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以上のことから、夜刀神にヌシの原型を見出せるのである。だから先の訓み下しの「神」も、本来ならば「祇」と同じく「くにつかみ」であらねばならないだろう。(1)

 

 

(2022/1/24)

 

 

 

『ヌシ』

神か妖怪か

伊藤龍平 笠間書院  2021/8/12

 

 

 

ヌシと日本人

・いったい、この国の河川沼沢に、どれほどの数のヌシ(主)たちが身を潜めているのだろうかと考えると、気が遠くなる思いがする。

 

・ヌシとは、長いあいだ同じ所に棲み続けて、巨体になった生物のことである。

 

・しかし、ただ同じ場所にいて体が大きいだけではヌシとはいえない。『日本国語大辞典』には「山、川、池、家屋などにすみつき、劫を経た、なみはずれて大きい動物。その動物が霊力をもち、その場所を支配していると考えられる」とある。霊力を持っていること、特定の場所を支配していることも、ヌシの条件だ。

 もっとも、この辞典の記述にも少々訂正が必要だ。たしかに年を経た蛇や魚、亀などがヌシ化した例は多い(水棲生物が多い)。しかし、龍や河童、狒々など、現在は伝承上の存在とされている動物のヌシもいるし、人の姿のヌシもいるもともと人の姿をして現れる場合、動物のヌシが人に化けた場合、人が死んだのちヌシになった場合など、ケースはさまざま)。器物(鐘など)に由来するヌシもいるし、正体不明のヌシもいる。ヌシの伝承はなかなか捉えがたい。

 

・『常陸国風土記』に載るヤツノカミ(夜刀神=谷地の神)の神話はヌシと人との抜き差しならない関係をよく物語っている。ヌシと人は宿命的に向き合わざるを得ない関係にあるのだ。それは、どの民族においても、多かれ少なかれ見られる問題であろう。

 

英雄とヌシ

英雄たちの怪物退治

・水中から巨体を現して猛り狂う怪物と、甲冑を身にまとい、敢然とそれに立ち向かう若き勇者。手には魔法の剣や弓が握られている。かたわらには、いけにえにされようとしている美しい姫君の姿も、とどろきわたる雷鳴に、逆立つ波。勇者が天馬にまたがっていることもある。だれもが、一度はこんな図を見たことがあるだろう。

 世にいうヒロイックファンタジー(英雄物語)のクライマックスの場面。英雄の名はさまざまだが、古代メソポタミアならマルドゥクギリシアならペルセウス古代ローマなら聖ゲオルギウス、ドイツならジークフリード、イギリスならベオウルフ、カタロニア(スペイン)ならサン・ジョルディといった具合だ。

 

怪物を退治する英雄のことを「ドラゴンスレイヤー」という。英雄に退治される怪物は、西洋ならばドラゴンだが、東洋ならば龍、もしくは大蛇となる。

 日本では、スサノオノミコト素戔嗚尊)が代表的なドラゴンスレイヤーで、やまたのオロチ(八岐大蛇)退治の話で知られている。

 

スサノオクシナダの子孫にオオクニヌシノミコト(大国主命)がいる。 

 たいそうな家系だが、全国にはもっと素朴で、無名の人物を主人公にした「龍退治」の伝説が伝わっている。ヌシ論のとっかかりとして、この点について考えてみたい。

 たとえば、石川県加賀市に伝わる話――むかし、この土地では、雨乞いのために、娘をいけにえとして大蛇に差しだす習わしがあった。日照りが続いたときには、村ごとに順番をきめて娘を選び、献上する。長年、続いてきた習わしだったが、ついに堪忍袋の緒が切れた若者たちが立ち上がり、苦難のすえに、見事、大蛇を退治した。いまの菅生石部(すごういそべ)神社の神事は、そのときの大蛇退治にちなむという。

 この伝説にもとづく年中行事は兵庫県丹波篠山市にもある。

 

スサノオヤマタノオロチ退治ほどの知名度はないが、先ほどの加賀の例のように、名もない勇者たちの大蛇退治の話は各地にある。

 

神話の英雄、伝説の英雄

・一説によると、スサノオという名は「荒(すさ)ぶ」に由来するのだとか。その名のとおりの粗暴な性格で、感情のおもむくままに行動し、平気で物を破壊し、他者を傷つける。それゆえ、高天原を追放された。何しろ、姉であるアマテラスにすら恐れられているのだ(根の国に旅立とうとするスサノオがあいさつに訪れた際、アマテラスは、弟が自分を殺しに来たのではないかと疑うエピソードがある)。

