<中国の行方>
・アメリカが、中国最大の電子機器メーカーであるファーウェイを制裁対象の目玉に据えているのはその表れでしょう。米国の対中貿易戦争の狙いが、習近平政権の経済戦略の柱の一つである「中国製造2025」潰しであるのは今や明白です。
<中国を包囲する国際社会>
・中国の危機感の根はほかにもあります。アンチ・チャイナの動きが世界で拡大している事例として地球温暖化を阻止する国際的な環境政策を巡る討議があります。これは、中国の発展を阻止する国際的な枠組み作りの一環であると筆者は見ています。
中国のエネルギー自給率は8割を超えているわけですが、自給の6割近くを頼っているのが自国産石炭です。
<中国の「超限戦」というプロパガンダ戦略>
・今や、国際社会や「持てる国」は、中国をいかに封じ込めるかに戦略の重点をシフトしているわけですが、これに対抗するため、中国は現代の総力戦を実行しています。それは「超限戦」という言葉に集約されますが、1999年に中国人民解放軍幹部から生まれ、欧米など、軍関係の人たちには馴染みのある言葉です。
<すでに始まっているコロナショックをめぐる超限戦>
・新型コロナウイルスの発生源をめぐって、米中の対立が激化しています。
トランプ大統領は真珠湾攻撃やニューヨーク同時多発テロを引き合いに出し、「ウィルスによってアメリカが大打撃を受けた」として中国を改めて非難しました。
中国国内で「原因不明の肺炎患者が発生した」という報告が最初にあったのは、2019年12月8日です。12月30日にはインターネット上に「原因不明の肺炎治療に関する緊急通知」という武漢市衛生健康委員会作成の文書が流れました。武漢市内の多くの病院で肺炎患者が相次いでおり、12月31日の時点で27人の肺炎患者が確認され、そのうち7人が重症とした上で、中国政府が「人から人への感染は見つかっていない」と否定したことです。
・アメリカが非難しているのは、感染症患者の発生とヒト・ヒト感染を中国政府が秘匿し、パンデミックを世界にもたらしたことです。中国は国際合意上、新型感染症の際、WHOにその事実を伝達する義務があります。
・それは、米中対立の本質が経済問題ではなく、南シナ海や台湾をめぐる対立も含めた安全保障上の問題だと中国の指導部は見ているからであり、米国の最終目的が、「中華民族の偉大なる復興」を阻止することにあるとすれば、習近平体制の変更、解体につらなるという危機感を高めていることになります。
<外に向けて軍事圧力を強める背景>
・現下の中国は非常時下であるという認識、つまり、「新冷戦構造下にある中国」を明確に意識した上で、国際社会での行動指針を決定・推進していると考えるべきです。
コロナショックの発生源として厳しい国際社会の目にさらされる習近平体制は、今後、二次・三次の感染爆発に見舞われ、経済再建を円滑に達成できない場合、さらに国際社会の激しい非難を受ける危機を迎えます。
経済破綻にとどまらず、最悪のケースでは全国的な暴動、さらには共産党一党支配体制の崩壊といった、習近平独裁体制が革命に直面する最悪の状況も念頭に「プランB(代替計画)」「オプションB(次善の選択肢)」
を用意していることが予想されます。
・したがって、ここ数か月、中国は感染症防止に全力を傾けるよりもむしろ、周辺国に対する軍事的な威圧行動を強めているのもうなずけます。最悪のケースに備えての予行練習と考えられるからです。つまり、ガス抜きとしての外征なり、武力の対内・対外行使への準備だという補助線上での見方が附に落ちます。
それは香港の民主派弾圧と本土への接収なのか、感染再発に伴う国内暴動の鎮圧なのか、台湾侵攻作戦なのかは不確定ですが、国内での政権転覆につながる革命的事態の発生を避けるためなら、最悪のシナリオのカウンターとして外征を起こす必要も視野に入れての訓練であり、中国共産党幹部の危機感の表れと筆者は受け止めています。
<飲み込まれる香港>
・実際、香港版「国家安全法」が採択されて間もなくの2020年5月29日、中国人民解放軍統合参謀部の李作成参謀長が、「中国は台湾問題を解決するために平和的手段と軍事手段の双方を備えておく必要がある」との考えを示しているのは象徴的な発言でした。
李参謀長は、「台湾との『平和的な再統一』の機会が失われる場合、人民解放軍は領土の安全性を確保するためあらゆる手段を用いる」と述べています。
