日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

自民党の国会議員というだけでビラを受け取ってもらえません。わたした名刺を破られるなんてことは全国でザラでした。昔から伝わる「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない」ことを実感。(5)

 

 

『政治家は楽な商売じゃない』

平沢勝栄  集英社    2009/10/10

 

 

 

・「政治家は楽でいいな。政治資金の使い方もいい加減でいいんだから」「結構、儲かるんだろうな」などと思っている人もいるのではないだろうか。

 

・しかし、政治家という仕事は決して楽なものではない。11年前、地盤、看板、カバンもないまま衆院選に挑戦し、幸いにも当選させていただいて以来、私は、公務や選挙区での活動に全力で取り組んできた。1年365日、1日も休みなしの状況で今日まできた。

 

・また政治家は決して楽な仕事ではない、もちろん人によって違うだろうが、徒手空拳で政治家の路を選んだ私だからこそ、よくわかることだ。

 

<勝栄流、ドブ板選挙>

・私の場合、365日、それも毎日24時間を選挙活動に充てていると、いっても過言ではない。これは決してオーバーではない、家族サービスなど全くできないと言っていい。

 

・毎日の活動は漕ぐのを止めたら倒れてしまう自転車に似ている。体力勝負である。政治家と言う仕事はもちろん個人差はあるだろうが、決して楽な商売ではないのだ。 

 

<日々是選挙なり>

・政治家にとっては「日々是選挙」だ。したがって、慢心はもちろん、一瞬の油断でさえ政治家には命取になる。

 

・「選挙に勝つための条件は三つある。一つは36歳以下であること、それから、5年から7年、地域を必死で回ること。最後に地元の2流、3流の高校の出身であること」。最後の条件は、一流高校と違いそうした高校の出身者は卒業後の結びつきが極めて強いから、選挙に有利と言う意味らしい。私は、どの条件にもあてはまらない。

 

<ドブ板選挙は体力が勝負>

・選挙区では1年中、なんらかの会合や催し物が開かれている。1月から3月までの新年会だ。私は毎年計5百か所ぐらい出席する。それが終わると卒業式に入学式のシーズンを迎える。

 

・政治家でも二世や三世なら祖父や父親からの地盤があるから私などと違って楽かもしれない。

 

・政治家は勉強も欠かせない。しかし、1日中、走り回っていると勉強する時間がない。

 

・私が基本にしていることは、徹底して「人に会う」ということだ。それが選挙の第一歩だと考えている。地元にいる限り、私の一日は「人と会う」ことから始まる。

 

<国会議員の本分>

・まずは国会議員の本分としての仕事がある。それを最優先でこなし、余った時間で選挙活動にも励んでいるのだ。

 

<個人の後援会>

・政治家にとって後援会と言うのは、膨大な時間と労力をかけて作り上げるもので、いわば政治家の命綱だ。二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることからきわめて楽な選挙となるが、私にはその基盤となる後援会が全くなかった。

 

・現在私の後援会員は約6万人を数える。この後援会が今日の私のドブ板選挙を支える基礎となっている。

 

<政治家とカネ>

・国会議員は普通に活動するとどうしてもカネがかかる。仕事をやればやるほどカネがかかるともいえる。

 

・普通に議員活動をしておれば、月にどうしても5、6百万円はかかる。先に述べた議員年収などでは、とてもまともな活動はできないのが現状だ。歳費と期末手当だけではとても政治活動費は賄えないし、政党からの助成金でもまったく足りない。支援者からの支援がなければ、政治家として十分な活動ができない現実がある。だから、パーティーは多くの議員にとって不可欠とも言える。

 

・夏はもちろん、盆踊りや花火大会などのシーズンである。このうち盆踊りや夏祭りは町会、自治会単位で開催され、約3百ヶ所に顔を出す。

 

・もちろん、こうした行事のほかにも冠婚葬祭や祝賀会、記念式典などが一年中、目白押しだ。

 

