『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』
あちらの方々とつながればこの世でもっと幸せになれる!
松原照子 東邦出版 2016/5/24
・私はこの本で、どうしてもお伝えしたいことがあります。
「死のあとには続きがあり、すべてがなくなるわけではない」
「人は亡くなったあとも、この世で生きている人とつながることができる」
「この世での行いが、あの世に行ってから大きな影響を及ぼす」ことです。
私は、このことを「不思議な世界の方々」から教えていただきました。
「不死後な世界の方々」とは、私が物心ついたころからそばにいてくださる、私にしか見えない方々です。
この方々が、この世に生きている人ではないと気づいたのが35歳くらいのときでした。それまでは、ほかの人にも見えているものだと思っていました。それほどリアルに感じていたのです。ただ、どうもこの世の方々ではなさそうなので、きっと私の知らない“不思議な世界”から来られているのだろうと、「不死後な世界の方々」とお呼びしていました。
・「死は終わりではない」
「この世とあの世は交信できる」
不思議な世界の方々を間近に感じている私が、伝えるべきことなのだと思ったのです。
・私が不思議な世界の方々とつながるときは、いくつかのパターンがあります。目の前に現れてお話されるとき、声だけが聞こえてくるとき、映像や数字や言葉が浮かんでくるときなどです。この本のなかで、ブルーグレーのおばちゃま、風呂敷おじちゃま、中国四千年のおじちゃまと書いてあるときは、不思議な世界の方が目の前に現れて、直接お話を伺った内容です。不思議な世界の方としか書いてないときは、声だけが聞こえていたり、映像や言葉だけで教えていただいたりしたものです。明らかにだれの声かがわかったときは、お名前を書いています。
<そうだったのか! 死後の世界>
<〇死を迎えるときはだれもが痛みと軽さを感じる>
・「人の潜在意識のなかには、“死の真相”が収められているのですが、それは死の間際まで開放されません」
・「そのときに知るのは、いま生きている人たちが言う死とは、肉体との別れでしかないということです。肉体はなくなりますが、意識までなくなることはないのです。そして、次に進む世界は、だれも肉体を持っていない世界です。そのことを死の間際に理解することで、スムーズに進むことができるのです」
・「死を迎える際には、だれもが痛みを経験します。痛みに続いて軽さも感じます。それは、肉体との別れの合図です」
・ただ、不思議な世界の方によると、痛みにもさまざまな違いがあるとのこと。
最も穏やかなのは、天寿を全うして老衰で亡くなる場合。「十分に生きた」と満足感を覚えて死を迎える人には、心地よい痛みと感じることさえあるそうです。マッサージで体験する「痛気持ちいい」感じに似ているようです。
・すべての人が、次の世界で悔い続けるのも自殺の特徴。
・死とは肉体との別れであり、肉体が必要のない世界に行くためのひとつの過程である。
<〇意識は死後、数分から長くて1週間ほど肉体のそばで過ごす>
・「肉体が機能停止したあと、しばらくのあいだ、意識は肉体のそばで過ごします。人によって数分から数日間と時間差はありますが、やがて肉体との別れを感じ取り、次に進むことを理解します」
・生への異常なまでの執着は“怨念”という存在となり、この世にとどまり続けることもある。
<〇「お迎えが来る」とは光の衣を目にすること>
・「次へ進む合図は、光の衣を目にしたときです」と風呂敷おじちゃま。「肉体から離れた意識は少しのあいだにこの世に残りますが、やがて光の衣が訪れ、それをまとうと次に進まなければならない時が来たと悟ります」
光の衣をまとった瞬間、ほとんどの人が戸惑うそうです。それは、それまで見たり、聞いたり、感じたりしていた感覚に変化が起きるからです。それが間もなく、肉体との別れの合図だと気づき、納得して次の世へと旅立ちます。
・どちらにしても光の衣は、次の世界、つまりあの世への案内の役目を果たしてくれるのです。
・“三途の川”や“お花畑”は、頭のなかでつくられたイメージでしかない。
<〇あの世に着いて感じるこの世との違い 7週間のうちにさまざまなことがわかる>
・肉体がないだけで、生前の続きをしばらくはしている感覚のようです。やがて、肉体がないことを理解し始めると、周りのことも少しずつ見えてきます。
まず、あの世とこの世とでは、時間の流れが異なることに気づきます。
