(2021/12/3)
『「言葉が殺される国」で起きている残酷な真実』
中国共産党が犯した許されざる大罪
楊逸 × 劉燕子 ビジネス社 2021/7/5
<「ウソ」の一言で片づけてはいけない中国の“不治の病”>
・楊逸;ええ、「先ほども話題に出ましたが、2020年6月、いみじくも李克強首相も認めたように、いまだに中国の人口の6億人以上が月収1000元(約1700円、註;当ブログ約17000円か?)以下という貧困層であるにもかかわらず、翌年、習近平は「極貧を根絶するという『奇跡』を達成した」「歴史に刻まれる完全な勝利」と、宣言しました。新型コロナの世界的流行への責任問題に関して、知らぬ存ぜぬをとおしているのも同じことでしょう。
ただし、これを単純に「ウソ」の一言で簡単に片づけるのは、実は一番いけないことなんですね。日本は「日中友好」を掲げ、日本が経済発展するのは、隣国で友好国でもある中国は欠かせない存在としています。中国なしでは日本の経済は成り立たないと。
こうして「友好」を過剰に持ち上げる一方、中国政府は少数民族迫害、南シナ海での他国への干渉など、たくさんの悪行を重ねているにもかかわらず、それをあたかも存在していないかのように振る舞うという、ある種の“病気”に日本もかかっている。いや、日本だけでなくほかの国々も同様の状態に陥っています。中国と妥協するというのは、ある重要な部分をないように、見ないようにするということなのです。
そういう意味でも、中国の“不治の病”が一番深刻に表現されている作品というのは、やはりこの『黄金時代』以外にないと思います。私たち中国人が生きてきた時代を本当にうまく表現している。
・劉燕子;前述のように王小波は中国人のあいだで、いまだに高い人気を持っていますが、『黄金時代』で描かれた中国の本質をきちんと読み取らず、まさに「見ざる、聞かざる、言わざる」の「三猿」であるならば、そのツケはのちのち必ず回ってくることでしょう。
<赤裸々な性描写の裏にある「異質な中国」>
・楊逸;王小波の『黄金時代』のもうひとつの特徴は、赤裸々な性描写がこれでもかとばかりに出てくること。その背景には、「異質な中国」という重要なキーワードが隠されています。
<思想改造のため28年間別居させられた父と母>
・劉燕子;1957年、父はこの年に始まった「反右派闘争」に巻き込まれて、せっかく受かった北京大学を1年で追われました。父のように「反右派闘争」で弾圧された人々は全国で55万人に上ったといわれていますが、共産党はこれについて今でも、「拡大しすぎたけど、間違っていない」と謝っていません。
当時、大学のクラスでは、「周囲の人間のうち1名を右派分子として断罪せよ」というノルマがありました。そのため父は、日記を書いていたと誰かに密告されたのです。共産党員でもあった父は、言われるがまま日記を提出したところ、内容が思想的反動だということで、党から除名され、鉱山労働者として北京から数千キロも離れた江西省へと追われました。
1964年頃に母と結婚しますが、私が生まれて数カ月後に文化大革命が勃発。父が技師を務める鉱山で「反革命分子のつるし上げ」が始まります。
・「これ以上やられたら死んでしまう」と思い詰めた父は、内モンゴルへ脱出。毛沢東に「救ってください」と嘆願する手紙を出したのですが、聞き入れてもらえたかどうかは今でもわかりません。
その後、1979年に父はようやく名誉回復を果たしますが、長沙に戻り、母と一緒に暮らせるようになったのは90年代半ばのこと。つまり、28年ものあいだ、父と母は離れ離れの別居生活、禁欲生活を余儀なくされたのです。このように、中国共産党は政治的理由や、農村と都市に分かれている戸籍制度にかこつけて、人々の関係を分断してきました。
とりわけ、戸籍は公安機関が管理し、厳しい社会統制の手段となってきたのです。もっとも改革開放後は、いくぶん緩和されましたが……。
いずれにしても、こうした強いられた「夫婦別居」のもたらした人権侵害や社会的問題は、日本人の想像を絶するものがあります。
・楊逸;本当に、ご両親の苦労は信じられないものがありましたね。
