(2024/4/9)
『日本の「来訪神」図鑑』
フランそあ根子(著)、中牧弘允(監修)
青春出版社 2024/2/21
・来訪神は、年の変わり目や季節の変わり目に異界からやってきて、ご利益を授けてくれる夢のある存在です。
<はじめに>
・日本には、ナマハゲのようによく知られるものから地域の人しか知らないようなマイナーな神さままで、多くの来訪神が存在する。通常、神さまは神社などに祀られていてこちらからお詣りに行くが、来訪神は神さまの方からやって来てくれる。
・多くは、仮面をつけるなど仮装している。
<北海道・東北地方の来訪神>
<天狗が燃え盛る炎の中を悠々と渡る>
・積丹町の美国神社、古平町の琴平神社・恵比寿神社に、猿田彦神が現れる。猿田彦は神を導く神。天狗の面をつける。
<大黒天 青森県 田舎館村大根子地区>
<カパカパと福俵ころがし>
<俵を転がし福を呼ぶ 子ども大黒天>
・「カパカパと福俵ころがし」は、子どもたちが大黒天や神主に扮して地区内の家をまわる。
・「ナモミ」は、木製の鬼面をつけ、「悪いわらす(子ども)はいねがぁー‼ 」などと大声を上げながらやってくる。
<ナゴミ 岩手県 山田町ほか県内各地>
・「ナゴミ」は般若の面をつけて現れる。面には男女があり、手に包丁を持っていないのが特色。地区によっては、床を這って現れるのでかなり怖い。
<悪い子や怠け者を叱りに来る「怖いお爺さん」>
・「崎浜のタラジガネ」は、鬼面をつけ、米俵を体に巻いている。手に短刀や長刀を持ち、低い姿勢で大股に歩きながら家々を訪れる。
<獣のような虫のような不思議な顔つきの神さま>
・スネカは獣とも虫ともつかない不思議な顔つきをしていて、背中に小さな子どもの靴をぶらさげた俵を背負っている。言うことを聞かない子どもをこの中に入れてさらって行くという。
・スネカは後ろ姿を見せない決まりになっていて、あとずさりしながら玄関の戸を閉めて闇の中に消えていく。
<自然の形状を生かした独特の面>
・スネカの面は、木の根などを材料にして自然の有機的な形を生かして作られる。鬼のようなものの他に牛馬や、象のような長い鼻を持つ面があり、「ケモノ系」と呼ばれる。また虫に似た面は「虫系」と呼ばれる。どの面も独特の重厚な雰囲気を持っている。
この行事は地元で密やかに行われており、現在も外部の人の見学は積極的には受け入れていない。
<「アキ~の方からチャセゴにきした」>
・「チョセゴ」は子どもたちが「福の神」となり、地域の家々や施設・商店をまわる古くからの厄落としの行事。「アキの方」とはその年の恵方・福の神が住んでいる方角。地域の人は福の神の子どもたちにお菓子を渡して、家の災いをお菓子と一緒に持っていってもらう。
・ハロウィンのようにたくさんお菓子をもらえる、子どもにとっても楽しい行事。
<古くからの火伏の行事>
・「米川の水かぶり」は、毎年2月に行われる火伏(火難除け)の行事。水かぶりについての伝承は、神が宿るとされる神の世話を担う役割を持つ「水かぶり宿」と呼ばれる家だけが代々受け継いでいる。
<厳しい寒さの中の身支度>
・当日は早朝から町内の若者や厄年の人が「水かぶり宿」に集まり支度する。支度所は屋外の裏庭のような場所で、この時期は氷点下の凍てつくような寒さだが、水かぶり役の人々は裸同然の姿になって身を清める。
<米川の水かぶり>
<火の神さまの静かな道行き>
・水かぶりの一団とは別に、墨染めの僧衣の火男と天秤棒に手桶をかついだおかめが地区内をまわる。
<番楽の面をつけた雅な顔立ちの神さま>
・「ナゴメハギ」は、手に包丁や斧を持ち、恐ろしい面をつけた山の神。
・ナゴメハギの面は、かつてこの地域で舞われてきた浅内番楽のものが使われている、優美な顔立ちだが独特の迫力がある神さま。
<藍染の装束を纏った鬼女>
・「前郷のヤマハゲ」は、古い木彫りの鬼女の面をつけ「夜衾(よぶすま)」という藍染の布で作られたこの地域独特の分厚い装束を身に纏う。
<鬼の姿をした歳神>
・大晦日に男鹿で行われる「ナマハゲ」は、鬼ではなく鬼の姿をした歳神。地元ではナマハゲは、年の節目にやってくる厄を祓い無病息災や豊漁豊作等をもたらす神さま。
<ナマハゲの謎>
<諸説ある起源>
・ナマハゲの起源については、山の神さまの使者説、山伏の修験者説、異国からやってきた人々説はあるが、詳しいことはわかっていない。
漢の武帝が男鹿を訪れ、五匹の鬼を毎日のように働かせていたが、正月十五日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らしまわったという伝説があり、これを起源だとする説もある。
<ナマハゲはどこから来るか>
・ナマハゲがどこから来るかは地区によって言い伝えが異なる。男鹿半島西側の真山、もう少し遠くの寒風山から降りてくるという説もあれば、秋田市の大平山から八郎潟をわたって来るとも言われている。
<最古の紀行スケッチ>
・ナマハゲは、約二百年以上の歴史を持つと言われている。江戸時代に、博物学者で旅行家であった菅江真澄がナマハゲの行事について「男鹿の島風」「牡鹿乃寒かぜ」に書き記したのが最初の記録とされている。
「牡鹿乃寒かぜ」には、小刀を持ち、腰から四角い箱を下げたナマハゲの姿が記されている。現在のナマハゲは、出刃包丁は持つが小刀は持たず、箱のようなものも下げていない。また現在とは異なり、鬼面の他にひょっとこのような面をかぶったナマハゲの姿も。ナマハゲの姿も長い歴史を経て変化してきたようだ。
<色・素材・表情も多様な面>
・ナマハゲは一般的に赤鬼や青鬼のイメージが強いが、面の素材や色彩、表情はバラエティに富んでいる。
<寺沢の悪魔祓い>
<「悪魔祓い!悪魔祓い!」>
・二柱の「ヤマハゲ」が叫びながら地区をまわり厄を祓う。角が一本のものが雄、二本が雌。
<顔を墨で真っ黒に塗った子どもの神さま>
・赤石集落に伝わる「アマハゲ」は、地元の二人の男児が藁蓑を着て顔を墨で真っ黒に塗って務める。
<にかほのアマノハギ 秋田県にかほ市 象潟町小滝・秋田市上新庄石名坂>
<「ぽっぽら杉」から降りてくる(小滝)>
・小滝のアマノハギの面は「鳥海山小滝番楽」で使用される古い鬼面。
<音も立てずに入り、急に脅かす(石名坂)>
・石名坂のアマノハギの面も年代物。小滝の面は無彩色だが、石名坂のものは青や赤などで彩色されている。
<藁蓑姿で踊る癒し系の神さま>
・「加勢鳥」は、商売繁盛や五穀豊穣、火伏を祈願する。地元の若者たちが「ケンダイ」とよばれる藁蓑をまとい、加勢鳥に扮する。
<遊佐の小正月行事>
<三つの集落に伝わる「アマハゲ」>
・遊佐町の「アマハゲ」は、女鹿・滝ノ浦・鳥崎の三つの集落に伝わる。鬼面をつけた神さまが、家々を訪れて新年を祝福する。
<春彼岸に舞う三匹の獅子>
・会津で春彼岸の時期に演じられる古式ゆかしい獅子舞。三匹が一組となり、笛と太鼓の音に乗って踊る。
<関東地方の来訪神>
<藤川・飯塚の悪魔祓い>
<獅子頭で頭を嚙み悪霊を追い出す>
・玉村町の藤川・飯塚地区で毎夏行われる「悪魔祓い」は、子どもが中心になって行う行事。獅子頭をかぶった子どもを先頭に、太鼓を叩きながら「あくまっぱらい! あくまっぱらい!」と叫んで地域の家々をまわり、悪霊を追い出す。
<お面入り>
<能楽面を頭の後ろにかぶる渋い佇まいの神さま>
・毎年秋に行われる「お面入り」という行事に「ボウボウサマ」は現れる。面は戦国時代から伝わる能楽用の翁と嫗の夫婦面。面は頭の後ろにかぶるのが正式とされている。
<マダラ鬼神祭>
<鬼神と眷属の五匹の鬼>
・マダラ鬼神祭は、桜川市の雨引山楽法寺で毎年行われる。薬法寺は、延命観世音菩薩が祀られていることから雨引観音とも呼ばれている。「マダラ鬼神」は、この行事に眷属の五匹の鬼を従えて現れる。
・マダラ鬼神は元々はインドにルーツを持ち、中国を経て日本へ伝わったという。
<脚折雨乞>
<四年に一度現れる龍神>
・脚折雨乞は江戸時代から続く雨乞いの行事。四年に一度、夏季オリンピックの行われる年に現れる。長さ約三十六メートル、重さ三トンあまりもある龍蛇を作って雨乞いを行う。
<大蛇と繋がる神さま 神奈川県 横浜市鶴見区生麦>
<蛇も蚊も>
<藁の大蛇を担ぎ悪疫退散>
・茅で作った大蛇を担いで町を練り歩く蛇も蚊も祭りは、大蛇の頭を家々の玄関や商店の入口に差し入れて悪疫を祓う。「蛇も蚊も」の名は疫病をもたらす悪霊を封じ込めた「大蛇」と、疫病を媒介する「蚊」を退散させるということが由来。
<水止舞>
<珍しい「雨止め祈願」の行事>
・雨乞いの行事は日本全国で見られるが、雨止めを祈願する行事は珍しい。
<藁筒の中で龍神が法螺貝を吹き鳴らす>
・当日、厳正寺近くの路上で、白装束を着た二人の男性が太い縄で編まれた藁筒の中に入る。
<中部地方の来訪神>
<新潟県唯一の来訪神>
・子どもたちが赤獅子・天狗・狐の面をつけ「あーまめはぎましょ、あーまめはぎましょ」と唱えながら列になって歩く。
<二口熊野社火渡り神事>
<穢れを炎で焼き清める>
・秋季大祭で行われる二口熊野社の火渡り神事に百足獅子が登場する。
<新年の賑やかな来訪者>
・能登で正月または節分に現れる「アマメハギ」は、新年を無事に迎えるために家々を巡ってお祓いし、怠け心を叱る。地区によって、装束や所作は少し異なる。輪島市旧門前町皆月地区と五十洲(いぎす)地区では、一月二日に赤い猿面・ガチャ面、天狗面、翁と嫗の夫婦面がやって来る。ガチャ面とは鼻が潰れているなど目鼻立ちが崩れた面。
<面様(めんさま) 石川県 輪島市輪島崎町(輪島前神社)・河井町(重蔵神社)>
<家々を訪れて祝福する夫婦神>
・輪島市で行われる厄除け行事「面様年頭」に、男面と女面の夫婦神「面様」が現れて氏子の家々を巡る。
<目に見えない神さまを心をこめてもてなす>
・古くから奥能登地方各地に伝わる「あえのこと」は、稲の成長と五穀豊穣を司る田の神さまを、まるでそこに本当にいるかのように心をこめてもてなす行事。
<海から悪い子をさらいに来る鬼>
・「あっぽっしゃ」は海からやって来ると言われる赤鬼。髪は海藻でできていて、耳まで裂けた口と鋭い歯を持つ。
<地元の中高生が務める鬼神>
・白浜街には「アマメン」が現れる。アマメンは鬼面をつけた藁蓑姿。
元々は島根県から伝わった古い行事。
<幸法(さいほう)・競馬(きょうまん)長野県 下伊那郡阿南町 伊豆神社・諏訪神社>
<新野の雪祭り>
<夜通し舞い踊る神の化身>
・新野の雪祭りは、鎌倉時代から伝わる五穀豊穣を祈る祭り。伊豆神社と諏訪神社を中心として、毎年一月十四日の夜から翌日の朝まで夜もすがら行われる。極寒の中、田楽、舞楽、神楽などの伝統芸能が披露される。
<遠山の霜月祭>
<諸国の神々を招いて湯を捧げる>
・旧暦霜月(新暦十二月)、長野県下伊那郡の遠山地方の各集落で霜月神楽が行われる。霜月神楽とは全国の神々を招き入れる神仏混淆の行事で、湯立を中心とする。
祭場に竈と湯釜を据え、湯を沸かしてその周囲で神事や舞を行い、全国の神々を招き湯を捧げる。
・丑の刻に行われる重要な湯立「鎮めの湯立」では、死者・神霊・森羅万象の全てのものを鎮める。これは、かつて百姓一揆で滅亡したとされる遠山一族の怨霊を鎮める儀式でもある。
<桶がわ祭り>
<「こじき」は神さまの使者>
・「樋がわ祭り」は、下麻生地区の縣(あがた)神社で毎年四月に行われる。通称「こじき祭り」とも呼ばれるが、この祭りに「こじき」が登場する。言い伝えによれば、昔、この地域が飢饉に見舞われたとき、村に住み着いたこじきに食べ物を分け与えたところ、雨が降って豊作に恵まれたという。それ以来、そのこじきは神さまの使者だったとされ、豊作を願う祭りが行われるようになった。
<花祭>
<夜通し踊り、鬼たちと遊ぶ>
・十一月から一月にかけて奥三河の各地域で行われる「花祭」は、神仏を舞庭(まいど)と呼ばれる祭場に招き、人々が神仏である鬼たちと交遊する。
・この祭りに、役鬼(えんき)と呼ばれる山見鬼・榊鬼(さかきおに)・茂吉鬼の三柱の鬼が登場し舞い踊る。
<近畿地方の来訪神>
<太秦(うずまさ)の牛祭>
<妖しく謎に満ちた神さま>
・奇怪な神面をつけ、牛に乗った「摩多羅神」が太秦の牛祭に現れる。赤鬼・青鬼の面をつけた四天王を従え、広隆寺の周辺を練り歩く。摩多羅神は、薬師堂前に設けられた祭壇を三周した後、壇上で祭文を独特の節回しで読む。参詣者たちは、祭文読誦の間野次を飛ばし、石を投げるなどして妨害する。元々はかつて広隆寺の境内にあった大酒神社の秋の祭礼。祭りの起源や摩多羅神が何の神であるか、また祭文の意味なども一切不明。ミステリアスな行事。
<天狗 大阪府 箕面市新稲 西小路八幡太(はちまんた)神社>
<西小路天狗祭り>
<天狗のじゃり(竹の先を細かく割ったもの)で叩かれて良い子に育つ>
・西小路八幡太神社の秋季例大祭「西小路天狗祭り」には神さまの化身である天狗や獅子舞が現れる。
<餅割鬼・尻くじり鬼・一番太郎鬼・赤鬼・姥鬼・呆助鬼・青鬼 兵庫県 神戸市長田区長田町 長田神社>
<古式追儺式>
<節分に現れる七匹の鬼>
・長田神社で行われる古式追儺式では、神々の使いである鬼たちが神に代わって災いを祓う。
<椎出鬼の舞>
<長い棒を持って踊る赤髪の鬼>
・八月、椎出厳島(いつくしま)神社の境内に赤髪の鬼が現れる。「盆の鬼」とも呼ばれ、十人衆の奏でる太鼓や笛に合わせて、約二メートルある長い棒を振りかざしながら日没まで踊る。六百年以上も前から続けられていると言われ、天災地変や災いを追い祓い地域の人々の安全と五穀豊穣を願う。
<中国・四国地方の来訪神>
<尾道ベッチャー祭>
<三鬼神が町を暴れまわる>
・「ベタ」「ソバ」「ショーキ」の三鬼神は、尾道で行われるベッチャー祭に現れる。町中で子どもを追いまわし、祝い棒やささら(竹の先を細かく割ったもの)で頭を叩いたり体を突く。狂言面のベタと白い大蛇の能面をつけたソバが祝い棒を持ち、天狗面のジョーキがささらを持つ。子どもたちは逃げまわり、叩かれた子は叫び声を上げる。
・子どもたちが集落の家の玄関先に手作りの藁馬を置いて「トーイ、トイ!」と叫んでから物陰に隠れる。家の人が藁馬を受け取り、お礼の餅や菓子を籠の中に入れる。
・島根県飯南町頓原張戸にもトロヘイというよく似た行事がある。
・厄年を迎えた人のいる家に、神の使いである「ホトホト」が訪れ厄を祓う。蓑笠を身に纏った男性たちが「ホトホト」と唱えながら家々を訪問し、縁起物を届ける。
<神さまを表す「吉兆幡(きっちょうばん)」>
・「吉兆幡」は、「歳徳神(としとくじん)」と大きく縫い取りした高さ十メートル・幅一メートル余りもある幟(のぼり)で、吉兆さんと呼ばれる。歳徳神が天下るとされる神籬(ひもろぎ)であり神を表象する。
・番内は、いかめしい鬼の面を付け、煌びやかな神楽衣装を着た年男。
・氏子の家の玄関で「悪魔祓い!」と大声を上げながら青竹で地面を払ったり叩いたりして邪気を祓う。
<べちゃ祭り>
・秋祭りに天狗の面の神さま「べちゃ」が現れ、子どもたちを追いかけて笹の棒で叩く。叩かれると1年間無病息災で過ごせる、足が速くなるなどと言われている。
<仁尾竜まつり>
・夏、稲藁と竹で作った巨大な雨乞いの竜神が現れる。全長約三十五メートル、重さは約三トンあり、百人以上の担ぎ手によって町を練り歩く。
<和霊大祭・宇和島牛鬼まつり>
<鬼のような牛のような姿の悪魔祓いの神さま>
・牛鬼は、和霊神社の和霊大祭に登場する。牛鬼の顔は恐ろしい形相の鬼面で、牛の胴体に剣をかったどった尻尾をつけている。身長は約五~六メートルあり、全身をシュロの毛や、紅白の布などで覆っている。
<目に見えない稲の精霊と真剣な取り組み>
・「一人角力」は、大山祇神社の旧暦五月五日の御田植え祭と旧暦九月九日の抜穂祭で奉納される。力士が、目には見えない稲の精霊と真剣に相撲をとる。
<九州・沖縄地方の来訪神>
<トビトビ 福岡県 福岡市早良区石釜>
<神の使いの子どもたち>
・夜、神の使いの子どもたち「トビ」が家々をまわる。上部を束ねた藁束をかぶり、家の前で「トービ」と掛け声をかけて到着を知らせる。
<聖なる来訪者 九州の各県>
<もぐら打ち>
<もぐらを追い出すような仕草で邪気を祓う>
・先端に藁を巻いた竹棒を持った子どもたちが地域を巡り、「もぐら打ちの歌」を歌いながら地面を叩く。このもぐらを追い払うような身振りを行うことで邪気祓いをし、五穀豊穣を願う。この行事は、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県の九州の各県で広く行われている。
<青竹を激しく地面に打ちつけ悪霊を祓う>
・毎年小正月に見島に現れる雄と雌のつがいの「カセドリ」は神の使者。笠をかぶり顔に白手拭いを巻き、藁蓑、黒手甲、脚絆を身につけている。
<七福神来訪>
<ちょっと変わった七福神がやってくる>
・七福神に扮した人々が家々を訪れる「姉の七福神」は、一般的な七福神の毘沙門天・寿老人・福禄寿・弁財天の代わりに「年徳」「じい」「ばあ」「嫁」がいるのが特徴。
<サンドーラ 長崎県 五島市玉之浦町大宝 言代主神社(ことしろぬしじんじゃ)>
<大宝郷の砂打ち>
<激しく砂を打ちつける「砂鬼」>
・「サンドーラ」は、豊作豊漁を祈願する言代主神社の秋祭りに登場する「砂鬼」。祭りでは猿田彦や獅子頭、農民に仮装した人々の行列が町を巡り農作業の様子を表現して豊作を願うが、サンドーラはその行列の最後を歩く。
<「ひょうたん様のお通りだ!」>
・柴山八幡社の霜月祭りに登場する「ひょうたん様」は、派手な緋色の装束を着て大きなひょうたんを頭に乗せた神の化身。
<ケベス 大分県 国東市国見町櫛来 岩倉八幡社(櫛来社)(くしくしゃ) >
<ケベス祭>
<「ケベス」と「トゥバ」が火を巡り争う>
・岩倉八幡社の火祭りに現れる「ケベス」は、白装束を身に纏い独特の迫力を持つ妖しい木面をつけている。
<修正鬼会(しゅじょうおにえ)>
<鬼を仏の化身として迎える>
・修正鬼絵は、毎年春に行われる神仏混淆の鬼の祭り。ここでは鬼を悪しきものとして追い払うのではなく、幸せをもたらす良き存在として迎える。この儀式には災払鬼(赤鬼)・荒鬼(黒鬼)が現れる。
<鬼が僧侶に乗り移る>
・次に荒鬼役の僧侶が現れ、別の僧侶に口に含んだ水を吹きかけられて鬼に化身する。
<餅勧進(もっかんじん)>
<派手で賑やかな厄払いの神さま>
・宮崎県えびの市では毎年一月十四日の夜、派手に化粧し仮装した厄年の男女が家々にやってくる。これは「餅勧進」と呼ばれる厄払いの行事。
<弥五郎どん祭り>
<巨大な健康長寿の神さま>
・的野小八幡宮で行われる「弥五郎どん祭り」には、伝説の巨人である弥五郎どんの長男・山之口弥五郎が登場する。
身長は約三メートルあり白い麻衣を纏い、顔に朱面をつけ頭に三叉の鉾、腰に大小の太刀を差している。
<弥五郎どん祭り>
<白い顔に口髭を生やした次男>
・岩川八幡の弥五郎どん祭りに出現する次男・岩川弥五郎は白い顔に口髭をたくわえ、梅染めの茶色い衣を着ている。竹籠で作られ、身長は約五メートルあり巨大な太刀と小刀を腰に差している。
<南九州に伝わる弥五郎伝説>
・南九州には、巨人が登場する多くの「弥五郎伝説」がある。弥五郎どんは、山に腰かけて海の水で顔を洗うほどの大男だといわれる。
<ハレハレ 宮崎県 宮崎市糸原 倉岡神社>
<全身に蔓草を纏った紅白の鬼>
・「ハレハレ」は赤鬼・白鬼の面をつけ、蔓草を全身に巻きつけた鬼神。
<イブクロ 宮崎県 新富町 新田神社>
<夏祭りに現れる穏やかな神さま>
・夏祭りに現れる赤と白の夫婦神。赤が男神、白が女神。
<メゴスリ 宮崎県 串間市大平>
<仲秋の名月とともに現れる鬼神>
・十五夜に現れる赤鬼と青鬼。
<健磐龍命(たけいわたつのみこと)・阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと) 熊本県 阿蘇市一の宮町 阿蘇神社>
<火振神事>
<神さまの結婚を祝う炎の輪>
・阿蘇神社で行われる五穀豊穣を願う神事。農業神である健磐龍命が姫神・阿蘇都比咩命を娶る「御前迎え」の儀式が行われる。
<大王殿(でおどん) 鹿児島県 日置市日吉町日置 日置八幡神社・鬼丸神社>
<神事を見守る仮面神>
・「大王殿」は、日置八幡神社の御田植祭に現れる巨大な仮面神。御田植祭では「せっぺとべ」と呼ばれる日吉町独特の豊年祈願の踊りが奉納される。
<カセダウチ>
<悪い神さまたちに一風変わったもてなし>
・小正月の晩、七福神などに扮した人々が神さまになって新築の家にお祝いにやってくる。一軒の家に何組か訪れ、格好も人数もその都度まちまち。
<子どもたちを水難から守る大河童>
<ヨッカブイ>
・大ガラッパ(大河童)は、玉手神社で行われる水神祭り「ヨッカブイ」に現れる。頭に不気味なシュロの皮をかぶり、腰に荒縄を巻いた夜具を着る。
<南九州巨人伝説の一番大きい三男>
・伝説の巨人・弥五郎どんの三男「稲積弥五郎」は、この土地に八幡様のご神体を背負ってきたという。田ノ上八幡神社の秋祭りに現れるが、三兄弟の中で一番体が大きく高さは約7メートル。
<恐ろしい顔つきに似合わず子ども好きの神さま>
・「トシドン」は、毎年大晦日に家々を訪れる歳神。普段は天上界に住み、天上から子どもたちの行いや態度を見ているという。鬼のような派手な色の面をつけ、シュロで作られた蓑と黒いマントを着る。
<神さまが乗る「首切れ馬」>
・トシドンは天上界から付き人を従えて山の上に降り立ち、「首切れ馬」に乗って家々を訪れると言われる。首切れ(首なし)馬は日本各地に伝わる馬の妖怪で、主に四国を中心に伝承されている。
<硫黄島八朔太鼓踊り>
<赤い仮面の悪戯好きな神さま>
・「メンドン」は、毎年薩摩硫黄島で行われる八朔太鼓踊りの最中に現れる。藁蓑を着て、大きな丸い耳のついた赤い面をつけた悪戯好きの神さま。
<メン 鹿児島県 三島村 黒島>
<すりこぎとサモジを打ち鳴らしながら踊る神さま>
・「メン」は、黒島で九月に行われる八朔(はっさく)踊りに現れる鬼神。メンは妖怪を表す。
<タカメン 鹿児島県 三島村 竹島>
<竹島八朔(はっさく)踊り>
<大きな面をつけた仮面神>
・竹島の「八朔踊り」に現れる仮面神。大きな耳を持つ高さ約1メートルの大きく派手な色の面をつけている。
<トイノカンサマ 鹿児島県 屋久島町宮之浦地区>
<全身真っ白な歳神>
・「トイノカンサマ」は屋久島の歳神で、大晦日に宮之浦岳から降りてくると言われる。頭に白いシャグマをかぶり顔は白塗り、白装束を纏った全身真っ白な姿。手に長刀を持ち、言うことを聞かない子を入れて山に連れていくための籠を背負っている。
<ボゼ 鹿児島県 十島村 悪石島>
<南国的ルックスの傍若無人な神さま>
・「ボゼ」は、悪石島の盆の最終日に現れる。大きな耳のついた仮面をかぶり、ビロウの葉の腰巻きを巻き、手にはボゼマラと呼ばれる長い棒を持ったエキゾチツクな姿。
<仮面神 鹿児島県 加計呂麻島 芝集落>
<加計呂麻島のハロウィン>
・「バッケバッケ」は加計呂麻島の豊年祭前夜に行われる行事。ここに子どもたちが扮する仮面神が現れる。
<イッサンボー 鹿児島県 徳之島 伊仙町>
<イッサンサン>
<案山子の姿の豊作を呼ぶ神さま>
・「イッサンボー」は、徳之島で行われる行事・イッサンサンに現れる案山子の姿をした豊作祈願の神。
<ウンジャミ>
<海から迎える神>
・ウンジャミ、海神祭りは沖縄本島北部から中部で行われる海神を迎える儀式。
<二年に一度訪れる島神>
<シマノーシ>
・「ギレーミチャン」は渡名喜島で隔年で行われる最大の祭祀・シマノーシに現れる。蔓草で作られた神冠をかぶった豊穣をもたらす島神。
<サティパウロ>
<子どもが扮する「パーントゥ」>
・宮古島の上野野原では、サティパロウ(里祓い)の行事の際「パーントゥ」が現れる。平良島尻パーントゥとは違い、特別な扮装をしたり臭い泥を塗ることはない。
<パーントゥ・プナカ>
<泥だらけの厄払いの神さま>
・「パーントゥ」は、平良島尻のパーントゥ・プナカという祭祀に現れる。パーントゥは化け物や妖怪という意味だが、古くから地下他界から訪れて人々に幸せを運ぶ神さまとして愛されている。杖を持ち、全身をキャーンと呼ばれる蔓草で覆い、その上から真っ黒に泥を塗りつけている。
<豊穣の世界から訪れる歳神>
・石垣島では旧暦九月に年の節目を祝う節祭が行われるが、マユンガナシはその初日に現れる豊穣をもたらす神。真世(マユ)という豊穣の世界から来ると言われている。
<海の彼方から幸せと五穀の実りを運ぶ神さま>
・ミルクは海の彼方にあると言われる理想郷・ニライカナイから豊作豊穣を運んでくる神さま。
<ミルクは弥勒(みろく)>
・「ミルク」は弥勒で、それが訛ってミルクとなった。しかしミルクの面は弥勒菩薩よる布袋に似ている。昔、沖縄に中国の布袋和尚を弥勒菩薩の化生とする弥勒信仰が伝わった際、それにニライカナイ信仰が結びつきミルク信仰になったと言われる。
<地域による様々な姿>
・ミルクの姿は地域によって異なる。
<黄色い衣を着た豊作を司どる神さま>
・「カムーラ」は鳩間島豊年祭二日目の奉納芸能の際に登場する。豊作や子孫繁栄の神さまで、鳩間島だけに現れる。
<小浜島に現れるミルクによく似た神さま>
・「福禄寿」は、小浜島に結願祭(きつがんさい)にミルクと共に現れる。ミルクと似ているが別の神さまで、表情や持ち物が微妙に異なる。
<旧盆にあの世から訪れる精霊>
・石垣島では旧盆(ソーロン)に、あの世から使者が現れて家々で祖先の霊を供養する。ウシュマイとンミーは翁と嫗の夫婦神。
<小浜島結願祭>
<奇妙すぎて姿を消していた謎の仮面神>
・「ダートゥーダー」は、小浜島結願祭(きつがんさい)に現れる仮面神。黒い天狗の面をつけ、黒づくめの装束に金太郎のような前掛けをしている。鴉天狗をモデルにしていると言われ、奉納芸能の舞台に四柱が現れ、組体操のような奇抜な動きをする。神さまの由来も所作の意味も全く不明。
<西表島節祭(しち)>
<異国風の陽気な神さま>
・「オホホ」は西表島の五穀豊穣を祈願する節祭に登場する。お笑い芸人のニセ外国人のような鼻高の仮面をつけ、異国風の衣装を纏いブーツを履く。
<獅子 沖縄県全域>
<獅子舞の獅子も来訪神>
・沖縄の獅子と獅子舞は、15世紀に獅子神信仰と共に中国から伝わった。獅子は百獣の王であることからその力が崇拝され、獅子によって厄災が祓われるとされる。
<正体不明で謎だらけの神さま>
・豊年をもたらす神さまだが、その姿は謎に包まれている。
「アカマタ」は男神で「クロマタ」は女神だと言われ、西表島のみ「シロマタ」が存在する。この行事は秘祭で、行事内容や神さまたちの姿は外部の人間には公開されていない。
<全身を蔓草で覆った雨乞いの神さま>
・「フサマラー」は、波照間島のムシャーマに登場する。ミチサネーと呼ばれる仮装行列に現れ、瓢箪で作られた面で顔を覆い、全身にヘチマの蔓草を巻きつけている。
<監修のことば 中牧弘允>
・ところで、来訪神は民俗学では次のように定義されている。「異界からこの世へ定期的に現れ来たる神」であり、仮面仮装する場合もあれば、神歌の中で来訪を暗示させる形態もあり、祖霊信仰や年神の枠組みで捉えられることが多く、歓待と畏怖を伴って迎えられる。
・また、鬼や獅子、人形のつくりものなど、狭義には来訪神とはみなされない存在も含まれている。しかし、役割としては招福除災のために訪れる神的存在として、一脈通じあっているところがある。本書は民俗学の専門書ではないので、そのあたりは大目に見てほしい。
・近年の来訪神への関心はユネスコの無形文化遺産への登録によるところが大きい。
『宇宙連合の飛来』
喜多要光 大陸書房 昭和50年/1975
<聖書の”御使い”は宇宙人>
・イエス・キリストが誕生した時は宇宙人のブレインがキリストを補佐し援助し、その誕生を演出するためにも、巨大な宇宙船にてキリスト誕生の知らせをしている。「ベツレヘムの星」が、それである。
・「太陽系には、12個の遊星があるがごとく、わが太陽系の周りにも12組の太陽系がある」このように宇宙人は言う。宇宙連合に加入して地球を救助するためにやって来ているのは、わが太陽系の12この星々のみではなく、いろいろの太陽系からやってきているのだ。たとえば、サガファリス太陽系、トレソトン太陽系、第22太陽系、サファニアン太陽系などである。コノサファニアン太陽系の人々を筆頭にして各々の太陽系の人達は多数の円盤と人員を投入しているのである。「サファニアン太陽系から200機、トレソトン太陽系から500機の円盤編隊が来ています。第二の月”フォウサー”の近くには1万4000機もいます」
こうして、宇宙の同胞は、この地球が一日も早く宇宙連合の仲間入りをするように働きかけてくださっているのである。
<地球文明と宇宙人>
<シリウス星人の地球入学>
・地球独特の生物の進化がすすんでいる頃、神の子と呼ばれる霊魂の大群が地球に移住して来て、ある形の肉体に宿った物が人類である。人間が他の哺乳動物と根本的に違うのは、そのためである。類人達の一種が大気圏外からやって来た霊に利用されて、人間の原形となったことは、間違いない。
・人間はシリウス太陽系から集中された念波により、修養のため、苦しむ囚人として地球に送られて来た。人間の精神は神によって創られた聖なるものであるけれども、その肉体の重さという物理的な制約をうける。
・神の子達は、類人猿を妻としたのだ。そして、その子孫が洪水前の人類、すなわち先史原始人である。だからこそ、その肉体的な特徴は類人猿的、精神的な特徴はシリウス太陽系内の遊星から来た移住人達と同様なものとなったのだ。
・そして、シリウス星人は、思念を通じて物を創造する力を持っていたので、肉体を自分たちの思う通りに少しずつ変化させていき、長い年月の間に獣的な面が多くなって数々の怪物を作りだした。
・ギリシア神話に出てくる蛇の髪を持つゴルゴン、半獣(ライオン)半鳥(ワシ)のグリフィン、半人半鳥のケンタウルス、蝶の羽根を持つ人間といってもほとんど獣と異なるところがなくなってしまった。この忌まわしいものを一掃するため、地球上に大変災を送る計画がたてられ、ついに大洪水が彼らに襲いかかり、純粋な肉体を持つものだけが、残されたのであった。
『鹿と日本人』 野生との共生1000年の知恵
<シカが獣害の主役になるまで>
<シカの増え方は“シカ算”>
・これまでナラシカの現在と歴史的な経緯を記してきたが、あらためて振り返ると、ナラシカは宗教的な理由で保護される一方で、常に人との間に揉め事を引き起こしていた。その大きな理由はシカの食害であることは言うまでもない。ナラシカを保護すればするほど数が増え、その一部が農地を荒らす。
・1頭のメスが2年目から毎年子を産むというのは何を意味するか。20年生きる場合、単純計算では18頭の子どもを産むことになる。産んだ子どものうち半分がメスと仮定すると9頭が2年目から子どもを産む。親シカ、祖母シカも生み続ける。シカは、自分の子、孫、曾孫、玄孫………が同世代の子どもを産むのである。1頭の寿命が尽きるまでに子孫は何頭になるか計算していただきたい。いわば複利計算だ。もちろんすべてのシカが2歳から毎年出産するわけではないが、繁殖力は決して小さくない。
実際の観察では、年間増加率は15~20%に達し、4~5年で個体数が倍増する計算になる。いわば「シカ算」が存在する。
<シカは飼育しやすい性格?>
・食性は、植物なら何でも食べる。草も樹木も食べる。草も丈の高いものから地面にへばりついたシバまであまり選ばない。ササであろうと平気だ。餌の確保にそれほど苦労はしないだろう。牧草を育てるという手もあるし、干し草や草のペレットも可能となると、飼育時にはあまり困らないはずだ。もっとも「何でも食べる」食欲が獣害となるわけだが………。
・現在、日本には1ヵ所だけ長崎に1000頭規模でシカを飼育し、鹿茸と肉と皮革を商品化するシカ牧場があるが、例外的な経営の成功例と言えるだろう。
・まず有用と言っても役割として小さかったのかもしれない。農耕に使うならウシのほうが力が強く、人が乗ったり荷物を運ばせたりするならウマ」だ。肉はあまり求めなかったし、シカから取れる肉の量は少ない。皮革も牛皮が一般的で、鹿革の需要は狩りで獲る分で十分需要に対応できた。毛が短いので防寒用には向かないだろう。またニホンジカは外国産のシカに比べると小さめで皮革も小さくなる。
<昔から大変だった獣害>
・獣害の主役は、少し前までイノシシだったのだが、近年はシカに交代したようだ。推定生息数もシカのほうが多くなった(シカの生息数はイノシシの約3倍以上とされる)。
農林業被害額は膨れ上がっており、ピークは2010年の239憶円である。肝心の農林作物を荒らす動物は、イノシシやサル、カラスなどの鳥類もいるものの、もっとも多いのがシカで、ざっと全体の3分の1を占める。
もっとも実態はそんなものではない、という声も強い。そもそも被害額の算定は、それを農協や自治体などに届け出ないと顕在化しない。それにシカは、農家の作物だけでなく家庭菜園や個人宅の庭木や花壇の草木も食べる。それらの多くは泣き寝入りになるだろう。また植えた苗を食べられたり樹皮を剥がれたりする林業被害もすぐに気づけず表に出づらい。本当の被害額は約5倍、1000億円を超すのではないかという声もある。なお天然林の植生に与えるインパクトも被害額として計算しづらいが、結構深刻である。
・広く農村集落に野生動物が出没して被害を出すようになったのは30~40年前からである。
しかし時代をさらにさかのぼり、江戸時代の様子をうかがうと今以上に獣害が苛烈をきわめていた事実が浮かび上がる。
・武井弘一琉球大学准教授の『鉄砲を手放さなかった百姓たち』(朝日選書)によると、江戸時代は武士より農民のほうが多くの鉄砲を持っていたそうだが、その理由は獣害対策であった。多くの古文書から実例を挙げているが、田畑の6割を荒らされたとか、年貢の支払いができなくなったから大幅に減免してもらった記録もあるという。だから、藩や代官に鉄砲の使用を願い出て駆除に当たっていたのである。
・考えてみれば中世から江戸時代でも、ナラシカの食害は大問題だった。奈良近郊の農家はナラシカが田畑を荒らすことに苦しんでいたが、駆除ができなかったからである。追い払っても、その過程でナラシカを傷つけたら人のほうが罰せられた時代もあった。奈良も、古くから獣害被害に苦しんできたのである。
だから明治になって、四条県令がナラシカを駆除対象にした際に喜んだ農民も少なくなかった。