 <拉致は防げた>

・拉致は防ぐことができた。私は、今でもそう思っているし、警察にいた者の一人として、この点については返す返すも残念でならない。実は私が警察に在職していたときから、北朝鮮による拉致事件が起こっているのではないか、と関係者は疑いを抱いていた。

 

・実際に実力行使で不審船をストップさせたのは2001年12月の奄美大島沖事件が初めてであった。

 

拉致問題は時間との戦い>

・私の師でもある後藤田正晴さんは生前、政府の対北朝鮮外交の進め方に介入する関係者の言動に強い不快感を示しておられた。私は、リスクを覚悟しながら行動する政治家は、リスクを取らずして非難だけする人など何も恐れる必要はないと考えている。この言葉を後藤田さんが存命中に常に言っておられたことである。

 

・10人帰って来ると、あと10人はいるのではないか。その10人が帰国すれば、あと30人はいるのではないかとなるのは当然であり、自明の理だ。

 

・日本の警察に届けられている行方不明者や家出人の数は8万人から9万人に達する。この中に「もしかすれば、うちの子供も拉致されたのでは」と思う人が大勢出て来るだろうし、相手がいままで平気で嘘をついてきた北朝鮮だけに、先方の説明をそのまま信じることはできない。要するにこの話は今の金正日体制の下ではエンドレスに続く可能性がある。

 

・すると北朝鮮側は、「拉致事件は、日本と北朝鮮が戦争状態の時に起きたことだ。戦争時に末端の兵士が行った行為を罰するわけにはいかない」と答えた。だとすると拉致事件の最高責任者は誰かと言えば、間違いなく金正日だ。北朝鮮は、ならず者であれ何であれ、曲がりなりにも国家である。そのトップを引き渡すということは、武力行使か金体制の崩壊しかあり得ないのではないか。

 

<日朝交渉の行詰まり>

・小泉さんが訪朝時、食事どころか水にも手を付けなかったからだそうだ。アメリカのオルブライト国務長官は2000年の訪朝時に、北朝鮮の水などを口にしたそうだが、小泉さんは二度の訪朝のいずれもでも水さえ口にしなかった。

 

・私は、小泉さんは立派だと思う。北朝鮮の水に何が入っているかわからないし、そもそも水といえども飲む気にはなれなかったのだろう。しかし、北朝鮮にいわせると「自分の国に来て水一滴も飲まないで帰るとは失礼だ」ということになるようだ。だから私は、小泉さんの三度目の訪朝はないと思う。

 

 

 

『日本政治のウラのウラ』   証言・政界50年

森喜朗  田原総一朗    講談社   2013/12/10

 

 

 

ラグビー部退部>

ラグビー部を退部する以上、大学も辞めなければいけないと思って、大西鉄之祐監督のところに行きました。「ラグビー部を辞めますから、大学も辞めます」と言ったら、「バカヤローッ」と言われて、ぶん殴られそうになってさあ(笑)。その時、大西先生はぼくにこう言ったんだよ。

「オマエなあ。何を考えているんだ。ラグビーを何だと思っているんだ。ラグビーはなあ、人生の目的じゃないぞ。手段にすぎない。だから、ラグビーがダメだと思うなら、大学で他のことをしっかり学べ。そして、何か大きなことを成し遂げてラグビー部の連中を見返してやれ。大学を辞める必要なんてないから、そうやってラグビーに恩返ししろ。それだけ、きみに言っておく」

 

早大雄弁会

・「あのなあ、早稲田の雄弁会は永井柳太郎先生が作った会なんだよ」

――石川県が生んだ大政治家の永井柳太郎ね。

森 早稲田大学創立者である大隈重信も仲間で、永井先生雄弁会を作ったんですね。横山さんに「だから、石川県人は雄弁会に入る義務がある」(笑)と言われて。ぼくも納得したわけです。雄弁会には、石川県人が結構多いんですよ。それで、「雄弁会の役員に知り合いがいる。紹介してやるから明日会ってみな」と言われて、その人に会って話を聞きました。「どうしようかなあ」とまだ迷っていたんだけど、幹事長が面接するというんで第一学生会館の部室に行ったんですよ。「偉い人が出てくるのかな」と思ったら、青白い顔をした小柄な男が出てきました。それが、後に文部大臣や参議院議長を歴任する西岡武夫さんですよ。

