日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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成人男子の数は約5千万人まで狭まります。さらにその中の白人に限ると、4千万人であり、成人した白系アメリカ人の、なんと20人に1人がメーソンメンバーだという高い比率になります。(3)

 

『秘密結社の事典』

暗殺教団からフリーメイソンまで

有沢玲   柏書房 1998/12/1

 

 

 

握手

フリーメイソンリーの世界では、特殊な握手法を用いて相手がメイソンであることを確認し、所属する位階を判断することになる。基本三位階の握手法は万国共通である。

 

明けの明星

・《別名》暁の星 オカルト系の入社的秘密結社。<黄金の夜明けのヘルメス教団>の主流派が1902年の5月3日にロンドンで結成した。同教団の有力な会員だった詩人W・B・イェーツもこの分派に参加したが、数年後には関心を失って退団した。

 

アサシン派

・《別名》ハシン派、暗殺教団 イスラーム教系の異端宗派。イスマ―イール派の分派であり、密儀宗教色が濃い。11世紀末に創始者のハサン・イ・サッバーフがペルシアの北西部にあるアラムート山頂の断崖絶壁に難攻不落の城塞を築いて以来、歴代の首領は「山の翁」と呼ばれるようになった。「アサシン」という語がヨーロッパ各国の言語で「暗殺者」を意味する語彙の語源となったことからも明らかなように、暗殺を宣告した相手を絶対に逃さない執拗さで悪名をはせた。

 

アジア兄弟団

・《正式名称》ヨーロッパ内アジアを出自とする福音史家聖ヨハネの兄弟団 思弁的フリーメイソンリーの分派。

 

カバラの研究に専心していただけではなく、キリスト教徒とユダヤ教徒の交歓、統合を目標として掲げていた。

 

アシュラー> 

・《別名》切り石、立方石cubic stone、石のかたまり.両手で持ち上げられるぐらいの大きさのもの。石工たちが日常的に使用しているごく普通の表現だが、フリーメイソンリーの世界では象徴や寓意として多用され、ロッジのホールには備品として実物を展示しておくことになっている。

 

・完成されたシュラーperfect ashlarは、このようにして位階を上りつめ、神のごとき熟達者の境地に達したメイソンの人格を体現している

 

アメリカ合衆国フリーメイソンリー

・【歴史】思弁的フリーメイソンリーアメリカの植民地に導入された正確な時期は、いまだ明らかになっていない。1729年、ないし30年という記録もあるが、当時のロッジ(複数)は本国の大ロッジから認可を受けていない「もぐりのロッジ」だったようである。

 正規のロッジが登場するのは1733年以降のことである。当初はマサチューセッツ植民地の主都に当たるボストンが、新大陸におけるフリーメイソンリーの「総本山」としての役割を果たしていた。

 

・植民地のロッジは富裕な商人や政治家、軍人、知識人といった人たちが意見を交換するサロンと化した。居酒屋で定期的に(あるいは不定期に)行われる作業は談論風発となることが多く、こういった雰囲気の中で少しずつ、独立を目指す世論が醸成されていったのである。もちろん「アンダーソンの憲章」はメイソンが政治的な策謀に荷担することを固く禁じているが、植民地で活動を行なっていたメイソンたちは、ほかの組織を隠れ蓑とすることで行動の自由を確保した。

 

・その典型的な例が、独立革命の端緒となったボストン茶会事件(1773年12月16日)である。この事件に関与した植民地人たちは<ロング・ルーム・クラブ>や<自由の息子たち>といった政治色の著しく濃い疑似秘密結社に所属していたが、これらの結社が会合を開いていた「緑龍亭」と称するボストンの居酒屋は当地のフリーメイソンリーの本拠地でもあり、メンバーの中にはメイソンも大勢含まれていた。

 独立戦争が始まると、国内でも国外でもメイソンたちが中心的な役割を果たすことになる。たとえば、独立宣言を起草した5名からなる委員会にはベンジャミン・フランクリンを含む2名のメイソン、それにメイソンではなかったもののフリーメイソンリーの思想や哲学には通暁していたトマス・ジェファソンとジョン・アダムズが参加していた。

 

