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「自民党とは何か」。この問いに対する私の当座の答えは「強者をのみ込むブラックホール」である。(1)

 

 

(2023/11/1)

 

 

自民党の魔力』

権力と執念のキメラ  自民党はなぜ勝ち続けるのか?

蔵前勝久  朝日新聞出版  2022/7/13

 

 

 

自民党とは何か? 強者をのみ込むブラックホールか?

自民党所属の政治家は、数字上は、国会議員より圧倒的に地方議員の方が多い。「官邸主導」の第2次安倍政権以降はトップダウン組織に見えるが、地方ではボトムアップの側面がいまだ強い。

 

「一番強いやつが自民党

・永田町の国会議員や秘書、霞が関の官僚たちからよく聞くのは「自民党は『右』から『左』までいる鵺(ぬえ)のようなもの」である。鵺とは、顔は猿、胴はタヌキ、尾っぽはヘビ、手足は虎、声はトラツグミに似ているという謎の妖怪のことだ。そこから転じて、素性がよく分からない、得体の知れない、正体不明のうさんくさいなどの意味で使われる。

 ギリシャ神話でいえば、キメラだろうか。ライオンの頭、ヤギの胴、ヘビの尾を持った怪獣のことだ。そこから転じて、遺伝子の異なる細胞を一つの体にあわせもつ生物のことをいう

 

・そんな中、得心した答えは「その土地で一番強いやつが自民党なんだ」というものだった。

 

白いまち針、ピンクのまち針、赤いまち針

「一番強いやつが自民党」という答えは、蔵内氏自身の経験から導き出されている。

 

・回れど回れど、ピンクは増えたが、なかなか赤(支持者)には変わらない。

 

自民党を牛耳る」という執念を結実

・赤いまち針(支持者)が増え始めたのは、落選から3年半が経った頃だった。

 

選挙に強いことが最低条件

強くなければ自民党に仲間入りできず、自民党を牛耳ろうと思えば、力をつけなければならない。そのために党内で切磋琢磨する。自民党は戦いに勝って、勝ち続けるために戦う強者たちの集まりである。「良い悪い」「好き嫌い」は別にして、自民党は強いのである。

自民党とは何か」。この問いに対する私の当座の答えは「強者をのみ込むブラックホール」である

 強者とは、人を惹きつける、何らかの力を持つ人物である。政治家で言えば、選挙に強いことが最低条件だ

 

肩書きはなくとも、人望のあるインフォーマルなリーダーも含んでいる。俗な言い方をすれば、「面倒見のいい、ひとたらし」ということだろう。

 

自民党に所属する政治家は、数字上は、国会議員よりも圧倒的に地方議員の方が多い。

 

自民党の地方議員たち

圧倒的に数が多いのは地方議員

・「無所属の市町村議の少なくとも半分は自民党員である」という仮説は、大きくは外れていないのではないか。

 

「安倍1強」下の自民党共産党だったのか

・なぜ、異論が許されない空気ができていたのか。

 

自民党総裁として12年末に政権奪還を成し遂げた安倍首相は、中堅、ベテランにとっては与党に返り咲かせてくれた「恩人」だった。

 

・安倍首相はその後も国政選挙で連勝した。選挙で勝てるリーダーに対する批判をタブー視する空気は強まり、安倍氏の意向に沿うような考え方だけが党内で「正論」とされるようになったことで、異論が消えていった。

 

・「イデオロギー政党は内側に対しては自由な論争や試行錯誤を許容せずに硬直化し、外側に対してはこのイデオロギーを強引に押しつけようとして圧政を加える」

 

党内の「多様性」を保つ地方議員たち

・香山氏は論文で自民党について「人間関係中心主義の非イデオロギー政党と言うべき独自の特質を持った日本型政党」と位置づけ、その特徴について、こう書いた。「ありとあらゆる多様な立場を最大限に包容することのできる、幅広い、寛容な組織となることができる。党員がどのような思想、信条、信仰を持とうが、それは各人の自由に属する問題であって、党は決してその内面にまで立ち入ろうとはしない」組織原理はあくまで人間関係」。

 

・先に見たように、安倍自民党は「人間関係中心主義の非イデオロギー政党」から変質したようであり、「多様な立場を最大限に包容することのできる、幅広い、寛容な組織」からかけ離れていた。しかし、地方議員にまで視野を広げると、自民党は「人間関係中心主義の非イデオロギー政党」であり、「多様な立場を最大限に包容することのできる、幅広い、寛容な組織」であると言える。

 

「外からポッと来た候補者が国会議員に」

・「『政治改革』の柱として小選挙区制度が導入されてから20年余になります。この制度は政権交代を可能にする制度として受け入れられてきましたが、4割台の得票率で7割台の議席獲得が可能になるなど、民意と議席数に大きな乖離が生じる問題があり有権者の政治離れなど政治の劣化を招いているといえます」

 

「ノルマ未達成は落選」の脅し

・ただ、「安倍チルドレン」が当選回数を重ねるにつれ、地方からの不満は減りつつある。党関係者によると、国会議員に党員獲得のノルマを課し、未達成者へのペナルティーが次第に強められたことで、国会議員も党員獲得に励むようになったことが理由という

 自民党は2014年、「党員120万人」を目標に設定した。当時の党員数は約70万人。「1億2千万人の国民の1%を党員にする」という目標で、選挙区選出の国会議員に年間に獲得する党員数について1千人のノルマを課した。目標が達成できない場合、足りない人数分について1人あたり2千円を党に収める「罰則」を設けた。

 

与野党実力者同士の裏取引

・過去のこととはいえ、機微に触れるので、どの県議会のことであるかは伏せておかねばならない。自民と旧民主党の県議同士の裏取引の話である。

 民主党が政権を奪わんとする勢いがある2000年代、自民党県議が無投票を繰り返してきた県議選の1人区であっても、その牙城を崩そうと民主党が候補を擁立することが多々あった。勝ち目は薄くとも選挙で戦うことによって民主党の地盤を拡大・強化する狙いだった。

 

地域の実情――勝ち上がれば自民入り

自民党は全国各地に支持の網の目を広げている。市町村から中学校区、小学校単位、さらに町内会・自治会まで国民が生活する身近な地域との関係なしには自民党全体を分析できないからだ。

 

勝ち上がれば自民党入り

名簿作りをやめた横浜市の町内会

・このベテラン秘書は言う。「連絡がなくなった今では、自分たちで日程を探るしかない」。町内会・自治会の行事や冠婚葬祭の日程を調べる専属のスタッフも設けている。「宝の山は、町内会の掲示板。かつては住人が亡くなると回覧板で知らせていたが、最近は掲示板。祭りの案内も載っている。あとはメール。住人から転送してもらうこともある」。自分たちで調べて、呼ばれてもいない夏祭りなどの行事に出向くと、「なぜ、来るんだ?」といぶかられるが、それでも行き続けると、「よく来たなあ」と歓迎されるようになるという。たとえ自民党であっても事務所を挙げて日程調べに必死にならざるを得ないのは、都市部ならでは、なのかもしれない。

 

「労組OBは自民党の集票マシンになる」

・神奈川県議会議長を務めるなどした自民党のベテラン県議は、後援会のナンバー2が、自治労OBだったことがある。そのOBは、かつて地元の野党議員の選挙対策本部長を務めるなど、自治労の幹部として自民とは敵対関係にあったが、定年退職後、趣味の野球を通じて関係ができた。OBが住む地元の陳情をこなすことで親交が深まり、後援会幹部を務めてくれるまでになったという。

 

公明党が進める「LINE」通報

・無料通信アプリ「LINE」を使って、道路や公園といった公共施設の破損を見つけた住民から通報を受ける自治体が増えている。

 

・ラインでの通報は、公明党が率先して導入を進める地域が多く、公明の地方議員が成果をアピールする事例が目立つ。しかし、同党のベテランの地方議員は首をかしげる。「地方議員が『中抜き』されるだけじゃないか」。

 

・ベテラン議員は「地方議員の役割とは何か」という根本的な疑問が強まる可能性を危惧する。身近な住民との関係が深いことを自らの売りにしている自民党公明党の地方議員の存在意義を強く揺さぶるのは、野党の地方議員ではなく、技術の進歩なのかもしれない。

 

国会議員と「どぶ板戦」

・ここからは永田町の自民党が持つ「強さこそ正義」の体質を見ていきたい。

 

・22年4月の参院石川補選を経た時点の同党所属の衆参国会議員は374人。このうち、一貫型は323人(86%)、出戻り型が15人(4%)、流入型は36人(10%)となる。圧倒的に一貫型が多いが、政権中枢の陣容や実力者という観点から見ると、出戻り型や流入型の存在感が際立っていることが分かる。

 

自民県議だったのに日本新党で初当選した遠藤氏

・政治の道を意識し始めたのは、小学校高学年のころ。県議のおじのところへ、いろんな人が相談事を持ち込んでくるのを見ながら、「自分も、人の役に立つことをしてみたいと思った」。中学の作文ですでに、「将来は政治家になりたい」と書いていた。

 

・33歳で県議初当選。あとは、一気に走った。自民党県連の参院選の公認候補選びに名乗りをあげ、投票で敗れると、時を置かず、衆院選への転身を表明した。

 

「出戻り型」と「流入型」には旧型と新型

流入型の茂木、高市、遠藤の3氏はいずれも自民党公認が得られず、他党の公認や無所属として国政入りを果たした後、自民党衆院議員となった。

 

・こうしてみると、出戻り型、流入型には選挙に強い政治家が少なくない。やはり、自民党には強者を引きつける力がある

 

出戻り型の出世頭は二階氏

・出戻り型のうち、抜群の知名度を誇るのは、先述した二階氏と石破氏だろう。いずれも幹事長を務め、派閥領袖にもなった。

 

首相の座が遠いのは出戻り型の限界か

・二階氏は自民党に復党したが、トップ、つまり首相をめざさなかった。一方、同じ出戻り組で首相の座を求め続け、届かないでいるのが石破氏である。

 

・「能力、経験がある人でも現行の中選挙区制では選挙区内に名前を広めるだけでも大変。しかし、2世、3世は3ばん(地盤、看板、かばん)のうち看板があり比較的でやすい

 

・「二世はよく父の意志を継いで、というがこれは絶対に言うべきではない。父の遺志が何たるかを知っているのは父と一緒に苦労した県議や役人、県民です」

 

・「自分の主義主張はこの10年間、一度も変えていない。周りがものすごく振れるので、まっすぐなことを言っている方が振れているように見えてしまう」

 

・「議員は政策の実現が一番の仕事だが、無所属のままでは一方的に主張を述べるばかりだ」

 

・政治家が権力闘争を勝ち抜くためには、良かれあしかれ、理屈ではなく、大きな流れを読んで立ち回ることが必要な時もあるだろう。

 

・「面倒見の良さ」が政治家の美徳の一つとされる永田町にあって、石破氏の「面倒見の悪さ」はつとに有名で、それも首相に届かぬ理由の一つだろう」

 

強者を引き込む「二階方式」

流入型、出戻り型の政治家の遍歴を見ると、強者を引き抜く自民党の体質が表れている。

 

・4人全員を無所属で立候補させ、それぞれの選挙区で当選した方を自民党追加公認することで決着した。まさに「強者こそが自民党」という論理そのものだった。

 

派閥は「強者の論理」の象徴

二階派は、二階氏が幹事長に就任した16年8月時点では36人だったが、幹事長を退任して迎えた21年秋の衆院解散時には47人まで拡張していた。

 

そして、「強い者こそ自民党」「競い合いこそが全体を強くする」という、中選挙区時代以来の自民党が持つ思想の現れだろう

 

融通無碍に強者を取り込む吸引力、「いい加減さ」がゆえのおおらかさから生まれる魅力、「数こそ力」の論理――。

 

・とはいえ、やはり派閥は非公式な組織であり、党の公式文書に振り分けを記すことはできなかった。

 

自民党はふるさと」

自民党関係者はこう語った。「自民党にいたことがある人にとっては、最後は戻りたい。自民党はふるさとなんだろう」。

 

自民公認で出馬する旧民主党議員たち

・22年夏の参院選でも、かつて民主党議員だった複数の政治家が自民党公認を得た。野党議員だった政治家自らが自民党に接近し、自民党側も強者を求めるように吸い寄せていく。

 

世論調査で優勢な方を自民候補に決める手法は、まさに「強者をのみ込むブラックホール」である自民党の「らしさ」がつまっていた。

 

選挙で勝てるかどうかが最優先

・県連幹部に茂木敏充幹事長が言ったのは「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫がいい猫なんだ」。中国の鄧小平氏の言葉を使って、良い悪いよりも好き嫌いよりも、選挙で勝てるかどうかを最優先する考えを示した。「県連が擁立しようとしている県議で参院選に勝てるのか」という強い牽制だった。

 

・6年前に共産と組んだ政治家であろうと、次に勝てるとみれば、どんな理屈をつけてでものみ込んでいく。

 

無党派層は宝の山」――小泉首相の執念

小泉純一郎氏は2001年の自民党総裁選で「自民党をぶっ壊す」と訴え、橋本龍太郎元首相らを圧倒して初当選した。その小泉氏がことあるごとに語ったのが「無党派層は宝の山」という言葉である。

 

・真骨頂は06年の郵政選挙だろう。執念を燃やした郵政民営化に反対する自民党内の「抵抗勢力」と徹底的に戦うことで、無党派層の熱狂を得て圧勝した。

 

企業団体回りの基本

・しかし、そんな小泉流は党内では異端視されている。党本部で長く選挙対策に携わる党職員は「小泉さんの手法は、オーソドックスじゃない。基本的にはまず自民党支持層を固め、無党派層につなげる戦略を採ることが大事だ」と語る。

 

・09年衆院選で、麻生太郎首相率いる自民党は、民主党に大敗。この時の投票率は69.28%。小選挙区が導入された1996年以降行われた21年までの衆院選で、最も高い。小泉人気自民党が動員した無党派層は、麻生自民党を見放し、民主党へ大きく流れたといえる。

 

・自民の支持を広げる小泉氏の「無党派層は宝の山だ」という戦略は、05年より後の衆院選において自民党は一度も実行されていない。党職員の言う「まず自らの党の支持層を固める」というオーソドックスな戦略に自民党は徹している。

 

安倍氏の「秘蔵っ子」、落選運動に苦しむ

自民党は常に強者をのみ込んでいこうとする貪欲なブラックホールであり、その結果、全国各地の強者の集まりになること、その総本山である永田町でも強者同士による熾烈な競争が行われていることを記してきた。しかし、強者の集合体だからこそ、目が向けられず、切り捨てられる層がある。そのことに疑問を抱く政治家もいる

 

「野党に予算はつけられますか」

・執拗な落選運動が行われたのは、「保守派のスター」である安倍氏が可愛がってきたはずの稲田氏が、保守系からみれば「変節」したからだ。

 

・弱者の立場に立って政策を訴えることを野党の専売特許にさせてはならないと考えている。

 

男性の市区町村長が共感しない事業

自民党は、町内会・自治会や地方議員、国会議員、経済界といった主流派によって支えられ、安定した長期政権を築いてきた。しかし、主流派から取り残される人たちこそ、政治の力を必要としている。政権を担う「国民政党」ならば弱者に目を向ける責務もあるはずだが、うまく機能していないのが現状である。

 

自民党」という不思議な安心感

・「田舎は自民党と農協さえあればいい。それだけで田舎の生活は回っていく

 

・「村落共同体を担うのは農協の理事たちで、彼らが全体を支配していた。肥料を買うのは農協だし、貯金するのも、結婚式を挙げるのも、葬式を開くのも農協、農協に任せておけば、みんなが幸せだということだった。地元の農協の総会は、そのまま部落(町内会)の総会だった」。

特定郵便局の局長たちは町の名士で、普通の人にとっては農協が中心だったという。彼らにとっては、政治といえば自民党しかあり得なかった。

 

自民党の強さを身をもって知る、この職員は言う。「保守層を切り崩すには、保守を使うしかない。地方の首長選をみれば、対立構図を作り出せるのは、保守分裂しかあり得ない」。

 

2009年下野よりダメージ残った93年の分裂

自民党は1955年の結党後、政権から2回滑り落ちた。1度目は1993年、2度目は2009年だった。政治史あるいは民主主義という視点でいえば、09年の方の意味が大きい。93年は、衆院選が終わった後に、非自民の8党派が連立を組むことで自民党は下野に追い込まれたが、選挙そのものでは自民は第一党を維持していた。一方、09年は民主党過半数を大きく上回る議席を得る、民意による政権交代であり、自民は結党後初めて第一党の座を滑り落ちた。

 

野党は何をしているか

立憲・小川淳也が英国で知った言葉

・その小川氏がたびたび紹介する言葉がある。「保守政権は天然物で、非保守政権は人工物だ」。

 

・「『資産を持っている』『土地を持っている』など守るべきものがある人、つまり、社長や富裕層、強者たちがメインとして作り上げるのが保守政権である。

 

・「持てる者」を代表する天然の権力と、「持たざる者」を代表する人工的な権力があって、その二つが均衡を保つことで、社会は健全に発展するとの解釈である。

 

「日本は自民党政権が半永久的に続いてきた。そのため、医師会や農業団体、建設業協会、それから自治会や婦人会、体育協会にいたる末端まで、天然権力が行き渡っている」。

 

・「都市部では比較的、緩いかもしれないが、郊外や島嶼部に行けば行くほど、行き渡った天然権力は強固だ。『自民党であらねば人にあらず』的なカルチャーが、自民党の半永久政権の中で、仕上がっている」

 

自民を染み渡らせる地方選の仕組み

・一方の英国。町内会・自治会を含めて隅々まで自民党が染み渡っている日本と違い、末端まで保守党一色ということはないという。小川氏は両国の違いの原因を二つ挙げる。

 一つは自民党政権が長すぎることだ。

 

・もう一つの原因は、日本における地方議員の選挙制度である。衆院選は一つの選挙区から3~5人が当選する中選挙区を、英国と同じ1選挙区から1人しか当選しない小選挙区に変えたが、地方選の制度は改革されなかった。

 

・これまで見てきたように、自民党籍を持つ地方議員の多くは、自らの選挙では「自民党」の看板を隠して「無所属」として戦って融通無碍の支持を広げる一方、国政選挙となれば、その集票力を生かして自民党を必死に支援している。

 

・小川氏の認識によれば、「政権交代可能な二大政党」による政治体制をめざして衆院選小選挙区を導入したが、地方選を改革しなかったために、自民党が末端まで根を張る政治状況を変えられず、現状の「自民1強」に至っているというわけだ。

 

・町内会長のような各地域の代表者は、そのほとんどが自民党とどこかでつながっていると感じる。「自民党議員の集会の案内や活動予定が、自治会の回覧板で回る風習が地域によっては残る」という。

 

選挙に精通する自民党スタッフの分析

・小川氏が衆院香川1区で対峙し続けてきた自民党の平井氏は、祖父と父が参院議員を務め、父は地元紙・四国新聞の社主でもあった。まさに「天然物の権力」の象徴であろう。

 

・そう考える理由は「自民党の力の源泉は地方にある」とみているからでもある。

 

後援会作りを怠ったツケ

・小川氏の言う通り、長く政権の座にある自民党は全国津々浦々まで、水が染み渡るように支持の網を広げてきた。

 

宗教団体、PTA、その時々のつながりで

・のちに取材したこの地方議員は、特定の民間労組をバックに持ち、組織を固めて当選を重ねられるのであれば、無駄に支持を増やす必要はない、と考えていた。この地方議員は「私には後援会はない。4年ごとの選挙のたびに、ある時は宗教団体だったり、PTAだったり、その時々のつながりで戦ってきた。後援会はメンテナンスが大変」。

 

地方選での「ため書き」

・足場を固め支持を広げようとしない旧民主党議員のエピソードは、自民系の議員を取材していれば事欠かない。

 

・「早く道路のでこぼこを直せ」「給食費を安くしろ」「息子の嫁を探してくれ」住民からの陳情は、身近な話題ばかり。

 

下りエスカレーターを駆け上がり、自民幹部にあいさつ

・NHKの政治記者だった安住氏が初めて衆院選に立ったのは、最後の中選挙区選挙だった1993年。旧宮城2区から無所属で立候補し、新党さきがけ日本新党の推薦を受けたものの、落選した。

 

なりふり構わぬ大型の名札

・なぜか、選挙区にいる時は、辻立ちの際はもちろん、コンビニやスーパーに行く時でさえも、スーツの左腕に「野間たけし」と書いた名札をつけているからだ。名刺サイズどころではない。A4判を二つ折ぐらいにした大きさだ。

 

・浪人中は、祭り会場の中には入らなかった。主催者側に知人がいれば、来賓席を用意してくれることもあるが、名札姿で会場の出入り口に立ち、あいさつし、名刺を渡す。

 

自民党に入りたいなら3千万円は持っていかないと」

・「それじゃダメだよ、君。自民党に入りたいんだろう。手土産を持って行くのは常識だ。3千万円ぐらいは持って行かないとダメだよ」と言われた。もちろん、表の政治資金の話ではないだろう。そもそも落選を重ねてきた野間氏は多額の借金こそあれ、3千万円もの大金は手元になかった。

 

地権者300軒を自ら回る

・道路の修繕を超える大型の事業に積極的に関わった事例もある。

 

「どぶ板を徹底させないと、この党は強くならない」

・「道路のメンテナンスの陳情なんて、自民党の県議や市議も大して引き受けていない。鹿児島市のような都市部の議員ならともかく、定数1の田舎を選挙区とする自民党の県議はいったん当選すると『自分は自民党だ』とあぐらをかいている」。

 

・野間氏が選挙に強いのは「日本一の御用聞き」を掲げ、どぶ板を徹底してきたことが理由の一つであることは確かだろう。

 

役所OB、野党支持者の根っこを狙う

永田町でよく語られる法則に「9・6・3の法則」がある。野党候補が自民候補に勝つためには、野党支持層の9割、無党派層の6割、自民支持層の3割から得票する、という目安のようなものである。

 

・幅広い支持層から票を得るために、野間氏は各層へのアプローチを怠らない。労組OB、とりわけ役所勤めを終えた自治労OBは町内会・自治会の役員を務めることによって自民党支持に傾いていく事例を先に紹介したが、野間氏は、そんな元「野党支持層」のメンテナンスにも気を抜かない。

 

・野党議員は無所属の地方議員に「ため書き」を送らない事例が多いと先に記したが、野間氏は全く違う。

 

こうした「雑食性」としての強さが、野党議員の必勝の法則である「9・6・3の法則」を実現させているのだろう

 

党勢拡大のジレンマ

・選挙区で左胸につける大型の名札にも、名刺にも、地方選の候補に送るため書きにも、「立憲民主」の文字はない。松下政経塾を創設した松下幸之助の教えから「政治は人だ」と考え、「党の前に大事なのは人だ」と思うからだ。

 

立憲民主党の看板にできるだけ頼らないようにしている野間氏にとって、難しいのが党勢拡大の運動である。

 

自民党も所属国会議員に年間の党員獲得のノルマを課しているが、立憲の3倍の年間1千人。それも自民側は、年間の党費4千円の党員のみで、サポーターやパートナーズのような「割引」もない

 

立憲民主党は末期的」

・党の看板をできるだけ「隠す」ことで有権者にアプローチする野間氏のような手法がある一方、野間氏と同じくかつては民主党に所属しながら、21年衆院選では政党を「捨てる」ことで有権者の支持を広げた議員もいる。

 

選挙区は「しらみつぶし」に回る

・福島氏は選挙区回りを「サファリパーク」にたとえる。通産官僚時代にケニアに出張した際、草原地帯を車で移動している時の感覚に似ているからだという。「サバンナを車で移動しても、動物は見えない

 

・しらみつぶしでなければ選挙区回りの効果が少ないどころか、逆効果になることに気づいたのは、03年、05年と衆院選で2回続けて落選した後のことだ。

 

初当選と慢心と挫折

・そもそも03年に初めて立候補する際は「10年間は当選できない」と思ったが、6年間で当選したことによって「慢心があった」ともいう。

 14年衆院選民主党から出馬し、小選挙区では敗れたが、比例で復活。17年は希望の党から出馬し、小選挙区、比例とも落選した。

 

街宣車による「地盤のメンテナンス」

・09年の初当選までの4年間で8万軒の有権者を訪問した福島氏は、17年の落選後は、バイクで3万5千軒以上を回った。これで1区内の15万軒のうち、12~13万軒を一軒一軒、訪ねたことになる。いまは残りの数万軒を回りつつ、一度回ったところは街宣車で走るようにしている。合併前の旧市町ごとに丸一日かけて、全ての路地に分け入り、連呼はしないが、「福島伸享」の名前をしのばせながら、国政について報告する。

 

肩書ではなく「人」を見る

・そもそも、かつてと違って、町内会、自治体そのものが崩壊しつつあり、町内会長のようなポストに就きたがる人は減った。「肩書でなく純粋に『人』を見ないといけない」と話す。

