(志村 有弘、豊嶋 泰国)(勉誠出版) 2001/6
『中山みき』不世出の女性超能力者 (豊嶋 泰国)
<すべてを見通す>
・天理教の教祖として知られる中山みきは、何でも「見抜き見通し」といわれたほど、並外れた超能力者であった。
・居ながらにして、遠くの出来事を第三者に見せることもできた。みきが台の上にいつもじっと坐っているので、弟子の井筒梅次郎が、「さぞ退屈でございましょう」と声をかけた。すると、みきは「ここにちょっと顔をつけてごらん」といって、自分の片袖を差し出した。そこで、梅次郎が、その袖に顔をつけてみると、場面は変わって牡丹の花が咲き誇っている光景が見えたという。梅次郎は、みきが何でも自由自在に見ることができる<神様>であることを確信したのである。
<たちどころに病を治す>「よろず病たすけの神様」というみきの存在。>
<異常な怪力>
・「教祖(みき)の力は人間業ではなかった」
<予知能力>
・それから、「見えてから説いてかかるは世間並み。見えん先から説いておくぞや」と『おふでさき』で説いているように、みきは計り知れない予知・予言能力が備わっていた。例えば、幕藩体制や封建社会の崩壊と明治維新、電車や飛行機などの交通手段の進化、電信・電話や今日のコンピュータ・ネットワークによる世界のグローバル化のようなことまで予言していた。
<天理教祖>
・みきは寛政十年(1798年)に奈良県天理市に前川家の長女として生まれた。天保九年(1838年)に長男秀司が病気に罹り、祈祷を依頼した修験者の加持台(巫女役)を務めた時に激しい神懸りとなった。すなわち、天理教の開祖である。
・みきに神懸ったのは世界や人類を創造した「元の神・実の神」で、世界人類の真の救済のために天降り、みきを「神の社」としてもらい受けることを明らかにした。だが、長い間、みきを「神」と認める者はいなかった。それどころか、狐狸に憑かれた老女か気狂いとして見なされた。主な理由は、困っている人たちに家財を徹底的に施し、極貧生活を送るようになったためである。
・だが、安産守護や病気治しで霊験を現すようになってから、噂を聞いて信者が集まりだし、天理教の基礎が築かれた。みきが死去したのは明治二十年(1887年)二月十八日、九十歳であったが、天理教では現身を隠しただけで、魂は生き通しで世界の救済のために日々尽力していると説いている。現代でも熱心な信者の前に、赤衣を着たみきが現れて救ってくれたーなどの霊妙な話が少なからずある。
『面白いほどよくわかる 日本の神さま』
古事記を彩る神々の物語を楽しむ
<『神世七代の第一神 国之常立神(クニノトコタチノカミ)』>
<大地を永遠に屹立させる神>
<宇宙の根源神として>
・『古事記』では別天神の次に六番目としての登場した神となっているが、『日本書紀』ではクニノトコタチノカミ(国之常立神)こそが最初に現れた神と記されている。
『日本書紀』の「一書」(第四)では、クニノトコタチノカミとは別に「高天原においでになる神の名を天御中主命」とあるから、クニノトコタチノカミは高天原ではない虚空に存在し、大地形成を指導していたというニュアンスが感じられる。
・アメノミナカヌシは、「高天原に成りし神」(『古事記』)だから、高天原成立後その地に誕生した神であり、もしかするとクニノトコタチノカミはそれ以前から存在する始原神なのかもしれない。
「国」、すなわち大地は私たちの存在基盤だから、クニノトコタチノカミはアメノミナカヌシにも劣らない根源的な神さまである。
・鎌倉時代以来、神道を理論化し、一つの体系的な信仰形態を樹立しようとする動きが生じたが、その中の吉田神道や伊勢神道では、クニノトコタチノカミを宇宙の根源神としている。
『地球を守る「宇宙連合」とは何か』
宇宙の正義と新時代へのシグナル
<今、明かされる「日本神道の秘密」>
<天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、国常立神(くにとこたちのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の「正体」とは>
