日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!

私たちはそもそも、既に日本は財政再建を終えており、消費税増税も必要なかったと考えている。(9)

 

<「ある国王に1千万円の官房機密費。買収同然だ」(武村正義)>

中川秀直官房長官がスキャンダル対策に官房機密費を支出>

・もちろん、こうしたカネのやりとりも闇から闇へと葬り去られるので、表沙汰になるということはほとんどないが、筆者の取材で、そうしたスキャンダル対策に多額の官房機密費を支出していたとの、交際相手あった女性からの証言が出ているのが、森内閣官房長官だった中川秀直(在任2000年7月――10月。06年9月の安倍内閣の発足に伴い、自民党幹事長に就任)である。

 

<官房機密費の「究極の使徒」は私的流用すなわち「握りガネ」>

・官房機密費の「究極の使途」とは、「私的流用」、すなわち、「握りガネ」として、自らの懐に入れる分だろう。

 首相をはじめ、随行の人間たちも外遊の際、「支度金」(もしくは「餞別」)と称して、外務省からの上納分からも含めて、機密費から現金を受け取っているというのは前述したとおりだ。

 

<「裏金」=権力の味>

・そもそも、カネ自体にオモテもウラもない。そのやりとりを隠してしまうから、「裏金」と呼ぶだけのことである。

 

<「権力の裏金」機密費はヘソクリと根本的に違う>

<組織のあるところ裏金はある。権力の味の最も強い裏金こそ>

・この本では、「官邸・外務省」、「法務・検察」、「警察」に存在するオフィシャルな裏金を見る。それらの原資のメインはいずれも、戦前の「機密費」にルーツを持つ、「報償費」、「調査活動費」、「捜査費」という名称でそれぞれ予算計上されているものである。

 こうした「裏金」は、あっさり言ってしまえば、官公庁はもとより、会社組織や労組、特殊法人などを含めたいろんな団体にも、ほぼ例外なく存在している、といってもいいだろう。

 

・最近(04――05年)の一連のNHKの不祥事問題で、受信料の不払いが殺到し、会長が辞任に追い込まれる事態にまで発展したが、そのきっかけとなったのは、NHKの芸能番組のチーフプロデューサーによる「裏金づくり」だった。

 ここ数年「役所の裏金問題」がブレイクする契機は、前章で触れた、01年に発覚した外務省機密費流用事件だろう。

 

<「銭のない候補者に金をやる。当選しそうな者に」(竹下登)>

自民党の機密費「政策活動費」は官邸機密費を上まわる>

・前出の週刊ポストによると、00年から02年までの3年間の自民党本部の収入総額は992億円に上っており、その内訳は、国民政治協会などを通した企業・団体献金が約130億円、個人献金約10億円、党費収入約48億円となっているが、最大の資金源は国民の税金から支払われる「政党交付金」の約442億円だった。繰越金などの重複を除けば、自民党本部にあるカネの半分以上は国民の血税である。

 

公安調査庁が敵意をむき出しにするオンブズマン運動>

・「情報公開法の施行」が、国に所属する行政機関の中でも、とりわけ権力中枢といわれる「法務・検察」、「警察」といったところにいる人間たちに、どれだけの「恐怖」を与えていたかは、我々の想像以上のものがある。

 法務・検察であれば「調査活動費」、警察であれば「捜査費」と、いわば「オフィシャルな裏金」を持っている。オンブズマンはもちろん、それに焚き付けられたマスメディアの追及の矛盾が、もし、「ここ」に向かってきたら、とてもではないが、「組織が持たない」のである。

 

<「捜査当局が裏金づくり。それをやっちゃあ、おしめえよ>

<「権力の裏金」を会計検査院はチェックできない>

<国家予算の審査請求ができるのは直接利害関係人だけ>

<国会は国民による違法な税金の使途チェック立法を>

<日本中で一番仕事をしていない役所が会計検査院

・「会計検査院の人件費は税金の無駄遣い」として、こう指摘している。

「日本のお役所の中で、一番、無駄遣いをしているのは、どこだと思いますか?元役人の立場から言いますと、自信を持って「会計検査院」を推します」

 