王小波、いや正確に言うと王小波夫妻からは、もうひとつ啓発を受けました。『黄金時代』を読む前に、実は文革時代にすでに同性愛者や、あるいはうつ病などで精神を病んだ人々がいたという、彼の奥さんである李銀河と一緒に書いた論文を読んだのです。
・楊逸;私は日本に来てから中国語でそれを読んだのですが、衝撃を受けました。
なぜならば、私は同性愛というものは、たぶん日本の“流行”“文化現象”であって、生理的な現象ではないと思っていましたから。正直、当時は同性愛者をなかなか理解できなかったのです。日本に来て、「過食症」や「うつ病」といった病気があることも知りましたが、これも理解できませんでした。
<3カ月間、一睡もできなかった莫言>
・劉燕子;もうひとり、共産党政権下の中国の問題を考えるうえで重要なのは、2012年に村上春樹と争った末、ノーベル文学賞を受賞した莫言でしょう。
・張芸謀によって映画化された『赤い高粱』(岩波書店、2003年)など、数ある莫言の作品のなかで、今の中国を考えるうえで参考になるのは、やはり彼の代表作である『酒国』(岩波書店、1996年)でしょう、私がそれを読んだのは1998年でしたが、私の知り合いのある若者は、とても怖くて暗く、後味が悪いと語っていました。
・楊逸;莫言がノーベル賞を受賞したとき、私は同じ作家としてメディアから取材を受け、こう聞かれました。
私はこう答えました。「同じ作家でも、背中にのしかかった圧力が全然違う。ひとつの山が背中に載っているか、ひとつの石が背中に載っているかの違いです」
村上春樹にも、もちろん圧力はあります。ノーベル賞受賞の可能性が報道されればされるほど、日々の発言や文章表現に神経を使ってストレスが留まったことでしょう。
しかし、莫言は、常に政権の顔色をうかがいながら、ギリギリのラインを守って書いているわけです。そのギリギリのラインはどこにあるのかは、彼しか知らない。そのラインは、近くなったり遠くなったりするわけで、とてつもなく神経を使う。
・莫言はノーベル文学賞を受賞して帰国するや、すぐに政権寄りになってしまいました。このように「文学賞」をめぐるたったひとつの出来事によって、作家の立ち位置がたちどころに変ってしまうこともあるのです。
<金儲けと名誉欲にまみれた「発禁」の実態>
・劉燕子;また、本書でのちほど登場する2009年に同じくノーベル文学賞を受賞したルーマニア出身のドイツ人ヘルタ・ミュラーは、莫言が政府高官であること、政府の言論抑圧に対し沈黙していること、さらには毛沢東の「文芸講話」書き写しキャンペーンに参加したことを挙げて、受賞に異議を唱えたのです。
当然、莫言の作品は中国政府から認められていますが、一方で発禁になっている作家もたくさんいます。それこそ閻連科とか…。陽さんの作品も、大陸では黙殺されていますよね。
楊逸;ええ、私の『時が滲む朝』は、中国でほぼ発禁処分です。
・そもそも発禁を「名誉」と受け取ってはいけないのです。
発禁とならないよう、より高度な技術を使って作品を書く。そのうえで、もっと人間の本性的な部分に肉薄する。これが、作家のあるべき姿なのではないでしょうか。そういったことを、心がけるべきだと考えています。
発禁の話も裏側からひもとくと、中国当局から発行禁止になるということは、海外でもっと活躍したい作家たちにとって、実はひとつの“勲章”となるんです。それによって、ノーベル文学賞に近づけるということもあって、必ずしも、ネガティブに捉えられてはいません。むしろ、本人が喜んで発禁に持っていこうとするかもしれないくらいです。
実際、ある作家が自分の本を売りたいがために、知り合いである深圳の公安局長に「私の本を発禁処分にして」と頼み込んだら、その翌日に発禁処分になり、それが新聞に取り上げられたことで、本が飛ぶように売れた。つまり、一種の「発禁商法」ですね。ウソのような話ですが、実際に起きた“事件”で、新聞記事にもなりました。
そんなわけですから、発禁についてはそれほど真剣に考えないほうがいいと思います。
それよりも、今、最も危ないのは「グレート・ファイアーウォール」です。中国共産党が仕掛けた、海外からの情報をシャットアウトする現代版「万里の長城」です。文学作品の影響より、そちらのほうがずっと怖いですね。