・実は日本神道の中心神には「天御中主系」と「国常立系」とがあるんです。『古事記』の系統はだいたい天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を中心神として考えていますね。そして、『日本書紀』系統は、国常立神(くにとこたちのかみ)を日本神というか、この日本の教えをつくった始原の神、最初の神として見ているのです。『古事記』と『日本書紀』は、書いている人が同じ時代の人であり、そんなに変わらない時期に成立した正史というか、国の歴史書です。つまり「最初の神ではないか」と思われている神が二人、正史に現れているわけです。
・そして、片方の天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を中心にしたところでは国常立神(くにとこたちのかみ)の評価が低めになっています。一方、国常立神系では天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)のことをそれほど偉い人のように思っていないところがありますね。
『姫神の本』 聖なるヒメと巫女の霊力
学研マーケティング 2007/8
<世界創造神の憑依により「陽気ぐらし」の理想を説く>
・天保9年(1838)、中山みきは長男・秀司の足の痛みを治すために、修験者の中野市兵衛を招いた。だが、加持台役が不在だったため、みずから加持台となって御幣を手にし、寄加持をしているうちに、神憑りとなった。「我は天の将軍である。元の神・実の神である。この屋敷(中山家)に因縁あり。このたび世界一列をたすけるために天降った。みきを神の社に貰い受けたい」
ふだんのみきとはまったく異なる、神々しい威厳に満ちた声であったという。
・また、みきに入り込んだ神は、世界の創造神で人類を守護しているとされ、親神(天理王命(てんりおうのみこと))と称される。
・以後、みきは家財などを貧窮者にどんどんほどこしたため、中山家は世間的には没落の一途をたどり、資産はほとんど底をついた、みきは狐に憑かれておかしくなったとみられていたほどである。しかし61歳の時に、「帯屋許し」と呼ばれる、お産に関する呪術的な安産の助けを行ったのを手はじめに、安産と病気治しの生き神として評判になった。
・慶応3年(1867)、側近らによって、神祇管領の吉田家から布教の免許を受けたが、明治維新後は正式に認可されるまで、明治政府により邪教として扱われ、前後18回も検挙されるなど、弾圧をこうむった。みきは高齢であったにもかかわらず、警察で虐待や拷問を受けたが、彼らを非難することは一度もなかったという。
・晩年は、親神の啓示とされる『みかぐらうた』『おふでさき』などを著し、人間世界の創造を説いた神話『こふき』(泥海古記)をまとめ、中山家の土地の一点を、親神が鎮まる「ぢば」(世界人類の発祥の地とされる)と定め、そこに人類救済のシンボルである「かんろだい」の建設を計画した。
<世界の立替え立直しを啓示した膨大な「お筆先」を残す>
・出口なおが、明治25年(1892)旧正月5日、京都府綾部の自宅で突然、激しい帰神状態となって発した神示(「初発の筆先」)のはじめである。艮の金神(国常立尊)がなおに神憑り、世界の「立替え立直し」と、理想世界の実現を啓示した宣言というべきものであり、これによって大本教がはじまった。
この年の元旦の夜から前兆はあった。霊夢が毎夜続いていた。初発の神示が降りてからは、昼夜を分かたず帰神状態となり、13日間、食事をとることもできなかった。
・明治26年、綾部で原因不明の火事が相次いだ。おりもおり、なおは神憑って、「今のうちに改心いたさねば、どこに飛び火がいたそうも知れんぞよ」と大声で叫んでいた。そのため、放火の疑いをかけられ、警察署に留置されて、40日も座敷牢に閉じ込められてしまったのである。
<大本教が国家に弾圧されたのは、なおの昇天後である>
・すると艮の金神は、「なおよ、筆で書かすから、筆をとれ」と伝えた。なおは困惑した。文字を書けなかったからだ。しかし艮の金神は、「お前が書くのではない。神が書かすのである」と言う。なおはなにかを書きたい衝動にかられた。そして、座敷牢の床に落ちていた古釘を手にすると、その柱に文字を書きつけていたのである。