・シカの分布の変遷を調べると、縄文時代には東北でも多くのシカがいたようだ。貝塚からシカの骨が大量に発見されている。ところが江戸時代の後期に入ると、急に減り始める。その背景に、大規模なシカ狩りを実施した記録が各地ある。1722年に男鹿半島で秋田藩上げての狩りを実施して2万7100頭のシカを獲ったとされる。これも獣害対策の一環だろう。その後も狩りは続き、シカは男鹿半島では絶滅したらしい(近年、再び出没している)。同じくイノシシも獣害対策として東北各地で大規模な駆除を実施した記録がある。
さらに資料を探っていると、トキを害鳥として鉄砲で追い払った記録も出てきた。
・原因として考えられるのは、やはり明治以降は幕府の禁制が解かれ、高性能の銃が導入されて駆除が進んだことがある。食肉としてもシカやイノシシが狙われた。江戸時代も肉食はこっそりと行われていたが、明治に入って公に奨励されるほどになっていた。そのほか骨や角なども野生鳥獣は資源として追われるようになったのである。
加えて野生動物そのものが毛皮の供給源として乱獲された。毛皮は欧米への輸出品として大きな割合を占めていたうえ、戦時下では軍用物資だった。大陸へ日本軍が侵攻すると、防寒用軍服などにも毛皮は求められたからだ。1880年代には軍用の毛皮を調達する制度がつくられ毛皮市場も形成された。じつは、猟友会が結成されたのもこの時期である。国の主導で狩猟者の組織化が進められたのだった。
・毛皮の対象となったのは、ツキノワグマにヒグマ、オコジョ、カワウソ、カモシカ、シカ、クマ、キツネ、タヌキ、ウサギ………などである。よい毛皮の取れる動物は、軒並み狙われるようになる。さらにラッコやアザラシなど海の動物も対象になった。
・戦後は、焼け野原になった町の復興のため、そして経済復興のために木材が求められ、伐採が加速した。そこに木材として有用なスギやヒノキを植える拡大造林政策も取られた。
こんな状態では、野生動物も安穏と暮らすどころか生存の危機に陥っただろう。自然が荒れたから獣害も減るという皮肉な関係にある。
<国がシカを保護した時代>
・獣害が出ない時代とは、野生動物が激減した時代でもある。実際、シカの生息数も少ななかった。シカの生息数の長期データが見つからなかったので正確には言えないが、どうも1960-70年代がもっとも少なかったと思われる。
・シカも生息数が減少した時期は保護対象だった。その過程を追ってみよう。
明治以降、北海道では1877年にエゾシカ猟の一部規制、さらに全面禁猟(90年)措置が取られた。当時エゾシカの肉を缶詰にして輸出する産業が発展していたのだが、そのためエゾシカの絶滅が心配されたのである。
・だから戦後の狩猟行政は変遷があるように見えて、じつは一貫してシカを保護してきたと言って過言ではない。保護策を見直したのは、21世紀に入ってからなのだ。
・ただシカは、ネズミのように1年に幾度も、多数の子を出産するわけではない。いきなり増加するのではなく、何年も前から人間が「近頃増えてきたな」と感じる徴候はあったはずだ。そして増える要因もそれ以前から存在していたと思われる。それらに気づいて早く手を打っていたら、事態の深刻化は防げたのではないか、と感じる。
<間違いだらけの獣害対策>
<シカが増えた3つの仮説>
・一般によく言われる要因は3つある。
まず①地球温暖化。次に②狩猟者の減少。そして③ニホンオオカミという天敵の絶滅。
・②「狩猟者の減少」だが、これを論じる前に確認しておかねばならないのは、本当に狩猟者は減ったのかどうかである。
動物の狩猟には、まず資格がいる。そこで狩猟免許(銃猟とワナ猟に分かれる)の所持者数を見ると、1975年には51万8000人もいた。それが90年には29万人となり、2014年には19万4000人と急減している。
・しかも有害駆除数の推移を見ると意外な点が浮かんでくる。1990年と2014年の駆除数を示すと、シカは4万2000頭から58万8000頭、イノシシが7万200頭から52万600頭へと急増している。両年の間に10万人以上も狩猟者が減ったにもかかわらず、駆除数は数倍から10倍以上になっている。狩猟者数と有害駆除数は必ずしも相関しない………というより、逆転しているのだ。
では、なぜ狩猟者が減っているのに、駆除数は増えたのだろうか。
その裏には報奨金の値上げがある。有害駆除を行うと支払われる報奨金額は自治体によって違うが、以前は1頭当たりせいぜい5000円だった。それが地域によって2万~3万円まで上がっている。これまでボランティアに近かった駆除も、頑張りがいが出たのだろう。ハンターの高齢化は進んでいるが、まだまだ猟は行なっているのだ。
<野生動物が増えた最大の理由>
・最初に掲げた3つの要因を考察すると、ことごとく否定的な見解が出るわけだが、じつはあまり指摘されてこなかった、しかし最重要なシカの増加要因がある。シカだけでなく、野生動物全般が増えた理由だ。それは………餌が増えたことだ。
・加えて里山は主に落葉広葉樹林に覆われているが、シカが好んで食べる草木はそれこそ山とある。照葉樹林化している里山も少なくないが、照葉樹の葉も食べられるし、ドングリを実らせる樹種も多くシカに餌を提供する。
全体として山には野生動物の餌が豊富といえるのではないか。
・山に豊富な餌があり、里にも農業廃棄物がたっぷりある。人が少なくなり農地に侵入しても追い払われない。だから野生動物は、奥山と里山を行き来している可能性が高い。これこそシカを含む野生動物増加の最大要因ではないだろうか。
環境省によると2013年のシカの推定数は約305万頭、イノシシが約98万頭(いずれも推定中央値)。イノシシは近年横ばいだが、シカはこのままだと23年には453万頭に増えると推定されている。
<有害駆除には向かない猟友会>
・猟友会はあくまで狩猟愛好者の会であり、有害駆除の主戦力には向いていない。有害駆除のプロ集団をつくるべきだとする声も強いが、利害関係が交錯してなかなか進まないのが実情だ。
<獣害対策は「防護」と「予防」にあり>
・じつは駆除より先に考えるべきは「防護」だ。具体的には被害を被るものに防護柵を張ることになる。これは農作物や樹木を単体でガードするものと、農地や林地を囲むもの、そして集落など地域全体に野生動物が入れないように囲むもの、そして集落など地域全体に野生動物が入れないように囲む防護柵の3つの段階がある。これらしっかり設置しておけば、確実に内側の農作物は守れるはずである。
しかし、いずれも設置の仕方を誤ると効果が出ない。たとえば防護柵の場合は地際をしっかり押さえておかないと、シカやイノシシは簡単に持ち上げてくぐってしまう。
<ジビエ(野生鳥獣肉)が獣害対策にならない理由>
・ジビエの最前線を追うと、シカ肉が人気を呼べば獣害の元であるシカの駆除も進む、というほど単純ではないことが浮かび上がる。ジビエの普及は有害駆除とまったく別の次元であり、連動していないのだ。それどころかジビエを得るための狩猟が獣害対策と相反することも有り得るだろう。
もし、獣害対策としての狩猟とジビエの普及を両立させようと思えば、現在の有害駆除体制を根本から組み直さないと難しい。専門的に駆除を担当する組織と効率的な解体処理施設、そしてジビエの販売先と綿密な連携を組む必要がある。
ともあれ補助金目あての有害駆除と流行に乗るだけのジビエを抱き合わせても、決してうまくいかないだろう。
・2016年の処理数は、約1800頭にのぼった。ニホンジカ専門の処理施設としては日本最大級だという。これほどの数を扱うようになったということは、ジビエブームに乗って急成長か……。
「全然、利益は出ません。一時は廃業を考えたくらいです」
意外や柳川瀬社長の口調は重かった。ようやく話を聞いたジビエ事情からは、この世界の抱える根本的な問題が浮き彫りになる。
まず会社の設立には補助金を使わなかったという。その代わり引き取るシカは選ぶ。質のよい肉を提供することで事業化をめざした。銃猟で仕留めた獲物は、頭か首を撃ち抜いた個体でなければ使えない。銃弾が肉はもちろん内臓に当たったものは商品にならない。とくに胃腸部分に当たると、大腸菌が体内に飛び散るため食用にできなくなる。
・「まずシカは売り物になる肉が少ない。体重で見ると、だいたい肉、内臓、骨と皮で3分の1ずつの割合。その肉もおいしくて売り物になるのは背ロースとモモ肉ぐらい、肉質が良いのはさらに少なくなる。ほかの部位の肉は臭くて人の口には合いません。計測したところ、販売できるのは全体の15%程度でした。だから肉の注文が増えても十分に供給できないのです」
背ロース肉は100グラム当たり卸値700円前後で取引されるが、これ以上値を上げるのは難しいという。
<人と動物が共生するということ>
・そう考えると、街中にシカが闊歩する奈良の町は、「野生動物との共生」の場として優れものだ。課題は山積みだが、苦労しつつ解決を模索している。ナラシカも、結構したたかだ。人を利用するが、人に依存しない。共生とは「みんな仲良く」ではなく、「みんなスキなく」。適度の緊張を保ちつつ棲み分ける生き方だと考えさせられるのである。
(2020/10/9)
『来訪神事典』
平辰彦 新紀元社 2020/8/1
<ユネスコ無形文化遺産となった来訪神>
<来訪神とは>
・世界の様々な国で仮面・仮装の来訪神の出現する祭りがある。来訪神は「おとずれ神」とも呼ばれ、時を定めて人々を訪れ、幸いを与えて災厄を祓う神である。
・来訪神とは「異界からこの世へ定期的に現われる神」と定義されている。
・こうした「異界」から訪れると信じられている来訪神は「異人」とほぼ同意語として用いられている。遠方から訪れるその姿は可視化され、その姿は祭りにおいて仮面・仮装で出現する。
<「異人」と「マレビト」>
・文化人類学者の岡正雄は『異人その他』で「異人」を「自分の属する社会以外の者」で「畏敬と侮蔑との混合した心態をもって、これを表現」したものと述べている。岡は「異人」の特色として次のような項目をあげている。
(1)「異人」は季節を定めて来訪する。
(2)「異人」は畏敬されつつ歓待される。
(3)「異人」はその表徴する音を立てる。
(4)「異人」は訓戒を与える。
(5)「異人」は冬至に関係している。
これらの「異人」の特色は来訪神にも共通して認められる。民俗学者で国文学者の折口信夫は、こうした「異人」を「マレビト」と命名した。「マレビト」は、季節の境目に蓑笠を身につけ、鬼の面などをかぶった「人神的来訪神」を指す。この「マレビト」の信仰は祭りや民俗儀礼などに際し、「常世」から「稀に来る人(稀人)」に神の姿を認め、神は人々を祝福するという観念である。折口は「マレビト」の故郷である「異界」を「常世」と考え、そこは常闇の死者の国と考えていたが、後に「常世」は海の彼方にあると考えるようになり、「マレビト」とは海の彼方より訪れる「人神的来訪神」であると論じている。「マレビト」は、本来、年に1度きりの訪れで集落のすべての人々の前に現れ、1年の行事を果たしてしたが、後世には「マレビト」は集落内の各家を訪れ巡るようになった。
・男鹿に「ナマハゲ」行事にみられるように、定められた時期に仮面・仮装で各家を訪れることと家人への「予祝儀礼」は来訪神行事に共通した重要な要素であると考えられる。
<ユネスコ無形文化遺産登録>
・2018年11月29日、10件の来訪神行事がユネスコ無形文化遺産保護条約の代表一覧表に「来訪神:仮面・仮装の神々」として記載された。
⑧ 吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)
⑩ 悪石島のボゼ(鹿児島県十島村)
<日本列島の来訪神文化圏>
・民俗学者・下野敏見は著作『ヤマト文化と琉球文化』の中で、日本列島の来訪神文化は大和文化圏、琉球文化圏、混合文化圏の3つの文化圏に大別することができると指摘している。
・登録された10件の来訪神行事は、いずれも具体的な姿で出現する来訪神だが、全国的な視点から来訪神行事をみてみると、能登半島の「アエノコト」のように具体的な姿を見せない不可視の来訪神行事もある。
各地で実施されている来訪神行事には、このような様々なタイプがあるが、ユネスコに登録された10件の来訪神行事は、いずれも可視化された「仮面・仮装の異形の姿」をしている行事が対象とされている。
<様々な来訪神>
<幸をもたらし、災厄を祓う異形の神>
・日本の来訪神行事は、北は青森から南は琉球列島まで分布しているが、大和文化圏では、師走の大晦日の晩に来訪神が出現する。秋田県男鹿市の「ナマハゲ」は現在、大晦日の晩に集落内の家々を訪問するが、本来は小正月の民俗行事であった。民俗学者の柳田國男は「ナマハゲ」を「小正月の訪問者」と呼んでいて、「年の折り目・年越しの晩に神が来臨して、祝福を与える行事」として知られている。
<秘密結社と「ナマハゲ系儀礼」>
・民俗学者の岡正雄は、この「ナマハゲ系儀礼」に「母系的・秘密結社」の痕跡を認め、それが「メラネシアやニューギニアの母系的・タロ芋栽培民社会の秘密結社」と類似していると指摘、「神―祖霊―妖怪として村々に出現し、女や子どもを威嚇する」いわゆる「秘密結社」の「民俗化したもの」と見なしている。そしてこの文化の一分流が中国を経て日本に渡来したものと想定している。
<男鹿の「赤神」と漢の武帝伝説>
・男鹿では、古くから「ナマハゲ」は「お山」と呼ばれる本山・真山からやって来ると答える人が多い。この「お山」は、「本山」を「大峰」と称し、「真山」を「新山」とも書きならわしていることから紀州熊野山の本宮・新宮になぞらえていることがわかる。また早くから熊野修験が入り、熊野信仰の影響が認められ、平安時代から「天台密教系修験道場」であったと考えられている。
・この男鹿の「お山」には、漢の武帝が飛来したという伝承があり、こうした伝承が「ナマハゲ」の伝説の中にも深く浸透している。特に赤神神社に伝わる「本山縁起別伝」の鬼の伝説は「ナマハゲ」の起源が中国にあることを示唆しており、そこには、「赤神」の謂れと漢の武帝の伝承の関連性が語られている。
<琉球文化圏の来訪神「ニライ・カナイ」>
<垂直型の来訪神と水平型の来訪神>
・16世紀から17世紀にかけて本州から那覇に来た浄土僧の袋中良定上人(1552~1639)という人物がいる。この袋中が慶長10年(1605)に著した『琉球神道記』に記した琉球神話に、琉球文化圏の来訪神として2つのタイプが紹介されている。
ひとつは、天からやって来る垂直型の来訪神であり、もうひとつは、海の彼方からやって来る水平型の来訪神である。
この『琉球神道記』では、「グライ・カナイ(別称ニライ・カナイ)」という神が天から、「オボツ・カグラ」という神が海からやって来ると記されているが、『琉球神道記』より後に著された『琉球国由来記』(1713)や『混効験集』(1711)では、「ニライ・カナイ(別称 ギライ・カナイ)」ははるか遠い海の彼方から、「オボツ・カグラ」は「天上」からやって来ると記されており、袋中が著した『琉球神道記』ぼ叙述は両者を取り違えていると考えられる。
つまり、天からやって来る垂直型の来訪神が「オボツ・カグラ」であり、海からやって来る水平型の来訪神が「ニライ・カナイ(別称 ギライ・カナイ)」である。
<島尻の「パーントゥ・プナカ」>
・島尻は、宮古島の北部、池間島に向かって細長く突き出た半島の一画にある。この集落では、この行事を「パーントゥ・プナカ」と呼ぶ。「プナカ」とは「祈願祭」のこと。「パーントゥ・プナカ」とは、海の彼方あるいは海の底から来訪する神「パーントゥ」の出現を願う祭りという意味である。
<野原の「サティパロウ」>
・野原では、この行事を「サティ(里)パロウ(祓い)」という。旧暦12月最後の丑の日に実施され、旧正月前に人々を祓い清め、福を迎え入れる行事である。
・この「パーントゥ」の行事には、琉球王国の誕生以前から続いている「ニライ・カナイ」という信仰が認められる。宮古島では「ニライ」は「ニッジャ」と呼ばれていて、死者の魂は、そこに帰って祖霊神になると信じられている。そしてその祖霊神が年に1度、海の彼方または海の底から「マレビト」として集落の家族のもとへ異形の神の姿「パーントゥ」として現われると信じられている。
一方、八重山の人々は、「ニライ・カナイ」を「地の底」とみている。八重山では、地下の深いところを「ニーラ底」といい、井戸を掘った時、深い底にいる虫を「ニーラ・コンチェンマ」という。このように八重山の人々は「ニライ・カナイ」を海の彼方ではなく、「地の底」と考えているのである。
・琉球文化圏の来訪神信仰には、この「ニライ・カナイ」と呼ばれる異界観が認められる。「ニライ・カナイ」とは、人間の魂が死後赴く世界であると同時に再びこの世に戻ってくる、いわば、魂の原初となる所であると考えられている。
琉球文化圏の地域では、宮古島の「パーントゥ」をはじめ、八重山列島に伝わる「アカマタ・クロマタ」、「ダートゥーダー」、「ミルク」、「アンガマ」、石垣島の「マユンガナシ」、西表島の「オホホ」など様々な来訪神がよく知られている。
<来訪神用語辞典>
- 異界(イカイ)
・「異界」は日常社会から離れた所に存在する非日常の世界と考えられている。ヨーロッパでは、森、洞窟、泉などが異界と考えられ、そこには不幸をもたらす悪魔、魔女、妖怪などが棲息しているといわれる。一方、人間を幸せにしてくれる神や精霊、祖先霊などもそこにいると信じられている。
来訪神は、こうした「異界」から威嚇と慈愛の二面性を持って季節の変わり目にやってくる。人々は迎えた来訪神を「祭り」の「ハレの日」に歓待、交流し、再び「異界」へ送るのである。
日本では、山中、海上、海底、地下世界などが「異界」と考えられており、そこには、神や仏、祖霊、精霊などの善霊の他に鬼や幽霊、怨霊などの悪霊も棲んでいると信じられていた。
- 異人(イジン)
・文化人類学者の岡正雄は、論文「異人その他」の「異人論」の中で、秘密結社において人が扮した来訪神を「異人」と呼んでいる。
秘密結社においてその男性構成員が定められた季節の変わり目に恐ろしい仮面をかぶり、異様な服装で、音を出してその出現を奉じ、家々を巡り歩く。子どもたちには訓戒を与え、言うことをきかぬ子には威圧を与える。迎えた家の主人は、訪れた異人、仮面・仮装の神に酒を振るまい歓待する。
- 鬼(オニ)
・人々に危害を加える邪悪な霊や死者のイメージを基本としながら、祝福をもたらす性格も合わせもった存在を鬼という。
中国の鬼は死者の魂や亡霊を意味し、現在でも、中国や台湾では「鬼」といえば、基本的に死者の幽魂を指す。
日本語の鬼の語源については「隠」が変化したという説がある。折口信夫は古代の和語においては神と鬼は同義であったという説を提唱し、時代の変化の中で恐怖のイメージや邪悪な性格のみが鬼に集約されるようになったと考えた。
・折口が指摘した神と一体化した鬼は男鹿の来訪神「ナマハゲ」に代表される鬼で、折口は「ナマハゲ」を「春来る鬼」と呼び、時を定め海の彼方から来訪する「マレビト」であると考えた。これは日本の鬼の原型であるといえる。
- 神(カミ)
・人間の認識を超えて、幸いと共に厄災をももたらす存在で、善神・悪神を含む。神は元来、不可視で、雷など自然現象として示現し、木や石、鏡、剣御幣などを依代に宿り、人に憑依し、託宣する。神は基本的に「アニミズム」と呼ばれる霊的存在への信仰に根差している。その内容は多様だが、家の先祖も神とされ、社会構造と密着した「祖霊」でもある。
柳田國男は「祖霊」が山に鎮まって、「山の神」となり、春には農耕を守り、里に降りて「田の神」となり、秋の収穫後、山に帰るという循環性を強調した。
- 眼光鬼(がんこうき)
・「赤神山大権現縁起」によれば、5鬼について次のように記されている。『すなわち「眉間(みけん)」と「逆頬(さかつら)」は夫婦で、「眼光鬼(がんこうき)」、「首人鬼(しゅじんき)」、「押領鬼(おうりょうき)」は子どもの3兄弟である』
この「眼光鬼」は、「ナマハゲ」の起源と伝えられている3匹の鬼のうちの1匹であり、これらの5鬼は武帝の使者として5色の蝙蝠に姿を変え武帝と共に天より男鹿に飛翔したと伝えられている。赤鬼と共に五社堂に祀られている。
- 常世(トコヨ)
・古代日本人の他界観をあらわす代表的な語。「常世」という語は『古事記』や『日本書紀』にみられる。これらの文献から民俗学者の柳田國男や折口信夫は「常世」を他界観や異郷意識の問題として掘り起こした。
折口信夫は「常世」と「常夜」は上代の特殊仮名遣いの違いから別語と考えられているが、折口はこの「常世」から「マレビト」と呼ばれる来訪神が訪れると考えた。そして「常世」を日本人の他界観や異郷意識の根本に関わる問題として捉えた。折口がこのように「常世」を来訪神の故郷と考えるようになった背景には、沖縄の「ニライ・カナイ」の信仰があったといわれている。
- 秘密結社(ヒミツケッシャ)
・共通の目的のために組織される継続的な団体で、その団体の存在が構成員により秘匿されている団体。文化人類学者の岡正雄は『異人その他』に収録されている「日本民俗文化の形成」の中で「異人」の文化を「母系的・秘密結社的・芋栽培―狩猟文化」と規定する。この「異人」の文化は「ナマハゲ」に代表される日本の来訪神の文化にも認められる。
岡正雄はメラネシア及びポリネシア社会における「秘密結社」の役割に強い関心を示し、それがメラネシア又はポリネシアの社会生活の根幹をなすものと指摘している。この「秘密結社」では、未成年や女性の参加は認められていない。
- 魔多羅神(マタラジン・マタラシン)
・慈覚大師円仁が中国大陸より、請来したと伝承されている。読み方は「マタラジン」または「マタラシン」。
「魔多羅神」は天台系寺院の念仏の道場である常行堂の「後戸」に祀られている神。
- マレビト
・民俗学者で国文学者の折口信夫によって1929年に提唱された概念で、海の彼方の異界から時を定めて来訪する神のこと。「まろうど」とも呼ばれる。
- 山の神(ヤマノカミ)
・山に宿ると信じられている神霊の総称。「山神」ともいう。
神道では、大山祇神(おおやまつみのかみ)とその娘の木花開耶姫(このはなさくやひめ)が「山の神」にあたる。大木や樹木を依代として祀る。
柳田國男は農民の信仰する「山の神」は春になると、山から里にくだって「田の神」となり、秋の収穫が済むと山に帰って「山の神」となると考え、「山の神」が「祖先神」や「田の神」と同一の神であるとした。
- アスムイウウタキ(安須森御嶽)
・国頭村辺戸の標高248メートルの岩山で、ヘドウタキ(辺戸御嶽)とも呼ばれる琉球「開闢七御嶽」のひとつで、最初に作られた聖地。
「ニライ・カナイ」から渡来した来訪神「アマミキヨ」が天下りして最初に作ったウタキ(御嶽)といわれている。「アマミキヨ」は琉球王国の創始神だが、神話において王と水の関係は重要である。
- アマミキヨ、シネリキヨ
・琉球神話に登場する琉球王国の開闢の女神と男神。琉球最古の歌謡集『おもろさうし』には、「アマミキヨ」と「シネリキヨ」の2神が太陽神に命じられ、島々と人間を創造したという神話が謳われている。この2神は島々を創造した際、琉球王国にウタキ(御嶽)も造ったとされる。
- アマンチュ(天人)
・竹富島の「タナドゥイ(種子取祭)」の「キョンギン(狂言)」に登場する老翁の姿をした来訪神。琉球王朝の神話に登場し、沖縄本島および周辺の島々を造ったとされる国造りの来訪神。
- ウシュマイ(翁)
・八重山諸島では、旧暦お盆に実施されている来訪神行事「アンガマ」に登場する木彫りの面をかぶった来訪神。八重山諸島の島々では、旧暦のお盆に、あの世から「祖先」である「アンガマ」がやって来ると信じられている。
- ウタキ(御嶽)
・琉球王国が制定した琉球の信仰における集落の守護神を祀る聖域の総称のこと。
- キンマモン(君真物)
・琉球神道に伝わる女神。別称「キンマンモン」ともいう。漢字で「君真物」と表記される。これは「最高の精霊」という意味、海の彼方の「ニライ・カナイ」から来訪し、最高神女の「キコエオオキミ(聞得大神)」に憑依する人の目には見えない来訪神。海底の宮に住むといわれている。
- グショー(グソー、後生)
・死後の世界のこと。仏教用語の「後生」と同じ。琉球では、死後、七代して死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰されている。
- ジョウギモチカンサー
・加計呂麻島の瀬戸内町木慈の集落の背後のオボツ山から下ってくる来訪神の大工神のこと。この神は建築用の木の定規をもって、敏速に動き、集落をまわり、やがてオボツ山に帰っていくと伝えられている。
- チカタカイ(地下他界)
・人間の暮らす世界とは別の世界を他界と呼ぶが、その他界を地下に想定したものを地下世界という。「ニルヤ」ともいわれる。沖縄では、仮面・仮装の来訪神は海の彼方の海上にある「ニライ・カナイ」から来ると信じられているが、来訪神は地下の他界から出現すると信じている地域もある。
また地下の他界から訪れる来訪神は、海の彼方から訪れる来訪神よりも古い姿であると提唱する研究者もいる。
- ホンジャー(大長者)
・竹富島の「タナドゥイ(種子取祭)」の8日目に仲筋村の奉納芸能として上演される演目、踊りキョンギン(狂言)「仲筋ホンジャー」に登場する翁姿の神。「ホンジャー(大長者)」は芸能の統括者、責任者であり、芸能の神様として君臨する神。その姿は白髪の翁で、鉢巻きをしており薄に粟の穂をつけた棒を持つ。
- マブイ
・霊魂のこと。「マブイ」には「イチマブイ」と「シニマブイ」の2種類があると信じられている。「イチマブイ」は生きている人間の霊魂であり、「シニマブイ」は死後まもない死者の霊魂のことである。
- ミルクガミ(弥勒神)
・「ミルク」は弥勒の神のこと。
・八重山諸島では、各島に様々な来訪神の「ミルク神」が出現する。
- リュウグウシン(竜宮神)
・竜宮神、竜宮の神、竜神、竜王のこと。南西諸島の海神信仰は種類が多い。
<世界の仮面・仮装の来訪神>
- スイスのジェラ州ル・ノワールモンでは、懺悔の3が日の直前の満月を知らせるために「オム・ソヴァージュ」と呼ばれる来訪神「ワイルドマン」が現われる。「野蛮人」という名前の通り、全身毛むくじゃらで、手には棍棒を持っている。
・特に「オム・ソヴァージュ」はお気に入りの少女の1人を捕まえて、顔を靴墨で黒く塗り、泉に連れて行って、水の中に投げ込む。「オム・ソヴァージュ」は海の彼方から訪れる神だと考えられている。
・この「オム・ソヴァージュ」は沖縄県宮古市の島尻で毎年、旧暦9月上旬の2日間現れる来訪神「パーントゥ」に類似している。
- カリカンツァロイ
19世紀ギリシアの来訪神。毎年、「十二夜」にギリシアでは、「カリカンツァロイ」と呼ばれる「恐ろしい化けモノ」が徘徊すると信じられていた。これは巨人で、身体も顔も真っ黒で、毛むくじゃら、腕と手は猿の腕と手で、目は赤く光っており、耳は山羊の耳をしている。「十二夜」以外は地下の世界に棲んでいると考えられている。
- キェカタス
バルト海沿岸のラトビア共和国の仮面・仮装の来訪神行事。この行事は冬祭りの12月24日夕方から行われる。この日はラトビア人にとってはクリスマスではなく冬至の日にあたる。この行事では、熊、山羊、牛、魔女、小男などが登場する。
・仮面・仮装した来訪神の「キェカタス」は熊を先頭に暗闇迫る雪道を歩いて家々をまわる。
ケルト神話の狩猟の神、冥府神。「ケルヌンノス」は頭に2本の角を持っている。この角は牡鹿の角といわれている。この神はガリア(イタリア半島北部、フランス、ベルギー、スイス、オランダ、ドイツの一部地域)の人々に崇拝されている。
ヒンドゥー教の神。「シヴァ」は「吉祥者」の意味。この神の神話では、慈悲深い面と恐ろしい面の二面性を有する。この二面性はギリシアのディオニュソスに通じる。アレクサンドロス大王の時代の文献には、「シヴァ」は「インドのディオニュソス」と呼ばれている。
また日本の七福神の中の大国天は、「シヴァ」から発展した神格であると考えられている。
- シャープ
オーストリアの農村地帯のミッテンドルフの村では、12月5日の夜、「ニコロシュピーレン」という仮面・仮装の行事が開催される。そこには、麦藁で全身を包み、ムチを打ち鳴らす「シャープ」という精霊が登場する。村の人々は麦藁には穀物霊が宿ると信じている。
- シャドウ
影のようなもの。幽霊。人間の影のような真っ黒な姿をしたものを「シャドーピープル」または「シャドーマン」という。アメリカなど世界各地で目撃されたという報告が伝えられている。
- シャナルト
中国四川省平武などの海抜2000~3000メートルの峡谷地帯に居住し、白馬語を話す民族、白馬チベット族(ベマチベット人)は、万物に霊を認める原始宗教を信仰している。これらの神々の最高位の山神で別名「白馬爺さん」と呼ばれている神のこと。
・この期間には、「十二相」と呼ばれる魔除けの仮面をかぶった仮面踊りが奉納される。各村はそれぞれ固有の山神を信仰しており、シャナルトはそれらの総合神である。
多くはチベット仏教を信仰せず、チベット族とは異なる宗教観を持つ。
- シュトローマン(藁男)
ドイツのライブフェルディンゲンでは、カーニバルに「シュトローマン」と呼ばれる藁男が登場する。
・この藁男は日本の佐賀県佐賀市蓮池町の見島地区で毎年2月第2土曜日の晩に行われる「カセドリ」の扮装に類似している。「藁男」は「カセドリ」と同様に悪霊を退散させる目的で行われる。
- シルバチカリ、シルバチカリチ(年神)
ブルガリア、ベルニク州の地方では、かつて聖バシリウスの日だった1月13日に「シルバチカリ」という来訪神が現れる。
・またブルガリアのバニシテの「シルバチカリ」は、ラフイアの繊維で作った衣装をまとい、角をつけた仮面か、革や鳥の羽根で飾った丈の高い仮面をつける。仮面の形は村によって様々である。
レスコヴェツの「シルバチカリ」は毛皮をまとって2本の角をつけている。この地区では、「シルバチカリ」の角を特に重要視している。突き出した顎には数本の牙もつけられている。
ディオニュソスは古代ギリシアの葡萄酒の神であり、演劇の神。この神は冬に外からギリシアの村々を訪問すると信じられている神で、その祭礼は、どれも外からやってくる来訪神のディオニュソスを迎えるための祭りである。
・西洋古典学者の吉田敦彦は、古代ギリシア神話に登場するディオニュソスと日本神話に登場する須佐之男命とは大変共通するところがあると指摘。共に「来訪神としての性格を持っている」としている。
- デーモン
ギリシア神話では、半神半人。ギリシア語の「ダイモーン」を語源とする。キリスト教では、「デーモン」は邪悪な悪魔を意味するが、古代ギリシアの「ダイモーン」は「精霊」や「鬼神」を意味する超自然な存在である。
- テルフス・ヴィルダー
オーストリア西部に位置するチロル州のテルフスでは5年に1度、1月あるいは2月の日曜日に「シュライヒャーラウフェン」と呼ばれるテルフスのカーニバルで仮面行列が開催される。
その仮面行列には、「ヴィルダー」と呼ばれる来訪神が登場する。
・ヨーロッパの伝説では、異類婚で生まれた者を祖先としていることが多い。「ヴィルダー」は動物の毛皮などを身にまとい、仮面をつけて登場する。
- ドゥク・ドゥク
ニュー・ブリティン島やニュー・アイルランド島の死者の霊。時を定めて海の彼方から来訪神として訪れる。
・文化人類学者の岡正雄は、ニュー・ブリテン島の「ドゥク・ドゥク」のような来訪神と、秋田県男鹿市の「ナマハゲ」や八重山諸島の「アカマタ・クロマタ」のような日本の来訪神との間に親縁性があると考えた。そして岡は集落の人々の祖先(祖霊)崇拝から「ドゥク・ドゥク」が死者の国から訪れるという宗教観念が生まれたと考えた。来訪神の文化の基盤をなす観念も、こうした海の彼方から時を定めて「祖霊」が死者の国から訪れるという宗教観念によって生まれたと考えられている。
各国の神話の中で自然界の秩序を破り、物語を展開するもので、善と悪、破壊と生産など、異なる両面性を持っているものを「トリックスター」という。
・日本の神話では、須佐之男命、猿田彦がトリックスターの原型と考えられている。ナマハゲに代表される人神的来訪神の「マレビト」にも、トリックスターのもつ両面性が認められる。
- ナハトイエーガー
ゲルマン民族の「百鬼夜行」。夜に暴れまわるため「夜の狩人」と呼ばれている。
- ハーベルガイズ
一説には、ヤギをデフォルメした妖怪的な怪物ともいわれているが、白い髯の雄山羊の仮面をかぶり、白布で全身を包んでいる動物霊である。
- パヒテル
オーストリアの農村地帯のミッテンドルフの村では、12月5日の夜、「ニコロシュピーレン」という仮面・仮装の行事が開催される。
- バリーマン
8月の第2金曜日にスコットランドのサウス・クィーンズフェリーのフェリー・フェアには、「バリーマン」と呼ばれる来訪神、草木の精霊が現われる。
- ハロウィン
10月31日に行われる「ハロウィン」は古代ケルト人が起源と考えられる祭り。
- ピィー信仰
主にタイ族が信仰する精霊信仰。「ピィー」とはタイ語で「精霊」などの霊を意味する語。
- ファストナハト
ドイツ、スイス、オーストリアなどの山岳地帯では、カーニバルは「ファストナハト(謝肉祭)」と呼ばれている。
- フィブ
中国貴州省イ族の正月儀礼「撮泰吉(ツォタイジー)」に登場する来訪神。猿が歩くような異様な歩き方をする。
- ブショーヤーラーシュ
ハンガリー南部、ドウナウ川の流れる街モハーチで、クロアチア人の一派とされる民族集団のショカツ人によって行われる、毎年恒例の祭事。
この祭りには、「ブショー」と呼ばれるハンガリーの「ナマハゲ」ともいえる来訪神が登場する。
- ペール・ノエル
フランスの北部や東部では、「ペール・ノエル」というナマハゲのような存在が信じられている。
・やがてこの「ペール・ノエル」が聖ニコラウスとなり、現在のようなサンタ・クロースが子どもにプレゼントを配るという形態になったのである。
- ヘクセファストナハト
謝肉祭の仮面・仮装の行列で中心的な存在は「ヘクセ」と呼ばれる魔女である。
- ベルツメール
ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州バート・ヘレンアルプのクリスマスには、藁男の伝統を受け継いだ「ベルツメール」と呼ばれる「ドイツのナマハゲ」が現れる。
- マオグース(毛古斯)
中国の湖南省西部の少数民族のトゥチャ族では、来訪神を「マオグース」と呼ぶ。これはトゥチャ族の語で「毛むくじゃらの祖先」という意味で、その装いには茅または稲藁が使用される。
- マホモ
中国貴州省のイ族の正月儀礼「掃火星」という民俗行事の中で演じられる「撮泰吉(ツォタイジー)」に登場する黒い髭の面をつけた1200歳の人物。中国の来訪神。
- マンガオ
ミャオ族の人々は来訪神を「マンガオ」と呼ぶ。「マンガオ」はミャオ語で「古い祖先」を意味する。