劉燕子;まさに、そのとおりです。しかも中国の作家たちは、心のなかにまで自分独自の「グレート・ファイアーウォール」を築き上げて、ベースラインを踏まないようにビクビクしているわけですから……。
<「昨日の先生」は「今日の反革命者」>
・楊逸;先ほど劉さんが言及した『酒国』の読みどころは、まさにその舞台設定のおどろおどろしさにあります。
「幼児食い」という噂を聞きつけた調査員が、現場となった「酒国」という地域に足を運びます。そこの共産党幹部の奥さんが料理学校の先生で、実は赤ちゃんの調理法を教えていました。そして党幹部たちは、みんな赤ちゃんを食べていたのです。そもそも酒国という地域には、赤ちゃんを作っては売るという習慣がある。しかも赤ちゃんは、1体2000元(約3万4000円)で売れたのです。
私が、この小説をずいぶん昔に読んでふと思ったのは、彼が書きたかったのは共産党文化だったのではないのか、ということ。
・莫言の小説は、残酷な場面をこれでもかと書く血生臭いところがあります。そうした描写をひと言で言えば、グロテスクそのものです。劉さんと同じように、私も生理的に受けつけ難いものがありますが、そうした描写の各場面に鋭いところがあるのも、また事実です。
・劉燕子;これは、周りの人が皆、人肉を食べているという幻想を見る男の日記を通じて、「食人」という中国文化を描いた魯迅の『狂人日記』における問題提起を発展させたものとも読めますね。魯迅の時代だけでなく、数千年の歴史をかけて中国社会に根強く形成された問題に迫っています。しかも、「酒に酔う」というモチーフが、歴史的に行われてきた「洗脳」のメタファーにもなっているともいえるわけです。
<実際に起きていた「赤ちゃんの丸焼き事件」>
・劉燕子;陽さんが解説した赤ちゃんの丸焼き事件は、『酒国』という小説のなかだけの出来事ではありません。実際にそういうことが、よく起こっているんです。
今、中国国内では莫言たちが本当にギリギリのラインで作品を書いています。1989年の天安門事件をきっかけに、たくさんの知識人や作家たちは海外に亡命しました。そんななかで私は、莫言と同じ時期に中国で有名になった鄭義(ていぎ)という作家に注目しています。
この人は1993年に、アメリカに亡命しました。大江健三郎と交友を持ち、『大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く』(2003年)に、往復書簡が収録されています。
彼の作品でも、文化大革命時代、広西チワン族自治区で人間が食べられてしまった様子が描かれています。とにかく「赤ちゃんの丸焼き」なんて、口に出して言うだけでも、ものすごく恐ろしいことですけど………。
楊逸;食糧危機で人々が飢えて死ぬ寸前の時代、おたがいの子どもを食べ合うということが本当に起きました。莫言の『酒国』で描かれたのは、中国がいかに両極化していったかという「プロセス」です。下層の一般庶民たちは貧しくて、自分の赤ちゃんを売るしかない。そのため、流通ラインみたいなものができていく。まさに、中国社会の矛盾そのものです。
ところで、劉さんが紹介した鄭義の作品に描かれているのは、1950年代後半に毛沢東が「大躍進政策」という工業、農業の無茶苦茶な増産政策を指導し、結果、数千万人規模の餓死者を出すという未曽有の大混乱期のこと。一方、莫言の『酒国』の舞台は90年代以降です。
中国共産党の幹部たちが、いかにお金を横領して、権力を使ってやりたい放題だったかという話ですから、飢饉の時代とは質的な違いがあります。鄭義の作品のテーマは、大躍進政策の失敗をいかに暴露するかというもので『酒国』とは異なります。共産中国が、いかに人間性を無視して、人権をないがしろにしているかを書いたものです。鄭義の作品は小説というより、ドキュメンタリー、ノンフィクションというべきでしょうね。
劉燕子;でも共産党の本質は変わっていないんです。『食人宴席 抹殺された中国現代史』(黄文雄訳、光文社、1993年)など鄭義の作品は、何冊か日本語に訳されています。ぜひ、一読されることをお勧めしますね。