・そのうちに放火犯が逮捕され、疑いが晴れたなおは、出牢後、堰を切ったようにお筆先をはじめるのである。以後、神の言葉が原則として文字によって伝達されることになり、半紙で5万枚以上といわれる膨大なお筆先は、後年、娘婿の出口王仁三郎によってまとめられ、『大本神論』として発表された。
富士山大爆発とミロク神人種誕生の神ドラマ
海野光彦 徳間書店 1995/11
<ミロク神人種だけが「黄金のそりはし」を渡る!>
・国祖、国常立命は、太古の昔、地球主宰神の位についていたが、悪魔の謀議によって艮(とどめ)の地である日本列島に押し込められた・・・。では元の地球主宰神・国常立命の本拠地はどこにあったのか。実はそれを解くヒントが『霊界物語』冒頭にのっている。次に紹介する黄金のそり橋だ。
・黄金のそり橋は、太古の昔、亜熱帯の中央アジア・ゴビ海に浮かぶ白島にかかっていた。造り上げたのは、太古の地球主宰神サナート=クメラだ。サナート=クメラは、国常立命の別名に違いない。
黄金のそり橋のかかる白島には、地球主宰神の黄金宮殿が澄みわたった青空にひときわ美しく輝いていた。
・そうしてこの橋を渡ると直に自分は、エルサレムの聖地に着いた。この聖地には黄金と瑠璃(めのう)とかいう宝の珠玉をもって雄大な、とても形容できない大神の宮殿が造られている。(霊界物語第1巻より)
・この神都の現界への移写が、かってゴビ海に浮かぶ『白島』に現れていた。地球主宰神・国常立命が納める黄金の神都から数多くの『ミロク神人種』が世界各地に旅立っていった。
・日月神示やヒマラヤのミロク神人種が示すように原水爆の高熱やマイナス数十度の酷寒でも耐える超人体を保有する神人が日本を始め、世界各地に渡り、万物調和の理想郷すなわち『ミロクの世』を築いていたのだ。それが世界各地で潜伏する悪神の決起で灰と帰し、世界が泥海になったことが『霊界物語』に書かれている。
・しかし、王仁三郎が死をかけて、大日本帝国政府と戦い、厳しい特高警察の目をかいくぐって口述筆記した『霊界物語』は、世紀末、各種の予言の中でひときわ異彩を放っている。
・核の炎、核の冬、恐るべき極反転に伴う大地殻変動に負けないミロク神人種が21世紀に日本を中心に誕生することが『霊界物語』には秘められていたのだ。
・彼らだけが鶴仙に乗り、輝く肉体を霊化させ、『黄金のそり橋』を渡り、国常立命の治める神界の大都に結集することができる。
<『霊界物語』はテレポートと魂の旅行で作られた>
・それにしても『霊界物語』はあらゆる点で人間の常識を超えている。
最初に脅かされることは、口述筆記の驚異はスピードである。一巻をわずか3日で書き上げている。81巻、83冊からなる『霊界物語』に集大成していくが、最初から最後まで口述のスピードは変わらなかった。
・原稿用紙にして約10万枚でひとまず完成するが、王仁三郎は全120巻を予定していた。だから3分の2で彼は口述を終わったことになる。しかも、筆記中に王仁三郎は一冊の参考書も見なかった。
・ゴロリと横になって少しイビキをかいたかと思うと、王仁三郎の口から真珠のきらめきのごとき不思議な物語が紡ぎ出される。
<50世紀まで見通す人類最大の「予言暗号書」>
<王仁三郎は50世紀の未来を見通した>
・「24世紀の今日は、天国浄土の完成時代だ。中空をかける飛行機、飛行船はすでに廃物となり、天の羽衣という精巧無比の機械が発明され、汽車は宙を走って、1時間に5百マイルという速力だ。蓮華の花は所狭きまで、咲き乱れ、何ともかとも知れない黄金世界が現出しているのだ」(『霊界物語』第14巻8章より)
・王仁三郎はミロク浄土の完成を目指していたが、それは24世紀、今から約3百年経なければ、本当のユートピアは生まれないと予言している。ミロク超科学文明が生まれると、黄金のUFOが大空を飛び交い、世界中に美しい花が咲き乱れる。これは彼の予言の中で最も楽観的なものである。
・さらに王仁三郎は、はるか50世紀頃の人類の様子をも透視している。「何、神界ばかりか、現実もこの通りですよ。一番図抜けて大男といわれるのが、3尺(90センチ)内外、1尺8寸(54センチ)あれば、一人前の人間だ・・・。少しも手足を使わないものだから、身体はおいおい虚弱となってしまい、もはや50世紀の今日では、こんな弱々しい人間になってしまった・・・・。それと反対に6尺(1.8メートル)以上の体を持ち、現幽神界において神の生宮として活動しているミロク人種もありますよ」(『霊界物語』第3巻20章より)