――西岡さんは森さんより年上ですか。

森 ふたつ上です。喘息持ちでね。「森さんって、あなた? ゴホンゴホン。まあ、しっかりやんなさい。ゴホンゴホン」(笑)と言うので、「こんな方がキャプテン(幹事長)をできるなら(笑)、オレもやれるだろう」と思って雄弁会に入ったんですよ。

 

・――森さんは雄弁会に入って政治志向になるのに、代議士秘書にならずに産経新聞の記者になった。これはどうしてですか。

森 いや。新聞記者になりたかったんだ。

――政治家じゃない?

森 政治家になることがいかに大変かを雄弁会の先輩たちから教わったからね。

――どう大変なんですか。

森 「森くん、地元の政治家の秘書になったら絶対にいかん。もしなったら、つかえている代議士と戦わなければならないからダメだ」とOBの藤波孝生さんが教えてくれたんだね。彼も自分の地元の三重県津市に近い伊勢の代議士の秘書をやっていました。

 

・森 よく世襲が批判されるけれど、詰まるところ、足の引っ張り合いの結果なんだね。自分が出る勇気はないが、あいつをならせたくもないということになると、代議士の息子が出るしかないんです。息子が出れば「まあ、しょうがないか」ということで収まる。だから、よっぽどのことがないかぎり、秘書まで順番が回って来ないわけです。

 藤波さんの場合は、秘書をやった後、県議会議員をしていましたが、親分の代議士が立派な人で藤波さんに禅譲したんです。これは、珍しいケースですね。

 

・森 うちのおやじは田舎町の町長で絶対的な地盤があるわけではなく、金もなかったから政治家になるには秘書になるしかなかったけれども、そういう先輩たちを見ていて、地元の代議士の秘書になるのはまずいと思ってね。そうすると、政治に携わっていて、政治家になれる可能性があるのは新聞記者ですよ。それで、記者になろうと思った。

――本当は政治家の秘書になりたかったけれど、先輩たちを見ているかぎり、秘書になっても代議士になれる可能性は少ないと。それなら、政治とも関係のある新聞記者になろうということね。

 

・――こう言っちゃ悪いけど、森さんは産経も早稲田も試験を受けずに入ったわけね。

森 早稲田の試験は受けてますよ。運動部の推薦があったんですよ。

――試験を一応、受けている?

森 そら、ちゃんと試験を受けていますよ。多少は下駄を履かせてくれたと思うけどね。日経新聞の「私の履歴書」でも、ぼくが勉強もしないで入学したということになっていて、大学が大騒ぎした(爆笑)。投書や問い合わせがたくさん来て「森さんはスポーツで入ったんだろう。それなら、うちの孫もぜひ、そうしてもらえんか」(笑)と。

 

<代議士秘書>

・――それで、日本工業新聞の記者から、あんなに嫌がっていた代議士秘書になりますね。

森 井関農機の創業者である井関邦三郎社長が、愛媛県三区選出の今松治郎代議士と小学校の同級生でね。今松さんは東京大学を卒業して内務省の官僚になり、政治家に転身した人ですが、たまたま秘書が辞めることになった。それで、井関専務から「森くん、今松先生の手伝いをやってくれないか」と誘われたんです。「秘書にだけは絶対にならないようにしよう」と思って行ったんだけど、結局、秘書になることになった。

 

・森 そりゃ、そうですよ。前から「そういうことをやっちゃいかん」と言われていたわけだからね。それで、秘書になってしばらくしたら、今松さんが亡くなったんです。そうしたら、地元の支持者たちが大挙して上京してきて、みんなが私に「選挙に出ろ」と言う分け。だけど、ぼくはこんなところでは選挙は絶対にできないと思った。

――それは、どうしてですか。

森 とにかく金がかかる。金が平然と飛び交うんだね。

――どういうことに金がかかるんですか。

森 直接、有権者に渡しちゃうのよ。

 