- メラネシアの仮面・仮装の来訪神
メラネシアの諸島では、バンクス諸島のタマエ、ニュー・ブリテン島のドゥク・ドゥクなどに来訪神儀礼を中心とした秘密結社がある。
- ヨンドンハルマン
慶尚道地方を中心とした韓国南部の農村や済州島で2月1日に風雨の神を迎える祭りの名称であり、その祭りで出現する風雨の神である来訪神の名称。
- ルガアプ
中国貴州省イ族の正月儀礼「撮泰吉(ツォタイジー)」と呼ばれる芸能に登場する、面をかぶらない山林の老人。「ルガアプ」はイ族の祖先に文明を伝えたとされる猿人の最高神。イ族の語で「ルガアプ」は「森林上方の祖先」という意味。
- ロイチェクタ
レッチェンタール渓谷のファストナハトには、山羊の毛皮を身にまとい、恐ろしい仮面をつけた「ロイチェクタ」が登場する。
- ロノ神
「ロノ」はハワイの農業、豊穣を司る神で、農業に関連する気候や天気も司る神である。
- ワイルドマン
英語では、「ワイルドマン」、ドイツ語では「ヴィルダーマン」、フランス語では、「オム・ソヴァージュ」と呼ばれる来訪神は冬至、春分、夏至、12夜などの特定の日に開催される仮面の祭りに登場する。特に冬は人々が最も仮面の力を必要とする季節である。この時期に仮面・仮装の来訪神が世界各国の祭りに登場する。
「ワイルドマン」は伝説では、1匹の熊と1人の人間の女性が結ばれ、その間に生まれた息子だといわれており、「超人」的な存在である。ヨーロッパの伝説では、異類婚で生まれた者を先祖としていることが多い。
「ワイルドマン」は動物の皮などを身にまとい、仮面をつけて登場する。仮面の代わりに顔を黒く塗ったり、藁帽子をかぶったりする場合もある。仮面には、「老人」、「悪魔」、「老婆」、「魔女」など人間を思わせる造型がされた仮面の他、動物の仮面が用いられる。
『来訪神 仮面・仮装の神々』
保坂達雄・福原敏雄・石垣悟 岩田書院 2018/12/1
<無形文化遺産の来訪神行事>
・また、日本における来訪神研究は、1980年代頃までは盛んであったものの、以降、フィールドワークを基にする民俗学・文化人類学の事例研究においては、情報化の進展もあり、行事の新発見はほぼなくなった。
・そして、2018年11月末、ユネスコ無形文化遺産保護条約の「代表一覧表」に「来訪神 仮装・仮面の神々」一件として記載された。本稿ではこれを登録と表記し、広範な来訪神行事のなかでも、10件とそれにかかわる行事に限定して述べる。
・10件は、①甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)、②
男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)、③能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)、④宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)、⑤遊佐(ゆざ)の小正月行事(山形県遊佐町)、⑥米川の水かぶり(宮城県登米市)、⑦見島のカセドリ(佐賀県佐賀市)、⑧吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)、⑨悪石島のボゼ(鹿児島県十島村)、⑩薩摩硫黄島のメンドン(鹿児島県三島村)からなる。
・以上のように、10件は異形の姿で村に現れるヴィジュアル面が強調され、ユネスコ関係者や諸外国に対するアピールになって登録に至った。と同時に現実問題として、来訪神にかかわる民俗信仰自体の決定的な衰退があり、そのための仮面・仮装という外見重視となったともいえよう。
来訪神にかかわる「民俗信仰」は、高齢者に伝承される古層の神概念や南西諸島における秘儀的民俗行事などを措き、もはや終焉に近い。それらが提案・登録されたのは、伝承の危機に瀕する無形文化遺産を保護するという同遺産の理念に叶ったものといえよう。
<無形文化遺産提案の指標>
・10件は国の主導のもと、代表的・典型的な事例として政府提案され、それが国際機関に認められたのである。従来の民俗関係の登録においてもそうだったが、その影響力は好むと好まざるとにかかわらずかなり大きく、今後「来訪神」の用語やイメージは10件をモデルとして定着するであろう。
・下野敏見は全国的視点より来訪神行事の仮面・仮装に関して、①恐ろしい姿、②奇怪な・不思議な姿、③平常(普段着、晴着)の3種類に分類する。そして、「②は、本来、①であったものが人間に親しみを持って次第に②に変ったと見ることができよう、③は同様な論理で②の変貌と解釈できよう。つまり、装束からみるならば、おとずれ神は、本来、恐ろしい神である」とする。
すなわち、③は最も新しく派生的に成立したという説であり、後世、社会が世俗的になり、本来の仮面・仮装が面倒になって直(素)面・普段着になった、という解釈である。
<可視/不可視・来訪/常在の神観念>
・その一方、例えば神社神道においては、土地(氏子地)とそこに居住する氏子たちを守る鎮守神・産土神としての常在神の観念がある。不可視の祭神は日常的には和鏡などに依りついて神体として本殿奥に祀られ、祭りの神輿渡御に際して氏子地を巡幸し、御旅所を往復するという神観念である。このような常在観念は神仏習合期に仏教の影響のもと成立し、10世紀以降、平安京において御旅所祭礼が形成され、各地で定着したものと考えられる。
<折口マレビト論――村への来訪から家々への巡訪へ>
・マレビトの故郷である他界、異界は「常世」とされ、もともと常闇の死者の国であったが、後に世をもたらす理想郷に転じた。また、常世は海上にあり、マレビトは海の彼方より箕笠姿で訪れたが、後世、常世を天空や山中に求め、マレビトも山から現れる形になったなどとも説明される。いずれにしても、常世の神こそがマレビトであり、外来神であるとともに、祖霊神であるとも論じられる。
<ホカヒビト――折口の理念モデル/堀の歴史史料>
・折口はマレビト神のみならず、現実に年の折り目などに村を訪れては家々を門付けする漂泊の芸能民や宗教者、さらに乞食をも、マレビトの範疇に捉えてホカヒビトとし、これらは「来訪神としてのマレビト」が後世、変化した姿としている。一見すると、その変化とは神から人へ、芸能者や下級宗教者から乞食や被差別民などへの直線的な「零落の系譜」を示すようにみえる。
<来訪神研究の嚆矢――柳田対折口、再び>
・長谷川は「この論文は、徹底したまれびと論であり、日本の神を祖霊とみる柳田と対立するものであったから、柳田国男も譲れなかったのであろうか」と推測するが、折口は一面ではマレビトを祖霊とも解しているのである。
<「来訪神」という用語>
・近年は一般社会でも人文系学界においても、総称として「来訪神」の使用率が高いものの、未だ日本語として定着しているわけではない。
<来訪神訪問の音と声>
・来訪神役が家々を訪問する際に、トビトビ・トミトミ・トヨトヨ・トロトロなど、来意を告げるとされる畳語の唱え言が発せられる事例がある。行事名や来訪神役名はそれより転用されたものであろう。
<ナマハゲ系の勧農行事――広域分布試論>
・日本の来訪神の代名詞といえば、男鹿の大晦日のナマハゲが思い浮かび、子どもが新年、怠けないように恐ろしさを印象づけて訓戒する行事となっている。同様の行事が東北や北陸の寒冷地方の冬季を中心として広範囲に伝承されるが、これらナマハゲ系行事はなぜ、広範囲に広まったのであろうか。
・いずれにせよ、意味は「なもみ(火斑)を剥ぐ」であり、来訪神役が作り物や本物の刃物で模擬的に剥ごうとする行為「なもみ剥ぎ」が来訪神役名・行事名として各地において転訛されていった。「剥ぐ」もハギのみならず、ハゲ・ヘギ(「へがす」から)などの方言があり、青森県下北半島のナガメ、ヘズリ、岩手県上閉伊郡のナゴミ・タクリ、岩手県の遠野市のヒカタ(火形)・タクリなどがある。
<「来訪神」はどこからやって来るのか>
・「来訪神」はどこからやって来るのだろうか。行事の起源や歴史に関する文献資料が少ないいっぽうで、「来訪神」の出所に関する言い伝えは比較的多くみられる。それらには、行事内容から読み取れるものと、行事の起源に関する伝承の大きく2種がある。ともに「来訪神」の本質の一端を知るうえで重要な手掛かりであろう。
男鹿のナマハゲは、この種の言い伝えに関しても多くのバリエーションを伝えている。現行の男鹿のナマハゲで、主人と問答するナマハゲの言葉に耳を傾ければ、その出所は2種あることがわかる。お山、すなわち真山・本山とする場合と、八郎潟・太平山とする場合である。地理的には、前者は半島部の集落、後者は半島付根部の集落で語られることが多いという。真山・本山(いずれも男鹿市内)と太平山(秋田市内)は、いずれも秋田県内ではよく知られた修験の霊山である。また、八郎潟は、半島からみて太平山の手前に位置しており、太平山から八郎潟のスガ(水)を渡ってやって来るという、いわば通過ポイントとして語られることが少なくない。つまり、現行の行事内容からみれば、ナマハゲは近隣に実在する(霊)山からやって来るとみなされていることになる。
いっぽうではナマハゲには行事の起源譚も複数みられる。その主なものをまとめた稲雄次によれば、①真山・本山の修験者が里に降りてきた修験者説、②異邦人(ロシア人、あるいはスペイン人、中国人とも)の船が難破して半島西海岸に流れ着いた異邦人説、③漢の武帝が5匹の鬼を従えて海の彼方から飛来した武帝説、④「お山」の神、すなわち真山・本山の神が降りてきた山の神説、⑤村人が退治したアマノジャクの恨みを鎮めるために始めたアマノジャク説、⑥真山・本山に隠れ住んでしばしば里に降りてきた罪人に対抗して始めた罪人説、の6つがあるという。
これらの伝承がいつ誰によって語られ始めたのか、あるいは半島のどの集落で語られてきたものかなどについては残念ながらはっきりしない。
・ナマハゲ以外の「来訪神」行事をみても、海説と山説の双方がみられる。宮古島のパーントゥは、海の彼方からやって来ると言い伝えられており、特に島尻のそれでは青年たちがパーントゥに扮する場の古井戸が海の彼方の理想郷・ニライカナイに通じるとされる。先に触れたマユンガナシも海の彼方を出所としていたように、南島の行事では海説を明確にとる事例が多い。八重山諸島などの豊年祭で集落を訪れるミルクもまた、東方の海から五穀の種を携えてやって来る福の神とされている。
また、福井県福井市蒲生で正月の晩に行われるアッポッシャで登場するアマメンも、海の彼方からやって来た蒙古人(あるいは高麗人)を起源とすると伝える。彼らが子供をさらっていったのが行事の始まりというのである。アマメンは青年が扮し、サッコリ(裂織)と呼ぶ木綿の端切れを仕立てた服を着て、海藻のホンダワラを髪の毛にした巨大な赤鬼のような面をつける。家々を訪れたアマメンは、子供を激しく戒め、最後は家人の差し出した餅をもらって去っていく。
・いっぽう、吉浜のスネカで五葉山と並んで語られる出所、天狗岩(天狗山)に関していえば、修験の影だけでなくトシドン石との類似も注意される。トシドン石は、飯島のトシドンのうちの瀬々野浦のそれで語られるトシドンの出所である。飯島のトシドンでは、例えば青瀬では普段は子供たちを見守り、大晦日に天から降りてくるとされ、瀬々野浦では普段はトシドン石におり、大晦日にそこから首切り馬に乗ってやって来るとされる。トシドン石は、瀬々野浦から片野浦へ向かう山中に現存する巨岩である。容易に近づけないが、かつて岩の傍らには佐兵衛が松という大きな松と、一軒の家があったといわれる。毎年暮れ、その家を大男(トシドンか)が訪れていたが、あるとき男を殺してしまったためその家は絶えた、という異人殺し伝説も付随する。山中の巨岩は、磐座の一種というだけでなく、修験の霊山と同様に実在する近隣の聖地として注意しておきたい。
・そう考えると、薩摩硫黄島のメンドンも島内の矢筈岳からやって来るといわれていること、遊佐のアマハゲのうちの島崎で用いられる仮面に近隣の実在地名があてられることなども、この文脈で解すことができる。つまり、修験の霊山や山中の巨岩など、実在するそれほど遠くない場所が、「来訪神」の逗留する神聖な場としての性格を帯びることも意外に多いことがわかる。このことは、海や天といった遥か彼方とはまた違った異界/他界観念を視野に入れてみる必要性を物語っている。
・こうした「来訪神」の出所を総合してみると、やはり海と山という二つが主にあてられており、特に山については実在性が重要な要素としてあることがわかる。そこで改めて注目してみたいのは、男鹿のナマハゲの起源譚のうちの③武帝説である。この伝承は、武帝と五匹の鬼が海の彼方から男鹿半島の本山に飛来し、その後、毎年正月に武帝から暇をもらった鬼たちが本山から里に降りて荒らしまわった。それがナマハゲの始まりとする説である。そして、このとき鬼と里人の間で石段積みをめぐる勝負があり、一番鶏の鳴き真似をするという里人の機転で鬼は敗れて五社堂に祀られたとされる。また、一番鶏の鳴き真似をしたのはアマノジャクとする異説もあり、⑤アマノジャク説との関連も示唆する。
武帝が飛来したとされる本山は、真山と並ぶ修験の霊山で、男鹿半島西端に実在する。赤神権現を信仰する修験道場として栄え、麓には真言宗の日積寺水禅院があった。現在も麓には武帝を赤神大明神として祀ったとされる赤神神社、中腹には五匹の鬼を祀ったともいわれる五社堂がある。
<「来訪神」はいつ来るのか>
・「来訪神」の出所と併せて考えなければならないのが、来訪する時期である。「来訪神」行事の行われる時期で最も多いのは、いうまでもなく小正月である。しかもほとんどは晩に行われる。今回提案の10件でも6件までは、小正月前後、つまり新たな年/季節を迎える際の晩に実施されている。
<「来訪神」は、何のためにやって来るのか>
<福をもたらす「来訪神」>
・では祖霊とも目される「来訪神」は、そもそも何のために来訪するのであろうか。私たちは、彼らの訪問に何を期待したのか。今回提案の10件からまずみえてくるのは、「来訪神」は私たちに福をもたらすために訪れるということであろう。いうまでもなく折口の「まれびと」は、ここに力点を置いて導きだされた概念であった。
<通過儀礼としての「来訪神」行事>
・福の授受に注目すれば、福を授かる側にとって「来訪神」行事には、通過儀礼的な意味合いもあったといえる。先に触れた初嫁をめぐる習俗は、その顕著な例である。新たに嫁いできた女性にとって、嫁ぎ先の家や地域社会における自身の立場は極めて不安定である。そうした中で「来訪神」を迎えることは、地域社会の一員になるための通過点として不可欠であった。もっともいえば、「来訪神」が訪問してくるということは地域社会の一員として認められつつあることの確認と証明でもあった。
<災厄を祓う「来訪神」>
<災厄を祓う/鎮め込める「来訪神」>
・「来訪神」が私たちのもとを訪れる目的として、福をもたらすことと裏腹の関係があるのが、災厄を祓うことである。
秋田県内陸北部、米代川沿いにはニッキと呼ばれる「来訪神」行事がみられる。多くは廃絶してしまっているが、大館市代野のそれは近年復活している。元旦の朝、白い服を着て顔を墨で黒く塗った子供たちが家々を訪れる。玄関先で「ニッキー」と叫んで家人が出てくると、「明けましておめでとうございます」と挨拶し、家人から祝儀や菓子を貰うのである。代野のニッキは、悪い疫病が流行ったときに始まったとされ、ニッキの話は「めっき(滅鬼)」が訛ったものといわれる。ここでは祝いの言葉を述べるいっぽうで、疫病/災厄を祓う「来訪神」の姿を読み取れよう。
<災厄としての火斑>
・ケガレ/災厄を持ち去る「来訪神」という点から改めて注目してみたいのが、東北地方から北陸地方に濃密に伝承される一連の「来訪神」行事である。合同提案の10件でいえば、ナマハゲ・アマハゲ・アマメハギ・スネカの4件がここに入る。これらの他にも、この地域にはナモミ・ナナミタクリ・ナゴミ・ヒガタタクリ・ナゴメハギなどと呼ばれる行事が各地にみられる。これらの行事は、いずれも冬季に囲炉裏等にあたっていると身体にできてしまう火斑、及びその火斑を剥ぎ取る行為を行事名の由来としている。
<火斑/災厄を集める「来訪神」>
・そう考えると、ナマハゲの多くが手にしている包丁や手桶は、単なる恐ろしさを強調する凶器ではないことがわかる。包丁は、火斑/災厄を剥ぎ取る呪具であるし、空の手桶も剥ぎ取った火斑/災厄を入れる呪的器(ほかい)とみるべきだろう。
・災厄を集めるという視点に立つと、薩摩硫黄島のメンドンや宮古島のパーントゥもまた、その機能を有するようにみえる。メンドンは、2日目、島内をまわる太鼓踊りに従いながら、半ば自由にあちこちに出没するが、最後は踊りとともに海辺に行き、鳴物によって災厄を海の彼方に送るタタキダシに参加する。パーントゥも災厄を祓いながら集落の端から端までめぐり歩き、最後に付き従う主婦が身につけたクロツグとセンニンソウを集落の外れで打ち棄てる。メンドンやパーントゥの行動は、島内や集落に出没してめぐり歩くことで災厄を集め、最後にそれを外部の世界に送り出しているともいえよう。
<(追い)祓われる「来訪神」>
・「来訪神」は、私たちに福をもたらすありがたい存在であると同時に、家々から集めた災厄を身にまとった恐ろしい存在でもあった。遊佐のアマハゲで、福をもたらすいっぽうで訪問を拒むと家産が傾くといわれているのも、拒絶が「来訪神」の恨みを買うというよりも、訪問されないと災厄を持ち去ってもらえないためと考えるべきだろう。瀬々野浦のトシドン石をめぐる異人殺し伝説も、災厄を持ち去ってくれる異人/「来訪神」を殺してしまったことが、災厄除去を滞らせて家の盛衰をもたらしたと考えるのが妥当だろう。
「来訪神」は、災厄を持ち去ってくれるため来訪を拒否できない存在であるいっぽうで、災厄をまとっているため速やかに立ち去ってほしい存在でもあった。長期間の滞在は好まれず、最後は追い祓われるべき存在であったのである。
<贈答/授受の意味>
・このように考えてくると、「来訪神」が訪問先の人々と餅や金銭などをやり取りする行為にも様々な意味合いがあると考えられる。第一に考えられるのは、供物として餅をはじめ祝儀や菓子・果物などを「来訪神」に差し出すことである。男鹿のナマハゲが訪れると、家人は餅を差し出す。輪島市和島崎町や河井町の面様年頭では神道の影響から初穂を捧げるが、輪島市五十州や皆月のアマメハギでも餅を、能都町秋吉のアマメハギでは餅や金銭を差し出す。これらは二匹のナマハゲには二つの餅、三匹のアマメハギには三つの餅が差し出されるように、「来訪神」へ供えられた供物とも解される。
<「鬼」と「来訪神」>
・災厄を持ち去る「来訪神」とは何者なのか。単純に祖霊と同一視してもいいのだろうか。先に触れたように、「来訪神」は、それぞれの地域社会の歴史や自然環境などを背景に多様な姿に可視化/具現化されてきた。そこには担い手の逞しくも豊かな想像力/創造力が発揮されていた。しかし、そのいっぽうで共通の基盤をなすイメージもあった。一つは先に触れた五体満足・二足歩行という「ひと」の姿であった。そしてもう一つは、「鬼」である。
<折口信夫、「まれびと」論の生成と来訪神>
・折口信夫が残した業績は、国文学・芸能史・民俗学・神道学・国語学と幅広い分野に及んでいる。しかしながらそれぞれの分野は多岐にわたって枝分かれしているというより、それぞれが互いに緊密に連絡しあって壮大な学説の体系を創りあげている。
・折口信夫はこの「まれびと」という概念を創出することによって、日本文学と芸能の発生を説明し、その生成と変容の原理を理論的に説明した。
・折口は善神よりも悪神に神の本質を見出し、祟り神をもって神の「第一義と言ふべきであらう」と記す。シャーマニズムから神を捉えようとするこの視点は、「万葉びとの生活の第二部」として執筆されたという小説『神の嫁』へと繋がるところが見えてたいへん興味深い。しかしながら、それでもこうしたシャーマニズム的視点は人間の側に印象を残した神の像でしかなく、「まれびと」としての神への橋渡しできるような神観念とは言いがたい。
<来訪神信仰の女の霊力――柳田國男『海南小記』の刺激――>
・折口信夫が初めて沖縄に渡ったのは大正10年7月。その前年の大正9年から10年にかけて、柳田國男が後に『海南小記』に纏められた旅をする。民俗学による沖縄の発見はここから始まるとするのが通説だが、より広い視野に立つならば、明治後半から大正にかけての時代状況が大きく働きかけていたと言えるのではないか。その点で柳田・折口探訪前史を辿ることも必要であろう。
・柳田の『海南小記』は、折口を沖縄渡航に導いたというだけでなく、探訪する上でも大きな指針となったのではなかったか。一つは来訪神信仰、もう一つは女性の宗教的生活と女の霊力について纏められた記事である。なかでも折口の探訪心を最も強くかき立てたのが、来訪神信仰の存在であった。「遠く来る神」と題した第13節では、遠くから来訪する神に対する琉球の人々の期待と信仰心に関して、第二尚氏王朝を建てた尚円王や琉球建国の始祖となった舜天王を例に挙げ、琉球の伝説には国王やその始祖が遠くから訪れることを語った例が多いと指摘する。これは島の人々のなかに遠くの理想郷から神が訪れてくるのを待望する心が強いことを物語っていると述べ、「此の如きニライ神の遠くの島より寄り来らんことを待って居たのである」と記している。
・沖縄には海の彼方から訪れ来る神の信仰が伝えられ、それが国王の伝説となって語られ、また祭りに具体的に形姿を大きく方向付けたと言ってよい。とりわけ折口信夫の「まれびと」論は柳田の誘発が大きく、独自の学説形成に大きな導きとなったと考えられるのである。
柳田國男が『海南小記』の旅で発見したもう一つの大きなテーマは、女の霊力の問題である。奄美・沖縄では御嶽の神を祀る女性をノロと呼ぶ。
<表象をもたない神――第一回沖縄探訪――>
・山原船落成の夜中、人が「神道を通ることは出来ぬ」のは、神道を通って神々が来臨してくるという信仰を抱いているからだろう。「海南小記」で読んで興味をもった折口はこうした話を自ら聞いて、神の来臨を語る沖縄の人々の神に寄せる思いを実感したに違いない。地域もまた時代も異なるが、我々もまた奄美の加計呂麻島でアシャゲやトネヤ改築の際の類型的な伝承を聞き取っている。
今から50年ほど前、神山で鉦が鳴ったのを憶えている。アシャゲの建物を建て替える時、神様は神山から鉦を鳴らしながらアシャゲにやってきた。手に手袋、足も白足袋で包んだ7、8人の神様は、足が地に着かないほど飛んで歩くようであった。アシャゲに着くと神様は尺を持って柱を調べ、気に入らないと柱を尺で叩いた。
・どちらの聞き書きでも、神の来臨するさまを「足が地に着かないほど飛んで歩くようであった」、「地に足を着けないでやって来る」と描写している。後者の聞き書きでは、「神様の仕事が済んだら、鳥の飛ぶよりも早く帰っていった。ガジュマルの木のところまで送って行って、そこからウボツまで、1、2分で帰っていった」とも語っている。「ガジュマルの木」とは、オボツヤマの麓のガジュマルの木のことで、そこはシマ(村落)の外れにある。また「ウボツ」はシマを背後から見下ろしているオボツヤマである。
ここに紹介した加計呂麻島でも、神は村落背後のオボツヤマから降臨し、神道を通って「地に足を着けないで」シマの中にやってきて、祭祀施設のトネヤやアシャゲの改築・葺き替えを音を鳴らしながら点検し、再び猛スピードでオボツヤマに帰っていった。神は人々の共同幻想のなかに現れるという心意のなかの神というより、建物を点検する「音」を通して確かに認知することが可能な神である。折口は土地の人からの聞き書きを通して、神は「音」をもって訪れる存在であることに気づき始めていたのである。
・次にB「琉球の宗教」を検討する。この論考については、かつて「まれびとの成立――折口信夫と同時代――」や『折口信夫全集』第二巻解説で詳述したように、『古代研究』民俗学篇第一に収録の「琉球の宗教」は、同名論文ながらこのBに大正12年の成果を増補したものなので、注意が必要だ。「楽土」と題された第二部に、「琉球神道で、浄土としてゐるのは、海の彼方の楽土、儀来河内(ギライカナイ)である」、「さうして其儀来河内から神が時を定めて渡って来る、と考えてゐる」と、後の「まれびと」論を髣髴させるような注目すべき叙述がある。そして、そうした神として「にれえ神がなし」、「なるこ神・てるこ神」、「まやの神・いちき神」、また「あまみ神」を挙げる。「なるこ神・てるこ神」は奄美諸島のウムケで海彼のネリヤから迎えられ、2か月後のオーホリでカミニンジョたちによって神送りされる神。「まやの神・いちき神」は『琉球国由来記』巻十六に見え、伊平屋島のタケナイ折り目の祝詞ミセセルのなかに出てくる神で、カナイのキンマモン(君真物)の異名である。「まやの神」は大宜見村喜如嘉で神送りされる神であり、さらに遠くは八重山のシツィ(節祭)に来訪するマユンガナシの別名でもある。「あまみ神」は久米島の神謡クェーナで崇められる神である。
『現代の民話』
あなたも語り手、わたしも語り手
<神かくし>
<まさしくあったることとして>
・現代の民話を集めていると、何とも不思議な話に出合う。それも、そのときのその場に居合わせたという人の話には実感があって、「まさしくあったること」なのである。
・今からもう十数年前、青梅線の御岳の稲毛屋という宿へ、よく仕事をかかえていっていた。ある日、宿の女主人の紹介で郷土史家の清水利さんにお目にかかる機会を得た。そのうち思いもかけず神かくしの話になった。
・大正12年の7月の朝、青梅線がまだ私鉄で青梅鉄道といっていた自分だという。土地の男衆が、日向和田駅の西の細い小川で朝草刈りをしていた。と、しくしく泣く声がする。振り向いてみると5、6歳の女の子が泣きながら山から降りてくる。どうしたと聞くと泣きながら何かいう。その言葉が聞きとれない。そこでその女の子をおぶって日向和田駅へ連れていった。駅長はその女の子のなまりや姿から、東北地方の山村の子に違いないと、お手のものの鉄道電話で立川の駅長に事情をはなし、各方面に調査を依頼した。女の子は社宅に連れて帰って奥さんに世話をさせた。
盛岡から通報が入ったのはその日の夕方で、女の子は岩手の山村の子と判明した。女の子は前の日まで近所の子と遊んでいた。それがふっと姿を消した。「戻せかやせ」と鉦を打ち鳴らしてさがしたが、一夜あけても姿はなく、神かくしかといいあっていたという。
やれよかったと次の朝、岩手県のなになにのどこの駅でおろしてほしいと、大きな木札にくわしく書きつけ、女の子の首からさげてやった。そして握り飯をたくさん持たせて列車に乗せた。数日経てその女の子の両親から、たどたどしい礼状が日向和田駅の駅長あてに届いていたという。
・何としても不思議なのは前の日、岩手の山村で遊んでいた小さな女の子が、次の朝何故、東京の奥多摩の青梅の山の中に来ていたのか、ということである。大正12年といえば1923年、勿論新幹線もない時代である。村では天狗さんの仕業といったとか。
・もう一つ、どうしても説明がつかない、天狗の神かくしと思われる話を、長野県諏訪で教員をしていた赤沼政美さんから聞いた。昭和13年(1938)のことをいう。
秋の遠足で塩尻峠へ遠足にいった帰り途、3年生の男の子が1人いないのに気がついた。初めは呼べばすぐ出てくると思っていたのに、いくら大声で呼んでも返事がない。手わけして捜してもいない。青くなって村の人や消防団、警察と八方手を尽くしてさがしても、姿は見えない。日は暮れる。松明をつくって再度山へ出ようとしているところへ、学校から至急便が届いた。なんとその子は、伊那の本通りの遊技場の前にぽかーんとしてうずくまっていたという。塩尻から伊那まで4、50キロ。とてもとても子供の足で4時間足らずで行けるはずもない。一同顔を見合わせた。
しかしともかく無事であったとようやく胸をなでおろし、早速担任が迎えにいったが、どのようにして伊那まで来たかは本人にもさだかではないようで、ただ、下にあかりがチラチラ見えたとか、風がビュービューふいたと、ぽつりぽつり語るだけであった。いい小梨をみつけておいたので、採って帰ろうと列を離れたという。
神かくしか天狗にさらわれたのかとか、当時不思議したという。今ならば車も往来しているが、昭和13年のことなのである。
・神かくしは天狗の仕業という話が一番多いが、次の話は、神かくしにあった少年が、まさしく天狗にさらわれたと、はっきりいっている例である。福島県小松市櫛淵町で起こったことで、多田伝三さんから寄せられたものである。
福島県小松市櫛淵町。大正の頃、T家の次男が神かくしに遭った。部落の全家から1人ずつ出て山野を探索したが、3日たっても発見出来なかった。ところが夜が明けてふと家族が門先の柿の木を仰ぐと、14、5歳のその少年が木の上にいるではないか。皆で梯子でかつぎ下すと放心状態で、聞き直したところ、天狗にさらわれて山野を飛び回ったあげく、この柿の木の小枝に掛けたまま飛び去ったというのである。以来、その少年は魂を奪われたようで学校へ行ってもろくろく口を誰ともきかなかった。そのうちに流行性感冒にかかってぽきと死んでしまった。神かくしにあってから半年足らずで若死にした。
・次の話は狐のしわざといわれた神かくしである。木樵りの幼い女の子が行方不明になり、「かやせかやせ」と探し歩いている声を、新潟に戦時中疎開していた友人の小沢清子さんは聞いている。清子さんが小学1年生のころという。
木樵りの父と母は狂気のように探しまわり、狐の穴におはぎや赤飯を供えて歩いた。やがて何日か探しつくしたころ、いなくなったあたりの竹藪のそばでその子は眠ったような姿で発見されたが、少しもやつれた様子もなく、愛らしかった。ただ全身にひっかき傷があった。その場所は父母をはじめ町の人が何百回となく探した場所だったという。「子をなくした狐が、さらっていって養っていたんかね」と町の人はいいあった。南蒲原郡見附町という、当時は十分もあれば、町のはしからはしまでいきつくような、小さな町だった。
・神かくしにあうと、町内村うち総出で鉦や太鼓を叩き、夜はたいまつをつくって野山をくまなく探したものだという。捜索隊のからだを縄で全員つなぐ、さらし1本に手をかけてはなれぬように探す。一升瓶をたたく、茶碗もたたく。太郎かやせ、子かやせ、山の神様、○○さんを出してたもれ、などよび声もさまざまだったというが、全国にこうした風習があったことは、こうした信じ難いことが起こっていたことを示している。高知の桂井和雄氏の著作のなかに、郷土史家寺石正路の『土佐郷土民族譚』の1章があって、興味深い。
かかる時は失せ人を捜す方にて、近所隣並はいふまでもなく町内村中惣出を以て、昼は鍾太鼓夜は炬明にて野山残る隅なく捜索す。其の月暗く風寂しき夜半鉦太鼓の音陰に響き、失せ人の名を呼ぶ声幽かに聞ゆる時は物凄き思ありて、婦人小児等は恐れて夜出する能はぬこともあり。
・江戸時代の記録では、讃岐高松藩の目黒下屋敷のお庭番が午後2時頃、天狗に連れられて飛行、その夜の8時に高松の父の許に返されたという。国と江戸との照会文書ではっきりしているという。一笑に附せばそれまでだが、青梅の話を聞いたあとでは、作り事とも思えぬ不思議を感じるのである。
・天狗や、狐、また何ものともしれぬ神かくしを述べたが、神かくしには山に棲む者との婚姻があって、これは柳田国男の『山の人生』に詳らかである。陸中南部の農家の娘が栗拾いに山へ入って戻らず、親は死んだものとあきらめて枕を形代に葬式をした。数年後、村の猟師が五葉山でこの娘と逢った。自分は怖しい山の者にさらわれここに住んでいる。眼の色が恐ろしく背が高く、子供も何人か産んだがみな持ち去られたという。
・同じような話がほかにあって、書物の上では出合っていたのだが、私の家に何年か暮らした山形の及位(のぞき)(最上郡真室川町)の少女から「天狗のかか」になった娘の話を聞いたとき、私の喜びは大きかった。以下その話である。
大正の末ごろという。新庄鉄砲町のフサヨという娘が山菜採りに入ってふっと姿を消し、行方しれずとなった。神かくしかと騒いだが、消息は知れなかった。ところが昭和4、5年のこと、8月23日から始まる新庄祭りの日、雑踏の中にぼろぼろの着物に蓑をかぶったフサヨがいた。友達の娘が見つけて声をかけると、やはりフサヨで「今、及位の甑山(こしきやま)にいる」といった。天狗のかかあになったという。ひどく若く見えたので聞くと「年に一度、天狗に脇の下から血を吸われる。そのせいだ。けどそれが一番辛い」と言った。
帰るというので友達の娘たちはあわてて、父ちゃん母ちゃんの所へ行こうと言ったが「だめだ、おれ、天狗にごしゃかれる(叱られる)もの」と言うなり人ごみに紛れていってしまった。
・この話を語ってくれた及位の少女、佐藤愛子さんは、婆んちゃんから寝物語にフサヨの話を聞いたという。娘たちはフサヨを追いかけたが捕まえられず、その後すぐ、フサヨの家の炉端に詰めかけて、フサヨの父と母に語って聞かせた。それから二度とフサヨを見かけた者はない。
愛ちゃんは、この話をしめくくるとき、みんなで囲炉裏のはたに、こうやって詰めかけてフサヨちゃんの話をしたんだってよ、と言った。
・ではここで、3年ほど前に奄美大島で聞いた神かくしの話を記してみよう。
いまから15年くらい前の事です。旧の9月、神月のことで、タケさんという、私の遠い身内ですが、実家で夕食の仕度をしていました。子供もいる40過ぎの女性で今そこで食事を作っていたのに、ふっといなくなった。あちこち問い合わせたり探したりしてもいない。「そのうちに帰ってくるだろう」というので、みんな酔っぱらって12時すぎて、翌日になっても帰らないので、こりゃ大変だって、役場に知らせて山狩りをしたんです。
私の所へも電話が母からあって、「お願いだから神様の所へ行って占いをしてもらって」という。何しろタケさんの家は無信心で、祖先を大切にしないんです。それで母が私に神様の所へいけと。
そうしたら、「これはもう、あちこち山を歩いているから、戻すには太鼓をずうっと叩いて、太古の音で呼び寄せんといかん」そういって、名瀬の神様が太鼓を叩きつづけてくれたの。2日叩いて3日目になってはじめて、大笠利の旧道のサトウキビ畑へね、ひょろひょろって出てきた。やせて、幽霊のようになって、あちこち傷だらけで血がでていて。
「いつの間にか、気がついたら家を出ていて、真暗ななかを歩いてたけで、ホタルのような光がまわりにあって道が歩けた」っていうの。それで、「太鼓の音がドンドン聞こえてきて、そっちの方向に歩いていけばいいんだなって。だから怖くなかった。ホタルみたいな光がいっぱいだったから」