・「税金の無駄遣いがこれだけありました」と会計検査院の発表ニュースが、毎年、流れます。会計検査院が指摘した税金無駄遣いの額は、会計検査院の人件費を若干上回るくらいの額なのです。桁が2、3桁違うだろうというのが、元現場にいた人間の実感です。というより、会計検査院の人件費はすべて、税金の無駄遣いだろう、

 

会計検査院摘発の「税金ムダ使い」額は院の予算額が目安>

<「権力の裏金」を限りなくゼロに近づける努力を>

橋本派への1億円献金は、オモテからウラへこう変わった>

<文明社会のタブーとリンクしつつ、カネは影響力を持つ>

・人間社会、とりわけ、文明が高度に発達した社会において、「タブー」とされているものが、3つある。それは、「死」、「セックス」、そして「カネ」である。

 

・現代の「資本主義社会」においては、「カネで買えないモノはない」とさえ言われているが、貨幣が持っている機能とは、「交換」と「蓄積」である。

 カネさえあれば、食料や衣服、住宅を確保できるのはもちろん、旅行やエステ、さらには風俗店といったサービスも受けることができる。病院で治療を受ければ、保険が適用されるとはいっても、いくらかの自己負担分は必要である。とりわけ、国民皆保険制度が確立していないアメリカではその高額の治療費から、「病気破産」ということがいわれているほどだ。

 そうしたカネはインフレで貨幣価値が下落でもしない限りは、タンス預金であれ、銀行なり郵便局に預けてさえおけば、貨幣が持っている「等価交換性」が損なわれることはない。

 つまり、現代においては、カネは生存欲、食欲、性欲、所有欲といった、ありとあらゆる人間の欲望を満たしてくれる存在なわけだ。

 

ユング学派は、こうした文明社会においてタブーとされる「死」、「セックス」、「カネ」の3つを象徴しているものは、「グレートマザー」(偉大なる母性)であるとしている。逆に言えば、こうしたタブーの成立とは、グレートマザーなるものに対する「抑圧の裏返し」なのだという。

 

<カネの魔力を知るからこそ、「権力の裏金」のウミの抉出を>

・おそらく、人間の社会が存在する限り、貨幣が消えてなくなるということはないだろう。であれば、本書で見てきた「権力の裏金」が、今後、消えてなくなることもないだろう。

 しかし、こうした「権力の裏金」は、できる限り少なくし、そして、ゼロに近づける努力は常に続けなければならない。

 なぜなら、「権力の裏金」とは「暗黒政治の産物」であるからだ。人間の良心を麻痺させ、腐敗、堕落させてしまうのが、こうした「カネ」の力だからだ。腐敗した政治は、そこで税金を払っている国民を、間違いなく不幸にする。それだけは絶対に食い止めなければならない。

 逆に言えば、民主主義をさらに確固としたものにしていくためには、とりわけ筆者をはじめとするジャーナリズムが、こうした「権力の裏金」が抱え持つウミを徹底的に抉り出さなければならない、ということに他ならない。

 

 

 

『あなたのすぐ隣にいる中国のスパイ』

鳴霞  千代田情報研究会  飛鳥新社  2013/4/6

 

 

 

<騙される>

・来日後の私は、大学や兵庫・大阪の中国語学校で教える傍ら、日本企業の通訳もしていたが、その折痛感したのは「日本人がいかに易々と中国人に騙されるか」である。

 

<中国人学者たちの怪しい行動>

・日本企業は「人権」「友好」「学術研究」という冠をつければ、技術も機密も公開、資金まで提供して丁寧に教えてくれると、中共政府は見くびっている。この状態こそ、日本が「スパイ天国」であると揶揄され、世界から嘲笑の的になっている理由である。

