(2022/3/1)
『世界怪異伝説事典』
朝里樹 、えいとえふ 笠間書院 2021/12/22
・伝説とは「ある時代、ある場所で起きた」と人々によって語り継がれ、記録され、そして信じられてきた物語です。怪異とは、不思議なこと、妖しいこと、を指します。また、そういった存在を指す言葉としても、最近は使われています。
<欧州>
<アイルランド>
<伝説の異界・常若の国>
・古代アイルランド人は、この世のどこかに「常若の国」があると信じていた。この異界では、歳をとることはなく、病気にもかからず、魔法使いや怪物たちが暮らしている。この国に行った若い恋人たちの伝説がある。
アイルランドの若者オシーンは、英雄フィン・マク・クィルの息子である。
・ある日、狩りに出かけた時、立派な白馬に乗った美しい女性に出会った。その女性はニアヴ・キン・オイルという名前で、伝説の常若の国の王女だった。恋に落ちた若い二人は、ニアヴの白馬に乗って常若の国へ向かうと、そこで長い間幸せに暮らした。
やがて、オシーンは故郷の様子が気になり、ニアヴは白馬を貸し、国に着いても絶対に馬から降りないように、と忠告した。オシーンは了解して白馬に乗り、アイルランドに辿り着いたが、故郷はすっかり様変わりしているばかりか、知り合いはみな死んでいた。
オシーンは、若者たちが巨大な岩を持ち上げようとしているところを通りかかり、手伝おうとうっかり馬から降りてしまった。すると両足が地面に着いた途端、オシーンはたちまち年老いた。アイルランドでは、常若の国で過ごしていた時間よりもはるかに長い時間が過ぎていたのだ。オシーンは二度と常若の国へは戻れないと悟り、死んでしまった。
オシーンの運命は、日本の浦島伝説を思わせる。
<イギリス>
<音楽霊媒師ブラウン夫人>
・ロンドンに住むイギリス人の主婦のもとに、フランツ・リストをはじめとする大作曲家たちの霊が現れ、自分たちの「新曲」を次々に口述筆記させていく。にわかには信じがたい話だが、1960年代半ばから1980年頃まで実際にあった出来事とされ、BBCがブラウン夫人のドキュメンタリー番組も制作している。
ローズマリー・ブラウンのもとに音楽家が現れたのは、彼女が7歳の時。長い白髪を垂らして黒いガウンを着た霊が「あなたを音楽家にしてやろう」と告げたという。のちにその霊はフランツ・リストだったとわかる。その後、しばらくリストの霊は現れなかったが、1964年にふたたび彼女の前に現れると、ベートーベンやシューベルト、ショパン、バッハなどの作曲家たちの霊も現れて、次々に作曲を始めた。頭の中に洪水のように流れる音楽を、ブラウン夫人はせっせと書き取っていった。
夫人の曲は音楽評論家の間で評価が分かれたものの、曲調は各作曲家の作品とよく似ていたという。
・一説には、彼女に霊媒の力があり、一種のテレパシーで作曲家の未発表作品の譜面を読み取ったのではないかと言われている。ブラウン夫人は最後まで、音楽家たちの霊から受け取った作品だと主張していたという。
<古代エジプトから蘇った少女>
・ふとしたきっかけで前世を思い出すという感情を抱く人が世界中にいる。20世紀の前半、古代エジプト人から転生したとして話題になったイギリスの少女がいた。
1903年、ロンドンで生まれたドロシー・エディーは、3歳の時に階段から転落し、呼吸が止まって死の宣告を受ける。だが息を吹き返し、それ以来、自分の前世が古代エジプトの巫女であり、セティ1世というファラオの愛人だったことを知ったという。
・やがてエジプトに移住し、エジプト老古学調査の助手として働き、セティ1世の建てたアドビス神殿に「帰郷」したあと、神殿に住み着き生涯を終えた。
<二匹の竜を目撃した魔術師マーリン>
・世界でもっとも有名な魔術師のひとりが、ケルトの伝承に登場するマーリンだ。5世紀後半から6世紀にかけて、ブリテン島西南部で活躍したアーサー王やその父王ウーテル(ユーサ)を助けた大魔法使いで、ストーンヘンジの建設にも関わる。母親は、悪魔にかどわかされた南ウェールズの王の娘で、悪魔の子として生まれたマーリンは、強力な魔力や知識を受け継いだ。
・なお魔術師マーリンの実在や、伝説のモデルとなった人物を巡っては、6世紀に実在した詩人・占い師であったミルディン説、祈禱や占いを行うドルイド僧など諸説ある。