台湾の独立を阻止するため、2005年に採択された「反国家分裂法」の制定15周年を記念する式典での発言で、同法は中国が国家分裂と判断した場合、台湾への武力行使を認めており、中国の進む道筋の一つが提示された形だと言えましょう。
<香港併合の動きは台湾、そして尖閣へ>
・無論、日本に対しても尖閣諸島などの係争地域への奇襲侵攻なども十分、彼らの視野に入るわけであり、私たちが注意するに越したことはありません。
<超限戦を仕掛ける中国に対するわが国の対抗策>
・前述のように、今後、コロナショックで世界経済需要が大きく縮小する中、従来、世界経済の成長から最大の恩恵を受けてきた中国は、当然ながら世界からつまはじきにされる可能性が濃厚です。
・中国の対日攻勢は既に始まっており、地政学リスクでは、沖縄での中国による在沖縄反日分子への資金援助など、国内政治への介入工作は確実に行われているため、外国による政治介入阻止に向けた国民への周知徹底と教育は欠かせません。
沖縄方面への陸戦隊に当たる部隊への展開も必須です。いざとなれば、盟邦軍やアジア諸国との中国の食指が伸びる事態を事前に阻止する外交・軍事方面での対応をより強化すべき時期が来ています。
現代中国は新冷戦構造下の国のありようを規定、「超限戦」を平時から掲げ、文字どおりの総力戦に対応した国造りに余念がありません。中国が超限戦をしかけているなら、当然、対抗措置が必要です。
<アメリカの対中国軍事戦略と日本>
・今後、あくまで米軍はレーダーとしての役回りに徹し、軽装備になることが予想されます。米本土からの来援部隊を待つ数か月間、日本本土防衛のカギは自衛隊そのものになることが明らかになりました。人員や装備、弾薬・ミサイルなどの確保に、自衛隊は膨大な準備が必要となっていることがうかがい知れます。
日本に残されている時間は意外に少ないかもしれません。
<日本は米中対立の最前線へ、中国は米ロの変数に過ぎない>
・日本としては、新冷戦構造下での生き残りをかけ、主に対中防衛の観点から、盟邦との連携を強めるだけではなく自助努力が肝要です。物理的な自主防衛力の強化とともに、立ち遅れた法整備を含めた国内の危機管理能力向上を期して、総合戦を戦い抜く覚悟と行動が求められます。
ただ、本章で最も述べたい核心は、「日中関係が極東の安全を決定していくことはない」ということです。つまり「中国は米ロの従属変数に過ぎない」という点です。極東アジアの近現代史を振り返った時、実は米ロの動きこそが趨勢を決定してきました。
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□コロナショック以降、アメリカは大統領選挙でトランプが落選した場合でも、国策が大きく変わる可能性はないだろう。
いずれが選挙に勝とうが異次元的な財政拡大のツケとしてスタグフレーションの蓋然性が高く、その経済危機の際には、国民間の断絶を防ぐための外敵を中国に求めることが安易な方策となるため。
□コロナショックをめぐって、世界対中国という図式になった場合、中国はどのような行動を取る可能性が高いか➡
満州事変への国際的信認を得ることができなかった戦前昭和の日本が、国際連盟を脱退、東亜新秩序建設に邁進したような事態は一つの考え得る形態。
対米戦に備え、世界の新秩序建設を進める協力国とともに、超限戦を強化し、世界展開するようになろう。無論、あまりに過酷な決心が必要でもあり、中国政権の内部抗争を招く可能性もある。
□日本は中国の超限戦に対して、どのような対策が打てるか➡
愛国心を鼓舞し国民国家としての内部での連帯を強化、外部からの攻勢に対応できるようにする。日本の独立維持という究極の国益の面から、何が真で何が悪かを国民一人一人が見極める能力を培うべく、もっと国内外情勢に目を向ける教育も欠かせない。
□歴史的に見て、超限戦を破った事例はあるか➡
戦時・平時構わず戦争状態であった米ソ冷戦などはこの事例。結局、油価暴落や、分を超えた軍備増強がソ連を崩壊に導いたとされるが、それに至る過程には、アメリカの対ソ非軍事工作も含めて複合的に作用している。
<日本は「永世中立国」という選択肢を取り得るか>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□スイスはこれからも「永世中立」を国是として国家運営していくことになるか➡