・まず、睡眠がとれるようになります。この睡眠は、この世での眠る感覚とは違い、まったく記憶に残らない空白の時間が訪れるといったものです。
生前の感覚で言う睡眠時間はまちまちで、数時間で目覚める人もいれば、数年眠り続けている人もいるようです。
あの世では、自分の人生をすべて振り返ることをしなければなりません。それがだれもがやらなければならないことであり、さらに先に進むために必要だからです。
・あの世とこの世では時間の流れが違う。肉体感覚は、味覚と嗅覚を残すのみとなる。
<〇あの世で行う人生の振り返り 言い訳のできない世界が待っている>
・この世での生き方が、あの世での過ごし方に大きな影響を及ぼしていることがよくわかります。
もちろん、善行を数多く行ってきた人にとっては、天国であることは間違いないと不思議な世界の方はおっしゃいます。
・閻魔大王とは自分自身であることに気づく。
<〇自分に嘘がつけないのは「人類記録所」があるから>
・あの世にある、すべての真実が記録にされている場所とは、どんなところなのでしょう。不思議な世界の方から教えていただきました。
「こちらにあるのは、すべての人の一生が記録された“人類記録所”です。そこに記録されているのは、あらゆる真実です。膨大な量の記録がありますが、自分の一生の記録はすぐに見ることができます」
・自分以外の記録を見ることも可能ですが、あの世での学びが進まないと閲覧はできないようです。中国四千年のおじちゃまから、興味深いエピソードを聞きました。「織田信長は、本能寺の変で命を落としたとされているようだが、人類記録所には享年72歳とある」
本能寺の変のときの信長の年齢は49歳。中国四千年のおじちゃまが見た記録が、間違いなく信長のものだったとしたら、23年間どこかで生きていたことに……。
人類記録所がある場所は、時間と空間を合わせた場所としか言いようがなく、この世の表現では「5次元」というのが最も近いかもしれないと、ブルーグレーのおばちゃまは言われました。
・「人類記録所」によると、織田信長は本能寺の変では死んでいない。
<〇あの世では地球と私たち人類の関係に気づく>
・あの世では、生のあるものはすべて地球に生かされていたことを知る。
<〇生の意味を追求することがあの世では大切なこと>
・あの世には、この世の時間で何十年経っても、まだこの世に思いを馳せていて、気づきも少なく、学びもできていない人もいると不思議な世界の方に聞きました。一方で、地球との関係性を理解し、次の世界に思いを馳せている人もいるようです。それも、個性なのだと不思議な世界の方はおっしゃいます。あの世の暮らし方は、この世と同じような個性がにじみ出るもののようです。
・あの世ではなにもせずに過ごすこともできるが、気づきや学びは遅れることになる。
<〇不思議な世界の方に聞いたあの世での楽しみ事>
・あの世での楽しみ事を、風呂敷おじちゃまに教えてもらいました。
「こちらでは肉体がない分、随分と楽で過ごしやすく、いろいろな楽しみ事もあります。楽なのは、毎日なにを着ようかなと考えなくていいこと、歯を磨かなくていいこと、女性なら化粧をしなくてもいいんですよ」と笑っておられます。
・光の衣の輝きが増せば、地球の表面のすべての場所を見ることができます。
学びの進み具合や能力の差はあるようですが、この世の少し先のことが読めるようになります。
・「ホットライン」を使って、この世の人に近未来のことを伝えられるのは、この先読みができるからなのです。
・あの世では、この世の少し先の未来が見える。
<〇光の衣の正体は“水”>
・あの世に進む合図となって現れる光の衣は、あの世ではずっとまとったままです。不思議なことに、光の衣をまとうと、まるで無音室に入ったときのように、振動がまったく伝わらない状態となるそうです。
・驚くほど薄い水の膜が、光の衣の正体なのだそうです。
・光の衣を濁らせないように気づきや学びを多く持つことが大切。
<あの世とこの世をつなぐ「ホットライン」>
<〇その存在を信じる者だけが恩恵に浴す>
・この世とあの世のつながりを、この本では「ホットライン」と呼んで説明します。“つながる”と言っても、携帯電話のように会話ができるわけではないようです。
感(勘)が働いて危機を回避できたとか、ひらめいて思わぬ幸運を招き入れたというようなことは、ホットラインからのメッセージである可能性が高いでしょう。
・ここで、最初にお願いしておきたいことがあります。まず。ホットラインの存在を信じてください。信じていないと、この機能も働きません。