<レンデンシャムの森のUFO>
・サフォーク州にあるレンデルシャムという森で、1980年にUFOが目撃されている。森に入っていくUFOのような物体をアメリカ空軍の監視レーダーが探知し、地上からも上空で光る飛行物体が目撃されている。軍の隊員2名が森に探索に向かうと、黒いUFOを発見。その周囲は静電気のようなものが満ちていた。
<イタリア共和国>
<ヴォイニッチ手稿の謎>
・ヴォイニッチ手稿とは、発見されてから100年以上経つものの、いまだに誰も解読することができない世界最大の奇書のこと。
・1912年、ヴォイニッチは、イタリアのモンドラゴーネ寺院で不思議な手稿を見つけた。そこには見たことのない奇妙な文字や記号、地球上には存在しない植物の絵、裸婦の絵などが描かれていた。
ヴォイニッチが手稿の解読と研究を進めたところ、一緒に発見された書簡から、手稿は15世紀後半から16世紀頃に作られたこと、神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ2世が所有していたことなどがわかった。しかし、誰が何の目的で作ったのかまではわからなかった。
・今日に至るまで、この手稿を読み解けた者はいない。16世紀頃に活動したジョン・ディーややエドワード・ケリーといった有名な錬金術師による悪戯の書物ではないかという説もある。
現在、ヴォイニッチ手稿は、謎を秘めたままアメリカのイェール大学に保管され、誰でも解読に挑むことができるよう、全213ページをスキャンした画像がインタ―ネット上で無料公開されている。
<ウクライナ>
<キエフを築いた三兄弟>
・ウクライナの首都キエフにまつわる伝説。12世紀に編まれたロシア最古の年代記『過ぎし年月の物語(原初年代記』によると、5世紀末、スラブ人の有力部族ポリャーニン族がドニエプル川のほとりに、キィ、シチュク、ホレフの三兄弟と妹のルィビジが町を作ったという。6世紀から7世紀には、本格的な町が形成され、9世紀に成立したキエフ大公国の首都となった。これが現在のキエフの始まりであり、「キエフ」とは「キィの町」という意味だ。キエフ大公国が13世紀にモンゴル軍の侵攻で滅びるまで、キエフはロシアの中心地として栄えた。
<ひとつ目のアリマスポイ人>
・古代ギリシャの伝承やヘロドトスの『歴史』には、黄金を守る怪鳥グリュプス(グリフォン)と戦ったという一眼の巨人族アリマスポイ人が登場する。アリマスポイ人はユーラシア大陸のステップ地帯に住んでいたという。この地がカザフスタンの草原にあたるという説がある(ヨーロッパ北方、モンゴル高原という説もあり)。
スキタイ人の言葉で「アリマまたはアリ」が「一」、「スプーまたはマスポス」が「目」という意味だという。スキタイ人は、アリマスポイ人に攻められたイッセドネス人によって、さらに西へと追われた。そこでアリマスポイ人の存在がギリシャに伝わったようだ。
ちなみに、カザフスタン北東部の町カラガンダでは、約3000年前に建設されたというピラミッド遺跡が発見されている。アリマスポイ人がピラミッド建設に関わっていたのではないかとする説もある。
<ジョージア>
<人と暮らした獣人アルマス>
・アルマスとは、コーカサス地方で古くから目撃情報がある未確認生物だ。イエティやビッグフットなどと同様の獣人、猿人タイプである。体長は人間と変わらない1.5メートル~2メートルほどで、全身は赤茶色の毛で覆われている。足が速く、時速60キロほどのスピ―ドで走るという。人間のように言葉を使うという報告もある。
ロシアを中心に何千件もの目撃情報があるが、ジョージアにあるアブハジア自治共和国では、人とともに生活したというアルマスの記録が残っている。ソ連のボリス・ポルシェネフ博士の著書によると、19世紀末、アブハジアの山でアルマスと思われる特徴を備えた生物が捕獲されたという。村に連れてこられてアルマスは雌で、ザナと名づけられた。ザナは、村に来たばかりの頃は暴れることもあったというが、次第に村の生活になじんでいった。ザナの身体能力は高く、足は馬より速く、冬でも衣服を必要としなかったそうだ。そして人間の男と結婚し、4人の子を産んだと記されている。