 

自民党という「システム」が残った問題点

・しかし、民主党は3年3カ月で下野。党は四分五裂し、自民党の「1強」状態は永続的に見える。「残念ながら自民党による利権システムが戻ってしまったというのが、この国にとっても大きな不幸だと思う」と語る。

 

「夏祭りの振る舞い」で自民か野党か分かる

自民党議員は「相手との関係性」を重視するから、必ず、祭りの主催者に頭を下げて、関係者と雑談を繰り返していくが、旧民主党系の議員は「露出の数」で勝負しようと、白い目で見られながら、会場の外で法被を着てビラ配りをするという。

 

地元に根差した知識

・21年衆院選で、野党候補として勝ち上がってきた鹿児島3区の野間氏や茨城1区の福島氏は、政策論をつむぐよりも、人間関係を作り上げてきた。自民党と同じようなやり方で支持を広げたわけだが、こうした手法は、何も日本ばかりではなさそうだ。

 

<あとがき>

自民党は「強者をのみ込むブラックホール」であると書いてきました。あらゆる強者を内部に取り込んでいくことで、いろいろな思想、いろいろな層の人が雑多に交じり合うという意味で、自民党は、遺伝子の異なる細胞をあわせもつキメラになります。首相ら党幹部への忠誠度が高い国会議員と、自民党同士の争いに価値を見いだす地方議員という全く体質が異なる政治家で構成されているという意味で、党の姿そのものもキメラと言えます

 

・こうした動きと、自民党の「安倍チルドレン」がポストを競い合うことで生じるミシン目とが響き合って、自民党が分裂し、分裂した側が、新たな保守系勢力、あるいは維新と合同する――。そんなシナリオがありうると見ています。

 


 

『政治家は楽な商売じゃない』

平沢勝栄  集英社    2009/10/10

 

 

 

・「政治家は楽でいいな。政治資金の使い方もいい加減でいいんだから」「結構、儲かるんだろうな」などと思っている人もいるのではないだろうか。

 

・しかし、政治家という仕事は決して楽なものではない。11年前、地盤、看板、カバンもないまま衆院選に挑戦し、幸いにも当選させていただいて以来、私は、公務や選挙区での活動に全力で取り組んできた。1年365日、1日も休みなしの状況で今日まできた。

 

また政治家は決して楽な仕事ではない、もちろん人によって違うだろうが、徒手空拳で政治家の路を選んだ私だからこそ、よくわかることだ

 

<勝栄流、ドブ板選挙>

・私の場合、365日、それも毎日24時間を選挙活動に充てていると、いっても過言ではない。これは決してオーバーではない、家族サービスなど全くできないと言っていい。

 

・毎日の活動は漕ぐのを止めたら倒れてしまう自転車に似ている。体力勝負である。政治家と言う仕事はもちろん個人差はあるだろうが、決して楽な商売ではないのだ。 

 

<日々是選挙なり>

・政治家にとっては「日々是選挙」だ。したがって、慢心はもちろん、一瞬の油断でさえ政治家には命取になる。

 

・「選挙に勝つための条件は三つある。一つは36歳以下であること、それから、5年から7年、地域を必死で回ること。最後に地元の2流、3流の高校の出身であること」。最後の条件は、一流高校と違いそうした高校の出身者は卒業後の結びつきが極めて強いから、選挙に有利と言う意味らしい。私は、どの条件にもあてはまらない。

 

<ドブ板選挙は体力が勝負>

・選挙区では1年中、なんらかの会合や催し物が開かれている。1月から3月までの新年会だ。私は毎年計5百か所ぐらい出席する。それが終わると卒業式に入学式のシーズンを迎える。

 

・政治家でも二世や三世なら祖父や父親からの地盤があるから私などと違って楽かもしれない。

 

・政治家は勉強も欠かせない。しかし、1日中、走り回っていると勉強する時間がない。

 

・私が基本にしていることは、徹底して「人に会う」ということだ。それが選挙の第一歩だと考えている。地元にいる限り、私の一日は「人と会う」ことから始まる。

 

<国会議員の本分>

・まずは国会議員の本分としての仕事がある。それを最優先でこなし、余った時間で選挙活動にも励んでいるのだ。

 

<個人の後援会>

・政治家にとって後援会と言うのは、膨大な時間と労力をかけて作り上げるもので、いわば政治家の命綱だ。二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることからきわめて楽な選挙となるが、私にはその基盤となる後援会が全くなかった。

 

・現在私の後援会員は約6万人を数える。この後援会が今日の私のドブ板選挙を支える基礎となっている。

 

<政治家とカネ>

・国会議員は普通に活動するとどうしてもカネがかかる。仕事をやればやるほどカネがかかるともいえる。

 

・普通に議員活動をしておれば、月にどうしても5、6百万円はかかる。先に述べた議員年収などでは、とてもまともな活動はできないのが現状だ。歳費と期末手当だけではとても政治活動費は賄えないし、政党からの助成金でもまったく足りない。支援者からの支援がなければ、政治家として十分な活動ができない現実がある。だから、パーティーは多くの議員にとって不可欠とも言える。

 

・夏はもちろん、盆踊りや花火大会などのシーズンである。このうち盆踊りや夏祭りは町会、自治会単位で開催され、約3百ヶ所に顔を出す。

 

・もちろん、こうした行事のほかにも冠婚葬祭や祝賀会、記念式典などが一年中、目白押しだ。

 

<拉致は防げた>

・拉致は防ぐことができた。私は、今でもそう思っているし、警察にいた者の一人として、この点については返す返すも残念でならない。実は私が警察に在職していたときから、北朝鮮による拉致事件が起こっているのではないか、と関係者は疑いを抱いていた。

 

・実際に実力行使で不審船をストップさせたのは2001年12月の奄美大島沖事件が初めてであった。

 

拉致問題は時間との戦い>

・私の師でもある後藤田正晴さんは生前、政府の対北朝鮮外交の進め方に介入する関係者の言動に強い不快感を示しておられた。私は、リスクを覚悟しながら行動する政治家は、リスクを取らずして非難だけする人など何も恐れる必要はないと考えている。この言葉を後藤田さんが存命中に常に言っておられたことである。

 

・10人帰って来ると、あと10人はいるのではないか。その10人が帰国すれば、あと30人はいるのではないかとなるのは当然であり、自明の理だ。

 

・日本の警察に届けられている行方不明者や家出人の数は8万人から9万人に達する。この中に「もしかすれば、うちの子供も拉致されたのでは」と思う人が大勢出て来るだろうし、相手がいままで平気で嘘をついてきた北朝鮮だけに、先方の説明をそのまま信じることはできない。要するにこの話は今の金正日体制の下ではエンドレスに続く可能性がある。

 

・すると北朝鮮側は、「拉致事件は、日本と北朝鮮が戦争状態の時に起きたことだ。戦争時に末端の兵士が行った行為を罰するわけにはいかない」と答えた。だとすると拉致事件の最高責任者は誰かと言えば、間違いなく金正日だ。北朝鮮は、ならず者であれ何であれ、曲がりなりにも国家である。そのトップを引き渡すということは、武力行使か金体制の崩壊しかあり得ないのではないか。

 

<日朝交渉の行詰まり>

・小泉さんが訪朝時、食事どころか水にも手を付けなかったからだそうだ。アメリカのオルブライト国務長官は2000年の訪朝時に、北朝鮮の水などを口にしたそうだが、小泉さんは二度の訪朝のいずれもでも水さえ口にしなかった。

 

・私は、小泉さんは立派だと思う。北朝鮮の水に何が入っているかわからないし、そもそも水といえども飲む気にはなれなかったのだろう。しかし、北朝鮮にいわせると「自分の国に来て水一滴も飲まないで帰るとは失礼だ」ということになるようだ。だから私は、小泉さんの三度目の訪朝はないと思う。

 

 

 

『「政権交代」 この国を変える』

岡田克也   講談社  2008/6/18

 

 

 

<「座談会」と呼ぶ、私が最も大切にしている集いがある>

・週末ごとに地元・三重県で20人、30人規模で開催する対話集会のことだ。私は、この座談会を20年間にわたって繰り返してきた。2005年秋に民主党代表を辞任したのちも、1万人を超える方々と膝を突き合わせて対話してきた。

 

政権交代ある政治、これこそ私が、いままでの政治生活の中で一貫して主張してきたことだ。

 

政権交代とはどういうことなのか>

・同じ民主主義、市場経済を基本とする体制の中で、どちらの党の政策がよりよいか、具体的な政策を国民一人ひとりが選ぶこと。

 

・選挙運動を始めてから地盤が概ね固まる当選2回までの間に、通算すると5万軒、いや7万軒は訪ね歩いたのではないだろうか。すべての活動の基本は有権者との直接対話だという、私の考えは今も変わらない。

 

・代表辞任後のこの2年9ヶ月間、私は、地元で350回、延べ1万人を超える有権者との対話の場をもってきた。週末はよほどのことがない限り地元に帰って、公民館とか神社の社殿とか、ときには個人宅をお借りして、平均30人ぐらいの集会を開く。私は、これを「座談会」と呼んでいる。

 

<自由で公正な社会を実現する>

・市場にも限界がある。競争政策、市場メカニズムを活用すれば、そこからこぼれ落ちる人が必ず生じる。それは政治が救わなければならない。

 

<公正な社会を実現する>

・社会的公正とは何か。私は、中間所得者層の厚み、実質的な機会の平等、セーフネット、世代間の公平―以上の4点を挙げたいと思う。

 

 

 

 

 

(2023/6/3)

 

自民党という絶望』

石破茂 &その他    宝島社新書 2023/1/27

 

 

 

空気という妖怪に支配される防衛政策 石破茂

・年間11兆円の防衛予算となれば800億ドル以上。インドの766億ドルを抜いて、米国、中国に次ぐ世界3位の軍事大国となる。

 

GDP比2%がいつの間にか既定路線に

・石破:GDP2%、NATO並み、という話は安倍晋三元総理が生前に言っておられたことです。

 

ウクライナ侵攻が国民に大きな衝撃を与えたことは間違いありません。

 

・台湾の陸海空軍の防衛力について、日本としてどれだけ正確に分析評価できているかということも重要です。台湾には2018年まで徴兵制があり、さらに予備役の訓練にも力を入れています。陸海空軍合わせて166万人もの予備役がいる。

 

・「ウクライナの教訓は、自分の国は自分で守るという強い意志と能力を備えなければ、他の国は助けてくれない、ということだ

 

・当たり前ですが、フリーランチなどありません。大切なものはタダでは手に入らないのです。自民党はよく「国防こそ最大の福祉である」というフレーズを使うのですから、そうであるならば、恒久的な財源が必要だというのはきわめて当然の議論でしょう。

 

アメリカからの“買い物リスト”が増えるだけではいけない

・今回の防衛費増額によって、日本の大企業も受注が増えていくことになるでしょうから、法人税増税という選択肢は合理的だと考えます。

 

・陸海空のオペレーションを統合するのですから、防衛力整備につても当然統合して考えるべきで、この点は以前から指摘していたことなのですが、今回は「統合運用に資する装備体系の検討を進める」という表現にとどまりました。

 

<「自衛隊がかわいそう」という空気は予算倍増の理由になるのか

・しかし、実力組織として、自衛官には国の独立と平和を守るという任務があり、その遂行のために物理的破壊力を行使します。

 

・戦後日本に軍事法廷はありません。人権侵害をするかもしれないから、あるいは自衛隊は軍隊ではないからと、そもそも設置をしていない。しかし、そのために個々の自衛官の人権を守れないということが起きている。これこそ本末転倒です。

 

・その意味で、日本は怖い国です。かつてはアメリカを相手に戦争をしたのですから。日米開戦当時の昭和16年アメリカのGDPは日本の約10倍、工業生産力も10倍ありました。まともに考えれば勝てるはずのない相手なのですが、それでも、この国は戦争に突き進みました。当時、これを批判したメディアはほとんどありませんでした。

 

保守の間で「戦後」がうまく伝承されてこなかった悲劇

<――なぜ、国家の安全保障政策について冷静な検証や議論が深まらないのでしょうか。>

石破:敗戦の検証が不完全だったからではないでしょうか。

 

・保守というのは本来、右翼の街宣車ではありません。本来の保守に必要なのは、柔軟性と寛容性です。

 

国家として自主独立は居心地のよいものではない

・その意味では、私は日本はまだ真の独立国家には達していないと思っています。日米安保の本質は、その非対称性にあります。

 

自主独立は、まったく居心地のよいものではありません。どうやって抑止力を維持していくか、常に緊張を強いられることですし、自分たちで決めたことに対して自分たちで責任を負うしかない。しかし、それこそが独立国家のあるべき姿ではないでしょうか。

 

実力組織は「情」ではなく「規律」で動く

石破:むしろ、それだけの予算があるのであれば、予備役を増やすことを考えたほうがいいと思います。

 

・企業が予備役を雇用する際のメリットをもっと用意して、予備役をきちんと確保する環境を整えることが必要でしょう。

 

・命を懸けて任務を遂行する実力組織を持っているということは、国民全体でその責任と覚悟を負わねばならないということです。これもまた、民主主義の根幹だと私は思っています。

 

反日カルトと自民党、銃弾が打ち抜いた半世紀の蜜月 鈴木エイト

・この統一教会問題を長く取材し、『自民党統一教会汚染 追跡3000日』(小学館)などの著書があるジャーナリストの鈴木エイト氏に、日本の宿痾とも言える「政治と宗教の癒着」について聞いた。

 

成立した「被害者救済法案」の問題点

鈴木:いわゆる「マインドコントロール」に関する規定が明記されていないという点です。

 

<「何が問題かわからない」という本音

・日本において、自民党議員のカウンターパートとなってきたのは、統一教会と表裏一体の関係にある政治団体の「国際勝共連合」です。

 

・教団が議員たちに重宝された最大の理由は選挙協力です。

 

安倍元首相が統一教会に接近した「瞬間」

安倍氏が教団との関わりを深めたのは、第二次安倍政権が発足した2012年の以降のことだったと思います。

 

・ところが冒頭でもお話しした通り、2013年夏の参院選で、安倍氏は自ら票の取りまとめと選挙支援を統一教会にお願いするわけです。この候補とは、山口県出身で産経新聞政治部長を務めた北村経夫氏で、比例全国区から立候補した北村氏は当選を果たしました。

 

「マザームーン」問題の本質はどこにあるのか?

・教団は、ある時期まで政治家との関係性を外部に向けてアピールしませんでした。

 

・結局のところ、山本氏も山際氏も、自分で行きたいから統一教会の会合に顔を出しているわけではなく、自民党から場の盛り上げ隊として「お使い」に出されているにすぎない。

 

“商業性とマッチしないテーマ”を追求する難しさ

・事件が起きる前は、統一教会問題や2世信者をテーマにした本を書きたいと言っても、出してくれる出版社などありませんでした。

 

・私自身のスタンスは事件前から変わっていませんが、本来は取材する側だった自分が今では取材を受け、仕事のオファーがくるようになりました。

 

安倍元首相銃撃事件によって噴出した自民党の「統一教会汚染」が、国民に重要な事実をはっきりと見せてくれました。それは、政治家の劣化です。本来、社会的弱者に目を向け、その言葉に耳を傾けなくてはいけないはずの政治家が、多くの被害者やその家族が苦しんでいる事実を知りながら、元凶となっているカルト教団をひたすら庇護してきた。

 

統一教会を追求することは、自民党、ひいては日本の政治を追求することと同義であり、ジャーナリズムがこの問題の検証を終わらせてはいけない意味もそこにあると私は考えます。

 

理念なき「対米従属」で権力にしがみついてきた自民党  白井聡

白井:日米関係の意味合いについて理解するには、戦後の自民党の成り立ちのところまでさかのぼって考えざるを得ません。

 

アメリカによる“自民党支配”の歴史的起源とは

・これについては、岸自身が獄中で残した手記がヒントになります。堀の外では、中国で共産主義政権が成立し東西対立がどうも激しくなっているようだが、もっともっと燃え上がれば俺にも再起を果たすチャンスが巡ってくるぞ、と書いています。そして実際にそうなっていったわけです。

 

自主外交を試みて、アメリカの逆鱗に触れた角栄

・経済成長をうまく取り仕切っているということで、自民党の政権基盤は強化されていきます。

 

・しかも、実は沖縄返還を先に持ちかけているのはアメリカですからね。いつまでも返還要求してこない日本に困惑して、「お前ら、そろそろ返還要求しろよ」とケツを叩かれた形で実現しただけ。佐藤栄作の手柄でもなんでもありません。

 

角栄ソ連とも関係を改善しようと動いていましたから、ある意味で石橋湛山のような全方位外交をやろうとしていました。

 

対米交渉のカード=反米勢力を、自ら叩き潰した中曽根

・ところが、中曽根政権の頃には、このアンビバレントが解消されている。敗戦の痛みはすでに癒え、ベトナム戦争も過去のものとなる中で、暴力としてのアメリカという側面がどんどん見えなくなっていったのです。

 

・白井:そういうことです。やがては自立するために従属している。

 

白井:実績ベースで考えるならば、社会党は、万年野党として万年与党の自民党55年体制を確立したときから、居心地のよい野党第一党の地位を確保できればそれでよし、という勢力に堕してしまった。

 

拉致問題で爆発したナショナリズムが安倍政権を生んだ

・しかし結局は、拉致問題がはじけてしまい、「こんなとんでもない国とは国交交渉なんてできないぞ」という被害者ナショナリズムが国内で爆発してしまった。このナショナリズムの爆発から、「保守派のプリンス、安倍晋三」が誕生するわけです。

 

・自称保守ですね。安倍氏に代表されるナショナリズムの前提には、常にアメリカ依存があります。

 

<“腹話術師に操られた人形”と化した岸田政権の惨状

白井:あの長かった安倍政権において注目すべき点は、前半と後半で外交方針が見境もなくブレていったところにあるでしょう。

 

・つまり、いずれの方向転換も不徹底で、簡単にブレる、場当たり的だったことが特徴と言えるでしょう。

 

・そして、今や防衛費の大幅増額、大軍拡が進んでいます。この動きの背後にあるのは、要するにアメリカでしょう。

 

・この光景は何なのですか。3人の政治家がいるけれども、3人全部同じ、金太郎アメの腹話術人形ではないですか。もちろん背後の“腹話術師”はアメリカです。

 

日本という“戦利品”の利用価値

白井:「軍隊は強くしたいけど、増税はイヤ」というのは単なるバカじゃないでしょうか。強い軍隊が欲しければ、カネがかかります。

 

・つまり、自国の兵隊を大勢殺すような戦争はできなくなっているわけです。

 

・「対米従属のための対米従属」で延命を図ってきた自民党が、そうした流れの中でどのように振る舞うのかは、すでに自明でしょう。自己保身のためにいくらでも自国民の命を差し出すはずです。

 

永田町を跋扈する「質の悪い右翼もどき」たち  古谷経衡

自民党は「保守政党」と呼ばれている。ただ、そこにいる政治家の顔ぶれを眺めると、必ずしもそうとは言えない。“リベラル”もいれば、“伝統的な右翼”もいて、まさしく呉越同舟包括政党というのが実態だ。

 

<――まず、岸田政権についてどのような印象を抱いていますか。>

古谷:率直な感想として、「自民党の絶望」をこれ以上ないほどわかりやすい形で示した政権だと感じていますね。多くの人が、「少しは何か変わるじゃないか」と期待して結局、裏切られたからです。

 

自民党の最後ともいえる良心が失われてしまったわけですから、「絶望」以外の何ものでもありません。

 

・一言でいうと、伝統的な宏池会の方向性と完全に真逆のことをしているところです。

 

・そんな宏池会の衰退ぶりがよくわかるのが、旧統一教会問題です。あれはもちろん自民党全体の問題ですが、発端は岸信介――つまり清和会(保守傍流)を中心としたものであるはずなのに、調査をしたら、宏池会もけっこう関わりを持っていたことがわかった宏池会は政策に明るい一方で、武闘派的な争いが得意ではないことから公家集団、なんて呼ばれていますが、結局はそんな高尚な集団ではなく、「汚れた公家」だったというわけですよね。

 

岸田政権迷走でわかった、保守本流の消滅

<――宏池会はなぜ、ここまで姿を変えてしまったのでしょうか。>

古谷:やはり、「清和会政権」が異常なまでに長く続いたことが大きいと思っています。

 

・つまり、タカ派風の主張をしたり、新自由主義路線みたいなことを言ったりしたほうが、政治家として生き残れるんじゃないかという「空気」に自民党内が支配されていくのです。

 

<――つまり今、多くの人が自民党に「絶望」している原因を突き詰めていくと、清和会の20年支配の弊害がある、と。>

古谷:そうですね。私は今の自民党には3つの絶望があると思っています。

 

このように同じ政党の中でも、政権交代すればガラリと色が変わるっていうのが自民党の売りだったはずなのに、この20年でそれが完全に失われてしまったというのが、第一の「自民党の絶望」です。

 第二は、そのおかげで保守本流である宏池会の「良心」まで消滅してしまったことです。そして第三の絶望は、左側にいてバランスを取っていた公明党まで鳴かず飛ばずになってしまったというところですね。

 

たしかに選挙の区割りとか、票の格差とかの問題もありますが、自民党がこれほどまでに衰退したのは、基本的には「貧すれば鈍する」ということでしょう

 

・一方で、この20年間は人口も減少し経済もどんどん縮小、日本人がみんな貧乏になってしまったことで、政治もすごくディフェンシブになってきた。市場がシュリンクしていく中で、生き残るためにはエッジの効いた「何か」を打ち出さないといけない。そうした生存戦略が、自民党の中では、清和会的なタカ派っぽい政治信条だったということでしょう。経済力と政治思想は関係ないと言う人もいますけど、実はめちゃくちゃ関係があると私はみています。

 

中国・韓国を叩けばいいという「質の悪い右翼もどき」

・でも、私はけっしてタカ派が悪いと言いたいわけではありません。私自身もタカ派ですから。問題なのは、言い方はちょっと悪いのですが、「質の悪い右翼もどき」のような政治家や自民党支持者が増えてしまったことなんですね。

 

・つまり、ネット右翼の強烈な後押しで安倍政権が誕生したわけではなく、瞬間風速的なブームのような形で火が点いただけなんです。

 

ネット右翼にさほどの実力はなかった

・そういう実態を踏まえれば、ネット右翼の力はかなり過大評価されていると言っていい。私の調査では、ネット右翼の総人口は全国に200万~250万人です。参議院全国比例で2議席程度の実勢です。

 

忖度コメンテーターによる“イス取りゲーム”

・ベースにあるのは日本の経済停滞です。とりわけテレビメディアの広告収入がどうしようもなく停滞しており、業界は完全に守りに入っています。

 

・今の勢力を何とか維持するだけで精一杯ですから、忖度が横行します。日本の経済停滞が、言論の分野にまで「保守化」を生んでいくのです。

 

はだしのゲン」の鮫島町内会長=自民党

・また、私はこういった現象は、中沢啓治先生の漫画『はだしのゲン』に登場する「鮫島町内会長」という人物を引用することで、構造的には説明できると考えています。この鮫島という男は、戦時中の広島で典型的な中間階級の右翼(体制派)として描かれます反戦を鮮明にするゲンとその家族を「非国民」となじって嫌がらせをするのですが、被曝して九死に一生を得ると、戦後は広島市議会議員になってコロッと態度を変えて反戦平和を唱えるようになる。

 

・『はだしのゲン』は、一般的には反戦被爆体験をテーマにしていると思われがちですが、実は戦後日本の痛烈な批判として見るべきです。

 

・その中でたとえば、「議論や正当性ではなく、強い者の意見に従ったほうが得」という権力者の顔色を窺う忖度みたいなもの、またミソジニー女性嫌悪)批判や同性愛は社会を壊すものであり、許せない、などという偏見などが解体されませんでした。これはつまり封建的な農村部の発想です。

 

・たしかに明治国家は急速な近代化を果たしました。

 

・いわゆるGHQによる民主改革が不徹底で終わったからです。

 

戦後80年を経て“グロテスクな親米”だけが残った

・そして究極的には、日本は本土決戦をしていないということが大きいと思います。

 

・GHQの民主改革が冷戦のせいで「逆コース」に転換したのがすべての因でしょう。

 

・戦時中には「鬼畜米英」を標榜していたはずなのに、戦争に負けた途端、空気を読んで「民主主義万歳」と叫ぶ、『はだしのゲン』の鮫島町内会長みたいな人たちが集まったのが自民党なのではないですか。

 

旧ソ連みたいな日本”に希望はあるのか

古谷:私の好きな野口悠紀雄先生が「今の日本ってソ連末期みたいだ」って言っているんですが、それにはすごく共感しますね。

 

・ただ、仮に移民政策が来月始まったとしても、日本社会の人口構成が大きく変わるのには数十年かかるでしょう。衰退を食い止める即効薬にはなりません。

 

