いを形にし、また形に縛られた心を開放する方向の橋渡しをする。

 

15玉藻前の伝説のように、この精神と物質の行き来が行き過ぎると、欲望にとらわれ、悪念に幽閉される。しかし極端に行けば行くほど、逆転も起きやすい。

 

16、狐とアヌビス、ガブリエルという関連では、過去に忘れた罪なども思い出させる。因果を明確にする。

 

17秦氏の稲荷縁起から考えると、自分を世界に結びつけ、その環境の中で生きる道を作る。

 

18、猿女やエジプトのアヌビスの神官たちの関連で、魔除けなどにも関わる。衣服ということに、大きな関わりがある。

 

・そのうえで、全部をまとめて一言で言うならば稲荷狐とは「異界との接点」ということになるだろう。穀霊としての生産性というのは、異なる領域からわたしたちの領域に力が持ち込まれることで、創造を果たすのだから、これもまた異界との接点ということであり、死はこちらから向うへという創造のベクトルの逆回しだ。だから、生産性と死の門というのは表裏一体なものである。

 

 

 

『お稲荷様って、神様?仏様?』

支倉清 + 伊藤時彦       築地書館  2010/10/14

 

 

 

狐は神の使い

・狐は稲荷の使いであると古くから信じられてきた。

 

・春先に山から里に下りてきて秋の終わりにまた山に帰るという狐の習性が、田の神が春先に山から下りてきて秋の収穫後に山に帰るという動きとぴったり一致すること。

 

・つまり、狐は単なる稲荷の使いという以上の存在なのである。人々は狐そのものに霊力があると信じたのである。

 

狐憑きと流行り稲荷

・狐はなみなみならぬ霊力の持ち主であり、人間にのり移ることがあると、古来より広く信じられてきた。江戸時代に書き残されたものを見ると、狐に取り憑かれ、のり移られるのは、若い女性か年季奉公人の小僧であることが多い。

 

・「江戸本所に住む旗本の下女に狐が憑いた。しばらく苦しみが続いたが、狐が落ちて本心に返った後、屋敷の隅に小さな祠を建てた。その後、下女は人の吉凶などを祠に伺った。その語る様子はまるで神のようであった」

 

狐憑きをきっかけにして創建された稲荷は「流行り神」的に繁盛することが多かった。

 

・もっとも狐に憑かれるのは、一般的にいいことではない。人格が変わったりおかしな言動をしたり錯乱状態に陥ったりするので、狐に取り憑かれたときは、なんとかして狐を落とそうとした。

 

東の稲荷、西の地蔵

日本中に8万を超す神社がある。その中で圧倒的に多いのが稲荷社である。その数、実に3万2千社。次いで多いのが八幡宮で2万5千社。この2社で神社総数の6割に達する。ところが、稲荷社が多いのは関東を中心とする東日本で、西日本は少ない。とりわけ江戸のまちは稲荷が多かった。

 

あらゆる願いに応えるお稲荷さま

・稲荷は、もともとは稲の豊作をもたらす農耕神であった。ところが、室町時代になると都会では商売繁盛の神として信仰されるようになり、漁村では漁業の神として信仰されるようになった。

 

・幕末近くになると、江戸では「太郎稲荷」「お岩稲荷」「お玉稲荷」「定吉稲荷」など憑きものと関係する流行り神的な稲荷が次々と誕生する。

 

三囲神社(墨田区向島

・江戸の数ある稲荷社の中でも最も名の知られた稲荷社の一つである。

 

・神社の伝える言い伝えによると、弘法大師空海)の創建であるという。

 

豪商三井の守護神

・「(其角の雨乞いの俳句が詠まれた)後に京都の豪商三井氏が江戸に進出するとその霊験に感じ、江戸における三井の守護神と崇めて社地の拡張、社殿の造営を行った。今も年三回は三井関連会社による祭典が執行され、また三越の本支店にも当神社の分霊を祀っている

 

 

 

『深宇宙探訪記』

(オスカー・マゴッチ)(加速学園出版) 1991/8

 

 

 

自由な世界次元間連盟

・地球人類の起源は、プレイアデスの散らばった系に由来する。地球人類が地球に移住してきたのは『多数の千年期』の昔である。それ以来私達の『後に残された』人間の祖先たちは、銀河系と他の次元領域の至る所に広がった。