あのね、青いホタルみたいな光って、ケンムンのよだれなのね。その光がタケさんを守るように道を照らしてくれて、ユタ神さまの太鼓に守られて3日間。その間、朝露飲んだり、貝食べたり(どうもそれはでんでん虫らしいのですけど)気がついたときは、サトウキビ畑にいて、サトウキビかじってかじって、自分をさがしていた車と出会うわけ、自分の家に戻ったら、太鼓は聞こえなくなったそうです。
奄美にはいまのケンムン(奄美地方で河童のことをいう)がいて、さまざまな物語を聞くことができる。しかし、いまあげた例は、ケンムンがタケさんを連れていったのではない。3年後、タケさんはまた神かくしになるのだが、今はここでとどめておきたい。
<抜け出す魂、あの世への道>
<あの世への道>
<夢の交流、死者からのサイン>
・1994年、不思議な夢の話を聞いた。二人の人の夢が交わっている例である。こうした例はほかにもあり、『現代民話考』にも収めたが、臨死体験によく出てくる花野や川などを共有したこの話は、珍しいように思う。
話してくれたのは、群馬県妙義山の麓の村に住む、土屋光子さんという友人である。
「私、今までこうした話を聞いても、どこかでそんな馬鹿な、と思っていたんです。でも自分に、起こったんです」
病み上がりだから、ただでさえかぼそい光子さんの声は、細く、ふるえるように電話の奥から伝わってきた。奄美へいっしょに旅をしようと行っていたのに、クモ膜下出血で倒れ、その日のうちに手術、いのちをとりとめた。それが1994年3月15日のことだった。脳の手術をするとショックで血管が細くなり、後遺症がおこりやすくなる……とかで、2週間は薬でとろとろと眠らせるのだという。光子さんはそのまま眠りの世界に入った。
気がつくと草原に立っていました。花が咲き乱れて湖が見えるんです。野反湖だなと思いました。ところで、湖のむこうに亡くなった母親がいる。伯父や伯母もいる。なんで亡くなった人がいるんだろうと思いました。でも、だまっていて、ものも言わないんです。
横を見ると、知り合いの五十嵐さんが、御主人や3人の子供さんと来ていました。「何でここにいいるの」と訊くと「山を見にきたのよ」って五十嵐さんがいって、ふうっと目が覚めました。3月28日、主人が呼びかけてくれて、はじめて私、「はーい」ってかすかに答えたんです
って。4月8日、あなたが倒れたってこと、ちっともしらなかった、といって五十嵐さんが見舞いにきました。
「そういえばあなたの夢を見たのよ。野反湖へ主人と子供と行ったの。そうしたらそこにあなたがいて、両手を目にあてて、目が痛くて困るのっていっている夢なの」
たしか3月の末、28日ごろと思うと五十嵐さんは言ったという。
・夢で死を知らせる話は数え切れない。ことに戦死を知らせる夢は多く、胸を打つ。
昭和17年(1942)頃のこと、海で知り合った外語大の三郎さんが中国へ出征した。ある日夢枕に立って「ぼく戦死したよ」と告げた。学生服を着ていた。その後三郎さんの戦死の知らせを聞いた。
これは私の友人の話である。戦時中というのに海やスキーにも行き、華やかな人で、三郎さんの話はよく聞かされた。その人からの死の知らせだった。
・昭和20年8月9日の前夜、近藤えい子さんは、長崎師範の学生寮にいる長男が、ぞうりをはいて家へ帰ってきて、別れのあいさつをする姿を夢うつつに見た。目が覚めて、あまりにもまざまざとした姿に不思議に思ったが、そのあとすぐ、長男は原爆にあって死んだのである。これは教育者として高名な国分一太郎氏が現代民話のためにと下さった話である。
死者からの夢知らせは数え切れないが、死んで生まれた子の墓が陥没している夢をみた若い母親が、墓の近くに住む自分の両親に電話をした。「いや実は、ほんとに陥没していてね、どうにかしなくてはと思っていた」という。四国のそのあたりではまだ土葬なのでお棺が朽ちると土地が陥没したりするという。生まれると同時に死んだ子からの夢の知らせでしたと、私を空港に送る車の中で、若い母親が話してくれたのである。
<夢と死>
・夢と死、抜け出した魂と火の玉、そしてあの世への道は切っても切り離せぬつながりがあり、『現代民話考』2巻分をようやくまとめ終わったとき、私の心に浮かんだのは能舞台であった。
いうなれば能舞台はそのまま現世とあの世ではあるまいか。かけわたす橋懸かりは夢でないだろうか。この世という舞台があってあの世という舞台がある、というのではなく、鏡の松はそのままに、現世でありあの世であるという二重構造に私は魅せられる。もし世界が日常だけのものであったら、なんとそれは味気ないことか。日常のなかの非日常を垣間見るとき、私たちは小さな自分の体験なり知識なりだけでは推しはかることのできぬ、なにかに出合うのではないだろうか。
・私が「あの世に行った話」、臨死体験を集めはじめたのは、いまから20年前にもなる。そのとき、レイモンド・ムーディ博士の『かいまみた死後の世界』(評論社)を読み、日本の臨死体験との重なりに驚いた。
臨死体験のとき、魂が体から抜け出して横たわっている自分を見下ろしている例は、ムーディ博士の記録と重なる。こうした例はたくさんあって、臨死体験で自分の姿を見ているとき、泣き崩れている祖母の頭のてっぺんにハゲがあるのを見つけた、などという笑い話もある。
<生まれ変わり>
<前世を記憶する子供>
・抜けだした魂、あの世への道。
このようにたどっていくと、必然的に浮かび上がってくるのは、生まれ変わりである。
・1970年頃、私がようやく口が利けるようになった、2つか3つの頃のことです。その日私は母方の祖父母の家に預けられていたんですけど、ふだん、ほとんどしゃべらない、笑わない子だったというのにパーッとしゃべりだしたそうです。
「わたしはマサコだ」って。「ここは私の家じゃない。私の家はこうこう、こういう風になっていて」とマサコの生活をしゃべり始めたそうです。祖父母は「この子は何を言い出したのだろう」と途方にくれて、父と母が私を迎えに来た時にこの話をしたら、父の顔色がさーっと変わって、「マサコは私の姉です」と。
父の姉マサコは数えの5歳の時に、病気が流行ってそれで亡くなった。当時は土葬だったのに焼かなくてはならない病気だったそうです。私の父とは2つちがいの仲のいい姉弟だったそうです。
・日本の転生譚で知られるのは武蔵国多摩郡の勝五郎譚で、松浦静山の『甲子夜話』に収められ、平田篤胤による「勝五郎再生記聞」、近くは小泉八雲が「勝五郎の転生」を書いている。文政6年(1823)4月12日付で公式な届出文書が出されているというから、単なる作り話ではない。
勝五郎は文政12年(1815)10月10日に中野村百姓源蔵の子として生まれた。文政5年、数え8つのとき兄や姉に「もとはどこの誰の子か」と問うた。生まれる前のことは知らないというと勝五郎は、自分はよく知っている。もとは程窪村の久兵衛の子で藤蔵というんだ、そういった。
姉が怪しんで両親に話そうとすると、泣いていやがった。しかし遂に両親の知るところとなり、生まれた所在、父母の名、父の死後継父がきたこと。6つで死んだこと。棺桶に入れられるとき魂は外に抜け出して、その後は家の机の上にいたこと。やがて白髪の老人に連れられ中野村の現在の家に生まれたことを話した。
翌文政6年、母親は勝五郎を伴って前世の在所である程窪村を訪れた。勝五郎は母親を案内して生家へ着いたが、家のたたずまいや樹木の様子はまったくその通りで、養父半四郎に会ってみると、話はすべて符合した。
<幽霊>
<幽霊はどこからくるのか>
・現代の民話を集める中で、圧倒的に多いのが死者からのサインであり、異次元の世界であることは、すでに述べた例によってもご諒解いただけるかと思う。
その中で、古くより私どもに親しいのが幽霊である。いったい幽霊は、どこからきてどこへ帰るのか。ここで興味ある一つの意見をご紹介してみたい。
私はすでに霊界は全宇宙より広大無辺なものであること、霊界とこの世の関係は一枚の金貨の裏表のようにぴったりくっついて切離せるものではないことなどを述べた。私はここでこの世と霊界の関係について一つの比喩をいおう。それは、この世とは霊界の広大無辺な空間の中にポッカリ浮かんでいる一つのゴムの球のようなもので、このゴムの球である自然の周囲は全て霊界で取り囲まれているということだ。――中略――ゴムの球の中にも全て霊界は、しみ込んでいるのだ。ゴムの球の中も実は霊界なのだ。ゴムの球の中以外の全ての空間は霊界なのだが、ゴムの球の中だけは、例外的に自然界と霊界の二つの世界が、同じ空間にともに存在しているのだ。
(『私は霊界を見て来た』エマニュエル・スウェデンボルグ、叢文社、1975)
・彼は84歳まで生きたが、後半生の約30年はすべての学問を捨てて、霊界に自由に出入りし、先に述べた大英博物館におさめられた『私は霊界を見て来た』という厖大な著述を残し、自らの死を予言、その通りに没した。カントはスウェデンボルグの能力に驚嘆して書を著わし、ゲーテの『ファウスト』は彼の生涯そのままという。
とかく霊界の話は眉唾ものとして異端視されがちであるが、スウェデンボルグのように数百年経った今も高く評価され、また世界的な学者や芸術家に畏怖された存在があることは、心にとめたいことである。
<死を予知する魂>
・さて、山崎大佐が死を予知するかのように、玉砕の少し前、旭川へ姿を現わし、ついで、満一年、一周忌にも英霊の帰還をしたことが語られているのだが、私の『現代民話考・軍隊』の編集が校正まで仕事が進んだ時、もう1つ、「山崎大佐の英霊の帰還」が飛び込んできた。ところがこれが北海道ではなく、新潟県の高田市の東部第67部隊なのである。
・新潟県高田市、東部第67部隊。昭和18年だったと思う。私は第2大隊第7中隊付の見習士官でした。或る日、将校集会所の中食時、週番司令と連帯副官が何か話し合っていた。しばらくたってから「先日の夜間、山崎大佐(アッツ島に行っている)が馬に乗って抜刀し、部隊を指揮して連帯の衛門に向って帰って来る。歩哨が気付いて衛兵司令に連絡した。衛兵司令が衛兵所を出て衛門を見ると、130連隊門まで百メートル位の位置に将校の指揮する部隊がこちらに向かって来るのを発見し、急いで『衛兵整列!』と号令し、週番司令に報告すると同時に、部隊は衛門に入る。ラッパ兵は『皇御国』のラッパを吹いた。週番司令が衛兵所に馳せて来たが、司令には部隊など見えない。本来であれば衛兵司令は軍法会議ものであるが……」と。どうした事か此の事は口止めとなり、あれから44年間このことは消えていた。今、この事件を知っている当時の高田歩兵隊の生存者は数える程しかいない。しかしこれは、山崎大佐が無言の凱旋をしたという事実であり、その数日後、大本営の富永参謀より、山崎大佐は2階級即特進し、軍神山崎中将となったことが発表された。(『現代民話考・軍隊』)
・私の友人の多田ちとせさんは、朝鮮半島の38度線を命がけで超え、引揚げてきた人である。そのとき死を予知した火の玉をみた。
敗戦の翌年8月4日未明ピョンヤン(平壌)の難民宿舎を脱出、38度線の稜線が見えてきたのは20日の夕方だったと思う。8度線を超える注意があり30名近い人が松の木の下へ集まった。ふとみると子供達が離れたところで丸くなって相談している。大人に置き去りにされないよう、ひもで手を結んで寝よう。いや大人は駄目だ、ひもなんかとっちゃうと真剣だった。毎日、置去りにされる姿や死体を見ているのだ。その中に4歳位の男の子が1人、仲間から離れて縄跳びをしている。何気なく見るとその子の周りを青白い火の玉が着いたり離れたりしている。
次の朝、5度線に向って静かに歩いた。ソ連の伝令が次の見張り所まで行って戻る15分の間に超えなくてはならないそうで、子供が泣いたらその場で始末してくれ、とよくよく言われていた。ところが、8度線のふもとで、1人の子がけたたましく泣き出し、なだめても泣きやまない。周りがざわめき出し、非難の目が集まった。若い父親はいきなりその子を抱き上げ草むらに入っていった。暫くして父親は1人で帰ってきた。タオルをぶらんぶらんさせて。泣いて始末された子は、昨日の夕方、青い火の玉がまつわっていた子だった。あれはあの子の魂が死を知ってさまよい出たのであろうか。痛ましかった。 (『現代民話考・銃後』)
『異界からのサイン』
<旧陸軍の行進>
・これは亡き渋谷勲さんが自衛隊の隊員から聞いた話。実際にあったってやつから聞いたけど、と語った本人が言った。うさんくさい気もするけど同じ様な話を2、3人から聞いたから、それは本当だろうと思っている、と。富士の練習場での出来事という。新隊員は訓練のためトラックで富士へ連れてこられ、宿営の準備をして寝て、夜中、1時か2時にたたきおこされるのだそうで、「今から徒歩で25キロ歩く」って上官から命令がくだる。装備が30キロあって、それをかついで、ザッザッザッと足音が聞こえてくる。彼のいた隊は一番うしろについていた。おかしいと思って傍らについている助教、班付きの教官にきいた。
「あのう、うしろから足音がしますけど、別の隊があとから来るんですか」「いや、そういうことは気にせんでいいから、うしろは振り向くなよ。前に伝えろ!」って、へんだと思ったけど、自衛隊にはあるんですよ。逓伝って、うしろから前へ、伝えたりするの。それで、「うしろ振り向くなよ」って前に言うと、「うしろ振り向くなよ」「うしろ振り向くなよ」って前へ、前へ伝わっていく。
・ザッザッザッ、足音はせまってくる。思わず、そいつ、うしろを振り向いてしまった。と、青白い顔をした軍隊が、近付いてくる。昔の軍隊の服きて、鉄砲も長いのかついで、ザッザッザッ。それが骨が歩いてくるような、透けて見えるような、目がぽっかりと黒くあいて。ザッザッザッ。冷たい氷のような空気がただよって、とうとう、その部隊と重なって、ザッザッザッ。「ヒェー」からだを悪寒が駆けぬけて、みんないっせいに振り向いてしまった。そして、班付きの上官から全員、失神した。話をしてくれたやつは、小さいときから幽霊とか見ているので、ああ、これは霊だ、と思って、からだのなかを通りすぎていく幽霊の部隊に耐えていたという。
この部隊に出会ったら、とにかく見てはいかんという。だから「うしろを見るな。前向いて歩け、歩け」って。
<203高地からの死の知らせ>
・群馬の土屋光子さんが幼い日、祖母からくり返し、聞かされた話という。
日露戦争の開戦は、1904(明治37)年2月10日。旅順総攻撃3回目にして、12月6日、203高地を占領した。日本軍の死傷1万6935人、激戦だった。
光子さんの祖父は当時、出征していた。留守を守っていた祖母がある夜、ドーン、というすさまじい音に飛びおきた。つづいて、ドサドサ、ザラザラと、砂利のようなものが雪崩れ落ちてくるような音がつづき、やがて消えた。それっきり、しん、とした。闇の中に光子さんの祖母は座っていた。何かが起こったと考じた。203高地占領の日だった。
・ある日、夫の戦友という人が訪ねてきた。光子さんの祖母は、その人によって夫の最後の有様を聞いた。
203高地の積んであった石垣が攻防戦のさなか、ドーンと崩れ落ちたという。石は光子さんの祖父に直撃、雪崩れ落ちた砂利に埋まった。
戦友は僅かの差で命を拾い、祖父を土砂の下から引きだした。「しっかりしろ、妻子のことを忘れるな」とさけんで励ましたという。しかし、ボコボコと音をたてて鼻血を流し、祖父は息絶えた。
「その時刻がね、私がドーンという音、ガラガラという音を聞いた時刻と、まったく同じだったんだよ。ふしぎなこともあるもんだ」祖母はくり返し、孫の光子さんに語ったという。夫の死の知らせは、海をへだてて妻のもとへと届いたのだった。
<ガダルカナルではナィ>
・ガナルカナルではナィ、死ぬるとき天皇陛下ばんざいなんて、言わなかったってよ。食べる物なくてさあ、みんな飢えて飢えて、自然に弱って立てなくなるんだってね。
そしてナィ、まだ死んでいねえのに、ハエがよう、こう出たり入ったりたかるから、まず目ん玉からうじ虫が、コロコロ、コロコロ出てくんだって。そのうちからだじゅうに、コロコロ、コロコロ。
・ほして、いま死ぬってとき、どんな力でほんな持ち上がるんだが、その腐れかかったからだで立ち上がって、「隊長どの、只今内地から姉が迎えに来ました。帰っていいでありますか」って言うんだと。
隊長も判っててねぇ、「よし、帰れ」って言うとさあ、バタッって倒れて死ぬんだって。生きている人でねえんだよ。死んだ姉ちゃんとか婆ちゃんとかが、迎えに来るんだって、
福島県国見町の田中ハツさんに根岸真理子さんが聞いた話である。
<中学生の声が聞こえる>
・戦争中は中学生も少年防衛隊として軍に集められた。沖縄の女学生がひめゆり部隊として動員されたのと同じである。最後にはみんな自決させられた。
戦後その中学生を祀った<白虎隊の碑>というのが山の上に建てられた。夕方など、その碑の下を通ると、今でも大勢の中学生の声が聞こえるという。座間味島の松下トシさんの話である。
<ひめゆりの女学生たちが>
・ひめゆりの塔のあたりに、月夜になるとたくさんの女学生たちが集まって、歌をうたいながら髪をとかしているんです。何の歌か判らないけれど、もんぺの女学生で死んでいったひめゆり部隊の女学生が……。
伊芸弘子さんが糸満で聞いた話、たくさんの人が見ているという。
『天国の真実』
マシューが教えてくれる天国の生活
ナチュラル・スピリット 2006年10月10日
<ニルヴァーナ(涅槃・天国)評議会>
<ニルヴァーナ評議会は、天国の統治体>
・(マシュー)最も尊敬される賢明な魂だけが評議員として検討される。彼らの経歴はさまざまだが、専門や学術的知識よりも知恵がその地位に就くのに最も大切な基準となる。たいていの場合、評議員たちは地球に何度も転生しているが、必ずしも地球での経験に留まるわけではない。
・評議員は男女、そして両性具有の魂の代表だ。
・グレート・マスターは、住人でもなければ、体も持たない。彼らの強力なエネルギーは、この太陽系一体から、リラ、シリウス、プレアデスといった地球文明の発展に緊急に関連する星系に瞬間的に移動できるんだ。
・たとえば、地球での大量死など、評議会が注目すべき大きな動きがあるときは定期会合はない。
・ここでは、もし指導者と住人の間に何かトラブルがあったとしても、本当に統治するのは大衆の意思であって、指導者の意思ではない。それは共和制の土台に則り、選出やリコールが即座にできるんだ。評議員は自信をもって投票する広範な人たちによって選出され、同じようにリコールも起こりうる。
・評議会は、この領域にあるいは地球の愛する魂たちに影響を及ぼすすべての事柄を管轄している。
・評議員の服装は白いローブに金色の紐帯だよ。服装だけを見れば、ここにいる普通の住人と変わりない。
<未知の宇宙で絶え間なく続いている戦い>
・地球を例外として、僕らに影響を及ぼすすべての領域の統治体とやりとりし合うんだ。地球に関しては、評議会は天使界や霊界の地球外生命体、そしてこの宇宙規模的な大変化の時期にライトワーカー(光の使者)として、地球を援助している人たちや、人間界の上にある文明とやりとりしている。
『ほんとうは怖い沖縄』
仲村清司 新潮社 2012/6/27
<ユタ>
・すでにふれたように、沖縄には霊能者的な能力をもつ人がわんさといる。そのなかでも自らのパワーを生業としている人をユタという。9割以上は女性。女は男よりも神に近い存在とされる沖縄では、地域の神事や祭祀を司るのは女性で、祭りのときはいまでも女が神官をつとめる。ユタのほとんどが女性というのも、こうした女性上位の信仰土壌があるからに違いない。
・彼女たちの主な役割は霊界と交信し、あの世の人たちの要求を聞き、子孫に伝えること。いわゆる心霊判断のたぐいで、先祖供養、結婚・離婚・引っ越し・将来などの見立て、体調や病気などの悩み事の相談、除霊、お祓い、祈祷などもやってのけたりする。内地でいうところの拝み屋のような存在だが、沖縄はその人数がケタガズレに多い。
沖縄県の人口は約139万人。そのうちユタは3000人から1万人もいるとされている。数字にばらつきがあるのは、彼女たちの多くがクチコミ的な存在で、誰がユタなのかといった情報がほとんど表に出ないからだ。そのあたりも奇っ怪ではあるが、ともあれ、沖縄の場合、単位面積あたりの職業霊能者の割合はダントツで日本一になるに違いない。
・さすが霊能王国・沖縄ですな。こういうことを生真面目に調査した本があって、その名もずばり『なぜユタを信じるか』(月刊沖縄社刊・友寄隆静著)。書店で見つけたときは思わず「わっ!」と叫んでしまったものだが、この本のなかに「ユタの言うことは何パーセントくらい当たると思いますか?」というアンケート結果が掲載されているのだ。
それによると20代の平均が71%、30代で62%、40代で67%、50代以上が43%で、これらを平均するとユタの宣託が65%もの高率で当たるとの結果になっているのだ。
こうなるとユタを頼る人が多いのも当然で、沖縄では頻繁にユタの宣託を受ける人のことを「ユタ買い」と呼んでいる。謝礼の相場は5000円~1万円だが、なかにはより当たるユタを探しまわっては判示してもらうユタハンティングのような人がいるとも聞く。
・そもそもユタは霊的ステージの高い人が「カンダーリ」という状態を経て、その特殊な能力を得るとされる。カンダーリとは「神ダーリ」、神がかった状態で、その方面の人たちの言葉をそのまま拝借すれば神霊の憑依をうけたり、霊にひきずり回されたりする様をいう。この状態の最中は心身ともに苦しく、激しい鬱や脱力感、ノイローゼ、頭痛、不眠、極度の食欲不振、嘔吐などの症状が現れ、人によってはその状態が数年続くこともあるという。
<米兵の幽霊>
・沖縄は超常現象や幽霊などの話が掃いて捨てるほどある土地だが、なかでも戦争で亡くなった人たちにまつわる話は群を抜いて多い。いうまでもなく、先の大戦でこの地が日本国内における最大規模の激戦地になったからで、戦争で命を落とした人たちが成仏できずに帰る場所を探してさまよっている――というたぐいの話がこの島々にはどこにでもある。
・従軍した米国人記者はこの沖縄戦を「醜さの極致」と表現したが、前述した戦没者数を知れば、実はそれ以上に悲惨なものであったことがわかる。ともかくも90日余におよぶ戦闘で、これほどまでの犠牲者を出した「沖縄戦」という史実は繰り返し思い起こすべきであろう。
で、ここで話を本題に戻すと――、本書のなかで何度も述べてきたように、個人的には死者は無条件に救われるべきで、成仏しない霊などないというのが僕の立場ではある。
とは申せ、これほどまでにおびただしい数の戦没者がいれば、あるいは無念の死を遂げた人たちが巨万もいる土地ならば、浮かばれない霊が「出る」という噂が湧くように生まれてくるのも仕方がないのかなと思ってしまう。
・夜な夜な軍靴を響かせて農道を行軍する首のない日本兵の幽霊、砲弾で下半身を無くした女の子が匍匐前進しながら近づいてくるという某学校の怪談、戦死した許婚がプレゼントしてくれたハンドバッグを下げながら寂しげに立っている元従軍看護婦の霊………、激戦地になった沖縄本島南部には、そんな幽霊の目撃譚がそれこそ山ほどある。
図解雑学 『日本の妖怪』
編集者 小松和彦 ナツメ社 2009/7/17
<妖怪>
・妖怪は、人間がそこにいる限りいつの時代・どこの国にも存在している。人知を超えた出来事に感じる畏れや、世の中の変動に伴う不安、共同体の裏側に潜む心の闇などが、妖怪を作り出すからである。
・日本文化を知ろうとする者は、どの角度から深めていったとしても、遅くあれ早くあれ、必ずや妖怪に出会うことになる。なぜならば妖怪は村落共同体の信仰生活や神仏の領域にとどまらず、文学、芸術、工芸、音楽といったメイン・カルチャーから、芝居、まんが、アニメーションといったサブ・カルチャーの領域まで広く浸透しているからである。
<鬼とは何か? 多様な意味をもつ存在>
・もとは超自然的な存在や異民族を示していた「オニ」。これらに共通するのは、記録者にとって「よくないもの」ということであった。
<「よくないもの」の総体としての鬼>
・オニの語源は「穏」、すなわち目に見えない超自然な存在であるという。オニにあてられる「鬼」という漢字は、中国においては死霊を表わすものであったが、日本ではより広範な意味をもって使われるようになる。
<全国各地に潜む鬼たち>
<「岩手」の由来は鬼>
・青森県の鬼神社には、稲作に必要な技術を鬼が伝えてくれたという伝承が残る。秋田県の三吉神社には、三吉鬼と呼ばれる鬼の話が伝わる。三吉鬼は、酒を飲ませると人の手伝いをしてくれたという。また、岩手県の三ツ石神社には、鬼の手形石がある。神に捕らえられた羅刹鬼が手形を押したという岩で、「岩手」の地名の由来ともされる。同じ岩手県の西光寺には達谷窟があり、東北一帯を治めていた悪路王という鬼が、ここを根城にしていたという。福島県に伝わる安達ケ原の鬼婆の伝説も広く知られているが、この鬼女の名も「岩手」であった。
<実在する鬼ヶ島>
・京都、大江山は酒呑童子の話で有名だが、その山頂には酒呑童子の棲家といわれる岩屋がある。また、西京区の首塚大明神には酒呑童子の首塚が残る。
・岡山県には、吉備津彦に退治された鬼、温羅の砦とされる奇岩がある。吉備津彦の温羅退治は、桃太郎の鬼退治のモデルにされたとも言われている。一方、香川県高松の鬼無には桃太郎が鬼を埋めたという塚が残り、また高松沖にある女木島は鬼ヶ島だとも言う。
沖縄県の首里城近くにある金城御嶽には、人食い鬼となった兄を岸から落として退治した妹の話が伝わっている。
<天狗とは何か? 初めての登場は日本書紀>
<天狗の実像>
・現在一般に天狗といってイメージする姿は赤顔に鼻が高く、翼を有し、羽団扇を持って飛行する姿が想像される。しかしこのような天狗像は意外にもそう古い形式ではなかった。
・天狗が世の中に跋扈し始めるのは鎌倉時代以降、戦乱の世に入ってからのことである。その姿の多くは鳥の鳶の様子で表され、正体は不幸な死を遂げた天皇や貴族・僧侶たちの死後の姿であるとされた。彼らはその恨みのために天狗となって世の中を狂わせていると解釈されていく。
・江戸時代以降、天狗は霊山を崇拝する宗教と結び付られ、眷属として諸山に活躍の場を移し、信仰の対象となっていった。現在多くの人が想像する鼻高天狗のイメージもこの時代から登場する。このような信仰の対象とされる背景には、庶民の間で脈々と伝えられてきた天狗の姿がある。
<宗教と天狗~鼻高天狗の誕生 仏教説話に描かれた天狗>
<中世の世に強大な力を示す天狗>
・平安時代後期に記された仏教説話集『今昔物語集』には、12話に及ぶ天狗説話群があり、当時の仏教界における天狗という存在の重要性がうかがえる。ここでの天狗は、「魔」としての性格を帯びており、仏教に抵抗する反仏教的な存在とされる。
・また、山伏はその組織体制が山を母体とし、独自の作法を有するために、江戸時代には民間からも天狗のようであると比喩され、次第に山伏自体をも天狗と呼ばれるようになっていった。現在の山伏装束に似た天狗像はここに端を発するのであり、以後天狗像の体系化がなされていく。ここに鼻高天狗の源流としての天狗像が誕生するのである。
<『太平記』の天狗はスケールが違う!>
・同じ中世でも『今昔物語集』は天狗説話の宝庫であるのに対し、『太平記』になると天狗が日本の歴史を作り上げていく著名な人物と深く関わり、その人物をも左右させる力をもって描かれる。
・『太平記』で有名な「高時天狗舞」の情景。北条高時は田楽舞にうつつをぬかし、日夜田楽に狂っていた。ある夜、高時が一人で舞っていると田楽法師が現れ、高時とともに舞い始める。侍女がそっと様子をうかがうと、彼らは田楽法師ではなく、嘴を有し翼を生やした山伏姿の天狗であった。
<山の守護者、天狗の伝承>
・同じような現象のものに、天狗の「神隠し」がある。突然姿を消した者が、後日見つかって事情を聞くと天狗に連れられて各地の霊山を巡ったり、東京見物をしたりした、という内容のもので、北は秋田県から南は鹿児島県まで全国に及ぶ。
<神隠しと天狗小僧寅吉>
・天狗の神隠し伝承は、古く鎌倉時代の「天狗草紙」にも描かれ、伝承世界でも天狗にさらわれたと話されるものが数多く確認されている。天狗の神隠しで有名な話に、江戸時代の天狗小僧寅吉という人物がいる。寅吉は、常陸岩間山の首領である杉山僧正という天狗に連れられ、さまざまな呪術や飛行を行ったと自ら証言し、時の国学者平田篤胤による『仙境異聞』にまとめられた。寅吉の証言によると、天狗の飛行は、綿を踏んだような気持ちで、矢よりも速く、ただ耳がグンと鳴るということである。
<河童とは何か? 水辺に現れる奇妙な生物>
・最もポピュラーな妖怪である河童。出現は江戸時代中頃であり、当時のメディアに乗って日本中に広がった。
<水の神(精霊)が零落した妖怪か>
・今日イメージされる河童が日本に出現したのは江戸時代も中頃に入ってからであるといわれている。カッパという呼び方は関東地方のもので、太平の世が続き、通信が発達して学問が盛んになり、知識の交流が活発になると、都市部には全国から水辺に現れるという奇妙な生き物の行動が報告され、その姿を描いた図像も集まり、さかんに研究されるようになった。
・当時は自然界の不思議な出来事を科学的に説明しようとする「本草学」という学問が盛んであり、学者たちは各地で起きている河童という妖怪現象の正体を、ある特定の生き物に絞り込んで暴こうとしたのである。こうして日本中の伝承を統合して誕生した「カッパ」は、十分に発達した江戸時代のメディアに乗って今度は日本中に広がっていくことになる。
・特に注目されたのは、水辺にやってきた馬を水中に引き込んでしまうという河童の行動である。
・では、馬を水中に撮ってしまう河童とは、神の眷属だろうか。それ以外にも、各地に残る水に関する祭祀や習慣との河童の関わりはいくつか見出され、このことから、河童は社などに祀られる神様よりも一段下の水の神(精霊)、あるいは水の神が人々の信仰を失い、醜い姿の妖怪として零落して人々に悪さをするようになった存在として考えられるようになったのである。
<全国各地の河童の伝承>
・河童にまつわる伝承は、全国いたるところに残っている。私たちが今日イメージしている河童は、それらの集合体ともいえる。
<各地で異なる河童伝説>
・河童の呼び方は地方によって異なり、主に青森地方ではミズチ、ミンツチ、関東から東北にかけてはカッパ、中部地方ではカワランベ、佐渡・能登などではカワウソ、近畿地方ではカワタロウ、ガタロー、四国・中国地方ではエンコウ、九州の大分ではドチ、宮崎ではヒョウスベ、熊本・鹿児島ではカワワラワ、ガラッパなどと呼ばれているが、これらの呼び方は各地域だけにとどまらず、全国的に点在している。
<河童の現在~キャラクター化をめぐって>
<まんがやマスコットとして愛される河童たち>
・「民話のふるさと」として『遠野物語』の観光資源化を図ってきた遠野市では、その火付け役となり、中核となった「河童淵」を前面に押し出した「カリンちゃん」というキャラクターを市のマスコットとして採用した。これは1992年の「世界民話博」の開催をきっかけとしたものであり、小さな子どもを彷彿させる姿で、当時遠野市の市花であったリンドウ(現在の市花はヤマユリ)をかついでいる。河童の「カ」とリンドウの「リン」を合わせた名前であるが、その愛らしい姿には不思議な力で家人を動けなくして家の女を犯し、奇形の子を孕ませる、『遠野物語』の恐ろしいイメージの河童の面影はない。
『河童・天狗・神かくし』現代民話考1
<山の神などによる神隠し>
ある時、この部落の小さい女の子がふっとかき消すようにいなくなった。部落総出で探してみても、いっこうに手がかりはない。幾日かたって、また、ふっと現われた。その現われ方がまた不思議なことだった。この部落のはずれの薬師堂の梁の上に、その女の子はちょこんと坐っていたんだ。村の衆は、あれは薬師様にさらわれたんじゃっていった。 (長野県)
・岩手県和賀郡がはんらん和賀町横川目。私が15歳の頃(昭和10年前後)の事件である。大雨で村の中央を流れている尻平が氾濫した。その日、私の部落の幼児(5,6歳)が見えなくなったという騒ぎが出た。消防団も出たりして、部落総出で探しまわったが、夜中になっても見つからなかった。きっと川に落ちて流されたに違いないというので、川下を探しまわった。ところが、なってその幼児が川向うの山の中で無事で発見された。これはどう考えても不思議なことでした。その川には、丸木橋一本かかっているだけで、当日の大雨の氾濫で大人でも渡ることが できない状態でした。
・長野県上伊那郡。浦の新三郎猟師といえば、山の神様となれ親しんだ逸話の持ち主として知られています。明治の初年のこと、新三郎は金子勢五郎猟師と連れだって仙丈岳へ猟に出かけましたが、二人は途中の小屋で単独行動をとることにきめ、別れ別れになりました。それから1週間、新三郎猟師は、杳として消息を絶ってしまいました。村人に依頼して山中を捜索してもらいましたところ、勢五郎と別れた小屋に戻っているところを発見されました。新三郎の話では、小屋を出てしばらく行くと、立派な婦人が現われて手招きするのに出会いました。誘われるままについて行くと、苺などの実る場所へ連れて行かれ、たらふくごちそうになりました。
こんなわけで、山にいる間は、ついぞ空腹を感じなかったという話でした。村人はその女性を山神であるとみていますが、山神男性説をとるこの地方にも、こうした観方のあることはおもしろいことです。
・和歌山県西むろ郡上三栖。紀州西むろ郡上三栖の米作という人は、神に隠されて二昼夜してから還って来たが、其間に神に連れられ空中を飛行し、諸処の山谷を経廻って居たと語った。食物はどうしたかと問うと、握り飯や餅菓子などたべた。まだ袂に残っていると謂うので、出させて見るに皆紫の葉であった。今から90年ほど前の事である。又同じ郡岩田の万蔵という者も、三日目に宮の山の笹原の中で寝て居るのを発見したが、甚だしく酒臭かった。神に連れられて、摂津の西ノ宮に行き、盆の13日の晩、多勢の集まって酒を飲む席にまじって飲んだと謂った。是は六十何年前のことで、共に宇井可道翁の璞屋随筆の中に載せられてあるという。
・昭和二十年頃の話。私の家の近くの男の子(小六年)が昼間、にわとりをいじめたから神かくしにあって大騒ぎとなりました。井戸のそばにしゃがんでいたそうなのに、家人にはその姿が見えず、子供には家人の姿が見えるけど声が出なかったそうです。二昼夜、その状態だったそうですから神かくしに違いないと、父母が言っていました。(青森県)
『越中 怪談紀行』
高岡新報 編 桂書房 2015/9/3
<黒部の隠里 黒部市>