<知らず知らずのうちに“共犯者”となった日本人>
<現地に行っても決して見えない中国の“闇”>
<中国訪問をあとになって後悔した開高健>
・劉燕子;この本で、どうしても触れなくてはならないのは、ここまで見てきた中国と日本人はどのように接してきたのか、ということだと思います。
前章で紹介した「赤ん坊の丸焼き」だけでなく、文革時の武装闘争で相手を倒してその肉を食べるといった事件は、中国史において何度も繰り返されてきました。ただし、そうした「カニバリズム」は単なる過去の悲惨な物語ではありません。
楊さんも指摘されたように、今日の共産党のやり方は、まず宴会を設けて、「食べろ!飲め、マオタイ酒で乾杯!」と接待攻めにします。そのうち自分が食べているものが赤ん坊の形をしていても、赤ちゃんそのものとは思わなくなる。そういう“毒”が、日本にも回ってきています。もちろん、世界的にもです。
それまで多くの日本の文化人が、中国に招待されています。しかし「マオタイ酒でカンペイ、紹興酒でカンペイ」ばかりで、まったく中国の現実を見てはきませんでした。
・それについて開高健は、1960年の中国訪問を反省しています。
開高健は、毛沢東による大躍進の失敗で大飢饉が発生していた1960年に、大江健三郎や竹内実らと一緒に訪中。1カ月にわたり中国のあちこちを見て回りました。しかも、毛沢東や周恩来とも会っていたのです。
帰国してから開高健は、毎日宴会ばかりでマオタイ酒で乾杯していたけれど、日本に帰って調べると、中国ではそのとき、大飢饉が起きていたことをあとで知った。それで自分は二度と社会主義の国は訪問しなくなったと、慙愧の気持ちを文章に書き残しています。
・楊逸;かなり前のことですが、知り合いの日本では数少ない北朝鮮研究者が年1回、必ず北朝鮮を訪問し特別な待遇を受けていました。研究者として北朝鮮に入ると、まず、美女の通訳がついて、北朝鮮の高官たちとの宴会に参加し、つづいて聖地である白頭山や温泉などに案内されたそうです。ただし、そこには一般人の姿はありません。政権の特権階級の人たちしかいないんですね。
私は帰国したその研究者と何度か会った際、彼は話していました。「北朝鮮は素晴らしい、病院は完全に無料だし」と。
<シルクロードへの憧れという大いなる誤解>
・劉燕子;たしかに、日本人には「日本にとって中国は特別」という側面もあります。漢字は中国から伝わったとか……。
ただ実は、これは一面的な話にすぎません。中国では、日本から逆輸入した「和製漢字」も多く使われています。たとえば、文化、文明、民族、経済、資本、階級、理論などなど。社会主義、共産主義も和製漢字です。中華人民共和国の「人民」も「共和国」もそうですから、和製漢字なしには新中国は成り立たなかったともいえるわけですね。
・自分自身、日本に来てもあまり大きなカルチャーショックは受けませんでしたが、そのなかで最も衝撃を受けたのは、初めて行った書店で日本赤軍や連合赤軍のメンバーだった人が書いた本を見つけたときです。「あれ?投獄されているんじゃないの?」と。これが中国だったら、たとえば劉暁波が普通に書店に並ぶような本を出すことなど、まず不可能です。「投獄されている人も、本を出版する権利はあるんだ!」と驚きました。
・劉燕子;とくに80年代、NHKの番組を通してシルクロードがブームになりました。今日でも、日本人にはそういう憧れ、郷愁、ロマンがあるんですか。
ところが、同じシルクロードの途上にある新疆ウイグル自治区で起きた民俗的抑圧や、文化的破壊への認識は、正直あまり強くありません。だからといって決して井上靖たちを批判しているのではなくて、その一面的な描写に異議申し立てをしたいのです。
井上靖は20回以上中国を訪れていますが、1960年に帰国した際、取材が非常にうまくいっているとか、新疆ウイグル自治区で大飢饉は絶対に起きていないなどと言い切っていました。ひとりも餓死していないと、「自分の人生で一番残念に思ったことは、生きた毛沢東に接見を受けられなかったことだ」とも書いています。