 さまざまな次元に存在する何千という星系からなる彼らの緩やかな『共通利害団体』は、『自由な世界次元間連盟』と呼ばれ、多次元宇宙の33の広大な領域に及んでいる。

 

シリウスは、私達に向けた「連盟」の送信センターとして使われている。私達を高め、迫りくる宇宙的なコンタクトと、その結果として起こる変貌に対して、この世界を準備させるためなのだ。何千年にもわたってシリウス人は地球人とコンタクトしてきたが、その際、彼らとその仲間は『ホルスの目』という印(三角形の中に目を配したデザイン)を用いてきた。

 

・『暗黒の勢力』とその地球の『光明派』の召使達は、シリウスのセンターから来た『善玉』になりすましている。これは地球人を混乱させ利用せんがためで、本来のシリウスからの送信内容を歪めたものに変え、自分たちの悪の教えを植えつけようとしているのだ。そのために、シリウスの『ホルスの目』のデザインの印も使っている。『暗黒の勢力』に支配されているのはメン・イン・ブラック(MIB)たち、すなわち、あの恐ろしい『黒服の男達』は、一つの目ないし一条の稲妻を中に配した例の古典的な三角形を自分たちが使用する黒塗りのキャデラックのドアにつけている。

 

 

 

『失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎』

飛鳥昭雄  三神たける  学研   2011/5/11

 

 

 

忍者

忍者には「上忍」「中忍」「下忍」があり、上位になると、文字通り高級スパイであり、元締めは闇将軍のような存在となる。

 しかも、忍者は現在もいる。忍者のなかには、今も情報収集を裏で行っている人々がいる。政財界に溶け込み、秘かに情報工作を行っているのだ。現役で任務に就いている方もいるので詳細を明かすことはできないが、それが日本の本当の姿である。ある意味、古代から日本の体制は何も変わっていないのである。

 

秦氏の経済力

・いわば農業や漁業、林業などの第1次産業と並んで、日本経済の柱となったのは第2次産業である。ごく大雑把にいえば工業である。工業には重工業と軽工業があるが、このいずれも、基盤は秦氏が担っていた。

 まず、重工業はいうまでもなく、鉄鉱石を採掘し、これを道具や武器などの製品にする。鉄はもちろん、金銀銅といった貴金属を生み出す鉱山の多くは、高度な金属精錬技術をもった渡来人が担ってきた。なかでも、そのほとんどが秦氏であったといっても過言ではない。全国の金山や銀山、銅山には、古代から近代にいたるまで必ずといっていいほど秦氏の影がある。

 

・一方の軽工業といえば、まさに戦後の経済成長の牽引力ともなった繊維産業だ。古代にあって最高の繊維は絹であり、それを生み出す蚕の飼育、すなわち養蚕はこれまたほぼ秦氏が独占していた。

 

まさに秦氏は殖産豪族の代表格であった。近代の財閥のようだというより、そもそも三井をはじめとして財閥自体、実は秦氏の流れを汲む人々なのである。莫大な財力をもつ財閥一族が、あまり政治の表舞台に立つことがないように、秦氏もまた政治家になる者は少なく、もっぱら産業界において名を馳せた。

  このように、秦氏は常に歴史の裏方で活躍してきた。彼らがいなければ、今日の日本はありえず、伝統文化も存在しえなかった。忍者と財閥、このふたつを握ることで、秦氏は日本の歴史を裏で動かしてきたといってもいい

 

日の丸と天照大神

天照大神は、その名にあるように太陽神である

・表の太陽神は天照大神であるのに対して、裏の太陽神がいる。

 

ニギハヤヒ命はれっきとした太陽神である。

 

天照大神が女神であるのに対してニギハヤヒ命は男神である。

 

天円地方と定規コンパス

秦氏の血を引く島津氏の家紋は、ご存じのように丸に十字を描き、一般に「島津十字」とも呼ばれる。同様の家紋を掲げる武家には、秦氏の拠点であった秦野を支配した波多野氏もいる。

 

・定規とコンパスをもって描かれるシンボルと聞けば、ピンとくる読者の方もいるだろう。そう、フリーメーソンである。

 

・古代中国の神話に「伏犠」と「女媧」という兄妹にして夫婦の神々がいる。彼らは下半身が蛇という不気味な姿で描かれるのだが、その手には、それぞれ必ず直角定規である曲尺「矩」とコンパスである「規」を持っている。

 