 中共は「スパイの21世紀的役割は、技術的遅れを埋め合わせる機密情報の入手」と規定している。国家として科学技術力が欠けていることを認識し、先進各国の先端技術を欲しがっている。しかし、先端技術を習ったり買ったりするような状況は想定していない。

 中共は、習うこと、または習うことによって入手した技術は古いもので、最先端のものではないという認識を強く持っている。

 

<美女スパイの手口>

・中国のスパイ活動といえば、すぐ「ハニートラップ」という言葉が浮かんでくる。女性を近づけて相手を油断させ、情報を取ったり、工作したりすることであるが、日本の橋本元首相自民党の前総裁・谷垣禎一氏も、これに引っかかったのではないかという噂がある。亀井静香国民新党代表は、自民党時代、中国を初訪問する際、後藤田官房長官に直々に呼ばれ「中国の女性通訳には気を付けろ」と注意を受けたという。実際、中国を訪れると、すこぶるつきの美人通訳が現れ、耳に吐息を吹きかけるように小声で通訳するので、非常に困惑したという。

 中国における「ハニートラップ」の歴史は古い。

 

・また、2005年に明らかになった駐上海日本国総領事館の男性館員が自殺した事件なども、現代の「中共によるハニートラップ」として記憶に残る事件だ。

 

・また、あるときは男性館員が犯したささいな法律違反(例えば中国では未婚の男女がホテルの一室にいるのは違法)を他の公安職員に摘発させ、自ら館員を助ける役を買って出た。その際に用いた中国語文書も存在しており、日本政府はこの文書を根拠として、中共政府に「領事関係に関するウィーン条約」違反として抗議した。

 

・古来、「英雄艶を好む」ということわざがある。為政者や事業家など、「精力的に仕事をこなす人々」は「女色を好む傾向が強い」というほどの意味だが、最近では、多くの日本人が「英雄」になってしまっており、それだけスパイの対象も増えていると言えなくもない。自衛隊や領事館員ばかりではない。企業の技術者や最先端の研究を担っている大学の准教授などもその対象であろうし、インターンの大学院生や国会議員の秘書なども「英雄」になってしまうのである。

 

・また、ビジネスは「グリーンと銀座で動く」といわれたが、料亭での政治が姿を潜めると同時に、政治家も、夜の銀座に蝟集することが多くなった。つまり、銀座だけでなく六本木や赤坂など、夜の街は日本のビジネスマンのみならず政治関係の「英雄」も集う場所となっていったのである。そのような夜の街の異変が2011年2月15日の夕刊紙に報じられた。「中国の軍幹部令嬢らが日本で謎のクラブ勤め」という記事であるが、筆者もコメンテーターとして登場しているので、以下に要約を紹介する。

 

 中国人民解放軍の幹部らの複数令嬢が、東京の銀座や新宿のクラブに勤めていることが、在日中国人社会でひそかに話題となっている。金銭的に余裕があるはずだけに、その目的や真意について、「日本の政財界に特別なコネクションを構築している」から「スパイ説」まで、さまざまな憶測が飛び交っている。

 

・米国では、2009年だけで、米司法省が捜査に着手した中国絡みのスパイ容疑事件は、なんと400件を超えたという。

 

・最近は銀座でも赤坂でも、中国人の経営するクラブや中国人ホステスが少なくない。中国人のホステス専門の店ではなく、かなり老舗の名前の通ったクラブにも「中国からの留学生」と称するホステスがいることがある。

 

・今はなくなったが、麻生太郎氏が首相になる前、昵懇の女性が経営する「シュミネ」という高級クラブがあり、そこにも、長期間北京出身のホステスが在籍していた。高名な政治家が通う店であるから、政界関係者や官僚、企業経営者などが多く集まっていた。

 

・もともと中国には「千金小姐」といって、どんな貧しい家の娘でも美人に生まれてくればカネになるという即物的な考え方があるほどなのだ。

 