中立維持の内外からのメリット次第。スイスの実態はEUと運命共同体であり、EUがスイスの中立維持を認めないのであれば、スイスもこれを放棄するであろう。既に、スイス中央銀行がスイスフランの価値安定を名目に、為替市場介入を通じてGDPの何倍ものユーロを購入、保有していることからもそれは明らか。
□日本はスイスのどのような点を学び、自国の弱点を克服していくべきか➡
生存競争において、口八丁手八丁も時には必要。周辺国の有力者にとって、日本の独立が利益となることを硬軟交えて知らしめる外交・宣伝工作は必須だろう。
□国民の意識が国家を作り、防衛の基軸となるが、今回のコロナショック以後の日本の課題として浮かび上がってくることはどのような点か➡
国民国家として国民皆兵主義を取るのがスイスの国体。海外からの超限戦、対日攻勢を踏まえて考えた時、日本国の日本人としての一体感を醸成する必要は、変遷極まりない今後の世界を見つめた上でもか欠くことはできない。その手法は、教育だけではなく、徴兵制度(超限戦を視野に入れた場合、特に軍事教練にこだわる必要もない)を通じた一体感の醸成も視野に入れてみてもよいかもしれない。
<17世紀のオランダに学ぶ、コロナショック後の世界への対応>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」と中国の「中華民族の再興」は新たな国家エゴの対立軸として認識されつつあるが、アメリカ陣営と中国陣営の「三方よし」はどのような形が考えられるか➡
お互い境界線を引いて縄張りを形成する過程が始まるはず、日本は米中の間に立ってミツバチのように立ち回ることができれば僥倖。この役回りは韓国も狙う。
□持たざる国はエネルギーだけではなく、力=「核」も言えるが自国防衛力と外交力が独自に求められる時代の中、日本はTPPやEPAなど「価値観を共有する経済、軍事協力体」という方法が最適解か。この場合、何が課題になるか➡
日本は共闘する盟邦にとって軍事力が役不足。経済力や技術情報や軍事情報の提供力など、軍事とは別の特技を培う必要がある。オランダ人のアニマルスピリットを見習い、アフリカ商圏など新興国ビジネスの新規開拓や新技術開発への果敢な挑戦と開発投資に傾斜する必要。この過程で皆が欲しがる情報が入手可能になる。
□日本のような持たざる国が連合するには、比較優位の製品力を持つことが最適解になるが、この場合、やはり単独ではなく知財の保護という観点で連携を図るしかないか。この場合、何が課題になるか➡
個々の商品開発も重要だが、独自プラットホームの形成を念頭に置いての開発がなお重要。ルールを自ら作ることが可能になり、取引相手が離れたくても離れがたい環境をビジネスの基盤に埋め込んでおくことがカギになる。
皆が集まり使用するプラットフォームには覇権通貨が集積する仕組みが欠かせない。そのためにもまず覇権通貨は何で、誰が持っているのか、その人物や国と組むことを念頭においての商圏やプラットフォームの形成ができればしめたもの。
17世紀のオランダの場合は徳川幕府が持つ銀山に目をつけ、極東に日本銀を基軸とした商圏や海運プラットフォームを作ったことがオランダの世紀を実現させた。
<コロナショック後の日本を取り巻く国際情勢>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□ポスト・コロナショックで、ロシアの次なる一手は何か。日本は何に警戒しなければならないか➡
コロナショック下で苦境に立たされるロシアは、軍事手段を用いるなど、あらゆる手段で復活を考えるだろう。日本はロシアに対峙するより、彼らから戦略物資を長期的に購入するなど、彼らとのウィンウィンの関係を築くチャンスに転化する必要があろう。
□北極海航路や北極圏資源などの開発で北方領土、北海道の重要性が再確認された後、中国による沖縄、本土および北海道の土地買収と移住、ロシアによる北方領土、北海道侵略を防衛するには米軍を北海道に駐屯させるなど対策を講じる必要も出てくるか?あるいはロシアと手を結び、中国に対峙する方向が現実的か? ➡
ロシアは南と西を平穏にしており、極東進出余力が今はあるので、相手につけこまれる隙を与えることなく、また、できるだけ刺激もせずに穏便に事を構えるべき。