 ヤマタノオロチ退治の挿話だけを取り出してみると、正義の見方のように感じられるが、それは気まぐれなスサノオの行動が、たまたま、住民の役に立ったに過ぎない。そのときの気分次第で、善にもなれば悪にもなり、それがスサノオなのだ。

 

スサノオヤマタノオロチ退治は神話時代の話だが、次に、もう少し新しい時代の話を紹介する。主人公は、征夷大将軍坂上田村麻呂。要約すると――蝦夷征伐のために、奥州に行く途中の田村麻呂が、武蔵の国北部(現在の埼玉県)で、大蛇の被害に苦しめられている村を通りかかる。事情を聞いた田村麻呂は、機略縦横の作戦で大蛇を倒した。同地方には、その故事にもとづいた風習がいまも残っているとのこと。

 

ヌシの条件

・この話に出てくる大蛇は、ヌシの性格をよく表している。次に要点を列挙していこう。

1、ひとつ所に長く棲んでいること。

 ヌシたるもの、人間などよりもはるか以前から、その地に棲んでいなければならぬ。

 

2、棲みかである場所が、淀んでいること。

3、その場所から、離れようとはしないこと。

4、身体的な特徴があること。

 先に述べたように、ヌシには身体的な特徴がある。とりわけ、身体が大きいというのは、わかりやすい特徴だ。巨体であること、老齢であること、つまり長くその場所に棲んでいることを示している。

 

5、尋常ならざる能力を持っていること。

 ヌシは、通常の人間には抗しがたい能力を有していなければならない。その能力は、自然現象と結びついていることが多い。この話の大蛇も、退散する際に、「淵は逆波立って振動し、俄かに霜降りて暗闇となり」と、派手に暴れている。ときにそれは地形の変容を及ぼすほどの力となる。だからこそ、英雄の活躍が際立つのだ。

 

・陸棲のヌシの例にもふれたい。ヌシが棲むのは水中の場合が多いが、山中にもヌシはいる。蛇を山のヌシとする例もあるが、ここでは全国的に報告例が多く、さかのぼれば『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』にも載る「猿神退治」という話を紹介する。要約すると――旅中の武者が訪れたある村では、毎年、人身御供として、若い娘を怪物に差し出していた。武者はこの悪習をやめさせるために、しっぺい太郎という犬の加勢を得て、怪物を退治した。その後、武者は娘と結婚した。

 この話に登場するのは、「フッタチ」と呼ばれる大猿である。「フッタチ」は感じで書くと「経っ立ち」で、文字どおり「齢をとっている」という意味である。毛並みが白かったり、禿げていたりするのも、この猿が老齢であるのを示している。

 

登場人物の横顔

・さて、あらてめて、ヌシ退治の神話・伝説に登場する人物たちを整理してみる。

 まずは、ヌシを退治する英雄、ヤマタノオロチの神話でいえばスサノオがそれに当たる。武勇に優れた若武者とされることが多いが、僧侶や山伏といった宗教者である場合もある。その場合は、武勇ではなく、経を読むなど法力でヌシを退治することになる。また、武者が武勇と法力の両方を駆使することもある。また、ヌシと相打ちになり、落命する場合もある。

 次に、人身御供とされる若い娘。クシナダの役回りである。ヌシの被害を象徴する存在で、もちろん美女である。助けられたのちは、英雄と結ばれることが多いが、登場しない場合もある。ストーリー展開上では受け身な存在だが、ヌシに選ばれ(魅入られ)ている時点で、ふつうの人間ではないことは押さえておく必要がある。

 

・ヌシを退治するのは、外部からの来訪者たる英雄である。旅人である彼には、ムラの論理の矛盾が見え、それに抗い、さらには変えようとする。先の話の佐々成政は旅人ではないが、新たにその土地を統治することになった。つまりムラの論理の外側にいるという点では同じである。変革者は、外部から来ることが多い。これは日本社会の特色であろうか。