・伏犠と女媧の神話は海を渡り、この日本にも伝えられる。日本神話における天の神、イザナギ命とイザナミ命が、それだ。イザナギ命とイザナミ命は兄妹であると同時に夫婦神であり、日本列島を「国生み」した創造主でもある。

 

・ある意味、日本は近代フリーメーソンよりもはるかに古い歴史をもったフリーメーソン国家なのだ。

 ちなみに、太陽神の国であることを国外に示した聖徳太子は、日本における大工の祖として崇められているが、その側近は秦氏の首長、秦河勝であった。

 

歴史の表と裏

・では、社会の表に出ない秘密、インテリジェンスを入手するためにはどうすればいいのか。答えは諜報活動、平たく言えばスパイ活動である。合法・非合法を問わず、有効な極秘情報を入手することが重要だといっていい。よく引き合いに出される欧米の格言によれば、スパイ活動は世界で2番目に古い職業であると評言される。ちなみに、最も古い職業はセクシャリティを売ること、すなわち売春である。

 

・近代国家が発足する以前、諜報活動はすべて裏方が行ってきた。すなわち、「忍者」である。

 

忍者と秦氏

忍者の歴史は古い。文献に残る忍者の初見は聖徳太子が組織したという「志能備」、もしくは「志能使」と表記される組織である。『日本書紀』によると、「大伴細人」なるをもって志能備の任に当たらせたとある。大伴氏は物部氏と並ぶ古代豪族のひとつ。軍事的な力をもっていた。軍事の基本は情報であり、インテリジェンスである。その意味で、大伴氏が諜報活動を行ったという記述は十分、信頼性のあるものだが、忍者の歴史を俯瞰するに、実際の任務を担ったのは、実は秦氏であることが見てとれる。

 

・特に江戸時代、幕藩体制のもとでは、一般庶民は自由に藩を出ることはできなかった。伊勢講など、神社へと詣でる特別な行事でもなければ、関所を通ることはできなかったのである。

 しかし、なかには特別に関所を自由に通行することを許された人々もいる。遊行者である旅芸人をはじめ、いわゆる興行を行う人々は全国を歩き回ることができた。なかでも日本の伝統芸能である「能」は観阿弥世阿弥によって集大成され今日に至っているが、彼らは秦氏であった。能の源流ともいわれる「猿楽」「申嶽」は、もともと聖徳太子の命によって、彼の側近であり、舎人であった秦河勝が始めたものである。秦河勝の息子が当時、聖徳太子が建立した四天王寺において披露した芸が始まりだとされる。

 能や申楽のほか、田楽などといった庶民の芸能のほか、雅楽もまた、そのほとんどを秦氏が担っていた。同じく全国を歩き回ることを許可された民間陰陽師、歩き巫女、香具師といった人々もまた、秦氏の流れを引く者が多い。

 

・さらに、里の民とは別に、山の民もいた。街道ではなく、深い山々に張り巡らされた道を通り、日本列島を縦横無尽に歩き回った山の民、とりわけ山伏と呼ばれた修験者は呪術的な存在でもあった。修験道の祖「役小角」と並び称され、京都の愛宕山や加賀の白山を開いた「泰澄」の俗姓は秦氏であった。

 

・こうした全国を旅する人々は必然的に多くの情報を見聞きすることになる。事実上、諸国の事情を最も包括的に知っているのは秦氏だったといっても過言ではない。まさに、それは全国に張り巡らされた情報ネットワークであり、為政者の目には極めて良質なインテリジェンス組織のように映ったことだろう。ある意味、秦氏が忍者となったのは歴史的な必然だったともいえる。

 

・事実、戦国時代から近世に至るまで、歴史の裏で暗躍した忍者の多くは秦氏であった。講談や漫画でもおなじみの忍者「服部半蔵」は、その名の服部が示すように伊賀の秦氏であった。伝説的な存在では「百地三太夫」なども有名だが、俳句を詠んで東北を歩いた「松尾芭蕉」を含め、彼ら伊賀忍者はみな秦氏である。ちなみに、松尾氏は京都の松尾大社で知られるように、そのほとんどが秦氏であるといっても過言ではない。

 

陰陽道における秦氏と加茂氏> 

・京都の晴明神社には多くの若い人たちが参拝に訪れているという。能や浄瑠璃などで知られる安倍晴明の母親は信田狐(しのだのきつね)であったと語られる。実際、歴史的に安倍晴明系図は創作されたものであるらしく、その素性はよくわかっていない。