・独立宣言は1776年の7月4日に採択された。56名に上る署名者の圧倒的多数がメイソンだったとする極端な見解もあるが、実際には、メイソンだったことを確証づけることができるのは9名だけである。(ほかにも10名ほど、メイソンだった可能性の非常に高い人物が含まれている)。

 その直後にフランクリンは大陸会議の全権大使としてフランスに渡り、独立革命の精神がメイソニズムの発露にほかならないということをさかんに宣伝した。これに呼応してフランスのラ・ファイエットプロイセンのF・W・フォン・シュトイベン、ポートランドのT・コシチューシコといった大陸諸国の軍人メイソンたちが大西洋を渡って新大陸へと馳せ参じ、瓦解寸前だった革命軍を立てなおしてくれたおかげで、戦況は一変することになる。その恩恵に浴することになったのは誰であろう、革命軍の総司令官をつとめていたジョージ・ワシントン将軍その人であった。

 

いずれにせよ、イギリス軍と革命軍の双方に連隊ロッジが深く根を下ろしていたからこそ、この手の戦争にはつきものの蛮行や残虐行為が、独立革命の時にはほとんど起こらなかったのである。捕虜は厚遇されることが多かったし、敗残兵を追撃することはまずなかった。また、イギリス軍がかなり早い段階で戦意を喪失していたことも明らかになっているが、メイソン同士で相争うことを避けようとする気持ちが強く働いていたものと思われる。

 独立戦争終結すると各植民地は州になり、各地方ロッジは独自の権威を有する大ロッジに昇格した。これに伴い、イングランド系列、スコットランド系列といった認証権の問題も雲散霧消してしまった。以後、合衆国のフリーメイソンリーはおおむね順調に発展していくことになる

 

現在の合衆国では、フリーメイソンリーに後ろ暗いイメージはほとんどなく、メイソンであることは一種のステータス・シンボルと考えられているその活動の眼目は福祉、慈善事業であり、傷病者、障碍者、老齢者、孤児、寡婦、ホームレス等のための施設に莫大な寄附を惜しみなく注ぎこんでいる。合衆国の大統領のうち15名はメイソンであったうんぬんと、鬼の首でも取ったかのごとく得意げに発表している陰謀論者も多いが、こういった本質を見落としているといわざるをえない。

 

・【制度】 合衆国を構成する50州とコロンビア特別区の大ロッジはすべて独立している。全土を統括する総大ロッジの創設が試みられたことも何度かあったが、実を結ぶことはなかった。基本三位階以外では、ヨーク儀礼と古式公認スコットランド儀礼が全国的に運用されている。テンプル騎士団フリーメイソンリーも非常に人気が高い。おのおのの「儀礼」は独特な呼称を有する上位ロッジを擁しているが、その構成は様式化されており、州ごとの違いはほとんど、あるいは全くないといってよい。

 

・合衆国全土の大チャプターを総括する総大チャプターも存在するが、その権能は非常に弱く、象徴的な役割しか果たしてはいない。一方、大評議会の方は各州ごとに独立しており、総大評議会に相当する機関は存在しない。

 

テンプル騎士団系のフリーメイソンリーの上位ロッジは管区と呼ばれる。各州には域内の管区を統括する大管区があり、全国の大管区を総括する大陣営はニュー・ヨーク市内に設置されている。

 

AMOORC

・《正式名称》 古代神秘薔薇十字団 オカルト系の結社。1925年にH・スペンサー・ルイスがフロリダ州で創設した。通信教育制を最大の特徴とする「公的な」結社である。

 スペンサー・ルイスはアメリカ合衆国のジャーナリストだったが、本人の言にしたがえば、フランス南部のトゥールーズで啓示を授かったようである。

 

アレイオパゴス> 

・《別名》 アレオパゴス 古典ギリシア語で「最高法廷」の意。上位ロッジの名称として使われることが多い。

 

イエズス会

・《別名》 耶蘇会ジェズイット教団 ローマ・カトリック教会に所属する司祭修道会。

【沿革】 1534年にスペイン出身の聖職者で神秘家としても有名なイグナティウス・デ・ロヨラが創設した。

 

・18世紀には腐敗や醜聞が何度か明るみに出たため、教皇クレメンス14世が1773年に組織の解散を命じたものの、1814年には再生復興が認められ、おりからの反革命運動とも歩調を合わせながら、勢力を急速に回復していった。現在ではカトリック最大の修道会として、学術研究や教育活動に力を注いでいる。