・日本人の恥の文化に付け込むのが「ハニートラップ」の本質であり、同時に、これは日本のみならず、一夫一婦制を持つ数多くの近代法治国家の間で行われている、中共スパイの常套手段なのである。

 

<嵌められても気づかない国会議員たち>

<世界のどこよりも簡単な日本政界工作>

・2012年7月18日号の国際情報誌『SAPIO』に、衝撃的な記事が掲載された。ジャーナリストの山村明義氏の署名記事で、「お寒い事情、赤いスパイへの警戒感ゼロの野田民主党政権を中国への機密情報「筒抜け政権」と命名する」と題されていた。

 

・あまりにも無防備な事態に、日本に詳しい中国共産党のある幹部はこう嘯くのだ。「今の民主党政権は国家情報の危機管理意識が皆無に等しい。我々が日本人に近づき、日本の重要な情報を握るのはもはや難しいことではなく、裏の偽装すらする必要もない」

 

・現実に昨年(2011年)7月から11月にかけて、同じ東京・永田町の衆参の議員会館で、中国国内からと思われる国会議員のメールがウイルスに感染し、外国への情報が送られたとされる「サイバーテロ事件」が起きた。

 

・ところで、ウイグル会議開催直前、在京の中国大使名でウイグル国会議員連盟の各議員に、会議への参加を見合わせるよう強く求める要望書が届いたのだ。これだけでも明らかな内政干渉だが、それはさておき、その配布先を見てみると、議員連盟に当時参加していない議員にまで届いている。逆に参加しているのに、抗議文が届かなかった議員もいる。調べてみると、ある時期に作成された名簿を元に送付されていることが判明した。

 では、なぜ中国大使は「日本ウイグル国会議員連盟」の名簿を知ることができたのか。

 

・国会議員には「行政調査権」というものがあって、それを行使すると国の機密資料を簡単に手に入れることができる。以下は伝聞であり、未確認のものであるが、国政に関することなのであえて公開する。まだ民主党政権になる前の話であるが、辻本清美議員の秘書から行政調査権を使ってある資料の提出が要求された。

 

・したがって、財務省の官僚は議員のところに資料を持って直接出向いた。ところが議員本人に面会したところ、そのような調査の依頼はしていないという。

 

民主党政権下で、首相官邸に出入りできる人間が1300人に膨れ上がっていたというのだ。その中には「80人ほどの左翼的メンバーがいたり、前科一犯の人」もいた。

 

・まさに現在の日本の情報管理の甘さ、為政者たちの情報に対する認識の決定的な欠如を示していたとしか言いようがない。

 

<熱烈歓迎(訪中)の中身>

・彼らは手荷物をあけてみたりなど、すぐわかるようなことはしない。しかし、パスポートは、実は個人情報の宝庫だ。本籍地は当然だが、過去に中国や他の国のどこに滞在したかまで記録されている。中共はその個人の情報を得て、調査を始める。特に、事前に中国の他のどこかを訪れていた場合、たちどころにそのときの行動を調べ上げる。ちなみに、イスラエルの場合、外国人訪問者が希望すれば、入国のスタンプは押さない。イスラエルに敵対するイスラム国に行った場合、迷惑をかけないようにという配慮からだ。

 

・さらに、前もってホテルの部屋などに運び込まれた荷物は、歓迎会の間にすべて中身を見られていると思ったほうがよい。書類などは、コピーされていることが少なくない。

 

・シャワーを浴び、一夜を共にしたりすれば、彼女たちの行為はより完璧となる。当然その前の全裸で抱き合う画像も撮られているので、男性がスパイ行為に気づいて文句を言えば、それを持ち出される。中国の役人に泣きついても、基本的には無意味である。中国には「夫婦、親子以外の男女(外国人同士の場合は除く)が、夜11時以降、ホテルの同じ部屋にいてはならない」とする法律があり、法律違反で逮捕されかねないのだ。

 