・下新川郡愛本の入口に黒部村という所がある。この村の老若打集まって碁会を始め、番々を立てて宿を為し慰んでいた。ある時60ばかりの老人がこの碁会へ来て、私も碁が好きであると言って傍で見物していた。
・村の人々もこの老人の強いのに感心し、代り代り打ってその日も昏て仕舞ったが、その後は毎日のように老人が碁会に遣って来る。
・そこで翌る日老人を携えて、貴方の宿所を聞かせたまえ、そして一度貴方の家で会を為したまえと勧めた。すると老人はそれはいと易いことである。明後日迎えに来る故、皆々揃って来なさいと言って帰った。さて明後日となって、朝早くから老人が迎えに来たので、一緒に村の人8人連れて行くこととなった。8人の者共は愛本の川上の方から向岸に渡って滝の落ちる所まで行った。そこで老人は立止まり、我は隠里(おんり)に住む者である。この滝簾を潜って行けば、人の知らない道があると言って、その滝の中へ飛び込んだ。8人の者も何心なくこの滝簾を潜ると、老人の言葉の通り道があった。ここを十四五丁も行くと、向うに門が建っている。門の中に棟が並べて家がある。
・さて8人の者共はこの行届いた立派な座敷に座り、景色のよい庭園を打眺めていると、そこでこの家の主人なる彼の老人が出て来て、この所へよくこそ来て下されし、ゆるりと逗留して遊びたまわれ言いながら様々なご馳走をして饗応してくれる。するともう、その中にも碁の好きな連中のことなれば、早や盤を持出して代る代る打ち始めている。
・かくて二三日も逗留したので、8人の者共も家の事が気掛かりとなり、いざ家へ帰ろうと言い出した。老人はさらば帰宅される前に、何がな馳走にと思い容易に求め難い魚を手に入れたゆえそれをご馳走する。
・主人はこの魚を料理して座敷へ持ち出し、この魚を食すれば長生きする効き目がある、皆々ゆるりと召上れと言った。8人の者は有り難しと礼は述べたものの見たことも食したこともない魚ゆえ、無気味に思いさような珍しい魚は一人で食するは惜しければ土産にすると言い、それを紙に包んで、やがて厚く礼を述べてその家を立出でた。
・主人はさらば滝の所まで見送り申さんと言いながら、滝の所で暇乞いして立別れた。8人の者共は紙に包んだ魚は皆途中で捨てて仕舞った。その中の一人だけは家へ持ち帰った所、家の子供で何とも知らず食ったのがある。この子は後に8百歳まで長生したと言い伝えるが、8人の者共家へ帰って見れば、家の者共死人が甦ったとて喜んだのも道理、ほんの二三日の逗留と思った間は3年の月日が経過していた。またその魚は人魚であったと言う。
<大滝谷の大滝>
・この滝には、時折どこからともなく碁をうちに来る翁が、ある日、お礼に村人たちを大滝をくぐった向こう側にある自宅に案内し、帰ってきたら3年の歳月がたっていた、という伝説が残っている。
<異人のくれた書 魚津市>
・島佐平というものが夜中に邑を行く。風雨があって月が暗い。油衣(かっぱ)を着けたもの4人に街で遭った。この4人のもの佐平にかって曰く、われらは紙を需めているわれらの為に買ってくれよと。その言葉つきが甚だ鷹揚である。そこで紙40枚を買って与えた。するとその価も出さずまた謝することもせずして去って仕舞った。佐平も別にこれを咎めずに別れた。あくる朝早く庭に出ずると、異人があって立っている。その容姿は気高く、眉は美秀、威風が有る。佐平が首を下げるのを見て異人の言うには、われに従って来れと。
・佐平は異人に従って、常に知っている途を歩むこと百歩ばかり。又今まで見たことのない山野を行くこと五六里にして広い野原に到った。そこには席を設けて20余人のもの列居して酒宴を催している。その人を見るに皆自分を伴った異人と同じことであるが、ただ老人があったり少年があったりするだけの違いだ。
・一小児があって三四歳に見えるが、この異人等の間にあって能く仕えている。一老人はこの小児に命じて、汝を役人へ送る書を書せと言った。小児は紙や筆を出して書く。
・佐平はその中の二つだけ食した。その余りは持参し、いよいよ別れを告げんとすると、その異人はまた餞(はなむけ)として言うには、汝父母に仕えて能くその力をつくせよ鬼神を祭るに能く誠敬なれ、能く汝の産業を修めよと。かくてまた送られて途五六里にして佐平の知っている旧道へ出た。送って来た異人がさらばと言って別れたと思えば、忽ちその姿が消え去った。
・佐平は一人となって日暮れ方に家へ帰って来た。そこでその与えられた書を見れば、前夜自分が買った紙である。書は拙くないが読んでもその文章の意味が分らない。この島佐平というのは魚津の人である。時は明和元年(1764年)のことであった。
<天狗様と京見物 富山市>
・富山から半里ばかり南の方に太郎丸というのがある。今は富山の町もだんだん南へ延びて行ったからこの村まで町つづきのようになって仕舞った。この村の百姓の子で、富山へ養子に遣られていたものがあった。ある時その養父の某が、この子に向かって、家に藁が少し入用であるから太郎丸へ行って貰って来いと言った。その子の名は与太郎である。
そこで与太郎は親の所へ行ってその話をすると親共は、それは何より易いことであるといって言うだけ与えた。当時11歳の与太郎は藁4束を担いで帰って行った。
・話変わってこちらの養父は与太郎の帰りを今か今かと待っていたが、その日は帰らなかった。あくる日になって、太郎丸へ問合わせると、昨日七つ頃に藁を担いで帰ったに相違ないとの話。それは大変、何所へ行ったものであろう神隠しに逢ったのでなかろうかと、宮や林の中を、鉦太古を打ち敲きながら与太郎、与太郎と呼び廻って歩いた。すると与太郎は、太郎丸を出て3日目の暮れ方に、富山の東に当る一里離れた、新庄の宮の前に佇んで居るのを見つけ、漸く連れ帰って翌る日、気の鎮まったところで、如何した理由で新庄へ行ったかと訊ねた所、与太郎の言うには、自分は藁を担いで太郎丸から田地方まで来て、橋の上で藁を下し休んでいると宮の林の上に緋の衣を着た出家が綾を織って居た。面白そうであるからこれを眺めて居ると、その出家は何と面白いであろう、我と来ればまだまだ面白いものを見せてやろうと言いながら、自分を抱えてとある山へ行き、ここを知っているかと問うたから知らぬと答えたら、ここは加賀の白山であると言った。
・それから寺の座敷に入ると沢山の人が酒盛りをしていた。そこで酒を飲み菓子を食いまた抱えられて、京へ至った。そこで芝居を見に行き、桟敷に至ると大勢の見物人が居り、さて菓子、にしめ、酒など取り散らせるのを飲み食いして見物し、町を見物するといって連れていかれた。
・またこの出家に抱えられて高い山の頂上に至った。ここは立山である。本社を拝めとのことで、神前に至ってこれを拝し、今度は大きな伽藍の堂の上に至った。ここは信州の善光寺であった。阿弥陀を拝し終って、それから最後に林の上へ来たのが、新庄の宮であった。そこでこの出家がお前の家はこれから近いと言って背中を一つ叩かれたら空から下へ落ちた。その後は何にも知らないと答えた。
<売薬屋が泊まり合した天狗の宿>
・天狗は居るとか居ないとかについて昔から色んなことを云う人もあるようだが、事実は到底否定は出来ない事でしょう。只今お話申すのは、つい先達てあったことを聴いたのです。当市諏訪河原三橋清助と云う売薬さんが有ります。その方が但馬方面に売薬行商に行かれる、その旅先であった話です。
今春売薬に旅立ちせられた時は、丁度奥さんが身重になって居られたので、しかも臨月に近い所でしたので、行商先でも清助さんが常に、うちのことを案じ、奥さんのことも案じつつ旅先を廻って歩かれました。
・ところが、但馬の国である家に泊まり込まれました。ご承知の通り売薬さんは旅先では一部落を廻られる間は、ある村の庄屋とか何とか云う、その村で有数な家に10日とか15日間とかまで滞在して「富山の売薬さん」で大層優待も受ける。それに毎年毎年そのようにして参りますから、それら家族とも親しくなって何事も話すようになっている。
・ところで、ただ、ある家とばかり承って所と家の名を聞きませんでしたが、ある家に泊まっていた間に、その家の主人に奥さんの身持ちのことから、うちの方の心配になることを話しますと、宿の主人は「それ程ご心配ならば私が見て来てあげましょう。今日は少し忙しいから明日は必ず見て来てあげる」と言われるから非常に驚いて、何百里ある所を時間と費用を使ってそれ程までして下さらんでも大丈夫、ただ案じられると話しただけです、と打ち消しますと、宿の主人平気に澄まして「なに訳がありません」と言っています。さて、その明日は例のごとく売薬に付近の村を廻って夕方帰って参りますと、主人は直ぐ行ってきました。貴方のうちはこんな家で、座敷はこれこれで何の間に奥さんが居た、子供は一昨夜生まれて母子共に健全、男の子だからお喜びなさいと云われて、更に驚いた。
・子の生まれたことは分からないが富山へ一度も来ない人が自分の家の様子をスッカリ云うから一体どうしたのですと尋ねると主人は平気で私の家は代々天狗の宿をしているので、それ位の便宜は取り計って貰えますと云う。明治聖代にも変なことを聴くものだと思えながら天狗さんの様子を聞きますと天狗と云っても別に鼻は高くはない、ただの人間と同じで老人である事は事実、それにその友達も時々お遊びに御出でるが皆白髪の老人のみです。唯、潔癖でその室が少しでも不潔だと小言を並べられるので非常に気がういとのこと。清助さん好奇心に駆られて一度会わせて貰いたいと頼むと、天狗は主人だけの眼に入るが、その外誰の目にも入らぬとのこと、それならばどうして私の家を見て来たかと聴くと、それは天狗に背負われて眼をつぶすと2、3分間にして数百里の所へ達するとのことである。そして2日経つと果たしてうちから手紙がきて男子分娩母子共に健全とのことに驚かされた。それから売薬を終わって国に帰り、こんな人が来て行ったかと聴くと何も知らぬと云った、しかも、うちの当時の様子と宿の主人の云った事と少しも変わらなかったそうです。
『最近UFO学』
<エリア51 S-4地区の秘密>
・エリア51(ネバタ州ラスベガスの北東部地域)内にあるS-4と呼ばれる地区はUFO研究が行われていると噂されている場所である。この地域は砂漠の真ん中にあり、四方を山に囲まれているため周りから内部の様子を見ることがまったくできない。
・この秘密施設の中でUFOの推進エネルギーの研究を行っていたという証言者が現れ、一躍UFO研究家の注目を浴びた。この証言を行ったのは、ロバート・ラザー氏という物理学者で、彼はエリア51内にある研究施設で現物のUFOの推進エネルギーの研究をしたというのである。ラザー氏は、EG&Gという会社に勤める契約をしたところ、会社ではなく、エリア51の中にある研究施設に連れて行かれ、驚いたことに宇宙人に関する資料を見せられた。その資料には、宇宙人の解剖写真まで載っていたという。さらに閉ざされた格納庫に連れていかれ、その中にあるUFOを魅せられた。そこには3機のUFOがあり、そのうちの一機の推進エネルギーを研究するように命ぜられたという。
そこには閉ざされたままの格納庫もあり、数から考えれば、全部で9機のUFOがあったはずだと証言しているが、実際に見たのは3機である。またUFOは実際に宇宙人から提供されたものだということだった。
『宇宙と人間の謎』 人類に危機が迫っている
(深野一幸)(成星出版) 1998/2
<異次元からの宇宙人がいる>
Q.: 異次元からの宇宙人が来ているというのは本当か?
A.: 容易に信じられないが、真実のようである。宇宙は多次元構造でできており、我々の住む物質世界は三次元世界である。地球に進化した宇宙人がやって来ているが、彼らは、三次元世界からのみやってきているのではない。四次元世界にも、肉体を持った人間の宇宙人が存在し、地球にやって来ているようである。
<4次元も物質世界>
・オスカー・マゴッチが行った星は4次元の「アルゴナ」という惑星である。ただし、地球の次元と4次元は同じ空間にあるが、波動が異なるため、お互いに見えない。マゴッチのいう4次元や5次元は幽界や霊界ではない。れっきとした物質世界である。3次元から4次元への移動は、UFOに乗りUFOの波動数を上げることにより行う。波動数を上げると3次元世界が徐々に消え、4次元の物質世界から3次元の物質世界への移動は、UFOの波動数を下げることにより行う。すると、4次元世界が徐々に消え、3次元世界が現れる。
<4次元の肉体を持った人間の特徴>
4次元の肉体を持った人間の宇宙人は、次のような特徴を持つ。
◇振動数が高く地球人の目には見えない。振動数を下げると見える。
◇極めて高度な科学技術を発達させている。
反重力で飛行する宇宙船(UFO)を開発している。
◇精神性の高い人間である。
人間の輪廻転生や宇宙のしくみを知り、創造主を敬う精神性の高い生き方をしている。
◇超能力人間である。
肉体の振動数を変える能力、テレパシー能力、マインドコントロール能力、予知能力、オーラを見る能力、ヒーリング(病気を癒す)、テレポーテーション(瞬間移動)、物体浮揚、物質化、透視などの超能力を持つ。
◇寿命が非常に長い。
地球時間で、200~800歳である。
◇お金(貨幣経済)のない社会を実現している。
欲しいものは無料で手に入る。
<5次元以上にも生命体は存在するか?>
・5次元以上にも生命体は存在する。以下はマゴッチの伝える情報である。
◆5次元の生命体
- 4次元の宇宙人(人間)が進化して、肉体に宿ることを卒業した霊的生命体、自分の意志で肉体を持った人間になることもできる。
- 宇宙の階級では、第5階級で、密度でいえば第5密度の生命体。
- コズミック・トラベラー(宇宙の旅人)とも呼ばれ、6次元のガーディアン評議会の命令で、遅れた星の宇宙進化の促進などを行う。
◆6次元の生命体
- 5次元の生命体が進化した霊的生命体。ガーディアン(守護神)とも呼ばれる。昔、肉体を持った人間であったが、霊的に進化して霊的な存在となった生命体で、人間世界を指導している。
- 50人のガーディアンでガーディアン評議会を構成されている。
- 宇宙の階級からいえば、第6階級で、密度でいえば、第6密度である。
◆7次元の生命体
- 6次元の生命体が進化した高級な霊的生命体。
- アセンディド・マスター(高級教師)とも呼ばれ、7人存在する。
- 宇宙の階級からいえば、7等級という。密度で言えば、第7密度である。
◆創造主(偉大な潜在界)
- 究極の次元には、金白色のとてつもなく大きな光で、全てを包含する存在がある。
- これは、宇宙を創造し、宇宙全体を統御しており、神、宇宙意識などとも呼ばれる。
<進化した高等知性体>
<地球人、進化した人間の宇宙人、高級な霊的生命体、これらはどんな関係にあるか?>
・地球人が何度も輪廻転生して霊的に向上し、地球を卒業すると、4次元の星の人間に転生する。これがアーガスやドン・ミゲルなどの進化した人間の宇宙人である。
4次元の進化した人間が、さらに進化すると肉体に宿る束縛から開放され、5次元の霊的生命体になる。5次元の生命体は、自分の意志で肉体をもった人間にもなることもできる。このような存在がクェンチンである。
5次元の霊的生命体が、さらに霊的に進化すると6次元の霊的生命体になり、6次元の霊的生命体が、さらに進化すると7次元の霊的生命体になるわけである。
簡単にいえば、地球人の進化した存在が、宇宙人であり、宇宙人の進化した存在が高級な霊的生命体になるという。
なお、霊的に上位の生命体は下位の生命体をサポートする義務がある。
『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』
神様に溺愛される人の法則
保江邦夫 徳間書店 2015/11/5
・僕は常に空間を友として人生を歩んできた。その事実にようやく気づくことができたのが、2015年の5月。そのこと自体が、まさに長年僕の追い求めてきた「愛の宇宙方程式」の解だったのである。つまり、どうすれば幸運に恵まれ、神に愛され、天使に護られるようになるのかという疑問に対する極めて単純な解答は、単に「空間を友とする」というだけのことだった。
<アメリカインディアンたちもそれを見分ける感受性があったのだった。>
・セドナ・ヴォールテックスの上空には、よくUFOが飛来するというガイド兼運転手の言葉で全員が空を見上げたのだが、残念ながらそのときはUFOを見ることはできなかった。それでもジョセフソン博士を含めた全員がUFO談義で盛り上がった。その帰路、僕は国際研究集会後、お隣のネバダ州にあるといわれているアメリカ連邦政府の機密研究施設エリア51を訪ねてみるつもりだと白状した。
・こうして、日本人2名という外国人4名による、アメリカ連邦政府の隠蔽工作を暴くための危険極まりない旅が始まった。むろん、我々4人はグランドキャニオン見物やナイアガラ瀑布観光の延長程度のつもりで、いたってのんきな長距離ドライブを楽しんでいた。朝から昼食時以外は走りっぱなしという強行軍で、何とか日が暮れるまでにはエリア51にいちばん近いとされるアラモ村に到着した。
・食堂の主人にエリア51までの道を教えてもらった。1時間ほど砂漠の道を走った先に、エリア51へと向かう舗装されていない荒れ道がある。その荒れ道をさらに1時間ほど走った先にあるのがエリア51の入り口だった。
・1時間ほど走り続けた車は、「コヨーテ峠」と記された小高い丘の上に差し掛かった。アラモの村からこのコヨーテ峠の間にエリア51への荒れ道があると聞いていたが、それを見過ごしたことに気づいて車を路肩に止めた。すぐに引き返せばよかった。だが、このコヨーテ峠からは夜間にエリア51上空を飛行実験するUFOが目撃されるという話も聞いていたため、窓を開けてしばらく夜空を見上げていた。
・「あれはUFOの牽引ビームなんかじゃなくて、エリア51の警備車両が我々を威嚇するために放ったサーチライトだったんだ。後ろから2台のジープが猛スピードで追いかけてくるぞ、クニオもっとスピードを出せ!!」
・とはいえ、新手も加わった3台の追手は依然として猛スピードで我々を追跡していたわけで、危険な事態は何ら改善されてはいない。そのまま30分以上砂漠でのカーチェイスを続けていく間に少しずつ落ち着きを取り戻していた僕の頭は、それでもアドレナリンのおかげで高速回転の状態が維持されていたようだ。必死の運転を続けながら、それまで観たハリウッド映画のアクション場面を次々に思い出していた。カーチェイスの果てで主人公がどんな行動を取っていたのか、その中に今現在この自分が置かれた状況にいちばん近いものを見つけ、これからの行動の指針とするためだった。
・主人公の英語の台詞までもが細かく思い出されたとき、好都合にも前方からアラモの村の明かりが飛び込んできた。村外れに差し掛かる頃には、24時間営業のガソリンスタンドの看板が視界に入り、ハリウッド映画の主人公気取りの僕は、車内の3人に簡潔な指示を出した。
「いいか、あそこのガソリンスタンドの事務所の前に車を横付けにして止めるから、3人とも自分のドアから車外に出て事務所の中に走り込むんだ。車のドアは開けたままでいいから、できるだけ素早く飛び込んでくれ。僕もエンジンを切ったらすぐに出ていく。いいな、今のうちに全員シートベルトは外しておけ」
・スコットが「エリア51の近くから警備のジープ3台に追いかけられてきたんだが、我々だけなら逮捕されても誰にもわからないので、このガソリンスタンドに飛び込ませてもらった」と答えたところ、「おかしいな、警備兵たちは夜中にエリア51に近づこうとする連中をちょっとだけ脅して追い払うだけで、普通はこんな村の近くまで追いかけてくることはないんだが……」と訝しそうな表情でカウンターから出てきてくれた。「俺がちょっと外を覗いてくるから、君等はそこでコーヒーでも飲んでいてくれ」と告げて出ていった彼が5分ほどで戻ってきたとき、その顔は確かに深刻な表情になっていた。
聞けば、ガソリンスタンドから50メートルのところに3台のジープが止まったままだったといい、彼等が諦めて基地に引き上げるまでここにいたほうがいいと言った。我々は若い店員の厚意に甘えることにして、店の中にあったスナック菓子などをコーヒーで流し込み、長時間の籠城に備えた。
・幸い30分もしないうちに警備のジープは立ち去り、店員に心からの礼を伝えておそるおそる車を出し、村のホテルへと帰った。無事にホテルにたどり着き、各自がそれぞれの部屋に入れたときは、すでに夜中の2時近くになっていた。その日は早朝にアリゾナ州ツーソンの街を出発し、かれこれ18時間も運転しっぱなしだった僕は、部屋に入った瞬間、極度の疲労でそのままベッドに倒れ込んで眠りこけてしまった。
遠くでドアを叩く音が徐々に近づいて聞こえ、目を覚ました僕は、「クニオ、大丈夫か!?」というかけ声にやっと気づいて起き上がった。フラフラとした足取りでドアを開けてみると、そこには3人の心配そうな顔が並んでいた。寝ぼけ眼を擦りながら能天気に「大丈夫かって、いったい何のことだ?」と聞いた僕に、3人が一斉に畳みかけてくる。
「昨夜このホテル上空に来たUFOに気づかなかった!?」
一気に目が覚めた僕は、逆に3人に問いかえる。
「UFOが現れたって!?」それに続けて今度は日本語で助手に言い放った。
「どうしてそのときに僕の部屋のドアを叩くか、部屋の電話を鳴らして知らせてくれなかったんだ!?」
悲壮な顔をした助手によれば、恐怖でベッドに滑り込んでいて、とても動けなかったという。
・助け船を出すようにスコットも続けて言った。
「クニオ、僕も恐怖で何をすることもできなかったんだ。ガソリンスタンドを引き上げてきてからも、あまりの興奮で眠ることもできなかった。ビールを飲んで頭を冷やそうとしていたところに、遠くから大型トラックが何台も接近してくるような音と振動が伝わってきた。たくさんの警備兵たちが今度はトラックに分乗して僕等を捕まえにきたのかと思って慌てたわけさ。それで窓のカーテンの裾を少しだけ上げて外の道路の様子を見てみたんだが、音がする方向には大型トラックはおろか車の姿は一台もなかった。
それでも音と振動はどんどん大きくなってきて、しまいには部屋の調度品などがガタガタと揺れ始めたんだ。これは大型トラックが部屋にぶつかってくるかもしれないと思い、とっさに部屋の反対側の奥に逃げた瞬間、恐怖のあまり思わず漏らしかけたよ。だって、その大きくなったブーンという金属音は、直後からはこのホテルの真上からしてきたんだ。そのときには、ベッドやクローゼットまでもガタガタ激しく振動し、生きた心地がしなかった。
その後は徐々に音も振動も小さくなっていったんだが、もう怖くて一睡もすることができなかった。夜が明けて、ホテルの人も外を歩くようになったのを確認して部屋から出てみたら、君の助手も同じく眠れなかったようで、真っ赤な目をして部屋から出てきたのさ。ところが、君だけがいつまで経っても部屋から出てこない。クニオのことだからひょっとしてUFOを確認しに部屋の外に出たまま連れ去られてしまったんじゃないかと心配になって、それで部屋のドアを叩き続けたんだよ。まあ、こうして無事な姿を見て安心した」
・興奮の収まらないスコットの説明でやっと昨夜の全貌をつかんだと思った瞬間、ドアの近くに立っていた僕の視界が一瞬上下に激しく揺さぶられた直後、「ドゴ―ン!!!」という特大の衝撃音が4人の脳天を貫いていた。かろうじて正常な視界に戻った中で、驚愕の表情のままのスコットのずっと後ろをホテルの主人がリネンを運びながら、まるで何もなかったかのように平然と歩いていく姿に、僕は大きな違和感を覚えた。そう、エリア51に近いこのアラモの村の住人たちにとって、あの全身を揺さぶる謎の衝撃音は日常茶飯事だったのだ。
その謎が解けたのは、この日から実に10年以上が経過してからだった。アメリカに住む知り合いがコロラド州デンバーにあるアメリカ陸軍特殊部隊の基地で見学したことを教えてくれたのだ。エリア51で秘密裏に開発されてきたUFOが、隊員と装備を乗せてペルシャ湾岸へと瞬間移動するときのことを。そのUFOは「飛ぶ」のではなく、金属の回転音のような音が大きくなるにつれ、UFO自体の銀光沢の姿が半透明になっていったかと思うと、「ドカーン」という大音響と激しい衝撃波を放ちながら瞬間的に消えてしまったという……。
・そう、デンバーに置かれていたUFOがペルシャ湾岸の作戦目的地の空間へと瞬間移動するとき、UFOの体積が占めていた空間が突如空っぽになる。そのため、周囲にあった空気の分子が猛烈な勢いでその真空になった空間に向かって吸い込まれていく。そのときにできる、空気の高速の流れにぶつかり合って生まれる衝撃音が「ドカーン」と聞こえ、さらには衝撃波となって遠方にまで振動が大きく伝わっていくのだと。
エリア51の近郊にあるアラモの村で体験した激しい衝撃音と振動こそは、当時そこで開発され試験運行を続けていたUFOの存在を裏づけるものだったのだ。
<次元転移>
・では、いったい誰が僕を許していなかったのだろうか?いわゆる世間一般の考え方によれば、それは当然ながら「神様が許さない」、いや禅寺の管長故に「仏様や御大師様が許さない」ということになるのだろう。だが、せっかく湯川秀樹博士の素領域理論によって「愛」や「情」、さらには「神意」や「神」そのものといった形而上学的な概念をも物理学の枠組の中で定義し、解明することができることに思い至っていた僕なのだ。ここは、「許さない」ということの意味まで含め、このとき不運に見舞われ続けた現象を、単に「素領域の反応」として捉えようと考え始めたのは自然なことだった。
・これを言い換えるならばさしずめ、愛することで「空間が味方になる」、あるいは「空間を味方にする」ためには愛すればよい、ということになるだろうか。「空間を友だちにする」とか「空間が味方してくれる」としてもよいかもしれない。
要するに、これもまた物理学の基本法則のひとつである「因果律」なのだが、素領域の集まりとしての空間に対して、我々人間がどのように向き合うかということで、その空間が我々に対していかに振る舞うのかが決まってくるのだ。素領域の集まりとしての空間は、それ自体で「神」として、我々人間や自然界に対峙しているのかもしれない。だからこそ、我々は「空間」の存在を絶えず意識し、それに向かって「愛」で臨みながら生きていく必要があるのではないか。
『予定調和から連鎖調和へ』
アセンション後、世界はどう変わったか
保江邦夫 風雲舎 2013/9/27
・世界が変わった!連鎖調和から生まれる願いがかなう世界、時空を超えた調和のあるいい世界。僕らは今、その裂け目の真っただ中にいる!
<世の中が変わったのだから、みんなも変わらなければいけない>
<UFO体験再び>
・小学校2年生のときに初めてUFOを見た。UFOというのは“Unidentified Flying Object”つまり「未確認飛行物体」のことだが、多くの場合、地球外知性体が利用する移動手段を意味する名称として使われている。子どもだった僕がこの目で見たUFOも、当然ながらその意味でのUFOだったと信じている。
・ところが、2012年の8月21日の午後5時過ぎ、僕はついに2度目のUFO目撃を果たす。場所は岡山市中心部上空で、西に向かって飛行していた卵形の銀色に輝く機体のUFOだった。はっきりと卵形の形状やその色、光沢の程度さえ見分けることのできる距離で僕は見た。やったやった、ついに2度目の出会いがかなったと小躍りして喜んでいた翌日のこと、『アガスティアの葉』(三五館刊)というインドの聖人サイババについての話題作を書いたことでお名前だけは存じ上げていた青山圭秀さんが大学に僕を訪ねてきてくれたのだが、そこで目撃したばかりの卵形についてお話したところ、逆に岡山はUFO目撃のメッカだと教えてくださった。
そのいい証拠にとお話ししてくださったのが、岡山県北にある蒜山(ひるぜん)高原でのあるご婦人によるUFO目撃談だった。青山さんの知り合いに70歳過ぎの倉敷在住のご婦人がいて、蒜山高原にある彼女の別荘にUFOが降りてくるという話だった。その女性の話によれば、UFOは2度も別荘の庭に着陸したという。2回目のときは、彼女はすぐさま東京の青山さんに電話したとか。電話口で青山さんが、
「なぜUFOに乗り込まないのですか!」
と彼女を問い詰めたら、
「あなたは現場にいないからそんなことを言うけど、私は恐くて腰が抜けて歩けなかった」というご返事だったそうだ。
青山さんはすぐに蒜山に行って緑色の芝生が円形に茶色になっているのを見た。明らかに何かがここに降りたという形跡があり、焦げているのかと思って芝生をよく見たら、葉っぱは活き活きとしたまま、色が単に茶色になっているだけだった。芝生は枯れて死んではいなかった。しばらくすると芝生はまたすぐに青く色が戻ったらしい。
・そんな話を聞いて僕もその女性の別荘に行きたいなと思っていたが、青山さんとは初対面なのでそんな図々しいお願いをするのははしたないと思っていた。そのうち、僕が書いた何冊かの著書の読者だという方から、出版社経由で電話がかかってきた。倉敷でパン屋を経営している女性だったが、聞けば僕に会いたいとのこと。倉敷のお店に出向くと、彼女の友達というのが、そのUFOが着陸した別荘の持ち主の女性だということがわかった。
・そのご縁があって、しばらくしてご本人から電話がかかってきて、蒜山の別荘でUFOをご覧になりたいのならいつでもどうぞということになった。そんなこんなで、別荘の持ち主ともつながった。こうして人はつながる—―そんなことに僕は気づき始めていた。
むろん、UFOが頻繁に見えるその別荘に行きたい。あわよくば、庭に着陸したUFOに乗り込みたい。そんな思いがつもりつもって、世界が変わった日から1日が経過した2012年12月23日、岡山県北にある蒜山高原で、何人かが集まってUFOを観察しようということになった。宇宙人の魂が宿っているとおぼしきメンバーを10人ほど集めた。
・ところが、直前になって別荘の持ち主の女性から連絡があり、今年の蒜山はとくに雪が深く、先週、ガスも水道もみんな閉めてしまったし、別荘までの林道も雪に埋まってしまったので雪上車でしか行けないとのこと。困ったと思っていると、蒜山高原に大学のセミナーハウスがあって空いているという吉報が舞い込み、そこを借り切って行くことになった。
行ってみてわかったのだが、そこはその別荘のご近所で、しかも除雪もしてあるため普通の乗用車でも駐車場まで入っていくことができる。晩ご飯を食べてから防寒着をしっかり着て、セミナーハウスの広い駐車場に出てみんなで空を見ようということになった。
・僕自身はみんなに声をかけて集めたけれど、じつは蒜山にUFOなんて出てきっこないと思っていた。でも、他のみんなは出て来るのを信じている。とくに東大医学部の矢作直樹先生は今まで一度もUFOを見たことがなく、僕がアレンジしたからには今回は絶対UFOが出てくると信じてくださっていた。だから僕本人が信じていないなんて、とても言える雰囲気ではなかった。
そうしたら、夜空を見上げてから十分もしないうちに、なんとかなりの高度をジグザグに飛び交うUFOの光点が出た!
・そんなときに、セミナーハウスの食堂の賄いのおばさんが駐車場にやってきて、「みなさん、どうされたのですか」と聞く。
「あそこにUFOが!」と言ったら、そのおばさん、事もなげに平然と、「あ、こここらあたり、よく出るんですよ」みんな、目が点になっていた。
僕自身何十年もこの大学にいてそんなことは一度も聞いたことがなかったし、過去セミナーハウスに何度か行って、そのおばさんとも面識があった。学生も教員もみんなよく行っているのみ、UFOの噂なんてこれっぽっちも立たなかった。それなのに、なぜこの2012年12月23日の夜、いとも簡単にそのおばさんが、「ここらあたり、UFOがよく出るんですよ」なんて言うのだろう。
・僕はなんとなく思った。ああ、このときからすでに変わったんだと。
これまでだったら、僕の前にUFOなんて現われるわけがない。それまでも僕はUFOを求めてありとあらゆる資料を集め、関係書を読み漁り、それという風評を耳にするとその地をくまなく歩いてきた。大金を投じて、アメリカのそれらしきUFOの名所も散々歩き回った。
でも子どもの頃に一度、加えてこの8月、岡山市内の上空で見た2回きりだった。あるときはアメリカからやってきたグレゴリー・サリバンというUFO青年が岡山に来てUFOを呼ぼうとしてくれた。見識もキャリアもかなりのUFO専門家だったが、残念ながら雨が降り出したために中止せざるを得なかった。
・UFOを求めて放浪した僕のストーリーは、それこそ筆舌に尽くしがたい。天文学を目指し、ついで物理学を志向したのも、じつはといえばUFOにまためぐりあいたかったのかもしれない。UFOについてきちんと研究するには、天文学や物理学の見識が必要不可欠だとも思えた。こうして、準備万端整っていたにもかかわらず、2012年の8月21日まではまったくの空振りに終わっていた。
・今まで何十年と日常的に会話していた大学のセミナーハウスの賄いのおばさんが、狐やタヌキがよく出るとでもいうように、「ここ、よくUFOが出るんですよ」とごく当たり前のように言う。僕は口を開けて驚き、みんなも驚き、こうして蒜山高原の一夜は盛り上がった。
小学校2年生のとき以来、ずっと熱望していたUFOが、2012年12月22日に世界が変わったといった途端に、なんでポイと出てくるようになるのか?
でも僕は、そのときでさえ、世界が変わったとはほんとうに思っていなかった。
<あの悪魔がいた>
・ルルド最後となる4日目の朝、7時半頃に朝食会場に行くと、ご夫妻で巡礼旅行に参加されていたお二人が少し遅れてやってきた。旅行の間ずっと脂っこい料理を食べ通しで余分な脂肪がついたので、洞穴をグルッと回って走ってきたそうだ。
僕を見つけるなり、ご主人が「いた、いた、あの悪魔がいた!」と真剣な目つきで訴えてくる。10年前に僕が出会った悪魔が洞穴の入り口のところにいたという。その悪魔の権化となった女性はヤッケを着てじっと座っていて、気味が悪いことこの上ない。しかも、今回は10年前の赤いヤッケではなく、白いヤッケだという。このご主人は僕が10年前のルルドでの神秘体験をペンネームで公表した『魂のかけら—―ある物理学者の神秘体験』(春風社刊)を愛読していたので、10年前にルルドの洞穴の中で赤いヤッケを着た凍るように美しい女性の姿で現れた悪魔の話を覚えていたのだ。
僕は、いくらなんでも今朝のその白いヤッケの女性はあのときの赤いヤッケの女性とは関係ないなと思った。10年前に30代と思われた女性なら、今は40代のはず。なのに、僕が本で書いたとおりの30代の美しい横顔の女性だというのだから……。朝食後、また迫先生たちと一緒にルルドの洞穴へぞろぞろと歩いていった。9時半頃に洞穴に着くと、先ほどのご主人が「ほら見て、まだいる!」と僕の耳元で叫ぶ。
ほんとうにいた!