イエズス会フリーメイソンリー】 薔薇十字団運動が一世を風靡していた頃にも、イエズス会が裏で一枚かんでいるのではないかと疑っていた人は大勢いたが、思弁的フリーメイソンリーが爆発的なブームを巻き起こすと、イエズス会の陰謀という雲をつかむかのような噂話がまたぞろ出まわり始めた。

 

・一方、フリーメイソンリーの普及にひと役買っていた可能性の高いジャコバイト派の中核をなしていたのがカトリックの信奉者だったことから、三者イエズス会、ジャコバイト派、フリーメイソンリー)の提携を自明の理としたうえで、イエズス会によるイギリスの再カトリック化という壮大な野望を脳裡に思い浮かべた人も少なくはなかった。こうして、フリーメイソンリーの「ジャコバイト派起源説」はいつしかイエズス会起源説」へとすり替わっていくことになったのである。もっとも、イエズス会には組織の改善に役立つことであれば何でも貪欲に吸収する積極性と進取の気風がそなわっていたので、フリーメイソンリーを始めとする各種の秘密結社にも目をふり向けて、その戦術や制度を採り入れたということは大いにありうる。ついでにいえば、イエズス会フリーメイソンリーの上位位階や、その中心となる参入儀礼の形成に影響を及ぼした可能性も指摘されているが、真相はいまだに藪の中である。

 

<位階>

・《別名》 階位、階級、級位、級、位  密儀宗教や秘密結社の内部で、成員の序列を表わす概念。柔道の「段」や珠算の「級」にたとえると、わかりやすい。普通は各位階ごとに別個の参入儀礼が用意されている。

フリーメイソンリーの位階制度】 すべてのフリーメイソンリーに共通する基本三位階は、徒弟、職人、棟梁の三つからなり、クラフトの位階という別称でも知られている。基本三位階以外の位階は上位位階、ないしは補助位階と呼ばれる。基本三位階を要するロッジが青ロッジであり、上位位階や補助位階を授かったメイソンは上位ロッジにも所属することになる。

 

・上位位階や補助位階は、まず最初にフランスで発生した。フリーメイソンリーが爆発的なブームを巻き起こしたため、棟梁で「打ち止め」になるシステムでは、もはや誰も満足できなくなってしまったのである。フランスではスコットランド派のメイソンたちが各種の位階を量産した。

 

イングランド連合大ロッジ> 

・《正式名称》 イングランドの古代フリーメイソンの連合大ロッジ イングランドの思弁的フリーメイソンリーを総括する大ロッジ。正規派の「総本山」とされる。

 

陰謀史観> 

世界の運命は秘密の暗黒勢力(陰の黒幕、国際的な秘密結社)によって支配されており、この暗黒勢力が戦争、革命、暴動、大事件、大事故、金融恐慌、社会不安といった、ありとあらゆる悪事や不祥事を裏で巧みに操っているとする考え方。暗黒勢力として槍玉にあげられるのは大抵の場合、フリーメイソンリーユダヤ人である。CIAや旧KGBといった各種の諜報機関をその代行者に比定することも多い。

 陰謀史観、なかんずく「秘密結社の陰謀」という考え方は、一般大衆の集合的無意識が生み出した一種の元型と解釈することができる。

 

古代人は地震、洪水、山火事、飛蝗、火山の噴火といった天災地変が起こるたびに、また凶作に見まわれたり疫病が流行したりするたびに、その「意味」を読み取ろうとして徹底的な考察を行なった。大多数の敬虔で純朴な人たちは「神」を措定し、自分たちが神の機嫌をそこねたために罰せられたのだとする、ある意味で自虐的な解釈を提起した。一方では、すべての責任をなすりつけるために「悪魔」という概念を発明した人たちもいた。なんのことはない。神と悪魔は同じ事象、現象に対する二つの異なる解釈にすぎず、やがては人智の及ばない問題をすべて押しつけることのできる至極便利な元型として酷使されることになったのである。

 