・森 辺境にある田舎町にはそういうところが多かったんですね。愛媛三区というのはね、金に問題のある人ばっかりだった。田原さん、ご存知かなあ。バナナ事業を起こした大和の毛利松平、日大の理事などをやっていた高橋英吉。この人は事務所に「日大受験の方はご相談に応じます」(爆笑)と書いてあったからね。「オレは、50人から入れる枠を持っている」と豪語していましたけど、50人の相手から御礼をもらったら結構な額になるでしょう。そういう時代ですよ。それから、早大雄弁会の先輩の阿部喜元。

 とにかく、金を使う人ばかりでね。今松さんが落選するのも無理ないんですよ。金はない。演説は下手。見栄えもしない(笑)それでも内務省警保局長という肩書で代議士になったわけですな。そんな選挙区で出馬しても、金がないのだから勝ち目がないじゃないですか。だから、ここで出るのなら、地元の石川県で出てやろうと思ったんです。

 

<出馬した理由>

・森 自分たちの自己満足のために出馬する政治家を選んでいましたからね。だから、元知事とか元市長とか、元県幹部とか、そんなのばっかり出してね。政治家に対する尊敬もなく、長老の県議会議員どもが勝手なことをしていたのが、ぼくには我慢ならなかった。

 

・森 ぼくが幸運だったのは、やっぱり小さな田舎町といえども、親父が町長として有名だったことです。何しろ、9期にわたって無投票当選なんです。当選回数なら10回以上の首長がいるけれど、9回の選挙が全部、無投票だった町長はちょっといないでしょう。

 

<いきなり出馬宣言>

岸信介元総理来る!>

――それで、新幹線と北陸本線を乗り継いで石川県にやって来たわけだ。

森 新聞記者に「いいんですか。元総理が非公認候補の応援に来て」と質問された時、岸さんは「いや、私は、事情はわからない。しかし、森くんは東京では大変必要な人物だ。こういう人に国会に来てもらわないと、自民党の将来も、明日の日本もない」なんてことをおっしゃってね。4~5ヵ所で応援演説をしてくれました。

――そんなに演説をしたんですか。

森 夕方の列車で小松駅から米原に向かったのだけど、ぼくは親父とふたりで小松駅のホームで見送りました。「最後まで、ありがとうございました」と言ってね。岸先生が乗った列車に向かって、赤いテールランプが見えなくなるまで、何度も何度も頭を下げて見送ったんです。

 

<代議士誕生>

・森 公示2日前のことです。地域を回って夜遅く零時すぎに自宅に帰って来ると、親父から家族、親戚一党がみんな揃っているんですよ。シーンと静まり返ってね。「おっ、どうしたのかな」と思ったら「座れ」と言われて「もう降りろ。親戚中、迷惑している」と言うんだな。

――親戚がみんな「降りろ」と言ってきたわけだ。

森 親父がね、「今までのことはしょうがない、息子がやったことだから親が責任を持つ。しかし、もう金がないだろう。もう精一杯やったから、ここで止めろ」と言うわけ。珍しく頑として譲らない。周りにいるおばさんや親戚がオイオイ泣いて「喜朗ちゃん、止めて~」(笑)。

 もはや命運もこれまでかと思ったのが夜中の2時ぐらいかな。そうしたら突然、バリバリバリという音がするんですよ。窓の外を見ると、赤々とした炎が上がっている。火事ですよ。

――えっ!火事!