・2004年、自民党山崎拓元副総裁と平沢勝栄議員が、中国の大連市で拉致問題解決のために北朝鮮の高官と交渉をしたことがある。この時、ここに書かれたような状況で、日本側の交渉の内容が事前に漏れていたということを、大連の『紡垂新聞』が報じている。このほど左様に、中国では十重二十重にスパイ網が存在するのだ。中国と一度でも関係した外国人はファイルが作られ、それが年々更新され、膨大なものとなっていく。

 

<「合弁会社」での「地下党組織活動」>

・中国には日本の会社が3万社ある。独立会社・日中合弁会社・日台合弁会社・日香合弁会社などであるが、それらの現地企業の中には当然「中共地下党組織」が作られ、情報収集のみならず企業が反中共活動をしていないかどうか、チェックし共産党中央に報告することを任務としている。

 

・筆者は、幼年時代から大学まで、中国の教育を受けてきたが、「南京大虐殺30万人」などということは一切教えられていなかった。なので、中国の教科書に「南京大虐殺」が載っていると知った時には、非常に違和感を持ったものだ。筆者のように外国に出た者は、まだ冷静なものの見方ができるが、そうでない場合、自分の働く日本企業を敵視し、「地下党」員として活動することになんらの痛苦も感じない。こうした工作を、中共は「文化戦」と称している。

 

・最近では日本に帰化した中国人だけで12万人を超えており、彼らには当然選挙権が与えられている。これに永住許可者を含めると、中共のコントロール下にある者の数は膨大で、実に恐ろしい動向である。では沖縄はどうか。永住外国人参政権を与えようなどと言っているくらいだから、中国からの帰化華人の数など真剣に考えたことがないだろう。しかし、これは間違いなく脅威である。

 

<日本の経済援助が中国のスパイ活動を巨大化させた>

中共スパイの原点は周恩来

南京大虐殺が1979年までの中国歴史教科書に一切掲載されていない不思議>

・まさに、外国人の目から見ても、当時の日本人の記録を見ても、略奪や殺人を犯していたのは中国兵のほうであり、日本軍ではないのである。

 それにしても、人口20万人の都市で30万人を虐殺するなど神様も不可能だ。

 

中共は中国人のいる場所すべてにスパイを送り込む>

・従って、全軍のなかで、スパイより高級なポストはなく、スパイより機密なポストはない。さらに、すぐれた知恵がなければ、スパイを使いこなせないし、人徳がなければ、よく動かせず、洞察力がなければ、もたらされた情報の真偽を判断できない。

 

 

 

小野田寛郎の終わらない戦い』

戸井十月  新潮社    2005/7/30

 

 

 

<「中野学校」という異界>

・日本には天皇制がある。それを盲目的に崇拝するんじゃなくて、何故、そういう形態になったのかを教えられた。だから、『天皇機関説』もちゃんと教えられた。政治学としては、これはこれで間違ってはいない。そういう見方も確かにできるって。天皇が現人神だった当時、そんなことを言ったら大変だったんですけど、中野学校では普通に話されていた。

 

・何ごとにつけ、悪い所があれば躊躇せず変えてゆく。それが、まともで確実なやり方じゃないかというのが、中野学校の考え方の根本にあったんです」

 

・番号の入ったプリント刷りの教範は、授業が終わると全て回収された。日本が連合軍に占領されることを予想して、「中野学校」の幹部たちは準備をしていた。小野田たち二俣分校一期生の230人は、日本本土に敵の上陸を許した後の状況を想定して育てられた若者たちだった。

 

・「すでに私たちは、アメリカが原子爆弾を研究していることも知っていた。日本でも研究中だが、向こうは金があり、研究グループも多いから、日本よりかなり進んでいるという情報であった。噂に近い未確認情報ではあったが、私たちはその恐るべき爆弾がやがて登場するだろうことも予想していた」

 