・宗教の衰退とともに、神や悪魔といった子供だましの元型では満足しない輩が急増した。17世紀に薔薇十字団運動が勃興すると、俗人の目には映らない「不可視の」熟達者たちが徒党を組んでヨーロッパの各地を徘徊しているという奇抜なイメージが大衆の集合的無意識を著しく刺戟することになる。薔薇十字団運動の支持者たちは不可視の熟達者を神のごとき存在と信じて疑わなかったが、戦争や騒擾の責任をおっかぶせることのできる手頃な媒体を探し求めていた為政者や一部の保守的な知識人は「秘密結社の陰謀」というスローガンにすぐさま飛びついた。18世紀には思弁的フリーメイソンリーが爆発的なブームを巻き起こすと、このスローガンにはいっそうの「信憑性」が加わることになった。

 

宇宙の偉大なる建築士

・《別名》 宇宙の大建築士

 フリーメイソンリーの世界では「神」を意味する雅称、尊称。「神」という単語を大文字で始めて定冠詞をつけた場合には「キリスト教の神」が暗示されることになる。このような制約を打破するために、寛容を旨とし、あらゆる宗教の信徒、信者に門戸を開放していたフリーメイソンリーは新しい称号を発明したのである。

 もっとも、神を建築師にたとえるのはフリーメイソンリーに固有の慣行ではない。古代や中世の頃から、万物に創造主たる神を至高の建築師と見なし、その「作品」に当たる宇宙を神の最高傑作と解する考え方は広く人口に膾炙していたプラトンが『ティマイオス』の中で創造主を「宇宙の建築師」と称したことも、よく知られている)。

 

オカルト

・《別名》 隠秘学、隠秘思想、神秘学、隠智学、秘学  ラテン語で「隠された」「秘密の」 the ocultを意味するoccultusを語源とする。神秘思想や神智学と区別することは著しい困難である。日本ではUFOやら、超能力やら、心霊現象やらを含めてオカルトという言葉を使っているが、欧米でも状況はほとんど変わらない。そこで、正確を期すためにオカルティズム、ないしはオカルト科学という術語を用いることもある。

 

オシリス・イシス崇拝

古代エジプト起源の密儀宗教。エジプト神話の中でも最も有名な挿話に基づく。弟(もしくは子)に当たるセトに殺害された男神オシリスの遺骸は、八つ裂きにされて全土にばらまかれた。オシリスの妹にして妻でもあった女神イシスはオシリスの遺骸を拾い集め、魔術を用いて復活させた。その後、オシリスは冥府の主神となった。いうまでもなく、この挿話は典型的な「死と再生」の伝承と見なすことができ、季節の変遷、ナイル河の氾濫周期、植物崇拝といった要素とも関係がある。

 

OTO

・《正式名称》 東方テンプル騎士団 オカルト系の入社的秘密結社。1895年にオーストリアの製鉄業者、K・ケルナーがドイツで設立した。タントラや仏教やヨーガの秘法を導入し、性的魔術を実践していたことで名高い。一時的とはいえ、シュタイナーやクロウリーもこの団体に参加している。

 

オルフェウス

・《別名》 オルペウス教、オルフェウスの密儀 古代ギリシアの密儀宗教。<ディオニューソスの密儀>の後裔とされる。ギリシア神話に登場するオルフェウスの名を冠してはいるが、直接的な関連性は薄い。むしろ、グノーシス主義や二元論宗教と非常によく似た独自の哲学や世界観を顕著な特徴とする純理的な密儀宗教と考えるべきである。

 

疑似フリーメイソンリー

・《別名》 疑似メイソン結社  18世紀、19世紀には思弁的フリーメイソンリーが熱狂的なブームを巻き起こしたため、その制度や慣行を模倣した組織や結社が次からつぎへと創設され、覇を競い合うことになった。その大半は短命に終わったものの、大別すると次の三つの範疇に分類することができる。

(1) フリーメイソンリーとは異なる伝承や位階制度を基盤に据え、独自

の参入儀礼を執り行っている入社的秘密結社。

 これらは主としてアメリカ合衆国で隆盛をきわめることになった。現在もなお、精力的な活動を続けている組織が非常に多く、代表的な例としては1819年にボルティモアで結成された<オッド・フェローの自治教団>がある。

 