 ここで気になるのは、英雄が来なかったらどうなるか、という点である。各地の伝承を見ていくと、そうした例も少なからずあるのである。そうした場合、先ほど紹介した菅生石部の大蛇退治のように、若者が立ち上がってヌシを退治することがある。外部から変革者が来ないとき、共同体の内部で旧慣悪習を糺そうとするのは若い世代だ。しかし、その若い世代も立ち上がらない場合がある。そうしたときには、地域の住民はヌシとつきあいながら、日々を暮らしていかなければならない。

 

夜刀神の領分

・ヌシと人間の関係を考えるのによい例が『常陸国風土記』(721年)行方郡(現在の茨城県行方市)の段に載る、夜刀神(ヤツノカミ、またはヤトノカミ)の説話である。『常陸国風土記』は、天皇の命を受けた常陸国司が、古老から聞いた当地の言い伝えをまとめたもの。夜刀神の説話も「「古老の言へらく……」と始まる。以下に内容を要約すると――

 

 継体天皇の御代(507~531年)、箭括(やはず)氏の麻多智(またち)という人が、郡より西の谷の草原を切り拓いて、新たに田を作っていた。

 そのとき、夜刀神が群れをなして押し寄せ、田作りを阻止しようとした。土地の人が言うには、「蛇のことを夜刀神と言います。蛇の姿をしていて、頭には角があります。その姿を見ると、家系が絶えてしまいます。この郡の野原には、とてもたくさん棲んでいます」とのこと。

 それを聞いた麻多智は怒り、甲冑を身にまとい、矛を手にして、夜刀神を打ち殺し、追い払った。

 そして、麻多智は山の入り口に標(しるし)の杖を立て、こう宣言した。

「ここから上は神の地とすることを許し、ここから下を人の田とする。これからのち、わたしは祝(ほうり)(神職)として永久に敬い、祀るので、どうか祟らないでほしい。恨まないでほしい」

 その後、麻多智は社を設けて、祀った。麻多智の子孫はその後も祭祀を続け、いまにいたるまで絶えることがないという。

 

国津神の末裔

壬生連麿が、夜刀神に向って「どの神、国津神が、風化に従おうとしないのか」と啖呵を切るのは、ヌシと人間の関係を端的に表している。

 

日本神話の神々は、天津神国津神の二系統に大きく分けられる。「津(つ)」は格助詞「の」意味なので、現代語訳をすれば「天の神」と「国の神」だ。つまり、天津神は、高天原(天上界)におわす神々のこと。国津神は、葦原の中津国(地上界)におわす神々のことである。

 そして天津神が、葦原の中津国に降り立ったとき(天孫降臨)、国津神と出会った。天津神であるアメノウズメ(天宇受売)が、国津神であるサルタヒコ(猿田毘古)に名を尋ねる場面がそれだ。アメノウズメは芸能の祖とされる女神で、天岩戸神話で知られる。サルタヒコは天狗を思わせる鼻高かつ巨躯の異形の男神だが、不明瞭な点が多い。

 

・神話学では、天孫降臨から国譲りにいたる説話は、大和王権の勢力拡張の暗喩だと解釈されている。すなわち、征服者=大和王権が信仰していた神々が天津神、被征服者=土着の豪族が信仰していた神々が国津神、という図式である。

 先学が指摘しているように、「〇〇主」という名の神々は、国津神の側に集中している。たとえば、オオクニヌシ大国主)、コトシロヌシ(事代主)、オオモノヌシ(大物主)……等々。これは豪族の信仰していた土着の神々を「ヌシ」と呼んでいたことを意味している現在の伝承で、ヌシたちが特定の場所、土地に盤踞しているのもこれに関連するだろう。それは「ヌシ」という語の成り立ちから考えても明らかである。「ヌシ」の語源は「ウシ」(「大人」という字が当てられる)だとされる。「土地を領有する人」の意味だ。「ウシ」に格助詞の「ノ」を付けた「………ノウシ」が短縮されて「ヌシ」になったとする説である。古くから、その土地に居座り続けている先達を指す言葉だった。

 

以上のことから、夜刀神にヌシの原型を見出せるのである。だから先の訓み下しの「神」も、本来ならば「祇」と同じく「くにつかみ」であらねばならないだろう

 

・それにしても、夜刀神と人間の対立が、湿地開拓のときと、堤防建設のときに起っているのは、後年のヌシ伝承のエッセンスが示されて面白い。その後に、全国各地で繰り広げられるヌシと人間との物語の大半は、せんじ詰めればここに起因することが多いのである。たとえば、鳥取県気高郡気高町(現在の鳥取市)の日光池のヌシは、新田開発のために棲みかを追い出されたといい、岐阜県大垣市の曽根には、堤防決壊でできた池にヌシが棲むという伝承がある。