<実は日本に大きな期待をしていた劉暁波>
・劉燕子;日本の文化人たちのせいか、一般の日本人も、「現実の中国」を見て見ぬふりをすることが常態になっています。
私は当時、まったく意識していませんでしたが、それを象徴する「事件」だとあとで気づかされたのが天安門事件後、1992年の「天皇訪中」です。
・そんな彼が日本をどう認識していたか。実は日本への期待は、民主主義大国であるにもかかわらず、それにふさわしい貢献をしていないという“失望”と合わせ鏡の関係にありました。もっとも日本では、そうした彼の気持ちが伝えられることはほとんどありません。中国に帰るたびに、日本で自分の本を出版してほしい。想いを日本人に伝えてほしいと彼から頼まれたのですが………。
劉暁波の行動は、100年前の辛亥革命のときの魯迅と比べても、決して見劣りしないにもかかわらず、日本のあまりにも冷たすぎる扱いは、いったいなんなのでしょうか。
<信じたい“幻想”と信じがたい“現実”>
・劉燕子;私が中国に帰るたびに知り合った文学者や詩人たちは、いま次々と国を捨てざるをえなくなっています。自由に声を発するために、毒された国から逃れるしかないのです。「亡命文学」は、なかなか日本人の興味を惹きません。なぜなら、日本の歴史において、亡命せざるをえないほどの残酷な政治がなかったからです。
<唯一、勝ったのは中国共産党という恐ろしい現状>
・楊逸;留学生や旅行者が、私たちのこの素晴らしい社会を見れば、間違いなく憧れて、中国に戻ったら国を変えてくれるはずだと。
日本も含めて西側諸国の政治家たちは、絶対にそう考えていたと思います。政界のみならず財界の人たちも、みんなそう考えていた。なぜなら、今の独裁を予見できていたら、中国に投資するはずないじゃないですか。
・劉燕子;いずれにせよ、この20数年間、私の友人たちは大変な目にあってきました。劉暁波のように声を上げたせいで、事実上、獄死という形で命を奪われる。法学者の王怡のように投獄される。作家の瘳亦武や余杰のように亡命する。あるいはツェリン・オーセルのように海外の賞を受賞したにもかかわらず、「我が国のイメージを損なう」という理由で出国を禁止されるなどなど、気持ちがふさぎ込むばかりです。
ですが、現状を発信していくしかありません。
<「知」は民の力、「無知」は権力者にとって最高の力>
・楊逸;私には、悪を見抜く知恵がなくて、うっかり「共犯」にさせられていた。最初から共産党の本質を見破っている人からしたら、「お前らは、なんでアイツらに協力したのか」と思われても仕方ありません。
私のような普通の中国人は、悔しいけれど、共産党のウソを見破るという、その知恵がないまま今に至ってしまいました。でも、遅まきながら気づいたのです。
さらには、気づいたにもかかわらず行動に出ないというのは、それはまた、ひとつの「罪」といえるでしょう。だから、事あるごとに、「この中国共産党の恐ろしさこそ、どうにかしなければならない」と呼び掛ける。これが今の私の気持ちであり、義務なのです。
劉燕子;いやいや、私の中国共産党批判だって「後知恵」です。
先ほど話したように、祖父や父が文革でひどいめにあっているのに、少女時代の私は中国共産党が指導する振りつけのまま踊っていて、彼らの本質にはまったく気づいていませんでした。楊さんと同じで、私も中国共産党の「共犯者」にされてしまっていたんですね。
<私が習近平を「敵」と断じた本当の理由>
・劉燕子;約10年前、中国ウォッチャーとして知られる四川省出身で2007年に日本に帰化した石平さんと、『反旗 中国共産党と闘う志士たち』(2012年)という本を出しました。そのとき、日本のリベラル派、いわゆる「進歩的知識人」から、ものすごいバッシングにあったんです。
「石平だったら反中の確信犯だから当たり前だが、劉燕子もついにそうなったか」と。『わが敵 習近平』を出した楊さんも、似たような目にあっているんじゃないですか。
なにも私は、日本の文化人にただ単に文句を言いたいがために批判しているわけではありません。