 

・実際、物語などで安倍晴明のライバルとして描かれる蘆屋道満は俗性を秦氏といい、実際は秦道満といった。

 

陰陽道を握ることは、神道を支配することにほかならない。秦氏と加茂氏は互いに陰陽道によって、日本全国の神社を支配下に治めていくことになる。今日、氏子がどう思うかどうかは別にして、神道の元締めが天皇であり、その祭礼を一手に握る加茂氏と歴史の裏で暗躍した秦氏によって、すべての神社は乗っ取られてしまったのである。

 

秦氏と加茂氏の神社乗っ取り作戦

・ところが、だ。秦氏に限ってはほかの渡来人とは大きく異なり、日本古来の宗教とさえいわれる神道を奉じ、寺院以上に次々と神社を創建していくのである。

 まず、全国の神社で最も多い八幡神社の総本山である大分の宇佐八幡宮には辛嶋氏という巫女の一族が代々仕えていたのだが、彼らこそ原始八幡信仰をもっていたことが判明している。その辛嶋氏は辛嶋勝氏という復姓をもち、秦氏が配下におく勝氏のひとつ。いうなれば、秦部の一族であり、まさに秦氏だった。

 八幡神社と双璧をなす稲荷神社の総本山は京都の伏見稲荷大社であり、それを創建したのは、先述したように秦伊侶具という名の秦氏であった。

 

徐福集団は物部氏となった!!

・しかもややこしいことに、物部氏を追いかけていくと必ずといっていいほど秦氏が出てくる。物部氏の正体をわからなくしているのは、この秦氏であるといってもいい。

 

・そこで、飛鳥昭雄は4度、烏天狗を通じて八咫烏との会見を申し込んだ。事前に命題は伝えてある。あとは「しるし」を持って待つのみ。しかして、月日は流れ先方から会見の許可が出たのは、2008年の暮れのこと、年が明けた2009年1月某日、飛鳥昭雄はあらかじめ送られてきた「しるし」を手に、約束の場所に向かった。

 待つこと約1時間。ついに八咫烏が現れた。黒く上品なスーツに身を包み、まっすぐ飛鳥昭雄を見つめ歩いてくる。手にステッキ、頭には黒い帽子をかぶっており、まさにその姿は「烏」そのものだ。

 眼光の鋭い初老の男は、飛鳥昭雄に近づくとこう切り出した。

「そなたが飛鳥かな」

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店   2010/6/18

 

 

 

リゲル  米政府と協定を結んだオリオン連盟リーダー

・この集団は1954年に米国政府と協定を結び、彼らの技術と科学情報を米国に与えるのと引き換えに、米国民を誘拐する(ただし傷つけない)許可を米国政府から得ている。

 

・こと座の内戦とそれに続くこと座星系へのりゅう座人の侵略を通じ、彼らの惑星は戦争で痛ましい損害をうけたため、肉体的にも遺伝子的にも弱々しい存在になっている。

 

・彼らは、りゅう座人のために働いている。りゅう座人が攻略の前準備をできるように侵略予定ルートを偵察する仕事である。

 

・軍隊型の厳格な階層制の文化を持っている。特にゼータ・レティクリ1と2のグレイが絡む場合はそうである。また肉体から肉体へと魂を移す能力を持っている。

 

シリウスA   イスラエル政府と契約の宇宙の商人

・背の高い細身のシリウスA人は、青と白の長いローブを着ている。両腕を横にまっすぐ広げると、身体全体でアンク(エジプト十字架)の形になる。これが彼らのシンボルである。宇宙の商人であり、技術と情報を売買して、排他的な取り引きルートと特別な優遇を得ている。彼ら自身に向けて使用される恐れのある技術は絶対に提供しない。彼らは、オハル星人に創作されたが、本来の目的を見失っている。

 

シリウスB 老子孔子、釈迦に叡智を与えた銀河の「哲学者」

・ジャングルか湿地のような惑星の洞窟状空洞や地下で隠遁生活を送っていることが多い。寿命は極めて長い。大半は、家族形態とは無縁である。

 

くじら座タウ グレイ種を目の敵にし、ソ連と協定を結んだ

・この人間のような生物は、グレイ種を目の敵にしている。宇宙のどこであろうとグレイを発見したら叩きのめすと誓っている。

 