 

神でもあり、妖怪でもあり

・先の「ヌシは神か妖怪か」という問題に立ち返ると、わたしは、ヌシとは「神でもあり、妖怪でもある」存在だと考えている。小松和彦は、祀られた超越的存在は神とし、祀られていない超越的な存在を妖怪としている。

 

水木妖怪とヌシ

・水木には『日本全国 神様百怪物』(2010年)という本もあり、全国の神(民族神が中心)が地域別にまとめられている。その際、過去に妖怪画として描かれたものが、神の絵にパラダイム転換され、収録されている。たとえば、猿神、大旅淵の蛇神、なまず神などだ。

 しかし、ここでも「ヌシ」という語は、神名にも解説文中にも出てこない。ヌシに相当する神といえば、鍬山大明神、ハンザキ大明神、水釈様などがあるだけだ。ヌシは水木の考える「神」の範疇にも入りにくいようだ。先に、ヌシを「神でもあり、妖怪でもある」存在だと書いたが、水木にとって、ヌシは「神でもなく、妖怪でもない」存在だったようだ。なぜだろうか。

 理由の一は、ヌシの多くが、サイズが大きくても、ふつうの動物とあまり変わらない姿形をしているので、ビジュアル的にバラエティーに乏しいことがあげられる。図鑑という形式の性質上、描かれる対象に差異がなければならないので、除外されてしまったのではないか。

 

・理由の二には、そもそも、水木妖怪の主要な典拠となった江戸の妖怪画家・鳥山石燕の妖怪画集にも、柳田國男の「妖怪名彙」にも、ヌシとされる存在が少ないことがあげられる。

 

・もっとも、考えようによっては、すべての水木妖怪にはヌシの要素があるともいえる。

 

『八郎』と八郎太郎伝説

・では、民間伝承の八郎太郎伝説はどのようなものか。秋田県山本郡八竜町(現在の三種町)に伝わる話はこんな内容だ――むかし、八郎潟のヌシの八郎太郎が、一の目潟のヌシの姫を好きになり、毎晩、通っていた。ところが、姫のほうは八郎太郎の来訪に迷惑し、ある神主の夢枕に立ち、八郎太郎を追い払うようにお長いした。神主は姫の願いにしたがい八郎太郎の片目を弓矢で射抜いた。以来、八郎太郎は来なくなったが、一の目潟の鮒は、みな片目になったという。

 

『龍の子太郎』と小泉小太郎伝説

・伝説の八郎太郎はふしぎな岩魚を食べて無性にのどが渇き、水を飲み続け、本人の意思とは関係なく、大蛇に変じた。一方、童話のなかの八郎は日ごろから「もっともっと、大きくなりたい」と思っていて、望みどおり大きくなった。しかし、岩魚のエピソードがないために、どうして大きくなれたのかがはっきりしない。

 

・ここで1950年代に始まる民話運動について簡単にふれよう。先に童話と昔話の違いについてふれたが、民話と昔話も異なる。端的にいうと、民話にイデオロギーがある。戦後の混乱期のなか、日本人とは何か、どうあるべきかを問いかけているのである。しかしながら、民話は個人による創作ではない。民間の伝承の昔話や伝説、世間話のなかに、イデオロギーを見出すのである。

 

・松谷がいう「日本の太郎」とは、日本人の理想像を指しており、軍国主義に利用された戦前・戦中の「桃太郎」へのアンチテーゼであろう。「桃の子太郎」から「龍の子太郎」へ、である。

 

・たしかに、ヌシ伝承をもとにした『龍の子太郎』には普遍性がある。新潟県南蒲原郡下田村(現在の三条市)に伝わる五十嵐小文治の伝説は小泉小太郎・泉小太郎伝説の異伝と呼ぶべき内容であるし新潟県西蒲原郡巻町(現在の新潟市)や、岡山県真庭郡美甘村(現在の真庭市)にもよく似た伝説が伝わる。このほか、大蛇や龍から生まれた申し子の話は数知れない。