・「そうですね。日本が占領されることまで織り込みずみだったんです。でも、それで日本が負けるわけではない。日本の80万の陸軍は中国大陸で戦い続け、ベトナム戦争の時のような結果が出るまでアメリカと戦い続けるという青写真だった。そういう戦略というか、計画のもとにフィリピンに送られたんです」

 

・小野田に、横山静雄中将が言った。

「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」この言葉が、それからの小野田を縛り続けることになる。

 

<「ブラジル」という戦場>

・ブラジルに渡った小野田は、まず514ヘクタールの土地を購入する。場所は、ブラジル中西部、南マットグロッソ州バルゼア・アレグレ移住地。ボリビアパラグアイとの国境にも近いそこは、広大な南米大陸の、最も海から離れた内陸最深部に位置する。1959年に入植した日系移民を除けば、普通の日本人が訪れることなどまずない土地だった。

 

・育てる牛は、ネローレ種と呼ばれる、インド原産の肉食用コブ牛。牛が売れたら(現在の価格で、1頭5万円ほど)その3分の2が利益になると言われる牧畜業だが、そうなるまでに普通6、7年かかる。最初の1年が伐開と牧草栽培。牧草が育って種が結んでから2歳の末産牛を放し、その牛が出産するまで1年。そして、産まれた牛が肉食牛として売れるまで育つのに4年から5年。その間は、開拓作業や設備投資に追われるばかりで収入はゼロに近い。

 

・現在の「小野田牧場」は、成田空港より少し広い1128ヘクタールの土地におよそ1800頭の肉行政を放している。小野田は大したことないと言うが、普通の日本人の感覚なら茫漠とした広がりだ。牧柵の長さ48キロ、深さ150メートルの2本の掘り抜き井戸から各水槽への配管は8キロに及ぶ。牧場開拓はもちろん、暮らしに必要なインフラまで、小野田は自分で学び、自分の体を使って整備していった。

 

・バルゼア・アレグレ移住地は、1959年に入植した9家族、54人によって拓かれ、その後、約50世帯になった。

 

・移住してからの7年間は電気もなく、ランプで暮らした。小野田は、護身用と狩猟用に4丁の銃を持ち、ジャガーや大蛇の襲撃に備えた。軽機関銃を手にして牛泥棒と対峙したこともあった。それは、ルバング島での日々とあまり変わらない暮らしだった。唯一決定的に違っていたのは、誰から命令されたわけでもない、自分で選んだ戦争だった点だ。

 

 

 

小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』

帝国陸軍最後の軍人」が守り通した秘密  

斎藤充功   学研    2015/5/27

 

 

 

・軍服を脱ぎ(昭和18年以降になると軍服で勤務した卒業生がほとんどであった)。背広や現地人の服装をまとい、中国大陸や満州、北方、南方地域などの日本軍が進出した全戦線で謀略戦や情報戦、あるいは諜報戦、宣伝戦、遊撃戦(ゲリラ戦)などの特殊工作を展開したのが、中野学校の卒業生たちであった。

 

・それから6年後の2014年(平成26)1月16日、肺炎で小野田はこの世を去った。91歳だった。結局、小野田の口からルバング島の知られざる真実を聞くことはできなかった。

 だが、小野田が発したあの言葉は、その後も私の頭から離れることはできなかった。

ルバング島のことだが、今まで誰にも話していないことがあるんだ・・・・」

 もしかしたら、小野田は誰にも話していないルバング島での29年間の真実を、ルバング島の極秘任務の真相を私に話してくれようとしたのではないか――。

 ここから小野田寛郎の真実の姿を追跡する取材が始まった。

小野田はあのとき、私に何を話そうとしたのだろうか。

そして、小野田はルバング島で29年間、いったい何をやっていたのかーー。

 

・堀の記述をみれば、情報班の別班の任務はスリリングだったことが窺える。そして、山路長徳少佐が指揮する「山路機関」が、1942年(昭和17)末、敵の女性スパイを確保して、“2重スパイ”に仕立て上げたという秘話も、堀は同書で次のように書いている。