・しかもベトナムでは、日本に行けば奴隷労働をさせられるという悪評も広まっています。

 

・今、私たちにできるのは、「自民党ってもう絶望しかないよね」ってどんどん言っていくことしかない。

 

<“野望”実現のために暴走し続けたアベノミクスの大罪 浜矩子

浜:まず、私はアベノミクスではなく、本質を明確にするために「アホノミクス」と呼ばさせていただきますが、アホノミクスにおいて経済の舵取りが「うまくいかなくなった」のではなく、「非常に悪質になった」ということだと思っています。

 

経済を政策ではなく「手段」にしてしまった安倍政権

浜:日本経済があの時、そして、今もなお直面している最大の問題は何だと思いますか。それは豊かさの中の貧困問題でしょう。貧しさの中の貧困ではありません。

 

<“企業のため”の働き方改革を推進

つまり、「フリーランスや非正規雇用などのさまざまな形態により、労働者を安上がりに使いまくることができる環境を作る」ということが、働き方改革構想の土台にはあったわけです。

 

・それと並行するようにして、2014年には日本取引所グループ日経新聞が共同開発したシステムによる株価指数「JPX日経インデックス400」がスタートします。このインデックスは全東証上場銘柄から「投資魅力の高い会社」として選ばれた400銘柄を並べるというものですが、ROEが重要な選択基準になっています。

 

・ROEを高めるために、必死になって収益率を上げようとするわけですが、その結果、コストの削減が大命題になり、最大のコストである人件費を減らしていくという流れにつながっていきました。流行りのようにして今、盛んに取り沙汰されているギグワーカー(単発の仕事をいくつもこなしていく働き方をする労働者)やフリーランスであれば、コストをカットしやすい、状況に応じて変動させやすいということで、雇用の流動化が一気に進んだのです。

 

<――8%の利益率を死守するために、資本額の変動に対して人件費が調整弁のような役割を果たしているということですね。

浜:本来、賃金というのは固定費であるはずなのですが、正規雇用の社員ではなく、フリーランサーやギグワーカーを活用することによって、人件費を固定費から変動費に移してしまったのです。

 

・つまるところ、アホノミクスによって「稼ぐ力を取り戻せ」というプレッシャーを企業がかけられ続けた結果、労働者は完全に“モノ扱い”されるようになってしまったということです

 

利益率8%を迫られ、泣く泣く労働者を“モノ化”

・2008年にリーマンショックの打撃を受けたことで、収益性確保のためには全身全霊を傾けないといけないといった感じで、経営者は完全にゆとりを失いました。

 

・さらに本質的なことを言うならば、やはり異次元の金融緩和なるものは、実際には財政ファイナンスであったということだと思います。

 

日銀は事実上、政府の子会社に

<――打出の小槌のような状態ですよね。でも、そうした財政ファイナンスを繰り返せば、当然ながら財政規律が機能しなくなり、円安が加速して国際競争力が下がるだろうというような予測は、安倍さんの中になかったのでしょうか。>

・ですが、日銀が保有する国債の割合は、2022年9月時点で初めて5割を上回りましたから、日本人の保有者の多くが国債を手放しつつあるということですよ。

 

・円安になればなるほど、輸出主導の日本は経済成長できるはずだ、という時代錯誤な発想が安倍さんの中にずっとあったと思います。

 

・今や輸出している工業製品も安いから売れるわけではなく、品質勝負になっているのですから、円安になったからといって輸出がぐっと伸びるような商品構造にはなっていません。かたや、現在はサプライチェーングローバル化しており、多様な消費財を大量に輸入していますから、日本は完全なる輸入大国です。

 

為替相場の変動というのは、基本的に、その時の一国の経済事情を反映している動きなのかどうか、ということを問題にすべきです。

アメリカのみならずヨーロッパ諸国も、インフレ対応で金利を上げ始めたのに、日本は金利ゼロないしマイナスという金融緩和策を続けました。

 

・2022年も終わろうという時期になって、日銀はようやく、長期金利抑制の上限を0.25%から0.5%へと引き上げましたが、遅きに失したというべきでしょう。

 

「分配」を企業に丸投げした岸田政権

・岸田政権は、成長と分配の好循環というアホノミクスを丸パクリしているので、「アホダノミクス」と呼ばせていただきます。

 

・岸田さんが打ち出した「新しい資本主義の実行計画」では「これが成長分野だ」とさまざまなテーマを羅列しています。DX推進や、デジタル田園都市構想などが並んでいますが、詰まるところ、地球温暖化環境保全の分野を成長戦略として捉えたものでした。これは菅政権でも同様でしたが、大いなる矛盾をはらんだものと言わざるを得ません。

 

浜:「企業の延命か、労働者の保護か」といった二者択一的な考え方に陥ってしまうと、行き詰まります。労使一体となってどうするかを考えることが重要でしょう。

 

「ぶん取りのシェア」から「分かち合いのシェア」へ

浜:そうした分かち合いに徹している経済社会のことを、私はケアリングシェア経済、あるいはケアリングシェア社会と名づけています。

 

人間の皮を被った化け物のような存在に経済社会を占領されてはいけないというのが、スミス先生の基本的な理念だったのだろう、と今は考えています。

 

「デジタル後進国」脱却を阻む、政治家のアナログ思考 野口悠紀雄

 ・「デジタル敗戦」という言葉がメディアに登場するようになったのは、2010年代前半のことである。

 

・先進国からの脱落危機が叫ばれる日本にとって、このデジタル化の遅れは今や国力低下の主要な要因として認識されつつある。

 

・2020年、コロナ特別定額給付金10万円を一律に給付するとなった際、全国の自治体が大混乱に陥ったのも、個別のシステムが温存されていた「弊害」でした。

 

<ITを理解していない日本の政治家>

・野口:重要なことは、デジタル化の中味が中央集権的なものからオープンな仕組みに転換したことで、その変化に日本が対応できなかったということです。

 

・デジタル化の障害となっていたものが、日本の強固な縦割り社会であるという観点に立てば、デジタル庁ができたからといっていきなりその障害をクリアできるとは思いません。

 

<新たな利権の温床になりかねない「デジタル庁」>

野口:この問題を理解するには、日本社会の「多重下請け構造」について知る必要があります。

 

・仮に厚労省に専門知識のある人材がいたとしても、責任の所在が曖昧になりがちな「多重下請け構造」が残っていると、不具合が生じた場合の解決は困難です。

 

電子政府の構築に成功したエストニア

・実はすでにそれを実行しているのがエストニアです。エストニアは人口約133万人という小さな国ですが、世界に冠たる電子政府を持つデジタル先進国として知られています。

 

・イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが1949年に発表した小説『1984』の中に、「真理省記録局」に勤務する主人公が、日々、歴史記録の改ざん作業を行うシーンがあります。残念ながら日本ではそれと似たことが実際に起きてしまった。

 

<「マイナンバーカード」の失敗と教訓>

野口:マイナンバーカードの普及が進まなかった理由はいくつかありますが、ひと言でいえば、利便性がなかったからです。

 

野口:国民の生活にむしろ不便を与えることにならないかと危惧しています。

 

・デジタル化の帰趨は、今後の日本の国力を計るうえで非常に大きな要因になると思います。

 

<「デジタル後進国」から脱却するために>

・政治家はまず、意識を変えないことには始まりません。「国の舵取りは、デジタル化と関係ない」という誤った考えを根本的に改めない限り、日本は浮上できないでしょう。

 

・世界の最先端を行くGAFAと、「ハンコをやめよう」{FAXをやめよう}と言っている日本では、大学院と幼稚園ほどの差があります。

 

・意識と現状を変えようとしない政治家は、退場すべきです。

 

食の安全保障を完全無視の日本は「真っ先に飢える」  鈴木宣弘

食料自給率38%。日本の食の安全保障の脆弱さは、今までもたびたび指摘されてきた。中でも大豆や小麦などの自給率の低さはよく知られているが、野菜はまだまだ国産が多いようだし、コメに至ってはつい数年前まで減反していたくらいだから、自給率も高いに違いない――そのように思い込んでいないだろうか。

 農産物を育てるには、当然ながら、種や肥料が必要になる。畜産物にはヒナや肥料などが必要だ。そして、日本は野菜の種の9割、養鶏において、飼料のとうもろこしは100%。ヒナはほぼ100%近くを海外からの輸入に依存している。コメも、肥料や農薬を勘案すれば自給率はぐっと低くなる。そう考えると、日本の食料自給率は37%どころではないだろう。

 

・そんな懸念を確信に変えるような試算が2022年8月に英国の科学誌『ネイチャー・フード』で発表された。米国ラトガース大学などの研究チームが試算したもので、それによると、核戦争が勃発して、世界に「核の冬」が訪れて食料生産が減少し、物流も停止した場合、日本は人口の6割(約7200万人)が餓死、それは実に全世界の餓死者の3割を占めるというのだ

 なぜ、日本の食料戦略はかくも悲惨な状況に至ってしまったのか

 

<――物流が途絶えた場合に、日本の人口の半分以上が餓死のリスクに晒されるという指摘は衝撃でした。日本の食料政策はどこで道を誤ったのでしょうか。>

鈴木:日本の食の安全保障の崩壊は、戦後にアメリカの占領政策を受け入れざるを得なかったという流れから始まっています。何よりも、アメリカが戦後抱えていた余剰生産物の最終処分場として、日本を最大のターゲットに定めたことが大きいでしょう。

 

製造業の利益アップのため、農業を“生贄”に

鈴木:日本側では、自動車産業などを中心とした製造業でいかに利益を上げていくか、という政策が、当時の通産省を中心に進められていきました。言い換えれば、車などの輸出をできる限り推し進めていくために、貿易自由化によって日本の農業を“生贄”として差し出す、つまり関税を撤廃して米国からの余剰農産物をどんどん輸入することで、貿易相手国であるアメリカを喜ばせようとしました。

 

日本の「買い負け」が加速するとどうなるか

鈴木:アメリカは、食料を「武器より安い武器」と位置付けています。食料で世界をコントロールするのだ、という戦略に基づいて、徹底的に農業政策に予算を注ぎこんでいます。

 

局地的な核戦争が起きた場合、世界で被曝による死者は2700万人だが、それ以上に深刻なのが、物流がストップすることによる2年後の餓死者であるという分析がなされました。それによると、世界で2億5500万人の餓死者が出るが、それが日本に集中するという。世界の餓死者の3割は日本人で、日本人口の6割、7200万人がアウトになるという試算でした。多くの人はびっくりしていましたが、日本の実質の自給率を考えれば、驚くことには何もなく、むしろ当然な分析だと思います。

 

「コメ余りだから作るな」「牛乳も搾るな」

鈴木:最大の問題は、この後に及んでなお、岸田政権から食料自給率をいかに上げるかという議論がまったく出てきていないことでしょう。

 いまだに「経済安全保障」の発想から抜け出せずに、国内の農産物はコストが高いのだから基本は輸入依存でいく、貿易自由化を進めて調達先を増やしておけばよい、といった論調で日本の食料政策が進められています。

 

官邸に逆らう農水官僚は飛ばされていった

<――そのパワーバランスが崩れたのはいつ頃でしょうか。>

鈴木;大きく変わったのが第二次安倍政権でしょう。この時に自民党がTPP推進を大きく打ち出した形になりました。

 

・種を農家に安定供給するための種子法が2018年に廃止され、あるいは農家による自家採種を制限する形で種苗法が2019年に改定されるなど、日本の農業を破壊するような改正が次々と進められていきましたアメリカの穀物メジャーやグローバルの種子農薬企業に向けて、日本の農家を市場として差し出したと言えるでしょう。

 

・日米合同委員会とは、いわゆる、日米の軍事的な同盟について話し合うための、外務・防衛両省と在日米軍司令官などで構成された委員会ですが、いわゆる憲法をはじめとした法体系すら超越した存在として知られています。全農の解体が、この委員会の場においてアメリカから示唆されたということが、問題の根深さを端的に示していると言えるでしょう。

 

「民間人の集まり」に絶対的な権限が付与

鈴木:つまり、「規制改革推進会議」に絶大な権限が付与されたということです。この規制改革推進会議というのは、財界人を中心に、選挙で選ばれたわけでもない民間人が集まっている総理直属の諮問機関です。こんなところに絶対的な権限が付与され、農業を含め、日本の国民の生活に根幹が関わる重要なことが次々と決められていってしまう。

 

・こうした動きに対して諸外国の農業者や市民は非常に警戒心を強めており、なかなか強引なビジネス展開ができなくなっていた彼らにとって、従順かつ自国の農業保護に熱心でない日本はまさしく「ラスト・リゾート」なのです。

 そして、日本政府が彼らの思惑通りに、粛々と種の自家採取を規制し、国家による種の安定供給システムを廃止し、全中を組織解体させて農協を弱体化させ、農水省を排除してきた結果、現在の食料自給率の惨状があると言えるでしょう。

 

地元の先生には世話になっているから………という意識

・とはいえ、流石にここまでくると、もはや農業が立ち行かない状況に追い込まれていますから、我慢の限界にきているのではないでしょうか。資金繰りができなくなり経営に行き詰まった酪農家の方たちの自殺も増えています。先日もご夫婦が亡くなられたという話がありました自国の生産者を守らない限り、この国に未来はないということに、どれだけ早く、多くの人が気づいていけるかということではないでしょうか。

 

・地元で安全安心なものを作ってくれる生産者と消費者が有機的に結び付いていく、こうしたネットワークを各地で増やしていくことが重要です。

 

自民党における派閥は今や“選挙互助会”に   井上寿一

井上:政治家の「キャラ」が立っていないことの理由としては、ひとつには若い人にとって政治家という職業に対する魅力が非常に低下しているからではないでしょうか。魅力のない職業だから、「こういう人こそ政治家にして自分の地盤を継いでもらいたい」という有力な人があまり出てこない。だから2世議員、3世議員が増える

 

井上:河野太郎さんみたいな人がなぜ若い層から支持を受けるのかという点には関心があります。河野さんは政治家の中でもネットをいちはやく利用した人です。

 

安倍政権が広く支持を集めた理由

井上:毀誉褒貶の甚だしい政治家でした。安倍元首相の政治指導として肯定的に評価すべきは、国民に向かって自分のやりたいことを明確にしたことです。

 

・安倍元首相はご自身の政治イデオロギーとは異なる考えを持つ人にもなるべく支持を広げようとしていました。自民党は「労働者よりも資本家」の政党でしょう。それなのに安倍元首相は、経団連に対して労働者の賃金を上げるように求め、景気をよくするためには賃金を上げなければいけない、そうした当たり前の考え方を持っていました

 

・井上:モリカケ森友学園)問題など黒に近いグレーな部分もありました。安倍政権に限らず、どんな政権でも長期化すると腐敗は必ず起きるものです。

 

・現在は大衆社会状況が行き着くところまで行っているので、そんなふうに知的な見栄を張ってみたところで、必ずしも国民の支持にはつながらないでしょうが、そうしたポピュリズム政治の悪循環が生じている日本の現状に対しては悲観的にならざるを得ません。

 

<「ブレーン不在」で政治が劣化

井上:ところが今、新聞に出ている「首相動静」を見ると、ほとんど官僚か政治家としか会っていないのですね。これは第二次安倍内閣の時代からとくに顕著になったように思います。

 

・直接的な理由としては、たとえば安倍政治が官邸中心の政治を進めていくときに、一番指示を出しやすいのが官僚だったということです。

 

・専門家の提言を政治家がしっかりと理解する。そのうえで、それを政策に落とし込むのが官僚の役割です。そうやって政治家・官僚・知識人の三者の関係がうまく回っていました。それが今では政治家と知識人のつながりが細くなっているのです。

 

<“選挙互助会”と化した政策派閥

井上:吉田茂の頃には党内に反吉田勢力がいて、その代表的な人物が岸信介でした。鳩山一郎もそうですが、とても同じ自民党とは思えないほどの路線の違いがあって、それによって疑似政権交代みたいなことが党内で機能していました。ただし、今ではかつてのような政策派閥というものがほとんど認識できなくなっています。

 

以上のことからわかるように、派閥は政策派閥ではなくなって、単なる選挙互助会になっているかのようです。「どこの派閥に属していれば選挙に勝てるのか」ということで派閥を渡り歩こうとする人もいて、こんなことでは政策を練り上げて政治家として成長することは難しいでしょう。

 

<――政治状況はどんどん悪くなるようにも見えますが、何か突破口はあるのでしょうか。>

井上:社会情勢がより深刻になって、そこから再び立ち上がることを待つしかないのかもしれません。世論調査レベルで見れば、国民の大半は政権交代があったほうがいいと答えています。

 

・若い世代の間では、政治の世界のウエイトが相対的に小さくなっていて、それ以外の世界が広がっているようなところがあります。政治的にはそれぞれ立場の違いがあるにせよ、たとえばLGBTの人たちの理解や「男女平等なんて当たり前」という意識、ハンディキャップのある人たちへの温かい眼差しなど、古い考えの高齢者世代が見習うべき素養を自然と身に付けているように見えます。

 

矛盾を抱えたまま「終わらない」戦後

井上:表面的に見れば北朝鮮がミサイル実験をするとか、台湾有事が起こるのではないかといった戦争の予兆みたいなものが迫っています。その中で敵基地攻撃能力を備えるという話になれば、戦争を身近なこととして感じるようになるのも当然の成り行きでしょう。

 

戦前とて軍事政策一辺倒ではなかった

・事件の直後には、国民の間で安倍元首相に対する哀悼の気持ちが高まって、お葬式では献花に訪れた人々が沿道に長い行列を作ったりしました。ところがほどなくして旧統一教会との政治的な癒着や犯人の動機などが大きく報じられるようになり、一部のリベラルな人は口を滑らせて「悲しいとは思わなかった」などと発言するようになったのです。

 もちろん、心から安倍元首相を悼んでいる国民もたくさんいるでしょう。しかし、事件が起きなければ、旧統一教会被害者救済法もできなかったのもまた事実です。

 

小泉・竹中「新自由主義」の“罪と罰”   亀井静香

・「貧しくなった日本」の実感が、国民の間に広がり始めている。

 

・日本が相対的に「貧しく」なった原因は、この20年間というもの、賃金がほとんど上昇しなかったことにある。

 

<――近年、日本人の賃金が上昇しない問題についての議論が盛んです。>

亀井:簡単だよ。企業が内部留保している財務省の発表では今、企業の内部留保が516兆円もあると言うんだな。本来なら、貯める前に従業員の給与を上げるべきだろう。それをしないで企業が貯め込んでいるわけだ。

 

<――内部留保の問題は企業経営者の責任もありますか。>

亀井:もちろんあるが、経営者だけの責任じゃない。たとえば、今の日本には組合が存在しない。あってもすべて御用組合だ。労働組合の幹部というのは、今や貴族なんだよ。経営者に大事にされる一方でストライキもやらねえんだから。

 

小泉改革新自由主義がもたらした功罪

亀井:小泉がやった郵政民営化があったろう。あれは「日本を日本でなくす」政治だった。日本の文化、生活、伝統を壊して米国製の弱肉強食、市場主義が社会の隅々までまかり通るようにする政策だった。その結果、地方が切り捨てられ、都市中心の社会ができた。

 小泉・竹中の新自由主義は確かに流行ったよ。

 

郵政解散」でホリエモンと対峙した日

株価は上がっても国民は幸せになっていない

亀井:金融緩和そのものは評価できる。しかし、それで何が起きたか。株価はたしかに上がったかもしれないが、賃金は上がっていないアベノミクスで株価が上がったと言ったって、庶民は株なんか持っていないよ。誰が持ってんだ、そんなもん。

 結局、アベノミクスで日本の実体経済が強くなったかといえば、そんなことはない。誰に聞いてもそう答えるんじゃないか。

 

地方創生と言われて久しいけれども、田舎の疲弊は変わっていない。子どもも少ないうえ、次男、三男だけではなく長男まで都会に出ていってしまう。

 地元・広島の田舎に行くと何があるか。空き家だよ。家はあるけど人が住んでいない。過疎化はこれからも進むだろう。都会の人は、それでも仕方がないと言うだろうが、これは大きな問題なんだな。

世界が食料を奪い合う時代がこれから必ずやってくる。そんな時、日本の面倒を誰が見てくれるのか。カロリーベースで見た日本の食料自給率は今、30%台だ(2020年度の数値で37.17%)。さらに自給率を下げていったら、日本人はそのうち飢え死にするかもしれない。急に田んぼを作るなんてことはできないんだからな。

 

・そのことについては心を痛めている。俺としては、米国に追従するだけの外交から抜け出し、不平等な日米地位協定を改めてほしかったという思いはある。

 本人も悔しかったろう。自分自身が恨まれ、自分の政治が批判されていたのではないわけだ。恨まれていた宗教団体と関係があるという理由で撃たれてしまった。ひどい世の中になった。

 

・晋三は、父・晋太郎さんの秘書時代からの付き合いでよく知っている。

 

・晋三にとって、俺は厄介なオッサンであったかもしれない。ただその後、彼は父も果たせなかった「天下獲り」に成功した。それも、本人の人徳があってのことだろう。

 

「原点」を失った自民党の政治家たち

亀井:警察庁にいた1971年秋、警備局の極左担当となり、成田空港闘争や、あの有名な「あさま山荘事件」の捜査も担当した。心ある若者たちが、どうして凄惨な事件を引き起こすに至ったのかを考えたとき、やはり政治の道で勝負してみたいと思い至るようになった。だから警察庁を辞めて選挙に出た。無茶な挑戦だったと思うけれども、今もその気持ちは変わらない。

 

<――今の自民党に対して、最後に一言お願いします。

亀井:安倍晋三が撃たれ、亡くなった。このことの意味を真剣に考えてほしいと思っている。物騒なことを言うようだけれども、これから日本はテロの時代に入るかもしれない。

 

特別寄稿  自民党ラジカル化計画――一党優位をコミューン国家へ  浅羽通明

・今の自民党はなぜ絶望的状況にあるのか? それはこの30年余、自民党が、「あるべき政党の理想像に近づくべし」と、柄でもなく頑張ったからに決まっています。

 

1993年、あの時歴史が動いた……はずだった

・何よりも1993年の細川護熙内閣成立まで、40年近く、政権交代がまったくなかった。旧ソ連中華人民共和国ナチスのような一党独裁制でもないのに、公正な自由選挙がずっと行われてきたのに、選挙のたびに自民党が第一党となってとにかく揺るがないのです。

 

・また、現代で殊に切迫した政治的要求があるわけでもない国民有権者が選挙への関心を高めないのも無理ないでしょう。大衆とはもとよりそんなものです。みんないろいろと忙しいのですから。

 

二党制の神話――メディアも教科書も半世紀遅れている

・議会制民主主義において、二大政党制、政権担当能力のある2つの有力政党が政権交代を繰り返すシステムが最善であるという考え方。

 

・考えてみれば、二大政党制は、アメリカとイギリス以外、さっぱり普及しない。豪州、ニュージーランド、カナダなど、イギリスの分家で一時期までみられた程度。

 

・また、小選挙区制にすれば二大政党が実現する、というのもきわめて疑わしい。

 

・二大政党制は目指すべき理想とは言いがたい。小選挙区制がそちらへ至る一歩でもないようだ――。

 

・ちなみに、当時は知る由もなかったでしょうが、現代のヒトラーとも称されるあのプーチン政権を生んだロシア共和国は、小選挙区制です。

 

世界に冠たる「一党優位性」(疑似政権交代も附いて

・そして、各派閥によってより癒着する利益集団や官庁も異なるがゆえに(安倍元首相の清和政策研究会経産省寄り、岸田首相の宏池会財務省寄りといわれます)、この擬似的政権交代は、その優先順位をも変えます。その限りで、癒着の固定化もある程度、浄化できなくもない。

 

自民党をダメにした細川改革、もしくは教科書的知性

・現在も、自民党は一党優位を揺るがせもしない。支持率を低下させている岸田内閣以上に支持率から見離された各野党が一党優位を覆すことはまず無理でしょう。

 

全野党、全国民が自民党総裁を選ぶ時代へ

・造反の教唆、自民党員のひきはがし、自民党分裂の促進。いわば、野党が、自民党の党外反主流派閥となってゆくわけです。

 2017年秋、社会学者・公文俊平が、「立憲民主党が政権を獲りたいなら、野党合同の模索よりも、自民党と合流し宏池会あたりと連携か合併をした一派閥になったほうが近道だ」という趣旨のツイートをしていました。同年11月2日付「毎日新聞」では、亀井静香が辻本清美に、立憲民主党自民党議員を首相指名して与党分裂を謀れと煽動しています。同じようなことを考える知性はいるのですね。

 

・そして、これにはまだ先があるのです。各党は自党の推す自民党総裁候補を、国民からの推薦投票で決めたらどうか

 これが実行されれば実質的な首相公選が実現し得るでしょう。そのあかつきにはさらなる先、すなわち政党制、さらには議会制間接民主制からの脱却すら展望できるのではないか。