(2)秘密結社につきものの閉鎖性や排他性、さらには前近代性や特権意識を排除するために、参入儀礼と位階制度を完全に抛棄した「公的な」結社。典型的な例は、1905年に創始された<ロータリー・クラブ>である。

 

(3) 前二者の中間に位置し、パロディー的な参入儀礼を執行している

「享楽的な」結社。イギリスの思弁的フリーメイソンリーが最初のうちは会食に重きを置いていたこともあって、18世紀、19世紀には居酒屋を拠点とする「お遊び」の結社がヨーロッパ中の大都市で精力的な活動を繰り広げることになった。

 

グノーシス主義

・二元論の根幹となった思想、理念の体系。紀元前1世紀から後4世紀にかけて、地中海世界や中近東で隆盛をきわめ、後の神秘思想にも絶大なる影響を及ぼした。起源は不明であるが、民間信仰ゾロアスター教やオルフェス教、ギリシア哲学、オリエントの思想といったさまざまな要素が混淆されたものと考えられている。

【教義】 分派ごとに細部はかなり違っているものの、基本となる理念は典型的な絶対二元論である。

 善なる至高神(光明神)が君臨し、人間が知覚することのできない不可視の精神世界と、悪なる造物主であるデミウルゴスが創造した可視の物質世界を認める。人間の本質である霊魂はもともと精神世界に所属していたが、物質世界を支配するデミウルゴスが肉体という牢獄の中に封じこめてしまった。その結果として、人間はデミウルゴスが神であるとする誤った認識を抱くことになり、悪の充満した物質世界の中で苦悩している。この誤った認識を一掃し、本来の神は別にあるという正しい知識(グノーシス)を伝達するために「使者」が人間のもとへと派遣される。普通は精霊や天使を使者に見立てることになるが、グノーシスキリスト教徒はイエス・キリストを使者と解釈している。一方、有名な分派である<拝蛇派>の信者は、アダムとエヴァに「禁断の木の実」(グノーシスの象徴)を食べるようそそのかした蛇を使者として崇めている。

【人物】『 新約聖書』の「使徒言行録」に登場するシモン・マグス(魔術師シモン)は「あらゆる異端の父」という汚名を着せられた。ローマで空中浮揚をしたとか、ヘレナという名の娼婦を同伴していたとか、さまざまな伝説がまとわりついている。

 

厳格戒律派

・《別名》 ストリクト・オブザーヴァンス、厳格派、厳修派、厳律派

 ドイツのフント男爵が1750年代の後半に創始し、ヨーロッパの大陸部で一世を風靡した思弁的フリーメイソンリーの分派。フリーメイソンリーテンプル騎士団起源説を伝承の中核に据えており、修正スコットランド儀礼と称する位階制度を採用した。

【成立】 フント男爵は1743年にパリで「未知の上位者」たちから、フリーメイソンリーの新しい「儀礼」を各地に広めるように命じられたということになっている。

 

合同フリーメイソンリー

・《別名》 混成フリーメイソンリー 男女合同の分派を意味する特殊な術語。狭義には、神智学協会の有力な会員でもあった女権運動家のA・ベサントが1900年代にロンドンで創始した分派の通称。広義には<人権>等の分派も含めた総称として用いる。いうまでもなく、女人禁制を金科玉条としている正規派のメイソンたちは、これらの分派が存在すること自体を完全に無視している。

 

首席監督官

・《別名》 シニア・ウォーデン、看視長 フリーメイソンリーの役職。三役の一員。参入儀礼の場で「尊崇すべき棟梁」を補佐する。また、ロッジが作業を行なっている間は、規律と秩序を保つ責任を負う。

 

シュタイナー、ルードルフ

1861年生、1925年歿。ドイツの思想家、教育家、芸術家、文学者、オカルティスト。人智学と呼ばれるオカルト思想の創始者でもある

 

・幼い頃から神秘家としての資質をそなえていたシュタイナーは、1901年に神智学協会のロンドン支部キリスト教神秘主義に関する講演をすることになり、この時に知り合った協会員のマリー・フォン・ジーフェルスとの結婚を契機として、余生をオカルト学の探究に捧げることを決意した。翌02年の10月20日には神智学協会・ドイツ支部の事務局長に推挙され、自らも精力的な活動を開始することになる。