 本間兵団(注・第14軍の軍司令官で戦後、処刑された本間雅晴中将の指揮する部隊)がマニラに進入したとき、軍参謀の部屋から本間兵団の重要書類を盗もうとした、英国の仏人系美人スパイのリタを捕えて、これに整形手術をさせ、別人の顔に仕立てて遂に日本のスパイとして、マッカーサーが比島から退却に際して残していった米軍の残置諜者を暴き出し、これに徹底的な打撃(主として処刑)を与えたのも山路機関であった。(注は著者)

 中野学校は「謀略は誠なり」の精神を教育理念としていたが、堀の記述にもあるように、戦地では、スパイ活動によって拘束した敵の工作員を処刑していたことも明らかにされている。

 

・30万を超える兵力を要していたとはいえ、堀の分析によれば、方面軍の戦力は兵員、火力ともに米軍の3分の1程度の戦力しかなかったとされる。このような戦況下にあったフィリピン戦線へ小野田らは派遣されたのである。小野田が着任したのは、方面軍参謀部情報班だったが、正式な申告は、マニラから南に100キロほど離れたリパに司令部を置く第41軍隷下の第8師団(弘前)だった。この師団はルソン島南部を防衛する中核師団として奮戦しているが、終戦直前には米軍によって全滅寸前まで追い詰められていた。最後の師団長は、第41軍司令官兼務の横山静雄中将(陸士24期)だった。

 

<残置諜者としての戦い>

・潜伏を決して以降の小野田は、中野学校で仕込まれた諜報員としての本領を発揮し、部下3人を率いて島内で残置諜者としての活動を開始する。

 かき集めて所持していた武器・弾薬は「38式歩兵銃3丁、99式小銃1丁、14年式拳銃2丁、軍刀1本、手榴弾8個」で、実弾は「歩兵銃と小銃弾合わせて2300発、ルイス式旋回機銃弾600発(飛行機搭載の機銃)」(『たった一人の30年戦争』より)だった。小野田らは、これらの武器と装備で米比軍と交戦するつもりでいたが、実戦を経ずして日本は無条件降伏した。対米戦争に日本が負けたという情報を、小野田が半信半疑ながら知ったのは、米軍機から撒かれた“降伏ビラ”によってだった。1945年(昭和20)10月末のことである。

 

<帰国後に巻き起こった空前の“小野田ブーム”>

・フィリピンにおけるすべてのセレモニーが終わってから3日後の、1974年3月12日午後4時、小野田は日本に帰還した。

 

 当日羽田国際空港の第2スポットに、日航機326便は駐機した。空港の送迎デッキには、小野田の帰国を祝う7000人を超える人々が、手に手に日の丸の小旗を振って、万歳を三唱していた。

 

・複雑な心情に揺れ動いていた小野田を尻目に、報道合戦はますます過熱していった。そんな最中に舞い込んだのが、週刊誌『週刊現代』からの手記の執筆依頼だった。講談社が所有する伊豆の別荘で、口述筆記するゴーストライターと生活を共にしながらの執筆だった。

 1974年(昭和49)7月にスタートした連載のタイトルは「闘った 生きた」。帰国からわずか4ヵ月後の手記連載という、異例の速さだった。

 だが、帰国後の猛烈な環境の変化で小野田は心身ともに疲弊したため、日本の生活に嫌気がさし、帰国から半年後には次兄が経営しているブラジルのマットグロッソにある牧場に、雲隠れしてしまった。

 

<シ―グレーヴが説く「山下財宝」伝説>

・フィリピンの金塊にまつわる有名な話に「山下財宝」伝説がある。

山下奉文大将率いる日本軍が、終戦時にフィリピンの地下に莫大な量の金塊を埋め、戦後に引き上げようとしたものの、そのままの状態で眠っているという、いわば都市伝説のような話であり、戦後も詐欺話の枕詞として流布してきたという経緯がある。