森 火の手がゴーッと上がっているので、ぼくはサッと飛び出した。そうしたら、50メートルほど先の風呂屋が燃えているんだ。選挙で疲れ果てていた連中を「火事だ、火事だ」と叫んで叩き起こし、風呂屋に駆けつけた。風呂屋の女将は腰が抜けて、その場にへたり込んでいた。ぼく

は咄嗟に、火中にあった何か黒い物に水をぶっかけて引っ張り出した。そうしたら、それが仏壇だったんですね。

 これが後で評価されるんです。ぼくが行った時にはもう、他に引っ張り出す物が何もなかったんだけれども、新聞記者はそんなことは知らないからね。「森は大した人間だ。仏壇をとにかく引っ張り出した」ということになって、評価が高まった(笑)それどころか、町長の家の近所が

燃えたというだけで、町民がみんなお見舞いに酒を持ってくる。見る見るうちに、一升瓶が山積みになって。「おお、これを酒屋に引き取らせれば、ゼニができる」(爆笑)

 家族会議もそのまま有耶無耶になり、2日後に無事、公示日を迎えました。

 

 

 

『足立無双の逆襲』  永田町アホばか列伝Ⅱ

日本維新の会 衆議院議員 足立康吏 悟空出版  2018/6/11   

 

 

 

<国権の最高機関である国会を有名無実なものにしている>

私はこれまで、プラカード掲げて暴行事件を起こしてきた「なんでもありの野党」のことを「アホばかだ」と批判してきましたが、そうした野党を野放しにし、甘やかし続け、そして追随までするようになってしまった「ひたすら我慢の与党」の責任も大きいと考えています。かてて加えて、そのように与党に気を遣うだけの「ゆ党」、いまや単なる規模の小さな既存政党と化してしまった国政維新も猛省しなければなりません。もちろん、自分も含めてです。

 

<国会でちゃんと議論がしたい!>

・処女作であった前著で私が述べたこと、お約束したことを、親愛なる読者の皆様は覚えていらっしゃいますでしょうか。それは、国会からアホばかを一掃したあとに本当の議論が待っていること、すなわち、国会を本来あるべき政策論争の場にすることです。

 

・政策なんて、小難しいことはできれば割愛したいのですが、イデオロギーの時代が終わって四半世紀、いまなお勢力を拡大し、むしろ開き直りつつあるアホばか政党と議員たちを一刻も早く退場させるための最大の武器は、政策です。彼ら彼女らの言っていることがいかに頓珍漢であるかを示すことにより、アホばか政党と議員たちを博物館に陳列し、そのうえで、日本という国家、そして私たち日本人の前に立ちはだかっている諸問題を国会でしっかり議論したい、これが私の願いです。

 

アホばかにとどめを刺すのは政策で

・アホばか野党、事なかれ与党、そして偏向マスコミ………米軍でもやらなかった三正面作戦はさすがにキツい……私のことを心配してくださる方からは、「やっさん、あれこれ言い過ぎて潰されてしまわへん?」「ここで倒れたらもったいない。あまり無茶せず、生き急がんように」などという声をいただくこともあります。本当にご心配をおかけし、また不甲斐ない思いをさせてしまい、申し訳ありません。

 しかし私にとって、代議士であり続けること自体にはあまり意味がありません。政権を担うこと自体、あるいは大臣になること自体が目標でもありません。それらはあくまで手段であって、大事なことは、新しい政党をつくり、新しい国づくりを前に進めることです。

 先の総選挙でも痛感したことですが、議員の政治生命などいつ潰えるかわかりません。

 

国対政治の狭間で続く猿芝居国会>

・足立康吏に対する懲罰動議は、本書執筆中の平成30年5月現在も「吊るされた」ままである。ちなみに「吊るす」とは、国会の俗語で「法案が委員会に付託されないで放置されている状態のこと」を指す。

 

・本書冒頭で紹介をしたように、懲罰の範囲や懲罰のあり方そのものにも問題があり、動議に対する足立康吏の反論にも自民党国対は答えない。そして、懲罰委員会を設置するだけの覚悟もない。足立康吏の問題提起は、ズブズブの国対政治の狭間で矮小化されていくのだ。

 

自民党国対は、本来、「あなたがた野党は、過去に委員会室でプラカードを掲げ、暴言を浴びせて議事を妨害し、委員長に暴力さえ振るったのに、何を言っているんだ!」と言い返さなければならない。そして、そんな万年野党に対してこそ懲罰動議を出すべきなのだ。