 そして、これらのヌシの申し子たちの伝説では、多かれ少なかれ、地形や地名の由来が説かれている。大げさに言うなら、国生み神話の末裔ということになろうか。そして、それは干拓事業とも結びつく。序に述べたように、干拓の場こそヌシと人が宿命的に共通している場だからだ。『八郎』と『龍の子太郎』は、干拓をめぐる物語という点でも共通している。

 

『夜叉ヶ池』と夜叉ヶ池伝説

・仮にヌシの文学史を構想した場合、近代文学から例を挙げるなら、泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池』は外せまい。

 自他ともに認める妖怪好きの泉鏡花作品には、ヌシの登場する話も少なくない。

 

・夜叉ヶ池は、福井県岐阜県の境にあり、滋賀県からもほど近い。では、民間に伝わる夜叉ヶ池伝説とは、どのような内容だったのだろうか。

 岐阜県揖斐郡揖斐川町に伝わる夜叉ヶ池伝説は、「蛇聟入・水乞型」の話で、安八太夫という長者が「雨を降らせてくれた者に娘をやる」と言ったところ、夜叉ヶ池のヌシ(大蛇)がその望みをかなえて、娘を嫁にもらっている。藤崎村や坂内村(ともに現在の揖斐川町)、大垣市の伝承では、娘の名前を夜叉姫としているが、大蛇の名前のほうを夜叉竜神としている話もある。池にお参りする際には、化粧道具を持って行くという。

 

・なお、揖斐郡の夜叉ヶ池伝説については、民俗学者高谷重夫が興味深い報告をしている。高谷によると、同地には、長者・安八太夫の末裔を名乗る家があり(実名があげられている)、江戸時代には、雨乞いの儀式を司っていたという。かつてはヌシ伝承が生活のなかに生きていた証である。

 滋賀県東浅井郡の夜叉ヶ池伝説もほぼ同じ内容。長者の名前も同じ安八である。同郡浅井町伊香郡木之本町(ともに現在の長浜市)の話では、娘の脇に三枚の鱗があったとしている。また、膳椀を貸してくれるという椀貸し伝説と結びついている話もある。お参りの際にやはり化粧道具を持って行き、池に沈めるという。

 福井県鯖江市の伝説もほとんど同じ内容だが、今立郡池田町に伝わるのは「蛇聟入・苧環型」の話型で、夜な夜な、通い来る男の服に糸をつけて辿っていくと、正体は夜叉ヶ池の大蛇で………という展開になる。また、同町のべつの伝承では、ヌシ同士の争いの話となっていて、夜叉ヶ池のヌシが美女に化け、侍に加勢を頼んでいる。さらに同町のべつの伝承では、雄のヌシをめぐって、二匹の雌のヌシが争うという内容になっている。

 

沈鐘伝説

・鏡花研究者のあいだでは、『夜叉ヶ池』は、ゲアハルト・ハウプトマンというドイツの作家の『沈鐘』(1896年)の影響を受けているとする説がある。鏡花は、『夜叉ヶ池』が発表される5年前に同作品を翻訳しており、説得力のある説である。

『沈鐘』は、主人公(鐘造り職人)が山の上の教会に鐘を運ぶ途中、森の神によって鐘もろとも水底に沈められるという話で、魔法使いが出てきたり、妖精が出てきたりと、幻想的な内容となっている。ハウプトマンという人を文学史に位置づける力量はわたしにはないが、手がけた作品の多彩さと、作家としての活動期間の長さが鏡花に似ている気がする。

 

・この説に異を唱えるつもりはないが、水底深くに鐘が沈んでいるとする沈鐘伝説は、日本各地にあり、その多くがヌシ伝承と関わっている。鏡花はハウプトマンの『沈鐘』を念頭に置きつつ、日本の沈鐘伝説を参照しながら、『夜叉ヶ池』を書いたのだろう。

 

じつは、日本の沈鐘伝説には、『夜叉ヶ池』のように封じ込めたヌシのために鐘を撞いていたとする例は、ほとんどない。やや似ているのは、福島県南会津郡只見町に伝わるヌシ(大亀)の話だ――むかし、怪我をしたヌシが若者に変身して寺を訪れ、住職に治療を願い出た。その際、「傷が癒えるまで鐘を撞かないでほしい」と懇願し、住職も承知したものの、お彼岸には鐘を鳴らさねばならず、約束を違えて撞いてしまった。すると、人が集まってきてしまい、醜い姿を見られるのを恥じたヌシは寺から姿を消した。とたんに、洪水が起こり、村を飲み込んでしまったという。この洪水は「白髭水」と呼ばれる。余談だが、べつの伝承では、洪水の前に白髭の翁が現れて危険を知らせ、村人を救ったとしている。こうした「白髭水」と呼ばれる洪水にまつわる話は東北各地に伝わっている。