 

 

 

(2022/12/24)

 

 

『永田町動物園』

日本をダメにした101人

亀井静香 講談社 2021/11/20

 

 

 

政治家の裏と表、すべて書く! 俺が出会ってきた無数の政治家たちを振り返れば、権力と野望をたぎらせた一種の「動物」というべき人々の顔が浮かんでくる。そんな猛獣たちが暮らす場所が、永田町なのだ。

 

亀井静香  政治家には、光と影がある

・俺は島根との県境近く、広島の山奥の集落で生まれた。獣道を歩き、峠を越えて、今はもうなくなってしまった山彦学校に通っていた。峠途中の地蔵さんのところで弁当を食ったら、学校には行かず、よく回れ右をして家に帰ったりしたものだ。

 敗戦まで没落士族の家系であった父は、村で最も狭い田んぼで百姓をしながら村の助役を務めていた。子どもに分け与える土地がないために、教育を身につけさせようと、俺たちきょうだい4人を90㎞離れた広島市の学校に送り出した。

 修道高校1年の時、学校を批判するビラを撒いたため、俺は退学になった。東大に進んでいた兄と姉を頼って上京したものの、日比谷高校、九段高校などの転入試験を全て不合格。諦めかけていたとき、大泉高校の両角英運校長先生に出会い、温情で編入できた。

 その後、運良く東大に入学し、駒場寮に入った。在学中は合気道とアルバイトに明け暮れ、授業には一切出なかったが、落第することはなかった。

 

・東大を卒業して、大阪の別府化学工業(現・住友精化)に入社した。大事にしてもらったが1年で退職し、警察庁に入った。あさま山荘事件をはじめ、多くの極左事件を担当するうち、政治を変えなければならないとの思いが募って政治家になる決心をした。最初は全くの泡沫候補で、広島政界はもちろん、地元からもマスコミからも無視された。しかし、手弁当で支えてくれた竹馬の友や、少数だが心を寄せてくださった方々もいた。その必死の応援で初出馬初当選から選挙は13期連続で当選させていただいた。

 

だが書きながら、はたして俺たちは日本をよくすることができているのだろうか、むしろダメにしてしまったのではないか、と省みることも多かった。

 

令和を生きる14人

安倍晋三   気弱な青年・晋三を怒鳴りつけた日

・俺は安倍晋三を弟のように可愛がってきた。総理大臣時代には、立場上、「総理」と呼んではいたが、俺にとっては今でも父親(安倍晋太郎)の秘書官だった「三下奴」の晋三のままだ。

 

・昔、こんなことがあったらしい。安倍家に泥棒が入り、晋太郎先生のコートを盗もうとした。それを晋三が見つけて、追い払った。帰宅した晋太郎先生に、晋三がそれを自慢したら「コートくらい、やればよかったのに」と言われたと、晋三本人から聞いたことがある。

 晋三も、素直で人がいいところは、父親譲りだろう

 

・社会部会長のときの晋三は、俺に怒鳴られた思い出しかないだろう。宴会に来ても、同期の荒井広幸と一緒に、宴会芸ばかりやらされていた晋三が、父も成しえなかった一国の長に登りつめたのは感慨深いこの男には運がある。そうでなければ、2度も総理の座に就くことなどできないのだ。

 

小泉純一郎  風を読み切る「天才」の本性

・‘82年のこと。同じ清話会(福田派)で、小泉純一郎は俺の2期の先輩だった。福田赳夫先生が派閥の朝食会で、総裁選での「総総分離」について、一席ぶっているときのことだ。総理大臣と自民党総裁を分離し、「中曽根総理・福田総裁」とする案に、党執行部も乗ろうとしていた

 すると小泉が突然立ち上がり、「この戦いは大義がない」とものすごい剣幕で主張しはじめたのだ。派閥間で談合すべきではないという考えだったのだろう。

 早々に、総総分離案は立ち消えとなった。

 

俺は、日本には土着の思想があるのだから、強者が弱者を飲み込むような政策には反対だ。小泉のやっていることは、改革ではなく破壊にしか見えなかった構造改革自体には賛成だが、小泉の改革は間違いだらけだったと思っている。金持ちさえ都合が良ければそれでいいというだけのものだったからだ。

 

・当時、俺と江藤隆美さんが反小泉の急先鋒だった。小泉政権による「破壊」が続けば、日本はアメリカと中国の狭間で溶けてなくなると思った。中小零細企業からの貸し剥がし、地方の切り捨て、外資や大手企業を優遇する政策が顕著だったのだ。

 

続く‘05年の「郵政解散」はめちゃくちゃだった。郵政改革関連法案は衆議院で可決したものの、参議院では反対多数。すると小泉は、衆議院解散という奇策で流れを作り、俺の選挙区には刺客として「ホリエモン」こと堀江貴文を送り込んだ。衆院選後には俺はあっけなく自民党を除名となった。

 

菅義偉    「冴えない男」と歩いた横浜の街

・菅の当初の印象は、はっきり言うと「冴えない男」。秋田から集団就職で上京してきた苦労人という触れ込みだったが、笑顔がなく、暗い男だった。

 

・俺と菅で決定的に違うのは、郵政に対する考え方だった。

 

・菅のような民営化論者からしたら、民営化に逆行することはすべてが悪に映る。それでは議論のしようがないだろう、というのが正直な感想だった。

 郵政については、その後「ねじれ国会」となり膠着状態が続いたが、‘12年にようやく、郵政民営化を改正することで決着がついた俺の当初案からは後退してしまったものの、過度な民営化を一定程度抑制できたと思う。俺は大臣として、国会審議で「我々は民意に沿う政治をやっている」と言ったが、郵政の問題とは、まさに国民の力を向いているかどうかだ。その点において、菅が俺とまったく逆の方向を向いていたのは残念だった。

 

・ただし、俺からすれば当時の菅を、論戦の相手として意識したことさえなかった。そんな菅が、わずか数年後には官房長官として永田町に君臨し、総理にまでなったのだから、政治はわからないものだ。安倍政権が長く続いたのも、菅の功績が大きかった。調整能力が高いのだろう。今も菅の姿を見ると、冴えない男だった初当選時代のことを思い出す。

 

森喜朗    密室で「森総理」を決めた日

森喜朗とは同じ清話会に所属していたから、俺が初当選した時からの長い付き合いになる。向こうが政治家としては先輩だが、年齢はほぼ同じだったこともあり、仲良くしてきた。それにならい、ここでも森と呼ばせてもらおう。

 

「なんで森みたいなのが総理になれたんだ」と言う人がいる。その理由はズバリ「他人への配慮」だ。上にも下にも、人に対して配慮するのが、ものすごく上手かった。だから、早稲田大学ラグビー部では補欠中の補欠だったにもかかわらず、総理にまで上り詰めたんだ。まさに大人(たいじん)だ。

 

・森は「えひめ丸事故」の時に、ゴルフをしていたことでマスコミに叩かれた。支持率が8%にまで落ち込み、政権は終わった。だが、あれはテレビがいけない。

 

・もっとも、それで影響される国民がアホだということだ。これははっきり言っておきたい。ああいうふうにマスコミに叩かれて辞めるのは、本当におかしな話だ。今はお互い政治家を引退しているが、変わらず友達づきあいができるのは、森の人柄のよさゆえだ。

 

石破茂    おい、本当に総理をやる気はあるか

石破茂の親父は、石破二朗という。旧内務省の官僚から鳥取県知事になった。それはもう、おっかない男だった。俺は警察官僚時代、鳥取県の警務部長をしていたことがある。そのときの知事が石破二朗だった。その恐ろしさたるや、当時、警察庁で最も怖がられていた後藤田正晴以上だった。

 

俺もまだ20代の若造だった。おっかない知事と話をするときには、さすがの俺でも足がガタガタ震えていた

 石破の親父は、東京帝大法学部卒の内務省官僚だから超エリートだが、不思議と知性の匂いがまったくしなかった。息子の茂は、そんな親父が築いた地盤で選挙に出ているのだから、楽なのである。

 親父との縁があったから、石破が代議士になってからというもの、俺は折に触れて気にかけてきた。

 

・だが、このままのやり方では全然話にならない。石破がいまいち総理候補として存在感を示せないのは、なぜなのか。ズバリ言えば総裁選のときしか動かないからだ。戦いというのは、平時から兵を養い、ゲリラ戦から何から、どんどん仕掛けていくものだ。

 

さらに大事なのは、仲間に金を配ることだ、俺が総裁選に出たときは、15、6億円くらいかかった。盆暮れもカネを配る。そうやって支えてくれる人間を増やしていかなければ、総理総裁なんてなれっこない。

 

衛藤晟一   自民党を黙らせた「名演説」

政治家の能力のなかでも、重要なもののひとつが演説力だ。単に演説が上手いだけならごまんといるが、たった一言で政治の流れを変えることができる政治家はそうはいない。

 

・衛藤の名演説がなければ、多数の離反議員が出て、自民党は割れていただろう。そういう意味でも、衛藤は自社さ政権樹立の功労者のひとりだ。

 

俺が政治家を引退したのは、衛藤のような良い相棒がいなくなったからだ。

 

武田良太   政治家は、行儀が悪くてちょうどいい

・良太は若い頃、俺の秘書をしていた。政治家人生の第一歩から見てきた存在だ。

 

自民党公認ながら、3回続けて落選という憂き目にあったのだ。‘03年の総選挙では公認さえもらえず、無所属で戦った。普通ならとっくに音を上げる状況だが、良太の根性は半端ではない。初挑戦から10年後のこの選挙で、なんと自民党の公認候補を破って初当選を果たしたのだ。

 

有権者に土下座さえした。俺は自分の選挙では土下座はしないが、奴を当選させるためなら何でもするという思いだった。

 

政治家である以上、少し毒を持っているくらいが、ちょうど良い。自分の意思で行動できる者が頭角を現す世界だ。良太には、「年齢から考えれば、堀の中に落ちないかぎり、お前は総理になれる」と言っている。能力のある政治家というものは、みんな刑務所の塀の上を走っているようなものだ。俺も塀の上を走り続けたが、ついぞ落ちることはなかった

 

平沢勝栄   晋三の家庭教師、ついに入閣す

・東大を出て警察官僚となり、その後政治家に転身。俺と瓜二つの人生を歩んできたのが平沢勝栄だ。世襲ではなく裸一貫の政治家として、選挙に強い点も共通している歴史観や国家観が近く、風貌もどこか似ている。

 

・国会会期中も、わずかでも時間が空けば地元に戻り、会合やお祭り、冠婚葬祭をハシゴする。自分が行けないときも、秘書を挨拶に向かわせる。タバコを買うときは、一箱ごとに買う店を変え、散髪するときには毎回違う店だ。選挙民に顔を覚えてもらう意味もあるが、最大の目的は、地元の人たちが何に困っているか、生の声を聞くためだ。

 

・平沢が選挙に強いのは、このマメさに尽きる。ここまで地べたを這いずり回ることのできる政治家は、そういない。能力も高く、広い人脈の持ち主なのに、菅政権で復興大臣になるまで長いあいだ入閣できなかった理由のひとつは、平沢が安倍晋三の小学校時代、家庭教師を務めていたことだろう。

 

下村博文   俺の息子との知られざる因縁

・下村とは、個人的な因縁もある。実は俺の息子が、下村の選挙区から出馬するかもしれなかったんだ。息子は東京11区の板橋区で開業医をやっている。受け持つ患者が何百人もいるうえ、父親が亀井静香だから、選挙があるたび医師会などから担がれそうになった

 本人も全く色気がなかったわけじゃないが、俺は息子を下村と喧嘩させたくなかった。親バカのようだが、息子が出れば結構強かったんじゃないかと思う。でも、「絶対ダメだ」と立候補を諦めさせた。下村もこの件を気にしていたが、俺は下村に「絶対出さないから心配するな」と言った。政治家とはあくまで有権者のしもべだ。やるなら自分で決意し、親の力など頼らず自力で当選しないとダメだ。俺の息子はいま、下村の応援者の一人になっている。

 

・こういう危機は政治家にとって、己の力量を示すチャンスでもある。難局の中で力を発揮してこそ、裁量は大きくなる。そして、自ずと総裁候補への道も開けてくるというものだ。

 

古屋圭司   亀井派を支えた名コーディネーター

・俺が清話会から飛び出し、亀井派を立ち上げたのは‘98年9月のこと。山中貞則さんや中山正暉さんなど実力派の議員が集まり、翌年には志帥会として、衆参合わせて60人規模の大派閥になった。毎晩料亭で侃々諤々と語り合ったのも懐かしい。

 そんな血気盛んな連中のなかで、中堅から若手をまとめていたのが古屋圭司だ。

 

・従順だった圭司が、一度だけ反発したことがあった。俺が死刑制度の廃止を主張したときだ。圭司は「被害者家族の気持ちもあるから、死刑には賛成です」と、はじめて俺に反発してきたのだ。だが俺は「どんな凶悪犯であっても人間には魂がある。人の命は重い。俺は絶対に死刑廃止はやる」と突っぱねた。

 

二階俊博   「晋三に花道を」と、俺は二階に言った

自民党幹事長を長く務めた二階俊博は、代議士としては俺の2期後輩になる。34年という長期間にわたり、同じ時間を国会で過ごしてきた。

 

・平成以後の自民党には、利害調整ができて、党内の空気に敏感に反応しつつ策を立てて動き、さらには義理人情で接するという調整型の政治家がいなくなった。

 

・‘20年9月、二階は田中角栄先生を抜き幹事長在職日数で歴代1位になった。ただし、これだけ長くできたのは、自民党が弱くなっていることの裏返しでもある。昔は必ず反主流派がいて、常に権力闘争をしていた。いまは権力を腕ずくで奪い取る強盗のような政治家がいなくなってしまった。中選挙区が廃止されたとはいえ、公認権とカネを握る幹事長というポストを、最大限に使いこなしたのが二階なのだ。

 

・党の選挙要職を務めている人物を委員長に起用するのは、異例のことだった。これでは、「郵政民営化に反対する議員は選挙で支援しない」と言っているようなものだ。当時の小泉は、国会人事に介入してまで、好き放題をやっていたのだ。選挙に突入すると、この二階が陣頭指揮をして、「党の考えと違う主張をする候補には対抗馬をぶつける」と言い、刺客を立てまくった。

 その結果、俺は自民党を離れることになった。一方で選挙大勝の功績から、二階の地位は高まった。当時の俺からすれば、二階など大した存在ではなかったが、それから16年、気がつけば二階は自民党の最大権力者まで上りつめた。

 

俺からみれば、俺の派閥を居抜きで持っていった二階は凄い男だ志帥会にこそっと入ってきた「コソ泥」かと思っていたら、あっという間に家ごと全部乗っ取った「大泥棒」だったわけだが、大した腕である。それに留まらず、日本国まで国盗りしてしまった。

 安倍晋三のような、人の良い殿様の息子では、二階のような策士には簡単にやられてしまう。二階からすれば、ちょろいものだろう。晋三は一本足の案山子みたいなもので、二階の支えがないと権力を維持できないところがあった。

 

昭和を築いた13人

中曽根康弘   小泉純一郎を「無礼者!」と一喝

・中曽根先生を初めて見たのはそのときだ。先生は「青年将校」といわれていた。来賓者が座る一段高いところではなく、道場の床に正座して座っていたことが強く印象に残っている。「威儀正しい」という表現がしっくりくる初対面だった。

 中曽根先生といえば、「上州戦争」が有名だ。

 

・すると、そこにふらっと現れた中尾栄一さんが、中曽根先生を連れてそのまま本会議場に入ってしまったんだ、唖然として、何が起きたのかわからなかった。なんと中曽根先生は、土壇場も土壇場で反主流派から抜け、不信任案への反対票を投じたのだ

 結局のところ、欠席が多かったため、不信任案そのものは賛成多数で可決され、世にいう「ハプニング解散」に突入することとなった。だが中曽根先生にとっては、ここで主流派・田中サイドに身を寄せたことが、その後の総理への道につながったと思う。「風見鶏」と言われる中曽根先生らしい行動だが、政界の風を巧みに読んだからこそ、総理になれたのだ。

 

・その間、俺は部屋の外に待たされていた。小泉が部屋へ入るなり、ものすごい声で「無礼者!」と怒鳴る声が聞こえてきた。中曽根先生の怒号だった。断固として引退に応じない先生は、怒り狂って「政治的テロみたいなものだ」と発言した

 

・しかし、小泉執行部はビクともしなかった。同じく引退勧告されていた宮澤喜一さんがおとなしく引退を表明したこともあって、中曽根先生も最終的に観念し、引退に追い込まれた。

 

竹下登     目配り、気配り、カネ配りの三拍子

・絶大な権力を握っていた竹下登さんが亡くなってから、20年以上が経った。永田町の誰よりも政界の力学を知り、「目配り、気配り、カネ配り」で総理になったと言われた竹下さんは、与野党はもちろん、財界、官界に幅広い人脈を持っていた。表から裏まで張り巡らされたその人脈には、あの中曽根先生も敵わなかった。

 

もっとも竹下さんのほうは、俺が幼いときから、俺や兄貴(元参議院亀井郁夫)のことを知っていたという俺の生まれ故郷、広島県庄原市川北町は、竹下さんの地元である島根県の選挙区と山を越えた隣同士だ。うちは村で下から数えて2~3番目くらいの貧乏な百姓農家だったが、俺と兄貴の2人が東大に入ったことが評判になった。それが山を越えて竹下さんの耳に入っていたらしく、「亀さんのことは幼いときから知っていたよ。山を越えた所に2人の神童がいると聞いていたから」と言われたことがある。同じ山陰の田舎の空気を感じたし、竹下さんは青年団運動から上がってきた人だから、俺と同じように土の匂いがする苦労人だと、親近感を持った。

 

そんな竹下さんが、みんなから人望があった理由には、カネ配りもあったと思う。派閥が違う俺のところにさえ、遣いの者を通じて多額のカネを寄越された。清話会は一銭もカネをくれなかったし、ポストを配る力もなかったが、竹下さんは毎年必ずカネをくれたのだ。派閥が違うのにカネを持ってきてくれたのは、同じ中国山地の山中のよしみからだろう。

 

安倍晋太郎   晋三を守った父の「人徳」

・俺が長年、安倍晋三を弟のように可愛がってきたのは、父上である安倍晋太郎先生に大変世話になったからでもある。

 

晋太郎先生を一言で言えば、徹頭徹尾、善人だ。優しすぎた。だが総理総裁になれずとも、他のどの政治家よりも徳を積んできた。それが息子の晋三をも、陰に陽に助けてきたのだ。晋三が長期政権を樹立できたのも、父上の徳のおかげだろうと今は思う。

 

金丸信     部屋中からカネが湧いて出た

・「政界のドン」と称された金丸信さんは、昭和の激しい政局の時代、常にその中枢で立ち回った、まさにキングメーカーだった

 俺が国会議員になった当時は、田中角栄さん率いる田中派全盛の時代で、俺のいた福田派は傍流とみなされていた。

 

・金丸さんの凄いところは、徹底的に黒子であり続けたところだ。

 

・当時ペーペーで、派閥も違った俺は、金丸さんとの接点は少なかった。ただ、随所に「この人は大人だ」と感じる場面があった。

 彼の力の源泉の一つは、抜群の資金力だ。俺も一度、金丸さんからオカネをもらったことがある。

 

次に当時幹事長だった金丸さんの事務所に行くと、すぐに「わかった」と共感してくれた。おもむろに背広のポケットからおカネを出し、それだけで100万円はありそうだった。だが「これじゃ足りないな」と呟くと、机の引き出しや棚をゴソゴソと探し、札束はみるみる500万円ほどになった。部屋を漁るだけでおカネが出てくるのにも驚いたが、それをいとも簡単に渡してくれたことにも驚いた。

 金丸さんは名前の通りおカネを持っていたが、溜め込むのではなく、意義のあることだと思えば、普段付き合いのない俺のような奴にもポンと渡してくれる器の大きい人だったのだ。

 

それほどの実力者だったが、最後はあまりにも哀れだった。‘92年8月、金丸さんが5億円のヤミ献金を受け取ったといういわゆる「佐川急便事件」が発覚。金丸さんは記者会見を開いてこれを認め、副総裁辞任を表明した。

 

福田赳夫    エリートだが、どこか土の匂いがした

・だが、肝心の福田派は選挙戦が始まってもなかなか本腰を入れてくれない。というより驚くほど応援してくれなかった。理由は簡単で、俺が「泡沫候補」扱いされていたからだ。必死に応援してくれたのは、福田派の先生ではなく、中川一郎先生だった。

 5000票差でぎりぎりの最下位当選を果たした俺は、そのまま福田派に所属した。だが選挙での恩義もあり、中川先生率いる中川派にも出入りした。新人でいきなり2つの派閥を掛け持ちしたので、「両生類」と揶揄する連中もいた。俺には、陰で文句を言う奴の相手なんてしている暇などなかったが。

 

・もうひとつ印象深い思い出がある。俺は‘89年の総裁選で、清話会の方針と異なる山下元利さんの擁立を画策し、清話会を除名になった。結束してこそ力になるのが派閥だから、勝手な動きをする奴は除名されても文句は言えない。

 

・福田先生は‘76年から’78年まで総理を務めたが、もっと長期間総理をやるべき人物だった。息子の康夫も総理になったが、あれはサラリーマンだ。印象が薄い。福田先生は大蔵官僚の出身ながら土の匂いのする政治家だった。しかし康夫からは、その匂いが感じられなかった。

 

中川一郎    熱血漢を襲った悲劇

・俺の初選挙では、福田派の幹部である安倍晋太郎先生にも応援をお願いしたが、ダメだった。そんななか、俺の志を意気に感じてくれたのが、当時国民的にも大変人気のあった中川一郎先生だ選挙期間中、広島県庄原市の山奥まで駆けつけてくれて、翌年のハプニング解散後の選挙戦でも「俺が行くぞ」といって、どんどん選挙応援をやってくれた。

 中川先生は北海道開拓民の家族の出で、子だくさんの家に育ち、とても苦労された方だ。その熱血漢ぶりに俺は魅了され、短い間だったが非常に濃密な関係を結んだ。

 

・年の瀬、事務所のあった永田町の十全ビルで、こう声を掛けたのが最期になってしまった。「中川先生、がっかりしないでください。年が明けたら、私と狩野明男と三塚博の3人が先生のところに移籍します。いま福田先生から了解を得たのですから、元気を出してください

 年明けの1月9日、先生は自死された。「北海道のヒグマ」と呼ばれるほど豪快な人だったが、同時に繊細で気が弱いところがあったんだろう。総裁選で負け、孤独になったことで一気に弱ってしまった。まだまだいくらでもチャンスがあったのに、残念でならない。

 

平成を駆けた31人

後藤田正晴   俺を政治の道に進ませた「圧力」

・後藤田さんは役人時代から、田中角栄さんの懐刀として重宝されていた。あるとき、俺が公職選挙違反で衆院選自民党候補を逮捕しようとした。すると、刑事局から逮捕にストップがかかった。角栄さんの命を受けた後藤田さんからの指令であることは明らかだった

 普通なら、逮捕を泣く泣く諦めて終わりだ。ところが、俺にそんな圧力は通用しない。「それはまかりなりません」とばかり、逮捕してやった。後藤田さんからすれば面子丸つぶれだ。それをきっかけに、後藤田さんは「亀井の野郎」と疎ましく思っていたようだった。

 その後しばらくすると、埼玉県警捜査2課長だった俺のもとに人事の内示があった。警視庁本富士署の署長で、警察キャリアにとって出世の王道コースのひとつだ。しかし、それを知った後藤田さんが「亀井は警視庁なんかに入れちゃいかん。何をやるかわからん」と言って、人事をひっくり返した。そして、「極左をやっつけるならいくらやってもいいから、極左担当にしろ」ということで、俺は‘71年、警備局の極左事件に関する初代統括責任者になった。

 

・その後、‘76年の衆院選で先に後藤田さんが政治家に転身し、3年後に俺も政治家となった。同じ警察官僚出身とはいえ、派閥は違ったし、後藤田さんからしたら俺は憎き男だ。官房長官時代も、一切カネをくれることもなかったし、俺に目をかけてくれることもなかった。また、俺もそれを望んでいなかった。だから酒席を共にしたこともない。

 

・なだめたりすかしたりといった芸のきくような、可愛げのある人ではなかったのだ。その辺りが「カミソリ」と呼ばれる所以だが、自分でも総裁のポジションには不向きだと自覚していたのだろう。俺とは政治スタンスが全く異なり、どこまでも「官僚」だったが、私利私欲のない一本独鈷な政治家であった。

 

梶山静六    総理になれなかった悲運の政治家

・政治家に必要なのは、強い信念に基づいた覚悟と、人を魅了する力だ。だが、それだけでは天下はとれない。運が必要なのだ。安倍晋三だって運がなければ、父親が得られなかった総理の座を、2度にわたって獲得することはできなかったはずだ。