あの世のことも同様です。亡くなった人があの世にいることも、信じてください。信じるからこそメッセージを受け取ることができるのです。
<〇ホットラインはこの世の側からアプローチしないとつながらない>
・歴史に名を残している発明家は、1%のひらめきが重要だと言いました。99%の努力を見ていたあの世の方が1%のひらめきを、ホットラインを通して送ったとも考えられます。
・亡くなった人は、あの世から、この世で生きている人を見ています。身内やとても親しかった人のことは、特に気になって仕方がありません。機会があれば、つながりたいと思っているのです。
・ホットラインで届けられるのは、ちょっと先のあなたのことを見通したうえでのメッセージ。
<〇ホットラインをつなげるには、亡き人に心からの愛情を持つことが必要>
・「この世とあの世をつなぐには、この世で生きている人が、生前とても親しかったあの世に逝ってしまった人のことを深く思い出すことです。そうすれば、ホットラインが動き出します」と不思議な世界の方から教えていただきました。
・血縁や親族はホットラインがつながりやすいのですが、血縁者を知らない人もいます。私も、私を産んでくれた親のことは知りません。でも、すでに亡くなっている育ての親とはつながることができます。血のつながりがなくても、ホットラインでつながることができるのです。
・仏壇やお墓に手を合わせるのもホットラインを作動させる有効な手段。
<〇結婚すると相手のホットラインも加わり、サポートが増えてより生きやすくなる>
・ホットラインを増やすには、自分の血縁だけでなく相手の親族も大切にする。
<〇あの世とつながるホットラインは、この世の人同士でもつながることができる>
・厚い信頼関係の仲間同士では、こちらの思いが相手を通して相手のあの世にいる大切な人へと届き、仲間同士に成功や幸運をもたらす。
<〇ホットラインをより太くつなげるには、形式よりも言葉と思いが大切>
・ホットラインをつなげるには、名前を呼んで、具体的にお願い事を言葉にするのがより効果的。
<〇ホットラインから届くメッセージは、身の回りに起きる出来事から読み取る>
・送られてくるメッセージは、常識にとらわれていると見逃してしまいがち。
<〇ホットラインがつながる期間には限界がある>
・あの世に行った人を思い出してくれる人がこの世にいるあいだが、ホットラインのつながる期間。
<〇昔とは変わったホットラインのつながり 自分の頭で考える時間が減るのは危険>
・ホットラインのつながりが悪くなるのは、情報を一方的に受けとるだけで、自分の頭で考えなくなったとき。
<ついにわかった! 不思議な世界の方々の正体>
<〇ニューヨーク行きでわかったブルーグレーのおばちゃまの正体>
・私のブログ『幸福への近道』の「世見」では、不思議な世界の方々に伺ったお話や、見えたり聞こえたり、感じたことを毎日お伝えしているのですが、ニューヨーク行きが決まると、ブルーグレーのおばちゃまが来られて、次の番地を教えてくれました。
「ニューヨーク47番地通西302 HOTEL SHERMAN」
・ECONO LODGEの前は、なんとSHERMANホテルという名前だったことがわかったのです。さらに、そのホテルの前は神智学協会の拠点だったというのですが、編集部の担当者は、神智学協会といえばヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー夫人が有名だと言って差し出した本に載っている写真が、まさにブルーグレーのおばちゃまその人だったのです。
驚くことはまだあり、神智学協会においてブラヴァツキー夫人に宇宙の原理を教えた霊的指導者がモリヤ大師というのだそうですが、私を借金苦から救ってくれた社長さんを紹介してくれた方の名前がモリヤさんだったのです。
これだけ重なると、さすがに偶然とは思えなくなってきます。
<〇ブルーグレーのおばちゃまとの出会いがきっかけで書いた『恐怖の大予言』>
・そもそもブルーグレーのおばちゃまは、私がいまのように原稿を書くようになったきっかけをくれた方でした。もう、35年以上も前のことになります。
・そのおばあちゃまは私に、「書きなさい」「毎日書きなさい」といってきました。「書けと言われても、文才もないし……」とためらう私でしたが、その日からなぜか原稿用紙を用意して机に向かうと、鉛筆が走るのです。自分が書いているのか、だれかに書かされているのかもわからないような状態で書き上げたのが、小冊子『恐怖の大予言』でした。