 

・よく似た話が神奈川県相模原市や、津久井郡津久井町(現在の相模原市)、茅ヶ崎市などにも伝わっていて、鐘池、鐘沢、鐘ヶ淵などの地名由来譚となっている。千葉県神崎町には、利根川を往来する舟が、沈んでいる鐘の上を通ると、ひっくり返されるという伝承がある。舟で鐘を運ぶときにも、水中に引き込まれないように箱を入れなければいけないともいう。

 川ではなく、海に鐘が沈んだとするのは、福岡県宗像郡玄海町(現在の宗像市)に伝わる鐘崎の由来伝説である。海上を航行していた船が、積み荷の梵鐘を欲した龍神に沈められたことから、この地名がついたという。

 

・変わっているのは、福井県鯖江市の鐘ヶ窪の由来で、何と、地中に鐘が沈んだという。いまでもその穴が残っているそうだ。富山県魚津市にも同様の伝説があり、耳を澄ませると地底から鐘の鳴る音がするとのこと。

 

・ヌシから鐘をプレゼントされた話も伝わっている。茨城県石岡市国分寺にある雄鐘と雌鐘は、むかし、海上にぽっかりと浮かんでいるのを漁師が見つけて、寄進したのだという。釣鐘が水に浮くはずがない、だからこれは竜宮からの贈り物だということになった。同じく茨城県古河市の釣鐘沼も、竜宮から贈られた鐘に鐘に由来するそうだ。この釣鐘は泳ぐ人を次々と水中に引き込んだというから怖ろしい。

 

・ヌシと鐘の縁の深さを証するのは、富山県新川郡朝日町に伝わる話で、同町にある天香寺の釣鐘は、大蛇の化身だという。また、富山県高岡市には、寺の釣鐘がべつの寺に移動した話もある。これなども、ヌシが鐘になる話、ヌシが引っ越しをする話を念頭に置かれなければ、何のことやらわからない。

 

・『夜叉ヶ池』に類するのは、滋賀県蒲生郡竜王町に伝わる三井寺の鐘の伝説である。人間の男性と結ばれた大蛇が、正体がばれて別れたのち、子どもを養うために自分の目玉をくり抜いて舐めさせたという話で、以来、鐘を鳴らして時刻を教えてくれるよう頼んだという。童話『龍の子太郎』に通ずるモチーフだ。龍・大蛇と鐘をめぐる物語といえば、能や歌舞伎で人気を博した道成寺説話があり、ヌシ伝承とはいいがたいが、関連は見いだせる。

 

現代のヌシ

未確認動物とヌシ

・最後に、現代のヌシについて考えて、本書の一応のまとめとしたい。まずは、未確認動物伝承とヌシの関係について。

 未確認動物とは、ネッシーや雪男(イエティ)のような、目撃情報はあるものの、いまだ存在が確認されていない動物のことである。ここで前提になるのは、地球上のすべての動物がすでに確認されている、もしくは、確認されるであろうという認識があること。人知が世界を掌握した時代の発想で、近代になって生成した、近代以前から、奇妙な動物の話はあったが、この認識がなければ、未確認動物とは言えない。日本では、1970年代のオカルトブームのなかで、未確認動物が話題になった。

 わたしは、未確認動物も民俗学の研究対象になると思っているが、その際に重要なのは、いるかいないかの問題をカッコに入れて、伝承という観点からこれを扱うことである。「カッコに入れる」というのは否定することではない。方法的に思考を停止させることである。実際にネッシーや雪男などがいるかどうかはさておき、その存在を信じる人はいまもむかしも一定数いる。その人たちの心意や、信じることによって生ずるさまざまな社会現象は十分に研究の意義がある。ネッシー伝承、雪男伝承の研究である。幽霊や妖怪、UFOなどを研究するときにも、対象を伝承と捉え、存否の問題を「カッコに入れる」思考方式が重要になる。

 