 そういう意味で、悲運だった政治家の筆頭といえば梶山静六さんだろう。

 

橋本龍太郎   俺が作った橋龍内閣を、壊した理由

・橋本内閣が誕生し、俺も組織広報本部長という新設された四役に就いた。ともにお国のために頑張ろうと意気込んだのだが、現実は違った。あいつは総理になった途端に変わってしまったのだ。大蔵省の虜になり、緊縮財政を主導し、政策的に縮小路線に舵を切る。官僚にのせられ、消費税を3%から5%に引き上げてしまった。公共事業もなんでも切ってしまえと、無茶なことをやりだした。

 翌年から長期デフレに陥り、失われた20年を深刻化させた。俺のおかげで総理になれたのに、言うことはまったく聞かない。結果、俺は梶山静六さんと手を結び、橋龍おろしを画策した。自分が担いで作った内閣を、自分で壊すというのは皮肉なものだ。政治の世界では、昨日の味方は今日の敵。今日の敵は明日の味方。それ以降、橋龍とは会うこともなくなってしまった。大蔵省の虜になってしまった変節だけは、残念でならない。

 

野中広務    偉大な裏方に「許さない」と言った日

・老獪な一面もあったが、抵抗勢力と呼ばれて、時々の政権に批判もしてきた。野中は目線を低くして生きているからだ。保守色が強い自民党にとって、彼のような平和主義を追求する姿勢は必要不可欠だった。偉大な裏方を、日本は失ってしまった。

 

中川昭一    親父さん譲りの「情」が忘れられない

弟のように可愛がっていた中川昭一が亡くなり、早12年が過ぎた。

はにかみ屋のところもあったが、いつも屈託のない笑顔で、俺を兄のように慕ってくれた。

 

・‘09年2月、昭一は財務・金融担当大臣としてローマで開かれたG7に出席した。その後、酩酊したような朦朧状態で記者会見に出て猛批判を浴び、責任をとって大臣を辞任。半年後の総選挙で謝罪行脚をしたが、民主党候補に敗れ、比例復活もならずに落選した。1ヵ月後、自宅の寝室で倒れているのを発見された。

 その日、俺は自分の事務所にいたが、一報を聞いて慶應病院へ急行した。だが昭一は、すでに息を引きとっていた。今でも病や発作によるものだったのか、それ以外の理由があったのか、はっきり分かっていない。いずれにしても、昭一ほどの男を失ったのは残念と言うほかない。

 

与謝野薫   頼まれたら断れない働き者の生涯

・永田町の「仕事人」としての皆の記憶に残っているのが、与謝野馨だ。俺は彼を「最強のテクノクラート」と評していた。それほど頭の切れる男だった。

 与謝野がライフワークとしていたのが「財政健全化」だ。彼は徹底した財政緊縮論者だった。

 

・思うに、与謝野馨は頼まれると断れない人間だったのだ。だから、中曽根さんが師匠のはずなのに、自分を重用する梶山さんについて行き、仇だったはずの民主党にも請われれば入閣した。敵味方に囚われず活躍の場を探し続ける姿は、まさに稀代の「仕事人」だった。

 

小林興起   「上から目線」をやめて、戻ってこい

小林興起は、通産省の官僚出身だ。農林大臣だった中川一郎さんと出会って政治家を志した。福田派に所属しながら中川派の会合に出ていた俺は、たまたま、自分とどこか風貌が似ている男がいるな、と思って小林を認識した。

 

・お膳立てをしてやれば、あとは親分の中川さんがなんとかするだろうと見ていたが、中川さんは‘82年の総裁選出馬の後、悲運の自死を遂げる。なんとか小林を国会議員にするため、俺は応援に動きまわった。しかし、当時の小林は泡沫候補扱いで勝ち目もない。

 

・苦戦は続き、‘83年、’86年と総選挙に連続で落選。

 

一度は当選して政界に復帰したが、その後は落選続きだ。理由はなんとなくわかる。優秀で能力は抜群だが、自分が一番優秀で偉いと思いこんでいるのだ。「上から目線」の唯我独尊では、選挙民が反発して票が集まらない。政界復帰のため、小林は今も頑張っていることを知っている。まずは、謙虚になることだ。

 

自民党と対峙する21人

玉木雄一郎  総理大臣候補になるためには………

・国民民主党代表の玉木雄一郎は、まだまだ若いが、間違いなく将来の日本を担っていく政治家だと思う。今はキラキラする経歴が邪魔している。

 

・玉木に言いたいのは、机上の勉強じゃダメだということだ。政局で揉まれ、修羅場をくぐる。批判され、めちゃくちゃにマスコミに書かれないとダメだ。

 そのためにも、政局を仕掛けていかないといけない。

 

志位和夫   本気になれば、日本を変えられる

志位和夫とは、実に柔軟な男だ。良いものは良いとし、悪いものは悪いという是々非々の姿勢を持っている。

 

・だが原理原則がなく柔軟で、何でもありとなると、そういう男は怖い。悪魔とさえ手を握ることもできるからだ。俺はこれまで志位とは何度も会い、天皇制や日米安保、北東アジア問題、野党共闘、内政と、幅広いテーマで議論をしてきた。天皇観を巡っては真逆の考えの持ち主だが、他の部分では共通する部分も多い。一部の人たちが富を独占する新自由主義は駄目であるとか、増税反対の考えにも俺は共鳴している。

 

・志位は、権力を握らないといけないと考えているのだから、本気で野党共闘に臨んでもらいたい。共産党だけでなく、野党トータルとしての共闘を実現してほしい。彼にそれだけの器と力量が備わっている。

 

大塚耕平   四面楚歌の俺を支えてくれた

・総選挙で民主党が圧勝し、俺の率いる国民新党、そして社民党を含めた3党連立の鳩山由紀夫政権が誕生した直後、郵政改革・金融担当大臣に就任した俺は、世間が飛び上がる政策をぶち上げた。モラトリアム法案(中小企業金融円滑化法案)だ。中小零細企業や住宅ローン利用者の借金の返済猶予を銀行に促す法案を作るよう提唱したのだ

 

・モラトリアム法案は無事完成し、‘09年11月には可決成立、翌月に施行された。年末で会社の資金繰りの厳しい時期に施行できたことは大きかった。俺の信条を理解し、片腕となって多大な尽力をしてくれた大塚には今でも感謝している。彼なくしては法案成立までこぎつけなかった。俺の部下として来てくれたのは、まさに天の配剤だった。これからも大塚には弱者に寄り添った政策を作ってもらい、日本の政界を引っ張っていってほしい。

 

菅直人    緊急事態下の総理といえば、この男だった

・俺は、副総理の話を断り、代わりに首相補佐官に就任した。菅は総理まで務めたが、決して大物政治家とはいえない。そうはいっても、自民党世襲議員ばかりが出世するのが常の昨今の永田町で、市民運動家から首相にまで上り詰めたのは、大したものだと思う。

 

鳩山由紀夫  「宇宙人」は、すべて任せてくれた

・そんな鳩山とも、一度だけ衝突したことがある。永住外国人参政権の問題だ。「永住外国人参政権がないのは、日本が住みにくいことを物語っている。永住外国人地方参政権を与えるべきじゃないですか?」鳩山はこう言ったが、俺は、そんなことをするのなら連立を出て行くと答えた。鳩山も根負けしてこの法案は見送られた。

 衝突はそのときだけだ。俺と鳩山は、対米従属からの脱却を本気で考えていたのだ。国益を守るため、自主独立をしなければいけないという点は同じ考えだった

 

・今の政権はアメリカに追従するばかりだ。鳩山のような本気の政治家がいないのだ。世間離れした考えから、鳩山は「宇宙人」だと揶揄されていた。その宇宙人が、地球の下世話な部分を、地球人の俺に任せてくれたのだ。鳩山には感謝している

 

福島瑞穂   野辺の花として散る覚悟はあるか

・福島は当然左翼だが、俺は自民党時代から右っぽいところも左っぽいところも併せ持っていたから、福島とは意外と考えが一致するところが多い。

ある日、福島と食事をしていたら「私と亀井さんは『郵政民営化反対』『死刑廃止』『義理人情』、この3つしか共通事項がないですよね」と言ってきた。俺は「3つも同じなら上出来じゃないか」と返した。ひょっとすると保守の政治家より気が合うのかもしれない。

 

前原誠司   意見は違うが、驚くほどに義理堅い

・俺と前原は、政策が近いわけではない。俺が必死で主張してきた郵政民営化反対や死刑制度廃止には、彼は反対している。TPPの時も、前原は賛成で、俺は反対の先頭に立っていた。だが、前原が他の民主党出身の政治家と違うのは、抜群に気遣いができることだ。

 

山田正彦 「ブレない男」と新党を作ったときのこと

TPPは日本にとって自殺行為である。日本の農業を確実に滅ぼす野田佳彦政権になるとTPP推進の動きはさらに加速した。野田は「TPPに賛同しない議員は選挙で公認しない」とまで発言し、翌年の11月に解散をしてしまう。TPP反対の急先鋒である山田さんはやむなく離党を決断し、そこで、無所属になっていた俺と2人で政党を作ることになった。

 

岡田克也  「地蔵さん」だが、それも悪くない

宮澤喜一政権の頃、自民党でひときわ生きのいい若手議員が、岡田克也だった。堅物で知られる岡田は、金権体質はびこる自民党政治に嫌悪感を抱いていたのだろう。カネのかかる中選挙区をやめ、小選挙区制を導入するのに特に熱心だった。

 

だから、俺は岡田に「石の地蔵さん」というあだ名をつけた。本人と会っても直接「おう、地蔵さん」と呼んでやった。

 ただ、石頭で融通がきかないのは決して悪いことばかりでもない。それは、あいつなりの信念を持って行動していることの証だ。

 

岡田は野党議員の中でも選挙がとてつもなく強いし、経験も豊富だ。日本の政治をマトモに戻すためには、野党が強くなることが欠かせない。そのために「地蔵さん」の力が必要とされる局面が、近い将来やってくるだろう。

 

因縁と愛憎の21人

橋下徹    国政進出は失敗だったが、チャンスはある

橋下徹は天才だ。大阪で府知事になり、大阪維新の会を作ると、「反東京」でまとめ上げて「大阪中心」で一つの勢力を作った。大阪都構想は、大阪独立運動みたいな話である。要するに、東京の風下にはつかないということ。なかなかできる発想じゃない。まったく革命児だと思う。

 

やっぱり政治は自分でやらなければしょうがない。橋下はまだ若いのだからもう一度勝負してほしいと思う。会って再認識したが、やっぱり光がある。天才児だ。コツコツやるのではなく、パッとやってパッと花を咲かせるタイプだ。必要とされる出番はやってくるだろうから、そのときはぜひ政界に殴りこんでほしい。

   

綿貫民輔  国民新党を共に立ち上げた「大人物」

俺と綿貫さんでは、郵便局との距離感はまったく異なるものだった。綿貫さんは郵政族で作る郵政事業懇話会の会長を務め、まさに「郵政族のドン」そのものだ。一方の俺にとっては、特定郵便局は選挙での強力な敵だった。広島3区で、同じ自民党で戦っていた佐藤守良さんの強力な支持団体だったからだ。だから、自民党を離党した俺が、無所属ではなく、綿貫さんを旗頭とした新党で「郵政民営化反対」を明確にする考えを示したとき、後援会からは「気が狂ったのか」と猛反対された。

だが、「郵政民営化なんてやらせたら、この地域を含めて日本中の地方が滅茶苦茶になる。だから選挙とは関係なく俺は反対する。それが嫌なら応援してくれなくて構わない」と俺は宣言した。

 

武村正義  官僚時代の「裸の付き合い」

・俺が埼玉県警捜査二課長に就任した‘69年、着任直後、埼玉県地方課長に異動してきた役人がいた。自治省から埼玉県庁に出向中だった武村正義である。

 この武村の異動は、俺の「篭絡」が目的だった。どういうことかというと、当時の俺は捜査二課長としてあらゆる事件を手がけ、検挙数も多かったので、埼玉県庁が震え上がっていたのだ警察庁長官後藤田正晴さんの命令すら無視し、田中角栄の「刎頚の友」といった大物も逮捕に踏み切っていた。警視庁も含め他県警の捜査二課は実績がなかったから、俺は県外にも出て容疑者を逮捕した。管轄外でも、工夫して関連づけさえすれば逮捕できる。警察庁長官賞は埼玉県警捜査二課が独占だった。

 そこで武村を、俺の「宣憮要員」として寄越したわけだ。事実、武村からは接待漬けだった。しょっちゅう俺を群馬の温泉地へ連れ出し、泊まりがけで、2人して女遊びだ。ただ、俺は奴の魂胆を分かっていたから、接待を受けても、あまり手加減はしなかった。

 今だから言えるが、当時俺は県庁から裏金をもらっていた。捜査二課のカネがなくなると県の総務部員に電話をして、「カネがないんだ。ちょっと出してくれや」と言った。すると部長は何千万円単位のカネを寄越した。恐喝みたいなものだ。俺はそれを自分のポケットに入れるわけではない。捜査は5人一組の班単位でやっていたから、成績を上げた班には休暇を与えたうえ、その裏金を使って海外旅行に行かせた。するとみんな張り切り、休日返上で内偵をし、容疑者を見つけては捕まえる。検挙実績も上がっていった。

 

 武村は‘71年、八日市市長選挙に出るといって自治省を辞めた。俺はみんなを集めて送別会をしてやった。俺と女遊びばっかりしていたやつが「改革派」と称して市長選に出るんだから、笑ってしまった。とはいえ、もともと自治省に入るくらい優秀な男だし、何よりも野心家だった。その後、国政に転身したのは当然の成り行きだろう。

 

宮澤内閣が不信任決議されると自民党を飛び出して「新党さきがけ」を結成し、その代表に就いた。この時、俺とは長い付き合いにもかかわらず、武村からは一言の相談もなかった。一緒に離脱した園田博之たちとはいつも一緒に麻雀をやっていたにもかかわらず、彼からも一言の相談もなかった。全くもって仁義なき野郎どもである。

 

・武村は、俺が社会党と組んで政権を奪還した時には、ちゃっかり付いてきて大蔵大臣に就任した。「自社さ」連立政権とはいうものの、本当のところ、さきがけなど刺身のつまに過ぎなかったのだが、間隙を突いてきた。こうした世渡りの上手さでは、武村の右に出る者はいない。それができたのは、周りに敵を作らなかったからだろう。ムーミンパパと呼ばれるほど穏やかな外見ながら、野心家で血の気も多い。なかなかの人物なのだ。

 

小沢一郎  3度目の政権交代を見るまでは

長い政治生活の中で、俺にとって最も因縁深い政治家が小沢一郎だ。小沢とは「手を結んで、喧嘩して」の繰り返しだった。

 

・2度も自民党政権をひっくり返し、55年体制をぶっ壊すなんて大それたことは、小沢一郎という政治家だからこそ為し得たことだ。もう小沢も80近いが、3度目の政権交代を見るまでは引退しないつもりだろう。その姿を、俺は傘張り浪人として静かに見守りたい。

 

 

 

(2017/7/26)

 

 

 

亀井静香天下御免!』

岸川真      河出書房新社   2017/6/12

 

 

 

<「政治に関心のないひとはいるが、政治に関係のないひとはいない」>

・小沢氏がベトナム戦争で指揮を執ったボ・グエン・ザップ将軍を敬愛するのに対し、亀井がエルネスト・チェ・ゲバラを尊敬しているのは好一対だと思う。

 

<大統領選挙>

(亀井)オバマは16%しか黒人がいない中で大統領に当選したでしょう。米国の人種差別はものすごいものですよ。地域によっては、有色人種を人間だと思っていない。その低いパーセンテージの中からオバマは、大統領に就任した。格差社会の米国では2、3%の人が富を独占している。オバマが当選したのは、低層の人々がオバマなら数々の利益を守ってくれると思ったから。しかし、そのオバマ大統領も議会の壁に阻まれたまま任期を終えようとしている。サンダース候補が代表に選ばれなければヒラリー・クリントンでなくて、トランプが勝つ。なぜなら富裕層とインテリがヒラリーを支持しているが、サンダースとトランプは貧困層ウォール街、インテリ政治に飽き飽きしている大衆が支持してる。サンダースが抜ければザーッとトランプに票が集中するのは自明です。勝つのはトランプよ。

 

小池都知事人気について>

・(亀井)都議会議員も同じ穴のむじなですよ。自分達が決めておきながら、元知事が悪いという。韓国では前大統領を弾劾して追い落とし、それで自己の正当性を高めるような政治風土があるけどね、日本でもそうした悪しき風潮が出始めてますよ。何よりメディアがだめです。国をどうするのかといった視点がないばかりか、ただ面白可笑しく、ただの漫才中継にしてしまってね。東京は大阪の比じゃない、小池新党という実体のない幽霊にとらわれてしまう。それで自民も民進党もなくなるリスクは高い。次の総選挙で自民党は220から230議席まで落ちます。500%落ちる。小選挙区制というのは、そういう制度だよ、2年以内にそうなります。

 

これを傘寿80歳、無所属にして最高齢の衆院議員が言うのか?動くか?というものだ。

 

・(亀井)毎度言うけどね、政治に関心のないひと、これは日本、世界でも大勢いるが、政治に関係ないひとはいないんですよ。

 

原子爆弾

・あの時、戦争末期だったから食糧難で校庭が全部芋畑だ。そこで野良仕事の作業が終わっても芋畑に残ってたら、西の方角がカッとまばゆい光が輝いた後にドロドロっという地響きだ。それで山の向こうから妙な色したキノコ雲がブワーッと昇った。新型爆弾というのは、逃げてくる避難民から知ったんだ。長姉の知恵子は女学生でしたからね。すぐに救援活動をしたせいで二次被爆したんです。二次被爆というのは認定をなかなか受けられなくてね、大変苦労したようでした。クリスチャンだった姉に連れられて教会や日曜学校に連れて行かれたものですよ。生粋の文学少女で、戦後は大阪の聖心女学院で先生をしながら句作に励んでいました。句集に「白血球測る晩夏の渇きかな」というのを遺しています。

 アメリカの原爆投下に関しては、明らかに戦争犯罪だと思う。16年にオバマが広島へ来たが、謝りもしない。来ないほうが良いと思ったので、私は抗議した。訪問を喜ぶ国民がほとんどだが、冗談じゃない。それでは原爆投下で戦争が早期に終わったと信じるアメリカ国民と五十歩百歩ですよ。あれはやってはいけなかったのだと、犠牲者を悼まねばいけない。日本が戦争を起こしたことをアジア諸国に反省せねばならないのと同じく、戦勝国であっても歴史に責任を負うのが、死んでいった者への義務だと思うんだ。

 

<死刑制度廃止>

・これもやらねばならない。凶悪犯罪が取り上げられると死刑死刑と騒がれる。これに反対すると投票が減るというんで議員連も減ったよ。ここは前にも語ったけど重ねて言います。

 日本人は仇討礼賛、忠臣蔵礼賛が根深いんだろう。目には目を歯には歯をという、そういう風潮をよしとする。これを覆していくのは至難の業だ。しかし日本にとって、今から絶対に乗り越えにゃいかんことだよ。

 

地方自治

・山村の集落が高齢化で消えていっている。私は根っこの会という超党派でドクターヘリを出させることに決めた。お医者さんを運んで、僻地を診察して回る。地方自治体が一文も金を出さずやれるようにしたんだけど、手を付けない。

 なぜか。地方自治体はそんなことをせんでも、爺ちゃん、婆ちゃんは十分に面倒見ている。だから、そんなことはいらんことだという感覚なんです。ドクターヘリなんか余計な仕事で面倒だ。市町村自体が嫌ってるわけですね。

 

・心ある自治体関係者や地元企業の方は多い。まあ大方の地方にいる親方日の丸は働かないから、金が回らなくて困っている地元企業に金をどんと生ませる仕組みを作ってやるべきだ。そこから始めないといかんと思って、私の会社も脱原発事業、太陽光発電バイオマス発電に参画させることにしましたよ。

 

<政党ではまとまらない議会>

・今や政党で括るのは無理ですね。個ですから。個の行動といいますかね、そういうことにザーッと拡散して行っています。だから政党で括るとして何で括る?政策言うても政党の垣根じゃ括れんでしょう。

 

<定年制と機会均等、小選挙区制>

・いま最高齢の衆議院議員になってしまいました。自民党内で定年制を設けたがあれは必要はないと思う。小僧だろうが、老いぼれだろうが有能なら議員でいるべき。若ければ気力、老いては知恵を示せればいい。同じように女性の機会均等と称して数字を出して、その数に合わせて人材を出せという。これほど女性を蔑視したやり方はないよ。

 かつては派閥の領袖の年齢が高かったわけです。その上で徒弟制度じゃないけれども、政治のいろはを年寄りから習うというような環境はあった。この知恵の継承は大事なんだな。政治には技術がいるからね。

 あとは選挙制度だな。議員議会レベルを落としているのは小選挙区制が原因です。お互いに競争して出てこなくなった。競争すればね、力のあるやつが出てきます。競争をなしにしちゃったらね、ひ弱なやつでも条件さえあれば、バッジを付けちゃう。そういう調子でチャチな人材が議員になるから嘆かわしいよね。でもソレ、選挙民にそのまま返ってくることも知ってほしいな。チャチな政策を押し付けられるのは、ちゃんと選ばなかったせいだ。

 

<政局の行方>

・もうリーダーがいないからね、どう転んでも政治の冬が来てしまうよ。晋三総理もこのままずっとというわけにもいかない。かといって野党共闘から現れる状況ではない。

 

・理想を言えば、まあいっぺん、民進党自民党もどこもかしこも、全部チャラにしてしまったほうがいいよ。国民感情としてもそうでしょう。政党じゃないと金が入らない仕組みがあるからピーピー言っているだけだ。政治改革は全部自殺行為だった。小選挙区制で党の多様性を殺し、政治資金規正法でもそうです。政党法で信念があって脱党したくても容易に抜けられなくなった。

 まあ、次の選挙では自民党は大敗するよ。黙ってても議席は減る。公明党の集票力も低下した。だからどこも目減りする。数合わせが大変です。安倍政権が停滞してるせいで、与野党はモヤモヤしているよ。そこで暴れるやつが出るか出ないかで大きく変わる。いまの自民党執行部も喋ることはずっと同じで新味はない。民進党だって原発廃止も足踏みしてあやふやになるくらい定まらない。電力労連の30万票を当て込んで日本のエネルギー政策を誤るなど笑止千万だよな。バーカ、と言ってやる。

 

労働組合は堕落した>

・連合の言いなりで政権奪取の気がない民進党に未来はないよ。連合が泡食うような政策出してみろと言いたいね。奴らは労働組合だ。自民党には行かないよ。共産党にも行かない。ぜったい離れっこない。だったら遠慮なく攻めればいい。

 いまや組合なんて労働貴族もいいところです。だらしなく私利私欲に走るようじゃブルジョア的堕落だよ。

 この間、自主・平和・民主のための広範な国民連合の集会に招かれて出かけたんだ。そこで挨拶したんですよ。

「皆さん一生懸命、労働運動や政治活動をおやりですね。だけど、現在、非正規雇用者を含めて働く人間から眺めると、あなた方は組織に守られたセレブですよ。それは自覚なさって行動されたほうがいい」

 露骨に嫌な顔をする者もいたね(笑)。どこかの委員長が「先生にズキンとくる言葉をもらいました」と述べに来たけどさ。まあ、労働貴族の趣味みたいになっているわな、いまの運動は。政治家も市民活動家も命のやり取りをするんだという気概がない限りは理想の実現に一歩も二歩も進めんよ。

 

<人生、ただただ進めの巻>

・(亀井)まあハチャメチャな生き方をしてしまっているからな。そこは笑って読んで貰えたら有り難いね。国会議員も13期連続当選で、39年国会議員もしている。会社のオーナーで無所属議員。人生糞面白くもないと思っている人たちへの応援になればいい。途中でドロップ・アウトしてもまたやり直しできるよっていうな。断崖絶壁から落ちた状況であっても、ジジィになってもさ、逆境をバネにして元よりも飛び上がれるんだからね。

 

<健康>

――亀井さんは摂生ってしています?

(亀井)してますよ。プールを歩く。全身運動をしながら。これ1時間半連続してやる。だからプールに通っている人はビックリしているよ。80の爺さんが熱心にやってるから。2キロのダンベルを100回3セット、スクワットを70回。毎日寝る前にやっているよ。そういうことをやっても足が弱る、残念ながら。2ヵ月に1回くらい血液検査をやる。数値が全部良くなったよ。医者がビックリしていた。段々若返っているんです。これでまだまだ働けるよ。

 

<油絵>

――亀井さんはこうして事務所でも油絵を描いてますね。絵を描こうと思ったのはいつ頃からですか?