その後、20世紀になって未確認生物研究家がこの村を訪れた。ザナの子とされる人物の墓を調査したところ、その子は現生人類のホモ・サピエンスではなく、ネアンデルタール人の特徴を備えていたという。
<ドイツ連邦共和国>
<カスパー・ハウザーの出生の秘密>
・1828年、ニュルンベルクで身元不明の少年が保護された。着ている服はボロボロで、足はふらつき、言葉をほとんど知らない10代半ばと見られる少年だった。彼は「カスパー・ハウザー」という名前だけを書くことができたという。野生児同然に育った彼の存在はドイツ国内でも話題となった。彼は一時的に監獄に入れられたが、連日、大勢の人がカスパーを見物するために訪れたという。しかし、カスパーは多くの見物人を気にもしていなかったそうだ。数ヶ月で言葉を覚えたカスパーによると、窓が板で打ちつけられた穴のような小さな暗い部屋で、水とパンだけを与えられて育ったという。
結局、カスパーは市に保護されることになった。地元の人々は彼の身元を明らかにしようと大いに関心を寄せたが、カスパーの両親は誰なのか、なぜ閉ざされた場所で育てられたのか、などの詳細が明らかになることはなかった。
翌年、カスパーが何者かに襲われる殺人未遂事件が発生した。1833年にふたたび襲われ、何者かに脇腹をナイフで刺され、死んでしまった。
・犯人は捕まらず、カスパーの死後は彼の正体ばかりが話題となった。ナポレオン1世やバーデン公カール・フレデリックといった高貴な身分の血を引いていた、地主に嫁ぐ娘の不義の子だったため存在を隠されたとする説なのだ。
<ナチスの闇資金>
・敗戦と同時にナチスも崩壊したが、ヒトラーや党の幹部たちが隠し持っていたとされる闇資金の行方は明らかになっていないものが多いという。
ヒトラーの資金は、南米に移動動されたとする説がある。1945年4月に死亡したヒトラーだが、自身も南米に逃亡したという噂がある(詳しくは、アルゼンチン共和国のヒトラーは南米で生きていた?の項目を参照)。それを裏づけるかのような事実がある。1997年にブラジルの中央銀行で開けられた金庫に、約5億円相当の金が入っていた。所有者が死亡したため、遺族が開示を求めたことで判明した。所有者は、大戦中にドイツから移住してきた男性。彼はナチスの南米への逃亡の協力者だったのではないかと言われている。
ナチスの全国宣伝部長だった幹部のゲッペルスも資金を隠していたのではないかという疑惑がある。
・ゲッペルスはヒトラーの後を追って自殺したため、真相は闇の中だ。
他にも、金塊を飛行機で輸送途中に撃墜されてアルプスの湖に沈んだ、海外へ輸送しようとしていたがドイツが敗戦したために大量の貴金属が湖に捨てられた。バチカンの金庫に預けられている、資金を載せたUボートが沈没した、などナチスの闇資金にまつわる噂は後を絶たない。これらの噂のごく一部であり、多くの可能性が指摘され続けている。
<ハーメルンの笛吹き男>
・中世のドイツで起きた、「ハーメルンの笛吹き男」で有名な、子どもたちの集団失踪事件。この事件はグリム兄弟によって童話にされ、現代まで広く知られる伝説となっているが、実際にあった事件がもとになっている。
1284年、ハーメルンの町に見慣れない一人の男が現れた。男はネズミ退治を生業にしており、笛を吹くと町じゅうのネズミがぞろぞろと集まった。そして笛の音に引き寄せられるようにネズミたちは男の後をついていき、川まで連れていかれて溺れ死んだという。男は報酬を求めたが、町の人々が支払いをしなかったため、怒って町を出て行った。
後日、帽子を被り、狩人の衣装を着た男がふたたびハーメルンの町にやってきた。男が笛を吹き始めると、どこからともなく町の子どもたちが集まった。子どもたちは男の笛の音に導かれて山に入っていき、わずかな子どもたちだけを残して130人が姿を消してしまった。行方不明となった子どもたちは帰ってくることはなく、前代未聞の失踪事件となった。
<フランス共和国>
<カルナック列石の謎>
・フランス北西部のブルターニュ地方にあるカルナックに、3000以上の石が約3キロにわたって並ぶ巨石記念物がある。カルナック列石と呼ばれるこの石たちは東西にまっすぐ並んでおり、一つの石が柱状に立った「立石(メンヒル)」や、複数の石で巨大な石を支えた「支石墓(ドルメン)」などで構成されている。
<死の舞踏とストラスブールの舞踏病>