・つまり50世紀の人類は、ほとんど小人で頭脳だけの存在になっている。脳をある種の液体に入れて、スーパーコンピューターをつなぎ、あらゆる指令がコンピューターから出される。
一方、普通以上の体を自由自在にテレポートさせ、現界と霊界を行き来するミロク人種も少数存在する。現代から見れば、完全なSFの世界である。
・50世紀の交通機関は奇妙なことに黄金の翼を人間に直接取り付けて、超高速で飛ぶようになっている。
・すなわち、松彦は、「みな様、しばらくお待ちくださいませ。空中交通機を上げましょう」と又もや指先にて空中に、何事か記す其の刹那、金色燦然たる鳥の翼のごときもの四組、何処ともなくこの場に降り来たりぬ。「サァー、これを御着けなされ」と言うより早く自然的に四人の肩の辺りに、金色の翼はピタリとくひつきたり、四人は一度に、「アア、これは立派だなァ」と羽ばたきを試みるや、身はますます高く空中に飛ぶ揚がり一瀉千里の勢をもって電波よりも早く、西の空を目がけて進み行く。 (『霊界物語』第15巻21章)
・このように王仁三郎の世界はまことに幅が広い。超古代から50世紀のはるかな未来まで見通した彼のような予言者は世界中どこにも存在しない。だからある面では、シャカ、キリストさえも超えた予言を述べていたことになる。
『日本の神様がわかる本』
あの神様の性格・あの神社のご利益が一目瞭然
戸部民夫 PHP研究所
<「国之常立神(くにのとこたちのかみ)」>
代表的神社;玉置神社、西金砂神社、大鳥神社、日枝神社、熊野速玉大社、御嶽神社
<国土におけるあらゆる営為を守る>
・国常立尊(くにのとこたちのかみ)は、天地創造神話に登場する根源神である。
・ごく身近な感覚として考えれば、この神は普段、我々が生活する大地に宿っていて、国土の上でのあらゆる営為にその霊力が及ぶということになる。
<神道学説では日本の神的世界の中心>
・吉田神道(創始者・吉田兼倶))では、宇宙の太元尊神(中国の老子の大元説に基づく神で、天地創成に先立ち、陰陽を超え、初めも終わりもなく、宇宙のすべてに顕現するとされている)として国常立尊(くにのとこたちのかみ)を祀り、八百万(やおよろず)の神の中心に置く。
・また、大本教では「艮の金神」と呼ばれる根本神である国祖の神々を国常立尊(くにのとこたちのかみ)としている。
国祖の神は、平常は隠れているが、時節の到来とともに出現し、世にはびこる悪を退治して、理想の神政をもたらすと考えられている。
『神道入門』 知識ゼロからの
<乱暴を働いたスサノヲの追放によりふたつに分かれた神々の系譜>
・数多く存在する日本の神々は、大きく「天津神」と「国津神」の二大系統に分けられる。平安時代に編纂された『延喜式』では、天津神は天上の雲の上におり、国津神は地上の山中にあって雲や霧の中に鎮まる神々とされる。
・『古事記』や『日本書紀』の神話によると、この二大系統の起源は、ヤマタノヲロチ退治で有名な神スサノヲにあるという。スサノヲは、誕生して間もなく親神イザナキと姉のアマテラスに反逆し、高天原を混乱に陥れたために、地上に追放された。これによりスサノヲが国津神の性格を帯びたため、神がふたつに大別されたとされる。天津神は高天原系の神々、国津神はスサノヲの子孫の系譜といえるのだ。
<高天原が加わることで、三層構造となった日本人の世界観>
・世界は、天津神の支配する「高天原」、その下位に人間と国津神が住む「葦原中国」、さらにその地下にある「黄泉国」という三層構造に変化した。黄泉国は、イザナミやその息子のスサノヲが支配する国である。罪・穢れが流れ棄てられる場所とされ、「根の国底の国」(根の堅州国)とも呼ばれる。
・さらに葦原中国に対する異界・他界の世界観もどんどん広がっていった。ほかにも、海神の住む「海郷」、海の彼方にある死者の世界「常世国」など、神話には多くの異界が描かれていくのである。