<〇東日本大震災を“予言”したと言われた、震災約1カ月前にブログに掲載した原稿>
・その年の秋に入ると、原子力発電所のことを不思議な世界の方から忠告として教えられて、「世見」に書くようになり、2011年のお正月には「いよいよ来る」、この言葉をよく聞くようになっていきました。
・2011年2月16日に掲載された文章が、私の人生を大きく変えることになるとは思いもしませんでした。
・やはり太平洋側は動く気配がムンムンしています。
「陸前高田」と云う地名が声にならない会話を、自分にしています。
どこにあるのだろうと、探してみると、見付かった。
指で感じ取ろうとしたが、期待ほど感じなかったが、釜石辺りが赤く見えた。
東和と書かれている場所辺りが気になった。
今度揺れると広範囲に思える。
岩手・秋田・山形・宮城・福島・茨城 これだけ書けば当たるだろうと思える県名だが、書かずにはおれない思いになります。
目の前に5の数字が先程から見えて仕方がない。
千葉も、神奈川も近く揺れると思われるし、東京・埼玉も「なんだこれ」私がおかしいのか群馬も 栃木も 長野も いつ揺れてもおかしくない事を地図は語ってくれているだけに、私自身 今日は地図を見る力が薄れているのかと 心配になってしまうくらいだ。
もしかすると近日中に何回か揺れを感じるか かなり広範囲なのかもしれないと思った。
・私は、小さいころから不思議な世界の方々に囲まれて暮らしてきました。不思議な世界の方々は、とても存在感があり、私には生き生きとして見えます。
<〇不思議な世界の方々は皆さん 幽霊とは違う生き生きとした存在>
・私のなにが気に入られたのか、物心がついたときから、気づくと優しい眼差しで見守ってくださる、私以外には見えない方々がいらっしゃいます。
・その方たちの存在を疑うことなく、結婚・出産・離婚と、さまざまな実体験をしているうちに、私が見えている方々は、周りのどなたも見えていないのに気づいたのが、35歳くらいでした。
・中学校に行くころには、気配は感じるものの、声だけになり、映像で見えたり、感じたことが、現実に起きることが増えていきましたが、坊主頭のおじちゃまは来られなくなりました。
<〇風呂敷おじちゃまは著名な宗教家だった!>
・するとあるとき、おじちゃまから言われたのです。
「私もこのあいだまで人間をやっていましたから名前はありますが、有名な人の話は聞けて、無名な人の話は聞けないというのはおかしいのではありませんか」と。
<〇飛びきり不思議な存在 中国四千年のおじちゃま>
・中国四千年のおじちゃまは、不思議な世界の方々のなかでも飛びきり不思議な存在です。
ブルーグレーのおばちゃまや風呂敷おじちゃまのいらっしゃる世界に暮らしているのではなく、もうひとつ先から来られているのではないかと感じるときがあります。
衣装は日本のものではないようです。中国か韓国の昔ながらの衣装をまとい、奇々怪々な雰囲気を醸し出しています。
・ほかにも、最近あまりお起こしにならなくなった、岸田劉生さんの絵画「麗子像」にそっくりな、おかっぱ頭の麗子おじちゃま、動くたびに「ゴトン ゴトン」と音がするゴットンおじちゃま、難しい科学のことを教えてくれるスワニーおばちゃまがいらっしゃいます。
いずれの方々にもお目にかかるときは、とてもリアルで存在感があります。表情も豊かだし、間違いなくいまも生きておられる“気”を発し、このたびわかった世界でお暮しなのだと思います。
不思議な世界の方々は、まさにそこにいるように姿が見えるときがあります。時には姿が見えず声だけが聞こえてくるときもあります。映像が見えることもあります。絵が浮かんでくることや、数字が浮かんでくることもあります。
<あの世からのとっておきのメッセージ>
<〇子宮は代々の思いを伝える神秘的な器官>
・まず、すべての女性に知っていただきたいことがあります。
母親の子宮は、過去から脈々と続いている人々の思いを受け継いだり、また新しい命がこの世を生きるための準備をしたりする、大変に神聖なところだということです。
<〇10歳まで亡くなった子どもは、母親とともにここの世で過ごす>
・この世で肉体をなくすとあの世に進みますが、子どもの場合は年齢によって異なります。10歳までに親よりも先に旅立った子どもは、母親が亡くなるまで、そのそばを離れずともに過ごし、母親を守ろうとします。
<〇中絶子には名前を付けて、忘れていないことをわからせてあげる>