・顔は見えないけれど、見た瞬間にわかった。白く長いヤッケにフードをかぶり、横から見た感じがあの10年前の悪魔とそっくりだった。10年も経っているのに、歳はとらずにそのままの姿だった。ぜったいにあの悪魔だと確信できた。9時半頃だからあたりには観光客の姿も見える。周りの人も不気味そうに彼女のそばには近づかない。ひときわ異様な修道服のような白い服が目立っていて、魔女という魔物というか、この世のものとは思えない。それがわかるから、みんな遠巻きにしている。
僕たち一行は洞穴のお参りを断念して、教会へ向かった。ちょうど始まろうとしていたカトリックのミサに参加し、そして町に行って昼食にし、いい店に当たってみんなおいしくいただいた。それから再び洞穴に向かうと、さっきの悪魔の姿は消えていて、迫先生を交えて安心してちゃんとお参りすることができた。
<天使様の祝福の行列>
・時計を見たら、もう11時45分。12時には聖域の門が閉まるから急いで帰らなければならない。あたりは真っ黒闇。速足で門のほうに向かって歩いて行くと、正門のほうからロウソク行列がやってきた。20人くらいの12、3歳ほどの少年少女たちの行列。
え、こんな時間に?
ありえない。普通のロウソク行列は夕方だ。子どもだけではやらない。明らかに異界の子どもたちという感じ。しかも閉門まで15分しかないのにと、不思議に思いながら門へ向かった。すれ違うときに「ボンソワール(こんばんは)」と声をかけたが、行列の誰も何も言わない。どんなフランス人でもすれ違うときには必ず挨拶してくれるのに、まったくの無言。
無視されたことでほんの少し腹を立てた僕は「何だろう、こんな夜更けに、こいつら?」と思いながら、ロウソク行列をやり過ごした。
門を出てホテルに向かって歩いている途中、ふと身体の変化に気がついた。
あれ?痛くない。
そういえば、脇腹の肝臓あたりの嫌な鈍痛が消えている。あれ、どうしたんだろう?そういえば左の奥歯も痛くない。飛行機の中では痛くて機内食も満足に食べられなかった。右側の歯で噛んでも左の奥歯に響いて痛かったのに、それもなくなっていた。
翌朝、肉も野菜もバリバリ食べて、久しぶりに思いっきり食事を楽しんだ。あんなに痛かった奥歯の痛みがすっかり消えている。
僕は直感した。マリア様は、愚かな僕をまた救ってくださったのだ。
10年前、信者でもないこの僕が大腸癌で死にゆく恐怖と極度の痛みから逃げたい一心で、必死ですがったときにもマリア様は救ってくださった。それをいいことに、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の成句どおり、その後時間が経つにつれて再び暴飲暴食が目立つようになる。その結果2年ほど前から再び内臓に痛みを感じるようになり、今回の旅行から帰ったらすぐに10年前に緊急手術をしてくれた医師に診てもらおうと観念していた。
そんな、情けないこの僕を、このときマリア様は再び救ってくださったのだ!
一瞬で、それがわかった。身にしみて、わかった。
<ノートルダム大聖堂での大天使ミカエルとの再会>
・人波を搔き分けて彼のところに行き、「ありがとう。冊子をもらってずいぶん助かったよ」と言って、僕は握手を求めた。さっきはあんなに親切に、わざわざ9ページだよと進行具合まで教えてくれたので、向こうも同じような笑顔で応えてくれると思った。ところが僕が手を差し出すと、若者は急に真剣な、厳かな顔になって、背の高い身体をさらに後ろに反り返らせて威厳をみなぎらせている。まるで俺はお前なんかと握手する筋合いはないという雰囲気だ。
なんだなんだ。なんでお前。そんなに偉ぶってんの。この若者が……と僕は思った。しかしいったん差し出した手をどうしたものやら、そのままでは格好がつかない。「こいつ、ほんとに何を考えているんだ」と慌てていると、彼の表情がますます厳かになって、王様や王妃様が謁見の場で臣下に手を差し伸べるような感じでゆっくりと上からの目線になって手を出しはじめた。でも、とにかく手を伸ばしてくれたのだからまあいいやと思って手を握った。そして、彼の手に触れた瞬間。「あ、これは!」とピンときた。
そう、彼は、大天使ミカエルだった!
『宇宙人についてのマジメな話』
(平野威馬雄)(平安書店) 1974年
<空飛ぶ円盤に憑かれた男>
・ 星の住人は、ちゃんと男女の性別があり、目は碧く、髪は金髪だったという。
・ 地球人ともっとも違うのは、その生存期間です。百歳はまだ幼児期で、平均寿命は3万年から4万年ということでした。それに「老」「病」がなくて、3万歳の人も青年みたいな風貌をしていました。
・ 住民は小型円盤がそのまま、マイハウスになり、高層建築に見えるものも、小型円盤の積み重ねだったという。
・ 空飛ぶ円盤なので、移動はむろん簡単。
・ 星全体が単一国家でほしいものは定められたところへ行けば、すぐに支給されるので、争いもなく戦争も皆無の理想郷。
『UFO革命』
(安井)・普通の日本人よりもっと立派な日本語、まるでアナウンサーみたいな日本語で、声もそういう調子でした。
・ええ、高いんです。背が私の倍ぐらい、2メートル4、50ありました。
・「もっと遠い星で、太陽系の外の星なんです。まだ地球上では確認されていないので名前もありません」
・私のことは子どもの頃から全部観察してあり、記録されてあるらしいですね。
・宇宙人の名前はチュェレイさんといいます。チュェレイさんと一緒にいた女性は、背の高さは私と同じくらい、1メートル70センチはありました。髪の毛は少し長めで金髪なんです。
・母船はものすごく大きく、何メートルなんてものじゃなく、葉巻型になっていて長い方が50マイルぐらいだとチュェレイは言っていました。ということは、岡山県の幅ぐらいはあるでしょうね。とにかく想像を絶する巨大な母船なんですね。
・母船の中を小型円盤がピューピュー飛んでいて、全体が街のようになっているんです。
・どこから灯りが出ているのかさっぱりわからないんですが、とにかく昼間の太陽光線と同じなんです。
・彼らが、植えた草や木もあり、池のようなものもありましたよ。非常に気持ちがいい場所でしたよ。
・建物は地球のビルのように四角形のものや堕円形のものもあり、その中がコンパートメントのように仕切ってあるようですね。
・この母船は、巨大な宇宙空間を飛ぶと、ゼロに近い時間で飛ぶらしいですね。その原理は、私たち地球人の知識では全然見当がつかないですね。そして、この母船の中で、時時、地球の各国の人が招待されて色々な話をすることがありますが、その内容については、詳しいことは公表できないことになっているんです。ただ彼等は、原則として地球には干渉してはいけないことになっているらしいんです。
・飲み物は、地球のコーラに似たようなものを飲ませてくれました。けれど、特別変わった味ではありませんでしたね。そのほかにも甘い飲み物はあったんですが、私は、飲まなかったんです・・・・。食べ物は、肉をやわらかくしてトロトロしたものをスプーンで食べるんです。
・リスの肉らしいんです。それとトウモロコシのようなねぎ坊主に似た穀物をくだいて、粉々に作ったパンのようなものがありましたが、これは大変おいしかったですね。味付けの感じは、いわゆる西洋料理のような感じですね。
・チュェレイ星に行く時は、その母船でチュェレイ星の近くまで行くんです。
・降りたところの風景は、どちら側が北か南か全然分かりませんでしたが、とにかく、一方に海があり、その彼方にうっすらと山が見えていました。そして、海と反対側の方は、降りた所もそうでしたけれど、わりと荒れた土地、いわゆる荒蕪地といったらいいでしょうが、そんな感じの平野のような土地が続いていて、そのまん中に街というより都市といったらいいでしょうか、かなり大きな街が見えていました。
・草はね、少し違っています。ちょうど、芭蕉の葉っぱを少し厚くしたような、あるいはゴムの木の葉のように葉の肉が厚いんです。そういう草木が沢山あり、全部の木が闊葉樹ですね。それから動物もいるんですが、皆大きいですねえ。リスが羊ぐらいの大きさに見えました。ただ全部の動物を見たわけではありませんでしたけれど・・・。
・太陽はあります。ただ地球で見るよりははるかに大きいんですが、逆に太陽の熱は地球よりも強くないんです。そして、チュェレイ星は地球のようには自転していないらしいんです。
・都市というのは、かなり大きな街でした。岡山市の旧市内ぐらいは充分あったと思います。そして、もっと驚いたことがあるんです。最初に降りた所でざっと周囲の風景を見てから、もう一度円盤に乗ってチュェレイ星をグルッと一周してもとの場所に帰って来たんですがー海や山などの風景が同じだったのに気がついたのでチュェレイに聞いたら、「そうだ、最初に降りた場所だ」というのでわかったーさっきあった都市がなくなっているんです。おかしいなあと思って、風景は同じようだけれども、あそこに見えていた都市がないのはどうしてなのかと訊いたら、笑いながら、「あれは全部円盤でできていて、今はもう他の場所に飛び去ってしまったのだ」というんです。
『UFO革命』
<第4種接近遭遇>
<UFOに同乗した人>
・「運動公園でUFOに乗った人」で少しご紹介した故安井清隆(ペンネーム)です。安井さんが初めてUFOを見たのは、昭和28年頃の夏だろうと推定されます。岡山市富田町の家の前で夕涼みをしている時に2日続けて目撃したそうです。
・その人は自分の名前をチユェレイと名乗りました。その後、安井サンはチユェレイさんの故郷の星のことを便宜上チユェレイ星と呼びました。
・昭和35年の5月14日。マスコミ各社が集まっていた総勢100人の観測会で33機の大編隊が現れ、読売のカメラマンが撮影に成功したといわれます。だが、この記事はなぜか発表されていません。そして当日取材に来ていなかった夕刊紙がこのことをスッパ抜き、一躍岡山の話題になりました。
・また、もっと驚いたことには、チユェレイ星を一周してもとに戻ってみると、風景は同じなのに、さっきは確かにあったはずの都市が消えていたのです。チユェレイさんは笑いなら「あれは全部円盤でできていて、今は他の場所に飛び去ってしまったんです」と説明しました。その生活のための円盤は四角形のものも沢山あって、さっき見た都市は円盤が重なってビルのように見えていたのです。円盤は絶えず1メートル位浮いているので、道路を作る必要もないとのことでした。しかし、安井さんはどんな単位で街を作るのか、なぜ街は移動するのか聞くのを忘れたといいます。
・チユェレイ星人はみんな身長2メートル以上ありますが、動植物も全体に大きく、リスでも羊くらい。花も直径3~5メートルくらい、木はすべてゴムのような肉厚の広葉樹でした。
・チユェレイ星人の体は全体的にひとまわり大きいものの、地球人と同じです。生殖行為もほとんど同じということでした。原則として一夫一婦制ですが、必ずしも護られなく、恋愛(?)は、彼らにとって最も深い関心事のひとつだとか。しかし、裸に対する抵抗はないらしく、風呂は混浴でした。安井さんはチユェレイさんと一緒に、その風呂に入ったそうです。
『岡山に出現したUFO』
(秋田めぐみ) (岡山若者新書) 1987年
<岡山の安井さんのチュェレイ星への異星旅行>
・ 円盤は都市という程度の規模なんですか?
・ さっきあった都市がなくなっているのです。あそこに見えていた都市がないのはどうしてなのかと訊ねたら、笑いながら「あれは全部円盤でできていて、今はもう他の場所に飛び去ってしまったので」というんです。
・ じゃあ、都市は全部ドーム型になっているんですか?
・ これらの円盤は、飛行するためというよりは、生活する場としての円盤なのですから、四角型の円盤も多くあり、それらが積み重なった場合、大きなビルのように見えるわけなんです。最初見た円盤の街を作ることは、簡単なわけですよね。ただ、どういう理由で、あるいはどんな単位で一つの街を作っているのか、さらにそれらの街は、たえず場所を移動しているのか、何のために移動するのかなどまでは聞き出せなかったんですけれど、いずれにせよ、パァーと集まれば海の真ん中にでも瞬間的に大都会ができるんですから便利だと思いますね。
・ 地上からたえず、1メートルぐらい浮いているわけですから、地上に固定した建造物は全然なく、たえず動いている。チュェレイ星全体が単一国家で、欲しい物は、規定の場所に行けば手に入るし、争いも皆無らしいんです。
・ もちろん、建物は全部円盤でできているわけです。そんな建物がひとつだけ、ぽつんと浮いているところもありました。
・ チュェレイ星人の平均寿命は3万歳から4万歳くらい。
<異星人とテレパシーなどでコンタクトする方法が分からない>
・ “コンタクトする方法は?”円盤に対しての関心を毎日の生活の中でたえず持ち続け、そして宇宙人に早く会ってくれと頼む(念ずる)しか方法がないんじゃないでしょうか。
『UFO革命』
<チユェレイさんは地球人の30歳前後しか見えませんでしたが、実際は1万歳くらいとのことでした>
・また「時間と空間は相対的なもの」というのは今の地球の科学でも定説になっていますが、天文学上でも各星によって1年(1行程)の長さが違います。チユェレイ星人の平均寿命は地球時間で3万~4万年くらいらしく、チユェレイさんは地球人の30歳前後しか見えませんでしたが、実際は1万歳くらいとのことでした。そして、地球人がピラミッドを作っている頃から地球に来たことがあって。「あれ(ピラミッド)は地球人が作ったものだ」と言ったそうです。
・「異星人には同じ人間型でも5メートルくらいのもいる。人に言うと怖がるからしゃべらないことにしている。それに人間とはまったく違う形態の知的生物もいる。チユェレイさんたちでもつきあってもらえないほど次元が高く、チユェレイさんたちが研究しても分らないのがいる」と言っていたとのことです。
・こんなにも沢山の人が、こんなにも様々なUFOとの出会いをしている・・・。この事実はなんびとも否定できません。この事実、それも当地岡山においての事実を秋田さんは足で調査し、一冊の本にまとめてくれました。貴重なものだと思います。
・ここ岡山の街にも事実か、単なる流言飛語か、沢山のUFO目撃の噂があります。そこで岡山のUFO研究といえばこの方を抜いては語れないといわれている畑野房子(就実高校理科講師)のご協力のもとに、この噂の真相を調べてみました。(月刊※タウン情報おかやま別冊)(1987年)
・人間が本能的に持っている未知への探究心が大事。
『世界不思議大全 増補版』
泉保也 Gakken 2012/8
<ジョージ・アダムスキー 史上最大のUFOコンタクティ>
<驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船>
・アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。
1953年2月18日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。
夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。
しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。
ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。
車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。
アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。
・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上1万2000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。
・アダムスキーを宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。
・土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30~200歳以上にも達するという。
<コンタクティ 異星人からのメッセージを伝える人々>
・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。
<ハワード・メンジャー>
・アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。
・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星、土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。
<安井清隆>
・日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960年4月23日の夜、満月の2、3倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。
・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。
・同じ年の10月30日、「富山県黒部市の宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5~6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30~40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。
・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。
<ステファン・デナルデ>
・オランダ人実業家。1967年7月、オランダ南西部ウースタ―シェルトの沖合をヨットで航行中、海面に浮かんでいた異星人の宇宙船(水上艇)に乗り上げて異星人と遭遇し、乗船を許された。
・身長150センチほどの異星人はヒューマノイド型ではなく、顔の真ん中に窪みがあり、手は鉤状で、全身が薄褐色の毛で覆われ、獣じみて見えた。
会話はテレパシーでなされた。彼らの母星は、地球から10光年彼方にある惑星イアルガで、自転速度は地球よりも遅く、重力は地球の約3倍。窒素やアンモニアからなる大気は濃密で、大気圏の雲が視界をさえぎっており、太陽光は見えない。
・そのイアルガ星へ、小型の円盤から高空に滞空する大型円盤に乗り継いで案内された。イアルガ星は海が大部分を占め、陸地は島だけで、それらは鉄橋で結ばれていた。石油タンクのような形状をした集合住宅が立ち並び、ひとつの建物の直径は約300メートル、高さは約135メートルで、約1万人が居住できる。
ほかに自動機械化された農園、恒星間飛行用の大型円盤の建造工場なども見学してから、再び円盤に乗って地球へ帰還した。
<R・N・フェルナンデス>
・メキシコ大学教授。原子力委員会のメンバーも務める科学者。1972年11月14日、大学構内で異星人女性とすれ違った。身長190センチの長身で、瞳は緑色、黒髪の美女である。それより先、教授は女性の声で何かを訴えようとするテレパシー通信を受けており、異星人であると直感したのだった。
・その後、2度遭遇したものの、会話を交わすことなく迎えた1974年12月22日、彼女が「テレパシーでは通じないようなので、直接話にきました」と教授を尋ねてきた。彼女はアンドロメダ銀河からやってきたリアと名乗り、知的生命体の調査のために地球を訪れていると説明、近いうちに宇宙船へ招待すると約束した。
・それが実現したのは翌1975年4月22日だった。宇宙船は直径5メートルほどのドーム状円盤で、乗船するや、超高速で大気圏外に飛び出した。リアは宇宙空間に浮かぶ青い地球を見ながら、地球環境の脅威、遺伝子工学、反物質などについて語った。
・リアはその後、近い将来凶悪な異星人が地球に来襲する、という警告を残してアンドロメダ銀河へ帰っていった。
<宇宙飛行士が認めたコンタクトの事実>
・ならば、彼らの主張はすべて虚言や妄想の産物かというと、必ずしもそうではない。宇宙探査によってコンタクティたちの話が真実と判明したケースもあるからだ。
・かつてのアポロ計画にも注目したい。宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から、「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」などが月面に存在するらしいことが指摘されたからだ。それらはおそらくUFOの基地だろう。
・アポロ14号で月面に降り立ったエドガー・ミッチェルが2008年7月、「アメリカ政府は過去60年近くにわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言したことも、コンタクティに有利に働く。地球へ飛来している異星人が人類との接触を試みないとは考えられないからであり、すべてのコンタクト・ストーリーを荒唐無稽と斬って捨てるわけにはいかないのである。
『女神イシスの降臨』
古代エジプト神話の謎に迫る
<女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある>
・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。
・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。
<夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス>
<オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した>
<天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>
・天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。
・天照大神とイシスは「ベガの女王」。
・ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。
<●●インターネット情報から●●>
知ってビックリ!黒部川の大蛇伝説と愛本姫社
<お光伝説 >
古くから黒部川は暴れ川として有名で、黒部川が氾濫するのは川の底に住む大蛇が怒って大暴れしたからだと考えられとりました。黒部市宇奈月町の下立地区ではこの大蛇にまつわる伝説が今も語り継がれとるがですよ。
昔、黒部川中流に架かる愛本橋のわきに一軒の茶店がありました。宿場町として栄える愛本村では唯一の茶店で、村人や旅人でいつも賑わっとったがです。その茶店には年頃のかわいい一人娘、お光(みつ)がおって、彼女がお目当てでお店に入り浸る男性客も多かったがですって。ある日の晩、お光は黒部川で一人の青年と出会いました。二人は毎晩会って色んな話をする仲になり、お光は次第にその青年に惹かれていったがです。しかしその青年こそ、黒部川に住む大蛇の化身やったがです!! お光はショックを受けたけど、水の守神である大蛇に自分の身を捧げることで、村人を水害から守れるのならば...と大蛇へ嫁ぐ覚悟を決め、両親には内緒で姿を消してしまったがです。その後、一度里帰りしたがですけど、蛇の子どもを生んだところを見られてしまい、二度と戻らなかったそうながです...。黒部でこの伝説は、恐ろしい大蛇に身を捧げた若い娘の悲しい話として伝えられとるがです。
『もののけの正体』 怪談はこうして生まれた
原田実 新潮社 2010/8
<アカマタ――魔物の子を宿す>
・ある日のこと、乙女が畑に出て芋を掘っていた。乙女が一休みして、また畑に戻ろうとしたところ、岩のうしろから赤い鉢巻をした若者が顔を出してはまたひっこめたのに気づいた。歩こうとすればまた顔を出し、立ち止まればまた隠れる。乙女がその若者の顔に見入って動けなくなっていた時、乙女の様子がおかしいことに気付いた農民たちがかけつけて乙女を畑に引き戻した。
乙女が見ていた若者の正体は、アカマタという蛇だった。アカマタは誘惑した乙女と情を通じ、自分の子供を産ませようとしていたのだ・・・。このパターンの民話は、沖縄の各地に伝わっている。
・石垣島の宮良では7月の豊年祭にアカマタ・クロマタという神が現れ、一軒一軒の家を回り祝福していくという(なお、この祭りは秘祭とされ撮影が一切禁じられている)。
沖縄では同じアカマタという名で、若い女性にとりつく蛇のもののけと、豊作を予視する来訪神の二通りの異界の者が現れる、というわけである。
・さて、蛇ににらまれた女性が動けなくなるという話は、本土の古典でも、たとえば『今昔物語集』などに見ることができる。また、蛇身の神が女性の元を訪れて交わるという話は古くは記紀にも見られ、さらに日本各地の伝説・民話などに見ることができる。ちなみに記紀ではその説話の舞台が大和の三輪山(現・奈良県桜井市)の麓とされているため、神話・民話研究者の間ではそのタイプの説話はその三輪山型神婚説話と呼ばれている。沖縄のアカマタの話はその三輪山型神婚説話に発展する可能性を秘めながら中断させられた話とみなすこともできよう。
実は、沖縄にも三輪山型神婚説話に属する類型の話が残されている。
・これは江戸時代の琉球王府が正史『球陽』の外伝として、琉球各地の口碑伝承を集めた『遺老説伝』に記された宮古島の始祖伝承の一部である。
この話に登場する大蛇には、娘が魅入られるという点からすれば憑き物的側面があり、夜に訪れるという点からすれば来訪神的側面もある。この話は、憑き物としてのアカマタと来訪神としてのアカマタの関係を考える上で暗示的だ。
ところで私はかつて、三輪山型神婚説話の起源について、異なる共同体に属する男女間の婚姻がその背景にある可能性を指摘したことがある。
<キムジナー 日本のエクソシスト>
・沖縄ではその昔、樹木に住む精霊の存在が信じられていた(あるいは今でも信じられている)。
・沖縄では古木の精をキムジナー(木に憑く物、の意味)という。また地域や木の種類によってはキムジン、キムナー、ブナガヤー、ハンダンミーなどの別名もある。赤い顔の子供のような姿とも全身が毛に覆われた姿ともいわれ、水辺に好んでよりつくことから、本土でいうところの河童の一種とみなす論者もいる。
・『遺老説伝』の話の全般に見られるように、キムジナーは友だちになれば魚をわけてくれたり、仕事を手伝ってくれたりするという。また、他愛ないいたずらを好む、ともされ、たとえば、夜、寝ていて急に重いものにのしかかられたように感じたり、夜道を歩いている時に手元の明かりが急に消えたりするのはキムジナーのしわざだという。
キムジナーが出没するという話は現在でも沖縄ではよく語られる。ただし、最近では、観光客のおみやげなどでキャラクター化されたかわいいキムジナーが流布する一方、人に憑いて苦しめるような悪霊めいたキムジナーの話が広まる、という形でのイメージが二極化する傾向があるようだ。
<キンマモン――海からの来訪神>
・その昔、屋部邑(現・沖縄県うるま市与那城屋慶名)は幾度となく火災に遭い、多くの家が失われていた。ある日、その村に君真物(キンマモン)と名乗る神様が現れて村人たちに仰せられた。
「ここに火事が起こるのは屋部という村の名が悪いからです。屋慶名と改名すれば火事が起きることはない」
村人たちがそのお告げにしたがったところ、その後は火事が起きることはなくなった(『遺老説伝』より)
・キンマモンに関する記録は、江戸時代初期の僧・袋中(1552~1639)の『琉球神道記』にすでに見ることができる。それによるとキンマモンは琉球開闢以来の守護神とされる。キンマモンは、ふだんは海底の宮に住んでいて、毎月、人間の世界に現れて遊んでは宣託を与えていくのだという。
・また、曲亭馬琴の『椿説弓張月』(1807~1811年)は保元の乱に破れて伊豆に流された源為朝が流刑地から脱出して琉球にたどりつき琉球最初の王朝である舜天王統の祖になったという伝説を読本にしたてたものだが、その中でキンマモンは「きんまんもん」と呼ばれ琉球を守護する神だとされている。ちなみにこの読本に挿絵を付したのは葛飾北斎だが、北斎は「きんまんもん」を、魚の胴体に人間の顔、鱗だらけの手足
があって直立するという異形の姿に描いた。
キンマモン=君真物で、「君」は君主もしくは神女は君主もしくは神女への尊称、「真」は真実、本物という意味の尊称、「物」は精霊の意味とみなせば、キンマモンは、精霊の真の君主ともいうべき偉大な精霊といった意味になる。「物」はまた本土の言葉で言う「もののけ」にも通じている。
・キンマモンは海から人里にやってくる宣託神であり、典型的な来訪神である。最近の沖縄では、この神について、単に沖縄の守護神というだけではなく、世界の救世神だとして主神に祭る新興宗教も出現している。
沖縄の習俗伝承には、憑き物系のもののけや来訪神に関わるものが多い。これは沖縄の社会事情とも深く関連している。後述するように、沖縄では、ノロやユタといった神女たちがさまざまな祭祀をとりおこない、庶民の生活に深く関わる存在となっている。
そして、彼女たちの職掌というのはつまるところ来訪する神を迎え、憑き物を払うことなのである。彼女たちが人々の生活に深く関わっている以上、来訪神や憑き物は社会的・文化的に認知された存在であり続けるし、またそうしたものたちが認知されている以上、神女たちの職掌も必要とされ続けるのである。
<メリマツノカワラ――神女と異神>
・沖縄には各地に御嶽と呼ばれる聖域がある。それらは神がかつて降臨した(あるいは今も降臨する)とされる聖地である。本土でいえば神社の本殿に相当するといえようが、御嶽は神社のような建築物ではなく自然の岩や洞窟をそのまま聖域と見なすものである。
その御嶽の由来の中には、異形の神の降臨について伝えるものもある。
・13か月が過ぎ、真嘉那志は一人の男の子を生んだ。いや、それを男の子と言っていいものかどうか・・・生まれた子供は頭に2本の角を生やし、両目は輪のように丸く、手足は鳥に似て細長く、奇妙な顔立ちで少しも人間らしいところはなかったからだ。
目利真角嘉和良(メリマツノカワラ)と名付けられたその子供は14歳になった時、母と祖母とに連れられて雲に乗り、空へと去って行ってしまった。
しかし、その後、メリマツノカワラは彼らがかつて住んでいた近くの目利真山にたびたび現れ、その度に人々を助けるような霊験を示した。人々は目利真山を御嶽として崇めるようになったという。
この話は『遺老説伝』や『宮古史伝』に出てくる。
・一部の古代史研究家は、メリマツノカワラの容貌が鳥に似ていたとされるところから、中国の長江流域にいた鳥トーテムの部族が漢民族に追われて海に逃れ、沖縄に渡来して鳥崇拝を伝えたのではないか、と考察している。
<神女が重んじられる文化>
・明治政府の廃藩置県によって王政が廃止された後も聞得大君(きこえおおぎみ)を頂点とする神女制度は存続し、現在は聞得大君こそ空位だが、各地のノロ(祝女、各地域の神を祭る女司祭)は祭祀によってそれぞれの地元の人の精神的なよりどころとなっている。
・一方、正規の神女制度に属さないユタという人々もいる。彼女らは庶民の祖先祭祀について指導したり、憑き物落としをしたりする民間の神女であり、その存在は沖縄の人々の生活に深く根付いている。ユタは祖先崇拝を通して庶民生活における伝統を伝えようとする存在ともいえよう。
・ノロやユタが沖縄の人々の精神生活に深く関わっていることを思えば、沖縄の民俗伝承に来訪神や憑き物系のもののけが多い理由も改めてよくわかる。
ノロの大きな職掌は来訪神を迎えることであり、ユタの仕事の一環には憑き物落としが含まれているからだ。沖縄の異神やもののけは、神女たちの存在意義を支えてきた。
そして、彼女らが沖縄の人々の生活に深く関わっているということは、とりもなおざず、彼女らに関わる異神やもののけが沖縄の人々の生活と密着しているということでもあるのだ。
<蝦夷地の妖怪や異神>
<コロポックル――妖精はどこにいる?>
・アイヌの伝説で本土の人にもよく知られているものと言えば、筆頭に挙げられるべきは、コロポックル(蕗の下に住む人)という小人族に関する伝説である。彼らはまた、トイチセウンクル(土の家に住む人)、トンチなどとも呼ばれる。この小人族たちは、伝承上、あくまで「人間」とされており、カムイ(神)でもカミムンでもないが、西欧の伝承における妖精などとよく似たところがあることも否めない。
・また、十勝地方の伝説では、コロポックルはアイヌに迫害されてその地を去ったが、その時、川に「トカップチ」(水よ、枯れろ)という呪いをかけた。これがトカチという地名の由来だという。
この伝説に基づき、コロポックルを北海道におけるアイヌ以前の先住民族とする説を唱える論者も多い。明治20年(1887)には人類学者・坪井正五郎がコロポックルは北海道のみならず日本列島全域の先住民族で、日本民族に追われてかろうじて北海道に残っていたものが、そこからさらにアイヌに追われた、という説をたてた。
<魔女ウエソヨマ――北国の天孫降臨>
・アイヌの伝説を論じる場合に避けて通れないのはユーカラといわれる口承叙事詩だ。その中には、もののけと戦って人間の世界に平和をもたらした英雄たちの物語も含まれている。
<水の精ミンツチ――半人半獣の謎>
・ところでアイヌの信仰で、和人のカミ(神)にあたる霊的存在を「カムイ」ということはよく知られている。
・ミンツチは半人半獣のもののけで小さい子供くらいの背格好をしているという。肌は海亀のようで色は紫とも赤とも言われる。
川辺に来る人を襲って水の中に引きずり込むとして恐れられる一方で、山や川で働く人を苦難から救うこともあると言われる。
・ミンツチの行動パターンには和人の伝承における河童に似たところがある。さらに言えば、ミンツチは和人との接触でアイヌの伝承にとりこまれた河童とみなした方がいいだろう。ミンツチの語源「みずち」は、水の神を意味する日本の古語(「蛟」という漢字を当てられる)だが、一方で青森県における河童の呼称「メドチ」と同語源でもあるのだ。
■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■
(2024/4/9)
・『日本の「来訪神」図鑑』は絵図が豊富で興味深い本です。
鬼も昔は村々を荒らし回り、女子どもを略奪していたといわれます。鬼の征伐は、源氏の武士の役割だったようです。全国に多くの人間を襲っていた鬼の伝説があります。いつのまにか、鬼は来訪神の説話の一部になって村々の伝統行事になっています。
「源氏につらなる花郎がインドのヤードゥに遡ったように、平氏につらなる平山人もインドの部族に遡ることができるアヒール族である」といわれます。
セム系は北極星、北斗七星信仰で、ハム系はオリオン、シリウス信仰で別系統のものが系図で兄弟とされているそうです。
「平氏の“平”がヘライ(ヘブライ)に由来すると考えると平氏はセム系、ユダヤ系ということになってくる。源平合戦はハム系とセム系の争いだった」と指摘されています。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれます。この説から様々な、歴史の謎が分かるともいわれます。
『シュメールの天皇家』 陰陽歴史論より 鷲見紹陽 明窓出版 2007/8/1
<源氏は花郎(かろう)である>
・源氏の“源”姓については、「魏書」以外に由来を求める考えもあり、その一つが“新羅の花郎の長官”の“源花”の“源”由来説である。新羅が強国となったのは、六世紀の真輿王(24代)の時からで、王は上級貴族の15歳と16歳の子弟を花郎(かろう)(ファラン)としたが、この花郎の力によって軍事的な強国となっていったのであった。935年に新羅が滅ぶと花郎たちは、日本の囲い地(散所、院地)にいた同族を頼って渡来、やがて貴族の荘園管理者をつとめる源氏一族となったといわれる。
<平氏は平山人である>
・鹿島昇氏は、“源氏”は新羅の武士である源花花郎の子孫であり、平氏は同じく新羅末期の花郎だった平山人(栄仲、亀峯)の子孫であったという。
・平氏の“平”がヘライ(ヘブライ)に由来すると考えると平氏はセム系、ユダヤ系ということになってくる。源平合戦はハム系とセム系のオリオン、シリウスと北極星、北斗七星の戦いということになってくる。源氏につらなる花郎がインドのヤードゥに遡ったように、平氏につらなる平山人もインドの部族に遡ることができるアヒール族である。
・現代ですら、エイリアンのアブダクション(誘拐)が問題になっています。「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」、「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」のように、異人や天狗の人さらいも昔は多くの伝説があったようです。
柳田国男は当時の警察の「異人」の情報を調べなかったようです。米国の警察にもエイリアンによる子供のアブダクション事件を扱っている部署があるのでしょうか。膨大な数の表現もありますが、正確な数字は当然ながら私たち一般人は、把握はできません。
邪悪な異星人が地球や異星で人間の生体実験をしているといわれます。ネガティブ・グループのシリウス人がモンスタータイプの生物を創り、神に対抗したので神に嫌われたといわれます。
しかし、今なお、底層4次元にモンスター・タイプが生存しているともいわれます。
昔は「刀狩り」のように農民に武器を持たせない政策もありましたが、農民が武器を持ち出しますと、鬼や怪物、天狗の乱暴狼藉も減ってきたのでしょう。鬼のような被造物、バイオロボットを造りだしたのは、オリオン人やネガティブなシリウス人の「堕天使」なのでしょうか?