・全国の至るところで祀られ、「お稲荷さん」として親しまれてきた稲荷信仰。この信仰をひらいたのは、応神天皇の頃に渡来した有力豪族の秦氏である。京都の伏見稲荷大社に起源を発し、現在でも稲荷系の社の総本社はこの伏見稲荷大社となっている。
その祭神は「宇迦之御魂神」であり、保食神などのいくつかの別名を持つが、五穀を中心とする食物、農耕の神である。
・この信仰が広く世間に知られるようになったのは、中世に東寺の鎮守神にもなるなど真言宗と習合し、現世利益とも結びついたからである。江戸時代には流行神のひとつとなって、商業の神として民間でも広く祀られるようになり、今では全国に約19800社を誇るに至る。
この稲荷神の眷属(神の使い)は狐であり、こちらの方が有名な存在だ。
<神託で朝廷に貢献し、源氏の氏神として全国へと広まった宇佐の神>
・全国どこへ出かけても、「八幡様」と呼ばれる神社を目にする。それもそのはずで、「八幡神社」は、日本全国に約14800社も存在するのだ。その総本社が大分にある宇佐八幡宮である。「八幡」については平安初期に「ヤハタ」から「ハチマン」と音読するようになったといわれる。語源は多数の幡を立てて応神天皇の誕生を祝ったこととする説が有力だ。祭神は応神天皇とともに、神功皇后、ヒメノオホカミが祀られている。
・貞観二(860)年に京都の石清水八幡宮に勧請され、平安後期になると弓矢、戦勝の神として武神としても信仰されるようになる。のちには源氏が八幡神を氏神とし、源頼義が石清水八幡宮を鶴岡八幡宮に勧請したり、頼義の子源義家が、石清水八幡宮で元服したりするなど武神としての性格を強めていった。
やがて源氏が鎌倉幕府を開くことで、全国の武士が八幡神を祀り、また御家人が赴任した地域に八幡宮を勧請したため全国に八幡信仰が広まっていった。
・武士が起こした神社の多くは八幡神社である。全国八幡神社の総本宮・宇佐神宮(大分県)の宇佐神は、もとは海の神だった。六世紀頃には、巫女たちが道教の呪術医療で信者を集めた。同神宮の縁起によれば、571年、現在の本殿のある場所に神霊が現われ「我は誉田天皇広幡八幡麻呂なり」と大神比義に告げたことから、八幡神は、応神天皇とされるようになる。奈良時代に、大仏鋳造を機に東大寺のそばに手向山八幡宮が建てられ、八幡信仰は仏教と融合した託宣神として中央に進出した。
<国常立神(くにのとこたちのかみ)>
<『日本書紀』で重視される、永遠の国土を示す神>
・『古事記』では六番目に登場し、国之常立神と記される。『日本書紀』では天地開闢の始原神として登場し、国常立尊と記される。宇宙が誕生し、国土がまだ混沌状態にあるときに登場し、泥土を凝集して生命力(心霊)が宿る大地を形成したとされる。国之常立神の名前は、「国」の「床」(=土台)を「立てる」(=出現する)神という意味である。「常立」を永遠に立ち続ける意とする異説もある。国土の永遠性を予祝した神名である。
『八幡神の謎』
(大里長城 著) まんぼう社 2003/11
<謎の多い八幡神>
・「全国で約11万社ある神社の中で、八幡神社は、4万6百余社と最も多く、その総本宮は、大分県宇佐市にある宇佐神宮である。『鍛冶の神』『予言の神』『託宣の神』『武の神』『護国の神』とも言われている。八幡神は謎の多い神であり、先達の研究でも明快な結論は得られていない」。
・「<神話における託宣>神功皇后は神懸りになり神霊を招きよせたのである。建内宿禰は沙庭(さにわ)(神降ろしを行なう場所)に居て、神が依り付いた神功から神託を承ったのである」
「<大神比義(おおがひぎ)の登場>
・現在の宇佐神宮の祭神を持ち込み、その後の八幡信仰の隆盛をもたらした大神比義は、出自も歳もはっきりせず、尊神の分神とか武内宿禰の再来とか神格化されている。歳も5百歳、8百歳など神格化されている」。
・「<鎮守の森> 村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日 ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる笛太鼓・・・・・・・・・・・・尋常小学校唱歌(村祭)だが、この鎮守の神で最も多いのが『八幡さま』である。なぜこの鎮守の神が地域に流れ込んだのだろうか」。