 1905年頃には知識をさらに深めるべく、ドイツ国内で勢力を拡大しつつあった<OTO>にも加入した。しかしながら、神智学協会のインド至上主義にも、OTOが執り行なっていた性的魔術やタントラ仏教の秘儀にもなじめなかったシュタイナーは、独自にまとめ上げた思想理論を人智学と名づけ、13年の3月2日に人智学教会(独)を設立した。ドイツに在住していた神智学協会員の大半は人智学協会に移籍した。

 

・【思想】シュタイナーによれば、すべての人間には、おのれ自身を神の域にまで高めうる潜在能力がそなわっている。したがって、メシアの降臨を他力本願的に待ち望んだり「未知の上位者」に自らの運命を託したりといった受動的な姿勢は排斥しなければならない。とはいえ、おのれの神性を過大評価して放銃に身をまかせてしまえば、独善と専横の泥沼へと沈みこんでいくことになる。バランスをとるためには、科学的な思考と精神的な思考を同時に働かせて、両者の統合の上に新たな自我を築かなければならない。

 

・シュタイナーの信奉者たちは現在もなお、世界中で積極的な活動を行なっている。分派抗争が全く起こらなかったことは、人智学が冷徹きわまりない「アポローン的な」システムであることを立証しているようで興味深い。

 

神秘思想

・《別名》 秘教、エソテリズム 思想や哲学のみならず、科学や芸術をも包含する極度に曖昧な術語であり、一般的には「門外不出の秘義」というイメージでとらえられることが多い。オカルトや神智学との区別も非常に難しく、大抵の場合は混同されている。しいて定義づければ、近代科学とは全く異なる方法で把握した真理、奥義、知識を、選ばれた者のみに非公開の場で(師資相承といった形で)伝授する制度と、そこに含まれる思想、哲学の体系ということになろう。神秘主義、魔術、ヘルメス学、錬金術占星術カバラ数秘術、神聖幾何学、記憶術、天使論といった分野が典型的な例である。

 神秘思想は自然(宇宙、世界)の探究を通じて真理や奥義に到達することを目標としている。神が執筆した自然と言う書物を解読することで、その中に隠されている相関関係を明らかにし、人類の福利に役立てようとしているのである。換言すれば、不可視の世界と可視の世界の関係や、大宇宙と小宇宙の間に存する照応の関係こそが、神秘思想家の研究対象にほかならない。

 神秘思想家は知識や奥義を参入儀礼の場で授けることが多く、被伝授者(参入者)の霊性や知性に応じて複数の参入儀礼が設けられる場合には、おのずと位階制度が形成されることにもなる。こういった点で神秘思想は密儀宗教や秘密結社と非常によく似ており、はたせるかな、神秘思想を研究する教団が秘密結社と化すこともルネッサンス期には珍しくなかった。

 

神秘主義

・《別名》 神秘学、神秘論、神秘哲学  神秘主義と神秘思想を区別しない人も多い。違いがあるとすれば「神秘思想家」と「神秘家(神秘主義者)」の違いである。神秘家は参入儀礼や位階制度、象徴や寓意といった媒介手段を用いることなく、いわば「一足飛び」に神との合一(見神、霊的結婚)を果たすことができる。この現象を神秘体験と呼び、いうまでもなく、誰でも経験できるわけではない。逆にいえば、参入儀礼や位階制度は、このような神秘体験を人工的に起こさせようとする精神修養のシステムと考えることができる。

 

スウェーデン体系

・《別名》 スウェーデン儀礼 位階制度の一種。1750年代にスウェーデンの医師、カールル・F・エクレフが創始した。18世紀の後半に北ヨーロッパとドイツで一世を風靡し、現在ではスウェーデンデンマークノルウェーアイスランド、それにドイツ北部のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の大ロッジがこの位階制度を採用している。

 

スヴェーデンボリ、エマーヌエル

・《別表記》 スウェーデンボルグ、スウェデンボルヒ、スエーデンボリ 幼名はエマーヌエル・スヴェードベリ。1688年生、1772年歿。スウェーデンの神秘家、神智学者、自然科学者、鉱山技師

 

ところが、55歳の時に初めて神秘体験を得てから自在に霊界を幻視できるようになったため、天使や精霊や至高者(神)との交信を記録にのこすべく、著述活動に専念した。主著としては『天界の秘義』と『天界とその驚異、ならびに地獄』がある。