陸棲の未確認動物では、広島県比婆郡(現在の庄原市)の山中に現れたヒバゴンが有名で、やはり1970年代に話題になった。これもこじつければ、陸棲のヌシである大猿(狒々、猩々など)や、山男(半人半獣の怪物)の末裔といえなくもないが、直接的な伝承関係を見いだすのはやはり難しい。ヒバゴンはヌシの末裔と見るよりも、ヒマラヤの雪男や北米のビッグフットなど、類人猿型の未確認動物の日本版と見るべきだろう。

 

・というように、未確認動物伝承とヌシ伝承は、重なるようで重ならない。そうしたなかで、しれっと、ヌシから未確認動物へと変貌したものもいる。やはり1970年代にブームになって、いまでも捜索が続けられているツチノコである。

 

・そして、蛇の妖怪としてのツチノコの場合、原資料には、はっきり「ツチノコは山のヌシ」と書いてあるものがある。ヌシになる蛇に身体的な特徴があることは再三指摘してきたが、身体が短いとか欠損しているというのも、そのひとつなのである。だから、幻の蛇ツチノコの生態とされているものをよく見ると、ヌシ/大蛇の特徴に通ずるものが多い。

 

怪獣とヌシ

・要するに、領域侵犯をした人類にたいする警告で、ここにヌシの発想が見られる。宇宙は、20世紀に見いだされた新たなヌシの棲みかだった。留意すべきは二点。ひとつは、ヌシが警告する相手が、地球人類全体となっていること。宇宙時代になって、話もスケールアップしたのだ。もうひとつは、ナメゴンそのものはヌシではないこと。この場合、劇中に一度も姿を現さない宇宙人こそがヌシで、ナメゴンはミサキ(神の使い)の立ち位置にある。

 この宇宙怪獣と宇宙人の関係性は、その後のウルトラシリーズでも踏襲されており、「ウルトラQ」でいえば、第21話「宇宙指令M774」で初めて見られる。

 

ダム湖にヌシは棲むか

・井戸にもヌシが棲む。ただ、注意しなければならないのは、ここで言う「井戸」が、こんにちの人々が連想する、釣瓶(つるべ)の設置された「竪堀井戸」に限らないということである。

柳田國男監修の『民俗学辞典』に「井というのは、本来は水のとどまるところを指した言葉であって、以前は流れ川を堰き溜めて、水を一処に定止させておくのが普通であったらしい」とあるように、もとは、もっと広い意味で使われていた言葉だった。同辞典では、井戸を「イケ」とか「カワ」と呼ぶ方言も紹介している。池や堀と違って、日常生活で使うものだが、灰屋や廃城の井戸などは使う人もいないままに朽ち果てていて、ヌシが棲むのに格好のロケーションとなっている。

 

里山とヌシ

・あらためて考えてみよう。ダム湖にはヌシが棲むだろうか。さらにいえば、浄水場や貯水池にヌシは棲むだろうか。江戸市中の井戸の多くは地下水を汲み上げたものではなく、近隣の河川から水を引いた水道によるものだった。この延長線上に、現代の水道がある。水道水を汲み上げた井戸にヌシが出るなら、ダムや浄水場、貯水池にヌシが出てもいいのではないか。

 そもそも、ダム建設をめぐるヌシと人間の関係は、従来の伝承の論理から考えて、奇妙なものだった。

 

・人間がヌシの棲みかを破壊した話はこれまでもあった。そうした場合、ヌシは容赦なく祟る。祟りが個人を超えて村落全体に及ぶこともあり、ヌシが洪水を起こし、一村まるごと押し流したケースもある。しかし、ダム建設の場合は、人間が、ヌシの棲みかもろとも、人間の住みかをも破壊するのだ。それもヌシの管轄であるはずの水によって。

 

環境省は「里地里山とは、奥山と都市の中間に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原等で構成される地域概念」と定義したうえで、「さまざまな人間の働きかけを通じてその自然環境が形成・維持されてきました」としている。ながらく里山研究をしてきた養父志乃夫は、里山は「ヒトだけのものではなく、多様な動植物の暮らしの場であり、食物連鎖を基軸とする生態系を育んできた」と記している。

 

里山は、環境問題を論ずる際のキーワードとなり、さらには「里山資本主義」を「マネー資本主義」と対比させるように、文明社会への警鐘の意味をも帯びるようになっている。

 

ヌシの棲みかは奥山にあることが多い。そして、これまで紹介して話が示すように、奥山にくらべると数は少ないものの、里山にもヌシは棲んでいる。