「現代的な解釈ですと堕天使ルシファーとかリラ星人のサタン(悪魔)という言葉は、遺伝子科学者の研究集団の名前だ」そうです。
「インナーアースでは、レプティリアンたちが多くの善良な存在たちを攻撃しました。領土を奪い、彼らを奴隷にするためです」といわれます。現代のエイリアンの本では「食人種の宇宙人」「性奴隷」「奴隷売買」「アドレノクロム」「子どもの誘拐」等の不気味な単語が豊富に出てきます。
「レプティリアン自身もコード化された コンピュータープログラムで、決められたことを実行しているに過ぎないのです」といわれます。また「透明人」とシリウスA星人が創造し、りゅう座に配置した爬虫類人(レプティリアン)が異常に進化したといわれます。“異類混血”がスター・ウォーズの原因だといいます。
・ナマハゲの起源については「漢の武帝が男鹿を訪れ、五匹の鬼を毎日のように働かせていたが、正月十五日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らしまわったという伝説があり、これを起源だとする説もある」といわれます。
進化した異星人が「漢の武帝」に憑依したのでしょうか?進化した異星人が「鬼」を創造したようです。
・低層4次元の昔の“地獄”では、鬼が人間を食べていた絵図が多く残っているようですが、異星人が人間を生体実験にしたり、食物にしていたのかもしれません。そして鬼も現代のグレイ種のように異星人の奴隷として、アブダクションの実行役をしていたのかもしれません。
人間の常識、非常識をはるかに超えた次元に異星人の世界があるといわれます。人間の死後世界や霊界を創造した進化した異星人はシリウス星人でしょうか。この世界で、人間が理解できること、理解していることなんて、ほんのわずかに過ぎないといわれます。
・ちなみに、You Tubeで「日本 巨人」といれますと、戦争中のフイルムなのかフェイクなのか分かりませんが、3メートルくらいの奇妙な巨人の映像が見れるようです。
「1929B Giant in Japan, Fake or Not日本にいた巨人?インチキか本物か? それは映画だった?はやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan」
人間に幸せや富を与える来訪神と略奪したり女子どもを誘拐する鬼とは、本来は区別されており、恐怖の的の鬼がいつしか来訪神と同じ文脈で語られたようです。神と悪魔が混じって使われているようです。
「グノーシス主義は反宇宙論( 宇宙自体は善なるものではなく、むしろ悪であり、受け入れるべきではないという思想 )・反造物主( 造物主は狂った下級の神であり、従うべきものではないという思想 )という点でヒンドゥー教と異なり、邪悪なものだとしても造物主を認めるという点で仏教と異なる」と指摘しています。神々の世界も私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。
日本では、「鬼であるが造物主の性格もある伊吹弥三郎とその放蕩息子の伊吹童子の伝説」もあるようです。
あの世の鬼やグレイ種、天狗や巨人の異類も異類混血や遺伝子操作でこの世で「人間化」していったといわれます。『遠野物語』の「異人」は、オリオン星人だったともいわれます。テレポーテーションや異次元移動技術は、人間には理解できないといわれます。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。「テレポート(瞬間移動)は、人間にとり奇跡ですが、宇宙人にとっては、それほど難しくないテクノロジーだ」そうです。
「グレイ」は人間の無意識の中に入ってくると語られています。キイリイ・トクールトと同じく、アヌンナキは人間のように見えるグレイ種族ですといわれます。
「グレイは我々が遺伝子工学、バイオ化学、宇宙科学を駆使して造ったロボットでした」と異星人が主張しています。
また「多肢の仏像」がありますが、宇宙母船の中には多肢のバイオ・ロボットが活動していると言われています。「多肢のバイオ・ロボット」は、昔は「大きな蟹のような怪物」と表現されたのかもしれません。
インドの最高神のビシュヌも多肢の絵図もあり、下級神のバイオ・ロボットのイメージです。マスターもバイオ・ロボットだといわれます。神々の世界もよく分かりません。上級神の姿は、人間には見えないのかもしれません。
「他にも爬虫類、鳥類、魚類、昆虫、植物などの生態から進化した人間もいます」と指摘されています。「バフォメットは、有名なキリスト教の悪魔の一人で、黒ミサを司り、山羊の頭を持った悪魔ですが、動物タイプの異星人の一種だった」といわれます。
動物タイプの宇宙人はネガティブなシリウス星人が創造したのかもしれません。3割の動物タイプの中には犬頭人の宇宙人もいるといわれます。「犬頭人」は日本では「犬神」といわれます。
人間の肉体や精神に憑依したり物質化する堕天使の生態は分かりません。堕天使が地球の女を狙って降りてくるといわれます。堕天使の性的な能力は異常に高いともいわれます。堕天使が太古から売春やスパイ、麻薬と関係していたといわれます。
「堕天使にマインドコントロールされている人間も少なくない」という説もあります。
ルシファーもグレイ(ゼータ星人)を作り神に反抗したとも言われています。グレイを作り出した時期が分かりませんが、例えば数億年前だとしたら、グレイ種族も大変な進化をしていることでしょう。
「人間は猿ではなくて、宇宙人というか知的生命体が、そのDNAを当時いた恐竜類に植えつけ、それで生まれたのが羽の生えた蛇だ」そうです。「人類は水棲爬虫類からつくられた――クラリオン星人が語ったスターピープルと地球人類のただならぬ関係」という話もあるようです。
「人類は羽の生えた蛇(ケツアルコアトル)をDNA操作してつくられていた!」と指摘されています。「2つの太陽のうち木星が惑星となったあと、地球に人類が誕生し始めた年代はおよそ1億8000万年前ということで間違いないようです」といわれます。
・『110の宇宙種族と未知なる銀河コミュニティへの招待』エレナ・ダナーン(ヒカルランド)2022/12/31、『この惑星をいつも見守る 心優しき地球外生命体たち』(エレナ・ダナーン、ヒカルランド、2023/1/19)、
『【ザ・シーダーズ】神々の帰還』(エレナ・ダナーン ヒカルランド 2023/8/24)のように歴史を変える書籍も出版されています。全国の図書館に1冊でも置いておけば、人々の認識の啓蒙に役立つと思います。
・エイリアンの「ダルシーの地下基地」の話は、以下のように広く知られているといわれます。
『世界不思議大全』 増補版
泉保也 Gakken 2012/8
<「ダルシィ文書」と異星人地下基地の秘密>
<異星人とアメリカ政府が結んだ密約とは?>
<明らかになった異星人地下基地>
・1970年代半ばから、アメリカ、ニューメキシコ州アルバカーキに近いマンザノ山地一帯でキャトルミューテレーション(家畜虐殺)事件が続発し、加えてUFO目撃報告も相次いだ。
・電波の発信源がアルバカーキ北方235キロ、コロラド州境に近いダルシィ付近、ジカリア・アパッチ族居留地内のアーチュレッタ・メサであることを突きとめたのだ。
<博士の行動と報告書がもたらした意外な反応>
・ベネウィッツが受けた衝撃と驚愕は大きく、異星人地下基地が国家の安全保障の重大な脅威になりかねないという深刻な憂慮も抱いた。彼の自宅近くにはカートランド空軍基地があり、アメリカでトップの規模といわれるマンザノ核兵器貯蔵庫エリアが設けられていたからだ。
<「ダルシィ文書」が物語る地下基地の実態>
・彼らの証言はベネウィッツの真相暴露を裏づけるものであり、内部告発者が公開した書類、図版、写真、ビデオなどを「ダルシィ文書」と総称する。
・基地の広さは幅約3キロ、長さ約8キロ、秘密の出入り口が100か所以上あり、3000台以上の監視カメラが設置されている。
・基地全体は巨大な円筒形状をなし、基地の最深部は天然の洞窟網につながっている。内部構造は7層からなる。
- 地下1階=保安部、通信部のほか、駐車場兼メンテナンス階。車両は厳重なセンサーチェックを受け、専用トンネルを通行して一般道路に乗り降りする。
- 地下2階=地球人用居住区のほか、地中列車、連絡シャトル、トンネル掘削機の格納ガレージとUFOのメンテナンス階。
- 地下3階=管理部、研究部、メインコンピューター室があり、基地全体を統御している。
- 地下4階=地球人と異星人間のテレパシー、オーラなどの研究、マインドコントロール、心体分離実験、地球人と異星人の心身交換実験などが行われている。
- 地下5階=グレイ族とレプトイド(恐竜人)族の専用居住区、ベネウィッツは居住者を2000人以上と推定したが、カステロは5000人以上と証言している。
- 地下6階=遺伝子工学の実験室が並ぶ。魚、鳥、ネズミなどの異種生物の形質合成、人間の多肢化、グレイ族のクローン化、地球人とグレイ族のハイブリッド化など、戦慄を覚えずにはいられないおぞましい生体実験が行われている。また、さまざまな成長段階のハイブリッド種の胎児の保存槽、培養中の異星人ベイビーを入れた容器も多数並んでおり、“悪夢の広間”と別称されている。
- 地下7階=拉致された地球人やハイブリッド種が何千体も冷凍状態で保存されているほか、地球人を監禁する檻もある。
・なお、ダルシィ地下基地に居住する異星人は1種族ではなく、次の4種族で構成されている。
① 標準的グレイ族=身長1メートル20センチ前後。レティクル座ゼータ星出身。
② 長身グレイ族=身長2メートル10センチ前後。オリオン座リゲル系出身。
③ ドラコ族=レプティリアン(爬虫類人)で身長2メートル前後。肌の色は白くて有翼。オリオン座ドラコ星系出身。基地全体を統括する支配階級。
④ レプトイド族=身長2メートル前後。恐竜から進化した地球の先住民らしい。最下層の労働階級で、掃除や炊事、運搬など日常的な雑用を担当。
ちなみに、実験対象として拉致された民間人以外の地球人(軍人、科学者、技術者、保安要員など)はドラコ族に次ぐ第2の地位にあるという。
<全米各地には200以上もの秘密地下基地がある>
・周知のように、アメリカにはコロラド州シャイアンマウンテンにあるNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のように半公然的な地下基地はあるが、ダルシィ基地をはじめとする200余か所の地下基地・施設はトップシークレット扱いだ。
<アメリカ政府が結んだ異星人との密約>
・この予備的なコンタクトから約1か月後の1954年2月20日深夜、カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地において、異星人と連邦政府は「グリーダ協定」と呼ばれる密約を交わした。
一、異星人はアメリカに関わるいっさいに感知しない。
一、同時にアメリカ政府も、異星人たちの行動に干渉しない。
一、異星人は、アメリカ政府以外のいかなる国とも協定を結ばない。
一、アメリカ政府は異星人の存在を秘密にする。
ところが、予備折衝では右の5か条で同意していたが、協定締結の段階で異星人側から新たな項目を付け加えたいと申し入れがあった。
・人間を密かに誘拐し、医学的な検査や遺伝子工学の実験を行いたい。誘拐した人間は体験のすべての記憶を消したうえで無事にもとの場所へ戻す、というものだ。
非人道的な生体実験であり、当然のことながら、アイゼンハワー大統領以下の連邦政府側は躊躇した。だが、両者の文明差は5万年ほどもあり、戦うわけにはいかない。連邦政府は無条件降伏したも同然の状況で、異星人の要求をのまざるをえなかった。かくて、“悪魔の密約”と称される秘密協定が正式に締結されたのである。
・当初の地下基地は2か所。そのひとつがダルシィの地下であり、もうひとつがエリア51から南へ6キロのところにある。「S-4」というエリア内の地下だった。その後も地下基地・施設の建設は続行されて200か所以上を数え、現在もなお新設されつづけている、というのである。
・異星人との密約、地下秘密基地――荒唐無稽というか、きわめて現実離れした話だ。トンデモ説と笑殺されてもおかしくない。が、それを裏づけるような証拠や証言が多数存在するという事実を無視するわけにはいくまい。
・ところで話しは変わりますが、南海トラフ巨大地震の連続発生や首都直下地震との連動もあれば、破壊力は途方もないものでしょう。
「たつき諒、2025年7月に大災害と予言か。私が見た未来 完全版の『第1部 予知夢編』では、2025年7月に起こることが描かれている」といわれます。
しかしながら、ロシアの核ミサイル「サルマト」の1発は、南海トラフ巨大地震津波よりもはるかに壊滅的だといわれます。
・「ルシファーは水爆を武器として使用したが、オリオンは宇宙機(円盤)を使った」という話がありますが、スター・ウォーズでは「水爆」も頻繁に使われたようです。サイバー戦争をみても第3次世界大戦は既に始まっているといわれます。
・ロシアの新型ICBM「サルマト」の破壊力は下記のように想像を絶します。
2023/1/11 ウェッブサイト 週刊現代
「週刊現代」2023年1月14・21日合併号より引用
<一発で広島の2000倍…ロシアの核兵器「サルマト」が引き起こす最悪の未来>
<プーチンの気分で命運が決まる>
飛行距離、速度、威力にいたるまですべてが規格外―。ロシアの工学技術の粋を結集させた新型ICBM「サルマト」が実戦配備された。追い詰められたプーチンの狂気は日本を焼き尽くそうとしている。
<広島原爆の2000倍>
その名前に違わず、サルマトはたった1発で国を滅ぼすことができる性能を持っているとされる。
「飛行距離は約1万8000kmで、西側諸国のほとんどの主要都市が射程圏内に収まります。核弾頭を10~16発搭載でき、威力は合計で7・5メガトン。これは広島原爆の2000倍の数値です。米国の人口密集地帯に落ちれば3000万人が犠牲となり、フランスだったら1発で国全体が吹き飛ぶほどの威力です」(軍事評論家の世良光弘氏)
その構造も異質だ。原子力エンジンで発射されたサルマトは途中、液体燃料エンジンに切り替え、宇宙空間へ突入。任意の地点に到達すると、本体から分離した複数の核弾頭が大気圏へ再突入していく。
日本には米軍と共同開発した最新鋭のミサイル迎撃網が張り巡らされているが、残念ながら、サルマトの性能はそれをも凌駕しているという。 「サルマトは極超音速滑空体『アバンガルド』を弾頭に搭載することが可能なので、迎撃はほぼ不可能です」(前出・世良氏)
従来の核弾頭は高度1000kmから放物線を描いて飛来するのに対し、アバンガルドはグライダーのような形を生かし、大気圏に再突入後、高度70kmという低い軌道で、一直線に滑空してくる。日本ではTHAADやPAC―3が最終迎撃システムとして配備されているが、対応できるのはマッハ9~10まで。アバンガルドを搭載した核弾頭の速度はマッハ20を超え、ターミナル段階(着弾直前)で軌道を遠隔で変更することもできる。
「サルマトを日本に撃つ場合、『ロフテッド軌道』と言われる発射方法を取ると思います。簡単に言うと、真上に高く打ち上げて、一気に落ちてくる軌道でさらに速度が上がります」(軍事ジャーナリストの菊池雅之氏)
<たった12秒で日本は焦土に>
サルマトは10発以上の多弾頭核のうち、たった1発でも広島原爆の150~200倍近い威力を持つ。それが東京都心上空で炸裂した場合、どのような被害がでるのか。
核兵器開発史の権威である米スティーブンス工科大学のアレックス・ウェラースタイン教授が開発した核攻撃シミュレーションシステム『NUKEMAP』で試算してみよう。
まず爆心地には深さ130mのクレーターができ、半径1・5km内にいた人は数万度の熱に晒されて塵となる。爆発の中心から半径5km以内にいた人や建物は超高熱の赤外線で一瞬にして骨になるまで焼かれる。そして、衝撃波は浦安市、さいたま市、川崎市、府中市にまで届き、ほとんどの建物が倒壊してしまう。その結果、死傷者数は少なくとも1500万人を超えるとされる
この、たった1発で東京が消滅するほどの核が10~16発も搭載され、それぞれが異なる攻撃目標へ飛んでいく。まさしく、「サタン」である。
実戦配備された東シベリアのクラスノヤルスクからサルマトが発射された場合、核弾頭はまず札幌に10秒で飛来。その1秒後に東京へと着弾する。そして、大阪、名古屋、福岡も0・5秒後には破壊される。発射からわずか12秒で日本の中枢部は焦土と化してしまうのだ。
「ロシアがサルマトを使う場合は当然、脅しではない。人口が密集している都市を狙うだけではなく、反撃能力も奪いにくるでしょう。三沢、横須賀、嘉手納、那覇などの自衛隊・米軍基地も標的になります。
サルマトが撃たれた後、自衛隊ができることがあるとすれば、かろうじて生き延びた人の救助くらいです。もはや日本全体を守ることは放棄せざるを得ない状態に陥ります」(軍事評論家の高部正樹氏)
・ところで「モスクワには多くの異星人が住んでいる」というリーク話もあるそうです。ロシアもリバース・エンジニアリング(逆工学)をしているといわれます。
「彼ら蛇人はすでにロシア共産主義勢力としてやってきており、マルクスとレーニンはその勢力のいわば幹部たちだった」という説もあるようです。「1945年の広島と長崎の原爆投下は、これらの都市の地下にあったレプタリアンの基地を破壊するためであった」という説もあり、レプタリアンの地球への浸透は想像を絶します。
「ロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をリュウ座人の前衛部隊と 交わしてタウ人を追い払ったと考えられている」とも伝えられています。
人類の最終戦は、中東発のイスラエルとアラブ諸国の戦乱、朝鮮半島の戦乱を機に、ロシアと米国によって戦われ、米ロ戦の勝者は、ロシアだという予言・説もあるそうです。核戦争ではロシアの奇襲攻撃、先制攻撃でアメリカが負けるという話もあるそうです。
異星人からの情報ですと「何年か前、私はロシアとのつながりを強化するために多くの労力を費やしましたが、彼らの政府は頑固で独立心が強い傾向にあります」と報告されています。
・「サルマト」に搭載された核弾頭の威力は、太平洋戦争で広島に投下された原子爆弾の2000倍の威力があると評価されるといいます。
ロシアは「サルマト」1基でフランス全体、米テキサス州ほどの地域を完全に焦土化できると主張すると指摘されています。
新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「サルマト」1発で「島国英国はなくなる」と発言したそうです。
そしてロシアの核魚雷「ポセイドン」は500メートルの津波を起こすといわれます。
ロシアの核魚雷「ポセイドン」ではSFの「日本沈没」「英国沈没」が現実のものになります。
・『日月神示』では「日本は共産主義により立替えられること、世界も米ロ戦争によって共産主義の天下となること」を予言しています
予言の書といわれる“日月神示”等の「日本の人口が3分の1になる」という終末予言もあるようです。
『日月神示』も国常立神(くにとこたちのかみ)の高級神霊団の啓示という話もあるといわれます。『日月神示』では、核兵器の被ばくで日本がメチャクチャになることを予言していると言われます。
(2020/10/9)
・太古からの記憶や昔の伝説が、現代の祭りの「来訪神」のモンスターの仮面・仮装になっているといわれます。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれていますが、具体的な異星人の名前と結びつく時代になったようです。もともとは来訪神は異星人、宇宙人だったようです。飛騨美濃の人の心を読む妖怪「覚(さとり)」は獣人だったといわれます。獣人が女を狙った伝説は非常に多いといわれています。
『遠野物語』では「猿の経立(ふつたち)女を好む」という伝承もあります。
堕天使が地球の女を狙って降りてくるといわれます。堕天使の性的な能力は異常に高いともいわれます。
「異類混血」の記憶もあったのでしょうか。現代もオリオンETグループが「アブダクション」をしていると指摘されています。おぞましいエイリアンの「生体実験」の話もあったようです。ルシファーもグレイ(ゼータ星人)を作り神に反抗したとも言われているそうです。「現代風にいうと、ルシファーやサタン(悪魔)というのは遺伝子科学者の一団の名前だ」そうです。現代のノーベル賞級の遺伝子科学者よりも、はるかに進化した想像を絶する程度のエイリアン・エンジニアリングの宇宙人の科学者だったようです。神は宇宙飛行士だったという説もあります。
ネガティブ・グループのシリウス人がモンスタータイプの生物を創り、神に対抗したので神に嫌われたといわれます。地球ではモンスター・タイプの生物が増殖し、蔓延したようです。そこでか神は地軸を動かし、天変地異・大洪水を起こしてモンスター・タイプの生物を絶滅させたといわれます。しかし、今なお、底層4次元にモンスター・タイプが生存しているともいわれます。低層4次元から異次元移動してきて、人間の世界では「妖怪」の伝承になったようです。神が地軸を動かして天変地異を起こしたのは、太古には7回もあったという怪説もあったといわれます。新しくは「ノアの箱舟(方舟)」の大洪水の伝説でしょうか?悪魔と神の対立は超太古から執拗だったといわれます。
アメリカ先住民たちの伝説の中にはシャスタ山の山頂にすむビッグフットやサスクワッチと呼ばれている存在の話があります。現代においてもビッグフットやサスカッチのような「獣人」を「空飛ぶ円盤」からオリオンETグループが降ろしているといわれています。
インド神話の猿の神様は「ケンタウルス座α星人」ともいわれます。動物タイプが3割も存在しているようです。ハヌマーンは、インド神話におけるヴァナラ(猿族)の1人といわれます。
ハリウッド映画『猿の惑星』という映画シリーズがありましたが、核戦争で人類が滅んだ後に、「動物タイプ」の異星人が登場する空想・妄想もあるようです。「イアルガの異星人」は、黒い馬顔の異星人ですが、異類混血をすすめているようですし、その科学は想像を絶する程度に進化していると記載されています。『聖書』のいう「獣」に相当するのかもしれません。異類混血がスター・ウォーズの原因だともいわれますが、想像を絶する程度にエイリアン・エンジニアリングは進化しているといわれます。
「時空間を超えてこの地球にやってきて、人類をアブダクション(誘拐)し、受精して、子孫を作りました」と語られています。それがエササニ人のバシャールだといわれています。エササニ人の様にすでに交雑種が異次元に存在しているようです。グレイと人間の交雑種が「エササニ人」といわれます。エササニはオリオンの方向にあります。
・『中国の鬼神』著 實吉達郎 、画 不二本蒼生 新紀元社 2005/10
によりますと、
「<玃猿(かくえん)>
<人間に子を生ませる妖猿>
・その中で玃猿(かくえん)は、人を、ことに女性をかどわかして行っては犯す、淫なるものとされている。『抱朴子』の著者・葛洪は、み猴が八百年生きると猨(えん)になり、猨が五百年生きると玃(かく)となる、と述べている。人が化して玃(かく)になることもあるというから、普通の山猿が年取って化けただけの妖猿(ばけざる)よりも位格が高いわけである。
古くは漢の焦延寿の愛妾を盗んでいった玃猿の話がある。洪邁の『夷堅志』には、邵武の谷川の渡しで人間の男に変じて、人を背負って渡す玃猿というのが語られる。
玃猿が非常に特徴的なのは、人間の女をさらう目的が「子を生ませる」ことにあるらしいこと、生めば母子もろともその家まで返してくれることである。その人、“サルのハーフ”はたいてい楊(よう)という姓になる。今、蜀の西南地方に楊という人が多いのは、みな玃猿の子孫だからである、と『捜神記』に書かれている。もし、さらわれて玃猿の女房にされてしまっても、子供を生まないと人間世界へ返してはもらえない。玃猿は人間世界に自分たちの子孫を残すことを望んでいるらしい」と記載されています。
男の玃猿(かくえん)とは逆に女の玃猿(かくえん)が男を襲ったという伝説もあったようです。太古から異類混血があったようです。アストラル界やエーテル界の宇宙人が、世界中のその各時代の現地人と善悪混じって、交流があったといわれます。必ずしも善人の宇宙人ばかりではなく、女を襲ったバイオロボットの獣人もいたといわれます。
・2019/11/29(産経ニュース)によりますと「インド洋・モーリシャスで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の政府間委員会は29日、無形文化遺産に「男鹿(おが)のナマハゲ」(秋田県)など8県の10行事で構成される「来訪神(らいほうしん) 仮面・仮装の神々」を登録することを決定した。平成21年に単独で登録された「甑島(こしきじま)のトシドン」(鹿児島県)に、新たに9行事を加えて1つの遺産として申請していた。日本国内の無形文化遺産は21件で変わらない」、「来訪神は、季節の変わり目に異世界からの神に扮(ふん)した住民が家々を巡り、災厄を払う民俗行事。集落全体で伝承し、地域の絆を強める役割を果たす。起源は分かっておらず、何世代も受け継ぐ間に鬼のイメージが定着した地域もある。10行事はいずれも国の重要無形民俗文化財に指定され、保護が図られてきた。アワビの殻を吊(つ)り下げた「吉浜(よしはま)のスネカ」(岩手県)や渦巻き模様の耳を持つ「薩摩硫黄島のメンドン」(鹿児島県)など多様な姿をとり、地域の素材で神の姿を可視化する豊かな創造性が評価された」とのこと。
このことを契機にして「無形文化遺産の来訪神行事」が観光化していくのかもしれません。しかしながら、善神の生態も、魔神の生態も、堕天使・悪魔の生態も詳しくは分からないようです。現代でも大きな影響を与えているようですが、その実態は解明されていないようです。「キリスト(アプ星人)の一族が地球を管理している」という奇説もあるそうです。ところが宇宙人の研究は、学界でも非公開のようです。
・現代アメリカでは「天使(異星人)」との遭遇話は少なくないといわれます。遭遇体験の後で、「天使だった」と認識できるような話です。アメリカに限らず世界中で天使や神々、女神とのコンタクティやチャネラーが増えているのかもしれません。幽霊現象や心霊現象・憑依現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。宇宙人情報をアバブ・トップシークレットにして「臭い物に蓋をする」サイレンスグループは、想像を絶する程度に強力だといわれます。
日本でも太古から宇宙人である神々や天使、堕天使、悪魔等の異次元の存在と、大衆がコンタクトしたり、チャネリングしたりして、多くの「伝承」に残っているようです。またナマハゲのように民間行事として、その土地に伝えられている伝承も多いそうです。しかしながら、普通の人が神々や天使のような宇宙人を認識することは難しいようです。進化している宇宙人が、目に見えない大天使、天使、堕天使となって人間に対して工作しているので、私たち一般人は、何も理解できません。はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。人間の肉体や精神に自由に憑依したり離れたりする宇宙人は、誰も識別できないといわれます。「宇宙人は幽体として存在する」といわれます。宇宙人情報を公開すると主権が危うくなるともいわれます。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。高等知性体(宇宙人)の描くシナリオ通りに歴史は動いてゆくといわれます。「歴史のシナリオを描く政治力の非常に高い宇宙人が存在する」といわれます。
・来訪神の伝承についても人間タイプの「神」とその眷属ともいえる「鬼」の異類異形の者たちがいたようです。「鬼」といっても、代表的な鬼の酒呑童子も、若い時は美男子だったという伝承も残っているといわれます。
村の娘と蛇男の若者(宇宙人)の物語は全国に豊富にあったようです。天女も人間の男と交わった伝説もあるといわれます。明治時代の「異人」の伝承も現代では消え失せていますが、社会に同化して誰も識別不能なのかもしれません。バイオロボットの「グレイ」は人間の無意識の中に入ってくるといわれます。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。そのような超テクノロジーを持つ宇宙人の影響力は想像を絶するようです。異人や天狗はオリオンETグループからの異星人だったようです。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズ・グレイというオリオン星人といわれています。エルダーとよばれる天使のような人間タイプのオリオン星人が小柄なグレイと共に飛来したそうです。古代の伝説に登場する『蛇人』というのは、オリオン人の霊魂が地球に投影されたものと思われるといわれます。オリオンETグループが異次元のモンスター・タイプの生物を創り、人間と異種交配・混淆させ「人間化」させようとしたのかもしれません。現代においてもビッグフットやサスカッチのような「獣人」を「空飛ぶ円盤」からオリオンETグループが降ろしているといわれています。藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、物部氏のオリオン信仰はアガルタ信仰となるそうです。牛若丸と鞍馬山の天狗の伝承のように、源氏はオリオン 星人との繋がりがあったようですオリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。
・『来訪神 仮面・仮装の神々』についても、民衆に福をもたらし、災厄を除く善行ばかりが、後世には「お祭り行事」となってのこったのかもしれません。人間タイプの宇宙人(神々と異人)と異類異形の宇宙人(鬼)の2種類は、当時の人々には、恐怖の的であったようです。『来訪神 仮面・仮装の神々』についても当時の異星人・宇宙人の状況はよく分からないようです。現代でも突然、グレイが現れると、宇宙人のバイオロボットだと認識できますが、大昔では、恐怖感そのものであったといわれます。
全国に伝承のある「来訪神」は、オリオン星人や、リラ星人、プレアデス星人系列の異星人だったのかもしれません。日本は、超太古からさまざまな異星人が飛来していたようです。中には「文化神」もいたのでしょう。オリオン人は、地球と直接的なつながりを持つといわれます。オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。宇宙人は、超太古から輪廻転生を繰り返したり、「不死」の遺伝子テクノロジーを持っているといわれます。リラ星人エロヒムのコンタクティであるフランスのクロード・ボリロン・ラエルによると遺伝子操作による「不死の惑星」に行ってきたそうです。こと座人の遺伝子が、透明人の集合エネルギーと混ぜ合わされて、爬虫類人(レプティリアン)として、物質肉体化して出現したそうです。リラ星人のエロヒムが「人間を実験室で創った」といわれます。「古代リラ星人は、アセンション、つまり上位の次元、5次元以上の移行を待っている」といわれます。
・「伊吹弥三郎・伊吹童子(創造神とドラ息子)」という伝説もあるようです。「近江の伊吹山にいたとされる伊吹弥三郎は、創造神という顔と、魔物=鬼という顔がある。その息子の伊吹童子も多くの部下を従えて暴れまわった鬼である。実は近江の伝説だけでなく、弥三郎は多くの文献にも登場している」といわれます。善神のイメージではなく魔神のイメージが強いようです。伊吹弥三郎は、ネガティブ・グループのシリウス星人だったのかもしれません。「神」といっても必ずしも人間にとって「善行」ばかりすることはないようです。堕天使が地球の女を狙って降りてくるといわれます。堕天使の性的な能力は異常に高いともいわれます。「鬼」も堕天使のモンスター・タイプで、人間の女を狙って、空飛ぶ円盤で降りてきたのかもしれません。高次元(5次元以上)の人間タイプの宇宙人(神々)とは、住む処が違い、鬼の住処は低層4次元なのかもしれません。いわゆる神々や悪魔は、さまざまな要素を持ち、理解不能だそうです。多次元同時存在の法則があるという説もあります。堕天使が太古から売春やスパイ、麻薬と関係していたといわれます。人間に憑依したり物質化する堕天使の生態は分かりません。高次元の神々は、めったに人間とコンタクトしないのかもしれません。天狗もオリオン星人だったようです。天狗の伝説も豊富にあります。
「伊吹童子の方は、童子と呼ばれるだけあって童(わらわ)の姿をしていたらしい。不老長寿の薬といわれる「サンモ草の露」を飲んで以来、老いもせず、14~15歳の少年のままだった絵巻に書かれている」といわれます。伊吹童子は、表面的には歳をとらないように見える「リラ星人」系列の眷属だったのかもしれません。酒呑童子のように当時の都に行って「女」を拉致してくるような「鬼」は、夜になると真っ暗になる山々の農家では、「鬼」の出没は恐怖であったようです。
・神人や異人、天狗等の異次元の進化した異星人が、人間の姿をとり、当時の服装で、この世の人間とコンタクトした話は、多くの民話や伝説となって残っているようです。この世とあの世が錯綜しており、異次元世界に入った人々が「神隠し」の伝承になったようです。「人の失踪」は「家出」や「事故」や「事件」、「自殺」等、現代でも多いようです。北朝鮮の拉致事件もありました。警察の事件や、捜査願いの状況もよく知りませんが、「家出」も多いようです。この分野を詳しく調べている人も多いのでしょう。2018年10月1日現在(概算値)の総人口は、1億2644万人ですので、日本も「人口大国」ですので、様々なパターンがあるのでしょう。「事実は小説よりも奇なり」といわれます。「現代の民話」も集めていれば、『遠野物語』以上に、不思議で奇妙な逸話が豊富にあるようです。
・「神隠し」「夢での死者との交流」話も多く、「夢で死を知らせる話は数え切れない。ことに戦死を知らせる夢は多く、胸を打つ」といわれます。
「能舞台」の話は、あの世の死者とこの世の者の交流話が多いと指摘されています。「死後の世界」の描写は、世界中、当然ながら、共通性があるようです。「生まれ変わり」や「前世を記憶する」逸話も世界中にあります。「幽霊」話も世界中で非常に多くあり、カメラやビデオや監視カメラの世界的な普及(誰でもカメラ)で、幽霊のようなものや、奇怪なものが写る機会が増加しており「幽霊写真」として、本が出版されています。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」そうです。
異次元世界は、人間が普通では認識できない世界ですが、異次元世界から「この世」に宇宙人が浸透する場合もあるようです。「アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信する」といわれます。アストラル界の住人が地上にも出てくることは秘密結社の最高機密だそうです。「人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたる」といわれます。「世界の歴史は、秘密結社同士の戦争の歴史である」といわれます。「秘密の首領」(世界のどこかの物質界を超越した次元に棲まうとされる、結社の認可を指示する超人)とのコンタクト話も少なくないようで、世の中は不思議で一杯の不可知の森羅万象の世界のようです。
・「ナーガ は、インド神話に起源を持つ、蛇の精霊あるいは蛇神のことである。上半身を人間の姿で表し、下半身を蛇として描く構図を用いる例もあるようだが、一般的なものではない」といわれます。インド神話は、詳細な神々の世界と人間の関係を示しているといわれます。「シリウスのテクノロジーは、アヌンナキによって地球にもたらされた」そうです。ネガティブなシリウス人がモンスタータイプの生物を創り、神に嫌われたといわれます。そこで神が地軸を動かして天変地異を起こしたのは、過去3回あるといわれます。遺伝子科学者の一派のルシファーが、神をまねて人類を創造しようとした結果、「蛇神」は、当初の生体実験の成果なのかもしれません。ハリウッド映画「スター・ウォーズ」の大蛇の首領を連想させます。
日本でも「大蛇の化身」の青年と人間の娘の伝説が全国に豊富にあります。異類混血の伝承でしょうか。異次元に入ると「大蛇の化身」と分かるようなのです。神々や魔神が、人間の魂を虫や動物の体の中に入れるのは容易だといわれます。イルージョンでしょうか?馬に転生した人間の伝承もあるようです。
・牛神がテクノロジーで龍神を圧倒し「低層4次元」に追い払ったともいわれています。私達の銀河は直径が10万光年あり、その意味では龍神の発進母星シリウス、牛神のオリオンはお隣の星、隣接する恒星といってよいといわれます。「りゅう座人は、地球に巨大な地下基地、金星にコロニーを持っている。地球には二番目の月が配置されている。地球の月は、永劫の昔、レムリア大陸への入植の時代に、軌道上に設置されたりゅう座人の宇宙船である」といわれます。旧約聖書の神が「龍神」で、新約聖書の神が「牛神」といわれます。モーゼとユダヤ人は龍神の系譜にあり、イエス・キリストは牛神の系譜で、お互いのバックはオリオン星系とシリウス星系という宇宙にあるそうです。太古、地球には「龍神」と「牛神」の2種類の神が来て、人間を創ったそうです。
{コトバンク}へびむこいり【蛇婿入り】蛇が男になって人間の娘に求婚するという内容をもつ,異類婚姻譚に属する昔話群の総称のこと。
・「浮遊霊・地縛霊. これらの霊が現界の人間等に憑依し、霊障を起こす。浮遊霊 死者の霊が行くべき所に行かずに逃げ出すと浮遊霊となる」とか、「地縛霊(じばくれい)とは、自分が死んだことを受け入れられなかったり、 自分が死んだことを理解できなかったりして、死亡した時にいた土地や建物などから離れずにいるとされる霊のこと。あるいは、その土地に特別な理由を有して宿っているとされる」と定義されています。いわゆる幽霊は、成仏していない、この世に怨念がある霊のようです。沖縄のような激戦地では現代でも、戦死者の幽霊がでるそうです。離れた島の沖縄は、霊的世界も独特の世界を形成しているようです。「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」そうです。幽霊の話を集めても霊界の存在が窺われます。「あの世」と「この世」が交錯していることが窺われます。
・幽霊は、人間の死後の世界の霊界や幽界の現象として理解されてきました。ある意味では「幽霊現象も宇宙人現象といえる」かもしれません。進化した異星人(神と天使)は「幽霊」のように現れ、消えていくそうです。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。幽霊はアストラル界の下層の「地獄」あたりに浮遊しているのかもしれません。「アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信ができ、心の弱い人たちが悪い行いをするようにささやくのです」ともいわれます。当ブログには「地獄」の記述は、あまり書いておりませんが、古今東西を問わず、地獄の話題は膨大にあります。「幽霊現象」はネガティブな異次元の宇宙人現象のようです。
・人間の死後の世界、幽界や霊界、目に見えない宇宙人のアストラル界やエーテル界も似ている世界ですが、私たち一般人は、詳しくはありません。「目に見えないアストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成している」そうです。「人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたる」そうです。死後世界の幽界では「自分が死んだことを自覚していない」霊も存在するそうです。
「宇宙人は“幽体”や“霊体”で目に見えない異次元に存在している」とか「遥かに進化した高次元の高等知性体・異星人は、人間の肉体や精神体に憑依するので誰も識別できない」とかいわれます。また「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」ともいわれます。
・天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人の存在は、米国のチャネラーからの情報からもたらされているそうです。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」ともいわれます。
地球と月の間の異次元に広がるニルヴァーナ(涅槃・天国)には、異次元からの宇宙人が出入りしているようです。グレート・マスターやマスターたちは、直接、地球の事象に関与していないようですが、間接的には何らかの関与があるようです。現代でもマスター(大師)と交信している人間が存在するようなので不思議です。また、両性具有の宇宙人も存在するようです。目に見えない異次元世界は、私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。
戦場では多くの兵士が一度に死にます。その時、天界から天使たちが、異次元の宇宙船に乗り、霊界の案内に来るそうです。ですが、あまりに死者数が多いと、十分に魂の救済ができないのかもしれません。それらが地縛霊となり、兵士の「幽霊」となるのかもしれません。
・amazonに「神隠し」と入れますと287件の書籍がわかります。「千と千尋の神隠し」のアニメーションが大ヒットしましたので、全国的にも関心が高いようです。神隠しも天狗や異人の仕業だったようです。現代風に言いますと、宇宙人のアブダクション(誘拐)だったのかもしれません。少数の帰還者の伝承もあるようです。「神隠し」は、現代のマンガや時代小説のモチーフにも取り上げられています。米国のアブダクション(誘拐)では、もとの部屋に異次元移動して戻るようです。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。米国でも小柄な宇宙人グレイのアブダクション(誘拐)は当時のメディアでも大きく取り上げられたようです。 「グレイ」は人間の無意識の中に入ってくるといわれます。精神界と物質界、あの世とこの世を自由に移動できる異星人のテクノロジーは、想像を絶します。
・「小柄なグレイの後に金髪碧眼のノルディックが来た。その後に、人間タイプのオレンジと呼ばれる宇宙人が来て、その後に“東洋人タイプの異星人”が来た」といわれます。東洋人タイプには日本関係する神々(異星人)も混じっていたのかもしれません。人間タイプの異星人の情報は、アバブ・トップシークレットのようです。はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。「宇宙人は幽体として存在する」といわれます。宇宙人情報を公開すると主権が危うくなるともいわれます。
「日本の河童はグレイの一種で、現在も海底基地にいる」とクラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロが述べています。グレイには、「ビーガン。シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ」、「ゼータ・レティクリ1。地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ」、「ゼータ・レティクリ2。遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕」などが存在するそうです。日本の鬼や天狗、河童などは、異類異形の異星人だったのかもしれません。嘴のある羽のある「烏天狗」は、有翼のオリオン座のドラコ人のバイオロボットだったのかもしれません。
・「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」、「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」という伝承があり、オリオン星人系列の“異人”の犯行だったのかもしれません。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」といわれます。また中世のドイツの領主はほとんどが「異人」か「異人」の末裔ともいわれます。世界中に異星人の「異人」が、さまざまな形態で、人間と関わりがあったようです。ドイツの異人はアルデバラン星人の末裔だったのかもしれません。金髪碧眼のアルデバラン星人はアーリア人の「超人」であり、ゲルマンの神々だったようです。シュメール文明を打ち立てたのが金髪碧眼のアルデバラン星人といわれ、牡牛座のアルデバランが故郷の惑星のようです。
・また現代では金髪碧眼のウンモ星人が、ヨーロッパで同化している異星人として知られています。ロシアにも「異人伝説」が豊富にあり、現代では「ロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をリュウ座人の前衛部隊と交わしてタウ人を追い払ったと考えられている」とも伝えられます。
「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)」がダルシー秘密基地やエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。おぞましい「生体実験」の話も報告があるようです。グレイと人間の交雑種が「エササニ人」といわれます。エササニはオリオンの方向にあるそうです。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。人間の幽体や霊体、魂を自由に操作できる、高次元の異星人でも、ネガティブ・グループは、人類に敵対的だといわれます。
・神隠し事件は迷宮入りの事件となったものも多いそうです。当時の警察は、どの程度の情報を持っていたのでしょうか?「天狗」や「狐」「狸」「異人」が神隠しの犯人だったようです。現代でいえばUFOや宇宙人のアブダクション(誘拐)だったようです。
よく『狐つき』に間違われたアブダクション(誘拐)・ケースもあったようです。異星人のアブダクション(誘拐)の被害者や交配実験の被験者を地上で見た伝承が多かったようです。アブダクション(誘拐)やキャトルミューテレーション(動物虐殺)もいろいろな形態があったようです。
・『越中 怪談紀行』では富山県の黒部の「隠里」が記載されております。「隠里」に入った場合、人間自身は「幽体離脱」して入るのかもしれません。洞窟が、この場合も異次元への入口になっているようです。また「黒部川の大蛇伝説と愛本姫社」の伝説も「黒部市宇奈月町下立」の伝承です。そして「異人のくれた書」は黒部市の近くの魚津市の伝承でした。
岡山市の安井清隆(仮名)さんは、トールホワイトのような長身のチュェレイ人とコンタクトしました。
「同じ年の10月30日、「富山県黒部市の宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5~6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30~40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた」と報告されています。ここでも「富山県黒部市の宇奈月温泉近くの河原」という場所がでてきます。どうも「黒部」は、パワースポットなのかもしれません。4次元以上の世界で、何かが繋がっているのかもしれません。
「隠里」から帰って来て、時間が歪んだのは、「浦島太郎」の民話と似ています。「あの世」から「この世」に戻ると、時間が想像を絶する程、長期間になったという話です。その逆の話もあるといわれます。
・過去の伝承が偶然一致する場合もあるようです。
『超巨大〔宇宙文明〕の真相』(ミシェル・J・P・デマルケ著、ケイ・ミズモリ訳、徳間書店発行 1997/8/31)では次の記述が参考になります。
「第11章:誰がキリストだったのか?