□資源、核兵器、外交力のすべてを「持たざる国」の日本は、アメリカの撤退とともに、長大なシーレーンや国土防衛をどう転換させていき、国家戦略に基づいた経済へと移行していくのか➡
アメリカが「国力を低下していくような国(日本)をそれまでと同じような労力をかけてまで守ることに何の意義があるのか」という冷徹な見方をした時、アメリカ依存の「一本足打法」の怖さを再確認しつつ、日本が依って立つ柱を二本、三本と増やしていくべき。自国で守れる範囲にシーレーンを縮小して仮想敵も限定し、なるべく増やさないことが肝要となる。
<コロナショックと金融市場>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□コロナショックにより、アメリカを始め各国が未曽有の金融緩和、財政出動に舵取りをした結果、金融市場はどう動いていくか➡
1923年の日銀特融と震災手形で一時的に息を吹き返した日本経済が、不良債権となった震災手形関連の悪影響を受け、大きな金融恐慌に見舞われた再来を懸念。
□マネーは市場に流れているが、失業による購買力低下やサプライチェーンの弱体化による供給量不足などのバランスが崩れ、再び大きな世界的リセッションが起きるシナリオはあるか➡
あるだろう。既に米中間で今回のコロナショックの責任のなすり合いが始まっており、新冷戦構造が深化していく流れが濃厚。主に中国がサプライチェーンマネジメントの縮小の打撃を受けよう。
□日本においては物価上昇の中、不況が続くスタグフレーションが発生しないか➡
可能性大、しかし、省エネや新エネや新エネルギー源開発の急務が日本政府の背中を後押しする過程で新インフラが整備され、産みの苦しみとして昇華しよう。
□今回のコロナショックで大きくダメージを受ける国、さほど受けない国はどこか➡コロナショックの影響甚大でアメリカ内需に依存が大きい中国、および日本を含むアジア諸国だろう。意図せざる在庫の投げ売りを迫られる。対してダメージが少ないのは、もともと世界経済から経済制裁を受けていて疎外されていたロシア。世界経済のリンクから外れてきたのがここにきて幸いとなる。
□世界の資産バブルが弾けた時、どの地域の、どの通貨、経済に一番影響が大きくなるか。その結果何が起きるのか➡
すぐには資本の流動性が元に戻りにくいため、債務が大きく、自国通貨安が起きやすい新興国がダウンサイド圧力を受けよう。しかし、後には先進諸国などの債権国からの債務カットを通じて復活が期待できる。逆に債権国は大きなダメージを受けよう。
<コロナショック下で閉鎖都市となったモスクワ>
・翻って、私たちの社会の今後を考えた時、ポスト・コロナショックで新たな生活がさまざまな形で考えられるようになっています。
その時の新しい勤務スタイルとして、オンラインを通じて、自宅から仕事を行うリモートワークや、会社の契約に縛られないフリ-スタイルの勤務形態が、今後は定着していくことになると言われています。
一見、勤務時間の縛りや通勤地獄から解放される、いいことずくめに見えるサラリーマンの新ワークスタイルですが、企業から見た時、その素晴らしさは格別です。
オフィス費用や通勤費を削減でき、個々の社員の評価においては結果判断に注力でき、かつ、解雇の自由度が増すワークスタイルだからです。
そうすると、正社員から契約社員への雇用契約変更が進みやすくなると同時に、仕事も出来高制のクラウドソーシングという形態になり、結局、被雇用者は収入の安定を得るため、複数の企業とフリーランス契約をせねばならず、結果責任で働き詰めになることは自明です。秀でるものだけが職や収入を得ることができる、さらなる貧富の格差が拡大する世界の到来が容易に想定されます。
雇用者と被雇用者との距離が開き、国と国との距離が開き、どんどん他者へ思いやりが失われていく世界が到来すれば、勤務スタイルに自由な時間を得ることとの見返りとして、大きな雇用不安という不確実性とのトレードオフとなるわけです。
・筆者の考えるワーストケースシナリオが現実にならないことを祈るばかりですが、同時に思いを致すのが、ワーストケースシナリオが実現する際の「プランB(代替計画)」や「オプションB(次善の選択肢)」の大切さが今まで以上に重要性を増している事実です。