(亀井)これは銀座で画廊を出していた福本邦雄さんがいる。共産党の福本イズムの提唱者、福本和夫さんのご子息です。邦雄さんは共産党を離れてから竹下登さんの傍におったんです。私を可愛がってくれましてね。邦雄さんが画廊をやっておられたんで、「絵というのは面白いよ、亀井君」と誘われてね。それで描く気になった。

 

<会社オーナーとして>

――この事務所は亀井さんの会社の中にあるということでいいのかな?

(亀井)設立者で、オーナーという役割です。この警備会社JSS、警察庁から頼まれて創立したんです。警察庁に世界のテロ情報、色んな治安情報を集める力が無いから作ったの。きっかけは日本航空警察庁が主でしたね。まさかここまで空港警備などで成長するとは思いもよらなかった。最初は5人とかですよ。それが今じゃ2千名。設立して30年だけど、オーナーですが株式配当を1回も貰ってない。貰おうと思えば相当に受け取れるんじゃないかえ。給料べースアップか福利厚生に使えばいい。毎月開く役員会で、社員は皆、家に帰れば1国の主なんだから大事にしろと言ってます。

 

<政治家は全てのひとに迷惑をかけている>

――政治家という仕事、長い事件を経て、これを亀井さんはどうお考えですか。

(亀井)まず、なりたいという者が来たら、ただバッジつけても仕方ない。やめときなさいと言いたい仕事だね。なりたいとして何をどうやりたいか。コレが大事で、そうでなければなっちゃ駄目だ。やる以上は死ぬ気でやれ、です。

 

・この仕事は家族、そして親しい人に迷惑をかける。人間というものは、生きている限り人を傷つける生き物だという認識があります。多大な犠牲を払いますから、本人以外にね。親しい政治家の息子さんである二世議員が「家族に迷惑をかけたくない」とか言うのでバカタレと叱った。政治家である以上は既に迷惑をかけている。そんなことに気がついてないなら阿呆だ。いまの政治家は応援しているひとへの贖罪や感謝の気持ちがねえんだ。自分の力でなったもんだと過信している。だから止めとけと言うんだ。

 

<この世の底から睨む目が>

(亀井)だからこうやってね、栄耀栄華で暮らしていて、エラそうにあなたに話していてさ。後ろめたさなんてねえと断言しながら、俺は偽善者だなと思うわけだよ。善人ぶってるなとね。どっかこの社会の隅からじーっと下からね、底に住んでいてね、底の底からじーっと俺を上目遣いで見ててね、ふーん何を言っているんだアイツは、そういう眼が、俺をじっと睨んでいるじゃないかと感じられてならないんだ。

 

<ゴミ掃除が終わらない>

(亀井)政治家になろうと思った時の目的、ゴミ掃除が出来てない。未だにやり残しがいっぱいあるんです。

—―だから枯れられないんですね。

(亀井)警察官だった時に感じた社会への憤りをね、そのなんと言えば良いのか、人生の借りを返せてない。日本の闇の部分、そこに職務として棲んでいた。部下も斃れ、追っていた者も斃れた。どうしてこうなったという思いがある。まだ失せることがない。ゴミ掃除に入ったらゴミだらけの上に、新しいゴミが増える。社会の歪みを取り締まろう、法で矯正しようとしているが、それだけじゃダメだ。却って逆効果になる。社会の歪みを取り締まろう。法で矯正しようとしているが、それだけじゃダメだ。却って逆効果になる。ゴミ掃除は大変なんだよ。どうして終わらないのかと思う。

――13期連続で代議士を続けてもゴミ掃除が終わらない、と。

(亀井)いつも言うのはね、いつもあちこち講演に行くでしょう。そのときに最初にいう言葉があるんです。「あんまり評判の良くない亀井静香です」。評判が良くなっちゃゴミ掃除は出来ないものな(笑)。

 

<俺の核>

――亀井さんのルーツというものはやっぱり山間の風景なんですね。

(亀井)ソレは間違いない。

 故郷の須川で隣に住んでいた、大迫さんの封書です(財布から古い封筒を取り出す)。94歳の時に私へこの封筒へ10万円を入れて下さった。政治に使ってくれと。ここに「谷間の美田は草原に/時の流れの悲しけり/美しい国とは昔の言葉/国の未来が思いやられる」そう書かれています。大迫さんは大金を託してくれた。これは私の心に突きささったままです。

 

経世会ホープ小沢一郎

経世会田中派という利権組織から増殖した組織です。云わばマフィアみたいなものだ。小沢一郎が飛び抜けてるわけだけど、彼はネゴシエーションをやって物事を進める人じゃない。絶対的権力を握れる立場に立つと、大きな仕事をする男だ。そういう人だからね、細川政権を作るような荒業が出来る。話し合いとか全く苦手そのものだな。その意味で異才の政治家です。

 

・さらに言うと政治改革四法もね、小選挙区制にしてしまって議員の多様性が失われた。金のかかる中選挙区制だったが、党の執行部に牛耳られて政権批判が出来なくなり、ホントにいまの自民党なんか活力がなくなった。

 また国連平和維持軍に自衛隊を参加させて普通の国だという基準もよくわからない。派遣する必要性は感じないんですよ。専守防衛でいい。防衛費を拡大するのはいい。ミサイル防衛シーレーン強化でね。だけどなんだって米国の戦争に付き合っていいことがあるのかさっぱりわからない。普通の国というのは普通に安心して暮らせる国じゃないのかね。

 

 

 

『「中国の終わり」にいよいよ備え始めた世界』

宮崎正弘   徳間書店   2015/10/29

 

 

 

<半値8掛け2割引>

・暴落の終着点は「半値8掛け2割引」と昔から言われるように、大雑把に見てもピークから68%下がる計算になる(じっさいに2008年から09年にかけて上海株は71%下げた)。

 

<株式大暴落が次にもたらす災禍とは?>

・次の大暴落は必至の情勢となっているが、中国に残された手段はあるだろうか?可能性は2つあるように見える。

 第1は市場の閉鎖である。1カ月ほど思い切って株式市場を閉鎖すれば、この間に様々な処理ができるだろう。なにしろ一党独裁の国ならばこの緊急事態を乗り切る強引な手段も出動が可能である。

 

 第2は通貨の大幅な切り下げである。

いまの人民元は完全な変動相場制への移行が難しいうえ、ドルペッグ体制となっているため、対ドル相場を30%程度切り下げるのである。「そんな乱暴な」と思われる向きもあるかも知れないが、実際に中国は1993年にいきなり33%も通貨人民元の切り下げを行った「実績」がある。

 これにより輸出競争力が回復でき、若干の海外企業の直接投資も復活する可能性がある。

 

・デメリットは石油、ガス、鉄鉱石など輸入代金が跳ね上がること、もうひとつは日本に観光旅行へ来る中国人の「爆買い」ツアーが激減することだろう。というより現在の爆買いツアーはもう終わりに近く、中国人の発狂的海外ツアーも沙汰止みになるだろう。

 かくして中国の爆発的投機の時代は終わりを告げ、中国経済全体の崩落が始まる。それは連動して中国共産党王朝の崩壊の始まりとなる可能性が高いのである。

 

<米国の親中派学者も「中国崩壊論」へ>

旧ソ連は国防費の増大に耐えられなくなって潰えた>

・米国や日本が衰退する危険性はその原因と考えられる少子高齢化の人口動態よりも、もっと見えない変化、すなわち国防費増加ではなく「エンタイトルメント」費用、すなわち「社会保障、メディケア、保険医療(メディケイド)、所得保険」の急拡大にある。日本はこれに失業保険料が差し引かれ、しかも保険料を支払わなかった人々が月100万円ほどもかかる高額の介護を受けているケースもある。

 かくして日米欧先進国や台湾、韓国などは防衛費拡大に予算を回せない隘路に陥没した。インドも貧困層の食料援助予算があり、タイ、インドネシアも然りだ。しかし中国には国民皆保険制度はなく、介護保険もなければ生活保護もない。義務教育も有料である。だからこそ狂気の軍拡が続けられたのだ。

 欧米先進国が共通して陥没した財政危機とは民主制度のパラドックスかも知れない。

 中国の次なる問題は宮廷の内部争い、権力闘争の陰湿性である。

 

・そして、「宦官と官吏による内戦に近い状況は何十年と続いた。朝貢貿易は崩壊し、比類無き明の艦隊は港で朽ち果てた。一方、海岸地域の町の住民はその後の数十年にわたって対外貿易から利益を得たが、明の宮廷はその繁栄ぶりを不快で脅威をもたらすものとみなした。官吏は近視眼的で経済的知識のない官僚の常套手段をとり、潜在的なライバルの力をそぐことにした。もはや仁の政治どころではなくなった」。

 これまで国家の興亡論については、軍事力や海の支配、地政学的観点が主流だったから右のような別の視座からの切り込みは異色である。

 それにしても明がなぜ衰退したのか。

「宮廷ではライバル関係にある各集団が皇帝の関心を引こうと争いあっていた」

 漢の場合、「皇帝への影響力をめぐって、名門一族、軍当局者、官吏である学者・官僚集団、宮廷の宦官という4つの主要な対立勢力が争っていた」

 なるほどまったくと言ってよいほどに現代中国の様相と似ている。

 

・2014年7月に北京大学中国社会科学研究センターが発表した中国のジニ係数は0.73(0.4以上は暴動が多発するレベル)。まさに天文学的所得格差の破壊力によって、史上空前の不均衡状態にある現在、中国は国家の財政が一握りの特権階級によって蝕まれつつあり、王朝の崩壊が近いことを物語っている。

 

<鮮明に表れた中国共産党瓦解の兆候>

・このように、米国における対中穏健派が雪崩を打って中国への失望を表明しはじめたのである。

前述したシャンボーは、共産党体制崩壊は次の5つの兆候からうかがわれるとした。

 第1に富裕層の海外逃亡、第2に国内での言論弾圧、第3に誰もが政権のプロパガンダを信じていないこと、第4に共産党人民解放軍にはびこる腐敗、第5に経済縮小と利害集団による改革阻止である。

 シャンボーはこう結論している。

「一度、この体制が崩れ始めると中国は長期的かつ複雑に停滞し、より暴力的な社会となるだろう」

 

・――危機管理とは考えられないこと、あるいは考えたくないことを考えることである。

 日本人が嫌がる防衛論議、日本の核武装、戦争、これら考えたくないことを、じつは真に近未来のシナリオとして考えなければならない。それは指導者の役目だ。

 

<迫り来る米中戦争の行方>

<米中戦争は不可避だとするロシア>

・こうなると、米中の関係悪化はどこまでいくか、ロシア紙『プラウダ』(英語版、2015年6月24日付)は米中戦争の蓋然性を検証し、11の根拠を描いていた。

 その行間には米中戦争への「期待」(なぜなら「最大の漁夫の利」を獲得できるのはロシアだから)が滲み出ている。

 

<米国が想定する米中軍事衝突3つのシナリオ>

南シナ海問題で一歩も譲らす、重大なチャンスを逃がしたのである。

偶発戦争は起こり得ない可能性が高いものの、危機を危機と認識できない指導者が、党内権力闘争の生き残りをかけて軍事衝突に出てくる場合、俄に起こり得る危険性に繋がるのである。

 たしかに国内矛盾を対外矛盾にすりかえることは歴代独裁者の常套手段とはいえ、中国の軍事外交の突出が続けば、いずれ本格的な米中衝突を招来し、結末は中国の敗北が明らかであり、中国共産党指導力の信用が撃滅され、共産党一党独裁は激しく揺さぶられることになるだろう。

 

<そして中国に大破局が訪れる>

<機密文書まで海外に持ち逃げし始めた「赤い貴族」たち>

・「これ以上、反腐敗キャンペーンを続行すると、指導部の安全に問題が出てくるだろう。いまですら執行部の安全は深刻な状況であり、反対派は絶滅されていない。もし、キャンペーンを続行するとなると党そのものが深刻な危機に瀕することになり、このあたりで手打ちにしないと、状況は危うくなる」

 

中国共産党の命運は尽きようとしている>

黄文雄氏や福島香織氏が口を揃えて言う。反日の中国人と韓国人は本当は日本が好きで、できれば日本人になりたいと願望している、と。

「来生は中国人に生まれたくない」とする若者が3分の1もいて、これは韓国でも同じ比率という。「来世はブタでも良いから中国人には生まれたくない」と回答する者もいる。いや、その数は夥しい。

 

・世代交代が著しくなり、軍人でも朝鮮戦争体験組は誰もいない。

 公式の発表より、民衆は裏の情報を選別して入手している。若者はネット世論の行間を読み、暗号で通信しあう。

 過去の話より現実の腐敗、権貴階級への不満と憎しみが噴出しはじめ、いずれ巨大なうねりとなって、より暴力的になり、社会は乱れきって無法状態に陥るかもしれないという明日への恐怖が中国の統治者の間で認識できるようになった。状況はそれほど悪化している。

 

・国家の基盤が安定を欠いて根本から揺らぎはじめ、特権階級も安穏としてはいられなくなったとき、共産党幹部自らが、「そろそろ俺たちの時代は終わりだな」と自覚しはじめる。だからあれほど夥しい中国共産党幹部が賄賂で得た資金ごと海外へ逃亡を始めたのである。

 余命いくばくもなくなったのが中国共産党である。

 

 

 

『晋三よ!国滅ぼしたもうことなかれ』

~傘張り浪人人生決起する~

亀井静香    メディア・パル  2014/11/29

 

 

 

<小学校3年生のときに迎えた敗戦のショック>

吉田茂岸信介は小さな抵抗はしたかもしれないが、大きな流れでいえば従米路線を進め、それが自民党、つまり日本の政治の主流となっていったんだ。

 

<交渉は相手の力を利用して制す合気道の極意で>

・ただ、集団的自衛権はまずかった。

 世論の大方の反対を押し切って、閣議決定で変更することをやってしまったことも。開けてはならないパンドラの箱をいじってしまったんだな。

「実際問題、集団的自衛権が使えるか」って晋三に問い質したが、

彼はただ黙って聞いていた。

使えるわけがないのだ。ダメだと話をしたが、本人も今になって「しまった」と思っているんじゃないかな。

TPPは、大企業含めてそれで得する連中もいるが、集団的自衛権の問題は、カネではなく命の問題であり、日本の平和と秩序の問題だ。

 

<純ちゃんの改革を総括する>

<「政治の従米化」「マスコミの洗脳」「国民の劣化」>

・この章の目的は、俺のほんとうの意味での敵が外来種新自由主義であることと、その新自由主義の出鱈目な正体を明らかにすることだ。そのためには、どうしても純ちゃんの改革について語らないわけにはいかんだろ。

 あれから10年、郵政民営化とは結局なんだったのかって考えると、「政治の従米化」「マスコミの洗脳」「国民の劣化」を痛感するね。

 政治家は国民のための政治をするのではなく、それを権力におもねったマスコミが情報操作、アレンジして伝え、一方、国民も痛みを痛みとも感じず生体反応を起こさないほど劣化した。それが今も続き、ますます悪くなっている感じだ。

 あのとき純ちゃんは「官から民へ」とか、「改革なくして成長なし」ともっともらしいことを言っていたね。「痛みなくして改革なし」とも言ったが、結局、ほとんどの人に「痛みだけあって改革なし」だったってことだ。

 

・聖域なき改革とか三位一体の改革とか、改革が素晴らしいもののように思わせ、マスコミもそう誘導した。彼らのバックには、郵政民営化で得する大スポンサーがいたから当然だろう。

 郵政民営化だけを争点に、衆議院を解散して選挙に臨んだのは狂気の沙汰だった。法案が参議院で否決されたからといって、衆議院を解散するというのは憲法違反の暴挙だな。民主主義を冒涜する以外の何物でもなかった。自民党内でも多くの人が反対していたが、党執行部は彼らを脅したりあやしたりして鞍替えさせていた。

 俺は郵政民営化が明らかにアメリカからの年次改革要望書(日本の弱体化を狙う勢力や、郵政の財産を狙ったアメリカの保険や金融資本の意図した)に沿ったものであると承知していたので、徹底的に反対した。

 

・郵便にしても、簡保にしても、郵貯にしても、あるいは、それ以外のサービスを含め、郵便局は地域に密着したコミュニティーの拠点だから潰すわけにはいかないんだ。日本の重要な社会基盤の一つなんだが、やつらはそれを壊そうとした。

要は「官から民へ」ということを、十把一絡げでやるのはあまりにも単純過ぎるということ。

「改革」にしたって中身が問題ってことだよ。

 

<結果は「働けど働けど我が暮らしよくならず」>

・この10年、改革によって日本がよくなったと思っている人はほとんどいないだろう。いるとしても1パーセントのカネを握っている連中だけだろうな。あとの99パーセントの人々の生活はますます苦しくなって、全然いいことないと感じているのではないか。

 つまり、その改革が国民のためではなく、自分たちに都合のいい、つまりバックにいる新自由主義のグローバリストたちに都合がいいものだったってことだ。日本の財産が掠め取られ、「働けど働けど我が暮らしよくならず」という風になってしまった。その、日本人の富を吸い上げる仕組みが、この10年でつくられてしまったんだ。

 

<我が反骨と抵抗の半世紀>

・カネがないからアパートにも住めない。それで、東大・本郷のキャンパス内にある合気道部の道場『七徳堂』の隅に布団とミカン箱を持ち込んだ。俺は合気道のヌシだったからできたんだ。

 全日本学生合気道連盟を俺はつくって委員長だった。東大の合気道部を同好会から部にしたのも俺だ。副委員長が大平(正芳元首相)さんの息子だった。彼は慶応の合気道部のキャプテンで金持ちだから、飲んだら全部払ってくれた。

 家から仕送りをしてもらうわけにもいかない。飯が食えない。仕方がないからアルバイトを見付けるしかなかった。石油モーターの消費実験をするアルバイトを見付けてきた。夜間のアルバイトもやって、朝方に帰ってきて、勉強を始めたんだ。

 

<嵐を呼ぶ警察官時代>

自治省のおごりでピンサロ三昧>

・あまりにやることが派手だったから亀井対策として、後に新党さきがけの代表となる武村正義自治省から地方課長として埼玉に送られてきたくらいだ。

 で、夕方5時くらいになると、「亀ちゃん、行こう、行こう」とハイヤーを待たせて誘いにくる。俺も嫌いじゃないから、ピンクサロンなんかへ1軒、2軒と付き合ってやった。

 ところがあいつは、「亀ちゃん、もう一軒行こう」って誘うんだ。仕方がないから付いて行ってやったけどね。

 あいつが村山政権で大蔵大臣をしているとき、大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ接待疑惑が持ち上がったんだよな。あいつが彼らを、「首にする」と言い出したから、「何言っているんだ。おまえだって、遊びまくったじゃないか」と脅すと、「昔のことは言わないでくれ、言わないでくれ」って懇願してきた。

 結局、懲戒処分にするのを諦めて処分保留にしてたな。

 

<社会のゴミをなくすために国会を目指す>

<誰にも相談しないで出馬を決意>

・いくら警察で頑張っても所詮、社会のゴミ掃除だ。社会のゴミを出さないようにするしかない。そんな考えで政治家になろうとした。

 

<晋三の親父さんから「帰ってこい」と言われ>

・代議士となり、自民党では清和会に入った。俺を推挙してくれた永山先生の流れからだ。当時は晋三の父晋太郎さんが派閥の長で安倍派と呼ばれていた。

 実は一度、清和会(安倍派)を除名処分になっている。

 

<政権内でも暴れまくり>

<今でもスチュワーデスに礼を言われる俺>

・村山政権が誕生して、野坂さんが俺に、「組閣では、好きな大臣を選んでくれ」と言ってきた。俺も久し振りに日の当たるところでやれるんだなあ。よかったわいと思って涙が出たよ。そして運輸大臣になったんだ。

 

・「ダメだ。俺は認めない。日航に取り消させろ。スチュワーデスは、お茶汲みじゃない。あれは重要な安全要員なんだ。同じキャビンで同じ仕事をしているのに待遇が全然違う。更に、安く使おうというのか。そんなことでコスト削減を図ろうなんてとんでもない話だ。ただちにやめさせろ」と指示した。

 

・どの会社でも試用期間っていうのはあるから、3年間は試用期間。アルバイトじゃない。3年経ったら無条件で正社員にする。事故のときは正社員並みに扱うという文言を、自ら書いたんだ。給料も2倍以上に引き上げた。

「これは最終案だぞ。文句があるなら辞めろ」と通達したんだ。今でも、国際線や国内線に乗っていて、年配のスチュワーデスから、

「私は、先生のおかげでアルバイトからスチュワーデスになれて、今は責任者の立場で働いています」と何人も礼を言うんだよ。スチュワーデス神社ができたって言われるくらい、俺は救いの神になったんだ。

 

<ハワイでゴルフをしながら2兆8000億円の財源確保>

・俺がハワイでゴルフをしていたわずか10日ほどで、223事業を中止にし、2兆8000億円くらいをカットしたのだ。

 結果、2兆8000億円の財源をつくったわけだ。財源づくりまでこっちはしてやったんだから、大蔵省がガタガタ言うことではない。そして、建設省農林省に必要と思われる新規事業をバーンと付けた。

 

自衛隊全軍をすぐ福島に派遣しろ!>

・「どのくらいだ」

「8000名の陸上自衛隊を派遣しました」

「おまえ、何を言っているんだ。こういうときに頼りになるのは、自衛隊と警察と消防だぞ。特に自衛隊だ。陸海空を全部派遣しろ。全指揮を統幕議長にとらせろ」と命じたのだ。その後、菅に、「副総理をやってくれ」と2時間近く口説かれた。菅は、俺が一応剛腕だというイメージがあるから、それを副総理にすることで格好付けようとしたんだ。

 

<真の敵は外来種新自由主義

<人類は文明から大反逆を受けている>

・自然環境だけじゃない。人間社会でも異常が常態化し、人々の心も文明から反逆を受けている。原発事故や公害、あるいは薬害問題など、人々の命を脅かすことが頻発している。

 

<人々の幸福や生命までも奪われていく>

・彼らは国を超え自由に経済活動をすることで人類の繁栄をもたらすと考えているようだ。「グローバリズム」(世界主義)とも呼ばれているが、要は自分たちが独占したいだけ。自分たちの価値観やルールを「グローバルスタンダード」とか言って世界中に押し付け、自己の止まるところを知らない欲望を、ただ満足させようとしている連中である。

 

<日本人よ、洗脳から目を覚まして立ち上がれ>

・そんな新自由主義的なグローバリズムに対して、「冗談じゃない!」と声を上げる人々が現れた。何が正しくて何が間違っているかを自己判断でき、行動できる人たちだな。

 お膝元のアメリカでもヨーロッパでも。またアジアの国々でも新自由主義的なグローバリズムに対して、デモや言論による抵抗と反発の動きが起こり始めている。

 

外来種の思想ではなく土俗の政治が日本を救う>

<地方再生は農漁業がカギ>

<日本人の根っこは農漁村にあるんだ>

・そこにTPP(環太平洋パートナーシップ協定)でしょ。TPPは新自由主義の典型的な政策。日本の農家が大打撃を受けるのは明らか。関税が撤廃された、安い米やら野菜、果物が大量に入ってきたら、間違いなく壊滅する。アメリカやオーストラリア、ニュージーランドといった農業大国と戦ったら、中小零細の日本の農業なんかあっという間に木端微塵だ。

 今でも食料自給率は40パーセントだが、TPPでは10パーセント台になると言われている。文明の反逆を受ける現在、天候不順などで日本に食料が入ってこないと、餓死者が続出することだってあり得るんだ。俺は、農業は森の番人、漁業は水の番人として大切に守らなければならないと言ってきた。これらの風景は日本人にとって心の原風景だけでなく命の支えでもあるんだよ。

 農業と漁業は食糧安全保障の要。それを価格で勝負が決まる自由競争の場に出すということ自体、そもそも考えが間違っている。

 

<狙われた農協と農業潰しの背景にある意図>

・食べるものがなければ、いくら最新の車や電化製品があっても生きていけない。日本にとって大事なのは、TPPで輸出を促進したり安い農作物を輸入したりするのではなく、日本の農業を立て直すことだ。

 

アベノミクス絵空事だ>

所信表明演説から消えたアベノミクス

・今まで、わかっていても書かなかったが、各週刊誌もいろいろ書き始めている。隠し子騒動の話まで飛び出した。上り調子のときには書けなくても、今なら大丈夫というところだろう。見るに敏というか、マスコミもいい加減なものだ。

 

<晋三に注意した、博打場となった株式市場>

・だから俺は総理に直接電話でも言ってやった。

「なあ晋三、今、兜町はどうなっていると思ってる。近頃の株式市場は産業資金を調達する場ではなく、ただの博打場になっているじゃねえか」

それに対して信三から特に否定する言葉は返ってこなかった。だから心のどこかでそう思っているのかもしれないな。

 