 持ちつ持たれつで60年以上続いてきた猿芝居が、一度滅んだかに見えて、再びゾンビのように生き返っている。足立康吏が簡単に引き下がらないのは、このような55年体制の亡霊にとどめを刺したいからだ。大事なことは自民党本部で議論して、国会では万年与党と万年野党が猿芝居を演ずる。国会という芝居小屋の中では、「万年野党は何でもあり、万年与党はひたすら我慢」、いつまでたっても国会で真の論戦が行われることはないのである。

 

<事なかれ与党、レッテル貼りの野党、偏向マスコミ>

・そして、与野党国対委員が夜な夜なつくり込んだ猿芝居のシナリオ、そのシナリオ通りに演ずることだけを強いる与野党国対、シナリオとは異なる発言を徹底的に排除しようとする国会の「空気」――これこそが、国会の論戦が停滞する元凶であり、足立康吏に対する処分の背景でもある。そして、佐川前理財局長による決裁文書の改ざんや柳瀬元秘書官による国会答弁の混乱など、官僚たちによる過剰な国会対策も、こうした国会内の異様な「空気」の中で起こってしまったのだ。

 

加計学園問題の本質>

・以上の通り、加計学園問題の本質は、安倍総理への忖度や総理と家計理事長との友人関係にではなく、穴を小さくして新規参入を1校に限定した岩盤側の獣医師会と政治家との癒着にある。

 

・ちなみに、大臣や国会議員が職務に関する請託を受け賄賂を受け取った場合には、いわゆる受託収賄罪が成立する可能性がある。

 

・もちろん、彼らの政治献金は政党支部で受けているため、「収支報告書の公開をもって説明責任を果たしている」と強弁する向きもあるかもしれないが、後援団体と政党支部を区別して批判を回避するようでは、到底、国民の理解を得ることはできない。

 

<何度も言う、「朝日は万死に値する」>

・平成29年の特別国会では、与党の大物、野党幹部を「犯罪者(の疑いあり)」呼ばわりした足立くんだが、同じ質疑で、朝日新聞に対しても思いっきり攻撃しておいた。

足立(前略)さて、今回の加計問題は、資料でお配りをしていますこの朝日新聞の<平成29年>5月17日の、この総理の意向という、こういう捏造報道から始まっています。

 具体的にここに写真で出ている文科省の文書、これについては、総理の意向と確かに書いてありますよ。総理の意向と書いてあるけれども、これは加計学園についてじゃないんです。規制改革についてなんです。

 

・おいおい(怒)、自分の捏造報道で拡大した風評を自ら取り上げ、「あの『総理のご意向』をめぐる疑い」としゃあしゃあと繰り返す、絶対に許せない。そこで、思わず、ではなく、確信的に、「朝日新聞、死ね」とツイートしたのだ。

 

・まあ、足立くんは国会議員だから、いくらでも戦う。言論戦が仕事なのだから当然だ。しかし、許せないのは、文芸評論家・小川榮太郎氏の著書『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)の内容を巡って、同氏と出版社に対し名誉棄損で5千万円の損害賠償請求訴訟を起こしたことだ。日本を代表する大マスコミ、大手の言論機関である朝日新聞が、一個人を訴えたのだ。係争中の書籍が媒体に広告掲載されるのが難しくなることを狙ってやっているとしたら、おぞましい言論弾圧である。

 

<いまこそ文書管理のパラダイム転換を>

・さて、森友学園に関する財務省公文書書き換え問題、加計学園にかかわる官邸での総理秘書官面会記録、そして自衛隊の日報問題――「モリカケ日報」を巡るバカ騒ぎには辟易するばかりだが、いずれも、公文書管理を徹底することで、未然に防止できる。

 よくないのは、これを政局に利用しようとする野党六党の姿勢である。

 

・では、これを「民主党は官僚を犠牲にして口封じした!」「長妻大臣は説明責任を果たせ!」と蒸し返すか?いや、そんなことはまったく非建設的で無意味だ。森友学園でも野田中央公園でも起きていることは全国で起こっている。同じように、菅政権の厚労省東北厚生局でも、安倍政権の財務省近畿財務局でも起きていることは、あらゆる官庁で起こっていると考えるほうが合理的ではないか。ゴキブリは一匹見たら百匹はいる。そう考えた方がいい。