コロナショックを始めとして、世の中が想定外の事態に直面し、流動性を増しているのは事実であり、玉突き式にさらなる多くの想定外のことが起きやすくなっている時代です。新冷戦構造下で国と国との心理的距離が開く中ではなおさらになります。
・オンライン勤務やホームオフィスが増加する世界が来ると想定するなら、その時代に応じた対応に需要を見出し、準備した人たちが商機をつかむことになります。
『月刊ムー 2019年2月号』とネットから引用。
【好評連載中】月刊ムー「松原照子の大世見」今月のテーマは「新型インフルエンザが発生し、パンデミックが宣言される!?」
『月刊ムー 2019年2月号』とネットから引用。
「月刊「ムー」で、松原照子が「不思議な世界の方々」から得た情報を編集部が調査していく〈松原照子の大世見〉を連載中です。
2月号(2019年1月9日発売)のテーマは、「新型インフルエンザが発生し、パンデミックが宣言される!?」です。
原稿用紙に向かうと、自然に鉛筆が動いていくという松原氏。サラサラと書いた文章は「この数十年間、私たちが経験したことのなかったようなウイルスが発生し、人から人へと感染して大流行する」。「フェーズ6」という数字も見えたとのこと。
これらが意味するものとは? パンデミックは発生するのか? 詳しくは、ぜひ2月号をご一読ください。
<松原照子の大世見>
<松原照子が中国を発症とする新型ウイルスと2020年のパンデミックを予言>
<「フェーズ6」この数字が見える‼ >
・鳥から豚へ、そして人間へと感染する新型インフルエンザ。スペイン風邪のウイルスを発端として、鳥や豚が持つウイルスが幾重にも絡みあい、新種のウイルスが誕生するのに、それほど時間はかからないような気がしています。
それは大気が大きく変化しているからです。とくに中国の大気汚染は、都市部のなかでもネズミが出やすいような環境下において、深刻なウイルスをつくりあげていくでしょう。そうした環境の中で暮らす人々は病院にも行けず、新型ウイルスと戦う免疫力もないために、ひとたび広がりはじめたら驚くようなスピードで感染が拡大していきそうです。
「フェーズ6」この数字が見えています。
それほど遠くない未来、パンデミック宣言が出されて、世界中を震撼させるでしょう。
皆様を怖がらせたいわけではありません。これが現実の世界であり、人間の生活環境が変化していくのに合わせて、ウイルスもまた、生き残りをかけて進化しつづけているのです。豚由来のウイルスが変質するだけではなく、その他の生物に由来するウイルスも、進化しようとしているように思います。
ぜひとも大成功を収めてほしい東京オリンピックが2020年に迫っています。夏に発生しやすいように思えるこうした新型ウイルスが、2020年に発生しないことを願います。
私たちは、この地球を人間が独占していると錯覚していますが、もしかしたらそういう傲慢さが、ウイルスを元気づけているのかもしれません。その証拠に、5000万人もの死者を出したスペイン風邪がはやったのは、第1次世界大戦のまっただなかでした。
――スぺイン風邪とは、アメリカを発端に、1918年3月から翌年にかけて世界中で大流行したインフルエンザ。当時の地球人口は20億人未満だが、感染者数5億人、死亡者数は5000万以上とされている。流行の当初は軽症だったものの、夏ごろから致死性が高くなった。日本でも国民の4割に相当する2300万人が感染し、39万人の死亡者が出た。スぺイン風邪のために第1次世界大戦の終結が早まったともいわれる。
・2018年の夏は酷暑つづきだったので、体をクーラーで冷やしすぎています。どうか皆様も、ご自分の体に気をつけてくださいね。帰宅した時に、うがいと手洗いをする習慣をつけておくのは、予防としてもよいことです。
『100歳まで読書』
「死ぬまで本を読む」知的生活のヒント
轡田隆史 三笠書房 2019/11/8
<年を取ると、たしかに「読書はちょっと大変だ」。>
・文字は読みにくくなるし、集中力も長くはつづかない。
時間だって、意外と思うように取れないことも多い。
だから、ちょっとした工夫や発想転換が必要だ。
<なぜ「100歳まで本を読む」のか?>
・カンタンにいうなら、ちゃんと死にたいからだ。
「ちゃんと死ぬ」とは、どう死ぬことなのか?