・中絶子がいる方は、その子どもに名前を付けてあげてください。そうすると、子と同じように母親を守って一緒に暮らせます。父親も、中絶子のことを忘れないでください。時々思い出してあげてください。あまりにも放ったままにしていると、思いがけない災難に遭いやすくなるのでご注意ください。
<〇もうすぐ旅立たれる方へ 心穏やかな最期を迎えるために>
・このたび、肉体とはお別れをしますが、死は決して最終地点はありません。
・あの世に旅立つ方へ。たとえ余命を宣告されていても、月日を追うことをなさってはいけません。私たちには、「気」という不思議な力があり、余命と言われた日から最高、数年は寿命が延ばせることがあると、不思議な世界の方に教えられました。
肉体の衰えと、魂の衰えとは別です。魂が力強くあれば、余命も延ばせますし、肉体との別れも素晴らしい思いで感じられます。
・あなたの魂の寿命は、あの世に行ってからも続きます。
「死は生の続きにある、ひとつの過程でしかありません」
<〇あの世に行ってから戸惑わないために、いまから始めておく7つのこと>
❶ 1日に1回、自分の生年月日と名前を、空に向かって声を出して言います。
❷ 「私はいま、生きています」と心のなかで実感すると、気力がアップするのを感じます。
❸ いままで自分が歩んできた道のりを、少しずつでも書き留めます。私はまだ始めていませんが、あの世で人類記録所に残されたことと照らし合わせて、あの世で行う振り返りのスピ―ドアップができるそうです。あの世で心がう~んと楽になり、過ごしやすくなるようです。
❹ 後悔しない、執着しない、未練を残さないを心がける。
❺ 善行についてあらためて考える。大げさなことでなくていいようです。私は、冷蔵庫のなかに無駄な食材がないかをチェックして、使いきることを心がけています。
❻ 幸せ探しをする。
❼ 自分との約束は守る。
人の道に外れた約束事を行っていると、あの世に着いてから後悔するので、注意してください。
<ブログ『幸福への近道』>
・私は、ブログ『幸福への近道』で毎日、気になる地域や災害のこと、不思議な世界の方々に教えていただいている世の中の動きなどをお伝えしています。
・『幸福への近道』で日々気になることは書き続けます。お読みいただいて、あなたご自身の感(勘)が働きましたら、どうお気をつけてください。その感(勘)も、本書にありますように、どうぞ磨き続けてください。きっとあの世からの見守りによって、大難は小難に、小難は無難になっていくかと思います。
この地球に意味なく生まれてくる人間なんていません。みんな、なにかの理由があって生まれてきているのです。
『日本怪異伝説事典』
朝里樹 えいとえふ 笠間書院 2020/12/23
<岐阜県>
<生きていた明智光秀>
・山県市の中洞白山神社境内には、桔梗塚という明智光秀の墓がある。
・『明智軍紀』によれば享年55歳。しかし、その時に死んだのは影武者で、光秀は山形市の中洞に落ち延びて名前を変え、ひっそり生きていたという伝説がある。この時、身代わりとなった荒木山城守の忠誠に深く感銘し、名前を「荒深小五郎」と改めたとする説がある。
光秀はその後、1600年に関ヶ原の合戦が始まると東軍に従軍せんと出陣するも、増水していた藪川(現在の根尾川)を馬で渡ろうとして溺死したという。従者たちが光秀の遺骸や遺品を持ち帰り、墓を建てたとされる。明智家の家紋が桔梗紋であることから「桔梗塚」と呼ばれ、毎年、光秀の霊を祀る供養祭が行われている。
・実は光秀の前半生は謎に包まれており。ゆかりの地とされる場所や伝説が多い。
・光秀が生き延びていたとする説は、滋賀県にもある。
<滋賀県>
<天海と明智光秀>
・徳川三代に仕えた慈眼大師天海は、出自が謎に包まれた天台宗の僧だ。安土桃山時代から江戸時代を生き、1643年、108歳で生涯を終えたとされている。その正体が、本能寺の変で織田信長を討ったのちに死んだとされる明智光秀であるという説がある。
信長を討った後、光秀は亡くなっておらず影武者を立てて比叡山に匿ってもらったという。信長に焼き討ちに遭った比叡山は光秀を歓迎し、光秀も仏教を学んだそうだ。大津市の坂本は光秀が築いた坂本城があったが、同じ坂本には天海が京都の法勝寺から移転した滋賀院門跡があり、天海の廟所である慈眼堂も坂本にある。
ともに坂本にゆかりの深い二人なのだ。また、天海は日光再興の立役者として知られているが、日光には「明智平」という、今も人気の眺望スポットがある。この名づけ親が天海だという。
このように、いくつもの関連性があるため、光秀は生き延びて天海として生きたという伝説が今も語り継がれているようだ。