・「天台宗、真言宗は在地神社と組んで、八幡神を鎮守とした。最澄、空海は延暦22年(803)香春神社で宇佐神宮に詣で、入唐の平安を祈っている。八幡神が東大寺鎮守となり、自ら八幡大菩薩と名乗ったので、天台・真言両宗の開祖である最澄、空海は在地神社と組んでいくという新しい方向をとった。東寺八幡宮、大安寺八幡宮、薬師寺八幡宮、勧修寺八幡宮などがそうである。それで、八幡信仰は全国的に広まった」。
浅野恵勝 (たま出版)2004/4
<血脈と歴史に支えられた妙恵師の霊能力>
・母の生涯については、既刊の浅野妙恵著「霊界の秘密」(潮文社刊)に詳述している。
宇佐八幡宮そのものが当時から、ユニークな存在であった。
宇佐神宮は、神を祀る神社でありながら、仏教も取り入れ、境内に弥勒寺というお寺を建てていた。つまり神仏習合を成し遂げた日本でただ一つの神社であった。
・「八幡神は『八つの幡の神』、つまり『たくさんの神』という意味を表し、まさにオリンピックの神、ローカルにしてグローバルな神なのである」。
「ところで神輿と言えば、日本全国の神社で行なわれるお祭りに付き物である。わが国で最初の神輿は八幡神に発するといわれている」
・ところで、大神杜女(おおがのもりめ)の始祖は、大神比義(おおがのひぎ)といい、八幡神と最初に出会った人物とされている。先の宇佐神宮由緒記によると、その場面は次のように描写されている。
今から1440年前、菱形池のほとりの、泉のわく所に老人や八つの頭のある龍が現れて、この奇怪な姿を見たものはたちまちにして病気になったり死んだりした。この神の祟りをおさめようとして、どこの人ともわからぬ大神比義(おおがのひぎ)という老人が来て、三年あまり断食をして精進潔斎の修業をしたところ、欽明天皇32年(571年2月卯の日、この泉のかたわらの笹の上に光り輝く3才の童子が現れて、「われは誉田(ほんだ)の天皇広幡八幡麿(すめらみことひろはたのやはたまろ)なり」と申され、たちまち黄金の鷹になり駅館川の東岸の松の上にとどまったという。
これが八幡さまが、この世に現れた第一の記録(社伝)である。
<大神比義(おおがのひぎ)は、宇宙人であった可能性がある>
・比義という人物は、「人間であって人間ではない人(神人)」と言われたとか、「500歳まで生きていた」という伝説があることを見ても大神家は始祖の代からすぐれた霊能力を持ち合わせたシャーマン(巫女)の系統であったことがうかがわれる
・「現在、八幡宮の祀神は全国津々浦々約4万社あり、規模からも言っても日本で一番大きな神社である。それゆえに八幡宮の本霊である宇佐八幡宮は、九州の片田舎にあるとはいえ、日本を代表する神社でもある。
「信者さんたちは勿論のこと、母を知る世間一般の人々の母に対するイメージは、『霊感力の素晴らしい人』『よく当たる拝み屋さん』というような断片的な評価にとどまっていた」。
・「お大師様が中国でインド仏教の正統な密教を学んで帰国したとき、お大師様が真っ先に向かったのは、宇佐八幡であった」
「お大師様の教えの根本は『即身成仏』である。即身成仏とは現世で肉体を持ったまま宇宙の真理と一体化することができるということである」
『東洋秘教書大全』
<『霊界物語』 『大本神論』と並ぶ大本教のもうひとつの根本>
<壮大な神聖ドラマ>
・全81巻の大著は、第一次大本弾圧が行われた大正10年から王仁三郎による口述が開始され、昭和8年(1933)に最終巻の口述を終えた。ただし、当初の神命は全1728巻であり、神と交渉して120巻まで圧縮する許しを得たと王仁三郎自身が述べているので、完結ではなく未完である。
・「この『霊界物語』は、天地剖判の初めより天の岩戸開き後、神素戔嗚命が地球上に跋扈跳梁せる八岐大蛇を寸断し、ついに叢雲宝剣をえて天祖に奉り、至誠を天地に表わし、五六七(みろく)神政の成就、松の世を建設し、国祖を地上霊界の主宰神たらしめたまいし太古の神代の物語・・・にして、決して現界の事象にたいし、偶意的に編述せしものにあらず。されど神界幽界の出来事は、古今東西の区別なく、現界に現われることも、あながち否み難きは事実にして、単に神幽両界の事のみと解し等閑に附せず、これによりて心魂を清め言行を改め、霊主体従の本旨を実行されることを希望す」