最後のさいごまで知的に、豊かに、静かに自分を保ちつづけ、自分はこの世界のなかの、どこに位置していて、どのように生きてきたか――を、それなりに納得して、死ぬことではないだろうか。
そのためには、だれに相談するよりも、書物に相談するのがいちばんだろう。
・本を読んでいるとき、人は孤独である。孤独にならなければ、本は読めない。
それは、自分のこころの奥を静かにのぞきこむ、貴重なときであるからだ。
そうやって人と人の、孤独の魂は結びついてゆく。そこに孤独というものの楽しさがある。ただはしゃいでいるだけの精神は長つづきしない。孤立してゆく。
そもそも、だれだって「あの世」に行く時は、お経だとか聖書だとかいった「書物」の朗読によって送り出されるのである。どんなに読書の嫌いな人だって、最後まで書物の世話になるのだから。
<だから、ぼくは死ぬまで本を読む>
- 本は最後まで、人生のよき相談相手になってくれる
- 老いると、たしかに読書はちょっと大変だ
- 一日の読書は、新聞記事を読むことからはじめたい
- 読むたびに、何度でも感動できる本がある
- あなたには、死ぬまで読んでいられる本があるか?
<「100歳まで読書」の基本ルール>
- 「書評」を読むのだって立派な読書だ
- 本の「拾い詠み」こそ、極上の「暇つぶし」
- 本は「ちゃんとした死に方」まで考えさせてくれる
- 三たび、「本に出合う喜びを知る」
- 「それでもこれまでと違う世界の本を読もう」
<こんな読み方、楽しみ方もある!>
- 好きな「詩歌」を一つくらいは持ちたい
- 図書館ならではの本の読み方、活かし方がある
- お酒を飲みながら――こんな読書会もあり
<本が人生に与えてくれるもの>
- 「笑う読書」に福きたる
- まことに愉快な「無知の自覚」
- 「書く」ことで、読書はもっと面白くなる
- 古本屋台――ぼくの“妄想的”蔵書の処分法
- 「読書」は「希望」への道筋を示してくれる
- だから、100歳まで本を読もう
<本は最後まで、人生のよき相談相手になってくれる>
・死ぬまで本を読む。
なんだかすごい覚悟だなあ、と笑われそうだが、老いたるジャーナリストのいうことだから、妄想と持ってくださってもけっこうだ。
ただし、なぜそんなにも「読む」ことに執着するのか?
そう問われれば、それなりの答えは持っているつもりだ。
一つには、ぼくは知能指数が低いからだ。
・国語や歴史などはなかなかの成績だったから、ぼくとしては本をいわば「相談役」として、もっぱら本に教えられるという道をヨロヨロと歩くようになった。
・新聞記者という職業を選んでから、「一を聞いて十を知る」のは危険であり、「十を聞いて一を知る」と心得ているべきだと信じるようになった。
十を質問しても、やっと一、二がわかればいいほうだ。一を聞いて十を知ったような気持ちになるのは、ただの思い込みだ、と。
<死ぬまで読むとは、死ぬまで質問しつづけること>
・とはいえ、人に質問する機会も時間も限られている。時と場所を選ばず、いつだって読むときに質問することのできる「相手」こそ書物であることも知った。
だから、「死ぬまで本を読む」というのは「死ぬまで質問しつづける」というに等しいのである。
それこそ無数にある質問のなかで最も普遍的で、最も難しい質問はなんだろう?