・楊逸;たしかに、以前に比べると今は、中国の実態についてずいぶん理解しやすくなりました。「中国の脅威」というものが、つまり共産主義は悪魔的な政治なんだということが、はっきり目に見えるようになったからです。
私に言わせると、中国を内部から民主化していくのは絵空事。そんな夢みたいなことは不可能だから、もはや共産主義というものを壊すしか選択肢はない。ここ100年間、中国共産党はどうにか生きつづけて怪物化してきたけれども、そろそろ寿命です。
・劉燕子;劉暁波が亡くなったあとから現在まで、彼の妻の劉霞はドイツに亡命しています。彼女が亡命後、一度、大阪に来たことがあり、そのときにいろいろと話を聞きました。彼女は日本文学を読んでいて、よく村上春樹を引用します。
一番のお気に入りは、エルサレムの演説の次の部分です。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」
これが逆境に立つ中国人の心に、強く、深く響いているのではないかと思います。
・楊逸;たしかに中国は一筋縄ではいかないひどい国ですが、その“悪の本質”は背後にある共産主義です。習近平政権が終わればいいという問題ではありません。だからこそ今、中国共産党の100年をいかに振り返るかが重要です。
共産党の本質は、かなり前からはっきりわかっていた。彼らは何も隠していたわけじゃない。暴力革命、独裁専制、全体主義をあからさまにアピールし、なおかつその上に中国の残酷な独裁者たちが君臨してきたわけです。
・共産主義とは、いわば悪魔を入れられる“容器”にたとえられるでしょう。もちろん毛沢東のことですから、そうした容器がなければ、また別の容器を持ってきたかもしれません。
・日本の知識人たちが抱く「共産主義国家は地球上にはほとんど残っていない。もちろん日本は大丈夫」とする考え方も危険です。実は、危機は内部にある。私が見るに、今の日本は共産主義による浸透が顕著です。
たとえば、中国共産党は工作員を在日華人の「同郷会」などに送り込み、会員のふりをさせながらスパイ活動、分断活動にあたらせています。
・日本はよく「スパイ天国」と言われるように、とにかく他国の工作員が活動しやすい国です。中国共産党は当然、そのことを知っているからスパイをどんどん送り込んでくる。そして今の中国に反対の立場の人物が活動しづらくなるよう、あの手この手で分断活動を行います。まさに「サイレント・イノベーション」、つまり「静かなる侵略」が日々進んでいる。そうした危機に気づかなければいけないのです。
<「日本では気をつけて、手を洗う方法を教えるよ>
・劉燕子;中国共産党は、1949年の建国以来、「反右派闘争」や「反革命鎮圧」といったように、さまざまな政治キャンペーンをやってきました。それらは党の“正史”だから、一般の人々は、その裏で起こった「大飢饉」で数千万人もの人たちが亡くなったことについては、まったく知らされていません。今の若い留学生に、こんな話をしてみても容易には信じないんです。
「数千万人が餓死したのに、なぜ私は今ここで生きているのか」
「数千万人死んだ証拠を見せてくれ」 こんな感じになるんですね。
それもこれも、共産党が都合の悪い歴史をすべて抹殺したからです。洗脳というものは、一世代だけの話ではありません。
<ソ連崩壊後も共産中国がしぶとく生き残っている理由>
・劉燕子;もっと極端な例を挙げれば、劉暁波がノーベル平和賞を受賞したことすら、中国では誰も知らないのです。こうした情報は、すべて国民から遮断されている。天安門事件も同様です。これだけ最近の出来事でも、全部タブーとなって、存在していないことになっているんですね。
2020年5月、一応中国の国会とされていますが、実際は共産党の方針を追認するだけ、いわゆる“シャンシャン”で終わる全国人民代表者会議、通称「全人代」が開かれました。そこで導入することが決まったのが、香港における言論の自由の制限を認める「国家安全法」(国安法)です。
・ところが大陸中国では、香港のことを多少知っている人でも、むしろそれを喜んでいます。
なぜなら、今まで認められていた「一国二制度」がなくなり、「ようやく私たちと同じようになったわ」と思ったからなのです。先ほど楊さんが言われたように、「開き直っている」んですね。何が偉そうに「一国二制度」だと。