・14世紀にヨーロッパでペスト(黒死病)が流行した際、ペストが蔓延した地域では、人々が踊り狂うという事象があった。これは「死の舞踏」と呼ばれ、死の恐怖に陥った人々が集団ヒステリーに陥るせいと言われている。15世紀になるとペストに対するお祓いの行事になっていったそうだ。
1581年には、フランス北東部、ドイツとの国境近くにあるストラスプールで「死の舞踏」にまつわる事件が起きている。ある日、一人の女性が突然、道で踊り出した。すると踊りに参加する人が加わり、1ヶ月後には400人ほどになったという。役人が止めようとしても人々の踊りは止まらず、飲まず食わずで踊り続けた結果、100人が心臓発作や過労で亡くなってしまったそうだ。
<不死身のサンジェルマン伯爵>
・18世紀のフランス、パリの社交界を中心にヨーロッパの宮廷社会に彗星の如く現れ、時空を超えるタイムトラベラーとして噂された男がいる。不老不死を自称するサンジェルマン伯爵である。
サンジェルマンが初めて歴史に登場するのは、1710年頃のベネチアである。フランスのフォン・ゲルギー伯爵夫人が伯爵に会った際、彼は50歳前後に見えたという。それから40年後の1750年頃、サンジェルマン伯爵はパリの社交界に颯爽と現れ、上流階級の人々に注目されるようになったが、伯爵の外見は不思議と40年前と同じ50歳前後だった。
・サンジェルマン伯爵は、黒のベルベットの服に身を包み、白のサテンのネクタイを結んだ小柄な男だった。物腰は洗練を極め、多言語を操り、医学や音楽、絵画、化学、文学など豊かな知識と教養をもち、金持ちで、カリスマ性を兼ね備えており、多くの召使いを従えていた。自らを300歳とも4000歳とも言い、イエス・キリストやシバの女王に会ったこともあると述べていた。
イタリアの冒険家、作家のカサノヴァも、サンジェルマンと直接言葉を交わした人物である。その著書『回想録』にその時の体験談を次のように書き記している。
「この奇妙な男は万能薬の製法に精通しており、森羅万象を自分の意のままに動かすことができ、ダイヤモンドを溶かせるなどと語った。厚かましい山師だと思ったが、不思議と不愉快な気持ちにはさせられなかった」
・1748年には、フランス国王ルイ15世に謁見して傷ひとつないダイヤを献上し、1774年にはルイ16世とマリー・アントワネットに謁見し、夫婦の不幸な未来を予言したとも言われている。1784年にドイツで死去したと言われているが、死後もサンジェルマンと会ったという噂が絶えない。外見は当時と変わらない50歳前後のまま、フランスのナポレオン、英国の首相チャーチルと会談したという噂もあった。まさに時を超えて存在していたとしか思えないサンジェルマン伯爵。彼は今も、世界のどこかを旅しているかもしれない。
<ルルドの泉>
・ピレネー山脈の麓にある小さな町ルルドにある、奇跡の泉の伝説。1858年、ルルドに住む貧しい少女ベルナデッドが、洞窟の近くで薪拾いをしている時に白い服をまとった美しい貴婦人に遭遇する。貴婦人はベルナデッドに前に何度も現れ、ある日、貴婦人の導きで地面を掘ると泉が湧き出たという。発見された泉の水に触れた人の病が治るという奇跡が起き、「奇跡の泉」としてヨーロッパ中に知られることとなる。かの貴婦人は聖母マリアであるとされ、洞窟には大聖堂が造られ、入口にはマリア像が建てられた。
カトリックの聖地とされ、毎年、500万人もの人々が奇跡を求めて世界各地から訪れている。
<メジュゴリエの聖母>
・ボスニア・ヘルツェゴビナの南部の山間にある、メジュゴリエという小さな町で起きた聖母マリアにまつわる伝説。1980年代から、この町には聖母マリアが現れるという奇跡が起きているという。1981年、地元の若者たちが丘を歩いていると、聖母マリアを目撃した。以降、目撃談が相次いだため、噂は町の外にも広まる。そして、多くのカトリック教徒がメジュゴリエに巡礼するようになった。現在では、人口数千人の小さな町に年間200万人の信者が訪れるという。
ただし、メジュゴリエの聖母の出現については、バチカンのローマ法王庁が調査は進めているものの公式には認めておらず、現時点では議論が続いているという。
<ポルトガル共和国>
<ファティマの聖母の奇跡>