それは人それぞれだろうが、ぼくの場合は「なぜぼくはこの世に生まれてきたのだろうか?」「死とはなんだろう? 死ぬとどうなるのだろう?」といったあたりだ。
どちらも「答え」の出にくい質問だ。ことに「死」については、死んでもわからないのである。
・「死後の世界は未知の国だ。旅立ったものは一人としてもどったためしがない」
どちらの質問もじつは人類の文化・文明の歴史がはじまってから、無数の人びとが考えつづけ、答えを求めてきた質問である。
唯一の正解というものはない。ただし、多くの人びとをそれなりに納得させる「力」を持った答えはある。宗教である。
・われわれは、お経や聖書という書物の記述と、その朗読によって「あの世」に送られるわけだ。
つまり「死ぬまで本を読む」どころか、「死んでも本を読んでいる」のである。「読み聞かされている」のである。
人びとがあまり本を読まなくなったという「本離れ」が進んでいるらしいけれど、人間は死んでも本を読むことから離れられないのである。
だって、動物で書物を読むのは人間だけである。
<老いると、たしかに読書はちょっと大変だ>
・「人生100年時代」のいま、「100歳まで読書」について、学者や作家や評論家など、読書が仕事そのものである人びとが、すでにいろいろ書いている。
・ぼくがこのような人たちと決定的に違うのは、ぼくは格別の読書家でもなければ評論家でもなく、いわばサラリーマンとして新聞記者をやってきただけの人物であることだ。という意味では、ごくふつうの「読書人」である。
<まことに愉快な「無知の自覚」>
・「馬齢」とは、年齢のわりにはこれといった成果を上げなかった自分の年齢をへり下って表現する言葉だ。
馬にはいささか申し訳ないことだけれど、まあ勘弁してもらうとして、ぼく自身をふり返ると、まさに「馬齢」としかいいようがないことを知るのだ。
他人との会話によって知ることもあるけれど、本を読めば読むほど、知らなかったことに次から次へとぶつかって、思わずウームとうなってしまう。
83歳にもなったくせに、まあなんと無知なことよと、われながら感心するほど。
・なぜならば、「知らない」ことを自覚した瞬間とは、それまで知らなかったことを知った瞬間でもあるわけだから。
「無知の自覚」といえば、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「私の知っているただ一つのことは、私は何も知らないということだ」と語ったという。
<世の中は「知らにないこと」だらけである>
・梅原さんの『人類哲学序説』のなかで、ぼくの大好きな宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』と、かつて山形県内を旅したときに心に刻みつけた「草木国土悉皆成仏」という古い言葉が、とても大切にされているのはうれしかった。
・年を取れば、いろいろ学んで「無知」の世界は狭まるはずなのに、ぼくは広がっていくばかり。まことに愉快である。
<「書く」ことで、読書はもっと面白くなる>
・「僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してしかものを考えることのできないタイプの人間なので(抽象的に観念的に思索することが生来不得手なのだ)……」
大作家の例を引き合いにして語るのはムチャかもしれないけれど、多くの人びとも程度の差はいろいろあるにしても、「抽象的に観念的に思索することは生来不得手」だろうと勝手に思う。もちろんぼくも。
だから、ちょっとメモしながら考えると、考えをまとめやすいことを経験しているはずである。
・読書とはそのように、文字をたどることによって次から次へと、さまざまな場面を思い起こしていく作業である。
それをメモしてみれば、「考え」は次第にカタチあるものになり、まとまっていくのである。
こうして書物は「読む人」を「書く」行為に誘っていく。
<読んだ本の内容をこんなふうに要約できたらすばらしい>
・「生きる」とは、日々、さまざまな事物を自分なりに「要約」しながら暮らしていくこと、というのがぼくの考えの基本的な出発点だった。
だから、読書感想文を書こうとするなら、まず感想は抜きにして、読んだ本の要約を書いてみることをおすすめする。
それも、長さをはじめから「400字で」とか「800字で」というように、字数を制限しておく。「書く」という作業は、「要約」する作業なのである。
<考える力とは「なぜ?」を突きとめること>
・重要なのは、「なぜ?」という問いかけである。
「読む」のも「書く」のも「考える」行為であり、「考える」行為とは「なぜ?」と問いかける行為なのである。