実は、それまでの香港は中国人にとって憧れの的でした。私自身、80年代は広東語を話せるようになりたいと思っていましたし、大陸中国の人は、大ヒットした香港のテレビドラマ『上海灘』を見て、広東語をしゃべったり、広東語で歌を歌ったりするようになったのです。広東語を話せるのは、今なら英語を話せるのと同じステータスの証しだったといえるでしょう。
・ところが、この40年でその立場が逆転しました。逆に、「香港何するものぞ」「私たち中国は強大になったんだ」と、鼻息が荒くなるばかり。台湾に対しても、同様の傲慢な対応をするようになりました。
本来は、「知は力なり」です。国の政策や方針にいちいち影響されない、真の知識、深い教養が人間の力になるはずなのに、中国では前項で述べたとおり「無知こそ力なり」になっています。まさに中国当局のプロパガンダは成功したのです。国民は隷属させられて、政治にはますます無関心になりつつある。これこそが、中国政府が目指したところだったのです。
楊逸;結局のところ、『1984』が人々に読まれようが何しようが、おそらく政権の危機にはまったく直結しないからこそ、野放しにしているわけです。重要なのは、ソ連が崩壊して民主化していく一方で、共産中国はしぶとく生き残っていること。そこを、反省しなければなりません。これは何を意味するのか。つまり中国共産党は、他の社会主義の国々にはなかった柔軟な姿勢があるということなのです。
ソ連およびソ連の衛星国家が全部地図の上から消え去っても、共産中国が生き延びているということは、残念ながら政権のかじ取りが成功していることの証しといえるでしょう。
<今、ブタに求められている正面から敵に向かう気概>
・楊逸;体制に反対する人間がひとりやふたりなら、劉暁波みたいに抹殺してしまえばいい。いつでも始末できるので、その程度ならどうってことはない。それが、党の本音でしょう。
ですから、文化人や知識人が党を批判するなら、その本質的な部分をつかんでやらないとダメ。今、海外にいる中国の知識人たちは、中国の後ろ姿を追っかけながら批判しているように見えます。中国共産党政府の、その「醜い後ろ姿」は誰にでもわかっているわけで、そこに批判の石を投げたところで何の意味もありません。
肝心なおは後ろ姿じゃなくて、正面から向き合い敵の急所をひとつずつとらえて反撃すること。
・劉燕子;なるほど、いくら知恵があっても、共産党の悪知恵に勝るものはないですね。
楊逸;今の中国人は奴隷化されていて、中国にはもうブタしかいない。海外にいる中国人も、私を含めてブタはブタなんです。だから、質的な飛躍を遂げるというのは、正直無理なことでしょう。
<経験しなければわからない共産主義の本当の恐ろしさ>
<1968年に運命が暗転したミラン・クンデラ>
・楊逸;ミラン・クンデラは1929年チェコスロバキア生まれ。現在92歳でフランスに在住しています。
・クンデラの著作も発禁処分を受け、1979年に国籍をはく奪されたためにフランスに亡命。その後、現在に至るまで作家活動をつづけています。
2019年にはチェコ国籍を回復。さらに翌20年には、かつて村上春樹も受賞したチェコの文学賞「フランツ・カフカ賞」を受賞しています。日本では、映画にもなった『存在の耐えられない軽さ』(1998年)で知られているのではないでしょうか。
<「本当の深刻さなんて、お前さんにわかってたまるか」>
・楊逸;実は、これこそがクンデラが指摘するキッチュ、つまり「安っぽい決めつけ」なのです。
欧米人は社会主義を経験もしていないくせに、ただ新聞やテレビを見て、「これが社会主義、共産主義というものだ」とチェコを理解した気になっている。つまりクンデラは、「本当の深刻さなんて、お前さんにわかってたまるか」と暗に言っているわけです。
<作家に「越境」や「亡命」の修飾語はいらない>
・楊逸;一部の中国人作家たちは、自作が発禁処分されることを、海外での知名度を上げるために、ある種ワザを利用しているように思えてなりません。