・1917年5月13日、ポルトガルの首都リスボンの北東110キロほどのところにあるファティマという小さな村で、3人の子どもが謎の貴婦人を目撃した。
正午頃、子どもたちがコーバ・ダ・イリアという丘で羊の世話をしていると、突然稲妻の光とともに強い嵐が起きた。そして、柊の木の近くに、まばゆい光に包まれた貴婦人が現れた。
・ファティマには1953年に聖堂が建てられ、ローマ・カトリックの聖地として毎月13日に巡礼者が訪れるようになった。特に5月と10月は、多くの巡礼者が集まるという。
<ロシア連邦>
<永久凍土から蘇った太古のウイルス>
・天然痘は長らく人類を苦しめてきた感染力の強い伝染病だが、1980年に、WHOによって根絶が宣言された。しかし、2014年、シベリアの永久凍土の奥深くから、3万年以上前の新種のウイルスが発見された。ロシアとフランスの研究チームが発表したもので、全長0.6ミクロンの巨大ウイルスで、「ピソウイルス・シベリクム」と名づけられた。
研究の結果、人体には無害だとされたが、ピソウイルスの増殖過程は、天然痘ウイルスと似ていたという。研究チームは、氷の中には人体に有害なウイルスが眠っている可能性があると指摘する。このまま地球の温暖化が進めば、太古のウイルスが復活するかもしれないのだ。
<ディアトロフの9人怪死事件>
・1959年にソ連(現在のロシア)のウラル山脈で、男女9名が謎の死を遂げた事件が起きた。
大学生のイーゴリ・ディアトロフをリーダーとする若者9名は、スキーをするために雪山に入り、消息不明となる。その後の捜索で5名が遺体で発見され、数ヶ月後に残る4名の遺体も発見される。彼らはホラート・シャフイル(現地のマシン語で「死の山」という意味)の斜面にテントを張っていたが、発見時のテントは内側から裂かれていた。遺体の
状態は不可解な点が多かった。衣服を脱いでいた、頭蓋骨や肋骨が押しつぶされたように折れていた、眼球や舌がなかった、遺体に放射能汚染が見られた、などである。
彼らに何が起きたのかは進展がないまま、突如、捜査は中止される。多くの謎を残したこの事件の現場はリーダーの名前にちなんで「ディアトロフ峠」と呼ばれている。彼らの死因については様々な憶測、陰謀論が生まれ、遺品のカメラのフィルムに発行体が写っていたことから、UFOによるものだとする説も浮上した。当初は雪崩の起きにくい場所だとされていたが、近年の研究によると雪崩によって遺体が損傷したとする意見もある。
<北米>
<アメリカ合衆国>
・世界最大の秘密結社フリーメイソンは、中世時代の石工の職人組合を起源とし、18世紀初頭にイギリスで結成された平和人道主義を掲げた謎の組織。実はアメリカ独立の陰で、フリーメイソンが暗躍していたという説がある。
・また、アメリカ建国の背後にフリーメイソンの存在を暗示するものが、いくつも残されている。たとえば、ホワイトハウスの設計者も会員であり、アメリカのシンボルである自由の女神には、当初「フランスのフリーメイソンがアメリカの独立を記念してメイソンの同胞に送った」と書かれた石碑が添えられていた。1ドル紙幣にはフリーメイソンのシンボルである「全能の目」や「MASON」の文字列などが暗号として隠されているという説も有名な話である。今や世界の中枢に存在する超大国アメリカは、実はフリーメイソンのよって動かされているかもしれない。
<エリア51の異星人>
・1990年、オハイオ州のライト・パターソン空軍基地のエンジニアのビル・ユーハウスが、テレビのドキュメンタリー番組で、次のように発言した。自分は1958年から1988年にかけて、エリア21の地下サイト4で、空飛ぶ円盤をシミュレータ装置開発を手伝っていた。その飛行訓練のリーダーを務めていたのが、J=ロッドと呼ばれる異星人だったというのだ。
J=ロッドは身長150センチほど、灰色の肌で、真っ黒なアーモンド型の目をしていて、J=ロッドとの会話はすべてテレパシーで行われていた。J=ロッドの存在を証言する人物は他にもいて、同じくエリア51の元職員の微生物学者ダン・バーリッシュ博士だ。博士はJ=ロッドから細胞を採取し、DNAの分析を行ったそうだ。異星人と人間のDNAをかけ合わせてハイブリッド種を作る計画まで行われていたというが、真相は不明のままだ。
<エリア51の秘密>