・地球までグレイを追って来た彼らは、1950年代にソ連と協定を結び、基地と自由に領空を飛行する権利を得た。

 

・最近になって、ロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をリュウ座人の前衛部隊と交わしてタウ人を追い払ったと考えられている。

 

ビーガン   シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ

・このグレイ種は、シリウスA人の遺伝子から作られている。シリウス人の船の標準的な乗組員である。主人のために労役、実験、雑用を行う。ゼータ・レティクリ1と2のグレイは、前向きにビーガンの指揮に従い、人間の誘拐や鉱物のサンプル収集などの特定の任務を行う。

 

ゼータ・レティクリ1 地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ

・このグレイのエイリアンは、リゲル人が地球の人間を監視するために作った。人間とリゲル人の混合物である。人間の胎児と同じように四本の指と割れたひづめを持つ。ホルモン液と遺伝子実験のために人間を誘拐することで有名である。

 

・遺伝子的・ホルモン的な欠乏症のため、彼らは、急激に死滅している。他者を誘拐することで、自らの種を救う交配種の原型を作ろうとしている。

 

ゼータ・レティクリ2  遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕

・このグレイは、遺伝子操作で作られた爬虫類人への奉仕階級のメンバーである。完全にマインド・コントロールされており、中央情報(コンピュータ)に接続されている。集団精神で一体となって動く。彼らは、無心になってゼータ・レティクリ1を手伝う。誘拐現場でよく目撃されるが、子供のように純真に行動する。

 

アンタレス  トルコ人ギリシャ人、スペイン人のDNAに

 ・極めて知識が高く攻撃的である。

 

・彼らの社会の最深部まで入り込むことができた者は、ほとんどいない。

 

・女がいるところが観測されたことはなく、彼らは、同性愛者で、生殖目的でのみ女を使用すると考えられている。ただ、実は、ある母系集団が彼らの背後で権力を握っているとも考えられている。

 

 

 

『うしろの始皇帝

つのだじろう  学習研究社     2006/2

 

 

 

史記』への反論を決意する

・ところで、秦始皇帝に関する本は、過去にもたくさん出版されているが、研究書も小説も、やはり『史記』をより処にしているため、画一化された視点のものが多いように思える。

 確かに『史記』は、現存する「中国最古のすぐれた文献」ではあるが、「秦始皇本紀」が書かれた背景には明白な政治目的があり、秦を滅亡させた漢が、「秦は悪く漢が正しい!」と宣伝するために書かせたものだ。

 

・第一、司馬遷が生まれたのは、秦始皇帝の死後65年もたってからのことで…つまり『史記』とは、まるで秦始皇帝を知らない人物が書いた本でしかない。また紀元前220年代は、神仙・妖異の存在は当然の常識であり、不思議現象・超常現象関連の記述は、古書にもたくさん登場してくる。まさにオカルト全盛の時代なのだ。

 

・だが、私なら『史記』の偏向を排除し、オカルト的な視点を中心にした、面白い話が書ける可能性がある。「そうだ!これが私のライフワークだ!」そう決めたのが、昭和55年5月5日。この日を機に、秦始皇帝の作品をライフワークとして描こうと決断したのだが…その年は私は、奇しくもちょうど45歳。

 

渡来人・秦氏

・次の章からは、いよいよ「秦始皇帝」について、述べていくことになるわけだが…秦始皇帝など自分とは関係ないと、たいした興味ももたない読者諸氏もいるのではないかと思う。

 しかし、「自分の祖先も秦氏一族だった!」となれば、俄然、話は違ってくるはずだ。

 いや、実際のところ、秦氏の末裔は、日本中にくまなく存在しているのである。

  俗に「四大姓」という、「源・平・藤・橘」をはじめ、公家、武家、庶民に到るまで……日本には29万以上もの姓氏があるといわれている。だが、いざ家系を調べるとなると、たとえば同じ源氏であっても……祖先は、嵯峨・淳和・精和・宇多・村上・陽成など諸流があり、ただちに「源義経の同族だ!」とはいえないのだ。

 

・このように複雑ではあるのだが、しかし、ここで学問的な難しい理屈を並べる気はない。あくまでも一般的見解での知識だが、秦氏の場合は渡来人の家系であり……秦一族が、古代中国から朝鮮半島を渡り、応神天皇14年に日本へ渡来したという記述は『古事記』『日本書紀』『新撰姓氏録』などすべてに書かれており、それが歴史的事実であることは間違いない。

 と同時に、秦一族が5世紀~6世紀にかけて、継続的に大勢渡来し、その影響が日本の文化・経済・政治・技術・信仰全般にもおよんでいるという事実は、もはや疑う余地などない。すなわち秦氏は渡来氏族最大のグループだったのだ。

 ただ、秦氏は秦始皇帝の末裔かどうかについては、研究者の間で諸説がある。

 

秦氏の末裔は日本中にいる!