<株価が上がれば景気がよくなるというのは嘘>

アベノミクス実施後、株価は上昇し、兜町界隈の懐は暖かいかもしれないが、それ以外の場所で景気がいいという話はほとんど聞かない。むしろ、寂れて荒廃しているのが今の姿なんだよ。

 

<今の日本では円安はマイナス要因だ>

・現在の日本の産業構造では、円安というのは、日本人が一所懸命つくっているものを外国に安売りしていることに他ならない。

 円高対策で数兆円程度の為替介入をしたところでその効果は一時的だ。逆に投機的な動きがある中、「虚の世界」にもてあそばれるだけ。ここでも、まさにグローバルな資金を使った外資たちが、儲けている。

 もちろん為替を安定的に推移させるためにはいろいろな施策をやらなければならない。だが、実体経済を伴わず、ただ日銀がカネを出しまくって円安に持っていくというのは通貨の価値が下がるだけだ。

 

アベノミクスは日本を叩き売っている>

アベノミクスは円安で日本売りを図る政策だが、バナナの叩き売りみたいもの。日本の財産を投げうっているというもんだ。

 

<黒田の馬鹿たれは欲求不満を爆発させている>

・黒田は財務省では本流から外れていたんだよ。欲求不満が溜まっていたのかもしれないね。いずれにせよ中央銀行の立ち位置を踏み出し、政治的な動きになっている。これは、日銀の独立性を尊重した従来の日銀総裁はやらなかったことだ。前任の白川だって「この石頭!」と言われながらも、一応かたくなに守っていた。

 とにかく日本は、アベノミクスの下、国を挙げてマネーゲームに走っているんだよ。

 

実体経済小泉改革以降、ガタガタになっているから、使い道のないカネが結局、兜町に流れたってことだ。日銀の通貨政策で実体経済が上向くというのは、今の日本では絶対に不可能なこと。そんなの現場を見れば馬鹿でもわかる。

 

<2本目の矢も結局空振っている>

・2本目の矢もひどいんだよ。

 アベノミクスの2本目の矢は、「機動的な財政出動」ということになっているが、空振っているな。これも、晋三とそのブレーンが全く日本の現状を見ないで、外国で聞きかじった経済政策をやった結果だろう。

 

<ドブに向かって跳ぶ矢もある>

・「総理、地方のニーズに合わせた予算を組んで、実際に執行されるような政策をしないと、絵に描いた餅になるぞ」これも晋三に直接言ったことだ。

 何千億、何兆円の予算を組んでも、地域の経済が活性化していく、地場産業が元気になるような具体的な手当てをしないと、スーパーゼネコン向けのムダな公共事業に終わって、カネをドブに捨てるようなものになっちまうよ。

 

<晋三を操る新自由主義者どもの大罪>

<真空地帯にすーっと入ってきた竹中平蔵

・本当は成長戦略こそもっとも重要なものだが、結局1本目と2本目でカネをばら撒き、株価、物価、消費税は上がり、景気は後退したわけだが、一部の連中だけが潤ったということだ。

 実は、総理は経済に関してはあまり得意じゃない。だから取り巻き連中はやりたい放題。人がいいから任せたという感じだろうが、国民にとってはたまったものではないな。

 だから、始末が悪いことに、小泉改革以来、日本をさんざん混乱させた新自由主義的な政策が始まった。「改革」というまやかしだ。

 

<やつらの規制緩和で日本はガタガタ>

・日本人が得られるべき富が吸い取られ、ますます庶民の生活が苦しくなってしまった。給料も物価も売上も上がらないというデフレスパイラルに陥ってしまったんだ。

 

新自由主義政策で産業の空洞化が進む>

新自由主義的経済政策では大企業に有利だが、その大企業だって当時は業績低迷で必死だったから、下請け孫請けのケアどころではなかった。

 

<働く人の懐から掠め取った恥ずべき利益>

・そんな外来種新自由主義に牛耳られつつある今の日本。そこで大企業がやっていることは、非正規社員をどんどん増やして安い労働力を確保し、会社の利益を上げていくというものだ。その利益を社員に還元するのではなく、株主の配当に重点を置いている。

 

<弱い者いじめの税制・年金・社会保障

<大儲けの企業からは取らずに庶民から取る>

・現在、日本の企業は全体で300兆円以上の、過去最大の内部留保を貯めている。従業員の懐に入ったり、下請け孫請けに回ったりする分を取って貯めた結果だ。今、そこに法人税減税をやると総理自身が言っている。

 結局、税制においても強者から取らないで一般庶民から取るべく、消費税という形で担税させた。しかも更に10パーセントにするという。

 

<弱い者いじめを批判しないマスコミたち>

社会保障政策だってことごとく弱いものいじめだ。

 

 介護だって、医療だって、現政府が進めているのは、全部、お年寄りや弱者に対しての負担増だ。大病院に行く場合には、紹介状がなければ初診料を全額自己負担という話も出ている。カネのないやつは病院に行くなという感じだな。

 介護保険にしたって、年金だって受給年齢や受給期間の条件をやたらと厳しくしている。

 

社会保障に明るいはずの晋三だが>

・重要なのは、その年金の基本理念だ、国民の信用を取り戻す努力とともに、個々の意識改革も大切。

 例えば、年金の必要のない金持ちまで、もらえるものはもらわなければ損だというのでは、いくら納付率を上げようが税収を増やそうがムダなんだよ。富裕層への支給は控える制度設計にしなくてはね。

 いずれにしても超少子高齢化社会を迎える以上、今のままでは持続は不可能になるし、世代間での負担の格差が広がるばかりで若い人には希望が持てなくなる。だから年金だけでなく社会保障制度全体の抜本的な改革が必要なんだ。

 晋三も、俺が自民党政調会長のときに社会部会長をやっていたから、そういう社会保障問題でついては詳しいはずなんだが、弱者をいじめて、反対に富裕層への恩恵ばかり助長するようなことをやっている。

 

・この調子では日本はどんどん新自由主義的な、強きを助け弱きを挫く政策に染まってしまう。

 

 

 

『世界を見る目が変わる50の事実』

ジェシカ・ウィリアムズ  草思社 2005/4/28

 

 

 

<50の事実>

1.日本女性の平均寿命は84歳、ボツワナ人の平均寿命は39歳

 

2.肥満の人の3人に1人は発展途上国に住んでいる

 

3.先進国で最も妊娠率が高いのは、米国と英国の10代

 

4.中国では4400万人の女性が行方不明

 

5.ブラジルには軍人よりも化粧品の訪問販売員のほうがたくさんいる

 

6.世界の死刑執行の81%はわずか3カ国に集中している。中国、イラン、米国である

 

7.英国のスーパーマーケットは政府よりも多くの個人情報をもっている

 

8.EUの牛は一頭につき1日2.5ドルの助成金を受け取る。年額にすると世界旅行が可能だ

 

9.70カ国以上で同性愛は違法、9カ国で死刑になる

 

10.世界の5人に1人は1日1ドル未満で暮らしている

 

11.ロシアで家庭内暴力のために殺される女性は、毎年1万2000人を超える

 

12.2001年、何らかの形成外科手術を受けたアメリカ人は1320万人

 

13.地雷によって、毎時間1人は死傷している

 

14.インドでは4400万人の児童が働かされている

 

15.先進国の国民は年間に7キロの食品添加物を食べている

 

16.タイガー・ウッズが帽子をかぶって得るスポンサー料は、1日当たり5万5000ドル。その帽子を作る工場労働者の年収分の38年分

 

17.米国で摂食障害を患っている女性は700万人、男性は100万人

 

18.英国の15歳の半数はドラッグ体験済み。4分の1は喫煙常習者

 

19.ワシントンDCで働くロビイストは6万7000人。連邦議員1人に対し125人

 

20.自動車は毎分、2人を殺している

 

21.1977年以降、北米の中絶病院では8万件近い暴力事件や騒乱が起きている

 

22.マグナルドの黄色いアーチがわかる人は88%。キリスト教の十字架はたった54%

 

23.ケニアでは家計の3分の1が賄賂に使われる

 

24.世界の違法ドラッグの市場規模は4000億円ドル。製薬市場とほぼ同じ

 

25.アメリカ人の3人に1人は、エイリアンがすでに地球に来たと信じている

 

26.拷問は150カ国以上で行われている

 

27.世界では7人に1人が日々飢えている

 

28.今日の米国に生まれる黒人新生児の3人の1人は刑務所に送られる

 

29.世界で3人に1人は戦時下に暮らしている

 

30.2040年に原油は枯渇するかもしれない

 

31.世界の喫煙者の82%は発展途上国の国民

 

32.世界の人口の70%以上は電話を使ったことがない

 

33.近年の武力紛争の4分の1は天然資源がらみ

 

34.アフリカのHIV陽性患者は約3000万人

 

35.毎年、10の言語が消滅している

 

36.武力紛争による死者よりも自殺者のほうが多い

 

37.米国で、銃を持って登校し退学になる生徒の数は、平均して週に88人

 

38.世界には「良心の囚人」が少なくとも30万人いる

 

39.毎年、200万人の女性が性器切除される

 

40.世界中の紛争地帯で戦う子供兵は30万人

 

41.英国では総選挙の投票者数よりも、テレビ番組でアイドル選びに投票した人のほうが多い

 

42.米国のポルノ産業の規模は年間100億円ドル。海外援助額と同じである

 

43.2003年、米国の防衛費は約3960億ドル。「ならず者国家」7カ国の防衛費総計の33倍

 

44.世界にはいまも2700万人の奴隷がいる

 

45.アメリカ人が捨てるプラスチック・ボトルは1時間に250万本。並べると、3週間分で月に達する

 

46.ロンドンの住民は、監視カメラで1日300回撮影される

 

47.毎年、西欧向けに人身売買される女性は12万人

 

48.英国で売られるニュージーランド産キウイは、その重量の5倍の温室効果ガスを排出している

 

49.米国は国連に10億ドル以上の未払い金がある

 

50.貧困家庭の子供たちは、富裕家庭の子供たちに比べて、3倍も精神病にかかりやすい

 

<「50の事実」に何ができるか>

・読み進めていくうちに、いくつかのことが明らかになるだろう。何より、世界を取り巻く問題の多くは、富める先進国と貧しい途上国との、醜い不平等に起因していることだ。

 

<私は、これら50の事実が世界を変えると確信している。>

・「思いやりがあり、行動力のある人々は、たとえ少人数でも世界を変えられる――それを決して疑ってはなりません。実際、それだけがこれまで世界を変えてきたのですから」

 

<中国では4400万人の女性が行方不明>

・2002年10月、中国の新華通信社は最新の国勢調査を発表した。それによると、2000年には女児100人に対し、男児は116.8人生まれていた。そこには、かすかだがはっきりと警告の響きが感じられた。過去2回の国勢調査と比べても、この男女比は拡大している。『上海スター』 紙は、こうした傾向が続けば、約500万人の中国人男性が結婚相手を見つけられなくなると伝えた。そうなれば、家庭、経済、社会的サービスにも問題が生じるだろう。ある専門家は、自暴自棄になった男性による女性の誘拐が増えるとさえ警告している。

 

・この不均衡は、中国やインドをはじめ、東アジアや南アジアにおいて男の子を望む傾向が強いために生じた。女の子を望まない親たちは、性別診断で胎児が女児とわかると、中絶に走る。実際に生まれても、女児の多くは生後数日から数週間で殺されてしまう。親たちはそれを自然死に見せかけるために、手を尽くして警察や衛生当局の目を欺く。幸いにも生き延びた女児も、出生届は出されない。その結果、教育や福祉ばかりか、充分な食事さえ与えられない日陰の生涯を歩む。

 

・インド、中国、台湾の出生率は着実に下がりつづけて西欧並みになりつつあるが、それでも女児への偏見は根強い。

 

・出生登録をされない子供たちには、どんな運命が待ち受けているのか?法律的には、彼らは存在を認められていない。だから学校に行くこともできず、公的機関の診療も受けられない。彼らの生活条件は、ひどく限られている。

 

アメリカ人の3人に1人は、エイリアンがすでに地球に来たと信じている>

・30%の人々が「これまでに報告されている未確認飛行物体の一部は、他の文明からやってきた本物の宇宙船」だと答えており、45%のアメリカ人が地球外知的生命体はすでに地球に訪れていると回答している。

 

・実際、軍の発表と目撃者の言い分には食い違いがあった。エイリアンの死体が、いまやすっかり有名になったロズウェル空軍基地の「エリア51」に運びこまれるのを見たという人々もいる。1994年には、「エイリアン検死」の様子であるとのふれこみの怪しげなビデオも出回った。

 

 

 

『世界を見る目が変わる50の事実』

ジェシカ・ウィリアムズ  草思社 2005/4/28

 

 

 

<70カ国以上で同性愛は違法、9カ国で死刑になる>

・同性愛が死刑の対象になる国が9カ国ある。モーリタニアスーダンアフガニスタンパキスタンチェチェン共和国、イラン、サウジアラビアアラブ首長国連邦(UAE),そしてイエメンである。

 

・1979年のイランにおけるイスラム革命以来、4000人以上の同性愛者が処刑されたと推計されている。

 

・世界で70カ国以上がレズビアン、ゲイ、同性愛者、あるいは性倒錯者を差別する法律を有している。

 

・社会においては同性愛は「病気」として扱われ、ゲイやレズビアンは精神医療による「治療」を強いられてきた。

 

・しかし、多くの国々で事態は変わりつつある。2003年6月、米最高裁判所は、同性カップルの性的行為を禁じるテキサス州法に違憲判決を下した。この判決は、テキサスだけでなく、他の13州における類似の法律を一挙に無効にすることになった。

 

・さらに同性愛のカップルも異性愛カップルと同じように子供を育て、家族の絆を持ち、結婚に関する判断を下すことができるとした。これらは米国憲法に保障された権利と確認したのである。

 

・米国市民自由連合はこの判決を「LGBT(レズビアン、ゲイ、両性愛者、性倒錯者)にとって、これまでで最も有意義な判例」と呼んだ。

 

・国際人権団体も同性愛を公言する人々の保護を求める働きかけで注目を集めており、おそらくはそれがまた保護手段になっているだろう。

 

 

 

『国家の実力』   危機管理能力のない国は滅びる

佐々淳行渡部昇一   致知出版社     H23/6/30

 

 

 

<中国に対抗するための「核シェアリング」という発想>

(佐々)アメリカは日本のために核戦争はやりません。ただ、ちょっと心配なのはアングロサクソンというのは撤退するときに、焼土作戦をやって引き揚げていくのです。物を残さないで破壊してしまう。だから、日中を軍事的に破壊することはあり得ないけれど、経済的、政治的に破壊していくケースは考えられなくないんです。中国の一部になられたら困るわけですからね。

 

(渡部)日本には「核シェアリング」という発想が重要だと思うんです。そうすると中国と戦争は起きない。にらみ合っているうちに向こうはひっくり返りますよ。中国が総選挙のできるような国になれば、戦争の危険はあまりなくなるわけだから、それまで日本は核シェアリングをしたいというようなことをアメリカに対して表明すればいい。

 

(佐々)ただ、今は運の悪いことに原発事故が起き、国内で反核ムードが高まっていますからね。まず国内を説得しなければなりません。核シェアリング論にとって、これはとても困った状況ですね。

 

<警察官不足で危機に瀕している国内の治安>

(佐々)「ポリティコ・ミリタリー」や「ポリティコ・エコノミー」や「ポリティコ・ファイナンス」を唱えて研究する人は、いるのですが、「ポリティコ・ミリタリー」をやる人はいません。ましてや治安、防衛、外交の三点セットをすべて学んだ人はほとんどいない。私は、たまたまそれを学ぶことになったわけですね。だから、次の総理には治安、防衛、外交をやってくれる人になってほしい。今の内閣は、正反対です。「治安、防衛、外交だけはやらない」という人たちの集まりですから。

 

(佐々)私が、警察に入ったころから警察庁が言っているのは、人口5百人あたり警察官一人が必要である、と。人口が1億なら20万人の警察官が必要だと言っているのですが、なかなか実現しない。

 

・この間の1万人の増員が完成して5百5人に1人。

 

・しかし、諸外国と比較してみると、イタリアはカラビニエリという警察騎兵隊を入れると272人に1人の割合で日本の倍以上になっています。それから、アメリカは353人に1人。イギリスが366人に1人、ドイツとフランスがそれぞれ314人と286人です。ところが埼玉県などは現在でも639人に1人です。

 

・だから被害者が警察に助けを求めていたのに、警察は忙しいものだから「恋愛沙汰には民事不介入の原則で手を出せない」なんて言って放っておいたら、それで被害者が殺されてしまいました。あの時は、ごうごうたる非難を浴びたけれど、本当に人がいなかったんです。

 

 しかも、定員を増やさないまま、どんどん仕事が増えました。また、コンピュータ犯罪が出たり、愉快犯が出たり、犯罪の種類もどんどん広がっています。

 

小泉純一郎元総理の知られざる功績>

(佐々)小泉さんは2回目の自民党総裁選の立会演説会で「空き交番をゼロにする」と言いました。そして、実際に1万人の警察官増員をして平成19(2007)年までに空き交番はなくなったのです。これはすごいと思いました。

 

 

 

『職場のLGBT読本』

柳澤正和、村木直紀、後藤純一   実務教育出版 2015/7/22

 

 

 

<LGBTを知っていますか?>

・LGBTは、Lesbian(レズビアン)、 Gay(ゲイ)、Bisexual (バイセクシュアル)、transgender(トランスジェンダー)の頭文字をとった、性的マイノリティ(少数者)を表す総称です。

 

・欧米ではアーティストからスポーツ選手、企業経営者や政治家に至るまでさまざまな職業の方が、カミングアウト(LGBTであることを公にする行為)をする例が増えています。みなさんもオリンピックで水泳の金メダルをとったイアン・ソープ選手や、アップルCEOのティム・クック、そして2015年にグラミー賞を獲得したサム・スミスなどのカミングアウトのニュースをご覧になられたかもしれません。

 

<日本でのLGBT事情は?>

・調査によると人口の5%~7%強(電通総研2012年、2015年)はLGBTだといわれます。13人~20人に1人です。日本の苗字で多い「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」さんは、合計600万人いるといわれますが、LGBTの推定人口はその数に匹敵する規模というわけです。

 

・本書が、おそらく日本で初めての、「ビジネス書・人事」の欄に置かれるLGBTの本になると思います。

 

<LGBT人口はどれくらい?>

性的少数者(性的マイノリティ)と言うぐらいですから、ストレートに比べたら少ないのでしょうが、実際にはどれくらいいるのでしょうか。人口の3%~10%というデータを目にしたことがあるのかもしれませんが、これほどの幅が生まれるのはなぜなのでしょう。それは、LGBT人口の統計というのは、さまざまな意味で正確な数値を出すことが困難になっているからです。

 

アメリカではその後、何度も同性愛人口についての調査が行われてきました。最近の2003年の調査があり、性的に活発なアメリカ国民男性の4.9%が18歳以降に同性との性的行為を持ったことがあると回答しました。

 

・イギリスでは、財務省などがシビル・ユニオン制定の影響を調べるため、2005年に行った調査によると、イギリスにいるレズビアン、ゲイの数は360万人で、国民の約6%が同性愛でした。

 

古代ギリシアからルネサンス期>

・自然界にももともとたくさんあるように、人間界にも古来から同性愛はありました。よく知られているのは古代ギリシアです。プラトンは『饗宴』のなかで少年愛を美と結びつけて賛美しています。ポリス(都市)では、年長者が庇護者として少年を愛することが称揚され、それは少年を立派な市民に育て上げるという教育的な意味ももっていました。

 

・しかし、キリスト教が誕生し、同性愛を退廃とみなす中世の暗黒時代へと入っていきます。聖書の「ソドムの市」の記述から同性愛は「ソドミー」と呼ばれ、火あぶりなどの刑が科せられることもありました。

 

・『ホモセクシャルの世界史』を著した海野弘氏は同書で「キリスト教ホモフォビアを作ったのではなく、キリスト教が生んだ抗争がホモフォビアを助長したのかもしれない」と述べています。

 

ルネサンス期はネオプラトニズムの影響で同性愛に寛容なムードが広まる一方で、取り締まりも行われました。レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロといった芸術家たちの同性愛は広く知られるところです。

 イギリスでは、エリザベス朝時代のクリストファー・マーロウやシェイクスピア、17世紀のフィリップ1世(オルレアン公)、ジェームズ1世ウィリアム3世の同性愛が有名です。18世紀には産業革命を背景に、今日のゲイバーの原型である「モリー・ハウス」が誕生し、庶民も同性愛や異性装を謳歌するようになったことが知られています。

 

<近代から現代>

・近代になると、家父長制と資本主義、ナショナリズムが結びつき、一夫一婦制が定着し、ジャーナリズムの発展とともに国家と大衆が同性愛者を非難・弾圧するようになり、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が蔓延します。

 

・19世紀末、オスカー・ワイルドが同性愛のかどで逮捕・投獄され、フランスではヴェルレーヌランボーとの恋の終幕に拳銃を発砲し、逮捕されました。20世紀初頭には、ドイツで皇帝ヴィルヘルム2世の閣僚や側近が同性愛者として糾弾される一大スキャンダル、「オイレンブルク事件」が起こりました。第1次世界大戦の遠因ともなる、国家を揺るがすような事件でした。イギリスでは、経済学者のケインズ、作家のヴァージニア・ウルフやE・M・フォスターらの同性愛者・両性愛者が中心となったブルームズベリー・グループが活動し、パリではディアギレフやニジンスキー(ともに同性愛者)のバレエ団バレエ・リュスがセンセーションを巻き起こしました。

 

・女性に目を向けると、「ロマンチックな友情」と呼ばれて称賛された女性同士の友愛が19世紀に頂点を迎え、経済的自立を果たした中産階級の女性たちは共に暮らしはじめます(アメリ東海岸では「ボストンマリッジ」と呼ばれます)。1920年代にはニューヨークなどにレズビアンコミュニティが誕生します。

 

・しかし、精神科医による同性愛者や異性装者というカテゴライズは、のちにそうした人々が異常だとか病気であると見なされることにもつながりました。そしてナチスは性科学研究所を破壊し、何万人もの同性愛者を収容所で虐殺……歴史上類を見ない悲劇が起こったのです。

 

・第2次世界大戦が終わり、男女平等や公民権運動が進んでもなお、依然として同性愛は違法であり、第2次世界大戦の英雄であったアラン・チューリングが同性愛のかどで逮捕され、ホルモン治療を強制され、自殺に追い込まれるという悲劇も起こりました

 

<LGBTの日本史>

・日本は欧米に比べ、LGBTに寛容な国だといわれてきましたが、おそらくその理由には、日本人が異性装、ことに女装が大好きだからということもあるでしょう。三橋順子氏は著書『女装と日本人』(講談社刊、2008年)において、ヤマトタケルの女装を端緒に、古代日本の女装した巫人(シャーマン)、王朝時代の稚児、中世の持者、江戸時代の陰間………と現代まで連綿と続く女装の系譜を検証しながら、日本文化の基層に「性を重ねた双性的な特性が、一般の男性や女性とは異なる特異なパワーの源泉になるという考え方=双性原理」があると述べています。

 

<「男色」大国だった日本>

・そのことも深く関係しますが、かつて日本は世界に冠たる「男色」大国でした。有史以来、日本の歩みは男色とともにあり、日本の歴史は男色文化に左右されながら、時にはそれが原動力となって動いてきました。

 古代の豪族からはじまり、空海が唐から男色文化を持ち帰って以来、稚児を愛するライフスタイルが爆発的な広がりを見せ(稚児は「観世音菩薩の生まれかわり」として崇拝され、僧侶の間では男色は神聖な儀式でした)、僧侶から公家、貴族、そして武士にも伝播しました。室町時代には喝食(かつしき)と呼ばれる美少年がもてはやされ(足利義満世阿弥が有名)、戦国時代には武将が小姓を寵愛し(織田信長森蘭丸をはじめ、ほとんどの武将が小姓を抱えていました)、やがて「衆道」へと至ります。「衆道」は念者と若衆の愛と忠節によって成立する崇高な男の契りであり、ちょうど古代ギリシアのように、少年を庇護し、立派な武士に育て上げる(軍の団結を強化する)意味合いももっていました。

 

・日本の男色は、政治をも大きく動かし、独自の文化を花咲かせ、日本的美意識とあいまって「宗道」と呼ばれる武士の人生哲学となり、江戸時代には若衆歌舞伎という一大娯楽産業(そして色子、陰間という売色のシステム)も誕生しました。この時代、色道の極みは男色と女色の二道を知ることだと言われ、陰間茶屋が栄えました。陰間の中には女形を目指して女装した者もいました。稚児などもそうですが、美少年はしばしば女装もしており、男色は現代とは異なり、疑似異性愛的なものでした。日本の男色史は女装史と不可分なものだったのです。

 