・エリア51は、アメリカ、ネバダ州のネバダ砂漠の最深部にある、地下の空軍基地である。1955年に建設され、衛星写真では存在が確認されているものの、2012年まで政府はエリア51の存在を認めようとせず、地図にも記載されなかったことから、一切が謎に包まれていた。そのため、これまで様々な噂が囁かれている。
・UFOなど別世界の物質を保管する「18番格納庫」という倉庫がどこかに存在し、エリア51こそが、18番格納庫だと主張する説もある。
・1989年には、科学者ボブ・ラザールが、エリア51の関連施設で、捕獲したUFOの分解を行い、基地内に異星人がいると証言した。他の元職員も異星人の存在を認め、その名前はJ=ロッドであると証言している。
大きな騒動になったが、2013年、CIAは、エリア51が空軍基地や秘密兵器の開発実験施設であると正式に発表。ネバダ州内の所在地を記した地図も公表した。文書によればCIAの実験場として使われていたというが、UFOや宇宙人が隠されているという陰謀説は今も尽きない。
<ケネディと金星人>
・1963年11月22日、テキサス州のダラス市内を遊説中、凶弾に頭を撃たれて死亡したジョン・F・ケネディ大統領。この時、ケネディ大統領の遺体のポケットから血染めのメモが発見され、2005年2月にインタ―ネット上でその内容が公開された。パレード後に行う予定だった演説のメモで、大統領の遺体を検視した医師が隠しもっていたという。その内容は、地球外生命体の存在を認めたうえで、共存を訴えるというものだった。証拠となる演説メモの実物は公開されていない。
実は、ケネディ大統領は以前から宇宙や地球外生命体に深い関心があった。1962年3月には、『空飛ぶ円盤実見記』というUFOや異星人との遭遇記録の著者であるジョージ・アダムスキーに頼み、数時間にわたって金星人と会談したという噂まである。公的な記録や資料は残されていないものの、もしケネディ大統領が生きていたら、地球外生命体との交流が頻繁に行われる世界になっていたかもしれない。
<正体不明のガイドストーン>
・1979年6月、ジョージア州にあるエルバート・グラナイト・フィニッシング社に、R・C・クリスチャンと名乗る白髪の紳士が突如現れた。「忠実なアメリカ人の小さなグループ」の代表と名乗るクリスチャンは、莫大な資金をもって、巨大な花崗岩のモニュメントを立てることを依頼したのだ。
・その後、1980年に完成したモニュメントの高さは約6メートル。5枚の巨大な石板の上に、6枚目の石板を支えて立っている。石板には英語やロシア語、中国語、アラビア語などの8つの言語で、人類発展のための「10の戒め」という不可解な文言が刻まれ、冠石にはエジプトの象形文字などで「ガイドストーン」と彫られていた。
・モニュメントに刻まれた10の戒めには「人口5億人以下を維持すること」という主張があり、なんらかの組織が、新世界秩序を打ち立てようと目論んでいるのではないかなど、様々な憶測だけが残され、モニュメントは今も、ジョージア州の小高い丘に立っている。
<精霊が作ったシャスタ山>
・アメリカの西海岸沿い、カリフォルニア州のカスケード山脈南部にあるシャスタ山は、標高4000メートルを超える聖なる山。
・シャスタ族の神話によれば、天に住む「偉大な精霊」によって世界で初めて作られた山で、精霊が天に穴を開けて雪や氷を地上に落として山を作り出した。そして山を踏み台にして地上に降りてきて、樹木を生み、太陽に命じて雪を溶かし、川を作った。さらに木に息をかけると、小さな枝が小鳥に、大きな枝は動物に、折った小枝は魚に変わった。
・この山を聖なる山と考える人々は多く、ウィントゥ族はシャスタ山の精霊に舞を捧げ、山から湧き出す泉が途切れないように祈りを捧げるという。また、山頂ではレンズ雲や変わった雲がよく現れることから、山から地球のエネルギーが放出されている、山頂には理想郷がある、山の下に地底王国レムリアがある、UFOがよく出没する、別世界への入り口がどこかにあるなどの噂もあり、多くの人々がこの聖なる山に惹きつけられている。
<日航機UFO遭遇事件>
・1986年11月17日、日本航空の特別貨物船ボーイング747ジャンボ機が、アメリカのアラスカ州上空で巨大な「宇宙母艦」と遭遇。約50分にわたり、機長や搭乗員全員が目撃したというUFO事件が勃発した。