秦氏を代表する姓氏には、己知部のほか、有名なところでは弓月君一族があり、現在の京都・太秦に居住し、養蚕・機織の技術をもつ伴造として朝廷に仕えたという記録がある。彼らは、大蔵出納にも従事し、この地を中心におおいに繁栄した。秦公・秦造・秦連・秦忌寸などの名前は、学校の歴史の授業などで、お馴染の読者も多いだろう。なお、京都・太秦広隆寺は、聖徳太子の勧請で秦河勝が建立した寺であり、私自身も、この寺を祖霊の氏寺と定めて、京都に行くたびに参詣している。また秦氏氏神は、大酒神社ほかに、祀られている。

 

秦氏の系統は、中央朝廷ではあまり高位になく、官人御随身として、三上氏が永続した。地方豪族では島津氏、対馬の宗氏、神保氏なども秦氏である。また同音読みで、異表記の波多、羽田、幡多、波多野氏なども、秦氏だといわれている。当然ながら、長い歴史の中で、派生・誕生した苗字を挙げると…日本中の姓の相当数が秦氏の系列にかかわっているのだ。私の場合も、本姓の秦は当然として……角田もまた秦氏系なのである。

 

・さらにいえば、秦氏の末裔は、日本に多い姓だけをあげても、吉田、山田、林、橋本、松本、中村、木村、山口、毛利、服部、大西、佐々木、岡、吉村、安田、久保、町田、今村、大田、松下、石坂、村田、中島、森、平野、小川、田宮、西山、大野、川上、小林、内田、長谷川、小野田………ぞろぞろいるのだ。

 また、秦始皇帝の末裔としては、東儀氏がある。奈良時代から1300年、雅楽世襲してきた由緒正しい家系で、同じく能の金春、竹田、観世氏なども秦氏系である!

 

古代日本の歴史を支えた秦一族

・ところで、なぜ日本には秦氏が、これほど多く存在するのだろうか?

秦氏集団:弓月君・渡来伝承」には歴史的裏づけがある。5世紀ごろ、朝鮮半島は大旱魃や蝗害に襲われ、戦乱や天災が相次いだため、大勢の難民が海へ逃れて日本に渡来したのである。

実はこれについても諸説紛々あるが、いずれも推論なので、ここではいちいち触れない。ただ韓国にも、秦始皇帝を始祖とする秦一族が全羅南道済州島などに大勢、現存するのはまぎれもない事実であり、5世紀~6世紀にかけて、秦氏一族が朝鮮半島を経由して日本列島に渡来したのは、歴史的事実と考えて間違いなかろう。

 

・また、それとは別に『史記』に、秦徐福という方士が、不老長寿の薬を捜す秦始皇帝を、「東方海上に神仙の住む3つの島があり、仙薬はそこにある!」といってだまし、3000人の男女、さまざまな職人、技術者などを連れ、五穀を携えて出航し、そのまま帰らなかったという記述がある。実は、その行き先こそ日本だったとする説があり、この説は長年、疑問視されていたが、近年、中国で徐福の出身地が判明したことや、当時「大型の楼船」が建造されたと思われる造船所跡などが発見されたことなどから事態は一変。中国では青銅器から鉄器に変わるまで数百年の歳月を要したのに、日本では弥生時代に、いきなり鉄器が登場することや、日本各地に徐福伝説が伝わっていることなど、さまざまな傍証からも、「秦徐福・渡来説」の可能性も捨てきれないと考える研究者が増えてきた。

 

 なお、秦徐福は「方士」である。方士とは、現代風にいえば霊能者、占星術師であり、医者としての技術ももった、オカルトの専門家である。…であれば、心霊研究面でも私の大先輩であり(笑)、秦一族は、古代中国の霊的世界をも日本にもちこんでいたといえるのだ!