 スウェーデンボリは独自の解釈にしたがって聖書の霊的な意義を解き明かそうとしたが、その理論的支柱になっているのはグノーシス主義カバラの教理にほかならない。さらにいえば、大宇宙と小宇宙の照応関係を重視していたスウェーデンボリの教説は明らかに、ルネッサンス期に隆盛をきわめた神秘思想やオカルト哲学の延長線上にある。

 

スウェーデンボリの神智理論は後世の思想家、哲学者、芸術家、宗教家、オカルティスト、心霊論者に計り知れないほど大きな影響を及ぼした。

 

スウェーデンボリ系の結社

スウェーデンボリ自身は思弁的フリーメイソンリーを始めとする入社的秘密結社の活動に興味を抱いていたわけではないが、彼の教説に感銘を受けた各国のメイソンたちは、その理論を応用して新しい分派をいくつか創設した。もっとも、誤った情報を掲載している専門書も少なくないので注意を要する。

 

ヨハネ

フリーメイソンリー守護聖人。聖ヨハネと呼ばれる聖人は(少なくとも)二人いるが、実践的メイソン(本職の石工)たちは両者を同等の存在として扱う慣行を確立した。具体的にいうと、当初は洗礼者の聖ヨハネを石工業の守護聖人として奉祀していたものの、16世紀頃には「ヨハネ伝」の著書とされる福音史家の聖ヨハネとの混同が生じたため、最終的には両者を併置することにしたのである

 聖ヨハネの祝祭日にロッジの総会を開く慣行も、実践的フリーメイソンリーの時代にはすでに確立されていたが、洗礼者ヨハネの祝祭日に当たる6月24日に開催することもあれば、福音史家ヨハネの祝祭日に当たる12月27日に開催することもあった。

 

・二人の聖ヨハネは基本三位階と関連づけられることが多い。青ロッジを意味する聖ヨハネのロッジという呼称などは典型的な例であり、かつては基本三位階からなる「古代クラフト・メイソンリー」のことをヨハネ派メイソンリーと称することもあった。

 二人の聖ヨハネを太陽崇拝と結びつける考え方もよく知られている。

 

ヨハネホスピタル騎士団

・《別名》 ヨハネ騎士団、病院騎士団、救護(所)騎士団 十字軍の時代に活躍した宗教騎士団。前史と設立の経緯は謎に包まれており、史実かどうか判然としないエピソードも少なくはない。11世紀の中葉にイタリアのアマルフィの富裕な商人たちがエルサレム聖墳墓教会に隣接する土地を購入して「ラテン系・聖母マリア修道院」を建立したが、この修道院に併設された「救護所(ホスピタル)」を騎士団の前身とするのが定説になっている(異説もある)。

 

ホスピタル騎士団テンプル騎士団と違って、大規模な金融活動に手を染めるようなことはなかったものの、ヨーロッパと中近東の各地に開設した救護施設で巡礼者や困窮者の無料治療を行なっていた。一方、軍事面では海軍力に秀でていたことや、築城や城砦の管理に卓越した手腕を発揮したことで、その令名を諸国に轟かせた。もっとも、ホスピタル騎士団テンプル騎士団は互いをライヴァルと見なして反目しあい、無益な抗争ばかり繰り広げていたため、結果的には共倒れの道を歩むことになるテンプル騎士団が解散を宣告されると、その動産、不動産はホスピタル騎士団が引き継ぐことになったが、ヨーロッパの各地で戦闘とは無縁の生活を送っていた騎士たちは次第に還俗していき、管区や所領も封建国家がなし崩し的に吸収してしまったため、聖地の近辺でなおも復権の機会を虎視眈々とうかがっていた「本隊」との連帯感は失われる一方であった。

 当の本体はといえば、聖地パレスティナから追い出された後もイスラーム勢力と真っ向から対決する姿勢を崩そうとはせず、1309年にはエーゲ海の南東部に浮かぶロードス島を占拠して自治領とすることに成功した。以後、ホスピタル騎士団ロードス騎士団と改称し、オスマン・トルコが1522年にロードス島を制圧したため、騎士団はマルタ島へと本拠を移し、以後はマルタ騎士団として命脈を保つことになった。