・機長の寺内謙寿によれば、始めは二つの物体が前方を飛び回り、急速度でボーイングに接近し、真昼のように明るい光を発したあと、並走するように飛行を始めた。この時、管制塔にレーダーの反応はなかった。その後、二つの物体はふたたび機体前方へ移動して飛び去ったが、ボーイングがアラスカ上空に差しかかった頃、二つの航空母船を重ね合わせたような超巨大な謎の物体が現れた。管制塔のレーダーもキャッチし、ボーイングは管制塔からの指示で旋回を試みたが、謎の物体はボーイングの後方にピタリとついて離れず、空港が見えたところで姿を消したそうだ。
<モーリー島のメン・イン・ブラック>
・1947年6月、ワシントン州のモーリー島で、ハロルド・ダールという男性が、息子、二人の乗組員、愛犬とともにモーリー島沖で流木を探していた。突如、金属製の飛行物体が空中から6体現れ、頭上を音もなく飛んでいったという。その飛行物体はドーナツ型の円盤で、側面には窓がびっしり並んでいた。6体のうち一体は故障したようにふらつきながら飛行し、別の一体に接触して船の真上で爆発した。破片の大半は湾内に落ちたが、一部は海岸に落下したため、ダールは白くて軽い金属片を持ち帰ったそうだ。
その翌日の朝、自宅に謎の黒ずくめの男たちが現れ、近くの食堂に誘われたという。そして昨日見たことは他言してはならないと忠告された。男たちの様子から身の危険を感じたダールは、目撃証言を一度は撤回したものの、のちに真実を公開したという。
この男たちはメン・イン・ブラック(MIB)と呼ばれる男たちである可能性が高い。UFO目撃者に近づき、これ以上深入りすることを警告する黒ずくめの男たちである。MIBの噂は1940年代末から広がり始め、その正体は政府の要員とも、地球人の格好をした宇宙人とも噂されている。
<UFO事件簿>
・UFOが世界中で目撃され始めたのは、第2次世界大戦後以降と言われている。特にアメリカ西部は、有名なロズウェルやエリア21などUFOにまつわる場所が多く、「UFO発祥の地」とも呼ばれている。
◎ケネス・アーノルド事件
UFO=空飛ぶ円盤というイメージを定着させた事件。1947年6月、アメリカ人の実業家ケネス・アーノルドが、ワシントン州レーニア山付近の上空で、三日月型の九つの飛行物体を目撃した。
◎ジョージ・アダムスキー
UFOや宇宙人と遭遇した人のことをコンタクティと呼ぶが、もっとも有名なコンタクティがジョージ・アダムスキーだろう。
・UFOは自分を探しに来たに違いないと思った彼は、単独で金星人オーソンと対面する。アダムスキーはオーソンと交流を深めることに成功したという。
・彼は生涯にわたって25回、宇宙人とのコンタクトに成功したと言われている。ローマ教皇ヨハネ23世らに支援されるなど、世界で活躍するコンタクティだった。
◎ヒル夫妻誘拐事件
1961年9月、ニューハンプシャー州で起こった、人類史上初の宇宙人による誘拐事件。バーニーとベティという夫妻がドライブ中、巨大なUFOに遭遇。そこから記憶を失ってしまうが、二人はUFOに拉致されて人体実験をされていたことが、のちの逆行催眠によりわかった。このようにUFOや宇宙人に誘拐される現象を「アブダクション」と呼ぶ。
◎イーグルリヴァー接近遭遇事件
1961年4月、ウィスコンシン州のイーグルリヴァーで起きた奇妙な事件。ジョー・シモントンという男性の自宅の裏庭にUFOが降り立ち、中から出てきた宇宙人が水差しを出して水を求めるジェスチャーをした。ジョーが水を入れてやると、宇宙人はパンケーキを三枚くれて飛び去ったという。
◎フェニックス・ライト事件
1997年3月、アリゾナ州で起こったUFO目撃事件。フェニックスおよび周辺地域の上空に、全長1キロ以上とされる巨大なV字シェイプの物体が出現。目撃者によれば、音もなくゆっくりと飛行して消えていったという。住人の1万人以上や地元警察も目撃したことで、騒動になった。
<UFOは実在する? 「未確認航空現象」>
・2021年6月、アメリカの情報機関が、未確認飛行物体(UFO)に関する報告書を公表した。2004年から2021年までの18年間、アメリカ海軍などから報告された144件の調査報告書である。宇宙人やUFOといった言葉は使われていないが、「未確認航空現象(UAP)」という単語で不思議な飛行物体を表現している。このうち、物体の正体を特定できたものはわずか1件(しぼんだ巨大気球だった)だけで、残りはすべて未解明とされた。