 

・古文書には、筑紫(福岡県近辺)豊国の「奇巫」また「豊国法師」という表現で載っており、時の天皇が病気を治すために、わざわざ秦氏の方士を九州から呼び寄せ、「心霊治療」で治していたという記録がかなりある。当然ながら、当時の日本の医術や薬では、治せなかったからにほかならず、まさに古代中国の知恵に頼ったのだといえる。

 このように、とにもかくにも「渡来した秦一族」が、文化・技術・医療――あらゆる分野で先進技術を日本に伝えた功績は、計りしれないほど大きいのである。

 

・霊能者の船越先生の言葉どおり、自分の両親は父母ふたりだけだが、祖父祖母の代になれば父系母系で4人、曽祖父の代なら8人、7代遡ると直系の血縁だけで128人もいる計算になる。あとは倍々のネズミ算だ。仮に25歳で子供を生むとすれば、1世代平均25年で換算しても、現代は21世紀。5世紀まで遡れば、膨大な数の祖先になる。それを逆算すれば、最初は一握りの渡来人が、現代では膨大な秦氏系になっていたとしても、なんの不思議もないのである。

 

・いちおうは、ノンフィクションのつもりだが、マンガ家である私が秦始皇帝を描くのに、普通の研究書のような書き方をしてもつまらない。私の視点の軸は、もちろんオカルトにある。

 

蜀王・蚕叢は宇宙的存在だった?

・「ええ、『山海経』には、蜀王・蚕叢の姿は、つぎのように記載されています。

 西北の海の外・赤水の北に章尾山あり。そこに神が存在する。人面蛇身にして赤く、眼はタテにして真ん中にある。蚕叢が眼を閉じると、世の中は暗くなり、眼を開くと、明るくなる。食らわず、寝ず、息せず、風雨を招き、九陰を照らす。即ち燭龍という(燭龍は異名で、燭陰ともいう)、と」

「うん、もしこの記述を認めるなら、まさに蚕叢は宇宙的存在だったと見るべきだ……と、俺は思うがね」

 

 

 

『クリスタル・スカルの2012;超予言』

プレアデス、オリオン、シリウスからもたらされた人類の次元上昇装置

(クリス・モートン / セリ・ルイーズ・トマス)

徳間書店)2008/5/23

 

 

 

古代・地球には異星から知的生物が来て、それが地球文明発達の引き金となった

<宇宙人来訪説>

マヤのパカル王の墓の石棺の蓋の精巧な掘りもの

・1960年代、スイスのエーリッヒ・フォン・デーニケンの著書の『神々のチャリオット』は、世界各地の例を集め、古代・地球には異星から知的生物が来て、それが地球文明発達の引き金となった、という彼の仮説を説明しようとしたのである。

宇宙には文字どおり、何億という星があり、そのどこかに人間以上の進化段階に達している生物がいる。可能性は十分にある。その生物が古代の地球人に「神」だと見えたのは当然だ、と彼は言う。

フォン・デーニケンによれば、パカルの棺の蓋に描かれた人物は、離陸する宇宙機の操縦席で座る宇宙飛行士だという。

 

・「最近の子供ならば、誰でもこれが宇宙ロケットだと分かるだろう。先端が尖り中央部が膨れて後方からは火を吐いている。しゃがみ込んだ姿勢の宇宙飛行士は、操縦席で機器の操作をしながら、左足の踵でペダルを踏んでいる。・・・原始的な人々が、ただ想像だけで、これほど精密にロケットを操縦する宇宙飛行士を描けるだろうか?最下部の奇妙なマークは噴出される炎とガスだ」

マヤが突然消滅したのは、彼らが宇宙人と共に宇宙船で去ったのだという説を唱える人々さえいる。

 

・パカル王の棺の中の人物は、実は宇宙人だともいう。荒唐無稽と言えばそれまでだが、フォン・デーニケンの著書は人々の想像力をかきたて、世界的なベストセラーとなった。

パカル王の棺の残された人骨は、確かに他のマヤ人の骨に比べ遥かに背の高い人のものだ。そしてマヤは、何故か「空の神々」に強いこだわりを持った。棺の蓋の周りの図柄は、太陽、月、惑星、星座などを表すということ、さらには、マヤの建造物が天体の配置に沿って建てられているということが、今日では解明されている。

 

・考古学は、宇宙人来訪説は言わずもがなマヤが地球とのどこかの文明の影響を受けたという説さえ認めたがらない。