イエスは日本に着いた時、50才になっていました。そこで彼は結婚し3人の娘をもうけました。そして、45年間住み続けた新郷村(しんごうむら)で亡くなりました。イエスは日本の本州にある新郷村に埋められましたが、その墓の側にはオウリキの一房の髪を納めた小さな箱を埋めた、もう一つの墓があります。あなた方は証拠好きですから、以前は戸来村(へらいむら)の名で知られた青森県の新郷村へ行ってみるのもいいでしょう」
訳者ケイ・ミズモリ氏によると、「このくだりの記述は、日本最古の歴史書とおいえる『竹内文書』の内容と一致している。青森県三戸郡新郷村の戸来の丘にはイエスの墓が実在している。デマルケ氏本人の弁では、日本を訪れたこともなく、『竹内文書』の存在も知らないと、明言している」とのこと。
・「隠里」の伝承は、SFファンタジー物語のようですが、パラレル・ユニバース(並行宇宙)や異次元世界の伝承を連想させます。地上社会に同化した異星人(異人)の様々なネットワークがあったのかもしれません。
日本では、リラ星人の伝承が、ほとんど分かりませんが、日本人と深く関わりがあったようです。「隠里」は、遥かに進化した異星人の現象のようです。パラレル・ユニバース(並行宇宙)は、目に見えないが、すぐ隣にあるといわれます。歩いて、幽体で異次元世界へ入っていけるようです。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔と指摘されています。しかし太古からのさまざまな異星人のDNAが日本人の体内や精神構造に入っていると述べられます。『遠野物語』の異人ばかりではなく、時空を超越した世界からの「異人」や「神人」は、全国にその伝承があるといわれます。
・天狗や異人や神人の正体も分かりませんが、日本中に多くの伝承があるようです。赤鼻の天狗ばかりではなく、完全に人間タイプの「天狗」もいるようです。そのような『遠野物語拾遺』の「花巻の天狗さん」の伝承もあります。人間タイプの宇宙人は、だいたい識別できない場合が多いようです。インド神話では宇宙人は動物に変身できるそうです。また「宇宙を3歩で歩く」神々の神話もあるようです。日本でも異次元では「人頭蛇身」に変身していた宇宙人が、この世の人間の若者や老人に変身して、人間とコンタクトする伝説が多いと指摘されています。超太古の天皇はレプティリアン(爬虫類人)であったという説もあります。「そして彼らとは、古代の爬虫類で、あなた方の祖先であり、親戚なのです」と述べられます。異次元移動が容易な宇宙人は、想像を絶する超能力を持っていると述べられます。アストラル界やエーテル界の宇宙人の世界は、私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。
・2種類の宇宙人の対立・抗争は、宇宙神話の大きなテーマのようです。スター・ウォーズも頻繁にあったのかもしれません。例えば北欧神話のアース神族とヴァン神族は、最終的にアース神族が勝利した長きにわたる戦争の後、和解し人質を交換、異族間結婚や共同統治を行ったそうです。しかし北欧神話もラグナロク(最終戦争)、善と悪との両極端にわかれての戦いを予定しています。
多様な反響もあるようですが、日本でも学生や学者のUFOの関心は高く、研究している人も多いそうですね。反重力機関を研究している学者もいるそうです。そうすると米軍に超テクノロジーがわたりつつあるということでしょうか。「エイリアン・エンジニアリング」は米国の一人勝ちでしょうか。
目に見えない異次元に天使や高次元の異星人がいるそうです。それで、たまにコンタクティやチャネラーが出てきます。目に見えない世界の話は、私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。
・眼に見えない世界は、死後の世界の精霊界と同じで、通常は認識されません。が、チャネラーなどの情報で、一般の人々にも、おぼろげながら、理解されつつあるようです。現実の人生や生活とは関係がないようですが、「あの世がこの世を規定している」そうです。
4次元の肉体を持った人間の特徴とは、不思議な話です。見えない4次元に存在するという非常に細かい粒子(エーテル)的な肉体を持つ宇宙人をイメージすることは難しいようです。私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。
異星人という神々や天使などが人間体に形を変えて地球に飛来して、地上を徘徊していたのでしょうか。昔の人々は、超能力人間を神と信じたのでしょうか。著者(深野一幸)は、工学博士の立場から、常識を破る事柄の多い宇宙人について研究したそうです。ウォークイン(憑依・人格転換)やワンダラー(転生)等、様々な形態で、異星人は地球に出現すると語られています。
・このような時代になって「宇宙人は実在するのかどうか」と真面目に議論している学者がいるのが不思議だそうです。「現代の『地動説』『天動説』ということでしょうか。真面目に異星人を研究すると学者生命が絶たれるという神話もあるようです。4次元、5次元といわれても私達にはイメージがわかない世界、「夢の中の世界」でしょうか。「夢の中でアストラル・トリップをしてクリスタル・シティでキリストに会った」という欧米のチャネラーが多いそうです。
当ブログの標題「UFOアガルタのシャンバラ」の住民は、グレイとともに飛来したノルディックだったという説もありました。金髪碧眼のノルディックと金髪碧眼のアルデバラン星人がよく混同されるそうで、宇宙人の命が狙われたりしたそうです。ノルディックのほうが、傲慢だともいわれます。グレイの「空飛ぶ円盤」に同乗していた「ナチス」とも言われている金髪碧眼のノルディックは、プレアデス星人といわれていました。ノルディックとオレンジは、両方ともプレアデス星座の“アルテア4・5”から来ているといわれています。神々の現在の住まいは、シンボリックに古代名称を用いてシャンバラと呼ばれているといわれます。
・邪悪なマスターに狂わされたナチス・ドイツ。マスター(大師)も善タイプばかりではなさそうです。「第2次世界大戦は堕天使ルシファーと大天使ミカエルの代理戦争だった」という奇説もあったといわれます。「現代的な解釈ですと堕天使ルシファーとかリラ星人のサタン(悪魔)という言葉は、遺伝子科学者の研究集団の名前だ」そうです。フリーメーソンと金星人の繋がりが窺われますが、フリーメーソンの主神は堕天使ルシファーといわれます。堕天使ルシファーが天使団の3分の1を率いて神に反乱したという「天の戦争」が続いているそうです。「ヒトラーの側近も四人の重要な相談役もすべてがイルミナティで占められ、ヒトラーは常に監視下にあった。つまりヒトラーは「イルミナティに培養された独裁者」だったのだ」と語られています。また「ヒトラーは堕天使ルシファーに憑依されていたのだ」という説もあります。
・グレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは『アガルタのシャンバラ』の住人だったという説もありましたが、現在の米空軍情報からのリークでは、詳しく分からないようです。サナトクマラは、シャンバラと金星を行ったり来たりしているマスターで、彼は、百戦錬磨の戦士だそうです。金髪碧眼の「ノルディック」はプレアデス星座の惑星アルテアから来ているともいわれたり、オリオン星人だともいろいろな説が流れてくるようです。金髪碧眼のノルディックと金髪碧眼のアルデバラン星人がよく混同されるそうです。
もちろん、黒目黒髪の東洋人タイプの異星人もいますが、欧米から流れてくる人間タイプの異星人は、多くの場合、金髪碧眼の異星人ということで、古代ケルト人・アーリア人種のような白人種の典型のようなタイプらしいのです。ヨーロッパでは同化の進んだ異星人種族として、金髪碧眼のウンモ星人が知られています。ナチス・ドイツが崇めた金髪碧眼の「超人」たちは、アルデバラン星人で、アーリア人の「超人」であり、ゲルマンの神々だったようです。
・そういった都市型の超巨大宇宙母船“高天原”から日本民族の神々(異人)が飛来したらしいのです。また、「日本民族の原郷であるプレアデスの惑星もある」というスイス人のコンタクティ・ビリー・マイヤーの情報もあるようです。“都市型の超巨大宇宙船“は、50年前のアダムスキーの金星人の宇宙人が飛来したと言われた時代から言及されているようです。
ちなみに、スイスの有名なコンタクティのマイヤーがコンタクトしたプレアデス星からの宇宙人は金髪の白人美女に見間違えられる容姿をしていたと主張しており、それこそは、“ノルディック”というスカンジナビア系の金髪の美人型宇宙人と一致しているそうです。金髪碧眼のノルディックは、男性として言及されていました。人類の進化には干渉してはならないという宇宙法があると指摘されています。アバブ・トップシークレットは宇宙人からの命令なのかもしれません。またエルダーとよばれる天使のような人間タイプのオリオン星人が小柄なグレイと共に飛来したそうです。
・グレイとか、ラージノーズグレイ、レプティリアン、ノルディック、オレンジという具合に異星人のパターンも定着しつつあるようですが、コンタクティなどの話によれば、ノルディックなどの超能力者が、米国内に紛れ込んでも、誰もわからないようです。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。そうなると人間自身が「変容」、「変性」してしまうそうです。「宇宙人と普通の人間を区別できなくなっている」時代だそうです。
50年前のアダムスキーの時代から、異星人がネットワーク化して、映画『Xファイル』で見られたように、一般人になって街中で生活しているようですし、彼らの目的は人類を観察するということだそうです。「異星人にとって、テレポーテーションのテクノロジーはそれほど難しくない技術だ」そうです。「宇宙人は“幽体”や“霊体”で目に見えない異次元に存在している」と指摘されています。
・地球製の空飛ぶ円盤を米軍が実戦に使っているという話は、真偽のほどは分かりませんが、ありえる話なのかもしれません。You Tubeでもそのような動画ありましたが、当初はインチキ動画と思いました。しかしリアルな話なのかもしれません。You Tubeには不思議で奇妙な動画が豊富に載っています。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。「エイリアン・エンジニアリング」の研究によってアメリカ合衆国は発展段階の初期段階にあるといわれます。地球の科学でも50年違いますと、大きくテクノロジーの革新が進みます。まして5万年も進化していると、理解不能のエイリアンのテクノロジーですので、最先端の地球の科学者でも、理解できないでしょう。「エイリアン・エンジニアリング」によって、軍需産業は、とてつもない新兵器を開発していると語られています。恒星間飛行技術も現代の科学者は理解不能のようです。米軍は、様々な「エイリアン・テ・エンジニアリング」によって、異星人から、革新的なテクノロジーを入手していると語られています。宇宙人情報は米軍に始まって米軍で終わるといわれます。
エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。「その彼らは地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」といわれます。エリア51が有名になりすぎたので別の広大な米軍基地に「秘密基地」を作ったともいわれます。「エイリアン・エンジニアリング」の秘密は当然守られていることでしょう。宇宙人情報を公開すると主権が危うくなるともいわれます。政府の中に政府があってアメリカ大統領といえどもコントロールできないといわれます。また在日宇宙人問題を認識している人はほとんどいないといわれます。米軍のレザー小銃も完成していると言われますが、実戦に使用されたことがあるのでしょうか。
・岡山の蒜山(ひるぜん)高原は、アリゾナ州のセドナのようにUFOが当たり前のように見られる場所だともいわれます!?「日本のセドナ」とは大げさな与太話。狭い土地の国ですから、庭にUFOが降りたとは珍しい話です。グレイタイプなのか人間タイプなのかはわかりません。「英国のマウント バッテン伯爵の邸宅の庭に空飛ぶ円盤が着陸した」と言う話もあったといわれます。
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によると、「標高500mから600m程度の高原地帯であり、西日本を代表するリゾート地の一つである(関西(中国)地区の軽井沢とも呼ばれる)。また、日本最大のジャージー牛の牧場なども存在する」とのこと。
「妖怪伝承としては「(スイトン)蒜山高原には「スイトン」と呼ばれる妖怪が出没すると言い伝えられている。スイトンは「悪人などのところに“スイー”っとやってきて、一本足で“トン”とその場に立ち、その場にいる悪人を引き裂き、食い殺す」と言われている。このスイトンを模した像は高原のいたるところに置かれており、いかに縁が深い妖怪かよくわかる。
(一貫小僧)蒜山高原には「一貫小僧」(いっかんこぞう)という妖怪の伝承もある。袈裟を着て数珠を持った小坊主のような者が、登山者の前に経文を唱えながら現われ、言葉を一言交わすと姿を消すという」とのこと。
・東洋には、白人種の宇宙人のコンタクト話は少なく、「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)系列の宇宙人」とのコンタクト話が多いといわれます。グレイと人間の交雑種が「エササニ人」といわれます。エササニはオリオンの方向にあります。「時空間を超えてこの地球にやってきて、人類をアブダクション(誘拐)し、受精して、子孫を作りました」と語られています。それがエササニ人のバシャールだというのです。
つまり、その地方では昔はアブダクション(誘拐)や宇宙人現象が多くあったということでしょう。一貫小僧の伝説も「小柄な異星人」の伝承なのかもしれません。特に「岡山はUFOのメッカ」といわれるほど、多くの逸話があるといわれています。沈黙のコンタクティも多いのかもしれません。宇宙人が伝えた習俗もあると語られています。特に岡山が注目されたのも岡山市の安井清隆(ペンネーム)氏の巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問したという話です。
・昔よく話題になり本にも載った岡山市の安井清隆(ペンネーム)氏は、金髪碧眼のノルディックの故郷惑星、つまりアガルタ、シャンバラに似たような惑星に行ったということなのでしょうか?当時は金髪碧眼の宇宙人と日本人のコンタクト話は少数あったようです。「(安井)普通の日本人よりもっと立派な日本語、まるでアナウンサーみたいな日本語で、声もそういう調子でした」という話ですが、どのような異星人が話していたのかはわかりませんが、「都市型の超巨大宇宙船」の惑星に日本民族のルーツ、神話のカギがあったのかもしれません。
コンタクティの話は、金髪碧眼の宇宙人、米軍の核兵器などの国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)を数段階も上回る『厳秘』の異星人、ノルディックに相当する宇宙人と遭遇したという体験談が多いそうです。日本人も日本で、しかも街中でコンタクトしたという話もいくつかあります。
金髪碧眼の美人と美男子の宇宙人ばかりでなく、黒目黒髪の東洋人タイプも来ているし、もちろん、美人・ハンサムばかりではないそうです。グレイとかレプティリアンのようなモンスター・タイプも宇宙人といえば数は多いので人間タイプ以外は除くとした場合、金髪碧眼の典型的な白人タイプの異星人ばかりではないことに注意すべきだそうです。宇宙人には動物タイプは3割ほど存在するともいわれます。動物タイプやグレイタイプも、異類混血や遺伝子操作等で「人間化」しているのかもしれません。
・ 昔から神々や女神、異人は映画スター以上に容貌は良いといわれているそうですが、異類もおり、例えば、顔が真っ赤だとか、十人並みとはいかない異人も多いようです。神々は、容貌が良いのでしょうか。昔から神々の伝承が多いということは、地上に降臨していたということでしょうか。
全国各地の伝説や噂などを調べてみると、UFOや宇宙人の飛来に結びつくような話が多いそうです。当時は、全国各地にUFOマニアの集まりや公共の施設、同好会などがあり、活発に活動をしていたようです。安井さんの話もマスコミに載ったということが評価されているのでしょうか。当時の新聞やテレビ局やラジオ局などもUFO宇宙人には熱を上げていたといわれます。
安井さんが30年前に向かった異星は、「遥かに進化した宇宙人の星」だったようです。この太陽系外惑星には、7時間で行けるようなのですが、この宇宙人の日本人のネットワークが昔からあるように窺われます。リラ星人系列というよりもシリウス星人系列の宇宙人の惑星でしょうか。天使に近い宇宙人なのかもしれません。ちなみにプレアデス星にも6時間ぐらいで行けると言う話もあったようです。現在では、「その彼ら(グレイタイプ)は地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」と述べられます。エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。
・この「遥かに進化した宇宙人」は、太古から日本に関係してきたように思われます。40年前には、メディアにも多くのUFOマニアがいて盛んにUFO情報が報道されたようです。メディアで取り上げられないと私たち一般人には、なかなか伝わらないようです。
岡山県は、「桃太郎伝説」の鬼の話とか、「宇宙人との繋がりが窺われる伝承」が多い地域のようです。安井さんはすでに亡くなったので、詳細な情報は分かりません。異人、鬼とか童子や天狗は宇宙人であったという話も多いそうです。
都市型の「超巨大宇宙母船」の存在に言及したコンタクティの日本人は安井さんが最初の人だったようです。インドの叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」には、「超巨大宇宙母船」の伝承が豊富だそうです。チユェレイのような宇宙人も「人類の進化に干渉しない」という宇宙法に忠実なようです。エーテル界には「神々の都市」があるそうですが、都市型の超巨大宇宙母船がエーテル界に突入したのかもしれません。とてつもなく大きい葉巻型の宇宙母船が土星の輪の中で発見されたという天文学者の報告などがありますが、最先端の地球の科学者にとっては、想像を絶する話のようです。
「土星のリングの中に3機の超巨大なUFOが発見されている」
土星のリングの中に、それぞれ長さ、(1)1万266キロメートル(2)2万5338キロメートル、(3)5万667キロメートルの円筒形UFOが存在することが確認されているそうです。これらのUFOの直径は、それぞれ、974キロメートル、1949キロメートル、3898キロメートルという信じられないほどの巨大さだそうです。この事実は、ハッブル宇宙望遠鏡で確認され、「サイエンス・ニュース」誌で発表されているそうです。
・日本にもコンタクティが多いようですが、「マスコミが嫌だ」とかの「沈黙のコンタクティ」が多数だと語られています。岡山にも「沈黙のコンタクティ」が多いのかもしれません。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。そうなると人間自身が「変容」、「変性」してしまうそうです。
大昔から来ていたチユェレイの宇宙人は、正確にはわかりませんが、まあ例えば(八幡)大菩薩クラスの宇宙異次元の神仏なのかもしれませんが、彼らは、タイム・トラベラーであるのは間違いないそうです。彼らは、時空を超えており当然太古から日本の動きを観察していたということでしょうか。
河童(『グレイに近い異星人』)にしても全国に伝承があるようですし、それと共に飛来した『異人』の伝説も全国にかなりあるようです。つまり、日本にも宇宙連合などの先遣隊が来ていたと言うことでしょうか。「全国に出現したUFO」の話も豊富にあるそうです。
・都市型の超巨大宇宙円盤のイメージがわいてくるようです。シャンバラは、都市型の宇宙船が、エーテル界という異次元に突入したものでしょうか。カシオペア座方面の異星にいったという秋山氏と安井氏の情報は似ているようです。異星人は、外見は非常に若く見えるといわれますが、かなり年齢をとっているケースが多いそうです。数百歳とか、数千歳とか数万歳とか、不死の遺伝子テクノロジーを持っているといわれます。リラ星人エロヒムのコンタクティであるフランスのクロード・ボリロン・ラエルによると遺伝子操作による「不死の惑星」に行ってきたそうです。
・進化した異星人は、人間の精神体に自由に憑依したりしますので、誰も識別できないようです。ウォークイン(憑依)やワンダラー(転生)や、様々な形態で、人間社会にでてきますので、宇宙人と人間の区別ができないようです。空飛ぶ円盤から出てきた異星人という話は、昔の話になるのかもしれません。異星人は高次元のアストラル界やエーテル界に都市を創り壮大な文明を営んでいるようです。4次元以上の目に見えない世界ですから、進化した異星人、天使や神々の生態は私たち一般人には、想像もつきません。昔から異界に行って様々な体験をしたけれど、気付いたら夢だったという話も多いようです。アダムスキーも当時も現代でも「詐欺師」扱いをする人々もいるそうです。やはり「異次元の金星や火星」という概念が理解できないようです。現代になって探査衛星が飛び出してから「異次元にある見えない金星」という概念が強調されだしました。また別の星座から来て、異次元の金星を基地にしているともいわれます。
岡山の安井清隆さんの話は、当時、新聞社でも注目を浴びたといわれます。当時は新聞社もUFOには熱くなっていたそうです。「安井清隆」さんと言う名前は「仮名」のようですが、金髪の長身のヨーロッパ系の宇宙人に日本語で話しかけられたという点でも注目されます。母船の巨大さから見ても、とてつもなく進化した異星人と窺われます。第2のチュェレイ人とのコンタクティがでないものでしょうか。
・コンタクト・ストーリーばかりでなく、現実にチュェレイと往復して、その超科学や超テクノロジーを日本のものにしたいものです。アメリカを始めどこの国でも異星人は諜報機関によりコンタクトが継続されているそうです。2メートル40センチの長身の人骨化石がアメリカで発見されたこともあったようです。異星人情報は、国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いですから、異星人が社会に溶け込んでいる現代では何もわからないそうです。「トールホワイト」とよばれる2メートルから3メートルの白人種のオリオン星人も報告されているようです。トールホワイトと米政府とは繋がりがあるといわれます。
・公安調査庁の元部長によれば「日本は諜報機関のない世界的にも珍しい国だ」そうですが、それから様々なことがいわれているそうです。曰く「諜報機関がないためにスパイ天国となり外国人からバカにされ、物笑いの種にされている」、「諜報機関のない国は国とは言えない」、「諜報機関のない国は国家競争から脱落する」、「諜報機関のない国は抑止力も弱く、拉致事件にも無力だった」、「諜報機関のない国は始めから負けている」、「諜報機関のない国は既に国益を大きく損ねている」、「諜報機関は国家にとって最も重要な死活の国家組織だ」といわれます。「外国では様々な意味で甘い国際感覚の日本人が狙われている」といわれます。日本人に特有な「甘い国際感覚、貧弱な語学力」では大きく国益を損ねるそうです。日本の諜報機関もグローバルスタンダード化が必要だと指摘されています。しかしながら、国恥的なことを国際的に発信することはいかがなものかといわれます。
・イアルガの異星人は「馬頭観音」を連想させます。馬面の異星人も昔から日本にも来ていたそうです。異類混血なども遺伝子操作などで進んでおり人間化しているのともいわれます。また『ガリヴァー旅行記』の馬の国『フウイヌム国渡航記』を連想させます。「フウイヌムは彼らを悩ませているヤフーと呼ばれる邪悪で汚らしい毛深い生物と対比される」と言う具合に、人間との異類混血もいたのかもしれません。ところでまた「獣の数字」というものが思い出されます。「獣の数字」は、『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』に記述されています。以下に引用すると、「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である」(13章18節)。この意味は後世に色々な解釈があるようです。「獣の666」は「反キリスト」で、異類混血で創られたヒューマノイドなのかもしれません。ナチスのヒトラーのように歴史上、重大な役割を果たすといわれております。
・『ガリヴァー旅行記』には当時は誰も知らない火星の2つの衛星の正確な描写があり、「宇宙旅行記」ではないのかという説もあるようです。広い宇宙には動物タイプの異星人が2割位いるともいわれております。コンタクト・ストーリーから様々な情報が流れてくるようです。アンドロメダ星雲からも様々な宇宙人が飛来しているようです。まるでハリウッド映画『スター・ウォーズ』の世界のようです。
世界中の神々は各国では名前が違うけれども、ランク別には同一の存在らしいのです。神々は理論的にも不死で時空を超えている理由で神様というのですから、「女神イシスの降臨」といっても不思議なことではないそうです。チャネラーやコンタクティの密度が高まりますと、新興宗教の教祖ということになるそうです。
・「ケンタウルス座α星人の中には、映画『猿の惑星』に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる」そうです。インドの神話でも猿の神様が出てくるようです。インドの神話は、神々の世界や超能力を割と正確に伝えているのではないかという説もあるそうです。「アストラル界やエーテル界に『猿異星人』がはいると、人間の遺伝子的に非常にまずい状況になる」という説もあるそうです。しかし、ケンタウルス座にも、様々な宇宙人が棲息しているようです。「ケンタウルス座α星の私たちの恒星系は7つの惑星から構成されています」というケンタウルス座メトン星の人間タイプの宇宙人がしられています。ケンタウルス座アルファ星(アルファ・ケンタウリ)からは、人間タイプの金星人の末裔がきており、南アフリカでコンタクト・ストーリーがあります。
・ハリウッド映画『猿の惑星』は、シリーズで7本も作られましたが2014年には、新作『猿の惑星 新世紀』が上映されました。「猿の異星人」は昔から、人間タイプの宇宙人に固執するグループを悩ませているそうです。また「異類混血がスター・ウォーズの原因」ともいわれていると語られています。ケンタウルス座アルファ星(アルファ・ケンタウリ)からは、人間タイプの金星人の末裔がきているといわれます。インド神話の猿の神様は「ケンタウルス座α星人」ともいわれます。ハヌマーンは、インド神話におけるヴァナラ(猿族)の1人といわれます。ケンタウルス座の情報も正確なことは分かりません。宇宙人には動物タイプが3割も存在しているようです。猿田彦神も天狗の容貌とか猿のような容貌とかといわれています。3割の動物タイプの堕天使を率いて、堕天使ルシファーは、神に反乱(天の戦争)を起こしたのかもしれません。
・人間は、超太古には完全なものであって長寿だったそうですが、その後、病気になったり、障害児が生まれるという現象もあり、遺伝子的に問題が出てきたそうなのです。ゲイ(LGBT等)の原因も障害児が生まれる原因も現代医学では完全に把握していないそうです。障害児が生まれると困りますよね。人間が困ることは異次元の宇宙人にその原因を求める説もあるようです。現代医学で不明なことは、異次元の高等知性体には分かることばかりでしょうか。「魔神が障害児を創る」という不気味な説もあるそうです。病原菌をばら蒔く堕天使もいるそうで、地上地獄化なのかもしれません。かつての善神が魔神になるというまるでファンタジー物語のようです。「ヨーロッパの人口が激減した中世の黒死病の流行は異星人の細菌兵器だった」ともいわれています。私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。
・「ネガティブなシリウス星人が遺伝子操作などで人間がぞっとするモンスターのような生物を創り神に嫌われて、それらの生物は洪水などで絶滅された」という神話があるそうです。また、天使団の3分の1を率いて神に反乱を起こしたという堕天使ルシファーやサタン(悪魔)の名前は、現代のリラ星人のコンタクティによると「遺伝子科学者の一集団の名前」だそうです。
それで、リラ星人とシリウス星人の争いは「悪魔と天使」の争いとして、異次元でも続いているし時代を超えて、地球上にも深刻な影響がでてくるようです。「シリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」ともいわれ、シリウス星人のネガティブ・グループが“闇の勢力”を形成しているのでしょうか。「異人」や「神人」の伝承も、日本だけに特有なものではないそうです。欧米にも昔から「不思議な人物」の伝承は多いといわれます。
・皇祖神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)についても膨大な情報や資料・研究があるようですが、私たち一般人には、詳しく勉強する機会がないようです。「知る人ぞ知る」話なので、私たち一般人は、理解できません。アマテラスは、個人的には、昔は確か、男神のイメージだったと思うのですが、女神説の話も近年、増えてきて主流になったようですが、勉強不足で、訳の分からない話です。
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によると「神仏混淆と天照大神男神説」「中世の神仏混淆で本地垂迹説が広まると、インドの仏が神の姿をとって日本に出現したとする考えが広く浸透した。はじめ天照大神には観音菩薩(十一面観音菩薩)が当てられたが、やがて大日如来となり、両部神道が登場すると天照大神は宇宙神である大日如来と同一視されるようになる。平安末期の武士の台頭や神仏混淆による男系社会が強まると、一部に天照大神を男神とする説が広まり、中世神話などに姿を残した」そうです。また、「一般に、大和絵や宗教、日本人が最初に神代の時代を知る小中学校の社会科などでも女神であるとされるのが主流である」ということです。
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によると、「第六天魔王」という言葉がありますが、「「他化自在天」で第六天とは仏教における天のうち、欲界の六欲天の最高位(下から第六位)にある他化自在天(=魔王)をいう。また他化自在天と梵衆天の中間に天魔が住んでいる。日蓮は、第六天の魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いた。しかし、純粋な法華経の強信者の祈りの前には第六天の魔王も味方すると、日蓮は自筆の御書で説いている」とのこと。魔王とは、堕天使ルシファーのことかもしれません?第6次元の魔王ということでしょうか?
・来訪神と蛇や動物が非常によく結びつけられる伝説が多いようです。来訪神とのコンタクトに伴うイルージョンでしょうか。高次元の来訪神とのコンタクトでは、人間は変性意識状態になるようです。宇宙には動物タイプの宇宙人が3割ほどいるといわれています。爬虫類的異星人(レプティリアン)もオリジナルは、モンスター・タイプのようです。しかし、遺伝子交配や異類混血などで人間化しているようです。「爬虫類的異星人(レプティリアン)も人間タイプは知性的な顔をしている」とクラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロは述べています。沖縄のような本土と隔絶された地方では、来訪神や異神は特徴があるようです。沖縄のノロやユタも本土とは別の精神世界のようです。
・異類異形の異星人は、住民から怖れられたのでしょうか。沖縄のキムジナーも本土で言う河童なのかもしれません。沖縄の来訪神や異神やもののけは、本土と同じくオリオン星人系列の宇宙人だったのかもしれません。米国政府と秘密協定を結んだオリオン星人は、人類に5万年進化しており、「人間の魂の交換」ができるそうです。ラージノーズグレイもオリオン星人で、米国と秘密協定を結んだともいわれますが、トラブルが起きているともいわれています。また河童に似たキムジナーはゼータ・レチクル星人系列のバイオロボットだったのかもしれません。東北地方のザシキワラシ(座敷童子)のように「子供の神」もいたのかもしれません。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」ということですから、オリオン星人は地球人との関わり合いが強かったようです。
・「オリオン星人は非常に階級意識の強い宇宙人だ」ともいわれ、神々の人間タイプとか、モンスター・タイプとかの関係は複雑なようです。「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)が秘密基地で生体実験を行っている」ともいわれます。「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか」(旧約聖書、ヨブ記38章31節)という奇妙な文章がありますが、スター・ウォーズの「オリオン大戦」もあり、アバブ・トップシークレットのようです。近年、オリオンに向かった日本人もいるという与太話もあったそうです。
北海道のコロポックルやさまざまな異神、もののけも宇宙人との繋がりが窺われます。ミンツチも河童に似た宇宙人だったのかもしれません。フィクションとナンフィクションの割合は、現代では分かりませんが、全部が全部「現地の住民やアイヌの作り話」ということはいえないようです。後講釈しても理解不能なことも多いようです。米国での小柄なグレイのアブダクション(誘拐)事件やキャトルミューテレーション(動物虐殺)事件も数十年経つと、その事実さえも忘れ去られるようです。目に見えない神々や天使の世界は、不可視のために注目されないことが大部分のようです。
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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ
・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド
「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・
「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」
「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」
「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」
「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」
「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」
「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」「フリーメーソンとは、“現在、世界で信仰されているいずれの宗教より古い”教団となるのだろうか」
「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」
「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」
「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」
「シリウス星人の故郷である天体イジュニュは、もっと高い周波数で共振する6次元の天体であり、地球の宇宙と同時に存在するパラレル・ユニバースに存在するのだろうか」
グーグルのブロガー(多言語翻訳)にも書いています→UFOパラレル・ワールド