<明治以降~現代>

明治維新以後も「衆道」の名残りが薩摩藩などを中心に見られ、大正時代まで続きました。しかし、明治政府は、江戸以前の男色の文化を封建的な江戸の奇習、西南日本の悪習(それに影響された学生の悪習)、「文明」に対する「野蛮」として周縁化しました。富国強兵・殖産興業の国策の下、どんどん同性愛者は生きづらくなり、戦時中は「非国民」と呼ばれ、弾圧されました。

 

・戦後、待ってましたとばかりに同性愛者や女装者が活動をはじめますが、三島由紀夫の「禁色」に描かれているように、まだアンダーグラウンドなものであり続け(歴史の教科書も男色を隠蔽し続け)、ほとんどの同性愛者は偽装結婚を余儀なくされました。それでも、女装したママのゲイバーやブルーボーイのショークラブ、二丁目のゲイバー街ができ、丸山明宏(美輪明宏)のようなタレントが登場し、ニューハーフやミスターレディがメディアを賑わせるようになり、というかたちで次第に世間に浸透していきました。(その後もカルーセル麻紀、おすぎとピーコ、ピーターらをはじめ、現在のマツコ・デラックスに至るまで、数多くのオネエタレントが活躍してきました)。

 

<同性愛の世界地図>

・西欧や北米、中南米オセアニアでは同性婚または同性パートナー法が認められている国もありますが、中東やアフリカ、東欧では、まだ同性愛者を弾圧する国がたくさんあります。近年、この二極化が進みつつある一方で、日本をはじめとする東アジア・東南アジアでは、ひどい差別もないが保護する制度もない、という状況が続いています。

 

・同性愛が違法となっている国(国外追放や終身刑、死刑などの極刑に処せられる可能性がある)

イラン、サウジアラビア、イエメン、スーダン、ナイジェリア、モーリタニアソマリア

 

日本アイ・ビー・エム株式会社>

・1950年代には米国企業としてもいち早く、個人の尊重、機会の均等をコーポレートポリシーとして宣言し、すでに80年代にはLGBTにも注目し、差別禁止規定のなかに「性的指向」「性自認」という文言を入れています。ダイバーシティ施策の一環でLGBTへの特化ではなく、人種の違いや障がい、女性と同様に尊重するものでした。

 マイノリティの従業員の定着、意識向上を考え、ロールモデルをいかに輩出していくか、平等な福利厚生、継続性、LGBT市場の開拓やブランディング、賛同してくれる仲間の企業をつくる、といったことに取り組んでいます。客観的な調査機関のサーベイ(調査)にも積極的に応じて、差別のない職場環境の整備と維持を心がけています。

 

<さまざまな企業の取り組みを知ろう>

・そこに風穴を開け、いち早くLGBTへの働きかけを行ったのが、今はなきリーマン・ブラザーズ証券でした。2004年に入社したヘイデン・マヤヤスさんが、社内でLBGLN(リーマン・ブラザーズ・ゲイ・アンド・レズビアン・ネットワーク)という当事者ネットワークを立ち上げ、LGBTの従業員同士で親交を深め、同性カップルの結婚を祝福したり、識者を招いて講演会を催したりしていました。そして「多様な人材を抱えることができれば顧客提案の幅も広がる」との考えから、2006年3月には早稲田大学など7大学のLGBTサークルに声をかけ、社内のLGBT支援システムをアピールし、優秀な人材の確保に乗り出しました(2008年以降、リーマン・ブラザーズ証券の取り組みは、野村證券へと受け継がれていきます)。

 

ゴールドマン・サックス証券株式会社>

ゴールドマン・サックスは、多くのLGBTが活躍している世界有数の金融機関です。イギリスでは「LGBTが働きやすい会社トップ100」の6位に選ばれています。

 

・日本法人では2005年に社内LGBTネットワークが設立されました。

 

野村証券株式会社>

・2008年9月にリーマン・ブラザーズ証券が破綻したあと、野村證券リーマン・ブラザーズの欧州とアジア拠点の部門を継承した際に、ダイバーシティインクルージョンのコンセプトとともにLGBTネットワークが野村證券に引き継がれることになりました。

 

 

 

『妖怪の理 妖怪の檻』

京極夏彦    角川書店  2007/9

 

 

 

柳田國男の妖怪談義を巡って>

・現在、“妖怪”を語る時には必ずといっていい程引き合いに出されてしまう柳田國男も、最初から「妖怪」という言葉を使用していたわけではありません。

 例えば、有名な『妖怪談義』(1956/修道社)に収録されている論文の中で一番古い「天狗の話」が書かれたのは明治42年(1909)のことなのですが(それは井上圓了が活躍していた時代です)、その中に「妖怪」の2文字を見出すことはできません。のみならず初期、中期の論文において柳田は、天狗は天狗と記し、大太法師は大太法師と記すだけです。柳田國男がそうしたモノの総称として「妖怪」という言葉を頻繁に使い始めるのは、大正も半ばを過ぎてからのことなのです。

 

・ただ、柳田國男はその学問の創成期から民俗の諸層に立ち現れる“怪しいモノゴト”に深い興味を示してはいました。

 柳田はまた、それを怪しいと感じる人間の心の在りようを研究することに学問的意義を見出してもいたようです。加えて、柳田が比較的早い時期に「妖怪」という言葉を“述語”として採用しようとしていたこともまた、事実ではあります。

 

・そして柳田以外の民俗学者達が「妖怪」という言葉を術語として頻繁に使い出すのは柳田が昭和11年(1936)雑誌『日本評論』(日本評論社)に論文「妖怪談義」を発表して後のことと思われるのです。

 

・また当時流行し始めていた心霊研究、さらには海外のスピリチュアリズムなども、柳田の視野には収まっていたはずです。

 ならば、日本民俗学を学問として確固たるものにするために、そうしたある意味いかがわしさを含んだ学問と一線を画する必要が、柳田には確実にあったはずなのです。民俗の中の“怪しいモノゴト”を扱うにあたって、さらにはそれを“妖怪”と名づけるにあたって――「妖怪」という言葉を術語として使うために、柳田國男は、井上、江馬、藤澤、そして心霊科学、そのどれとも異なった道を模索せざるを得なかったのでしょう。

 

<『古今妖魅考』は平田篤胤が記した書物で、天狗に関する多くの記述がある>

 

・柳田が“妖怪”と“幽霊”を明確に区別したがったのは、過去(文献)だけを研究対象とした江馬のスタイルと決別するという主張の現れだったのではないでしょうか。それはまた、民俗学を近代的な学問――科学とするための一種の方便として捉えることも可能です。

 

<黎明期の民俗学を巡って>

・柳田は全国各地の習俗や言語など“民俗”に関わる事象をくまなく調査し(必ずしも自らが全国を巡ったわけではないのですが)、蒐集・蓄積した膨大なデータを様々な形で纏め、世に問うています。しかし、纏められた資料や論考を俯瞰した時、“性”と“差別”に関わる記述が驚く程に少ないということに気づくはずです。まったく触れられていないというわけではないのですが、それにしても扱われている情報は僅かで、扱い方も常に淡泊です。

 これは、それらの情報が蒐集の網から漏れた故に生じた“不備”ではありません。

 それはむしろ、意図的に“取捨選択”がなされた結果であるものと思われます。“性”や“差別”に関わる情報は、なにがしかの基準によって選り分けられ、隠蔽されてしまったようなのです。

 但し、その選別作業がどの段階で行われたのかは定かではありません。

 

・柳田の許に届く前、例えば蒐集の段階で捨てられてしまったという可能性も、もちろんあるでしょう。しかし、たとえそうであったのだとしても、何らかの基準なり指針を示したのが柳田であったことは想像に難くありません。

 柳田は“夜這い”などの性に関する習俗や、取り上げること自体があからさまな差別の誘因となり得る事象などに対しては極力言及しない――という方針を持っていたようです。これは柳田個人の(そうしたものを好まない)性質・信条に因るものだという見方もあるようですが、それを踏まえた上での、一種の“戦略”であったと捉えられることも多いようです。

 立ち上げ間もない民俗学を守るための――学問の一分野として成立させるための――それは学問的“戦略”だというのです。つまり民俗学が卑俗なものとして受け取られることを虞れたあまり、誤解を受けそうなテーマを緊急避難的に遠ざけた――ということになるのでしょうか。

 

・ただ、柳田國男が意図的に「妖怪」なる言葉を民俗学用語として採用し、ある程度積極的に使用したことは明らかな事実ですし、その結果として現在私たちが知る“妖怪”という概念が形成されたことも事実でしょう。

 

・性的習俗・差別的文化の取り扱い方が、柳田の学問的“戦略”であったのだとしても、また、単に柳田の個人的な嗜好の発露であったのだとしても、柳田がなにがしかの基準を以て蒐集した情報を取捨選択していた(あるいはさせていた)という事実に変わりはありません。

 そうした事実がある以上、ここでまず問題にしなければいけないのは、その“基準”そのものでしょう。

 それでは、その基準と果たしてどのようなものだったのかを考えてみましょう。

 

・筆者はその基準を、取り敢えず“通俗性の有無”と要約することができるだろうと考えています。

 通俗とは、“下品”であり“幼稚”であり“下劣”である――学問的でない――と言い換えることもできるでしょう。柳田國男は高名な学者であり、官僚でもあり、インテリゲンチャのホワイトカラーであり、現在でも、およそ通俗とはかけ離れた印象を以て受け入れられている人物です。柳田が通俗を厭うたというもの言いは、いかにももっともらしく聞こえることでしょう。しかし、それはあくまで“印象”に過ぎません。

 

・風俗史学が“下品”で“幼稚”だなどと述べているわけではありません。前述のとおり、風俗史学は(民俗学とは以て非なるものではありますが)きちんとした理念や体系を持つ、れっきとした学問です。

 ただ、明治期から昭和初期にかけて、風俗研究の名を借りた通俗的な言説が一種のブームとなっていたこともまた、紛れもない事実なのです。

 

・もちろん、性であれ差別であれ、研究者は決して下世話な興味本位でそれらを俎上に並べたわけではありません。風俗史学の内部では、それらはいずれも学問的な研究対象として、真面目に取り扱われています。しかし、研究者がどれだけ真摯な姿勢でそれらと向き合っていようとも、そうした対象を扱うという行為自体が、好奇=通俗の視線に晒される要因となるのだとしたら――通俗化を回避することは難しいといわざるを得ません。

 戦後のカストリ誌などで好んで扱われたネタの多く(猟奇趣味、犯罪心理、性愛記事、秘境探検記事など――)は、そうした“風俗研究ネタ”の直接的な焼き直しです。

 

・風俗史学が「過去のモノゴトを現代に紹介する」学問だとするなら、民俗学は「過去を知ることで現代を知る」学問です。風俗史学が「特定の場所や時代を研究する」ことに終始するのに対し、民俗学は「古層を探ることで現在を理解する」ためになされる学問なのです。

 実際、柳田以降もその二つは時に混同され、集合離散を繰り返すこととなります。

 

・柳田が“性”や“差別”を禁じ手としたのは、そうした手本があったからなのでしょう。それが柳田の個人的な嗜好であったのだとしても、学問の卑俗化を防ぐための戦略であったのだとしても――柳田の視野に風俗研究が収められていたことは疑いのないことのように思えます。

 

柳田國男は、どういうわけか「妖怪」という言葉だけは捨て去ることをしませんでした。それどころか、柳田は晩年に至って「妖怪」という言葉に拘泥し始めるのです。先に挙げた基準が正しいものであるならば、「妖怪」は真っ先に捨てられていて然るべき言葉であったのでしょう。

 

<明治の雑誌をなどを巡って>

明治30年代に入ると、圓了の著作以外の場でも「妖怪」という言葉が使用されるようになります。

 

・明治政府は圓了以上に迷信や旧弊を弾圧しました。明治期には、まじないや因習を禁止した政府令がいくつも出されています。反体制という場所に立って眺めるならば、圓了も明治政府も同じことをしているように見えたはずです。

 

・合理を前面に打ち出した圓了の場合、現象の背後には何もありません。「起こり得るか/起こり得ないか」の二者択一で、非合理なものは「起こらない」「ない」というのが圓了の立場です。

 平井の場合は多少違っています。神霊(心霊とは微妙に違う概念です)の有効性を信じる者にとっては、すべての事象はなにがしかの「意志の結果」なのです。「起こり得ないこと」であっても「起こるべきこと」は「起こる」ということになるでしょう。

 

・二人の違いとは、現象の背後にある“モノ”を想定しているかいないか、ということです。

 平井の文中にそうした“超越者”に対する記述はいっさいありません。しかし、先に述べたように、平井が後に心霊研究の方面に手を伸ばす人物であることは事実です。平井金三にとって大切だったのは、「何が起きているか」「それは起こり得ることなのか」ではなく、「何故起きたのか」、あるいは「何が起こしたのか」だったのではないでしょうか。

 健全な“妖怪”=“神仏”が「在る」のであれば、不健全な“妖怪”もまた「在る」ということになります。

 

・天狗の話も河童の話も、フォークロアや寓話としてではなく「本当にあったこと」として語られているわけです。

 

 現代に置き換えるなら「私は宇宙人に遭った」「自殺者の霊がトンネルに現れた」というのと同じ文脈で天狗や河童が語られているわけです。天狗も河童も実在するモノゴトとして、要するに“オカルト全般”として扱われているということ――即ち井上圓了の引いた枠組みの中で語られているということ――になるでしょう。

 

・圓了の仕事によって、“妖怪”の名の下にそれまで乖離していたいくつかの事象が統合・整理されたことは間違いないでしょう。それは、後にオカルトなる便利な言葉が一般化したために、超能力やUFO、心霊現象やUMAなど、本来無関係であるはずのものごとがひと括りにされ、新たな体系が編まれた事情と酷似してもいます。

 

<郷土研究の社告を巡って>

・その当時「妖怪」という言葉は、通俗の場においてこそ“化け物”というニュアンスを帯びつつあったものの、学問の場において、また枠組みとしては(結果的に)圓了の独壇場だったといえるでしょう。しかし柳田は(たぶん敢えて)この枠組みから外れた使い方をしてみせます。

 

民俗学は(というよりも柳田國男は)もちろん近代的学問を目指しはしたのでしょうが、決して前近代を否定する立場をとっていたわけではありません。民俗学にとって前近代は否定するものでも肯定するものでもなく、近代を知るための“研究材料”だったのです。

 

・たしかに圓了といえば迷信否定――今でいうならオカルト否定派の急先鋒です。心霊研究とはおよそ馴染まないように思えます。しかし、繰り返し述べている通り、圓了が厳しく糾弾したのは“前近代”なのです。

 心霊科学という言葉からも判る通り、心霊研究は、“科学的”な発想をその根底に持っています。

 

<再び柳田と民俗学を巡って>

・明治末から柳田が抱えていた「山人」という大きな研究テーマ――『後狩詞記』(1909/自費出版)や『遠野物語』(1910/聚精堂)などを生み出す原動力ともなり、南方熊楠との、いわゆる「山人問答」を通じて明確化したテーマ――に、柳田はここで終止符を打ちます。そして研究対象を平地人=常民へと移して行くのです。

 そうした様々な変遷の中、柳田は「妖怪」という言葉とは距離を置き続けます。と――いうよりも、柳田は、「妖怪」という言葉をまったくといっていい程使っていないのです。

 

昭和9年(1934)、柳田は現在もなお“妖怪”研究の基本文献のひとつとされる『一目小僧その他』(小山書店)を上梓します。

 一つ目小僧、目一つ五郎、隠れ里、橋姫、ダイダラボッチと――論文中で扱われているのはいずれも(現在の感覚では)紛う方なき“妖怪”ばかりですが、やはり「妖怪」という言葉は一切使用されません。

 

・金城は、最初に挙げた「マジムン」を「妖怪変化の総称」としています。続く「ユーリー」は、マジムンと同義であるとしながらも(那覇では)「人間の死霊」に限定する呼称であると述べています。

 

<様々なコトバを巡った後に>

・柳田は、“妖怪”に対する自らの指針を正当化するために、まず“幽霊”を“お化け”のカテゴリから切り離さなければならなかったのではないか――。

 そのような観点から柳田の仕事を見直した時、“妖怪”と“幽霊”に関する柳田の定義も、かなり脆弱な論拠の上に成立している限定的な言説として捉え直されてしまいます。

 柳田の定義は概ね次のように要約されて、広く人口に膾炙されてしま

います。

 

① 幽霊は人に憑くが妖怪は場所に出る。

② 幽霊は深夜に出るが妖怪は薄暮に現れる。

この二点は“妖怪”と“幽霊”の決定的な差異として様々な場面で引用されています。

 

・人に取り憑くモノは“幽霊”ばかりではありません。狸も狐も、鬼も天狗も河童も、わけの判らないモノだって人に憑きます。“憑き物”を外しても、個人につきまとう“幽霊”以外のモノはいます。一方で同じ場所に出続ける“幽霊”もたくさんいます。そうした“幽霊”は不特定多数に祟ることもあります。昨今の言葉でいうなら“地縛霊”ということになるでしょうか。柳田の定義を押し通すなら、“地縛霊”は“幽霊”ではなくなってしまいます。

 また、出現時間に関しても同じことがいえるでしょう。深夜に訪れる恐ろしいモノが、すべて“幽霊”かといえば、そんなことはありません。夕暮れに目撃される“幽霊”も多くあるでしょう。それは今にかぎらず、過去にも多くあったのです。

 定義から漏れるものは認めない、という態度もあるのでしょうが、そうするとかなり無理をして分類し直さなければならなくなります。

 

・ただ、生涯を「妖怪学」に捧げた井上圓了と違い、柳田國男の“妖怪”研究は、その膨大な仕事のうちの、ほんの一部にしか過ぎません。しかし、割合としては少ないまでも、柳田にとって“妖怪”が一種「特別な」研究対象であったことは疑いようがありません。

 

 

 

遠野物語拾遺   retold』

柳田國男 × 京極夏彦  角川学芸出版   2014/6/10

 

 

 

(171)

この鍛冶屋の権蔵は川狩り巧者であった。夏になると本職の鍛冶仕事にはまるで身が入らなくなる。魚釣りに夢中になってしまうのである。

ある時。

権蔵は山の方の川に岩魚釣りに行った。編籠に一杯釣ったので切り上げ、権蔵は村に向かって山路を戻って来た。

 村の入り口を示す塚のある辺りまで来ると、草叢の中に小坊主が立っている。はて誰だろうと思って見ると、小坊主はするすると大きくなって、雲を突く程に背の高い入道になった。権蔵は腰を抜かして家に逃げ帰ったという。

 

(87)

綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には座敷童衆がいる。この座敷童衆は元お姫様である。これがいなくなったら家が貧乏になった。

 

(136)

遠野の豪家である村兵家の先祖は、貧しい人であった。ある時。その人が愛宕山下の鍋ヶ坂という処を通り掛かると、藪の中から、「背負って行け、背負って行け」と、叫ぶ声がする。

いったい何があるのかと立ち寄って見てみると、仏像が一体あるのであった。その人は言われる通りそれを背負って持ち帰り、愛宕山の上に祀った。それからその人は富貴を手に入れ、家はめきめきと栄えて、後裔は豪家となったのである。

 

(88)

その遠野町の村兵の家には、御蔵ボッコというものがいた。籾殻などを散らしておくと、翌朝。そちこちに小さな児の足跡が残されているのを見ることが出来たという。後に、それはいなくなった。それから家運が少しずつ傾くようになったそうである。

 

(89)

砂子沢の沢田という家にも、御蔵ボッコがいたという。人の目に見えるものではなかったようだが、ある時姿を見ることがあった。赤塗りの手桶などを提げていたという。見えるようになったら、竈が左前になったそうである。

 

(90)

同じ綾織村の、字大久保にある沢某の家にも蔵ボッコがいた。時々、糸車を回す音などがしたという。

 

(91)

附馬牛村のいずれかの集落にある某の家のこととして伝わる話である。先代の当主の頃、その家に一人の六十六部がやって来て泊まった。

しかし、来たところは見ているが、出て行く姿を見た者がいない。

そういう噂である。それ以来その家が栄えたとかいう話は聞いていない。ただ、貧しかったということもないようである。

 近頃になって、この家に幼い女児が顕れた。十になるかならぬかくらいの齢で、紅い振袖を着て、紅い扇子を持っていたという。女児は踊りを踊り乍らその家から出て来て、下窪という家に入った。

 

これも噂である。しかしそれ以降、このニ家はケェッチャになったと村の者は謂う。ケェッチャとはあべこべ、裏表というような意味であるから、貧富の差が逆転したというような意味なのだろう。

 その下窪の家に近所の娘が急な用で行った折、神棚の下に座敷童衆が蹲っているのを見て吃驚し、逃げ戻って来たという話もある。

 そういう話があるのだから、下窪の家は裕福になったということなのだろう。

 

(93)

遠野一日市にある作平という家は裕福である。しかし、元々暮らし向きが豊かだった訳ではない。この家には栄え始めた契機があると謂う。

 ある時、土蔵に仕舞ってあった大釜が突然鳴り出した。家の者は勿論、近所の者も皆驚いて見に行ったそうである。音は止むどころか段々に強くなり、小一時間も鳴り続けたと謂う。

 その日から家運が上昇した。作平の家では山名という面工を頼み、釜が鳴っているところの絵を描いて貰い、これを釜鳴神と称して祀ることにしたそうである。今から二十年くらい前のことである。

 

(94)

土淵村山口にある内川口某という家は、今から十年程前に瓦解した。家屋も一時空き家になっていた。寄り付く者もいないから、当然人気も全くない。しかし誰も住んでいない筈のその家の奥座敷に、夜になると幽かな火が燈る。そして、誰の声かはわからないが、低い声で経を誦むのが聞こえる。往来のすぐ近くの家であったので、耳にする者も多かった。近所の若い者などが聞き付け、またかと思って立ち寄ってみると、読経も止み、燈火も消えている。同じようなことは栃内和野の菊池家でも起こった。

菊池家も絶え、その後に空き家から経が聞こえたりしたそうである。

 

(92)

遠野新町にある大久保某の家の二階の床の間の前で、夜な夜な女が現れ髪を梳いているという評判が立った。

 近所の両川某という人がそれを疑い、そんなことがあるものかと言って大久保家に乗り込み、夜を待った。

 夜になると、噂通りに見知らぬ女が髪を梳いている。女はじろりと両川氏を見た。その顔が何とも言えず物凄かったのだと両川氏は語った。

明治になってからの話である。

 

(162)

佐々木喜善君の友人に田尻正一郎という人がいる。その田尻氏が、7,8歳くらいの頃。村の薬師神社の夜籠りの日だったそうである。

夜遅くに田尻少年は父親と一緒に畑中の細い道を通り、家路を急いでいた。すると、向こうから一人の男が歩いて来るのに出会した。シゲ草がすっかり取れていて、骨ばかりになった向笠を被った男であった。

 一本道である。擦れ違うために田尻少年は足を止め、道を開けようとした。すると男は、少年が道を避けるより先に畑の中に片脚を踏み入れ、体を斜めにして道を譲ってくれた。

 通り過ぎてから田尻少年は父に、今の人は誰だろうと尋いた。父は妙な顔をして誰も通った者はないと答えた。そして、「俺はお前が急に立ち止まるから、どうしたのかと思っていたところだが」と言ったという。

 

(163)

先年、土淵村の村内で葬式があった。その夜。権蔵という男が、村の者4,5人と連れ立って歩いていた。不幸のあった家まで念仏を唱えに行く途中のことである。突然、権蔵があっと叫んで道端を流れていた小川を飛び越えた。他の者は驚いて、いったいどうしたんだと尋ねた。

 

権蔵は、「今、俺は黒いものに突き飛ばされたんだ。俺を突き飛ばしたアレは、いったい誰なんだ」と答えた。他の者の眼には何も見えていなかったのである。

 

(137)

つい、近頃の話だと謂う。ある夜。遠野町の某という男が、寺ばかりが連なっている町を歩いていた。墓地を通り抜けようとすると、向こうから不思議な女が歩いて来るのに出逢った。男が何故不思議と感じたのかはわからない。しかし近付いて能く見ると、それはつい先日死んだ、同じ町の者であった。

 男は驚いて立ち止まった。死んだ女はつかつかと男に近づき、「これを持って行け」と言って汚い小袋を一つ、男に手渡した。恐る恐る受け取って見ると、何か小重たいものである。しかし、怖さは増すばかりであったから、男は袋を持ったまま一目散に家に逃げ帰った。

 家に戻り、人心地付いてから袋を開けてみると、中には銀貨銅貨取り混ぜた多量の銭が入っていた。その金は幾ら使っても減らない。

貧乏人だった男が急に裕福になったのはそのお蔭だと噂されている。

これは、俗に幽霊金と謂い、昔からままあるものである。

一文でもいいから袋の中に銭を残しておくと、一夜のうちに元通りいっぱいになっているのである。