・その本は、世界文学の祖ともいうべきイギリスの詩人・劇作家、シェイクスピアの「ハムレット」のセリフを巻頭に掲げている。
「考える心というやつ、もともと4分の1は知恵で、残りの4分の3は憶病にすぎないのだ」
・人類はいまだって、「なぜであるか、まだ知らない」ことに囲まれているのである。「100歳まで読書」すれば、ああ、こんなことも知らずに生きてきたのだ、という思いにとらわれるだろう。
すでに語ったように、「世の中は知らないことだらけである」ことを、いまこそ知ったのだという喜びにひたれるだろう。
だからいまもこうして読書をつづけているのである。
<古本屋台――ぼくの“妄想的”蔵書の処分法>
・ぼくみたいなあやしい蔵書と違って、立派な蔵書家の場合、内容が立派だから、学校などで引き取ることもあるだろう。
しかし量や内容はともかく、ある程度の蔵書があれば、どう処分したらいいのか、だれだって大いに困惑する問題である。
ある年齢に達したら、もう購入しない、と決心する。必要なものは図書館を利用するというのが、一つの方法だろう。
もちろん、図書館は老人のためにある、ぐらいの気分で大いに利用すべきであるし、どこでも利用者の便を大いに図ってくれている。
本に囲まれていれば「孤独」もまた楽し、の心境に安住できる。
・そのときふと手にしたのはマンガだった。『古本屋台』という題名が気になったせいである。原作・久住昌之、画・久住卓也で集英社刊である。
表紙には、おでんやラーメンの屋台そっくりの屋台が描かれて、男が二人立っていて、ソフト帽の男は一杯やっており、もう一人は本を読んでいる。
・帯には「この漫画、渋い…渋すぎる……!」とあり、さらに「本の雑誌が選ぶ2018年度ベスト10・第1位」とも記されているではないか。
『孤独のグルメ』の原作者による、本好きに贈る異色コミック――であり、「屋台で古本を売っているこの店は、オヤジが一人で切り盛りしている。珍本奇本がそろう、マニアにはたまらない店だ」とも書かれている。
「『100歳まで読書』のルール」みたいに、こちらにも「古本屋台のルール」というのがあるらしい。
「1、 白波お湯割り一杯100円。お一人様一杯限り。2、ヘベレケの客に
酒は出さない。3、騒がしい客には帰ってもらう。ウチは飲み屋じゃない。本屋だ」というのだ。「白波」というのは有名な焼酎である。本と酒の好きなサラリーマンがどっぷりと漬かっていく。
<「読書」は「希望」への道筋を示してくれる>
・大石とぼくは昔からの友人だ。
ぼくはベトナム戦争などをヨロヨロと取材していただけなのに、彼女はベトナム戦争も、中東などの戦争も流血も、その渦中にあった子どもたちや女性の姿、現実も、確固たる足取りで取材して回っていた。
その結果は、何冊もの写真集や文章に結晶している。ヨロヨロのぼくは、その書物を手にするたびに叱られている気分になる。
<「絶望の物語」が私たちに教えてくれること>
・村上が世に出た最初の作品、『風の歌を聴け』にあった、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」というくだりである。
読書は循環する。あるいは、木霊(こだま)し合う、といってもいい。
・書物は「絶望」という名前の現実を記録して、だれでもその気になれば読むことを可能にしてくれる存在である。
「絶望」の物語を「読む」ことによって、人間は「希望」への道を模索することができるのである。
「読書」は「希望」への道筋を示してくれる灯火なのである。
<だから、100歳まで本を読もう>
・佐々木さんは、ニュース映画製作の草分け「日映新社」に参加したりしたあとブラジルに渡り、9年間、飲食店を営んだあと、1988年、日本人移民の最も多いサンパウロで私設図書館を創立した。
1993年に帰国して今日に至る歴史は興味深いけれど、異国に「私設図書館」を創立したというのは、すごい!
そのことでわかるように、佐々木さんの歴史の出発点は、書物であり読書なのだ。
<人間に死はあっても、読書に死はない>
・「書物は人間が創り出したさまざまな道具類の中でもっとも驚嘆すべきものです。ほかの道具はいずれも人間の体の一部が拡大延長されたものでしかありません。たとえば、望遠鏡や顕微鏡は人間の眼が拡大されたものですし、電話や声が、鋤や剣は腕が延長されたものです。しかし、書物は記憶と想像力が拡大延長されたもの」
・佐々木さんがかつてサンパウロに創設した図書館もニューヨーク公共図書館も、わが家の近くにある小さな公立図書館も、みんな記憶と想像力の広がりの広場であり、多くの孤独な魂が結びついていく広場なのだ。