ところが、これを言ってしまえば、クンデラの言うところの「キッチュ」なのです。外側にいる欧米の人々は発禁作家たちを煽り、「オレたちは支持するよ」ともてはやす。それこそクンデラが「キッチュ(安っぽい決めつけ)」と批判するところなのです。
同じように、みんなはクンデラを「亡命作家」と位置づけます。その定義のなかで、クンデラはもがいているのではないでしょうか。自分は「亡命作家」なんかじゃない、オレは作家、小説家なんだと。
<文学を通じて「共産主義」を理解すべき本当の理由>
・楊逸;私は文学を通じて、「共産主義」とはどういうものなのかを一般のひとたちにもわかってほしいと思っています。
<小説を書くという仕事とは?>
・劉燕子;天安門事件後、高行健は『逃亡』という戯曲を書きましたが、たしかに事件を背景としているものの、事件そのものは描いていません。ですから亡命した民主活動家にとって「物足りない」内容だったのです。
ところが、中国共産党政府は『逃亡』を『海外亡命知識人の反動言論集』に収録し、高行健を公職から追放。しかもすべての作品を発禁とし、家などの財産も没収しました。
つまり、政治とかかわりのない個人を追求した文学が、結果として文学を政治に奉仕させる中国共産党への挑戦となったのです。
<悪しき共産主義に打ち勝つ“武器”としての文学の力>
・楊逸;共産主義の危険性は、私たちのそばにひたひたと迫ってきています。日本は政界も財界も経済に過剰に重きを置き、中国共産党と妥協に妥協を重ねてきました。その結果、中国共産党は増長するばかりだったのは周知の事実です。
2018年ごろから激化した米中貿易戦争。この主戦場はもちろんアメリカと中国ですが、その陰で反共産主義をしぅかりと訴え、地道に活動してきたのは、チェコやポーランドといった旧共産圏の国々でした。こうした国の人たちは、共産党政権による恐怖の全体主義というのをイヤというほど経験しています。ですから、絶対にその時代に戻りたくはないのです。
一方で、そういう政治体制を経験したことのない自由主義の国の人たちは、共産主義の本当の怖さ、恐ろしさ、悪質さをやはりわかってはいません。ですから2022年に開催予定の北京冬季オリンピックにも、世界各国が参加することでしょう。
しかしながら、私は絶対にボイコットすべきだと声を大にして言いたい。なぜなら、普通に考えたら疑問に思うはずです。なんで「平和の祭典」を、一党独裁で、人々が自由に発言することすらできない国でやらなければならないのかと。
<●●インターネット情報から●●>
ネット情報によると、東京新聞(2020/6/2)
「中国では6億人の月収が千元(1万5000円)」中国首相発言にネット沸く
【北京=中沢穣】中国の李克強(りこくきょう)首相=写真、新華社・共同=が五月二十八日の記者会見で「中国では六億人の月収が千元(約一万五千円)前後だ」と発言し、中国メディアなどで話題となっている。ネット上では「豊かになった中国で、貧困層がこれほど多いのか」との驚きとともに、「真実を隠さずに公表した」と好意的な意見が多い。
李氏は全国人民代表大会(全人代)閉幕後の会見で「中国は多くの人口を抱える発展途上国で、六億人の中低所得かそれ以下の人々がおり、彼らの平均月収は千元前後だ」と述べた。共産党機関紙、人民日報の記者に新型コロナウイルスの影響が貧困層に与える影響を問われて回答した。今年は貧困層に再び転落する人々が出るとの見通しも同時に示した。
中国は昨年、一人当たり国内総生産(GDP)が中所得国の水準とされる一万ドル(約百八万円)を初めて超えた。北京や上海など大都市では先進国並みの生活も可能だが、農村部を中心に貧困人口が少なくない。李氏が言及した「六億人」は子どもや高齢者など非労働人口も含むとみられる。
一方、六月一日出版の党理論誌「求是」は、昨年四月に習近平(しゅうきんぺい)国家主席が行った演説を掲載。この中で習氏は「わが国の発展が不均衡で収入の差があるのは正常なことだ。(習政権が目標にする)小康社会の全面的実現は平均主義ではない」と訴えた。格差の存在を問題視する李氏の発言を打ち消す内容ともいえ、これもネット上で話題になった。香港メディアは両氏の不仲説も伝えた。