 

アメリカでは、すでに2000年から国立公文書館でERAと呼ばれる電子記録アーカイブを運用しているという、さすがイノベーションの国。ホワイトハウスの記録はすべてが永遠に保存される。廃棄という概念自体がないのだ。

 南スーダンの日報で言うと、4万人の自衛隊員がアクセス、ダウンロード可能な状態で管理されていたという。そうなると、オリジナルを廃棄しても、各所でコピーされたものが、後に見つかるのは至極当然だ。逆に、完全に廃棄すること自体が技術的に不可能なのだ。完全に廃棄しようとすれば、それこそ最初から自動的消去プログラムでも組み込んでおかなければ無理なのだ。

 

<中央官庁に文書管理と統計のプロを配置せよ>

モリカケから離れるが、裁量労働制の議論の際、厚生労働省のデータの不備が問題になった。

 実を言うと、このデータ問題はそもそも旧民主党政権の責任である。時間外労働の実態調査予算を概算要求したのは民主党政権小宮山洋子厚労相の時代、比較不可能なデータを比べさせたのも、野党に転落した後の民主党厚生労働部門会議で「労働制度ごとに時間を比較したらどうなるかを示せ」と言われて、無意味とわかりつつ、仕方なく、比較できないデータを比較する表を提示したという。そして、データ不備を見抜ける専門家を育てられなかったのも、旧民主党を支えている公務員労組が専門家の導入に反対しているからだ。

 

・では、中央官庁にアーキビスト(文書管理の専門職)の育成配置が進まないのはなぜか。統計のプロが少ないのはなぜか。私は、その元凶こそが官公労(日本官公労労働組合協議会)であり、彼らに支えられている民主党共産党だと思っている。

 

立憲民主・国民民主――アホばか野党分裂の果てに

旧民主党、旧民進党

<「五五体制の亡霊」に成り下がった民主党政権の末路>

・国政が混沌としている。昭和30年(1955年)の保守合同以来、40年近く続いた自民党1党独裁が崩壊したのは、ちょうど四半世紀前の平成5年(1993年)だった。万年与党の自民党と万年野党の社会党が表では相争っているように振る舞いながら、裏では握り合っているという「予定調和的な猿芝居」、いわゆる「五五年体制」が細川護熙政権の樹立をもって終焉を迎えたのである。

 それから間もない平成8年(1996年)に設立された民主党は、野党第一党として政局をリードし、平成21年(2009年)には政権交代を果たした。しかし、その政権運営は大失敗し、「悪夢の3年3カ月」として国民の記憶に深く刻まれてしまう。そして下野したあとは、単なる自民党一強政治を支える反面教師となり、選挙のたびに、まるで「食中毒を起こしたレストラン」のように、看板を掛けかえ合従連衡を繰り返してきた。

 

・そして、民主党から看板を掛け替えただけの民進党は、前回の総選挙を経て四分五裂し、20年余り続いた「民主党の歴史」は事実上、幕を閉じたのである。

 

<足立康吏は安倍総理の別動隊なのか?>

・永田町では、党内からも含めて安倍政権に「肩入れ」し過ぎていると言われることの多い足立康吏、ご声援もいただくが、ご批判も少なくない。

「足立は野党議員なのに、誰の目にも明らかなくらい安倍政権を擁護する。そればかりか安倍政権を攻撃する野党に対し、頼まれもしないのに側面から反撃を繰り返し、さらには安倍総理のライバルと目される自民党の大物議員のタブーを突いたりしている」

 

・――私は正面から憲法を議論しようとしない、というかそもそも議論する能力を持ち合わせていないアホ政治家、バカ政党を見るにつけ、心底怒りを覚える。憲法改正を正面から進めている安倍晋三総理の仕事に、私は深く敬意を抱いている。だからと言って、安倍政権の各種政策に無条件で賛成しているわけでもない憲法改正を論じること自体に反対している連中こそ、反立憲主義、反民主主義の輩だと思っているだけだ。