 

・第2次世界大戦末期、日本軍はアジア各国から略奪した金・財宝をフィリピンに隠したというのである。

 

<フィリピン金塊譚と小野田寛郎の接点>

・そして“奇譚”ともいうべき、フィリピン金塊譚のバックボーンに関して、1章を割いてまで検証した理由は、小野田寛郎の知られざる任務、つまり、彼が日本が敗戦したという事実を知りながら、ルバング島に潜伏し続けた理由と密接に関係するからである。

 山下は取材の際、私にこう言った。

「フィリピンには、ふたつの種類の金塊がある事実を認識して頂きたいのです。ひとつは、“機関”によって計画的に隠匿された大量の金塊。もうひとつは、軍によって隠された軍資金です」

 ふたつの金塊譚が合体して、途方もない量の金塊がフィリピンに眠っているという「山下財宝伝説」が形成された。

 

・そして、シーグレーヴは『GOLDWARRIORS』で、小野田の任務を“皇族によって隠匿された金塊を監視すること“だったと書いた。しかし、私は中野学校関係者の取材を通して、小野田に課せられた任務は、シーグレーヴが説く任務とは違うものだったのではないかという考えに至った。

 では、小野田の任務とは何だったのか――それは、山下の証言にあった“軍によって隠された軍資金”を守ることだったのではないか。そして、その軍資金とは、“マル福金貨”と呼ばれた、ゴールド・コインだったのではないか…………。

 

<運命のゴールド・コイン――マル福金貨>

<「福」という文字が刻印された金貨>

<「彼の使命はマル福金貨を守ることにあったと思う」>

・――小野田さんのルバングでも本当の使命は、何だったと思いますか。

Kは「推論だが」と前置きしたうえで答えた。

「残置諜者としての任務を果たしたわけです。しかし僕は、彼の本当の使命は、“マル福金貨”を守ることにあったと思う。

 戦地は終戦末期になると軍票はまったく使えず、物資の調達はマル福(金貨)でやっていた。杉兵団がルソンからルバングにまる福を運び込んだのは、尚武集団の命令で軍資金の安全を考えたうえでの秘策だったと思う。目的は軍資金の隠匿。ちょうど、小野田が派遣された時期に運び込んだのではないか」

 

<師団司令部から届いた“重要なブツ”>

・小野田が「日本は戦争に敗け、終戦を迎えた」という事実を認知していたことはまちがいない。にもかかわらず、日本の敗戦を認知していた彼が、ルバング島に29年間も潜伏し続けていた理由は、我々が与り知ることのできない“特殊な任務”を彼が背負っていたからだとしか考えられない。

 その“特殊な任務”とは何か――それが、前出のKの証言にもあった「マル福金貨を守ること」だったのではないか。

 

<“虚像”という重い十字架>

・小野田は昨年1月、入院先の築地・聖路加国際病院で91歳で亡くなった。

 1974年3月に帰国して以来、小野田は自身の思惑とはまったく別の次元で創られた「英雄・小野田寛郎」という“虚像”を、あらゆる場面で演じ続けてきたのではないかと思う。

 

小野田寛郎は、29年間、ルバング島で何をしていたのか――。

 この問いに対する私の見解はすでに述べた。山下の見解が正しいのか私の見解が正しいのか――それは読者の判断に委ねたい。いずれにしろ、本書で明らかにした小野田の実像は、残置諜者としての任務を全うした、命令に忠実な、紛うことなき「帝国軍人」であった。その事実はけっして揺るがない。

 29年間の潜伏と引き換えに小野田が得たものは何だったのだろうか。ブラジル移住の資金も、隠匿された金塊から得たという話も一部では囁かれた。しかし、それは違うだろう。当時、出版界で小野田の手記の印税は「数千万円から1億円」と噂され、話題となった。おそらく、移住の資金は手記の印税から捻出されたはずだ。