 

世界の中心

世界の中心を目指す探求、遍歴、巡礼の物語は、古代の神話や伝説に共通してみられる普遍的なモティーフでもある。此岸と彼岸の接点に位置し、万物の存在と流転をつかさどる世界の中心は、天地創造の原点に当たる究極の聖所であり、神勅という形で至聖のエネルギーを直接授かることができるので、その上に神殿が築かれることも珍しくはなかった。典型的な例がギリシアのデルファイにあった「アポローンの神殿」であり、その内陣に鎮座していたオンファロス(世界の臍)と呼ばれる霊石は、世界の中心の代名詞としても知られている。

 

17世紀には薔薇十字団運動が一世を風靡したため、諸国を漂白する「不可視の」熟達者たちの本拠地を世界の中心に比定する伝説が幅を利かせるようになった。19世紀になると東洋趣味の影響もあって、熟達者たちの住まわる王国はインドかティベットの秘境にあるとする見解が定着し、オカルティストのサン=ティーヴ・ダルヴェードルや自称・冒険家のF・オッセンドウスキといった人たちが地下王国《アガルタ》の実在を自明の理とする蠱惑的な著書を刊行して世人を魅了した。

 

・世界の中心は創造の原点であると同時に、窮極の目標、成就と完結の帰着点でもある。言い換えれば、原因と結果、劫初と劫末、カオスとコスモスを包含し併存させうる特殊な座標であり、時空間とは無関係に偏在している至純の聖域と考えることもできる。それは不動の中心点でありながらも、四方八方に起動因を送りこむことのできる「車軸」「轂」であり、表象として「卍」の図像が使用されることもある。

 要するに、外世界(大宇宙)に存する神聖地理的な世界の中心は、個々人の内面(小宇宙)にひそむ「霊的な」ソロモン神殿、ないしは「霊的な」至聖所の寓意にほかならず、各人はおのれの心奥を探訪して原初の霊性、不滅の胎種と対峙しなければならないのである。かくのごとき内的な世界の中心を、タントラ仏教にいうチャクラやクンダリニーと関連づけて解説している人も少なくはない。

 

不可視の、未知の

・《別名》 目に見えない、見えざる、不可見の/不可知の、知られざる

薔薇十字団運動がヨーロッパ中に一大ブームを巻き起こした結果、究極の奥義を体得し、生きながら始源の境地に達した熟達者は俗人の目に映らず、その素性や所在も知ることはできないとする考え方が定着した。

これに関しては、より卑近な解釈もある。「薔薇十字団の宣言書」によると、薔薇十字の同胞たちは特別な制服や徽章を着用していたわけではなく、下じもの民草と全く同じ衣装を身につけて諸国を巡歴し、傷病者の無料治療に励むことを義務づけられていたという。このため、一般庶民の目には誰が薔薇十字団員なのか、全くわからなかったのである。

 

・また、当然のことではあるが、秘密結社の構成員や集会場所、認知手段に対しても「不可視の」「未知の」といった枕詞が冠されることは非常に多かった。このようなシンボリズムが習合された結果として「未知の上位者」や「不可視の学院」、さらにはサン=マルタンの筆名に当たる「未知の哲学者」といった定型表現が多用されるようになったのである。

 

不可視の学院

・《別名》不 可視の学寮、不可視の学会  17世紀の中葉にイングランドで疑似秘密結社的な活動を行なっていた学術研究グループ。近代化学の礎石を築いたことで名高い自然科学者のロバート・ボイルがしたためた書簡に登場する。詳しいことはほとんどわかっていないものの、王立協会の母体になったのではないかといわれている。薔薇十字団運動の影響を受けて1646年頃に設立され、恐らくは50年代の後半頃まで存続したものと思われる。

 

未知の上位者 the Unknown Superior

・(別名) 未知の高位者、未知の上役、未知の首領、未知の超越者。一部の秘密結社では、長上者、指導者、頭領の素性をヒラの構成員には教えなかったため、未知の上位者という表現が多用されるようになった。この言葉を一躍有名にしたのが、厳格戒律派の創始者に当たるフント男爵である。「未知の上位者」は一種の元型となり、後のスパイ映画や、子供向けの「変身ヒーローもの」にも受け継がれることになった