・文中、「国祖」とあるのは、開祖・直に憑ったとされる国常立神(くにとこたちのかみ)、俗にいう艮の金神である。太古、この神は地上霊界の東北(艮)に封じられ、長い忍従の歳月を甘受してきた。けれども時節の巡りにより、再び地上霊界を主宰する復権の時を迎えたので、開祖に憑って一切の立て替え立て直しを行うと宣言した。それが大本の絶対的な神典『大本神論』である。
・この神論をもたらした国常立神は、至純だが、厳正・厳格で融通のきかない神なので、「厳の御霊」という。この霊系には多くの神々がいるが、なかでも最も尊貴な厳の御霊として王仁三郎が位置づけたのが、天照大御神だ。
・天照大御神は、姿は女身だけれど、中に入っている霊は男神のそれなので、このタイプ(形は女身で霊は男)のことを、「変性男子」と呼ぶ。開祖の直は、この変性男子のミタマの化現、天照大御神の霊統にほかならない。それゆえ、同じ霊系の国常立神が直に憑って、立て替え立て直しを世界に宣布した。
・ただし、厳しい父親のような変性男子だけでは、世の立て替え立て直しは実現しない。大いなる愛情をもって万物を慈しみ、救済する地母神のような伴侶が要る。その役割を負っているのが、素戔嗚命だ。天照大御神と反対で、素戔嗚は姿が男身だが、霊には女が入っている、この系列のミタマを「瑞の御魂」といい、形は男身で霊は女なので、「変性女子」と呼ぶ。王仁三郎がそのミタマであり、この変性男子と変性女子が一体となって神行を推進していく場が、綾部の大本だというのである。
・『大本神論』には、変性男子のミタマによる経綸が示されている。これと対を成すのが、変性女子のミタマである王仁三郎によって口述された『霊界物語』であり、両者が一セットになって、大本の神の経綸が明らかになるという仕組みなのである。
<「型」の思想と霊主体従>
・『霊界物語』は、この素戔嗚を軸に展開する。ただし、全編が素戔嗚を主人公としているわけではなく、記紀に登場する神々のほかに、本書独自の膨大な神々が、次から次へと登場してくる。
・こうした発想の根底には、先にも述べたとおり、日本は世界の雛形であり、日本の雛形は大本だとする思想がある。王仁三郎は、大本に起こることは日本に起こり、日本に起こったことは、やがて世界に起こると主張した。それは世界が霊界の写しだからで、霊界で起こったことは、まず大本に型として写し出され、それから日本に、さらには世界規模で写し出されるというのである。
・その背景には、霊界が主で現界が従という太古不変の神律がある。そのため、霊界で起こった出来事は、必ず現界に写し出される。しかもその投写投影は、一度きりではない。巨大な時間サイクルの中で、何度もくりかえし再現され、投影される。だから、霊界で起こったこと(霊界史)がわかれば、地球の未来がわかる。霊界の過去の姿を通して、現界の現在の姿、あるいは未来の姿が読み取れるはずだからである。
<贖罪神と「最後の大峠」>
・そうして最後に、イザナミ自身が迫ってくる。「今までは、千五百の黄泉軍を以て来たのが、最後に世界全体が一致して日の神(イザナギ)の御国(日本)へ攻め寄せて来たと云う事は、伊弉冊命身自ら追ひ来ましきという意義であります。これが最后の世界の大峠であります。すなわち神軍と魔軍との勝敗を決する、天下興亡の一大分水嶺であります」
・この後、イザナミは月界に移り、イザナギは禊して三貴子を生む、天照大御神は高天原を主宰し、月読命は月界、素戔嗚は地球を主宰することになるのだが、この地球の主宰神は、黄泉国と化した地球の穢れの罪を一身に背負って贖罪神となり(ここにはキリストのイメージが重なっている)、地球救済のために神行に入る。そうして、『霊界物語』のドラマへと接続していくのである。
・以上はまだ導入部にすぎない。また、王仁三郎自身がくりかえし説いているように、当時の世界情勢や大本をとりまく情勢にひきつけて行っている王仁三郎の解釈は、あくまで霊界の投影像のひとつにすぎない。
『古事記』は「全地球上の出来事に対する御神書」であり、『霊界物語』もまたそうした書物にほかならないというのだが、この言葉をどうとるかは読者に任されているのである。