これまでアメリカ政府は、軍の空域内で謎めいた飛行物体の目撃情報があっても、ほぼ黙殺してきたが、近年、UFOの実在を認めるような動きを見せている。
<リアル幽霊ライター>
・死者の霊が生きた人間を通して文章を記すことを「自動筆記」という。
20世紀初めに、自動筆記で執筆したことで話題になったJ・H・カラン夫人という小説家がいる。
1913年、アメリカのミズーリ州に住むカラン夫人が知人と交霊術の会に出て、ヴィジャ盤を行ったところ、ペーシェンス・ワースという女性の霊が降臨した。ワースは17世紀にイギリスのドーセットで生まれたことや、その生涯についてを語った。交霊術の会を重ねるうちにワースは様々な歴史小説を口述し始めたので、カラン夫人がそれを書き留めて出版した。彼女の小説は評論家から高い支持を得ただけでなく、自動筆記であることが広まり、大きな話題になった。
・学者でもなく歴史に関する知識も乏しかったカラン夫人が、文学作品を発表し続けることができたのは、ペーシェンス・ワースという文字通りのゴーストライターのおかげだと信じている人は多い。カラン夫人は25年のうちに6つの小説、数百ページの詩篇などを残した。代表作『テルカ』は、中世イングランドを舞台に17世紀の中世英語で書かれているが、カラン夫人は中世英語を学んだことは一度もなかったと言われている。
<レッドロックの聖なる地セドナ>
・地球温暖化から強烈なエネルギーが噴き出す場所を「ボルテックス(渦)」という。アリゾナ州中北部にあるセドナは、古来、先住民の聖地とされており、大地や先祖のエネルギーが噴出する場所として聖なる儀式が行われていた。ハパスパイ族が10世紀から11世紀頃まで住んでいたが、現在は世界屈指のパワースポットとして人気を博している。
・また、セドナは昔からUFOも頻繁に目撃されている地で、2012年1月には、緑色の巨大飛行物体が、南からナバホ・ホピ保留地へ向かって飛び去っていくところをカメラでとらえられた。特にベルロック上空での目撃情報が多く、日中にはレンズ雲が山頂に見られるが、これは宇宙船が大気圏に突入することで発生している、とも言われている。
<ロズウェル事件>
・ニューメキシコ州の南東にあるロズウェルは、1947年の事件を境に、UFOの町として一躍有名になった。ある日、突然謎の飛行物体が墜落し、それがUFOではないかと騒がれたのだ。UFO論争の元祖ともいえる事件であり、その議論は現在まで続いている。
◎UFO墜落事件
1947年7月2日の数日前からロズウェル上空で空飛ぶ物体が目撃されていた。その日は嵐で、突然大きな衝突音が鳴り響いたという。翌日、付近の砂漠に墜落したと思われる銀色の物体が発見され、アメリカ軍によって回収された。
◎宇宙人解剖実験
軍が宇宙人の死体を回収したとする説を裏づける証言がある。墜落事件から数週間後、空軍に所属する看護師が宇宙人の解剖実験に参加したと証言したのだ。
◎ロズウェルの聖杯
空から落ちてきた物体は、大半が小さな破片だった。銀紙のような物体で、軽くて薄いが硬かったそうだ。表面に奇妙な文字が彫られているものもあったという。いずれも軍によると気球の素材の一部であり、UFOのものではないと否定されている。
<北米全域>
<獣人ビッグフット>
・アメリカやカナダの山で目撃されているのが、獣人ビッグフットだ。カナダではサスカッチと呼ばれている。1810年、オレゴン州旅行中の男性がコロンビア川の近くで約40センチの大きな足跡を発見したのが最古の記録。1967年には、ロジャー・パターソンが動くビッグフットの動画撮影に成功している。この映像は「パターソンフィルム」と呼ばれ、真偽についての論争も含めて世界中で話題となった。未確認生物の中でも有名で、これまでに2000件以上の目撃情報があるという。
体長は2~3メートル、体重は200~400キロと巨大で、体中が毛で覆われている。直立2足歩行をしており、35~45センチの足跡が発見されている。ビッグフットの正体は、ヒマラヤ山脈で目撃情報のあるイエティと同様に、絶滅した類人猿ギガントピテクスの生き残りとする説が有力だ。