 

安倍総理が「余人をもって代えがたい」理由>

・与党にも、野党にも、党内の同僚にも「是々非々」を貫く足立くんが、安倍政権の大きな成果だと考えているポイントが3つある。経済、外交、そして憲法である。

 

・以上、大国日本のトップリーダーである安倍総理の仕事のうち、足立康吏が特に注目する経済、外交、憲法の三点を一瞥するだけで、安倍総理が「余人をもって代えがたいリーダー」であることは明らかだろう。もちろん、人口減少や北朝鮮といった内憂外患に対処していくためには、さらにチャレンジしていかなければならないが。

 

・残念なのは、ほとんどの有権者が、自民党にも「よい自民党」と「アホばか自民党」があることを十分に認識していないことだ。選挙になれば、迷わず自民党候補に投票する有権者の方もおられるかもしれない。それが現実なのだ。そしてその責任は、選択肢を提供できていない野党にもあるのだ。

 

<大阪自民党のやっていることは共産党以下!>

自民党にも「よい自民党」と「アホばか自民党」があると書いた。そのうち、後者「アホばか自民党」の代表的存在が、大阪自民党、つまり自民党大阪府連である。

 再び、2月5日の足立康吏の質疑を見ていただきたい。いわゆる議員年金の復活を画策する大阪自民党を取り上げて、「共産党以下だ!」の断罪している部分だ。共産党は、この部分を取り上げて、足立くんに対する懲罰動議に名を連ねてきたが、「共産党は大阪自民党よりは上やで」とほめてしまったのが気に入らんかったのかね。

 

・このように大阪自民党は、自分たち政治家がおいしい思いをするために、地方議員も厚生年金(掛け金の半額を公費負担)に加入できる制度の創設を目指しており、住民の税金を食い物にしようとしているのだ。もちろん、地方の自民党はあまねく同じ動きをしているのだが、大阪以外は、議員年金の必要性を訴えているから、まだ許せる。

 ところが大阪自民党は、かつて存在した議員年金を「特権的な地方議会議員年金」(掛け金の8割以上が公費負担)と称し、それに反対の意思表示をすることで、あたかも議員年金の復活に反対しているような「芝居」を打っているのだ。

 多くの自営業者、非正規労働者国民年金にしか加入できないのに、非常勤の職業政治家だけが厚生年金に入れる制度を創設しようとしている。そんな大阪自民党を、足立康吏は絶対に許すことができない。

 

<安倍政権でも払拭できない自民党の宿痾>

最後に足立康吏が考える安倍政権の問題点を指摘したい。戦後最高の政治家のひとりとして安倍総理を支持しているが、自民党政権のゆえの課題、問題点も少なくない。

 その最たるものは、いわゆる「融合型行政」を続けていることである。

 融合型行政という言葉は聞き慣れない方も多いだろうから説明しよう。広い意味での日本の行政は、基本的に関係者が一堂に会し、みんなでテーブルを囲み「そうですよね」「こういうこともありますよね」というノリで、誰も主導権を握らず、また握らせずに、まったりと、うまく全員が責任を回避しながら進んでいく。そして、いざ問題が起きても、責任を明確化することなく、「みんなが悪かった」「1億総懺悔」という形で、誰も責任を取らずに収拾する。公共事業も、社会保障も、原子力政策もすべて同じパターンだ。

 社会保障と税の一体改革でも、本来は社会保険である年金・医療・介護に税金をどんどん入れていく。もはや日本の社会保険は、保険なのか税なのかわからなくなってしまっている。

 

<「自衛隊」明記か「自衛権」明記か>

自衛隊の合憲性を巡る神学論争に終止符を打つためにも、憲法9条に自衛隊を明記するという安倍総理のイニシアティブには大賛成だ。しかし、自民党のアホばか議員たちは、党利党略というより自利自略で様々な提案をしてくる。もちろん、議論自体は活発にやってもらって結構なのだが、その挙句に安倍総理の構想が頓挫するようでは困る。